[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
『ありがとうございます』
日本を縦断した大型の台風10号も去り、早いもので秋、お花屋さんの店先には、初秋を彩るほおずきが売られていたのか、家内がそれを買ってきて小菊と一緒に瓶に入れて、今、食卓の上にあります。薄い皴に覆われた房が3つ、艶やかな実が2つ・・・。
「日本伝道百年史」に紹介されているマカルピン夫人は、熱狂的な夏の高校野球のフアンで、一人、一喜一憂していました。居間には長い事務机、その上には何冊もの資料の本、日本語辞典、そうして「さんびか物語、旧新約婦人物語」のための資料本の向こうにあるテレビを見ながら英語で原稿を書かれていましたが、その合間に、大きな歓声の声・・・。
イチジクが好物で、名古屋市の主税町(ちからまち)の事務所(「キリストへの時間」「つのぶえ社」)の庭にあるイチジクを必ずPM3:00になると、毎日、笊を持って事務所に来ます。木に登り竹で編んだ笊に一杯入れて、同じ敷地にあるご自宅に届けてから帰宅するのが、秋の私たちの風物詩でした。そんなことを思いながら、今、家内とイチジクを食べています。
ふと、数十年前を思い出させるひと時です。
2019年7月16日から2019年8月15日までのイースター記念感謝献金者、「つのぶえジャーナル」事業への寄付者の報告です。感謝いたします。
三枝春樹様 渡辺美咲様 村田和子様 西堀郁子様 山形 功様 佐藤のり様 和田順一様 和田貴美子様 加納さおり様 匿名2名様
*寄付金口座…郵振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社
また、お便り下さる方やお友達への紹介はこのメール アドレスをご利用ください。多くの「ジャーナル友さん」が与えられるように願っています。
*「つのぶえジャーナル」はこれをご利用ください。
http://tunobue.blog.shinobi.jp
(米国南長老教会文書伝道事業)刊行責任者
つのぶえ社代表 長村秀勝
「今月のことば」
彼女は「どうぞ、わたしに、刈る人たちのあとについて、束のあいだで、落穂を拾い集めさせてください」と言いました。そして彼女は朝早くきて、今まで働いて、少しのあいだも休みませんでした。
=ルツ2:7=
ルツの物語は、時代こそ違っていても私たちに多くのことを教え、考えさせてくれます。どうぞ、もしお手元に聖書をお持ちなら、旧約聖書のルツ記をお読みください。今日的な問題への答えとして示唆に富んだ何かを得ることでしょう。
ルツという婦人から敢えて二つのことを考えてみたいと思いました。
一つの立派なことは、彼女は自分のことを忘れ、年老いた姑に愛と尊敬をもって忠実に仕えたことです。姑を愛して、自分の生まれ故郷を離れて、知らない人々の中で暮らしました。この点で、異教徒であるルツは、キリスト者の名を負う者よりも、広い心と、素直な性質の持ち主でした。
何時の時代でも、若い人は老人を軽蔑したり、無視する傾向にあります、神様から示されている十戒の第4戒は「父と母とを敬いなさい」「白髪の人を尊敬しなさい」「やもめを大切にしなさい」など、聖書の中には、たくさん示されていますが、それは、そうでなかったということの証しです。
ある者は自分の両親を忘れてしまうこともあります。きれいな老人施設、高額な費用を支払う子供はいても、ほとんど訪ねてくることのない現実に、親子の絆・愛情の希薄さを感じ、自分の気持ちを見ると言われていました。
老人たちに対して真実な心を持ち、何時でも助ける心を持ち合わせる人になりたい者です。老人ばかりでないことは明白です。
もう一つのルツの素晴らしさは、他の人が放置していた、麦の穂を、忍耐強く、一つ一つ拾う心にあります。豊かさとは何でしょうか。ルツの行為は、自分と年老いた姑の生活を支えました。今日的でないとか、女性差別とか言われる人もおられますが、旧約聖書の箴言31章10節から31節には、「有能な妻」という小見出しで書かれているところがあります。
ルツの行為が、称賛されるのは、その置かれていた過酷さ、労働の厳しさを残酷なまでに示しています。これは男女を超えた今日的な出来事でもあるからです。
夜明けから夕方遅くまで、背を曲げ、一つ一つの麦の穂に手を伸ばして休むことなく、今日の糧のために拾い集める姿は、子供を養い育てる母親の姿でもありましょう。落穂拾いで得る糧は僅かです。そうしなければ生きられなかったのです。
自分の身の回りを振り返って見ませんか。
テレビコマーシャルに「助け合い」は「助け愛」とありました。
ジャン・フランソア・ミレ(1814~1875)の名画の一つと言われています「落穂ひろい」は、ミレのその当時の農村風景ですが、ルツの姿を重ね合わせさせるものがあります。
「小閑記」
あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ心を新たにすることによって、造りかえられるべきである。
=ローマ12:2=
生活の知恵として、私たちは多くの習わし、習慣を守ってきました。社会はそのようなもので秩序立てられ、維持されて来たところは沢山あります。「伝統」や「文化」には、深い意味合いがありますが、悪しき「伝統」「文化」のあることもまた事実です。
人が最も興味を持つもの、最も欲するもの、自分の利欲となるものであれば、それがどんなに罪深く、人や社会に益しないことでも、下品なことでも、地位や富に関係なく、それをやるのが私たち人間の本性なのです。
「神より生まれたものでなければ、それ以上のことはできない」のです。
しかし、キリスト者は新しい人になったのですから、これよりも出来るはずなのです。聖書は教えます。この世につく者は自己中心である、と。キリスト者は全てのことをする出発点は、神様からいただいたキリストの愛をもっているものからスタートします。その愛とは、決して自分の私利、利得、名誉、あるいは名声を求めず、神のみこころを求めなければなりません。
旧約の祭司が犠牲をささげるように、自分を神への生ける清い供え物としてささげるべきです。
この感謝と信仰の証しとしての犠牲と奉仕において、たゆまぬ力を持つには、私たちはただ一つ、絶えず心を新たにしていなければなりません。また、世の人々を避けないで、世の習慣や習わしとは違った、違う生き方をしなければなりません。その目的のために、キリスト者として招かれ、救われたのです。その理由のためにこの世にいるのです。
私たちは、寛容であるべきです。しかし曖昧であるべきではありません。多様さを認めることは大切です。しかし、妥協すべきことを求めてはいけないのです。この自覚が薄れる時、「地の塩、世の光」を失うのです。
それをよく守り、勝利を得るキリスト者は幸いです。それは自分自身にとどまらず、人々に指針、道しるべ、良き信号機になるのです。
神の栄光を現すために、その生涯を生きようとする姿こそ、今、キリスト者と教会は求められているのではないでしょうか。
わが生くるは、ただ君(キリスト・神)ひとりのため
君をぞわれは最も愛す、われに賜いし君が愛にこたえて。
世田谷通信(191)
猫草
ウサギを数えるときに1羽2羽というのか、1匹2匹というのか。どちらもあり。ただし「羽」は食用、「匹」はペットとしてという違いがあるとか。
ウサギを鳥のように「羽」と数えるのは、かつて日本が獣肉食を禁じた時代に「獣を食べているんじゃないですよ、耳が鳥の羽みたいだし、鳥みたいなもん同列でしょ」という苦しい言い訳に由来するらしい。
というわけで、以下ウサギの数は「匹」で。前置きが長くなったが、現在うちにはウサギが3匹居る。1匹増えたのは学校で飼育されていた高齢ウサギを引き取ったから。どれぐらい高齢かというと、正確な生年月日不明でよくわからないが、獣医さんのカルテによれば推定12歳以上。人間にすると130歳を超える感じ。もともと学校には3匹いたのだが、残り1匹となり、白内障と筋力の低下が著しく、学校での飼育が難しくなった。
家に来てから数ヶ月、少しずつ衰えていくのは仕方ない、それでもちょっと回復している所もある。汚れから来る手足の炎症が治って新しいふかふかの毛が生えてきた。
長寿の秘訣は旺盛な食欲である。出されたものは何でも食べる。目の前にあるものは完食する。ただし食べてはいけないものは残す賢さもある。私が採ってきたタンポポやハルノノゲシなどの野草の中にアジサイの葉が一枚混ざっていた。それには手をつけなかった。毒性があるのにしまった!と思うのと、さすが野生の本能は健在、とほっとするのが同時だった。
それがとうとう食べられなくなった。もうお別れだと思った。強制給餌は前のウサギの時に辛かったので嫌だった。大好きな草を前にしても咀嚼できないウサギをみて、最後かなと思って抱っこした。しばらく背中をなでて、ケージに戻そうとしたとき、大量のおしっこが出た。いつもの半透明なのではなく、灰色でザラザラの砂が大量に混ざっている。
翌日獣医さんに連れて行ってこの話をすると、膀胱に溜まっていた老廃物が抱っこされて揺られうまく出たのでしょう、それは良かった!と言われた。流動食をぺろりとカップ1杯食べておかわりを要求した。老廃物が出て、栄養が行き渡り、復活したのだ。まだまだ行ける。生きられる。生きものは道を見つけるのだ。
『美しい朝に』・・57・・
長良川の鵜飼い
鵜飼い漁の歴史は古く、古事記・日本書紀にも出てくるほどだそうです。鵜匠は今でも宮内庁式部職に任じられているとのことです。しかし今日ではすっかり観光用になっているようです。20年以上、岐阜県に住んでいながら、残念なことに私も家内もまだ一度も見たことがありません。
鵜飼いといえば、俳人松尾芭蕉の「おもしろうて やがて悲しき 鵜舟哉」という句が有名ですね。芭蕉も長良川まで足を伸ばしたのでしょう。岐阜市の長良橋のたもとに、この句が刻まれた句碑が建てられています。芭蕉といえば、私たちが住んでいる大垣市には、「奥の細道むすびの地記念館」があります。ここには2回ほど訪ねたことがあります。芭蕉の旅は5ヶ月もかけての大旅行、さすが天下泰平の元禄の世ですね。
前川嘉風という現代の俳人の「篝火の 揺らぎ鵜匠の 綱さばき」という句もありました。かがり火に誘われ、鵜に捕えられる鮎。何度も潜っては鮎を飲み込む鵜。一人の鵜匠は12羽の鵜を操るといいます。鵜はせっかく捕ったのに鮎を吐き出され、最終的には人間様が食べてしまう。そういう鵜飼いを見て楽しむ観光客。いろいろですね。「おもしろうて やがて悲しき」という気持ちが分かるような気がします。
私たちはせいぜい、偽りの光におびき寄せられて、悪魔に飲み込まれないようにしましょう。いつも本当の世の光であるイエス様のみを見上げていきたいものです。
岐阜県大垣市在住 H・N
**********
「十字架を仰げよ」 水野源三第四詩集
主イエスの十字架によって 父なる御神に赦されているのに
なぜ罪に苦しむのか 今すぐ主イエスの十字架を仰げよ
主イエスの十字架によって 父なる御神に愛されているのに
なぜ孤独に悩むのか 今すぐ主イエスの十字架を仰げよ
主イエスの十字架によって 父なる御神に赦されているのに
なぜ明日を恐れるのか 今すぐ主イエスの十字架を仰げよ
『その愛のゆえに』
=時々の記=
(160)
6月18日
大阪の事件ではまだ若い警察官が、今、病床で闘っておられます。元ラガーマンだったと聞いていますから、この厳しい状況を何とか乗り越えてほしいと祈る思いです。今朝からお隣の散歩友達に我が家の庭で咲いていたアジサイをおすそ分けいたしました。とても喜んでいただき、こちらまでうれしくなりました。アジサイらしくない色合いのものばかりでしたが、やはりこの梅雨の季節にふさわしく風情があります。お花大好きな方なので、とてもお花を大切に育てておられます。お花を眺めて、心癒されるのはとても感謝なことですね。
教会の庭にアイリス似合ひける。
蜘蛛の糸、ちらちら光る庭手入れ。
摘み犯す力弱まれ五月晴れ。
すべてには時あるを知りホトトギス。
分別の喜寿迎ふべし五月闇。 馬場路哉
6月28日
台風の影響でしょうか。朝からとても蒸し暑く、体を動かすのが億劫な一日でした。湿度が高いと、体が元気を失くしてしまいます。散歩をしているのですが、足が上がりません。あちこちの石にけつまずいてしまいました。竹の勢いにはもうびっくりです。あっという間に背丈まで大きく伸びています。散歩していると一日で景色が変わっていくのです。
竹の葉の金色となり散りにけり。
梅雨寂し温な綬びける。
フェルメール描く少女や新樹光。
草ひくや細やかな根の多きこと。
梅雨寂し温和な人を偲びける。
草ひきやきめ細やかな根の多き事。
ため池は元泉なり透き通る。 馬場路哉
朝顔も、ひまわりも、花を咲かせるのを足踏みしているようです。
7月2日
この雨で洗濯物は部屋の中で干しています。必要最低限なものだけ乾燥機で干しています。洗濯物はやはり陽の光の恵みをいただいて乾燥させるのが、畳んでしまう時の感触が違いますし、着替えた時の肌触りもほっこりします。
主人はこの雨の中、ご近所の高齢者の方たちだけの草刈り作業でした。皆さんのご苦労で細い道の草も無くなり、感謝しています。レインコートを着ての作業でしたから汗だくで帰ってきました。
7月15日
昨日までの雨が少し上がって、今は雲の切れ目からお日様が照っています。ことしの7月は日照時間が少なく、農作物に影響が出始めているようです。31年振りに冷夏となっていると伝えられています。一昨日、散歩を終えて帰ろうとした途端、道のコケに足を取られてあっという間に転倒してしまいました。何とか起きることができたので、無事だったことを感謝しました。ちょっとしたことでの転倒です。怖くなってきました。昨日は一日寝込んでいました。まだ少し頭がぼんやりしています。むち打ちのような状態になったのだと思います。救急搬送されずに済んだことに感謝しています。
井戸替えや玉石を出し戻しける。(夏の恒例行事です)
古希過ぐやトマトジュースを薬用す。
この山に女神いるかや合歓の花。
けものみち崖を登りぬスイカズラ。
光る雲ジューンブライ想はする。 馬場路哉
久しぶりに晴れ間が出たので主人はリハビリに出かけています。お昼前には汗だくになって帰宅することでしょう。
馬場暁美
「上野緑ヶ丘教会会員」
眸(ひとみ)・・101・・
☆ 専門学校に行っていた孫が実家に戻っていました。何だか疲れた顔には、希望に満ちた笑顔がありません。一度はあこがれる都会の生活は、孫の性格には合わないのでしょうか。今は犬の散歩や好きな本を読んで過ごしているようです。きっとまた何かを見つけてくれるだろうと思っています。焦ってほしくないです。その内に孫の運転で温泉に行きたいと思っています。 長野県 T・Mさん
☆ 母をみ国へ送って2年になろうとしています。母を亡くしてから心が折れてしまい、何もする気がなくなり、眠れず、内科の先生の処方で、眠剤を服用しての日々でしたが、先日、「ジャーナルさん」にメールした返信で、はっと気付きました。私の心と信仰に「感謝」はありませんでした。毎日何もすることがないとの愚痴メールでも、返信してくださいました。ふと鏡の中の自分の顔に驚きました。母の介護している時とは別人、化粧もしていませんでした。白髪頭です。メールの中に、おかあさんのところに毎日通っていた施設で、よくボランチィアでお掃除をしたいと書いていたのを思い出してくださり、また少しの時間でもボラでお掃除をさせてもらいたいとお願いしたら、ぜひ来てくださいと言われましたので、今は週3回まで行けるようになりました。身だしなみにも気を付け、髪も黒く染め、お弁当を作り、家でも主人の食事も考えられるようになれました。 眠剤も時々しか使っていません。感謝して、今の私をメールにしました。 大阪府 A・Aさん
☆ 梅雨の恵みをいただいた山々や山肌には、先人の汗と努力の棚田には夏の太陽が照り映えています。観光名所とか、日本の農家の原風景とかのきれいな言葉で紹介されてか、カメラ持参の観光バスで外国人も含めて大勢来るようになったのは、つい10数年前からでしょうか。村も観光収入を期待してトイレやバスの駐車場の整備、お店や食堂もできて、働く場が増えました。しかしこの棚田は、何世代もの人々の苦しさと貧しさの証が、あの小さい区切りの田んぼと石垣なのです。畑の少ない山地、災害と隣り合わせの不安は、そこに住む人の心の風景です。代々続いた貧しい農家の原風景でもあるのです。無口な年寄りの顔のしわや曲がった腰は、あの狭い道を毎日何度も何度も上り下りした姿でもあります。これも見えない棚田の原風景です。美しさはその手数の作品です。台風が心配になります。そうして後継者も今はいません。 愛媛県 T・Mさん
☆ 子供のころには、夕方になると川辺の木々には変幻自在に点滅する光の輪が出来ましたが、護岸工事の整備が進んでから、何時しか消えていました。忙しい日々、そのような虫たちの命の営みも忘れた日々でしたが、皆さんの努力の成果で、またあの切ない蛍の光が戻ってきました。短い生の営みを終えた蛍は、灯を残しながら、川の流れに遠くに消えて行きました。お疲れ様、そしてありがとうとつぶやいていました。ふと命の尊さを思いましたので、メールしました。 山口県 G・Yさん
☆ 昨年の大雨による氾濫の記憶が残っているというのにまた「厳重警戒」で、疲れてしまいます。畑も水田も道路も区別はつきません。かろうじて、道路標識で分かるくらいでして、雨がやみ水が引いてからのあの片付けの作業を考えると、気が重くなります。お祈りください。 岡山県 K・Jさん
☆ 「つのぶえジャーナル」7月号を読んでいた主人が「ほっとひととき・・・」の東京都のY・Yさんの投稿を読んで、お仲間がいたと喜んでいます。高原野菜農家の私たちですが、季節によって出来過ぎて処分しなければならない時があってから、隣の県にある老人施設と話し合って、送料など私たちの負担で定期的に野菜を提供することにしています。出来過ぎて値段が安いと、トラクターで掘り起し畑の肥料?にするあの虚しさは、野菜農家には本当に虚しい気持ちになります。それで考えたのが、受け取ってくださる施設があって、今では数か所になりました。今は、メールの交換や時にお訪ねするほどになっています。・・・。 長野県 R・Kさん
☆ 網戸に「カマキリ」が一匹ついていました。私は興味が湧いて、インターネットで「カマキリの生態」を検索し、その生涯の姿に、驚嘆・驚愕しました。昆虫好きの子供たちの中でも人気者だそうですが、表現しがたい生き物のドラマに、不思議な感動を覚えました。メスがオスと交尾中に食べてしまう弱肉強食の世界のようにしか知らなかった「カマキリ」の命の連鎖に、忘れていた「命の連鎖」を知らされました。皆さんも一度お調べになっては如何でしょうか。 愛知県 O・Hさん
<身近な出来事を「眸」に投稿してください> 編集子
(元日本キリスト改革派名古屋教会牧師)
=安息日=
第四戒⑤・働きの完成
出エジプト16・13~29
旧約聖書の歴史を見ると、安息日として週の第七日目を休むことが守られるようになったことが記されているのは、出エジプト記の16章です。天からのマナを集めるように命じられた時、この命令が初めて記されています。彼らは安息日というものを知っていたわけで、20章に記されているシナイ山で、十戒を与えられるまでは安息日について知らなかったわけではありませんでした。しかし、長期間にわたるエジプトでの生活で民は安息日を守ることが出来なかったのでしょう。
それが、エジプトから、イスラエル人が神の民として形成された時、創造の秩序に基づく安息日が十戒のなかにはっきりと謳われるようになりました。
「六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである」(出エジプト20:11)という理由をもって安息日が定められました。
しかし、新約聖書の時代になった時、週の七日目の安息日が週の初めの日に簡単に変わったわけではないことをすでに申しました。信仰者たちは週の初めの日に働きを休むことが出来なかったからです。聖書に記されているように、週の初めの日は、朝早く集まるか、あるいは日没後に集まるかしなければなりませんでしたから、安息日ではなかったのです。
新約聖書には、週の初めを安息日とするようにという命令が、主イエスからなされていたわけではありませんし、使徒たちも命じているわけではありません。それが教会に定着したのは歴史的にはローマ皇帝がキリスト者になってからであり、教会からの命令によりました。
それなら、七日目が最初の日に変わったことが、神の意志から出たものではありません。キリスト信者がキリストの復活を祝うのに、日曜日を用いることが最も相応しいという確信に、すべての真理に導く御霊が導いて下さったからです。安息日から日曜日に変わることを明示している聖書の個所はありません。そういう意味で幼児洗礼の場合と似ています。休息、自由、救い、喜びなど、安息日が持っている意味から、主の復活日こそがその日に相応しいということでした。
使徒言行録20章7節にあるように、使徒パウロが第三回伝道旅行で、トロアスに来ていた時、「週の初めの日」も人々は集まっていて、パウロの言葉を聞きました。それは「夜中まで続いた」とありますように、この集会は夕方から始まったものと考えられます。この時はまだ「主の日」と呼ばれず、意識的に呼ばれたのは一世紀末(黙示録1章10節)でした。神の導きが主の日を安息日にしました。
=安息日=
第四戒⑥・この日が与える自由
ヘブライ10:19~25
信仰者の家族における契約の子が、大人になってから子供時代のことを振り返り、日曜日の生活は強制され、辛かったので、自分の子供たちには、同じ思いをさせたくない、という声は以前からしばしば聞きます。なぜこのような思いがあるのでしょう。キリスト信者はキリストの贖いによって神の子供とされたからには、主の日は文字通り神の日になりました。それで日曜日を真に楽しむことが出来るようにされました。それにもかかわらず、日曜日を楽しむことが出来ないのはなぜでしょう。この日は神の日であるということの意識が足りないのでしょうか。神の日ではなく自分の日であるという意識から、子供たちは不満を感じるのでしょうか。
主の日こそ、私たちが神のものとされたことを味わう日です。親自身がそのことをしっかりと受け止めていれば、心から主の日を楽しむことが出来るでしょう。そのように聖別しましょう。主の日には、通常の日々の心配事から離れるように努めましょう。職業のことだけでなく、六日間の仕事以外の働きから来る様々なことからも自由になりたいものです。仕事の奴隷でも趣味の奴隷でもないところに自由があります。
第四戒の言葉によると、この日は家族の安息の日であるとともに、奴隷も家畜も寄留の旅人にとっても安息の日です。それは、安息は個人的なものではなく、キリストによって買い取られて贖われ、自由にされ、神のものとされたことを一緒になって喜ぶ日です。信仰を与えられている親がこの日を喜び楽しむ姿を見て、子供たちはそれを喜びます。父親は教条的になる傾向がありますから、そのため家庭では母親の生活態度が主の日を楽しむことに貢献します。
すでに学びましたように、安息日は人のためにありますが、人がその日を自分の都合のために過ごす時、神のものを盗むことになるため、主の日は私たちにとって楽しみの日ではなく、苦しみ日になります。
主の日は神の日ですから、家族で教会へ行くこと、家族で祈ること、讃美すること、そして主イエスが私たちに願っておられることに心がけましょう。
警官、医者、牧師の三つに代表される仕事が、必要な仕事、憐れみの仕事、礼拝の働きを代表的に表しています。今では、医療関係、安全関係、交替制の連続勤務などが休めない職業と言えます。他の曜日に行えるのに、日曜出勤するためにやはり神のものを盗んだことになります。
ヘブライ人への手紙の10章25節は、信仰者の集会出席は仲間の励ましになることを繰り返し語ります。主の日を楽しむことは、互いの喜びとなり、励ましになります。礼拝堂の座席に高齢の兄弟姉妹の姿があることは大きな励ましになります。
バラ・マカルピン 日本伝道百年史・・20・・
水垣 清著
(元中津川教会牧師・元「キリストへの時間」ラジオ説教者)
11 名古屋地方とマカルピン・・1・・
1887年(明治20)6月、マカルピン師は南長老教会ミッションの第二の伝道地である名古屋に駐留することとなった。古い伝統と仏教(真宗)の金城湯池と言われた土地柄、しかも切支丹殉教者2000名の地として知られているところであって、キリスト教に対する態度は冷淡であった。ここには、バラ先生の伝道した少数のキリスト者の群があり、講義所を委任されて、それを足掛かりに伝道することとなった。
その年の10月7日、R・Eマカルピン師はバラ先生の娘アンナ・ヘップバーン・バラ嬢と横浜で結婚した。時にマカルピン師は25歳6ケ月の青年宣教師だった。新家庭のマカルピン夫妻は、伝道困難な愛知県と岐阜県の東美濃地方に伝道した。
この冬、中国の漢口に伝道していたアンニー・E・ランドルフ夫人が健康不良のため、その保養に名古屋に来てマカルピン師夫妻とともに暮らすことになった。夫人は健康が快復するにつれて何か働きを求めるようになり、宣教師として日本の女性のために奉仕すべく塾教育を始めた。彼女の特技は編み物で、中国語をよく知っており、聖書知識と堅い信仰、英語などによって福音への道を拓こうと考えたのである。
初め三人の日本人の女生徒であったが、やがて数もふえて明治22年(1889)には、二部屋まで使用するように発展したので、マカルピン師は隣家に移転しなければならなかった。女子教育の事業はミッションにとっても必要な事業と認められて、これを育成することになり、それが成長して遂に今日の金城学院にまで進展したのである。
名古屋、高知と南長老教会ミッションの宣教師も、この年には14名となった。S・P・フルトン師(Rev samuel peter fulton)がこの年に来日し、やがて岡崎を中心に三河地方の山奥津具地方にまで伝道を進め、マカルピン師は、名古屋、多治見、中津川、坂下などを足場に、更に山奥へと伝道区域を広げて行った。バラ先生の伝道の種は成長し、更に、マカルピン師はこれに水を注いで育てる働きをされたのである。
写真=R・E・マカルピン師金婚記念と訪問の市村与一氏(1937年10月)
引退後のR・E・マカルピン師72歳(1934)。
問26 前回の話では「最後の審判」があることが望ましいように言われましたが、その辺のことが今一釈然としませんので、もう少し説明してください。
答・・2・・
死後に、生前してきたことに対する裁きがあることは、仏教説話の中に、様々な仕方で、説かれています。そういう説話を枠づけているものは「因果応報」原理ではないかと思います。この原理はなかなか説得性を持っていました、どこかに後くらいものを覚えている人にとっては、死後どうなるかについての不安がありますから、死期が近づいてくると、殊勝な生き方をしたり、死後遺族の供養によって、好ましくない応報を軽減または消滅させてもらえるのではないかという期待を抱きます。
また、そういう期待がありますから、その期待を死者に反映させて死者供養と称する形での行為に委ねているのではないかと思います。
死者に対して「安らかであれ」という思いも、つきつめていけば、応報の原理に支配されているのではないかと思えてなりません。それがどうしてかというと、「安らかであれ」というのは、「安らかさ」だけが支配していると信じているなら、敢えて「安かれ」と祈ったり願ったりする必要はないからです。
死者の死後についての不安材料が皆無とは言えないために、「安らかに」と祈るのではないでしょうか。そういう不安材料の軽減や消滅のために考え出された様々な供養と称する行為をしているのですが、「慰霊」と称しての行為と同様、その行為が文字通り供養や慰霊になっているかどうかについては確かめようがありません。
強いて言えば、それは、そう信じてのことである、といことになります。
仏教説話の類は、この点について実に巧みな展開をしておりまして、地獄極楽について、特に地獄の様相についての綿密は解説をしていました。それは、現世における生き方を正すための方便としては優れたものであると言えますが、人間の生が、なまやさしいものでないことを捕らえている点では頷けるものがあっても、その様相は虚構(フィクション)であって、そういうものへと現われてきている真実に注目しなければならないのではないかと思うのです。
篠田 潔
(日本基督教団隠退教師・
元中部日本放送「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者
第90課 キリスト者生活の実践的義務
=12:1~15:13=・・・45・・・
F 信仰の強い人たちは、その信仰の自由をどのように行使するべきか。
・・・14:13~23・・・
「すべても物はきよい。ただ、それを食べて人をつまずかせる者には、悪となる」(14:20bc)。
ここの「悪」という語は、「有害である」だけではなく、「悪である」という意味も持っています。すなわち、宗教的に悪なのです。「それを食べて人をつまずかせる者」の意味については、弱いキリスト信者をつまずかせるような仕方で、食物を食べる強いキリスト信者のことを述べているのか、または良心が認めないのもに関わらず食べてしまう弱い兄弟を指しているのかという問題が起こってきます。
これら二つの理解の双方に賛同者がありますが、前者の解釈の方が一般的に受け入れられており、正当であると考えられています。この見解によりますと、この語句は弱い信者がつまずくような仕方、すなわち彼らがその良心の認めないことを行ってしまう原因や契機となるような仕方で、飲み食いをすることを避けるように、強いキリスト信者に警告していることになります。「この語句が弱い兄弟たちをつまずかせる危険のある強い信仰者に対して語られている二つの語句の間に位置しているという事実からも、この解釈が妥当と考えられる」(アルフォード)。
「肉を食わず、酒を飲まず、そのほか兄弟をつまずかせないのは、良いことである」(14:21)。すなわち、肉や酒やその他、兄弟たちをつまずかせるようなものを節制することは道徳的には義務的であり、正しいことです。宗教的にではなく、道徳的に望まれることです。ここの意味は「私たちは弱い兄弟たちがつまずいたり、たとえ僅かでも、傷ついたりするような事柄はすべて、節制すべきである」。「つまずかせる」と訳している原文は三つの言葉、stumbleとo
Offendと Make weakが用いられています。このように同じような言葉が三つ用いられているのは強調のためであり、これはパウロの手法です。
すでに見てきたように、この章における「弱い兄弟たち」の「弱さ」というのは、放縦や不節制への傾向という弱さではなく、強いキリスト信者たちであれば用いても自由であると確信している物を用いることを控えるという、弱い信者が導かれる「宗教的ためらい」という弱さです。
12:21がこの文脈の中にあり、「信仰の強い信者は、どのようにその信仰の自由を行使すべきかである」という主題の一部である限り、14:21は、弱い兄弟たちが、宗教的なためらいを持っていたという事実をめぐる問題として取り扱っていると解されなければなりません。
弱い兄弟たちへの配慮から、強い信者たちは喜んで、弱い信者たちの益となる限りは、自分の信仰の自由の行使をさし控えるべきことです。人々の前で行使されることが信仰の自由の本質ではありません。それどころか、聖書は、キリスト者の自由は神の御前で行使されるべきものであり、神はこの信仰の自由の行使の濫用に対して、キリスト者に責任を負わせられることを教えているのです。
J・G・ヴォス著
玉木 鎮訳(日本キリスト改革派教会引退教師)
『ほっとひととき「みんなのコーナー」』
☆ 通学時の事故や事件のニュースには、言いようのない思いになります。登
校という限られた時間ですが、毎日、子供たちを送り向かえして20年近くなりました。幸い自営業ですから出来ます。成り手がいないと言われていますが、町内会の役員会で薄謝でも地域活動の一環として出そうと提案しようと思っています。人の善意に対する思いを込めてのことです。 京都府 T・Sさん
☆ 今年も初夏を教えてくれるホトトギスがやってきました。忙しく飛び回りの子育て、そうして寒さとともに南のアジアへと渡っていくまで、わが家の山が住家です。まだまだ自然に恵まれています。毎日暑いですが、家内と畑仕事をしています。恵みの雨は歓迎ですが、台風には遠慮していただけたらと思っています。「ジャーナル友さん」の中にも車で通勤の方もおられるでしょうが、自然を楽しめる通勤ならいいですね。「ほっとひととき・・・」を読んで、お仲間さんのように思えるのがうれしいです。 三重県 T・Mさん
☆ 私の息子も心の病で引き籠もって6年目です。専門家の指導や助言、家族会にも私たちは参加しています。そのような集まりの中で出てくる言葉は、「引き籠もりの本人や家族へのマスコミの一方的な報道とタレントさんの無責任なコメントで心折れてしまいます」ということです。周りや社会の理解と言いながら、偏見や差別的な言葉は、私には悪意としか思えません。言葉の暴力です。悲しいです。 静岡県 Y・Yさん
☆ 技能実習生としてインドネシアからの若者が毎年この地域には就農してくださり、私たちの地域の野菜作りは成り立っています。言葉の不便さはありましたが、今では作業でも日常生活でも困ることはありません。何よりの収穫は、その国にいるご家族との交流ができるようになったことです。 千葉県 T・Fさん
☆ 最近数年は地震や大雨が九州地方に起きている感じがして不安でしたが
今回は、自主避難しました。「自分の命は自分で守りましょう」という言葉に不安になったのは私たちばかりではありません。家の前を流れている川には、子供たちの遊び場があり、家族や子供たちの声が聞こえるところが、車が数台流されていきました。恐ろしい光景でした。配られてくるパンを皆さんと食べています。携帯でメールしました。 宮崎県 H・Mさん
**********
△ 最近、ご近所の方のお話の中に、「わたしの精神的な不安定は夫源病です」、というのです。聞きなれない言葉なので、導眠剤を貰っている先生にお訊ねしたら、「あなたもそうだと思います」と言われました。問診シートに書いてみましたら、20問中14も「夫源病」に該当していました。そう言えば、子育ても終わった40代後半あたりから、何時も離婚したい願望がありました。それは今も変わりはありません。夫の意識改革が必要と病院の先生は言いますが、それは無理です。それを言ったら一層、暴言がひどくなるからです。主人のためにもう炊事、洗濯、買い物など嫌です。そのことに主人は気づいていたいのが悔しいです。お医者さんは、60~70歳の主婦の70%はこの傾向で、良い意味での身勝手、自己中が一番の薬ですよとのことで、もう世間を意識した良い妻顔や我慢はやめました。
△ 一人っ子の息子は3歳を迎え、4月から「こども園」の入園が決まり今は毎日登園しています。家ではどうしても本人中心ですから、園で年上の幼児達に揉まれることは良い経験と送り出しています。疲れてお休みすることはありますが、お友だちとの生活に慣れてきました。空いた時間で落ち着いて家事をこなしたり、友人とのボランティア活動にも出かけることで自分を取り戻しながら、自分の成長も楽しんでいます。
△ 「美しい朝に」の新しい掲載、拝読いたしました。これからを楽しみにしております。主人はベット生活8年になりました。公的支援の入浴、リハビリ、お掃除などなどや生協での買い物など、活用できるものは何でもお願いして日々の生活が動いています。主人はテレビ担当で、天気予報とか、日々のニュースを解説付きで教えてくれますので、私にはとても役立っています。
△ 梅雨明けの前に台風、大雨、もう7月なのですね。ジメジメと湿っぽいこの頃です。昨日の雨の中、久しぶりにというか、今年になって初めてカタツムリを見つけました。昔はそこいらへんの葉っぱの裏にいたのにこの頃は珍しくなってきました。「でんでんむし虫カタツムリ」の歌がほほえましく感じられる光景もまた不思議な感じがします。今朝、その葉っぱの裏を見るともういなくなっていました。どこにいったのでしょう。
△ 母は、自分では私は人と話すのが苦手で・・・とあまり出かけることもなく、電話のお友だちもいませんので、一人ぽっちかと思っていましたが、私との会話の中に「ジャーナルさん」とかいう名前が出てくるのです。姉にそのことを話したら、姉が渡している「つのぶえジャーナル」のことでしょう、というので母に聞いてみましたら、そうだよ、というのです。私もバックナンバーを含めて読み始めたら、投稿者の年齢、地域も多く、広いのに驚きました。何だか私の方がハマってしまいました。皆さんの投稿を楽しみにしております。・・・。
*このコーナーの記事は、すべて投稿者から掲載許可をいただいております。 編集子
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」