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「今月のことば」
すると彼は、「主よ、信じます」と言って、イエスを拝した。
=ヨハネ9:38=
キリスト者の願いは、ただ一つ。それは信仰によって歩むという願いです。
救い主としてのキリストにみ言葉とその愛のみ業に触れ、お目にかかった後、キリスト者は全てをかけて、キリストを救い主として信じる者でなければなりません。
この誰もが願うことに、時として陥る無意識の不信仰状態・空白が生まれることを、多くの信仰者は経験してきました。それは、日々の生活の中での自己中心に陥り、キリスト者として、信じることよりも経験の上に信仰を考え、生活を建てることで、これはキリスト者をキリストより引き離させ、信仰の思いから遠ざける、人生設計になっているのです。
「あなたがたは、イエス・キリストを見たことはないが、彼を愛している。現在、見てはいないけれども信じている」とペテロは言っています。パウロでさえも、天にあげられ、人の語ることばではないことばを聞いて、その後は信じる者でなければならなかったのです。十字架のイエスの死を見上げ、イエスの墓のそばに立っても、人は信仰を失わなかったことを喜びたいです。
キリスト者は、探し求めても見出さない者とは違います。神のみ言葉を信じて生き、進む者は、単に信じる者だけでなく、神の御約束に生きて、その約束を見るだけ、知るだけの者なのはなく生きる者なのです。キリストは、私たちが信じ、また有るべきことを語られたばかりでなく、こう約束されました。
「なんじの労して耕しし所は、わが永遠の収穫とならん」。
これからの日々を、キリストの前にひざまずいて、今よりも深く、主イエスの明らかな救いの恵みの約束を信じましょう。幾度も幾度も助けて下さった主を、時には少しも私たちが期待しなかったとしても、主は、今日も私たちの頼りとなるお方です。この主イエス・キリストを信じる信仰に、生きましょう。
あなたを愛するゆえに
あなたを愛するゆえに 私を愛するゆえに 父なる御神が
御子を遣わしくだったのです
あなたを愛するゆえに 私を愛するゆえに 御子なるイエスが
命をば捨てて下さったのです
あなたを愛するがゆえに 私を愛するゆえに 真理の御霊が
み救いを告げてくださったのです
水野源三著 第四詩集より
「小閑記」
信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前に置かれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神のみ座の右に坐するに至ったのである。
=へブル12:2=
このみ言葉には、イエス様の前に置かれている喜びのゆえに、戦う力と十字架に耐える忍耐を受けられることが記されています。この目にされたことを、私たちは主と仰いで、み言葉によって示され、聖霊の導きをいただいて、その信仰の体験を、信仰の勝利を得なければなりません。
それは、私たちの信仰心が強いからではありません。私たちの信仰心など云々できることではありません。信仰心とは、日々の生活の中で、信仰者として生きたいという思いで、主を見上げる信仰の生活の中で知らず知らずに明らかにされ、悟ることです。もし私たち信仰者の信仰心が固まったままであるなら、それは死んだ形式となってしまい、むなしい信仰者の姿に成り下がってしまいます。悪しき惰性な信仰、喜びのない信仰心は絶えず新たにされなければなりません。
その無感動・無感覚な信仰から、生き生きとした信仰に、年を重ねて与えられた知識に、祈りの中で得た主からの恵みは、ただただ主イエス・キリストとの人格的な交わりの中にあるのです。神は、私たちを勝利者としてくださるとお約束してくださいました。私たちが日々、救いの恵みに生きたいと望み、主イエスにしっかりと摑まっていたいと望むなら、それは不可能なことではないのです。確実に、本当に確実に可能なのです。
それを可能にするのは、イエス様のみ姿を日々の一つ一つの生活の中で新しく見させていただくことです。聖書の中で、祈りの時に、教会や個人の祈りや礼拝や主にある方々との語らいの中で知るのです。
罪びとのために、ほふられたまいし 神の子羊を見よ。
主の死をむなしくせず、 救い主として仰げ。
主の貫かれし脇の みかげによらしめたまえ。
世田谷通信(233)
猫草
学校司書ゆえ、児童書を読む機会は多い。自分のための読書のほか、選書も多い。絵本や物語、子供向けの社会科学、自然科学の本も手に取るようにしている。しているというと仕方なくという印象だが、つい読んでしまうという方が近い。日本語で書いてあればなんでもいい。本が手元にない時は調味料の成分表までじっくり読んでしまう。そんな訳で読書のジャンルは問わないが、最近読んで興味深かったのは『妖怪は海にいる!?アラマタ式海の博物教室(みんなの研究)』 2022年10月出版、荒俣宏氏の著作である。「海の」と標題にはあるが、内容は海にはとどまらない。なぜ地球に海があるのか、宇宙から、地球の成り立ちから説明している。さらに爆発的な奇跡のような生命の拡がりへ、今まさに分かりかけている深海の不思議なメカニズムとそこに暮らす生き物へと話は展開してゆく。そしてまた最新の宇宙へのアプローチへと論は進み、実に壮大なスケールでしかもわかりやすくとらえている。
それが荒俣氏の語り口調、平易な文章で書かれている。難しい話を隣でやさしく聞かせてもらっている気分になる。人類の文明や発明なんて宇宙では本当に一瞬のきらめき。愚にもつかない戦争やら、つまらない諍いで自らの生きる土台である環境を危うくしている場合ではない。もっと目指すべき場所や探求すべきことはいくらでもあるだろう。
深海に何があるのか、宇宙に何があるのか、未知の領域は無限にある。小さな自分の周りのことに心をとらわれるより、尽きぬ謎に目を向けてみてはどうだろう、そちらの方が断然わくわくするではないか。そんなメッセージを感じる。だから(みんなの研究)と題名に入っているのだと思う。小さなことでも自分で疑問に思うことを「見つけて、考えて、調べて」みる。もしその疑問に答えがなくても、自分の知らなかったことを明らかにできたら、それはあなたの「研究」だよと。私もそんな風に子どもたちに伝えられたらと思う。
<いきいき里山・山里ものがたり>
「ジャーナル友」の皆さん、2023年も始まりました。私は野菜造りの傍ら、花の栽培を生業としてきました。今は、ビニールテントの中で植物園のように温度管理や肥料にいたるまで、AIの機械がやってくれます。祖父母の時はそうではありませんでした。今は人の手間も簡素化されました。販路の心配もすることはありません。心配は、電気、燃料費、肥料の高騰です。
私も家内も自分のビニールテントでない、小さな花畑で、鍬で土を掘り、種や球根を植え、朝晩、水をやり、成長を楽しんでいますが、土に触れ、小石に当たり、虫に出会い時、不思議ですが何とも言えない安堵感があるのです。咲いた花にきれいに咲いたね!と言葉をかけている時が何とも言えない生き甲斐です。それがあるから、今日もテントの中で花を生育を観察できるのだと、汗して働いて、神様に感謝しています。 愛知県 T・Mさん
「美しい朝に」
☆ 幼稚園の先生をしてた頃から「折紙」をおっていました。しかし、病気でICUに入院した時、寝たきりになって・・・指先も動かずに折り紙を半分に折ることも出来なくなりました。でも、寝たきりでも「リハビリ」とで、手足は動かしていただいていました。だんだん、自分でお茶を飲めるようになりたいと思うようになりまして、看護師さんやお医者さんに、感謝も気持ちをと、「折紙」もできるようになりました。
幸いにも今は、買物に出かけることができます。信じられません。勇気って大切ですね。
☆ 新しい年になりました。あけましておめでとうございます。不思議なもので今年も玄関の鉢植えの梅の花が開きました。もう、10年近く毎年、年の初めに咲きます。自然って、本当に素晴らしいですね・・・。今年の写真をお送りしますね。
=沙耶香のつぶやき=
* クリスマス礼拝に家族で行くことができました。でもまだまた人混みが苦手で疲れてしまいました。お母さんが家の中を掃除していましたので、私も自分の部屋を掃除しました。いらないものばかりで部屋を狭くし、汚くしていたので、今は広々?とした部屋になりました。お母さんがカーテンをクリニーング屋さんに出してくれて戻ってきたので、自分の部屋でないみたいに明るい花模様のカーテンに大満足しています。
* 新年のご挨拶と近況をお知らせするために定期診察を受けてきました。先生の質問はわずかで、私の心の変化や学校生活のこと、今も人混みが怖いことなどを、お話しできました。今まではお話ししていると泣いていましたが、今回はそれがなく、先生から、成長したね!とほめてもらいました。めちゃくちゃうれしかったよ。
* 今のところインフルエンザにかからず、過ごしていますよ。そうそう、今年もよろしくね!
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私は、75歳の老人です。心の病の専門病院の生活も30年近くなりました。病院内で限られてはいますが自由に行動できます、最近は足腰が弱って歩行器を使っています。テレビばかり見ています。あとは忘れずに薬を飲むことです。入院するまで、教会に行っていました。「美しい朝に」の所は、楽しみに読んでいます。何とか、手紙が書けるので、送りました。2023年も楽しみにしています。
*この掲載は原稿の時にお送りし、全て了解を得ております。編集子
『その愛のゆえに』
=時々の記=
(203)
12月14日
朝からみぞれのような雨です。午後からは雨はやみましたが、北風が唸りながら吹き荒れています。暖房だけでは事たりず、足やおなかにカイロを貼って暖を取っています。これからが本格的な冬なのですね。
放牧場跡といわれて黄葉す。
名張なる嶺長くして黄葉す。
ラジオより聴くメッセージクリスマス。
大いなる橡落ち葉が庭に落つ。
微風ありさ揺らぎ床し今年竹。 馬場路哉
いよいよサッカーもベスト4が出そろいましたね。今朝のクロアチアとアルゼンチンの試合を見ました。
12月17日
こちらはすでに雨です。傘をもって散歩に出かけました。3、4分ほど歩き続けるとホカホカしてきて自宅に帰ってしばらく暖房は使わずに済みまました。雨の中の散歩は誰にも会わず、お話もできず、ちょっぴり寂しくなりました。どなたかとお話しすると気持ちが晴れますね。今年もあと十日余りとなりましたね。この一年神様に守られてここまで歩んでくることができたことに感謝しています。
落ち葉掃き後は心を満たしける。
風なくて日差し柔らか冬うらら。
病み上がり、家族そろひぬクリスマス。(15年前に主人の手術を終えてみなが感謝のクリスマスをした時のものです)。
冬の月出づや残照消ゆる時。
12月21日
お日様が照りだして、外は暖かくなってきました。昨日に比べると少しは気温が高くなって過ごし易く感じられます。少し暖かいだけで気持ちまでほっこりしてきますね。3日間、畑で出会わなかった86歳の方は道畑で日向ぼっこをされていたのでほっと致しました。どこかへお出かけする様子でしたので、気を付けてとひと言声をかけてお別れしました。
最近、散歩のときは大好きな讃美歌と大好きな金城学院の校歌を歌っています。過ぎた青春時代を思い出すのと、親しくしていた友を思い出し、胸が熱くなる時がとてもうれしいのです。今年も押し詰まってきました。来年度のカレンダーがくばられ始めています。
賛美歌で待つこととするクリスマス。
ベートーベン我を励ます年の暮れ。
賀状書く神の祝福祈りつつ。
かろうじて無事に過ぎたり「冬の月
西空の明るくなりて日脚伸ぶ。 馬場路哉
主人はだんだん俳句を作るのが難しくなってきたと悔やんでいます。でも朝、4時から起きて俳句を練ったり、聖書を通読したりと、晩年をそれなりに過ごしています。
2023年1月4日
晴れていますが、厳しい寒さは続いています。今朝は7日ぶりに朝の散歩に出かけることができました。少し短めにしました。4日というのにまだ仕事が始まっていない会社があるのか、車の行き来は少な目です。散歩をしている間は何もかも忘れて移り行く景色に見とれてしまいます。家の前の道は今まで落ち葉だらけでしたのに、どなたかが丁寧に掃ききってくれていました。お一人でなさったということです。気持ちがよく葉っぱでの足元の滑りがなくなり、散歩できました。
今日は初めて村の方と出会いましたが。お互いに静かに新年のあいさつを交わしました。こうしてまた今年も生かされていることに改めて感謝しています。
湖に映りて岩と冬紅葉。
寒波来る樫の大木揺れに揺れ。
朝日受け、ほのかに白し枇杷の花。
若き日の交わり続く賀状書き。 馬場路哉
主人は今日もリハビリと言って村内を歩きに出かけました。
1月6日
昨日はびっくりしたことがあります。それは去年までクリスマスカードのやり取りをしていたアグネス・ゴダート先生から今年もお手紙が届いたのです。私は去年のクリスマスにカードを差し上げようかとずいぶん考えました。先生はご高齢ですから、ご迷惑になると考えてしまったのです。93歳になられる先生からお手紙をいただくなんて感謝で胸がいっぱいになりました。先生のお手紙にはやはり日本伝道のことが書かれてありました。
日本伝道に出るとき、お母様とはこの地上ではお会いできないと思ってお別れをしたそうです。その時のお母様の言葉は“必ず、天国で会いましょう。”だったそうです。
そのような覚悟を持ってこられた日本伝道。大変だった中にも神様が先生を守られて多くの青年たちが先生のバイブルクラスから受洗されました。私は先生に日本伝道への感謝の思いをお伝えし続けてきました。今年も同じような文面になりましたが先生に感謝をお伝えいたしました。幸いにも先生の姪御さんたちが車で医者の所へ連れて行ってくれたり、教会の礼拝には行けないそうですが、テレビでメッセージを聞けるようにしてもらってあるようです。
ヘリコプター軽快なるや冬日和。
全身に勇気の湧くやひなとぼこ。
若き日の交わり続く賀状書く。
北風や嶺の四献吹き荒らし。
十基ある墓の冬草抜きにける。 馬場路哉
1月12日
昨日、先日受けた脳ドックの結果が送られてきました。今のところは正常値内なのですが、これからも運動や食事に気を付けましょう、とコメントがありました。日々の生活を大切にしながら、過ごしたいと思いました。
馬場暁美
上野緑ケ丘教会会員
眸(ひとみ)
<岡谷県のS・Kさんから報告(1月号)メールの続き>
・・・。思いがけない8名の方が来られ、手作りのケーキもすぐに無くなりましたが、それ以上に、お友だちを誘って来られたことに驚き、私たちにとって、感激そのものでした。讃美歌を歌うために準備した手作りの楽譜も足りなくなり、家庭用コピー機が活躍してくれました。皆さん初対面の方々で、最初は小声で歌っていましたが、ママさんコーラスの方が上手にリードしてくださり、私たちも大きな声で歌ったりと、自然に雰囲気が明るくなりました。若いころの思い出話もあり、初対面とは思えませんでした。讃美歌ばかりでなく、会話の中に出ていた女学校時代の歌を唄う内に、長年のお友だちのような雰囲気になりました。部屋の片隅に追いやられた手作りのクリスマスツリーもキラキラ輝いていました。夫婦二人の家では広すぎた家も、少ないコーヒーカップも足りず、棚の隙にあった紙コップが、この時とばかりの出番でした。
教会で奏楽の奉仕をさせていただいていますのが役に立ちました。家のピアノもうれしそうでした。夜8時ころ、帰りが遅いと心配してご家族がお迎えに来られて終わりました。私たちにとっては、うれしい心に残る神様からのクリスマスプレゼント、サプライズそのものになりました。・・・。
私は通所のデイサービスを利用して4年目になります。最高齢は93歳の方で、とても明るく、とてもお元気で、施設のアイドルです。また、あるお一人でお住まいの方は、ワールドサッカーの試合を見て過ごされています。野球が大好きで阪神フアンです。この方は健康のお話より、スポ-ツのことで話かけて来られます。80歳とか・・・。応援歌を歌ってくれました。そうそう、奥の場所は要介護の方のおられるところで、20個ほどある4人掛けのテーブルには、三蜜を避けるため麻も予防の仕切りがありますが、各テーブルにはクリスマスツリーが飾られていました。7室ほどある車いす兼用のトイレは介助者の介助で行くのですが、終わったよ・・・の合図のチャイムがひっきりなしになっています。それは、積極的な水分補給のためだと職員さんは笑顔で教えてくださいました。私たちは20分の運動の後には10分の休憩時間があり、水分補給です。いろいろの話題がありますが、健康のこと、ヘルパーさんとのお付き合いのこと、一人で生活されている方は、ほとんどが緊急時のための携帯電話を上手に利用されていることです。そうそう・・・。高齢者はよく大声で話し、大声で笑うという苦情を聞きますが、約9割の方が補聴器を使っているので耳元でも大声になるのです。そうしないと話が聞き取れないのです。どうぞ、ご理解ください。私もその一人で大声派です。
福岡県 デイサービスでは大声、教会では無口の「ジャーナル友」より
「ジャーナル友」の皆様、明けましておめでとうございます。私たちは、80歳に近い夫婦ですが、二人専用のパソコンでお友達と連絡しあっています。「つのぶえジャーナル」は、役場に勤めていた時から主人は見ていて、私もその仲間に入った「ジャーナル友」のひとりです。全国におられる方からの投稿は、本当に楽しいコーナーになっています。
私の所は雪が多く、今もこんこ、こんこと降っていて、どの家も秋田名物の「かまくら」みたいに雪にもぐっています。都会に住んでいる人はきっと不便な生活を想像されるでしょうが、そんなことは、少しもありませんよ。役場の紹介で、地域がまとまって宅配弁当屋さんと契約し、それぞれ自分のメニユーを選んで、3日分まとめて配達してくれますし、各家の多くはプロパンと石油スト-ブですが、多くは暖房と煮炊き兼用の薪ストーブです。秋に準備しておいた裏山の薪が、納屋に置いてあります。新聞紙にくるんだ、いろいろの野菜物は外側だけ凍りますが、中は新鮮ですから心配ありませんし、昔からの漬物もありますので、心配は要りません。ただ心配は、秋田県は塩分の取りすぎ県なので、それだけが注意でしょうが、家々の漬物はそれはおいしくて、お医者さんから注意を受けている集落です。私たちの子供のころは、除雪車などありません。馬そりの跡が道ですが、すぐ雪が積もってなくなると、また誰かが通ってできた道を歩いたものです。
「ジャーナル 」の投稿には、雪国の方のものが少ないようですが、控え目な気性が出ているのかなあ~と思いますが、そんなことはありません。よく笑い、よくおしゃべりし、陽気ですよ。・・・。 秋田県 K・Kさん
<身近な出来事を「眸」に投稿してください> 編集子
十戒と主の祈り
鈴木英昭著
(元日本キリスト改革派名古屋教会牧師)
主の祈り(文語)
天にまします我らの父よ
願わくは
み名をあがめさせたまえ
み国を来たらせたまえ
み心の天に成る如く地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を今日も与えたまえ
我らに罪を犯す者を我らが赦す如く我らの罪をも赦したまえ
我らを試みに遭わせず悪より救い出したまえ
国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり
アーメン
=御心=
第三の祈り④・天になるごとく
コロサイ1・3~12
第三の祈りにおいて述べられる「御心の天になるごとく地にもなさせたまえ」の「天になるごとく」について理解しておきましょう。
神の住まいである天は三位一体の神と、聖徒たちと、そして天使たちの住まいです。黙示録7章9節には、「大群衆が白い衣を身に着け」、御父と御子を礼拝している状況がヨハネによって明らかにされています。聖徒たちの生活は「昼も夜もその神殿で神に仕える」(15)ものです。
したがって、天の生活の中心が礼拝であることは、今の私たちの生活に方向を与えてくれます。そのことを思う時、私たちの地上で営んでいる人生が、すでに真の神であるお方を御子にあって礼拝することができるようにされていることは、永遠の人生の幸いを先取りさせていただいていることになります。
しかし、このように、天では神の御心が聖徒たちや天使たちによって、完全に行われているのにも関わらず、私たちはこの地上ではそう願いながらも、私たちの内に残る罪の性質のため、願う通りには行きません。それなら御心を行うことを諦めすしかないのかと言えば、そうではありません。天においてなされていることを励ましとして、少しでもこの地上においても私たちが、神を礼拝することは神の御心に沿うことですから、このように祈って、礼拝に励みます。
そのため、使徒パウロは信仰者に絶えず励ましを与えています。例えば、コロサイの信徒への手紙1章9~12節を読んでいただきました。パウロは、コロサイの教会に人々が、主イエス・キリストに対する信仰と、全ての人々に対して愛を抱いている事実を、神に感謝し、この信仰と愛はあなたがたのために天に貯えられている希望から来ている(1:4~5)ことを認識させます。
その上で、神が将来のためにコロサイの教会に求めておられる4つのことを挙げて、パウロは地上の教会が御心に従って歩むように祈ります。それは、地上の教会である私たち信仰者が将来に備えて、父の御心を地上で行う姿を描いていることになります。
第一に、「御霊によるあらゆる知恵と理解によって、神の御心を十分悟る」(9、10)ように祈ります。私たちの内に御霊が内住してくださり、み言葉によって御心を悟らせてくださることです。
第二に、「すべての点で主に喜ばれるように主に従って歩む」(10)ことです。御心を知ることが従って歩むための一歩です。
第三に、「神の栄光の力によって、どんなことも根気強く耐え忍ぶ」(11)ことです。自分の力では耐えられなくても、神の力によって耐えられるように訓練されることです。
第四に、聖徒たちの「相続分に、あなた方があずかるようにしてくださった御父に感謝する」(12)ことです。これらが御心を行うための励ましです。
バラ・マカルピン 日本伝道百年史
水垣 清著
(元中津川教会牧師・元「キリストへの時間」ラジオ説教者)
24 再び焦土の日本へ
悪夢のような苛烈な戦争が終わった1945年(昭和20)8月15日、日本は壊滅の焦土と化して、大、中都市は爆破されて見る影もなく、大衆はさまよい歩き、日本のキリスト教会もその機能を失って、互いにその連絡する方法もなかった。旧南長老教会ミッションの伝道地、高知、徳島、神戸、岐阜、名古屋は全て灰となって、ただ農山村の小都市が辛うじて爆撃を免れていた。
マカルピン氏は1946年7月31日、アメリカ海軍軍人への日本語教師の職を退くとともに戦後の日本伝道のため、その状況調査班として、W・A・マキルエン師とともに日本に派遣されることになった。二人とも日本生まれの宣教師で、マキルエン師は高知市で、マカルピン氏は名古屋生まれである。日本語も日本人と変わらないほどなめらかで、マキルエン師は頭脳型の人、マカルピン氏は実行型の人として車の両輪のように打ってつけのコンビネーションであった。
特にマカルピン師の日本語は優れていて、祖父であったバラ先生は、聞く人が理解に苦しむような日本語を一生使われたという。それについての逸話があって、片言交じりの下手な難しい日本語の説教を聞いた老人が、それを英語と取り違えて「あのくらいの英語なら習わんでも話せる」と言ったという。またある日、料理人に「ネコを料理せよ」と言われた。コックは驚いて、よく聞きただしたところ、ネコではなく牛肉のニクとわかって大笑いしたり、礼拝で祝祷を間違えて「父と子と聖霊の御名においてバプテスマを授く」と全会衆に洗礼をほどこしたなどの間違いがあった」と言う(多田 素氏 牧会百話)。
しかし、熱意を以て、人を導くべく悔い改めを迫り、涙を以て祈る愛心の祈りは国語の不自由を補ってあまりあった。その孫のマカルピン氏は日本語とともに、またその愛と熱誠、忠実、実行を日本人にため、主のため、伝道に捧げた宣教師であった。
「いのり」
5歳の娘と食前のお祈りをしています。娘は教会学校の先生から教えてもらいました。主人の帰宅は早くても9時です。夕食の準備をしながら、一日の出来事の報告時間です。その時間は主人にとっても、ほっとするそうです。私にもうれしい時になります。食前の祈りのことを話したら、休みの時に三人でお祈りしようと、話がまとまりました。小さな、ささやかな、暖かいお祈りの時が持てそうで、うれしいです。お父さん!お疲れ様、愛情たっぷり?!の夕食、召し上がれ!!
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祈りの妨げを取り去るために
主よ、わたしたちがあなたのみもとに来て祈ることは、あなたの御心であり、命令であります。それゆえわたしたちは今、あなたの求めに応ずるために、みもとに参ります。
願わくは、強くわたしたちを悩ます、わたしたちの罪をゆるし、これを取り去ってくださるように。いのりにおいて、あなたのみもとにまいりますとき、これらの罪が妨げとなりませぬように。 アーメン
主よ、わたしたちの心を奮いおこし、あなたの御独り子の道を備えさせて下さい。
願わくは、かくして御子の来臨により、わたしたちが清い心を持って、あなたにお仕えすることができますように、御子われらの主、イエス・キリストによって、主はあなたと聖霊と共にひとりの神にいまして、世々限りなく生きて支配されます。 アーメン
マルチン・ルター
聖霊とその働き
エドウィン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
(元日本キリスト改革派名古屋教会牧師)
第1章 聖霊と三位一体
Ⅳ 聖霊は父と子から出る***1***
三位一体の三つの位格のうちにも、はっきりした関係と秩序がある。三つの位格がともに同じ神であるからと言って、まったく同じであると考えてはならない。それぞれが固有の性質と相互の関係を持っているからである。例えば、第一位格と第二位格の間には、父と子との関係がある。永遠から父は子を生んだのであって、聖霊が子を生んだのではなかった。
同じように、聖霊と他の位格との間にも、不変の関係がある。すなわち、聖霊は父と子から永遠の昔に出るから、という関係である。神の御霊が出るとはどういう意味か。これを説明することは難しい。聖書が説明なしにその用語を使っているので、私たちはそれを繰り返して用いるだけである。しかし大切なことは、キリストのように、聖霊が父から生まれたとも、キリストから生まれたとも、聖書は語っていないことである。そうでなければ、教会教父たちがほのめかしたように、聖霊はキリストの兄弟か父の孫になっていたかもしれない。
しかし、聖書は注意深くこの「生まれた」という用語を聖霊に用いなかった。アタナシウス信条が正しく記しているように、彼は「作られることも創造されることも、生まれることもなく、出ている」のである。この「出る」という言葉はヨハネ福音書15章26節で、イエスによって用いられている。「わたしが父からあなたがたにつかわそうとしている助け主、父から「出る」真理の御霊が来る時、彼はわたしについて証しするであろう」。
御霊という名は、三位一体の三つの位格の関係について、もう一つのヒントを与える。「父」はその名によって、子との関係を表し、「子」は父との関係を表現しているように、「御霊」という名も他の二つの位格との関係を表明している。つまり、彼は「息を吹き込まれる」者ということであり、これが「御霊」という名の本来の意味である。
『ほっとひととき「みんなのコーナー」』
私の住んでいるマンションはオール電化住宅で、この大雪で停電になり、エレベーターも使えず、生活のすべてが止まった生活を経験しました。ふとどこか他人事でしか受け止めていなかったウクライナ―の人々の今の生活を考えていました。私たちには砲撃の危険もなければ、時間が経てば停電も復旧しますし、近くのお店には食料品は何時ものように並んでいて、困ることはありません。テレビで、ウクライナの人がクリスマスを迎えている様子に接し、平和の主、希望のイエス様をお迎えし、お祝する姿に感動し、クリスマス礼拝を家族で守ることができました。感謝以外にありませんでした。これから、本格的な大雪です。頑張ります。「ジャーナル友」の皆さんの上に神様が下さる恵み豊かな2023年でありますように、お祈りいたします。 新潟県 L・Kさん
「ジャーナル友の皆さん」へ。
私が一人で生活するようになってもう16年になりました。最初の7、8年は寂しさに襲われて辛い日ばかりでしたが、信友が、あなたは健康なのだから何かしたら、と言われて、子ども食堂の料理のお手伝いの仲間に入れてもらい、10年になりました。娘の年代のお母さんたちに接することで、皆さんの生活や子育ての様子を知るようになりました。千葉にいる友人のお友達の農家さんから、野菜などを送ってもらえるので、助けを借りて、今では簡単な総菜を作って、お年寄りにもお配りすることもしています。支え合いの輪とでも言いましょうか、子ども食堂ばかりでなく、お年寄りための総菜屋さん?になっていまして、新しい年も頑張りたいと思っています。まだまだ元気なので、そのお仲間に入れていただいています。教会の役員の方は若い方にお任せしています。 神奈川県 Y・Tさん
穏やかな元旦を迎え、2023年の元旦礼拝は、健康が守られ主人と礼拝を守り、聖餐の恵みにも与かることもできました。昨年は主人の病気で揃って礼拝には行けませんでしたが、今年は元旦から一緒で、感謝で数年振りです。「ジャーナル友さん」の皆さんは如何でしたか。今年も良き交わりを、この「つのぶえジャーナル」をお借りして、深めることができたらと願っていますので、よろしくお願いいたします。雪国にお住まいの方は、大変ですね。「ジャーナル友」のみなさんのこと、お祈りさせていただきます。 徳島県 T・Mさん
昨年11月、久々に映画館へ行き「土を喰らう十二ヵ月」という映画を観ました。ずっと「土を喰らう」という言葉に実感が湧かず、気になっていました。最近、野菜の皮や切れ端、根っこなどの野菜くずを捨てずにせっせと貯め、スープを取っています(ベジブロス)。このことと「土を喰らう」という言葉がぴぃんと結びついたのです!映画の余韻と共に、二十四節気に心を寄せ、自然の恵みに感謝して旬をいただきたいと思います。 信州のジャーナル友より
❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀
私たち夫婦は、礼拝には聖餐式のある時だけ信者になりましたが、皆さんとお会いできるのが楽しみでという信仰生活です。日常の生活の維持がだんだん困難になり、お世話になっている介護支援の介護士さんの紹介で、食材の配達業者さんの生活です。近くに大きなスーパーマーケットはありますが、そこまでが急な坂道で、同じ団地の方が何度かケガや骨折された方がおられます。それで、今は温めるだけのご飯とインスタントのお味噌汁になり、生協を利用して調味料などはまとめ買いの3年目になります。そうして、私もだんだん好きな料理が億劫になり始めたので、週3回の配達食材にしましたのです。美味しいお惣菜にひと手間加えると、自分好みになりますし、無駄も出ませんので、感謝です。「生活の知恵」を活用しています。「ジャーナル友さん」のお便りの中に庭で野菜造りをされている投稿を読ませていただき、羨ましいなあと思いながら、ご健康を与えて下さる神様を賛美しています。
一月号の「つのぶえジャーナル」が届きました。86歳になり親しい友もいなくなり、郵便物は私には無縁なチラシや広告ばかりで、お手紙は一枚も来なくなりました。それでも習慣は怖いですね。郵便受けを毎日見に行ってしいますが、入っているのはチラシばかりです。不思議ですね。私はクリスマスカードと年賀はがきは書きました。皆さんはもう年賀状は出さない時代に移り変わっているのでしょうか。
教会からの週報も1カ月まとめて送られてきます。私にとって、「つのぶえジャーナル」の皆さんの投稿は、本当に楽しみです。
12月25日のクリスマス礼拝には、一足早めに里帰りしましたと言って幼い子供連れが3組もありました。私には最近行った教会なので私の知らない方々でしたが、古くからの教会の方々には、自分の孫でも迎えたかのように、本当に家庭的なクリスマス礼拝になりました。そのおこぼれを私もいただき、うれしくてメールしました。24日は大雪で、教会の庭には雪だるまがありました。雪だるまには大きなマフラーが首に巻かれていました。奇妙な感じでして、クスリと笑ってしまいました。
=この文章は、全て投稿者から掲載許可をいただいております。=
編集子
『ありがとうございます』
広島におられる「ジャーナル友さん」からのお便りから、庭にある早咲きの蠟梅が咲き、春を感じることができましたとのお便りをいただきました。また、「成人のお祝い」「二十歳の集い」の日を迎えた男女の二人(沖縄県と広島県)の「メール友さん」から、晴れやかな和服姿の写真とみんなとの再会の喜びあった様子のお便りを送信してくれました。メール交換のうれしいお恵みでした。驚かれるかと思いますが、この「つのぶえジャーナル」はこのように年齢を超えて読まれています。新たな思いにさせられ、2月号作りに励まされ、そうしてお届けさせていただきました。
どうしても、自分の年齢目線になりがちでしたので、反省させられました。全国各地で、「成人のお祝い」を迎えた多くの方々、ご家族の方々、おめでとうございます。この日、この時は人生に一度しかない日ですから、心からお祝い申し上げます。
2022年12月16日から2023年1月15日までにお送りくださった方々です。感謝して、「つのぶえジャーナル」や「メール友さん」との交わりの働きのために用いさせていただきます。ありがとうございました。
田上良子様 菊池すみ子様 加納さおり様 村田和子様 桒原廣子様 井上義明様 久保田道子様 和賀順一様 和田貴美子様 佐藤のり様 馬場暁美様 匿名2名様
*寄付金口座…郵振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社
また、お便り下さる方やお友達への紹介はこのメール アドレスをご利用ください。多くの「ジャーナル友さん」が与えられるように願っています。
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(米国南長老教会文書伝道事業)刊行責任者
つのぶえ社代表 長村秀勝
「つのぶえジャーナル」の文書伝道事業は、キリスト教の名の下に行う霊感商法など旧統一教会・歴史的キリスト教の聖書を軽視するエホバの証人の団体とは、一切関係はありません。どうぞ一人で抱え囲まずに公的機関か伝統的キリスト教会か、「つのぶえジャーナル」宛にご相談ください。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」