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2023年7月号  №193 号 通巻877号
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   『ほっとひととき「みんなのコーナー」』

☆ 今朝も暑いですね。蝉が一挙に鳴きだしました。余計に暑さが増えました。田舎の豪雨被害は、人的被害がなかったので何とか出来そうでしょう。看護学校の友だちの実家が広島で孤立しているそうです。あれだけ崩れていたら! 高齢の人には、何もかもなくなってしまったら本当に大変ですね。悲しみも、悔しさも出せない人たちが多いのでしょうね。そしてこの暑さは辛いでしょうね。伝染病が出ないことを祈っています。  大阪府 HTさん

☆ 雨の予報のたびに、胸が苦しくなってしまいます。今の家の周りには安全な所はありません。表向きには落ち着いていますが、これから何年も災害の恐怖に怯えて生きるのでしょうか。 山口県 B・Hさん

☆ まだ来週もこの暑さが続くというのです。ひまわりも、あまりにも厳しい暑さのゆえに首を落としています。朝顔は朝ほんの少しの間だけ花を咲かせていますが、すぐにしおれてしまいます。セミは遠くのほうで鳴いていますが、泣いているようで、毎年のようには元気がありません。暑さがほんの少しでも和らいでくれることを祈る毎日です。 山梨県 NKさん    

☆ 大阪にいる友人に近況が気になりメールしたら、まだまだ屋根の修理はしてもらえず、青いシートのままで、何時雨になるか気がかりで、天気予報ばかり見ているそうです。ニュースは新しい被災のものばかりで、私たちは忘れ去られた気持ちになると言っていました。私も西日本豪雨のことばかりに気持ちが向いていましたので、申し訳ない思いになってしまいました。風化とは「無関心になること」なのですね。友人がいるのに、こうなのですから、反省し、ごめんなさいの気持ちで、これから連絡することにしました。 滋賀県SDさん

☆ ・・・。毎日暑いですね。主人は大の麺類好きで私は献立など考えずに毎晩冷や麦と素麺ですが、焼きピーマンと焼き肉を添えておけば主人は喜んでくれていますので、助かっています。手抜きではないですよ!!?? 神奈川県 TYさん

☆ 夏休みになり、部活を中止して各部が話し合い、予定を立てて地元の高校生がボランティアに来てくれました。誰もスマホ片手にはいませんでしたよ。皆さん笑顔でした。この子たちを見ていて、日本人って素晴らしいなあ~と思いました。頼もしい若者たちでした。 広島県 YSさん

☆ ジャーナルを読ませていただくと、私と同じように皆さんたくさんの苦しみ、つらさ、悲しさを抱えながらも生きていかれていることを知り、心から励まされています。皆さんの声が私をとても強めてくださいます。一人ではないのだと…。ジャーナルでは、皆さんの心の内を出されていますから、とても強められます。生きていくのは本当にとても苦しいことです。こうして皆さんの心からの声を取り上げていただき、何度も思います。苦しいのは、悩んでいるのは私一人ではないのだと。ジャーナルを読ませていただいて、たくさんの方たちと、強くつながっていることはとても励みになっています。 愛媛県 B・Aさん

**********

   片づけきれない家具や生活用品の中に泥にまみれた家族写真や集めていた旅行先で買い求めてきたものが出てきました。涙が出て来てなかなか整理や処分できません。何だか自分の歩んできたものすべてを消し去る気がするのです。悲しいです。

   暑くなりました。厳しい暑さと時間は気力も体力も奪います。そうして深刻さは重くなってきます。食欲も少なくなり、睡眠不足です。だんだん無口になって来ました。ああ~お風呂に入りたいです。

   もう疲れてしまいました。土煙と悪臭とハエの中での生活は、辛いです。ボランティアさんのお気持ちには本当に感謝しかありません。でもこれからの生活、どうしたらいいのでしょうか・・・。そんな不安な気持ちになっています。  

    瀬戸内の島々でも被害は出ていますが、あまり報道されませんので、ボランティアさんも来てもらえませんので、年寄りばかりですが、壊れた家のかたづけや土砂を取り除いています。水は昔使っていた井戸が一つですが、使えてよかったねと、感謝しています。食べ物は不便な島ですから買い置きと小さな畑がありますから、持ち寄って船の便が来るまで頑張っていますと、母が言っていました。

   「つのぶえジャーナル」を届けていただきまして、大変ありがとうございます。7月号を読み終えさせていただきました。精神障害者だとおっしゃっている「ほっとひととき・・・」の方は、他の人ではなく、自分であり、自分の人生と精神障害は、今も切り離して考えることが出来ません。重く残酷そのものです。私は昭和30年、結婚と同時に精神科病棟に入りました。私はあまりにも心幼く、結婚について夢を見ていたのでした。入院が肺結核だったら「ほととぎす」の主人公のように、夢は愛に憧れ、小説の主人公のようになりたかった。現実の医師の診断は「あなたは精神分裂とうつ病と精神衰弱」だと言われました。私は絶望して自分の首を絞めていて、看護婦さんがトイレに飛び込んで、助けてくれました。こんな私でも夫は結婚して下さり、子供にも恵まれて、そんな中、二度、三度入院を余儀なくされる、そんな人生でありました。昨日も病院に行きました。抗鬱剤、安眠剤、貧血剤をいただています。今では大変私にはよいお薬です。入院せずに生活しています。今も拙い信仰者として神様の御愛に甘えて生きています。

   迷惑とは思いながらも毎晩メールしていますね。でも、きちんとメールの返信が来るので、うれしいです。ほっとしてまたメールしてしまいます。骨組みだけになった床下には土砂です。出るのは弱音でしたが、最近はその言葉も出ません。この暑さは、気力を奪います。二階の部屋に寝る場所は確保しましたが、悪臭と埃で眠りがだんだん浅くなりました。一番の問題は健康です。主人はひげを剃りません。私も化粧はなしです。

   仮設の抽選には当たりませんでした。途方に暮れてしまいました。主人のお薬手帳は、何とか持ち出せましたので、掛かりつけの病院ではないですが、お薬を出していただけました。お薬手帳は、本当に大事ですよ。・・・。

   ガスも水道も回復しましたが、気持ちの方がどんどん落ち込んでしまいます。体力も限界…。不安です。これからが真夏です。どうしたらいいのでしょうか。弱い者にとって時間は残酷ですね。迷惑と思いながら、今夜もメールしてしまいました。主人も寝付けず、寝返りばかり…、疲れているようです。

   また雨と風、ニースを聞いて驚きました。わりと近くなのに、詳しくは分かりませんでした。私は夜、薬を飲んで寝ているので風も雨も知りません。夜中に何かあっても薬を飲んでいるので、どうじょうもありません。本来なら 自治会の役員として見まわりに行かないといけないのでしょうが、主人も私もアウトです。今回は大丈夫だと思って…。まぁ 何もなかったので助かっています。

   町の中はまだまだ壊れた家財道具の山、田んぼは汚泥のままなのに、また変な方向転換の台風の接近で、どうしたらいいのでしょうか・・・。これから8月の暑さの夏と思うと何もかも投げやりになってしまいます。暑くて眠れません。食欲もありません。こんなメールでごめんなさい。

   避難所生活の両親が気がかりです。壊れてしまった家はそのままです。主人の仕事の関係で台湾にいる私にはどうすることもできません。悲しいです。

△ 私の住んでいる福島は、あの東電の放射能汚染で家を離れたところにはイノシシが我が物顔の村になりました。人の住まない家は壊れたままで背丈くらいに伸びた雑草の中の家があちこちに見ます。過疎ではなく廃墟です。日常生活を奪われた者には帰る家はありません。今までの生活、楽しみにしていた畑や庭を失ったことは、大げさではなく人生を奪われてしまいました。私たちは子供たちが建ててくれた小さな家での生活も3年が過ぎました。小さな花壇に、コスモスが咲き始めました。とにかく穏やかに過ごさせてくださいと毎日、朝と夕方の小さな礼拝で祈り、時を過ごしています。何時もお気遣いのお便りを何度も読み返しています。ありがとうございます。忘れられていないのね…と主人を話し合っています。

△ 毎日の片づけは、壊すためのですから、虚しい気持ちです。これからの身の振りかたすら見出せない中での作業です。この暑さは心に追い討ちをかけます。お祈りください。

△ 最近、テレビが嫌いになりました。天気予報と復興という名のもとに報道されるニュースに嫌悪を感じてしまうからです。これを見て、皆さん頑張っているとか、瓦礫や壊れた家具も撤去されているのだと思われるのにイライラするのです。それは一部分なんだよ!とつい叫んでしまっている自分が悲しいです。

*このコーナーの記事は、すべて投稿者から掲載許可をいただいております。 編集子

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   『ありがとうございます』

 暑かったここ1、2ケ月も秋らしくなってきました。名古屋市の郊外の水田も収穫の時期になりました。あちこちに薄が秋を知らせてくれています。夏祭りも終わると秋になるのですね。被災地の方々にも秋ですが、昨年までの秋を迎えた生活と今の環境の変化、戸惑いではなく、困惑の生活の始まりのようです。そのようなメールが送られてきます。

 お祈りしています。

 2018年7月16日から2018年8月15日までの「つのぶえジャーナル」事業への寄付者の報告です。感謝いたします。

村田和子様 鶴原澄子様 羽野 環様 和田順一様 和田貴美子様 佐藤のり様 加納さおり様 島田祥子様 

 

*寄付金口座…郵振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社 

また、お便り下さる方やお友達への紹介はこのメール アドレスをご利用ください。多くの方々の「ジャーナル友」が与えられるように願っています。どうぞメールしてください。

    osamura@kind.ocn.ne.jp 

*「つのぶえジャーナル」はこれをご利用ください。

http://tunobue.blog.shinobi.jp      

(米国南長老教会文書伝道事業)刊行責任者

   つのぶえ社代表   長村秀勝

 
 

  今月のことば

 「さあ、かわいている者は、みな水にきたれ。金のない者もきたれ。来て買い求めて食べよ。あなたがたは来て、金を出さずに、ただでぶどう酒と乳とを買い求めよ。」

          ~イザヤ55:1~

 今回の西日本豪雨で大雨と川の氾濫、土砂崩れで、多くの被害と人命が失われました。心から、お悔みとお慰めが与えられますようにお祈りいたします。多くの方が「ジャーナル友」として、今のお気持ちをお届けくださいました。このような心の交わりが、この「つのぶえジャーナル」を介して与えられていることを痛感いたしました。その使命を神様からの「召し」と信じ、励んでまいります。どうぞ、『ほっとひととき「みんなのコーナー」』をご覧くださり、祈りに覚えていただければと思います。

 

 人の思いと心とは本当に不思議に思えます。私たちの心の中にある、なやましい不安と、深い心の慟哭を、神様は「飢えと渇き」と呼んでいます。人々にお金や名誉や、権力や快楽を追わしめるものは、この魂の飢えであり、その多くの者が放蕩や恥辱に走るのも、これに由来するといえるでしょう。

 人はこの地上の富をもう少し持っていさいすれば、また、情熱の命ずるままに生きることができたならば、幸いであろうと考える者も多いのです。この間違った人間の価値観、人生観は、私たちの内に深く根を下ろしていて、誘惑する悪魔(サタン)方は、実に多くの人々を永久の不幸へと追いやることが出来ます。

 

 神様は、この私たちの絶望的な道に行くのを見たもう時、心から憐れみをもって私たちを呼び、「帰って来い」と言われるのです。神様には、満腹させる食物があります。渇きを止める飲み物もあります。そしてそれを、「ただでもらえる」と言われます。この招きには誰もが与れるのです。しかし、この招きに来ないのです。

 

 この「今月のことば」の1節に書かれているのは、全てただで頂けるにも関わらず、私たちは買わなければならないというのです。無価値なものを買わなければならないとは、納得しかねます。無料、無代には疑いを持ちます。しかし、ここでは、「無料、無代」ではないのです。それは「来る」という値を払わなければなりません。特に信じられない、「ただであるというものを受け入れる」という値段があるのです。そうして、それを神様からの愛と憐み、恵みであると信じて受け入れる思い(信仰)を言い表す(告白)ことです。

 信仰とは、神様がお与えくださるお約束を信じ、より確かなものとするために生きる、生き方そのものです。

 

   小閑記 

 

 エシュルンよ、神に並ぶ者はほかにない。あなたを助けるために天に乗り、威光をもって空を通られる。

          ~申命記33:26~

 

 長い生涯を生きる間には、キリスト者にとっても個々人としてやはり移り変わる事情があります。時には、全てのことが何かの呪縛にかかっていて、人生をひどい苦しみの連続、一連のこととしてしまうかのように、考え込んでしまうことを経験します。

次から次へと息つく間もなく来る困難や苦痛、次から次に発生する台風の凄まじさに慄く時、神様は遠くにおられるかのように思えます。弟子たちが嵐に出会い、恐怖のあまりに叫んだ、「わたしたちは死にそうです」の、無力感に陥ることがあります。

 

 エジプトにいたイスラエルの民のエジプト脱出は、神様のお約束とは言え、荒れ野の40年の苦難の旅路は、想像すらできません。今日でも多くの難民が飢えと病と死の危険の中にあります。

 

 しかし、それにもかかわらず、年月が経ち、約束の地に近づくにつれて、単なる約束ではなく、事実となる時、恵みの奇跡のように見えはじめます。見えざる神の導きの御手が絶えず私たちと共にあったことを悟り、その手は力強い愛の手であることを深く知ります。

 

 モーセがその生涯を終えるにあたって、「神に並ぶものはほかにない」ということが出来たように、確かに、ためらい、迷い、呟くモーセの人生であっても、絶えず神様に尋ね、罪を犯しても許しを請いつつ生きた人生は、「多くの安らぎ」をもたらします。

 聖書をお持ちの方は、いま一度ご自分の人生になぞらえつつ、モーセの生涯をみ言葉と共に読み、お考えになることを、お勧めいたします。私たちが勇気を失い、恐れた時に、神様は私たちを励ましていてくださいます。

 約束の地を目指したモーセの人生は、「神ともにいまし、神に並ぶべきものはほかになし」とほめ称えずにおれませんでした。  

 

世田谷通信(179

猫草

スポーツ観戦などほぼしないのだが、10数年ぶりに野球の試合を観に行った。大きな音も沢山の人も苦手なので、大丈夫かなあパニックにならないかなあと不安だった。駅から球場に向かってどんどん人が増えていく時にはひるんで帰りたくなったけれど、逆走もできず流れのまま緩やかな坂を歩いてたどりついた。

座ってしまえば意外と平気で、音は反響せず空へと消えていく。暮れ方の空の色が刻々と変化するのを綺麗だとか思っているうちに試合が始まる。普段はテレビの野球中継すらあまり見ないので、試合を注視するなんて長男の少年野球以来だ。

そして、当たり前のことをいまさら思う。スポーツって人間がやっていることなんだね。何万人もの観客に注目されながら。テレビ中継だとピッチャーとバッターの攻防の映像が流れるけど、野手もネクストバッターも応援もみんな含めての試合。

緊張感のある好ゲーム。強打者にはピッチャーのギアも確実に上がる。大事な局面では球場の雰囲気が変わる。地鳴りに似た、念に近い波動で席が揺れるように感じる。熱気とはこういうものか。その渦の中心であるマウンドやバッターボックスならその「思い」をどんな風に感じるのだろう。

ユニフォームやグッズをまとって一心に応援している人たちは何を選手やチームに託しているのだろう。高校野球のヒーローがプロになり、結果を残せる者が何人いるのか。華やかで調子の良いときばかりではない。歳を重ねて衰え、長い不調やケガに泣き、移籍や戦力外通告という厳しい現実も突きつけられる。選手の名を連呼し、打てば飛び上がって喜び、チームの戦績に一喜一憂するのは、そうか、浮き沈みのある自分の人生を重ねて共に歩んでいるからなんだね。と、再度当たり前のことに気がつく。

結論としては疲れたけど面白かった。試合後の混雑を避け、早々に帰ったのも正解。たまには良いものだ。こんどは応援グッズも買ってみようか。

 

   『美しい朝に』・・46・・

613

 今日は神経科の日でした。とても良いお天気でしたが身体の調子が悪くて

結局病院の中は車いすでの移動になってしまいました。来月は夏祭りがあってだんじりが出るので道路が通行止めになるので診察日はずれてしまいそうです。

暑くなると血圧が上がりふらつくみたいです。お風呂も長く入るとのぼせてしまいます。肩や首の痛みや目の疲れにはあたたまる方が良いのですが、暑いと頭がふらつくので、途中で水のシャワーを足先にかけたりしています。

6月18日

 今朝758分に大阪で地震がありました。3階で寝ていたのでベッドの上でかなりの揺れを感じました。1階に起きて降りてきましたが、NTTもドコモも

通じなくて実家の母と連絡が出来たのは夕方でした。電車や交通機関も長い間動いてなくて道路の車も渋滞のようでした。枚方の身内もメールで「大丈夫」と連絡がきました。お祈りありがとうございます。

6月20日

 朝から激しい雨が降っています。地震の後の大雨なので土砂災害が心配です。

昨日は半年ぶりの眼科の定期健診でした。両目とも網膜剥離のレーザーの手術をして頂いているので大正区の眼科ですが朝8時には受付がはじまり順番が遅くなるので7時前には到着するために前日は夜中ほとんど眠れませんでした。

両目に瞳孔を開く目薬をして検査して頂くので光が眩しくて昔の黒いサングラスが手放せません。網膜剥離はレーザー手術でおさまっているようで感謝です。

昨夜は目も身体も疲れて久しぶりに熟睡できました。お祈りありがとうございます。

6月24日

 こんばんは、夜遅くにすみません。もう夜が明ける時間になりますね。もうすぐ光がさして暑い日になりそうです。眠れないのではなくて起きていました。眠れなくて長いメールになりそうです。自分のことではないので詳しくは言えないのですが、知り合いの話とさせていただきます。彼女も私と同じ難病のITPです。発病したときには血小板は2000で命の危険性があり輸血とステロイドの点滴で命を救われました。私と同じITPでしたが、血が固まらない病気なので若い女性の場合、定期的な出血も薬でとめなくてはなりませんでした。奇跡的に血小板が増えてステロイドの服用も積極的に減らして0錠になりました。いったん血小板が増えたとしても、ITPの場合は妊娠中に血小板が減る可能性が高くて減りすぎると母体優先ですので普通のように普通分娩は難しくて出産は輸血をしながら帝王切開になります。周りは彼女が元気でさえいてくれたらと思い、正直彼女の妊娠を直に喜ぶことができなかったと思います。

しかし、臨月まで血小板の数値は保たれ2人の命は守られました。彼女の妊娠で真夜中の陣痛の日は623日を過ぎて624日にさしかかりました。

私の親友が30年前に若くして膠原病で亡くなったのは624日でした。私が精神のバランスを崩して暗いトンネルに入った辛い日でした。夜中に「お願い!2人を連れていかんといて!」と叫ぶように祈りました。また、6月24日に親しい人が亡くなるのではないかと不安でたまりませんでした。最後の最後まで心配でしたが、大学病院の万全なケアのおかげさまで624日の夕方に母子ともに無事で輸血もしなくて普通分娩で生まれました。

主人が「6月24日が辛い日からうれしい日になったね」と言いました。30年も前の辛い6月24日から30年後のうれしい6月24日まで、そんなにも先の奇跡的な神様のご計画があったのだとしたら・・・、友達が若くしてご主人を亡くして子供さんを育てるときに「30年もたてばきっと今より良くなるわ」と思い、「30年たったら昔よりよくなったよ」と話を聞いたときに

私はそんなふうには考えられなくて、自分の病気を悲観して、いろいろな薬に依存していたのだと思いました。

「なぜ?」と神様に泣き叫び文句のお祈りしかしてこなかった30年前の私に「30年もたてばきっと今より良くなるわ」という友達の前向きな言葉をプレゼントしたいと思います。辛い現実におられる方々のことをお祈りします。

30年前に光すら見えなかった私のことを祈り続けてくださった長村先生に「ジャーナル」を通じて、私のつたない経験で「ジャーナル」に自分のことをお話ししてくださる勇気を出してくださった皆様に感謝しています。ありがとうございます。

74

 今日は神経科の日でした。膝や腰が痛いのと頭がボーとしてふらふらするので今日も主人の車で車いすを積んで出かけました。病院の駐車場では車いすスペースが空いていなくて入口から離れた場所に車を駐車しました。大雨が降ってきて車いすもぬれて、ぬれた車イスに座り雨傘をさして入口まで主人におしてもらいました。車いすをおす人は傘をさしながら車いすをおすことになります。病院内も車いすで移動になりました。車いすでの通院の人が意外と多いと思いました。雨の日は特に大変なことを改めて感じました。

明日は内科で、血液検査とレントゲンも心電図もあります。あさっては主人の内科です。通院で忙しい1週間になりそうです。

76

 こんにちは、今日は、大阪は昨晩から大雨洪水警報が出るほど雨が降っています。雨の中、内科に車で行きました。頭はふらつきお腹も壊して最悪の体調でした。心電図とレントゲンもしていただきました。血圧が15080で脈拍が130と高かったです。血糖値は218で、今まで1番高い数値でした。ヘモグロビンA1C6.8でした。ここで、数値をコントロール出来ないとインシュリン治療になってしまいます。食べ物を改めたいと思います。

血小板を攻撃する抗体ができてきたため血小板を減らさないように甘いものを食べたことと、変な気候と身体の疲れもあると思います。無理をしないで安静にしたいと思います。昨夜、朝方から昼まで熟睡出来たのが感謝です。最近野菜が不足していました。野菜ジュースと血糖値を下げる青汁を飲んでいませんでした。薬を増やして頂いたので食べた食事も書いていませんでした。今も結構しんどいです。「30年過ぎたら今よりも良くなっているはず」との言葉を支えに頑張りたいと思います。(生きていないかもですが)

714

 今日はすごく暑く真夏日でした。梅雨もいつの間にか終わっていたようです。

夏祭りが始まりました。お天気の良い夏祭りは久しぶりです。

去年の夏祭りには愛ちゃんは、生きてました。去年の930日に196か月で天国へ旅立ちましたが、何回も夏祭りを一緒に過ごしたので、去年もベビーカステラをおいしそうに食べていました。今年も「だんじり」の音が聞こえてきます。暑い夏が来たようです。

 (このメール文の掲載はK・Aさんの了承を頂いております)  

 

 

 『その愛のゆえに』

   =時々の記=

    (148)

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 ようやく雨がやんでお日様が顔を出してくれました。溜まっていた洗濯物を干しきれないほどしてしまいました。夕方にはすっかり乾いています。乾燥機を使わないで乾ききったのは何日振りでしょう。こんな小さなことに喜びを感じるこの頃です。アジサイは見事に咲き誇っています。真っ白いとても甘い香りのするくちなしの花が今朝一輪の花が咲きました。ビロードのような花びらにひと時魅せられていました。

旅情ある高原に居て閑古鳥

山並みの映れる伊賀の植田かな。

下草を刈りて全身汗しとど。

一葉の書きたる闇や五月雨

山蟻の幹の高きへ登り行く。   馬場路哉

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 庭では待ちに待った八重のくちなしが大雨の中咲き始めました。雨にやられておれてしまいそうなので、もったいないのですが枝を切って花瓶に一輪いけました。甘い香りに包まれています。

アカシヤの花に砂丘の広ごりぬ。

リハビリに通ふ山路の夏アザミ。

岩の間の強きうねりや夏の川。

十薬や義人右近の天高く。

目覚むると神に祈りぬホトトギス。    馬場路哉

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 あの、大雨何時になったら止んでくれるのかと、ただ待つばかりでした。テレビから映し出される映像には声が出ません。広島、岡山、四国、京都、岐阜各地で大きな川が氾濫し、山が土砂で流されています。アッという間に水の量が一階を超えてきたというのですから、どんなに、怖かったことでしょう。水の恐ろしさをまた身にしみさせた災害でしたね。

自家菜園で、やっとミニトマトが赤くなり、食卓に上るまでになりました。味は今一つです。赤いのにとても酸っぱいトマトです。それでも野菜には変わりありませんから、感謝しています。

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 体温とほぼ同じ暑さなのですから、とても暑く感じます。でも、こうして、お水が出る。冷蔵庫が使える。それだけで感謝しなければいけませんね。被災された方たちへの支援、配慮が最優先されなければいけないときです。一日も早い、お水の供給。電気が使えるようになってほしいですね。頑張っておられる姿をテレビで拝見し、胸がいっぱいになってきます。

 「ラジオ伝道」の会報の、巻頭言の中で、協力委員会の委員長の田口博之先生や横山良樹先生が言っておられるように、長村さんのフォロアップはきめ細かく、献身的であられ、お一人、お一人への対応のなされ方は、もう誰もできないことで、誰もが脱帽なのです、とありましたが、このような長きにわたって、マカルピン先生の遺志を受け継いで、最後まで、ただ、主のために仕えてこられたことに心から敬意を表します。これからも「つのぶえジャーナル」を通して、多くの方たちをお導きくださいますようにお祈りしています。くれぐれもご自愛ください。

馬場暁美

「上野緑ヶ丘教会会員」 

 

 

  眸(ひとみ)・・89・・

☆ 2012年頃だと記憶しているのですが、メールしたメール文が「眸」に

掲載され驚いたのを覚えています。今は仕事に追われて「ジャーナル」は見る側になってしまいましたが、毎月楽しみにしております。専業主婦?(手抜き主婦)でしたが、子供たちの成長と共に塾などの費用が負担になり、友だちの紹介でスーパーで働き始めて5年目になりました。それまめではお客さんの立場でしたが、働き始めて驚いたことは、その賃金の安さでした。それでも必要に迫られて働いていますが、家計のやりくりと言える私と、その働きが収入源の人とでは、違います。

都会では人手不足と言われていますが、私のところではそんなことは言っておれません。働ける場所として安定的に確保されているのは、この大手のスーパーだけですから、疲れていても皆さん頑張っています。それでも皆さん方は年齢に関係なくキラキラと輝いていて素敵だと思っています。健康であることと,働けるよろこびがあるからだと思います。

仕事の関係で、時々は礼拝を休むこともありますが、教会の方々との交わりとは別の同じ職場の皆さんとの会話も私には、心に力をもらえている場所でもあります。今日も元気に「いらっしゃいませえ~」で頑張ります。 愛媛県TMさん

この「眸」は、TMさんのメールで再開することにいたしました。どうぞ、<身近な出来事を「眸」に投稿してください> 編集子
 

十戒と主の祈り・・2・・

             鈴木英昭著

        (元日本キリスト改革派名古屋教会牧師)

=わたしは主=

  まえがき②・キリストへ導く

           出エジプト記20:2、Ⅰペトロ2:13~20

 この十戒のまえがきから分かるように、神は、ご自分を「あなたの神」、「あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神」と自己紹介しておられます。「あなた」という二人称単数が用いられていて、「あなたがた」という複数ではありません。このことは、まえがきだけでなく、十戒の本文のすべてにおいても同じです。

 前回学びましたように、神はイスラエルの民をご自分との契約の中に入れてくださいました。しかし、この神によって自由にされた民が自由であり続けるためには、契約に伴う責任を自覚しなければなりません。そのために、彼ら一人一人がそうでなければなりません。全体が契約を守るということのほうが一見、適しているように見えます。しかし、それは幻想です。一人一人が守ることができて始めて、全体が守ることになるからです。最後の審判のときにどうなるか、パウロは次のように、述べています。

 「わたしたちは皆、キリストの裁きの座のまえに立ち、善であれ悪であれ、めいめい体を住みかとしていたときに行ったことに応じて、報いを受けねばならないからです」(Ⅱコリント5:10)。

 

 神は信仰者の個人の責任を問われますから、信仰の良心のうえに社会的に孤立するようなことがあっても、自分の個人的確信を貫くところに、神から与えられている自由があります。

 

十戒は「~してはならない」という否定的な戒めが肯定的な戒めより多く、前者は8つあるのに対して、後者は2つで、第4戒と第5戒の2つがそれです。ウ大教理問答の99問の4の答えにあるように、肯定の戒めでも、否定の禁止は含まれ、否定の8つの戒めも、その反対の積極的なことが勧められています。禁止の戒めが多いことは、自由を禁じているように思われて、まえがきが明らかにしている自由の律法という意味を維持できるのかという疑問が起こるかもしれません。

 しかし、ドウマ教授は、禁止の命令が、その命令に違反する私たちの性質を映し出す鏡のようなものであって、私たちが殺人犯であるから、殺してはならないのであり、姦淫する者であるから、姦淫してはならないのである、といいます。律法は仮面を剥ぐ機能も持っていることを知るとき、私たちは律法によって偽りや欺瞞から解放されます。

 それと共に、律法を完全に実行されたキリストとの生きた交わりだけが、義を与えてくださる保証になります! キリストにあって、律法は私たちの自由の憲章です。従って、律法はわたしたちの罪を示し、キリストへ導き、信仰生活の実践を教える感謝の指針という、二つの重要な面があります。

 

 まえがき③・律法の意味

         出エジプト20:2、マタイ5:22~26

 十戒のまえがきで、このことが直接言われているものではありませんが、十戒を理解するために基本的に重要な規則を、なお加えて理解しておくことにしましょう。

 それは、聖書解釈の重要な原則の一つで、聖書全体の光に照らして、解釈するということです。特に、主イエスが山上の説教において、十戒に言及して、その意味を教えてくださいましたから、特に彼の足下に座って、その教えに耳を傾ける必要があります。そうすることで、十戒の内容をより良く知ることができます。

 例えば「殺すな」という第6戒が禁じている命令について、主は、ただ単に人の肉体的な命を奪うことだけではないことを教えられました。それは、心の中に生じる憎しみも違反であり、それを言葉によって口に出すことも、この律法の明らかな違反であることも指摘なさいました。つまり、十戒の言葉に深さと広さがあるので、その点を理解しなければならないということです。

 従って、十戒を理解するために、第一に、この律法が霊的な意味をもっていることを知っている必要があります。この律法はキリストによってはじめて完全に実行され、キリスト者だけがこのキリストにあって初めて守ったと見なされるため、霊的です。また、律法は表面的に守っているように見えても、神は心を見られるので(マタイ22:37~40)、霊的です。

 第二に、してはならないという否定の命令は、反対のことをする肯定の命令でもあるということです。例えば、第二戒で、偶像礼拝の禁止が命じられています。偶像を作ったり、それを販売したり、それを拝むということはないとしても、神よりも大切なものを持つことは偶像を持つことになります。自分の名誉や富、人々からの評判、つまり、自分自身、あるいは自分の家族、そうしたものは、主なる神よりも、「崇められるもの」となってしまう危険はないでしょうか。

 あるいは、日曜出勤は、週日の働きが不十分なためなのか。そうではないにしても、その仕事を週日にするように努力したうえでのことか。こうしたことによって、ウエストミンスター信仰告白の21章8項の「必要な義務」と言えるかどうかが判断されます。

 さらに第4戒に、十戒の要約は、神への愛と隣人への愛です。この二つが対立する時、例えば、夫が律法に反することを求めた時、その求めには神からの権威がないと考えなければなりません。神への愛が隣人への愛より重いということです。

 最後に、十戒の出発点も、愛です。形式的に守っていても、守ったことにはなりません。愛が律法を成し遂げさせるかどうかが問題になります。

 

 

 バラ・マカルピン 日本伝道百年史・・9・・   

     水垣 清著

 (元中津川教会牧師・元「キリストへの時間」ラジオ説教者)

8 バラの伝道・・1・・

 この年1875年(明治8)の夏、バラ先生はブラウン宣教師と箱根に避暑して、箱根峠を越えて山中部落の本陣笹屋で集会を開いた。この箱根伝道の結果、泉屋津田大作一家をはじめ、数名のものが洗礼を受け、泉屋津田一家は家の教会として集会を守っていった(御殿場教会80年の歩み)。

1876年(明治9)1月30日、バラ先生より稲垣 信が洗礼を領した。稲垣は、横浜海岸教会の牧師(初代)として、バラ先生の跡をついだ人で15年間、海岸教会に奉仕したが、彼は旧上田藩士で父は家老職であった。彼は1873年(明治6)夏、東京築地居留地を散歩した時「耶蘇教聖書売捌所(ばいはつしょ)という金文字の大看板を掲げた店を見て、切支丹禁止のわが国に、こうした店のあるのは、洋人たちがわが国を軽蔑するためであると憤慨したが、邪教の実態をつかんでやろうと、築地六番館の会堂に出入りして説教を聞き、また聖書を調べ、信徒たちの親愛の交際、祈祷の熱心、懇切なのに動かされ、後に上田に帰って日曜日には聖書を読み、礼拝を守った。

また2、3人の友人と相談して1874年(明治7)11月19日、上田禁酒会を造り、「邪教を棄て、真神を拝し、飲酒を禁じ、聖日を守り、仁愛慈善の行為を互いに励み、社会の弊風を一洗せん」との規約をもとに活動した。そして28歳の時横浜に出て信仰を告白し受洗した。

1876年(明治9)、ミロル宣教師と真木重遠氏が上田に来て、稲垣の家で連日説教をし、8月13日、16名の男女が受洗した。続いて同年10月、バラ先生はグリーン宣教師、ギューリック宣教師と東北地方伝道の途中に上田に来られて、10月8日、19名の男女に洗礼を授け、同日、会員36名で信州上田日本基督公会を建設した。

翌く1877年(明治10)10月、横浜で一致教会設立の会議があって、稲垣は教会代表として上田を出立して間もなく、稲垣の家は隣家からの出火で類焼してしまった。バラ先生は稲垣を慰めながら「あなたのお家が焼けたのは、神様があなたを他の所に移そうとのみ旨かも知れません」と言われたが、その後、海岸教会から招かれ、12月に横浜に出て、翌く1878年(明治11)春、バラ先生が海岸教会の仮牧師を辞任し帰米されたので、同年4月20日、按手礼を受けて同教会の牧師に就任した。

附 上田教会 明治9年10月8日 バラ先生による受洗者名

小林滝太郎  宮下 謹吾 町田 八郎 田中 救時 笈川綏五郎

山寺半右衛門 犬飼  新 小島 さだ 小島 くに 小島 なを

 掛川よすが 世良田さく 木村 まき 木村 こう 早川 やす 小島 たけ 隠岐 つね 尾山 かじ(稲垣信祖母)(以上19名 筆者調)

その後、上田教会へは、1873年(明治6)3月、ブラウン宣教師より受洗した横浜海岸教会員の真木重遠(新潟県 士族)が来て伝道者となった。

 

「あなたに聖書を」

「キリスト教百話」 

問22 「救い」ということが「罪と死からの解放」を意味するものであることは分かりましたが死からの解放としての「復活」については、どうもよく理解できません。

答・・11・・

 この話に示されていることは、イエスが死んだ、という事実と、イエスが生きているという事実と、この二つは矛盾することでありながら、矛盾しないで成り立っているということであります。そして、そういう矛盾を超えて、その双方を成り立たせることができるものとして神の全能という力があるということが、この記事を書いた人が伝えたいと願っていることのポイントではないかと思うのです。

 死んでいると同時に生きているという矛盾そのものが復活のイエスに他ならないと知ることが、復活の真理が分かったといえることではないかと思うのです。「絶対矛盾の自己同一」という言葉があります。絶対に矛盾することが同一になるはずはないというのが、時間と空間の中で事をとらえようとする者に起こる反応ですが、それが可能になるのは、そういう発想を超えた次元においてのことであるというのであれば、わたくしは、イエスの復活という事態において示されることは、この矛盾を克服する秘密がここにある、ということが出来ると思います。

 パウロは「キリストに結ばれている人はだれでも、新しく創造された者なのです」と言っています(Ⅱコリント5:17)。そして、そのように新しく創造された者としての自分のことを「わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらぼされない」と言っています(同4:8以下)。これは彼が実際に四方から苦しめられて行き詰まったことや、途方に暮れたことがあったことを語っています。

 しかし、そうでありながらそうでない、というのは自己矛盾ですが、その矛盾が、矛盾という次元を超えて、矛盾でない受け止め方がなされている秘訣として、パウロは「わたしたちはいつもイエスの死を体にまとっています。イエスの命がこの体に現れるために、わたしたちは生きている間、絶えずイエスのために死にさらされています。死ぬはずのこの身にイエスの命が現れるために」という、イエスの復活に示されている事実を、自分の事実としていることによるのであると述べています(同4:7以下)。

 ある状況の中にありながら、その状況に支配されないでおれるということは、その状況に支配されないでおれる自由を持った人間でなくてはなりませんが、そういう状況を超えて立つことができる自由なものであり得るのは、生来の自分によってではなく、これを超えたものとして対応できる新しく造られた者において初めて出来ることであって、その新しく造られるということが、イエスの復活ということにおいてわたしたちに与えられている、いわば秘儀に属する事柄、即ち、信じる者に実現する神の働きであるということができます。

  篠田 潔

(日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)

 

<2018年8月のラジオ放送予定>  

8月 5日 田中文宏  (日本基督教団名古屋桜山教会牧師)

  12日 田中文宏  (日本基督教団名古屋桜山教会牧師)

19日 山田詩郎  (日本基督教団名古屋北教会牧師)

26日 山田詩郎  (日本基督教団名古屋北教会牧師)

     (放送開始1952年10月)

CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ

毎週日曜日朝6時30分~45分放送

 

 

 

第85課 キリスト者生活の実践的義務

=12:1~15:13=・・・38・・・

E 弱い兄弟たちに対するキリスト者の義務 ・・14:1~13・・

       ・・・3・・・

 「また、ある人は、この日がかの日よりも大事であると考え、ほかの人はどの日も同じだと考える。各自はそれぞれの心の中で、確信を持っておるべきである」(5節)。

 ここで言われていることは、明らかに旧約の儀式律法にある種々の祭りの日に関してです。律法が清い肉と清くない肉とを区別したように、日についても区別していました。明らかに、あるユダヤ人キリスト者たちは、これらの日を従来の仕方で守らなければならないと考えていました。この信仰は誤っていました。それは彼らの弱い点でした。しかし、それは重大な事柄ではなかったので、それによって教会の統一性を損なわれることは許されないことです。

 

 ここの個所は、ある人たちによって、安息日を守ることはキリスト者の義務ではなく、個人の好みにゆだねるべき選択的な問題であるとする議論の根拠として用いられてきました。しかし、これはここの個所のひどい曲解にほかなりません。文脈とガラテヤ書4:10やコロサイ書2:16のような並行聖句から見て明らかなように、ここでパウロはユダヤ教の祭りについて述べているのであって、その言葉をキリスト教の安息日に適用することは重大な誤りです。

 ここの聖句が言おうとしているのは、「ある人はユダヤ教の祭りを守り、他の人は守らない」ということです。私たちの知るべきことは、使徒時代の教会において、週の最初の日、すなわち、主の日を守るべきことにおいて一致していた人々にさえもそのような事実があったということです(ホッジ)。

 

 「各自はそれぞれの心の中で、確信を持っておるべきである」(5b)。

 ここでパウロは一人の人の良心が他人の行動を支配することはできないという原則を述べています。各人は自己の良心に従って行動すべきです。そして自分が間違っていると確信することを行うことは避けなければなりません。現代の教会においても、自分たちの良心に基づく確信を他人の行動の基準にすることに、神は定められておられると考えている人々がいるのです。このような人たちは他人に対して「君はこうしなくてはならない。何故ならば、私はそうすることが君の義務であると信じるからだ」とか、「君はそのようなことをするのを直ちに止めなければならない。何故ならば、私はそれが間違いであると思うからだ」などというような言葉を、あからさまに言わなくても、態度で示すのです。

 これと同じような精神はパウロの時代のローマの教会に存在していたことは明らかであり、このような傾向に反対するためにパウロは「各自はそれぞれ心の中で、確信を持っておるべきである」と記したのです。もちろん、それは神のみ言葉によって正されるべきであって、他のキリスト信者の良心によって正されるべきものではありません。私たちは自分の道徳的問題を、だれか他人の確信を自分のガイドにすることによって解決することではありません。

 私たちは自分自身の良心によって、神が私たちに要求しておられることは何かを確信させられなくてはならないのです。ある教会の人々が持っているこの考え、すなわち、神はとにかく他の兄弟たちの良心を支えるために、自分たちを指名されたのだとする考え方は大変な間違いであり、自惚れなのです。

J.G.ヴォス著

    玉木 鎮訳(日本キリスト改革派教会引退教師

 

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書籍紹介
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エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

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教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
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「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

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「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
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…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
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「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
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われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

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さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
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