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2023年7月号  №193 号 通巻877号
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「今月のことば」

 

すると園丁は答えて言った、「ご主人様、今年も、そのままにして置いてください。そのまわりを掘って肥料をやってみますから。それで来年実がなりましたら結構です。もしそれでもだめでしたら、切り倒してください。

      =ルカ13:8~9=

 

私たちは2023年を迎えました。新年という曙光の中に立っています。今年はどのような年になるのだろうかと、誰しも不安と希望をもって考えます。信仰者としてへりくだって、過ぎ去った年月を振り返る時、神様の愛と恵みが、私たちの命の中に、日々の営みの中に如何に数限りなく織り込まれていたかを知ります。そうして心の底から、「主よ、あなたはすべてことを良くしてくださいました」と感謝の告白が湧き出てくるのを経験します。

このような言葉と同時に、「けれども」とか、「嘆きの思い出や出来事も溜息とともに沸いているのも」私たちの信仰生活です。悲劇を招く戦争、貧困や差別、社会の出来事や人々への無関心も冷たい社会という回廊を吹く抜ける風、目の前に暗雲として立ちはだかったまま、2023年が始まりです。

 

「今月のことば」のみ言葉は、常に最悪の事態の起こることを防いで下さる「人」が立っておられることが知らされています。正義の手で斧が打ち下ろされようとする、その時、「主イエス・キリスト」は仲保者となり、猶予の時のために祈られるのです。「ご主人様、今年も、そのままにして置いてください。以前にも同じ願いをいたしました。しかし、どうぞ今年もお許しください。もう一年、そのまわりを掘って肥料をやってみます」。というこの言葉にある「執り成しの心」に感動いたします。

この園丁は最悪のことが起こることを留められたばかりでなく、多くの人々が救われるための年月をも与えて下さいと願っています。

 

この2023年も「キリスト」は、国と民のために同じ祈りを捧げることをお望みです。この救い主の愛のゆえに、神様は再び恵みの年を憐れみ深く、私たちに賜るのです。もしこの年が生活の中に、年の中にある誰かにとって、最高の、そうしてそれが最後の年となるとするなら、「キリストが救い主であることをもって終わることができたことを信じる一年なりますように」お祈りいたします。

 

大切にしなければ 

恵みの恵みにいます 御神から与えられた

この恵みを この信仰を

大切にしなければ 大切にしなければ

 

命の命にいます 御神から与えられた

この命を この一日を

大切にしなければ 大切にしなければ

 

希望の希望にいます 御神から与えられた

この希望を この希望を

大切にしなければ 大切にしなければ

 

        水野源三著 「み国をめざして」より

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  「小閑記」

 

 イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも変わることがない。

        =へブル13:8=

 

激流の中に立つ大岩のように、力ある救い主なるイエスは、人類の歴史の真ん中に立っていたもうお方です。日々、太陽が地球の上に昇り、光と暖かさと生命とを与えることを許されたこと以外に、何の要求も持たないように、イエス・キリストの恵みは、私たちの上に日々与えられています。イエス・キリスト以外のものは、全て夜であり、滅びであり、死であります。イエス・キリストの中にこそ光と生命と希望があり、私たちの日々に、人生に意義と目的を見出すことが出来ることはなんと幸いなことでしょう。

 

幸いなことよ 悪しき者の はかりごとに歩まず 罪びとの道に立たず 嘲る者の座に着かない人。 

主の教えを喜びとし 昼も夜も その教えを口ずさむ人。

その人は 流れのほとりに植えられた木。

時が来ると実を結び その葉は枯れず そのなすことはすべて栄える。

悪しき者は、そうではない。 まさしく 風に吹き飛ばされる籾殻だ。

それゆえ 悪しき者は裁きに 罪人は正しい者の集いに 立ち得ない。

まことに 正しい者の道は主が知っておられ 悪しき者の道は滅び去る。(詩篇1:1~6)

 

この世の基がおかれる前から、イエス・キリストにあって私たちが選ばれたという聖なる奇跡を、誰も理解することはできません。それにもかかわらず、この事実が救いを不動のものとし、まったく恵みによるものであることを証明しています。

 

アダムによって破壊された創り主なる神様との正しい関係が、キリストの中に再び立て直されました。父なる神とキリストは生命、永遠の生命を与える三位一体の聖霊によって、アダムの種族のすべてが集められるかぎりのもの、主イエス・キリストを信じるすべてに、それを与えられるのです。

アダムが死の種をまいたところに、キリストは生命の種を植えられるのです。神に全幅の信頼をもって従う者には、永遠の滅びはありません。他のものすべては倒れ、滅ぼされても、イエス・キリストはその頼るべき堅き岩、闇の中の光、死の国にある生命であります。この神に生き、来る2023年でありましょう。

 

   ふたたび

 

御愛を忘れようとする わが魂にふたたび

 十字架の上で苦しむ キリストの御姿をば見させたまえ

みもとを離れようとする わが魂にふたたび

  十字架の上で語る キリストの御言葉をきかせたまえ

 御心に背こうとする わが魂にふたたび

  キリストの御血潮を 注ぎたまえ

         水野源三著 詩集より  

世田谷通信(232

猫草

 

 近所の東宝撮影所の建屋の壁面に巨大な2つの絵が描かれている。1枚は「七人の侍」、もう一つは「ゴジラ」だ。このゴジラは道路から見えるので、よく写真を撮っている人がいる。撮影所の入口にも2mぐらいのゴジラが立っており、こちらも撮影スポットになっている。

 さて、ゴジラ関連の映画は多々あるが、私がちゃんと観たのは「シン・ゴジラ」である。最初から最後まで観て、感嘆してもう一度。さらに「巨災対」ロゴ入りカップまで買ってしまった。

 「巨災対」とは「巨大不明生物特設災害対策本部」という、映画の中でゴジラに対抗すべく設置された組織名である。どれほど敵が圧倒的で未曽有の事態でも、漢字三文字に納めてしまうのは略すのと語呂合わせ好きな日本の感覚だと思う。

巨大不明生物というのがゴジラのこと。突然東京湾から現れて、気ままに上陸して街を破壊し、放射能を撒きつつ歩く。その大きさは120mの設定。地球上の生物でその高さはありえないと思うが、災害と言うのは常に想定をはるかに超えるから、それにどう対処するかというテーマなのかなとも思う。そう、これは危機管理の話。この映画にウルトラマンは出てこない。人間の扱える範囲の武器と組織の力でなんとかするしかない。

 まず政府がやることは会議。首相、大臣、官僚が集まって対策の方向性を決める。適応される法律は何で、どの役所がどう動くのか、それが巨大不明生物の襲来であっても、自然災害でも初動は同じ。国内の武器使用がどこまで許されるのか、実行するのは自衛隊か米軍かはたまた国連か。政治的な駆け引きが展開する中、ゴジラは海岸から東京の中心部に向かって住宅地をゆっくりと歩む。

エンターテイメントの怪獣ものだが、政府の混乱と官民一体の知恵、政治の清濁、立場の表裏も見応えがある。自分のお気に入りは東京駅にたどり着いたゴジラを足止めすべく繰り出される「無人新幹線爆弾」と「無人在来線爆弾」攻撃。東京駅の地上ホームは山手線、京浜東北線、中央線、東海道線、東海道新幹線などが乗り入れているから可能ではあるけれど、発想が小学生男子・・。きっと子ども時代、プラレールの線路に怪獣を置いた電車遊びに興じていた人が製作側にいたのだろうなと想像してしまう。

 

 <いきいき里山・山里ものがたり>

 

毎月、この「世田谷通信」を楽しみに読んでいます。地球の7割は海です。でも私たちは陸上で暮らし、野菜やお米など食べ物はほとんどが畑の物と思われていますが、実がそうではなく、海や川の物がとても多いのです。いろいろの魚や貝、ワカメなどその種類の多さに驚くのではないでしょうか。人は心疲れた時、海を眺めて、ひと時を過ごします。遠くに見える大きな船、穏やかな白波に心奪われます。しかしそうでしょうか。私は漁師として働いています。海の底は、自然の豊かさの宝庫です。海藻や小魚、いろいろ棲息している生き物豊かな「海の里山」です。

私は海藻の養殖を生業にしている3代目です。みなさんが口に入る物を届けていきました。今の冬の海の風は冷たく、寒いですが、山から運ばれてきた豊かな栄養物をいただいて生きてきました。漁師になって感じるのは、海の汚れは人間の海の対する無関心さにあるのではないでしょうか、ということです。

里山も大切です。同時に海も大切な神様が御造りになり、それを管理する任を人間に与えられているということを、お覚えくだされば幸いと思い、投稿させていただきました。 

 神奈川県 GSさん


「美しい朝に」

 

  今週の水曜日は血液内科の検診日です。血糖値は、毎日家で測れるが・・・私の難病ITPの血小板異常は、病院でしかわからない。以前、5年間もステロイド0錠(治療なしの状態で)5年間も血小板正常で血液内科を離れて・・・内科で検査を受けていました。難病なので「完治」とはならないが「寛解」というそうです。しかし、今年の2月、内科の定期健診で、血小板は「3000」しかなく血液内科の病院へと紹介状をもって・・・「輸血が間にわななければ死にます」という状態で入院しました。

  今、 病院から、入院せずに家に帰ってきました。不安だった数値は安定していました。もう少し、この血液内科に通えるみたい。疲れて・・・そのままぐっすり眠っていたみたいです。少し、風邪気味で・・・コロナの検査もして、陰性だったので一安心。とにかく年末で…すごく混んでいた。なんとなく、クリスマスの雰囲気・・・・かな?

  

=沙耶香のつぶやき=

 

 メールしたくなりました。今は学校のレポートが終わり、これからテストの勉強になります。この学校は自分のペースで歩めるので、私には合っています。月に数回のスクーリングは、保健室で休みながらしています。

 寒くなりましたね。最近は、友達とは少し不器用ながらも交流でき、毎回楽しくて充実感がありました。友達と言っても同じ年代ではありません。いろいろの事情で学校にこれなかった人で、お子さんも大きくなったから、自分も学校に行こうと思って来ているとお話ししてくださいました。中国やインドネシアとか、ペルーから家族で日本に働きに来ている人もいます。

 運動不足になると私は、テレビを見てダンスをしています。運動は苦手なので、学校の運動のバスケなどは、見学です。お友達のおばさんは,上手で

はありませんが、楽しそうに参加していて、スゴイ!と思っています。

 クリスマスはお父さんの仕事の関係で、お母さんの手作りケーキで済ませました

 

       ********

 「沙耶香のつぶやき」は、娘のつぶやきにとても似ていますよ。不登校8年目、本人は気にしない振りをしていますが、時々、泣いています。もっと泣いてもいいよ…なんて言いながら、私も隣の部屋で泣いています。母親会に行くことがだんだん、しんどくなってきました。ただ見守るだけでいいのですよ、と先生やアドバイザーの方は言うのですが・・・。沙耶香さん、元気でね!

   

*この掲載は原稿の時にお送りし、全て了解を得ております。編集子


 

その愛のゆえに』

   =時々の記= 

    (202)

 

11月15日

 主人がクリスマスに向けての俳句を出してきました。

命の主来てくださりぬクリスマス。

御救いを感謝するなりクリスマス。

大いなる星飾られてクリスマス。

憐れみの神を思はぬクリスマス。

苦しみをすべてを委ねクリスマス。  馬場路哉

5回目のワクチン接種の知らせが来ました。12月に接種です。インフルエンザが流行ってきますから早目に接種しておかないと、と思っています。

山茶花や蜂の音して閑かなる。

晩秋や卒寿の信徒召されける。(病床洗礼を受けた方です)月光の曲や悲哀を極限す。    馬場路哉

11月16日

少し山に向かって歩くと山の木々からの落ち葉で道がふさがれてしまっています。滑りそうなので途中であきらめて戻りました。今が盛りと紅葉が素晴らしい色に染まっています。こんな自然の中を歩くことができるのを感謝しています。

茶の花や祖父のたつきを忍びける。(今はお茶の花が白く咲いています。)

破芭蕉大きな日陰とはなりぬ。  馬場路哉

主人は眼科の定期健診です。乱視と白内障の治療です。私も目が次第に悪くなってきているのを感じるこの頃です。今までの老眼では間に合いません。乱視の眼鏡を借りるととてもよく見えるのです。そろそろ眼科医に私も行かなければならないようです。

11月21日

 私は今朝は今までに経験したことがないようなことになりました。まっすぐ歩こうとするのに鴨居が斜めになってしまいます。何かをするのに、もとても時間がかかります。何とか本当に何とか朝の支度を整えることができました。それからはずーっとお布団の中に入って休んでいました。午後3時過ぎになると元気を取り戻すことができてほっとしています。今日は主人が私に変わってすべて夕食の準備をして整えてくれました。感謝です。

11月22日

 今朝はいつものように元気よく起きられました。少し遅れて朝の散歩にも出かけることができました。ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。何がどうなっているのかはわかりませんが、今のところ元に戻りつつありますのでしばらく様子を見ようと思います。今朝は賛美歌を歌いながらの散歩もできました。金城学院の校歌が大好きなので歌い続けての散歩でした。すると私より若い方が声をかけてくださいました。足取りは年相応に見えますが、毎日散歩を続けているというのは気力があるからですね、と励ましてくれました。その一言がうれしくなっていつもよりも5分長く続けられました。合わせて32分の散歩をしたことになります。

山茶花に蜂は静かに寄りにけり。

老いに活入れたる漆紅葉かな。

小春日やライダー山道好みけり。

傷口を癒されたくてクリスマス。

鹿鳴くや一声のみの夕なる。   馬場路哉

この頃は鹿や猪が我が家の庭先までやってきます。イノシシはしっぽを振ってくれるのです。この頃は鹿や猪に出会うのに慣れてきました。こちらが静かにしていれば野生の動物たちもひどいことはしないのかも。

「美しい朝に」さんが元気になられて手先の器用さを生かすことができるようになられて心から感謝ですね。私の部屋には数年前に送っていただいた折り紙が飾ってありますよ。いつも「美しい朝に」さんのことを覚えていられるように・・・です。多くの方たちがジャーナルを通してお元気になられていくのがとても感謝ですね。

12月1日

 サッカーの明日の試合が早いので大変だといっていますが、きっと眠らずに見ることでしょう。今朝も朝4時から起きて観戦していました。どのチームもワールドカップに出場しているのですから見ごたえがあると喜んでいます。主人も俳句を載せていただくのでいつもニコニコ顔になっています。

鹿鳴くや一声のみの夕なる。

傷口を癒されたくてクリスマス。

平和請ひ署名活動秋薔薇。

初冬や淡き色もて空暮るる。

診察を待つや紅葉の絵を眺め。  馬場路哉

12月7日

 診療所へ定期健診に行ってきました。先生と面談した後、先生が“この間のジャーナルという雑誌持ってきてくれた?”と言ってくださったのです。さっそく“これなんですよ。”と手渡すと、“これはこのままじゃ、もったいないわ。一冊の本にしないと。”近くにいた看護師さんも一緒に見てくださって、“馬場さんすごい。”と褒められてしまいました。なんだか心がうきうきして幼子のように小走りで家路につきました。先生からすると一冊の本にしておくととても読み返しやすいのに・・・。”でも一冊の本にするにはお金がかかるので、とてもそこまではできないのです”とお答えしました。“ありがとう。もらっておくわ”と気さくに言ってくださった先生に何度もお礼を言いながら診察室を出ました。

これを手渡すのは少し勇気が必要だったからです。忙しい先生ですし、病気以外のことで失礼かなと考えたり。でも神様が私の背中を押してくれたのです。長村さんがこうして尊いご奉仕をしてくださっているのにこれぐらいのことができないのか、とでも言われた思いで、先生にお手渡したのでした。いつもは低い血圧がそんなことを考えているので、いつもは102ぐらいしかないのに今朝の血圧は128もありました。伝道する難しさを痛感いたしました。でも気持ちは晴れ晴れしていますよ。今日一日感謝して過ごせますね。

草刈り̪し広き野原の霜白し。

葛城の裾広々と山眠る。

あれこれの恵み感謝すクリスマス。

猫の来るヒバのてっぺん剪定す。(虎ちゃんはもう我が家のどの樹にでもてっぺんまで登ります。)

鳥の声喜びあぐるクリスマス。  馬場路哉

12月9日

 昨日、息子が遅くなって帰ってきました。“どんなに遅くなっても、お帰りとお疲れさんは、我が家の決まり言葉です。すると息子はいつもは“ただいまだけなのに、今日はもう少しで正面衝突しかけたのでめっちゃ怖かった、と詳しく内容を聞くと、どうも相手の車の運転手さんはお酒を一杯飲んでいたように感じた。というのです。猛スピードで中央の車線をはみ出して突っ走ってくるので、こちらは精いっぱいキープレフトをして、思い切り大きな音を鳴らしたら、よろよろしながらまた運転をし始めたというのです。接触事故でも起こしたら大変な事態になりますし、いくら、相手が悪いとはわかっていても気分がすぐれませんから、ほっとしたと言っていました。今でもまだお酒を飲んで運転する方がいるのですね。

今朝も出かける息子を見送りながら、事故にあいませんようにと、祈って送り出しました。

 

馬場暁美 

上野緑ケ丘教会会員


眸(ひとみ)

 

  白内障の手術を受けて6年目になりますが、ここ数年、目の調子がよくないので、また手術をすることになりました。年内は予約でいっぱいで年明け早々の予約になりました。インフルエンザの予防接種やコロナの5回目の接種を済ませてからにしましょう、といお医者様からの提案でそのように決めました。お祈りください。「美しい朝にさん」に励まされています。寒くなりますね。皆さんのご健康をお祈りしたします。 愛媛県 WSさん 

  冬の青空の朝を迎えることができました。子供たちを送り出し、ほっとした気持ちで、パソコンを見ています。今日も無事で過ごせるようにとお祈りしています。主人も子供たちも元気でいるのが、本当に感謝なことと思います。高校時代からの友人のお子さんはアレルギー性の病気があり、お部屋の掃除、食材には気をつけるの日々・・・、本当によく頑張っていると驚きです。他県にいるので会うことは出来ませんから、パソコンで連絡しあっています。携帯は便利ですが、忙しくしている友ですから、メールなら、時間を見つけて読んでくれるし、少し長めの文章になっても、お互い気が楽なのでそうしています。私の日課の「朝、晩の祈りの時間」には、いろいろのことを思い、祈れるのが感謝です。もう青森は深い雪です。 青森県 TTさん

   今は高校受験の準備中の息子は、息抜き時間?には幼稚園の頃から拾い集めた枯葉やどんぐりや松の実など集めた日時や場所を丁寧に記録し、シールを張って収集ケースにいろいろと種類に分けて整理することだそうです。主人の転勤でいろいろの所に行きましたが、それを楽しんでいたのですかね。整理、整頓の苦手は私の息子がどうして・・・?と今も不思議に思う大きな謎です。今はスマホで写真を撮り、整理するそうです。私にはすべて、想像できない別世界で楽しそうに過ごしています。長く伸びた髪の毛の奥の瞳が輝いています。近くにある保育園の園児のポケットに枯葉を詰め込んで喜んでいる子供の姿を見て、幼い頃の息子を思い出しています。そのような専門の勉強がしたいと勉強を頑張って?います。健康であってほしいと祈っている私です。  佐賀県  SKさん

 

<身近な出来事を「眸」に投稿してください> 編集子

 

<岡山県のSKさんから手作りクリスマス会のメールが送られてきましたので、1月号に間に合いましたので、ほんの一部をご紹介いたします。2月号に、もう少し詳しくご紹介いたします。編集子>

・・・。手作りクリスマス会は、思いがけず、お声をかけた3名の方が、お友だちを誘って来てくださいました。8名になり、私たちを含めて10名になりました。・・・。


十戒と主の祈り      

鈴木英昭著

        (元日本キリスト改革派名古屋教会牧師)

 

主の祈り(文語)
天にまします我らの父よ
願わくは
み名をあがめさせたまえ
み国を来たらせたまえ
み心の天に成る如く地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を今日も与えたまえ
我らに罪を犯す者を我らが赦す如く我らの罪をも赦したまえ
我らを試みに遭わせず悪より救い出したまえ
国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり
アーメン

 

=御心=

第三の祈り③・御心に従う姿勢

       使徒21:10~14

 

 「御心の天になるごとく地にもなさせたまえ」の祈りは、神の御心が明らかにされ、その御心に心を向け、そして御心に実行させていただく求めが含まれていることを学びました。今回は、御心に従う姿勢について考えます。

 まず読んでいただきましたように、パウロは第三回伝道旅行の帰途にカイザリアに着きました。エルサレムに向かおうとして、伝道者フィリポの家に幾日か滞在した時のことです。その時、ユダヤからアガボという預言者が下ってきて、パウロの帯を取り、それで自分の手足を縛って言いました。

 「聖霊がこうお告げになっている。『エルサレムでユダヤ人はこの帯の持ち主をこう縛って異邦人の手に渡す』」(使徒言行録21:11)。

 これを聞いた弟子たちは、その土地の信者たちと一緒になって、パウロにエルサレムに上ることは危険であると言って、上らないようにと、しきりに頼みました。アガボの預言が神の御心であると考えたからです。しかし、それに対して、パウロが次のように答えたため、人々はそれ以上語らず黙ってしまいました。

 「泣いたり、わたしの心をくじいたり、いったいどういうことですか。主イエスの名のためならば、エルサレムで縛られることばかりか死ぬことさえも、わたしは覚悟しているのです」。パウロが私たちの勧めを聞き入れようとしないので、わたしたちは、『主の御心が行われますように』と言って、口をつぐんだ」(13)。

 パウロがアガボの言葉と人々の忠告によって、思案したり動揺したりすることがなかったのは、すでに彼自身が神の御心を知らされ、それに従うつもりでいたからです。「投獄と苦難がわたしを待ち受けている」(同20:23)との聖霊の御告げを受け、備えができていたからです。

 マリアが天使から受胎の告知を受けた時、そんなことはあり得ないと思いましたが、神の力によって起こるという御心を知らされた時、それに従うことを決意し受け入れました。

 このように、明らかにされた御心であっても、それを理解するのは困難であったり、時間を要することがあります。しかし、御心に従う思いがなければ、御心がわからないままになり、御心をなすことのないままになってしまいます。この第三の祈りはそのようなことがないようにという祈りでもあります。

 それで、使徒パウロはこう述べています。

 「あなたがたは世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神が喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい」(ローマ12:2)。

 試練から逃れる道を備えられているという御心、(Ⅰコリント10:13)を信じないため、御心を行うことができずにいることがよくあります。


バラ・マカルピン 日本伝道百年史

       水垣 清著

 (元中津川教会牧師・元「キリストへの時間」ラジオ説教者)

 

23  ミッションの引揚・・2・・

 先の宗教団体法によって、南長老教会ミッション所属の伝道所中、宗教法人に認可されず、宗教結社として扱われたものに津島、名古屋西、安城の諸伝道所がある。こうしてミッションの自主的・信仰的宣教の自由は制限されるとともに、全て英国や米国に関係のある団体、個人はスパイの嫌疑ありと見られるようになり、救世軍、YMCA、宣教師関係集会、ミッションスクールは、疑惑の目で官憲の取り締まりの対象となったのである。

10月17日には、皇紀二千六百年に当たるというので、国内は日本の超国家主義の高調と相まって、キリスト教会連盟主催の「二千六百年奉祝キリスト教信徒大会並びに全教会合同宣言」などが行われるという有様であった。日本軍部の外国人に対する圧迫は、学校、教会などの教育、宗教施設から宣教師を放逐せよと命じた。

日本と米国との国際関係はますます風雲急となって、いつ戦争が起こるかわからない危険な状態となっていた。この10月、米国国務省は米国民の婦人や子供を日本から引き揚げるように勧告し、ミッションも全宣教師の引き揚げを決定した。

11月には名古屋の金城女子専門学校にも、教職として奉仕していた全ての宣教師が帰米して、外国宣教師は一人もいなくなった。JA・マカルピン氏はこの年が最初の休暇の年であった。12月28日、にった丸(新田丸)で帰米された(この船は翌年12月8日、日本戦争開始とともに撃沈された)。

在日宣教師も1938年(昭和13)には566名、1939年(昭和14)には539名、1940年(昭和15)12月193名に減じていった。特に南長老教会の宣教師として1941年(昭和16)12月8日の日米開戦時に、なお日本に留まっていたのは神戸のWH・マヤス博士夫妻、WA・マキルエン博士夫妻と徳島のE・ランプキン女史であった。そして1920年、マヤス博士は警察に拘引監禁され、マキルエン博士も拘留所に半年間拘留され、マヤス夫人、マキルエン夫人、ランプキン女史は自宅に軟禁された。LW・モーア宣教師は開戦前の12月1日、日本船でアメリカに帰る途中、戦争となり、再び船は日本に引き返して横浜拘留所に同師は収容された。帰米したJA・マカルピン氏はオクラホマのスチルウオーターやコロラドのボルダー、バークレーで海軍軍人日本語の教師として奉仕を1941年から1946年7月末まで続けられた。

(写真・・・RE・マカルピン宣教師が援助されていた金城学院・・・1920年)


「いのり」

 

わたしは教会に行き始めて16年目になりました。一昨年のクリスマスに洗礼を受けました。なかなか決心のつかない理由に、「永遠の命と救い」が分からない、信じられない気持ちがあったからです。その迷いを解決してくれたのが、お父さんと一緒に洗礼を受けたいという一言でした。この2023年も娘の一言で、ああクリスチャンなんだという喜びで、歩み始めました。・・・。  山梨県 TTさん

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    祈り

私がキリストの キリストの 

 御言葉を聴くように 御救いを受けるようにと

  御神に捧げられた祈りよ まことの愛に満ちた祈りよ

私がキリストの キリストの 

 御後に従うように 御愛をたたえるようにと

  御神に捧げられた祈りよ まことの愛に満ちた祈りよ

 

    ふたたび

御愛を忘れようとする わが魂にふたたび

 十字架の上で苦しむ キリストの御姿をば見させたまえ

みもとを離れようとする わが魂にふたたび

 十字架の上で語る キリストの御言葉を聞かせたまえ            

御心に背こうとする わが魂にふたたび

 十字架から落ちる キリストの御血潮を注ぎたまえ

 

=水野源三著第四詩集より=

      


聖霊とその働き   

           エドウィン・H・パーマー著      

鈴木英昭訳

        (元日本キリスト改革派名古屋教会牧師)

 

第1章   聖霊と三位一体

 

Ⅲ 聖霊は父と子から区別された神としての位格を持つ

 

 聖霊の人格とその神性を信じていながら、三位一体の統一性を極端に強調したため、神には三つの区別される位格のあることを否定する人々が、教会の歴史にはいた。三世紀には、彼らは父を創造の時に現れた神、子をそれ以後の歴史の神、そして、最後に出現する神が聖霊であるとしてた。彼らの見解によると、神は同時に三つの位格としては存在せず、ある時は父と呼ばれ、別の時には子と呼ばれ、また違った時には聖霊と呼ばれたのであると言う。そうでなければ、父が初めに子に変わり、さらに後に聖霊に変わったと言う。

 

 こうしたものも聖書の啓示から離れた考えである。神には三つの区別された位格があり、同じ神の単なる違った現れ方ではないことを、はっきり指摘している聖書の個所が幾つもある。例えば、イエスが洗礼を受けた時、父の声が天から響いて、「あなたはわたしの愛する子、私の心にかなった者である」と言い、それと同時に、聖霊ははとのようにイエスの上に下った。この三位一体が同時に現れたのであるから、神を単一のかたと解釈することは出来ない。同じことはイエスの次の言葉についても言える。「わたしは父にお願いしょう。そうすれば、彼はあなたがたに別の助け主を与えて下さるであろう」(ヨハネ14:16)。同様に使徒行伝2章33節は、次のように三位格の相違をはっきりと言い表している。「神の右に引き上げられて、彼(すなわちキリスト)は父から約束の聖霊を受けた」。

 

 一つの位格だけでなく三つの位格を持っていることは、確かに祝福である。この三位格は豊かな三位一体をなしている。なぜかと言えば、私たちを愛して育てて下さる父がおるだけでなく、私たちの救いを獲得し、とりなしてくださるキリストもおり、私たちの内に住み、救いを私たちのいのちに適用する聖霊がおってくださるからである。 

 


 『ほっとひととき「みんなのコーナー」』  

 

  朝霧で水墨画のような山間に住んでいます。庭の南天の実が真っ赤に色づいてきて冬の到来を伝えています。今朝は3度まで下がりました。石油ストーブとエアコンを同時につけて部屋を暖めました。でも、なかなか布団から抜け出られませんでした。最近は主人の希望で、白菜やニンジンや大根、巡回のスーパーのお店で買い求めたつくねや魚の切り出しなどで買い溜めしておき、鍋物が食卓の中心になりました。夫婦二人ですから、そのお鍋に毎回、大根などを加えて、追い焚きしているので、お味が染みた「おでん」みたいです。そうそう、私の好物のちくわと、うずらの卵は欠かしたことはありません。口の中につるんと入り込み、ふうふう言いながら食べています。体が温まります。私たちのクリスマス料理?なのです。   島根県 LKさん      

  こんにちわ。「つのぶえ」は通勤時間に読んでいます。朝の通勤時は、今日も仕事に頑張ろう!帰りは、疲れを癒してくれますのが、皆さんの投稿です。駅から家までは車ですから、電車の中の時間はとても貴重です。最近は、寒いので、家族の希望は、暖かい鍋物です。ほとんど、野菜たっぷりの母の手作りです。お洗濯や掃除や買い物は、一切母にお任せです。夕食は、家族の決め事で、一緒に・・・・がお決まりで、夜の9時になりましが、主人(地方公務員)も子供たちもその時間には帰宅しています。後片付けは、母以外で行います。これも我が家のしきたりです。お風呂の掃除は、私が長湯好きなので私の御役目?です。祝日は、子供たちの自由時間で、お友達と出掛けています。2023年、「ジャーナル友さん」の上に神様からの祝福が豊かに与えられますように、お祈りいたします。老眼の助けを借りて好きな図書館の職員として皆さんのお役に立ちたいと頑張って?います。  埼玉県  TBさん

  私は祖母から続くクリスチャンです。テレビでは多額の献金、信者二世の方の問題が深刻な問題になっていますが、私は祖母や母に強制された経験がありません。極く自然に幼いころから兄弟3人教会に行っていました。恵まれた環境と言えます。教会では、お兄さんやお姉さんたちの後に着いて回っただけです。主人とは教会で出会い、好きになり、結婚です。兄弟二人もクリスチャンの方と結婚していますので、今の深刻な問題のことは理解できませんが、もし、祖母や母から強制されていたらと思うのです。 神奈川県 KKさん      

  小学4年の娘が家の近くある公園から松ぼっくりやどんぐりを拾い集めて机の上にならべ、リスさんの食卓ができたと喜んでいます。枯葉でふわふわのベッドを作って、トナカイさんのお布団ができたよとはしゃいでいます。娘いわく、トナカイさんは世界中を飛び回っているんだよ・・・!。疲れているんだよね、というのです。  奈良県 HHさん

 

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  最近、日曜学校のクリスマスのことを考えることがあります。日曜学校で賛美した“うれしいうれしいクリスマス”とか、“お星が光るぴかぴか”が、動作付きで練習していたことを思い出されます。それにイエス様がお生まれになられた降誕劇は懐かしく思い出されるのです。巷では、クリスマスツリーが飾られ煌びやかですが、救い主イエス様がお生まれになったことを知っている人たちは何人いるでしょうか。大人の祝会でも、グループに分かれて讃美歌の歌い合い会をしたり、思い出を話し合ったりして時を過ごしました。あの人にはそのような思い出を持っておられるのだ、と一層親しみを感じることができました。コロナ禍はそのような交わりの時を奪ってしまいました。幼い子供たちにそのような思い出に残るクリスマス会をと思いました。でも不思議です。近くの市の幼稚園からはあの懐かしい歌が聞こえ、教室には飾り付けがあるのです。

  私がいる有料の老人ホームのホールには大きな画面のテレビが置いてありますが、普段はそのホールには誰もいませんのに、ワールドカップサッカーが始まってから、自分の部屋にテレビがあるのに(私もありますが)、数名の方が試合を見ています。今まではお会いしても黙礼があればいい方ですのに、やはり世界レベルの試合はどれも面白いですねと、声をかけられ、うれしくなりました。若い頃、サッカー部に入っていたとかで、とても詳しく、いろいろ教えてくれました。私は見ているだけファンですが、サッカーでテレビを見た後からは、ホールでお目にかかるようになってから、読書好きであることやご家族のことや、今の自分の健康の心配ごとなどをお話しするまでに親しくなりました。サッカーが取り持つ縁で、お話仲間ができました。私は女学校では軟式テニス部の補欠でしたが、今でも少なくなったその時のお友だちとは、友情を深めています。

  今年も、小さな病気は致しましたが、それでもクリスマスをお迎えすることができそうで、感謝です。主人は血圧が高めで、お醤油制限しています。どんなおかずにも、たっぷりと醤油でしたから、病院の先生から注意していただけて、守っています。私はケーキが大好きで、私も控えるようにと言われましたので、泣く泣くショートケーキ1個にします。健康?で2023年を迎えることができそうです。

  孫娘が写真のようなクリスマスの飾り付けをしました。飾りは顕現日の1月6日まで飾っておきたいと思いつつ、日本の文化の牽引力が強く、毎年、ぎりぎり年末になると箱にしまいます。飾りを見ていて、クリスマスに聖家族や羊飼いや博士たちが一堂に会したわけではないのだなあと気づきました。東方の博士たちが星に導かれてキリストを礼拝した日は12日後の顕現日なので・・・。いろいろと思い巡らし黙想することができました。  「信州のジャーナル友」より

  ・・・お詫び・・送っていただいた写真ですが、編集子の技術不足で、縦位置の写真になってしまいまました。「信州のジャーナル友」さんは削除でもいいですと言ってくださいましたが、お孫さんの作品ですから、お詫びして掲載いたします。

この文章は、全て投稿者から掲載許可をいただいております= 編集子


    『ありがとうございます』

 2022年も、神様のお導きとお守りを豊かに頂き、皆様に2023年1月号として「つのぶえジャーナル」をお届できますことを心から感謝いたします。信仰の友に、この「ジャーナル」をお貸ししたら、私も読んでみたいと言われ、コンビニでコピーしてお渡しましたが、大変身勝手ですが、友人に「贈呈」していただけませんか、というお便りを、今年も数名の方からいただいてきました。本当にうれしい申し出でに、毎月、喜んでそうさせてきました。これも、皆様のお祈りの励まし、献金、寄付金をいただいてのことです。心から感謝いたします。ここに、2022年11月16日から2022年12月15日までにお送りくださいました方々の報告をさせていただきます。

     

宇佐神正武様 加納さおり様 小川 清様 荒川淳一様 山下洋子様 佐藤のり様 馬場暁美様 匿名1名様

*寄付金口座…郵振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社 

また、お便り下さる方やお友達への紹介はこのメール アドレスをご利用ください。多くの「ジャーナル友さん」が与えられるように願っています。

    osamura@kind.ocn.ne.jp 

*「つのぶえジャーナル」はこれをご利用ください。

http://tunobue.blog.shinobi.jp      

(米国南長老教会文書伝道事業)刊行責任者

   つのぶえ社代表   長村秀勝

「つのぶえジャーナル」の文書伝道事業は、キリスト教の名の下に行う霊感商法など旧統一教会・歴史的キリスト教の聖書を軽視するエホバの証人の団体とは、一切関係はありません。どうぞ一人で抱え囲まずに公的機関か伝統的キリスト教会か、「つのぶえジャーナル」宛にご相談ください。

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緑を大切に!
お気持ち一つで!
守ろう自然、育てよう支援の輪を!
書籍紹介
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エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

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教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
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「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

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「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
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「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
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われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

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さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

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