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ほっとひととき『みんなのコーナー』
☆ 先月、眼の手術をしました。まだまだ、通院があるので大変だけど~疲れます。介護の仕事ですから休めません。職場の皆さんもお互い様よ、と言ってくれる言葉に支えられて働いています。シングルですから・・・。 山口県 K・Kさん
☆ 体の不調が続き入院していましが、今は感謝なことに退院して、体力に見合ったウオーキングが出来るまでになりました。お馴染みの手作りのパン屋さんにも行けるようになりました。 これから天候もよくなるでしょうから、焦らずに日々を送ります。近況報告です。 静岡県 T・Yさん
☆ 私たちはスポーツが好きで、夫婦でテニスをしていました。でも最近はコートに行く機会が少なくなりました。今は女子サッカーの試合をテレビの前で夫婦で見ています。今朝もアジアカップを見ていました。食事の時やお茶の時の話題は試合の感想になるのです。敗けると口数が少なくなります。75歳の夫婦です。 東京都 B・Hさん
☆ 私の処は、お茶処で、周りは茶畑です。忙しく茶摘みをされている様子を見ています。私は今は手を痛めて引退しましたが、70歳まで現役でした。それでも子供たちのために主人と楽しみながらお茶は作っています。お茶の消費は減って、高級茶を外国向けに作っていますが、販路拡大なのと、より良いお茶を求めて、皆さん励んでいま。実際には良いことなのかもしれません。そんなことを思って外を眺めています。 京都府 M・Kさん
☆ 小学生の娘二人は、体験学習とかで学校がお借りしている水田に田植えに行ってきました。普段、土に触れることの少ない子供たちには、あの土の感触と泥まみれになれたことの喜びようは、なかなか治まらず、夕食時間でも大盛り上がりでした。娘たちも楽しい一日となり、爆睡で寝ぞうの悪いこと、悪いこと・・・。先生方や農家の方には本当に感謝な思いでいっぱいです。 東京都 L・Hさん
*このコーナーは、すべて投稿者から掲載の許可をいただいております。
編集子
『ありがとうございます』
2018年も6月になりました。これから本格的な梅雨入りになります。体調管理が求められます。新しい環境でお過ごしの方もおられるでしょうが、心身の疲れを覚えるときでもあります。近くにある保育園の子供たちの登園時の、行きたくないよう!ママア~と泣き叫ぶ声が聞こえ始める時です。子育ての大変さを体験するお母さんやお父さん、頑張れ!!と応援したくなります。「新」とは「辛抱」の「辛」のことなのだろう、と思うこの頃です。
「さんびか物語」の連載も今月号で終了いたしました。7月号からは「十戒と主の祈り」を連載いたします。ご期待ください。
2018年4月16日から2018年5月15日までの「つのぶえジャーナル」事業への寄付者の報告です。感謝いたします。
伊藤和夫様 山添静香様 岡田千歳様様 佐藤のり様 山中こずえ様 加納さおり様 匿名2名
郵振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社
お便り下さる方はこのメール アドレス osamura@kind.ocn.ne.jp をご利用ください。
「つのぶえジャーナル」(http://tunobue.blog.shinobi.jp)(米国南長老教会文書伝道事業)刊行責任者
つのぶえ社代表 長村秀勝
今月のことば
朝はやく、夜の明けるよほど前に、イエスは起きて寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。
~マルコ1:35~
私たちの日々の生活の中に、人とのかかわりの最初は、「挨拶」であると言えますが、家族がいてもそれがない日々、一人生活の人の朝に横にいる飼い猫という方もおられます。人それぞれと言えます。
私の「挨拶」はまずご先祖様のための仏様だとお思いになられる方もおられましょう。ご商売をされている方の最初は、家族との挨拶よりも、神棚に手を合わせるという方もあったり、大会社の社長室にも、立派な神棚のあるのをテレビで見たことがありました。
クリスチャンの最初のご挨拶は、神様への感謝と今日のお導きを祈り求める生活は、信仰生活の基本であり土台であります。
神様の戸口と、神様のみ心は、常に、祈る者のために開かれています。私たちの天の父は、私たちの嘆き、私たちの呟き、私たちの祈りを聞いてお疲れになることはありません。けれども特に、祈りにふさわしい時があります。祈りたいと願う者にとって、朝は、一日の中で、もっとも良い時であります。
草の葉も花も、夕べとなり、夜の冷たさが近づくとしぼんでしまいます。けれども、夜が明け、朝になると、たちまち、また開くのです。同じように、私たちの魂は、朝の明け時に開くのです。その時、私たちは祈りに導かれるのです。
その時に、神様とまみえる者こそ、一日をキリスト者らしく生きるに必要な霊的なお力を求め、そして頂くのです。神様は、私たちの必要なものをお与えくださいます。しかし、私たちの方には、神様がお与えくださるものを受ける用意が出来ていない時が多々あるのも事実であると思います。
聖書には祈り人のことが記されています。ダビデは朝が彼の祈りのときであると知り、このように言っています。
「なんじにわれは祈らん、おお神よ、朝になんじ、わが声を聞き、朝に、われ祈りをなんじにささげん」。
私たちの日々の生活は、祈りを奪い、妨げるものばかりです。その日々に打ち勝つために、「朝の祈り・夜の祈り」を多忙な生活から勝ち取りましょう。
小閑記
ご自身のみ子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして。み子のみならず万物をも賜わらないことがあろうか。
~ローマ8:32~
私たち信仰者が、人生のこまごまとしたことを恐れたり、案じたりするのを見るのは、不思議なことでもあり、また悲しむべきことでありますが、それが信仰の姿であります。
しかし、まず私たちは、神様は世を造られる前に、恵みによって私たちのことを思いはかられたことを信じており、主なる神様は、そのみ子のお命を私たちのために与えられたことを信じております。
私たちはまた、主のみ名による、罪の赦しを得ていること、主は私たちを、「神の子」とせられたことを信じております。しかし、神様が私たちのためにしてくださったすべての大いなることを、いや、その大いなることの中でも最大切なことを信じている事実にもかかわらず、私たちは人生の日ごとの重荷を運び続けているのです。
私たちは神様は救い主であると信じていますが、私たちの父としての神様を信頼しません。私たちは神様が失われた罪人のために、天国を開いてくださると信じていますが、私たちの日ごとの生活において、神様が助けてくださることを疑つてしまいます。自分と自分の家族はどうなることかと父親は憂い、考えます。何もしてやれなくなったら、子供たちの世話は誰がするのだろうかと母親は0嘆きます。
私たちが見たことのない日、また決して見ないであろう日を、私たちは不安と言い、重い荷物と肩に背負っていると思います。私たちのために面倒を見ると神様が約束されたことについて、私たちの方で疑うのです。主は私たちに、なにも心配することはない、すべての心労を主に委ねなさいと言っておられます。
この神様の愛と約束と招きの言葉を、生涯持ち続ける日々でありたいものです。
世田谷通信(176)
猫草
先日「トヨタの森」というトヨタ自動車の社有林を訪問した。里山環境教育の場として様々なプログラムを実施していることに興味を持ったからだ。豊田市の一角45haという広大な敷地内には色々なエリアがある。ムササビやイノシシ、シカ、フクロウ、稀少な昆虫や植物、多様な生きものが暮らしている。
インタープリターの方は野鳥に詳しい方。丁寧に、広い森を案内してくださった。里山の管理手法を比較実験しているのが興味深かった。下草刈りで整備したエリアと、放置したエリアを道の左右に設ける。来訪者は左右を眺めてその環境の差を比較できる。正解はなく、一長一短、試行錯誤していくプロセスが見られるのだ。
朽ち木を根元で伐らず高さ1mぐらい残すと樹皮が自然に剥がれ、木の洞が沢山できて、色んなキノコが生える。そういう場所を好む昆虫の住み処になる。
フクロウの止まり木にするために1本横枝を残し、他の枝を払って広場を作る。伐った枝は一カ所に集め地面に伏せる。そこにフクロウの餌となるネズミや昆虫が集まる。フクロウの狩り場をつくってやるわけだ。
水辺も全部刈らず、まだらに残す。それによって、水草の根元に集まる生きものが住み、それを狙う上位の生きものも来る。
業者さんは仕事なので請けたエリアは全部草を刈るし、雑草は抜き、落葉を集め、丸坊主に枝を伐る。それも都会で車や人の多い場所では必要な管理である。トヨタの森はそういう人間優先の感覚ではなく、色んな生きものがちょっとずつ住めるような仕掛けがたくさんあった。「あえて残す」というのがキーワードになっているように思った。希少種や目立つ生きものだけではなく、目立たず地味で、ありふれた、名すら無い生きものにも、隅っこで生きられる隙間を作ってあげること。
生物多様性ってこういうことかな。ちょっと腑に落ちた。
『美しい朝に』・・43・・
3月15日
こんばんは、久しぶりに真夜中にメールを書いています。天気予報と同時に花粉情報もわかるようになりました。今日も晴れて花粉は多いみたいです。花粉症は、コップの水があふれるようにしてなるそうです。年齢を重ねていくうちに、今まで花粉症ではなかったのに突如、「花粉症」のような症状に悩まされています。暖かくなりはじめたら身体中がかゆくなります。どうも花粉症の鼻のスプレーや目薬では症状はおさまらないみたいです。
血液内科の先生のおっしゃるには、ステロイドはアレルギーを抑える働きが
あったみたいで、ステロイドをITPの治療に多量に服用したことによる症状だそうです。
血小板の数値は増えて「ステロイド」は減らせましたが、アレルギーを抑えていた働きが自分の身体からは作れなくなってしまい、「花粉症」みたいな症状や「更年期症状」みたいな症状が出てきたみたいです。
2014年の9月に血小板が4000しかなくて血液内科に緊急入院させていただき、輸血とステロイドの点滴とステロイド14錠の服用で一命をとりとめました。そしてITP(特発性血小板減少性紫斑病)と診断されました。
難病指定と不快な症状は現在進行形です。
眠れないと余計なことを考えてしまいます。何時も、お祈りしていただいてありがとうございます。
3月16日
今日は1日中雨が降っています。草花にとっても恵みの雨になることでしょう。昨夜は、朝の6時になっても全く眠れなくて朝方に1階まで降りてきて朝ごはんを食べてから3階まで上がり、少しうとうとできました。「甘いもの」も疲れがとれるので「野菜ジュース」を一口の後、食べています。
次回の血液検査は、5月のゴールデンウィーク開けです。神経科は3月20日ですが、病院の売店が「コンビニ」にかわっているかもしれないです。便利に色々揃っているとうれしいのですが・・・。
3月23日
今日は、朝起きるとのどが痛くて体がだるかったので安静に寝て過ごしていました。最近の気温の寒暖の差は激しくて、身体がついていきません。つい、無理をしてしまいますが心して安静に過ごすことも大切だと感じています。
お祈りしていただいてありがとうございます。
3月28日
今日は、35年目の結婚記念日でした。主人と公園に桜を見に行きました。満開でした。とても、暖かくてたくさん子供が遊んでいました。
3月31日
今日もとても良いお天気でした。3月も最後の日になりました。明日はイースタだそうですね。また、家で「キリストへの時間」を聞いてⅠ人で讃美してお祈りしたいと思います。今日、「つのぶえジャーナル」が届きました。更新・印刷・発送とありがとうございました。お疲れがでませんようにお祈りしています。
馬場さんのところの「ワンちゃん」も頑張っているご様子。思わず「頑張れ」と応援してしまいます。
愛ちゃんの写真を整理していて、愛ちゃんが散歩に行けていたころ、主人と愛ちゃんと私で桜の咲く公園で写した写真が出てきました。それで、今年は主人と2人で桜の咲く公園に桜を見に行きました。改めて「愛ちゃん。思い出をありがとう」と言いたいです。
花冷えでしょうか。夜になって冷え込んできました。また、「ジャーナル」をゆっくり読ませて頂きますね。
(このメール文の掲載はK・Aさんの了承を頂いております)
その愛のゆえに
=時々の記=
(145)
3月14日
遠くから見ると土手の一部が薄紫色になっているのです。春の訪れを告げてくれる雑草でも、とても小さな可愛い花ですが土手の一部を埋め尽くして花盛りとなっていました。あまり可愛くてしばらくの間見入りました。そして糸株だけ手に持って帰り家のガラスの器に浮かべました。ちょっとしたごちそうですね。
急な気温の変化に対応しかねておりますがセーターなしで散歩に出かけることができるなんて、うれしい限りです。明日からは大きめの帽子が必要かなと思うほどに陽射しがきつく感じました。
3月15日
気温が上昇して少し動くだけで汗ばみます。とても気持ちがよい一日なので、本当に久しぶり、お布団を干しました。太陽のにおいがいっぱいで、ふっくらと軽くなりました。ようやくお布団を干す気分になりました。犬たちの布団も干しました。歩くことができない犬たちのために補助具を思いつきました。後ろ足が全く使えないので、後ろ足の前の胴体に手ぬぐいを二本つないで犬の胴体を固定してみました。前足で何とか歩くことができていますので、しっかり後ろ足を手ぬぐいで引き上げて、前足はリードで首輪を引っ張ってやると、ほんの数メートルですが、庭を歩くことができます。梅の香りや、沈丁花の香りを少しでも嗅がせてあげようとの、私の配慮です。数分間ですが、一日に三回ぐらいは外に出ることができるようになりました。最後まで飼い主として悔いが残らないように精いっぱいやれることはしたいのです。
3月20日
ツバメがこの雨と寒さにびっくりして、我が家の玄関から一歩も外に出ていません。日本へやってくるのが少し早すぎたとびっくりしているようです。明日もまた冷たい雨との予報です。寒さ暑さも彼岸までと言われていますから、そろそろ安定した暖かさが続くのでしょうか。
絶壁の梅林にある茶店かな。
頼山陽月ヶ瀬の梅読みにける。
笹鳴きや青きたかむら辺りより。
梅白し春か高きをトビ舞ひぬ。
十字架にこそ幸あれとイースター。 馬場路哉
4月4日
四月の明るい陽射しがいっぱいに家の玄関に入ってきます。
そのような中、一晩中、声を上げて苦しんだモモが先ほど、4月4日、午前9時30分に私の目の前で苦しみながら息を引き取りました。あまりにも苦しむので、“神様どうぞ、この苦しみを和らげてください”と祈りつつ、モモが好きだった庭の椿の花の下へ抱っこして連れて行ってあげたり、朝、起きてからモモが好きだったことを思い出して試みましたが、苦しいので、ただ、もがくだけでした。
私が台所の炊事場で後片付けをしていると急に静かになりました。振り返ると、モモが手を高く空に向けてあげているのです。可愛いい瞳をパッチリ開けています。体はまだ暖かいのですが、心音がありません。“モモの体を暖かいタオルできれいに拭いてあげました。そしてお花の柄がとても美しいタオルケットを体にかけてやると、先ほどまでの苦しみから解放されて、今まさに天国へ走って行っているようです。
本当に長い間、一緒に仲良く生活してきたので、モモには感謝の思いがいっぱいです。本当にありがとう。モモ・・・。賢いモモがいなくなったら、私は急に認知が入ってしまいそうなほど頼っていました。ありがとう。モモ。感謝しています。
4月5日
尊いお慰め、お励まし、ありがとうございます。昨日は夢中でしたが、一日経つと、またいつもいるところにいないモモの姿が思い出されます。悲しいですが、たくさんの良い思い出を作ってくれたことにありがとうとお礼を言っています。
モモの死を悼んで。
犬の死になぜ泣かされぬ春の夜。
苦しみて死にたる犬や花吹雪。
西行の夢果たす犬花散りぬ。
犬、17年椿の下に葬しけり。
幻の賢い犬や春の星。 馬場路哉
4月6日
桜の後には山つつじが清楚な中に、美しい青紫色でハットさせられました。春爛漫です。どこを歩いていても小さな花に出会います。今日は初夏に咲く真っ白いシャガイモの花が咲いているのを見つけました。暖かいので季節を間違えたかのようです。今日は山添村では入学式が小学校で行われています。初めての学校生活で子供たちは緊張しきった顔でバスに乗っていました。山添村で今年一年生になるのは20人もいないというのです。高齢化社会の見本のような村に住んでいる私です。
草萌や大地に張れる根の強し。
信徒たち、墓に集へば花吹雪。
梅と棕櫚、古木並びぬ過疎の村。
坂道に転がってをる落ち椿。
慰霊碑や花の吹雪ける川堤。 馬場路哉
明日は山添村の老人会の一日旅行だそうです。私たちは二人とも老人会には入っていませんので、そのようなお付き合いはありませんから、気楽です。隣り近所の付き合いだけでも大変な村ですから、削れるところは思い切って削っています。
馬場暁美
「上野緑ヶ丘教会会員」
解説 ウエストミンスター信仰告白(69)
岡田稔著
(元神戸改革派神学校校長)
第32章 人間の死後の状態について、また死人の復活について
・・・1・・・
1 人間のからだは、死後、ちりに帰り、朽ち果てる(1)。しかし彼の霊魂は(死にもせず、眠りもせず)不死の本質をもっているので、直ちにそれを与えられた神に帰る(2)。義人の霊魂は、その時に完全にきよくされ、最高の天に受け入れられ、そこで、彼らのからだの全きあがないを待ちながら、光と栄光のうちに神のみ顔を見る(3)。また悪人の霊魂は、地獄に投げこまれ、大いなる日のさばきまで閉じこめられ、そこで苦悩と徹底的暗黒のうちにあり続ける(4)。聖書は、からだを離れた霊魂に対して、これら二つの場所以外には何も認めていない。
1 創世3:19、行伝13:36
2 ルカ23:43、コヘレト12:7
3 ヘブライ12:23、Ⅱコリント5:1,6,8、ピリピ1:23、行伝3:21、エペソ4:10(*)
*ピリピ1:23を行伝3:21、エペソ4:10と比較
4 ルカ16:23,24、行伝1:25、ユダ6:7(*)、Ⅰペテロ3:19
*ユダ6,7が正しい。
一 これは死後から復活までの中間状態と呼ばれる事柄で、次の点が主張されている。
① 霊魂の不滅性と自覚性。
② 肉体がちりに帰るように、霊魂は神に帰る。しかし、それは肉体の素材が土であるというのと同じ意味で、霊魂が神の一部だとか、神と同質だとかいう意味ではない。むしろ、肉体が霊魂を離れた瞬間、置かれている場所が地上であると同様に、霊魂の入る場所は神のいます霊界であるという意味にとるべきであろう。
③ この神のいます場所(あるいは神の直接の支配下)は二つに区別され、一方は天の国、他方は地獄と呼ばれているところで、どちらも地上あるいは、この世とは異なるところである。復活後の神の国また地獄は、この世と場所的にも時間的にも異なる永遠的世界であるが、ここに言われている天(パラダイス)と地獄(ヘル)は、時間的には異なる世界と見なければならない。
④ この二つの区別のある世界へは、死後直ちに入るために、このうちのどちらかに入るかは、まったくこの世という共通世界での人間の全態度がこれを決定する(これはアルミニアン的な意味で言うのではない)。その人をどちらに入れるかは、まったく神の意志によることであるが、人の地上生活のみが、神の提示した救いと滅びとに関係する条件を満たすか犯すかについて決定する機会であることはコリント人への第二の手紙5章10節で明言されている。世界と言うのは、場所でありまた状態の意味でもある。とくに霊魂については後者と考えたい。
2 終りの日に生存している者は、死を味わわないで変えられる(1)。死人はみな異なった性質をもってではあるが別のものではない全く同じからだをもってよみがえらせられ、彼らの霊魂に再び永久的に結合される(2)。
1 Ⅰテサロニケ4:17、Ⅰコリント15:51,52
2 ヨブ19:26,27、Ⅰコリント15:42-44
二 これは死者のよみがえりと呼ばれるときのことについてで、終わりの日は主の大いなる日とも呼ばれる。これは、いくらかの予兆が現れた後ではあるが、長い期間に成立する事柄ではなく、瞬間に起こる変化であると考えられる。それは、生存者にとっては「変化するとき」であり、死者にとっては「復活のとき」である。また、このことの後には、救われた者は生存者も死者も区別のない「新人類」の一員となるものと考えられる。
すなわち、復活後の自分の肉体は、死ぬ前のもの、あるいは「変化する」前のものと性質は変化はしているが、別物ではないし、霊魂(現代的には、人格と言う概念がぴったりする)も、同一のものでありながら、罪ある状態から聖化された状態に変わっている。そしてこの新人類こそ栄光化された姿である。
さんびか物語 ・・・50・・・
(広く愛唱されている50曲)
ポーリン・マカルピン著
(米国南長老教会婦人宣教師)
讃美529番
ああうれし わが身も
<神様のみ言葉>
「パウロであれ、アポロであれ、ケパであれ、また世界であれ、いのちであれ、死であれ、また現在のものであれは、未来のものであれ、すべてはあなたのものです。そして、あなたがたはキリストのものであり、キリストは神なのです」。
~コリント人への手紙第1、3章22~23節~
讃美歌529番“ああうれし、わが身も”の作詞者フランシス(クロスビー)・J・ヴァン・アルスタインは、アメリカでは大変よく知られている福音聖歌の作者であります。また、この讃美歌は、ゴスペルソングの代表的な、そして信仰深いものであります。
彼女は、1820年3月24日ニューヨーク州のサウスエンドという村の貧しい家庭に生まれました。生まれてまだ6週間目に、田舎の医者の誤った手当てによって、盲人となり一生涯、光を知らずに過ごしました。しかし彼女は、自分に起こったことについて、一度も不平を言わず、実に明るい愉快な人であり、他人の同情を拒んで自分の周囲をいつも明るくしていました。そうして、彼女の素晴らしい信仰から、泉のように主イエス・キリストによる救いと喜びを歌った聖歌が清い川のように彼女のペン先から流れて行きました。
彼女は12歳の時、ニューヨーク市にあった盲学校に入学し、そこを卒業後、その学校の教師となりまして、11年間、そこで熱心に目の不自由な子供たちを教えました。彼女は、38歳の時に盲人の音楽家アレキサンダー・ヴァン・アルスタインと結婚しました。それから彼女は教師を辞めて主婦としての生活を95歳の高齢まで続けました。
また彼女は、非常に若い時から詩を書くようになり、その最初のものは讃美歌ではなく普通の物でした。彼女の讃美歌の原作が初めて発表されたのは、彼女の8歳の時でした。アーサ・サリバン(讃美歌483をご参照ください)を思い起こさせます。彼女はその時以来、多くの詩を書きましたが、特に盲学校で教師をしていたときに、いろいろな詩の本を発表しています。
彼女が41歳の時に、初めて有名な音楽家ウイリアム・B・ブラドベリ(讃美歌310番をご参照ください)に紹介されました。その時にブラドベリが、彼女に是非讃美歌を作詞してほしいと依頼したことによって、初めて讃美歌の歌詞を手がけました。そうして、彼女の召される1915年までの長く尊い生涯を用いて、聖歌をおおよそ8000ほど作詞いたしました。
1954版の讃美歌には、彼女の物が8曲収められていますが、495番“イエスよ、この身を”、517番“われに来よと主は今”、524番“イエス君、イエス君”などは、よく歌われる福音唱歌であります。また伝道集会で必ずと言うほど歌われるのが493番“つみの渕におちいりて”であります。そのうえ彼女の曲CROSBYは、讃美歌492番の“かみのめぐみは いとたかし”、210番“きよきところを”に用いられて広く歌われています。
たとい彼女の作品が、文学的には一流のものと認められていなかったとしても、その分かりやすさ、非常に信仰の熱心に満ち溢れている素晴らしさは、何にも代えられません。また、聖書のみ言葉を、いつも讃美歌の背景に用いている彼女のゴスペルソングは、ただ熱心であったというばかりでなく、み言葉にいのちのあるように、いのちがありました。
彼女は幼い時に旧約聖書の最初の4巻と4福音書を暗記していましたから、み言葉に対する熱心さとみ言葉の上に立って書く詩は、その貯えられたみ言葉の財産から自由に引き出し、用いました。これこそ彼女の深い信仰の基となって、今日でも多くの人々に祝福を与えています。
讃美歌529番の曲BLESSD ASSURANCEですが、作曲者はやはり作詞者フランシス・J・ヴァン・アルスタインの友人であったアメリカ人の歌手フィービ・P・ナプ(1839~1908)で1873年のある日、彼女はこの曲を作って、フランシスに聞かせたところ、早速この曲のために歌詞を作ったそうです。彼女は、時々このように曲を聞くと即座に詩を作ったりしました。これも彼女の神様からの才能であり、喜びの一つでもありました。
深い信仰に立つ美しい讃美歌を日本語訳と原作を比較しながら味わいましょう。
<529>
1 ああうれし わが身も
主のものとなりけり。
うき世だにさながら、
あまつ世のここちす。
(おりかえし)
うたわでやあるべき
すくわれし身のさち
たたえでやあるべき
みすくいのかしこさ。
1節ですが、その前にこの讃美歌のタイトルと曲名が同じであります。これは、めったにないことで、これは、二人の主にある交わりをはっきりとあらわしていると私には思えてなりません。
BLESSD ASSURANCEを訳しますと、“幸なる保証(確信)”と言えましょう。作詞者はこの1節において、何をこの“幸なる保証”としているのでしょうか。それは「キリストは私のものであり、私はキリストのものである」という一体性の中にあることを歌っています。また、この幸いの確信は、神様が与え給う祝福と栄光の先取りであり、私は救いの世継ぎ、神様に買い取られた者、聖霊によって新たに生まれかわらせられた者、キリストの血にきよめられた者であると歌っています。
このように、原作では救いの大黒柱である主イエス・キリストの十字架の贖いの血と聖霊による回心を強調しています。実に強い信仰の告白と言えます。
“おりかえし”は、日本語訳の方が、強いものがあると私には思えます。原作では、一つのことを二度繰り返して歌っています。それは“わたしの思いとわたしの歌はただこれです。一日中わたしの救い主をほめたたえることである”と言うことであります。
日本語訳では、歌わざるを得ないのは、救われた身の喜び、たたえざるを得ないのは、み救いのかしこさである、という神様の救いと恵みを歌っています。実に素晴らしいことと思います。
私たちもここで、自分自身が本当に主にとらえられているかどうか、主イエス・キリストの血によって清められているかどうかを、よく考えてみる必要があると思います。眠った信仰、喜びのない信仰から悔い改めて、この尊い宝をしっかりとつかむことは大切であります。その上に立って、多くの人々に証しして、隣りの人々にも喜びを味わい知っていただくように努力しなければなりません。本当の信仰の喜びを知っている人でありますなら、それを宣べ伝えずにおれないのが、信仰の喜びであります。
2 のこりなくみむねに
まかせたるこころに
えもいえずたえなる
まぼろしを見るかな。
2節の中心の言葉は、まったき服従であります。日本語訳では、“のこりなくみむねに、まかせたるこころに”と歌われています。この服従の模範を主イエス・キリストに見ることができます。イエス様はゲッセマネの園で「父よ。みこころならばこの杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください」(ルカ22:42)と祈られた如くであります。あるいはまた「わたしに向かって『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者がはいるのである」(マタイ7:21)と群衆にお教えになったとおりであります。
神様に対する全き服従は、クリスチャンにとって逃れられない義務ですが、最大の喜びの義務であります。服従によって、昔、ヤコブがベテルで天の使いが一つの梯子を上り下りしているのを見たように、私たちも幻を見るでしょうと作者は歌っています。
もちろん、これは実際的ではなく、神様が私たちの近くにいたもうことを体験することを意味すると思います。私たちは、このような経験によって、はじめて服従に伴う祝福を味わい、キリストのものであることの確かさを持つことができるものと思います。
3 むねのなみおさまり、
こころいとしずけし。
われもなく、世もなく
ただ主のみいませり。
3節の中心的なテーマは、主にある全き心の安息であります。日本語では“むねのなみおさまり、こころいとしずけし”と美しく歌っています。すべてをキリストにお任せしたその人の心は、不安や悩みの波は治まり静かになるのであります。原作にありますが、主にある―その人―は祝福されて、キリストの愛にはぐくまれて日々を過ごすのであります。また天を仰ぎみながら、絶えず目を覚ましてキリストの再び来られることを待ち望むのがキリストに一切を委ねた者の心であります。
今のせわしない世の中で、キリストのみが与えることができる心の安息は、本当に大切であり、祝福であります。
「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるものとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません」(ヨハネ14:27)。
主イエス・キリストのこのみ言葉は、今の私たちにとっても有効であります。あなたもキリストが与えようとしていらっしゃる救いと平安を喜んでいただき、キリストとともに雄々しくあなたの日々の道を歩まれますようにお勧めいたします。
バラ・マカルピン 日本伝道百年史・・6
水垣 清著
(元中津川教会牧師・元「キリストへの時間」ラジオ説教者)
6 横浜公会の創立・・・1・・・
「公会名簿」によると、洗礼者9名とは左の者であった。
1 竹尾 緑郎 (静岡の人) 海岸教会初代執事
2 篠崎桂之助 (静岡の人) 幕臣の子
3 安藤劉太郎 (三河の人) 僧侶・諜者
4 進村 漸 (伊予松山の人) 藩医の息子
5 押川 方義 (伊予大洲の人) 藩士
6 吉田 信好 (伊予松山の人) 藩士
7 佐藤 一雄 (東京) 士族
8 戸波 捨郎 (横浜)
9 大坪正之助 (横浜) 小川義綏(よしやす)夫人の弟
その結果、1869年(明治2)タムソン宣教師より受洗した小川廉之助(義綏)を長老に選び、翌年(明治3)長崎でウムソン宣教師から仁村守三を執事に選びバラ先生を牧師代理として、ここに日本最初のプロテスタント教会である横浜公会は、11名の会員をもって創立したのである。さらに1872年(明治5)3月21日(陽暦4月28日)、バラ先生による第2回の洗礼者があった。
公会日誌によると
「二一日、即チ安息日受洗六人アリ、執事ノ選アリ、竹尾コレニ当リ、即チ、プラオン、バラン師手ヲ按テ授ク、其他前安息日ノゴトシ」とあり、受洗者は左の者であった。
1 杉山 孫六 (静岡) 旧幕臣土屋孫六の兄
2 熊野 雄七 (大村) 士族
3 桃江 正吉 僧侶、諜者 正木 護
4 朽木 鑑 (福知山) 福知山藩士の弟
5 伊藤 友賢 (仙台) 医師
6 湯浅久兵衛 (仙台) 商人
日本基督公会の初期の受洗者の中には、キリスト教排撃のため、スパイが潜入していた。
1 仁村守三は本名を香川実玄といひ、広島の真宗の住職をして居り、長崎でエンソ―宣教師に取り入ってクリスチャンを装い、横浜公会で最初の執事に選ばれたが、仏教側からの密偵であることが判明した。
2 安藤劉太郎は明治政府から、上等諜者として、月二十両の手当を受けて内命をうけてキリスト教探索に従事いていた東本願寺派の僧で、猶竜(ゆうりゆう)と言い、横浜地方「異宗探索」を担当していた。
3 桃江正吉こと諜者正木 護も破邪護法の僧侶で光永寺隆瑞の偽名であった。月十両の下等諜者として活動した。
正木が長崎から東京に出て諜者となったのは、明治4年の冬で、政府から内命を受けて、諜者として活動した。その活動記録によると、
「然ルニ昨冬出京ノ内命ヲ蒙リ即当港ニ在留シ、バラ、ブローン、フロエン、女ビヤルソン、女ルーム、女キダ等ノ耶蘇教師ニ立入、旦暮馴近シ、真ニ彼等ガ宗徒ト偽リ、宗則ヲ護リ祈祷ヲ唱ヘ、住々死地ニ入テ之ヲ捜索ス」と、その実態を報告している。
彼は、ミス・ピアソン宣教師の弟子となって、1873年(明治6)春から東京築地カロゾルス宣教師の鉄砲洲六番書庫の店員となりすまして、出入りする者を日誌に筆記して上司に密報していた。今日、彼の諜報記録は微に入り細に亘って、当時のバラ先生や他の宣教師たちの伝道活動を知りうる貴重な文献となったが、当時、こうしたスパイたちの中にあって、真剣に福音を日本人に提供するために戦ったバラ先生たちの苦心を、今にして思うのである。
さらに、この正木の諜者報告書中、バラ先生の状況を記したその個所を借記すると、
「三月七日安息日、バラノ教会追々人数増シ、学校ニテハ狭キニ付海岸三九番 元ト ヘボン療治所ヲ借リ、耶蘇の晩餐ヲ行フ、此会中ニ米国耶蘇教師、凡ソ年令六十余斗ノ者来リバラニ通弁ヲ頼ミ 公会ノ長老小川廉之助ニ語テ云、 我支那ニ入テ教ヲ弘ムルコト二四年ノ久シキニ及ブ、故ヘアリテ昨今此地ニ来ル、遠カラズ復 支那ニ往クナリ 借テ爾等此教ヲ信ズルコト厚クシテ 此国ニ盛ンニ弘メントスル由、大慶ノ至リ、大ニ真神ノ意ニ契フヘシ 益信心ヲ堅固ニシテ 弘教ニ尽力スベシ、然ルニ 我 二十四年前 支那 フチヤウ ト云処ニ行ク 此処天津ノ近クニシテ 凡人員五十万斗ノ土地ナリ、初テ礼拝堂ヲ建ルニハ 日本ノ先生ヲ頼ミ外国ノ金ニテ立ルナリ、凡ソ九年間教ヲ布フクト雖モ更ニ一人モ聞モノナキ耳ナラス 家サヘ借サヌ程ノコトナリ、其中チ追々ニ開ケ、一年ニ一、二人ツツ道ニ入ルモノアリ、
初ノ公会ハワズカニ、三、四人ナリ、然ルニ近方ノ田舎ニ 千五百口斗ノ邑アリ 此処ヲ勧ルニ凡ソ公会ニ入ルモノ 三百五十人余出来タリ 夫ヨリ漸々ニ弘マリ 今日ニテハ洗礼ヲ受シモノ七千人ニ余ル 是ハ支那フチウ ノ話ナリ今 爾等ニ天下ト耶蘇ノ名ニヨリテ命シ度事アリ 此 教ヲ盛大ニ弘メント思ハバ、此横浜ノミニテ勧ルヨリ早ク 方々ニ出、田舎間ヨリ重ニ開クベシ云々 此話ヲ聞キバラ 長老諸弟子等大ニ喜ベリ、
バラ学校ノ公会日々盛ナリ ビヤルソン学校バイブル生盛ナリ ビヤルソンしゅ学校ノ夜会、日曜日 水曜日一周ニ二夜ズツナリ 邑ニ 二月三十日ノ夜会?アマリノ群集ニテ書生ノ帽子、洋傘等種々品物紛失スルホドノ繁盛ナリ。
来ル二十一日安息日ニハ ビヤルソン書生ニテハ、静岡県下杉山孫六、大村熊野安次郎ノ両人バラ書生中ニ、三、四人、小川廉之助妻 大坪正之助妻 当地大村 徳嶋屋久兵衛 奥州伊東某等授洗ノ義ソ相決候 尚巨細捜索ノ上追々可申上候 三月 正木 護」
(幕末明治耶蘇史研究 小沢三郎著288頁)
月刊「つのぶえ」からの転載で、つのぶえ社から許可を得ています。
「あなたに聖書を」
「キリスト教百話」・・・65・・・
問22 「救い」ということが「罪と死からの解放」を意味するものであることは分かりましたが死からの解放としての「復活」については、どうもよく理解できません。
答・・8・・
わたくしが東京のある教会に出席していたある日のこと、一人の信徒の方が御自分の信仰についての話をしに来られた際、その話の中で「先日、数寄屋橋のところで、イエス様にお会いしました」と言われました。今なら「どんなお顔でしたか」とか「服装はどんなでしたか」など、もう少し話をふくらませるような質問をするところですが、その時は「そんな、イエス様が数寄屋橋あたりに来られるはずなんてあるものか」と思って、心の中で一笑に付していました。
ところが、その後、わたしが牧師として赴任していた教会の信徒で、高齢で入院していた一女性が、危篤であることを聞いて見舞ったところ、「先生、私はさっきイエス様にお会いしました」と言われたものですから、「どんな風にですか」と聞きましたら、「ほら、あそこの白い壁のところです。あそこに現れて、にっこり笑ってくださったのですよ」という返事が返ってきました。
同席しておられた家族の方には見えなかったそうですが、この話を聞いて、わたくしは「そうでしたか、それは良かったですね」と祝意を表しました。先述の人に対するような批判的な思いはありませんでした。死期を前にしている人に対してのことであったかも知れません。そういうことがあって、それから一時間も経たないうちに、その方は召されました。
その後、そのほかにも、「イエス様にお会いした」とか、「イエス様が来てくださった」とか言う人の話を聞いたことがあります。その都度、わたくしは「それは良かったですね。わたしも一度お会いしたいものですね」みたいなことを言っています。
それは、どういう形においてであろうと、キリストに出会うという体験をすることは、祝福されてよいことだと思いますし、キリストが、復活され、今も生きておられるからに外ならないと思うからです。
こういうことを言いますと「それは幻想に過ぎないよ」と仰る方が少なからずおられることと思います。そう評されて「そうではない」と言えるような客観的根拠となるものは持ち合わせていません。しかし、「幻想に過ぎない」と言う批判も、そう言い切れる根拠があるか、と問われることと思います。つまるところ、「キリストの復活」ということは、信仰のことであって、その信仰によって生きた人がいたことや、そういう人の歩みは歴史的証言の対象とはなり得ても、信仰の内容そのものは史実としては客観化され得ないことであるからです。
篠田 潔
(日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
<2018年5月のラジオ放送予定>
5月 6日 久保田証一 (日本キリスト改革派尾張旭教会牧師)
13日 久保田証一 (日本キリスト改革派尾張旭教会牧師)
20日 相馬 伸郎 (日本キリスト改革派名古屋岩の上教会牧師)
27日 相馬 伸郎 (日本キリスト改革派名古屋岩の上教会牧師)
(放送開始1952年10月)
毎週日曜日朝6時30分~45分放送
第83課 キリスト者生活の実践的義務
=12:1~15:13=・・・38・・・
第83課 キリスト者生活の実践的義務
=12:1~15:13=・・・36・・・
E 弱い兄弟たちに対するキリスト者の義務 ・・14:1~13・・
・・・2・・・
「信仰の弱い者を受け入れなさい。ただ、意見を批判するためであってはならない」(1節)。ここでパウロは弱い迷っている信者たちを、その弱い未熟な信仰にもかかわらず、キリスト信者の交わりの中に入れるべきであると言っているのです。「信仰とは、ここでは真理の確信のことであって、人はある真理については確信を持っているが、他の真理については極めて弱い確信しか持っていないことがあります。初代キリスト信者の中には、イエスが救い主であることは疑いなく十分に確信していても、聖い食物と聖くない食物の区別が全く廃されたということについては疑念を抱いていた人々もいました。
これは当時のキリスト信者の生活における重大な欠点でした。それは義認の恩恵的性質についての知的な理解と確信の欠如に起因するものでした。しかしながら、この弱さはキリストへの真剣な献身と矛盾しないものでしたので、そのような人々も受け入れられるべきである」(C・ホッジ)。
「ただ、意見を批判するためであってはならない」(口語訳)。「その意見をさばいてはいけません」(新改訳)。
この箇所の解釈の鍵となる二つのギリシャ語があります。一つは「識別力」・「批判」・「眼識」で、もう一つが「人間の思考における、思想・疑い・躊躇」で、文脈を考慮して、「信仰の弱い人々を、キリスト信者として受け入れ、彼らに意見・見識を批判しようとしてはいけない」(ホッジ)と解釈するのが妥当なのです。
「ある人は、何を食べても差し支えないと信じているが、弱い人は野菜だけを食べる」(2節)。ある人は宗教的には何を食べても差し支えないと確信を持っている。しかし、他の人は信仰的に未熟なので、野菜類だけを食べるのです。このことは、すべての食物が同様に有益であるという意味ではなく、また、通常のキリスト者は健康のことを考えないで、何でも食べてよいという意味ではありません。
パウロは食物の健康上の善し悪しを言っているのではなく、宗教上における食物の問題についてビクビクしていることを述べているのです。宗教的根拠に関する限り、通常のキリスト者は何を食べても良いと確信しているのであり、どんな食物も宗教的根拠からは禁じられるべきではありません。すなわち、宗教的に腐敗を招くとか、汚れているとか言って禁止されるべきものはないのです。
旧約の儀式律法は野菜だけを食べることを要求してはいません。また、すべての肉を食べることも禁じてはいませんでした。ある種類のものは許され、あるものは禁じられていました。しかし、迷っていたユダヤ人キリスト者たちは特に異教世界の中で生きていたときには、すべての種類の肉を食べることや、調理された食物を食べることなどを恐れていました。それは律法に禁じられていた物を食べることによって、霊的に腐敗することを恐れていたからです。
彼らの食べ物を、口に入れる時に自然のままであるかどうかをよく確かめて食べ、そして野菜を食べることによって自分を制限していました。すべての潔くない肉や偶像に捧げられた食物を確実に避けるために野菜だけを食べていたのです。
J.G.ヴォス著
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」