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ほっとひととき『みんなのコーナー』
☆ 今年は各地に寒波と大雪で被害が出ていますね。皆さん、きっと春を待ち焦がれておられることでしょう。私の住む和歌山では、梅の花がニュースになりました。陽当たりのよい我が家の庭の梅も蕾が2つ、3つと見ることが出来ます。遠くに見える山の色も少し霞んできました。雪国で「ジャーナル」をお読みの皆さんのところにも、春が訪れますよ・・・。お体に気を付けてお過ごしください。 和歌山県 W・Kさん
☆ 冬休みに中学生の孫が来ました。誘われてスキーに行きました。30年振りになるでしょうか。周りの人や家族から骨折でもしたら大変だよと、孫が叱られていましたが、昔は・・・とのわたしの言葉で、付き添いの家族と出かけました。今はリフトもあり、ゲレンデも整備されていました。スキー板を借りて第一歩、見事転びました。リフトには乗らず、平らなところを滑っていましたが、楽しかったですが、3日後から全身筋肉痛で、あちこちシップだらけです。昔は・・・、はもうダメですね。ですが、誘ってくれた孫と付き添いの家族には感謝しております。 長野県 T・Sさん
☆ 寒くなりました。寒いのが苦手で、この寒い時も自然界には必要なはずと思いながら、あと何か月で梅の季節が来るのだからと、今から暖かい季節を心待ちしています。九州の方では梅とか、こちらは当分、雪のニュースばかりです・・・。 青森県 T・Mさん
☆ 初めてお便りします。わたしはシン・ウーと言います。日本にいたときは「つのぶえ」を日本語の勉強のために読んでいました。今は、日本でのノウハウを生かしてシンガポールに帰り会社を経営しています。「つのぶえジャーナル」はインターネットで毎月、好きなところだけですが、楽しみに見ています。特に「ほっとひととき『みんなのコーナー』は、日本にいた時を思い出させてくれます。頑張ってください。 シン・ウーさん(少し漢字などに手直ししました・編集子)
☆ お正月休みに会社で働いている娘が帰ってきました。少し疲れているようで、友だちのところにもいかず、家で寝てばかりいました。太るからと言いながら、美味しそうに、お母さんの味付けは美味しいよと、お雑煮を食べていました。そうして慌ただしく、帰るわ・・・と言い残した娘をバス停まで送り、別れました。頑張ってとも、健康に注意しなさいねとも言えませんでした。・・・。
長崎県 Y・Yさん
☆ ・・・。私の住むところは吹雪になりますと、本当に10メートル先も見えない世界です。雪がついてメガネの私は本当に困ります。朝の仕事は車の上の雪を取り除き、エンジンを掛けて家に戻り、大声で娘を起こしながら食事の準備です。エンジンが止まっていないか確かめるために玄関の戸を開けようとしても、しばれていて開かないことはいつもです。それでも私が子供の時に比べれば便利になりました。記憶にある父の姿は、車のガラスを溶かすために、お湯を入れたヤカンを持って震えながら出ていく姿でした。でも出掛けるときはもう雪と氷で何も見えていなかったと思います。夜道には電灯が遠くにポツンとありましたが、雪の時は何も見えません。そんな時が続くと父は帰ることは出来ませんでしたね。雪道にあるのは馬そりの一本道が頼りでした。でもやっぱりおっかないです。・・・。 北海道 S・Iさん(しばれる・・は寒い、凍る、おっかない・・は怖い、危険の意味・・編集子)
☆ 4年振りに実家に帰りました。メールでは元気だからと言っていた両親でしたが、そうではありませんでした。飲み薬の数と量が多くなっていました。初めて、弱気な言葉を聞いて、我が儘を聞いてくれていたんだなあ、と思いました。大阪での仕事で得た経験を生かして、実家に帰ろうと本気で思った良い帰省になりました。幼馴染は皆さん結婚していました。 徳島県 K・Dさん
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△ 仮設を回り、お住まいの方の健康を見守るのが私の仕事なのですが、長くなりまた仮設の生活で皆さん、本当にお疲れです。ご高齢の方は、この冬を乗り越えてくださることを願っています。もう自分の身内のおじいちゃん、おばあちゃんですから、情が移ります。無力さを感じながら、頑張るのがわたしの今です。
*このコーナーの記事は、すべて投稿者から掲載許可をいただいております。
『ありがとうございます』
妻の希望で伊良湖の方までドライブしました。無理をさせてしまった今までの疲労か、脳梗塞で倒れて1年半になりました。今も手足にはマヒがありますので最低限ですが、人の手による外出も車イスです。・・・。暖かい日で感謝でした。途中の畑には春を運んでくれる、あの優しい黄色い菜の花が咲いていました。私も定年退職して家内と共に穏やかに生活しています。礼拝にはもう行けなくなった私たちは、今は「つのぶえジャーナル」を楽しみにしております、と愛知県・豊橋のT・Gさんからメールをいただきました。
2月号もお届けできることを感謝しております。
2017年12月16日から2018年1月15日までの「つのぶえジャーナル」事業への寄付者の報告です。感謝いたします。
長津 栄様 宇佐神正武様 羽野晧雪様 羽野 環様 井上義明様 宮川真澄様 三浦正雄様 及川 明様 梶川実雪様 細田健一様 佐藤のり様 匿名
1名
郵振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社
お便り下さる方はこのメール アドレス osamura@kind.ocn.ne.jp をご利用ください。
「つのぶえジャーナル」(http://tunobue.blog.shinobi.jp)(米国南長老教会文書伝道事業)刊行責任者
つのぶえ社代表 長村秀勝
今月のことば
8日が過ぎ、割礼をほどこす時となったので、受胎のまえに御使が告げたとおり、幼な子をイエスと名づけた。
~ルカ2:21~
私たちは誰一人例外なく、新しい2018年を迎えました。しかし、誰一人この年に何が起こるか予測する人はおりません。明白なことは一つあります。それは、私たちが受けた遺産は、罪と悲しみ、病いと死とであることを知っていることです。また、自分の身に逆らうものの多くは、この遺産のもたらすものでもあります。これもまた事実です。
今年も私たちは、日々、霊的な面でも、肉体的でも頼りなく気落ちし、病いを負うでしょう。これもまた事実です。
私たちはこの事実・現実を無視したり、無いかのように思うべきではありません。むしろ直視すべきです。しかし、そこには大切なことがあります。それは「主にあって」と言う「最善・大いなる希望」に「あって」ということであります。
神様は、私たちに、あるものに信頼する権利をお与えくださいました。それは、「イエスのみ名を用いる」ことをお許しくださったことです。神様は、そのお許しと約束のゆえに、その「み名のゆえに」結ばれた祝福を果たしてくださいます。その約束の中には、光と希望に満ちた未来がありました。この「み名」の中に、私たちの罪の許しがありました。この「み名」によって求める必要を、お教えくださいました。
「であろう~」ではなく、「ました」なのです。この約束に生きるとき、言い得ない勇気が与えられます。
若い皆さん、キリストを捜し、知ってください。人生をあきらめないでください。一人ではないのです。キリストに聞いてください。あなたの隣に誰かはいるのです。
仕事が人生などと言わないでください。家庭や家族があります。もっともっと輝く働きや日々があります。
もう長く生きた、疲れたと諦めないでください。最後の最後まで、あなたはあなたらしく歩み、終わろうではありませんか。「主にあって」!!
小閑記
悪い言葉をいっさい、あなたがたの口から出してはいけない。必要であれば、人の徳を高めるに役立つようなことばを語っている者の益になるようにしなさい。
~エペソ4:29~
新しい年を迎えました。皆様に神様の祝福が豊かに与えられますようにお祈りいたします。
「言葉」を話す能力は、神様から頂いた大きな賜物と言えます。「言葉」によって、私たちはお互いを理解し、思いを表現し、心の中にあることを語れます。また「言葉」によって、慰め合い、励まし合い、お互いの重荷を取り除き、闇の中に光をもたらし、助け合って共に歩む道を見出すこともできます。
音楽も、心に感動を与えます。しかし、音は一瞬にして消えてしまいます。唇から出る「言葉」も消えてしまいますが、心に残る「言葉」は、時を経てより一層の輝きを増します。
キリストの愛は「言葉」(聖書)に示され、信仰の宝として、一日を、一年を、そうして一生涯を支配するなら、この「み言葉」に信頼する歩みを祈り求めましょう。
しかし、私たちの口から出る言葉が、聖書から離れ、自分の汚れと欲から出るなら、その結果は、明らかです。偽りのニュースとか、ヘイトスピーチは、社会を混乱させ、人に争いと憎しみをもたらし、凶器ともなります。
聖書は、舌は火である、不義の世界である、それは全身を汚し、生きることすら破壊するものであると語ります(ヤコブの手紙)。100の素晴らしい言葉を語っても、1つの言葉ですべてを破壊することを、恐れをもって知るべきです。
キリスト者の間で交わされる話の多くを聞く時、虚しい言葉、思慮のない言葉、悪い言葉、うわさ話が少ないとは言えません。であるからこそ、神様は私たちに注意せよ!と呼びかけています。この呼びかけのみ声こそ、今、私たちに必要な「神の言葉」として、日々大切にしたいものです。
世田谷通信(172)
猫草
里山の竹林で何本か竹が枯れていた。10mぐらいの高さでぐんにゃり折れ曲がっているのもある。放置すると危ないので伐ることになる。せっかくの機会なのでやらせてもらった。これまで一人で竹を伐ったことはなかったのだ。まず、どちらの方向に倒せば良いかを考える。なにしろ高低差20mの急斜面。国分寺崖線の中でも最も傾斜が急な場所なのだ。竹の向きや切った後の移動、他の竹との位置関係で倒す方向を決めたら、そちらに竹切り用のノコギリで切り込みを入れる。受け口というのだそうだ。幹の半分ぐらいまで切れたら、受けの少し上の位置で反対から切る。これが追い口。こうすると最初に切った受け口がつぶれて倒したい方向にちゃんと行ってくれる。ところが最初の1,2本はできたのだが、直径20cmはある竹は固い。だんだん腕が疲れてきて、受け口が斜めになり、追いとの高さも合わない。こうなるとやっかいだ。ベテランのみなさんに「もう危ないからどいて」と言われ、かえってご迷惑になる始末。
やってみたい気持ちはあっても、技術や知識、それに腕力、体力がないと危ない。ボランティア活動は一度事故があると活動自体が縮小されたりするので、本当に注意が必要だと思う。別のボランティアグループで、鉈が滑って自分の親指を切り、救急車を呼ぶ事故があったと聞く。斜面で転んで複雑骨折した方もいる。そもそも高齢者が多いので丸太みたいに重い物は運べないし、杭打ちとか浚渫とか、パワーの要る作業ができない。
そうなると若い人たちに参加してもらいたいわけだが、定期的にとなると難しい。イベントの日だけ一緒にササを刈ったり、竹コップを作ったり、外来植物を除去したりといった気軽な里山体験は結構人が集まる。農大の先生に森林を案内してもらって森林療法体験をするのは人気のプログラムだ。小学生だってやり方を教えれば一生懸命落葉かきをやってくれる。でもボランティアグループに入会するのは人間関係が面倒くさそう、毎回出るのは忙しいから無理、組織なんて勘弁してよ、なのだ。高齢者ばかりで世代間ギャップもあるだろう。それなら今は自然の中で汗を流して、楽しかった思い出を重ねてもらおう。将来的に時間ができたときに、じゃあボランティアでもやってみようか、という気持ちになるのを気長に待ってみましょう。それまで自分にできることは、ベテラン勢からいろんなノウハウを受け継いで、できるだけ蓄積し、途切れさせないこと。さて、教えてくれる人たちがいるうちに、竹もまた切らせてもらおう。
『美しい朝に』・・39・・
11月16日
今日は、内科の診察日でした。前回は、9月21日→ 11月16日
血糖値(食後3時間) 214→ 144 ヘモグロビンA1C 7.7→ 6.2 (合格ライン)と、ずいぶん下がっていました。食事の前に「野菜ジュース一口」と 1日に1回 「青汁」炭水化物と揚げ物をを控えて、豆腐・ごま豆腐・高野豆腐・魚・かぼちゃなどを中心にカロリーをおさえて、夜中の夜食をやめました。
先生に、「良かったね。ホッとした。合格!」と言ってもらえました。
11月28日
明日は、11月29日(水)は神経科です。11月1日に、神経科に行った時は、腰が痛くて、車イスで行きました。それで、そのまま主人に押してもらってクリスマスツリーを写しました。晴れていたので、車いすでも大丈夫でした。明日の天気予報は、曇りから雨になったようです。
12月2日
昨日から12月ですね。晴れていますがとても寒いです。12月1日は、郵便局の「クリスマス」の切手の発売日でした。郵便局に来ている人が多くて、さすが12月だと思いました。昨日、娘が来て「ケンタッキーのチキン」を一緒に食べたのです。5日の血液内科で血小板を調べますので、良く食べていた方が数値は、安定すると思います。(勝手に思い込んでいます)いつも病院の前は、体調を崩しています。血液の数値だけは自覚症状がないので、テストを受けて成績を発表されるような緊張感があります。お祈りして頂いてありがとうございます。
12月5日
今日は血液内科の日でした。数値は、血糖値も含め正常で、血小板も心配ありませんでした。お祈りしていただき感謝です。ただ、「暗い顔してどうしたの?」と聞いていただきました。「風邪気味です」と答えたのですが、血液内科の先生は、「炎症反応が正常やから、風邪は安静にしてたら治るよ」
とおっしゃいました。確かに、身体もだるくて「風邪の症状」みたいです。
12月8日
今日は、雨降りの1日でした。昨日は、娘が体調を崩して、大学病院へ行きました。以前に行っていたので、診ていただくことが出来たようです。娘婿は、朝から付き添ってくれて、午後から仕事に遅れて行ったみたいで、昼からバトンタッチしました。
昼過ぎに車で主人と娘を迎えに行きました。いつも元気な娘が座っているのも辛そうでした。結婚してから、近くに住んでいるので、実家に泊まるのは、初めてでした。娘も、和室で寝るのは初めてで、前のマンションの廊下の電気が眩しくて、息子の部屋の遮光のカーテンを洗濯して、障子の前につるしました。シーツもタオルも、購入したものも「洗ってから使う」という綺麗好きの娘のタオルをひたすら洗濯していました。
12月13日
こんばんは、今日も冷え込みましたね。高校の同級生や短大の同級生も「会いたい」と連絡をくれました。教会の方からもお葉書をいただきました。とても懐かしかったです。懐かしい幼稚園の先生時代の先輩からも、お葉書だったり、クリスマスカードなどお送り下さり、お電話までいただきました。
私の家の近くの喫茶店でお茶だけでもと言って下さいました。暖かくなって、体調次第で懐かしい人にお会いできるかもしれません。血液検査の後くらい、気を抜いて食べてしまう自分を許してあげることも大切だと思うのです。「これを食べたら太るのではないかしら」と思って食べると太ってしまうそうです。食事の管理で主人の血液検査も良い結果につながります。
年末・年始・街が賑やかさを増す中、一人で悩みから孤独になる方も多いと思うのです。神様の支えが必要な人のところに「助け手」が与えられますように、共に祈って頂けたら心強いです。わたしも祈ります。
(このメール文の掲載はK・Aさんの了承を頂いております)
その愛のゆえに
=時々の記=
(141)
11月15日
主人がクリスマスカードを購入してきましたが、まだ、書く気持ちになれません。
きっと犬たちとの生活があまりにも大変なので、気持ちが前を向かないのだと思います。28日には、また三重大学病院まで検査です。一人で行くといってくれていますので、そうしてもらう予定です。大病を患いながらも周りへの気遣いを忘れない主人です。
秋雨の止みし朝やトユ掃除。
雨に朱を極めてをりぬ冬薔薇。
一谷を制し、でこぼこ葛茂る。
秋雨の続きてノアの舟思ふ。
台風の雨の弱りて教会へ。 馬場路哉
今週末、主人はこの村の中学校時代の同窓会だそうです。毎日、顔を見合わせている友がほとんどなのに、同窓会を開くというのです。現職時代に、友達を頼って営業成績を上げさせてもらったことを思い出しては、一人一人にお礼を言わなければと気を使っています。ゆっくり楽しむというよりは、地元で仕事をさせてもらったので、このような時にはずいぶん気遣いが必要なのだそうです。
11月19日
庭では春先に咲く、水仙が蕾を付けています。同じように椿も大きな蕾を付けて今にも花を咲かせようとしています。とても変わった庭の木々たちの様子です。
昨日、ゴダート先生にクリスマスカードを送ることができました。今年はもう、先生のお年のことを考えると、お手紙を出さない方がよいのではと随分迷いましたが、「日本伝道百年史」を読み、多くの南長老派の宣教師の先生が日本伝道のために犠牲を払って捧げてくださったかと、胸がいっぱいになるのです。その中のお一人がゴダート先生です。岐阜から、上野緑ヶ丘教会まで、毎年夏に伝道に来てくださいました。たくさんの英語の讃美歌を教えてくださり、また聖書物語をフランネルグラフを使って流ちょうな日本語でお話ししてくださいました。そして、私が最後に先生とご一緒したのは、金城学院のスマイス寮でのクリスマス礼拝でした。先生との沢山の思い出を感謝をこめて何とか書くことができました。
11月28日
今日も一日穏やかでした。朝、8時前に三重大学病院まで主人は一人で出かけました。9時半の検査診察の予定でしたので、午後一時過ぎには帰ってくることと祈って待っていました。無事に3時過ぎに帰ってきました。若い先生に主治医が変わり、待つことなんと2時間半。とても長く感じたと言っていましたが、レントゲンだけの検査ですが、異常なしで帰らせていただきました。主人の帰りが予定より遅くなるにつれ、不安がよぎります。入院ということになって、その手続きで遅くなっているのだろうか。とか。
ふと見れば、散りつくしたる木の葉かな。
谷広く孤高と仰ぐ後の月。
山茶花に通へる虫に夕日差し。
この山の裾ゆたかなりハゼ紅葉。
伊勢までの連なり床し秋の山。 馬場路哉
12月7日
雪が降る予報が出ていましたが今のところ、雨です。ほっとしています。「キリストへの時間会報」69号が届けられました。
1952年の始まったラジオ伝道が、65年たった今も続けて電波が流れていることは神様のお導きと恵みと祝福によるものと心から感謝いたします。
その尊いご奉仕に携わってくださって、教会へ集えなくなった高齢者、病の中にある方に、毎週、日曜日のラジオ放送での御言葉と、讃美歌を聞く機会をどんなにか心待ちにしていることでしょう。ラジオから流れる御言葉はとても強く私個人にも語りかけられるのです。台所の片隅にラジオを置いて、時にはメモを取りながら、真剣に聞いています。ご一緒に大きな声で賛美し、教会の礼拝に集えなくても力が与えられるのです。信徒の交わりが無いのは、とても寂しいことではありますが、言い換えれば、そのようなことがないからこそとても集中できる時であることは事実です。
このラジオ伝道が許される限り続けられますようにとお祈りしています。
泥流や“三浦綾子”は冬を書く。
新蕎麦や戸隠山の麓なる。
初霧のチェーンのトユを伝ひけり。
学び舎の銀杏黄葉に朝日差す。
黄落や粛々として教会へ。 馬場路哉
12月12日
とても厳しい寒気が上空にやってきているようです。歯科医に定期検査に行ってまいりました。きれいに磨けていますね・・・と褒めていただき、こちらは調子に乗って、医院の室温の程よい居心地の良さを感じました。我が家に帰って室内の気温を見るとなんと4度しかありません。わたしには寒すぎます。さっそくストーブとエアコンをつけて何とか7度まで上がりました。いくら暖房をつけても、古い家ですから隙間風があちこちから入ってきます。健康には良いのかもしれませんが、この冬の寒さには参ってしまいそうです。
午後からは隙間のあるところに段ボールを重ねたり、ベニヤ板で囲んだりと工夫しました。少し気のせいか、ほっこりしました。室温も上がりましたが、それでも駄目ならば毛布をカーテンの様に窓際にひっかけようかなと考えています。毎晩お布団の中から顔を出すことが出来ません。寒くて目が覚めてしまうからです。幼いころの信州での冬を思い出しています。
馬場暁美
「上野緑ヶ丘教会会員」
解説 ウエストミンスター信仰告白(65)
岡田稔著
(元神戸改革派神学校校長)
第30章 教会の譴責について
1 主イエスは、教会の王またかしらとして、教会に、国家的為政者とは別個の教会役員の手にある政治を定められた(1)。
1 イザヤ9:6,7(5,6)、Ⅰテモテ5:17、Ⅰテサロニケ5:12、使徒20:17,28、
ヘブル13:7,17,24、Ⅰコリント12:28、マタイ28:18-20
一 主なるイエスは、教会政治の主権者であり、教会の役員は主よりその政治の権能を委託された教会的為政者である、という告白である。(主イエスは教会のかしらであるばかりでなく主である)。
2 これらの役員に、天国のかぎが委ねられている。そのゆえに、彼らはそれぞれ罪をとどめ、またゆるし、悔い改めない者に対してはみ言葉と譴責とによってみ国を閉ざし、悔い改めた罪人には、その場合の必要に応じて、福音の奉仕や譴責の解除によって、み国を開く権能をもっている(1)。
1 マタイ16:19、マタイ18:17,18、ヨハネ20:21-23、Ⅱコリント2:6-8
二 マタイによる福音書16章19節にある「天国のかぎ」に関するわたしたちの解釈が、ここに告白されている。まず、この「かぎ」をキリストから委託されている人間とは、教会の役員たちのことである。次に、「天国のかぎ」とは、見える教会における秩序上の入会、除籍の権能である。また、教会員を教会のうちに守り養う必要上、彼らの誤り、罪、不遜などに対して加える戒規・訓練の機能も、これに含まれている。
そこには「閉じる権能」と「開く権能」とがあり、前者は、悔い改めない者への譴責であり、後者は、悔い改めた時の譴責の解除と福音の宣教による入会許可である。
3 教会の譴責は、罪を犯している兄弟らを矯正し獲得するため、同様な罪を犯すことを他の者に思いとどまらせるため、また塊全体を感染させるあのパン種を一掃するため、キリストの名誉と福音の聖なる告白を擁護するため、またもし神の契約とその印証とが極悪の頑固な犯罪者によって汚されるままにしておくならば正当に教会にくだる筈である神のみ怒りを防ぐために、必要である(1)。
1 Ⅰコリント5章、Ⅰテモテ5:20、マタイ7:6、Ⅰテモテ1:20、Ⅰコリント11:27-34、ユダ23(*)
*Ⅰコリント11:27-34をユダ23と比較
三 ここには、譴責の必要な理由が列記されている。それは、第一に、当人を悔い改めに導くためであり、決して放逐し去ることではない。第二は、その悪しき行為を教会内に感染させないためである。第三は、禍根を絶って教会の聖潔を守るため。第四は、キリストのみ名が汚され、あるいは、キリスト教信仰が真理であることに疑いをかけられないため。第五には、神の怒りと呪いがそのことを通して教会の上に加えられることを未然に防ぐためである。
さんびか物語 ・・・46・・・
(広く愛唱されている50曲) ・・・45・・・
ポーリン・マカルピン著
(米国南長老教会婦人宣教師)
讃美483番
主とともならん
<神様のみ言葉>
「主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身で天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。」
~テサロニケ人への手紙第一、4章16~17節~
讃美歌483番“主とともならん”は、永遠の命についての非常に有名な、そして、大変美しい讃美歌といえます。
この讃美歌の作詞者ジェムズ・モントゴメリ(1771~1854)は、平信徒でしたが、チャールズ・ウェスレーやアイザック・ウオッツに次いで、よく知られているイギリスの五大讃美歌作者の一人であります。
1954年版の讃美歌には、ご承知と思いますが彼の作品は7曲収められています。そのうち169番“きけよや、ひびく”や478番“海ゆくとも、山ゆくとも”などは、よく愛唱されていると思います。
モントゴメリはモラヴィア派の牧師を父として、1771年11月4日にスコットランドのアーヴィンで生まれました。父親は自分の子供をその足跡に従って牧師にさせるために、6歳の時にヨークシャーのブルネックにあったモラヴィア派の男子寄宿学校に入学させました。
そして両親は、まもなく外国伝道のためにモラヴィア派の教会から西インド諸島に派遣されましたが、両親はそこでまもなく亡くなりました。一人ぽっちなったジェムズは14歳で学校を中退し、転々と職を変えましたが、1792年にシェフィードルの新聞編集者ロバート・ゲールズのもとで彼の新聞「シェフィードル・レジスター」の副編集者として勤めるようになりました。
ゲールズは当時の誤れる政治に対して批判的であったため、その2年後にアメリカへ亡命しなければなりませんでした。そのため23歳のモントゴメリはゲールズの仕事を引き継いで、その新聞の名前を「シェフィードル・アイリス」とかえ、編集者として31年間働き続けました。
彼もゲールズと同じように政治的にはリベラルな思想を持っていたため、新聞に発表した記事にために、2回も投獄されましたが、数年後には彼の功績を認めて、時の政府は恩給を支給しています。
モントゴメリは10歳の時から詩を書き、それが一生の間の仕事となりました。そのために、多くの本を出版し、讃美歌だけでも400ほども作詞しています。平信徒でありながら、これほどまでに讃美歌を作って教会のために尽くした人物は、彼を他にして見当たりません。
彼の作品は、年齢が増すと共に信仰の深さ、尊さ、また、神様への全き服従が輝き出し、美しく、そして力強くなっていきまして、彼の信仰の歩みそのもののように思えます。
彼の最後に残した言葉は、祈祷の言葉であったそうです。1854年4月30日、彼はいつものように祈祷を終えて床に入り眠りにつきましたが、その眠りから目が覚めませんでした。それは、彼自身が書いた讃美歌そのものと言え、ましょう。
<308>
4 いのりは御民の いのちを得る
きよけき御霊の 風にぞある。
いまわの時には 父のいえの
み門のひらくる 合言葉ぞ。
讃美歌483番の曲NEARER HOMEは有名な音楽家アーサ・S・サリバンの編曲によるものです。サリバンは、1842年5月13日にイギリスのランバスで生まれました。彼は音楽に対しては天才で、イギリスの陸軍音楽長を父としていたため8歳になるまでに、あらゆる楽器が演奏できるようになったばかりでなく、この年齢で最初の作曲をおえています。
サリバンは13歳の時にアンセム“オー・イスラエル”を作曲し、14歳でメンデルスゾーン奨学資金を王立音楽アカデミーから獲得しました。その後、ライプチッヒで音楽の勉強を続けました。サリバンは喜歌劇の作曲家として有名で、シェークスピアのテンペストが出世作となり、その他にも管弦楽、オラトリオ、カンタータや讃美歌の作曲があります。
1874年に発表された讃美歌集Church Hymnsには、彼の作品が26曲ほどと編曲したものが含まれて発表されました。その時に、アイザック・B・ウドベリの原曲をサリバンが編曲してこのNEARER HOMEも発表されました。
サリバンの一番有名な讃美歌の曲は“見よや、十字架の旗たかし”(379番)のために作曲されたST・RTRUDEであります。彼は58歳で1900年11月22日、ウエストミンスターにあった自宅で亡くなりました。
この讃美歌483番の歌詞 Forever with the lord (いつまでも
主とともにいます)は8節あり、当時この歌はたぶんロウエル・メイスンの編曲によって1824年に作曲されたOLMUTZに合わせて歌われたものと思います。しかし、1874年のサリバンの編曲では8小節のものに8小節を追加して16小節にしました。そのために、歌詞もこれに伴って4節に成りましたが、さらに1節が省略されて3節からなる讃美歌として歌われています。
<483>
1 主とともならん とこしなえに
あめなる生命ぞ かぎりのなき。
みむねならば そのいのちを
卑しき身にさえ あたえたまえ。
1節で歌われているのは、限りない、とこしえに主とともにいる天なるいのちの素晴らしさであります。神様によって選び出された民の地上での歩みと国籍はどこにあるのでしょうか。ピリピ人への手紙3章20節では「私たちの国籍は天にあります」と言われ、ヘブル人への手紙11章13節では「・・・信仰の人々は、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者である・・・」とあり、「堅い基盤の上に建てられた都を待ち望んでいる」(ヘブル11:10)者でありますから、作詞者がここで“みむねならばそのいのち(とこしえのいのち)を卑しき身にさえあたえたまえ”と、そのことを歌っています。私たちもこのような謙虚な心と信頼をもって、み国への道を歩みたいと思います。
2 行きぞわずらう 荒野のたび
夜毎にちかずく あまつわが家。
かすみのおく くものあなた
黄金(こがね)のみかどは ほのかに見ゆ。
2節では、私たちのこの世での歩みが、荒野の旅路にたとえられています。アブラハムが、神様のみ声に従って約束の地に出かけたように、私たちも神様が約束された永遠の家、あまつわが家へ旅立つのが、信仰者であるということです。この旅は非常に厳しいものであります。私たちを待ち受けているものは、苦難、失望、誘惑、試み、迫害でありましょう。しかし、“夜毎にあまつ家に近づいている”ことを知ることは大きな励ましになると思います。
この曲名NEARER HOMEは、原作の2節から引用されていて、“夜毎にあまつ家に近づく”という意味であります。あなたのこの世での旅路の目標は、どこにありますか。永遠のいのちの道の他には、永遠の滅びへの道しかありません。あなたはそれのどちらを選びますか。
2節の終わりの部分は、実に美しい絵のようです。“かすみと雲の彼方に、かすかに天国の黄金の門が見える”と歌っています。きっと、この黄金のみかどは、新しいエルサレムを意味しているかもわかりません(ヨハネの黙示録21:2)。しかし原作にあるのですが、私たちには、信仰の目がなければ、それを見ることができません。この信仰の目こそ大切であります。
3 つきぬいのち 主よりぞ受けん
いまわの時には 死にも勝ちて。
とこしなえに 主とともならん
知らるる如く われも知りて。
3節では、私たちに尽きないいのちが主イエス・キリストによって確実に保証されていることを歌っています。この「確かさ」は主よりの賜物であり、死が近づく時にも、死に勝利をお与え下さるのは主イエス・キリストご自身であると歌っています。
パウロはこの恵みをコリント人への手紙第一、15章57節で次のように言っています。
「神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。」
作者もこの勝利の歌を“とこしなえに 主とともならん 知らるる如くわれも知りて”と歌って終わっています。「今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。
今、私たちは一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります」(Ⅰコリント13:12)。
私たちも、その時を待ち望んで、そのための心の準備を今からいたしましょう。
バラ・マカルピン 日本伝道百年史・・3・・
水垣 清著
(元中津川教会牧師・元「キリストへの時間」ラジオ説教者)
2 成仏寺の生活・・2・・
ヘボン博士の談に「或時、定次郎という日本人の家僕を雇い入れたが、二週間程たって急に暇を呉れと申し出た。どうしてかと聞くと、彼の言うに、自分は某藩の武士であるが、外人の内情を探って、隙があれば斬り捨てようと思って家僕に入り込んだが、貴方は夷人とは思われない程に親切で、仁義道徳をわきまえて居られるから、殺すに忍びず、自分の考えの誤りであったことを覚ったので御免をこうむって帰ります、との事であったが、その後も家僕を雇い入れると、それは、しばしは政府の探偵であったことが解った」ということである。
切支丹禁制の高札が国中至るところに立っていた時代のこととて、当時、日本語を学ぶにも、その教師を得ることは容易ではなかった。バラ先生の祈りは、日本の言葉で祈り、日本の言葉で聖書を読み、日本の言葉で福音を語ることであった。熱祷の人であり聖書を愛読するバラ先生は、十字架の福音をこの異教国日本に一日も早く宣べ伝えなければとの切なる願いであった。従って、宣教師の日本人下男達から日本語を手まねで聞きただすことが、唯一の日本語を学ぶ道であった。
その頃、幕府は横浜運上所官舎内に英学所を設けて、幕臣の子弟に英語を教えるため、バラ先生、タムソン氏が共に教師になり、次第に日本人との接触が開けて来た。さらに幕府老中の紹介によって、日本語教師として鍼医の矢野元隆(玄隆?)を得ることが出来て、先生はその矢野から日本語を学ぶこととなった。成仏寺にあったヘボン、ブラウンの両師も矢野によって漢訳聖書を日本文に翻訳する仕事を続けることが出来たが、矢野は病弱でヘボン博士の診察によると、彼は肺結核であったと言う。
この年、1862年(文久2)6月26日、バラ夫人はヘボン博士の手によって長女のキャリー・エリサベス・バラ嬢を出産した。そして9月7日、バラ先生30歳の誕生記念日にキャリー嬢はブラウン宣教師によって幼児洗礼を受けた。異郷の日本にあって、乳児を育てる苦労をバラ夫人は次のように手紙に記している。「私の憐むべき嬰児は、この世界を堪え難いところと考えねばなりません。私共は、この児に適した食物を与えることは出来ません。日本人はミルクを用いませんから、私達は決心して乳母をおくまで、私はお茶と米の汁とを与えて折ります。夜中暑さに堪えかねて、彼女は目をさましますが、夜中に起き上がることは私達の生命をちぢめる思いがいたします。それは、驚くほど恐ろしい蚊の群れが蚊帳を出るや否や、私達の鼻先を目がけて襲撃しようと待ちかまえているからです」。とバラ夫人にとって蚊軍は「迫害者」であり、成仏寺は「蚊の寺」であると名付けていた。
1863年(文久3)、この年、日本は尊王攘夷の運動がはげしく、外人襲撃事件も多くなったので、成仏寺に住んでいたバラ先生たちは、米国陸戦隊の護衛の下に居留地内の米国領事館へ一時移ったが、1864年(元治元年)1月、横浜海岸の波止場付近に家屋が与えられて半分はブラウン氏、半分はバラ先生が住んだ。
この家屋は、元居留地167番を米国居留民の礼拝場として、ダッチリフォームドミッションの名義で、幕府から下附されたもので、ペルリ提督と日米条約の談判が行われた地であった。ここで英語の教授も始まったが、後に横浜公会創立の地ともなったのである。
バラ先生は日本に来て二ケ年、初めて日本語で祈りをすることができるようになった。集まった人びとにこれは大きな感動を与えたのであるが、バラ先生の宣教は、実に祈りをもって始められたのである。
*この文章は、月刊「つのぶえ」からの転載で、つのぶえ社から許可を得ています。
「あなたに聖書を」
「キリスト教百話」・・・61・・・
問22 「救い」ということが「罪と死からの解放」を意味するものであることは分かりましたが死からの解放としての「復活」については、どうもよく理解できません。
答・・4・・
「復活ということがあり得るか」という議論は、答えは出そうにはありませんが、パウロは次のようなことを言っています。
「わたしたちは、四方から苦しめられても生き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない」(Ⅱコリント4:8~9)。四方から苦しめられたら行き詰ります。途方に暮れたらもう望みはありません。虐げられるままでは見捨てられているとしか思えません。打ち倒されたらもうそれっきりです。
それなのに、こういうことが言えるのは、パウロという人が百戦錬磨の勇士みたいな人であったかと思われますが、彼はその秘訣を「わたしたちはいつもイエスの死を体にまとっています。イエスの命がこの体に現れるために、わたしたちは生きている間、絶えずイエスのために死にさらされています。死ぬ筈のこの身にイエスの命が現れるために」(同前10以下)、つまり、どんなことがあってもへこたれないでおれるのは、イエスの復活を信じているからだ、と言うのです。
ここで明らかなように、パウロは、自分の中にどんなことがあってもへこたれない力があるからだとは言いません。パウロは、「もうダメだ」というしかないどんな事態の中にあっても、それでダメになってしまわないでおれたのは、イエスの復活の事実の中に示されている事実、すなわち、神の大能は、死者を甦らせているのであるから、イエスを信じイエスに従って生きている自分にも、その力が働くことを信じているからだ、と言っているのです。誰かを信じているということは、その誰かの持っているものに自分もあやかれます。「いよいよとなった時には「あの人に頼めば良い」という信頼がありますから、多少の動揺はあるにしても、「もうダメだ」ということにはなりません。
つまり、ことは信仰にある、ということになります。パウロにとって、どんな時にも失望せず挫折することもないのは、イエスを死人の中から甦らせた神が自分の神であるからだ、と言っているのです。
こういうことから言って、パウロは洗礼を受けたことについて「あなたがたは知らないのか、キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。」と言っています(ローマ6:3~5)。
篠田 潔
(日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
<2018年1月のラジオ放送予定>
1月 7日 杉本美由紀 (名古屋キリスト教社会館チャプレン)
14日 杉本美由紀 (名古屋キリスト教社会館チャプレン)
21日 山田麻衣子 (日本基督教団名古屋北教会牧師)
28日 山田麻衣子 (日本基督教団名古屋北教会牧師)
(放送開始1952年10月)
CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ)
毎週日曜日朝6時30分~45分放送
第81課 キリスト者生活の実践的義務
=12:1~15:13=・・・34・・・
D 聖い生活を送るべきキリスト者の義務 ・・13:14・・
「夜はふけ、日が近づいている・・・・」(13:12a)・・・2・・・
それでは、聖書の歴史観とは何でしょうか。聖書によると、キリストが十字架にかけられて死を遂げられ、次に死人の中から甦られた時、世界の終わりが始まりました。それ以前の全てのことは、カルバリの十字架のための準備的ものでした。それ以降の全てのことは、永遠を迎えるために、この世の事柄を完結させることの一部に過ぎないのです。Ⅰペテロ1:19~20.へブル1:1~2、9:26、Ⅰコリント10:11と比較すると良いです。
これらの聖句から、使徒たちや初代キリスト者たちは、神の日の数え方による終わりの日の中に生きていたということがわかります。私たちは今日は日常生活においてカレンダーの時によって生きています。しかし、もし私たちが聖書をよく理解しようとすれば、聖書の歴史観を把握して、神の時間の計り方を知らなくてはなりません。聖書の歴史観によると「万物の終わりが近づいている」(Ⅰペテロ4:7)のであって、キリストの再臨は近づき、彼は速やかに来られるのです。その理由は再臨は神のご計画における次の大きな贖いの出来事であるからです。更に、それは神の計画における最終の出来事であるとも言えるからです。それは、私たち一人一人の前方に巨大な軌跡として現れつつあり、それはこの世界歴史を実際に終止させるものなのです。
歴史の黄昏なのです。長くてもの憂い、罪と苦しみと戦いの時代は、ほとんど終わろうとしています。私たちはあとどれくらいの時間が再臨の前に残されているのかは知りません。しかし、それは構わないことです。この世界は現在のコースを終わりなく続けるのではありません。それは終末へと急ぎつつあるのです。時間は永遠に終結し、働きは休息に、信仰は現実となり、闘争は勝利に帰着するのです。
しかし、その終末はこの歴史の黄昏の彼方に、そして、その黄昏と長い長い夜は過ぎ去ろうとしています。新しい曙は近づきつつあります。それは永遠の曙であり、夜明けなのです。この世とこの世に属するものとは過ぎ去ろうとしており(Ⅰコリント7:31、Ⅰヨハネ2:17)、すべてのものが新しくされる永遠の世界が近づきつつあります。真摯なキリスト者はこの真理をしっかりと自覚して、日毎の生活を生きなくてはならないのです。「日が近づいている」ことを知っている者として生きなければならないのです。
永遠の夜明けについて考えることは、私たちを消極的になりやすい一つの原因は、聖書の歴史観を把握することに失敗しているからです。多くのキリスト者たちが主の再臨に与かることを熱心に望む代わりに、自分の計画や構想を完成させるまで、それを先送りにしようとするのです。私たちは自分の重要な仕事が進行中であるとき、人間の歴史の終末が今来ないことを願うのです。しかし、そのような態度こそ聖書の歴史観とは真っ向から背走するものです。
神の御思いは人間の思考に優っており、神の経綸は私たちの行動を越えています。私たちの計画の実施のために、私たちが神の贖いの出来事、すなわち、再臨や終末から、注視の目をそらすようになる時、私たちはもはや真の信仰的な態度ではなくなってくるし、また信仰によって歩んでいるとは言えないのです。神がしてくださる贖いの行為は、私たちの活動に優先するものです。私たちは自分たちの計画や働きを永遠の光に照らして行わなければならないのです。 永遠は絶対的に重要なのです。時間が相対的に重要であるに過ぎないのです。もし私たちが時間を永遠より重要であると見るならば、私たちはもはや聖書的な立場と聖書的な歴史観に立っているとは言えないのです。
J.G.ヴォス著
玉木 鎮訳(日本キリスト改革派教会引退教師)
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」