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ほっとひととき『みんなのコーナー』
☆ 台風21、22号の被害を心配しましたが、事前に強風対策をしたので、作物の被害はありませんでした。今は寒い秋晴れ、遠くの山には白い帽子を被った山々が11月だよう~と教えてくれています。冬支度はもうすんだか~と呑気な私に応援してくれているように思います。秋田の今です。 秋田県T・Mさん
☆ 昨日は、朝はとても冷え込みが厳しかったのですが、今朝は、気持ちよく晴れ上がりました。残っている瓦礫は砂浜にはたくさんありますが、漁師さんが自分たちの仕事場をきれいにするかのように、頑張っている姿を遠目に見ています。観光地の方々は、お正月にお客さんをお迎えしようと、後片付けや広い庭の手入れをしている様子が地元テレビが伝えています。和歌山県 K・Sさん
☆ まだまだ手付かずの壊れた家がそのまま伸びた草の中にあります。ご高齢の方が住んでおられたようです。来年の春にはこの家も崩れるのでしょうか。この地域の崩壊の姿を見る思いで、寂しいです。人影は全くありません。台風は、人の絆も破壊するのですね。 大分県 D・Kさん
☆ 田舎にいる母から、今年もたくさん干し柿を作ったから、そのうちに送るよと電話が来ました。私の故郷は、山の中、どこの家の軒先にも干し柿のオレンジ色のすだれが初冬の風景です。渋柿の皮をむいて、紐をつけて鍋で湯通しした後、竹竿につるして作りますが、もう80歳になる父、78歳の母の生き甲斐だそうです。元気でいてくれる両親を思い、声を聞きながら、知らずに流れる涙を拭いていました。今年も帰ることが出来ません。お母さんごめんなさい・・・。 神奈川県 T・Mさん
*この記事は、すべて投稿者から掲載許可をいただいております* 編集子
『ありがとうございます』
この時期になりますと、お花屋さんの店頭には、色とりどりのシクラメンの鉢植えが並んでいます。お店の人にお聞きしたところ、毎年新しい品種が数多く店頭に並ぶのだそうです。お客さんも迷っていますよとのこと。名古屋市のお隣に春日井市というのがありますが、ここは、種から育てる実生栽培サボテンの生産が日本一だと、最近知りました。このサボテンのコーナーが名古屋市立の東山動植物園(開園は昭和12年・私と同じ年でうれしくなっています)にあり、広い展示スペースに沢山のサボテンが植えられていました。シクラメンの華やかさとは比較にならないサボテンですが、その咲く花には、秘められた生命の美しさがあり、愛好家のこころを虜にしているといいます。我が家の食卓の上に最近3つの小さな手のひらサイズのサボテンの鉢植えがありました。私は忘れるのですが、家内は3日に一回、霧吹きをしています。
2018年の12月にはどれだけ大きくなっていることでしょう。そのことを私は12月号の編集・発行の時、覚えているでしょうか・・・。こちらこそはなはだ疑問です。
2017年11月16日から2017年12月15日までの「つのぶえジャーナル」事業への寄付者の報告です。感謝いたします。
加納さおり様 西口義昭様 佐藤のり様 前田和夫様 匿名1名
郵振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社
お便り下さる方はこのメール アドレス osamura@kind.ocn.ne.jp をご利用ください。
「つのぶえジャーナル」(http://tunobue.blog.shinobi.jp)(米国南長老教会文書伝道事業)刊行責任者
つのぶえ社代表 長村秀勝
今月のことば
唯一の知恵深き神に、イエス・キリストにより、栄光が永遠より永遠にあるように。アーメン。
~ローマ16:27~
2017年の月々カレンダーも2枚になりました。2018年に神の恵みを願い求めたいと思います。
ローマ人への手紙のこの結びには、次のような三つの言葉が私たちを心から喜ばせます。
第一は「唯一の知恵深き神」という言葉です。ああ・・・憐れな自分の理性に頼るものよ、お前は、自分自身を、またお前の心に不安げに高鳴っている思いを、またこの世界をどのように理解できようか。
しかし、神だけが、「唯一の知恵深き」お方なのだから、お前はそのようなものを、少しも理解する必要はないのだと。問題はお前の知恵やお前の無能さでなくて、単純に、その「唯一の知恵深き神」に信頼し、神のみ言葉をよろこぶことだ、と。
第二は、「イエス・キリストにより、栄光が永遠にあるように」という言葉です。私が神の栄光ではないということ、神の栄光が私のよって左右されず、あるいは教会によっても左右されず、あるいはすべての善良な敬虔な人々によっても左右されず、ただお一人、イエス・キリストによってだけ左右されるということ。この神の、イエス・キリストの栄光によって、どれほどの恵みを得たでしょうか!
第三は、「永遠より永遠に」という言葉です。神の愛と慈しみは、昨日も今日も、そして明日も永遠にわたって、与え続けられるという約束が、この後に続く「アーメン」と言う言葉でパウロは告白しています。
この三つの言葉をしっかりと心に秘めて、2018年を待ち望み、迎えたいものです。
小閑記
わが魂よ、お前の平安に帰るがよい。主は豊かにおまえをあしらわれたからである。
~詩篇116:7~
私たちの心の平安は本当にもろいものです。大きな出来事に出会うこと以上に、身近に起こる日常の些細な出来事に、心が小さくなるものです。その原因は、人間の未熟さ、不完全さにあるかのように思われますが、実は聖書は、サタン(悪魔)が地上から、人の心から平安を取り去るために、あらゆる手段を尽くす、と言います。サタンは神の聖徒を苦しめることに楽しみを見出し、サタンが面倒を起こすことが出来る時に、サタンの持つ矢は鋭く、毒を持っているその矢で攻撃してくるのです。
サタンの攻撃には微塵の憐みもなく徹底的です。巧みに、攻撃を受ける者の自分の弱点・気質に取り入り、短気で怒りやすい者は、キリスト者であっても、舵のない船のようにさ迷うのです。
真剣に神による平安を失いたくないと願う人は、よくよく注意しなければなりません。
魂の平静を失わせるものに、「失敗の生活」があります。この世で身を立てたいと定めた目的を達成しない時、また幸福を与えるだろうと考えたことが、損失、恥辱、不名誉などをもたらした時、そういう時にキリスト者でも神への信頼が弱められます。
冒頭の詩篇の作者は、こういうことの中に巻き込まれたのです。しかし今や、作者はすべてのことを異なる角度から私たちに見せます。
「主は豊かにおまえをあしらわれたからである」と。そして、自分の魂に神による平安に帰るように命じるのです。
この勧めは、目先のことではありません。自分の生涯の回復なのです。「主は豊かにあしらわれる」のです。この神による愛の「あしらい」に生きようではありませんか!
世田谷通信(170)
猫草
保全ボランティア活動をしている緑地、通称里山周辺には学校が多い。公立と私立の小、中、高がある。今年さらに保育園と特別養護老人ホームができた。同じ建物に2つの施設が併設されるスタイル。そこの保育園児も要介護のご老人達も隣接する緑地をお散歩などに活用したいという。せっかく隣に2ヘクタールもの緑地があるのだし、いいんじゃない?と思っていたら、緑地の「リスク」について教えて頂きたいと保全ボランティアにお話がきた。うーん、そんなの考えたことがない・・。犬の散歩や通勤通学、近隣の方々が好きなように使っている場所なのだ。だって駅までの近道だし、公園だもの。
でもまあ、この際だからちょっとまとめてみましょうと、毒やトゲなど危険のある動植物をざっと挙げてみると、緑地に入るのが怖くなるぐらいリストはいっぱいになってしまった。
なぜなら、ほとんどの植物はアルカロイドという毒を持っている。それは葉っぱや花、実をむやみに食べられないための自己防衛であり生き延びるための植物の知恵である。毒があるから薬にもなる。タバコやコーヒーだって多用すれば毒だが、適量なら嗜好品ではないか。要するに人間側の使い方次第ということだ。
昆虫や蛇なども、こちらから挑発しなければ、噛んだり刺されたりということはまずない。でもまあスズメバチの巣は地面の下にあるし、ムモンホソアシナガバチは一枚の葉裏に巣を作る。うっかり踏んだり、手で払いのけたりすることはあるだろう。幼児や老人といった抵抗力の低い人たちは、アレルギー反応、アナフィラキシーショックを起こすかもしれない。蜂毒のアレルギー検査ぐらいはやっておいた方が良いのかもしれない。
土にだって無数の微生物がいるし、マダニや蚊を媒介して感染する場合もある。だが自らヤブや湿地に入らなければ、それほど危険はない。
車の事故は絶えないが、それでも車を利用し続けているのには危険と利便性を天秤にかけて、利益が上回ると判断しているからだ。どんな事象もリスクゼロにはできない。ある程度のリスクは保有したままで、適当なところで折り合いをつけるのだ。
むやみに怖がるよりも、重大な事故にならない程度に小さなリスクの経験と抵抗力を高めていく。そして緑地を歩くことは、癒やしと発見に満ちた宝物のような経験になるはずだ。一緒に楽しみ方を見つけていきたい。
『美しい朝に』・・37・・
9月20日
心身に疲れを覚えて困っていた時、長村先生に背中を押して頂き、「美しい朝」を読み直してみました。今の自分とは掛け離れているのに気づきました。自分を愛し、隣り人を愛する思いは、あの「美しい朝」の中にありました。直向きに生きようとする姿、怯えながらも病気に立ち向かう勇気がありました。
自分のことを書いていたのに、今とは違っていました。
9月22日
昨日は、内科の日でした。体重は-3キロでした。しかし、ヘモグロビンA1Cが、7.7で、危険な数値でした。今までで、1番高い数値で糖尿の合併症を心配しなければいけない数値でした。それで、薬を増やしてもらったのですが、
先生は、体重を3キロも減らしているので「いつも、体重のコントロールは出来ているので一時的に、薬の助けを借りれば大丈夫でしょう」と言われました。
帰ってから、熱が37度2分まで、あがってきたので疲れて、体調が悪くて数値が悪かったのかもしれません。時々、体調が悪くなると食欲が落ちて体重が減るので、お医者さんにはコントロールが出来ていると思われて、友達には、ひそかにうらやましがられています。
氷のうといつも仲良しです。安静に過ごします。病院の帰り、空を見ていると、秋の空でした。空を見ていると、「ホッ」としますね。
今朝は、9時まで寝ていました。私の熱は、36度9分でぎりぎりでしょう。愛ちゃんが、鳴きだしました。おむつは、大丈夫なのでお水を飲ませました。
それでもぐずるので主人のかわりに「リハビリマッサージ」をすると気持ちよさそうにしていました。その後、おしっこでおむつをはずしました。しばらくは、ペットシートの上でおむつをはずして寝かせています。ムレ防止のためです。そのうち、鳴きやむと思います。鳴き止んで、気持ちよさそうに寝始めました。この間に、私は仕事をしょうと思います。
9月25日
今日も、秋晴れです。洗濯が良く乾きそうです。昨日、干した1階のソファのクッションや毛布・カーテンは、お日様の香りがしました。ソファの周りも、片づけました。
21日に内科に行って、ヘモグロビンA1Cの数値が7・7だったので、食べるものに気を付けています。胡麻豆腐・高野豆腐・野菜ジュース・青汁を取り入れて、甘いものと炭水化物を減らしてカロリーを計算して、体重も-3キロをキープできるように頑張っています。食べたものを、書いておく方法は効果があります。少しでも数値を下げるようにしたいです。
今までは「昼は起きて、夜は寝るものだ」と言う常識に苦しんでいました。「うとうとと、寝れる時に寝たらいいから」と、神経科の先生のアドバイスに感謝です。
9月27日
本格的に、血糖値を下げるために、仕事の間で疲れた時に食べるように、カロリーが少なくて満腹感もあり、栄養も補える「おやつ」を用意しました。11月まで、血糖値は調べませんので野菜を1日350g食べるのは、無理なので野菜ジュースと果物の代わりにビタミンのとれる「おやつ」で補うつもりです。血糖値と体重のコントロールは、難しいと聞きましたが、合併症がこわいのでなんとか、頑張るつもりです。色々な病気を同時に抱えている場合、優先順位があると思います。私の場合、今は、糖尿病の克服です。
10月1日
こんばんは。昨日の夜、愛ちゃんは天国に召されました。19歳と6ケ月でした。食卓の下が寝床で、何時のようにマッサージをしてもらい、ご飯も食べ、水を飲み落ち着いていましたが、夜の11時頃、心臓が動いていないと言われて触ってみましたがまだ暖かかったです。泣きながら朝を迎えましたが、現実は変わりませんでした。人間でいえば100歳~110歳で、「本当によく頑張ったね」と言ってあげるのが私の出来ることです。「ペット・ロス」は、長くかかりそうです。お祈りください。
10月3日
こんにちは。今日は、すごく落ち込んでいます。悲しみの中に、沈み込んでいます。辛いです。お祈りください。
10月5日
昨日は、神経科でした。ペット・ロスは、眠れないのも食欲不振も胃痛も正常な人ならだれもが経験する深刻な問題らしく、喪失感は人それぞれで違うし、家族でも感じ方も違うので、特に20年近く家の中で一緒に暮らしていたのだから、どんなきつい薬でも、今は眠れないとのことでした。主人とも、「愛ちゃん」という存在がなくなったことで何かにつけ、きつい言い方になってしまいます。それも、ただ時間が解決するのを待つしかないそうです。頭痛も体中痛くて辛いです。お祈りありがとうございます。
10月7日
今日はお化粧もして、愛ちゃんのロッカーのようなお墓に、主人と行ってきました。主人の希望(子供たちも費用を出してくれました)で、動物霊園で愛ちゃんの葬式をして個別で火葬もしていただいたので、1年間は納骨堂のお墓を貸してくださるみたいです。もともと、石材店みたいで、石のグローブやフクロウが置いてありました。机の上の「白いお花」も写しました。名前は知らないですが、クリスマスにこんな形の「赤い花」を見かけますね。動物霊園なのですが、犬のお葬式も初めてでしたが、私たちの後に、「ハムスターのお葬式」と予定表に書いてあり、今どきのペット事情に驚きました。
10月11日
大阪も良いお天気です。真夏のような暑さでした。今日は、久しぶりに鍼治療に行ってきました。身体中痛くて、治療後はかなり楽になりました。先生が、聞き上手なので、心も楽になるからありがたいです。
主人から1匹。柴犬のぬいぐるみをプレゼントされました。今日のぬいぐるみは、抱いた時に重さを感じれるように作られてあります。ひざわんこの柴犬です。色々な工夫がされているのですね。
現在、柴犬のクッションが3匹。柴犬のぬいぐるみが2匹。あわせて5匹もソファの上に座っています。ふっと、どこからか愛ちゃんの臭いを感じました。
ペット・ロスで苦しんだことのある妹が柴犬のクッション3匹と寝息をしている柴犬を送ってくれました。ペット・ロスになった人にしかわからない寝息を感じる柴犬の優しさがとてもうれしいです。私のペット・ロスを心配してくれたのですね。「ありがとう」。
10月14日
昨日は、主人が早く3階に寝に行ってしまい、はたとキッチンを見たら、山のような洗い物!つい、頑張って洗ってしまったら、膝・腰が痛くなり、お腹も壊してしまいました。洗い終わったら、主人が起きてきました。やっぱり、自分の出来ることを地道にしないとだめですね。
11月は、血糖値の検査もあるのだから、体調を整えて、少しでも数値が下がるように努力を続けようと思います。
(このメール文の掲載はK・Aさんの了承を頂いております)
その愛のゆえに
=時々の記=
(139)
9月16日
台風の影響を受けて朝から冷たい雨が降りしきっています。しかも気温が低く最高気温が19度です。一気に10月の気候になり、あわてています。暖かいストーブが欲しいようなそんな寒さです。
わたしとの勉強を始めて以来、一度も休むことなく頑張って来てくれています。時には勉強のこと以外の話に盛り上がってしまうことがあります。それでも続けて学ぶ姿勢があればゆっくりでも少しずつ前へ進みます。今はもう、ワードのつづりを書く練習に入っています。英語が楽しい、といってくれるととてもうれしくなります。なんでも、まず最初は好きになることが大切ですから。
駆け足で秋がやってくるとは思いもしませんでした。秋の果物がお店で並ぶようになりました。食事の準備でガス台の前に立つのが少しは楽になりました。久しぶりに圧力鍋を使って温かい夕食の準備をいたしました。
9月21日
暑くなりましたがやはり吹く風は秋の気配を感じさせてくれます。台風の被害ではありませんが、落ち葉が庭に一面です。落ち葉掃きを手伝いましたがなかなか不慣れで、きれいに片づけられません。私はこの落ち葉があまり気にならないのですから、鈍感なのでしょうか。主人は落ち葉が気になるといっては几帳面に箒で掃きそろえています。犬たちは、秋になって少しはほっとしているようです。でも年齢が人間でいえば90歳を超えているというのですから、一日、一日、生きていてくれているのがとてもうれしく、また毎日、お別れの挨拶をして休みます。二匹のうち一匹は私の足元で毎晩寝ています。私から離れるとさびしいといって大きな声で鳴きますので皆の睡眠不足につながるといけないからです。一緒にいると、安心するのか、朝、4時までは静かにしています。この子たちとの残り少ない日々を大切にしたい今年の秋です。鹿の子供の鳴き声が裏山から疳高く聞こえてきます。
最近、Eテレで料理番組をよく見ます。マンネリ化している我が家の食事のレパートリーを少しでも変化させたく感じたからです。ただ見るだけで、台所に立つと、いつもの定番のメニューになっていますが、ちょっとしたところ、盛り付けとか、味付けに変化をもたらせるように努力しています。食事作りにかける時間がとても多くなってきています。手がのろくなっているせいでしょう。それと、できるだけ、我が家での手作りに重きを置いています。皆が喜んで食べてくれるのを楽しみにしながらで、その影響でしょうか。指がとても太くなってきました。今まで入っていた、結婚指輪が入りません。普段からあまり、そのようなものを身に着けなくなっていますので、苦にはなりません。少しでも手先を使って心のこもった食事つくりに精を出すこの頃です。我が家ではまさに“食欲の秋”です。
過疎の村キョウチクトウの艶掲ぐ。
星月夜、星の王子の物語。
あばら家に響き返りぬ、轡虫。(くつわむし)
トタン屋根、不意に響かす木の実かな。(どんぐりのこと) 馬場路哉
どんぐりがいっぱい前の道に転がっています。気を付けて歩かないと、木の実で滑ってしまいます。自然ゆたかな山添村での秋の一日です。
9月30日
朝は18度と少し、肌寒ささえ感じましたが、日中は気持ちよく晴れわたりました。久しぶりに横浜の姉と話し合いました。電話でですが・・・。今までの人生を振りかえって、神様のお守りとお導きによって生かされて来たことを感謝していました。姉は何でも一人で突き進んでいけるタイプでしたので、父も母も、ほとんど助けてくれなかったと言っておりました。それでも何とか今まで支えられてきていることに不思議な導きを感じるというのです。母から送ってもらったのは布団袋一つだけだったというのです。後はすべて自分で賄わなければならず、倹約のそのものであったけれど、感謝の人生だったといっておりました。
姉は横浜のミッションスクールで、教鞭をとりました。その時も一人で、横浜教会の方たちを頼ってお部屋を探していただき、勤め上げることができたことに心から感謝しているとのことでした。姉の連れ合いは転勤族でしたので、いつでも転勤命令が出たら引っ越しができるように準備し、最小限度の日用品で我慢していたとのことです。私は一度も姉のところへ出かけたことはありません。きっとこれからも横浜まではいけないことでしょう。でも二人で明るく天国で会えるはずだねといって電話を切りました。残り少ない人生ですが信仰を全うしたいものです。
讃美歌を歌ふ夫人や秋深む。
永遠の生命説かれぬ台風裡。
難病の肺炎と聞き身に染みる。
爽やかな目覚めを神に感謝しぬ。
薄絹に似て広ごりぬ秋の雲。 馬場路哉
10月3日
長村さんの足首の痛みが激しいようですね。お祈りしています。屋根裏に断熱材を貼っていただくことになりました。大工さんに天井の中をのぞいていただいたら、それは大変なことになっていました。スズメ蜂の大きな巣が二個もあったというのです。蜂はいなかったようでホッとしています。よく見ると、ムササビが散々暴れており、裏の杉の木の葉をいっぱい屋根裏に運び、遊んでいたようです。その上には電気の線がありますが、それをかみちぎって漏電寸前だったのです。今日は電器屋さんにも来ていただいて、屋根裏に入っていただいて、三か所も噛み切ってある電線を修理していただきました。火事になる前でよかったですね、といっていただいて、こちらも胸をなでおろしました。
みなさん、汗をたらたら流されての作業でした。屋根裏は空気の入るところがなくとても埃っぽく大変だったと申し訳なく思っています。でも早く気が付いてくださって感謝しています。古い家はやはりこうした点検が必要なのですね。私たち人間と同様、定期検診が必要なことを思い知りました。このようなことがなければ、いつまでたっても不衛生なままでしたから。
日輪と対話するかの曼珠沙華。
朝顔の種もつツルのすがたかな。
杖を手に恩師、集はれ暮れの秋。
菊の花熱心な声よみがえる。 馬場路哉
馬場暁美
「上野緑ヶ丘教会会員」
解説 ウエストミンスター信仰告白(63)
岡田稔著
(元神戸改革派神学校校長)
第29章 主の晩餐について・・・2・・・
4 個人的ミサすなわち司祭またはその他の者からひとりでこの礼典を受けることは(1)、会衆に杯を与えることを拒むこと、品々を礼拝すること(2)、崇敬のためにそれらを持ちあげたり持ち回ったりすること、偽りの宗教的用途のためにそれらを保存することと同様に、すべてこの礼典の性質とキリストの制定に反する(3)。
1 Ⅰコリント10:16
2 マルコ14:23、Ⅰコリント11:25-29
3 マタイ15:9
四 前項に引き続き、ローマ・カトリック教会の教えや、やり方を具体的に非難している。その基礎的な誤りは、第一にパンがキリストのからだに変化する、という教えであり、「これはあなたがたのための、わたしのからだである」(Ⅰコリント11:24)の「である」を字義通りに解釈するために生じた無理がある。ルター派も、この点にこだわったために迷信から十分には逃れきれなかった。第二に、前述のように、ミサを犠牲とする考えである。第三は、品々を礼拝しること(これは第一の点より来る直接の結果であり、ルター派ではキリストの人性を礼拝すると考える)。第四は、さかずきを一般信徒には分け与えないこと(マタイ26:27の「みな、この杯から飲め」は11使徒に言われたと理解している)。第五は、個人的ミサで、第四のことに関係して、司祭だけで別個に式を守ることは、聖俗二元論であり、他は第一点の延長である。
5 キリストによって定められた用途のために正しく聖別されたこの礼典における外的な品は、真に、しかしただ礼典的にそれらが表わしているもの、すなわちキリストのからだと血という名でしばしば呼ばれるような関係を、十字架につけられた方に対して持つ(1)。しかしそれらは、その実質と性質とにおいては、依然として前と同じように、真実に、ただパンとぶどう酒のままである(2)。
1 マタイ26:26-28
2 Ⅰコリント11:26-28、マタイ26:29
五 この項では、前述のローマ・カトリック教会の基本となっている化体説を具体的に非難している。パンはパンであり、ぶどう酒はぶどう酒であることに終始変わりがない。ただ、礼典が正しく信仰的に執行されている時には、この品々は主イエスの血と肉とのサクラメンタル(礼典的)な一致関係にあるから、パンがキリストの肉と呼ばれ、ぶどう酒がその血と呼ばれる。しかし、「である」は、どこまでも「引証・保証」の意味である。従って、キリストそのものよりも、キリストの贖いの祝福を意味し、また、与える効力を持つものである。
さんびか物語 ・・・44・・・
(広く愛唱されている50曲) ・・・43・・・
ポーリン・マカルピン著
(米国南長老教会婦人宣教師)
讃美411番
すべしらす神よ
<神様のみ言葉>
「こうして、私はこの日に至るまで神の助けを受け、堅く立って、小さい者にも大きい者にもあかしをしているのです。そして、預言者たちやモーセが、後に起こるはずだと語ったこと以外は何も話しませんでした」。
~使徒の働き26章22節~
新しい年を迎える者に素晴らしい力と希望を与える讃美歌の一つは、この“すべしらす神よ”であると言えます。
この讃美歌のストーリーは、新しい年を迎えようとしていた作詞者フィリップ・グッドリッジが、使徒パウロのアグリッパ王の前での大胆な弁明の箇所を読んで、大いに感動させられ、新年のために“神より得たる助けである”と言って讃美歌を書いたそうであります。
彼は、ある商人の20人の子供の末っ子で1702年6月26日にロンドンで生まれました。彼のお母さんは、信仰の迫害のためにヨーロッパからイギリスへ亡命したルーテル教会の牧師の娘でして、信仰の熱心な婦人でした。残念なことにフィリップは、まだ若い時に両親を亡くしました。ヘッドフォドにいた公爵夫人が彼を国教会の神学校へ行くための援助を申し出ましたが、それを断りキプワスの非国教会の神学校を卒業してから同地の教会の牧師となり、素晴らしい働きをいたしました。
1729年ノースハンプトンに移り牧会のかたわら神学校を開き、その学長として22年の間に、彼のところに学びに来る200人以上の学生たちをイギリスやスコットランド、オランダの主に非国教会の牧師として送り出しました。彼は偉い学者でもありましたから多くの著書も出版しています。また、讃美歌も400以上も作詞しましたが、出版のためではなく、説教を強めるために自分の教会だけで歌われていたものでした。ですから、彼の死後の5年後の1755年までは出版されていませんでした。しかし、その一巻に出版された中のあるものは英語讃美歌の傑作中の傑作と言えるものでもあります。
1954年版の讃美歌にも彼の作品は5つありますが、どれも広く愛唱されているものばかりです。その中でも112番の“もろびとこぞりて”は特に有名であります。彼はもともと健康には余り恵まれていませんでしたので、一番活躍できる年齢の時に結核になりひどくなるばかりでした。それで友人たちがポルトガルのリスボンで静養し、気候に恵まれた地で回復を願い同地で過ごされましたが、結果は思わしくなく、1751年10月26日に49歳の若さでリスボンで召されました。
この讃美歌の曲LOUVANは、アメリカ人の作曲家ヴァージル・C・ティラーによるもので、“すべしらす神よ”の収められている讃美歌集が出版されたおおよそ70年後の1846年に書かれたものであります。
ティラーは、1817年4月2日にコネチカット州のバーカムステットで生まれました。彼は1620年メーフラワー号で新大陸に渡り、自治体の組織を宣言(Mayflower Covenant)したエルダ・W・ブリュースターの直系の子孫でもありました。
彼は幼少の時から音楽的天分の持ち主であったため、父親はその才能を伸ばしてやるために、大型の教会用パイプオルガンを自宅に備え付けたそうです。彼のオルガンの演奏法は技術をみがきながら、多くの作曲もしておりまして、当時の有名なトマス・ヘィスティングス(讃美歌260番や384番をご参照ください)やロウエル・メイスン(讃美歌62番や320番をご参照ください)の影響を受けて、音楽教育に興味を持ち、方々の学校で音楽を教えました。
さらにコネチカット州、ニューヨーク州の教会のオルガニストや合唱団の指揮者として、最後にはアイオア州のデモインの聖パウロ教会のオルガニストとして74歳の生涯を終わっておりまして、文字通りオルガンと共にの生涯と言えましょう。
ティラーは音楽の本を6巻ほど編纂し、アメリカ讃美歌の発展に貢献しております。曲LOUVANは、トマス・モーア(讃美歌399番をご参照ください)のために作曲されたもので、特に気品のある旋律として、アメリカではいろいろな歌詞に用いられ広く普及しています。
神様のお恵みとみ助けとお導きを願いつつ、この讃美歌を共に味わってみましょう。
<411>
1 すべしらす神よ ときわにみちびく
み手のおおみわざ われらほめたたう。
1節で作詞者は、すべてを治め給い、すべてのことをご存じであられる神様のお導きとみ業をほめたたえています。昔、ダビデは、神様が全知全能であられることを深く知って、次のように歌っています。
「主よ、あなたはわが歩みをも、伏すをも探り出し、わがもろもろの道をことごとく知っておられます。わたしの舌に一言もないのに、主よ、あなたはことごとくそれを知られます。あなたは後から、前からわたしを囲み、わたしの上にみ手をおかれます。このような知識はあまりに不思議で、わたしには思いも及びません。これは高くて達することはできません」(詩篇139:3~6)。
私たちが常に心していなければならないことは、神様のみ前で日々を送っているということ、行ないや言葉が本当に神様をほめたたえ、喜ばしめるものであるかを深く考えることであります。
2 あたらしき年は 主の愛をしめす
めぐみはたえせじ 年のおわるまで。
2節では、目を新しい年に向けてさせ“あたらしい年は 主の愛をしめす”ものであると歌っています。主の愛と恵みがなければ、新しいスタートはありえのであります。その真理を、ペテロの手紙第2・3章9~10節が示しています。
「主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きを立てて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます」。
罪人なる者には明白でないのですが、神様の忍耐を本当に知って、悔い改めて、審きの日、滅びの日の来ないうちに、神様に立ち帰ることこそ2節の中心的メッセージであると思います。
3 いえにもたびにも よるひるわかたず
みめぐみをうけて この年をすごさん。
4 われらのゆくさき さだかに見えねど
みちびくひかりに 身を委ねまつらん。
5 禍幸(まがさち) よしあし ゆきかうなかにも
われらのよろこび やすきは主にあり。
この讃美歌の後半の3節から5節では、神様に対する絶対的信頼を告白し一日一日を神様に全く委ねまつる信仰者の姿を歌い上げています。特に4節で“われらのゆくさき さだかに見えねど みちびくひかりに 身を委ねまつらん”と実に美しく歌っています。また、3節から5節では、いろいろの言葉の対照をもって、神様の私たちへの愛を示し、共にその愛に答えて信仰を、より一層確かなものになさしめようとしてもいます。
たとえば、“家にも旅にも”“夜昼”“見えねど光”“禍幸(まがさち)”“ゆきかう”などで、どのような状態に置かれても、どのような悩みや失望に襲われ陥っても、神様に身を委ねる信仰者は、気落ちすることなく神様を信頼し神様の導き給うことに確信をもって、従いゆくことを喜びをもって歌っています。
読者の皆様、あなたの喜び、また、あなたの心のやすらぎは、ただ主にのみあるということを心にとめて、主イエス・キリストの十字架に目を留め永遠のみ国を目指す今日であり、明日でありますようにおすすめいたします。
バラ・マカルピン「日本伝道百年史」・・1・・
水垣 清著
(元中津川教会牧師・元「キリストへ時間」ラジオ説教者)
1 ゼームス・H・バラの来日
バラ先生は、米国ニューヨーク州デラウェア、カウンテー ホバアトと言う町で、1832年(天保3)9月7日に生まれました。
父はジョン・ハミルトン・バラ(1800~1888)と言い、母はアン・グレイギ(1807~1887)と言い、ともに米国のダッチリフォームド教会に属する熱心な会員であった。アン・グレイギ夫人の願いは「子供に恵まれたら、その幾人かは、私の代わりに外国宣教師となってもらいたい」と言うことであった。そうした篤信の母親の祈りと教育によって、その家族の中から4人の宣教師が出たのも偶然ではなかった。その後一家は、住居をダウエンポルドに移したので、少年バラはそこで小学校に通学した。
時に魚を漁(すなど)り、農業の手伝いをし、羊を養い、バターをつくったり、気まめに働いて日曜日には8哩ほど離れリフォームド長老教会に出席した。
1844年、バラ先生12歳の時ニューヨーク市に一家は転じ、さらにロックランド、カンテーに移った。この地のウエスト バプテスト ダッチ教会に出席、会員となり、将来、外国宣教師となる決心をしたという。
1852年の秋、ニュージャーシー州ニューブラウンズビックのラドガースカレッジに入学し、同校を卒業後、ニューブラウンズビック神学校に進み、その在学中にダッチリフォームド教会から、日本へ宣教師を派遣することとなり、バラ氏は卒業後その召命に応じて日本に行くこととなった。
1861年、バラ氏はヴァージニア州ブロスベリー出身の、同様に宣教師志願のマーガレット・キンナー(1841~1909)女史と結婚して間もなく、6月1日ニューヨーク港から帆船の「キャセイ号」に乗って米国を出発し、アフリカの喜望峰(ケープタウン)を経由して、122日を費やして9月28日、やっと上海に着いたのであった。
バラ夫妻は、さらに10月23日、上海から貨物船アイダロジャース号に乗り換えて日本に向かったが、その船は156トン積の帆前船で、乗客4、5名、水夫8、9名のボロ船であった。途中11月7日、熊野灘で暴風にあい、船体は沈没の危険にさらされ、船長も絶望して、一同は死を期す有様となった。
バラ氏は当時の心境を「私は今、自分が死ぬのを憂い悲しむ考えはありませんでした。ただ、私を日本に派遣したリフォームド教会の伝道局は、先に一人の宣教師を支那に送ったが、すでに日数を経過しても、その到着の報告もなく、きっとその船は難破してしまったものと噂されております。私の乗っている船も、今や暴雨風で海底に沈もうとしている。リフォームド教会の伝道局は、微力を以て外国伝道を新たに行わんとし、今、日本の国土を眼前にしながらその伝道計画は、水泡に帰さんとしています。この156屯の小船に伝道局の存亡がかかっています。自分が死ぬのは惜しくはないが、唯、伝道局の前途が心配であります。「神よこの船をつつがなく無事着岸せしめ給え。私は誓って身命を惜しまず、忠勤に励んでこの使命を全ういたしますと祈りつつ、この誓いを以て私は日本に来たのであります。神はこの誓いを果たせるために私を紀州灘で救われた」(バラ先生来朝40年祝賀会演説)と述べておられる。
バラ氏夫妻は、19日を費やして1861年(文久元年)11月11日、やっと神奈川に着くことが出来たのである。嵐はただ海上のみではなかった。当時の日本もまだ尊王攘夷、王政復古の倒幕のため不穏な状態にあった。特に西洋人は夷狄(いてぎ)と軽蔑し、殺傷事件がひんぱんに起きていた。宣教師に対しては、切支丹邪宗観の立場から蛇蝎(だかつ)のように忌みきらっていた。
幕府は先年来(1860・萬延元年)、銅を外人に私売するのを禁じ(10月17日)、米、麦粉を売ることも禁じた(11月3日)。12月5日には米国公使館通訳官ヒウスケンが江戸の麻布古川橋で暗殺され、この年(1661)5月28日には、水戸藩士の14人が英国公使館の品川東禅寺を襲撃して英人2人を斬るなど、物騒な時代であった。
江戸幕府と天皇家の妥協をはかって、尊王攘夷の対立を和らげるため、皇女和宮が将軍家茂に降嫁する大行列が木曽道中を、深谷宿(埼玉県)から熊谷宿(埼玉県)に向かっている頃、バラ先生夫妻は日本に上陸したのである。
この日11月11日は、バラ夫人キンナーさんの誕生日に当たっていた。バラ氏29歳、キンナー夫人21歳で、この若い夫婦が最初のスイートホームとなった場所は、神奈川の成仏寺本堂で、その本堂を4つに区画した一室であった。それは米国領事の斡旋で神奈川奉行から居住許可を受けたところであり、すでに、北米プレスビテリアンミッションから宣教医として派遣されたヘボン博士が住んでおり、他に先着のダッチリフォームドミッション派遣のS・R・ブラウン宣教師夫妻と子供たちと、そしてバプテスト教会のゴーブル宣教師が住んでいた。
バラ夫人は神奈川(横浜市)に到着した時の有様を「旧日本の瞥見(べつけん)」に次のように記している。
「私達は、寒さ身にしむほどの11月の日暮れにやっと到着しました。私の21歳の誕生日に、ブラウンさんの家族は私達を迎える為め、埠頭に行かれたのですが、あまり早すぎたので暫く我々の船の到着まで友人の家で待つこととしました。その為め、私達は皆に会うため、新しい居留地の道を歩かされ、それから神奈川まで小舟で行かねばならなかったのでした。その舟とは天蓋のない小舟で、半身裸体の船頭が船歌にあわせて掛け声をかけながらこいで行ったのです」。
この文章は、月刊「つのぶえ」からの転載で、「つのぶえ社」から許可を得ています。
「あなたに聖書を」
「キリスト教百話」・・・59・・・
問22 「救い」ということが「罪と死からの解放」を意味するものであることは分かりましたが死からの解放としての「復活」については、どうもよく理解できません。
答・・2・・
キリストの復活という出来事の以前に、キリストが死者を復活させられたと言う話がヨハネ福音書に記されています(11章)。それはラザロという男が死んで墓に入れられ、死後4日経っていたのに、イエスが「ラザロ、出てきなさい」と大声で叫ばれたところ、ラザロは起き上がって墓から出てきた、という話です。イエスがラザロを生き返らせた話として有名です。
この話をどう受け止めるか、どう説明したらよいか、難渋します。人によってはラザロは仮死状態だったと言いますが、死んでから4日も経ってのことで匂ってもしたと言いますから正真正銘の死であったと言えます。
キリストの復活の場合は、それがキリストだとは分からなかったと言いますから、復活ということは生きていた時の姿の延長態ではなかったのですが、ラザロの場合はそれと分かる仕方での復活でした。その後、ラザロはどうなったのか、戸籍簿にどう記載されたか興味を惹くところですが、死んだ人が生き返る経過の観察記録など皆無ですから事態の説明のしようがありません。ただ、この話の中で考えさせられることは、ラザロが死んだことを、その姉妹たちが泣いているのをキリストが見て、心に憤りを覚え、興奮された、と言うことについてです。
普通親しい人が死んだ時、泣きはしますが、憤って興奮すると言うことは先ずありません。がイエスは憤られた、というのです。これは私の解釈になりますが、この憤りは「ラザロをこのままにしておいてなるものか」と言う激しい思いからであり、これがラザロを生き返らせる力となったのだと思うのです。
事実、わたしたちも愛する者を失った時、「死なせっ放しにさせてはおかない」という思いがあって、それが死者を今に生き返らせているという事実があるのではないでしょうか。それが死者に対する愛であり、この愛の中へ死者は何時も甦ってくるのではないでしょうか。
そういうことを思うと、ラザロの死に対してはイエスの、イエスに対してはその父なる神の愛が、死の壁を破って、新しく生かす力となって現れるのは、むしろ当然のことではないかと思われるのです。
篠田 潔
(日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
<2017年11月のラジオ放送予定>
11月 5日 高木総平 (岐阜済美学院総主事・中部学院大学宗教主事)
12日 高木総平 (岐阜済美学院総主事・中部学院大学宗教主事)
19日 志村 真 (中部学院大学短期大学部宗教主事)
26日 西島麻里子(済美高等学校宗教主事)
(放送開始1952年10月)
CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ)
毎週日曜日朝6時30分~45分放送
第80課 キリスト者生活の実践的義務
=12:1~15:13=・・・32・・・
D 聖い生活を送るべきキリスト者の義務 ・・13:11~14・・
「なお、あなたがたは時を知っているのだから、特に、このことに励まねばならない。すなわち、あなたがたの眠りからさめるべき時が、すでに来ている。なぜなら今は、わたしたちの救いが、初め信じた時よりも、もっと近づいているからである。夜はふけ、日は近づいている。・・・」(11,12節a)。
ここで「眠りより正に目覚める時である」と教えられていますが、ここでの「眠り」というのは、霊的無関心、または霊的無気力の状態の象徴です。世の楽しみや事業に没頭していて、神や自分の魂・永遠と言ったことについては、僅かしか、あるいは全く無関心である人々は、霊的睡眠の状態にあるのです。真のキリスト者でさえも、一時的にはこのような霊的睡眠の状態に陥ることは稀ではありません。彼らは神に関する事柄について無気力、無自覚的になることが時としてあり得ることです。
霊的に眠っている人々は目を覚まさなければなりません。パウロは今こそ目覚める時であると言うのです。その理由として、パウロは、私たちが初めて信仰者となった時より、今や救いは近づいてきていることを付言しています。
ここでの「救い」とは、私たちが死に際して罪より完全に救い出さていること、あるいは復活の時に私たちが罪とその結果の腐敗から、完全に救い出されることを意味しています。さらにこれら二つのことを共に含んでいると考えてよいのです。
私たちが主と共になる日、あるいは主の再臨の日のいずれを考えていようと、私たちが初めに主を信じるようになった日に比べて、大いなる救いが私たち一人一人に近づいてきていることは真実です。この思想こそ、すべてのキリスト者がそのキリスト者生活を不断に目覚めて生きて行くのに、大きな励ましとなるべきものです。
今日の教会の中において、ここでパウロは語っているような意味において、霊的に眠っている多くの会員たちがいます。これらの人々がみ霊によって再生しているかどうかは、神のみが確かに知っておられるのです。しかし、聖書の簡単な引照もできず、先の人の祈りの繰り返ししか祈ることが出来ず、礼拝にはごく稀にしか出席せず、出席しても上の空で会堂の中をキョトキョト眺め回している人々、ダビデ王がバプテスマのヨハネより先の人物か、後の人物かを言うことすら答えの出来ないような人々、このような教会員は霊的に眠っている人たちです。
これらの人々は、今こそ目覚めるべき時なのです。おそらく、そのような名前だけの教会員は救われていないかもしれませんし、ある人たちは生まれ変わってはいるが、長い間にわたって霊的成長が止まってしまっているのです。今こそ、このような人たちがその眠りから目覚めるべき時なのです。このような霊的睡眠の状態の教会員が存在することこそ、今日の教会が無気力化し、形骸化し、それと対照的に種々の異端や疑似教会がはびこる理由なのです。
J.G.ヴォス著
玉木 鎮訳(日本キリスト改革派教会引退教師)
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」