忍者ブログ
2023年7月号  №193 号 通巻877号
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


「今月のことば」 

悪い言葉をいっさい、あなたがたの口から出していけない。必要があれば、人は徳を高めるのに役立つようなことばを語って、聞いている者の益になるようにしなさい。

    =エペソ4:29=  

私たちにとって大切なものは数え切れないほどありますが、その中でも、「ことば」が如何に大切かを「今月のことば」で振り返ってみたいと思います。

言葉を話す能力は、神様からの最大の贈物の一つと言えます。「ことば」によって私たちはお互いに理解しあい、意志や思想を表現し、心の中に有ることを語ります。「ことば」によって、お互いの涙を乾かし、背負いきれない重荷を取り除き、心の闇の中に光を灯し、助け合い、生と死を乗り越える光を見出すことが出来ます。

どんな良い音楽も、よい「ことば」のようには、美しい旋律や大きい宝や、幸福をもたらすことはできないかもしれません。キリストの愛の支配するところでは、私たちの「ことば」は、天国に通じる道しるべにもなります。

 

しかし、私たちの「ことば」が悪く、キリストを救い主と語らないなら、そのもたらす結果は、その口から言い訳のできない「最悪」を招くのです。「ことば」は、滅びと悲惨を招くと思う時、神様に浄めたまえ、と祈る以外にありません。

聖書は、「舌は火である、不義の世界である、それは全身を汚し、滅びに至る」と言います。そうであるなら、私たちキリスト者が語る「ことば」を聞く人々の益になるなら、何と幸いなことでしょう。

 

私たちキリスト者が交わす「ことば」を多くの人は聞いています。その一言が、その人にとって、思慮のない話、悪いことば、また噂話であるなら、神様は、私たち一人ひとりに、「ことばに注意せよ!」と厳しく警告されます。この警告を、心を低くして受け止め、聞く必要があります。

世界は、言葉の洪水です。ある時期から「フェイクニュース」に色々な形で接する時代になったと言われていますが、それは、人間の歴史そのものと一体でした。混迷と暗闇の時代、見せかけの偽りの平和という時代は、神様から離れている時代でもあるとするなら、神様のこの警告の声に聞き従うことです。

先人は言いました。教会が、キリスト者が、この警告に従わない時、その時代、教会もキリスト者も霊的には精気のない半分死んでいる状態と言うのです。舌を制する者はその魂を過ちから守る、と。

すべての悪意と偽りとを 舌と心と精神とをもって追い払おう。

そうすれば地上は楽園となり 平和と調和はつづき 善意が支配する。

PR

  「小閑記」

そこでイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いた。

       =ルカ24:45=

 

今の時代、幸いにも簡単に聖書は手に入れることが出来ます。しかし、聖書は、哲学や科学の本、文学に関する本とは異なります。

聖書のみ言葉、それが神様のみ言葉であるからというばかりでなく、神ご自身がみ言葉によって、み言葉への扉を開いてくださらなければ、そして、私たちの心に信仰という思いを、新しい光として下さらなければ、誰も、神のみ言葉として受け止めず、その意味する内容に、触れることはできないのが「聖書・神の言葉」なのです。

 

多くの人は、何らかの機会に聖書を手にする機会はありましたが、聖書をこの世的な眼で読む人は、奇跡やイエスがキリスト(乙女マリヤから生まれた救い主)であるという誕生の過程を知って、ただ馬鹿げたことの記録と一瞥するのです。

 

しかし、神の恵みによって聖書が開かれるところには、私たちがみ言葉の中に、命の御霊の法則を見出し、死んだ者に命を与えます。罪のあった者が自由にされ、神の側に生きる者に変えるのです。重い重荷は軽くなり、破れた心は癒され、全てが謎であったところに、主イエス・キリストに生きり道を見るのです。もし、神様が聖書の中の命、御霊の法則に通じる扉を閉じるなら、どれほど長い時間をかけて読んでも、光は射さず、解決も、恵みも、慰めも見いだすとは出来ません。

聖書の中には、このようなことが書かれています。エマオへ行った弟子たちと共に、私たちは心重く、謎の中を歩むでしょう。過去のことや、もはや現在でないことを思い悩んで、ただ歩くばかりしかありませんが、ご自身のみ言葉へのカギをお持ちなる神様が、私たちに開いてくださるなら、私たちは光を見出し、イエス・キリストのみ顔の栄光を見るのです。

 

私たちはみ霊によって聖書のトビラをお開き下さいと、祈らなければならないことを、お互いに何度も何度も指摘し合い、励まし合うことを止めてはなりません。励まし合い、支え合うことに遠慮は無用なのです。これこそ、信仰者の交わりなのです。そこに救いがあり希望があるからです。


世田谷通信(231

猫草

 

  対面で集まることが制限された代わりに増えたのが「オンライン」。当初はそこまでしなくてもいいのでは?と思っていたが、やってみるとなかなか便利。

 イベントのオンライン配信は必須。病院もオンライン診断。混雑する待合室が苦手な自分にはありがたい。いつもの薬をもらうだけならそれで充分。

 オンライン茶会というのもある。毎週決まった曜日の朝に数人がオンライン上で集い、それぞれお茶を立てて、一緒にいただく。先生から所作のアドバイスや季節のお話なども聞ける。10分程度の簡単な茶会なので気軽に参加できる。

これに参加するときは前日に近所の和菓子屋さんで上生菓子を一つ選ぶ。細やかな季節の移ろいを小さな和菓子に凝縮させる感性にはいつも感嘆する。老舗の和菓子屋さんの相次ぐ閉店というニュースも耳にするが、色合い、形、ネーミングセンス、どれもスーパーやコンビニに並ぶ大量生産のお菓子にはない繊細さで成立している世界が消えていくのは寂しい限り。

 大学のゼミもオンラインが基本で、例えば出張先でもネットにつながれば参加できるメリットがある。

 世田谷の小学校でも全員がタブレット端末を持っていて、自宅でも授業に参加することができる。そう。つまり学級閉鎖になっても授業はあるのだ。誰もいない教室で、先生が明るい声で「みなさん、おはようございまーす!聞こえますかー?」とカメラに向かって笑顔を向けている時がある。直接会えない分、テンション高めでやっていかないと自宅で周囲に誘惑物の多い子どもたちは集中が切れて、飽きてしまうというのだ。国語、算数などの座学はもちろん、体操までオンラインでやっている。通常授業に加え、ライブ配信までこなすとは、ほんとうに先生方、お疲れ様です。

 あきらめるよりオンラインで実現できるのはありがたい。軽々と距離や空間の制約を超えられる。でも、それゆえに一緒の空間を共有することの「確かさ」もまた、しみじみと感じる。

 

   <いきいき里山・山里ものがたり>

  「ジャーナル友」の皆様へ。刈り取られた畑には白鷺や沢山の渡り鳥が餌をついばんでいます。冬の風物詩です。白山山々も雪です。お正月の支度も始めなければ・・・と思っています。主人も健康で畑仕事に励みながら、一年を振り返っています。今年も手作りのクリスマスツリーを作りました。飾り物は子供たちの手作りです。今は子供たちのいない食卓の上に飾ってあります。穏やかな日々に感謝しています。  福井県 IKさん

 


「美しい朝に」

  最近思うことを文章にしてみました。寝たきりになったおかげ?で、難病に甘えていた自分に気がつきました。 その当時は、難病で指も動かせず、声も出せず、微動だにできず、瞼さえあけれなかった。そして、神経科の眠剤を服用しなければ、全く眠れない。それなのに、それをだれにも伝えるすべがない。のどが乾いても管で栄養を取っているので、そのような時を過ごしました。反省と後悔、もっと掃除や料理もしとけばよかった。眠剤を止めとけば良かった。

  家に帰ってからは内科の寝る前の薬は飲まないようにした。軽い内科の薬は効体から眠剤を抜くことに決めました。家でも、立ち上がることもできないので、まず、アテントでのトイレに行く練習からでした。ハイハイして・・・。そんな状態で好きな折り紙も半分におることすらできなかった。でも眠れない時間を楽しみながら何とかか折り紙の作品を喜んでくれる人の笑顔を思い浮かべながらできるようになった。 今は、自転車で移動できるようになり、何でも自分でできるようになり、夜は、全く自然に5時間は熟睡できるようになりました。難病の数値も正常値になりました。お祈りは今だに出来ませんが、以前より、根気強くなった気がします。朝の来ない夜はない、と思います。

 もう1つ、リハビリに役立ったものがあります。ハーバリウムというもので、ボールペンの中にオイルと花などを入れて作ります。ピンセットで、小さな花を中に入れるのですが、最初は指が麻痺していて1つも入れられませんでした。指のリハビリは、お箸で豆を挟むくらいで楽しくなくて続かないですが、落としても、まわりが花だらけでしたが、幸せに、そして、麻痺はなくなりました。瓶に花を入れた作品です。今はなんとか元気に冬を迎えようとしています。

  

=沙耶香のつぶやき=

   お母さんにさそわれて、車で1時間くらいの所にある紅葉の名所に行ってきました。思ったより人出があり驚きました。レストランも混んでいて、家でじっとしていた方が良かったと思いながら夕方車の中から外を見ていたら林の中に動くものあり、車を止めてもらいそちらの方に行くと、何と鹿がいるではないですか・・・!小学生ころ動物園で見た鹿とは大違い、逞しく、精悍で、なによりも生き生きしてた姿に、感動しました。厳しい環境でも自然に生きている姿がありました。それに比べて私は何て甘い弱虫なんだろうと思いました。人の目がどうのとかなど、どうでもいいことなのですよね。・・・。

 

       ********

  沙耶香さん、お元気ですか。私は78歳のおばあさんですが、下の孫が沙耶香さんと同じ年ごろでないかなあ~と思いながら「沙耶香のつぶやき」を読んでいます。孫は大阪にいますので、メールを交換しています。私は高知の山奥に住んでいます。今、花を付けているのは山茶花だけです。庭の外の土手には野菊が可憐に咲いています。野生のススキがとても秋にふさわしく感じられるこの頃です。急に朝、夕冷え込んできました。体調管理には気を付けください。「美しい朝」さん、お元気になられて良かったですね。若い頃、大阪に出て働いていましたので、様子は変わりましたが、街並みの写真を見て、楽しんでいます。ありがとうございます!庭の柿の木にお猿さんが来て食べています。  高知県 KKさん

 

*この掲載は原稿の時にお送りし、全て了解を得ております。編集子


 『その愛のゆえに』

   =時々の記= 

    (201)

 

10月12に日

 娘が働いている子供の幼稚園が代休ということで、山添村の美しい緑の山々、おいしい空気、水をとても喜んで思い切り吸い込んでいました。お茶の味が奈良の水で飲むのとは全く違うと感激していました。我が家は湧き出る自然の水ですからそこが少し違うのかなと思いました。とにかく空気がおいしいし緑が美しいので心身ともに癒されるといって、午後2時のバスで帰りました。毎日生活している者にとっては感謝が少ないのですが、都会のビルの谷間に住んでいる者たちにとってはこの自然のダイナミックさに心癒されるのでしょうね。今朝も散歩は午前9時過ぎです。

 深緑強くうねりて秋の川。

聖霊の励ましと聞くちちろ虫。   馬場路哉

 

10月16日

 こちらは昨夜から冷え込みが一段と厳しくなり、エアコンは暖房にしましたが、古い建物なので台所は寒くてストーブも使用しました。慌てて冬物を引っ張り出しています。この急激な変化は私たち高齢者にはなかなか厳しいものがありますね。そのような私たちに励ましと力を下さるのが、「ジャーナル友」の皆様の投稿です。毎日の生活で精一杯の私は多くの「ジャーナル友」さんから励ましをいただいて、とても気持ちだけは元気な私です。

木犀の花雨に散り流れけり。

柔らかき夕日当たりて竹の春。

鉄色に数多着くなりずおうの実.(ずおうとは春に咲く紫色の花です)  馬場路哉

 

10月31日

 先ほどから雨が降り出しました。肌寒い一日です。ジャーナルを読んで11月は来年度の計画立てるにふさわしい月であり、この一年間の反省をする月でもあるのですね。そんなことを考えて一日過ごしました。夜が早く暗くなってしまうのが寂しく感じるのです。一日があっという間に終わってしまいます。でもこうして静かに繰り返してジャーナルを読む時間が与えられ、祈る時間が与えられ、心から感謝しています。

竹の春色逞しく揃ひけり。

傘寿して迎えに行くや秋の暮れ。

岩に腰秋草刈りに疲れもし。

伊賀盆地残照のあるイワシ雲。

コオロギや疲れし老いの眠り歌。  馬場路哉

 

117

 立冬の名にふさわしく、今朝はとても冷え込みました。ストーブとエアコンをガンガンつけて台所に立ちました。先日もお一人暮らしの方が家の外へ出ようとして転倒されました。骨折です。今は病院で治療とリハビリを頑張っておられるようです。何をするにも慌ててはいけませんね。気を付けたいです。

聖霊の働きを読み灯火親し。

老ひの身に短き秋の一日かな。

高原やときめくものに薄紅葉。

夕霧の水源の山隠しけり。

谷戸の灯の一つ点りて秋の暮れ。  馬場路哉

主人は、明日は上野市民病院にて年に2回の検査です。15年目になります。何度も不安にさらされて、今まで生かされていることに感謝です。

 

馬場暁美 

上野緑ケ丘教会会員


眸(ひとみ)

 

  私たち夫婦の日常は、送迎の車で週二回、運動を兼ねた高齢者の運動施設に通っています。時には夫婦別々の施設が良いでしょう、とのケアマネさんのアドヴァイスで3年目になります。信仰生活も教会生活も同じところでしたので、最初は心配でしたが、今はお友だちも出来て楽しく、運動をしたり会話を楽しんでいます。東京のど真ん中のマンション生活で、お隣さんも同じ階の人とも会話のない生活も若い時は良かったのですが、ある年齢になってから都会の孤立を実感していましたので、週二回、お仲間さんとお会いする楽しさと刺激を貰っています。夫との会話もお友だちのことなどで、話題が広がりました。「ジャーナル友さん」の中にも、そのような方はおられるのではないでしょうか、ふと思いました。 神奈川県 WSさん 

  俳句仲間と紅葉狩りに行く予定が、急の寒さに、急遽、皆で川魚を食べにいくことにして出掛けてきました。それぞれ、思い思いにメモ帳に書いたものを披露?しながらの食事会になり、楽しい時間になりました。そうそう・・・、紅葉(もみじ)狩りを紅葉(こうよう)の季節になりましたね、と書くのが面白いですね~が話題になりました。 栃木TTさん

   今年のクリスマスはご近所のお年寄り(私たちもですが)を数名、お招きして、手作りのクリスマス会を計画しました。24日は教会に行きますので、早めのクリスマス会です。長いカナダでの生活がそうさせたのですが、普段、信仰の話や今までのことなどや、経験したことなどお聞きする機会はありませんでしたので、そのような計画をしてみました。どのような集まりになるか、今からワクワクしています。  岡山県 SKさん

   数日前までは初冬の寒さでしたが、昨日とは打って変わって気持ちの良い小春日和でした。晴れ間が広がってやることがたくさんありすぎて忙しく過ごしました。小さな畑はまたイノシシにやられてしまいました。せっかく水菜が大きく成長し始めたところなので残念ですがイノシシもおなかがすいていたのでしょうから、仕方ありませんね。野生の生き物たちとの共存生活ですから、許してあげています。  群馬県 WSさん 

<身近な出来事を「眸」に投稿してください> 編集子 


十戒と主の祈り      

鈴木英昭著

        (元日本キリスト改革派名古屋教会牧師)

主の祈り(文語)
天にまします我らの父よ
願わくは
み名をあがめさせたまえ
み国を来たらせたまえ
み心の天に成る如く地にもなさせたまえ
我らの日用の糧を今日も与えたまえ
我らに罪を犯す者を我らが赦す如く我らの罪をも赦したまえ
我らを試みに遭わせず悪より救い出したまえ
国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり
アーメン

 

=御心=

第三の祈り②・御心に従う

       詩篇119:25~48

 

 神の隠された意志が変わるように祈っても変わりません。主がゲッセマネの祈りにおいて、最後に「しかし、わたしの願いどおりではなく、御心が行われますように」(マタイ26:39など)と祈られましたように、主は父の御心が変わらないことを知っておられました。イスラエルのバアル礼拝に対し、神が下される裁きとして、雨が降らないことを預言者エリヤが願い、三年半にわたって雨が降りませんでした。そして、雨が降るように祈った時、雨が降りました。しかし、それは預言者である彼にあらかじめ知らされていた神の啓示に基づくものでしたから(列王記上17:1)、エリヤが神の意思を変えたわけではありません。

 入学試験に合格することを祈ることは、その学校について調べ、過去の試験問題を学習し、合格のため努力をすることも祈りです。神の隠された意志を知ることを求める祈りではありません。

 

 前回学びましたように、この第三の「御心が天になるごとく地にもなさせたまえ」の祈りは、父が明らかにされた御心が、私たちによって行われるように求める祈りであることを教えられました。それは具体的には私たちが思いと、行いにおいて父の御心に喜んで従うことです。主イエスが御父の御心に従い、サタンの求めをきっぱりと拒絶したことがその手本です。私たちの罪から来る弱さがありますから、その戦いは生涯続きます。そのため、父の助けを受けることがなければ、父の御心を行うことができないということを、へりくだって認めるように神に助けを求め続けることです。

 そのために、この第三の祈りをするとき、私たちには三つの思いが込められていると、アーサー・ピンクは語ります。その願いの第一は、先ず父の御心が聖書によって明らかにされ、それを知ることができるように、つまり、聖書を読むことに熱心であり、喜びであるように、という求めです。「あなたの命令に従う道を見分けさせ・・・あなたの掟に従う道を示してください・・・」(詩篇119:32,36)。

 第二は、その教えられた御心に、私たちの思いが向かうことを求める必要があります。「あなたによって心は広くされ、わたしは戒めに従う道を走ります。・・・あなたの定めに心を傾けるようにしてください」(詩篇119:32,36)。聖書の言葉を知っているというだけに留まっていては、御心を行うことができないからです。

 こうして、御心を知り、御心を行なう願いの上に、第三は、父の御心を行うために霊的な力を父から与えられて実行することです。そこで初めて御心を行うことができます。「あなたの戒めに従う道にお導きください。・・・あなたの律法を守る者でありますように、常に、そしてとこしえに」(詩篇119:35,44)。

 


バラ・マカルピン 日本伝道百年史

       水垣 清著

 (元中津川教会牧師・元「キリストへの時間」ラジオ説教者)

23  ミッションの引揚・・1・・

 

1939年(昭和14)3月30日、マカルピン氏に次女のジェンさんが生まれました。二人の幼児をかかえてポーリンさんも毎日忙しい日が続いた。日本は準戦場と化して学校も軍事教練や学徒動員が必須となり、鉄製不急品回収、献納が始まり、物資も統制期に入った。すべてが日本の戦争目的へと、駆り立てられる時代に、しかも敵視の目で見られるマカルピン氏夫妻の日々は辛いものがあった。

 

そして8月26日、アメリカは日米通商条約の廃棄を通告、ここに日本とアメリカとの平和への通路は、全く閉ざされた急迫期に入ったのである。さらに、9月1日、ヨーロッパではドイツ軍がポーランドに侵攻し、同3日、英・仏の対ドイツ宣戦によって、 ここに第二次世界大戦は始まった。世界制覇を目指す日本・ドイツ・イタリアの共同体は、日本も極東の地に於いて同様の侵略戦争は回避すべくもないところから、戦争体制強化の一環として宗教統制の法令である宗教団体法が同年3月に成立し、翌1940年(昭和15)4月1日実施された。

キリスト教団体も全て許可制となって、国策に反するものは認可されず、認可されないものは文部省の管轄を離れて内務省の支配下にはいり、言論、集会、思想の取り締まりの対照となって警察力による検挙弾圧を受け、解散させられることは必定であった。

 

この1940年は日本全国が軍隊化したと言ってよいほどミリタリズムによって統制され、日本絶対主義の全体主義体制へと進行した。

写真…岐阜県大井国立療養所聖書研究会(1950年)


   「いのり」

「朝の祈り 夜の祈り」より

       J・ベイリー著

       新見  宏 訳

 

 =夜=

 主よ、あなたは昼の主であれるように、また夜の主であり、すべての星はあなたのみ心にしたがっています。この暗黒のときも、わたしもまたすべてをみむねに委ねたく願います。

 わたしの心に頭をもたげる利己心からなすべき務めをのがれる臆病から、うけなければならぬ苦しみを避けようとする反逆から、与えられたものに対する不満から、他人の幸運をうらやむ妬みから、あなたが5タラントン、あるいは10タラントンを与えず、1タラントをお与えになったことを軽く考える思いから、被造物の分を超えた思いあがりから、ふしだらな思いから、学ぶことを欲せず、仕えることを厭う態度から、神よ、わたしを解き放ってください。

 父なる神よ、あなたは、わたしが最も遠く離れているときに最も近くにいまし、あなたに見捨てられたと思うときでさえ、すぐそばにおられるかたです。どうか、わたしの我意が敗北することが、あなたの永遠の目的の成就でありますように。

 わたしに、あなたの実在と力をもっと確信させてください。地上にあるわたしの生の意味をもっと明らかに悟らせてください。永遠の生命をもっとしっかりと掴ませてください。見えざるものをもっとはっきりと望み見させてください。わたしの欲望をもっと抑えやすく、わたしの想像をもっと清純にしてください。隣人に対する愛をもっと深く、やさしく、彼らの重荷をすすんで負うものとしてください。

 神よ、わたしのたましいと、わたしの愛し、愛される人びとのたましいを、み守りにゆだねます。

 イエス・キリスト、われらの主によって。  アーメン 


聖霊とその働き   

           エドウィン・H・パーマー著      

鈴木英昭訳

        (元日本キリスト改革派名古屋教会牧師)

第1章   聖霊と三位一体

 

Ⅱ 聖霊は神としての人格を持つ

 聖霊は人格を持っていても、造られた者としての人格であって、彼自身は神ではないと考えている人々がいる。そういう人々は、御霊が非人格的な「それ」ではないが、父に劣るものと考えている。しかし、聖書は聖霊に人格的性質のあることだけでなく、父としての性質のあることも語る。そうした神としての属性は、聖霊が神であることを示している。

 聖書によると、神の御霊は全能である。彼は創造においてその役割を果たし(創世記1:2)、摂理において(詩編104:30)、超自然的なイエスの受胎において(ルカ1:34)、再生と個々のキリスト者に霊的賜物を付与する点で、その役割を果たしている。

 彼はまた全知、すなわち、すべてを知っている。イザヤの問いはそのことを告げている。だれが彼を導き、正義の道を教え、知識を教え、悟りの道を示したか」(4-:13)。「御霊はすべてのものを決め、神の深みまで極める」(Ⅰコリント2:10)と書いた時、パウロは、私たちに同じことを信じさせようとした。

 さらに、聖霊は偏在、つまりどこにでもおるという特質を持っておられる。詩編の記者は、「わたしたどこへ行って、あなたの御霊を離れましょうか。わたしはどこへ行って、あなたの御前を逃れましょうか」(詩編139:7)と雄弁に尋ねている。そして天に昇っても、シ・オールに下っても、海に中に逃れても、夜の闇のなかに隠れても、御霊の前から逃れることができない、と語っている。御霊はどこにでもおられる。新約聖書によると、御霊は信者のうちに住みキリスト者の数がどんなに多くなっても、各人のうちにおられなくなるようなことはない。

 へブル人への手紙9章14節は「永遠の御霊によって、ご自身を傷のない者として神にささげられた」キリストのことを記して、聖霊に永遠という神の性質のあることを述べている。

御霊が神であることを証明するもう一つの例として、旧約と新約に時々、「御霊は言われた」というのと、「主は言われた」という言葉が交換できる内容で使われていることがあげられている。 

最後に、聖霊の名が父と子の名と一緒によって結び合わされて使われている箇所がある。例えば、キリストの大命令(マタイ28:19)や使徒の祝祷(Ⅱコリント13:14)は御霊を他の二位格と同等レベルに置いている。このことは御霊が神であるとみなされている証拠である。このように密接に結び合わされた表現は、被造物の名を神の名と共にするようなことでもあれば、非常に不条理なことである。

聖霊が神であるという事実は、私たちにとって重要なことである。なぜなら、もし神でなければ、創造という美しい働き、聖書の霊感という権威の働き、人間の思いを照らす働きもできなかったことになるからである。また、堕落した私たちを再び生まれさせ、私たちの内に住み、きよめることもできなかったはずである。私たちは彼が有限な存在者でなく、神であることを当然感謝しなければならない。


   『ほっとひととき「みんなのコーナー」』   

   母がお世話になっていて、本当にありがたく思っています、と数年前に入居されたご家族から、四季の鉢植えを、お礼の言葉を添えて数個届けてくださいます。クリスマスが近づきましたねと、今年も季節のお花ばかりでなく、シクラメンの香りが届きました。皆さんが集まるホールに置きました。外出の機会の少ない方々への心遣いがうれしいです。職員一人ひとりも、チラっと横眼で見ています。     秋田県 KKさん      

       ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀ ❀

  今朝の散歩では少し山のほうへ向かって歩いていたら、大きな鹿がぴょんぴょんはねながら山の奥へ向かって駆けていきました。それも朝の9時過ぎにです。これでは夜中はどんなにか暴れているかがうかがえます。冬支度とは言えサルや鹿とイノシシと同居の山奥の村です。昔からのお付き合いですが、私たち人間の方が数では劣勢そのものです。初雪間近の伊吹山を眺めています。琵琶湖の抜ける風は冷たいですよ。

  「今月のことば」の花の写真は、金木犀でしょうか。 金木犀は本当に香り良い花ですね。道を歩いていて、漂ってくる香りをたよりに 辺りをキョロキョロすると、たいてい木を見つけることができます。今年は9月に横浜で、10月には富士のあちこちで見かけ、その度に足をとめて、深呼吸して香りを楽しみました。
 「朝のいのり」のことばを読んで、こんなふうにお祈りを広げていけたらいいなぁと思いました。今月号も多くの方に用いられますように!

  初雪が真冬を運んできました。庭のまだ枯れていない葉っぱが落ち葉になり、足元が滑ります。小さな畑の世話をしています。足元には柿の葉っぱの絨毯です。何もなかった幼い頃、母は柿の葉を使ったお寿司?を作ってくれたのを思い出していました。柿の葉寿司が思い出となっています。葉っぱを塩でつけておいて鯖、鮭などを使って柿の葉で包み込み食べたものです。味わい深いものです。不器用な私ですが、何とか形だけのお寿司を作って自己満足しています。主人の評価は、何もなしの無言・・・。奥飛騨の「ジャーナルファン」です。

  里にも霜が降りる時期になりました。知人に秋の幸をいただきました。ざくろ、菊芋、黒柿、むかご、小豆、ローレル(月桂樹の葉)です。鉢植えを縁側に取り込み、チューリップの球根を植えて、庭仕事もぼちぼちおしまいになります。  「信州のジャーナル友」より

 

この文章は、全て投稿者から掲載許可をいただいております= 編集子

     


    『ありがとうございます』

 私の住む稚内は、もう真冬です。フアッションなど考えられませんね。それでも若い方はスカートです。すごいですね。部屋の中は暖房で暖かく、薄着ですがドアーの向こう側は零下になります。道路の雪は風に吹かれてアイスバーンです。冬用の暖かい靴を履いて買い物で出かけていますが、指先まで冷たくなります。でも寒さはこれからです、と「ジャーナル友さん」からメールをいただきました。

インフルエンザとコロナは第8波とか、皆様の健康が守られますようにお祈りいたします。

 

2022年10月16日から2022年11月15日までにお送りくださいました方々です。感謝いたします。     

梶川実雪様 加納さおり様 宮川真澄様 伊藤 登様 佐藤のり様 長谷川威一郎様 馬場暁美様 匿名1名様

*寄付金口座…郵振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社 

また、お便り下さる方やお友達への紹介はこのメール アドレスをご利用ください。多くの「ジャーナル友さん」が与えられるように願っています。

    osamura@kind.ocn.ne.jp 

*「つのぶえジャーナル」はこれをご利用ください。

http://tunobue.blog.shinobi.jp      

(米国南長老教会文書伝道事業)刊行責任者

   つのぶえ社代表   長村秀勝

「つのぶえジャーナル」の文書伝道事業は、キリスト教の名の下に行う霊感商法など旧統一教会・歴史的キリスト教の聖書を軽視するエホバの証人の団体とは、一切関係はありません。どうぞ一人で抱え囲まずに公的機関か伝統的キリスト教会か、「つのぶえジャーナル」宛にご相談ください。

ブログ内検索
カウンター
★ごあんない★
毎月第一日更新
お便り・ご感想はこちらへ
お便り・ご感想くださる方は下記のメールフォームか住所へお願いいたします。お便りは「つのぶえジャーナル」の管理人のみ閲覧になっています。*印は必須です。入力ください。
〒465-0065 名古屋市名東区梅森坂4-101-22-207
緑を大切に!
お気持ち一つで!
守ろう自然、育てよう支援の輪を!
書籍紹介
    8858e3b6.jpg
エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

      d6b7b262.jpg
教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
217ff6fb.jpg 








「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

b997b4d0.jpg
 









「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
 a0528a6b.jpg









「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
4008bd9e.jpg
われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

0eb70a0b.jpg








さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

Copyright © [   つのぶえジャーナル ] All rights reserved.
Special Template : シンプルなブログテンプレートなら - Design up blog
Special Thanks : 忍者ブログ
Commercial message : [PR]