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2023年7月号  №193 号 通巻877号
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    ほっとひととき『みんなのコーナー』

☆ 誰が植えたのか、それとも風が種を運んできたのか分かりませんが、車の通らない旧農道の両側に今年も私が勝手に命名したコスモス街道が出来ました。朝夕の散歩道、誰も知らない散歩道を楽しんでいます。遠くには国道があり沢山の車が行き来していますが、気づく人などいないでしょう。秋の恵みがここにもありました。 徳島県 BDさん

☆  残暑お見舞い申し上げます。こちらはもう秋です。虫達は冬眠の準備をしています。蔦も黄色くなって来ています。8月にアキアカネが降りて来ています。ナツアカネと少しだけですが赤さが違い赤トンボは両方を差します。今年は、秋が短くなって冬が長くなりそうです。また どか雪が多くなるのではと心配しています。気が早いでしょうか? 主人が今また躁になり、夜遅くまで遊んで帰って来て今も寝ています。金曜日に薬を増やしてもらいましたが、効果が出るのには少し日にちがかかります。私は、薬を飲んだか確認しないといけないし、いくら使ったかを聞きます。先生と一万円までと約束しています。株も禁止です。主人にとって窮屈かもしれません~が守れないなら 入院です。先生も出来れば自宅療法でとお金がかかるからそうしましょうとなりました。お祈りください。岩手 KCさん

☆  今夏もまるで地獄の様な蒸し暑さだったから 秋で涼しいのが嬉しいと知人も話していました。アクティブに出掛けるのが好きな友と異なり、毎日の育児の喧騒から逃れたいだけの私自身は、夜、ベランダで虫の音を聞くことで 自分を取り戻す時間を持っています。気付けば、好きな曲をゆっくり聞く間も無く、幼児番組とみんなの唄の繰り返しでした。
 
皆さんも、もしご近所で虫の音など季節を感じられる場所が有りましたら、身体の疲れも和らぐかもしれません。町の暮らしは便利ですが、「猫草」さんのような里山体験で、忘れていた人間らしさを取り戻してストレス社会に向かう力を皆さん養われると良いですね。奈良県 NRさん

☆  私は8年目から「美しい朝」さんと同じ病気でして、薬の変化や気持ちの動揺など、本当によくわかるし、いつも涙が出る思いで読んでいます。本当に挫けそうになります。家族に迷惑ばかりの自分を責めては、お医者さんや家族に叱られています。今生きていることに感謝したいですね。・・・。 岡山県 OKさん

 ☆  主人の運転で久し振りにドライブ・・・。~われは湖の子 さすらいの旅にしあればしみじみと昇る狭霧や さざなみの 志賀の都よ いざさらば~と若き日を思い出したのか歌っていました。美味しい料理や秋の風情よりも、主人の顔は年老いてはいますが一番素敵でした。満ち足りた秋の一泊二日になりました。 兵庫県 T・Kさん

*********

Δ 私は小学生の頃、普通サイズのウサギを飼っていました。現在は、白と黒の猫を2匹飼っています。生き物を飼うという事は、とても勉強になります。お年寄りの方が、朝晩犬と散歩している様子を見ると心が和みます。可愛いだけではなく、心を癒してもらったり、私にとっても皆さんにとっても大切な存在なのですね。

Δ 4歳の娘のポケットがカサカサ音がしています。園の帰りに虫好きな娘は、虫を拾ってはポケットに入れて帰ります。虫嫌いの私は毎日恐る恐るポケットチェック・・・、今日は虫ではなく、枯葉でした。新聞紙の上に一枚一枚取り出して娘ときれいね~と お話していました。娘の瞳はきらきら輝いていました。・・・。

*このコーナーの記事は、すべて投稿者から掲載許可をいただいております* 編集子

 

 

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  『ありがとうございます』

萩が咲いています。田舎(兵庫県)では,稲刈りも終わったようです。今年は台風が直撃し被害が日本だけでなくあちこちで凄いですね。アメリカは、平地や海抜が低いのでしょうかね?東南アジアは台風が生まれるから仕方ないですね。どうも出来ないのが現実で世の終わりでしょうか?

今回の台風も日本縦断でした。秋を運んでくれるとは言え、もう十分です。やはり稔の秋がいいですね・・・と寄付金と共にお便りいただきました。

2017年8月16日から2017年9月15日までの「つのぶえジャーナル」事業への寄付者の報告です。感謝いたします。

諸江一之様 稲田喜水様 佐藤のり様 加納さおり様 吉岡道子様 馬場暁美様 和田順一様 和田貴美子様 

   郵振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社 

  お便り下さる方はこのメール アドレス   osamura@kind.ocn.ne.jp をご利用ください。

 「つのぶえジャーナル」(http://tunobue.blog.shinobi.jp(米国南長老教会文書伝道事業)刊行責任者

   つのぶえ社代表   長村秀勝

 

  今月のことば

 

(あなたがたは)神を信じた結果、約束された聖霊の証印を押されたのである。この聖霊は、わたしたちが神の国をつぐことの保証であって、やがて神につける者が全くあがなわれ、神の栄光をほめたたえるに至るためである。

   ~エペソ1:13~14~

 

欧米の日常生活がよくわかる読み物に、「童話集・民話集」があります。歴史の浅い日本人クリスチャンには、信仰が「生活そのもの」であることを知らされます。

家族そろって祈り、感謝し、ほめたたえ、捧げ物をする。喜びの場、交わりの場が教会であり、教会に集うことが、家族の絆を、隣り人との関わりを確かなものにしています。しかし、日本人クリスチャンの多くは、「一人信仰者」が多いために、この「信仰家族」とも言うべき場は見当たりません。信仰の交わりの場であるべき教会が、その役割を作り上げるために、集う一人一人の意識の中に、育てなければならない大きなテーマであるという自覚を持つことが大切ではないでしょうか。

心を一つにして祈る場、心を開いて語り合う空間から、隣り人への思いは育つでしょう。「一人静かな部屋で祈ること」「心を神様に向けて過ごすこと」はもちろん大切です。しかし、「一人信仰者」である私たちは、生活の中で、信仰の芳しい香を、家庭に、社会に信仰の証として伝えるべく祈り求めるなら、何かは変わると信じます。

神の国は広大です。あの詩篇23編の詩人が歌っている「緑の牧場」や「いこいのみぎわ」を受け継ぐなら、新しい歴史は始まります。

 

  「高原」

 

高原の短い夏に 御栄えを現わして咲く あの可憐な花のように

御栄えを現わす心を 与えたまえ 御霊(みたま)の神よ

 

高原の静かな朝に 御業をひそかにささやく あの黄色い花のように

御業を伝える言葉を 与えたまえ 御霊(みたま)の神よ

 

高原の光をあびて 御恵みをたたえて香る あのピンクの花のように

御恵みをばたたえる詩を 与えたまえ 御霊(みたま)の神よ

 

   水野源三 第四詩集

   小閑記 

 

 しかし、働きはなくても、不信心なものを義とする方を信じる人は、その信仰が義と認められるのである。

           ~ローマ4:5~

 人には立派にその信仰生活をされている方が数多くおられます。しかし、それは完璧・完全という意味でのものではありません。生きているのですから、数多くの落胆や苦悩、なすべきことの失敗や落ち度も多々あります。自分を責めこともあります。

 自分の心を素直に、正直に見つめ、向き合う時、時にすべてが偽善であるかのように思えることもあります。「わたしはかくあると装っていたのではないか」と心は呻くことも事実です。内なる心は、破れと汚れに思えることもあります。

「わたしは幼子が父のもとに行くように、神のもとに行っていた。もはや、私は救われているとあえて信じることはしない。神を父と呼ぶことが出来ない。私は養子の心を失った。神の霊は、わたしが神の子であると言うことをわたしの霊は証してはいない。・・・」

 確信と、自由とをもってキリスト者の生活をしていた多くの者が、このように嘆くのです。

 

 もしこのような「信仰の暗闇」に入り込んでしまったとき、忘れてならないことがあります。それは、神が約束してくださっている「神の子としての権利」の有ることを・・・。適切な言葉ではありませんが「罪深い者の権利」です。キリスト者は罪深い人以上に悪い者にはなれません。すべてのものが見捨てても、この「権利」を持っているのです。

 それは、不信心な者を義とするお方を信じていること、この事実に立ち、打ち砕かれ、心折れても、この「権利」によって救われていることを・・・。 

 

世田谷通信(168

猫草

リタイア層、高齢者が多い里山ボランティアだが、時々企業や大学生が参加してくれる。若い人が来てくれると場が華やぐ。重い物を運んで貰ったり、硬い材を伐ったりもお願いできる。

ある外資系企業の社会貢献プログラムで来てくれる人に聞くと、年間で複数のボランティアメニューがあり仕事の都合と好きな内容を選んで参加するそうだ。選んだ理由は「子どもの頃にこういう近所の雑木林で遊んだことがある」「最近、自然に触れる機会がないと感じている」「日々の仕事にちょっと疲れ気味で自然に癒やされたい」といった声が多い。

大学生参加者にも幾つかの共通点がある。子ども時代に里山で遊んだ経験がある。親がボランティア活動に参加しており、楽しさと大変さを事前に見聞きしている。そして進路や大学生活などを模索中なのである。

若い人たちも森に癒やしを求めたり、日頃の鬱屈をリフレッシュしたい気持ちがあるのだろう。転地療法とか作業療法という活動もあるようだし。

お願いする作業はササ刈り、竹伐り、水草抜きなど。特に竹を伐ってからの一連の作業が面倒である。10m以上の高さの竹を伐って、斜面から広場まで運び、枝を落とす。枝はシュロ縄でしばって粗朶にし、斜面の土留めに使う。適当な太さの竹を菊割という鉄の道具で45本に割る。割った竹の節を落として、落葉溜めを作ったり、先端を鉈でV字に切って竹串にする作業もある。

若者、大活躍である。大学生参加者は近所の子なので小学生の頃から知っているが、昔の面影を残しつつ、頼りがいのある大人になっている。懐かしく不思議な感じがする。企業ボランティアには外国の方も多く、パワフルだ。力の要る部分は若い人にお任せで、高齢者は監督しつつ草刈り。良い光景である。

若い人たちの感想はみなさん「楽しかった」「久しぶりに体を使って労働した」と好評である。筋肉痛になるし、汗でベタベタ、蚊に刺されるし、草や泥で汚れる。半日だけだが、作業後の笑顔は皆さんとてもすっきりしている。

「また来たい」そう言って、実際に何度か来てくれる人もいる。たとえ忙しくて「次回」につながらなくても、里山経験者が増えていけばいいのである。

 

   『美しい朝に』・・35・・

7月17日

昨夜は少し眠ることができました。お祈りありがとうございます。眠れなかった時間で、「馬医」のDVDを見終わりました。字幕でしたので、結構目が疲れましたが、見ごたえがありました。昨日から、家の押入れの整理をしています。暑いからと、寝てばかりでは気が滅入るので「入院の用意」も、もう直ぐ秋になるのに、冬用から夏用に入れ替えました。震災用の水も食料も、期限がすぎていないか確認して、入れ替えました。熱中症の予防には、麦茶を飲んでいます。緊急用には「ポカリスエット」を用意しています。

7月19日

2日ほど、押入れとタンスの整理をしていたのですが、無理をして疲れがでたのか、朝になるとのどが痛くお腹も下し、風邪をひいたみたいです。少し、頑張っただけで、体調を崩すなんて情けないです。明日20日は、内科の予約日なので、今日は安静にして、明日お薬をいただこうかと思います。

昨日、中高一緒だった親友から、同窓会の連絡がメールで送られて来ました。懐しいです。義母が存命中、同窓会で帰りが遅くなってしまいました。その間、運悪く「義母の様子を見に来てほしい」と施設から連絡が入り、主人が夜勤だったので息子に迷惑をかけました。「同窓会なんて無責任だ」と息子に言われました。それで、義母を見送るまでは、同窓会の出席はあきらめていました。

しかし、今度は難病になって腰や膝の傷みも増して、その日の傷みによっては、歩けませんので、こわくて、電車には1度も乗っていません。1人で、どこへでも出かけていたころに、時間を戻せたらと思い、とても辛いです。身体がしんどいと、心もしんどいです。寒気もします。こんな私が、この先、生きていく意味があるのでしょうか。

7月31日

 7月も最後の日になりました。今日は、比較的体調が安定しています。いつも、南向きの3階で朝の9時頃まで、寝ていると、熱中症のようになるのです。吐き気もして1日中胃腸の調子も悪くて身体がだるく気持ちもしんどかったのです。それで、昨夜は、薬を服用せずに「君の名は」のDVDを見ていました。アニメできれいな映像と音楽で、1回目は楽しみ、2回目は音声だけ聞いて、内容がだいぶ理解できました。48時間レンタルしたので、もう1回くらい全体を楽しみたいと思います。思い切って家にいながらでも、「大人の夏休み」を過ごすのが気分転換になるのかもしれませんね。

8月2日

「つのぶえジャーナル」で、子育てに悩んでいるお母さんの様子は、自分の昔を思い出しました。育児書を何冊も読むと、不安になりますよね。100人の子供がいても100人とも個性が違います。その中の平均的なことが、育児書には記載されています。子供に、愛情が深いからこそ悩むのだと思います。昔、出会った「ほめ言葉のシャワー」という冊子の言葉を贈ります。

「いつも一生懸命やってるよね」

「やさしいね」

「なーんか ホッとするな」

大丈夫。大丈夫。お祈りしています。

8月4日

 ここ最近、全く眠れなくて、めまいがします。しんどいです。大阪は、気温が36度だとか言っていました。神経科は8月9日です。先生との約束で、毎日眠剤を1錠減らすようにと言われ、まじめに守ってきましたが、あまりのしんどさに、昨夜は1錠減らさないで寝ることにしました。いつもより、良く眠れた感じがしました。少しでも眠れると、心も身体も少し楽になります。

普段、「1錠減らすように」を、守っていたおかげで3週間ぶりに「1錠戻すと」眠れたのですね。ただ、もう少しがまんをしなくてもよかったのかもしれません。薬の調節は、本人にまかされているので、また今夜から「減らす」か悩みながら日々を過ごします。お祈りありがとうございます。

8月8日

明日は、神経科です。先月に、「毎日、レメロンかソルピデム5mgかのどちらかを1錠減らしてみるように」と言われましたが、暑かったりして、1錠減らすと眠れませんでした。昨日の夜は、減らさずにレメロン2錠・セパゾン2錠・ソルピデム10mg(5mg×2)錠で眠ることが出来ました。夜に友達と話を聞いてもらったのが良かったのだと思います。

8月9日

大阪は、快晴のお天気です。今日、89日は、神経科の診察の日でした。先生に「どうですか?」と聞かれましたが、「今回は、すごくしんどいです」と答えました。先生は、「こんな暑いから、薬を減らさなくても眠りにくいから、今日から1ヶ月薬を減らすのはお休みしましょう」と、言って下さいました。

9月は、5日血液内科・6日神経科・21日内科とハードです。また、しんどくなりそうな予定です。病院にかざってある「電車の模型」(でしょうか?)を珍しいので写してきました。

8月10日

こんばんは、朝方からうとうとできました。1階に降りてきて、ごはんを食べて、また寝てしまいました。眠剤を減らさないでいいと思うと安心したのかも
しれません。
 6月に亡くなった主人の母は、借家だったのでお盆すぎには、家をお返しすることになっています。生まれる前から住んでいた家には、いらないものがいっぱいで片づけるのに、業者の人に見積もりを出していただくと、びっくりするような金額だったのです。それで、1ヵ所に頼まずに、市のサ-ビスもお願いして、布団などを先に処分して、主人と娘が頑張りました。残りの物も、13日に業者の人に整理して引き取って頂くことになっています。
 いよいよ、お盆がきます。亡くなった父は、長男だったので祖母と同居でした。小学生で教会に行くより先に、仏壇が家にありました。物心ついたころから、祖母に言われて仏壇に手をあわせていました。祖母が、亡くなったのは私の息子が9月に生まれる年の6月だったので、妊娠中体調の悪かった私は実家にいました。実家で祖母の7日ごとの法要。49日。初盆と経験しました。自分の宗教を優先させると、それは偶像礼拝になるのかもしれません。しかし、長男に嫁いだ母は、昔はあたりまえのように法事をしなくてはならなかったのです。私の父は、10年前の10月に亡くなりましたが、病床洗礼を受けて教会のお墓に眠っています。主人の父が、亡くなった時、主人の母は、「般若信教のテープ」を毎日、流していました。主人の両親は天理教をまつっていましたが、天理教は、誰も信じていなかったので、無宗教で見送りました。
 主人の母の、新盆がきます。住んでいた家には何もない主人の母に次男の家でも写真を飾り、お供えくらいしても、親孝行ではないのかな?と今は思います。宗教とお墓の問題は、本当に難しくて正解はわかりません。私の息子は、違う宗教を信じています。個人の宗教を選べるようになったのかもしれません。

8月15日

 おはようございます。今朝は、肌寒く雨が降っている大阪です。涼しくて、長袖をひっぱりだしました。昨日は、母が久しぶりに家に泊まってくれました。

久しぶりに、ゆっくり話せました。

(このメール文の掲載はK・Aさんの了承を頂いております)  

 

 その愛のゆえに

   =時々の記=

    (137)

7月14日

 今度は東海地方を大雨が襲ってきました。道路が冠水し、橋が今にも流されそうなほどに水かさが増えています。名東区は大丈夫でしょうか?大きな黒い雲がこちら近畿地方にも出てきています。今にも大雨が降り出しそうな大きな雲です。この蒸し暑さが体調を、崩させます。“助けてください”と勝手なお祈りをしています。そんな中、お隣の一人暮らしをしている方が話をしたい、というので、一時間ほど話し相手をいたしました。“独りで暮らしていると、台所に立って、何かを作ろうという意欲がわいてこない”というのです。そしてご自分の家で採れた野菜をたくさんくださいました。私はただお話を聞くだけ。“ふん、ふん”とうなずくだけ。何も励ますこともできないけれど、こうやって一人でいる時間を減らしてあげることが大事なのかなあと考えています。

清流にまたたびの白なだれける。

家康の越えし多羅尾の閑古鳥。

十薬の十字の花や地に低く。

しもつけのルビー色なる無住寺。

津軽への旅読み返す桜桃忌。     馬場路哉

主人の左足膝の痛みが少し和らいできたのか、夕散歩には杖を使いながら老犬二匹を二人で連れて行くことができるようになりました。

7月17日

「今月のことば」に励まされながら、熱い祈り人になろうと思います。明日は山添村の総合健診です。65歳以上の高齢者がほとんどなので、とても時間がかかります。半日以上は覚悟しています。主人は三重大で診てもらっているからといって行きません。

長い間使っていた固定電話が故障してしまいました。20年以上も使っていたので仕方ありません。もう機種が古すぎて修理ができないとのこと。新しい電話を31日に付けてもらうことにいたしました。私たちは携帯電話を持っていません。とても時代遅れな者達なのですが、今はこれといった仕事を持っていませんから、これも不便に感じません。山間僻地なので、車だけは維持していかなければなりませんから、ほかのことにはできるだけ倹約しています。

葛城の左右連なる青嶺かな。

曲線を自由に描きツバメの子。

山峡や梅雨晴れ行くと鳶の笛。

買ひ求む伊賀の大玉トマトかな。

紫陽花に雲間の朝日覗きけり。    馬場路哉

8月1日

8月がスタートいたしました。暑い、暑いと言いながら毎日が過ぎて行きます。

「ジャーナル」のおかげで、一日のけじめがつき、心から感謝するものです。

遠くに離れているのに、いつも祈ってくださっている方がおられると思うと、強められます。「ほっとひととき」の方たちもきっと、メールを送ってもし、そのままで終わっているのでしたら、だれもこのように多くの方が愛読されないことでしょう。でも、どのような小さなことにも誠意を尽くされてレスポンスしてもらえる。なんと嬉しいことでしょう。

昨日、息子が帰ってきて、シャツを見ると、白い粉のようなものが楕円状に噴き出ているのです。何なんだろうと思ってよく見ると、汗が乾いて塩が噴き出た後となって残っていたのです。高校時代にサッカーを真夏にしていたころはきっともっと汗が出ていたんだろうと思います。その頃は若さでやりぬいていたんだなと十数年前のことが重なって思い出されました。

8月6日

こちらは朝からぐんぐん気温があがり37度となりました。台風の影響と考えられます。蒸し風呂以上の暑さです。

葛城の左右連なる青嶺かな。

曲線を自由に描きツバメの子

山峡や梅雨晴れ行くと鳶の笛。

買ひ求む伊賀の大玉トマトかな。

紫陽花に雲間の朝日覗きけり。    馬場路哉

8月9日

 台風は近畿地方を直撃して過ぎ去りましたが、我が家の竹が道をふさいでいるのです。新聞配りの方が朝一番に通りますので、あわてて、主人と二人で竹を切って山へ放り込む作業を終えました。その直後、新聞屋さん、また出勤で出かける方の車が行き来し、ほっとしました。我が家の被害は古くなったビニルの洗濯物干し専用の屋根です。強い風で何枚か吹き飛んでしまいました。

業者さんに見てもらうと、全部やり直さなければならない状態だというのです。

仕方ありませんから、のしていただくように頼みました。ちょっとした台風でも古い家は被害が出ます。これも仕方がないことだと考えています。

暦の上では立秋です。庭にはツバメに代わって赤とんぼ、オニヤンマなど私の知らないトンボが幾匹も飛び交っているのです。まだまだ気温は高く蒸し暑いのですが、そんなトンボたちに出会って秋の気配を感じ取った一日でした。もうすぐコスモスが咲き始めるのでしょう。コスモス畑に目をやると、つぼみをいっぱいつけていました。

 津軽への旅は寒しと桜桃忌。

噴水を起点リハビリウォークす。

プラタナス丘に吹かれて緑濃し。

神の愛こそ渇くなき泉とも。     馬場路哉

8月15日

 NHKのニュース7で飛行機の墜落事故を見ると、なんと山添村の出来事がトップニュースで伝えられていました。ちょうど、我が家からは5キロほど離れている、標高の高い山の近くの出来事でした。主人の弟たちはさすがに驚いたのでしょう。お見舞いの電話が鳴り続きました。いったいどこで起きたのか地名を発表しなかったので、我が家の近くだったらどうなっているのだろうと案じてくれたのでしょう。弟たちの声を電話越しに聞きましたが、元気そうで感謝いたしました。主人の弟たちは二人ともすでに定年を迎えていますが、二人とも現役で頑張っています。きっと故郷へ帰りたい気持ちがあるのでしょうが、私に迷惑をかけると思ってか、遠慮してくれています。そのような心使いがとてもうれしいのです。

  馬場暁美

「上野緑ヶ丘教会会員」 

 

 

解説 ウエストミンスター信仰告白 (61)

      岡田  稔著

   (元神戸改革派神学校校長)

第28章 洗礼について・・・3・・・

5 この規定を侮り、あるいはなおざりにすることは、大罪ではあるが(1)、それなしにはだれも再生させられ、あるいは救われることができないとか(2)、受洗者はみな疑いもなく再生させられるといったように、恵みと救いがそれに不可分に付加されているのではない(3)

  1 ルカ7:30、出エジプト4:24-26(*)     *ルカ7:30を出エジプト4:24-26と比較
  2 ロマ4:11行伝10:2,4,21,22,31,45,47(*)
     *行伝10:2,4,22,31,45,47が正しい。1648年(第3版)には10:21は含まれていない。

  3 行伝8:13,23


五 本項は、洗礼に対する合理主義的な解釈とともに、迷信的な考え方を排除している。人はいつも、これらのどちらかに傾いた考えにとらわれやすい。一方は近代的な理性の自立を盲信する点で、他方は古代的な無理性的、奴隷的盲従という点で、これらはともに迷信であると言うべきであろう。信仰のことに関して、どこまでも神の言葉である聖書に基準を置かなければならない理由は、実にこのような迷信への逸脱を防ごうとするためである。

 

6 洗礼の効果は、洗礼が執行されるその時だけのものではない(1)。けれども、この規定の正しい使用によって、約束されている恵みはただ提供されるだけでなく、神ご自身のみ旨の計画に従って神が定められた時に、老幼を問わずその恵みが属している者に、聖霊によって現実に表示され授けられるのである(2)

  1 ヨハネ3:5,8
  2 ガラテヤ3:27、テトス3:5、エペソ5:25,26、行伝
2:38,41

六 礼典が神の定められた恵みの手段であることを思うとき、その悪用、誤用、乱用が厳に戒められなければならないとともに、その軽視は、実に神に対する不信に通じることなのである。また、その効果、発生の時期に関し、人間の側の勝手な憶測は禁物である。

 すべては聖霊のみ業であるために、不可見的なものである。これが信仰の目に見え出す時期(聖霊の結ぶ実とパウロが言うもの)は、決して聖霊が現実に与えられた時と一定の時間的関係を持つものと考えるわけにはいかない。忍耐を持って信じて待つ必要がある。

 

7 洗礼の礼典は、だれに対しても、ただ一度だけ執行されるべきである(1)

  1 テトス3:5

 

七 このことも前項までの理由から、当然の結論である。それが正規になされたキリスト教の洗礼であった以上は、訂正は「信仰と服従の告白」の内容においてなされるべきでもので、洗礼それ自体はやり直すべきではない。そのやり直しを要求することは、どこかに洗礼そのものへの迷信的気持ち、感情が手伝っていると思われる。
 

さんびか物語・・・42・・・ 

    (広く愛唱されている50曲)・・・41・・・

           ポーリン・マカルピン著

          (米国南長老教会婦人宣教師) 

讃美404番

 山路こえて

<神様のみ言葉>

「人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である」。「主よ。あなたの道を私に教えてください」。「私をとこしえの道に導いてください」。

~箴言14章12節、詩篇27編11節、139編24節~

 

讃美歌404番の“山路こえて”は、日本の教会で明治時代からもっとも広く愛唱されてきた讃美歌の一つと言えましょう。その理由にはいろいろありましょうが、その一つは、西村清雄によるこの讃美歌の素晴らしい歌詞にあります。

また、曲のGOLDEN HILLは、日本的な讃美歌のメロディで、作詞者の言葉にぴったり合うために愛唱されているのでしょう。とにかく、この讃美歌は、日本のクリスチャンは心から歌えるものの一つであると言えましょう。残念なことですが福音唱歌以前のアメリカ讃美歌初期の曲であったこのGOLDEN HILLについては、あまり詳しいことはわかっていません。

GOLDEN HILLの作曲者エアラン・チャピンは、1768年生まれのアメリカ人です。彼はこの曲を1805年に作曲したそうです、詳しいことはわかっていません。しばらくの間、この曲はよくアメリカのゴスペルソングとして用いられていたようですが、今ではアメリカの主な讃美歌集には見出すことは出来なくなりました。

1954年版の讃美歌には、このメロディは、404番のほかに478番の“海ゆくとも、山ゆくとも”にもこのGOLDEN HILLが用いられています。

作詞者西村清雄は、1871年(明治4年)に松山に生まれ。青年の頃キリスト教を信じるようになりました。彼はしばらく京都の同志社に入学しましたが、間もなく退学して松山市に帰って来ました。たまたま宣教師ジャドソン女史が松山夜間学校(現在の松山城南高等学校)を創立しましたので、彼女の招きを受けて同校の校長に就任し、その後、62年間一生懸命に勤労青年の教育と前進に全力を注いだのであります。

1953年(昭和28年)に老齢になられたために引退し、1964年(昭和37年)12月25日、93歳で召天されました。この歌は、1903年(明治36年)に作られたもので、西村が宇和島教会の伝道の応援を終えて、夜、松山に帰る途中、一人淋しい暗い山路を歩いていた時に、心に浮かんできた歌でありました。

 <404>  

  1 山路こえて  ひとりゆけど、

    主の手にすがれる 身はやすけし。

  2 松のあらし  谷のながれ

    みつかいの歌も かくやありなん。

  3 峯の雪と   こころきよく、

    雲なきみ空と むねは澄みぬ。

  4 みちけわしく ゆくてとおし、

    こころざすかたに いつか着くらん。

  5 されども主よ われいのらじ、

    旅路のおわりの ちかれとは。

  6 日もくれなば 石のまくら、

    かりねの夢にも み国しのばん。

この実に美しい歌詞を読んで心に訴えられるのは、その背景にある自然の美しさであります。

作者が越えようとしている険しい山路、傍らの緑こき松の梢、谷を流れる清流や山の峯をおおう真っ白い雪、あくまでも青く澄み渡る夜空と美しい冬の夕暮れという自然界の美に心打たれ、味わいますなら、作者ならずとも、天と地とを創造なし給うた、唯一の偉大な創造者なる神様を崇め拝さずにはおれないことでしょう。

昔、ダビデ王は「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる」(詩篇19:1)と歌いましたが、私たちもこの讃美歌を歌いながら、神様のみ手のわざを覚えたいと思います。

また、この讃美歌を一つのたとえとして味わってもよいと思います。それは、この山路を私たち一人一人の人生の道とすることが出来るからであります。私たちはみな、この険しく暗い人生を歩まなければならない者であります。途中で出会う嵐、越えなければならない流れ・・・。これらは、私たちに襲ってくる試み、悩み、病気でありましょう。また、日が暮れると真っ暗になります。人生にもこのような希望のない暗闇の時もあります。しかし、このような時にこそ、神様の大いなる導きと限りない愛を、己が手にいただくことが出来る時でもあります。

1節では“山路こえて、ひとりゆけど、主の手にすがれる身はやすけし”と歌っていますが、この1節の中心は言うまでもなく“主の手にすがれる”というところにあります。キリスト者は主のみ手にすがって、み手にひかれつつ、この世、人生を歩み過ごしている者であります。このことは讃美歌294番の3節でも歌われています。“けわしき山路も、おぐらき谷間も、主の手にすがりてやすけく過ぎまし”とあります。

主が共にいまし給うが故に、神様を信じ信頼する人々にとりまして、この世のどのような人生の嵐にも、暗く険しい道やどのような誘惑にも、失望にも打ち勝つ力が与えられているのであります。

「見よ。わたしは世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます」(マタイ28:20)と主イエス・キリストがお与えくださったお約束を覚えて、雄々しくこの世を歩み旅する者にあなたもなってください。

また私たちの人生の旅路には、目的地のあることを忘れてはなりません。主イエス・キリストが仰せになりましたように、私たちは各自が自分の旅路の終わりの目的地を選ばなければなりません。

滅びに至る広い道を選ぶ者は、永遠の死に定められています。その逆に、いのちに至る狭い道を選ぶ者は、永遠に神とともに住む喜びが約束されています(マタイ7:13~14)。、5節で自分の神様への揺るがぬ信仰を力強く表現しています。すなわち、道が険しくても、行く手が遠くても、目的地にはいつかかならず着くことを信じ、また、祈りをもって旅路の終わりを主なる神様にお任せいたしますと歌っています。

“みちけわしく ゆくてとおし。こころざすかたに いつか着くらん。されども主よわれ祈らじ、旅路のおわりの近かれとは。最後の、日も暮れなば 石のまくら、かりねの夢にも み国しのばん”は、創世記の28章10節以下に記されているヤコブのベテル(神の家)での夢が背景になっています。

「ヤコブはベェルバをたってカランへと旅立った。ある所に着いたとき、ちょうど日は沈んだので、そこで一夜を明かすことにした。彼はその所の石の一つを取り、それを枕にして、その場所で横になった。そのうちに、彼は夢を見た。見よ。一つのはしごが地に向かって立てられている。その頂は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしている。そして、見よ。主が彼のかたわらに立っておられた。そして仰せられた。『わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。・・・・わたしはあなたがたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守りあなたをこの地に連れ戻そう』」(創世記28:10~15)。

ちょうどヤコブと同じように、作者西村は暗い山路で、神様が彼と共におられ、彼を旅路の目的地まで守ってくださることを知らされて、きっと歌わざるを得なかったのでしょう。

あなたもそして主にある方々も、いつも神様を覚え、神様が共にいまし給うことを心に知って、神様よりの守りと祝福が頂けるように、日々、信仰ある生活を送って頂きたいと願うものであります。

 

ビルマ 戦犯者の獄中記(78) 遠山良作著

 ―信親友―

 巣鴨にはキリスト教徒を中心に、信友会なる群れがあった。その大半は獄中でキリスト教を知り入信した人たちであった。礼拝は毎週土曜日の午前10から、アメリカの従軍牧師ダットン師の説教を、中田善秋(カナダ生まれの神学校出身の戦犯者)が通訳をして礼拝が守られていた。出席者は4、50名位であった。日曜日の午前は新約聖書研究会、午後は旧約聖書の学びがあり、私はすべての集会に出席した。この年の12月23日、クリスマス礼拝にて、中田先生のすすめもあり、ダットン牧師によって受洗することが出来た。

 戦争→敗戦→戦犯→牢獄の10数年間、生きてきた苦しみ、悲しみの涙の中に真実を見出し、奇しき神のみ業により、その恵みを知り得た喜びの感謝の祈りを捧げる。

 もし私に戦犯者として試練がなかったなら、神のみ恵みも知らずに人生を真剣に生きることすら考えることなく、自堕落な生活を送り、この生涯を終えることだと思う。

 巣鴨での生活の一端を、一人のキリスト者に、次の手紙を書いて送った。

 坂出市 渡辺美津枝姉へ

 「中田先生より貴姉のことはいろいろと賜わっております。―中略―講和条約も間近にせまり、日本も独立国としてやがて一人歩きすることになるでしょう。当所(巣鴨拘置所)も4月1日から日本の管理下に移され、手紙も週に2回出すことが出来るようになりました。

 教会の礼拝も米軍の従軍牧師に代わって、関屋正彦先生と稲葉好延先生が交替で説教してくださることなりました。今週の説教は「9つの福音」(マタイ伝5章)でありました。牢獄の生活と聞けば誰でも惨めな生活を想像されると思われますが、私たちキリスト者は主イエス・キリストの豊かな恵みにより喜びと感謝の日々を送っております。―中略―。

 私は戦犯者としてビルマの獄中において死との対決をせまられ、あるときは病魔に侵され、死線をさまよいつつ、目に見えない神様に救いを求めつつ、叫び続けたとき、一冊の聖書が与えられました。懸命に読みましたが,聖書に書いてある奇跡はどうしても信ずることが出来ませんでした。この聖書から奇跡だけを抜いてあったらこんな素晴らしい本はないとも思いました。時には片隅でほこりにまみれていたこともありましたが読む本がない獄の生活であります。幾回も繰り返して読んでいる間にすべてを創造された全能の神のみ業であるならば、すべてをなし給う神であることを知り、主なる神を信じるようになりました。

 それからは、傲慢なる過去の生活、罪の自覚にさいなまれ、悔い改めの涙で幾夜も枕を濡らしたのであります。悲しみの涙の中にこそ真実があり、神の存在を知り得たのであります。このような過去を持つ一人として世界の平和を願わずにはいられません。去る復活節の夜、信友会に対する研究会の第一回目の集いを行いました。参加者はわずか4人ではありましたが、真実の平和は神によってのみ果たされることだと思いました。

 今の日本の現状はどうでしょうか。再軍備こそ国を守る唯一の手段であるとの声も聞こえてきます。米国もソ連も互いに軍備を拡張し、軍備こそ平和への道なりと美しい言葉によって武装への道を歩みつつあります。朝鮮動乱は今や日本をもその渦中に巻き込まんとする情勢であります。敗戦の苦悩を身をもって体験し、戦争憎悪の情はかかるわれわれにこそ強烈であります。

 いかなる主義も思想も永久に平和をもたらすことの出来ないことは過去の歴史が、はっきりと示しております。人類の歴史は闘争の歴史でもありました。

 神様に救われた一人として、つねに主の十字架を仰ぎつつ、また神の御意志はなんであるかを問い続けて歩みたいと願うものであります。このことを覚えお祈りの中に加えてくださるなら幸いと思います。―中略―。」

 

「あなたに聖書を」

「キリスト教百話」・・・57・・・

問21 キリスト教でいう「救い」とはどういうことでしょうか。・・6・・

答・・16 「陰府」というところは、死んだ人が赴く最終箇所であります。「地獄へ落ちる」ということを言いますから、その「落ち込む果て」と言ってもよいでしょう。「そんなところがあると確証できるか」という人もおられるでしょうが、「地獄へ落ちるのではないか」と思っている人間の真実性があることは否定できません。そういう前提の上で言いますと、イエスは死んで葬られ「陰府に下った」というのですが、死後人間が行き着く究極の場まで行ったということになります。前回触れた「使徒信条」には「陰府に下り、三日目に死人のうちより甦り」とあります。これはイエスが「死から復活された」ということです。

 ここで少し聖書の記事に触れますが、イエスの伝記とも言うべき福音書には、復活のイエスに最初に出会ったのは、数人の女性であったといいます。その話を聞かされた弟子たちは誰も「そんなことが信じられるか」と、彼女たちの言うことを信じなかった、と言います。それは今日に至るまで同じことでありまして、イエスが死人の中から甦ったなどは、まともに受け止めようとはしません。むしろ、そういうことは信じることが出来ないということが当たり前で、信じるという方がおかしいとされます。

 ところが、この「おかしい」とされていたことが、おかしくなくて真実となったというのが、福音書に記されている弟子たちの証言でありますし、その後、クリスチャンになった人たちの証言でもあります。

 キリスト教会が日曜日に仕事を休んで礼拝の日としたのは、日曜日が復活の日であったことに因ります。逆に言うと、イエスが復活されなかったなら、日曜日を礼拝の日として仕事を休むということはあり得なかったということになります。

 では、イエスが復活されたということはどういうことであったかと言いますと、先ず言えることは、人間にとってその生の最後に立ちはだかって、それから先へと進ませないという壁がイエスによって打ち破られた、ということであります。勿論、そのことは人間の体がいつまでも死なないということではありません。体は死ぬことは確実です。イエスも死なれたのです。

 しかし、その死が終わるのではなく、神によって新しい命へと変えられる、ということがイエスの復活において示された、とうことであります。

 このことが、「死は勝利にのみこまれた。死よ、お前の勝利はどこにあるか」という根拠であります(コリントⅠ、15:54~)。

 この項の始めに「陰府」のことに触れましたが、イエスの復活は、この「陰府を支配している力が破られたことでありますから」、「陰府に閉じ込められていたすべての人の陰府からの解放」が実現したのでもあります。「死からの解放」としての「救い」がここに実現しているということであります。

篠田 潔

(日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)

 

<2017年9月のラジオ放送予定>  

  9月 3日 田口博之 (日本基督教団名古屋教会牧師)  

    10日 田口博之 (日本基督教団名古屋教会牧師)

    17日 尹 成奎 (日本基督教団津島日光川燈台伝道所牧師)

    24日 尹 成奎 (日本基督教団津島日光川燈台伝道所牧師)

 

        (放送開始1952年10月)

CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ

毎週日曜日朝6時30分~45分放送

 

 

「ローマ人への手紙研究」

第79課 キリスト者生活の実践的義務

=12:1~15:13=・・・30・・・

B キリスト者の市民的義務・・・16・・・ 

       13:5~7・・・15・

「為政者に対するキリスト者の正しい態度」・・7・・

 政治的不同意を唱えると言う改革長老教会の立場に対して、ローマ13:1~7が持つ意義を考えるに際して、避けなければならない第二の誤りは、この聖書の言葉は現代のキリスト者ではなくて、将来に実現されるべき理想的なキリスト教国家に適用されるべきものであるとする見解です。

 この見解を取る人たちの論は、パウロが神とキリストとを正しく認識していない不道徳な政治に服従せよなどと、キリスト者に命じるはずはないと言うものです。このローマ13:1~7は、明白に、政府への服従を命じているのですから、パウロの意味する所は、キリスト者は未来に実現するキリスト教的政府に服従すべきであるということに相違ないと主張します。

 私たちは既に以前に、このような解釈は不可能であることを第74課で指摘しました。パウロは「現在存在している権威」のことを語りました。ここの「上に立つ」「存在している」の原語(ウーサイ)は、現在分詞形であるであり、パウロはこの書簡を書いていた当時に存在していた権威以外を意味することは有り得ないことです。74課で学んだことをもう一度繰り返しますと、パウロがここで論じていることは、為政者の支配する権威のことでも、また邪悪な支配者への服従の正当な服従の限界のことでもなく、上に立つ為政者に服従することはキリスト者の義務であるという単純な原則なのです。

 為政者が邪悪な人物であれば、その政府を取り除いて、代わりにより良い政府を立てることは、神のご計画であるということも完全な真理です。キリスト者が為政者に対してしなければならない服従に明確な限界があることも全く真理です。しかし、パウロが教えていることは、現在、上に立っている為政者が、神の摂理の中に存続している限り、彼らに服従することが、キリスト者の義務であるという根底的な真理でもあります。

J.G.ヴォス著

    玉木  鎮訳(日本キリスト改革派教会引退教師)

 

 

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書籍紹介
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エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

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教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
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「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

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「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
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「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
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われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

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さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

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