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ほっとひととき『みんなのコーナー』
☆ 就活するならPCの知識をしっかりと身に着けておいたほうが有利よ、と先輩に言われ、近くにあるパソコン教室に行って1年になりました。本格的な就活はまだ先ですが、周りの人を見てその真剣さに、圧倒されていた日々でしたが、今は後輩に、先輩顔して言っている自分の成長・変化に笑えてきました。何でも我流ではなく、きちんと基本から身に付ける大切さを知りました。それって、当り前なんですよね。 兵庫県 T・Rさん
☆ ・・・。1月もあっと言う間に過ぎ、3月の声が聞こえてきます。道の両側には雪の壁、細い1本の車道・・・。三寒四温、寒の戻り、花冷えの言葉は春を告げてくれます。ここ新潟はまだまだ雪深く、いま少し先のことですが、軒の雫が陽射しとともに多くなってきたように思うのは、春待ち心の勘違いと反省しながら、外を眺めております。・・・。新潟県 T・Uさん
☆ お隣の梅の花に目が行きました。ちらほら白い梅の花が咲はじめました。寒い風に負けず、梅が咲き始めると春はすぐそこまで来ていると感じます。部屋の中の鉢植えは寒さ知らず。温室育ち?です。和歌山県 S・Yさん
☆ まるで絵本の様な冒頭の、昆虫のジタバタする光景を思い浮かべました。自己中心的な考えが蔓延する時、祈りを覚えたいものです。昨年頃から周りで、お年寄りだけではなく、子どもや自身がケガや病気という方とお話する事が増えました。治るだろうけれど時間がかかりそう…とか、まだ検査中だけれど不安が大きいと話されます。お年寄りとは異なるのは年齢も中年辺りで、まさか自分が…と心細く、病気への心構えが無い事です。話を聞いたり何処どこの病院は評判がいいとか、気が紛れる様に話す程度が精一杯で申し訳無く思います。
きっといろいろな思いを捉えて下さる主に祈る事でいい加減な事を話さず、相手の思いを受け止められます様にと願います。
ステンドグラスはそんな時でも希望を光りを通して降り注ぐ様な役目をしている気がします。昔 輸入玩具を扱うお店で、薄く透明の折り紙があり、トランスパレントと言って、花や星の形を折って 窓に貼った事を思い出しました。木製手作りのおもちゃには手が出ませんが 色鮮やかな絵本や折り紙はささやかな楽しみでした。 奈良県 N・Rさん
『ありがとうございます』
「つのぶえジャーナル」をご覧くださる方からのお便りやメールには、季節の花の名前が書かれています。しかし、雪国の方のお花の名前はお部屋育ちですが、今は菜の花のお便りが届きます。暖かいお庭、広い畑に人の手で植えられた花、都会の公園や観光園の菜の花便りにも、春を待つ人の笑顔が伝わってきます。それぞれの地方の季節花になっているのですね。
今回も、この活動のために寄付金を送っていただきました。感謝いたします。
2016年1月16日から2016年2月15日までの「つのぶえジャーナル」への寄付者
西口義昭様 小谷重雄様 若杉あずさ様 匿名3名
郵振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社
また、お便り下さる方はこのメール アドレス osamura@kind.ocn.ne.jp をご利用ください。
「つのぶえジャーナル」(米国南長老教会文書伝道事業)刊行責任者
つのぶえ社代表 長村秀勝
今月のことば
あなたがたはみな、キリスト・イエスにある信仰によって、神の子なのである。
=ガラテヤ3:26=
時々、ある日の出来事が、思い出されます。それは、ある朝早く、窓を開けると、その窓枠の上に、一匹のこがね虫が横たわっていました。それは、昨夜群を成して飛んでいたときに、網戸にぶつかって落ちたのでしょうか。今そのこがね虫は、お腹を上にして横たわり、日光に照らされて、こわばっていた体が元気付き、飛ぼうとしているときでした。しかし、その脚は空をつかもうとしても、どうにもならない様子でした。お腹を上にして横たわっている限り、どんなにもがき脚を動かしても、どうにもならないのです。
何かにつかまるか、支える物が外から手の届くところまで近づくか、移動してきたときに、はじめて、そのこがね虫は立ち上がり、飛び立つことができるからです。
そっと小枝を添えてやりました。
私たちも、似たような経験を日々繰り返しているように思えるのです。人は様々な努力をします。手足を動かし、知恵を働かせています。しかし、私たちのお腹は上を向いているのです。そこに何かがありそうだと思い、手足を動かしているのですが、私たちの手足は、何とも短すぎるのです。しかし、それに気付いていないのです。
幸いなるかな。上の方から、天の、神様の方からの窓が開かれ、支えのみ手が差し伸べられるのです。小枝ではなく、神様の方から、一つの慈しみ深く力強い手を差し伸べてくださるのです。私たちはその手を確りと握り締める時が今なのです。ですから、今を逃すことなく、大切にしようではありませんか。この神様からみ手こそ、私たちを支えてくれる唯一の手、救いの手なのです。十字架の愛の奥義と恵みを深く、深く知ろうではありませんか。
「あなたの右の手はわたしをささえられる」(詩篇:8)。そして、この救いの手が永遠のみ國へと導いて下さるのです。この信仰こそ、神の子の証です。
小閑記
その日までにそれを完成して下さるにちがいないと、確信している。
=ピリピ1:6=
信仰のスランプと言う言葉を聞くことがあります。神様はもはや私について、イヤになったに違いないと言う思いが、時にキリスト者の心に襲いかかることがあります。キリスト者の願いはその様な状態からの脱出でありますから、祈りに専念しようと決心いたします。
しかし、そのような思いと願いは叶うこと少なく、むしろ、迷いが募り、疑いが生じるものでもあります。私たちキリスト者は、その長い生涯を、そのような時に、「さあやっと悪に勝てた」と言える進歩があっても良いのではないかと思うときもあります。
しかし、それどころか、私たちは何度も何度も同じ祈りを繰り返し、願わなければなりません。本当にこれで良いのでしょうか・・・。また、すべてのことが罪人の私なのだから、と言う疑いや考えに陥るのも現実です。
このような信仰に陥った時、今一度思い起こすことがあります。でたらめな生活をしていた時に、私たちを探して見出してくださった方が、そのような状態から救い出して下さった方が、どうしてお見捨てになるかということです。主は、私たちが神様に呼び出される前に、私たちがどんな者であるかをよくご存知でした。
ですから、決して主は、私たちをお捨てにはなりません。主は、私たちのように心変わりするようなお方ではないのです。あくまでも、神はそのご意思と目的をもってお召しになったのであって、私たちが優れてよい者であったからではないのです。
神の愛が、聖霊の働きが信仰の成長・完成へと導いて下さるのです。
「新しく造られた者よ」
新しく造られた者よ 御神の新しき御声を
心開き聴いてから 新しき一日を始めよう
新しく造られた者よ 御神の新しき御愛を
心深く受けてから 新しき一日を始めよう
新しく造られた者よ 御神の新しき御旨を
心静めて知ってから 新しき一日を始めよう 水野源三詩集から
世田谷通信(149)
猫 草
明治から大正の建築物が好きなので時々見学する。あえて伝統建築ではなく目新しい洋風建築を依頼する施主にも財力と進取の気性があるし、挑戦する設計施工側にもこの際、斬新で素晴らしい作品を作ってやろうという気概がある。随所に凝った「余裕」が見られるのだが、典型的なのがステンドグラスである。ちょっとしたドアの隙間、サンルームの仕切り、広々としたリビングに。複雑な色と光を取り入れたデザインはとても効果的だと思う。
ヨーロッパの教会建築にあるステンドグラスは天井から降り注ぐ光のシャワーといった豪華さ。確かに素晴らしいが、圧倒的で威圧的、要は権力の象徴。パイプオルガンは似合うが、暮らすには荘厳過ぎる。
明治、大正、昭和初期あたりの私邸のステンドグラスは、生活のちょっとしたお洒落という感じ。名古屋の川上貞奴邸は深い青と紫の艶やかな色合い、風景や人物のデザインも秀逸、その近所にある井元為三郎邸は落ち着いた配色とトランプの幾何学模様がシック。桑名にあるジョサイアコンドル設計の私邸にも美しいステンドグラスが残っているという。ガラス素材があると、部屋が軽やかになり、瑞々しい趣がでる。
東京都庭園美術館のルネ・ラリック作、入口にあるガラスレリーフ扉の神秘的なこと。翼を広げた女性の優雅さ、乳白色のガラスの色合い。他の素材は考えられないでしょう、というぐらいピッタリである。
和風建築で光を通すのは障子や格子だったが、ちょっと色が加わるとこんなにあか抜けるのか、とハッとする。こんな家に住みたいものだ。
と、これだけ礼賛してきたが、自分でステンドグラスに挑戦することは無理。まずガラスを切る・・と想像しただけであのキリキリ音で鳥肌になるからだ。そんなわけで家の窓にはお手軽ステンドグラス風シートが貼ってある。結構きれいですよ。なんとも安い結論ですが。
*この添付のイラストは絵を描くのが大好きな次男がパソコンのペイントツールで描いたものです。
『美しい朝に』・・15・・
12月25日
キャンドル礼拝に行かれたのですね。うらやましいです。でも、楽しい気分をおすそわけしていただいたみたいで感謝です。私は、家で1人でしたので、「あらののはてに夕日はおちて~グローオーーリア~・・・」と楽しく讃美歌を歌っていました。娘から、嵐山の写真を送ってもらったのでお送りしますね。京都らしいです。和菓子は体験で、先生との分の作品だそうです。みかんは、プロならではの作品です。
12月26日
年末の大掃除といいますが、あちらこちら掃除をしたくなりますから不思議です。若いころは、掃除をする根気が続きませんでしたが、体調が悪くなる前まで、ベッドメイクの仕事をさせていただいていたので、その経験で、何日掃除を続けていてもいやになることはなくなりました。何でも経験ですね。掃除が運動で体重もマイナス1キロです。ただ、膝が痛いので座ってできる掃除から片付けています。
12月31日
おはようございます。大晦日ですね。昨日は、良く眠れました。お祈りして頂け感謝です。大阪は、今日も良いお天気です。朝7時からおせちの「つくね」を作りました。野菜や高野豆腐、こんにゃくなどを炊き始めます。主人が中心となって頑張ってくれます。2016年が皆様にとって良い年となりますように、お祈りいたします。
1月2日
大阪は、今日も良い天気です。1日は白みそのお雑煮で、2日はおすましのお雑煮です。年末に息子が帰ってきて、1日はこちらに娘夫婦が新年の挨拶に来てくれました。夕方にはみんなで主人の母の所に挨拶に行きました。炊いたものやかまぼこなどでにぎやかになりました。主人も娘夫婦も今日から、初売りに行きました。
1月5日
大阪は雨が降り出しました。新年あけてからずっと良いお天気でしたので恵みの雨になることでしょう。昨日は疲れて今日は休息の1日でした。起きてくると、玄関の毎年お馴染みの梅がきれいに咲いていました。ずっと外で雨風に1年耐え、毎年、年末にきれいにして家にいれてもらい玄関で10年くらい新年を迎え、お正月に花を咲かせます。不思議な自然の恵みです。
1月7日
こんにちは。疲れが出たのか体調があまりよくありません。薬を服用しているのに、血圧が146ぐらいあり、めまいもします。しんどくて、夕方の4時くらいまで寝ていました。起きても身体がだるくて、気分も重くてまた寝てきます。お祈りありがとうございます。
大阪府K・Aさん
(このメール文の掲載はK・Aさんの了承を頂いております)
その愛のゆえに
=時々の記= (118)
12月20日
クリスマス礼拝には新しい方が何人か来ておられました。最近は初めて来る方のほとんどが高齢者なのですが、昨日は若い方も来ておられました。真の神様を求めてこれからの人生を歩んでくださればと願い祈るものです。昨日は朝は氷点下の寒さでしたが、日中は冬晴れとでもいうのでしょうか。晴れわたっていました。
昨日は礼拝から帰ってきたと思ったら、電話が入りました。教え子からでした。今からそちらへ行きたいのですがよろしいか?とのこと。はいいいよ・・。と返事をして忙しく部屋を片付け暖房の準備をして待っていました。
待っている間、なんだか胸騒ぎがいたしました。その子は中学時代にいじめに合い不登校にしばらくなっていました。隣の村の中学校へ転校して卒業まで頑張りました。その間、私と一対一で勉強というよりも悩みを語り合いました。私はただ聞き役でしたがそれでもうれしかったといってくれました。その子が去年就職できての嬉しい報告に来てくれました。今年はもうその仕事を辞めたというのです。でも私は決して驚くことをせずに、きっとまたあなたに一番適した仕事が見つかるよ。焦らずにといって二時間ほど話しを聞いてあげると少し元気を出して帰ってくれました。
お祈りができればよかったのですが、まだ私にはそこまでの力はありませんでした。ただ聞いてあげるだけの私です。今朝からその子のことが気になっています。でも向こうから何とか言ってくるまで静かにしていようと考えています
12月23日
また冷たい雨が降り出しています。雪でなくてよかったと思いました。この年もあと一週間となりました。年を重ねるごとに一年があっという間に過ぎて行くように感じられます。何もしていないのにです。人間て不思議ですね。一人ではとても生きていけそうにない時でも私たちのことを祈ってくださっている方がいてくださり、励まして頂くことによって、その弱さが少しずつ成長して強くなっていくことができるのですね。
雨晴れて風来るなり花八手。
旅の句をそらんじもする青畝の忌。
万両の夕陽を弾く狭庭かな。
クリスマス白寿の媼名乗りけり。
ローソクに光る顔クリスマス。
城山の麓裏白群がれる。 馬場路哉
昨日は、世間ではゆずのお風呂に入ったり、カボチャを食べると風邪をひかないとか言われています。それらは決して迷信ではなく昔の方たちの生活の知恵だったのでしょう。ゆずの香りとビタミンで体があたたまり、カボチャはカロチンが豊富ですから栄養面を考えてのことだったのですね。田舎に住んでいるとまだまだ昔の方たちからの言い伝えを守り続けていることが多いのです。良い面は大切にしていきたいですね。
1月2日
・・・。年賀状はやはりずいぶん減りました。でも嬉しかったことに昨年何も音沙汰がなかった横浜の友が元気だと知らせてくれたことです。年を重ねてくると唯一一年に一度の一枚の葉書きが、元気だよ、とのお知らせになっていました。
ベートーベン称え聞き入る大晦日。
聴き得たる第九の余韻去年今年。
布引に続く山嶺(さんれい)初日の出。
里山に柑橘灯る(ともる)初景色。
少しばかり曇ってをりぬ初鏡。 馬場路哉
一月は主人の三重大での精密検査があります。今年はまた村の大役が回ってきます。しっかりと主治医の先生に診ていただいてやりこなすことができるかどうかお聞きする必要があるように思われますが、本人はその大役を受けるつもりです。無事にこなせることを祈るしかありません。
1月5日
暖かさが続いた新年のスタートでしたが、明日からまた冬の寒さに戻ると予報されています。こちらでは今、夕の散歩から帰ってきたのですが、土手には春の息吹が感じられました。タンポポがもう一杯蕾をつけ、五月に咲く皐月が返り咲きというのか狂い咲きというのでしょうか。あちこちにピンクの花を咲かせています。山の色はもう紫がかって木々の芽吹きを覚える山郷です。
息子はようやく今日一日お休みをもらいました。郵便局員は皆さんの年賀状などで、郵便局が地域にお役に立てていることを感謝しています。実際、貴重な働きだと思っております。
1月8日
夕の散歩の折とても風がきつく吹く場所があります。その風が今日はとても冷たく、風と一緒に白い雪が舞いました。ぞくっとしましたが、冬の寒さはまた体を引き締める思いにさせられました。娘が久しぶりに帰ってきました。
夜空を見上げると、晴れて居る夜は星がいっぱいです。特に冬の空は澄み切っていますから、とてもよく星を見つけることができます。自然の恵みがいっぱいの村ですが若者はこの不便さから逃れようと都会へ出て行ってしまいます。
針葉樹雑木織りなし山眠る。
しみじみとシューベルト聴き年送る。
瀬波立て先を急ぎぬ冬の川。
岩山の淵に点在冬紅葉。
夕空のバラ色呈す大晦日。 馬場路哉
家の裏山にある八朔が今年は小粒ですが実ってきました。でもあまり肥料もやらずにほったらかしですので、一口味をみると飛び上がるほど酸っぱいのです。来年はもう少し油粕を上げておいしい八朔が育てられるように頑張ります。
馬場暁美
「上野緑ヶ丘教会会員」
解説 ウエストミンスター信仰告白 (44)
岡田 稔著
(元神戸改革派神学校校長)
第21章 宗教的礼拝および安息日について・・1・・
1 万物に対して統治権と主権を持ち、善にして万物に善を行なわれる、それゆえに心をつくし思いをつくし力をつくして恐れ、愛し、ほめたたえ、呼ばわり、信頼し、仕えるのが当然である神が存在されることを、自然の光は示している(1)。しかし、このまことの神を礼拝する正しい方法は、神ご自身によって制定され、またご自身が啓示したみ心によって制限されているので、人間の想像や工夫、またはサタンの示唆にしたがって、何か可視的な表現によって、または聖書に規定されていない何か他の方法で、神を礼拝すべきでない(2)。
1 ロマ1:20、行伝17:24、詩119:68、エレミヤ10:7、詩31:23(24)、詩18:3(4)、
ロマ10:12、詩62:8(9)、ヨシュア24:14、マルコ12:33
2 申命12:32(13:1)、マタイ15:9、行伝17:25、マタイ4:9,10、申命4:15-20、
出エジプト20:4-6、コロサイ2:23
一 20章二項で良心の自由に関してなされた告白は、主として宗教的礼拝の自由についてであった。その点から、本章で取り扱われている問題が展開していることは、自然の順序である。十戒の序言は神のイスラエルに対する所有権の主張であって、神の存在のみでなく、神の善性が神に対する、わたしたちの礼拝(宗教的態度と行為)を必然的ならしめると主張している。
神が主権者であっても、善であられないなら、礼拝はまったく変った態度を現わすであろう。自然的愛と信頼もっての奉仕という形をとるということは、神が主権者である、ということからだけで生じるのではなく、実に神が善でいまし、また、ひろく善を行われるお方であられるからである。
この神に対する正しい礼拝が、ローマ人への手紙12章1節で「・・・。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的礼拝である」と言われている霊的礼拝、ヨハネによる福音書4章24節で「神は霊であるから、礼拝する者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである」と教えられたやり方は、ある宗教改革者たちの考えたように、アディアホラ(自由なこと)ではなく、十戒の第二、第三戒で規定されている通り、神の啓示(意志)、すなわち、聖書に示されていることで、人間が当然なさねばならないことである。
聖書は神の言葉として、礼拝の対象である神の善性を最も深く示すとともに、神の律法として、この礼拝の方法をも示すものである。これは、特に改革派教会の主張してきた点である。良心の主なる神の僕として、キリスト者は死の迫害にあおうとも、人間が発明した偶像礼拝に参加してはならない。それは律法であると同時に、良心の自由の問題である。
2 宗教的礼拝は、父・子・聖霊なる神に、そしてこの神のみに、なすべきである(1)。み使い・聖徒・または何か他の被造物に対してなすべきでない(2)。また堕落以来、仲保者なしに、あるいはキリスト以外のどのような者の仲保によっても礼拝すべきでない(3)。
1 マタイ4:10、ヨハネ5:23、Ⅱコリント13:13(*)(**)
*マタイ4:10をヨハネ5:23とⅡコリント13:13と比較
**Ⅱコリント13:13は、欽定訳など英語聖書では、Ⅱコリント13:14
2 コロサイ2:18、黙示19:10、ロマ1:25
3 ヨハネ14:6、Ⅰテモテ2:5、エペソ2:18、コロサイ3:17
二 これは、十戒の第一戒と第二戒に定められたところと同じである。ただ、唯一神教が三一神の教理によって、一層内容づけられていることと、従って仲保者が明示されたことによって十戒がモーセ宗教の律法から、新約宗教のそれえと補足されたと言える。
すなわち、ここで言う「宗教的礼拝」は、明確に現在のキリスト教的礼拝のみが正しいものであることを告白するものである。同時に「み使い、聖徒」などの礼拝をも併用するローマ・カトリック教会、ギリシャ正教会などの礼拝も異教の礼拝とともに誤謬であることが宣言されている。
さんびか物語・・・22・・・
(広く愛唱されている50曲)・・・22
ポ―リン・マカルピン著
(米国南長老教会婦人宣教師)
讃美歌240番
とざせる門(かど)を 主はたたきて
<神様のみ言葉>
「見よ。わたしは、戸の外に立って叩く、だれでも、わたしの声を聞いて戸をあげるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする」。
~ヨハネの黙示録3章20節~
この讃美歌は、私たち罪人に対する神様の招きを歌い上げたものであります。讃美歌240番の作詞者ウイリアム・ハウは、弁護士の子として、1823年12月13日、イギリスのシュルーズベリーに生まれ、1845年オックスフォード大学を卒業し、翌年、国教会の聖職となりました。
彼は、故郷のキダミンスターの副牧師をはじめに、各地の教会で奉仕を続け、1879年東ロンドンの副司教となりました。
東ロンドンの貧民街での彼の宗教活度は、実に素晴らしいものでした。彼は自分の名誉や財産を投げうつばかりでなく、己を捨てて、貧しい人々のために、すべてを捧げたからです。それは、彼に対する、人々の呼び名からも知ることが出来ます。人々は彼を、「子供の司教」「平民司教」「乗合馬車の司教」と呼んでいました。この呼び名こそ、彼が人々からいかに愛され、尊敬されていたかを私たちに教えています。当時の司教は、立派な家、広い庭、美しい四輪馬車に乗っているのが普通でした。
彼らの対象は、金持ちや貴族であったのに対して、ハウのそれは、貧しい人々であり、平民であり、その生活は、貧しい者たちと同じものでした。彼は宗教活動の傍ら、多くの著書の他に、美しい讃美歌を60程書いています。
1854年には、T・B・モレルと共著の讃美歌集 psalms and hymnsを出版していますが、1867年には、この讃美歌集に手を加え大きくして出版しています。
1871年には、Church hymns という別の讃美歌集の編集にも携わっています。1888年ウォクフイルドの司教となり、1897年アイルランドで亡くなりました。この讃美歌は、ハウが、ジーイン・イングローの詩Brothers and
a Sermonに感動して作ったものであった、と彼自身語っています。
この詩の内容は、漁師の村の教会で、2人の兄弟が、日曜の礼拝で牧師の説教を聞いています。その説教の主題は、ヨハネの黙示録3章20節のみ言葉です。それは「見よ。わたしは、戸の外に立って叩く」であります。それは、主イエス・キリストが今、あなたのところへ―私たちの心の扉の前にお立ちになっておられる―というのであります。
C・S・ロビンソンは、この詩の創作にはホルマン・ハントの名画「世の光」の影響が強いとみています。しかし、いずれにいたしましても、ハウがヨハネの黙示録3章20節から、霊感を受けたものと言えましょう。この詩は1867年に作られ、同年彼とモレルが編集したPsalms and Hymns の付録に収められて世におり出され、次第に広まり愛唱されていきました。
この讃美歌の曲ST・HILDAには他の名も付いています。それは、ST・EDITHです。また、曲も2人の作曲家の手になっています。最初の8小節は、ドイツ人のユスティーン・H・クネヒト(1752.9.30)のものであり、そのおよそ80年後の1871年に、イギリス人のエドワード・ハズバンド(1843~1908)が、終わりの8小節を加えて出来上がったのがこの讃美歌であります。
ハズバンドは、国教会の牧師として一生を終えましたが、その間、教会音楽の講義に、また礼拝用音楽の作曲にも携わっています。
<240>
1 とざせる門を 主はたたきて、
こたえいかにと たたずみたもう。
ながく外部(そと)に 立たせまつる
われら御民の こころなさよ。
1節では、かたく閉ざされている私たちの心の扉の前に、たたずみたもう主イエス・キリストのみ姿と、私たちの態度が中心になっています。ホルマン・ハントの名画「世の光」には、その扉が、いばらと雑草におおわれ、その扉以外には入るところもなく、外からは、いばらと雑草の入り口の他には誰も入れないようになっています。しかし、キリストは、灯を手にして、ご自分を拒否する人々の心の扉の前に立ち続けています。
無論、いばらと雑草の扉は、私たちの不信仰な心、罪に覆われている心、神様のみ言葉を受け入れない心を、あらわしています。このかたくなな私たちの心の扉を忍耐と愛をもって、主イエス・キリストは、たたき続けておられます。
ハウが歌っていますのは、たたきたもう主イエス・キリストのみ声に、どのように答えたか、ということであります。
あなたは、どういたしますか。耳をふさいで拒否しますか。それとも、またされたキリストが、どこかへ行くのを待っていますか。いいえ、キリストは耳をふさごうとも、行くのをまっていようとも、あなたの心の扉をたたき続きます。
しかし、人は拒否し続けるのです。私たちとって、このような心は実に神様に対する忘恩的行為であり、罪そのものでなくして、なんでありましょうか。
ハウは、人の心の罪深さを、まごころから悔い改めることをすすめています。それは私たちが、神の民であるにもかかわらず、主イエス・キリストを拒否しているからであります。
2 みつくしみの なみだもて
今なおやまず、 おとないたもう。
主イエスの愛の そのひろさよ
われらが罪の そのふかさよ。
2節では、愛といつくしみに富みたもう、主イエス・キリストのみ姿を描いています。“みいつくしみのなみだもて、今なおやまず、おとないたもう”と歌っています。キリストは、何故に、涙をもって私たちをおとずれたもうのでしょうか。それは、キリストのみ声を受け入れようとしないからであります。
昔、イエス・キリストの愛と救いを、好まなかったエルサレムの市民は、神の審きを受けて、滅ばされてしまいましたが、今に至るまで、キリストを救い主と信じ受け入れない人々は、滅ぼされます。キリストは人々の滅ばされるのを、見過ごしにならず、その悲惨を、ご自分の悲しみとして、涙をもって、私たちにおとずれてくださっているのであります。
どうぞ、あなたも、この主イエス・キリストの愛と救いを受けてください。自分の罪の深さ、ひどさを認めてください。また、主イエス・キリストの愛のひろさを味わってください。
3 「汝(なれ)らがために 死にしわれを
などか拒む」と おおせきこゆ。
今はいかでか ためらいおらん。
主よ、戸を開く、 入らせたまえ。
3節では、閉ざす扉の前に立っておられる主イエス・キリストが、あなたのために死んだ私を、なぜ、拒むのですか、と言われています。この質問は当然であります。あなたは、あなたを救うために、そのいのちを捨てて、あなたのために命を与えようとされた方を拒みますか。むしろ感謝で涙があふれることでしょう。
キリストのみ声を拒む者は、自分は罪人ではない、と思い込み、信じきっているからでしょう。自分の本当の姿や状態を知らないために神様の愛をも理解出来ないでいるのです。キリストの贖いの死の深い意義、キリストの死によって与えられる罪の救いのありがたさは、自分の本当の悲しむべき姿を知っている者のみが、知り得るものであります。
パウロは、ローマ人への手紙5章8節で、次のように語っています。「しかし,私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます」。
私たちは、このようにみ言葉を通して、キリストの救いのみ業と、神様の愛について教えられ、また、知らされているにもかかわらず、何故に、躊躇しているのか、と作者は言っています。
あなたも、いばらと雑草におおわれた、かたくなな心の扉を、かなぐりすてて、“主よ戸を開く、入らせたまえ”と告白して、主イエス・キリストの救いを受け入れてください。
そのためには、あなたは扉を開くこと、主イエス・キリストを、今、お迎えすることであります。「だれでも、わたしの声を聞いて戸をあげるなら、わたしは、彼のところにはいる」との素晴らしい約束を、あなたのものとしてください。
*****************
=この「さんびか物語」は「つのぶえ社」の出版(第一刷1974年、第二刷1992年)で、出版社の許可を得て掲載しています。本の購入を希望される方は、「つのぶえ社」までご注文ください=
ビルマ
戦犯者の獄中記 (59) 遠山良作 著
昭和22年
―タキン党事件の裁判の状況―・・7・
―タキン党事件に思うー・・2・・
インパール作戦に敗れてからの日本軍は優勢な英軍の前に撤退に撤退を続け、首都ラングーンの防衛さえ叫ばれる、敗色濃いビルマ戦況であった。この弱体な日本軍と行動を共にするより、むしろ英軍に協力することが彼らに有利だと考えたのかもしれない。しかし、今まで日本軍に協力してくれた彼らの行動を見るかぎり、英軍に寝返ることは、私には考えられないことであった。
日本軍がビルマに進攻作戦を開始するや、タキン党は直ちに独立義勇軍を編成し、日本軍の先頭に立って道案内をし、また武器をとって英軍と戦いつつ、モールメンに進撃した。このビルマ独立軍を迎えた民家は「ドバマ、ドバマ」と叫びつつ歓喜して迎えた様子を語ってくれる彼らの表情は明るく希望と喜びに満ちていたことを忘れることは出来なかった。
われわれ憲兵に対して、常に積極的に情報を提供してくれた彼らの行為は、支那大陸の戦線で冷たい支那民衆の目になれている私たちには、その違いをはっきり知ることができた。
どんな田舎の部落でも一人で情報収集に行くこともできた。彼らはみな“マスターよく来てくれた”と食事を出してくれる。ビルマの食事には必ず出してくれる「ナピー」と呼ぶおかずがある。強烈な悪臭は食欲をなくしてしまうが、馴れてくると臭いも気にならなくなる。
その材料は魚を塩と唐辛子で漬けた塩辛に似ている。目から涙が出る程辛い。それを指でつまんで分けてくれる。私たちも同じように5本の指でご飯を丸めて口に中に放り込んで食べるのである。彼らの言葉の中に「かつての英人は私たちとは決して一緒に食事をしなかった。彼らはわれわれを見下し、軽蔑していたが、日本人は違う。顔も似ているし、食事も一緒に食べてくれるから親しみ深く、好きである」とどのビルマ人もよく言う言葉である。
この親日的で底抜けに明るいビルマ人が日本軍を裏切るとは考えられないし、信じたくないのである。しかしタキンタントから提供された情報であるだけに確度としては信用のおける情報である。
この情報を藤原班長と東分隊長に報告した。分隊長は東南憲兵隊長及び司令部にも報告された由であったが取り上げられず、捜査すらしなかったが、その約一か月後にビルマ国軍が反乱したしたのである。
その後私は、カラゴン地区に駐屯していた印度独立義勇軍の動勢探査を命ぜられ、チャイマロ町にいた時に終戦を迎えたので、タキン党事件には直接関与しなかったが、その端緒とも思われる情報提供者である私が死刑の判決を受けずに、これからも生きようとしていることは何か重荷を背負わされている思いである。
*文章の転載はご子息の許可を得ております。
「あなたに聖書を」
「キリスト教百話」・・・38
問21 キリスト教でいう「救い」とはどういうことでしょうか。・・3・・
答・・5 今回はキリストに触れて「救われた」と思ったであろう人、また他人から見て「あの人はあれで救われたなあ」と思われたであろう人のことを、新約聖書の記事の中から選び出して考えてみます。
一人は中風を癒されました。それまでは手足が思うように動かなくて、いらいらし、世をはかなんでいたかも知れません。また、家族や周りの人たちからも世話がかかるために敬遠されていたかも知れません。ですから「中風でなかったらなあ」と思っていたに違いありません。そういう人をキリストは癒して、自由に動く体にされるのですから、この人にとっても、この人のことを知っている人にとっても、これは救われたことと認められたに違いありません。
もう一人はハンセン氏病を癒されました。キリストの時代には、この病気に罹った者は「穢れた者」とされて、隔離された所に住まわされました。一般の市民生活や社会活動の一切を禁じられていました。日本でも「天刑病」つまり「天からの刑罰を受けた病気」などと言われ、隔離された島などに収容されました。こういう人を、キリストは癒して、社会復帰をさせられました。この人にとっても、このことは「救われた」ことであったでしょう。
またある人は、生まれつき目が見えなかったのを、キリストによって癒されて見えるようになりました。この人も「救われた」と思ったことでしょう。
以上のようなことがキリストによって次々になされましたから、キリストには「治癒神」のように見られた一面があったことは否定できません。ただし、そうであるなら、医者と同じです。勿論、こういう癒しが、病人や障害を持った人にとって必要なことは言うまでもありません。キリスト教病院やクリスチャンドクターは、キリストの働きを担っている面があります。
しかし、病気や障害を癒された人たちのその後の人生の歩みがどうであったかが問題です。見えるようになったため、醜悪なものを見てしまって、「見えない方が幸せであった」ということがあるのです。また「あの人、体が元気になったため、やりたいことをやり放題だ。あんなことなら病気のままだった方が周りの迷惑が少なくなって良かったわ」と言われることだってあります。
そういうことを考えると、救いと言うことは、病気などの癒しにとどまたず、むしろどんな状況の中でもたじろがないでおれる自立性を確立されることと、関わる全ての人と平和を保つことが出来る調和性の根拠である「愛」に根ざした自己に変えられるという、人間そのものに関することを負いのであると言うことがお分かりいただけるのではないかと思います。そして、そのことは体が健康な人についても同様に言えることです。病気の人より健康な人の方に犯罪行為が多いのです。
篠田 潔
(日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
<2016年2月のラジオ放送予定>
2月 7日 小室尚子 (金城学院宗教総主事)
14日 小室尚子 (金城学院宗教総主事)
21日 落合建仁 (金城学院大学宗教主事)
28日 落合建仁 (金城学院大学宗教主事)
(放送開始1952年10月)
CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ)
毎週日曜日朝6時30分~45分放送
「ローマ人への手紙」研究」
第71課 キリスト者生活の実践的義務
=12:1~15:13=・・・15・・・
A 個人の生活上の聖潔を養う義務
12:1~21・・・15・・・
「キリスト信者の謙遜と柔和の義務」・・12:3、14~21・・3・・
「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい」(15節)。
ここではキリスト者の同情が教えられています。視野の狭いキリスト者は自分のことだけに忙殺されていて、他の人々の事情や悲しみを思う余裕がありません。しかし、謙遜で柔和で自己中心的でないキリスト者は、自分のことのように他人の喜びを共に分かち合うのです。これは実に難しいことですが、主はこれを求められるのです。
「互いに思うことを一つにし」(16節)。このことは一致と同意が真理の道理に於いてなされて良いということでは断じてありません。もし教会の会員の一人が偽りの教理を教えて、聖書の真理を否定しているとすれば、私たちは彼と一致すべきではありません。平和と調和だけのために、神の真理を犠牲にして一致することは間違いであり、神の前に有罪なのです。現代の諸教会は外面的な和合と調和ののみを尊重するが、それは偶像礼拝に外ならないのです。それは真理と義を犠牲にしたうわべだけの一致を追及することです。教会の外面的和合のために、教理的または実際的諸問題をめぐる真剣な討議や討論を避けようとする人々があります。そのようなことをするとすれば教会の平和が乱だされるのではないかと彼等は心配するのです。また、そうした諸問題を正規に従って教会に付託することにも反対論があって教会の平和が乱れるのではないかと憂いるのです。どんなに犠牲を払っても達成すべきその様な和合というものは聖書の中に語られてはいないことを銘記しなければなりません。聖書は常に真理と正義を犠牲にして和合を求めることなどは決して命じてはいないのです。もし現代の教会が、外面的和合と一致の追及に熱心であるほどに、神の栄光を求めることに熱心であろうとすれば、期待をはるかに超える神の祝福が注がれていたことでしょう。
しかし、ここの聖句は確かに、私たちは反対を許容することができないような頑迷な心をもつべきではないことも教えています。私たちはすべてのことについて、ある雑誌に助言を求める一通の手紙が掲載されました。その手紙を書いた女性は、自分はいつでも自分の思う通りにしたいし、彼女の夫もまた彼の思う通りしたいと望みました。それで、彼らが幸せな家庭をもつためには、どうすべきかについて助言を求めているのです。しかし、幸せと和合という祝福を受けながら、同時に何時も自分の思う通りにすることを言い張る方法は存在しないのです。
私たちは、和合のために私たちの正しい主義原則を犠牲にすべきではありません。しかし、他方では、私たちは自分自身を主義原則と呼んでいるものが、実は自分の思う通りにするための単なる頑迷さと自己主義な願望に過ぎないのではないかを、常に確認しなければならないのです。
J.G.ヴォス著
玉木 鎮訳(日本キリスト改革派教会引退教師)
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」