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2023年7月号  №193 号 通巻877号
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    ほっとひととき『みんなのコーナー』        

 ☆ 友人から富士山にも雪ですよ・・・とメールが届きましたので、カーテンを開けて見ました。今年もそのような10月を迎えることが出来ました。健康が戻った今に感謝して過ごしております。暖かい日が続きますとその雪も上の方に僅かに残りますが、その繰り返しで冬を迎えます。刈り取られた畑、残された柿の実、そのような秋を迎えました。  山梨県  O・Hさん

 ☆  主婦の私にとって、この連休は「暗黒の連休」でつまらない。毎日の掃除・洗濯、ご飯の心配をしなくてはいけない。ちぇっ。もういや! 愚痴メールになってしまいました。・・・。次は明るいメールになれるように頑張ります。  山形県 S・Dさん 

☆  秋になりますと恵那山が近くに見えるのは空気が澄んでいるからでしょうか。刈り終えた田んぼのあぜ道には真っ赤な彼岸花の絨毯が色鮮やかです。暑い夏が過ぎ足早に秋の到来です。夏の疲れを癒そうと近くにある温泉の旅行を楽しみにしています。お爺さんやお婆さんの昔話ではないですが、もう30年も続いている湯治を楽しむ季節になりました。足腰を伸ばして来る寒い冬に備えます。  岐阜県 N・Rさん

 ☆  今、山の田んぼのことを仕事で担当していまして、先日、S市とS町にある棚田を見てきました。S町の棚田は、ほとんど荒れています。イノシシが住み着いているらしいところもあるようです。昨年まで田んぼを作っていた方は、イノシシに田を荒らされて、営農意欲をなくし、今年からやめたそうです。田んぼの周りの山はきれいに杉が植わっていますが、杉林はイノシシの餌がないので、イノシシは田んぼや集落に餌を探しにくるしかないようです。これは全国的なことで、植林事業の再検討と農林従事者対策は急務でして、責任を感じながら、仕事をしています。山の田んぼはみんなで協力して田んぼを5年間継続して維持するとお金がもらえる制度があります。維持するだけです。その制度について今年が切り替えの年にあたり、今年から5年間維持するという申し出があったところを一昨日とりまとめたら、昨年より愛知県で約100ha減少しました。約100haの田んぼは5年間は継続できないということです。5年の間に山の田んぼは100haなくなるかもしれない。一気に仕事のやる気を失い、しばらく職場でぼんやりしてました。これが現実です。

  高齢化が一番の要因ですが、鳥獣被害も営農意欲をなくすという高齢化よりきつい要因です。やれるのにできないです。     愛知県 T・Yさん

 ☆  もう冬だよ!・・・。近況報告メール。・・・。今日も布団とお友達です。疲れが一気に出てきたのかなぁ。眼科に薬を取りに行く予定でしたが・・・。薬が変わったせいか、でも元気が出るような処方になっているはずなんだがなぁ。あるいは経済的不安か。生きていれば、何かあるのは当たり前ですね。    山形県 O・Kさん

 ☆  お元気ですか?わたしには元気が出てこない季節です。スポーツの秋だそうですが、夏のお疲れ様の時期です。そうですよね。生きている実感かもね、その証拠が、悩んだりくよくよしたり、怒ったり悲しんだり、おセンチになったり、時にはロマンチストにもなります。だから生きているって素晴らしいと思いますよね・・・。喜怒哀楽、花鳥風月、秘かに心ときめく人との出会いもまた人生・・・。そう思うことにしています。そう思うと一日に味があるではないですか。ある本には、人は恋しなくなったらお終いだそうです。そうかなあ~?そうともいえるなあ~!オシャレ、身だしなみに興味がなくなったら、お終いか・・・。渋谷にでも行って秋の洋服でも買いに出掛けてきます。まだまだ人生、現役ですから・・・。  東京都 K・Kさん

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  『ありがとうございます』

 秋風に舞う枯れ葉の間に沢山のどんぐりがありました。今はほとんど聴かないですが、記憶の何処かにあった童謡の『どんぐりころころ どんぐりこ・・・』の歌が、ふう~と浮かんで来ました。詩人にはなれませんが、私の秋を味わっております。それぞれの秋を沢山メールで下さいます。退院を指折り数え、家族を思い、病窓から見る夜景もその一つと言えます。「山から町へのお便りは、「柿の実、栗の実、熟れ候、ひよどり、鶫、啼き候、お山はまつりになり候」と金子みすゞは、「秋のおたより」で詠んでいます。

 下記の方から「つのぶえジャーナル」の働きのために、寄付金をお送りくださいました。感謝いたします。

「2015年9月16日から10月15日までの寄付者」

宮川真澄様 馬場暁美様 桑原廣子様 小幡美智子様 匿名様2名

   郵振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社 

  お便り下さる方はこのメール アドレス   osamura@kind.ocn.ne.jp をご利用ください。

 「つのぶえジャーナル」(米国南長老教会文書伝道事業)刊行責任者

   つのぶえ社代表   長村秀勝

 

 

   今月のことば 

 イエスは彼にむかって言われた、「きよめられたのは十人ではなかったか、ほかの九人は、どこにいるのか」。

           =ルカ17:17=

 10人のらい病人が遠くから悲痛な思いで。イエスさまに呼びかけます。「どうか、わたしたちを憐れんでください」と切実に叫んでいます。この10人のらい病人は願いを叶えていただきました。ところが彼らのうち一人だけが引き返してきて、その愛を証ししています。

 私たちの日々も、神様に己が苦しみや悲しみを叫び、癒しを求めています。癒されたその時の喜びや感謝の思いには偽りはありません。しかし、何時しか感謝を忘れ、また叫び求めています。

  

 私たちが十字架のキリストを知り、その救いの恵みに与りたいと願い、罪許された者とされた喜びに、偽りはありません。しかし、信仰生活にはその人を怠惰と無感覚に落とし入れる危険な罠は何時も待ち構えているのも現実です。順風満帆な日々、人々に囲まれ、物に満たされ、健康に過ごしている時、御子の十字架の苦しみが、愛が、御守りが今を支えているという思いに満ち満ちているでしょうか。

 

 もう一度、祈り求めましょう。主イエス・キリストのあの十字架を!心から主イエス・キリストを信じさせ、永遠の命へと移して下さるという、あの喜びを!愛の御手をもって、頑なで不従順な心をとらえてください。あのイエス様のみもとへ帰ったあの病み人のような、素直な信仰を!

 

 地の塩・世の光とは、キリストを愛し、キリストを証しする日々にあることを心から思い、生きることを願うことです。

 

 小閑記

 

 おろかな者よ、あなたの魂は今夜のうちにも取り去られるであろう。そうしたら、あなたが用意した物は、だれのものになるのか。

      =ルカ12:20=

 このみ言葉は勤労・勤勉が無駄であり、怠惰と貧困が良いかのように教えるためでないことは明らかです。私たちは、日々の生活の苦しさを体験した世代、貧農と言われた地域に育った者の厳しい体験は、今の豊かさの中にある貧しさとは比較にならないと言えるかも知れません。

 しかし、幾ら豊かに所有していても、その気持ちの中に感謝する心が無ければ、富める貧しさではないでしょうか。

 また、怠惰に対して、もう少し不親切であったら社会は変るのではないかと思わされます。安易に求めるところに怠惰が潜んでいると思うなら、これもまた社会にとって不幸なことです。

 この聖句に登場するのは農夫です。勤勉に働き、富を貯えた喜びの中にありました。勤勉がもたらした果実を手に入れ、飲み食いするに十分過ぎるほどの中にありました。人はこの農夫を見て、羨ましいと思ったことでしょう。多くの人は成功者と言うでしょう。しかし、イエス様は「おろか者」だと言われるのです。

 彼の置かれた命は死の冷ややかな中にあったのです。彼の得た全ては、永遠の貧しさにもなるものでした。人間にとって、真に生死をかけることが何であるかを知ることは、何にも勝ることです。

 私たちのために備えて下さった神からの富は、地上の豊かさではありません。神が備えて下さった富は、永遠の命、神の国でした。私たちのなすべき備えは、先ず神の国を求める賢い者になることです。この世を愛し、神に敵対していることを忘れる危険を自覚することです。

 

主イエス・キリストを信じ、知る知識、従う勇気の人こそ幸いなのです。

 

世田谷通信(145

猫 草

我が家の周辺の見通しが非常によくなっている。大規模な道路の建設予定地なので、立ち退きが進んでいるのだ。家から100m先はすべて対象地である。建設計画は10年以上前からあり、引っ越し当初からわかっていた。しかし数年前はびっしりと住宅が立ち並んでおり、ほんとにやるのかしら程度の気持ちでいたのだ。

しかし昨年からどんどん話が進み、1軒また1軒と更地になり、ふと気が付くと家からの景色が一変しているのに愕然とする。

家の解体は1,2日であっという間に終わる。あったものが失われ、つるりとした更地になると、数日で草が生える。すぐにアスファルトで覆われ、フェンスと鍵が取り付けられた建設予定地になるのだ。そんな無機質さが大半を占め、残っている家が、まるで荒野に剥き出しで建っているような印象になる。

そんな中、まだ残っている1棟の2階建て木造アパートがある。前庭には1匹の猫がいつもいる。住人からご飯をもらうのだろう、ベランダ横の洗濯機に座っていることが多い。雨でも雪でも外にいるので、半ノラだろう。みんなから「ミー」と呼ばれている白黒ブチの高齢猫は、タプタプした体格と愛らしい声をしている。ビニール袋を持った通行人には「ミャーン」と話しかけてくる。あのアパートも取り壊し対象だが、ミーはどうなるだろう。住み慣れた場所を追われ、住人が一緒に連れていくだろうか。

立ち退き後は、近所に新しく家を建てる場合もあるが、全く別の場所に移ることもあり、その判断はさまざまである。人間は自分の住む場所を自分で考えて決めるだろう。でもほかの生き物は?

先日、家の玄関前に1mぐらいのアオダイショウが細長く伸びていた。目が合うと音もなく木の陰にするすると入っていった。こいつも住処を追われたのかもしれない。人間の「壮大な計画」によって完成するもの、失われるもの。何が正解なのか成功なのか、よくわからない。

 

 『美しい朝に』・・11・・

8月15日

 今日も、良く晴れています。こころなしか、空も秋の気配がします。昨夜も、老犬の夜泣きで、寝れなかったです。でも、息子の「愛ちゃんが泣いてない時に昼でも寝てたらいいやん」と言われ、「なるほど」と昼の12時から、少しまどろむことが出来て、お布団から出たのは、15時頃でした。それから、遅い朝食です。 まったく寝れなくて家族にやつあたりしてるより、病人らしくお布団に1日中いるのも有りですね。

8月17日

 大阪は、「ザー」と雨が降っています。涼しくなった気がします。昨日から、少し食欲が出ましたので、寝る前に、お腹をいっぱいにして寝ました。不思議なもので、お腹がふくれたのが良かったのか、昨晩はぐっすり寝れました。体重を減らしつつ、時には寝るための夜食も大切かも知れないと思いました。眠れないと、体調も良くないですものね。

 去年の9月22日に、血小板が4000しかなくてITPと診断されました。輸血とステロイド5ミリを14錠服用で命を助けていただきました。もうすぐ1年ですが、ステロイド2ミリで血小板27万で、正常値です。多くの方のお祈りに支えられ頑張れました。お祈りありがとうございます。

 あっいう間の1年でした。副作用を克服していかなければなりませんが、血糖値が高くなる心配でステロイドを早く減らせたような気もします。神様の与えて下さる出来事は、その時は泣き叫ぶほどつらくても無駄なことはないのかもしれません。

8月24日

 更新お疲れ様です。きれいな9月号になっていますね。印刷も頑張ってくださいね。体調が回復されるようお祈りしています。今日は、大阪は良く晴れています。洗濯物が、良く乾きました。今日、自転車を押しながら散歩をしてきました。血糖値を下げるには「歩く」ことが重要です。体調が良くなってくると、食欲の秋になり、これが、課題です。花の写真を何枚か、お送りしますね。

9月1日

 こんにちは。今日から9月なのですね。秋らしくなってきました。大阪は、今「ザー」と降ってきました。9月の誕生日の家族が、実家の母・主人・息子と多いです。今月は主人と息子のプレゼントも、もう早々に渡しました。息子は「毛布が欲しい」と言うので、プレゼントしました。いつ寒くなっても大丈夫です。主人の希望のマッシャージャーは、私も愛用しています。私は、誕生日ではありませんが、ちゃっかり秋服を買ってしまいました。通院もりっぱなお出かけなので通院用です。
9月4日

 いいお天気です。お祈りありがとうございます。5日ぶりに眠れました。導眠剤は増やさない約束で頂いていますので、お医者さんに相談はできません。薬とは、長いつきあいですので、自分で調節はまかされていました。増やせない約束が決まっているのですから、2日眠れないと薬を3日飲まずに5日がまんして、元の量に戻したら眠れてたのです。、自分自身との戦いなのです。ただ、たまに眠れた時の幸せは格別です。
それぞれの重荷に耐えれるようお祈りいたします。
9月7日

 こんにちは。大阪は今にも雨が降りそうな空です。夏の疲れをかかえてる方のために祈ります。明日8日(火曜日)は、血液内科の予約日です。なんとか、前倒しなしに来れました。ステロイド1ミリで過ごせました。何を食べる前にも「野菜ジュースを1口」を実践しています。寝ながら腹筋で、1ヶ月で1キロ減です。食べたものを記録することも大切です。この方法で、6年程前1年で10キロ減らしました。5年間キープできていましたが、去年の秋、血小板が減り、ステロイドの服用で10キロ増えました。お医者さんから、もう1度体重を減らせれば高血圧や高血糖は、改善されるはずだと言っていただきました。もう1度挑戦してみます。

9月9日

 大阪は雨です。台風の影響でしょうか。昨日の病院も雨でした。血液検査の数値は、あいかわらず炎症反応が高く、風邪でも腸炎でもないので、膝の炎症かもしれません。ステロイドで「骨もカスカス」になる副作用もあるので、骨を強くするお薬をいただきました。服用しても、血小板が下がらないお薬なので安心です。結構、外へ出ようとしていたので「無理しないように」とストップがかかったのでしょう。「歩く」のは、少しだけにします。血糖値と血圧は、良い方向に向かっているようです。

お祈りしていただきありがとうございます。体重の減量が、膝の負担も軽くなりますので

頑張ります。

             大阪府K・Aさん

  (このメール文の掲載はK・Aさんの了承を頂いております)   

                    

 

 

  その愛のゆえに

   =時々の記=

      (114)

8月15日

 私はこのところやはり今年の暑さのせいでしょうか。年のせいでしょうか。バテています。
何かに取り掛かるまでにとても時間が必要になってきました。朝は元気があるのですが、夕方になってくると、気力が落ちてきます。夕食の準備はとてもおっくうになってきます。近くにスーパーでもあれば惣菜を買いに走りたい思いになります。田舎ですからそれができないので、仕方なく、カボチャを煮込んだり、キュウリの漬物を作ったりして、ベジタリアンの生活になっています。このような時とても便利な野菜は、トマト、レタス、などは洗うだけで食することができるのですから。
 明日の日曜礼拝にはちょっと行けそうにありません。家で静かに聖書を読んで祈って礼拝を捧げようと思っています。

 竜口の谷間深き泉かな。(竜口とは奈良県のもっとも南端にある村です。三重大での主治医の先生がその村の出身だと聞いて二人で行ってみました。)
 風蘭に表れてをる侘びと寂び。
 十字架は和解のしるしさやかなる。
 この村の栄枯盛衰合歓の花。
 谷間に縦の線見え夕立ちす。
 闘病の決意を語る夏の果て。(主人の高校時代からの友が肺から脳へがんが転移し厳しい闘病をされています。)      馬場路哉
8月26日

 今日の空は夏の空とは異なっていました。空が高くなっているように感じられました。ようやく秋の涼しい風が通り抜けてくれるのでしょうか。台風が来ているとのこと。心配です。
 桐一葉朝にぱさっと落ちにけり。
 一瞬に蔵を超えたる黒揚羽。
 電線に並びをりしが帰燕(きえん)なり。
 高原のさやかな風にバイク駆る。
 川堤はるか見上ぐる鰯雲。
 白鷺や青く拡ごる河川敷。      

 今朝もまた路に落ちたる紅芙蓉。
 賛美歌やほめたたえをる秋初め。
 爽やかや心新たに教会へ。
 朝顔の華かなりし日数かな。
 丘の上に大きく揺るる芭蕉かな。  馬場路哉

9月4日

 こちらは、久しぶりの晴れ間が広がりました。家の庭では、春に苗木で買ってきた秋街道(しゅうかいどう)が、小さなピンクの花を咲かせ始めています。まだ小さいままの木です。てっぺんに小指ほどの花をつけて懸命に秋が来たよと告げてくれているようです。その花の前を通り過ぎるときは立ち止まってしまいます。たった一つの花に癒されているこの頃です。犬の散歩では葛の花が紫の花をいっぱいつけています。葛のツルがとても勢いがよすぎて周りの桐の木に巻き付いて弱らせているのを見ると、植物でも弱肉強食なのかと思わせられています。そういえば、葛は、体が弱ったときに葛湯を頂くと元気になると昔から言われてきているようです。吉野葛はとても高価ですが最高の葛菓子ができるので有名です。私たちは吉野葛はとても購入することができませんから、片栗粉を使っています。

 一枚の畑守りて秋耕す。
 初秋や忍耐強く祈らなむ。
 天高く神在しますと教えられ。
 蓮の花、時々見ゆる散歩道。
 静かにも燃ゆる詩情や花石榴。(ざくろ)
 葡萄棚イエスの譬え調べける。       馬場路哉
9月12日

 久しぶりに秋の空が広がりました。何日かぶりの爽やかな一日でした。虫たちは夜になると、合唱です。コオロギ、バッタ、クツワムシがそろって鳴き出します。それがうるさいとは感じないのです。自然の生き物の声だからでしょうね。
 朝はとても涼しくなりました。長そでを羽織らないと犬たちとの散歩には出かけられないほどです。明日は教会で敬老の日の愛餐会があります。主人がその中に入っていますが、ちょうど山添村の「出会い」と重なって欠席です。先ほど、山添村から‘敬老の日のお祝いです’といって紅白のお饅頭が届けられました。これは誰のですかとたずねると、ご主人が71歳になられたので村からのお祝いですとのこと。このようにしていただくと、さすがに敬老の日を実感してしまいますね。
 
 馬場暁美

上野緑ヶ丘教会

 

  解説 ウエストミンスター信仰告白 (40)

   岡田  稔著

  (元神戸改革派神学校校長)

 

第19章 神の律法について・・2・・

3 普通に道徳律法と呼ばれるこの律法のほかに、神は、未成年の教会としてのイスラエルの民に対して、儀式律法を与えることをよしとされた。これは、いくつかの代表的規程を含み、一方において、礼拝についてはキリストとその恵み・行為・苦難・祝福を予表し(1)、また他方において、道徳的義務についての種々な教えを提示している(2)。この儀式律法はみな、今の新約のもとでは廃棄されている(3)

  1 ヘブル9章、ヘブル10:1、ガラテヤ4:1-3、コロサイ2:17
  2 
コリント5:7コリント6:17、 ユダ23
  3 コロサイ2:14,16,17、ダニエル9:27、エペソ2:15,16
三 モーセの律法は、道徳、儀式、司法の三分野を包含しているものである。これはイスラエル民族が、神の民として代表的な高徳的、宗教的、社会生活を営むべきものであることを現わしている。しかし、十戒は単なる道徳律ではなく、根本的には宗教的なものであり、明かに安息日規定をも包蔵するものであり、他方、儀式律法といえども、単なる宗教上の規定と言うだけに止まらず、人間本来の道徳を表示する要素を含んでいる。従って、両者を道徳と儀式と宗教いうように二分することは正しい理解とは言えない。それだから、ここでは道徳と儀式とに区別しているのである。

儀式律法の中で、代表的なものは過越の祭りと割礼であり、前者は「礼拝についてはキリストとその恵み・行為・苦難・祝福を予表し」、後者は「道徳的義務についての種々な教えを提示」することなどの点を、よく表している。

神の幕屋は、後にエルサレムの神殿として、ユダヤ教の中心となったが、イエスはご自身をもって、その本体であると主張され、インマンヌエルの意味を教えると共に、旧約時代の全ての儀式律法が、エルサレムの神殿の焼失を最後にキリスト教会の中から姿を消した。それは福音が律法を追い出したというよりも福音によって、律法が立派に成就されたと見るべきである。割礼が洗礼に、過越の祭がカルバリと主の晩餐にというようにである。

 

4 一政治体としての彼らに対してもまた、神は多くの司法的律法を与えられた。これは、その民の国家と共に終わり、その一般的原則適用が求める以上には、今はどのような事をも義務付けていない(1)

  1 出エジプト21,22:1-2821,22:1-29)、創世49:10
ペテロ2:13,14(*)
    マタイ5:17,38,39(**)
コリント9:8-10
     *創世49:10
ペテロ2:13,14と比較
     **マタイ5:17をマタイ5:38,39と比較
四 「目には目を」と言った報復の規定や「離縁状」に関する指示などは、家庭、社会の各方面にかかわる地上の生活の律法であって、専門家の立場から見ても、実に古代社会の律法として優れたものとされている。

モーセ律法の第三部門に関しては、イスラエル民族は地上教会の前身である以上、教会と国家との分離の原則に照らしても、当然、教会内での適応性はなくなっている。「キリスト者の律法からの自由」の中には、原始キリスト教時代のユダヤ人信者に大問題になっていた、儀式律法や司法律法からの完全解放という意味があったことは使徒行伝15章を読むなら、すぐ気付くところである。

 

5 道徳的律法は、義と認められた者にも他の人にもすべての者に、永久に、それへの服従を義務付けている(1)。そのことは、そのうちに含まれている事柄のゆえだけでなく、それを与えられた創造者である神の権威のゆえにもそうである(2)。キリストは福音において、この義務をいささかも廃棄せず、それを大いに強化しておられる(3)

  1 ロマ13:8-10、エペソ6:2
ヨハネ2:3,4,7,8
  2 ヤコブ2:10,11
  3 マタイ5:17-19、ヤコブ2:8、ロマ3:31
五 キリスト者の自由の問題で、とかく議論の尽きないのは、この道徳律法に対する義とされた者との関係である。大まかに言って、前者の儀式律法や司法律法を教会内の規則として義務付けようとする立場が律法主義であり、本項にあるように道徳律法からも信者はまったく解放されていると主張する立場が律法廃棄主義(または反律法主義)である。

この点については、日本キリスト改革派教会創立宣言を参照していただきたい。わたしたちは両極端を否定して、道徳律法の義務性からは放免されていないと主張する。その理由は根本的には律法は神の意志であり、神の命令は神のご性質に基づくものであって、被造物として創造主なる神の絶対的権威に服することからの自由は全然考えられないからである。

 

 

さんびか物語・・・19・・・

    (広く愛唱されている50曲)・・・18     

 ポリン・マカルピン著

    (米国南長老教会婦人宣教師) 

讃美歌192番

 ああなつかし いのちをもて

<神様のみ言葉>

「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたようにあなたがたも、自分の妻を愛しなさい。キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです」。

~エペソ人への手紙5章25~27節~

 神の家である「教会」をテーマにして歌っています多くの讃美歌の中で、192番のこのああなつかし、いのちをもて、あがないたまいし主のみとのやは有名であります。その理由の一つは原作の素晴らしさにあります。また、この歌はアメリカの最初の公認讃美歌であると共に、世界に貢献した秀歌でもあります。

讃美歌192番の原作者ティモシ・ドワイト(1752~1817)は、イギリスの植民地であった当時のアメリカの精神的指導者でした。彼は有名な伝道者ジョナサン・エドワーズの孫として、マサチューセッツ州のノースハンプトンに生まれ、4歳で聖書を、6歳でラテン語の勉強を始め、13歳でイエル大学に入学し、17歳で卒業したという秀才でした。

彼は、しばらく母校で教えていましたが、1775年の独立戦争が起こった時に、アメリカ独立軍付牧師となりました。戦争の間、彼は礼拝と説教のほかに、兵士たちを慰め励ます詩や讃美歌を数多く書いたそうです。

1795年には母校イエル大学に招かれ総長に就任しました。そうして、20年の間、特にドワイトの深い信仰によって数多くの学生が神様に立ち返り学校の精神は無神論から神様を信じる信仰へと変えられていきました。

彼の教育家・著作家としての功績には著しいものがあります。讃美歌の方面ではコネチカット州の長老教会当局から、アイザック・ウォツの歌集(Psalmsand Hymns)の改訂を委任され、完成させました。この改訂は実質的にはドワイトの創作と変わらないものです。この歌も詩編137編にもとづいていますが、その内容はドワイトによって新約化されています。また、この讃美歌は1800年に出版・発表されましたが、現在に至るまでアメリカやイギリスの教会で愛唱されているものであります。

讃美歌192番の曲STATE STREETの作曲者はアメリカ人のショナサン・C・ウドマン(18131894)で、彼は1840年頃、ボストンで有名な音楽家ロウエル・メイスンと知り合いになり、この頃からオラトリオの独唱者として活躍したそうです。1880年以降は、ニューヨークやブルックリンで音楽を教える傍ら、教会のためにも活躍した人物であります。讃美歌192番はアメリカではSTATE STREETの他にST・THOMASという曲にも利用しています。ご参考のために讃美歌63番のいざやともよ542番の世をこぞりてなどをご覧ください。やはり、日本語訳の場合には、ST・THOMASよりもSTATE STREETの方が歌詞によく合うように思います。

この讃美歌の原作は、8節からなっていましたが、現在アメリカでは5節と6節が省略されて用いられています。日本語訳はさらに7節も省略して、結局1節~4節と8節が用いられているに過ぎません。

<192>

1 ああなつかし いのちをもて

  あがないたまいし 主のみとのや。

1節では、いのちをもて、あがないたまいし主のみとのやすなわち、教会について歌っています。原作で作者は、教会を「神の家」「神の住んでおられるところ」と言っています。またわれらの聖き救い主が、ご自分の尊い血をもって、この教会を救って下さったが故に、教会を深く愛していると歌っています。

エペソ人への手紙525節以下にありますように「キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、・・・キリストがそうされたのは・・・教会をきよめて聖なるものとするためであり、・・・」と記されていますように、私たちもこのように教会を愛さなければならないと思います。

 2 軒はたかく 床はひろく

   いしずえうごかじ 主に置かれて。

2節では、教会のあらゆる部分軒、床、その石ずえは主イエス・キリストの上に置かれているのですから、この世のどのような力が迫り来るとも、決して揺るがすことは出来ないと歌っています。

使徒パウロは若い弟子テモテに次のように教えています。「神の家とは生ける神の教会のことであり、その教会は真理の柱また土台です」(テモテ3:15)。真理の上に建てられ、真理を宣べ伝えるキリストの教会は、決して滅びることはありません。ここで思い起こさせるのが、キリストのペテロへのお言葉であります。「あなたはペテロです。わたしはこの岩(キリストを救い主として受け入れる告白)の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません」(マタイ16:18)また、マタイの福音書724節以下にある、砂の上に建てられた家と岩の上建てられた家の譬話をご自身で一度お読みになって下さい。そこでは、キリストのみ言葉を聞いてそれを行う人、それを信じる人は、岩の上に建てる賢い人のようである、とお教えになりました。

あなたの生活は、キリストとその教会という土台の上に建てられていますか。

 3  わがなみだ これにそそぎ

    いのりののぞみも これにかかる。

3節には私たちばかりではなく、全人類の涙も祈りも望みも全てキリストとその教会にかかると歌っています。すなわち、私たちの全ては、キリストのものであり、キリストのためにのみ奉仕が出来るように与えられていると言うことでしょうか。また、私たちの涙も苦しみも全て、キリストの教会に注がれる時、暗黒から希望へと変えられると歌っているかのようであります。

自分の都合のみを考える一般の人と、全てを神様に捧げる人の生活とではどんなにか大きな隔たりがあることでしょう。

「私は主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています」(ピリピ3:8)と使徒パウロは告白しています。

私たちもこの告白を主イエス・キリストに捧げたいものです。

 4 わがよろこび ほかにあらじ

   たのしきまじわり きよきちかい。

4節では、教会で行う聖餐式また洗礼を受ける時のきよい誓いと主にある聖徒の楽しい交わりを中心にして、歌っています。まことの喜びは、このような主にある者たちの信仰に立った交わりの中にのみ、味わい知ることが出来ると、強調しています。罪から解放されている私たち信者は、心から喜ぶはずではないでしょうか。「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい」とピリピ人への手紙4章4節に言われていますが、このみ言葉の中心点は言うまでもなく‘主にあって’であります。主を知らぬ者には、まことの喜びは知り得ません。

 5 かみのまこと つきぬかぎり

   いのちのいずみは ここにぞ湧かん。

5節では、神様は永遠から永遠にいたるまでの存在者であることが讃美されています。ウエストミンスター小教理問答書の問4の答えにありますように、神様は「無限、永遠、不変の霊」であられます。この神様の本質と同様に、神様の真実も決して終わりのあるものではありません。むしろ、その望み、恵み、いのちは泉のように湧き出でるのであります。

神様のみ言葉である聖書、また、神様の家である教会の中で、神様のご本質は湧き出で光り輝くのであります。

イエス様が私たちにお約束くださいましたみ言葉を信仰を持って受け入れ、持ち続けましょう。

「わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます」。(ヨハネ4:14)

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­­­=この「さんびか物語」は「つのぶえ社」の出版(第一刷1974年、第二刷1992年)で、出版社の許可を得て掲載しています。本の購入を希望される方は、「つのぶえ社」までご注文ください=

 

 ビルマ

  戦犯者の獄中記  (55)  遠山良作 著

昭和22年

 9月5日

 タキン党事件の裁判の状況・・3・・

 2回目の起訴

 2回目の事件で起訴されたなら、死ななければならない、と思い続けてきた事件は、ついに「遠山良作ケース」として一人だけ起訴された。

 担当弁護士は新しく日本政府から派遣された穴沢定志氏である。事務所に呼び出されて、彼から起訴状の内容について次のような説明があった。

    1  英軍の「スパイ」をかくまった容疑者「セヤオンバー」を逮捕し、調べをするに当たり拷問をして死に至らしめた。

    2  英軍の潜入喋者2名をかくまった罪で逮捕した「アネー」を取調べ、拷問した。この2つの事件である。

 私は穴沢氏に、「問題は、セヤオンバーの拷問致死の事件ですが、私が取調べ中に死亡しました。しかし死因は病死ですが公判で死亡した原因は病死であることを立証することは極めて困難です。私はもう駄目だと思います。死刑を覚悟しております」。

 穴沢氏「今から諦めなくともよい。とにかく裁判の対策を立てて病死であることを公判で立証することを考えましょう。それには、今までの判例から日本人の証言は少しも認めてくれないから、どうしてもビルマ人の証人を立てて争わなければなりません。誰か証人になってくれるビルマ人はいないでしょうか」。

 私「敗戦国憲兵のために証言してくれるビルマ人がいるとは思われません。日本軍に協力した者は、対日協力者として逮捕され、裁判にかけられているのです」。

 穴沢氏「この事件にはどうしてもビルマ人の証人が必要です。来るか来ないかは別にして、一度呼んでみようではありませんか」。

 その穴沢氏の強い要望に、無駄だとは思ったが、セヤオンバーが病死であったことを知っている、ビルマの警察官であった、チョミー、アオンチー他3人のビルマ人をモールメンから証人として呼び出すことを穴沢氏に依頼した。

 

9月12日

ビルマ人の証人

 弁護士と裁判の打ち合わせのために事務所に行く。驚いたことには、先日、証人として呼び出したけれども来るとは思っていなかったビルマ人5人がモールメンから来てくれたことである。懐かしい彼らとの再会、握手を交わす手のぬくもりが伝わる。

「マスター元気ですか、日本が戦争に敗けて大変なことになりましたね。マスターの裁判には私等が法廷で証言するから心配ない。きっと無事に日本に帰ることが出来るでしょう」と慰めてくれた。

現在ビルマを支配している為政者は、英軍であり、日本軍に叛乱をしたビルマ人のタキン党員である。彼等からみれば敵国人である私のために法廷で証言することは、彼等から何らかの報復を覚悟しなければならい。これを承知で証人になるというのである。

2年8ケ月、モールメンで勤務していた私は、彼等に一体なにをしてやったであろうか・・・。唯、戦争に勝つために、敵の情報を収集させ、利用してきた。だから彼等は、ことがあれば死をも恐れず勇敢に働いてくれた。

戦いが終わった今も忘れないでいてくれるビルマ人の友情に胸が熱くなるほど嬉しい。限られた短い時間内の打ち合わせ、積もる話も出来ないまま、再会を約束して別れた。 

    *文章の転載はご子息の許可を得ております。

 

 

「あなたに聖書を」

「キリスト教百話」・・・34

問20・・11 キリスト教では「罪」と言うことを言いますね。クリスチャンは「われらの罪を赦し給え」と祈っていますが、別に犯罪を犯しているようでもないのに、どうしてあんなことを言うのですか。

答   「罪」と言う言葉は普通には何か悪いことしたことに対して、それは「罪を犯した」という風に使われますね。それが法律に引っかかる場合には明らかな「犯罪行為」とみなされます。その場合は法律に違反しなければ「犯罪」とはなりません。と言うことは、その場合の「罪」というものは、その法律が適用せれる範囲内の人にとって誰もが認める共通の「してはならないこと」が明文化されていますから、「罪」とは何かがはっきりしています。

 <続き>  一般的に言って「救い」という言葉についての受け止め方はいろいろです。例えば「救急車」とか「救命ボート」とかいう場合には、そのままにしておいたら死ぬかも知れない状態から救い出すことが考えられています。それで、こういう救急策が有効に働いて命が取り止められた場合には、その本人は「救われた」と言うでしょうし、家族の者たちからも「救われて良かったね」と言われるに違いありません。そういう人命救助を仕事としている人によって、多くの人が救われている事実があります。これは体の命についてのことです。

 また、時に「災害救助法の適用」がなされる場合があります。これは災害によって被害を受けた人が、そのままでは立ち直ることが困難な場合、その困難さからの救いということが考えられているわけです。そのほか自力では回復出来ない状況にある場合、その状況からの解放が「救い」と考えられます。病気、借金、自分に対する悪評などからの解放を「救い」ということが出来ます。

 そういうことから言って、右に述べたよう事情がない人にとっては「救い」など必要ありません。ですから、「救い」などという言葉は、そういう人には無縁でありまして、ナポレオンが「余の辞書には不可能と言う言葉はない」と言ったことをもじって言うと、「わたしには『救い』と言う言葉は不必要です」ということになります。「みんな間に合っています」というわけです。

 「死ぬこと」についても「わが人生に悔いはありません。死ぬのも時が来れば自然に死ぬのですから、とりたててどうってことはありません」と言う人もいるわけです。以上のように、「救い」を必要としている人と、必要としていない人とがいる、ということになります。

 「キリスト」という言葉は「救い主(ぬし)」という意味ですから、「救い」を必要としていない人にとっては、キリストは無縁の存在であるわけです。それでもキリストの誕生のお祝であるクリスマスを祝うのはどういうわけでしょうか。

 釈迦は「生老病死」と言う四苦からの解脱(げだつ)を願った人です。この四苦はすべての人に共通して存在しているもので、釈迦はそれからの解脱を悟りによって得たと言われております。ですから仏教は人間の問題に対する救いの道を説く「救済宗教」であります。(「救済宗教」にたいして「ご利益宗教」と呼ばれるものがあります)。

 キリスト教も救済宗教ですが、その場合の「救い」とは「罪と死からの救い」のことを言います。罪にしても死にしても、何か形に現された行為や現象のように受け取られやすいのですが、聖書で問題とされているのは、神との関係においてのことであります。したがって、神不在であるなら「罪」も「死」も「救い」も、問題にはなりません。

                篠田 潔

(日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」
                            協力委員・ラジオ説教者)

       <10月のラジオ放送予定>  

10月 4日 橋谷英徳 (日本キリスト改革派関キリスト教会牧師)

   11日 橋谷英徳 (日本キリスト改革派関キリスト教会牧師)

   18日 長谷川潤 (日本キリスト改革派四日市教会牧師)

   25日 長谷川潤 (日本キリスト改革派四日市教会牧師)       

       放送開始1952年10月放送開始

CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ

毎週日曜日朝6時30分~45分放送

 

 

「ローマ人への手紙」研究

  第70課 キリスト者生活の実践的義務

=12:1~15:13=・・・11・・・

A 個人の生活上の聖潔を養う義務 

       12:1~21・・・11・・・

「キリスト教的勤勉愛の義務」・・12:11~13

 

「熱心で、倦むことなく、霊に燃え、主に仕え、望みをいだいて喜び、患難に耐え、常に祈りなさい。貧しい聖徒を助け、努めて旅人をもてなしなさい」(11~13節)。

ここでは勤勉と言う言葉によって要約される8つのキリスト者の義務が語られています。

第一に、キリスト者は多忙な人でなくてはなりません。すなわち、仕事に怠惰であってはならないのです。日常の生活において、またその仕事において、積極的であり、勤勉に励む人でなければならないのです。このことは勿論、病気や高齢や障害のために働くことができない人々を除く、すべての人々について言われているのです。多くの資産や動産を所有する人たちもあるでしょう。しかし、もしその人がキリスト信者であるならば、怠惰や無為のうちに日を過ごしたり自己本位の快楽の中で埋没することはないはずです。

なぜならば、神はすべてのキリスト者に対して、多忙で勤勉な日を送ることを求めておられるからであります。生活のために働く必要のない人たちでさえも、神に仕え、神を喜ばすために、働かなければならないのです。働かないことは罪なのです。神は人間を働くように創造しておられるのです。「6日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ」というのは、「安息日を覚えて、これを聖とせよ」という命令と共に、神の戒めなのであります。怠惰と無為のうちに日を送ることは、安息日に不必要な業をすることと同じく、神の道徳律法を犯すものであると言わなければなりません。

次に「霊に燃え、主に仕え」とあります。「霊の燃え」とは熱心であるといえましょう。主に仕えることにおいて熱心でなくてはならないのです。私たちは自分の信仰について、果たして熱心であるでしょうか。多かれ少なかれ、それが不愉快な業務だと感じてはいないでしょうか。私たちは喜んで信仰のために命を捨てるだけの決心があるでしょうか。古の殉教者たちのように。

共産主義は世界の半分を獲得しています。そして誰もが、真の共産主義者たちがその共産主義信仰に熱烈であることを知っています。しかし、彼らがその奉じる主義・信仰のために喜んで犠牲を払い、必要とすれば生命さえも惜しまないという事実は厳然と存在するのです。現代のキリスト信者は闘うことを忘れつつあるのではないでしょうか。もしそうであれば、その理由は、共産主義者たちがその主義・信仰について考えているほど、真剣にキリスト信者たちがその信仰について考えていないことによると言わなければなりません。

   J.G.ヴォス著

  玉木  鎮訳(日本キリスト改革派引退教師)

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書籍紹介
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エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

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教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
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「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

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「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
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「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
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われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

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さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

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