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2023年7月号  №193 号 通巻877号
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    ほっとひととき『みんなのコーナー』        

☆   わたしたち夫婦の日課に成っている夕方の散歩で、川沿いの道のあちこちにススキが風に吹かれているのに気が付きました。萩の花もいっぱい咲き始めました。まさに秋の始まりですね。暑い夏ともお別れです・・・。 茨城県 T・Tさん  

☆    お久しぶりです。最近の夏の暑さにぐったりですよね。孫が遊びに来ると、不思議と元気が出るから孫パワーってすごいですね。7月の連休に姪の結婚式が沖縄であり、二泊三日で娘と一緒に主人と三人で行ってきました。国際結婚だったこともあり、相手側とは全く言葉が通じず、新郎が一人で通訳しながらの結婚式でしたが、アットホームで温かいユーモア満載の披露宴で三人とも楽しく参加できました。沖縄は、こちらと余り変わらない蒸し暑さで、わたしの方がばててしまい最終日は気力だけでした。近況報告です。 兵庫県 N・Yさん 

 ☆  毎日、洗濯や買物など家事の仕事に追われていると、つい主人や子供たちの言葉に過剰な反応になっています。友だちとのメール交換になりますが、メール交換ではなく〝愚痴交換″になっていて、反省ばかり・・・。ふと、人との会話のないことに気付き、ひと品は個人商店で買物することに決めました。お店の人との会話もまた貴重な時間です。「ありのままの自分を受け入れてもらえたら、本当に自分のペースですすめます」と言う言葉を思い出しています。  東京都 S・Oさん
 ☆  心配していた台風の被害も少なくて済みました。主人とハウスの対策は毎回同じで慣れましたが、それで日々の収穫も出荷出来、実りの秋を迎えることが出来る見込みが立ち感謝しています。まだこれから数日は後片付けですが、次の植え付けの準備でもありますから、楽しむことにしています。暑い夏は台風が連れ去ってくれました。 山口県 Y・Kさん

 ☆  今日、久々にウォーキングしまして、中学生の陸上競技と大学の野球を見てきました。娘が出産のために来ました。来月予定日ですし、息子の嫁もおめでたで、来年の春ころ予定日です。教会はこれからが本格的な再建作業になると思います。お体大切にしてください。小生は体力の衰えを日々感じるようになりました。 栃木県  K・Eさん

 ☆  元気に仕事をしていた父の突然の入院、何もかも頼りきっていた母の戸惑いは、私たち夫婦にも驚きでした。車で40分の病院見舞いは私には貴重な時間になりました。退院後のことは、私たちは自分の今後も含めて話し合いました。主人の決断は早いものでした。両親中心に中古の古民家風の建物を賃貸することにしました。通院と日常生活を考えの結論です。二人の大学生の子供も賛成してくれて、物件探しはインターネットで息子たちに一任、病院にも教会にも1時間とかからないところに見つかり、両親仕様の改造でした。入院期間が限られている中でのことでしたが、整えられました。古民家にしたのは、改築に便利なこと、開放的な間取り、庭のあることを考えた主人のアイデアでした。今、両親は治療と老後を楽しんでくれています。もう3年目になりました。 徳島県 T・Wさん

 ☆  家族に迷惑にならないようにと若い時に決心した一人の生活・・・。仕事をしていた時には想像もしなかった孤独な思い。秋の夜長は辛くて、寂しいものです。難病になってからの日々は何の目的もなくただ横になっている日々、起きられない時は何日もお風呂にも入れませんし、お部屋の中も汚れ放題・・・。元気なときに買い置きした物を食べるだけ。いま、外は台風の大荒れ。寂しいです。 埼玉県  S・Kさん

 

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  『ありがとうございます』

 名古屋市内には見られまくなっものの一つに水田があります。宅地造成で家また家になりましたが、近郊にはまだ広々とした水田があります。もう一つ消えたものがあります。それは、「案山子」です。民俗学辞典には・・・農作物の鳥獣害を避ける手段は、わが国では3種に分類あり、田の神を迎えて豊穣を祈ると共に害を避ける。次に悪臭のする物を畦において鳥獣を畏怖または嫌悪させる。最期が物音を立てたり、鳥獣の死骸を下げて威嚇する・・・というのだそうでう。今は里山の民家や街中にサルや猪、外来のペットの動物が・・・の時代になりました。素朴な「案山子」は遠い昔の田園風景になったようです。ふと秋に思い出したひとコマです。

2015年8月16日から9月15日までの間に「つのぶえジャーナル」事業へ寄付金が届けられました。感謝いたします。

森谷千文様 藤掛朔生様 長谷川ひとみ様 吉岡 繁様 影山信三様

   郵振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社 

  お便り下さる方はこのメール アドレス   osamura@kind.ocn.ne.jp をご利用ください。

 「つのぶえジャーナル」(米国南長老教会文書伝道事業)刊行責任者

   つのぶえ社代表   長村秀勝

 

 

   今月のことば 

 わたしは知恵の道をあなたに教え、正しい道筋にあなたを導いた。あなたが歩くとき、その歩みは妨げられず、走る時にも、つまずくことはない。

        =箴言4:11~12=

 

 この9月、私たちはどのように歩むのでしょうか。先のことは分かりませんが、確実なことがあります。それは、全能の神様が、今も明日も変わらぬ愛をもって守り導いて下さると言う事実です。日々の歩みが厳しくとも、貧しさや病いと闘う日々であっても、年老いて白髪になったとしても、神の御手の業をもって「あなたを、わたしを、恵みをもって支え続けて」くださいます。

 私たちは、よろめき、ころび、迷い、傷つきます。不安や死に怯えます。そのような私たちに与えられる希望は「たましいよ。おまえの全きいこいに戻れ。主はお前に、良くしてくださった。私のたましいを死から,私の目を涙から、私の足をつまずきから救い出してくださる主」を仰ぎ望む日々としようではありませんか。

 あなたはもう、主の道が「喜びの道」であり、「平安の道」であることを知っています。ですから、喜びつつ、望みをもって主を愛し、主に仕え、礼拝しましましょう。これこそ「感謝のあらわれ」です。

 

 限りない恵みに与りながらも、己が心のうちに心の汚れを認め、悔い改めて日々歩む者でありたいと願う者でもあります。身も心も低く望みの無い悲惨な時を過ごしたが、今は、キリストの愛に生かされています。

 そうです。心から、ただ主イエスにより頼み、信仰をもって救いの主であるキリストに生きる9月でありたいものです。

 

    

 ひとりびとり、自分の行いを検討してみるがよい。

    ­      =ガラテヤ6:4=

 聖書の中には、数多くの戒めがあります。その中で大切な戒めは何かと問う人に、先ず神の戒めに軽重など存在しないことをお伝えし、その問いかけに意味があるとすれば、「ひとりびとり、自分の行いを検討してみるがよい」と言うこのみ言葉ときちんと向き合うことは、この問いかけの答えと言えるでしょう。「問いかけ」のない人生など存在するのでしょうか。何よりも「問いを知る」こと、それ自体、恵みと言えます。

 人は、自分の行いを管理・検討することは不得手な者です。干渉されることも嫌います。ある時期「反面教師」と言う言葉が流行しました。これは新しいことではありません。古来、たくさんの言い伝えがあるとおりです。「人のふり見て我がふり直せ」、「わが身を抓って人の痛さを知れ」ということもある年代の人は幼い頃に聞かされてきたことでしょう。

 私たちは個人であると共にこの世の市民として生きています。キリスト者であるなら、キリスト者として社会に対して、如何にかかわりを持って生きているかは、その人の信仰の歩みを左右します。「地の塩・世の光」はこの、「自分の行いを検討」して初めて意味を為すなら、信仰の姿勢そのものと言えましょう。

 鏡を見ずに自分の髪型を整えることなど至難です。信頼できる人にお任せするでしょう。この信頼関係は、社会生活・市民生活・個々人の尊厳として相互依存は欠くことの出来ないルールとして、私たちの日々の生活の維持の中に生き続けています。これは個人のことばかりでなく、国と国との関係も同様です。裸の王様は極めて危険です。

 聖書の中に、パウロは同労者と一緒に困難な伝道旅行を行いましたが,それは、監視・干渉のためではありません。経済的な面でのことでもありません。他の人から奉仕を受け、パウロ自身も宣教の業を通して仕えています。他の使徒の助けを受けるためには、良い意味での監視は必要ですから、与えられる助言は、主にある交わりの比類なき祝福として受け止める心の準備は、謙遜の歩みでもあります。

 「隣り人を愛し、仕えるために」「赦し合う心」を霊的祝福として祈り求めたいものです。

 

世田谷通信 (144

猫 草

長男は受験勉強中。夏休みに入ったある日、猛然と部屋の片づけを始めた。小学校、中学校時代からの大量の雑貨や漫画を2日かけて分類し、大半を捨てていた。勉強に専念するために部屋のレイアウトも変えて、大改装するようである。確かにあんなに乱雑な部屋ではとても集中できないと常々思っていたので、喜ばしい限り。ずいぶん思い切ったものだと感心している。

「これ捨てる」と幾つかの段ボールに入れて、階下に運んできた物の中にはランドセルやらピアニカ、ゲーム盤、おもちゃのロボットなど結構大きな物もある。それらを燃えるゴミ、燃えないゴミ、粗大ごみ、と分別して、場合によっては素材別に分解して捨てられる状態にするのに随分と労力がかかってしまった。結局、大きなビニール袋に10袋ぐらいになり、一度にはゴミに出せないので少しずつ処分している。「捨てる」ルールは以前より格段に厳しくなっているのだ。

近所のワンルームマンションにあるゴミ集積所は、曜日も出し方も滅茶苦茶なので回収してもらえないゴミがそのまま放置されている。カラスやネコが荒らす、どんどん汚れる、さらにゴミを出す、ポイ捨ても増えるという悪循環に陥っている。環境を悪化させるのはいとも簡単にできる。でも環境をきれいに復元し、それを維持させるには様々な大人の思いやりや配慮が必要なのだ。

人が快適に暮らしていくためには、様々な生活物資を供給することと同じぐらい、廃棄することが大事だなあと思う。特に夏の暑い時期に生ごみ回収が滞ったらと、想像するだけで恐ろしい。こんなにこまめにゴミ回収がなかった時代は畑に還元していた?物を増やさない生活を徹底していた?うまく回していたものだなあと感心する。

長男に触発されて、いろいろな場所の整理を始めたので、うちのゴミは当分の間、やや増量中。あれもこれも、いつか使うかも、もったいない、誰か必要とするかも、そんな言い訳で抱え込んだ物たちのいかに多いことか。時代遅れになり劣化し、意味不明になっている大量のものたち。大事そうにしまい込まれた段ボールを開ければ、いったいなぜこれを取っておいたんだろう?と自分の判断に首をかしげるものばかりだ。そして冬には部屋だけではなく、気持ちも少しすっきりと身軽になっていることを目指そう。

*この添付のイラストは絵を描くのが大好きな次男がパソコンのペイントツールで描いたものです。

 

 

 『美しい朝に』・・10・・

7月15日

 こんにちは。今日も良い天気で、とても暑いです。もうすぐ、歯医者さんに行きます。

歯医者さんの予約日が晴れているのはめずらしいので、自転車を押しながら頑張って歩いて行きます。PCでの仕事は、運動不足が課題ですね。血圧の薬を頂いたので、頭がフラフラする感じが少し楽になったように思います。いつも、お祈り感謝です。

 暑いですので、水分をとりながら頑張ります。

7月17日

 大阪は台風の雨が少し弱くなりました。やはり、蒸し暑いですね。昨日は、久しぶりのお風呂の大掃除をしました。小物類をキッチンのシンクに、ビニール袋を水道の蛇口にくくりつけ、石鹸入れや洗面器などをお湯とキッチハイターでつけておきます。(ホテルの友達のアイデアです。)キッチンのシンクは、一応栓をしていましたので、ビニール袋の漂白液ごとシンクに流した後、シンクの汚れもこすりました。疲れましたが、お風呂はピカピカになり、キッチンも気持ちよくなり、運動不足の解消になったと思います。

7月23日

 こんにちは。大阪は雨です。大掃除の疲れと気持ちの落ち込みが続き、朝ごはんも昼ごはんも食べれず、夕方4時頃までお布団の中にいました。雨の日は、やっぱりだるいのがひどいです。

7月27日

 今日も、すごく暑かったです。歯医者さんの治療が、無事終了しました。また、薬害で、血小板が減少するとだめなので、麻酔はしないで治療をお願いしていますので、結構疲れました。虫歯は、わりとひどかったらしいのですが、痛みに耐えれなくなるまで削っていただきました。結構肩に力がはいりました。何が原因かわからない病気なので、簡単に「麻酔」をして血小板が下がると、ステロイドの量が最初からやり直しになるので、痛さを我慢しました。だから、抜歯はできないのです。麻酔をしていないので、神経まで行く手前で止めて下さったようです。歯医者さんの帰りに花を写してきました。

 7月31日

 おはようございます。本当に暑いですね。昨日の病院は、数値が悪くお薬が増えました。それだけに、疲れました。お祈りありがとうございます。本を読んで、気持ちを落ち着けようと思っています。

8月7日

 日陰は少し涼しさを感じる夕方になりましたね。今日は、自分のペースで仕事が出来ましたが、元気な頃ほど早くできない私に主人に叱られています・・・。たいがいの作業は、主人と二人三脚なので私が疲れて休憩をはさむと、主人の仕事のペースが狂うからです。私が、病状がひどい時は、仕事は無理だと期待もされてませんでしたが、今は文句を言われるほどになったと感謝すべきかもしれません。11日(火曜日)の血液内科の前に体調をこわさないように頑張ります。いつも、お祈りありがとうございます。血圧と血糖値が高くないか心配です。

8月10日

 こんにちは。8日、9日と眠れなくて、身体がだるいです。3日ほど導眠剤を0にして、そのあと普通の量にすると、薬の効きがよくなり眠れるようになるのが、薬を増やさない「コツ」ですが、やはり、明日(11日)の血液検査は、しんどいので良い結果が出ないかもしれません。

8月12日

 おはようございます。昨日は、炎症反応も高くて本当はステロイドを減らすにはしんどい状態でしたが、血糖値が副作用で高くなっているので、2ミリ→1ミリに減らしました。だるいのは眠れないせいもあり、お祈りいただけたら心強いです。

8月14日

 こんにちは。今日は、少し眠れて感謝です。本当に、秋めいた感じがしますね。

私の服用しているステロイドには、色々副作用があります。高血糖、高血圧、食欲増進、肥満等などです。命を助けるための魔法の薬で、一命はとりとめましたが食欲は2ミリ→1ミリで、ずいぶんおさまりました。これからは、健康の上でも、体重を減らせれば肥満、高血圧、高血糖と解決していく問題ですので頑張ります。お祈りありがとうございます。

                   大阪府K・Aさん

  (このメール文の掲載はK・Aさんの了承を頂いております)   

 

  その愛のゆえに

   =時々の記=

      (113)

7月16日

 夏風邪はとてもつらいですね。とにかく、まず、安静が第一ですね。こちらは台風11号の影響が出始めてきました。雨と風が強まってきています。伊賀には大雨警報が出ています。名阪国道では事故が相次いでいます。この台風は近畿地報に直撃するようで不気味です。果樹栽培をされている農家さんは今は桃、ブドウの収穫時期に入っているので、できたら逸れてほしいと切実に訴えていました。大きな被害をもたらさずに、通過してくれたらと願っています。

7月18日

 二日間、非常に激しい雨に見舞われましたが、ようやく雨から曇りへと移り変わろうとしています。でも湿度はまだ高く、少し動くと汗ばみます。
 荒梅雨や全戸に配る郵便夫。
 風来りアジサイの色奪ひけり。
 梅雨晴れ間急降下する鳥の音。
 安らかに夢見る様の合歓の花。
 美しく雨に散りたる紅木槿(むくげ)
 雷や神を恐れよとの言葉。        馬場路哉
7月23日

 こちらは梅雨明けとはいうものの、蒸し暑さが残っています。夕方には夏の終わりに鳴く日暮しの声が聞こえてきます。生き物たちも季節を間違えるほどに異常な気候が続いています。何かと仏教行事に振り回される田舎の8月ですが、今はずいぶん改善されて皆それぞれの家のやり方で執り行うようになりました。40年前に嫁いできたときとは雲泥の差です。そういうことを考えると田舎はとても暮らしやすくなってきました。クリスチャンは私たちだけですが、そのことに対してとても皆さん理解を示してくれるのでありがたいです。隣の方が先ほど、ジャガイモがたくさん取れたので食べてや、と言って袋にいっぱい持ってきてくれました。このようなお交わりも田舎ならではのものでしょう。

 水源の山の煙れる梅雨かな。
 雨上がり草に水玉凝りにける。
 短冊は筆致流麗星祭る。
 旧家には残る生垣灸花。(やいとはな)
 聞かむとす女人高野のカジカ笛。(室生寺のこと)
 山麓在所の泉一ならず。(いつならず)     馬場路哉
7月30日

 そういえば、私がこの山添村に来た頃は水が不足して、一日に何度も断水したのを覚えています。洗濯も今の様に好きなだけはできませんでした。井戸水が湧いてくるまで、待つしかありませんでした。不便な生活でしたが、のどかさもありました。井戸までは坂道を下って数分なのですが、そこへスイカを冷やしに行ったり、野菜を洗いに行ったりと、今になってみれば懐かしい良い思い出となって若かったころを思い出しています。

 体操す晩夏の空を打ち仰ぎ。
 蟻動くそれぞれ役目ある如く。
 台風の雨治まると鳩鳴きぬ。
 白亜なる新病棟や緑さす。(三重大にて)
 献体碑晩夏の光強きこと。(三重大にて)
 布引の山朝よりの雲の峯。         馬場路哉
主人はこの暑いのに山添村を散歩しに行きました。熱中症で倒れたら大変なので,帽子、サングラス、スポーツドリンクを持って行きましたが、今部屋の中でも33度を超えていますから、無理をしないで危険だと思ったらすぐに引き返してくるようにとは伝えましたが、帰ってくるまでこちらは心配していなくてはいけません。

8月13日

 今朝、二回目の犬たちとの散歩の折、ふと空を見上げると、高い電線にツバメたちが(30羽)一斉に並んで礼儀正しくこちらを向いているように思われました。珍しい光景だなと感じたので主人に伝えると、それはきっと南の国へ飛び立つ前に私に向かって挨拶をしたのだろうという返事が返ってきました。えーそんなまだ暑いのに・・・と思っていましたら、夕方になってもツバメたちの姿が現れません。ああ~あれがお別れの挨拶かと思い、気を付けて帰るんだよ~と一言言ってあげたかったと、今はとても悔やんでいます。4月、ツバメが我が家へやってきてからは毎日とても賑やかにさえずりまわってくれていました。それが急に秋の気配を感じたのか、いなくなってしまいました。とても寂しいです。来年もまたわが家で戻ってきてねと思い切り気持ちを込めて、空を見上げ続けていました。
 夕暮れが早くなりましたね。季節はやはり確実に秋へと移りつつあります。
 馬場暁美

上野緑ヶ丘教会

 

  解説 ウエストミンスター信仰告白 (39)

   岡田  稔著

  (元神戸改革派神学校校長)

第19章 神の律法について・・1・・

1 神は、アダムにわざの契約として律法を与えられた。それによって神は、アダムとそのすべての子孫とに、人格的な、全き、厳密な、また恒久的な服従の義務を負わせ、それを果たせば命を与えることを約束し、破れば死を報いると威嚇し、それを守る力と能力を彼に授けられた(1)

  1.創世1:26,27、創世2:17(*)、ロマ2:14,15、ロマ10:5、ロマ5:12,19
    ガラテヤ3:10,12、伝道7:29、ヨブ28:28
     *創世1:26,27を創世2:17と比較
  律法と言う言葉は、聖書にあってはかなり伸縮性のある用語となっている。それは「神の意志」と同一視されるのであるが、かならず「啓示された意志」を指すのであって、決して「かくされた意志、すなわち、聖定」と混同されてはならない。人間の行為(この場合はきわめて広い意味である。単に行動のみでなく思考も含まれるし、また、存在の仕方、状態も含む)の規準であるから、かならず人間に告知されているものでなければならない。

律法は、その下に置かれていた者に対して、生か死かの二つの道を峻別するものである。中間はあり得ない。この場合、服従はまったく完全でなければ、結局は破戒と認められる。完全とは、律法の全部分に対して、時間的に、実質的に、存在において、思念において、感情において、意志において、行為において、完全でなければならないと言うことである。

「それを守る力と能力を彼に授けられた」というのは、律法が本来的に無理な要求というようなものでないことを示すのであるが、人間が創造された後、さらにこの律法の発布に当たって、この能力が付与されたというのではない。ローマ・カトリック教会では、堕落によって人間は超自然的賜物を失ったけれども、現在も人間として自然性を保持していると見るのに対して、わたしたち改革派教会は、罪ある現在の人間は、人間本来の姿ではなく、罪によって損傷している不自然な人間であるとみている。人間は最初から、業の契約の下に置かれ、律法とそれの成就能力を持つものとして造られたのである。

 

2 この律法は、アダムの堕落後も、続いて義の完全な規準であった。そのため、神によって、シナイ山で十誡として宣布され、二枚の板に書かれた(1)。最初の四つの戒めは、神に対するわたしたちの義務を、他の六つの戒めは、人間に対するわたしたちの義務を含んでいる(2)

  1 ヤコブ1:25、ヤコブ2:8,10-12、ロマ13:8,9、申命5:32、申命10:4、出エジプト34:1
  2 マタイ22:37-40
 
二 エデンにおける創造のままの状態での、神の律法とその意義とは、罪と堕落という重大な変化に従って、当然に変化した(この変化を否定するのがペラギウス主義である)が、業の契約そのものが解消したとか、律法そのものが通用しなくなったとか考えてはならない(そのように考えるのが契約時代分割主義、デスペンセイジョナリズムである)。

これは人間の存在、ならびに行動の規準というよりも、神の義の規範であり、十戒はシナイ山で初めて人間に告知された神の律法というよりも、実は創造の時に与えられていた律法の要約であって罪によって不明瞭化した神の律法の再示であると認めるべきものである。

 

 

さんびか物語・・・18・・・

    (広く愛唱されている50曲)・・・17     

 ポリン・マカルピン著

    (米国南長老教会婦人宣教師) 

讃美歌187番

 しゅよ、いのちのことばを

<神様のみ言葉>

「イエスは彼らに答えて言われた。わたしはいのちのパンです。あなたがたの先祖は荒野でマナを食べたが、死にました。しかし、これは天から下って来た生けるパンで、それを食べると死ぬことがないのです。わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。またわたしが与えようとするパンは、世のいのちのための、わたしの肉です」。

~ヨハネの福音書6章43節、48~51節~

 

讃美歌187番の主よいのちのことばをは、1954年版の讃美歌「聖書」というタイトルのもとにおさめられています。しかし、主よ、わがためにいのちのパンをさき給えという原作の詩によって、聖餐式の讃美歌としてもちいられて決して不自然ではない讃美歌と思います。ですから、アメリカでは主に、聖餐式の讃美歌として広く歌われています。

この187番で特に注目させることは、歌詞と旋律の完全な一致ということであります。原作者メアリ・A・ラスベリーと作曲者ウイリアム・F・シャーウィンの優れたチームワークで、この二人の共同の作によっていくつかの美しい讃美歌が生まれました。たとえば、187番の他に、同じ1877年に讃美歌50番黄昏ややに四方を覆えばもその一つで、この讃美歌は今でも夏のショトークアで毎晩の夕拝で歌われています。

 

原作者メアリ・A・ラスベリー(1841~1913)は指を折って数え上げられるほどの女性でした。彼女はニューヨーク州のマンチェスターでメソジスト教会の牧師の娘として生まれました。メアリは小さい時から美術に対する才能を持ち、大人になってから画家として知られましたが、詩などもよく書き、数巻の文学的な書物も出版しています。その他に、美術の教師や青少年の雑誌の記者などもしています。

また彼女は、教会学校事業にも関係し、メソジスト教会の監督ジョン・H・ビンセントと共に有名なショトークア運動をおこしました。ショトークア運動とはニューヨーク州の南西にあるショトークア湖畔のほとりで夏の間教会員がキャンプをしながら、修養に励み、神様のみ言葉を学ぶと共に、有名な講義者を招いて、講演を聞いたり、一流の音楽家による音楽会を開いて、休暇を霊的にも精神的にも満たされるようになされた催しでした。

ショトークア湖畔から始まったこの運動は、当時のアメリカ中に広まって、自然に恵まれたいろいろな所で同じようなプログラムをショトークアの名のもとに行われました。ニューヨークのシュートクァ湖畔では、今日に至るまで、毎年同じようなプログラムをもうけて行われています。

主よ、いのちのことばをはミス・ラスベリーがビンセント牧師の依頼を受けて作詞したもので、ショトークア湖畔で催されたショトークア文学科学サークルの会のために作ったもので、「聖書研究の歌」という題がついていました。

187番の曲BREAD OF LIFEならびに50番のEVENING PRAISE(またの名はCHAUTAUQUA)、さらに7番の素晴らしい曲MONSELLはみなウイリアム・F・シャーウィン(1826~1888)の作品であります。

BREAD OF LIFEとEVENING PRAISEが作られたのはシャーウインがショートクアに在住中、ミス・ラスベリーと交わりがあり、二人の協同の作品で、どちらも本当に素晴らしい非常に美しいメロデーであります。

シャーウインは1826年3月14日マサチューセッツ州のバックランドで生まれ、15歳の時から音楽を有名なロウェル・メイスンのもとで学ぶようになりました。その後、シャーウインがボストンの音楽学校で声楽の教師をしていた時、ショトークアの聖歌隊やコーラスの指揮者として任命されました。彼は非常に厳しい指揮者で時には合唱隊のメンバーを泣かせるほど叱ったそうですが、かえってその厳しい中にも人格的に優れていたために非常に愛されたそうです。ですから、ショトークアのコーラスグループの音楽の素晴らしさは申すまでもないことでしょう。

<187>

1 主よ、いのちの ことばを

   あたえたまえ わが身に

   われはもとむ ひたすら

   主よりたまうみかてを。

 2 ガリラヤにて みかてを

   わけたまいし わが主よ、

   いまも活ける ことばを

   あたえたまえ ゆたかに。

この美しい讃美歌の背景にある聖書の出来事はなんでしょうか。そうです!主 イエス・キリストがガリラヤの湖のほとりで、空腹の群衆をあわれと思い5つのパンと2匹の魚をもって5000人を満たされた、あの素晴しい5000人給食の奇跡のみ業であります。

マタイの福音書14章14~20節には「イエスは船から上がられると、多くの群衆を見られ、彼らを深くあわれんで、彼らの病気を治された。夕方になったので、弟子たちはイエスのところに来て言った。『ここは寂しい所ですし、時刻ももう回っています。ですから群衆を解散させてください。そして村に行ってめいめいで食物を買うようにさせてください』。しかし、イエスは言われた。『彼らが出かけていく必要はありません。あなたがたで、あの人たちに何か食べ物を上げなさい』。しかし、弟子たちはイエスに言った。『ここにはパンが5つと魚が2匹よりほかありません』。すると、イエスは言われた。『それを、ここに持って来なさい』。そしてイエスは、群衆に命じて草の上にすわらせ、5つのパンと2匹の魚を取り、天を見上げて、それらを祝福し、パンを裂いてそれを弟子たちに与えられたので、弟子たちは群衆に配った。人々はみな、食べて満腹した」。と記されています。 

 

原作の1節では、‘湖のほとりであなたがパンを裂かれたように、愛する主よ、わたしにいのちのパンを裂き給え。生きていらっしゃるみことばよ、わたしはひたすらあなたを求めている!と歌われています。このいのちのパン(日本語訳‘主よりたもうみかて’)は何を意味しているのでしょうか。それは、主イエス・キリストご自身が、主のみもとに寄ってきたユダヤ人に語られたように、キリストご自身が、天から下って来た生けるパン、いのちの糧なのです。

使徒ヨハネは「わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら永遠に生きます。またわたしが与えようとするパンは、世のいのちのための、わたしの肉です」と証言しています(ヨハネ6:51)。つまり、主イエス・キリストの十字架の贖いの死を受け入れるその人は、主イエス・キリストよりのいのちのパンを食べている主より給う糧を頂いていることにとって永遠のいのちを獲得していることを意味しています。

 

多くの現代人は、物質を次から次へとひたすら求めていますが、主が与えようとなさっている永遠のいのちのパンに対しては、おろそかにし、見向きもしないのであります。その結果、心の糧が欠乏しているために、世の中は霊的にも道徳的にも非常に乱れ、無残な姿になりつつあります。ですから、100年も前に書かれたこの讃美歌は、私たちにとりまして、いろいろな面で大切であると共に、まことの糧は主イエス・キリストであり、キリストのみが私たちの心の空腹を満たしてくださるお方であることを知らなければなりません。

また、いま一つおろそかにされていることがあります。それは、神様の生けるみ言葉である聖書に対してであります。2節は、ガリラヤ湖のほとりでみ糧を分け給うた主が、今も生けるみ言葉を豊かに与え給うように、と歌っています。今では日本の国におきましては、この生けるみ言葉の聖書を何の制限もなく手に入れることが出来ますが、昔はそうではありませんでした。また、今でもある国では、聖書を持つことに非常な危険をともなうことが多々あります。

しかし、聖書は真理でありますから、決してこの世の力に屈してしまうことはありません。むしろ、このいのちのみ言葉を受け入れず、信じず、読まずを続けているその国、その人は永遠の滅びを自らに招いていることを知らなければなりません。

 

さて、日本語の讃美歌は2節までですが、原作には3節と4節がありまして訳されていないのは本当に残念に思います。皆様のうちチャンスがありましたらなら讃美歌の資料などをご参照になってご一読下さい。しかし、アメリカでも歌われていませんが、3節と4節でミス・ラスベリーは、あなたの聖なるみ言葉はわたしを救いに導くものであるとか‘主よ、み国であなたのご家族の一員として生かし、そこで共に糧を頂けるようにしてくださいと歌っています。また、最後にあるまことを見させ、また、みふみによって主を見ることが出来るようにしてください、とも歌っています。

どうか読者の皆様も、ショトークアの詩人と言われたミス・ラスベリーの主へのあつき信仰にふれて、すべてを神様に任せて、熱心にみ言葉を学ぶキリストのよき証人になることを人生の目標になさって下さい。

  *****************  

この「さんびか物語」は「つのぶえ社」の出版(第一刷1974年、第二刷1992年)で、出版社の許可を得て掲載しています。本の購入を希望される方は、「つのぶえ社」までご注文ください=

          

 

 

 ビルマ

  戦犯者の獄中記  (54)  遠山良作 著

昭和22年

 9月4日

  タキン党事件の裁判の状況・・2・・

 憲兵が住民のうちゲリラ活動の容疑者約80名を逮捕して取調べ、そのうち容疑のない者、容疑があっても軽微な者約54人を釈放し、容疑が証拠により明らかで、かつ重要な役割をした人物26名の処分についてビルマ方面軍参謀長四手井綱正中尉(終戦前印度チャンドラボースと共に飛行機事故で死亡)の命令で、やむを得ず憲兵が殺害に至った事情を立証した(中略)。93日、多数の英軍将校、および、遺家族らの傍聴するラングーン軍事法廷において、英軍の「ラーマン」中尉によって弁護団の作成した弁論が朗読された。

 弁論の要旨は、本件被告らによるビルマ人政治家26人を処刑した理由は、占領地の住民であるビルマ人らの日本軍に対する違法行為を中止させ、現に行いつつある違法行為を予防するためにやむを得ず戦時復仇として行ったのであるから、戦争犯罪とはならない合法的な行為である。もし戦時復仇が認められないとしても、本件の被害者26人はいずれも日本軍に対してゲリラによる敵対行為をなし、戦時犯罪を犯した者である。

 当時、憲兵はゲリラ活動の容疑者ビルマ人80人位を逮捕して取調べ、容疑のない者54人を釈放し、容疑が証拠により証明され、かつ重要人物26名だけをビルマ方面軍司令部の命令によって処刑したのであるから、その刑は減軽さるべきである。被告らに対しては、なにとぞ御寛大なる裁判をお願いします」。

 検事側論告の要旨は

 「本件の公訴事実については、検事提出の証拠書類の記載、検事側証人および被告人全員の証言によりその証明は十分である。本件の被害者26人は軍事裁判を受けることなく、すなわち弁護の機会を与えられることなく、被告人等に殺害されたのであるから、弁護人は戦時復仇を主張したが、本件被告人らによるビルマ人26人の処刑は秘密に行われたものであるから、戦時復仇は認められない。したがって被告人等を厳重に処罰すべきである。」

 弁護側はあらかじめ用意していた情状証人を出廷させて被告人等の情状を立証した。とくに、ビルマの貿易商ニザミ氏が被告久米大佐のために次の証言をした。

 「久米大佐は非常に立派な憲兵司令官でありました。ビルマ民衆をいたわってくれました。私が戦時中スパイの嫌疑を受け、日本軍憲兵に逮捕されましたが、久米大佐に助けられました。なにとぞ久米大佐をご寛大に御願い致します」と。その他被告のためにも情状証人を出して、各被告の情状およびその性格等を証言した。

 続いて裁判長は、被告人等に最後の陳述の機会を与えた。その際、被告久米大佐は裁判長に対して「私の部下達は私がビルマ人26名の処分の命令を下したため、これを実行したのであります。もし私が命令を下さなかったならば部下達はビルマ人26名の処分をしなかったのです。したがって責任は全て私にありますから、私はどのような厳重な処分を受けてもかまいません。部下達にはなにとぞ寛大にお願いいたします」と陳述した。これを受けて、部下の将校たちもその部下、下士官、兵ら被告をかばった。

 かくして23日間にわたる裁判は終了したのである。

 「註」 外山林一弁護士は現在甲府市で弁護士として開業中です。

*文章の転載はご子息の許可を得ております。

 

 

「あなたに聖書を」

「キリスト教百話」・・・33

問20・・10 キリスト教では「罪」と言うことを言いますね。クリスチャンは「われらの罪を赦し給え」と祈っていますが、別に犯罪を犯しているようでもないのに、どうしてあんなことを言うのですか。

答   「罪」と言う言葉は普通には何か悪いことしたことに対して、それは「罪を犯した」という風に使われますね。それが法律に引っかかる場合には明らかな「犯罪行為」とみなされます。その場合は法律に違反しなければ「犯罪」とはなりません。と言うことは、その場合の「罪」というものは、その法律が適用せれる範囲内の人にとって誰もが認める共通の「してはならないこと」が明文化されていますから、「罪」とは何かがはっきりしています。

 <続き> 「放蕩息子の譬話」には母親は出てきませんが、この場合の父は、切る役を自分に課すと同時に、包む役も担っているのであって、父とか母とかいう言葉に限定されない、人間を超えた神の、人間への関わりを語っていると言うべきでありましょう。

 「放蕩『息子』」という言葉は、その親があって成り立つ言葉でありますし、親があるから問題となります。親がいなければ「放蕩人」であっても「放蕩『息子』ではありません。それと、親がいても、親を無視して、自分の思いだけで生きている者は、親という自分の存在基盤から離れて生きているのですから、本人にその自覚はなくても、親からすれば、放蕩していることになります。

 このことが親に対する見当違いな生き方(罪)です。放蕩という言葉は、普通にはふしだらな身を持ち崩した生活をしているような状況のことが考えられますが、本来、「拠って立っているべきところ」から離れて、自分の思いだけで生きているなら、それは、その本来的ものからは「放蕩」していることになります。ですからギャンブルに明け暮れていようと、社会的に立派な仕事をしているとみられていようと、親を無視して生きているなら、それは「放蕩『息子』」なのです。

 同様に、神が存在しなければ、神に対する的外れの人間(罪人=罪人=)すなわち「放蕩人間」ということはあり得ません。ただし、親を無視して独走しているものに「放蕩『息子』」などという意識がないように、神がいても、神を無視して生きているものには、神に対する罪人意識などは起こりようがありません。

 しかし、放蕩息子は、親から離れて自立したと思っての独走の結果、どん詰まりに至りました。自力では自分のことをどうすることも出来なくなったのです。助けが必要になったのです。これが「我に返った」ということです。「このままでは立つことが出来ない我」を自覚したのです。その時、彼は幸いにも、より頼むべき存在があること、自分のどん詰まりは、その存在を無視し、そこから飛び出したことにあると気付きました。こうして帰還が成り立ったのです。

 人間は、自分の危機に直面せざるを得ないことがあります。太平洋をヨットで横断するという快挙を果たしたかつての堀江青年は、横断の手記の中で、荒れ狂う海の中でどうにもならなくなった時、「神様、仏様、キリスト様、金刀比羅様・・・」など、知っている限りの名前を呼んで、助けを求めたといいます。

 助かったのは何によったかは別にして、「助けて!」というしかない時、初めて人間は、自分を超えたものに助けを求めるのです。罪人が罪から立ち返らなくてはならない時が来るのです。第二次世界戦争の結果、多くの人々は、人間の営みに希望を失いました。人間が危機にあることを自覚したのです。

 しかし、そういう中でも小康を得て、またぞろ放蕩の旅に出ています。やがてどん詰りに至るのではないかと危惧や不安を抱きながらもです。そういう中でも、「帰るべきところはここだよ」との声を聴くことが出来る人は幸いです。キリストは、そういう呼びかけをし続けておられる方なのです。

                篠田 潔

(日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)

       <9月のラジオ放送予定>  

  9月 6日 田口博之  (日本基督教団名古屋桜山教会牧師)

    13日 田口博之  (日本基督教団名古屋桜山教会牧師)

    20日 上田正昭  (日本基督教団華陽教会牧師)

    27日 上田正昭  (日本基督教団華陽教会牧師)

  (放送開始19(日本キリスト改革派長久手教会牧師)52年10月)

CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ

毎週日曜日朝6時30分~45分放送

 

 

  第70課 キリスト者生活の実践的義務

=12:1~15:13=・・・11・・・

A 個人の生活上の聖潔を養う義務 

       12:1~21・・・11・・・

「キリスト教的愛の義務」・・12:9~10・・・2・・

 

「兄弟愛(フィラデルフィア)をもって互いにいつくしみ、進んで互いに尊敬し合いなさい」。

 ここで特に私たちは他のキリスト者兄弟姉妹に対する愛を要求する命令を与えられています。「互いにいつくしみ、」〈kindly affectioned〉の原語は、御子との間の強い自然の愛情を表す言葉です。そして、この語はすべての種類の愛にも用いられている。「ここの意味は『キリスト者はもっと近い親族であるかのような真実と優しさをもって愛し合うべきであること』が求められているのである」(ホッジ)。

 しかし、もしそうであるならば、この点について、わたしたちはどんなにか足らないことでしょうか。ある教会は殆ど憎悪と敵意のある壺と言ってよいくらいであって、会員は会員に対し、グループはグループに対して、敵意をもって向かい合っています。ときとして、会員になるだろうと思われる人が、このような敵意を内にもっていて会員となることを拒否するのです。

「進んで互いに尊敬し合いなさい」。これは謙遜の勧めです。しかし、「進んで」と訳されている言語は「導く、前を行く、手本にする」です。ホッジは「尊敬をもって、互いに人を自分より勝っていると思いなさい」と解説していて、さらに「これはただ礼儀正しさということのみでなく、全ての行為において、尊敬と親切とを優先させることである。他人が自分に対して尊敬や栄誉を帰するのを待っているのではなくて、私たちが先んじて尊敬の心をあらわさなくてはならないのである」と述べています。 

   J.G.ヴォス著

  玉木  鎮訳(日本キリスト改革派引退教師)

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書籍紹介
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エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

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教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
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「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

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「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
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「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
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われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

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さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

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