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2023年7月号  №193 号 通巻877号
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    ほっとひととき『みんなのコーナー』        

 ☆  毎月「つのぶえジャーナル」を送ってくださり心から感謝申し上げます。「ジャーナル」でその都度、的を得た文章が書き記されており、大変勉強になります。私は罪深い者です。もったいない思いがいたします。満71歳になり、年齢ゆえに足が弱って歩くことに不自由して杖を使っています。貧困と困難と老いの中で、充実した入院生活は送っていません。はっきり言って、毎日の生活に不自由します。それでも自己中心にならずに、まず、イエス様を中心にするつもりです。

 6月と7月に、神奈川県の二人の兄が送金してくれました。その中からイエスさまに感謝して「つのぶえジャーナル」のために献金を捧げます。

 「草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ」イザヤ40:8.

 聖書のみ言葉を大切にしたいと存じます。   三重県  NYさん  

 ☆  梅雨明けして夏真っ盛りになってきました。ご連絡を頂いていたのにお返事をするのに一ヶ月もかかってしまって本当に申し訳ございませんでした。私は梅雨に入ってから気圧の変化もあり調子を崩す回数が増えてしまい、仕事場ではなるべく笑顔で!を心がけて頑張ってはいましたが、落差が激しく家では倒れこむ事もしばしばありましたが、なんとかその時期は乗り越える事ができました。ただ、睡眠が痛みでとる事が出来ない時期があったため休みが続く時には睡眠薬を使って一旦ぐっと眠らせるという方法をやり始めました。次の日はぼ~っとして一日使い物にはなりませんが、それでも一旦神経を休める事で脳が休まるので痛みの出かたが緩和されている気がします。これでなんとかごまかし、ごまかしやって行けそうな気がしてちょっと嬉しいです。今は学生達が試験の時期で今年は8月12日まで試験があるのであっという間にお盆という感じですがそこまで頑張りたいと思います。長村さんのお身体の状態はいかがでしょうか?暑くなって熱中症にも気を配らないといけないですね。身体の痛みも暑くなるとお辛いのではないでしょうか。くれぐれもご無理をなさらないようにされてください。  愛知県 M・Fさん
 ☆  夏の岩手山を眺めてもう60年になりました。季節、季節でその姿を変えてもやはり岩手山。今は地肌がハッキリと見えるときもありますが、だいたいが熱気に包まれて、うすぼんやりとつったっているのです。こんな暑さにとろけそうな岩手山も素敵だが、
澄んだ秋空にくっきりみえる岩手山もいさぎよく、大好きです。しかし、あと一ヶ月もすると初雪が聞こえてくるのだろうか?とこれもまた長年の思いになっているこの頃です。 岩手県 TMさん

 ☆  名古屋はどうですか?最近、公園でセミの声が聞こえないのです。何処かへ

避暑に行ったのでしょうか。団地のベランダに風鈴がありました。風に揺れて涼しげです。 滋賀県  Y・Mさん

 ☆ 毎日蒸し暑くて大変です。ばあちゃんの施設でも風邪ひきさんがなかなか治らないので困ってます。手首を骨折していたばあちゃんは完治し、今は杖を使って歩いています。私はクーラーのせいか 喉が痛くなったりもしてます。マンション掃除の仕事は週3日だけしてますが家のことは、全くと言っていいほどやる気が起こらないです。主人か病気のため解雇されました。息子は会社に行っていますが派遣会社なので すぐに辞める気でいます。どうなることでしょう。でも頑張っています。神様にお任せしています。奈良県 T・Mさん

 ☆  毎日暑い日が続きますね。先日、注意はしていたのに熱中症と脱水状態になり、足が動かなくなってしまう経験をしました。友たちに携帯で連絡して来てもらいました。クーラーも使い、麦茶も飲んでいたのに・・・。そう言えば、最近は殆ど汗をかいていないことに気付きました。友だちは、何種類かの飲みものを持ってきてくれました。嬉しくて泣けてしまいました。  大分県  T・Kさん

 ☆  ・・・。日の入りが早くなりました。川岸のススキが音もなく秋を囁いています。夕陽の影が長く伸びています。夕方の犬の散歩も楽になりました。・・・。  東京都  D・Hさん  

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  『ありがとうございます』

 今年も後半に入りました。夏の暑さから夕焼けと涼しい秋の風が吹く9月になりました。疲れの出る季節です。皆様のご健康が支えられますようにお祈りいたします。

 この文書伝道事業は、戦後間もなく米国南長老教会の宣教師団によって始められたものでした。この宣教師たち先達は、プロテスタントによる日本伝道開始をその源としています(日本伝道百年史・誌をご参照ください)。その活動範囲は、主に東海、関西、四国で、教会建設・設立、私学学校経営・参画、病院経営(淀川キリスト教病院)神学校設立・運営などと共に、戦後開始された民間放送事業に参加したラジオ放送、そして、文書伝道事業でありました。この「つのぶえジャーナル」も月刊「つのぶえ」(2007・6廃刊=通巻687号)を引き継いだものですが、この度、米国南長老教会の宣教師団が学校創立に関わった金城学院(大学)から、感謝の申し出を受けました。それは、米国南長老教会の活動資料として寄贈してほしいと言う旨のものです。歴史とは、このような善意によるもので継承・保存されるものなのでしょう。この月刊「つのぶえ」には多くの牧師・信徒の貴重な信仰の証し・教理の普及の文が掲載されております。幸いにも、金城学院大学図書館では、その公開・閲覧を学生・職員ばかりでなく広く地域の方々に解放されているそうです。

 私共は感謝して、寄贈させていただきました。

 この活動は多くの方々のお祈りと献金・寄付金によってお支えくださっています。感謝してご報告いたします。 

2015年7月16日から8月15日までの「つのぶえジャーナル」事業への寄付者です。

藤澤徳治様 稲田喜水様」鶴原澄子様 菊池すみ子様 和田順一様 和田貴美子様 西口義昭様 

   郵振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社 

  お便り下さる方はこのメール アドレス   osamura@kind.ocn.ne.jp をご利用ください。

 「つのぶえジャーナル」(米国南長老教会文書伝道事業)刊行責任者

   つのぶえ社代表   長村秀勝

    ************* 

   秋

 秋の澄みきった空を 喜び飛び交う赤とんぼよ

  小さな命を 心にかけてくださる 御神を覚えよ

 秋の爽やかな風を 楽しみ香る野菊の花よ

  小さな命を 心にかけてくださる 御神を仰げよ

 秋の美しい自然に 囲まれて生きるわが心よ

  小さな命を 心にかけてくださる 御神を讃えよ  水野源三

 
 

   今月のことば 

 どうか、わたしたちの主イエス・キリストご自身と、わたしたちを愛し、恵みをもって永遠の慰めと確かな望みを賜わるわたしたちの父なる神とが、あなたがたの心を励まし、あなたがたを強めて、すべての良いわざを行い、正しい言葉を語る者として下さるように。

    =Ⅱテサロニケ2:16~17=

 不安と悲しみにある時、人のなにげない言葉に励まされた経験は、誰もがお持ちのことでしょう。暗い心に光と希望を手にできた幸いは言葉にない言葉となって心の中を駆け巡ります。しかし、束の間でもあるのです。瞬時の出来事であるのも事実です。

 この心に、恵みと慰めを下さるのは、主イエス・キリストです。キリストがわたしたちと共にあり、愛し支えて下さるのです。信じられないことです。主がわたしを愛してくださる・・・・?!主が恵みをもって、それも永遠の慰めと、たしかな望みとをくださる・・・?!

 この主の愛は、悩み、迷う者には、信じられない驚きです。

 

 それは、どこにあるのでしょう。手に入れることは出来るのでしょうか。出来ます。確実に出来るのです。どこにあるのでしょうか。遠い彼方でしょうか。違います。わたしの隣にあり、居られるのです。

 神の愛をキリストとの交わりの中で感じ、聖書の中で知ることが出来るのです。神の愛に巡り会い、キリストに愛されていれことを、信じることが出来るなら、何と幸いなことでしょう。信仰とは、神の愛を信じることです。

 今月も、主の御招きを待つ心、神の愛を刻む時となれますように、お祈りいたします。

 

 

   小閑記

=朝の祈り 夜の祈り=

        J・ベイリー著

        新見   宏訳 

8日 朝

 愛とあわれみによって、イエス・キリストをつかわし、わたしたちの暗黒を照らしてくださった神よ、わたしに知恵を与えて主のかたられたみことばをさとらせ、み恵みをあたえて主の足あとにしたがわせてください。

イエス・キリストはいわれました。

 「立って祈るとき、もし人をゆるすことがあれば、これをゆるさせ」。

 神よ、今恵みを与えてこのようにさせてください。

イエス・キリストはいわれました。

 「受けるよりは与える方が、さいわいである」。

 神よ、み恵みにより、きょうわたしが受けることにより与えることを思うことが   

 できますように。

イエス・キリストはいわれました。

 「あなたは施しをする場合、右の手のしていることを左の手に知らせるな」。

 神よ、どうかわたしが人に与えるとき、自分を喜ばせたり、賞賛や報いを求めた りすることのないようにしてください。

イエス・キリストはいわれました。

 「狭い門からはいれ」。

 どうかこの日、なすべきつとめと名誉ある行動の狭い道を歩むことができますよ

 うに。

イエス・キリストはいわれました。

 「人をさばくな」。

 神よ、恵みにより、この日兄弟の目にある塵をみとめる前に、まず自分の目にあ

 る梁(はり)を捨てることができますように。

イエス・キリストはいわれました。

 「たとい、人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、何の得になろう」。

 神よ、この日たとい何を失おうとも、自分のたましいを失うことなく生きるこ とができますよう、恵みをあたえてください。

イエス・キリストはいわれました。

 「天にまします我らの父よ ねがわくはみ名をあがめさせたまえ み国を来たら

 せたまえ みこころの天になるごとく 地にもなさせたまえ 我らの日用の糧を  今日も与えたまえ 我らに罪を犯す者を我らがゆるすごとく 我らの罪をもゆるしたまえ 我らをこころにみにあわせず 悪より救い出したまえ 国と力と 栄えとは 限りなく汝のものなればなり」 アーメン

8日 夜

 すべての人に父なる神よ、こよい、この世の生の重荷をみ前にもってまいります。あらゆる国々のいたるところに散って、あなたをせつに求めている大いなる群に加わりたく願います。神よ、わたしたちの祈りをきき、その数々の求めを、あわれみとともに顧みてください。あなただけが、わたしたちの願いをききとどけることのできるひとりの方です。

ことに、み守りのうちにおいてください。

 すべて、今宵、家族や友を離れて遠くにある者

 すべて、飢え、凍えて横たわる者

 すべて、苦痛を覚える者

 すべて、うれいと不安のために眠ることのできない者

 すべて、危険にさらされている者

 人びとの眠る間も、働き、見張らねばならないすべての者を。

これらのすべてのものに、あなたがおいでになることを覚えさせ、彼らの寂しさにかえてなぐさめを、思いわずらいに代えて平安をお与えください。

み子イエス・キリストの人格のうちに、人間に対する愛をあらわし、あらゆる苦痛を和らげ、あらゆる病をいやされた愛の神よ、世界の各地にあってキリストのみ名のために仕えるすべての者に、祝福をお与えください。

 すべて、キリストの福音に仕える人

 すべての社会奉仕者

 すべての海外宣教師

 忠実に病者をみとるすべての医師、看護婦に。彼らを通して、あなたの恵みの目的を果たさせ、彼らの心に、キリストの臨在の真の喜びを味わわせてください。

 そしてこのわたしにも、いま床につくこの時、キリストに仕えるためにささげた生の喜びと、主の十字架によって罪ゆるされた平安とを与えてください。 アーメン  

 

世田谷通信

 (143

猫 草

ブックフェア、というものがある。学校や自治体の図書館に今年度何を購入するかの参考にする、新作・売れ筋本の見本市・展示会である。広いホールや体育館の中にたくさんの机が並んでおり、その上に数千冊のジャンル別学校図書館向け新刊、おすすめ本が置いてある。箱には注文用のスリーブの束がくっついている。スリーブというのは本に挟まっている書名のしおりみたいなものである。お目当ての本の中身をチェックして「これはなかなかいいね!」と思ったらスリーブを1枚引き抜く。たくさんの図書館関係者がぐるぐる展示会場を歩き回って、何冊も何冊も本を見て、手にはスリーブがたまっていく。それをパソコンスペースにもっていくと、即座に注文書を作ってくれる。そのまま注文もできるし、検討するもよし。また別のコーナーは商談もできるように出版社の人が笑顔で待機している。本屋さんとも図書館とも違う、一種独特の雰囲気だ。あえて言うなら一番近いのは魚河岸かもしれない。

似ているがちょっと違うのは自治体図書館主催の「リサイクル本払下げ」の場だ。年1回、ここにも図書館関係者が集うのだが、すべて廃棄直前の本なので、やや古いものばかり。会議室に可動式のブックカートが並び、本がぎっしり詰めてある。選書は基本的に早い者勝ち。1時間の制限時間内にカートから自分のテーブルに運んで、図書館名の入った段ボールに箱詰めしたらその図書館のものというルールだ。たまに自分の図書館蔵書で足りない巻があったりするので、掘り出し物を求めてみんな物凄いスピードで本の背表紙をチェックしていく。静かなバーゲンセールという雰囲気だ。

本に関わるのが仕事の人たちの、不思議な共有空間がそこにある。自分が読むためではない、たくさん購入して、古いものを捨てて、大量の本に囲まれて過ごす。そんな作業を繰り返している。ネット社会、電子書籍の趨勢で本が売れないとはいうものの、まだまだ本の世界は厚くて深い。

*この添付のイラストは絵を描くのが大好きな次男がパソコンのペイントツールで描いたものです。

 

 

 『美しい朝に』・・9・・

6月16

 こんにちは。「美しい朝に」確認の原稿ありがとうございます。大丈夫です。堺みくに教会の名前も載せていただいて感謝です。教会の方も「つのぶえジャーナル」を読んでくださっています。また、少しでも多くの方に教会に来ていただけたら感謝です。今日の病院は、血小板は正常値でした。大人の人で、ステロイドが5ミリ以下で血小板が正常値になったのは、とてもめずらしいそうです。甘いものを食べて頑張ったおかげ様かなと思う反面、食べ過ぎて血糖値(160)は高くなりました。ステロイドの副作用もあるので、ステロイド3ミリ2ミリに減らしました。やはりヘモグロビンA1Cが、6.4と糖尿の境界のあたりでしょうか。血液内科の先生は「ステロイドを減らしているので、本人の努力で、充分血糖値は改善すると思う」と、言ってくださいました。指の爪は、化膿止めをいただいたので大丈夫です。いつも、お祈りありがとうございます。
雨で蒸し暑いので体調管理が、難しいですね。お祈りしています。
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 今朝、家から歩いて5分もかからない銀行で銀行強盗が起こりました。とても怖いですね。犯人は捕まり、生活苦からのようです。誰も怪我人は出なかったようです。大阪は曇り空で、気温も低く。家でじっとしていることにしました。 

6月24日

 梅雨の晴れ間でしょうか。少し、晴れてきました。こんな日は、洗濯日和です。

家の中に干してた洗濯ものたちをベランダへ移動です。やっぱり、青空は元気をくれます。

 26年前の624日に膠原病で親友が亡くなってトンネルの暗闇に入り込み長い間「光」さえ見えなかった日々。今は、大丈夫だと天国の親友に伝えたいです。色々、乗り越えられ、そうでない壁がやってきますが、自分も家族も周りの人も強くなっていくようですね。多くの方々にお祈りして頂き感謝です。私も、悩んでおられる方とその身近な方のために祈ります。

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 おはようございます。今朝は大阪は快晴です。暑いくらいです。晴れると体調も気持ちも調子がいいので気のせいだけではないですね。愛犬の鳴く時間がここ23日ずれてくれて昨日はぐっすり眠れたのも良かったです。先日、病院の帰りに写した写真を何枚か送ります。紫陽花にも種類があるのですね。

6月30日

 病気になった最初の頃、「病気でも食べるのだから1万円でも食費を家に入れようと目標をもたなきゃね」と息子に言われて泣いていました。「私は、難病で死にかけたのにひどいわ」と。しかし、悔しくて仕事とステロイドを減らす「目標」をたてて、ここまで回復出来たように思います。きついようでも息子は病気の私でも1人前に扱ってくれたのでしょうね。今のように本当に仕事ができるようになるまでの最初の仕事は、体調にいい時は「洗い物」でした。病気の家族と言う立場も難しいと思います。周りのご家族の気持ちと健康が支えられますようにお祈りします。

7月4日

 こんばんは。今日は、あいにく雨でしたが、娘夫婦のおすすめのアベノハルカス57階のレストランで母の傘寿(さんじゅ・80歳のお祝い)のお祝いをしました。母が嬉しそうで良かったです。

7月14日

 今日14日(火曜日)は、血液内科の外来治療の日でした。血小板は正常値ですが、血圧が高くてお薬をいただきました。炎症反応も高くてステロイドは現状維持です。

血糖値は、ギリギリのラインでしたが、膝に負担のないようにもう少し動かなければダメみたいです。野菜を食べてはいましたが、30日に内科の予約日に合わせていましたので、今日は中だるみ状態でした。血液内科の日に体調をあわせると内科の先生がこわいので、これから、体調維持に頑張ります。どうしても、暑いしだるいし、引きこもってしまいますが自転車を押しながらでも、明日は歯医者さんに行こうと思います。

 血圧が落ち着けば体調も楽になるのではないかと期待しています。いつもお祈り感謝です。

               大阪府K・Aさん

  (このメール文の掲載はK・Aさんの了承を頂いております)   

                    

 

  その愛のゆえに

   =時々の記=

      (112)

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 今日も一日降ったりやんだりのややこしい梅雨空でした。そのような中、元気をくれるのはやはりアジサイの花です。この頃はアジサイにもたくさんの種類があるようで、ご近所のアジサイの新しい品種には、はっとさせられるのです。お花も次々と改良されて珍しいものが人気を呼んでいるようです。我が家の庭には従来通りのものばかりです。なんとも変わり映えのしない庭です。
 蕗の皮むくや古(いにしえ)人思ふ。
 ポプラの葉奏づる音や風薫る。
 西行も夕焼けを斯く(かく)眺めけむ。
 多羅尾超ゆ京への道の青嶺(あおね)かな。
 梅雨寒しラジオのジャズにくつろぎぬ。     馬場路哉
ぎっくり腰で痛んでいる主人の腰には太い腰を支えるベルトで何とか支えられているようです。明日から毎週のように土曜、日曜は草刈、路作りの出会いがあります。それに耐えられるか心配です。できるだけのことをして、許してもらいたいものです。毎年何人かは無理をしてけが人が出るのです。とても急な斜面はスパイクのついた地下足袋を履いていかなければ滑ってしまいます。このような危険な草刈りは加齢に伴って皆しんどがっています。
7月2日

 こちらは朝からとても激しい雨でした。犬たちとの散歩も途中で引き返してきました。びしょ濡れになった犬たちをタオルで拭いてやりますと、気持ちがよいのか嬉しそうにしています。晴耕雨読ではありませんが、朝からゆっくりジャーナル7月号を読ませていただきました。宝塚の鶴原さんのお手紙の中にもありましたが長村さんからお励ましのお手紙を頂いてとても感謝しているとありました。
 アジサイや大海原の色となる。
 谷間(たにあひ)に笹百合見えず過疎の村。
 朝まだき懸命に鳴く燕(つばくらめ)
 故郷に帰って摘みぬ花あざみ。
 ぬた場とはなってしまひぬ草を刈る。(家の周りすぐそこまで猪がやってきて、大きな穴を掘りすみかにしています。その猪の掘った穴のことをここら辺ではぬた場というそうです。)            馬場路哉
 今朝も大雨の中高齢者の男性たちは、路の草刈に出かけました。二時間ほどで帰ってきましたが合羽を着ていても、隙間から雨が入り込んで大変だったといって帰ってきました。
7月7日

 おはようございます。こちらは今朝も雨が降っています。台風がもうやって来ているとのこと、それが前線を刺激しているようです。なでしこじゃパンの皆さん、お疲れ様でしたね。キャプテンの宮間選手の「ブームではなく、分化に・・・・」の言葉は、素晴らしいW杯ですね。
異国の地で実力を発揮するのはとても大変だったと思います。
 橋たもとしばし留まるカジカ笛。(かえるのこと)
 峰の木々殊に揉まれぬ青嵐。
 子ツバメのぶつからず飛ぶ狭庭かな。
 荒梅雨や合羽を着たる道つくり。
 早朝の楽器練習音涼し。
 生垣に見ゆ走り萩小紫。            馬場路哉。
ようやく歯科医院の治療が終わってほっとしています。大切なものですから主治医の先生に従って矯正をしてもらうことにいたしました。私は少し疲れ気味です。ぼちぼち、焦らずにできることからやっていこうと思います。 健康をお祈りしています。

 馬場暁美

上野緑ヶ丘教会

  解説 ウエストミンスター信仰告白 (38)

   岡田  稔著

  (元神戸改革派神学校校長)

第18章 恵みと救いの確信について・・2・・

3 この無謬の確信は、信仰の本質には属していないので、真の信者がそれにあずかるものとなる前に、長く待ち、また多くの困難と戦うことがある(1)。しかし彼は、神から自由に自分に与えられている事柄をみたまによって知ることができるようにされているので、特殊な啓示なしに、普通の手段を正しく使うことによって、これに到達することができる(2)。それゆえ、自分の召命と選びを確かにするために全く勤勉に努めることは、すべての信者の義務である(3)。これによって彼の心は、この確信の結ぶ正しい実である、聖霊による平和と喜び、神への愛と感謝、服従の義務を果たす力とよろこびにおいて、増大されるようになる(4)。それは人々を放縦に傾かせることからは程遠いものである(5)

  1 
ヨハネ5:13、イザヤ50:10、マルコ9:24、詩88編、詩77:1-12(2-13)
  2 
コリント2:12ヨハネ4:13、ヘブライ6:11,12、エペソ3:17-19
  3 
ペテロ1:10
  4 ロマ5:1,2,5、ロマ14:17、ロマ15:13、エペソ1:3,4、詩4:7,8(6,7)、詩119:32
  5 
ヨハネ2:1,2、ロマ6:1,2、テトス2:11,12,14コリント7:1
    ロマ8:1,12
ヨハネ3:2,3、詩130:4ヨハネ1:6,7


三 ここで告白されている真理は、おおむね次の5点である。

1 この確信は、信仰の本質に属するものではない。つまり、この確信を伴わない限り、それは本当の信仰とは認められない、と言うようなものではなく、むしろ、初歩的は信仰では、この確信を伴わないのが普通である。なぜなら、この確信は単に疑わないと言うような消極的無知状態、自己批判の足りないのん気な状態とは異なり、信仰内容を自覚的に確信させられ、すべての論理的な反対論にも動揺せず、すべての事実的脅迫にも、たじろがない確信のことである。

2 この確信に到達する道は、何か特別啓示を受けるといった、神秘的体験によるものではなく、普通の信仰の教育訓練を受ける方法によるものである。

3 これは全信者が義務として、それを与えられるように祈り励むべき目標であって、手の届かない高嶺の花と諦めたり、どうでもよいことと放任してはならないことである。

4 この賜物は、他の恵みの賜物と無関係なものではなく、極めて密接に結合している事柄であって、これを得ることは、また同時に、他の祝福をより十分に味わわされることである。

5 この教理を予定論などと同様に、何か信者を放漫に流れさせる有害な教えだと曲解する人々が少なくないが、決してそうではない。これは常に、信者自身に目標として励ますのに役立つ有益な教理である。

4 まことの信者も、自分の救いの確信を維持することの怠慢、良心を傷つけ・みたまを悲しませるある特殊な罪に陥ること、ある突然の激しい誘惑、神がみ顔の光をかくされて神を恐れる者をさえも闇の中を歩き、光を持たないままにしておかれることによるなど、種々の方法によって、それを動揺させ、滅らし、中断させることがある(1)。しかし彼らは決して、神の種と信仰の命、キリストと兄弟とへの愛、義務を行なう心と良心の誠実さ、を全く欠いているのではない。これらから、みたまの働きによって、適当な時にこの確信が回復され(2)、またこれらによって、全くの絶望に陥らないようその間支えられている(3)

  1 雅5:2,3,6、詩51:8,12,14(10,14,16)、エペソ4:30,31、詩77:1-10(2-11)
    マタイ26:69-72、詩31:22(23)、詩88編、イザヤ50:10
  2 
ヨハネ3:9、ルカ22:32、ヨブ13:15、詩73:15、詩51:8,12(10,14)、イザヤ50:10
  3 ミカ7:7-9、エレミヤ32:40、イザヤ54:7-10、詩22:1(2)、詩88

四 ここで述べてあることは、前項で告白された通り、この確信への到達が時間的に相当長い戦いを経た後であるのみでなく、一度この確信に至った者でも、それは死ぬまで同じ強さで維持されるとは限らず、度々、それから転落後退するような状況が生じることを明らかにして、わたしたちの信仰生活が、いかに多難ないばらの道であるかを教え、失望よりこれを支え、また絶えず注意と警戒心を呼び覚ますことにある。聖化の地上での未完成と言う主張と合わせて考えなければならない。

 

<結び>

これは、極めて簡素ではあるが、聖書的罪観をよく表明した名文である。罪の責任が人間にあって、神にも悪魔にもないこと(もちろん、悪魔はそれ自身の責任を負う。罪は人間によって犯された事実でありつつ、神の聖定が混乱したのではなく、神は、すべてにおいて絶対的主権者であること、罪は対神、対世界、対自身の三つの面に深い結果を及ぼしていること、アダムの罪が全人類に転嫁と遺伝の両方式をもって波及していること、行為のみが罪ではなく、罪を生む性質そのものが罪として罪責・罰に価すること。このようにして、罪人の救いがいかに重大事であるかを、自力救済が望みのないことであるかを、キリストの贖罪と聖霊の活動が大いなる恵みであるかを明瞭にしている。

 

さんびか物語・・・17・・・

    (広く愛唱されている50曲)・・・16     

 ポリン・マカルピン著

    (米国南長老教会婦人宣教師) 

讃美歌184番

 みさかえに入りし           

<神様のみ言葉>

「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなた方とともに住み、あなたがたのうちにおられるからです」。

~ヨハネの福音書14章16~17節~

この讃美歌は、聖霊についてのすぐれた歌であります。

讃美歌184番の歌詞は、イギリスの女流詩人ハリエット・オーバーの手になるもので、彼女(1773~1862)は、1685年にイギリスへ亡命した、フランスのプロテスタント派のカルヴィン主義(ユグノ派)の信者の子孫でした。彼女はロンドンに生まれましたが、その89年の長い生涯を、静かな田舎町ハートフォードシャーで過ごしました。

ミス・オーバーは、英国国教会の信者として、信仰生活をおくっていましたが、それまで教会内で用いられていた詩編歌聖歌の改善を熱望していました。ミス・オーバーは、その改善の実現のために旧約聖書から、いろいろの大切な主願をとりあげて、美しい詩を書きました。

1829年に、それらを詩集‘The Spirit of the Psalms’におさめられて出版しました。この讃美歌も、この本におさめられていまして、早くから広く使用され、特にアメリカでは、大変人気がありました。

 

讃美歌184番の曲の作者は、ジョン・B・ダイクス(1823~1876)ですが、彼については讃美歌66番をご参考になさって下さい。

讃美歌184番の曲STCUTHBERTは、ペンテコステの曲として、英国やアメリカで広く歌われています。この曲は、1861年に出版された‘Hymns Ancient and Modern’におさめられていたものです。

<184>

 1 みさかえに入りし 主にかわりて、

   くすしきみたまは くだりぬ。

1節では、イエス・キリストが、十字架におかかりになる前の晩に、弟子たちとともに食事をなさいましたが、そして、その時、彼らに最後の励ましのお言葉をお語りにましました。その励ましとお約束には「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがとともにおられるためです」(ヨハネ14:16)とあります。

作者オーバーは、この約束のみ言葉を中心に歌っているのであります。みさかえに入りし主にかわりて、くすしきみたまは、くだりぬとは、どのようなことでしょうか?それは、主イエス様が約束なさったもうひとりの助け主のことであります。

この助け主の役目は、何でしょうか。それは「私たちにすべてのことを教え、キリストが話されたすべてのことを、思い起こさせて下さること。また、罪について、義について、さばきについて、私たちにその誤りを認めさせる」(ヨハネ14:26、16:8)ことであります。私たちも、み霊のみわざを頂いて、自分自身の心の状態を教えられることを求めましょう。

 2 もえたてるほのお はげしきかぜ

   たえなるちからを しめしつ。

2節では、ペンテコステに起こった聖霊降臨を実に美しく歌っています。もえたるほのお’‘はげしきかぜ’‘たえなるちからは、新約聖書の使徒の働き2章1~4節に記されています。

「五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また炎のような分れた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。すると、みなが聖霊に満たされた」。このように、主イエスがお約束なさった助け主なる聖霊が、降ったのであります。

 3 へりくだるものの うちにやどり

   あふるるめぐみを たまえり。

3節では、神様が私たちひとりひとりに、この素晴らしい助け主を、お与え下さったことを歌っています。しかし、世の人々は、なぜ、この恵みを喜んで心に受け入れないのでしょうか。

「世人はその助け主を見もせず、知りもしないからです」と、記されています(ヨハネ14:17)。また、み霊の溢れる恵みを頂くことのできる者となるためには、条件がともないます。それはへりくだった謙遜な心であります。自分の罪と弱さを知り、そして悔いる人にのみ、み霊がお降りになるのであります。

へりくだる者の内にのみ、宿るのであります。作者はへりくだるもののうちにやどり、あふるるめぐみをたまえりと歌っています。

 4 いい知れぬきよき みこえきけば

   うれいもおそれも あとなし。

 5 なぐさむるものよ みちしるべよ

   くだらせたまえや われらに。

4節と5節では、み霊をいい知れぬきよきみこえ’‘なぐさむるもの’‘みちしるべと呼んでいます。神様のみ声とみ霊の、その呼びかけに、耳を傾けるその人にのみ宿るのであり、そのみ恵みによって憂いも、恐れも消えて行くのであります。

神様ご自身が取り除いて下さり、なぐさめ主なる神様が、私たちを本当になぐさめて下さるからであります。イザヤ書40章1~2節には「慰めよ。慰めよ。わたしの民を」と、あなたがたの神は仰せられる。「エルサレムに優しく語りかけよ。これに呼びかけよ。その労苦は終わり、その咎は償われた。そのすべての罪に引き替え二倍のものを主の手から受けた」とあります。

また「耳を傾け、わたしのところに出て来い。聞け。そうすれば、あなたがたは生きる。わたしはあなたがたととこしえの契約、ダビデへの変わらない愛の契約を結ぶ」(イザヤ55:3)とも記されています。

私たちが、この「まことの慰め」「愛のとこしえの契約」にあずかりたいと望みますなら、「神の御声に聞き従い、己が心に御霊の力を与えたまえ」と祈るべきであります。

また、正しい道しるべであられる主イエス・キリストに立ち返り、まっすぐに、雄々しく歩むべきで、そのために、主イエス・キリストは、迷える弟子に、そして私たちに、「わたしが道であり、真理であり、いのちです」(ヨハネ14:6)と、また「狭い門からはいりなさい。・・・いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです」(またい7:13~14)とお語りになられました。

あなたも、まことの道を歩むために、まことの道しるべであられる、主イエス・キリストに従うことを決心して下さい。まことの慰めと永遠の命を得るために心を開いて神のみ声を聞いて下さい。

  *****************  

この「さんびか物語」は「つのぶえ社」の出版(第一刷1974年、第二刷1992年)で、出版社の許可を得て掲載しています。本の購入を希望される方は、「つのぶえ社」までご注文ください=

          

 

 

 ビルマ

  戦犯者の獄中記  (53)  遠山良作 著

昭和22年

 タキン党事件の判決と裁判・・3・・

 9月4日

 タキン党事件の裁判の状況・・1・・

 昭和22年8月11日よりラングーン高等裁判所の大法廷に於いてタキン党事件の軍事裁判が開始された。武装したMP数人に警備され、法廷の正面に裁判官3人が着席した(中略)。検察側の証人の大部分が処刑されたビルマ人の遺族で、その内容は、家族が戦時中、日本軍憲兵により逮捕されて連れていかれた事実と、終戦後もその家族は帰って来ない事実を立証した。

 次に検事は、本件の検証調書を作成した係官を出廷させて、その検証調書を作成した状況を立証した後、被告人18人の供述調書の請求をした(中略)。

弁護人は次の諸点を立証した。被害者ビルマ人は日本軍に対しゲリラ活動をした事実を具体的に立証し、かつビルマ方面軍司令官より占領地の住民に対し「ゲリラ活動を止めよ。日本軍に反抗する者は厳重に処罰する」旨の治安命令が布告された事実を明らかにした。その後も反乱軍や住民ゲリラによって日本軍が各地で殺害され、その数は4000人以上に達し、憲兵だけでも90人が殺された。特に、ラングーンよりモールメン地区に退却のためシッタン河を渡らんとした日本人従軍看護婦20余名が反乱軍ゲリラのために全員惨殺された事実を明らかにした。

(中略)

 弁護人は英軍陸軍中佐ビルマ人ソチャードを証人として要請「昭和20年6月、7月、8月は英軍の爆撃が烈しく、日本軍は軍法会議を開くことが不可能な状態であった」旨を立証し、更に英陸軍大尉ビルマ人ソカイノを証人に要請、次の諸点を立証した。

 本裁判の始まる数週間前に、暴徒に殺されたビルマ国の国務大臣タキンミヤは生前「自分は本裁判につき、弁護側より証人として出廷し被告人等のために証言するのは自分の義務である」とソカイノ証人は語った旨を明らかにした。

 同証人はさらに「日本軍と同盟して英軍と戦ったビルマ軍が友軍である日本軍に反乱して日本軍を攻撃したこと。また本事件の被害者の中にはゲリラ活動をしなかった人もあったかもしれないが、大部分は反日活動をした者であるからこれらの人々が被告人等に処刑されてもやむを得ない」という人が多い趣旨の証言をした。

 弁護人は最後に、被告人全員を順次証言させ、各人の行動を認めた。(中略)

*文章の転載はご子息の許可を得ております。

 

「あなたに聖書を」

「キリスト教百話」・・・32

問20・・9 キリスト教では「罪」と言うことを言いますね。クリスチャンは「われらの罪を赦し給え」と祈っていますが、別に犯罪を犯しているようでもないのに、どうしてあんなことを言うのですか。

答   「罪」と言う言葉は普通には何か悪いことしたことに対して、それは「罪を犯した」という風に使われますね。それが法律に引っかかる場合には明らかな「犯罪行為」とみなされます。その場合は法律に違反しなければ「犯罪」とはなりません。と言うことは、その場合の「罪」というものは、その法律が適用せれる範囲内の人にとって誰もが認める共通の「してはならないこと」が明文化されていますから、「罪」とは何かがはっきりしています。

 <続き> イエスが語られた「放蕩息子の譬話」は「放蕩息子の父の譬話」であり、また「放蕩息子の兄の譬話」でもあります。この譬話によってイエスが語ろうとされたことは、イエスが「わが父」と呼ばれた神は、この放蕩息子の父のような方であるということです。即ち、神は神を無視して自分の思うままに生きている人間が神のもとへと立ち返るのを待っておられるというのであります。ということは、イエスにとって、神は、徹底した「赦し」の神であられるということであります。この「赦し」があるところに、すべての人が神のもとへと立ち返ることが出来る根拠があります。そして、そうであればこそ、 

人間にとって、そこに、究極の安らぎまたは絶対に揺るがない心の基盤があるわけです。

 ただし先にも述べたように、そういう赦しは甘過ぎるのではないかという批判があります。そういう甘さでは示しがつかない、父たるものはもっと厳しく毅然としていて「放蕩など赦さない」と言うのでなくてはならない、という声が上がりそうです。模範生をもって自認している兄息子に代表される考えがそうであります。

 しかし、放蕩息子は、放蕩三昧に明け暮れしてきた自分が厳しい扱いを受けて当然と思っていたのに、その予想とは全く反対の大歓迎を受けた時、その「赦し」そのものが、自分に対する「徹底した裁き」つまり「オレが悪かった」ということを、骨身に徹するほどに自覚したに違いないのです。罪に対応するものは罰であって「赦し」ではありません。しかし、その罰を全部担ってくれる者(代罰者)があって赦しは成り立ちます。放蕩息子に対して当然要求してよいツケを、父がすべて担ってくれたことが分った時、その赦しによって、彼は「裁かれた!」ということを、痛感したに違いありません。「赦し」は、赦す側の犠牲を伴うこと無しには成り立たないのです。(このことはいずれキリストの十字架について触れます)

 この譬話の中に、母親は登場していません。こういう話の筋道では、放蕩息子に対して「許せん!」と言って息子を家に入れようとしない父親とは反対に「よく帰って来たわねえ」とばかり裏口からこっそり招き入れて、「さあ、ひもじかっただろう。腹一杯お食べ、おとうさんにはそのうちわたしから上手に詫びてあげるから」という母親がいて、事が決着するものです。父親は「切る役」、母親は「包む役」を担うことによって、事が納まるのです。

 人はみなこの母親を求めてやみません。マリヤや慈母観音や女神への思慕はいずれも、こうした人間のすべてを抱擁してくれるものを求めているからに他ならないと思います。

 ************************

  みみずのたわ言ならぬ老木の呻き

「この道はいつか来た道、ああそうだよ、日の丸の旗がゆれる」

「大丈夫、大丈夫との御意見なれど、当方の声のかすれをいかに繕う」

                篠田 潔

(日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)

       <8月のラジオ放送予定>  

  8月 2日 金原 義信  (日本キリスト改革派豊明教会牧師)

     9日 金原 義信  (日本キリスト改革派豊明教会牧師)

    16日 黄 敬 秀  (日本キリスト改革派長久手教会牧師)  

    23日 黄 敬 秀  (日本キリスト改革派長久手教会牧師)

    30日 相馬 伸郎  (日本キリスト改革派名古屋岩の上教会牧師) 

 (放送開始19(日本キリスト改革派長久手教会牧師)52年10月)

CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ

毎週日曜日朝6時30分~45分放送

 

 

第69課 キリスト者生活の実践的義務

A 個人の生活上の聖潔を養う義務 

       12:1~21・・・10・・・

「キリスト教的愛の義務」・・12:9~10・・・1・・

 「愛には偽りがあってはならない」(let lave be without dissimulation

Dissimulationとは猫かぶり・偽善の意味であります。9節の「愛」は全ての人に対する愛を指しており、10節の「兄弟愛」はキリスト信者同志への愛が語られています。従って、私たちは人々に対する愛において、真実で偽りがなく、偽善があってはならないと教えられているのです。

ただ言葉だけで行いの伴わない一種の愛のようなものが存在します。それは単なる装いであり、見せかけに過ぎないのです。私たちは隣人に対する愛について百万言も語ります。しかし、彼らの必要に対しては目を閉じて、良きサマリヤ人の例え話の中のレビ人のように傍らを通り過ぎてしまう者なのです。真のキリスト者生活に中には偽善や偽りの入る余地はないのです。人々に対する私たちの愛は真摯で純粋でなくてはならないのです。

 

「悪は憎み退け、善には親しみ結び」。ここの「悪」と「善」という言葉は、道徳的な善悪を意味していると理解されています。そしてこの勧めは一般的なものであるとされています。しかし多くの注解者たちは文脈上から、限定的な意味に解して、前者を非道なこと、後者は親切という意味の理解しています。従ってこの箇所の意味は、「愛は真実でなくてはならない。他人を傷つけるようなことは避け、親切で益になるようなことをするように努めよ」となります。いずれの意味にも取りうるけれども、文脈上からは後者の方が良いと考えられています(C.ホッジ)。 

  J.G.ヴォス著

  玉木  鎮訳(日本キリスト改革派引退教師)

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書籍紹介
    8858e3b6.jpg
エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

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教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
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「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

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「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
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「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
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われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

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さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

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