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2023年7月号  №193 号 通巻877号
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    ほっとひととき『みんなのコーナー』        

 ☆  「ジャーナル」楽しみに見ています。まだ50にもなっていないのに、最近、変な疲れで、主人が仕事に出掛けた後、直ぐ横になっている日が多くなりました。病院で診察を受けたら、一時的なものでしょうと言われました。多分、脳が疲れているのだと思います。今までの刺激が出てきたのでしょう。光、音、気疲れなど、すべてが刺激物ですから。   群馬県 SYさん  

 ☆  14日の礼拝は花の日で、それぞれ、庭に咲いている花を持ちより、講壇の前面に飾りました。その花をいただいて帰り、片岡球子さんの絵と一緒に自宅の玄関に飾りました。礼拝の中で子どもの祝福式があり、孫が祝福をしていただき本当に感謝でした。② 室内で越冬したアマリリスの花が今年もきれいに咲きました。冬は水をくれずに鉢のまま乾燥させて春を待ちました。讃美歌575番「球根の中には花が秘められ、さなぎの中からいのちはばたく。・・」を思わず口ずさみました。 長野県 YYさん

 ☆  今日も朝から腰がめちゃめちゃ痛くて、ずっと安静にしています。幸いにも、足が痛まないので、二足歩行が可能ですが、起きると腰が痛むので、お手上げ状態です。まだ今朝の洗い物が残っています。何も出来ない自分が情けないです。   岡山県 SKさん            

 ☆  雨降りですね。なんか身体が重いですね。ばあちゃんにもしんどくて横になるわ、と休ませて来ました。私も、今日は受診日なので昼間に行ってきました。早起きしたせいで1日が長く感じます。何もやる気が起こらないのも同じでなさけなさすぎです。薬のため脱毛、白髪カツラを注文しました。ばあちゃんのホームは、西大寺駅南出口にあり 歩いても近いです。晴れの日は、自転車で行き2時間位います。見守りのボランティアを兼ねています。写真はこんにゃくの葉っぱです。ではね。  奈良県 TMさん

 ☆  リハビリに行っていますが、廃用症候群は高齢者ばかりでなく、健康に自信のある人でも、心の、信仰の廃用症候群に陥ることがありますよね。これは難敵ですね・・・。生活習慣病やマンネリ信仰などと軽視できない重症です。   愛知県 ONさん

 ☆  家に引き篭もり、本ばかり読んでいる私に何時も声を掛けてくれる友がおります。そんな私に万葉集にちなんだ旅を提案してくれました。前もって万葉集の解説書のコピーもらい、飛鳥川の川辺を散策した後、奈良県立万葉文化館で「万葉集」を中心とした日本の古代文化の魅力を,日本画などを展示して分かりやすく紹介している所で、万葉集のお話をお聞きし、そして川魚料理も楽しみました。とても有意義な楽しい時となりました。    兵庫県  SKさん

 =編集子・註記・廃用症候群­­  病気やケガで入院したときなどには、絶対安静が基本です。しかし、ベッドで長期間 寝たままで、あまり身体を動かさないでいると、筋肉が痩せ衰えて身体機能に様々な悪影響を与える廃用症候群になってしまう恐れがあります。身体的機能低下は心的な面にも悪影響が出てくるといわれています。

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  『ありがとうございます』

台風も過ぎ猛暑ですね。この暑さの次は秋が待っています。秋の草花を思い浮かべて過ごしております。先日、定期検診を受けている病院で、心臓や血管の詰まりよりは、運動不足による疾患の方を注意くださいと言われました。運動不足による病のことを知らされ、万歩計で低く少ない歩数ですが、それを目安に自己管理していますが、改善を願い、努力目標にならないように頑張ります。

徳島の信友が毎年自慢げに、「・・・世界にもその名を知られた400年の歴史を持つ徳島名物の夏祭りが近づき、今から街中にはお囃子が響きで、わくわく、そわそわしていますとメールが届きました。80を迎える友に驚きです。

2015年6月16日から7月15日までの「つのぶえジャーナル」事業への寄付者のご報告です。メールも全国各地の方々から、毎日沢山頂いております。手紙より便利になったのでしょうか、65歳以上?!と思われる方が、送信してくださいます。返信頑張っています。感謝いたします。

西山二郎様 工藤津子様 伊藤ますみ様 馬場暁美様 匿名2名様

   郵振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社 

  お便り下さる方はこのメール アドレス   osamura@kind.ocn.ne.jp をご利用ください。

 「つのぶえジャーナル」(米国南長老教会文書伝道事業)刊行責任者

   つのぶえ社代表   長村秀勝

 

   今月のことば 

 「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう」。

     =マタイ11:28=

 「肩代わり」という言葉あります。この一言で心うれしくなることがあります。何か肩の荷が軽くなった気持ちにさせる言葉です。しかし、現実の重荷はそのままであることも事実でしょう。病める人に慰めと励ましの言葉を掛けることは難しいものがあります。ふと身に負う病い人に無責任な一言になるのではないかと躊躇するのです。

 現実に病いを癒し、重荷を取り除くことなど出来ないという事実もあるからです。病み人をちょっと見舞って、その後、健康な自分に戻り、病み人は、病床で過ごすのです。

 聖書の、このみ言葉は、ただ「休ませてあげよう」という人の言葉として記されているのではありません。救い主の言葉として、お出来になる方の約束としての言葉であることに感謝するのです。

 救い主が「休ませてくださる」というのです。救い主が、重荷を負う者たちに、最も深いところの苦しみ、重荷を取り去り休みを与えるというのです。人の肩代わりではありません。主イエスの救い主としての約束です。その約束こそ「十字架の約束」です。主イエスの担われた私たちの重荷は、ご自身の死を持って償うほどのものでした。そのみ業をなすために、天から来て、地上の重荷を身の負うお方としての休みのお約束・お言葉です。

 主イエスが身に負われなかった様な労苦は、地上には存在しないのです。だからこそ「すべて」なのです。主イエスには不可能はありません。全能者は全能者なる主イエス・キリストご自身以外に誰もいないからです。共に病いを負い、悲しみを担い、歩んでくださる主と共にある幸いを覚える日々でありたいものです。

 <讃美歌358番>

  1 こころみの世にあれど、

    みちびきのひかりなる

    主をあおぎ、雨の世も

    たからかにほめうたわん。

  4 世のちからせまれども

    死に勝ちし主によれば

    やすらけきよろこびは

    わがむねにみちあふる。   アーメン

   小閑記

 「わたしたちは神の作品であって、良い行いをするようにイエスにあって造られたのである」。

       =エぺソ2:10= 

 神の恵み、福音とは何でしょうか。それは、神がキリストにあって賜った救いは、罪が贖われ、罪の負債が支払われたということであるのみではなく、私たちの過ちや怠惰のゆえに、為すことの出来なかったところを全て、主の完全なご生涯によって、私たちのためになしてくださったことにあります。

 

 主イエスが、言葉と業に、心に精神に、全ての義を果たしてくださった事実。これが神の恵み、福音です。

 主イエスの幼子から十字架の死に至るまでのお姿は、私たちのためであったことに感謝すべきです。

 

 主イエスのご生涯は、人間が新に造られた姿として現されております。主イエスは、神の、新しき人、第二のアダムであります。ですから、全ての善い行いは、私たちのために、主にあって備えられているのです。同じように、私たちの得るべき罪の赦し、命の平和も、主イエスのうちにあるのです。この主イエスに連なり生きる者にされているのが、キリスト者です。

 

 救いの恵みは、現実の苦難や争いの中にあっても感謝と平安に生きることが出来るのは、神の約束に確かさ、愛と忍耐をもってお支え下さる確かな結果を信じることが出来ているからです。

 

 人は願望のみでは生きることは出来ません。確かな事実、すなわち、主イエス・キリストのお言葉、み業、その愛が事実だから安んじることが出来るのです。私たちは神の作品であり、作者は神であり、そこに安んじて生きる者にされている事実を悟る時、主イエス・キリストの僕であるという、身分・特権に限りない喜びに浴するのです。

  今日も喜び生きよ

 世から選ばれたる者よ 朝の光に まぶしさに

 主の御心をみつめて 今日も喜び生きよ

  罪から救われし者よ 友の言葉に まなざしに

  主の御愛をば見つめて 今日も喜び生きよ

 神の子とされたる者よ 野花香に 清さに

 主の御心をみつめて 今日も喜び生きよ   水野源三

 

世田谷通信

  (142)

猫 草

今年も1学期が終わろうとしているが、すっかり子供たちも図書室の利用に慣れた様子である。4月には1年生から6年生まで、特別支援級を含めた25クラスを対象に図書室オリエンテーション実施している。

そうは言っても、入学したての1年生は椅子に座っているのがやっとで、お話を聞くのも数分が限界。なにせ先月まで園バスや親の送迎の元で幼稚園や保育園にいたのだ。ランドセルをしょって学校に歩いて来るだけで体力の半分を使っている。

だから説明は必要最低限、「本を借りたら、次の週に返そう」「走らず、静かに過ごそう」ぐらい。後は先生と協力しながら①本を選ぶ、②貸出カードに書く、③先生に見せる、④絵本袋にしまう、という4ステップ。

とにかく自分で読みたい本を探す。まだ習ってない字が大半なのは承知の上、貸出カードに一文字でもいいから書いてみる。書けたら先生に直してもらい、各自が持参した絵本を入れる袋に入れる。これだけの作業は4月当初の1年生にはとてもハードルが高い。「お母さんに会いたいの・・」としくしく泣いている子、上履き袋を持ってきて「本がはいらない・・」と困っている子。果敢に「魔法」という漢字に挑戦し、行を大きくはみ出して書いている子。「大型本を誰か間違って借りちゃたらどうしよう?」と心配になる子。大型本とは読み聞かせ用の本でかなり巨大、もちろん貸し出し禁止。というか間違えないよ、絶対気がつくって!

例年、最初は危なっかしい感じだが繰り返すうちに数か月でちゃんと行動できるようになる。説明よりも実践あるのみ。幼い子ほどその成長の速さに驚かされる。歳をとると1年も1か月もたいした変化はないし、むしろ日々衰えを感じるだけだが、6歳の1か月は砂地に水が無限に浸み込むような可能性を持っている。知識や経験を重ねると、顔つきも態度も見違えるように変わるのだ。

小学校の入学年齢引き下げという議論もあるそうだ。6歳でこんな感じだったら、5歳児ならどんなカオスになってしまうことか?それとも無理やり学校に詰め込んだらなんとかなる?いや、6歳だからこその吸収力なのではないだろうか。官僚や政治家の皆様は会議室で話し合うよりも一度現場に来てから決めてほしいものだ。

 

*この添付のイラストは絵を描くのが大好きな次男がパソコンのペイントツールで描いたものです。

 

 
 

 『美しい朝に』・・8・・

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 今日は、良い天気で、おかげさまで眠れました。私は、気圧に体調は左右されます。身体はだるいし、血圧も乱れます。この病気になってから膝の注射もしていません。(血小板に影響します)それで、1歩歩くたびに震えがくるほど痛みます。(交通事故の後遺症もあります) 寝ていようとしてたら息子に頼まれたアイロンが目に入りました。アイロンは、苦手です。少ししては休み休み頑張りました。

5月19日

 朝から、雨のち晴れ曇りです。今日は、外来治療の日でした。風邪のため炎症反応も数値が高く、先生に「しんどいでしょう」、「我慢しないでしんどい時は早めに来たらよかったのに」と言われてしまいました。ステロイドも少しもどってしまいましたが、風邪のお薬をいただきました。ひと安心です。だから、次の外来予定日は未定です。風邪の状態次第です。 ところで、愛犬の話ですが家では1階で放し飼いです。綱をつけていましたが、足が弱り綱の重みで歩けないので、綱をはずしました。白内障もすすみ、食べたことも忘れるようで昼でも起きている時は、「食べてない」と鳴いているようです。あげすぎると体重が増え立てなくなるので「生きているから鳴き声もする」と思っています。今は、鳴き疲れて眠っているようです。

5月25日

 今日は、快晴で天王寺でお友達とごはんを食べてきました。先日行ったお店で食べて、アベノハルカスの16階のお庭で景色を見ながら、おしゃべりしてきました。楽しかったです。昨日は、主人としている仕事でたくさん荷物の登録もすませていったので、病気でも前向きに歩んでいます。6月号の更新、写メをお使い下さり感謝です。母も、元気に「堺みくに教会」に行っているようです。長村先生に教えていただいて「堺みくに教会」に行ったのが、私が10歳くらいでしょうか。かれこれ45年にもなるかもしれません。叔母も含めて家族ぐるみでお世話になっています。亡くなった父も病床洗礼を受けさせていただきました。本当に温かい教会を教えていただいて感謝です。

5月26日

 こんにちわ。そうですか、私のメール文の「美しい朝に」、が多くの方に励ましと勇気を与えられているとしたら、ありがたいことだと思います。「孤独」な方にも、「つのぶえジャーナル」の言葉一つ一つが励ましを与えられているとしたら、そこに掲載されていることに感謝いたします。わたしは、周りの家族や友達にも恵まれています。昨日、友だちが「会えて良かった」と言ってくれました。今は、杖だけだとひざが痛くて歩くのが辛い様子を見ていて、バス停まで送ってくれました。「歩行を助けるサイドカーのようなものなら、もうちょっと歩けるかもね」とアドヴァイスをくれました。家族も、しんどいなら寝かせておいてくれますし、元気そうであれば仕事を回してくれます。ずいぶん引き篭もっていたわたしに「ご飯」という目的で連れ出してくれ、「お花」もずいぶん写せました。

6月1日

 6月になりました。いつも、お祈り感謝です。6月は、内科、眼科、血液内科と予約が入っています。6月4日の内科の先生が、厳しい先生なのでまた、血糖値が高くておこられないか心配です。1日350gの野菜をとるようにしています。ステロイドの副作用が出てるのも考慮はしてくださっています。でも、それに甘えてたらだめなのでしょうね。
暑くて、また引きこもってしまいましたが、病院の予約日を変えなくていいように体力温存で過ごします。出かけた時の写真何枚かお送りします。
 
6月5日

 今日は雨です。昨日の病院は現状維持できるようにと言う診断でした。野菜を多く食べたおかげで体調はいいみたいです。昨日家に帰りますと、家の玄関の枝に「とんぼ」がとまっていました。あまり、昆虫は得意な方ではないので種類もわかりませんが

めずらしいので写しましたので、送ります。

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 網膜剥離のレーザー手術後の定期検査です。右目も左目も瞳孔を開く目薬をさして

調べていただきます。いつもお祈りありがとうございます。異常がなければ良いのですが・・・。7時に出発すれば車で8時前には大正区の眼科に着くと思います。

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 昨日の眼科は、おかげさまで異常がありませんでした。でも、昨夜、検査後で良く見えてなかったせいかつまづいて左脚の足の指小指の爪がはがれかけて出血して痛いので、また前倒しになりますが、夕方、外科の先生に診ていただきました。幸いにして爪が指の上で反っていたのが、左脚の小指の上でおさまっていました。先生は「ひょうそうにもなっていないし無理にはがさず下の爪が伸びるのを待って普通に伸びた爪を切っていって2重に切れなくなった時、切ってあげましょう。このまま化膿止めを服用して今の爪は残しましょう」と言って下さいました。「ホッ」としました。血液内科は、予約のまま16日(火曜日)に診察になりました。いつもお祈りありがとうございました。

                   大阪府K・Aさん

  (このメール文の掲載はK・Aさんの了承を頂いております)   

 

  その愛のゆえに

   =時々の記=

      (111)

5月20日

 山際に気品を持ちぬシャガの花。
 芝さくら表巡らす媼かな。
 永遠の御国もかくや聖五月。
 白鷺のふわりふわりと水上へ。
 肩力抜くべしと見る藤の花。
 山の園正面占むるツツジかな。        馬場路哉
 山添村は緑がいっぱいです。皆さんが育てているお花も今は盛りと咲き誇っています。マーガレット、イカズラ、みかんの花、アイリス、カスミソウなどなど、散歩の折に楽しませてもらっています。我が家の玄関にはツバメたちがとても元気な鳴き声でにぎやかです。山添村でもこのようにたくさんのツバメが来る家は珍しいと先日尋ねてこられた方が言っておられました。その鳴き声がかわいくて仕方ありません。

5月26日

 教会の礼拝で90歳近い方がいつもお声をかけてくださり、よくいらしてくださいましたな・・・、といってくださいます。申し訳ない思いになります。90歳になられても礼拝を捧げることができるのは幸いなことですね。そうありたいものだと願っています。
 道端に色合ひ淡き花水木。
 芝さくら媼元気に家守る。
 この流れ若葉の山の裾巡る。
 リンカーン偲びて植うる花水木。
 回るかにポプラの若葉風を受く。
 囀りや思へば多き主の恵み。         馬場路哉

5月30日

 あの恐ろしい事故から3週間たった昨日から右目が真っ赤に充血してきました。目があけにくく痛みが出てきましたので、夕方犬散歩を終えてから眼科に走りました。検査の結果、右目の眼圧?が正常値をはるかに超えているので、これから治療と検査が必要です、と言われました。専門的な医療用語なので理解できませんので、家に帰って辞書で調べると眼圧が高くなると緑内障を発症する危険性があると書かれていました。 眼科の先生は眼圧が高いのは事故との因果関係は何とも言えないとおっしゃっていました。これから眼科への通院が始まります。また、会う人たちが口をそろえて、脳は2か月、3か月たってから後遺症が出るので、早くCTMRIでの検査をした方がよいと進めてくれます。私自身はあまり気持ちが進みませんが来週月曜日脳外科外来の予約を取りました。脳は人間の臓器の中でも最も精密で複雑なところですから、検査をして悪いところがあれば治療をして良くなりたいです。

6月1日

 思い切って脳外科外来に行って診察を受けてきました。その結果異常なしと言っていただいて今までの不安が一掃され感謝へと変わりました。CTでの画像診断でしたが自分の頭の中の様子がよく見えました。主治医の先生はだいじょうぶです。血管に動脈瘤もできていませんし、骨にもひびが入っていません。やっぱりしっかり見ていただいてよかったと心から感謝いたしました。自己判断はこれからも禁物だと肝に銘じました。上野にも脳外科があることに感謝いたしました。
 手頃なる淡竹(はちく)タケノコ抜きにける。
 喜びがオタマジャクシの尾に満つる。
 夏川や巌の形面白き。
 宇宙へと拡ごる青さこいのぼり。
 玄関に子ツバメ立つる羽音かな。
 山道に今朝匂へるはスイカズラ。
 タンポポのわた虚空へと飛び去りぬ。     馬場路哉。

6月4日

 梅雨入りと気象庁が発表いたしました。今までぎらぎら照っていた太陽が隠れて一面雲に覆われています。でも確かに落ち着きます。木々もとてもうれしそうに恵みの雨で一層青葉が美しく感じられます。こうして季節の移り変わりに感謝できるのも、健康が支えられ、神様の恵みを心から感じ取ることができるからでしょう。眼科での検査はとても細かいものでした。検査だけでとても疲れを覚えましたが、ずいぶん回復しているということでした。来週も予約を入れて行かなければなりませんが、今度は一人で車を運転して行けそうです。昨日、金城学院時代の友から電話が入りました。愛知県出身なのですが、結婚されて近くに住んでおられます。彼女とは宗教委員会で一緒に修養会、全校礼拝の準備にあたった一人です。でも結婚されたご主人は今も熱心な創価学会の信徒で、結婚生活を続けるかとても悩んだことがありました。今でも月に一度の割で教団の教会に通っているというのです。お互いによく田舎の生活に耐えてここまで来たねといって電話を切りましたが、何かもっと違う思いを伝えたかったのではと感じました。教会へ出かけるときには今でも買い物に行くと嘘をついて出なければ家を出してもらえないと前にぼやいていたことがありました。そんな彼女も田舎が好きになったといって私を励ましてくれました。草刈り機を使って家の周りの草を刈り、タケノコを掘りに行くのがとても楽しみだとか。

6月11日

 三本の棕櫚(しゅろ)の花咲く右近の碑。
 老人ホーム日々楽しかりアマリリス。
 緑陰で眺めに休む道作り。
 首筋は赤茶けてをりつばくらめ。
 花アザミ親しみ鄙に住み古りぬ。
 衣替え心も軽く教会へ。
 夏川の巌さまざま眩しかり。       馬場路哉
 4月から始めたEテレでの基礎英語はテキストを購入して頑張っているのですがかなり難しくなってきました。着いていきかねているこの頃ですが、もう少し頑張ってみます。
その基礎英語のあとに名曲アルバムから流れ出る素晴らしい曲に心癒されています。
 馬場暁美

上野緑ヶ丘教会

 

  解説 ウエストミンスター信仰告白 (37)

   岡田  稔著

  (元神戸改革派神学校校長)

第18章 恵みと救いの確信について・・1・・

1 たとえ偽善者や他の再生しない人々が、神の愛顧と救いの状態にあるという偽りの希望や肉的うぬぼれをもって、自分をいたずらに欺くことがあっても(1)、彼らのこのような希望は消え去ってしまう(2)。しかし主イエスを真実に信じ、誠実に愛し、全くよい良心をもってみ前に歩くように努める人々には、自分が恵みの状態にあることを、この世において確実に確信させられ(3)、また神の栄光にあずかる希望をもって喜ぶことができる。この希望は決して彼らを失望に終わらせない(4)

  1 ヨブ8:13,14、ミカ3:11、申命29:19(18)、ヨハネ8:41
  2 マタイ7:22,23
  3 
ヨハネ2:3ヨハネ3:14,18,19,21,24ヨハネ5:13
  4 ロマ5:2,5
一 ここで問題となっているのは、前章「聖徒の堅忍について」の問題のもう一つの面である。すなわち、第17章は客観面であるのに対して、本章は主観面である。そのために「恵みと救いの確実性」と訳さず「恵みと救いの確信」と訳されているが、実を言えば「確信の確実性」とでも言いたいとろである。

従って、まま宗教界にありがちな主観的、妄想的狂信、自分のひとり決めの大言壮語との対比で、このことが告白されている。マタイによる福音書7章22節にあるような実例は、悲しいことながら、あまりにも、たびたび存在する。かと言って救いと恵みの受領が常に本人には何の確信をもたらさないかのように、懐疑的謙卑をもって正しい信仰の常態とするわけにはいかない。もしそうならば、感謝という状態は存在しないことになるであろう。

ハイデルベルク信仰問答が明示するように、キリスト者の道徳の第一位は謙遜であると同時に、このよき業そのものが神への感謝である。わたしたちの信仰は、常に希望と愛との三角形を形づくっている。希望は恥をもたらさない。偽善者の妄想はある場合には、自分自身の心を欺瞞しているにすぎないから単なる虚言で取るに足らない。恐るべきは、本人がそれを真実と思い込んでいる場合である。

単純に人は、その人の真心からの確信であると言う理由だけで、その人の言葉を受け入れる。しかし、神は欺かれない。逆に、その人にその偽りであることを示されるのである。そうして妄信者の確信が打ち砕かれる日が来る。

それに比べて、わたしたちに与えられている希望と感謝とは、実現するものであるから恥は来ないのである。「恵みと救い」そのものにかえて、希望と感謝を受けたということを主観的に確信させられること、すなわち、感謝が自覚的であり得るということ、これは大いなる祝福でなくしてなんであろうか。選民意識、予定の確信というものの正しい姿である。

 

2 この確実性は、誤りをまぬがれない希望に基づいた、ただの推測的なもっともらしく見える信念にすぎないものではない(1)。それは、救いの約束の神的真理(2)、この約束がなされた恵みの内的証拠(3)、わたしたちが神の子であることを、わたしたちの霊と共にあかしする子たる身分を与えるみたまの証明(4)の上に打ち建てられた信仰の無謬の確信なのである。このみたまは、わたしたちの嗣業の保証であり、このみたまによってわたしたちはあがないの日のために証印されている(5)

  1 ヘブライ6:11,19
  2 ヘブライ6:17,18
  3 
ペテロ1:4,5,10,11ヨハネ2:3ヨハネ3:14コリント1:12
  4 ロマ8:15,16
  5 エペソ1:13,14、エペソ4:30
コリント1:21,22
二 ここでの確実性は、アッシュアランスではなく、サーテンテイである。本項で告白されていることは、この確信(アッシュアランス)が、単なる人間の主観的臆断または信念と異なることであり、その理由は、それが本来神によって与えられた確信、聖霊のみ業として生じた確信であることを言おうとするものである。

    

 

さんびか物語・・・16・・・

    (広く愛唱されている50曲)・・・15     

 ポリン・マカルピン著

          (米国南長老教会婦人宣教師) 

讃美歌174番

 起きよ 夜は明けぬ           

<神様のみ言葉>

「ところが、夜中になって、『そら、花婿だ。迎えに出よ』と叫ぶ声がした。娘たちは、みな起きて、自分のともしびを整えよ」。

~マタイの福音書25章6~7節~

讃美歌174番起きよ、夜は明けぬは主イエス・キリストの再臨について歌っているまことに素晴らしい16世紀の歌であります。この讃美歌の背景になっているのは、イエス・キリストがご自分が再び来られる時、また、世の終わりについて弟子たちに語られた有名な10人の娘たちの譬話であります。

起きよ、夜は明けぬ(174番)並びに詩編45編に基づいて歌われているたえにうるわしや(346番)の二つの讃美歌はキング・オブ・コラール‘クイン・オブ・コラールと呼ばれ、傑作中の傑作であり、非常に早くから普及していて、今日では世界各国の讃美歌集に取り入れられています。

優れた才能をもったこの二つの讃美歌の作詞者並びに作曲者のフィリップ・ニコライは1556年8月10日、ドイツのメンゲリングハウゼンでルーテル教会の牧師の息子として生まれました。彼はエルフルとウイッテンベルクの大学を卒業してから、1583年にルーテル教会の牧師とし按手礼を受けました。

その後いくつかの教会でその任務をはたしてから、1596年にウインの教会の牧師となりました。彼がその教会在任中の1597年から98年にかけて同地方に疫病(ペスト)が大流行し、ウインの町民1、300人ほどが、次々と倒れてニコライは連日10回もの葬儀を行なわなてればなりませんでした。

彼は教会の墓地で数多くの葬儀が行われるのを見て、死と永遠のいのちについて深く考えさせられたのであります。彼はその時の感想や作詞を一つの本にまとめて、それを喜びの鏡という題のもとに1598年に発表されました。ニコライの有名な二つの讃美歌はこの本の中に収められて初めて発表されました。ちょうどその頃、スペイン(カトリック)の軍隊がドイツに侵入したため、プロテスタントであったニコライはいのちがけでウインから逃げなければなりませんでした。しかし彼は決して気落ちせず、あらゆる困難を乗り越えて、忠実に牧師としての任務を遂行しました。また、1601年にはハンブルグの聖キャサリン教会に転じて、そこで非常に名高い牧師となりました。

ニコライは、当時の教派的な闘争の影響を受けて、ルーテル教会の戦士として勇敢に戦い、論争的文章も多く書きました。そのために彼は、「ルーテル教会の大黒柱」として仰がれ、その教理の守護者として認められたのであります。

彼は1608年10月26日に召されました。

ではキング・オブ・コラールと言われている讃美歌174番を共に考えてみましょう。

<174>

1 起きよ、夜は明けぬ 夜警(ものみ)らは叫べり

   起きよ、エルサレム。

  おとめら、目覚めよ 新郎(はなむこ)は来ませり、

   めさめて迎えよ。

  さかえの主は くだりませぬ ハレルヤ。

  ともしびかかげて いざむかえまつれ。

 1節で、まず気がつくことは「起きよ」「目覚めよ」「目覚めて迎えよ」というように、起きなければ、目覚めていなければならない緊急なことがあるということであります。夜警は誰に向かって何度も繰り返して「起きよ」「目覚めよ」と叫んでいるのでしょうか。

2行目には「エルサレム」とありますし3行目には、「おとめら」とあります。この「エルサレム」と「おとめら」は誰のことを意味しているのでしょうか。それは、主イエス・キリストを主、また、救い主として認めている、私たちクリスチャンであります。すなわち、「あなた」であり「私」なのです。そうです。目を覚まさなければならないのは、神の選びの民であります

では、神の選びの民はなぜ起きなければならないのでしょうか。それは、夜が明けて新郎が来られるからです。この新郎とは、栄えの主のことであり、主は降り給うたがゆえに、私たちはともしびをかかげてお迎えに行かなければならない時になっている、と歌っています。

ここで教えられることが多くありますが、その一つは、私たちはいつも用心していなければならないということです。その理由をマタイの福音書24章44節は「だから、あなたがたも用心していなさい。なぜなら、人の子(イエスご自身)は、思いがけない時に来るのですから」と言われています。

イエス様が教えられた譬え話では、待ちに待った花婿は夜中になってから、思いがけない時、みんながうとうとと眠っている時に来られるのです(マタイ25:5)。

ノアの日に洪水が来てすべてのものをさらってしまうまで、彼らが分からなかったように、キリストの警告に聞き従わない多くの人々も、その最後の日が来るまで、神の義と裁きを恐れないのであります(マタイ24:39)。

あなたはうとうとして眠ってしまうグループですか? それとも用心して目を覚ましているグループですか? これこそ大切なメッセージであります。

2 よろこびあふるる 夜警(ものみ)らの叫びに

      おとめらは覚めぬ。

  さかえにかがやく 主の降りたまえば

      ひかりはさしでぬ。

  主よ、よくこそ、ましましけれ、ハレルヤ。

  祝いのむしろに いざつかせたまえ。

日本語訳では、譬え話にあるように、その娘たちは叫ぶ声に目が覚めてみな起きて自分のともしびを整えて花婿を迎えに行こうとしたのです。そして喜びにあふれて栄えに輝く主をお迎えし、祝いのむしろにつかせたまえと歌っています。

しかし、聖書にありますが、油の用意をしていなかった愚かな5人の娘と用意していた賢い5人の娘の区別が見られません。この区別こそ聖書が私たちに教える一つの中心点であります。なぜなら用意していなかった5人の娘たちは婚礼の祝宴には入れなかったのです。「戸がしめられた」と聖書は記しています(マタイ25:10)。

どんなに警告を受けても、それに耳をふさぎ主イエス・キリストを迎えようとする心の準備をしないその人は到底その恵みのむしろに入れられません。また、ある人々が想像しているように、まだ遠い将来に起こるかもしれないイエス様の再臨のこととして考えてはなりません。私たち一人一人の最後の日、死そのものをも意味するとも思います。

むしろ、いつ来るかはだれ一人知ることが出来ないことですから、必ず来る確実なこととしてその備えをしておくことこそ大切です。悔い改めと信仰は戸が締められてからでは遅すぎます。この警告を恐れをもって味わって頂きたいと思います。

この讃美歌は2節の英訳は夜警らの声を聞くのはシオンであるとなっていますが、シオンというのは教会全体を意味するでしょう。シオンは喜びにあふれて栄光の主を迎えるのであります。この栄光の主は恵みに満ちた方であり、真理そのものであり、まことの光であり、神の愛されたひとり子であると歌っています。また私たちは招かれた食卓につくまでキリスに従っているようにと歌っています。

3 あめつちこぞりて 稜威(みいつ)たぐいもなき

      主をたたえまつれ、

  みくらをめぐりて かち歌をうたえる

      みつかいとともに。

  待ちにまちし 主はきませり、ハレルヤ。

  栄(はえ)あるかちうた いざ共にうたわん。

この3節は、天地にあるすべてのものが、神の栄光と権威と主をたたえている素晴らしい讃美の歌であります。この場面は輝く神のみくらまた、それをめぐっているみ使いたちの姿であります。選ばれた者救われた者が天使たちのコーラスの声に合わせて、栄えあるかち歌を共に歌いつつ、待ちに待った主の再臨がいま来たかのようにハレルヤと讃美しているところであります。

願わくば、あなたも私もこのコーラスの一員として、永遠に神様を讃美できるように、今から心の準備をして待ち望みましょう。

  *****************  

この「さんびか物語」は「つのぶえ社」の出版(第一刷1974年、第二刷1992年)で、出版社の許可を得て掲載しています。本の購入を希望される方は、「つのぶえ社」までご注文ください=

 

 ビルマ

  戦犯者の獄中記  (52)  遠山良作 著

昭和22年

9月4日

 タキン党事件の判決と裁判・・2・

 この事件を担当した、外山林一弁護士の調査報告記録によると、

 「本件の被疑者の内、補助憲兵安倍曹長と酒井軍曹はかつて田島少佐の部下でありました。それで田島少佐はその二人に対し、お前たちも何か戦犯の容疑があったら俺に話してみろ、俺が力になってやると、さりげなく話した。安倍曹長と酒井軍曹は、かつての上官であった田島少佐が、まさか英軍のスパイであろうとは夢にも知らず、二人は田島少佐に対し、本件のビルマ人26人を憲兵がトラックに乗せてチャイマロ山中へ連れて行き、日本刀をもって首を斬って殺した状況を詳しく話しました。

 田島少佐は二人から聞いた事実を直ぐに英軍調査官ダスチュゲス少佐に知らせたのです。同調査官は、安倍曹長を呼び出し、印度人通訳ワタン(戦時中日本憲兵の通訳)を使って取り調べました。安倍曹長はその取調べ内容から田島大佐に話した事実を密告されたことを悟りましたが、頑として否認しました。

 同調査官は止むを得ず取調室に田島少佐を呼び入れて、二人で安倍曹長を詰問しました。同調査官や田島少佐は「お前が最後まで否認するなら絞死刑だ。お前が自白しても検事側の証人には立てない。それのみか自白すればお前だけはすぐに日本に帰してやる」と脅迫、誘引、約束により自白を強要しました。

 安倍曹長は相当頑張りましたが遂に調査官に対して自白し、自白調書に署名指印しました。酒井軍曹も同じような取り調べを受けて自白し、詳しい供述書が作成されました。その翌日、安倍曹長と酒井軍曹は、ジープに乗せられ、調査官や田島少佐たちと事件現場であるチャイマロの山中に案内しました。二人は26人の死体を埋めた3箇所を指示しました。人夫がその3箇所を掘り起こすと合計26個の頭蓋骨が現われました。

 調査官はこれらを全部写真撮影し綿密な検証調査書が作成されました。調査官はその後も安倍曹長と酒井軍曹を取調べ、事件に関係している18名の被疑者等の行動を被疑者別に箇条書きにした供述の内容と、酒井軍曹の供述書が殆んど一致しておりました。

 事件の真相を把握した調査官はこれらの証拠を基にして、その他の被疑者を厳しく取り調べました。被疑者の将校4名と下士官2人を除き、全員が自白し、供述書が作成されました」。

*この文章の転載はご子息の許可を得ております。

 

「あなたに聖書を」

「キリスト教百話」・・・31

問20・・8 キリスト教では「罪」と言うことを言いますね。クリスチャンは「われらの罪を赦し給え」と祈っていますが、別に犯罪を犯しているようでもないのに、どうしてあんなことを言うのですか。

答   「罪」と言う言葉は普通には何か悪いことしたことに対して、それは「罪を犯した」という風に使われますね。それが法律に引っかかる場合には明らかな「犯罪行為」とみなされます。その場合は法律に違反しなければ「犯罪」とはなりません。と言うことは、その場合の「罪」というものは、そのほうりつが適用せれる範囲内の人にとって誰もが認める共通の「してはならないこと」が明文化されていますから、「罪」とは何かがはっきりしています。

 <続き> それを聞いた父親は「そうか、お前がそんな風に考えるとは思っていなかった。考えてみてくれ。お前には家もあるし、ここにある財産はみなお前のものなんだ。お前の自由になるものなんだ。そして、オレと一緒に働いてこれたんだ。だが、あいつ死んだと思っていたのに生きて帰って来たのだ。放蕩に身を持ち崩したのは良くない。がそれが悪かったと気付いて詫びに帰って来たのだ。オレは嬉しくてたまらんのだ。どうかオレと一緒に喜んでくれ」と言ったのでしたが、お兄ちゃんは「いいえ、わたしにはお父様のおっしゃることがよく分かりません」と言って、自分の部屋に入ってしまって、口を利かなくなってしまいました。勿論、弟に声をかけるなんてことはしませんでした。だって弟はもう弟ではなくアイツだったのですから。

 さて、父親はここで新しい悩みを抱くことになりました。それは今まで一緒にいたと思っていると思っていた兄息子が、実は自分からは全く遠い所にいたことを知ったからです。兄息子は模範青年であり親孝行息子でありながら、その実、親の思いの届かない遠いところにいたのでした。

 これが父の思いとは見当違いに生きている兄息子の的外れ(罪)であり、この模範生が、自分がいかに自分の父から離れているかを知るまでは、彼に悔い改めでも起こらねば、父の悩みも取り去られることはないでしょう。

 「親の心子知らず」といいますが、「神のみこころ、人間知らず」ということもあります。キリストが語られた放蕩息子の譬え話は、神に対する人間の罪を、実に巧みに語られているものと思います。

                篠田 潔

(日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)

       <7月のラジオ放送予定>  

   7月 5日 楠本 茂貴  (名古屋高等学校・中学校聖書科主任)

     12日 大藪 博康  (名古屋高等学校・中学校宗教部長)

     19日 高見伊三郎  (名古屋学院大学宗教部長)

     26日 葛井 義憲  (名古屋学院大学法学部教授)

         (放送開始1952年10月)

CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ

毎週日曜日朝6時30分~45分放送

 

第69課 キリスト者生活の実践的義務

A 個人の生活上の聖潔を養う義務 

       12:1~21・・・9・・・

「兄弟姉妹たちの助けになろうとの配慮」・・12:4~8・・・2・・1

 時として、他の人が間違いを犯したり失敗をしても、また彼が私たち自身ならばできると思うほどうまくその働きができなくても、私たちは気にかけてはならないのです。神が私たちを置かれた個々の立場において、私たち各人は神への各自の奉仕にひたすら心を用いるべきなのです。もし私たちが教会において特別な役職にあるならば、その職務について忠実に神に仕えねばなりません。もし私たちがそのような役職にないのなら、私たちは置かれた個々の立場において、他の兄弟たちのために役立つように心を用いるべきなのです。

 

 教会内で起きる種々の紛争の多くは、少数の人々の干渉好きなこころによって起こされるのです。「他人のことにおせっかいをする」ことは、神のみ言葉において禁じられており、殺人や盗みと同列に置かれているのです。「あなたがたのうち、誰も、人殺し、盗人、悪を行う者、あるいは、他人を干渉する者として苦しみに合うことのないようにしなさい」(ペテロ4:15)。

 この罪はけっして稀なものではなくて、悪魔をして教会破壊させる機会となるべきものです。時々、教会員の中の一人か少数の者が、絶えず牧師や長老・執事たちの欠点探しをすることがあります。彼らの行動が害を及ぼして、教会全体が沈滞してしまうことがあります。しかし、こうしたあら探し屋たちはキリスト教会の奉仕は何一つしていないのです。それどころか、彼らのお節介が教会を破壊してしまうことがあります。

 もし正当な不満や批判があるならば、個人的に友情と尊敬とをもって直接に言うべきであります。もしそれらが聞き入れられなければ、正規の手続きに従って教会の法廷に提示されるべきです。しかし、密かな陰口や批判は有罪であることを銘記しなければなりません。

 

 ここで私たちは一つの例を挙げることが出来ます。自動車を例にしましょう。全ての部品は、それぞれの機能を果たすように製作されています。スパークプラグはキャブレターの働きをすることは出来ないし、キャブレターはハンドルの役目を果たすことは出来ない。各部品はそれぞれ独自の機能を持っています。各部品が調整して機能を果たすときのみ、自動車は安全に走行出来るのです。従って、運転者は全ての部品を調整して十分に機能させることによって、安全な運転が約束されているのです。

 

 自動車が走行不能になるのは、微細なトラブルによることが多いのです。一本のワイヤーが切れていても車全体の安全な走行を確保することは出来ません。一滴か二滴の水がディストリビューターの内側に入るだけでエンジンが不調になってしまいます。2、3人の教会員が躓きを与えたり、教会全体のために奉仕することを怠ることによって、どんなに多くのトラブルが教会内に起こることでしょう。教会員全体が互いに助け合い調和を保って機能することは極めて大切なことなのです。 

  J.G.ヴォス著

  玉木  鎮訳(日本キリスト改革派引退教師)

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書籍紹介
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エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

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教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
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「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

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「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
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「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
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われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

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さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

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