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2023年7月号  №193 号 通巻877号
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    ほっとひととき『みんなのコーナー』        

  ☆  大阪都構想の信任投票が終わり、何だか不思議な気持ちがしています。賛成。反対双方に、漠然とした不安が漂っています。投票日当日までの熱気?はどこに行ったのでしょう。報道機関の調査では、反対者の多くは高齢者とか、当面は今のまま・・・と言う気持ちが、反対投票にるなら、若い世代に申し訳ない気持ちがあるのか、自治会で話し合った人は無口になってしまっています。わたしのような年寄りは目先のことに関心があり、未来志向はできないのかなあ~。10年、20年先のことに投票権はあるのだろうか・・・と思っています。  大阪府 KBさん

 ☆   6月に入り日差しが強まり、夏の陽気が感じられるようになってきた。中国地方で大山に次いで2番目に高い鳥取、兵庫県境の氷ノ山(ひょうのせん、標高1510メートル)は、山頂付近を覆った雪が解け、新緑の季節を迎えているとの情報で、仲良し3人と一足早く山歩きを楽しむトレッキングを楽しみました。日頃の生活から解放された一日でした。少し筋肉痛ですが、健康であることに感謝です。  岡山県 SKさん            

 ☆   「美しい朝に」さんのこと、お祈りしています。妹が15年以上も難病と戦っていますから、他人事とは思えないのです。妹のために仕事を辞めて、家でできる仕事をしています。両親だけでは無理ですから。今は公的支援も積極的に受けています。最初は、妹のことを世間様には知られたくないと思っていましたが、それは私の思いで、妹の気持ちではないことが分かったからです。私が社会から孤立していました。  徳島県 YKさん

 ☆    今年もこんにゃくの花が咲来ました。老人ホームのばあちゃんが見たいと言うので持って行って見てもらいました。田舎から来た人たちは、自分達で作ってこられたのでしょう。懐かしく見てもらい嬉しく思って持って帰って来ました。 こんにゃくにしていたら咲かなかったのも 何かに役立っているのですね。私もまた 誰かの役に立っているのでしょう。しんどく動けない日々が続いて、どないしょう?と思ってもホームに行くと高齢者達が戦争を体験しつつも今も元気でおられ私も励まされます。 奈良県 TMさん

 ☆  まだ薬の関係でしんどくてしんどくて・・・。でも明日あたりにはよくなってくるでしょう。経験から。予定していたことが、殆ど出来なくて、明日の調子だって分からないのだから、ついイライラします。不調なのはそういうことがあるかもしれません。主人には夕食が手抜きで申し訳ないけど、ゆっくりさせてもらいます。このような毎日で、聖書も読めていません。だめクリスチャンです。   鹿児島県 ONさん

 ☆  私は幼い頃から、両親に愛されたという実体験がない人間なので、恋愛もしたことがありません。家庭や家族のことなども分からないため、結婚についても考えられないまま54年生きてきました。この先もそういう不安の中で過ごすのかな?・・・。人間恐怖、人間不信、男性嫌悪の毎日。「ジャーナル」に出会えて、救われた思いです。  返信メールが支えです。  茨城県 SKさん

  ☆  こんなメールでごめんなさい。先日まで薬の作用についてわあわあ言ってたのに、今日もしくじりをしてしまいました。とにかく寒くて仕方がないので、昼食後、風邪薬を飲み、これでは眠くなるので午後からの作業にならないと思いで、カフェインドロップを噛み砕きました。ただでさえ常人では飲まない薬を飲んでいるのに、しばらくして胸がドキドキしてきました。ヤベー!!慌てて食塩水を飲んで、横になっていたところ落ち着いてきました。全く学習効果がないのだから困った者です。   山形県 SKさん

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  『ありがとうございます』

  早いものですね、もう6月も終わり2015年も半分が過ぎました。紫陽花の綺麗な梅雨入りになりました。 腰痛に悩まされて約3ヵ月半になりましたが、礼拝にはバスと地下鉄で片道一時間ですが行きました。登山用のストックを両手に「ストックウオーキング?」スタイルです。帽子に背広にネクタイ、射光過敏症予防のサングラス、ミニリックを背負い、奇妙な「ストックウオーキング?」スタイルですから、じろじろ見られれましたが、高齢者のニュースタイルですよ!とアピールした感じです。歩ける間は、いろいろスタイル?で頑張ります。体力維持?脚力維持?気力維持?のためになります。

2015年5月16日から6月15日までの「つのぶえジャーナル」事業への寄付者のご報告です。感謝いたします。

大野栄三様 原田美津子様 今井雅夫様 花田 幸様 匿名2名様

   郵振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社 

  お便り下さる方はこのメール アドレス   osamura@kind.ocn.ne.jp をご利用ください。

 「つのぶえジャーナル」(米国南長老教会文書伝道事業)刊行責任者

   つのぶえ社代表   長村秀勝

 

 

   今月のことば 

 主に愛される者、彼は安らかに主のそばにおり、主は終日、彼を守り、その肩の間にすまいを営まれるであろう。

         =申命記33:12= 

 私たちは生活の必要度を考えてみる時、衣食住の内、まとまったお金で購入するものに「家・住まい」があります。「生活しやすい住まい」「健康的な住まい」「格安な住まい」、そして、最近は「環境」が重要な要素になりました。当然のことですが、そこに生活の基を置き、何十年も住み続けるうちに、年齢や家族構成の変化で、使用期限が変わります。

 年齢と共に求めるものにも変化が見えます。安心・安全と共に医療機関が新たに加わる項目です。それは、「安らかな住まい」と言えることでもあります。身の安全のために安全錠に守られ、安全保障会社に守られて得るものではないと知ることは、とても大切なことでしょう。

 核戦争のために「地下壕」を考えても、「安らぎ」を得ることは不可能です。それは、不安の中にいて我慢する「地下壕」です。

 しかし、もし「安らぎ」があるとするならば、それは「地下壕」にではなく、神のもとにしかないとするか、信仰で解決するなんて・・・と思うかを、また、一度、「主に愛される者」について、考えてみたいと思えたら、未来に大きな違いがあることを知ります。それは「主に愛される」「安らかに主のそばにおり」と言う、「安らぎ」です。

 連載されている「あなたに聖書を」の事柄は「放蕩息子」の喩えと言われているものです。また、「失楽園」という旧約聖書の出来事は、「安らかな住まい」を失っている姿です。このどちらも、「永遠の住まいにすむ居住権」「を失った「不安・不安定・絶望」です。

 失ったものを取り戻そうと、人はあわててしまうために、本当のものを見失い、もっと多くのものを失うのです。「取り戻す」のではないのです。「主に愛される者に新にされ」、「与えられることを待ち望む者」されることです。神の国の「永遠の居住権」を頂く者に変えられる時、「主に愛される者」が、「安らかに住まう」住人になるのです。これこそが「福音」です。「福音に生きる幸い」は、イエス・キリストへの信仰にあるのです。

 

   小閑記

 「山は移り、丘は動いても、わがいつくしみはあなたから移ることなく、平安を与えるわが契約は動くことがない」とあなたをあわれまれる主は言われる。

       =イザヤ54:10= 

 この約束の言葉は、何と力強く大いなるみ言葉でしょう。私たちは、日々の生活で起こる出来事に、心乱され、重荷と思い、先の見えない先に不安を感じるものです。山が移り、丘が動くことを見ることは、殆どありません。しかし、日常の出来事は山が移り、丘が動くかのように、思えるのです。このみ言葉に平安を得る人は幸いな人です。 

 人生はさまざまの力に支配されており、不安、阻喪、疑念、批判に心が病んでいるとも言えます。信仰者であっても、自分の愛する子供が神から離れ、手に負えない子供のために母は悲しみ、父も親としての義務の至らなかったことを思い、心沈むのです。

 若いキリスト者でも、この世に神も望みも見出せないままに、時を過ごしている姿は悲しいものです。神様のなさった約束への信仰を失う者の姿は、無力の中へ押し流され、飲み込まれてしまいます。

 

 では、神の言葉に、約束に命をかけてみようではありませんか。神を見上げ、見つめ、信じ、信頼しようではありませんか。地は揺れ動き、崩れ去っても、動かぬみ言葉・約束に足を、心を、信仰をもう一度踏まえようではありませんか。過ぎ去った日々に何時までも翻弄される私たちを、神様は捨て置かず、忍耐と確かさをもって、平和と恵みと愛をもって豊かな信仰者としてくださるのです。それが神の力です。

 

  目には見えない

心に迷いある時には 私たちの目には見えない

私たちを導きたもう 恵み深き主の御手を覚えよ

 

心に飢え渇く時には 私たちの目には見えない

私たちを養いたもう 恵み深く主の御手を覚えよ

 

心まで疲れた時には 私たちの目には見えない

私たちをいたわりたもう 恵み深き主の御手を覚えよ

            =水野源三=    

 

 

世田谷通信

  (141

猫 草

「二兎を追うものは一兎をも得ず」このことわざを考えた人に、私は深く同意する。実際に2匹のウサギを追いかけた経験があるからこその実感があるのだ。

毎日、朝晩2回、うちの裏庭にウサギたちを放してやる。理由はいくつかある。まず運動不足解消のため。ウサギ小屋と言っても、寝る場所と運動場をセットにした1匹けっこう広いスペースはあるのだが、うちのウサギたちは「狭い!」「出せ!」アピールが激しい。そうはいっても家の中に放すと、お互いにオシッコをかけあって、床も壁もベタベタ。取っ組み合い噛みあって毛も飛び散って大騒ぎになる。掃除が大変で、とても出す気にならない。仕方がない、裏庭で存分にはしゃぎたまえ。という感じである。

以前、先代のウサギを裏庭に放していて、ちょっと目を離したら猫に襲われたことがあるので、私も一緒に付き添っている。新聞とコーヒーとケータイも持っていく。時々ランチも持参する。暇つぶしにナンバープレースのパズルでもあれば頭の体操にもなる。こちらは基本的に退屈なのだ。

そして2匹のウサギの本気の追いかけっこがどれだけ速いか。その敏捷さ、軽やかさ、時々高く跳ねて、急激にターン、横跳びしてフェイント、腰を落として加速、距離を詰める為のロングジャンプ。普段ののんびりした姿からは想像もつかない。しばらくすると、疲れるのか木陰で休んでいる。こちらも長時間外にいると蚊に刺されるので、「そろそろ帰るよ!」と捕まえようとする。すると今度はさらにスピードアップして逃げまわる。まさに脱兎。昔の人は上手いことを言う、なんて感心している場合ではない、本当にウサギは捕まらないのだ。口元に指を出すと、噛みつかれることすらある。こちらは「窮鼠・・」でウサギではないが、噛まれるとすごく痛い。ガリッと削ってくる感じ。「飼い兎に手を噛まれる」なんてことわざはないが、ショックな気分はよくわかる。

と言うわけで「二兎を追うものは・・・」とつぶやきつつ朝晩裏庭をうろうろするのである。ご近所には変な人だと思われていないかな。少し心配ではある。

 

 『美しい朝に』・・7・・

4月11日

 大阪は、今は晴れています。毎日、雨続きでしたので、少しの晴れ間でも「ホッ」とします。ようやく、感染症も治まりました。お祈りありがとうございます。

 病気のせいか疲れやすいので、家から出ることも、ほとんどありませんが、出る時は帽子をふかぶかとかぶりメガネとマスクの完全防備です。ホテルのお友達も右手に1回ステロイドの注射で症状は治まったそうです。ステロイドは上手くお付き合いできれば魔法の薬です。

4月15日

 今日は、いいお天気でした。選挙に無事行ってこれました。大阪は、わりと大事な選挙です。すごくたくさんの人でした。明日「血糖値」を調べてもらいに内科に行く予定です。ステロイドの影響と4月のはじめまで炎症反応が高かったので血糖値も高くなってしまいました。血液内科の先生は、「気にしないように」と言ってくださいましたが、厳しいことを言って下さる先生は、私には必要かなと自分に言い聞かせています。薬なしで食事だけでも血糖値は下がりますから、地道に頑張ります。お祈り感謝です。

4月22日

 大阪は晴れです。1錠でだいぶ順調に過ごせていました。でも、血液検査の結果はステロイドの影響で血糖値が高かったです。ステロイドの量を少し今日から減らしたのでまた、だるさが半端ではないです。

4月25日

 良く晴れています。主人に「にゅうめん」を作ってもらいました。血糖値対策に、野菜を多めに食べるようにしています。人参、大根、玉ねぎ、しめじ、わかめ、ブロッコリーなどをコンソメの薄味で1日分たいてもらっています。2階まで、食事をはこんでもらって食べていますが、今日は、めずらしく降りてきて1階で食べました。血圧も160と94くらいで高いですが、血小板が減る可能性があるので、薬を服用できません。やっぱり、寝てきたほうがいいみたいです。1錠(5ミリ)→約半錠(3ミリ)に減らしたので、だるさと戦っています。栄養指導では、野菜を多めにと言う感じでした。毎日、野菜中心では、ストレスがたまるし、ステロイドを減らすには、気分的なものも大切です。体力的に弱らないように時には、はめをはずすのも重要だと思います。

絶食で病院での検査なので、病院の帰りは、いつも特別です。また、1週間に1回くらい家でもはめをはずしています。「つのぶえジャーナル」の更新ありがとうございます。5月に、母がお見舞いに来てくれる時に読んでもらおうと思っています。

4月27日

 いつもお祈りありがとうございます。すぐ近くのポストまで郵便を出しに行くことが出来ました。身体のだるさはありますが、晴れていると頑張れるような気がします。

やっぱり、気分も明るくなるから不思議ですね。でも、27度とか・・・真夏のようでした。

花も写しました。PCがご機嫌がいいうちにお送りします。

4月30日

 電気屋さんが来ることになっているので、めずらしく朝から起きています。おかげさまでよく眠れました。空は快晴で気分はすごくいいです。ステロイドの量も少しなじんできたのかもしれません。はやく、予約日のない生活になりたいです。昨日、母方の叔母からも電話をもらい、元気そうで良かったです。いつも心配してもらってありがたいです。

5月1日

 おはようございます。昨日の早起きから今朝も起きています。空は快晴で、やはり気持ちがいいです。枕カバー。布団カバー洗濯しました。よく乾きそうです。主人に「この前も布団カバー洗濯して体調崩したからやめときや」と言われてしまいました。倒れるまで動くのは反省です。結婚記念日のお食事をしたところのししおとしの写真が涼しげなので、お送りします。

5月8日

 今日は良いお天気です。昨年10月に退院してから、クリスマスツリーを写した時以来2度目のバスで天王寺までたどり着き、花を写してきました。行きのバスは主人に付き添われ、天王寺では母に待っててもらい、倒れそうになりながら花を写して、無事バスで帰ってきました。引き篭もりから1歩前進しました。外は、夏日でしたが力作お送りします。

5月11日

 おはようございます。いつもお祈りありがとうございます。昨夜は残念ながら眠れませんでした。でも、しんどくはなかったので朝早く起きてしまいました。今朝、家の玄関で咲いた花です。去年も咲いてくれたのですが、今年も咲いてくれました。蘭の種類らしいですが、なんか、とてもうれしいです。腰痛が少しでも和らぎますようにお祈りします。

5月12日

 こんにちは。今日は、台風の影響か雨の1日でした。いつもお祈りして頂き感謝です。19日(火曜)が外来の日です。なんとか、前倒しせずにいけそうです。昨日の分を取り戻すかのようによく眠れました。昼ごろまで寝ていたのに、また夕方まで寝ていました。昼寝たら、夜寝れないと常識のように言われますが

それは健康な人のことだと思います。

 病気や不眠の場合は症状が落ち着いてて、寝れる時に少しでも寝ておくのが

体力温存の方法ではないかと思います。また、導入剤を服用しても昼も夜も寝れなくても、身体を横にしているだけでも寝たのと同じと自分に言い聞かせ「あせらないこと」が大切だと思います。深呼吸して、おでこだけ冷やすのも良いと思いますね。

      (このメール文の掲載はK・Aさんの了承を頂いております)   

 

  その愛のゆえに

   =時々の記=

      (110)

4月23日

 春宵(しゅんしょう)や青畝風土記を一寸読む。
 子に続く母の自転車春の風。
 死の床に望みこそあれイースター。
 十字墓新たに建つる桜かな。
 気高さで装ふ信徒イースター、
 奥伊賀の山点々と山桜。           馬場路哉。
 主人は俳句を作るのをとても楽しみにしています。このようにたくさんジャーナルに載せていただくと余計励みになるらしいのです。不思議なものです。ジャーナルに載せていただいてから山添村の俳句会でもよく載せてもらうようになりました。毎日、自然を見つめては俳句をひねっているのが頭の体操になっているようです。読んでいただく皆さんには申し訳ありませんがお許しください。
5月2日

 春の空青く映せるよどみかな。
 車いす花下(かか)へと進む介護かな。
 大振りの白れん無垢を呈すなり。
 歴史ある学び舎の桜老いにけり。
 西行も夕焼を斯く(かく)眺めけむ。     馬場路哉
 庭の老木、松、紅葉、ひばの木々が枯れてしまいました。かなり長い間私たちを楽しませてくれた木々です。とても寂しくもあり残念です。松やもみじの代わりにさて何を植えたら良いか主人と二人で考えました。今日からゴールデンウィークの始まりです。息子の仕事はお正月もゴールデンウィークもありません。日本郵便は日夜動き続け、働き続けています。お隣の家では田んぼに水を張りいよいよ田植えの準備です。それぞれの過ごし方があるようです。

5月4日

 こちらは今、田植えの真っ最中。田植えは今はすべて機械がしてくれるようです。その機械がとても便利なのですが故障も多くて大変だと農家さんは言っておられました。
白く精米されたお米を当たり前に口にしている日々。田植えをする前の田おこし、水張りを整備されてから苗を植え付けるようです。その後、何度も田んぼの中に入って害虫駆除、雑草がはびこるのを防ぎ、毎日の犬散歩で田んぼ路を通るたびにその風景が刻々と変化していきます。脇目も振らずにお仕事をされている老夫婦のお姿には頭が下がりっぱなしです。幼い頃、祖母に一粒のお米を大切にしないと目がつぶれる、と厳しく言われたことが思い出されるのです。農作物はどれをとっても自然との闘いです。
そのことを考えると農家さんのご苦労がひしひしと伝わってきます。
5月7日

 昨日、夕方台所に立っていつものように夕ご飯の準備をしていましたら、一瞬のことでしたので何が何だかわからないまま、私は台所の床に思い切りたたきつけられて横倒しになっていました。主人は少し離れたところにいたので振り向くと私の姿が見えない。見ると台所の流しの上に備え付けてあった30キロから40キロの戸棚が落ちているのでした。老朽化した重い戸棚が突然私の頭の上に向かって落ちてきたのです。幸いにも、思い切り頭を打ったのですが意識はありました。どこからか血が出ているような痛みが走ります。主人が起きられるか?とたずねるのですが、起きられそうにない、と答えました。頭が痛いのではなく顔のどこかが激しく痛みます。首も痛い。でも、そのような中で何分か経ったでしょうか。体をこわごわ動かしてみると起き上がれそうなのです。思い切って起き上がってみると、大丈夫でした。足は痛みますが歩くことができました。そして顔面は大きなこぶが額にできていただけでした。どこからも血は流れていませんし、何とか寝室まで歩いて行き、頭を氷で冷やしていると、震えが出てきましたが、救急車を呼ばなくてもよいと判断できました。今朝まで我慢してその痛みが一層激しくなってきていたら外来外科へ連れて行ってもらおうと考えました。
 起き上がったり、服を着替えたりの動作をするときに痛みが走りますが何とか一晩が過ぎました。家の中にいて、このような事故にあうなんて考えてもいませんでした。
夕べの祈りで主人と二人で神様の憐みによって助けていただいたことに深く感謝いたしました。今朝はいつも通りに起きて、朝食やお弁当を作ることができるまで痛みは和らいできました。今までと違うことは今まで以上に記憶装置が鈍くなってしまったことです。悲しいですが思い切り頭を打ったのですから、それで脳のどこかにダメージがいかないはずがありませんよね。それでもこうしてパソコンに向かっていつものようにメールを打てていることにとても感謝しています。
5月11日

 先ほどまでの青空とは変わって、急に激しい風と黒い雲が覆ってきました。天気予報によりますともう大きな台風が発生し、沖縄に近づいているとか。まだ五月。本来なら風薫る五月ですのに、もう台風がやってくるとは・・・。異常気象ですね。
 私の方は、おかげさまで、普通の生活にもどりつつあります。今日はいつものように犬たちと散歩ができましたし、施設に入所している親戚のお年寄りをお見舞いに行ってくることができました。でもまだ、車で名阪国道を走るのはとても怖いのです。身体がうまくとっさの反応ができにくくなっているように思うからです。主人もぎっくり腰になり、二人そろってスローモーションの生活です。時間はかかりますがこれもまたのどかなものです。 母の日、ちょっぴり食事つくりを休ませてもらうことができました。
 馬場暁美

上野緑ヶ丘教会

 

  解説 ウエストミンスター信仰告白 (36)

   岡田  稔著

  (元神戸改革派神学校校長)

第17章 聖徒の堅忍について・・2・・

3 それにもかかわらず、彼らは、サタンとこの世の誘惑、自分のうちに残っている腐敗の優勢さ、また自分を保持する手段を怠ることによって、ひどい罪に陥り(1)、しばらくの間そのうちにとどまることがある(2)。このため彼らは、神の不興をひきおこし(3)、神の聖霊を悲しませ(4)、自分の受けている恵みや慰めをある程度奪われるようになり(5)、心をかたくなにし(6)、良心を傷つけ(7)、他の人々をつまずかせ(8)、また自分に一時的審判をもたらす(9)

  1 マタイ26:70,72,74
  2 詩51(表題)(51:1,2)14(51:16)
  3 イザヤ64:5,7,9(4,6,8)、サムエル下11:27
  4 エペソ4:30
  5 詩51:8,10,12(10,12,14)、黙示2:4、雅5:2-4,6
  6 イザヤ63:17、マルコ6:52、マルコ16:14
  7 詩32:3,4、詩51:8(10)
  8 サムエル下12:14
  9 詩89:31,32(32,33)
コリント11:32

三  わたしたちはここで、絶対的と言うことに対して、それが一時的、または部分的であると言うことを考えなければならない。聖化の教理で、特に学んだようにある。その意味で、ホーリネス派またはメソジスト主義と呼ばれるものの一つの誤った考えを、わたしたちは厳しく排除しなければならない。

 完聖主義者の誤りは、一つには、この絶対と部分または一時的との区分を、十分に気を付けて考慮しないところから生ずるものではないかと思われる。救いの確かさは、究極的には断続するのではなく、持読するものであり、また完全な姿において実現するのは一定の時の経過をたどった後のことである。地上の生活にあっては、それには消長があり、常に未完成である。

 本項は、主として、この部分的または一時的な、確実性への危惧となる事情に関して、その生じるところを明らかにしている。すなわち、悪魔とか、世とか、また自分自身の中に残っている本質の腐敗とか、さらに、神より教会に命じられている恵みの手段の行使に関する不忠実、不注意といったもの、それらは、すべて罪とその力に関係するもの、被造物とその意志能力に関係するものばかりである。

 つまり、この確実性を一時的また部分的に危惧させるものは、ことごとく被造物とその罪に原因するものである。このことは同時に、この不確実性を全面的また最後的にしのぐことはないことを物語るのである。マルチン・ルターの有名な言葉に「大いに罪を犯せ、しかし、それ以上に信仰を持て」と言うのがある。

 これは十分注意しないと、とんでもない誤解を生む言葉であるが、その真意は、被造物の罪から出る力は、とうてい神の救いのみ業の上に出ることがない、と言う事実を強調しようとしたものである。カルヴィン主義は、実にこうした意味で神とその恵みの絶対性を告白することに外ならない。

 カルヴァンの「キリスト教綱要」1巻の17にある、悪魔論の中にも「悪魔はやはり神の使い、人間の救いのために役立つ被造物」というのがあるが、同様の主旨として味わうべきでことだと思う。

     *******

 この文章は月刊「つのぶえ」紙に1951年(昭和26)10月号から1954年(昭和29)12月号まで書き綴ったものを単行本にしたものです。「つのぶえジャーナル」掲載には、つのぶえ社から許可を得ています。「ウエストミンスター信仰告白」は日本基督改革派教会出版委員会編を使用。

単行本購入希望者は「つのぶえ社」に、ご注文下さい。¥500

465-0065 名古屋市名東区梅森坂4-101-22-207「つのぶえ社」宛

 

 

さんびか物語・・・15・・・

    (広く愛唱されている50曲)・・・14     

 ポリン・マカルピン著

          (米国南長老教会婦人宣教師) 

讃美歌163番

 あまつみつかいよ           

<神様のみ言葉>

「また、私は開かれた天を見た。見よ。白い馬がいる。それに乗った方は、『忠実また真実。』と呼ばれる方であり、・・・、その頭には多くの王冠があって、・・・、血に染まった衣を着ていて、その名は『神のことば』とよばれた」。・・・。その着物にも、ももにも、「王の王、主の主。」という名が書かれていた」。               

=ヨハネの黙示録19章11~13節、16節=

1世紀の終わり頃、使徒ヨハネが信仰のために、パトモス島に島流しになった時、主イエス・キリストが、神のみ使いを遣わして、すぐに起こるはずのことを黙示をもって僕ヨハネにお告げになったと、ヨハネの黙示録1章1節に記されています。

作詞者エドワード・ペロネットは、このヨハネの黙示録を通してお現われになった王の王、主の主を讃美歌163番あまつみつかいよを中心的な柱にして歌っております。同時に、主イエス・キリストの主権についても歌い上げておりまして、優れた歌を書いたその才能を、神様に讃美したいと思います。英語の讃美歌でこれほどよく知られ、評判の高いものはないそうです。

エドワード・ペロネットはイギリスのケントで生まれ(1726~1792)ました。祖父はフランスからの新教の亡命者であり、父のビンセントはスイスからイギリスに移って、50年間ショウハームの国教会の聖職として勤めました。

父のビンセントは有名なウエスレー兄弟を支援したのですが、国教会からは脱退しませんでした。しかし、息子のエドワードの方は、お父さんよりも一層メソジスト運動に賛同して、若い頃はジョン・ウエスレーと共に伝道したりしていたと言われております。しかし、その後、いろいろな問題に関連して意見が合わなくなったために、別々になってしまいました。

その後、ペロネットは教派から教派へと移って、最後には、カンタベリーにあった非国教会のある教派の牧師として、その生涯を終わっています。ペロネットがカンタベリーに移って間もなく、ウイリアム・シュラブソールという非常に才能のある青年と仲のいい友人となりました。

シュラブソール(1760・1~1806・1)は、かじ屋の息子としてカンタベリーで生まれました。小さい時から音楽が好きで、カンタベリーの有名な大聖堂の聖歌隊員として7年間、歌っていました。同時にそこでオルガンをも学びました。

シュラブソールの20歳の時に、この163番の曲MILES LANE

(彼がオルガニストとして勤めていた教会の名前)がThe Gosepel agazinという雑誌の11月号に発表されましたが、作曲家名が記されていませんでした。その同じ11月号の同誌に、エドワード・ペロネットのイエスのみ名の力を仰げよ(163番の英語の表題)の一部だけが無名で初めて発表されました。

曲MILES LANEは、ペロネットの依頼によってシュラブソールが作ったと言われていましたが、最近、この節を疑問視した意見が出ましたが、やはり、従来から言われております通り、依頼によるものと思われます。ともあれ、この二人の素晴らしい才能と深い信仰の結びあわせによって、このような貴重な作品が出来上がったのは世界中のクリスチャンにとりまして、大きな惠みと言えましょう。

翌1780年版のCollection of Palm  Tunesにおいて、初めてシュラブソールの名前がMILES LANEの作曲者として記されました。更に、ペロネットは1785年に完成されたイエスのみ名の力をを彼のOccasional Versesという機関紙に発表しました。これは、今日では世界中の大変めずらしく貴重な本として知られていて、今では二冊しか残っていないそうです。

シュラブソールは22歳でバンガの大聖堂でオルガニストとして選ばれましたが、非国教会と関係を持ったことを理由に辞めさせられました。それで彼は、ロンドンへ移り音楽の教師となり、非国教会のスパフィルドチャペルのオルガニストとなって、亡くなる1806年1月18日まで終生勤めました。

<163>

1 あまつみつかいよ イエスの御名の

  ちからをあおぎて

  君の君、主の主とほめよ。

2 いのちをささげし あかしびとよ

  ダビデの御裔(みすえ)を

  君の君、主の主とほめよ。

3 世のつみびとらよ イエスの愛と

  なやみをおもいて

  君の君、主の主とほめよ。

4 よろずのくにびと みまえに伏し

  みいつをあおぎて

  君の君、主の主とほめよ。

5 とわに世をしらす イエス君にぞ

  かむりをささげて

  君の君、主の主をほめよ。  

 素晴らしい讃美歌163番の言葉を読み、また歌うにいたしましても、深く感じられるのは、その3行目の君の君、主の主というクライマックスであります。この日本語訳は最も聖書的であり、英文の原作のすべてのものの王として王冠をさずけよう!よりも、本当に優れたものであると思います。

また、この言葉とシュラブソールの曲を合わせて歌います時、讃美歌としての無上の喜びと幸いを味わい知ることができると思います。

1節では、作詞者はみ使いたちに向って歌っているようです。あまつみつかいよ、イエスのみ名のちからをあおぎて、主とあがめよと奨めるのであります。この奨めを頂いて、私たちもイエスのみ名によってのみ、祈りを捧げる資格が与えられていることを決して忘れはありません。また、すべてを造り、すべてを治め給うのは三位一体の神であられることを覚えて、そのみ名の力を仰ぎましょう。

2節では、「神のことばと、自分たちが立てたあかしとのために殺された人々」(黙示6:9)、つまり、いのちをささげしあかしびとに向かって、ダビデの御子であったイエス・キリストを主とあがめよと歌っています。

ここで思い起こさせますのがイザヤ書の有名な11章1節であります。

「エッサイの根株から新芽が生え、その根から若芽が出て実を結ぶ」。また、しゅろの木の枝をとって出迎えのために出て来て「ホサナ、祝福あれ。主の御名によって来られる方に」(マタイ21:9)とイスラエルの王に叫んだ群衆の声であります。私たちは、このように主をお迎えできているでしょうか。

3節では、私たち一人一人に向かっての呼びかけです。世のつみびとらよと歌っているからです。私たちはみな、このグループの一員です。みな罪人なのです。主イエス・キリストの贖いの十字架の死がなければ、誰一人の例外もなく滅びなければならない者です。ですから、イエスの愛と悩みを忘れてはなりません。

4節と5節では、世のすべての人々に呼びかけて、よろずの国々の人々が主イエス・キリストは唯一の主権者であり、絶対的な王であり、主のみ名とみ前にひれ伏して、その栄光と尊厳とを仰がなければなりません。また、永遠に世をご支配し治め給うイエス・キリストに君の君、主の主としての冠を捧げてほめたたえなければならないと歌っています。

この作者の呼びかけは、神様ご自身が遠い旧約聖書の時代から語っておられることであります。イザヤ書45章23~24節であります。

「わたしは自分にかけて誓った。わたしたちの口から出ることばは正しく、取り消すことはできない。すべてのひざはわたしに向かってかがみ、すべての舌は誓い、わたしについて、『ただ、主だけ、正義と力がある。』と言う」。

ヨハネの黙示録11章15節にありますように「この世の国は私たちの主およびそのキリストのものとなった。主は永遠に支配される」キリストが再びこの世に来たり給うて悪魔を滅ぼし、すべてを、新たにするその日を預言しているのでありましょう。

どうぞ、私たちもその日のために希望をもって、正しく、また、雄々しくキリストの僕としての証しの歩みをいたしましょう。

  *****************  

この「さんびか物語」は「つのぶえ社」の出版(第一刷1974年、第二刷1992年)で、出版社の許可を得て掲載しています。本の購入を希望される方は、「つのぶえ社」までご注文ください=

 

 ビルマ

  戦犯者の獄中記  (51)  遠山良作 著

昭和22年

9月4日

 タキン党事件の判決と裁判・・1・・

 8月11日から開始されたタキン党事件の判決があった。

憲兵大尉  東  登  絞首刑

憲兵少尉  中山伊作  絞首刑

憲兵曹長  月館孝吉  絞首刑

他下士官  6名    絞首刑

憲兵上等兵 1名    絞首刑

憲兵軍曹  1名    7年

憲兵軍曹  1名    5年

補助憲兵  阿部曹長  2年

補助憲兵  酒井軍曹  2年   の判決である。

 死刑だけはないことを祈っていたことも空しく絞首刑10名の酷い判決に驚き、拭えども流れる涙は私だけではなかった。この事件は、英軍戦犯調査官たちがビルマにおける、憲兵が行った最大な残虐事件であると宣伝し審査に全力を傾けた事件でもあった。

 当時ビルマにおける日本軍の敗色は濃厚となり日本軍に協力し独立を目指して来たビルマ防衛軍は日本不利なりとの情勢を知るや、日本軍に対して反乱をし、各地においてゲリラ戦を展開した。

 昨日の友は今日の敵である。飢えと疲労で戦意のない敗走する多くの日本兵は殺害されつつあった。軍や憲兵隊司令部からも「反乱軍に関する情報を収集し、中心人物は抹殺すべし」との命令が発令されていた。

 モールメン憲兵分隊は、反乱軍と関係のある容疑者として警察本部長をはじめ有力なタキン党員たち約80名のビルマ人を逮捕し、取り調べた。容疑のない者、容疑が軽微な者54人を釈放し、ゲリラ活動の一味と決定した重要人物26名を、憲兵司令官久米大佐、東南憲兵隊長粕谷中佐の命令によって「全員、処刑した」。終戦20日前のことであった。

 さて、英軍当局は日本の憲兵を戦犯者に仕立てビルマ民衆の面前で裁判と言う裁きによって、民衆の反発心を日本軍に向け、英軍の権威の復活と民衆の心を把握する占領政策をとった。英当局は有力なタキン党員が殺された事件を民衆の前に明らかにすることが最も良い策であると、この事件の究明に懸命になった。彼等は終戦以来厳しい調査を開始したが、憲兵の口は固く、終戦後すでに一年有半を経過したが捜査は困難を極めた。

 英軍の調査官ダスチュゲス少佐は、戦犯容疑者として拘禁中の田島少佐が麻薬患者であり、英語を話せることに目をつけスパイとして刑務所内を探らせた。一年半も刑務所生活をしていた人が、なぜ麻薬患者であったのか。どうして麻薬を入手することが出来得たのか。ここに拭いきれない疑問が残される。

*この文章の転載はご子息の許可を得ております。

 

 

「あなたに聖書を」

「キリスト教百話」・・・30

問20・・7 キリスト教では「罪」と言うことを言いますね。クリスチャンは「われらの罪を赦し給え」と祈っていますが、別に犯罪を犯しているようでもないのに、どうしてあんなことを言うのですか。

答   「罪」と言う言葉は普通には何か悪いことしたことに対して、それは「罪を犯した」という風に使われますね。それが法律に引っかかる場合には明らかな「犯罪行為」とみなされます。その場合は法律に違反しなければ「犯罪」とはなりません。と言うことは、その場合の「罪」というものは、そのほうりつが適用せれる範囲内の人にとって誰もが認める共通の「してはならないこと」が明文化されていますから、「罪」とは何かがはっきりしています。

<続き> こういうことから言って、「救い」とは自力ではいかんともし難い状況からの解放であると言うことが出来ます。そのままでは一番大切にしなければならない父親との関係を失った見当違い(罪)で終わってしまいます。そして、父親から「死んだ者」としてしか見られないままで終わることになります。その罪が赦され、その死から解放されて新しい生きた関係に入れられることが「救い」なのです。

 では「救い」とは、放蕩息子のように、自分の力ではどうしょうもないほどのどん詰りに陥った人だけに必要であるかと言うと、そうではありません。先述したよういに万事好調で「みんな間に合っています。救われなくてはならないなんてことは全くありません」という人もおります。が、そういういい気分でおられるのは富んでいるからであって、貧した時には鈍する自分の人間性を弁えていなかったり軽視しているからです。

 これに関連して、放蕩息子の兄のことに触れますと、このお兄ちゃんは、長男としての責任を感じていたせいもあったかも知れませんが、弟と違って、家業に励んでいて、父親も喜び、近所隣り、親類からも模範青年と認められ、親孝行息子と評判にされていました。

 本人もそのことでは「俺はアイツ(弟)みたいではないぞ」と自負するところ、があったでしょう。彼はある日、仕事から帰って来ると、家の周りがいつもと違って妙に賑わしく、近所のおかみさん連中が鍋釜をもって忙しく出入りしている。で家の中をちょっと覗くと何やらご馳走が沢山並べられていて、ただ事でないように見えたので、一人をつかまえて「オレ何も聞いていないが今日何事があったね」と聞いたところ、「実は、あなたの弟さんが帰って来られたというので、オヤジさん大喜びで、親戚や近所の人まで呼んで、「みんな一杯やってくれ」と言っておられるところですよ」という答えだったのです。

 こういう時の兄息子の反応は大体見当がつくと思います。「まずは、怒ったのではないか」ということです。その通り、兄息子は、それと知って、呆れるのを通り越して、頭の中が怒りでかっかとしてきました。

 そこへ、兄息子が帰って来たものの、表でただならぬ顔つきをしていると聞かされた父親が「いつもなら『ただ今』と言って家に入って来るのに、今日に限ってそうではないとはどうしたことか」と外へ出て見ると、何とまあお兄ちゃんが真っ赤な顔で「オヤジ、聞けばあんたの息子が帰って来たと言うことで、大喜びの大盤振る舞いをしていると言うじゃないの。あのあんたの息子はよ、貰うものはみんな貰って家をおん出て、自分勝手にやりたい放題のことをやってよ。噂では遊女と遊び暮らして、挙句の果ては豚飼いにまで落ちぶれ果てたと言うんじゃないの。親戚にだっていい面汚しだし、近所の人だって『どうしてあんな子が生まれたのかね』と言っているのを知らないの。故郷にぼろをまとって帰って来るなんて、どの面下げてそんなことができるというの。あんな奴、普通なら牛小屋に寝泊まりして冷や飯喰ってりゃ御の字というものよ。オレが友だち呼んで一緒に飯食った時には何のご馳走もしてくれなかったのに、放蕩野郎のアイツには子牛を殺して大ご馳走だと。オレ、もう言うことないよ。あなたの好きなようにやればいいよ。オレには関係ないことだから・・・」と言ったものでした(ここで「そうだ、そうだ、それくらいのこと言うのは当然だ、もっと言ってやれ」と言う声が聞こえてきそうです)。

                篠田 潔

(日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)

       <6月のラジオ放送予定>  

   6月 7日 沖崎  学 (金城学院高等学校宗教主事)

     14日 沖崎  学 (金城学院高等学校宗教主事)

     21日 後藤田典子 (金城学院中学校宗教主事)

     28日 後藤田典子 (金城学院中学校宗教主事)

           (放送開始1952年10月)

CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ

毎週日曜日朝6時30分~45分放送

 

第69課 キリスト者生活の実践的義務

A 個人の生活上の聖潔を養う義務 

       12:1~21・・・8・・・

「兄弟姉妹たちの助けになろうとの配慮」・・12:4~8・・・2・・

 神の栄光は、キリスト教の教職者のみならず、キリスト信者の農夫・事業家・教師たち、すべて合法的な職業をもって人生を歩んでいる人たちによっても現されているのです。すなわち、キリスト教信仰を真剣に奉じ、日常の生活の中に聖潔を保ち、常に進んで人々を助けることに努力する人々によって、教職者に劣らず、神の栄光は現されるのです。

 

 J・G・ヴォスの経験によると、中国に伝道していた多くの宣教師たちは教職者になろうとする人々を失望させなければならなかった経験を多く持ったでしょう。多くの中国の人たちが回心して、直ちに神学校に行き、伝道者になろうとしています。それらの人たちがキリスト教に回心することは、直ちに公的に献身に召されることではないということを、彼らの心に教えることが極めて必要なことでした。そして、教会においては教職者になろうとする以外に、神に仕える多くの方法があることを教えなければなりませんでした。

 キリスト教実業家、医師、農夫、公務員、母親、主婦によっても、教職者と全く同じく、神の御名は崇められ、栄光は現されるのです。パウロはキリスト信者の聖潔は他人を助けることにおいて現されることを強調しています。彼はいろいろのキリスト教的活動や義務を挙げています。すなわち、預言・教えること・勧めること・与えること・治めること、慈善などです。

 ここで預言と言われていることは、現在では宣教と言われていることと同意であると考えてよいでしょう。説教したり、集会において語り合ったりすることです。奉仕(ministry)は教会のおける種々の奉仕義務を指しています。教えることや勧めることは前述のことと特に区別する必要はありません。いろいろの見地から見た同じ働きと考えてよいでしょう。

 

 ここで注意すべきことは、パウロが私たち一人一人に自分自身の働きによって仕えるように命じていることです。教える者は教えることによって仕え、勧めをする者は勧めることによって仕えることです。すなわち、私たち一人一人に神が為すように委ねておられることを、私たちは専心実行するべきなのです。私たち各人が、自分自身の為すべきことと他人の役に立つことが出来る機会とに絶えず注意を払っていることを命じているのです。

 神が各人に為すように委ねておられる働きに厳しく意を用いることに勝って、教会を助け、神を喜ばすことは他にないのです。ペテロがヨハネについてイエスに、「主よ、この人はどうなのですか」と尋ねた時、主が言われた言葉、「・・・あなたにはなんの係わりがあるのか。あなたは、わたしに従ってきなさい」(ヨハネ21:21~22)を覚えているべきです。

  J.G.ヴォス著

  玉木  鎮訳(日本キリスト改革派引退教師)

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緑を大切に!
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書籍紹介
    8858e3b6.jpg
エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

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教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
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「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

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「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
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「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
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われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

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さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

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