忍者ブログ
2023年7月号  №193 号 通巻877号
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

 

    ほっとひととき『みんなのコーナー』        

 ☆  ・・・。田んぼには水が太陽の光で輝いています。私の家は三代続いている専業農家です。今年3月に農林高校を卒業した次男が、兄と一緒に田植えの準備をお父さんとやっています。忙しそうですが、とても楽しそうです。農業経営は難しいと言われていますが、夕食の時には何時も仕事の話で大賑わいです。娘はビニールハウスで高校時代の友人三人で花の栽培をしています。今は、暖房費の節約方法を研究中とかで、ここでも娘たちは夜遅くまで、何かやっています。若い人って疲れないのですね。   宮崎県  C・Uさん

 ☆  都内の公団に入り10年目になり、当番制とかで役員になりましたが、それまで無関心だった人たちのことを見直してみました。ほぼ100%の人は地方出身者で、それぞれ故郷に両親がおられます。また、団地に居られる一人生活者の多くは都内か近郊にお子さんが居られますが、余り行き来はないで、自然に一人生活者になっていることでした。病気や事故で連絡するための名簿作りは長年の課題なのだそうですが不十分とのこと。その理由に驚きました。子供たちに迷惑かけたくないからと、子供たちが嫌がるというものでした。「絆」「おもてなし」が日本人の美徳とされ、私もそのように思っていましたが、だんだんとそのような思いが希薄になる寂しさを感じ、出来るだけ朝晩の挨拶に心がけるようにしています。反省を込めての投稿です。  東京都 S・Tさん

 ☆  人気のない公園の桜の花も散り、今は新緑に彩が変りました。砂場にある藤棚には薄紫の花が雨に濡れています。町の中の落ち着いた静寂の空間を傘をさしながら見つめていました。   兵庫県  T・Tさん    

 ☆  子供たちの甲高い元気な声が消えた通学路。過疎の村の校舎に今年もツバメが元気に飛び回っていると、幼馴染が教えてくれました。村では廃校の再利用を話し合っているそうです。高齢者向けの再利用の方法ではなく、次の世代に橋渡しできる方法を考え出して欲しいものです。私たちには理解できない高校生のアイデアに何か希望が持てる感じを抱いている者です。村おこし、町おこしのことばは聞かれますが、話し合っている大人たちは超高齢者ですから、とっぴな発想は期待できないと思うことは責任回避ではないでしょう。大人や家族の体験林間学校なんてどんなのかなあ・・と思いながら自然豊かな外を見つめています。   徳島県    Y・Sさん

 ☆  今年の母の日も過ぎました。母の母教会に十数年ぶりに 礼拝に出席することが出来て感謝です。昼食を止めずに行きましたので、教会で過ごした時間は短いですが母が、神様をはっきり信じていると言ったので、これからは教会に出来るだけ連れていけたらいいと願っています。教会の昼食メニューが早めにわかれば外出届けを出してゆっくりさせたい、耳も遠くなりメッセージも聞き取れないようですが、神様の恵みの中にいる喜びが感じられたらと思っています。田舎にいる時はなんだかんだ言って教会にあまり行かない生活でしたので今は、私の近くの特養に入っていますので、毎週でも行けるのが 本当に感謝です。私の方もしんどい日でも夕方になると母のところに行かねばとなれます。今しか出来ないことかも知れません。病院と縁を切ることが出来ないが、私が母といる時を与えられているのですから感謝して過ごして行きたいと思っています。  奈良県  TMさん                                                                                        

 

PR
 

  『ありがとうございます』

 学業を終えて社会人となった若者が、この「つのぶえジャーナル」から、両親のことを想像し考える機会になりました、とメールがありました。余りにも身近にいる両親、そこに何の疑問も違和感もないまま生活してきた今までから、母の日などを考え始めている姿に、人の成長が節目によってなされるこていることを知りました。 

 それは、若者だけではないようです。つい先日まで元気に買物や散歩に出かけていた人が、小さな病気から「病床の人」という状態になり、検査、検査の日々の身になり、驚愕の人もおられます。病室の窓から見る外の風景に、やっと落ち着いて眺めていますとメールくださった滋賀県のTIさん。お元気になってくださいと、返信しました。

 新緑の中にある施設におられる徳島県のSLさんの様子をご家族が教えてくださいました。「つのぶえジャーナル」という小さな出会いが心の輪を広げてくれます。皆様のお祈りに支えられて6月号をお届けできることを感謝しています。寄付金をいただきました。感謝です。

島袋はなに様 山下秀雄様 太田敏子様 長津 栄様 池田久子様 石田美智子様

     2015年4月16日から5月15日まで

   郵振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社 

  お便り下さる方はこのメール アドレス   osamura@kind.ocn.ne.jp をご利用ください。

 「つのぶえジャーナル」(米国南長老教会文書伝道事業)刊行責任者

   つのぶえ社代表   長村秀勝

 

 

   今月のことば 

 シオンの子らよ、あなたの神、主によって喜び楽しめ。

      =ヨエル2:23=

 この喜びには、様々なものが先立っています。それは、「怠け者の天国」での喜びのように、思いがけない姿でおとずれるものではありません。誰かが急にやってきて、主によって喜び楽しむと言うものでもありません。

 「主の日が来て近づいた」ということを予め語りかけられていた、極めて特定の人々が、喜び楽しむことです。預言者ヨエルのこの章には、「暗く、薄暗い日、雲の群がるまっくらな日」(2:2)について語られています。そして、そのような日を告知した後で「あなたがたは衣服ではなく、心を裂け」(2:13)と語られています。「断食を聖別し、聖会を招集せよ」(2:15)、「主に仕える祭司たちは、廊と祭壇との間で泣いて言え、「主よ、あなたの民をゆるしてください」と」(2:17)などの要求が発せられています。

 そして、それらすべてのことが語られ遵守され、実行された後ではじめて、ちょうど嵐の後の夕暮れの地平に現れる銀色の筋のように、「あなたの神、主によって喜び楽しめ」という思いがけない使信が出現するのです。

 汚染を清める嵐の後の大気が特別透き通っていて、鮮やかに展望が開けるように、この聖句が語っている「主によって」の喜びは、比類なき特別な喜びなのです。罪のゆえの悲しみが、最も深い悲しみであると同様に、神との和解を与えられた良心の喜びは、最も純粋な喜びであります。それは、神に愛された神の子にのみ与えられた特権・恩寵です。

 しかし、神に愛された神の子、神の恩寵を味わった者でも、その不完全と弱さのゆえに、その恵みの味を忘れて、見える物に心誘われるのです。その弱さを知り、神のみこころに添う喜びを乞い慕う一日、一日でありたいものです。

 

   小閑記

 それからすぐ、イエスは自分で群衆を解散させておられる間に、しいて弟子たちを舟に乗り込ませ、向こう岸のベッサイダへ先におやりになった。

      =マルコ6:45=

 信仰者が陥る事柄は沢山あります。イエスは奇跡によって、食物の問題を解決したので、人々はイエスを王にしようと望みました。弟子たちもまた、前途に明るい未来を見たのでした。彼らには、イエスに従うことは、経済的にも引き合うことを人々が分かってくれる日が近いと思われたのです。

 主は彼らをこの異端から救わなければなりませんでした。そこで、彼らを嵐の夜の闇の中へ送り出したのです。

 キリスト者となったならば経済的な利得があるという考えを信仰者が持ち始めると、危険は近いのです。「きよくあることはすべてに有益である」ということは真実です。しかし、もし、経済的利得が、キリスト教的徳の報酬であると考えるならば、私たちはとんでもない間違いをしているのです。そしてもし神の祝福をそんなふうに誤解するならば、主は今でもその愛する者たちを、その最もこのましくない道へ送り出すことがお出来になるのです。

 主は困難と貧困の中に私たちが労苦するのを見ることを好まれるからではなく、キリスト者であることは、物質や富を所有するよりも、口では言えぬほど、はるかに偉大であることを教えたいと望まれるからであります。

 経済的な貧しさを含めて、困難な時代というものを切り抜けたいものであります。しかし、信仰と忍耐によってそれらを神様からのときとして受ける人は、必ずそのような場合、失うよりも多くを受けるのであります。平穏無事な日に学び、経験することの出来ないものを、嵐と闇の中に救い主を再発見する時に、私たちは無限の報酬を受けるのです。

 私たちは主が舟に乗ってこられ、海が静かになった時、主が何者にいますか、またキリスト者であることはどういうことであるかを、これまでよりも良く知るのです。

 「神の国は飲み食いではなく、義と平和と、聖霊における喜びである」のです。

  

 

世田谷通信

  (140

猫  草

動画サイトというものがあり、玉石混交、多種多様、ものすごくカオスな様相を呈している。なんだか深そうな世界で怖いので、入り口付近を覗くだけ。でも可愛い動物の動画は楽しい。調子外れのハトポッポを熱唱するオカメインコや「おかえりー」と主人をお迎えする黒猫はフォロワーも多く人気者だ。皆さん本当に上手にビデオを撮影するものだなあと感心する。

ウチでは「ああ、今のシーン、動画撮影してアップしたら人気出るのに」とか言うのだが、マメな人がいないのでさっぱり実現しない。例えばうちのウサギたち。家に来た当初は体重が250g、ほわほわの毛玉のような状態。ケージに入れたら、あれ?2匹ともいつの間にか外に出ている。何度入れても、やっぱり出ている。ドアも屋根もきちんと閉まっている。意味が分からない。ケージに戻してじっと様子をみていると、外の様子を眺めていた2匹は次々と、わずか3.5センチのフェンスの隙間をするんと通り抜けるではないか。毛がふわふわでも、骨格が華奢だからできた生後1ヶ月限定の技で、今は大きくなったのでもうできない。撮っておけばよかったねえ、と言うばかりである。

そうかと思えば、長男が「どこかの小学生が物まね動画をアップして、下手だという感想に対してまた動画で反論し、その反響すごくて荒れているんだよ」と言っていた。顔、学校、実名まで自らネットに晒していては、早晩実生活に支障が出るかもしれないのに、この深刻な状況に親や学校は気がついていないのだろうなあ。一度情報が拡散した後に削除するのは困難を極めるのに・・と恐ろしくも気の毒にもなる。

今も家の中ではウサギさんたちがダッシュしては高くジャンプ、時々まるでエアリアルの技のようなひねりを効かせて走りまわっている。一瞬のダイナミックな美技だが、残念ながら観客は私だけ。まあ、それもある意味、一期一会。刹那的ゆえの贅沢な話かもしれない。

*この添付のイラストは絵を描くのが大好きな次男がパソコンのペイントツールで描いたものです。

 

 『美しい朝に』・・6・・

3月16日

 おはようございます。大阪は曇りです。寒いのか暖かいのか着るものが困る感じです。天気予報では、今週は暖かいと言っていましたが、日曜日頃からまた冷え込むとも言っていました。三寒四温で、春になると言いますね。今日は、昨夜熟睡できて朝気持ちよく目覚めました。いつもお祈り感謝です。元気かと思えば「いつもより元気」な感じで、今日は、夕食を作ろうかなと思っています。

3月19日

 昨夜から大阪は雨です。今日から3月31日まで息子はマレーシアに行きます(半分仕事関係です)。私がホテルでベッドメイクしていた時の同僚で仲の良い友達が右手を少しいためたようです。とっても心配です。お祈りしていただけたら心強いです。選抜高校野球ですが、甲子園球場には娘夫婦が何回か行ったみたいです。私も西宮の方に住んでいました(親戚はまだ住んでいます)懐かしいです。次の外来治療は、24日(火曜日)です。ステロイドは、1錠で過ごしていますので、今回は、ステロイドの副作用で血糖値がオーバーしないか課題です。お祈りしています。

3月23日

 こんにちは。大阪は寒いです。本当に体調管理が難しいです。明日24日(火曜日)は、外来治療です。ステロイド1錠で、3週間様子を見ました。血液検査の結果がわかったら、先生と相談して減らすか現状維持かを決めたいと思います。今日は、明日に備えて安静にしています。いつも、お祈り感謝です。

3月26日

 大阪は、良い天気です。暖かくて気持ちがいいです。散歩に出かけました。春の花も写しました。主人と息子の布団カバーを洗います。息子は、マレーシアから、3月31日に帰国予定ですが、無事に帰ってこれるようお祈りいただけたら感謝です。

3月28日

 今日3月28日は、結婚32年記念日です。先程、主人が花束を贈ってくれました。何年たっても花束はうれしいです。病院の帰りに、平日の昼にお祝いを2人でしました。ランチの時間で2000円なのに、この豪華さです。PCのご機嫌が良かったのでお送りします。「つのぶえジャーナル」更新感謝です。そして、お祈りありがとうございます。

4月1日

 3月31日(火曜日)に、炎症反応が、異常に高すぎて入院をすすめられましたが、

とりあえず帰宅して、毎日点滴に通院します。明日の検査結果次第では、入院になるかもしれません。

4月2日

 こんばんは。検査の結果は、良くはなかったです。炎症反応は1以内が正常値ですが、最初、9でした。まだ、5.5ありました。私が入院すると家族の負担が増えるので抗生物質と栄養剤の点滴通院にして頂きました。感染症でも、血小板が0になることも多いそうですが今回は大丈夫でした。ふらふらするので、安静に寝てきます。

4月7日

 おはようございます。点滴治療は、一応終了です。まだ、薬服用と「おかゆ」で、自宅で安静です。お祈りありがとうございます。入院にならないように寝てきます。

                  大阪府K・Aさん

  (このメール文の掲載はK・Aさんの了承を頂いております)   

                    

 

  その愛のゆえに

   =時々の記=

      (109)

3月16日

 こちらは霞空ですが、気温は13度まで上がりました。犬の一匹が昨夜から調子が悪くて、もうだめかと何度も夜中に起きました。私の顔を見ると力の限りに立ち上がろうとするのです。朝は食事も何も食べませんでした。でもお昼になってご飯を三口ほど食べました。犬も命ある限り、与えられた力を精一杯出し切ろうとする思いに心打たれています。何度も最後まで頑張ろうね。さくらちゃん。温かい春がもうやってきてるんだよ。と励ましています。
 文旦の瑞々しさよ刃を入れぬ。
 春の星匂やかに消ゆ夜明けかな。
 ボールけり靴飛びにけり春の園。
 いつまでも望み持つべし老いの春。
 山峡や星の如なる蕗のとう。         馬場路哉
3月18日

 昨日は天理まで主人に運転してもらって、心病める信友のご主人が癌の手術を受けるために入院されているので、お見舞いに行ってきました。主人はつくづく、こうしてお見舞に来る立場になっていることにとても感慨深げでした。お見舞から帰ってきて郵便受けを見ると、何とゴダート先生から小包が届いているではありませんか。中を開けてみますと、先生が日本におられたころ青年たちや子供たちに教えてくださった英語と日本語共通の讃美歌が二冊入っているのです。もう、食事をするのも忘れて、先生のお手紙とともに教えていただいた数々の英語の讃美歌を楽譜がついているので、嬉しくて、一人口ずさんでいました。先生はもうこの讃美歌は決して使うことがないだろうから私にプレゼントすると言ってくださっています。
3月28日

  一心に習ふものあり春椿。
 春の雨坂之上より溝走る。
 草創の校庭の梅咲きにけり。
 夕映えやまだ新しき落ち椿。        馬場路哉
 今年一年間我が家で中峰山の方たちの納税を集めて、それを役場の事務所へ届ける役割が回ってきました。毎月末に集金表をまず各家に届けます。そして決められた日に我が家へそれぞれの税金を持ってきてくれます。その時にはおおよそ一時間30分ほど、何やかやと雑談や行事の相談などをして帰ります。そのおかげ?で毎月家に掃除機をかけ丁寧に雑巾で窓から畳から廊下までを拭きます。座布団はお日様に干してふっくらさせて気持ちよく座ってもらえるようにおもてなしをします。お茶を出したり茶菓子を出したりは主人の役目です。集まってくるのが男性ばかりだからです。
 このような古いしきたりを今も続けているのです。

4月7日

 昨日までとはうって変ってこちらはまた冬の寒さのようです。もう使わないかと思ってしまいこんだ冬用の防寒着を出して着用しています。お体の調子はその後いかがですか?季節の変わり目ということと、日々の多くの方へのメールでのお心こもる返信などで、とても体が疲れ切って悲鳴を上げておられることと心配しています。くれぐれもお大切になさってください。お祈りしています。
 岩山や芽吹ける僅かの木々を乗せ。
 新たなる朝復活し給ひぬ。
 そよ風の中の赤松山笑ふ。
 悠久の流れを前に青き踏む。
 山峡の鄙には梅の似合ひける。      馬場路哉
 昨日のNHKのニュースで奈良県の知事選挙のことが報道されていたのでびっくりしました。面積は小さいのですが、北部は三重と京都に近く南部は和歌山と隣り合っています。そのような環境のせいか奈良に住む若者たちが減ってきているとのことです。それを何としてでも食い止めたいと各候補者は必死です。

  馬場暁美

上野緑ヶ丘教会

 

  解説 ウエストミンスター信仰告白 (35)

   岡田  稔著

  (元神戸改革派神学校校長)

第17章 聖徒の堅忍について・・1・・

1 神がその愛するみ子において受け入れ、みたまによって有効に召命され、きよめられた人々には、恵みの状態から全的にも最後的にも堕落することはあり得ない。かえってその状態に終りまで確実に堅忍し、そして永遠に救われる(1)

  1 ピリピ1:6
ペテロ1:10、ヨハネ10:28,29ヨハネ3:9ペテロ1:5,9
 

一  これはカルヴィン主義の5特質と呼ばれるものの一つである。聖徒である信徒の救いの根拠は、主イエス・キリストの仲保に置かれており、かつ、そのキリストとの結合・一致は、聖霊の働きによるものであるから、客観的に言って絶対的なものであり、部分的に、あるいは一時的には「恵みの状態」から転落し、離反することはあっても、全体的な、また最後的な脱落はありえないのである。

 「堅忍」とは、危険がどれほど深まっても、根本的には持ちこたえる、という意味である。この主張がカルヴィン主義の原理の一環を構成すると言うのは、救いが恵みであり、絶対他存であって、救われる者自身の中にある何物にも依存しないということである。すなわち、救いにおける神中心、神の主権的意志という原理に直結しているからである。

 

2 聖徒のこの堅忍が依拠するのは、彼ら自身の自由意志にではなくて、父なる神の自由・不変の愛から出る選びの聖定の不変性(1)、イエス・キリストのいさおしと執成しの効力(2)、みたまと神の種が彼らのうちに宿ること(3)、および恵みの契約の性質にである(4)。これらすべてから堅忍の確実性と無謬性も生じる(5)

  1 
テモテ2:18,19、エレミヤ31:3
  2 ヘブル10:10,14、ヘブル13:20,21、ヘブル9:12-15、ロマ8:33-39
    ヨハネ17:11,24、ルカ22:32、ヘブル7:25
  3 ヨハネ14:16,17
ヨハネ2:27ヨハネ3:9
  4 エレミヤ32:40
  5 ヨハネ10:28
テサロニケ3:3ヨハネ2:19
 

二  聖徒の堅忍の教理は、救いの確実性はどこからくるかということになると、それが救われる者の側からではないことは言うまでもないのであるが、さて、その確実性にはどの程度の強さがあるかとなると、それは100%のもので、一分一厘の不確かさも含まない確実さであると言うことができよう。三位一体の神の全面的な保証の確実さである。

 それは、父なる神の永遠の聖定に基づき、主イエス・キリストの全き贖いと執り成しにより、聖霊の保証を得ているもの、そして、この三位一体の神と選ばれた民の贖い主なるキリストとの間に立てられた、恵みの契約に基づくところのものである。世にはこれ以上の確実なものはあり得ないのである。

     *******

 この文章は月刊「つのぶえ」紙に1951年(昭和26)10月号から1954年(昭和29)12月号まで書き綴ったものを単行本にしたものです。「つのぶえジャーナル」掲載には、つのぶえ社から許可を得ています。「ウエストミンスター信仰告白」は日本基督改革派教会出版委員会編を使用。

単行本購入希望者は「つのぶえ社」に、ご注文下さい。¥500

465-0065 名古屋市名東区梅森坂4-101-22-207「つのぶえ社」宛

 

さんびか物語・・・14・・・

    (広く愛唱されている50曲)・・・13     

 ポリン・マカルピン著

          (米国南長老教会婦人宣教師) 

讃美歌150番B

 あくまのしばし ほこりし勝利(かち)は           

<神様のみ言葉>

「私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、・・・キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、また、ケパに現われ、それから十二弟子にあらわれたことです。その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現われました。・・・」

         =コリント人への手紙第1、15章3~6節=

 

讃美歌150番は、復活節を祝うために歌われている多くの讃美歌の中でも、本当に素晴らしいものの一つと言えます。

原作者ミヒャエル・ヴァイセ(1480頃~1542)は、すぐれた才能を持っていた宗教改革時代の讃美歌作詞者の一人でした。ヴァイセは1480年頃サイレジヤ(昔はドイツ、今はポーランド領の西南にある地方)に生まれました。その後、成長してローマ教会の司祭となり、しばらくサイレジャのプレスラウの修道院に修道僧としての生活を続けていました。

しかし、神様の不思議な摂理によって、ルーテルの初期の著作がヴァイセの手に入り、その結果、彼は信仰の目をさまされて霊的に生まれかわらせたのでした。それで同修道院のもう二人の司祭と共に、ヴァイセはボヘミヤ(チェコスロバキヤの西の地方)のボヘミヤ兄弟団のもとに亡命しました。そこで彼はドイツ語を用いる同教団の創立者並びに説教者となって有力な働きをしたそうです。

また1522年に彼は同兄弟団を代表して、ウイッテンベルグにいたルーテルのもとに行って、兄弟団の立場や教理を説明し改革の成功を祈り、お互いの教団の交わりを深めたのであります。

彼は兄弟団の讃美歌の編集者として任命されて、ボヘミヤ語の歌をドイツ語に訳したり、自ら創作した歌を1531年までに155ほどの讃美歌を含めた本を発表しました。それらはみな彼の翻訳のものか彼の創作のものでした。

この150番もその時に発表されましたが、これは古いポヘミヤの讃美歌にもとづいて作ったものだそうです。この素晴らしい復活節の歌は彼の代表作として広く認められていますが、創作後、450年もたった今日、私たちは昔の聖徒たちと同じようにこの讃美歌を通してイースターの喜びを味わい声高らかにハレルヤ!と歌うことが出来ますのは非常な喜びといえます。

 

讃美歌150番Bの曲ESSEXは、イギリス人トマス・クラーク(1775~1859)の作品であります。クラークはウェスレー派並びにユニテリアン派の教会で音楽の指揮者をしておりましたが、あまり知られた音楽家ではなかったようです。彼はいくつかの讃美歌を作曲したようですが、今日では広く用いられていないようです。

ESSEXという曲は、日本の教会では明治版の讃美歌以来広く親しまれているイースターの曲の一つのようです。ともあれ、この讃美歌の歌詞と曲は実によく組み合わされているばかりでなく、各節を結ぶクライマックスのハレルヤは何とも素晴らしいの一語に尽きます。

おもしろいことは、この讃美歌の日本語訳ではハレルヤ(神=エホバ=を讃美せよ!)という言葉がどの節でも一度だけ使われていますが、原作のドイツ語や英訳では3回から4回使われていることです。しかしながら、この実に味わいある日本語訳でのハレルヤは実に力のある用い方がされていて数の上では1回ではありましても、おろそかにしているのではなくクライマックスにふさわしい言葉の用い方として歌われているように私には思えてなりません。

ここで日本語訳と英訳とを比較しながら、それぞれの特徴を味わってみたいと思います。

 <150>

1 あくまのしばし ほこりし勝利(かち)は

  今しももろく ついえけるかたな。

      ハレルヤ

英訳の1節は主イエス・キリストは三日の牢屋から(またの訳はあらゆる鎖を破り給うてよみがえり給うた!聞け。天の使いたちは天で喜びつつ、絶えずハレルヤと叫んでいます。ハレルヤ!ハレルヤ!ハレルヤ!

2 かがやきのぼる あさ日のごとく

   陰府(よみ)にうちかち 主は活きたもう

      ハレルヤ

英訳の2節は、私たちのためにいのちをささげ、戦いをたたかい尽した主は、いま私たちの過ぎ越しの子羊となり給いました。私たちも喜びつつハレルヤと歌いましょう。ハレルヤ!ハレルヤ!ハレルヤ!

3 めぐみとさかえ みいつにみてる

  イエスの御顔ぞ げにうるわしき

      ハレルヤ

英訳の3節は十字架であわれまれず、あらゆる苦しみとあらゆる損を耐えしのばれた方(主イエス)は、いま天においてご栄光を受けつつ私たちのとりなし主となり給うて、私たちの叫びに耳を傾けておられる。ハレルヤ!ハレルヤ!ハレルヤ!

4 ひとやのなかに つながれおりし

  アダムの子らは 解きはなたてぬ

     ハレルヤ

5 世界のたみよ あまつつかいに

  こえをあわせて よろこびうたえ

     ハレルヤ

英訳の4節は墓の中でねむり給うた方は、私たちを救うために、いま高く上げられております。いま世界中で響いているのは神の子羊は王の王であられる、という歌であります。ハレルヤ!ハレルヤ!ハレルヤ!

この讃美歌が歌われている中心点を少しくみなさんとご一緒に考えてみたいと思います。

その1 主イエス・キリストは神の子羊として、私たちひとりひとりを救うためにこの世に降り給うたということです。「十字架上で私たちの身代わりとなって、罪人が受くべき罰をお受けになり、贖って下さったことを歌い上げています。

 その2 主は悪魔にまた死に打ち勝ち給うたということです。使徒の働き2章23~24節には「神の定めた計画と神の予知とによって引き渡されたこの方(イエス・キリスト)を、あなたがたは不法な者の手によって十字架につけて殺しました。しかし神は、この方を苦しみから解き放って、よみがえらせました。この方が死につながれていることなど、ありえないからです」と記されている通りであります。

実に主は活き給うです。昔の弟子たちがよみがえられた主を見た時に喜んだように、私たちも同じように・・・、いや、それ以上に喜ぶはずです。なぜなら、死に定められている私たちは、信仰によって「キリストとともに死にキリストとともに生きることになる」からであります(ローマ6:8)。

「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです」(ヨハネ11:25)と語られた、よみがえりの主を信じていますなら、心からハレルヤ!と歌わずにはおれません。

最後の点は、この何よりもかえがたい恵みと喜びを持っている私たちは、これをまだ救われていない多くの人々にわかち与えなければならないという、偉大なそして光栄な責任があるということであります。

世界の民はあまつ使いに声をあわせて、ハレルヤ!と喜び歌うためには、まず最も大切なことを知らなければなりません。それは、キリストは私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、三日目によみがえられたこと、500人以上の兄弟たちに現われたことコリント15:3~6)であります。この事実を信じて、聖書に立って主イエス・キリストのおよみがえりの喜びをともに味わいましょう。

「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまでも、あなたがたとともにいます」。~マタイの福音書28章19~節~

  *****************  

この「さんびか物語」は「つのぶえ社」の出版(第一刷1974年、第二刷1992年)で、出版社の許可を得て掲載しています。本の購入を希望される方は、「つのぶえ社」までご注文ください=

          

 

 ビルマ

  戦犯者の獄中記  (50)  遠山良作 著

昭和22年

6月27日

「ミヨンミヤ」事件の3名死刑さる

今日も朝から雨が降っている。時に激しく吹き付ける風は、真っ赤に咲いたネムの花を散らす。獄庭は赤い絨毯を敷き詰めたように染まっている。今朝も「ミヨンミヤ」事件の関係者3名の友が天皇陛下万歳と叫んで絞首台の露と消えて逝かれた。悲しい朝である。

昨夕のことである。あわただしい兵等の靴音がしたかと思うと、55師団工兵隊の岡見弘中尉、神野保孝中尉、片山四郎伍長の3名の死刑、大隊長村山大佐、塚本伍長、上甲上等兵の刑の確定を知らせる足音であった。

死刑の確定された3名は「皆さんいろいろと御世話になりました。皆さんもどうか元気で頑張って下さい。さようなら」の言葉を残して、この東独房から出て行かれた。この事件の内容はよく知らないが「ミヨンミヤ」に於いて墜落した英軍機の搭乗員を逮捕し、殺害した事件だと聞いている。

3名の死刑者を送る

激しく降る雨は獄を包む

赤く咲いたねむの花は

獄庭を赤く染める

今朝も微笑みて

断頭台に進みゆく3人の姿が

灼けつくように瞼に浮かぶ

こみあげて来る涙

ぬぐえどもぬぐえども頬に伝わる

すべては

明日を作る基礎(いじずえ)か

 

降り続く灰色の空を仰ぐ悲しい獄の朝である

「さようなら」の言葉残し、友3人断頭台に死に給うとは

*この文章の転載はご子息の許可を得ております。

 

「あなたに聖書を」

「キリスト教百話」・・・29

問20・・7 キリスト教では「罪」と言うことを言いますね。クリスチャンは「われらの罪を赦し給え」と祈っていますが、別に犯罪を犯しているようでもないのに、どうしてあんなことを言うのですか。

答   「罪」と言う言葉は普通には何か悪いことしたことに対して、それは「罪を犯した」という風に使われますね。それが法律に引っかかる場合には明らかな「犯罪行為」とみなされます。その場合は法律に違反しなければ「犯罪」とはなりません。と言うことは、その場合の「罪」というものは、そのほうりつが適用せれる範囲内の人にとって誰もが認める共通の「してはならないこと」が明文化されていますから、「罪」とは何かがはっきりしています。

  <続き> この話を聞いた人の中には、いろいろな感想やら批判を述べる人がいるだろうと思います。例えば「このオヤジさんは甘すぎる。いくら息子が欲しがったからと言って、早々に財産分けをしてやる必要なんかないんだ。それと自分の息子がどんな子か分かっているはずだから、それを承知でやるなんて、見識がなさすぎる。結果は目に見えている」という類です。

 また「甘いといえば、息子が帰って来た時の迎え方だ。大体黙ってどこへ行くとも言わないで家を飛び出したばかりか、あんな姿で帰って来たのであれば、『どの面下げて帰って来たのか』と怒鳴り返して当然だ。それが自分勝手なことをした奴に対する見せしめだ。そうでなければ、真面目に働いている兄息子に対しても示しがつかないよ。放蕩三昧して挙句の果てに歓迎されると言うのであれば、放蕩した方がトクということになるよ。近所にも若者がいるんだ。ああいうオヤジさんのやり方では若者たちへの示しもつかない」という批判もあるでしょう。要するに、親不孝の放蕩息子に対しては、しかるべき凝らしめがあるのは当然ではないかと言う考え方です。

 一方「あの息子は悪い奴じゃ。しかし、自分が悪かったことに気づいてよう帰って来た。そしてオヤジに謝ったところなど、これからが良くなるだろう。オヤジさんもそういうことを見越してよくあれだけの歓迎をしてやったものだ。あれだけのことをやってもらったら、あの息子にとってオヤジは大恩人になるし、二度と放蕩などしないに違いない。結構なことじゃ」と言う人や、また「ああいうオヤジを見ると、オヤジって者は、顔に出してはいないが心の中はみんなあんな風に息子のことを思っているんだ。俺もオヤジに心配かけちゃいかんな」と思う人もいるかも知れません。

 ところで、こういう話を引き合いに出したのは、前からの引き続きで「罪とは何か」を説明するためです。父親は息子の性質をよく知っていたにしても、放蕩に使うことを願って財産分けしたのではありません。有効に役立てて欲しいという思いで、父親から独立して行こうとする息子に財産を分けたのです。

 この父親の思いや意向を全く無視し、それとは見当違いの生き方をしたことが、彼の父親に対する罪(見当違い・的外れ)であったのです。しかもその罪がどんなに深いものであったかは、帰った彼に対する父親の予想もつかなかった歓迎に示された愛に接して、喜びと共に、涙を流して悔い改めずにおれなかったものであったといえます。

 この話から言えることは、第一に、人間は自分の欲しいままに生きて遂にどんづまりにならない限り、見当違いに生きて来た自分に気づかないであろうと言うことです。人生には様々な浮き沈みがあります。万事快調でいい気分になっておれる時もあれば踏まれたり蹴られたりで、にっちもさっちもいかない時もあります。その結果、首をくくって死ぬ人もいます。富めば奢り、貧しくなれば鈍すると言われるように、貧富が人間性を変えてしまうことだってあります。

 今取り上げている放蕩息子も、金があった時は取り巻きに囲まれ、したい放題のことが出来ていい気分でおれたでしょうが、豚飼いにまで落ちぶれてしまった時には、生きる意欲も失ってしまったことでしょう。こういう彼に起死回生の力を与えたのは、彼の父の愛でした。これが、人生のどん詰まりに陥った彼の救いとなったのです。 

               篠田 潔

(日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)

   

 <5月のラジオ放送予定>  

   5月 3日 横山 良樹 (日本基督教団半田教会牧師)

     10日 横山 良樹 (日本基督教団半田教会牧師)

     17日 武井 恵一 (日本基督教団豊橋東田教会牧師) 

     24日 武井 恵一 (日本基督教団豊橋東田教会牧師)

     31日 山田麻衣子 (日本基督教団名古屋北教会牧師) 

          (放送開始1952年10月)

CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ

毎週日曜日朝6時30分~45分放送

 

 

  「ローマ人への手紙」研究 (124)

第68課 キリスト者生活の実践的義務

=12:1~15:13=・・・7・・・

A 個人の生活上の聖潔を養う義務 

       12:1~21・・・7・・・

「兄弟姉妹たちの助けになろうとの配慮」・・12:4~8・・3・・

  ここで私たちは二つの一般的な誤りを上げて、それらを警戒しなければなりません。第一は、私たち一人一人が果たすべき役割をもつべきであるということを意味するものではありません。聖書のこの箇所は広い意味で述べていることであって、制度としての教会における役職、例えば牧師・長老・執事・教師などのことを指しているのではないのです。これらの役職は一部分のことであって、全体的なことではありません。

 パウロがここで語っているキリスト者の助け合いと言うことは、教会の公的な役職よりももっと広くて包括的なものです。例えば、8節で「寄付するものは惜しみなく寄付し」と言われていますが、これは必ずしも役職の機能を言っているのではなく、すべてのキリスト者が困っている人々や貧しい人々のために寄付したり、教会のために献金すべきことについて述べているのです。

 また、「慈善をする者は快く慈善をすべきである」とありますが、これは明らかに教会の役職よりももっと広い意味で言われていることです。私たちは役職に就かなくても、神に忠実に奉仕することができるし、また兄弟姉妹を真に助けることもできるのです。

 このことは、現代には、各信者は教会内で何かの公的な役職に就かなくてはならないと考える傾向がみられるから、特に強調しなくてはなりません。このような考えは聖書的な理念ではないばかりか、実際に多くの害を生み出すのです。役職に就くには、それに相応しい資質がいるのであって、そうでない者がそれに就くときには、キリスト教の奉仕ということについて誤った理念を持ったり、神が彼らに求めておられる真の奉仕をおろそかにしてしまうことになるからです。

 またこの傾向はいたずらに多くの役職や委員会を作って、結局、良い働きができなくなってしまうのです。教会の組織は簡素で機能しやすいものでなくてはならない。組織をいたずらに多くしたり、複雑化したりすることは感心できない傾向です。船に例えれば、船は誰でもが船長になれるようには作られてはいません。船の目的は多くの人々と貨物とを目的地に運ぶことにあるからです。組織というものは教会のすべての人々を忙しくさせるために作られるのではなく、真の必要のためにのみ作られるできなのです。

 

 第二に、すべてのキリスト信者は他の人々と全く同じような仕方で、奉仕の働きをするべきだとする誤った考え方を持つ人が多いのです。ある一人の賞賛されている牧師の働きを標準にして、他の牧師たちの働きを計ろうとする人々がいます。長老の場合も同じです。しかし、個々のキリスト者の能力や資質はみな百人百色です。「与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物をもらっている」(6節)のです。私たちは各自、自分独自の賜物を聖霊によって与えられているのです。従って、他人と同じ賜物を与えられるように求めたり、うらやんだり、自分の賜物について不平を言ったりすべきではありません。

 それどころか、私たちは神が私たちにどのような独自な賜物を与えて下さったかを発見して、それを神の栄光と兄弟姉妹たちのために役立てるべきなのです。これこそ真の奉仕なのです。

  J.G.ヴォス著

  玉木  鎮訳(日本キリスト改革派引退教師)

ブログ内検索
カウンター
★ごあんない★
毎月第一日更新
お便り・ご感想はこちらへ
お便り・ご感想くださる方は下記のメールフォームか住所へお願いいたします。お便りは「つのぶえジャーナル」の管理人のみ閲覧になっています。*印は必須です。入力ください。
〒465-0065 名古屋市名東区梅森坂4-101-22-207
緑を大切に!
お気持ち一つで!
守ろう自然、育てよう支援の輪を!
書籍紹介
    8858e3b6.jpg
エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

      d6b7b262.jpg
教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
217ff6fb.jpg 








「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

b997b4d0.jpg
 









「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
 a0528a6b.jpg









「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
4008bd9e.jpg
われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

0eb70a0b.jpg








さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

Copyright © [   つのぶえジャーナル ] All rights reserved.
Special Template : シンプルなブログテンプレートなら - Design up blog
Special Thanks : 忍者ブログ
Commercial message : [PR]