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2023年7月号  №193 号 通巻877号
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世田谷通信

135

猫 草

ウサギで7歳といえば、人間ならかなりの高齢。うちのウサギも急に老け込んで介護の日々である。もともと視力が弱い上に結膜炎が悪化、目薬は欠かせない。首が傾く持病があり体のバランスが保てないので、抗原虫薬を飲ませる。さらに足の裏が床ずれ状態になり包帯を巻いているのだが、化膿防止に抗生物質のクリームと飲み薬。目下、家の中で一番手厚い医療を受けているのは体重わずか750gの小さなウサギなのである。

足の裏に包帯・・と書いたが、これがなかなか大変である。ウサギの中でも最小のネザーランドドワーフ、その後ろ足の長さは約5cm。本来ふかふかの毛に覆われた足の裏、それが病気により体のバランスを欠いて汚れがちになり、赤剥けになっている。ソアホックという病名である。足にガーゼを当てて伸縮包帯で固定する。汚れるたびに1日に何度も交換する。

この伸縮包帯、本当に素晴らしい発明だと思う。テープと違ってべたべたしないのに、包帯の端を重ねると繊維どうしがからみあってぴったりくっつく。ウサギが動いても蹴っ飛ばしても外れない。手触りは包帯そのもの。接着度は強力なのからごく弱いものまで多様である。医療の進歩だなあ、なんて思う。

ウサギに使える軟膏は種類が限られるのだが、赤剥けになった皮膚にはコラーゲンの生成を促すというクリームを塗っている。

腰に力が入らず便秘になるので排便の補助もする。毛づくろいができないのでウェットティッシュで体をぬぐってやる。飲み薬は小さなシリンジで飲ませる。まあ、いまは出来ることはなんでもしている感じである。それでも体力が落ちて自力で食事ができなくなったら、そのときが限界と判断するか、強制給餌で延命すべきか獣医さんと相談中である。

750gのウサギの介護は片手でできる。これが体重50kgの人間ならどんなに大変かとしみじみする。小さくとも命は命。ヒトでもネコでもカメでもそれぞれに一つの命。目の前に苦しんでいる生き物がいるのなら、少しでも和らげ、快適に生活できるようにと願う。ウサギの名前は「せいじ」。生きる時、と書く。もう足腰が弱って自力で起き上がれないけれど、最後まで小さな命のライフタイムを支えたい。

*この添付のイラストは絵を描くのが大好きな次男がパソコンのペイントツールで描いたものです。

 

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  その愛のゆえに

   =時々の記=

    (105)

11月11日

 昨日、今日と二日続きで気持ちの良い秋晴れが続いています。蔦や楓、南天の葉が色鮮やかに紅葉してきました。昨日は信仰の友と、およそ1時間30分教会生活のこと、子供たちのこと、若き日に教会に集っていた友の様子などを語り合いました。いつも祈り、励ましてくれている友です。教会の礼拝ではあまりゆっくり話すことができなかったので私が思い切って友のお家へ訪問いたしました。まだケアマネージャーとしての仕事をしておられるので、お忙しいのですが快く、ゆっくり話し合うことができてとても感謝でした。
 最後に友と祈りあいました。友の祈りの中で、‘二人がきたる天国であいまみえることができますように’と祈ったときに私は感謝と申しわけなさで胸がいっぱいになりました。今までの信仰生活を深く顧みることができたひと時でした。
 秋嶺(しゅうれい)や三川(さんせん)名張にて会ひぬ。
 図書館の満天星紅葉(どうだんもみじ)燃え初むる。
 素速くも鹿山中へ隠れけり。
 教会の講壇の脇桔梗活く。
 ピアノ曲吾を静める秋の末。      馬場路哉。
 主人は痛風の痛みから解放されてやっと散歩に出かけられるようになりました。カルヴァンの「キリスト教綱要」を家庭礼拝で学び始めています。とても難しく老化した二人の頭にはついていけない部分が多々あります。カメの様にゆっくりと少しずつ進めています。

11月21日

 こちらは今朝もとても寒く、犬たちとの散歩の時あたり一面真っ白い霜に覆われていました。犬たちが歳を取ってきまして、寒さには特に弱く、食欲がないので心配しています。今年の厳しい冬の寒さを乗り越えられるか、とても心配です。やはり13年も一緒にいると、犬たちは私の素振り、声色で何もかも察知いたします。それがいとおしくて、可愛くて、犬たち一匹一匹と夜にはお祈りをいたします。神様、どうぞ、いつまでも仲良くいられますように、今夜の寒さにもたえられますようにと。その時の覚悟はしています。動物のかわいそうなのはやはり、自分の思いを口に出せないことです。飼い主として、最後まで大切に犬たちからもらった癒しに感謝して飼ってやりたいです。
 今年も何かと気忙しい冬になりそうです。
 渓流に赤き橋見え秋高し。
 大学のピアノ練習ハゼ紅葉。
 教会の建ち上げられて天高し。
 川底の石の色見え水澄みぬ。
 鄙のダム幽(くら)きを秘めて冬に入る。    馬場路哉

 

11月29日

 本日、12月号をお届けいただきました。読み進めていると、多くの皆さんがメールを発信され、それを読ませていただいていると、私一人じゃない、と励まされます。大阪の方、闘病記を綴られている中で、神様にお委ねしつつ、祈りつつお過ごしの様子、とても強められます。「ジャーナル」を読んでくださっているお一人お一人の声がとても共感でき、沢山のお友達が増えたように力つけられています。クリスマス。イエス様のお生まれになった良き日ですが、悲しみの中。苦しみの中で迎えなければならない方たちのためにこそ、イエス様はお生まれになってくださったのですから、そのことをしっかり覚えて、心して過ごしたいものです。

12月4日

 朝からしとしとと冷たい雨が一日中降り続けていました。冷たい雨でしたが雪でなくてほっとしています。風邪は、後頭部がピリピリと痛む程度にまで回復してきました。12月になると、やはり昨年のことを思い出します。母の施設での姿をです。いつも私が行く時刻には一人ぽつんと車いすに座って、食堂のテーブルで待っていました。おはよう、と呼びかけると‘おはよう、よく来てくれたね’と嬉しそうに微笑んでいました。そして、みなさんに聞こえないように小さな小さな声で二人で讃美歌515番「十字架の血に清めぬれば、こよとの御声を我はきけり」を歌うと、一番をうたい終えると、すぐに母は5番を歌いだします。「ほむべきかな、わが主の愛,ああ~ほむべきかなわが主の愛」と。ある日、食事を終えてしばらくしていると、看護師さんが血圧測定にやってこられました。母の腕が細くなりすぎて血圧計が腕に収まらず困っていました。するとその看護師さんのすぐ横で、突然母が先ほどの515番を一人で歌い出したのです。看護師さんはもうびっくりされて、そうか!斉藤さんは血圧など測らなくても、このように平安な気持ちでいられるんだね。すばらしい!と言って行かれたのを・・・。   今日はなぜか台所に立っていても、布団の中で休んでいるときも、その母の横顔が思い出されて仕方ありませんでした。私たちの信仰は日々不安定になりがちですが、イエス様の御許へ行くことができることを信じてこの年も主を仰いで一日一日を大切に歩んでいきたいと願っています。
 秋山の中押し並びて黄の世界。
 高きまで枝打ちされて山眠る。
 蜘蛛の糸煌めく峡の小春かな。
 杣の家復元されて冬日濃し。
 えも言わず並ぶ吉野の柿の色。
 初冬や布引の山かぎろひぬ。      馬場路哉

       馬場暁美 

    (上野緑ヶ丘教会員)

 

 解説 ウエストミンスター信仰告白 (31)

   岡田  稔著

  (元神戸改革派神学校校長)

 

第15章 命に至る悔い改めについて・・2・・

 3 罪のための償いまたは罪のゆるしの原因は、キリストにある神の自由な恵みの行為であるから(1)、悔改めが、何かそのようなものであるかのように信頼されてはならないが(2)、それはすべての罪人にとって必要なものであって、だれも悔い改めないならば、ゆるしを期待することはできない(3)

  1 ホセア14:2,4(3,5)、ロマ3:24、エペソ1:7
  2 エゼキエル36:31,32、エゼキエル16:61-63
  3 ルカ13:3,5、行伝17:30,31


三 ここでは三つの誤解が否定されている。1、悔い改めを罪の償いの手段と見る誤解。2、悔い改めたから赦してもらえるという誤解。3、もう赦されているから、悔い改める必要はないという誤解である。


4 永久刑罰に価しないほど小さな罪がないように(1)、真に悔い改めている者にも永久刑罰をきたらせることができるほど大きな罪はない(2)

  1 ロマ6:23、 ロマ5:12、マタイ12:36
  2 イザヤ55:7、ロマ8:1、イザヤ1:16,18
 

四 神は義なるお方であられるために、わずかな罪をも見逃さないとともに、恵み深いお方でもあられるために、悔い改めた者を赦してくださるから、決して罪に定めたまわないのである。

 もちろん、まことの悔い改めが罪を取り消してくださる(罪を赦してくださる)理由となるものではない。罪の赦しの理由は、キリストの贖罪ととりなしによるのであり、それに基づいて、わたしたち信ずる者に無償に提供されている恵みなのである。まことの悔い改めは、この恵みに浴した者であるわたしたちが、神のわたしたちに対する、そのあわれみの確信に立脚して、自己の罪と汚れを自覚し、悲しみ、憎むとともに、神の性質と律法とに従おうとする、こころざしを起こすことに外ならない。だから、すでにこの悔い改めに生きるわたしたちが、悔い改めたにもかかわらず、なおも罪に定められるというわけではないのである。 

     *******

 この文章は月刊「つのぶえ」紙に1951年(昭和26)10月号から1954年(昭和29)12月号まで書き綴ったものを単行本にしたものです。「つのぶえジャーナル」掲載には、つのぶえ社から許可を得ています。「ウエストミンスター信仰告白」は日本基督改革派教会出版委員会編を使用。

単行本購入希望者は「つのぶえ社」に、ご注文下さい。¥500

465-0065 名古屋市名東区梅森坂4-101-22-207「つのぶえ社」宛

 
 

さんびか物語・・・10・・・

    (広く愛唱されている50曲)・・・9     

 ポリン・マカルピン著

          (米国南長老教会婦人宣教師) 

讃美歌109番

きよしこの夜           

<神様のみ言葉>

「イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。『ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました』」。

              =マタイの福音書2章1~2節=

 新教と旧教にはいろいろな点で大きな相違がありますが、一つの非常に目立っ点は、讃美歌の用い方であります。たとえば、新教信徒は、神様を崇め、ほめたたえるために、当然のように礼拝でいつも多くの讃美歌を歌っています。声をあわせて神に栄光をきすのは礼拝の大切な部分であり、要点と思っているからであります。

 これに反して、カトリック教会では14世紀間にわたって、つい最近に至るまでミサでは絶対に讃美歌は許されませんでした。ローマ教会の会衆はただ決められたラテン語の言葉を繰り返すだけで、プロテスタント教会の会衆のように礼拝に参加するだけでなく、傍観者(オブザーバー)的でした。しかし彼らの内にも自分たちの歌をもって心から神様を讃美しようとする作詞者や作曲者が、わずかですが生まれてきました。特に、音楽好きなドイツやオーストリアでは、泉が湧き出るように自然に讃美歌が湧いてきました。こうして、いくつかのカトリック讃美歌も現れてきたのであります。

 幸いにして、1954年版の讃美歌には、それらの中でも一番有名な作品が二つ含まれています。その一つは1677年に作詞された166番のイエス君はいとうるわしであり、いま一つは、世界中で一番よく知られ、歌われているクリスマス・キャロル‘Stille Nacht,Heilige Nacht’(静けき夜、聖き夜)、109番のきよしこの夜であります。

 

 この最も有名なクリスマス・キャロルの原作者ヨーゼフ・モールは1792年12月11日にオーストリアのザルツブルグに生まれました。ヨーゼフは成人して1815年にローマ教会の聖職となり、ザルツブルグ付近のいくつかの教会を歴任しました。ちょうど、このキャロルを作詞した頃、モールはザルツブルグの北にあるオーベルンドルフという小さな村の聖ニコラス教会の副牧師として勤めていました。

 さて、この109番が作られた時の様子ですが、1818年のクリスマス・イブでした。次の日の礼拝で使うはずのオルガンの急な故障にモールは途方にくれてしまいました。友人たちの家でのクリスマスパーテーの帰りに、モールは村の近くの丘に登って、美しく輝く夜空の星を眺め、麓に眠っているように見える平和で穏やかな村の景色をのぞみながら、乱れる心を静めようとしていました。ちょうどその時に浮かんできだのが、この‘Stille Nacht’の原作でした。モールは急いで家に帰りクリスマスの朝の4時頃までにこの歌詞を書き上げたそうです。そうして、同じ日の朝早く、友人のフランツ・グルバーのところに持って行って、彼に曲を書くように頼みました。

 作曲者グルバーは、当時、隣りの村のアールンスドルフの小学校の先生であり、聖ニコラス教会のオルガニストとして奉仕していたからであります。彼はモールの依頼を引き受けて、間もなくSTILLE NACHTという曲をモールのところに持ってきました。そして、その夜のクリスマス礼拝でモールはテナー、グルバーはバスとギターの伴奏の二重唱で世界で初めて紹介されました。当時、もしテープレコーダーがありましたなら、素晴らしい録音ができたと思いますが、残念ですね!しかし、今も私たちは歌うことが出来ますから感謝いたしましょう。

ともあれ、このキャロルはその後、多くの人々に歌われましたが、1840年にツィルラータールのカルテットによって、ヨーロッパからアメリカまでの演奏旅行で発表され世界的になりました。

 

歌を90曲以上も作曲したグルバー(1787~1863)は、織物業者の息子としてオーストリアで生まれました。彼は18歳の頃からオルガンを学び、いろいろな教会のオルガニストとして奉仕しました。彼は小学校の教師でありまして、1833年以降オーベルンドルフの小学校の校長になりました。曲STILLE NACHTはグルバーの一番よく知られている曲であります。

<109>

1 きよしこのよる 星はひかり

  すくいのみ子は まぶねの中に

  ねむりたもう いとやすく。

 

 この讃美歌を原作のままドイツ語で歌うことができますなら、どんなに素晴しいことでしょう。英語訳や日本語訳では味わえない喜びがあると思います。

 1節で中心になっていますのは、ベツレヘムの馬小屋の飼葉おけに眠っておられる救いのみ子であります。この赤ん坊神のみ子は、なぜまぶねの中に寝かされていなければならなかったのでしょう?

 記者ルカは「・・・宿屋には彼らのいる場所がなかったからである」(ルカ2:7)と言っています。「定めの時が来て、神はご自分の御子をこの世にお遣わしになり、女から生まれさせ」(ガラテヤ4:4)、「ご自分の国に、また、ご自分の民にお送りになったにもかかわらず、その民はイエス・キリストを始めから受け入れなかった」(ヨハネ1:11)のであります。

 では神様は、なぜみ子をこのような無頓着で邪悪なこの世にお送りになったのでしようか?それは「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された」(ヨハネ3:16)からであります。「世が救われるためである」(17)と、その理由が述べられています。

 「救い」とは、十字架をさしています。私たち罪人がかかるべき十字架を、主イエス・キリスト(救い主)は、あなたと私のために身代わりとして、贖いの死をとげられましたが、その救いの恵みを指し示しています。あなたにとって、この救いのみ子を心に受け入れるか否かは、緊急な問題です。

 1節にあるは、もちろん東方の博士たちをベツレヘムへと導いた、あの素晴らしい星を意味しているでしょう。彼らが、遠くからその星に従ってやって来た理由は、王を拝み、また、ふさわしい贈り物を王に捧げるためでありました。ですから、クリスマスは王の王の誕生日なのです。あなたは、王の王に何を差し上げますか?主イエス・キリストがご要求なさっておられるものが一つあります。それは、あなたご自身です。ただそれだけです!

 

2 きよしこのよる み告げうけし

  まきびとたちは み子の御前に

  ぬかずきぬ   かしこみて。

 

 2節で中心になっていることは、天使からのみ告げを受けた羊飼いたちの、驚きと喜び、そして、み子のみ前での場面までを歌い上げています。 ルカの福音書2章15節~18節と20節には次のように記されています。「御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは互いに話し合った。『さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう』。そして急いで行って、マリヤとヨセフと、飼葉おけに寝ておられるみどりごを捜し当てた。それを見たとき、羊飼いたちは、この幼子について告げられたことを知らせた。それを聞いた人たちはみな、羊飼いの話したことに驚いた。・・・羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、讃美しながら帰って行った」。

 私たちはこの羊飼いたちの行為を学ばなければなりません。神様のお招きのみ声に従わねばなりません。教会の中にまで足を運んで、神様を崇める者の姿を見てください。み言葉をお聞ききください。聖書を手にして読んでみてください。そしてそれが本当であり、まことであると信じ受け入れますなら、あなたの友人、肉親、周りの人に、このいのちのおとずれを告げ知らせてください。これこそがクリスマスであります。 

 

3 きよしこのよる み子の笑みに、

  めぐみのみ代の あしたのひかり

  かがやけり   ほほがらかに。

 

 3節ですが、原作の方が意味がはっきりしています。ここで作詞者が中心にしていますことは、主イエス・キリストのご降誕によって、救いと恵みの時代がスタートしたことを歌っています。ですから、救い主のご誕生と言うことは、人類の歴史にとって大変なことなのです。罪人なる私たち、滅びゆく者にとりまして主イエス・キリストがお生まれになられたということは、本当に恵みと救いの時代を迎えた希望と、たしかさが与えられたということです。 

 しかし、問題は、あなたがそれを信じるかどうか、白紙になって神様が提供してくださる恵み、救いを受け入れるかどうか、というところにあります。したのひかりを本当に見たいとお望みなら、今日、今、キリストの救いの恵みをいただいてください。

 「確かに、今は恵みの時、今は救いの日です」。

    ~コリント人への手紙第二、6章2節~

   ******************  

この「さんびか物語」は「つのぶえ社」の出版(第一刷1974年、第二刷1992年)で、出版社の許可を得て掲載しています。本の購入を希望される方は、「つのぶえ社」までご注文ください=

          

 

 ビルマ

  戦犯者の獄中記  (46)  遠山良作 著

昭和22年

6月18日

検査

 朝食が終わり、全員(死刑者を除き)運動に出してくれた。雨季に入っているので、空はどんよりと曇っている。みんなラジオ体操をしていると、所長が巡視に来たが、私たちは体操を続けていた。各房にかけてある名札を見ながら西側から東へと歩いて来た。そして私の房の前で足を止めたと思うと房の中に入って行った。所長について来た英兵が私の名を呼びに来たので体操をやめて房の中に戻った。所長は私の房の中にある、13個の「レーション」(英兵の携帯食料)を指差して「これはどうしたのか」と尋ねた。

 この「レーション」は東大尉が第二回目のタキン事件で起訴され西独房に移される日に、インセン刑務所(ビルマ人の監獄)に移されてから一年近くになる5名(カラゴン事件関係)とは全く連絡がないのでどんな生活をしているかも判らないが、「レーション」など支給されていないと思い、激励と慰問の目的でこの独房にいる全員から半分ずつ持ち寄り「インセン」刑務所に送る許可を刑務所側と交渉中であった。それまで保管するように依頼された品である。

 そのことを通訳を通して説明したが、所長は「インセン」刑務所に送ることは認めぬ、お前たちが食べなければ取り上げる。今後も支給しないと激しい言葉で言った。

 私は「この品は私個人のものではない。インセンに送ることがいけないのなら、出してくれた人たちに返却するから取り上げることだけはしないでくれ」と何回も頼んだので取り上げられることだけは許してくれた。今度は私の持ち物の検査である。50本入りの缶入り煙草と歯ブラシがあった。友たちが差し入れてくれた品物である。封も切らずに大切にしていたが、所長は支給品以外の品は所持してはならないと言って取り上げてしまった。再三返却をしてくれるように頼んだが無駄であった。隠して置いたペンも、鉛筆も発見されて取り上げられてしまった。

今まで何度も房の検査があったが、筆記具、日記等は破れた壁の間とか便器の下などに隠しておいたので何とか発見されずに過ごして来たが、今日は運動中であったので油断をしていた。書いた日記などはみな取り上げられてしまった。

所長はその時は私の房のみ検査をして帰って行ったが、しばらくしてから衛兵4人がきて両側から各房の検査を始めた。寝具、食器、水筒、衣類を除いて全部外に出すように命じた。私はトイレットペーパー、ローソク、日記、煙草7個(友よりの差し入れ品、)を押収された。

午後になって所長は英兵を連れて三度検査に来た。毛布と衣類、食器を除いてみんな取り上げられた。

 独房とはいえ一年以上生活していると、住居と少しも変わらず、掃除をするために雑巾や、洗面や食器を洗うための用器(缶)等はどうしても必要な品である。今日から日記も書けないと思うと情けなくなる。煙草は一週間に二個(十本入り)支給してくれるのに何故取り上げるのかその理由が判らない。

監視する側から見れば、自殺や逃亡のために使われるものは危険物として押収するのが当然であろうが、支給した煙草までも検査だといって取り上げるのである。ある友の話によれば「英兵たちも煙草の配給が少なくて不自由をしている」と聞いたが、本当かも知れない。病院から退院して来た者たちの私物を検査しては煙草を取り上げるという話を聞いたことがあるが、勝手な検査である。

我が書きし 日記便器に 隠せしを 気付かず英兵は 房を出て行く

「註」 「レーション」アメリカ製品で一個が英兵の一食分である。われわれには一日分として食事の代わりに支給してくれるが、内容はチョコレート、乾パンなどが入っているが量が少ないので空腹な食事である。

*この文章の転載はご子息の許可を得ております。

 

 

「あなたに聖書を」

「キリスト教百話」・・・25

問20・・3 キリスト教では「罪」と言うことを言いますね。クリスチャンは「われらの罪を赦し給え」と祈っていますが、別に犯罪を犯しているようでもないのに、どうしてあんなことを言うのですか。

答   「罪」と言う言葉は普通には何か悪いことしたことに対して、それは「罪を犯した」という風に使われますね。それが法律に引っかかる場合には明らかな「犯罪行為」とみなされます。その場合は法律に違反しなければ「犯罪」とはなりません。と言うことは、その場合の「罪」というものは、その法律が適用される範囲内の人にとって誰もが認める共通の「してはならないこと」が明文化されていますから、「罪」とは何かがはっきりしています。これは法律上の罪と言うことになります。

 <続き> では、神不在のままで人間は安らかでいられるか、という問題があります。それは人間は今あるままでしかないものの、そういう自分で本当に安心出来るかと言う問題です。規範はあってもそれが究極的普遍的な規範と言える根拠があるか、仮にあったとしても人間はそれを守り得るか、歴史に照らし、自己自身に即して言えば確信持って「然り」とは言えないのではないか。

 そういう不確かな不安に似たものを存在の根底に覚えているところに、今日の人間もまたすべて「エデンの東」にいるのではないかと思います。しかもそこに住み慣れてしまうと、エデンの園を思い出すこともなくなっているのが実状ではないかと思います。しかし、エデンへの復帰を神の側から求めておられるというのも実状であります。

 エデンが楽園であったのは、そこに神が主人公として厳然としておられ、人間がその神を神として崇めていたからですが、それは神による規範が「禁断の木の実からは取って食べてはならない」という戒めとして明らかにされており、人間がその戒めを守っていたからであります。聖書がいう「楽園」とは、そこに神が主人公として厳存しておられるところです。人間が自分の欲望を満足させて良い気分に浸っていられるところではありません。神が主人公としておられることを窮屈に感じたり煩わしく思ったりすることがあるかも知れませんが、それは人間の見当違いであり弱さの証拠であって、人間がすべてとなって営まれてきた歴史を見ればその結果は明らかです。

 この神による規範内容、即ち「禁断の木の実」とは何かが詳しく示されたのが、「モーセの十戒」と呼ばれるものであるといえます。これはいわばイスラエル民族の憲法ともいうべきものでありまして、その施行細則を含めると膨大なものになりますが、聖書ではこれを「律法」と呼んでいます。

 

    <1月のラジオ放送予定>  

   1月 4日 原科 浩 (日本キリスト改革派名古屋教会長老)

     11日 原科 浩 (日本キリスト改革派名古屋教会長老)

     18日 伊藤治郎 (日本キリスト改革派四日市教会長老)

     25日 伊藤治郎 (日本キリスト改革派四日市教会長老)

          (放送開始1952年10月)

CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ

毎週日曜日朝6時30分~45分放送

 

  「ローマ人への手紙」研究 (120)

 第67課 キリスト者生活の実践的義務

=12:1~15:13=・・・3・・・

A 個人の生活上の聖潔を養う義務

       12:1~21・・・3・・・

「神への聖別」・・12:1

 聖さと言うことは、人格や生活のすべての個々の特質を含むものです。聖さと言うことは決して抽象的なことではなく、分離されるようなものではありません。聖さは柔和、親切、熱心、その他のことと同列に置かれることでなく、むしろ、それらのものを全て含むのです。それらはキリスト者の生活における聖さから出てくる果実なのです。

 

聖さということは、神への聖別、奉仕、礼拝なのです。これこそ「霊的な礼拝」なのです。神が私たちに「なすべき」こととして期待しておられるのは正にこれなのです。

 

 聖さということが、12:21で要約されていることがわかります。「悪にまけてはいけない。かえって、善をもって悪に勝ちなさい」。この世界における悪というものは、決して想像の産物ではなく、実在のものなのです。それは強力なのですが、私たちはそれに直面しなくてはなりません。私たちは食うか食われるかなのです。悪に負けるか、善をもって勝つかです。私たちには中立はあり得ないのです。悪との戦いにおいて戦わないでいることは出来ないのです。私たちが悪に戦いを挑まねば、悪が私たちを征服するのです。しかし、神の恵みによって、私たちは悪に対して戦いをなし、善をもって悪に勝利を得ることが出来るのです。

 

 聖さと言うことは、それのみを私たちが所有しうるような抽象的なものではなく、この章の中で見るような具体的なキリスト教的徳目の形を取るのです。聖さとは神への完全な献身であり、善をもって悪に打ち勝って行くことなのです。聖さは柔和・寛容・熱心などとなって発現します。もし私たちがこれらの徳目を欠くならば、キリスト者の聖さを持っていないのです。

  J.G.ヴォス著

  玉木  鎮訳(日本キリスト改革派引退教師)

 

  祈 り 

 「美しい朝に」を読んで、大阪府 K・Aさんのことは、親友ととても似ていると思いました。3年近い病気との闘いでしたが、今は元気に通院しながら日々を過ごしておられます。ご家族の励ましと理解や教会の方々の励ましのお祈りの中で過ごしておられました。彼女は何でも出来る人でしたから、病気が分かった時の落胆振りは、この人だあれ・・・と疑うほどでした。変な言い方ですが、病気がその人を変えました。人の心に感動し、自然に親しみ、家族への思いは深い、温かい穏やかさに感謝なさっています。

 神様の愛を心に沢山いただいている様子には、最初の頃の落胆や不安は感じられません。そうして、前よりも生きることに積極的になっておられました。・Aさんのことをお祈りいたします。

                  鹿児島県 S・Kさん

                     

『美しい朝に』・・2・・

14年

11月13日

 おはようございます。

 大阪は、秋晴れです。しかし、天気予報どうり寒い風が「ゴー」と吹いています。冬の冷え込みですね。昨夜は、ショックなことがありよく眠れませんでした。教会付属幼稚園時代の2つ先輩の「Mちゃん」とは、長いお付き合いになります。今回、私のことをすごく心配して祈っていてくれました。私が無事ですごく喜んでくれて、「つのぶえジャーナル」を送ってほしいと言ってくれました。Mちゃんのお父さんは、亡くなりましたが牧師さんでした。

 私の入院中、主人も主人の母の施設に洗濯物を取りに行き、洗濯し乾いたら1週間に1回は持っていく生活を続けています。私の入院中は、私の洗濯もして私の病院でも先生の話を聞いたり、高額医療の書類を区役所に取りにいったり、難病の書類を取りに行ったり提出したりして、体調を壊しました。

 娘夫婦が、主人のかわりに私の洗濯物を取りにきてくれましたので、なんとか主人は元気です。でも、主人の母の施設と、私の病院の送り迎えとで大変です。主人は、62歳です。主人の健康もとっても心配で、不安です。

12月16日

 今、大阪はすがすがしい朝のヒヤッとした風が顔に心地いいです。2錠で1111日水曜日から何とか1116日日曜日まで過ごせました。お祈り感謝です。身体と頭は体感温度が違うようです。頭は、カアーと暑くてアイスノンで冷やしています。体は寒くて、電気毛布の中で暖房です。体温調節がうまくできていないのでしょうね。冬の寒さ到来ですね。お祈りしています。

11月19日

 こんにちは。「つのぶえジャーナル」の更新楽しみです。実は、昨日、家族にも怒られてしまいました。阿倍野まで、家族に内緒で1人でバスで行ったので正直疲れました。ステロイドを服用している私は、人ごみは「禁止」されていました。1年に、1度の手作りのクリスマスツリーやカードを贈りたい人の顔が目に浮かんで危険をかえりみず行動していました。私には悔いはありませんが、お祈りして心配して下さる方々に申し訳なく反省です。大阪は、今日もいい天気です。お祈りしています。

11月22日

 今日は、大阪は良く晴れていつもより少し暖かいです。気分は、晴れた方がやっぱり気持ちがいいですね。私は昨日も今日も家で静かに寝て過ごしています。25日の火曜日は、2週間ぶりの外来治療です。2錠になって初めてなのですが、なぜか病院に行く前の週の金・土・日曜日は調子が悪くなります。血液検査の結果を知らず知らず気にしています。当日の絶食とステロイドを血液検査が終わるまで服用できないしんどさは、学生時代のテスト前の心境と似ています。血小板を作る秘策「甘いカステラ」を食べて頑張っています。寒いですので、くれぐれもお大事になさってください。

11月24日

 毎日メール、ありがとうございます。大阪も暖かい日差しが窓から差し込んでいます。でも、お天気と関係なく、少し身体がだるいです。首から上が暑く(アイスノンをしています)体は寒くてお腹の調子も悪いので(電気毛布に入り)、星野富弘さんも書いておられたように、私の身体もどういうわけか体温調節ができないのかもしれません。明日の病院行きに備え、安静に過ごします。主人に車で送ってもらえるので、車で1時間もかからないと思います。車は渋滞具合で時間は、その時によって違います。たぶん、休日明けの病院は重症患者さん優先なので(私も輸血の時優先でした)、血液検査までの待ち時間が怖いです。とりあえず、また寝てきます。    

11月26日

 おはようございます。今朝も大阪は雨です。昨日(火曜日)は、外来治療でした。朝の9時過ぎに着きましたが、連休明けのせいか緊急の患者さんが多かったので診察まで、3時間以上待ちました。でも、血液検査の数値は良くて、ステロイド2錠で2週間たちましたが肝臓も腎臓も異常がなく、血糖値も正常値で、炎症反応も出ていませんでした。血小板も安定しています。病院の先生にお聞きしたところ、今の数値とステロイド服用2錠であれば、全く外出が禁止ではなく「マスク着用厳守!何か触った手で口や鼻を触らない!」を守れば、体調次第で少しの外出は大丈夫だそうです。いつもお祈りありがとうございます。「つのぶえジャーナル」更新感謝です。私の文章がどんな反応を受けるか心配です。

11月27日

 おはようございます。大阪は、秋晴れです。気持ちは晴れ晴れですが、身体は風邪をひいたみたいです。風邪をひいても病院に来るように言われています。肺炎にならないかが心配です。今日は主治医の先生がお休みの日なので、明日様子を見て病院に行こうと思っています。もしかしたら、軽く治るかもしれません。必死でお祈りします。「つのぶえジャーナル」きれいな12月号になりましたね。感謝です。寒いですので、お身体ご自愛ください。お祈りしています。

11月28日

 おはようございます。今日も大阪は良い天気です。窓から見える空に雲はなく快晴です。昨日うがいをして安静にしていましたので、風邪の症状は治まりつつあります。お腹は微妙ですが、おかゆを食べてまた安静にしときます。メールの返信ありがとうございます。皆様にお祈りしていただけて心強いです。

11月30日

 おはようございます。今日もすがすがしい朝がむかえられ感謝です。お祈りに支えられて、1日が始まりました。大阪は、昨日までお天気はぐずついていましたが、今は雲一つない青空です。牧師先生にも「つのぶえジャーナル」12月号のURLお送りしましたので、教会の皆様にも、今日(日曜日)ご紹介くださるそうです。クリスマス礼拝に行きたいなんて夢ですけど・・・(ステロイド服用で免疫力低下のため)せめて体調さえよければ、お正月両方の母の顔を家族で見に行きたいなと思っています。「会いたい人に会っておく。出来る時にしたいことをしておく。味覚があるうちに食べたいものを食べておく。行けるときに、行きたい場所に行っておく。人に優しくする。愛する人に、ありがとうと伝える」。こんなことが本に書いてありました。
 1つ1つ、体調と相談しながら夢をかなえたいなと思っています。お天気が良いので、少しだけマスクして散歩に行ってきますね。いつも、お祈りありがとうございます。
12月2日

 おはようございます。今日は、本当に冷え込んでいます。先日の数値が良かったのとステロイドが2錠になったので病院は2週間後になりました。風邪もおさまったようです。いつも、お祈りありがとうございます。今週の木曜日は、眼科の半年ぶりの定期検査です。(網膜剥離のレーザー手術の経過を見て目薬をいただきます)。息子が大正区の眼科まで朝8時に車で送ってくれる予定です。家族の優しさが、病人にはありがたいです。今日は、昼も夕食も私が作る予定です。昼は、野菜スープとサラダとハヤシライスでした。夜は、昨日たいた千切り大根と卵焼きとシュウマイ+なすびの炒め物+野菜スープの予定です。(しんどくなれば、大幅カットになります)やっと、できました。頑張りすぎて疲れました。写メ・・・。

12月3日

 おはようございます。昨日の夜は、本当に冷え込みました。今日も晴れていますが、寒いです。私は、本当は料理は苦手で、親が苦手な方が子供が得意になったりするのでしょうか?娘は、料理も得意で仕上がりの見た目が私とは全然違います。味覚は、今のところ損なわれていませんのでおいしく食べれて感謝です。病気になってから、家族に頼まれる仕事の量が格段に減りましたので、

2回くらいのペースで料理作りのシフトに入っています。それも、体調の良い日に限定です。今日は、明日の眼科に向けて安静にします。

12月9日

 いつもお祈りありがとうございます。最近、体調がすぐれなかったのですが、

今日外来治療に行きますと、炎症反応が出ていて微妙な状態です。風邪の引き始めかもしれません。でも、血小板は数値が安定していて、ステロイドは明日から1.5錠になりましたので、かなりだるさがひどくなるとのことです。でも、2錠→1.5錠に減らすのを副作用が出てないうちに頑張ることに決めました。

2錠のうちに、今日は夕食を作りました。娘の家にもおすそ分けしました。

12月10日

 薬を減らすと、胃潰瘍・血糖値上昇・ムーンフェイスなどの副作用の心配は少なくなります。しかし、薬の量を減らすと「無理やり薬の力で元気になっている」のが、少なくなりだるさがまして辛いので、薬は減らすのが数値と共に本人の我慢次第のところが大きいです。お祈りください。

12月12日

 おはようございます。今までにないくらい、身体がだるくてしんどいです。想像はしていましたが、泣くほど身体がだるいです。実際、本当にじんどいです。

12月13日

 大阪も寒いです。雪がちらついています。昨日は、少し寝れました。食欲はあまりありません。星野富弘さんの言葉や絵は、病気になってから感じ方も共感できる部分も変わりました。今年も家の梅も蕾つけはじめました。不思議ですね。

           大阪府 K・Aさん

  (このメール文の掲載はK・Aさんの了承を頂いております)   

 

 「みんなでわいわい・ご意見コーナー」

★ ご近所に居られる93歳でお一人で畑仕事をして頑張り、食事も作りやりくりして居られましたが、庭で滑り転んで腰の圧迫骨折という診断を受け入院されました。子供たちはいるのですが神奈川に住んでいますし、まだ勤めているということで、ご近所の方々でお世話することになりました。退院後のことは,市の方に相談することにいたしましたが他人事ではないと思わされました。母も田舎でひとり暮らしですから・・・。 

★ 最近、夕方近所に買い物に行くと犬なのに「ブヒ、ブヒ」と鳴く犬が散歩されています。最初家族が面白半分で話していると思っていたので直接見た時思わず笑ってしまいました。飼い主のおばさんはいつも笑顔で散歩されています。肩を落としてしまう様な出来事の多い年末ですがユーモアと祈りを忘れず、明日を迎える夜でありたいです。  

★ 今朝はとても冷え込んだ丹波でした。ばあちゃんのかかりつけ医院で白いさざんかが咲いていました。いいお天気です。田舎でもクリスマスのイルミネーションをされた家があり電車から楽しめます。小さな教会がいくつか離れてあり 高齢化は避けられませんが、まあよく頑張っていると思います。今は紅葉の一番美しい時です。街路樹の葉は昼間は車の間で踊っていましたが 夕方には両端に固まっていました。冬もそこまで来ています。小豆の収穫も終わり 大豆の収穫も始まっています。黒大豆はこれから忙しい時になります。お正月に間に合うように収穫し出荷しないと値段が、安くなり苦労が水の泡になり大変です。

★ 今年の漢字は「税」だそうですが、私のところは「喜」です。長期を覚悟し、後遺症も心配でしたがそれもなく、主人の病気入院もことのほか短期間で済んだこと。娘のところに双子の孫が生まれたことで「喜」でした。感謝です。 

 

 

  『ありがとうございます』

 古里の友人から、大雪のお見舞いメールを貰いました。大雪の北海道から23センチの名古屋の大雪見舞いで、不思議な感じがしました。

 お花屋さんの店先で、梅の鉢植えを見つけました。手元にあるカレンダーの1月1日は旧暦の11月11日とあります。これまた不思議な感じがいたします。旧暦の元旦は2月11日です。

 主の2015年を予測する出来事が、賑やかに報道されますが、どうも良くないことばかりが多いのは、どうしてなのでしょう。希望とか、平和とか、穏やかさを願うのに、予測は悲観的です。キリスト者には、悲観的なこと以上に、神の国を願い、み国を仰ぎ望む信仰が与えられていますので、一日一日を感謝して精一杯生きることを喜びとしています。

 皆様の2015年が、神様のお守りを頂いての1年となりますようにお祈りいたします。今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 =『つのぶえジャーナル』・『つのぶえ社』の活動のための寄付者=

佐々木明様 金田好美様 馬場信直様 馬場暁美様 太田 隆様 森谷千文様 匿名3名様

 2014年11月16日から12月15日まで

   郵便振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社 

 

『クリスチャン音楽家を支える会』への寄付者

 

 匿名様 1名

便振替口座番号 00870-2-92464 クリスチャン音楽家を支える会

『水琴窟』

昭和25年11月18日初版発行「宮沢賢治 作品と生涯」(新文化社)という兄が購入した本が、今も私の目の前にあります。中表紙には兄の「偉人になりたしと思へば 先ずばかとなれ」K・Oと書かれてあります。この本に出会ったのは私が16、7歳くらいだと思います。あの何ともいえない姿の賢治の数枚の写真。私は、読んでも心に残る言葉はありませんでしたが、ふる里を離れ、東京の夜空を見上げた時、星はありませんでした。

記憶のどこかに残っていた歌がありました。それが「星めぐりの歌」でした。南の国の星空ではない、凶作と貧乏と寒さの地に輝く満天の悲しげな空に輝く星。荒地を見下ろす北国の星でした。

 

「星めぐりの歌」

あかいめだまの さそり ひろげた鷲の  つばさ
 あをいめだまの 小いぬ、 ひかりのへびの とぐろ。
 オリオンは高く うたひ つゆとしもとを おとす、

 アンドロメダの くもは さかなのくちの かたち。
 大ぐまのあしを きたに 五つのばした  ところ。
 小熊のひたいの うへは そらのめぐりの めあて。

 

宮沢賢治の作曲した歌には、他に、「北ぞらのちぢれ羊から」「イギリス海岸の歌」「大菩薩峠の歌」「月夜のでんしんばしら」「牧歌」「剣舞の歌」などがあるといわれています。

 お便り下さる方はこのメール アドレス   osamura@kind.ocn.ne.jp をご利用ください。

 「つのぶえジャーナル」(米国南長老教会文書伝道事業)刊行責任者

   つのぶえ社代表   長村秀勝

 

 

 

   今月のことば

 「主はみ腕をもって力をふるい、心の思いのおごり高ぶる者を追い散らし」   

    =ルカ1:51=

 あのベツレヘムの飼葉おけの中の幼子は、神の御子が横たわっていました。その幼子は、人を「倒れさせたり立ち上がらせたりするために、定められている」(ルカ2:34)とあります。人はキリストのゆえに倒れ、キリストのゆえに死ぬということも起こり得ると、言われています。

 クリスマス・・・・。もしかすると、私たちの中の多くの人々にとっては、クリスマスなどなくても、そのよう祝祭の意味など知らず、祝いもしない人もおられるでしょう。人がその意味を知っていても、知って破滅を招くことも起こりうるでしょうし、飲み食いして、裁きを招くことも起こりえます。クリスマスは、子供らしい事柄や無邪気な出来事どころではないのです。

 そこでは、私たちに対して、光が提供されるが、その光を受け入れない者は、闇の中に留まるのです。また、救いが告げられるが、その呼びかけの声を聞こうともしない者は、廃棄の中に沈むのです。

 キリストに対してそのみ声を聞くために心をキリストに向けることも出来れば、耳を塞ぎ、心を閉じることも出来ます。

 キリストの誕生は、美しい牧歌的な出来事ではないのです。

「主はみ腕をもって力をふるい、心の思いのおごり高ぶる者を追い散らし」の続きには「権力ある者を王座から引きおろし、卑しい者を引き上げ、飢えている者を良いもので飽かせ、富んでいる者を空腹のまま帰らせなさいます。主は、あわれみをお忘れにならず、その僕イスラエルを助けて下さいました。わたしたちの父祖アブラハムとその子孫とをとこしえにあわれむと約束なさったとおりに」(ルカ1:51~55)とあります。

 主よ、どうかこのクリスマスの時、飲食と享楽を求め、霊的でない欲望を、私たちの心から遠ざけてください。

 神に生きる決意をもって2015年を迎えさせてください。アーメン

 

 

   小閑記

 わたしにとっては、生きることはキリストであり、死ぬことは益である。

          =ピリピ1:21=

 信仰者の喜びは、人それぞれのことばで表現されますが、パウロの「信仰の喜び・生きる幸い」をこの聖句は見事にそれを表現しています。それは単なる高揚の感情ではありません。人が、救われた罪人であることを考える時、何物にも代えがたい喜びとして、私たちを捉えるのです。

 人生という長い旅路の中で、信仰に生きることは、血肉の戦いであり、苦難の日々でもあります。日常の信仰生活の中に苦難を感じない、出会わないことは絶対にないのです。キリストに生きることは、この世のものとの決別・戦いだからです。「献身」と言う言葉は教会でよく使われる言葉です。しかし、この「献身」は日々の生き方で神様に証明しなければなりません。ですから、とても重たい言葉なのです。

 パウロにとっては、地位も、名誉も、富も、時間や命さえも、キリストのみ心に適わないものは、何の意味も価値もなさないものでした。パウロの見出した価値は、イエスの内に見たのです。ゴルゴタへの道に、その丘の十字架のイエスに見たのです。

彼は多くのものを見、知っていますが、このキリスト・イエス以外のものは、何も持たず、何も見えず、何も知らず、何も知ろうとしなかったのです。

 地上の命に与える最高のものさえも、イエス・キリストがお与えくださるものに比べれば、塵・芥に等しいものでした。パウロはキリストに生き、キリストのために生きました。キリストの愛に生きました。

 これはキリストにある信仰を告白する私たちにとっての試金石であり、鏡でもあります。弱く貧しい信仰者である私にとって、この生き方は、本当に手にすることの出来ない高峯ですが、パウロも罪人、弱い人間です。しかし、このように告白し続けて生きたのです。

 キリストを見出して生きるとは、何と幸いなことでしょう。

 「献身者」として生きましょう。

      上河原立雄

  =嘆き悲しむ人よ=

 心正しきイエス様が 逮捕されたと 

  嘆き悲しむ人よ これは神様の御心だと知れよ

 愛に富みたるイエス様が 死刑にされたと

  嘆き悲しむ人よ これはわれらの救いのためだと知れよ

 力に満ちたイエス様が 埋葬されたと

  嘆き悲しむ人よ これが死を打ち負かすためだと知れよ

        水野源三作 

   

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緑を大切に!
お気持ち一つで!
守ろう自然、育てよう支援の輪を!
書籍紹介
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エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

      d6b7b262.jpg
教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
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「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

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「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
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「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
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われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

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さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

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