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2023年7月号  №193 号 通巻877号
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      (ひとみ)

 私は生来、金銭管理が苦手で、月々の家計簿を付けている人は、羨望です。母親譲りと責任転嫁したいのですが、娘がそれを引き継いで、全く出来ません。ある本に、自立の目安は「自己管理、自己責任、自己決定」とか書いてありましたが、私も母も、そして娘も、失格です。娘はローンで家を買いました。心配していましたが、ご主人が几帳面な人で、一安心です。娘の取り柄は、これも三代続きで洋裁と料理が得意で、自分仕立ての洋服で満足してます。一つくらいは良いものを神様は下されるのですね。親バカメールでごめんなさい。

                    愛媛県 T・Tさん

 祖母の言葉を代わりに送信します。・・・。祖母は現在87歳で学校がミッションスクールで、そこで信仰が与えられました。ラジオの「キリストへの時間」を聞き、そこから毎月送られてくる「聖書研究の友」を読んでいたようです。それが廃刊になってからは「つのぶえ」に代わり、今は毎月更新される「つのぶえジャーナル」を愛しています。気分の良いときに私が耳元でゆっくりと読んでいます。いろいろの人が見ているんだね・・・と言っていますので、おばあちゃんも何か送ったらと言ったら、そうね・・・、と考えてから、女学生のころの思い出や教会の様子やお友だちのことを話し出しました。私もあまり聞いたことのない話で、祖母の証しのように思いました。戦争中のこと、戦後、若い人がたくさん教会に来た様子や、今は建てかえられてしまった教会で、私には分かりませんが、祖母の楽しい思い出が残っているようです。

 私にとっても、「つのぶえジャーナル」を通して、祖母の信仰の話が聞けるのはとても貴重な時間に感じます。 

                    福岡県 S・Kさん

 
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   自閉症者のひとりごと

(91)

11月7日

 脳がやられました。知らず知らずのうちに刺激を吸収してしまって、持ちこたえられなくなるのです。頭を空にするために、眠らなければならないのですが、それがまた難しい。昨日、今日とその状態です。何もできません・・・。
 気温の落差に体が付いていきません。気合だけではダメですね。休み休みでやっとですが、それも今はダメ。

11月10日

 身体の痛みも相変わらずあります。少し頑張って本を読みたくて集中したり、聖書を読んだりすると直ぐに背中や頭が痛くなってしまって出来なくなり残念な気持ちにもなったりしています。ただ落ち込み過ぎないようにやってます。難しいですが出来る事を出来る分だけやれれば良いと思ってます(^-^)

 加納さおり

 

 「お知らせ」

エネルギーは有限であり、環境汚染も大きな問題としてニュースで知ることはできますが、その理解を深める入門書として、皆様にご紹介いたします。その主なテーマとして、たとえば「エネルギーって何?」「太陽光発電って何?」「再生可能エネルギーを暮らしに取り入れる」など、身近な問題を取り上げた本です。個人ばかりでなく学校や市民サークルなどでも活用できる本です。

 「ゼロから始める・・・暮らしに生かす再生可能エネルギー入門」

 法政大学地域研究センター

 編著 田中 充 白井信雄 馬場健司 

 執筆協力者 遠藤はる奈 北風 亮 杉山範子 中島恵理 畑中直樹 平澤

       和人 増原直樹 松田直子 松本 明

 発行所 社法 家の光協会

  定価:本体1400円+税 ISBN978-4-259-54750-9

 

世田谷通信

 (134

猫 草

百科事典といえば、どんなイメージをお持ちだろうか。一昔前はセールスマンが家に売りにきたもの?或いは重厚な応接室の本棚に並ぶお飾り・・という時代もあったのだろうが、最近の進化ぶりは目をみはるものがある。とにかく写真が綺麗で迫力がある。DVD付のものがぐっと増えた。ライバルはインターネットである。パソコンでは、手軽に最新の情報や大量の画像、動画をみることができる。ただし、玉石混交だし、系統だっていない。体系的な知識を得たいと思ったら百科事典は知識の宝庫。というわけで、学校の図書室には何セットか常備しているのである。でも時々買い換えないと内容が古くなるので、少しずつ予算を組んで入れ替えている。

図書室まで行く時間が無いが、教室でちょっと調べものに使いたいとの先生方からの声もあり、各教室にはポケットサイズの百科事典を数冊配備している。各教室にネットにつながったパソコンが1台あれば随分いろんなことが簡単になるだろうに・・とは思うが、この情報化社会の中にあって、今のところ公立小学校は相変わらず、昔ながらの黒板と紙で運営されているのである。

国語辞典や漢和辞典も本屋に行くとずらりと何種類もの種類があり、一体どう違うの?と悩んでしまうが、小学校の学年によって見出し語の数や文字の大きさ、内容を吟味しながらのセレクトとなる。図書予算との兼ね合いで、低学年、中学年、高学年それぞれを2クラスずつそろえて図書室前に置いている。

そして、古くなった百科事典。これがまたもったいなくて簡単には捨てられない。手書きの精密な挿絵には写真で真似できない迫力がある。例えば大きな建築物などを斜めに切断したアングルでの構造図や展開図や味のあるイラスト等。そのまま捨ててしまうにしのびなく、図工の先生に資料としてお渡しし、作品の構想を練ったりするときの参考にしていただく。もう捨てる本なので、絵の具がついて汚れても構わないという前提だ。

何でもスマホやパソコンで手軽に調べて、その場だけ分かったつもりになってしまうのだが、辞典や辞書も無くしたくない資産だと思う。編纂するという言葉があるが、本当に「編む」というのがぴったりするような、吟味と検討と熟考と推敲の結晶なのだから。流れている大量の情報をしばしつなぎとめつつ、時々放流しつつ。図書室って川の中州のような場所だなあ・・と思うのである。

*この添付のイラストは絵を描くのが大好きな次男がパソコンのペイントツールで描いたものです。

 

  その愛のゆえに

   =時々の記=

    (104)

10月9日
 昨夜は皆既月食を見ることができました。満月から少しずつ欠けて行き、暗闇になると、星が一層輝いて見えました。月の灯がなくなるととても神秘的でもあり、さびしくもありました。一時間ほど経過するとまた大きなまあるい月が東の空高くに出てきて、月の灯りに有難さを感じました。ノーベル物理学賞受賞が決まり、新聞やテレビの報道を賑わせています。日本人が3人。すごい快挙ですね。
優秀な方たちの研究の成果によって私たちの暮らしが、医療が進んできているのだと実感いたしました。
 昨日、教え子が美術大を出たのだが仕事がないので、一枚千円で似顔絵を描かせてほしいといってきました。快く描いてもらいました。15分足らずで描きあげたのにはびっくりいたしました。私の特徴をよくとらえて描きあげてくれました。絵の具代だよと言ってプラス500円差し上げました。今の時代にこれだけでは生活が成り立たないでしょうが、何とか気持ちだけでも支援していきたいと後姿を眺めながらエールを送り続けました。

10月14日

 ノーベル平和賞に17歳の少女が選ばれましたので、とてもびっくりしています。
マララさんの演説された‘一人のこどもと一人の先生、一冊の本、一本のペンが世界を変えることができる’との名言が多くの人々を感動させたと今日の新聞に載っていました。身の危険が及ぶことを心配しつつ、これからのマララさんの世界平和への貢献が期待されます。
 三つ栗の輝く頭出しにけり。
 渓流に紅葉の見えて平家住む。
 そこここに大木殖えぬ鄙の秋。
 猪荒らしでこぼこなれど草を刈る。
 乳牛の仔達の食める草紅葉。     馬場路哉
10月25日

 主人は痛風が改善されないので、昨日は診療所で痛み止めと予防薬をもらって帰りました。痛みが発症してしまったら、予防薬は痛みが治まるまで服用してはいけないとのことです。杖を支えによろよろ歩きですが歩くことができるということはとっても感謝なことです。

10月29日

 昨夜から準備し、灯油をストーブに補給し、今朝はストーブのぬくもりなしには朝の準備はできませんでした。一気に初冬の寒さです。日中は気温が上がりお日様の当たるところで犬たちと日向ぼこをして高い空を見入っていました。もう喪中はがきが届きました。それも、月ヶ瀬小学校で初めての担任をした教え子が亡くなったという知らせです。44歳の若さです。びっくりいたしました。私よりも早く亡くなるなんて・・・。とても悲しく、何をするにもその子たちと過ごした時のことが思い出されて、手につきません。私の家にも遊びに来てくれたことが印象に残っているクラスです。月ヶ瀬小学校はその頃文部省指定の体力つくり指定研究校でした。朝から全校生でリズム運動、棒体操に励み元気いっぱいの学級でした。お昼休みには縄跳びで遊びました。机に向かっているより外で飛び回っている時間の方が多いようにさえ感じられる日々でした。
 そんな元気な子供たちの一人がもう亡くなったなんて信じられません。悲しい一日でした。

10月30日

  二上(ふたかみ)の山の間を鳥渡る。
 秋草の穂波の丘となりにけり。
 紫苑晴雲一つ無く微風あり。
 芦原の穂の柔らかく日を弾く。
 小鳥来て美しきかな朝の声。    馬場路哉
 主人の痛風の痛みがようやく治まってきて、杖なしで歩けるようになりました。でも予防のための薬を飲み続けなければなりません。改善策として食事療法、投薬療法の二本立てで進めて行かなければなりません。

11月3日

 毎年のことですが、今年も心を込めて、昨日、アメリカに居られるゴダート先生にクリスマスカードをお送りいたしました。84歳になられる先生が今もお花屋さんでお仕事をされながら、礼拝生活を続けておられること。お若いときに日本伝道に尽くされた先生の熱い信仰に心打たれるのです。岐阜、名古屋の青年たちだけでなく上野まで来てくださって伝道をしてくださった遠い日の思い出は私の脳裏にしっかり焼き付いています。先生のお美しい賛美の歌声。神様をほめたたえるお声でした。南長老教会から日本伝道に携わってくださった先生方に心から感謝するものです。「ジャーナル」にはその先生方の熱い信仰の思いが反映されていますから。感謝しています。

11月6日

 116日は私の誕生日でもあり、父の亡くなった日でもあります。66歳になります。これからの一日、一日を大切に過ごしたいと願っています。あっという間に高齢者と呼ばれ、その名の通り何をするにもテンポが遅くなり、記憶が途切れます。それをありのまま受け入れて行くことが大切なのかもしれません。
 それにしても日が暮れるのが早くなってきました。まだ5時過ぎといいますのにあたりは暗くなってきています。ちょうどこの時刻になると裏山からぴーよー、ぴーよーという鳴き声が聞こえてきます。何の鳴き声だろうと主人にたずねましたら、鹿の鳴き声だというのです。かなり大きな声ですからきっと家のすぐそばまで来ているのでしょう。お腹がすいているのかもしれません。寂しげな悲しげな声です。あたり一面野生の動物たちが近づいてきて食べ物を探しているようです。生き延びるために、危険を冒してまでも人家に近づいてくるのです。来年のカレンダーがもう郵便局から頂きました。早いですね。

       馬場暁美 

    (上野緑ヶ丘教会員)

 

 

 解説 ウエストミンスター信仰告白 (30)

   岡田  稔著

  (元神戸改革派神学校校長)

 

第15章 命に至る悔い改めについて

 1 命に至る悔改めとは、福音的恵みであって(1)、その教理はキリストヘの信仰の教理と同様に、すべての福音の教役者によって説教されるべきである(2)
  1 ゼカリヤ12:10、行伝11:18
  2 ルカ24:47、マルコ1:15、行伝20:21

一 信者がこの世で受ける救いの恵みを、客観的超経験的面と主観的経験的面とに大別すると義認、子とすること、聖化などは前者に属し、信仰と悔い改めなどは後者に分類される。信仰と悔い改めは、まったくこのことの表裏をなす深い関係にある。信仰に「救いに至る」という形容詞がつくように、悔い改めにも「命に至る」という形容詞がつけられている(使徒11:18)。

 コリント人への第二の手紙7章10節に「・・・救いを得させる悔い改め」とあるから、ここで、命に至るというのは、まったくその意味であることがわかる。信者の生活は一面信仰生活であるとともに、同時に悔い改めの生活でもある。クリスチャンのことを信者と呼ぶなら、悔い改める者(回心者)と呼んでも差し支えないはずである。

 カルヴァンは「キリスト教綱要」三巻で、この点をよく述べている。ローマ・カトリック教会の改俊が、まったく非福音的思想であるのに対して、わたしたちは聖書的な意味での悔い改めを宣教しなければならない。信仰のみを説いて、悔い改めることは、義認を説いて聖化を忘れる場合と同様に、アンチノミアニズム(反律法主義)に陥る。

 改革派教会の宣言はこの点に言及している。ルター派が、たびたび反律法主義への危険を感じさせるのに対して、改革派は常にこの点を強調してきた。カルヴァンが「十字架を負うこと」とか「自己否定、自己嫌悪」を力説したことは有名である(ハイパア・カルヴィニズムと呼ばれている反律法主義もある)。

 

2 これによって罪人は、自分の罪を神のきよい性質と正しい律法に反するものとして、その危険さばかりでなく、そのけがらわしさやいとわしさをも見また感じ、そして後悔している者へのキリストにある神のあわれみを悟って、自分の罪を悲しみ憎んで全くそれを捨てて神に立ち帰り(1)、神の戒めのすべての道において神と共に歩むように目ざし努力するのである(2)

  1 エゼキエル18:30,31、エゼキエル36:31、イザヤ30:22、詩51:4(6)
    エレミヤ31:18,19、ヨエル2:12,13、アモス5:15、詩119:128
コリント7:11
  2 詩119:6,59,106、ルカ1:6、列王下23:25
 

二 これは、悔い改めとは何であるかを、よく述べられているところである。その出発点と立脚点と目的を明示している。聖化されていない自己への嫌悪とキリストの赦しと助けへの信頼と、神の律法に従って、神とともに歩もうとするこころざし、この三つの関係が命に至る悔い改めの生活を形成するのである。そのうちに一つでも欠けると、この命に至る悔い改めは成立しない。

   **********

 この文章は月刊「つのぶえ」紙に1951年(昭和26)10月号から1954年(昭和29)12月号まで書き綴ったものを単行本にしたものです。「つのぶえジャーナル」掲載には、つのぶえ社から許可を得ています。「ウエストミンスター信仰告白」は日本基督改革派教会出版委員会編を使用。

単行本購入希望者は「つのぶえ社」に、ご注文下さい。¥500

465-0065 名古屋市名東区梅森坂4-101-22-207「つのぶえ社」宛

 

 

さんびか物語 (9)

    (広く愛唱されている50曲)・・・8     

 ポリン・マカルピン著

          (米国南長老教会婦人宣教師) 

讃美歌85番

 主の真理は           

<神様のみ言葉>

「しかし主よ。あなたは、あわれみ深く、情け深い神。怒るのにおそく、めぐみとまことに富んでおられます」。

              ~詩篇86編15節~

 日本語の最初の讃美歌は1872年、横浜で開かれた第一回宣教師会の時に、宣教師ジェームス・バラの紹介した二つの翻訳の歌であると言われています。

その一つは、ジョーナサン・ゴルベ先生の「よい国ありますたいそう遠方に」(490番のあまつみくには)と、いま一つはミス・クロスビー訳の「耶蘇我を愛す左様聖書申す」(461番の主われを愛す)でした。

 この宣教師たちの直訳は、日本語的ではありませんが、その宣教師たちの持っていた深い信仰と伝道に対する熱心と勇気は素晴らしいものと言えるでしょう。日本語学校はもちろんのこと辞典も先生もいなかった当時、よくも難しい日本語を話し、翻訳したものと、私の経験からも感心させられます。

 ともあれ、この最初の二つの讃美歌が日本語の讃美歌のスタートとなって、1874年には8種の歌集が、それから10年の間に多数の小歌集が出版されました。歌詞もそのたび毎にととのい歌数も次第に多くなってまいりまし(一致・組合派)、「基督教讃美歌」(バプテスト派)、「聖公会讃美歌」(聖公会)、などの諸讃美歌集の基礎となりました。さらに1903年には、初めて各派共通の讃美歌が出版されてから、これがまた1954年版讃美歌の基礎になりました。

 讃美歌85番 「主の真理は」の素晴らしい歌詞の作詞者は不明ですが、この歌は1890年に「新撰讃美歌」から1090年の明治版「讃美歌」に編入された歌であると言われています。

 この讃美歌では、神様とはどのようなお方であり、また、神様は私たちに対するはかり知れない慈しみを力強く歌っています。ただ残念に思いますのは「新撰讃美歌」の作詞者が1954年版の場合、不明になっていることで、何とかして知りたいと思います。

 

 曲のLEONIはイギリスのウエスレー派の教師トーマス・オリバース(1725~1799)の作品で、オリバースがある日、ロンドンのユダヤ教大礼拝堂を訪ねたところ、そこで美しいヘブル語のクリードを聞きました。これは、YIDGALと言われているもので、13節もあるユダヤ教の頌栄のようなもので、今でもユダヤ教の礼拝で歌われているものだそうです。

 オリバースはそのクリードを聞いて非常に感動して、是非その楽譜を手に入れたいとその独唱していたユダヤ人レオニ(英名マイアー・ライアン)に頼みました。それはオリバースはこの美しい曲をキリスト教讃美歌にも取り入れたいと思ったからでした

 その結果、YIDGALの編曲として‘The God  of Abraham Praise’という歌詞を作りました。これは1781年にウエスレー派の讃美歌Sacred Harmonyに採用されてから、広く、そして多くの人々に愛唱されるようになりました。この曲名は独唱者レオニの名前に因んでつけたものです。

 <85>

1 主の真理は 荒磯の岩

  さかまく波にも などか動かん。

2 主のめぐみは 浜のまさご

  その数いかでか 計りうべき。

3 うつりゆく世 さだめなき身

  ただ主に頼りて 安きをぞえん。

4 つもれるつみ ふかきけがれ

  ただ主に仰ぎて 救いをぞえん。

 父なる神はどのようなお方でしょうか。神様が雲の中にあって降りてこられ、モーセの前を通り過ぎる時、ご自分について宣言されたお言葉をまずお考えください。「主、主は、あわれみ深く、情け深い神、怒るのにおそく、恵みとまことに富み、恵みを千代も保ち、咎とそむきと罪を赦す者、罰すべき者は必ず罰して報いる者・・・」(出エジプト34:6~7)と言われました。

 そうです。憐れみと情け深い神であり怒るのにおそく、恵みとまことに富み給う神様であられます。

 1節では、主のまことを中心にして歌っています。主のまことは荒磯(ありそ)の岩のように、逆巻く波にも決して動くことのない、たしかな、しっかりした、不動の岩のようであると、その不変性を岩にたとえています。

 詩人ダビデは「私のたましいは、黙ってただ神を待ち望む。私の救いは神から来る。神こそ、わが岩。わが救い。わがやぐら。私は決してゆるがされない」(詩編62:1~2)と歌いましたように、私たちも決してゆるがされないように、まことの岩なる主を、わがやぐらといたしましょう。

 2節では、主の恵みについて歌っています。その恵みの数々は、浜辺の真砂のように限りなく、数えることも計ることも出来ないほどに豊かであります。「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主のよくしてくださったことを何一つ忘れるな。主は、あなたの全ての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる」(詩編103:2~5)とダビデは神様の恵みに対して、感謝の歌を捧げています。

 私たちも、神様の多くの恵みに対して感謝の心を持たなければなりません。特に主イエス・キリストの贖いによって、私たちのすべての咎が赦されているのは、どんなに大きな惠みでありましょう。これ以上の恵みがイエス様を外にしてどこにありましょう。

 このように讃美歌85番の前半は、まことのみ神、恵みの神、とこしえの神について歌われてきましたが、後半では、前半とは対照的な移り行くこの世、定めなき身、とらえて放さない罪と汚れ、はかない人生について歌っています。光から暗闇に移された望なき思いは、神様から離れている人間の真に姿でありますが、このような暗きに迷う者、罪、咎、けがれ、人生の困難や悲しみ、これらの問題も、実は正しい解決が与えられていると作者はっきりと示しています。

 その正しい解決とは何でしょうか。それはただ主に頼ること’‘ただ主を仰ぐことであります。主に頼る人は必ず安らぎを得ることが出来ます。主イエス・キリストは「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしはあなたがたを休ませてあげます。・・・。わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます」(マタイ11:28~29)とお約束して下さいました。

 また、主を仰ぎ見なさいは自分の罪を認識して、それを悔いて、改めて、主からの赦しを乞い願う者には、その信仰の故に救いが得られます。

 「地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神である。ほかにはいない。・・・。と万軍の主は仰せられる」(イザヤ45:22、45:13)。

 (おりかえし)

 くすしきかな  あまつみ神

 げに尊きかな  とこしえの主。

 =「さんびか物語」は「つのぶえ社」の出版(第一刷1974年、第二刷1992年)で、出版社の許可を得て掲載しています。本の購入を希望される方は、「つのぶえ社」までご注文ください=

 

 ビルマ

  戦犯者の獄中記  (45)  遠山良作 著

昭和22年

5月18日

 母より三年ぶりに三通のハガキを受け取る。何べんも何べんも繰り返して読む一字一字が、温かい母の愛情を感じる。記憶にある子供の頃から、母は眼鏡を二つかけて筆を執っていた母の姿を思い浮かべる。幼い頃はよく洗濯に行く母について、村の小川について行った。浅い川辺にいる小魚をざるですくったものである。あの頃が懐かしい。母はまだ若かった。その母はいつも幻の中で孤独と絶望の中にある時、優しい声で私を励ましてくれた。戦犯者として遠い異国であるビルマの牢獄に繋がれている私のことを思い、どんなに悲しみ嘆いていることであろう。

  母より送られた歌

 目に見えず 声も届かぬ 遠き地を 吾子何時帰ると 心憂いて

 出征し子の 帰り来る日は 何日の日と 朝に夕なに 神に祈りて

 獄にいる 吾に届きし 母の文 しかと抱きて 今宵眠れり

 獄ぬ内の 吾に届きし 母の文 その筆跡の くきやかにして

 待ちいたる 母よりの手紙 届きたり 幾度もよむ 暗記するまで

 

6月16日

東大尉たちタキン事件で起訴

 タキン事件で久米憲兵司令官たち18名起訴された。その関係者である東大尉と中山少尉はこの東独房から西独房に移された。

 この事件は終戦直前に、ビルマ反乱軍である有力なタキン党員20数名を処刑した事件である。昨年、私たちがモールメン刑務所に収監されるや、東大尉は「反乱軍に関係した事件で取り調べを受けた場合は彼等はタイ国境で釈放したと答えよ」との緘口令を出していた。

 当時私はモールメン刑務所で行った首実検で、反乱国軍のボミー中尉はモールメン刑務所から「タキン」党の関係者を連れ出した時、「遠山」もいた。その後、彼等は帰らなかったから殺されたと思う、と私を指名したので処刑した容疑者の一人として何回も取り調べを受けたのである。

 誰一人としてこの事件について口を割る者がいないまま一年有余を経過した。焦った彼等は、戦犯容疑者としてこの獄に収監されていた田島少佐なる人物を懐柔し戦犯調査委員の「スパイ」として使い、モールメン憲兵分隊の補助憲兵であったA曹長とB曹長に甘言を以て接近し、ついに全てを自白せしめ、処刑した現場まで案内させ、全ては判明した。

 人間の弱さを巧みに利用した英軍の策に落ちた二人もまた犠牲者かも知れない。

  益良雄の 身をも忘れて 現蝉(うつせみ)の 己が身愛する 人もあるらし

  覚悟の上 髪を遺して 法廷に 立たる戦友の 決意思ほゆ 

*この文章の転載はご子息の許可を得ております。

 

 

「あなたに聖書を」

「キリスト教百話」・・・24

問20・・2 キリスト教では「罪」と言うことを言いますね。クリスチャンは「われらの罪を赦し給え」と祈っていますが、別に犯罪を犯しているようでもないのに、どうしてあんなことを言うのですか。

答   「罪」と言う言葉は普通には何か悪いことしたことに対して、それは「罪を犯した」という風に使われますね。それが法律に引っかかる場合には明らかな「犯罪行為」とみなされます。その場合は法律に違反しなければ「犯罪」とはなりません。と言うことは、その場合の「罪」というものは、そのほうりつが適用せれる範囲内の人にとって誰もが認める共通の「してはならないこと」が明文化されていますから、「罪」とは何かがはっきりしています。これは法律上の罪と言うことになります。

  <続き> 「己が欲せざることをするなかれ」というのが人倫の基礎として教えられたのがわれわれ日本人ではなかったかと思います。これに対して「自分がして欲しいと思うことを人にもしなさい」というのがキリストの勧めです。こういう勧めに即して言えば、「自分がしてほしくないと思っていることを他人に対して行うことが罪」であり、また「自分がしてほしいと願っていることを他人に対して行わないことが罪」であるということになります。ということは、「罪」とは何を規範としているかによってきまってくることになるわけですが、ことは人間の側だけで、または人間の内側での確認にとどまるだけで良 いかという問題に及んできます。

 法律と言い倫理道徳と言い、これらはいずれも人間が考えたり作り出しているものです。ですから人間相互間においてはこれを守らなくてはなりません。それから外れることは罪を犯すこととみなされます。「善悪」についても同様で、人間の側の判断によって相互理解していることであります。

 ところで、聖書は、と言うことはキリスト教ではということになりますが、「罪」や「善悪」の判断をする主体を人間には置かないで、神に置いています。「神とは何か」という論議にはここでは触れませんが、すべての根源を人間を超えた神(超越者といい絶対者といってもよろしいが)に置いています。

 アダムとエバの話はエデンの楽園から失楽園にいたる話としてよく知られています。あの話の重点は、神がこの二人に対して「何をしてもよいが、これだけはいけないよ」と言われたことにあります。こんにちの言葉で言えば「自由は規制の中でのこと」と言えますが、その規制とは「神がしてはいけないと言われたこと」で、神による禁断があった、そういう神と人間との間の関係が成り立っていたところがエデンと言われた楽園であったわけです。

 で、二人がこの禁断の実を取って食べたと言うことは、神が定められた規範に背いたことであり、神の規範よりは自分たちの欲望を主にしたことですから、その途端に主客を転倒させたことになります。これが「神に対する罪」であります。

 罪に対する罰は当然下されます。楽園追放と言う罰を神から受けました。物語り風に言えばそういうことになりますが、内容としていえば、神に背くと言うことは神を無視し自分たちの願いを優先させることですから、その途端に神との関係を自分の方から断ち切ったことになります。

 神が主であった状況から、自分たちが主になるという状況を自ら選び取ったことになります。従って、そこにはもはや主である神は不在となります。エデンの東とは神不在の世界であり、それは彼らが自分でまいた種を刈り取ることになったと言うことであり、その責任はあくまでも人間の側に帰せられることであります。

    <12月のラジオ放送予定>  

   12月 7日 相馬伸郎 (日本キリスト改革派名古屋岩の上教会牧師)

      14日 相馬伸郎 (日本キリスト改革派名古屋岩の上教会牧師)

      21日 金 起泰 (日本キリスト改革派犬山教会牧師)

      28日 金 起泰 (日本キリスト改革派犬山教会牧師)

          (放送開始1952年10月)

CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ

毎週日曜日朝6時30分~45分放送

 

  「ローマ人への手紙」研究 (119)

 第66課 キリスト者生活の実践的義務

=12:1~15:13=・・・2・・・

A 個人の生活上の聖潔を養う義務

       12:1~21・・・2・・・

「神への献身」・・2・・

 「聖さ」ということは、もしそれが偏っているならば正しくありません。それは完全であり、よくバランスがとれていなければ正当ではありえないのです。 例えば、ここに素晴らしい教会の役員がいるとしましょう。しかし、この人は家庭においてはとても気難しく怒りっぽくて、家族がいつもみじめで不幸せであるならば、この人はキリスト教信者としての聖さを持っているとは言えないのです。

 また、ある人は家庭においては理想的な夫であり妻であり、また両親であるとしましょう。しかし、その人が教会において、神のために努力したり奉仕したりすることを進んでしないとすれば、それは真のキリスト者の聖さを所有しているとは言えません。なぜならば、それは全く一面的でバランスを欠いているからです。

 

 航空機のプロペラは高速回転をして機体を引っ張るのですが、その羽根は完全なバランスをとって入念に製作されています。もしそうでない滑らかな高速回転をしないなrば、機能は発揮できません。一人の操縦士が不時着をして、プロペラの羽根のほんの一枚の数センチでも破損させたら、もはやプロペラは円滑な回転をしなくなり、機体は飛ぶことは不可能となっていまいます。キリスト者の聖さについても同じことが言えるのです。

 

 その性格においてバランスを失っている片寄ったキリスト教信者が少なくないのです。彼らはどうすべきでしょうか。彼らはファンの羽根の一枚を損傷してしまった故障車の運転者のように、反対側のもう一枚を取り去るようなことをすべきではありません。破損したもう一枚を修理して4枚とも完全にしなければならないのです。

 J.G.ヴォス著

 玉木  鎮訳

(日本キリスト改革派引退教師)

 

  祈 り

 主人との出会いは、教会の学生・青年会の集まりでした。皆さんの話を聞いている時、私の趣味は旅行ですというこの言葉が残り、交際が始まり教会で結婚式をしていただきました。子供たちが大きくなり車で旅行するまでに成ってから、年に二回、車で家族だけのキャンプ旅行をしています。今は息子も高校二年、娘も中学1年です。車を持たない私たちですから、レンタカーを利用しています。テントの設営は主人と息子、料理と後片付けは私と娘。同じところに3日は泊まります。息子の夢は山岳ガイド、娘は海外協力の仕事がしたいとかで語学勉強に夢中です。

 クリスマスが近づくと話題になるのが、三人の博士物語です。絵本のイメージが強いのか、三人だけが旅を続けているように描かれていますが、その国の博士の旅、ヘロデ王に接見できる身分、手ぶらで合うことなど出来ないよねと話が広がる。東方から来た博士たちは想像も出来ない困難、大勢の供をつれた旅。東の国の博士たちのイエス様誕生をお祝いする思いは、羊飼いたちとは違っているよね・・・・と結論の出ない話が我が家のクリスマスです。答えはいらないのです。それぞれに想像するクリスマスへの思いはこれからも続くことを信じています。

                    東京都 M・Mさん  

『美しい朝に』・・・・

 おはようございます。お祈り感謝です。

 早い時間ですが、深い休息を取りましたので、ご安心ください。外来治療に、昨日「火曜日」に、行きました。一喜一憂ではありませんが、血小板の数値が良かったので、ステロイドの量は、今日から減りました。交通事故でも、病院の神経科の先生との出会いがありました。(もう、卒業しました)

 今回の入院も、多くの人の「なぜ、私が?」の苦悩に出会いました。血液内科ですから、白血病、悪性リンパ腫などで、抗がん剤治療を受けておられます。私は、信仰が薄いのか、日々のお祈りを神様に近い長村さん、牧師先生に頼りきっています。病院にいるときは、同室の方のこと、苦しんでおられる方のこと、たくさんお祈りしました。

 手術の前に「私が、前の晩祈るから、名前は聞かない。顔覚えたから大丈夫。でも、寝てしまったらごめんね」と言うと、「そう言ってくれるだけでうれしい」と言われました。

 今も、顔を思い浮かべてお祈りしていました。9月22日から10月15日までの入院でしたが、今回もT先生との出会いがあり、適切な、それでいて無理のない治療方針を示してくださっているので、道なき道を前進しているつもりです。神様のお守り、お支えを感謝です。

 昨日も病院で「きんもくせい」の写真を「絵葉書」を自分で作成して、お渡ししたら「きれい」と、笑顔になられたお顔を見て、「私の写真でもなお一層人が笑顔になる癒しの力」が、神様から与えられた気がしています。

 教会でも、入退院を繰り返してステロイドを服用されている方から、深い内容のお手紙をいただき、「こんな深い内容を私に打ち明けて下さる私になったんだな」と、感謝しました。

 考えたすえ、「病院食」の写真葉書でお返事を出しました。母に聞くと、教会で「あなたから病院食の絵葉書貰ったのよ」と笑っておられたそうです。そして、多くの苦しみから得た経験、無駄なことは、何一つないのではないかとおもいます。写真に込めることが出来る「心」があるました。

 今朝は、薬の副作用のだるさも、落ち着いています。

11月10日のメール

 おはようございます。

大阪は、秋晴れです。つのぶえジャーナルの更新楽しみです。感謝です。

今日(火曜日)は、毎週外来受診日で、絶食で朝の「ステロイド」2錠も飲めず「血液検査」をします。昼1錠で、1日3錠です。予定が遅れているので、副作用の出ない量、明日から3錠→2錠になるかもしれません。血液検査の数値が出てから、血小板の数値だけでなく肝臓や胃に潰瘍ができていないか、血糖値は上がりすぎていないか、ステロイドの副作用が出ていないかなど、いろいろ調べていただいて先週は、腸炎が見つかりましたので入院するかわりに先生の指定日に通院点滴になりました。

 食事は、体調の良い日や主人の忙しい時は、私が作ります。昨日は、私が作りましたが、自分は卵粥を食べました。

                   大阪府K・Aさん

  (このメール文の掲載はK・Aさんの了承を頂いております)   

  
 

 「みんなでわいわい・ご意見コーナー」

★ 新聞やテレビでは、株価の値上がりや円とドルが幾らになったとかが関心ごとですが、我が家で気になるのは高2の娘と中3の息子の一向に上がらない成績です。貧乏だから大学は地元の国公立、公立高校と宣言しているのに効果なし。安部総理、何とか物価の上がるのは困りますが、子供の成績、主人の給料、私の時間給、上げてください・・・。

★ 小3の息子は暑がりで、半そで一枚、私は寒がりで着ぶくれ。小5の娘は年頃なのか、寒くても我慢。主人は車なのでお気軽です。そんな我が家の秋です。・・・・。

★ 奈良の姉妹から‘まだ  冬眠してないです’とカタツムリの写メが送られてきました。(註・カタツムリは地域にもよりますが、早い所は9月末くらいから冬眠に入ります。カタツムリは変温動物と言う分類になるのですが、私たち恒温動物と違い、自分で体温の調節が出来ません。)

★ 昨日、仕事の帰り道の途中、帽子の上に何かが当たりました。よく見たら、どんぐりでした。あたり一面どんぐりが落ちているのですが、まさか当たるとは思いませんでした。こんなことがあるのですね。ここにもまた秋がありました。名古屋は良い天気ですが、朝晩は冷え込んできました。10月も終わりですね。

 

  『ありがとうございます』

 2015年をいろいろお考えの方も多いことと思います。夢を描き、希望を未来に持つことは、日々の生活に潤いをもたらします。厳しさばかりに心奪われると、見えるものも、考えることも小さく、歪んでしまうこともあるでしょう。
 神様を見つめ、見上げて生きる日々の積み重ねに励みたいものと思っています。来年もよろしくお導き・ご支援いただきたく、お願い申し上げます。

 

『つのぶえジャーナル』・『つのぶえ社』の活動のための寄付者

   河村貞夫様 堀 暎子様 馬場暁美様 匿名様 2名

 2014年10月16日から11月15日まで

  郵便振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社 

 

『水琴窟』

公園の片隅につもった枯れ葉を幼い子供とお母さんが何かを探していました。お母さんの手には手のひらほどの枯れ葉が数枚、子供には手のひらほどの小さな枯れ葉が一枚握られていました。お母さんの枯れ葉と子供の枯れ葉にはそれぞれの秋があるのでしょう。
 ふと、サトウハチロー作詞・中田喜直作曲の
「小さい秋みつけた」の詩が浮かんできた。小さい秋って何だろう・・・。澄み切った初冬の青空、この子供はお母さんと見つけた小さく、そして大きな秋を探し見つけていたようです。

   ***************


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   つのぶえ社代表   長村秀勝

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緑を大切に!
お気持ち一つで!
守ろう自然、育てよう支援の輪を!
書籍紹介
    8858e3b6.jpg
エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

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教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
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「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

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「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
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「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
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われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

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さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

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