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2023年7月号  №193 号 通巻877号
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 ビルマ

  戦犯者の獄中記  (42)  遠山良作 著

昭和22年

4月15日

― 橋本氏ハンストに入る ―・・・続き・・・

大湖通訳より、外部からの差し入れがあった。そして、タバコの差し入れがあった。差し入れ人名には後藤一省とある。思いもよらない故郷の親戚の方である。彼がビルマ戦線に来ていることは、母よりの手紙で知っていたが、帰還船を待ってこの「ラングーン」「アロンキャンプ」にいることは驚きであり、また、喜びである。この刑務所から出所した友から私のことを聞いて、このタバコを差し入れてくれたことと思う。苛烈なビルマの戦場にあってよく生きてこられたものだと思う。

私は現在の心境と現状を書いて、家に届けてもらうべく依頼した。その内容の一部は 中略 私は昨年第一回目の裁判で6年の刑を宣告され、服役中であります。この手紙を後藤一省兄に依頼してお届けいたしますから、詳しいことは兄から聞いて下さい。

次に第二回目のケースとして、終戦直前に、敵の間喋容疑者を逮捕し拘留中に病気で死亡した事件で起訴されています。この戦犯裁判は形式的裁判でその実は政策であり、私たちの証言は一切採用されないのが今までの例であります。若し起訴されて、ケースが拷問致死であるとの判決があるならば、死は免れないと思います。しかし最後まで希望を棄てずに、正々堂々と日本人として恥ずかしからぬ態度で臨むつもりです。

神様が死ねとお命じなるなら死ぬでしょう。生きよとお命じなるなら生きるでしょう。全ては神様にお任せ致します。神とは、伊藤庄太郎先生(注・元大井教会牧師)より送って頂いた聖書の神であり、天地を創造された神、そして今も生きて働いて全てのものを御支配下さる本当の神様のことであります。

神様に全てをお任せしているとはいえ、この刑務所こそ私に相応しい死に場所かも知れません。今は聖書を唯一の読み物として、夜は祈りの時間にしています。敗戦、そして監獄での一カ年有余の生活は、私を人間的にも、正しく生きる道を教えてくれた、尊い修練の場でもありました。今は鉄窓さえ愛の窓であると思っております。

親は子供が戦犯の刑に問われて獄中にあることを聞いていたら、悲しみ、嘆かれることだと思います。しかし、戦犯者とは一般社会でいう罪人とは違って、連合軍の「ポツダム」宣言を日本政府は受け入れました。その義務を履行する者が戦犯者であります。

敗戦で苦しむ日本国民は、今こそ過去を反省し、目覚めなければなりません。全ては神が与え給うた試練であることを、率直に受け入れ、敗戦による苦しみを無駄にしてはなりません。これに逆らう時、日本は滅亡の道を辿るでしょう。

また、この戦いで多くの人々が死んで逝きました。この死も決して無にしてはなりません。今は、誰もが流さなければならない涙こそ尊く、その涙の中に光る希望こそ新しい日本の発見です。

今、私は何も言うことはありませんが、ただ神の愛を信じ、祖国の行く末が永遠に平和であることを祈るのみです。    以上

両親へ

      ***********

    この文章の転載はご子息の許可を得ております。  
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「あなたに聖書を」

「キリスト教百話」・・・21

問19 前回、「敵は愛すべき者」と見定めるところに、自他の救いがあると言われましたが、敵をそう見定めるなんてことができるでしょうか。

答   頭の中でそう考えていても、実際に敵が目の前に現れた時には、防戦に努めるか、敵をやっつけてしまわいことには納まらないでしょうね。敵がいなくなってはじめて安心と言うわけですからね。

 しかし、それは敵である相手側から見ても同じことなので、こちらが倒れるまでは安心できないでしょう。このことは武器をもって戦う戦争における事実です。要するに殺し合いなのです。相手を殺さなければ自分は生きておれないし、自分が殺されることによってしか相手が生きられない、つまり相殺を余儀なくさせるのが戦争なのです。

 愚かと言えばこれほど愚かなことはありません。ですから自他共に生きるには戦争は絶対にしてはなりません。大切なことは共生なのです。この共生は、自分がしてほしくないことは相手にもしない。また、自分がしてほしいことは相手にもする、ということで成り立ちます。 

 これは単に自分のことを大切にするだけでなく、相手のことも大切にすることです。こういうことは、よく「相手のことを思いやる」こととして取り上げられますが、これはむしろ「自他のことを思いやる」ことではないかと思います。「自他」という相互関係を考える時、それを考える自分という者は、自己中心の自己から超えています。自己中心の自己から、自己を相対化する人間へと変えられているのです。

 この自己中心の自己から、自他間の共生に焦点を合わせようとする自己へと変えられるということは、今までの自己から解放されることであり、「救われる」ということなのです。それは今までの自己を否定することでもあります。ただし、自己否定なんてことは起こりようがありません。

 自己が自己であろうとする限り、他者を抹殺するしかない自己であることに気づかされることから始めて、そういう自己は否定されるべきであるという視点を与えられるのです。

 「与えられる」と言いましたのは、そういう視点は、予め自分でそこへと到達すべきであると予想して、自分の力で得るに至るという性質のものではないからです。自己からの解放は自分ではできるものではありません。それをさせるものは、自己を超えたものです。ただし、それは単に他者を傷つけて何の痛みも感じない人もいますし、相手をやっつけたことをむしろ誇らしく語る人もいるくらいですから、そういう自分を超えてはいないのです。

 そういうことから言って、真に望ましい自己否定をさせ自己から解放させる絶対的な自己超越者に出会うこと無しに、自他の関係は至難であると言えます。「敵は愛せるか」ということを巡って、以下のことはこの問題を考える一つの手がかりになるのではないかと思います。・・次回に続く・・

   篠田 潔

(日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)

 

     9月のラジオ放送予定  

   9月 7日 長谷川潤 (日本キリスト改革派四日市教会牧師)

     14日 長谷川潤 (日本キリスト改革派四日市教会牧師)

     21日 後登雅博 (日本キリスト改革派高蔵寺教会牧師)

     28日 後登雅博 (日本キリスト改革派高蔵寺教会牧師)

          (放送開始1952年10月)

CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ

毎週日曜日朝6時30分~45分放送

 

  「ローマ人への手紙」研究 (116)

 第65課 異邦人の召命とユダヤ人の拒否

       9章1~11章36節(続)

F 神のユダヤ人拒否は最終的なものではない。何故なら、彼らの多くの者がキリストへ立ち帰るからである。

      9章1~36節 (28)

 「神は完全に、また絶対的に人間から自立しておられる」。

         (11:34~35) 

 「だれが、主の心を知っていたか。だれが、主の計画にあずかったか。また、だれが、まず主に与えて、その報いを受けるであろうか」。

       11:34~35(3)

「第一に、真理の全体をとらえるために、カルヴァン主義とアルミニウス主義の双方は結合されて相互に補い合うべき理想体系であると見るのは、全く愚かなことです。この両者間の論争の歴史についていくらかでも知識のある人ならば、この二つはその相違点のすべてにおいて、相互に全く相いれない体系であることを知っているのです。

16世紀の始め、レモンストラントと呼ばれるオランダのアルミニウス主義者たちが、オランダ教会の信条を5か条に関して疑義を表明して文書を発表しました。これに端を発して論争が起こり、それに決着をつけるために特別に大会が開催されました。それが161819年に開かれたドルト会議でした。ドルト会議はアルミニウス主義の5つの論点を定罪して、真理を述べた5か条を採択したのです。ドルト会議の5か条はアルミニウス主義の5つの論点と相補関係にあるどころか、相容れないものなのです。カルヴィン主義とアルミニウス主義とは同じ絵の両面であるなどと言う論は途方もない誤りなのです。

第二に、カルヴィにズムとアルミニウス主義との相違点は、前者は神の主権性を信じており、後者は人間の自由・責任を信じているということではなく、真の相違は、前者は神の主権性と人間の自由と・責任の両方を完全に信じているのであり、しかも、この二つを合理的に調和させようとしていないのに対して、アルミニウス主義はこのパラドックスを調和させなければならないとし、人間の自由・責任に執着して、神の主権を否定するのです。

本当の相違はこのパラドックスに対する両者の態度にあるのです。アルミニウス主義はこのパラドックスに合理主義的な姿勢で接して、どうしてもそれは解決されなければならないとします。このことは神の主権性の否定を含むことになり、従って、自分の意思で悔い改め、キリストを信じるに至ることを予知される者を、神はお選びになるのだとするのです。一方、カルヴィニズムは、このパラドックスに対して畏れと敬虔をもって接し、それは主なる神に属する奥義であって、私たちはこれを解明する必要はないのだとするのです。私たちは充分に調和させることができないこれらの二つの真理の両方について、聖書が教えるところに忠実でありさえすればよいのです。

 J.G.ヴォス著

 玉木  鎮訳

(日本キリスト改革派引退教師)

 

  祈 り

 「安らかに眠って下さい過ちは繰り返しませぬから」と広島の石棺に刻まれているそうですが、私は広島に行ったことはありません。あれから世界には一年たりとも戦争のない時代は無かったのではないでしょうか。何時の時代でも戦争は、人を狂わせることを学んだはずの私たち一人一人であったはずなのに、悲しい出来事は繰り返されてきました。改めて、この言葉の持つ意味・意義を考えさせられました。

                    北海道 S・Kさん

 台風の雨風に耐えて添え木もなしに、鉢の中で頑張り、色ずく「ミニトマト」がきれいでしたので、写メールを送ります。余り元気の出ない日々でしたが、この写真の逞しさが、元気をくれた感じです。み言葉に励まされ、小さな鉢植えからも生きる逞しさを示されました。

                    大阪府 K・Aさん

 NHKの「花子とアン」を見て、私も幼い子供を亡くした経験があり、涙が出て仕方がありませんので、メールしました。私も今は年老いても、亡くした子供は、歳をとることなく、そのまま時間が止まっています。私の悲しみも時間は解決してくれません。クリスチャンとしては身勝手な願いですが、神様のみ国で会えることを願って、子供を失った悲しさから洗礼を受けました。もう30年以上も前のことです。病気とはいえ主人には申し訳ない気持ちに今もなります。・・・。

                     佐賀県 S・Yさん

 

 「みんなでわいわい・ご意見コーナー」

★ 花火の音が遠く、近くに風の流れで聞こえてきます。そんな音を聞きながら冷麦の夕食を楽しんでいます。夏休みの間だけは、子供たちと一緒に夕食をしようと決心し、8年目に成ります。

★ 先日20年ぶりに近所の若い娘さんに誘われて、市民プールに行ってきました。1回だけのために水着を買うのは無駄なので、着ていないドレスを縫い直して作りました。何と泳げました。覚えているのですね。その代わり今は日焼けで肩がひりひりしています。

★ 主人の日課は朝起きて朝食前に、家庭菜園で一汗流すことです。新鮮な野菜を毎朝いただいています。今年は、とうもろこしを植えたのが良く育ち、ご近所に配るのは私の役目です。定年後の健康維持で始めたのですが、最近は、もっと広い所はないかと、物色しているようです。

 毎日のように大雨のニュースが流れているような気がする今年の夏ですが。
 県営の運動公園で栃の実を拾いましたので写真で送ります。栗と違って上がトンガリになっていません、と栃木県の方から2枚送られてきました。

 健康管理をしているんで、心配は要りませんよ。ただし、タバコは減らせませんね。これからは、洋服やアクセサリーにお金を使わないで、栄養のある食事のためにお金を使います。同じことばかりいっていますね。

  

  『ありがとうございます』

 メールを下さる人の中には夜出歩く人もおり、日中は部屋に閉じこもっている人もおられます。それぞれ問題を抱えて歩んでいますが、メールを下さる方の多くは、真剣で、前向きで、きちんと生き方探しをされている共通点があります。今の状況は辛くても、先に光の待っている予感がいたします。

 台風の被害が各地に起こりました。一年間、丹精込めて作ってきた作物が無残な姿に変わり果てている様子を、ただ呆然と見つめている姿をテレビでですが拝見し、言葉を失いました。広島県の被害の様子も深刻です。被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。また、職務とはいえ支援や救助などに関わっておられる、警察、消防、自衛隊、医療関係者や関係自治体の職員の方々の活動に対して、篤い思いにさせられます。神様のお守りをお祈りいたします。 

 
『つのぶえジャーナル』・『つのぶえ社』の活動のための寄付者

   岡田千歳様 和田順一様 和田貴美子様

  郵便振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社 

2014年7月16日から8月15日‘まで

『水琴窟』

秋の虫たちの音楽会も今は盛り・・・。その生涯を閉じる数多くの虫たちの最後の宴でもある。その役割を終えた虫もあれば、他の生き物たちの捕食によるもの、環境の激変や災害にとってのその生涯を閉じるものも物も多いことと思う。そんな仲間たちを思いながらの音楽会。心して虫たちの歌声に耳を傾けたいと思った。

 庭草に村雨降りてこほろぎの鳴く声聞けば秋づきにけり

お便り下さる方はこのメール アドレス   osamura@kind.ocn.ne.jp をご利用ください。

 「つのぶえジャーナル」(米国南長老教会文書伝道事業)刊行責任者

   つのぶえ社代表   長村秀勝

 

   今月のことば

 わたしから離れては、あなたがたは何一つできない。

    =ヨハネ15:5=

 私には自由意志がある。自分で選択し、決定することが自立であり、大人の証明であると考えています。その通りです。自分の意思で職業も選べますし、結婚することも出来ますし、しない選択も出来ます。人それぞれの生き方をしておりますから、この冒頭のみ言葉に同意することは出来ないでしょう。

 私たちは、神から離れても何ら不便を感じることなく、むしろ信仰という絆に縛られたくないという思いを持った人は多いのです。

 しかし、私たちは何でも出来るのでしょうか。人それぞれが、自分には出来ると思うからこそ、自分の思い通りに相手を支配しようとするでしょうし、相手もそれを拒む時、諍いが起こり、戦いになるのです。

 実は、私たちは、何も出来ない自分であることをこの神様のみ言葉が、鋭い刃のように心に突き刺さり迫ってくることを嫌うのです。

 では、私たちは何が出来るでしょうか。心の貧しい人を愛せるでしょうか。悲しんでいる人を励ますことが出来るでしょうか。死に怯える人に希望を与えることが出来るでしょうか。自分自身の命を永らえることは出来るでしょうか。いと小さき物の命にどのような思いを持っているでしょうか。

 野に咲く花に感動して、それを摘んで自分の好みのところに置き心は満足感で満ちるのです。私たちは綺麗な装いで着飾ります。しかし、心の汚れをどのように着飾るのでしょうか。私たちは、自分の汚れを隠す術を探り出す名人なのです。

 しかし、私たちは何一つ出来ていない、出来ない存在なのです。人の目をごまかせても、神様に対しては無理なことです。大切なことは、「何一つ出来ない」自分を認め、そこから、「何一つ出来ない」者を、愛し、導いて下さる神に生きることを、日々に思うことを、新しい出発点にしようではありませんか。そのような決心こそ、私たちの誇りにしようではありませんか。「無・否」を認めるところに、希望があるのです。

 大 漁

朝やけ小やけだ

大漁だ

大はいわしの

大漁だ。

 

はまは祭りの

ようだけど

海のなかでは

何万の

いわしのとむらい

するだろう。    金子みすゞ  

   小閑記

 心おののく者に言え、「強くあれ、恐れてはならない。見よ、あなた方の神は報復をもって臨み、神の報いをもってこられる。神は来て、あなたがたを救われる」と。      =イザヤ35:4=

 信仰者でも弱い人間です。それを認めているのがキリスト者です。キリスト者が、心に恐れを抱き憂いにおののくのはどうしてかを知っています。それは、人生の困難な道を経験して、度々それに立ち向かわせ戦わせ、生きてきたからです。しかし、疲れ果て生きる力を失いかけるからです。どうしてか、そのような時に、予期しない出来事に、より心に不安と恐れに見舞われるのです。

 そうして、真面目なキリスト者の心を最も不安にするのは、魂に罪の負わせる傷であり、霊の熱心をしばしば消そうとするかのような、冷酷な死の力であります。戦争のない日本にいては経験し難い、病いとは別の死の中に生きる死の力です。

 また、キリストの十字架の贖いの恵みに与っているにもかかわらず、私たちの弱さを知る神は、今日も「強くあれ、恐れてはならない。見よ、あなた方の神は報復をもって臨み、神の報いをもってこられる。神は来て、あなたがたを救われる」と励ますのです。神様は、現実に恐れおののく者の心に語りかけているのです。全能の神が、愛と慰めの神が、真実「強くあれ、恐れてはならない。」と私たち一人一人に語るのです。

 この約束は真実です。この約束は、主イエス・キリストによって果たされたのです。

 

 「すべてあなたを攻めるために造られる武器は、その目的を達しない。すべてあなたに逆らって立って、訴える舌は、あなたに説き破られる。これが、主のしもべらの受けるべき嗣業であり、また彼らがわたしから受ける義である、と主は言われる。(イザヤ54:17)

           上河原立雄

 詩をつくり詩を発表する

詩をつくり詩を発表する

それもそれが主になったら浅ましいことだ

私はこれから詩のことは忘れたがいい

結局そこへ考えがゆくようでは駄目だ

イエスを信じ ひとりでに

イエスの信仰をとおして出たことばを人に伝えたらいい

それが詩であろう

詩でなかったら人にみせない迄だ  信仰詩集「貧しき信徒」八木重吉

      (ひとみ)

  今週は中学一年になった息子の期末テスト週間でした。早く帰れるのをいいことに友達も時々遊びに来ます。それも突然ですがこんなものだろうと台所仕事をしながら夕方には暗くならないうちに帰らせます。小学校に比べ生活時間も何もかも大変で、こちらの方がなかなか慣れません。ガンバっていくしかないです。

 何度も繰り返して「さんびか物語」を始めジャーナルをくまなく読むと落ち着き、静かな時間を持つことが出来ます。日常の生活に追われるのを言い訳にしないで御言葉と共に生きる、残り半年でありたいです。聖句や心に留まった言葉は手帳に書き記しています。後で読み返すとその当時の思いや、どうやって乗り越えたかが思い出されるので励みにしています。

                    奈良県 N・Rさん

 木曽路は山の中・・・。台風の被害が出ました。長野県の南木曽町は、今は県境ですが、元々は一つの集落で同じ生活圏ですし、親族や知人・友人もおります。木曽森林管理署南木曽支署は長野県木曽郡大桑村南木曽町岐阜県中津川市(長野県木曽郡旧山口村)を管内とした、地形も同じ山また山で他人事ではありません。降り続く雨と風は今まで50年体験したこともなく、不安の数日でしたが、被害が出てしまいました。今朝は雨も上がり、土砂や流木・倒木の片付けに数日かかりそうです。高齢者の多い地域ですから心配です。                                  

                    岐阜県 K・Tさん

 いよいよ高校野球の県予選が始まりましたね。今週の土曜と月曜は県営球場に行くつもりです。11日と12日は大変な暑さでした。体が暑さに慣れていないので。また、台風(9号)が発生、日本に来なければいいのですが。雨はひと夏分くらい降っているのではないかと思ってしまいますよね。
 今年も大腸検査を行いましたが、取り敢えず異状がなくて何よりですが、痔が見つかりました。ちょっと古くなりましたが5月の末に散歩した時の県営陸上競技場で行われたリレーの様子を写真に撮りました。若い力を見て、頼もしくなりました。お元気で。

                  栃木県 K・Aさん 

   自閉症者のひとりごと

(86)

6月27日

 ここ一カ月、週末に何かのイベントが続いて、ヘトヘトです。倒れてました。
痛みの方は少しずつ良くなっていくのだろうと思っています。ちょっと外に出るだけでも、すぐにバタリ!!この季節、私のような病気の者は心身共に大変です。

6月30日

 数日前に脳疲労を起こしました。それからかなあ~、不調なのは。だから、成るべくして成っている症状なのかもしれません。昨日から右足、腿、膝と痛くなり、どうにもならないといったところです。身体もだるく、いくら休んでも疲れが取れないです。は~、ダメなときは何をしても上手くいかないようです。出来る時にやれば良いんだから…と思えるようになればいいのだそうですが…。

7月4日

 これで少しずつ良くなっていくかなと期待していたところ、今日は気分が沈んでどうにもならない。信仰も抜けそうな歯のように、ぐらぐらな状態です。
神様、どのようにしてあなたを愛すればよいのですか?助けて下さい。わたしが進むべき方向を教えて下さい。その方向に従わせて下さい。頑なな心を打ち砕いて下さい。

7月7日

 お祈りありがとうございます。心身のバランスが乱れているのかな位に思っておきます。更年期に差し掛かっているのだし…。しかし、ストレスに弱いなぁ。実家に泊めてもらうことにしましたが、わたしが母を認められないのは、母の理性が取れた姿が、わたしの本性そっくりだから、拒絶してしまうのです。これが鎧なんだろうが、お手上げです、助けて下さいと何故言えないのでしょう。あぁ、とらわれから解放されるまで、まだまだ時間がかかるなぁ。
 一度鎧をおろしたのに、また着ている。神様の御前では裸なのに、鎧を付け、やたら自己保身に走る。どうせ、この状態を自分では、変えられないくせに、お委せできずにいる。外から見るとみっともないんだろうな。頑なだなぁ。

 加納さおり

 世田谷通信

 (129)

 猫 草

インナーマッスルというものがあるらしい。どこに?というと内臓のあたり。なぜ曖昧かというと、通常、自分で内臓は見えないし、そして見えないので実感できないからだ。二の腕がたるむとか、わき腹に贅肉がつくというのは実感できるが、内臓の周りになんかアンキモみたいな脂肪がぎっちりついているのは想像に難くない。

体幹トレーニングというのがあり、これを地道にやると、体の内側の筋肉が鍛えられるそうだ・・。以前、ずっと器械体操をやっていた人のお腹を触ったことがある。びっくりした。鉄板が入っているかと思うぐらい、皮膚の下はカチカチである。そうか、満員電車でどんなに揺れても平気なのはきっとこういう人だ。対して、自分のお腹は溶けたバターのように拳を入れればどこまでも沈む。スライムか。当然満員電車では自分の姿勢を維持でない。健康で過ごしたかったら、この内側の筋肉を鍛えるべきだそうだ。さもありなん。

長男はせっせと日々この筋トレに励んでいる。たとえ問題集を開かない日があっても、筋トレを欠かさない日はない。おかげで背筋も腹筋もすごい。見えないけど、きっと内部の筋肉もきっちりあるのだろう。スクワットをやっても体の軸は一切ブレないもの。「継続は力なり」という言葉は深い。

この夏見えない内臓と骨格をほんのちょっと意識して、姿勢を正すところから始めよう。

金子みすずも言っているではないか。「みえぬけれどもあるんだよ」と。

見えない部分が、実は一番大切な役目を背負っている。それは内臓に限ったことだけではない。

*この添付のイラストは絵を描くのが大好きな次男がパソコンのペイントツールで描いたものです。

  その愛のゆえに

   =時々の記=

    (100)

617

 日本のサッカーのワールドカップブラジル大会初戦は残念でしたね。毎朝早くから息子がテレビ観戦しているのでこちらも影響され、4時には目を覚まして散歩に出かけています。息子は高校生の時、選手でしたからサッカーに関しては解説者級の力を持っています。部屋には、サッカー日本代表の着るユニホームが3枚(自分のひいきの選手)もかかっているのです。私から見ると無駄使いをして、と思うのですが、本人にとってはそれを眺めているだけで、モチベイションが上がってくるというのですから、ファンっていうのはこのようなものなのでしょう。

 クラッシックバイクで集ふ老いの夏。

 幻の如く吹かれてつばなの穂。

 麦の穂のしなやかにして吹かれをり。

 薔薇園を想はす庭の香りけり。

 会堂に満つる光や聖五月。

 母一人家を守りぬユキノシタ。(我が家の近くの家のこと) 馬場路哉。

 主人は今年から山添村森林組合の理事としての仕事が入ってきました。我が家の山も祖父が管理してくれていた時はとても良い杉、ヒノキが成長していましたが、もう誰も山に入って手入れをする者がいませんから荒れ放題です。どの家の山もそのようです。山は荒れ果てて行きますが、せめてその山を眺めてよい気持ちになれるよう、下草刈りだけは怠らずに続けられるまでは続けていきたいと主人は言いながら、今朝も早くから下草刈りに出かけました。

6月23日

 こちらは梅雨の晴れ間でしたが、やはり蒸し暑さがありました。空ではホトトギスがとても美しい響きで声を出しています。姿はどうしても見られません。きっと人間にみられると危険なので木の枝の影から響かせているのでしょう。もう、6月も最後の週になりました。早いものですね。一年の半分が過ぎようとしています。昨日は退職された先生が88歳になられたお祝いの会に出席いたしました。とてもポジティブで毎日、趣味の書道、水墨画、パッチワークに励んでおられ、その作品を皆で鑑賞させてもらいました。生涯現役を貫かれているお姿に敬服いたしました。それぞれの生き方に哲学を持っているのでしょうが、でもやはりすべてご自分のためにされていることで、私としてはやはり、信仰を持っておられる方との違いを感じました。信仰を持っていると何時でもさほど変わりはないのですが、自分のためだけでなくやはり苦しんでいる人、困っている人に何らかの愛の手を差し伸べたい。そのような者でありたいと考えながら帰路につきました。

6月25日

 万緑や一線走るハイウェイ。

 干ばつの後の雨音響きけり。

 伸びるだけ首を伸ばしぬカタツムリ。

 鳥取の砂丘のらっきょ漬けにけり。

 語るかに一つの蛍近づきぬ。        馬場路哉。

6月30日

 今日で6月も終わりです。一年の半分が過ぎてしまいました。いったい何をしていたんだろうと時の過ぎゆく速さに焦りさえ感じるこの頃です。

 文にあり今も夜明けのホトトギス。

 軽快なピアノの音に緑さす。

 黒々と強さを秘める樫落ち葉。

 壁登りふわりと落つる毛虫かな。

 アゲハチョウよぎれば直に失せにけり。

 薄明や蛍袋の灯りをる。          馬場路哉

7月1日

 毎日、サッカー漬けになっています。息子が隣の部屋でビデオに撮っておいて仕事から帰ると見続けます。時々、わあ~とか、よっシャ~とか叫び声が聞こえるので覗きに行くのです。私たちはBSで静かに見ています。この蒸し暑い中、90分走り続け、ゴールを決める。若さと訓練と精神力によってあのような技能が高められていくのですね。あとしばらくサッカー熱の勢いが我が家を占領しそうです。季節はいよいよ夏本番へと移り変わっていきます。お体が支えられますようにお祈りしています。

 ひたすらに頭を垂るる梅雨の竹。
 広場にてツバメの飛翔確かむる。
 水無月や白を掲げる花多し。
 この盆地囲める山に雲の峰。
 玉の汗狙い定めてボール蹴る。
 長き竿鮎を釣りをる広瀬かな。     馬場路哉   

7月8日

 6日の礼拝では信仰の友と語り合うことができ、ともに賛美し祈ることができて感謝でした。神様は私たちに多くの試練を通して、一層謙遜にさせ、神様にすべての思いを委ねきる信仰をお与えくださっているのだと感じるこの頃です。でも人間は弱いもので、試練に会うと、心揺れ動き、悲しみに暮れるものですが、悲しみ苦しみを通して、神様がともにいて励ましてくださることを確信しています。上野の友は同級生です。中学生の時に教会にお誘いして以来の友です。彼女はいつも冷静に事を処理できる方です。私は感情的な面ばかり持っていて彼女からは学ぶところ大きいです。幼馴染でもある友と祈り会えることはとても力づけられます。
      馬場暁美 

    (上野緑ヶ丘教会員)

 

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書籍紹介
    8858e3b6.jpg
エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

      d6b7b262.jpg
教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
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「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

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「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
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「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
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われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

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さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

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