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眸
最近の「つのぶえジャーナル」には旅行の感想メールがありましたので、私も送信します。数年前になりますが、島根を車で島根半島を一巡りしました。
愛媛県 R・Oさん
お元気でしょうか。
昨日からの連休で、まずは高校野球を見に県営球場に行って久々に青春時代に戻ってきました。ボールに目が慣れるまでちょっと時間がかかりましたが、準々決勝第一試合で、佐野日大-作新学院 9回裏ソロホームランで試合終了。
第二試合の矢板中央高-県立茂木高は前半点の取り合いでしたが、中盤両チームのエースが登場で0点が続き、延長で矢板中央高にこれもソロホームランが出て試合終了。
若葉より香り流れる球場に若人たちの声援が飛ぶ。
ところで、東大が新記録になりましたね。
球場より自宅に帰り、台所の蛇口を交換するためにホームセンターへ。何とか交換がうまくいきました。聖書研究を早く再開するようにと思っています。
栃木県 K・Aさん
自閉症者のひとりごと
(84)
4月29日
昨日は病院に行きました。膝が強烈に痛かったので。診察内容があまりにもお粗末で、腰まで痛くなってきて、途方に暮れてしまいました。肩がかちこちになり、身体中が痛くて、どうにもならなくて涙が出てきました。神様と自分について、泣きながら、みことばを転がしながら、一人もがき苦しんでいました。久しぶりに滅入ってしまいました。
5月1日
少しだけ気持ちが上向いてきました。ただし、今までのパターンによると、こういうときが危ない。ゆっくりゆっくりと落ち着いて、神様に目を向けることが重要です。自分の思いで動くことは避けることですね。ようやくメールできるようになりました。それまでは気分はどん底だわで、「ジャーナルさん」にメールで聞いていただきたいけど、SOSも出せなかった。身体はたしかに痛いけど、鬱になってしまうのは、もっと辛いこと。今日の日を感謝します。
5月5日
歩けないので、礼拝は欠席です。実家には、主人一人で行ってもらいました。
独りになって、ネットラジオのキリスト教番組を聞いたり、デボーションしたり、導きを求めておりました。行きたいクリニックは選べましたが、それがみこころにかなうことなのか、確証はありません。祈るうち、わたしの中にはイエスのみことばが蓄えられていないということに気が付きました。そして、感謝が足りないということも。このような時間が与えられたことに感謝です。
今まで自分が思うまま、飛び付いて、痛い思いをしてからしかわからなかったので、いい加減にこのようなパターンはやめようっていうのに、さすがのわたしも気が付いたんです。しかし、今からわたしが何をなすべきかがわからない。本当にしなければならないことは何でしょうね~!?
5月7日
連休中はここまでよく眠れるかというほど、寝倒した。今朝からは、また嫌な気分でいっぱい。知らないうちにモグモグ食べて、お腹の具合が悪くなり、布団でウ~。気分ではなく、実際に動かなければ・・・。
麻酔科に連絡して、写真を受け取る段取りをして、いよいよ、目的のレーザー治療専門の整形外科に電話を入れる。さすがそういうクリニックのため、話はどんどん進んでいく・・・。怖いほどだ。とりあえず、予約を入れる。身体に適応したとしても、受けるつもりはありません。回復するかどうかもわからないのに、自費で(100万円近い)を出すのは・・・。それにわたしにはそんなお金はない。要は手っ取り早く、この痛みは、膝との関連は、というのを脊椎専門医にみてもらいたいからというのが、本当のところだ。
そんな作業をしているうちに、鬱々しながらでも、食事の支度をすることができた。最近、やはり不調だなぁ。
5月8日
この十年間で分かったことは、痛みを取ることではなく、痛みがあっても、それにとらわれてしまうのではなく、心身をコントロールできるようになること。
生かされているという気持ちを持つことなのだと思います。17年前に準手術は成功したけど、痛みは取れなかった。今度だって、そうなるかもしれないし、今ある状態で生かせていただけばいいんじゃないかなと思っています。まぁ、元を断っておきたいのはやまやまだけど、だからといって、どうなるかもしれないし。
加納さおり
世田谷通信
(129)
猫草
子供達が幼い頃は、なにかと病院にかかることが多かったのだが、高校生、中学生になると減ってくる。自分も多少調子が悪いと外出が面倒なので、寝て治す。となると人間用の病院は縁遠くなるのだが、最近よくお世話になるのが動物病院だ。
近所の動物病院にはウサギ専門の先生がいる。若くて小柄でちょっと前歯が大きくウサギっぽい。たまに犬やネコだけという病院もあるので貴重な存在だ。
ウサギも高齢になり体調を崩すので、ケージに入れて、自転車の後ろに乗せて病院まで運ぶ。今回は目の周りがただれて、ベタベタして、毛も抜けてきたので受診。「うーん、ちょっと眼球に傷がないか検査しましょう」えっ、それはどうやって?人間の眼科だったら角膜を調べる時は大きなスクリーンに出すけど、ウサギは固定が難しそうだなあ。どうするんだろ。わくわく。
そうなのだ。動物病院の楽しいところは、治療法が興味深いのだ。奥から蛍光塗料を持ってきた先生がウサギの目に塗料を細い紙片でぺたぺた塗る。そして診察室の電気を消してライトを当てる。傷があると緑に光るのだという。「わあ!見たいです!」というと一緒にみせてくれた。目の縁にたまった液体がライトグリーンに発光している。眼球は黒いまま。「目に傷があると液が入るのではっきりわかりますが、大丈夫ですね。あ、体に影響のない塗料ですから、なめても平気」。ふーん、面白~い!もしかしてこれが生物由来の発光物質かしら、例えばオワンクラゲみたいな?それとも細胞のマーカーにつかうような?うきゃあ楽しい~!と、この時点でもはやウサギの存在は二の次になっている。
結局、診断は結膜炎。2種類の点眼薬をもらう。人間用と一緒。ただし保険がきかないのでえらく高額。まあ、面白い診断法を見られたので満足だ。結膜炎治るといいね。また調子悪くなったら病院行こうね、ウサギ。
*この添付のイラストは絵を描くのが大好きな次男がパソコンのペイントツールで描いたものです。
その愛のゆえに
=時々の記=
(98)
4月17日
母との思い出はやはりとても懐かしく、事が起きるたびに、母に相談したい思いに駆られたり、お祈りしてもらいたい気持ちになります。納骨日の20日は雨模様です。それもまたよい思い出になることでしょう。
‘母は涙乾く間無く祈ると知らずや’と賛美しながら天国で祈り続けてくださいね。と話しかけています。
4月20日
今日、イースターに母の納骨を執り行っていただきました。愛する母との懐かしい思い出が次々とよみがえってきて、あふれ出る涙を止めることはできませんでした。姉は、教会の皆さんにご挨拶を述べました。58年前、伊賀上野に一家5人でやってきたのが、ちょうど4月の末でした。その時は5人が泊まる家もなく、信徒のお家を日替わりで泊めていただき、やっとのことで市営住宅に移り住み、ほっとする間もなく出ていくように言われ、途方に暮れていた時に諏訪武臣先生、マカルピン先生のご支援を頂いて、今は壊された、旧牧師館と礼拝堂が建設された時の喜びは今も鮮明によみがえってきます。今、このような大きな礼拝堂で礼拝を捧げることが出来ることは神様のお恵みとしか言いようがありません。
父と母の生き様はまさに讃美歌146番です。皆さんでご一緒に賛美してください、と言うと、小野田先生がそれでは歌いましょうと言ってくださり、皆で賛美いたしました。長い間教会の礼拝に出られていなかった方たちも来てくださり姉と私はもう涙で胸がいっぱいになりました。気を遣っていたのでしょう、今はがくんと疲れが出てきています。
4月24日
こちらは朝は霜が降りるほどの寒さでしたが、日中はとても気持ちの良い一日でした。昨日とは別の道を一人で散歩いたしました。日差しがきついので、日傘を差しての散歩です。日中ですのに誰にも会わずに、会話もなしに帰ってきました。なんてさびしい村になってしまったのでしょう。でも車はカーブでもスピードを落とすことなく飛ばしていくのに何台も出会いました。路を歩くのが怖くなってきました。やはり犬たちと一緒のコースで山道が安全かなと思いながら景色に目をやるゆとりがなく急ぎ足で帰ってきました。
犬いると喜びあげぬ初ツバメ。
遠霞次の一歩を踏み出さん。
図書館の桜の枝の躍動す。
飛花落花永久の命を願わばや。 馬場路哉
4月28日
5月号の「今月のことば」にありましたが、皆、人にはそれぞれに歌がありますね。その歌は時には喜びの歌であり、また時には悲しみの歌でもあります。でもその時々にあって、その歌は神様に訴えるのであるのでしょう。神様はいつもその時々にあって正しい歌で導いてくださると確信して今も歌い続けている私です。
若草をサラダとしたる犬の食(は)む。
仰ぎては仰ぎて食ぶる花見かな。
車椅子ゆるゆる押され花吹雪。
読書して覚ゆる自由春の空。
囀りに妙なる調べ散歩道。
花匂ふ里山村の中ほどに。 馬場路哉
5月4日
パソコンが故障してメールが出来ません。その淋しさ、不便さを痛感しています。如何にパソコンが生活の中に入っているかを知らされました。暫くかかると言われてしまいましたので、手紙にして送ります。
草創の夫人納骨イースー。
夢に見る御国の姿イースター。
公園の青柳吹かれ啄木忌。 馬場路哉
5月5日
朝からうっとうしい雨模様です。昨日はオルガンで賛美しました。NHKTVで『花子とアン』を見ました。村岡花子さんの生きざまに触れ、子供の頃よく読んだ『少女パレアナ』を一気に読み返しました。パレアナがどんな悲しみに出会っても、どんな苦しみにあっても、その中で‘喜び探し’をし続けた姿にクリスチャンとして大いに学ぶところがありました。そんな生き方を祈り求めたいと思いました。
病癒え門(かど)掃く嫗(おうな)春夕べ。
弟子たちは復活の主にまみえかり。
滔々と瑠璃は変わらず春の川。
真善美求めるために入学す。 馬場路哉
5月6日
寒い朝です。ストーブをつけました。犬たちも冷え込んだのか、早く連れてって、と催促しています。東北ではクマが人を襲ったというニュースに驚きました。山添は猪や鹿、狸や猿などの動物が餌を探しに山里まで下りてきます。犬たちが吠えてくれるので近寄りませんが、筍はすっかり食べられていて無残な姿だけが残っています。1本だけ見落としたのか残っていましたので早速持ち帰り、自然の恵みを味わいました。山の奥に入るとわらび、ぜんまいがあります。上野や奈良から山菜採りに来る姿が見られ暫くは賑やかな田舎の様子です。
車椅子蒲公英(たんぽぽ)近く止まりをり
高原に降り立ち薫る春の風。 馬場路哉
5月8日
昨日、伊賀上野に出掛けて、お花屋さんを覗いてみました。5月の第二日曜日は、母の日ですから所せましと言わんばかりにカーネイションが置かれてありました。今はカーネイションの色も黄色や、オレンジなど色が豊富、びっくりです。この母の日の由来は学生時代にポーリン・マカルピン先生のお話を聞きました。これはアメリカのある牧師さんがいつも信徒のために牧師を支えている夫人に感謝の意味を込めて、特別に五月の第二日曜日を母の日と名づけ、大きくなって家を離れた子供たちも、その日だけはみな家に帰って母に感謝をささげる日ということでした。ですから皆さんもぜひこの母の日のことを覚えて、感謝を伝えていきましょう、とご奨励くださり、その話を聞いていた学生たちは、故郷の母のことを思い出して、祈りをささげました。今また今年は特に思い出しています。最後に皆で、讃美歌510番を賛美いたしました。
‘汝がために祈る母の、いつまで世にあらん、永久に悔ゆる日の来ぬ間に、とく神に帰れ。春は軒の雨秋は庭の露、母は涙乾くまなく祈ると知らずや’。
母は本当によく最後まで私たちのために祈り続けてくれたことに母の日を前に‘お母さん有難う’とお礼を言いたい気持ちでいっぱいです。
今年の母の日は、今まで一度もプレゼントなどしてくれなかった息子がサプライズのプレゼントをしてくれる、ということです。さてどのようなものが郵便局から届くのでしょう。
馬場暁美
(上野緑ヶ丘教会員)
解説 ウエストミンスター信仰告白 (24)
岡田 稔著
(元神戸改革派神学校校長)
第11章 義認について
1 神は、有効に召命した人々を、また価なしに義とされる(1)。それは、彼らに義を注入することによってではなく、彼らの罪をゆるし・またその人格を義なるものとして認め受け入れることによってであり、彼らの中で・または彼らによってなされる何事のゆえでもなくて、ただキリストのゆえだけによる。信仰そのもの・信ずる行為・あるいはその他どんな福音的服従を彼ら自身の義として彼らに転嫁することによるのでもなくて、かえってキリストの服従と償いを彼らに転嫁し(2)・彼らが信仰によって彼とその義とを受け・それに寄り頼むことによる。この信仰も、彼ら自身から出るものではなく、これも神の賜物である(3)。
1 ロマ8:30、ロマ3:24
2 ロマ4:5-8、Ⅱコリント5:19,21、ロマ3:22,24,25,27,28、テトス3:5,7、
エペソ1:7、エレミヤ23:6、Ⅰコリント1:30,31、ロマ5:17-19
3 行伝10:44(*)、ガラテヤ2:16、フィリピ3:9、行伝13:38,39、エペソ 2:7,8
*行伝10:43が正しい
一 ローマ人への手紙8章30節に「そして、あらかじめ定めた者たちを更に召し、召した者たちを更に義とし、義とした者たちには、更に栄光を与えてくださったのである」とあるが、これは、予定と召命と義認と救済の完成を述べた言葉である。それは、わたしたちの救いの始めから完了するまでの順序であり、これら一切は、神の恵みの働きである。
特に義認論は、ローマ・カトリック的セミ・ペラギュス主義やアルミニアン的神人協力主義に反対して「これも神の賜物である」と結論されている限り、救いにおける恵みの独占的活動を強調することによって宗教改革の精神を鮮明に告白しているところである。
この一項の中には、ローマ・カトリック教会の「注入恩恵論」または「義化論」。アルミニアンの「神人協力説」または「福音的服従論」の他に、「義認の律法を無視した理由、根拠のない宣告」と考える誤謬をも排斥しつつ、義認における信仰の役割と性質とを規定する告白が含まれている。
すなわち、神はキリストの義を根拠として、それを罪人のものと認め(これが転嫁である)、何ら罪人自身の実質的変化や行為を、前提や理由にせず、み旨のままに主権的に罪を赦されるのであり、信仰は、それを受ける手であり、また、それ自身神の賜物なのであるという告白である。
2 このようにキリストとその義を受け、これに寄り頼む信仰が、義認の唯一の手段である(1)。しかもそれは義とされる人物の中に孤立していることはなく、常にすべて他の救いの恵みを伴っており、かつ死んだ信仰でなく、愛によって働く(2)。
1 ヨハネ1:12、ロマ3:28、ロマ5:1
2 ヤコブ2:17,22,26、ガラテヤ5:6
二 これは、ヤコブの手紙2章の所説とガラテヤ人への手紙などの主張との関係を明確にするための付言であろう。
3 キリストは、彼の服従と死によって、このように義とされるすべての人の負債を十分に支払い、彼らのために、み父の正義に対して、当然で真実で十分な償いをされた(1)。とはいえ、キリストはみ父によって彼らのために与えられたのであって(2)、その服従と償いとは、彼らの身代りとして受けられたものであり(3)、ともに価なしにであって、彼らの中にある何事のゆえでもなかったのであるから、彼らの義認は、全くの自由な恵みによるものである(4)。それは、神の厳正な正義と豊かな恵みが、ともに、罪人の義認においてあがめられるためである(5)。
1 ロマ5:8-10,19、Ⅰテモテ2:5,6、ヘブル10:10,14、ダニエル9:24,26、
イザヤ53:4-6,10-12
2 ロマ8:32
3 Ⅱコリント5:21、マタイ3:17 、エペソ5:2
4 ロマ3:24、エペソ1:7
5 ロマ3:26、エペソ2:7
三 ここは一項の中で言われた点の再言であるとともに、最も重大な一点のより鮮明な告白である。すなわち、義認の一面は、キリストの完全な律法の要求への満足であり、もう一つの面は、罪人の無代価の義認である。この二つの面があるからこそ、神の義認と恵みとがともに発揚されているのである。救いを単なる神の愛の現われと見るのは誤りである。義認は神の律法を無視する不法行為ではない。
なお、一項にもあるように、律法に対するキリストの満足が、服従と死(または償い)と言われるのは、やはり改革派神学の特色の一つであって、キリストが単にアダムの犯罪の刑罰を償われたばかりでなく、アダムの失敗した業の契約の完全履行、すなわち、神の律法に立派に服従された点も、キリストの義の内容の大切なポイントである。前者を消極的服従と言い、後者を積極的服従と言う。
**********
この文章は月刊「つのぶえ」紙に1951年(昭和26)10月号から1954年(昭和29)12月号まで書き綴ったものを単行本にしたものです。「つのぶえジャーナル」掲載には、つのぶえ社から許可を得ています。「ウエストミンスター信仰告白」は日本基督改革派教会出版委員会編を使用。
単行本購入希望者は「つのぶえ社」に、ご注文下さい。¥500
465-0065
さんびか物語 (3)
(広く愛唱されている50曲)・・・2
ポ―リン・マカルピン著
(米国南長老教会婦人宣教師)
讃美歌22番
めさめよ わがたま
<神様のみ言葉>
「神よ。私の心はゆるぎません。私の心はゆるぎません。私は歌い、ほめ歌を歌いましょう。私のたましいよ。目をさませ。十弦の琴よ、目をさませ。私は暁をよびさましたい」。
=詩篇57編7節、8節=
この讃美歌は朝の礼拝用讃美歌と言えるもので、“めさめよ、わがたま”は1695年に書かれたイギリスの賛美歌の中で、もっとも古い朝の歌であります。作詞者トマス・ケンは、今から300数年前の1637年にイギリスのバーカクステッドで生まれ、小さい時に孤児になり姉アンと義兄(有名なつり人であり著者)アイザック・ウォルトンの家で育てられました。
トマスが13歳の時にウィンチェスター・カレッジ(有名な私立高校)に入学し、その後オックスフォードで学び、1661年に卒業しました。大学を卒業して後、国教会の聖職に任命され、各地の教会で牧会を続けました。
更に1669年にチャプレンとして母校のウィンチェスターに帰り、学生たちのために“A Manual of Prayer”(祈祷の手引き)を書きました。数年後、‘めさめよわがたま’の朝と讃美歌36番の‘この日の恵みを’の夕べの歌の二つをその祈祷の本に加えて、学生たちに毎日の朝夕の祈りの時間に歌うようにすすめました。この二つの讃美歌は、特に優れたものであったために、指折りの讃美歌として、広く世界中の教会で今日に至るもなお歌い続けられている美しい宝石と言えるものです。
1679年にトマス・ケンはオランダ公妃の宮廷のチャプレンとしてしばらくの間ヘーグに滞在しましたが、或る宮廷人の不道徳な生活を遠慮なく指摘し、それを正そうとしたため、そこでは歓迎されなかったので、イギリスへ帰らねばなりませんした。イギリスでの彼は、チャールズ二世に認められ自分のチャプレンの一人として招き、その後、司祭に任命されています。チャールズ二世が王となりローマ教会の復興を計画してイギリスのすべての教会で「信教自由令」を発表することを命じました。これに対してトマス・ケンと国教会と他の6名の司教たちが王の命令に反対し拒んだためにロンドン塔(刑務所)に入れられてしまいました。
冒頭の詩篇の言葉のように「神よ。私の心はゆるぎません・・・、ゆるぎません」というように神様への信頼と信仰の良心に従いつつゆるがぬ勇気ある司教でした。彼は後には釈放されましたが1691年に司教の職を辞めさせられました。
その後の彼は親しい友人ロード・ウェマースのウィルトシャーにある彼の家に招かれ、その家族の愛に包まれ最後の数年間を平安のうちに過ごし74歳で1711年にこの世を去りました。彼の遺言に従って葬儀は日の出とともに行われ、夜が明けとともに会衆一同が‘めさめよ、わがたま’の讃美歌を歌いながら彼の遺体を教会の墓地に葬りました。
讃美歌22番の曲MELCOMBEはサムエル・ウェブSrの作品で、彼は1740年ロンドンで生まれ、小さい時に父を亡くしたために非常に貧しく悲しい環境の中に育てられました。彼は若い時、家具工を7年ほどしていましたが、20歳になってから以前より持っていた音楽への志を貫くためにその仕事を辞めて、音楽家への第一歩を踏み出しました。その第一歩も大変なもので、音楽の写譜のために朝の5時から夜の12時までという厳しい働きがそれでした。彼は、その仕事をしながら音楽、フランス語、ラテン語、作曲法などを学びました。恵まれた才能の持ち主であった彼は、ついに専門の音楽家となり、ロンドンのサルディニア礼拝堂、ポルトガル礼拝堂などのオルガニスト兼聖歌隊指揮者となりました。彼の作品は無伴奏合奏曲に特に優れたものが多くあるそうです。
MELCOMBEという曲は、まずモテットとして発表されましたが、1791年に出版されたセークリード・ハーモニーという讃美歌集に初めて讃美歌の曲として使用されました。トマス・ケンは毎日朝な夕なにビオラを弾きながら彼自身が書いた朝の讃美歌をいつも歌っていたそうです。勿論、その曲は、MELCOMBEではなくルイ・ブルジョワが1551年に作曲か編曲したOLD HUNDREDTHでした。‘あめつちこぞりて’は、この曲に合わせて世界中のほとんどの教会で毎日曜日に歌われている頌栄のもっとも有名なものの一つと言えるでしょう。ところが、一般に知られていないことですが、この頌栄の歌詞はトマス・ケンの作品で彼が書いた三部作‘朝の讃美歌’‘夕べの讃美歌’‘夜中の讃美歌’の三つの讃美歌のそれぞれの最後の1節として付け加えられたものであるということです。ですから、英文の讃美歌には、この頌栄は‘めさめよ、わかたま’の6節として発表されていますが、日本の訳には6節が省略されているのは大変残念に思います。
<22>
1 めさめよわがたま あさ日にともない、
あしたのほめうた みまえにささげよ。
2 むなしくすごしし ときおばつぐのい、
ちからのかぎりに みわざをつとめよ。
3 うえよりたまわる たからをもちいて
おわりのさばきに かしこみそなえよ。
4 かくるるものをも 主は知りたまえば、
ことばとおもいを ひたすらきよめよ。
5 めさめよわかたま この日もひねもす
みくにをのぞみて いそしみはげめや。
ウインチェスター・カレッジの学生たちはいつも朝は5時に起床しなければならなかったそうです。文字通り‘朝日にともなわれて’目を覚まさなければなりませんでしたが、ここで作者は‘目がさめたら、まず神様のみ前に朝のほめ歌を捧げよ’と歌っています。英文では、‘喜びをもって、ほめ歌を捧げよう’とあります。私たちもこのように、毎日を、新しい日を迎えるという思いを持つためにも、この1節は大切と思います。
2節では、どなたでも虚しく過ごした時はありますが、しかし、過ぎ去った時は戻りません。ではありましても“償うことが出来ます”と、作者は教えているようです。それは与えられたこの新しい一日を十分に用いること、それも、まず神様のために用いることです。「神の国とその義とをまず第一に求めなさい」(マタイ6:33)とイエス様が私たちに教えて下さったようにであります。そのように用いて行うのが、私たちの過ぎ去った日を償い、新しい日を迎える私たちの役目ではなうでしょうか。作者は‘この一日は、あなたの一生の最後の日であるかのように、その一時間一時間を大切に過ごせ’と歌っています。
3節では、上より(神様より)与えられているタレントを用いて、終わりの審き対して、恐れと慎みをもって備えなければならないと歌っています。
人生はすべて、この終わりの審きの日に向かっての旅路でありますからこの事実を覚えての歩みでなければなりません。そうして、この審きの日に全人類は審き主なる神様のみ前に立ち、神様が下したもう私たちに対する判決を聞かねばなりません。私たちはそのために、いつも適切な準備をしておかねばなりません。その備えとは何でしょうか。それは、救い主なるイエス様への信仰に常に目覚め、かたく立ち、慎みの日々を過ごすことと言えるでしょう。
4節では、全知全能の神様にとっては、すべては明らかで、すべてをご存知であるがゆえに、神様のみ前にあって隠せるものも、隠れることもできないということを歌うと共に、むしろ、すべてを神様におまかせして、ひたすらに、み言葉に教えられて、神様の赦しと潔めを乞い求めよと歌っています。
「聖書(神様の言葉)は, 教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です」(Ⅱテモテ3:16)。
5節ですが、英文では‘今日一日中が私たちの計画、業、言葉が神様の旨にかなうように、神様が私を導き支配して、私のすべてが、神様のご栄光をあらわすようにさせて下さい’と歌っています。即ち、すべてのものを用いて、全身全霊をもって神様のために生かしめて下さいという神中心が、この5節の中心でありましょう。そうして、この讃美歌の素晴らしいクライマックスとして頌栄に用いられているものが、ここに6節として書かれています。
<539>
あめつちこぞりて かしこみたたえよ
みめぐみあふるる 父、み子、みたまを。
この頌栄で歌っていますことは、1節から5節までを支えている土台のようなものでしょうか。神様をほめたたえる素晴らしい傑作であると思います。私は頌栄として用いられるとともに22番の6節として用いるのも、全体のバランスからも良いのではないかと思います。
***********************
この掲載には「つのぶえ社」の許可を得ています。
ビルマ
戦犯者の獄中記 (39) 遠山良作 著
昭和22年
4月12日
―橋本氏一人でハンストを決意―
夕方である。橋本氏より鉛筆の走り書きで、次のような内容の書面が届けられた。
(原文のまま) 本日14時30分頃、所長に呼び出しを受け、半減食、並びに出房禁止10日間の懲罰を科せられました。その経緯は次のごとくであります。
今朝運動の監視に来た英人通称(ゴロツキの渾名あり)が頻りに訳の分からない怒り声を発して西側から順番に扉を開けて、運動と水浴をさせつつ、私の房に来ました。平常と違って運動の時間が長い者でも17、8分位だと感じました。規定では30分位ですから、その規定が改悪されたのかと思って、私は彼に英語で、「運動は何分ですか」と質問しました。私の言葉は平静であったと思いますが、彼は私を人間と思っていないので、しゃくに障ったらしく、数語の怒鳴り声を発して、何時ものポーズ(ボクシングの身構え)をとって私を威嚇し、「俺の勝手だ、何を文句言うか」と私には聞こえましたが、私は更に、「あなたの運動時間は非常に短い」と言った。私の態度は真剣でありました。その結果、私は運動を中止させられ房に入るように彼は言ったので、素直に服従しました。
その理由で所長より懲罰を受けたのです。所長は「故なく監視の英兵を撲ろうとしての身構えだ」というのです。私は本当のことを一生懸命に説明しましたが所長(印度人)は「お前は収容所監視の英人ともある者が嘘を言っているというのかと・・・」と決めつけてきました。ゴロツキの英人は傍らで平然と紳士づらをして立っているのです。
私は更に「私の言葉は真実です。もう一度彼に確かめて下さい」と言いました。所長は「黙れ・・・」と大声を発して私の発言を許さず、退出を命じました。私は格別腹も立ちません。むしろ、彼等の本質を哀れにさえ感じました。勝者である彼等の優越感を満足せしめたのかと考えると、戦犯裁判もこのように、審理され、成立しているのだと思いました。私はこの時、断食抗争を決意しました。
表面の理由は、「彼等の理不尽なる懲罰の取り消しを要求しての抗争でありますが、その折衝に当たって徒らに、我々を苦しめている「蚊帳問題」を取り上げます。「独生、独死、独去、独来」が世実なる相であるのです。私が起こした問題は私が解決しなければなりません。又私一人で充分すぎるほどです。
兄等は真に同志として、私の気持ちが良く分かっていただけるものと思います。若し私が斃れた時には然るべく処置を取って下さい。それまであくまで冷静なる態度でいて下さることをお願い致します。 橋本幸男より
田室、遠山大兄へ。
***********
この文章の転載はご子息の許可を得ております。
「あなたに聖書を」
「キリスト教百話」・・・18
「問16」 前回の話では、「自由とは神に従うことである」とありましたが、それは何か窮屈な、自分が縛られることのように感じられますがどうでしょうか。クリスチャンになることも、何かに拘束されるような気がします。例えば日曜日には礼拝に出席しなくてはならないとか。
「答」 日本では、お盆休みになると、多くの人は親元へ帰ります。親に自分や家族の元気な顔を見せて安心して貰いたい、ということが帰郷の一つの理由でしょう。特に親が最近少し弱ってきているなど聞こうものなら、多少のことは差し置いてもそうするでしょう。
またその親が肺や気管支を患っているとしたら、好きな煙草も吸うことを差し控えるでしょう。そういうことはみな自発的な行為です。もし、そういう行為を眺めていて、「親がいるってことは大変なことだなあ」と思う人がいたとすれば、それは親の子に対する愛や、子の親に対する敬愛の情というものがよく分かっていないからではないでしょうか。
また、もし心から尊敬する人がいたなら、その人に喜んでもらえることは進んでするでしょうし、逆にその人が好まないことはしないように努めるでしょう。そのいずれも指示されてのことでなく、自由を拘束されているとは思っていないでしょう。
むしろ、場合によっては、禁欲することも辞さないでしょう。クリスチャン生活が、何かそうではない人に比べて窮屈そうに見えることがあったとしても、それは、当人たちにとっては、何でもなく、むしろ当然のこととして生きているのであります。キリストによって神との関係に生かされている喜びからであることを知っていただきたいものです。
以上のことよりももっと大切なことは、「人間は本当に自由な存在であるか」という問題です。「ある人は『手を上に上げろ』『足を前に出せ』『目をつぶれ』と自分に命令すれば、体はそのように動く。しかし、心は命令通りに動かない。しなければならないと思っていることも、そのようには出来ない。自分はなんと不自由な人間なのだろう」と嘆いています。
「善はなすべし、悪はなすべからず」と知っていても、そのようには生きられないのが人間の事実だと思います。自分の思うままに生きて、それを自由だと思っている人は、自分の思うまま以外のことは決して出来ない不自由さを知らない人です。自分を超えた存在に出会っていなければそうです。
キリストを知り、それによって神を知る時、この神を知らされ、その導きに従うところに、自分の見当違いとか限界を超えた命に生かされる道がここにあることを、見出して生き始めるのでありまして、これがクリスチャンが喜びをもって得ている自由というものであります。
マザーテレサのような人は、神に聞き従うことによって、人を愛する自由を得た人であった、と言うことが出来ます。
篠田 潔
(日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
6月放送予定
1日 沖崎 学(金城学院高等学校宗教主事)
8日 沖崎 学(金城学院高等学校宗教主事)
15日 沖崎 学(金城学院高等学校宗教主事)
22日 後藤田典子(金城学院中学校宗教主事)
29日 後藤田典子(金城学院中学校宗教主事)
(放送開始1952年10月)
CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ)
毎週日曜日朝6時30分~45分放送
=お知らせ=
サッカーWカップの試合の放送ため、時に放送休止の場合がありますが、その時は、順次繰り下げ放送で対応いたしますのでご了承ください。
「ローマ人への手紙」研究 (113)
第64課 異邦人の召命とユダヤ人の拒否
9章1~11章36節(続)
F 神のユダヤ人拒否は最終的なものではない。何故なら、彼らの多くの者がキリストへ立ち帰るからである。
9章1~36節 (25)
「神は無限に偉大かつ善なる方であるばかりでなく、人間の心には測り知ることのできない方である」。
「ああ深いかな、神の知恵と知識との富は、そのさばきは窮めがたく、その道は測りがたい」。(11:30)(2)
無限者なる神という教えは、人間の心によって分析解明され得ないからという理由で、人々はこれを拒否します。それは常に私たちを迷わせるものです。私たちはその周囲を円で囲んで、それを理解したということは出来ません。自分が十分に理解し分析し得るものでない限り、如何なる神をも礼拝しないという人々は、決して聖書の神を礼拝しようとはしないのです。
実のところ、彼らは自分の心を神の代わりに礼拝しているのです。木や金で造った偶像を礼拝した異邦人たちと同じく、彼らも偶像礼拝者なのです。真の神は人々の心を迷わせ悩ますものです。しかし、その理由は、神は真の神であるからなのです。もし私たちが神を理解し尽したとすれば、その神はもはや神ではなく、私たちももはや被造物ではなくなるのです。
「私たちは神を崇め、憧れることができるだけである。神を理解し尽すことなど決してできないのだ。そしてそれは当然のことなのである。私たちによって理解され尽くすものは、有限な存在である。充分に把握されるものは、もはや神ではない。神が知識と祝福の限界なき無限の根源であるのは、神が存在において無限であり、その裁きと道において極め難く、また測り難い神であられるからである」(ホッジ)。
私たちが銘記すべきことは、私たちのキリスト教信仰は神秘に終わるということです。私たちが神の啓示によって所有し得る小さな知識は、やがて神秘との境界まで私たちを導くでしょう。そして、その境界に立って、私たちは、ホッジのように、「私たちは神を崇め、憧れることができるだけである」と言うのであって、決して理解することなどできないのです。
キリスト教は18世紀の合理主義の侵略によって、手痛い打撃を受けてきました。合理主義は現今にもその結果を及ぼしています。18世紀の合理主義の目標と狙いは、全ての実存の完全な理解でありました。この故に人間の心によって完全に理解され、解釈されることができないキリスト教信仰におけるすべての事柄は拒絶されたのです。
合理主義の中には、聖書の神の拒絶と人間の心のイメージで作られた偽りの神とが含まれているのです。この理性の宗教という偽りの宗教に対して、私たちは聖書の畏敬すべき、測り知ることのできない、神秘の神、すなわち、生ける真の神を信じるのです。
神の「さばき」と「道」とは微妙な区別があります。ここにあるものは神の裁き、神の計画、聖定を意味しています。これらのことは「窮めがたい」と言われています。すなわち、人間の研究や調査の及ぶところではないというのです。それらは神の神秘の領域に属するものであって、人間は近づくことができず、調べることができないのです。
神の道(ways)とは、神の御計画(聖定)が創造と摂理の業において実行に移されるときの方法を指しています。これは「測りがたい」と言われています。ギリシャ語の「足あと」と言う語の形容詞形です。神は創造と摂理の業において、その計画を実行に移されるのであるが、その時の方法や過程は、人間の知識や調査研究を越えたものです。私たちは神のなされる方法について、ごく僅かの限定された知識しか持ち得ないのです。
J.G.ヴォス著
玉木 鎮訳
(日本キリスト改革派引退教師)
祈 り
おはようございます。今日も晴れて嬉しいです。今日は障害者就労支援の職場見学に行きます。私も出来そうだったらいいけど早く起きるのが大変だと思います。今ままで痛い時はゆっくりだったので朝起きれない時もありました。大抵6時には起きていますが、酷いときは1日中寝ていますから毎日行けるとは思えないです。でも見学だけでも行ってきます。どうして膠原病なんかになってしまったのだろうと、もう30年もの間、神様を恨んで生きてきました。元気を出して教会に行けても礼拝中、痛くて辛くて後ろの席で横になっていたら、礼拝後、上から目線で先生に厳しく注意され、それ以来、身体がこわばって礼拝には行けなくなりました。「つのぶえジャーナル」さんとのメール交換で元気をいただいております。今後ともよろしくお願いいたします。
埼玉県 S・Kさん
お心のこもったお便り心から感謝いたします。新緑の頃となり、寒さから解放されて元気にお仕事にお励みのことと存じます。体調も祝福され、お仕事に聖霊の力を戴いて、祈りに励んでおられることと存じます。いつもご心配とお祈りを戴いて申しわけありません。天に上げられた主が、聖霊によって教会をご支配くださり、力と恵みをもってお導きくださることを祈っています。
主の恵みの道を歩むこと、それに敬意をはらい、それを主の道として聖別することを今主から教えられています。
20度近い気温に近付いて来ました。外の仕事が増えてきました。畑仕事も少しやっています。なんとか献金をもって教会の会計をささえ、また自分も生きて奉仕できるようにと頑張っています。ジャガイモを植えました。2坪ぐらいです。後はホウレンソウの種をまきました。主がご自身の教会とすべての信徒の方々の上に、祝福を注がれますように、お祈りしています。様々な世界の苦難の中で、主が平和を下さり、天の国を待ち望み、忍耐して喜びにありますように祈っています。
00県 0・0さん
教会前のお茶畑も、お茶刈りが終わりました。お茶の新芽が伸びてきて、茶畑一面が、萌黄色にたるこの季節が私は好きです。今年は、春先まで寒かったためか、いつもの年より茶摘が遅くなっているようです。ほんの少しですですけれど、召し上がってください。お身体をどうぞお大事になさって下さいませ。
静岡県 H・Tさん
「みんなでわいわい・ご意見コーナー」
☆ 鯉のぼりが風に乗って泳いでいます。田植えの機械が活躍しています。手作業の時は近所の家々で順番に手伝いましたが、今は機械がしてくれるので、高齢になっても、働けます。農家には定年はありません。田んぼの蛙の鳴き声も気持ち良いし、山には藤の花が咲き垂れています。高齢の母にはこの風景が安心するので、毎日、ベッドから眺めています。
☆ 今日は、母の日のプレゼントに、木箱入りのタオルを2人で届けてくれました。子供の時は、似顔絵でしたが成長と共に、プレゼントも変わるのですね。変わらないのは心と信じています。痛みも、天候に左右されますが、気分にも大きく関係していますね。(笑)と写真メールをくださいました。
☆ 町の郵便局には、各地の名産品のカタログや見本があり、待っている時間に、眺めています。季節の香りやその土地の方々の笑顔を思い浮かべていると、朝の連ドラ「花子とアン」になった気分です。私まだまだ若い!と心でニヤニヤしています。
『ありがとうございます』
今年も、春の風物詩の長良川で稚鮎の放流が始まりました。漁協組合員らの手により、長良川へ放たれた稚鮎は、まだ冷たさの残る清流へ元気いっぱい泳ぎだしていきましたと岐阜の友がメールしてくれましたが、きっと元気に育っていることと思います。
『つのぶえジャーナル』・『つのぶえ社』の活動のための寄付者
藤沢徳治様 羽野 環様 青柳美根子様 橋本 忠様 匿名様3名
郵便振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社
2014年4月16日から5月15日‘まで
『水琴窟』
梅雨になりました。時々立ち寄るお花屋さんの「待宵草」の花がありました。花に知識に疎い私には「宵待草」の誤りではないか思い込んでいたので、調べてみた。「宵待草」は、大正浪漫を代表する画家・詩人である竹久夢二によって創られた詩歌のタイトルでした。花図鑑には、アカバナ科の、越年草、南アメリカ原産、開花は4~9月、花の色は黄色。日本へは江戸末期に渡来し空き地や路地に生え、葉は線状披針形で縁にややまばらな歯牙(しが)でして、夕暮れを待って咲く、萎むとオレンジ色になる、とありました。マツヨイグサ(待宵草)の花言葉は、移り気、ほのかな恋で、愛する人への贈り物が夢二をとらえたのではないでしょうか。
メール アドレス osamura@kind.ocn.ne.jp をご利用ください。
「つのぶえジャーナル」(米国南長老教会文書伝道事業)刊行責任者
つのぶえ社代表 長村秀勝
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
いのちのことば社
スーザン・ハント
「緑のまきば」
「聖霊とその働き」