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2023年7月号  №193 号 通巻877号
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  今月のことば

 あなたの定めはわが旅の家で、わたしの歌となりました。

        =詩篇119:54=

 私たち一人一人も、自分の歌-自分独特の歌を持っています。人生の歌、日々の歌、生活の歌にはその人の音色があります。花にも沢山の花々があり、小鳥たちの歌声も様々です。面白いことは、自分の歌を繰り返し、繰り返し歌っているように聞こえます。

 私たちはどうでしょうか。どんな言葉を歌っているでしょうか。「作る・・・作る・・・作る」と歌う人もいれば、「食べる・・・食べる・・・食べる」、または「嘆く・・・嘆く・・・嘆く・・・」人、「私・・・私・・・私・・・」の人、「感謝・・・感謝・・・感謝」の人もおられます。

 この詩篇の詩人は「神の定め・・・神の定め・・・神の定め」が歌となりました。「旅」は日常の日々の営みであります。自分の人生を「旅」のように思う人もおります。これから始まる「旅」もあり、終わりの日数を数える人の「旅」もあります。

 この詩人の「旅」は、目的地を知らない「迷い旅」ではありませんでした。悩みと不安の中に陥っても、その「旅」には「光」があります。遠くの光ではありません。生活の中にある、家の中にある光です。その光とは、「定めという光」です。家の中の隅々まで照らす光は、詩人には「定め」でした。無味乾燥な道徳というようなものではなく、実際の「歌」なのです。

 神の「定め」は、この詩人には、福音となり、喜びとなっているのです。朝に夕にであり、春の歌であり、秋の歌でもありました。その歌声は「神の定め・・・神の定め」と歌うのでした。

 私はどのように歌っているのかどうかと、自問しています。

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   小閑記

 わたしに何をしてほしいのか。

  =ルカ8:41=

 イエス様は願っている人に、この質問を向けられました。必要とは思えぬ質問です。「わたしをあわれんでください」と願いにこられている時、何をその人が願っているかイエス様はご存知だというふうに考えられます。

 しかし、祈っている私たちのところに、イエス様が来られて、「わたしに何をしてほしいのか」とお聞きになると仮定したら、私たちはいったい何と答えるでしょうか。

 私たちは、時の許す限り、度々祈ります。「主よ、お助けください」と祈る時、イエス様に「何を、どうして、だれのために」と問われた時、正確に何を望んでいるかを考え、求めているかを自問させられます。考えの浅い思いで、その場しのぎの祈りをしてはいないでしょうか。「祈ると祈り続ける」とでは大きな違いがあるのではないでしょうか。イエス様は、このような祈りの姿勢を問うているのです。

 「また、祈る場合、異邦人のように、くどくどと祈るな。彼らはことば数が多ければ、聞き入れられるものと思っている」という御言葉があります。

 私たちが祈りによって神のみ前に出る時、自分自身に尋ねてみましよう。 

 

 私は今、何を望むのか。実際に何が必要なのかと神様に申し上げ、それを忍耐と希望を持つ、待てるのがキリスト者の祈りです。私たちの祈りの言葉は、信仰の姿・姿勢でもあります。

 祈りが貧しく、小さく、自己中心の祈りに熱心になっているなら、もう一度「わたしに何をしてほしいのか」というイエス様の問いかけを、聞きましょう。イエス様の問いかけの真の意味、御心は何であるかをたずね求めることは、信仰の糧になります。心はむしろ真の願いへと導くでしょう。

 「あなたがたはわたしを尋ね求めて、わたしに会う。もしあなたがたが一心にわたしを尋ね求めるならば」(エレミヤ29:13)。

 主よ。祈ることを教えてください。      

                   上河原立雄

 

  (ひとみ)

3月21日は、息子の結婚式でした。教会で無事に行うことが出来ました。
首都圏の高速道路が渋滞の中、列席してもらいました。息子から、お父さんは頑固で自分もお父さんに似てきたということがショックでした。披露パーティーでみなさん、スピーチが上手だなという印象がありましたし、新郎・新婦でチェロの演奏の時に、息子が嬉しそうに曲の紹介している姿がとても良かったです。
 「婚礼の笑顔溢れる二人よりわが胸踊るうれしい恵み」と謳いたいのですが実は、「婚礼の笑顔溢れる二人より、わが胸踊りとちる挨拶」が小生の心境の下手な詩です。

                  栃木県 K・Aさん  

 

結婚して16年になります。仕事が楽しく30歳の後半に結婚した私たちに、子供が与えられ保育園に入りました。仕事で得た経験とは比較にならない子育てという体験は、自分の中で得られた宝物に感じています。新米パパ・ママですが、子供と一緒に成長したいと入園式に参加しました。新聞のニュースに、大学の入学式に親たちの参加が増えているとの記事がありましたが、ご意見はありましょうが、子供と一緒に成長した印としての、子供とは別の思いがあるように思います。私へのご褒美として、私も臨むと思います。

                  岩手県 HCさん

 

   自閉症者のひとりごと

(83)

3月20日

 きょうは、朝から腰が痛く、でも検査をせねばならないので眼科に行った。帰りはひいひいで、歩けず、駅からタクシーで自宅に。台所に立ったらまた激痛に襲われた。うう~、立てないよう~

 

4月7日

 ここ最近、睡眠時間のリズムが乱れている。昨日もいつの間にか寝てしまい、お昼頃目が覚めました。そのため教会に行けないのです。また、人の目が怖くなり外に出ようとすると足がすくみます。皆が私のことを誤解しているような気がして駄目なんです。

 加納さおり

     ::::::::::::::

 

 <つのぶえ社・出版物案内>

さんびか物語         ポーリン・マカルピン著    3000円

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日本伝道百年史        バラ・マカルピン宣教記念誌

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聖霊とその働き        E・H・パマー著

               鈴木英昭訳          1500円

初めて学ぶキリスト教     G・Wヘリクマ

               E・Jデュック 共著

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死後と終末          W・ヘンドリクセン著

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カルヴィニズムの五特質    E・H・パーマー著

               鈴木英昭訳

 

世田谷通信

128

猫 草

時は春、これを書いているのは、あと1時間で春のセンバツ高校野球決勝戦が始まる、というタイミングである。もともと高校野球好きだが、長男が高校に入ってぐっと身近になった感がある。自分が小学生のときには選手は大きくて立派で憧れの対象だったが、自分が年を重ねていくうちに、すっかり選手は幼い子ども、もう監督の年齢に近くなっている。

今回お気に入りのチームを追っかけのようにテレビ観戦していて、少しだけ監督の気持ちが分かった気がする。プロのスカウトが注目する豪腕ピッチャーでも、打率5割のホームランバッターでも、結局はまだ高校生なのだ。とにかく遊びたい盛り、エネルギーだけはありあまり、すぐにサボり、すねるし、けなせば落ち込む、褒めればうぬぼれる。この子達をまとめてよくぞここまで鍛えたものだ。そして、野球に熱中する息子を支える、親のサポートも大変なものだろう。もう、選手や試合そのものより、裏方に徹する人たちの努力に感動し共感して涙ぐみそうになる。

勝つか負けるかは、地道なプレーの積み重ねの結果・・のはずだ。しかしそこは16歳、17歳の高校生、思わぬことも多々起きる。なぜそこで打ち上げる?なぜそこで飛び出す?なんでそっちに投げる?それでも、チームの方向を修正し、叱咤激励し、形を作っていく。そして試合の潮目というか流れ、というのを分ける瞬間は必ずある。勝負の境目を自分のほうに引き寄せる。周到な準備や努力を総動員して不確実な現実に対処するのだ。その勝負どころに監督の表情が映ると、目が離せない。

高校野球という巨大な舞台を支えるたくさんの大人たちのストーリー。その中央にあるグランドに、無心にプレーする高校生たちの姿がある。あの子達は一切気にしなくていい。ただひたすら、野球をしていればいい。その幸せ。

それにしても、あのバックネット裏のコアなファンの皆様、すごい。最初から最後まで全試合かぶりつきで、誰かと話をするわけでもなく、ひたすら観ている。そこまでの境地には程遠いが、次は夏だ!甲子園、楽しみ。

*この添付のイラストは絵を描くのが大好きな次男がパソコンのペイントツールで描いたものです。

 

 

  その愛のゆえに

   =時々の記=

    (97)

3月12日

 寒さの峠も越えたので、やっと庭の梅が膨らみ始めました。いつもの年より二週間は遅いように思われます。先日初鳴きをしていた鶯は今朝も聞かせてくれました。先日よりもずいぶんなめらかな鳴き声です。春がそこまで来ているのでうれしいのでしょう。

3月15日

 梅がまだ咲き掛けなのに、もう桜です。季節の早い移り変わりについていけません。でもやはり春はとても華やかですね。私たちも年のせいでしょうか。一日がとても速く過ぎていくのです。ウロウロ・オロオロしている内に時間だけが早く過ぎていきます。これといった仕事もしていないのですが、家事をこなすだけで精一杯になってきています。私にとってその家事の合間に楽しみが二つあります。一つはジャーナルに目を通すこと。あと一つは「キリストへの時間60周年」に送っていただいてCDを聞いて、一緒に大きな声で賛美することです。

 小さな楽しみですが、この二つの時間がとても大切な時なのです。

3月20日

 大池を抱ける雑木山笑ふ。

 長年を鍛へしスキー大ジャンプ。

 里山に松柏(しょうはく)多く風光る。

 トユ掃除沈丁の香の立ち登る。

 耕され、なお残りたる棚田かな。

 明星と並ぶ時あり春の月。

 古寺や珍しき種の花椿。     馬場路哉

 主人の日課は早朝の聖書通読に始まり、俳句をひねること、散歩に出かけることの3つです。散歩をしながらも俳句を考えているようです。その俳句をジャーナルにいつもたくさん載せていただいて感謝しています。

3月24日

 昨日、燕が山添村まで来てくれたのかと思うといとおしくて仕方ありません。一羽だったのが今朝は3羽に増えていました。遠い国から海を渡って今年も我が家を覚えて戻ってきてくれました。しばらくにぎやかになって家族が増えたようです。ここで生まれ、育ち旅立って行きます。

 今年の冬は特に長く厳しかったので、このような春が訪れてくれるのがとても待ち遠しかったのです。春は選抜からと言われていますが、高校生たちのはつらつとした姿にも心打たれています。

 

3月31日

 本日、4月号のジャーナルが届きました。「今月のことば」にありますように、私たちは心の中をかざろうとせず、外観ばかりを気にしていることに気が付くのがとても鈍くなっています。私たちの罪のために十字架にかかってくださったイエス様のことをしっかりと覚えて、新年度のスタートを切りたいと祈るものです。特に今月はイースターを迎えますから、そのことを真剣に覚え感謝して復活されたイエス様を信じて歩んでまいりたいです。

 ポーリンマカルピン先生の「さんびか物語」のまえがきにも心打たれ、感激しています。昨日、昔の写真を整理していたら、マカルピン夫人が奏楽しながら礼拝をする人たちとともに賛美する姿が目に留まりはっとさせられました。礼拝を捧げる者が奏楽者と一体になっているのです。その姿に伝道の熱い思いが込められているように思いました。

4月2日

 4月、春の訪れとともに、一斉に教職員の異動、郵便局員の異動が発令され、慣れ親しんだ方から新しい方へと移り変わっています。転勤された方は緊張した面持ちでこの一か月を過ごされることになるのでしょう。先ほども郵便局の方が転勤になったのでとご挨拶にきました。お話の中で、伊賀市から来られているとのこと。そしてクリスチャンであることも教えてくださいました。

 松坂まで礼拝に通っているとのこと。山添村で、教会の話ができたのはとても奇遇です。新しい年度とはもう無関係になってしまった私たちですが、思わず、お体に気を付けて新天地で、頑張ってください、とエールを送って差し上げました。

 広大な畑玉葱の苗青む。

 野遊びの心堤防歩きけり。

 散歩道、よきさえずりを聞きにけり。

 シラサギの塒(ねぐら)を見つけ野遊びす。  馬場路哉

 3羽だったツバメがあっという間に12羽に増えています。とてもにぎやかになってきました。電気屋さんが工事に来てくださって、こんなにツバメがいるお家はめずらしいですよとと言って帰られました。きっと犬たちが守ってくれているのが本能的にツバメに伝わるからでしょう。電線にずらりと並んでいる姿はとてもかわいらしく、また勇気付けられるものです・

4月3日

 山添村では昨日から、桜がちらほら咲き始めました。6日には、桜祭りが予定されていますが、満開とまではいきません。この沢山の花が一斉に咲きだし、春は自然界が冬眠から目を覚ましだしたという状態でしょうか。神様が私たちにこの美しい自然を通して、大いなる神様の御手の中にあることを感じさせられるこの頃です。

 4月20日はイースターですね。イエス様が死に打ち勝って三日目によみがえられた記念すべき日に母の納骨を執り行っていただきます。母は、よく生前に言っていましたが、イースターがもっとも大切にしたい日だと。そのイースターに納骨できることは残された私たちにとってもとても感謝です。

   馬場暁美

(上野緑ヶ丘教会員)

 

 

 解説 ウエストミンスター信仰告白 (23)

               

  岡田  稔著

(元神戸改革派神学校校長)

 

第十章 有効召命について(2)

3 幼少のうちに死に選ばれた幼児は、いつでも、どこでも、どのようにでも、自らよしとされるままに働かれるみたまを通して(1)、キリストにより、再生させられ、救われる(2)。み言葉の宣教で外的に召されることのできない他の選ばれた人もみな、同様である(3)
  1 ヨハネ3:8
  2 ルカ18:15,16、行伝2:38,39、ヨハネ3:3,5ヨハネ5:12、ロマ8:9比較(*)

*ルカ18:15,16と行伝2:38,39とヨハネ3:3,5ヨハネ5:12とロマ8:9を比較。
  3 ヨハネ5:12、行伝4:12

三 イエスの誕生のとき、ベツレヘムの幼児が多数ヘロデ王の命令により殺された事実に対し何か割り切れない思いを抱くのは人情である。信者の愛する子供が幼くして死ぬとき、果たして、この子供は天国に入れるのかと心配する。そこで、幼少のうちに死んだ者に対するいろいろな見解がある。

1・・幼少のうちに死んだ者は全部救われる。

2・・受洗している者はみな救われる。

3・・福音を聞いていないからみな滅びる。

4・・信者の子供は救われる。

 しかし、わたしたちはやはり選民のみが救われるという点を主張し、同時に、神の救いにかかわる絶対主権的自由に基づいて、外的召命を絶対的条件とは見ないのである。

 

4 選ばれていない他の者たちは、たとえみ言葉の宣教で召され(1)、みたまの一般的な活動に浴しようとも(2)、決して真実にはキリストにこないし、それゆえ救われることができない(3)。とりわけ、キリスト教を告白しない人々は、たとえどれほど彼らが自然の光と自ら告白するその宗教の律法に従って、自分の生活を築きあげることに勤勉であるとしても、これ以外のどのような方法でも、救われることはできない(4)。また彼らが救われると断言し主張することは、きわめて有害で憎むべきことである(5)

  1 マタイ22:14
  2 マタイ7:22、マタイ13:20,21、ヘブル6:4,5
  3 ヨハネ6:64-66、 ヨハネ8:24
  4 行伝4:12、ヨハネ14:6、エペソ2:12、ヨハネ4:22、ヨハネ17:3
  5 ヨハネ9,11(*)コリント16:22、ガラテヤ1:6-8
    *ヨハネ9-11が正しい。

 

四 前項とは反対に「福音と聖霊の恵みによらなければ救いに至る道」はないという厳しい断定は、予定論の一番人気のない要素であるが、苛立たずに本文を注意し冷静に読んでよく反省してもらいたい。

 「選ばれていない他の者たち」とは誰を指すのであろうか。聖書には確かに名指しいて「放棄された者」のあることがあちこちに出ている。たとえば、テモテへの手紙第二・3章8節に「また、こういう人々は、ちょうどヤンネとヤンブレがモーセに逆らったように、真理に逆らうのです。彼らは知性の腐った、信仰の失格者です」とある。

 イエスを裏切ったイスカリオテのユダについては疑問の余地がない。しかし現実に、誰がユダであってペテロではないと、わたしたちに断定する資格があるだろうか。七度を七十倍にして赦して下さる恵みの父を信じることが肝要である。

 

<結び>

 第八章で贖罪論を終えたので、ここから、救拯論(聖霊論)に入った。自力救済思想の否定、恩恵主義の徹底のために、まず自由意志の堕落によって生じた変化を明らかにしたいのである。ルーターはエラスムスとの論争で、「奴隷的意志」を書いた(ウオーフィルドの「宗教改革の神学」という論文に詳述されている)が、意志が自由を喪失したということは、少し誤解を招く表現であろう。むしろ。救いは、ただ聖霊の主体的自由な活動のみによるという主張と、その恩恵活動は罪人にとって、外部からの強制とか、内的必然というような、宿命論や決定論とは異なるもので、どこまでも自由の回復という方式で与えられているという告白である。

   **********

この文章は月刊「つのぶえ」紙に1951年(昭和26)10月号から1954年(昭和29)12月号まで書き綴ったものを単行本にしたものです。「つのぶえジャーナル」掲載には、つのぶえ社から許可を得ています。「ウエストミンスター信仰告白」は日本基督改革派教会出版委員会編を使用。

単行本購入希望者は「つのぶえ社」に、ご注文下さい。¥500

465-0065 名古屋市名東区梅森坂4-101-22-207「つのぶえ社」宛

 

 

さんびか物語

  ポーリン・マカルピン著

     (2)

さんびか物語・・1 

    (広く愛唱されている50曲)     

 

 ポリン・マカルピン著

          (米国南長老教会婦人宣教師) 

讃美歌6番

 われら主をたたえまし

           

<神様のみ言葉>

「主は情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵みに富んでおられます」。

              ~詩篇145編8節~

 この讃美歌は礼拝の讃美として歌われているものです。讃美歌6番われら主をたたえましの原作者ニコル・グリーブにつきましては、彼が1868年に生まれたことと、イギリスの讃美歌作者であったことの他、何もわかっていません。グリーブが書きましたこの歌は、詩篇145篇に基づいて作られた詩篇歌で、今も、イギリス国教会の讃美歌集に掲載されている一つであります。この素晴らしい讃美の歌が、日本語にも訳されていますことは、本当に喜ばしいことと存じます。

 

 讃美歌6番の曲は、5番の曲と同様に、非常に古いものです。その原旋律は、テオドール・ベザの訳になる詩篇124編の曲として、1551年に出版されました、ジュネーヴの詩篇歌(Pseaumes de Daid)に収録されていました。

 この曲は、その後、イギリスで、1562年に出版されました、“Whole Booke of Psalmes”に収められていたのです。そしてイギリスでは詩篇124編の曲として普及していたもので、そのために“Old124TH”という曲名が付されたのです。この曲は、1954年版の讃美歌でが、6番の他に226番の「地に住める神の子」の曲としても使われ、唄われています。

 

<6>

     われら主をたたえまし、   2 世は世へとうたいつぎ

きよき御名あがめばや、     よろこびとおそれもて

くる日ごとほめうたわん、    主のくしきわざをつげ、

神にまし王にます、       いつくしみ知れるもの

主のみいつたくいなし。     みさかえをほめたたう。

 

3 みめぐみはかぎりなく  

           主にたよる子らにあり。

           みいかりをしのびつつ

あわれみをたれたもう

主を愛し、主に仕えん。

 

 以上の美しい言葉と詩篇145編を比較しつつ、学んでまいりますと、非常に教えられるところがありますので、ここで先ず讃美歌6番と関連のある詩篇145編の一部分を引用させていただきます。

1 私の神、王よ。私はあなたをあがめます。あなたの御名を世々限りなく、ほめたたえます。 3 主は大いなる方。大いに賛美されるべき方。その偉大さを測り知ることができません。 4 代は代へと、あなたのみわざをほめ歌い、あなたの大能のわざを告げ知らせるでしょう。 5 私は栄光輝くあなたの主権と、あなたの奇しいわざに思いを潜めます。 6 人々はあなたの恐ろしいみわざと力を語り、私はあなたの偉大さを述べるでしょう。 7 人々はあなたの豊かないつくしみの思い出を熱心に語り、あなたの義を高らかに歌うでしょう。 8 主は情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵みに富んでおられます。 9 主はすべてのものにいつくしみ深く、そのあわれみは、造られたすべてのものの上にあります。 18 主を呼び求める者すべて、まことをもって主を呼び求める者すべてに主は近くあられます。 20 すべて主を愛する者は主に守られる。しかし、悪者はすべて滅ぼされる。

 

 まずここで教えられますことは、作者グリーブの歌詞にせよ、詩篇145編の詩人ダビデにせよ、どちらの歌も、その中心となっている点は、まことの生ける神様をほめたたえ、讃美することにあるといえましょう。

 人の主な目的が自分をえらくするとか、お金をたくさん貯えるためではなく、「・・・神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶことである」と、ウエストミンスター小教理問答書の問1で教えています。私たちは、みな、まことの神様の聖きみ名を来る日ごとに、ほめ歌うために、造られたものであります。

 「神にまし、王にます主」を知り、主をほめたたえるのでなければ、私たちは人間としての主なる目的から、まとをはずした生活をしているのです。この讃美の歌は私たち人間に正しいあり方をはっきりと教えてくださっている立派な模範です。

 

 次に学びたいことは、私たちが喜びと畏れの心をもって、主なる神様のくすしきみ業を、人々に告げなければならないということです。

 

 2節に、「世は世へとうたいつぎ、よろこびとおそれもて、主のくしきわざをつげ、いつくしみ知れるもの、みさかえをほめたたう」とあります。一方、詩篇の4節では、「代は代へと、あなた(主な苦神様)のみわざをほめ歌い、あなたの大能のわざを告げ知らせるでしょう」とございます。

 しかし、私たちが、主のみ業を告げる前にまず主を知り、主を信じ、主を愛し、主を私たち自身の王としてお迎えしなければなりません。あなたは、主を知り、信じておられますか?

 聖書の1ページ1ぺージをお開きになって祈りと謙遜の心をもって、み言葉を学びますなら、神ご自身がみ言葉の意味を明らかにしてくださいます。そればかりでなく、あなたが求めておられる正しい信仰を、あなたの心に与え、あなたの心の中に信仰の光をともして下さいます。これこそ神様のくすしきみ業の一つではないでしょうか。そして、主を知り、信じますなら、主のみ栄えをほめたたえつつ、あなたの心にある喜びと平安を、他の人々に宣べ伝えずにおれなくされるのです。

 

 今一つお考えいただきたいことがあります。それは、一つの理解しにくい逆説的なことがらです。すなわち、豊かなお恵みと、いつくしみを、おそそぎ下さる神様はまた、その上、義と審きの神様でもあるということです。

 讃美歌6番の3節で、作者は「みめぐみはかぎりなく、主にたよる子らにあり。みいかりをしのびつつ、あわれみをたれたもう、・・・」と、ございます。詩篇145編8節では、「主は情け深くあわれみ深く、怒るのにおそく、恵みに富んでおられます」と、ダビデは歌っています。

 神様は、何故、お怒りになるのでしょうか。それは、人間はアダムの時から主に背き、主を求めようとせず、尋ねようともしなかったからです。人間が、神様に反逆して以来のことなのです。また、人間は勝手に偶像を造り、それを神として拝み人の思いのままにいろいろな偽りの宗教を作り出し、神様に徹底的に背き続けたからなのです。それにもかかわらず、まことの生ける神様は、私たち人間の罪を贖い、赦しを与えるために、独り子のイエス・キリストを私たち罪人の身代わりとして十字架につけるために、この罪の世におつかわしになりました。そして、十字架につけ、十字架上に死にたもうたキリストの貴いいけにえによって、私たちの罪の赦しと、永遠のいのちとを、お与え下さっているのであります。

 しかも、主は忍耐に忍耐をお重ねになって、私たちが父なる神様のみもとに立ち返る日を待ち続けておられます。まことに、「みいかりをしのびつつ、あわれみをたれたもう」神様であられます。

 このように、神様は弱く、何の価値もない、罪と汚れとに覆われた私たちを愛し、滅びの穴から救い出して下さるのです。私たちは、そのような愛に富みたもう神様に感謝し、応答しなければなりません。私たちひとりひとりが、心から主を愛し、主に仕える決心を新たにしようではありませんか。

 ***********************

この掲載には「つのぶえ社」の許可を得ています。

 

 ビルマ

  戦犯者の獄中記  (38)  遠山良作 著

昭和22年

―ハンスト計画の失敗―(2)

4月12日

 橋本さんより、昨日の返事が来た。

 「兄のお気持ちよく分かります。それは自分も同じ悩みに陥ったからです。昨夜は食事をとる勇気もなかったほどでした。しかし自分は、この棟に主義を同じくする者が確実にいることを知っただけでも無上の喜びです。断食抗争は私たちにとっては、最後の武器だと信じています。-中略-

 在緬(めん)日本軍への覚醒と、各地の戦犯者、そして敗戦日本への警鐘を策した捨石的な計画であることはよく分かります。もし失敗すれば、死であり、成功しても、第二、第三の裁判を前にしている兄等に、彼等の報復を予期しての決意だと敬服します。 

 さてこの棟の空気を見ますと、おそらく、兄等の大いなる抱負を知っている者があるでしょうか。・・・・。知らないと思います。故に昨日賛同者が無かったことに対して絶望されることは、尚早です。まだ信じてよい人は多数あると思います。-中略-

 今まで数ヶ月に亘ってこの独房で裸で交際し、信じ合って来た友人を、一朝の失意によって失うことは余りにも寂しいことです。それのみか、この棟が益々無力化してしまう結果を怖れます。私は今朝も英人と二回に亘り口論しました。英人は私を懲罰にすると言って名前を控えて行きました。

 或る人はこのことを憂いて「みんなの迷惑になる」からと注意されました。要するに、この棟には二つの思想を持っている人たちがいると思います。共に必要だと思います。

-中略-

 昨日の場合は、私は賛同者の一人であり、兄等は、発起人でありました。それが見事に失敗し、面目丸つぶれでした。しかし将来に対する自信も無くなり、無念さもあることと思いますが、水に流して貰いたいのです。-中略-

 先回「「火の玉」の回覧を見ました。発起者の熱意に対して、反対者がどれ程あったか分かりませんが、あれも失敗しました。あの人等ももし真剣な考えであるならば、きっと裏切られたと思っているでしょう。英人に対する抗議で失敗するたびごとに貴兄たちのような失意者が増えて来ることを淋しく思います。

 今の状態では何時かは爆発することと思います。私たちはまだ敗北者になる必要はありません。何時か好機が来たら再び行いましょう。又真に死を賭して呼びかけてくる者が出たら率先してその人たちに協力しようではありませんか。それまでは沈黙を守りたいと思います。-中略-

 私の率直な気持ちを申し上げます。田室曹長にもお伝えください。橋本

遠山兄へ

 

 橋本さん宛てに出した手紙の返事である。橋本さんは私に、もっと大きな心を持ちなさい、と私を諭しての手紙のように思える。「ハンスト」を実行することは、死ぬかも知れないということである。こんな重大な問題を、例え友人だからといって、そう簡単に賛成出来るはずがない。相手の心も考えずに感情的になった自分が恥ずかしい。橋本さん有難う。

 憤懣の ここおさえて さりげなく もの言う吾は 淋しく思はゆ

 我らみな 敗者されば ものを言う 権利さえなく 唯耐ゆるのみ 

***************

この文章の転載はご子息の許可を得ております。

 

 

「あなたに聖書を」

「キリスト教百話」・・・17

問15 これまでの話で「聖霊は真理を知らせる」ということと、「真理は自由を得させる」ということが語られましたが、その辺りのことを説明して下さい。

答   「真理とは何か?」と聞かれて、「はい、これがそうです」と答えた場合、「それが真理であることは何によって証明されますか?」と問われたら、その答えは出ません。そういう性質のことであることを承知の上で答えるなら、キリストが「わたしは真理である」と言われたことが、その鍵になると言ってよろしいでしょう。

 ・・・前月号の続き

  次に「真理は自由を得させる」という場合の「自由」ですが、これは法律で許されている自由とは拠り所が違います。普通、法律に引っかからなければ何をするのも自由と考えています。しかし、隣り近所に迷惑をかけて良いという自由は、社会生活上の中では許されないことでしょう。また、暴走族はスピード違反や騒音防止の理由で法的に取り締まられますが、暴走する人たちの心を占めている「自分の好きなことをしたい」という思いは取り締まれません。

 この「自分がしたいようにする」を「自由に生きること」と考えている人は多いでしょう。従って、それは、自分を束縛しているものから解放されて生きたい、ということでもありましょう。

 ドフトエフスキーの「罪と罰」という作品の中に出てくるラスコリニコスという青年は、「ナポレオンは沢山の人を殺したのに英雄と崇められている。だとしたら、貧しい人たちに金を貸して苦しませている強欲な金貸しばあさんの一人くらい殺すのは人助けになるのではないか」といってそのばあさんを殺すのですが、殺した途端、自分が殺したことがばれないように気を配ります。今まで平気で生きてきた世の中が、そうでなくなります。自分が自由だと思ってやったことが、自分を不自由にしてしまったのです。

 「自由と規律」という言葉がありますが、右の例から言えることは、自由とはある規律の中でのことである、ということが出来ます。問題は、その規律の確かさにあります。例えば、昔は姦淫は重罪として処刑されました。が、今では不倫などと言って、せいぜい離婚理由か慰謝料問題くらいにされています。

 多少のリスクは負わなければならないにしても、不倫することも自由だ、ということなのでしょうか。が、その自由は、欲望の奴隷でしかないのです。好きなことをすることだけを自由だと考えている人は、好きなこともしないでおれる自由こそ、本当の自由であることを知っていない人です。

 母親は、飢えている子供のために、自分の食欲を抑止します。愛する者のためにはしたいこともしないのです。

 この項での結論を言いますと、キリストは「全身全霊を挙げて神に聞き従い、また自分を愛するように自分の隣人を愛せよ」と言われ、その通りに生きられました。「真理は自由を得させる」とはこのことです。自由とは、自分中心の自分であり、死ぬことに定められている自分から解放され、キリストによって明らかにされた神の御心に従って生きることにあります。

 福音の真理は、わたしたちを自己中心の自己から解放し、神の御心に従う生き方へと方向を変えさせるものであり、そうさせるものの根底にあるものは「愛」であります。

   篠田 潔

 (日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)

  

  5月放送予定

  4日 二宮 創 (日本キリスト改革派大田教会牧師) 

 11日 二宮 創 (日本キリスト改革派大田教会牧師) 

 18日 西堀則男 (日本キリスト改革派岐阜加納教会牧師) 

 25日 西堀則男 (日本キリスト改革派岐阜加納教会牧師) 

        (放送開始1952年10月)

CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ

毎週日曜日朝6時30分~45分放送

 

  「ローマ人への手紙」研究 (112)

 

 第64課 異邦人の召命とユダヤ人の拒否

       9章1~11章36節(続)

F 神のユダヤ人拒否は最終的なものではない。何故なら、彼らの多くの者がキリストへ立ち帰るからである。

      9章1~36節 (24)

 「神は無限に偉大かつ善なる方であるばかりでなく、人間の心には測り知ることのできない方である」。

 「ああ深いかな、神の知恵と知識との富は、そのさばきは窮めがたく、その道は測りがたい」。(11:30)(1)

 

 この節の最初の部分は「富」すなわち、「豊かさ」を「知恵」と「知識」とに並行させて、「ああ、神の豊かさと知恵と知識の深いことよ」と訳すことができます。このように訳すと、「神の豊かさ」とは罪人に対する神の恵み・慈しみを意味することになります。英語欽定訳では、口語訳のように「神の知恵と知識との富は」と訳しています。文法的にはどちらの訳も採ることができますが、C・ホッジは、ここの主題が、神の恵みであるからには、前者の読み方の方が好ましいとしています。H・アルフォードもピリピ書4:19の「神ご自身の栄光の富」という聖句を参照しつつ、ここでは、「豊かさ(富)を」を「知恵」と「知識」とに並行させて、神の属性の一つと解するのが良いとしています。彼は「富」「豊かさ」を神の善性の豊かさと説明しています。

 

 神は無限の存在者であられます。神は存在においても属性においても、無限なお方です。すなわち、神には限界性はないのです。ウ小教理問答書の問4の答えに「神はその存在と知恵、力、聖、義、善、真実において無限、永遠、不変の霊である」とあります。近代宗教の多くが有限なる神を信じているのに対して、聖書には神は無限者であると教えているのです。すなわち、スーパーマン乃至は人間性の投影と考えます。現代の著名な教会人たちが公然と「今日、人々が求めているものは、有限な神であって、道徳領域を例外として、絶対者のごときものを尊敬することなどできない」と言います。

 また神は、人々に他人を愛するように助けることはできるが、それ以上のことはできない。従って祈ることなどは無用だとさえ言う人たちもいるのです。これらはみな有限の神という近代主義神学の考え方の例です。近代主義神学の有限の神に対して、聖書に御自身を啓示されている無限者なる神は驚くべき優れた方です。

 神は真実に存在される生ける神であって、人間の想像や創作の断片の一つでは決してないのです。

 J.G.ヴォス著

 玉木  鎮訳

(日本キリスト改革派引退教師)

 

  祈 り

 昨年から計画していましたハイキング仲間と奥能登に出掛けました。その時の写真が送られてきました。まだまだ寒い能登でしたが、朝方は天候が悪かったのですが、次第に晴れ間が広がり絶好の行楽日和となりました。私たちは朝から奥能登の最後の秘境とも呼ばれる、「猿山岬」に行き春を感じてきました。早春の能登に咲く可憐な花「雪割草」とその群生地である猿山岬を歩きながら、健康であることを感謝しました。

 白や薄いピンク色をした雪割草が猿山岬に自生し、猿山一帯は日本有数の雪割草の群生地になっているそうで、その可憐な一輪一輪がどれも愛おしく、そして厳しい自然の中に生きる逞しい姿に感激を覚えしました。

 夜は温泉で疲れを癒し、他愛無い会話の時でした。共に生きてきた伴侶を失った寂しさ、悲しさを心に抱くものの心に、過ぎし時を思いながら無邪気な昔乙女に戻っていました。さあ、この恵みを信仰の糧として生きてまいります。

                   滋賀県 T・Tさん

 

 五月の連休明けから桜の季節になります。テレビの桜前線の予報は雪国の者にはまさに花便りです。同時に花々と新緑とが一緒に来ます。衣替えに忙しくなりますが、二、三度は寒い日に戻り、それから安心して衣替えです。それまでは細い道には残雪があり、教会に歩いてこられる方には今少しの辛抱です。雪に閉ざされている私たちには、家庭集会も持てません。車がなければ移動できない者ばかりですから、気持ちや願いがあっても実現できません。車で送り迎えできた時は何とかできましたが、私自身がデイサーヴィスの利用者ですから、辛いものがあります。そのような不便の中にある者たちですから、小人数でも持参した物を出し合って楽しいまじわりのひと時を持ってます。地域の教会ではなく「家の教会」が過疎の村の教会です。・・・。

                                 00県  0・0さん

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緑を大切に!
お気持ち一つで!
守ろう自然、育てよう支援の輪を!
書籍紹介
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エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

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教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
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「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

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「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
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「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
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われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

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さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

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