忍者ブログ
2023年7月号  №193 号 通巻877号
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

 

 「みんなでわいわい・ご意見コーナー」

 

☆ 部屋の中の鉢植えは、沢山の花が咲いていますが、やっとこちら白山の麓にも梅がようやく満開になってきました。このまま温かい春へとなってくれることを期待しています。そう思うと、毎年、1、2回は寒さが戻るのですが、やはり春は何かを運んでくれます。

 

☆ 朝は気持ち良い朝日ですが、昼頃になると黄砂が太陽を遮ります。うっとうしくなります。朝でも肌が痒くなります 昼頃だと帽子をかぶってマスクして・・・。新緑の季節や花曇りではなく黄砂曇りです。 気分が悪い。鬱が余計に酷くなる感じです。 

PR
 

  『ありがとうございます』

 孫の高校が選抜高校野球21世紀枠で出場となりました。応援を終えてバス52台連ねて帰ってくるよ。とんでもない数の応援だったよ。地元の高校でもあんなにいないでしょう。本当に出場決まってから卒業生や都立高校関係者、品川区や商店街は、お祭り騒ぎでした。もう履正社はこのまま優勝しなさいよと思う・・。今はみんな切り替えて受験モードなわけだ。息子もそろそろがんばってほしいものですが、まあ自分でやる気になるまでほっとくわ。応援ありがとうね、とメールが来ました。一つの春の珍事。

 結婚30年記念の花束をご主人からと、娘さんの新婚旅行の写真をいただきました。それぞれに区切りがあり、スタートがあるのですね。感慨深いものがある二枚の写真でした。またブルーベリーと空豆の花の写真メールをいただきました。友人が金魚みたいやねっと言っていましたとのコメントもありました。

 『つのぶえジャーナル』・『つのぶえ社』の活動のための寄付者

 西田義昭様 馬場伸直様 馬場暁美様

    郵便振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社 

2014年3月16日から4月15日‘まで

 『水琴窟』

名古屋の今は、梅から桜と移り、そしてあちこちの庭や街路樹には可憐な花水木が咲いています。暖かい雨が降る日が多くなる頃を穀雨(こくう)といい、百穀を潤し、芽を出させる雨で、このように呼ばれたそうです。野山には新緑が美しく輝き、草木の成長する時です。夏の始まりでもあります。「新」を迎えた人々も、緊張気味の日々から、一時の開放感を感じる時でもあります。

  メール アドレス   osamura@kind.ocn.ne.jp をご利用ください。

 「つのぶえジャーナル」(米国南長老教会文書伝道事業)刊行責任者

   つのぶえ社代表   長村秀勝

 

 今月のことば

     

 二羽のすずめは一アサリオンで売られているではないか。しかもあなたがたの父の許しがなければ、その一羽も地に落ちることはない。・・・それだから、恐れることはない。あなたがたは多くのすずめよりも、まさった者である。

       =マタイ10:29~31=

 

 人間は、多くのすずめよりも価値があると言われています。別の箇所では、キリストは、人間は、全世界よりも価値があるとも言われます。「たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、何の得になろうか」(マタイ16:28)ともあります。

 神様のお言葉によれば、一人の価値は、それほどにも大きいのであると言うのです。この神様の認識と私たちの認識には大きな開き・相違のあることに気付くべきでしょう。戦争、貧富、差別、虐待、人権無視の私たちの社会の現実にあって、このみ言葉は、何を私たちに神様は厳しく問いかけるのでしょうか。他人事と目をそらし、無関心な私たちに、神様は厳しくキリスト者と教会に問うているのです。

 このような神の問いかけを、自らの欲望の満足のために無視し、浪費し、自分自身を見失っているのです。預言者は言います。「人はみな草だ。その麗しさは、すべて野の花のようだ。・・・。草は枯れ、花はしぼむ」(イザヤ40:6~7)。

 こころを飾ることよりも、外側を飾るために飽くなき努力を注ぎ、お金を注ぎ込むのが私たちです。

 

 もう一度、こころを傾けて、神のみ言葉に聞こうではありませんか。私たち一人一人の救いのために、神は何を犠牲にされたのでしょうか。十字架上のイエスは神の子のみ子でした。滅びの肉と骨として捨て置かれても致し方のない私たち一人一人に神は、愛と憐れみと救いと罪の赦しと、それ以上に永遠の命を得させるために、支払われた代金は、全世界の富でも賄いきれない代償を、ただ、神の真実と愛のゆえに支払われた金額は、神としてのみ子の命でした。

 私たち罪人にそれだけの値打ちがあるのでしょうか。全くありません。罪の償いのために私たちは何を持って贖うことが出来るのでしょうか。出来ません。不可能です。

 そのような私たちのために、差し出された主イエス・キリストの救いのみ手を、今一度、確りと受け止めようではありませんか。み子の命をもって贖いだされた命は、本当に貴いのです。

   小閑記

       

  「恐れることはない。われわれとともにいる者は彼らとともにいる者よりも多いのだから・・・」。主はその若者の目を開かれたので、彼が見ると、火の馬と火の戦車が山に満ちてエリシャのまわりにあった。

        =列王記下6:16~17=

 

 サタンがその霊の軍勢を送って、人々に罪を犯させ、躓かせるように、神はその仕える霊を送って、神の子供らをお助けになります。私たちキリスト者は、こうした味方や忠実な僕を見ることは出来ませんが、神はそのような者たちがいると語られ、キリスト者の経験はそれを確かめております。

 世の中を渡ってゆく寂しい道すがら、決して私たちは孤独ではないと言うこと、多くの敵が、私たちに対して謀を巡らしても、その危険に勝る「助け」を送って下さることを思い起こすことは、何と幸いなことでしょう。

 

 きょうもまた、イエスの弟子は、預言者エリシャとともに、「われわれとともにいる者は彼らとともにいる者よりも多い」と言うことができます。私たちに助けの軍勢が見えないとしても、それらがここにいることを、私たちが、信じること、そして喜んで主の送りたもう「助け」に信頼するのが、神のみこころであります。

 私たちが危険や困難に出会う時、子供のような信仰で、主の助けを信頼していれば、どんなにこころ静かに平安でおられることでしょう。私たちが忘れている間も、主の使いたちが行き巡って、私たちを助け、私たちの戦いを戦って下さるのは、ありがたいことであります。

 しかし、私たちの主の加護の恵みを忘れるならば、私たちは、当然なすべき神への感謝を怠り、私たちの心の感ずべき喜びを味わいそこなうことになります。

 

 神の民たちよ。このことを度々思い起こしましょう。生きた信仰によって、心の中にこの励ましを確りと確保しておくことは、真に力強いことであります。

 この世は、私たち信仰者にとって、危険が満ちていますが、神はイエス・キリストの兵の一人のために愛の守りを注いでいます。

 エリシャに、「わたしたちはどうしましょう」と叫んだ僕のように、私たちが叫ぶ時、神様から答えが来ます。「恐れることはない。われわれとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから」と言われていることに、感謝したいものです。

 

                  上河原立雄

  (ひとみ)

 

「つのぶえジャーナル」フレンド?の皆さん、お元気ですか。私の住む地の今は周りの山々は深い雪の中です。夏は、多くの人が文豪島崎藤村の生誕の地、木曽「馬籠宿」を訪れます。ご存知とは思いますが、中山道69宿のうち木曾谷には11の宿場が置かれており、馬籠宿は板橋を1番目とすると43番目になりまして、江戸からの距離は83里(333km)余りとなるそうです。街道が山の尾根に沿った急斜面を通っており、その両側に石垣を築いては屋敷を造っていることから「坂のある宿場」が特徴となっているそうです。この地に産まれ育っていながら、観光案内のパンフレットを読んで感嘆しています。今年の夏の一日、ガイドブックを読みながら散策したいと、まだまだ先の春を待ち焦がれています。

                   岐阜県 JSさん

 

 直接経験してはいなくても悲しい気持ちになる震災の記憶がよみがえる三月です。いろいろなことを考えさせられました。家族のある者は家族との時間を当り前でないと知ったとき、大切にするようになったのではないかと思います。年老いた親への気配りをする若者も増えた気がします。

 まだまだ十分ではない復興はこれからの課題ですが、希望を持ってゆけたらと願って止みません。

  3月号でマカルピン先生の「旧・新約婦人物語」が終わってしまい残念ですが、先生は他の誰かの為に考えて行動しましょうと、絶えず訴えていらっしゃいました。自己中心になることは簡単ですが、他の方の為に気付くことが出来れば、お互い温かな気持ちになれることと思います。その輪を少しずつでも増やしてゆけたらと願います。

  とても暖かい日も増えました。震災後、頑張り続ける方の為にも、亡くなられた多くの方々の為にも今自分に出来ることを問いながら三年目の春を過ごしています。

                     奈良県NR

   自閉症者のひとりごと

(82)

 

2月24日

 今週こそは礼拝に与れると、先週から思っていたのですが、体調不良になり、行けませんでした。悲しくなってきました。公同の教会での礼拝は、個人礼拝とは違うから。でも、どこにあろうと、インマヌエルです(^^)。来週こそは、会堂で礼拝に与りたいです。元気になりますように・・・。とは言え、また腰痛になりました。わたしは腰椎と椎間板も変形しているうえに、側弯が入っているので、痛いのは当たり前なんだけど、ツラいです。加齢だわ。

                           

3月3日

 ある薬と神様の力によって、「落ち着き」という言葉が、少しだけわかるようになってきた。生きることが、自分の力ではどうにもならないということを、認めるしかなくなったのだ。幼いときから、賢いようなふりをし、優等生の鎧を着けていた。バカにされたくないという強い思いからだった。本当の自分がばれるのが怖くて、嘘をつき、人を騙して、それがばれるのにびくつき、嘘を重ねる生き方をしてきた。わたしは高慢だった。
 わたしは自分ではなにも出来ない、どうしようもない者だということが、分かりかけると、ありとあらゆるものから逃げた。惨めだった。ある日曜日、教会に行く途中、ふと頭に浮かんだ。神様は世界が生まれる前から、わたしを無条件で救いに入れて下さった。救いに勝るものはない。だから、わたしはバカをさらして、そのままでいいのではないか。鎧をおろしていいのではないか!!
 それに気が付いてから数ヶ月、相変わらず知ったかぶりはあるが、正直に生きようと思っている。わたしは会話するのがとても苦手。何故なら、人の話がすぐには理解出来ないのと、簡単に答えられることでも理由を求められると傲慢なのがばれるのが恐い。だから、何も変わっていないのは悲しい。せっかく大切なことを教えられたのに・・・。

 

加納さおり

 

世田谷通信

126

猫 草

 

2月に東京に雪が降ったとき、数十年に一度の大雪だの、観測史上初だのと言われたが、1週間後にもう一度同じぐらい降雪があり、そういう時はなんと報道するのだろう?と思った。数十年に1度のことが、1週間で2度起きるとはどういうこと?・・うーん、確率の話はよくわからない。

「これまでに経験したことのない」とか「観測史上初」という表現にもびっくりしたり、警戒したりするのは最初だけである。やたらと降水量でも積雪でも台風でも気温でも耳にする気がする。なんだか異常も日常となって、危機感が薄れてしまうものだ。警鐘が鳴らされるほどに警戒心は反比例するように薄れていくのだ。なので、報道・情報を流す側も、より刺激の強い形に、どんどん表現を強めていくしかない。それでも言えば言うほど「ああ、またなんか言ってる」ぐらいにしか受け止められず、危機に対して麻痺した感覚になるのが本当は一番危険な状態なんだろう・・と思う。

先日の雪では高校生の長男と部活の友人達も、練習を早めに切り上げればまだ電車はあったものの、夕方すっかり雪深く、首都圏のあちこちで電車が運転見合わせとなってから「あれ、帰れなくね」と気がつき、我が家に泊まりに来ることになった。それも、帰り道に雪合戦、雪だまりに人型、と散々に遊んで、服も髪も靴もベタベタになってのご帰還である。まったく。幼稚園か小学生ですか、君達は。

もちろん子供達はスマホは持っており情報を検索することはできる。こちらも早めに帰るようにとメールを送っている。あれほどに天気の急変が予測され、交通の麻痺が報道され、不要不急の外出はお控えくださいと警鐘が鳴らされても、現実になるまでスルーなのである。

危機を自分の実感として感じ取るのは、きっとケータイのアラーム音でも、強い防災情報の表現の工夫でもなく、ただ本人が「ひやっ」とする、その肌感覚なのだろう。それが本当に深刻な危機でなければいい。そんな風に思う。

 

*この添付のイラストは絵を描くのが大好きな次男がパソコンのペイントツールで描いたものです。

 

  その愛のゆえに

   =時々の記=

    (96)

2月14日

 こちらは今朝から、大雪に見舞われています。名阪国道も上下線とも通行止めになっています。大雪警報が奈良県全体に出ていました。JRも関西線は不通です。明日もまだ晴れ間が出ないとか。困り果てています。でも、このような大雪に見舞われて初めて、申し訳ないことに雪国の方たちの冬のご苦労がわかる者です。深く反省することしきりです。冬きたりなば春遠からじという言葉がありますが、春がなかなか来てくれない山添村です。

 

2月17日

 山添村に来て、初めてと思われる大雪でした。気象台では24年ぶりといっていましたから、二度目になるのでしょう。雪が25センチ以上あり、郵便を配達する方たちも、バイクが坂道を登らないので歩いて配ってくださっています。本当に大変です。ご苦労様です。有難うございます。気を付けてくださいと声をおかけいたしました。私たちのような高齢者はできるだけ外出を控えることでしょうね。

 困難に耐えし、日数や春めきぬ。

 早々と畑点々と草青む。

 竹藪をいくつか過ぎて、梅探る。(月ヶ瀬にて。)

 山の上残照白く日脚伸ぶ。

 如月や、首と足には物を巻き。

 海の色なせる若布を買い求む。    馬場路哉

 

 このような雪の中でも主人は山添村の中を散歩に出かけました。本当に頑張り屋さんです。私はと言えばオリンピックの再放送に夢中です。フィギュアスケートやジャンプでメダルが相次いで出ましたね。とても興奮しています。

 

2月28日

 暖かい春の日差しの中、本日、ジャーナル3月号をお届け頂きました。

亡き母の誕生日(2月28日)でしたので、母からのプレゼントのようで一層嬉しく受け取りました。もう亡くなって二ケ月が過ぎますのに、夜空を見上げては、母に話しかけている毎日です。

 ジャーナルでは多くの皆さんに励まされています。

 新潟県の読者の方、雪おろしのために親孝行されているのですね。ご苦労なことと心からお察しいたします。母の実兄が新潟の診療所で雪深い日に一人で亡くなっていたと聞いています。地元の多くの方が大雪の中、お見送りに来てもらったとのこと。人情深い雪国の方との生活だったことが偲ばれます。

 関西には「お水取り」の行事が終わらないと春はやってこないといわれています。昔の方たちは何かしら、そうした行事に結び付けて季節を感じ取っていたようですね。

パラリンピックでの選手のみなさんの活躍ぶりに、目を潤ませてばかりになりそうです。

 川幅の広き堤防野火(のび)上がる。

 春暁や新聞配る灯の見ゆる。

 通学路老ひて歩けば草育む。

 蝋梅や日当たりの良き崖に住む。

 主を称ふメゾソプラノやイースター。   馬場路哉

 

37

 また寒さが冬に戻って、雪がちらついています。梅もまだつぼみのままです。

早く温かい春が来てほしいものと、梅の枝をじっと見つめていると、鶯がやってきて初鳴きを聞かせてくれました。細い鳴き声ですが、もうすぐはるですよ。と教えてくれたようでした。感激したひと時でした。

 杉ヒノキ雑木入り組み山笑ふ。

 石丸く砂輝ける春の川。

 頼山陽詩碑に佇み梅探る。

 門前の盆梅太くなりにけり。

 会ふ人と冴えかえること話しけり。    馬場路哉

 

 とてもうれしいお知らせを頂き感謝です。「旧新約婦人物語」の後どうなるのかと思っていましたら、4月号から「讃美歌物語」になるとのこと感謝です。私にとっては「讃美歌物語」は聖書に次ぐ大切な本です。教会で奏楽のご奉仕をさせていただいていた折には、何時も讃美歌物語に目を通して、その作られた由来や作詞者の思いを読んでいますと、とても力つけられたのです。時には礼拝のあと、その日の礼拝で賛美した讃美歌についてマカルピン先生の書かれた文章を皆さんに聞いていただいたことがあります。それはとても好評でしたが、時間的な問題もありいつの間にか消滅してしまいました。讃美歌を歌えることの素晴らしさ、その歌詞はまた祈りの言葉であるのです。

 若い日に青年会の方たちは毎晩教会に集って来るのです。いったい何が目的なのかを尋ねたら、思い切り讃美歌をうたいたいので・・・。勉強ばかりしているとどこかでこのように清らかな讃美歌をうたっていないとやっていられないんです、と本音を言ってくれました。

 そして、母に混成4部合唱を指導してもらい、見事にその年には信徒の前で500番、494番、122番を賛美し、大きな拍手を頂いたことが思い出されて懐かしいです。私は今も、朝と夕には賛美(大きな声)しています。今好きな讃美歌は533番と280番、294番が私を励ます賛美歌となっています。

 4月号からが大きな楽しみになりました。

 

  馬場暁美

(上野緑ヶ丘教会員)

 

 解説 ウエストミンスター信仰告白 (22)

               

  岡田  稔著

(元神戸改革派神学校校長)

 

第十章 有効召命について(1)

 

1 神が命に予定されたすべての人間を、そして彼らだけを、神は、自ら定めてよしとされる時に、神のみ言葉とみたまとで(1)、生まれながらに置かれていた罪と死の状態から、イエス・キリストによる恵みと救いへ(2)と有効に召命するのをよしとされる(3)。それは、神のことを理解するために、彼らの心を霊的に、また救拯的に照らすことにより(4)、また彼らの石の心を取りさって、肉の心を与えることにより(5)、彼らの意志を新たにし、その全能の力によって、善にむかって決断させることにより(6)、また彼らをイエス・キリストヘと有効に引き寄せることによってである(7)。しかも、彼らは神の恵みによって自発的にされて、最も自由にくるのである(8)

  1 
テサロニケ2:13(*)コリント3:3,6
     *
テサロニケ2:13,14が正しい。
  2 ロマ8:2、エペソ2:1-5
テモテ1:9,10
  3 ロマ8:30、ロマ11:7、エペソ1:10,11
  4 行伝26:18
コリント2:10,12、エペソ1:17,18
  5 エゼキエル36:26
  6 エゼキエル11:19、ピリピ2:13、申命30:6、エゼキエル36:27
  7 エペソ1:19、ヨハネ6:44,45
  8 雅1:4、詩110:3、ヨハネ6:37、ロマ6:16-18

一 前章で、人間は自由意志が与えられているということと、罪人の自由意志は救いを自力で得る力を失っていることが明らかにされたが、本章は、救いを得ることが、まったく神の恵みの業によってのみ成り立つことを明らかにするための準備的告白である。

 「有効召命」と呼ばれているのは外的召命と言うところの対比上名づけられたものであって、福音の宣教は罪人を救いに招くことであるが、それは外的、すなわち可見的な方法手段あって、かならずしも目的を達しないものである。宣教は万人に共通な呼びかけであるが、有効的(効果的)召命は、選ばれた人のみに限られた呼びかけである。

 「神は、自ら定めてよしとされる時に」とは、神がよしと指定された一定の時期にそれが呼びかけられるという意味である。この招きは、神の「み言葉とみたま」とによるものであり、み言葉もみ霊もともに「キリストのみ言葉」、「キリストのみたま」と呼ばれ、天に昇られたキリストが地上において、救い主としての職務遂行をされるときの両手である。

 罪人の覚醒がみ言葉だけで生じると見ることと、み霊の働きだけで生じると見ることに反対しているのである。「また彼らの石の心を取りさって、・・・」以下は、このみ言葉とみ霊によってなされる招きの業の具体的内容を語るもので、それは心の全部分に及ぶみ業であるが、特に理性と意志とに大きな変化を与える点を指摘し、また、その変化の第一歩から完成への全てに亘って、み言葉とみ霊が働かれることを明らかにする。また、前章の結びで述べたように、このみ業は、決して強制とか、必然的決定という形ではなく、自由という方式でなされるのである。

 

2 この有効召命は、神の自由な特別恩恵からだけ出るものであって、決して人間の中に予知される何物からでもない(1)。ここでは人間は、聖霊によって生かされ新たにされ(2)、それによってこの召命に答え、またそこで提供され伝達される恵みを捕えることができるようにされるまでは(3)、あくまで受け身である。

  1 
テモテ1:9、テトス3:4,5、エペソ2:4,5,8,9、ロマ9:11
  2 
コリント2:14、ロマ8:7、エペソ2:5
  3 ヨハネ6:37、エゼキエル36:27、ヨハネ5:25

二 カルヴァン主義は、予知説に対して厳格に予定説を主張したが、ここでその意味と必要性とが明らかになるであろう。すなわち、神が主権的に召されるのであって、人間は召しだされる以前には、全く感知しないばかりでなく、人間の内には、何ら召される理由が存在しないのである。

 キリスト者が持つ非キリスト者との相違の一切は、神の召命によってわたしたちの内に生じてくるものであって、その反対ではないのである。

 

   **********

 

この文章は月刊「つのぶえ」紙に1951年(昭和26)10月号から1954年(昭和29)12月号まで書き綴ったものを単行本にしたものです。「つのぶえジャーナル」掲載には、つのぶえ社から許可を得ています。「ウエストミン

さんびか物語

  ポーリン・マカルピン著

     (1)

 

 「まえがき」

 

 讃美歌はクリスチャンにとって、一つの大きな宝物といえます。教会で礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴らしいことでございます。

 終戦直後、私たちは岐阜市へ戻りましたが、そこで病院を訪問して、聖書の研究会を開く機会が与えられました。当時は、アコーデオンの伴奏で病室から病室へと讃美歌を歌いつつ、多くの患者さんにお会いして、神様をほめたたえることができました。その中のある方は私たちの小さな奉仕によって、神様に導かれた人もおられました。これらひとつひとつは、私にとりまして忘れられない喜びであります。

 もちろん、未信者の方でも、讃美歌の好きな方も多くおられます。特に、日本では、そのような方が多いのではないでしょうか。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信仰が必要であります。

 また、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台にある神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。そして、それ以上に、神様のみ言葉を心から受け入れ信じなければ、讃美歌の本当の尊さをあじわうことは不可能であります。

 

 わたしは16年前(1958・6)から、「聖書研究の友」誌を通して、多くの讃美歌について学んでまいりました。今回、その原稿のあるものを改定し、他の材料をも加えて、なるべく代表的な讃美歌を、また、日本のみなさまが広く愛唱されている讃美歌の中から50曲を選んでこの本にまとめてみました。この本が主にあるクリスチャンの方々の信仰の成長に、そして、初めて讃美歌を口ずさむ方の手引きになりますなら、幸いに思います。

 この本の出版が実現いたしましたのは、長村秀勝氏の偉大な協力と、校正などに助力してくださった方々に心から感謝いたします。

 この一巻に記されている讃美歌の言葉やすすめを通して、読者の方々がはっきりと神様のみ旨を知り、とるべき道、なすべき業を知ることができますようにと願っています。

     1974年10月10日

           尾張旭市にて

              ポーリン・マカルピン

 

 「参考文献」

Bailly,Albaert Edward        The Gospel in Hymns

Davis,John D                 The Westminster Gictionary of the Bible

Haeussler,Armin              The Story of Our Hymns

Heney,Matthew                Commentary in Handbook

Northcott,Cerl               Hymns We Love

Price,Carl F                 One Hundred and One Hymn Stories

Ryden,E,E                    The Story of Christan Hymnody

 

 「邦語文献」

聖書辞典           いのちのことば社

キリスト教大辞典       教文館

讃美歌略解          日本基督教団出版局

ウエストミンスター小教理問答 つのぶえ社

 

 「使用讃美歌」

1954年版讃美歌      日本基督教団讃美歌委員会

 

 「使用聖書」

新改訳聖書          日本聖書刊行会

 ***********************

この掲載には「つのぶえ社」の許可を得ています。

 

 ビルマ

  戦犯者の獄中記  (37)  遠山良作 著

 

昭和22年

4月11日

­―ハンスト計画の失敗―(1)

 殴打された事件解決のために、「ハンスト」を行うべきであることを独房にいる12名の者に呼びかけた。少なくとも7名以上の者が賛成してくれるものと思っていたのに、賛成者は橋本さん一人のみであった。この棟には現在29名いるのに、僅か3名で「ハンスト」を行っても負けであることは火を見るより明らかである。残念ながらこの計画を断念するより致し仕方がない。信じていた友に裏切られた思いである。

 C君は運動の時に「遠山君よ。断食はどうしたよ」と問うた。

 私は「3名ではどうにもならないから、中止です」。

 C君「3名でやったらいいではないか」と言う。

 私たちは死ななければならないかも知れないと、真面目に考えているのに、余興でもやるような、人を馬鹿にした言葉に私は胸の血は逆流する思いである。その思いをぐっとこらえて、平静をよそおい、「いやだめだよ」とやっとひと言返事ができた。

 房に帰って、田室さんに憤りの言葉でそのことを話した。

 彼は「それで良いのだ。分からない者には百言を費やしても、理解できないからなあ」と言う。

 橋本さん宛てに次のことを書いて送った。

 「昨日計画しました「ハンスト」は完全に失敗いたしました。今まで信じていた友に裏切られたようで口惜しく思います。友なんていざという時には、当てにならないとの思いで、無念でなりません。しかし、この事件で貴兄という友を得たことで満足です。

 私は少なくとも7名位の同調者があれば「ハンスト」を実地すべきだと思っていたのに、貴兄は5名あれば決行すると言う。貴兄の意気込みには敬服します。

 今後貴兄が死を賭して闘争するという時は、私は必ず協力するでしょう。しかし他の人が行う時は決して協力しないでしょう。

 貴兄の刑は僅か3年です。後2年も辛抱すれば内地に帰ることが出来ます。貴兄の戦場は祖国日本です。祖国に帰って働いて下さい。私はそれのみ祈っております」。

 

この文章の転載はご子息の許可を得ております。

 

「あなたに聖書を」

 

「キリスト教百話」・・・16

   

問15 これまでの話で「聖霊は真理を知らせる」ということと、「真理は自由を得させる」ということが語られましたが、その辺りのことを説明して下さい。

答   「真理とは何か?」と聞かれて、「はい、これがそうです」と答えた場合、「それが真理であることは何によって証明されますか?」と問われたら、その答えは出ません。そういう性質のことであることを承知の上で答えるなら、キリストが「わたしは真理である」と言われたことが、その鍵になると言ってよろしいでしょう。

 「真理」と言われているものには科学的真理とか呼ばれているものもありますが、聖霊によって与えられる真理というのは、人間の認識能力を超えたところから与えられるもので、「これが本当のことである」とか、「これが本当に自分を生かすものである」と確信を与えてくれるもののことです。釈迦は人生苦から解脱する秘訣を悟ったと言われていますが、そこで得た「悟り」というものは、人知を超えた真理ではなかったかと思います。

 ところで、キリストによって神からこの世に与えられたものを「福音の真理」と言いますが「福音」という言葉の字義は「喜ばしい知らせ」ということでありまがす。何が喜ばしいことであるかというと、神様が共にいて下さるということが、キリストによって本当に確信出来るからであります。

 わたしたちは生きる根拠を自分においています。しかし、その自分というものが本当に確かな存在であるかというと、甚だ怪しいのです。吹く風で折れてしまう葦のような弱くあやういものです。またどんなに頑張って見ても、遂には死の力に飲み込まれてしまうものです。にも拘わらす、そういう自分を拠り所としてしか生きられないのは、人間が大きな見当違い(それを聖書では神との関係における「罪」と呼んでいます)の結果のすべてを神から遣わされたキリストが担って清算し、そして、人間自体から生み出せない死なない命(これを「永遠の命」と呼びます)に生かすという喜ばしい消息(福音)が、キリストの十字架と復活において、われわれに示されているというのが、聖書が言うところの「真理」なのです。そしてこの真理は、人間の認識力によってとらえられるものでなく、聖霊によって与えられるものです(全くタダで)。

 われわれがどういう人間であろうと「わたしはいつもあなたと共にいるよ」     

と神様から保証されているくらい確かな拠り所はないでしょう。「わたしは真理である」といわれたキリストを聖霊によって信じることが出来る者とされた時、わたしたちの人生の土台は本当に確かなものとされ、自由を得るのです。(次月号に続く)。

 篠田 潔

 (日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)

  

  4月放送予定

  6日 横山良樹 (日本基督教団半田教会牧師) 

 13日 横山良樹 (日本基督教団半田教会牧師)

 20日 岩淵正樹 (日本基督教団高蔵寺ニュータウン教会牧師)

 27日 岩淵正樹 (日本基督教団高蔵寺ニュータウン教会牧師)

    

        (放送開始1952年10月)

CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ

毎週日曜日朝6時30分~45分放送

 

ブログ内検索
カウンター
★ごあんない★
毎月第一日更新
お便り・ご感想はこちらへ
お便り・ご感想くださる方は下記のメールフォームか住所へお願いいたします。お便りは「つのぶえジャーナル」の管理人のみ閲覧になっています。*印は必須です。入力ください。
〒465-0065 名古屋市名東区梅森坂4-101-22-207
緑を大切に!
お気持ち一つで!
守ろう自然、育てよう支援の輪を!
書籍紹介
    8858e3b6.jpg
エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

      d6b7b262.jpg
教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
217ff6fb.jpg 








「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

b997b4d0.jpg
 









「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
 a0528a6b.jpg









「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
4008bd9e.jpg
われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

0eb70a0b.jpg








さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

Copyright © [   つのぶえジャーナル ] All rights reserved.
Special Template : シンプルなブログテンプレートなら - Design up blog
Special Thanks : 忍者ブログ
Commercial message : [PR]