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2023年7月号  №193 号 通巻877号
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眸  (ひとみ)

 

 ここ宮城は、秋から初冬です。灯油販売の車が忙しそうに行き来していまです。稲の刈られた畑には、もう直ぐ渡りの鳥が来ます。変わらない風景ですが、笑い声の中にある心は、暗く重く先の見えない不安が覆いかぶさっています。こんな気持ちのままで生涯を閉じる人も多くなります。言いようのない寂しさが冷たい冬の風が運んできます。孤立と孤独は癒しがたいものです。・・・。 

                    宮城県 N・Nさん

 

 主人の趣味は旅行案内書を集めることです。長年の成果でしょうか、今はないホテルや景色はとても貴重なんだよと、自慢気に話しているときは上機嫌です。しかし、実際には家業に忙しく旅行など行ったことはありませんが、楽しい会話のひと時になっていますので、何時も二人で出掛けた気分でおります。子供たちはお父さんたちは何時も旅行気分で好いねと呆れ顔で見ています。

 紅葉の秋、また主人と旅行案内書で温泉地に行き、美味しい料理に心もお腹も満足させていただきます。本当に、小さな、小さな秋の旅便りです。

                    広島県 W・Kさん

 

 お元気ですか。ご無沙汰しています。暑い夏が長引くと思ったら、一気に秋がきて、朝夕は寒さを覚えます。お体には良くない季候ですよね。ご自愛ください。今日は、いろいろな用事のため、仕事を休んでます。こういう日に限って雨ですね。庭の手入れもしたかったのに。

  原発とTPPで、政府の対応にほとほと嫌気がさしているところに、減反廃止ときて、心騒がされる話題が尽きません。減反については、半世紀に亘った稲を作るなと我慢させておいて、さあ、自分の経営判断で思うように作付けしましょうと言われてもどうなんだろうと、なんだかコメントのしようがありません。同じ職場の方が驚いていたのは、政府がそれをいいだしたことと、農業団体の静けさです。何年か前なら、言い出す前にもみ消されていた、農業団体が黙っていなかったということ。ということは、もう、日本の農業は文句も言えないほど弱ってしまったのでしょうか。まあ、経営判断で思うように作付けしている農業者は、とっくに補助金もらわずにやっていますが、それはほんの一握り。

  国の言うことをよくきいて、そのとおりに稲を作るのを我慢してきた実直な農業者は、途方に暮れているのか、あきれはてているのか。

 なんだかすっきりしない日々です。今日は花の苗、植えたかったな~。今から学校に行ってきます。なんとか説明会です。

                 岐阜県 T・Yさん 

 若いとき、子どもが手を離れて時間に余裕ができれば、思いっきり好きな小説が読めると思っていました。しかしそれは誤算でした。振り返れば、一番本をたくさん読んだのは子育て中だったのです。なぜなのかと考えたら、気力・体力が充実していたからだと思いました。それと優先順位が変わったからかもしれません。もともと限られた短い余暇の時間ですが、ここ数年、小説を読むのはほとんど新聞の連載小説だけになりました。

 その分、聖書に関係した本やキリスト教ラジオ放送を聴くことに時間が使われています。肝心の聖書を読む時間をもっと多くしなければと若い時からずっと思っていますが、なかなか実現しません。この頃思うに、普段の生活の中で、主イエスに語りかける時間が増えれば、主は私の優先順位を替えてくださるだろうと気楽に考えています。 


                 長野県  みどりさん

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   自閉症者のひとりごと    

(78)

 

10月13日

 連休、実家に顔を出してきました。母は苦痛から逃れるために、薬やアルコールを要求しています。わたしが会いに行ったときも椅子にぶつかって怪我をし、すっかり出来上がっていました。本人は自覚がないので対処に困ってしまいます。父にしても包括支援センターに相談するでもなく、独りで抱えています。自分のことで心も身体も限界です。

 

10月21日

 この気候の変動についていけず、本当に疲れます。昨日は教会に行けたのは感謝なんですが、今日しんどくて仕方ないです。毎月の「つのぶえジャーナル」が継続していること、感謝ですね。貴兄の健康が支えられますように。皆さんが待っているのですね。
わたしは、本当にスロースローペースでしか生きられないのです。だから、外出できるのは週2回くらい。外出後は休めるように、生活を組み立てる必要があります。それくらいで生きよう。

                           加納さおり

 世田谷通信

 (121

猫  草

 

家の近所の冬枯れのススキの河原。河床工事や度重なる台風の襲来で草一本無かったのにすっかり見慣れた風景ね。でも何か違和感を覚えて、立ち止まってもう一度河原をみた。あれ?ススキじゃない。よく似ているけどこれはヨシだ。昨年までは確かにススキ野原だった。だってお月見に何本か折ったもの。なのに、今年気がつかぬうちに総入れ替えとなっている!

まあ、誰にも迷惑はかかっていないようだ。見た目は似てるし。生物層とか変わっているのかもしれないけど、深く考えるのはやめにしてその場はやりすごした。

そういえば、長男が夏休みに植生調査とかで多摩川の写真を撮影してきたが、セイタカアワダチソウ、アレチマツヨイグサ、ハルシャギク、アレチウリ・・猛々しい外来生物の見本市のようだった。表面上は緑に覆われて元に戻ったように見えるけれど、密かに外来種に代わり固有種は根絶して、植生は変化しているのだ。

では日本古来の植物って何?とは言っても、どのあたりが日本固有なのかすでに判然とはしない。平安時代に大陸から持ち込まれ薬用・観賞用として珍重された果てに帰化した、なんて七草に入ってるし。そして外来種の持ち込みはそれこそ平安の昔から今に至るまで、園芸や食用、或いは荷物や作物にくっついて、意図する・しないに係らず、この瞬間にも続いている。

日本の動植物も海を渡れば外来種。例えばクズといえば夏にはあちこちの斜面にはびこり、葛湯に葛根湯とゆかり深い植物だが、アメリカで電線にからみつき猛威をふるっているとか。後ろ足をぴっと伸ばして可愛らしいマメコガネも外国では害虫として困ったことになっているとか。

植物も動物もボーダーレス・・言葉も考え方も。外国から入ってきて、日本語も伝播して、和語も漢語もカタカナ言葉も渾然一体となっている。またそれを日本語の乱れとか問題視する人も、言葉も生き物だからよしとする人も居て。

意識しているうちはいいのだけれど、いつものススキ野原だと思っていたら、ある日見知らぬ風景にすり替わり、さて化かしたのやら化かされたのやら。

 

 *この添付のイラストは絵を描くのが大好きな次男がパソコンのペイントツールで描いたものです。

 

  その愛のゆえに

   =時々の記=

    (92)

 

10月13日

 また、大型の台風がやって来ています。こちらは雨が激しいです。母への見舞いは、私の運転では名阪が危険なので、主人が送迎してくれるとのことで、感謝です。母にそのことを伝えると、無口だけれど信頼を置ける人ですねと、そのような言葉が返ってきました。それに加えてどのようなときも真心を持って接しなければいけません、と言われました。きっと神様の愛を謙虚に受け止めなさいということだと感じました。母から信仰の尊さを知らされます。

 

10月17日

 昨日から急に冷え込んできました。さっそくストーブを出したり、こたつ布団を出したりと冬支度の始まりです。

 秋晴れに讃美歌、歌ふ施設かな。

 青空にコスモス映ゆる日を迎ふ。

 バイオリン切々として秋深む。

 樫落ち葉掃きし路傍を眺めけり。

 木斛(もっこく)の鈴なりの実の日を受くる。 馬場路哉

 

 最近主人はとても協力して台所で食事の準備の手伝いをしてくれます。今になって主婦の大変さを知ったようです。

 

10月26日

 台風が去り、こちらも急に寒くなってきました。

 

 秋嶺や砥がれる嶺と丸き嶺。

 峡の家石垣の上シオン揺れ。

 先駆けて漆紅葉の鮮やかに。

 樫の枝払われ路の爽やかに。

 秋澄むや室内楽を楽しめる。        馬場路哉

 

11月5日

 秋の深まりを感じます。家の庭のさざんかが花をつけています。南天の実も赤く色づいてきました。

 爽やかや三つ星仰ぐ朝散歩。

 高々と大きなアケビ掛かりをり。

 鈴の音に似て澄みにけり虫の声。

 曼珠沙華炎の消ゆるかに果つる。

 小鳥来て妙なる調べ聞かせをり。       馬場路哉

 

 昨日は母のお見舞いに、父が牧師として働いていた高知教会時代の方が来てくださいました。今は奈良市学園前にお住まいなのですが、ご高齢でもう80歳は過ぎているように思われました。高知教会で信仰が与えられなかったら今の自分はなかったといわれ、とても感謝しておられました。母はしっかり覚えていまして、三人で祈りを共にし、賛美し、励まされた一日でした。名張までお送りいたしましたが、耳が聞こえず、帰りの電車には乗り間違えてしまったといっておられましたが、無事に帰りつくことができてよかったと連絡が入りました。信仰の友とは本当にもう何十年もお会いしていなくてもこのように主にあるお交わりができるのですね。感謝の一日でした。

 

  馬場暁美               

(上野緑ヶ丘教会員)      

 

 紅葉が陽光を浴びて輝いて見えるのは、人生の終焉を迎えている祖母がとても充実した笑顔で迎えてくれるからかもしれません。なかなか会いに行けず申し訳ない気持ちで、先日も行きました。食事を摂れているせいか、顔色も良くて「倹約ばかりしてないで会いに来て沢山話ししよう」と夏には話していたのに、「近くに住んでるんだね」「会いに来てくれるの嬉しいよ」と、話すので胸が一杯になり元気な祖母に会えたことを嬉しく思います。

 母はこの2か月ちょっとの間、献身的に食事の介助に通い詰めています。65歳になるのに体力も時間も繰り合わせて通う姿は勤めていた頃を思い出します。タフだとは思いますが、何事にも懸命に取り組む姿には見習わなければならない所が多く反省しきりです。

 ジャーナルに投稿されていらっしゃる方々も介護や看病等に携わったり、また

闘病や思い通りにいかない子育てに手をやいていらっしゃる方も多いですね。

皆さんを力づけたり、励ます労力は大変なものと思われますが、その一言によって生かされ勇気を貰われる方は幸いですね。東北楽天が優勝しました。田中将大選手の活躍が東北に笑顔をもたらしたように思います。震災後 家族が離れて暮らす方々も心温まる年末を過ごして頂きたいと願っています。

                   奈良県 N・Rさん 

 

 解説 ウエストミンスター信仰告白 (18)      

               

  岡田  稔著

(元神戸改革派伸学校長)

 

第八章       仲保者キリストについて(3)

 

6 あがないのみわざは、キリストの受肉後までは、彼によって実際にはなされなかったのではあるが、それでもその徳力と効果と祝福とは、世の初めから引き続いて、いつの時代にも、約束・予型・犠牲の中に、またそれらによって選民に伝達された。そこにおいて彼は、蛇の頭を砕くべき女のすえ、世の初めからほふられて、きのうもきょうもいつまでも変わることのない小羊として啓示され、表象されていた(1)

  1 ガラテヤ4:4,5、創世3:15、黙示13:8、ヘブル13:8

六 仲保者キリストの二状態における三職(謙卑と高挙の状態と預言者、祭司、王の職)の期間は、受肉に始まるのであるが、その恵みはすでに旧約時代にも、恵みの契約に基づいて、選民に及んでいたと言う教理は第七章五項とともに、改革派信仰の特異点を形成する一要素である(ウエストミンスター小教理問23~問29、大教理問答問41~問56参照)。

 キリストの仲保の祝福が選民に与えられる時期に関しては、ペンテコステを以って始められたと見る人々も多いようであり、キリストの受肉、または死、あるいは復活の時に始まると考える人々も少なくない。わたしたちは信仰義認の建前からも旧約時代の聖徒は「アブラハムは神を信じた。主はこれを彼の義と認められた」(創世記15・6)とある通り、その時からキリストの祝福が与えられたとするのである。ローマ・カトリック教会の煉獄思想、リンブス・パトロムの教理などは、この点の理解の相違から出た誤謬である。

 なお、キリストが仲保者として三職を何時から始められたかの問題では、ウエストミンスター大・小教理問答の所説に一見不一致があるように感じられる。

 小教理問答が明白に問23において「キリストは、私たちのあがない主として、その低い状態においても、高い状態においても、ともに預言者と祭司と王の職務を果たされる」と答えるのに反して、大教理の方は問43において「キリストは、すべての時代に、彼のみ霊とみ言葉によって、いろいろの施行方法で、教会員の建徳と救いについてのすべての事柄において、神のあますところのないみ旨を教会に示すことによって、預言者の職務を果たされる」と答えており、この「すべての時代」と言う主張の聖句証明は、ヨハネによる福音書1章1節であるところから、旧約時代を含むことは明白である。

 本信仰告白の表現は、この点、大教理と一致している。これは契約の観点から説かれているのであって、恵みの契約の当事者として、キリストは贖罪の事業を完成するために受肉されたのであるが、すでに契約的にはその祝福を確保しておられ、これを分け与えられたのである。

 従って、旧約時代にも真正なキリストの教会が、不可視教会として実存していた。イスラエルの集いも、ユダヤ教のジナゴグも、新約時代の地上的キリスト教会と同じ役割を不可視教会に対して果たしつつあった。異邦人キリスト教会は、オリーブの木に接ぎ木されたのであり、新約時代以後のユダヤ教会はオリーブの木より切り捨てられた枝である。

 

**********

 

この文章は月刊「つのぶえ」紙に1951年(昭和26)10月号から1954年(昭和29)12月号まで書き綴ったものを単行本にしたものです。「つのぶえジャーナル」掲載には、つのぶえ社から許可を得ています。「ウエストミンスター信仰告白」は日本基督改革派教会出版委員会編を使用。

単行本購入希望者は「つのぶえ社」に、ご注文下さい。¥500

465-0065 名古屋市名東区梅森坂4-101-22-207「つのぶえ社」宛

 

『旧・新約婦人物語』(51)

 

 ピラトの妻

  =マタイによる福音書27:15~31=    

 

 イエス様を十字架に付ける宣告を下しましたローマの総督ピラトは、歴史の中で一番憎まれた人物の一人でありましょう。ピラトはローマ皇帝テベリオに選ばれまして、紀元26年頃、ユダヤの総督として遣わされたのです。彼はまことに残酷で、無慈悲な男であったばかりでなく、性格が頑固一徹で、一度こうと決心し、決定したことは、それがどんなに間違っていましても、「それは間違っていた」と言ったり、決定を取り消したりなどする人物では、決してなかったようであります。

 ピラトのユダヤ人に対する政策は、余りにも独裁専制主義であったために、紛争が絶えず、彼はとうとうローマ皇帝に訴えられてしまいました。紀元37年頃のことですが、ローマ皇帝より、ローマに呼び戻されてしまい、ユダヤには別の人が総督として遣わされることとなったのです。

 彼のいろいろな間違った政治のやり方や悪い行為などが、ローマで調べられることになってしまいました。ところが彼がまだローマに帰り着かない先に、皇帝テベリオが死んでしまったのです。ピラトは皇帝テベリオの前で取調べを受け、自分を弁明することが出来ませんでした。歴史家の伝えますところでは、ピラトはその後、フランスの南部に追放されまして、哀れにもそこで自殺をとげたとか言われています。正しい政治を行わず、良心的に善を尊ばなかったためにピラトは、彼自からの罪のために滅んでしまいました。

 

 さて、お話をイエス様が総督ピラトの前に立たれました時に戻しましょう(27:11以下)。ピラトは先ず、イエス様に向かって、「あなたがユダヤ人の王であるか」と尋ねました。イエス様は、はっきりと「そのとおりである」とお答えになられました。ところがイエス様をなき者にしようと、イエス様を捕らえ、ピラトの前に引っ張って行った祭司長や長老たちが、次々と不利な証言をピラトに訴え続けましたが、イエス様は彼らには一言もお答えになりませんでした。イエス様のこのような態度には、総督ピラトでさえいぶかるほど沈黙されていました。

 総督ピラトが裁判の席に着いていました時、一つの不思議な出来事が起き上がりました。それは群衆が裁判の開かれている法廷の広場に集まり、キリストを十字架につけよ、十字架につけよと、激しく叫び続けている時のことでした。ピラトの妻の所から、一人の使いが来まして、総督に何か話したいことがあると告げました。

 裁判の開かれている大切な時に、妻が夫の総督を煩わすというのはどうしたことでしょう。余程、何か重大な急を要することでも起きませんと決して裁判の最中に、夫の総督を煩わすといったことをするはずがありません。ピラトは驚いて、何事が起こったのかと、問うたことでありましょう。

 どんな重大な事件が起きたと言うのでしょうか。彼女は夫のピラトに、「あの義人には関係しないで下さい。わたしは今日夢であの人のためにさんざん苦しみましたから」(19)と、使いの者を通して告げました。

 ピラトの妻のこの言葉によって、わたしたちは彼女についていろいろなことが、分かるように思います。その一つは、彼女は総督の妻として、また、裁判をする立場の人の妻として、彼女自身の立場と責任を非常に強く自覚していて、今、主人がどういう人を裁いているのか、またどういう問題に主人は直面しているのか、と言ったその時の状況をよく知っていたということであります。事件そのものの善悪に関しては別問題として、ピラトの妻は主人のしていることをよく知って、主人を助け、できるだけ正しい裁判をするように願っていたのでしょう。

 彼女がどうしてこの場合、キリストは義人であることを、こんなにはっきりと、知っていたのでしょうか。わたしたちにはその原因は分かりません。たぶん、彼女はイエス様のご生涯を聞き、知っていたのか、法廷に連れ出されたもうた前後の関係をよく調べたりした結果として、そのことが分かったのかも知れません。

 総督のピラトでさえ、イエス様には何の罪もないと、裁判の中で何度も主張しています。18節を見ていただきますと、分かっていただけますように、祭司たちがイエス様を総督に引き渡しましたのは、彼らの妬みのためであったのです。このことを、ピラトはよく知っておりました。

 とにかく、ピラトの妻は、イエス・キリストが義人であると確信しまして、主人が裁判で、もしも誤った判決を下したら大変なことになると考え、急いで使いの者を送り、自分の思うところを主人に告げたのでありましょう。しかし、彼女からの伝言は、十分に意を尽くしたものとは言えないように思います。と申しますのは、彼女がその日、非常に恐ろしい、心に不安を感じさせる夢を見ただけなのです。その夢の内容については19節の使いのものの伝言からは、語られてはいないからです。恐らく、その夢の内容は余程重大な意味をもっていたのでありましょう。

 それで、彼女は“キリストのためにさんざん苦しみましたから、あの義人には関係しないで下さい”と、主人に進言せずにはおれない心の不安が、きっと彼女の心にあふれたのでしょう。

 このように、ピラトの妻の場合、法廷に立ち、人を裁く自分の主人を、判決に誤りを犯さぬように、正しい方向に導こうと一生懸命に努力することは、妻として主人への果たすべき第一義的な責任を果たしているものと思います。わたしたちは、自分の夫が勤めている役所や、会社や、学校で、あるいはまた、主人自身が商売のことで、いろいろな問題や、悩みに遭遇し、苦しんでいる時、妻として真心から愛と同情をもって夫とともに話し合い、助け合って行くことこそ、夫婦が当然取るべき生活態度であると考えます。

 もしここで、ピラトが妻の言葉に耳を傾けて、彼女の言葉に従い、正しい判断裁判を下しておりましたら、彼は決して、イエス様を十字架につけるような、愚かな失敗はしなかったことでしょう。また、極悪非道の悪人のように、世間の人々から蔑まれたり、惨めな死に方をしなかったことでしょう。

 この話から教えられますことは、わたしたち夫婦はお互いに、神様のお導きに従って、どのようなことであれ、すべての問題や悩みを、キリスト者として、祈りによって解決し、助け合っていかなければなりません 。さもなければ、わたしたちは、滅びの道へと足を踏み外し、恐るべき方向に行くということを、強く教えられているのです。

 

 ポーリン・マカルピン著

(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。尚、本の在庫はありません。

 ビルマ

  戦犯者の獄中記  (33)  遠山良作 著

 

昭和22年

4月5日

­―反省(2)

 

 林大尉は「鋭い反省である。過去に犯した罪の行為は、君ばかりではない。日本国民みんなが同じように犯したのだ。敗戦、そして牢獄の中にあって悩むだけ悩み、苦しむのだ。そのどん底に落ちて、心の毒素を流し、清めなければならない。そこから一歩一歩這い上がるとき本当に安らかな平和の世界があるのだ。それは君の努力によってのみ果たせる」と言われる。

 東大尉は「お前はよくそれに気付いたなあ、それは尊い悩みである。お互いに自分の過去を振り返ってみると、その罪の深さに驚くが、その罪を神の前に「ざんげ」するとき、神は必ず許してくださる」と言われる。

 自分では、心から悩み、苦しみ、目に見えない神に向かって、己の罪を「ざんげ」したつもりであるが、心の平安と、清い澄んだ気持ちになれないので、今日も東大尉にそのことを話す。

 東大尉は「お前は神の限りない大いなる慈悲を信じないからだ。神の愛はあまりにも高く、無限であり悠久である。われわれの目に見えないから実感として迫ってこないのだ。親子関係について考えて見よ。親は子に無限の愛を与える。どんなに悪い道楽息子でも、親は可愛い。悪ければ、悪いほど可愛がるものが親の情である。

 例えば道楽息子を、親は涙を流して諌めても、聞き入れず遊興費のために親の資産を蕩尽し、親を不幸に陥れても、その子が過去を反省し、今までの不幸を詫びたなら、親はきっとその子の罪を許してくれるだろう。神の愛も親子の関係と同じように無限である。

 神は決して人間の罪悪を咎めるようなことはなさらない。ひたすら人間の進化・向上のみを願われるのである。陛下もわれわれ国民を赤子として、その幸福のみを願われるのである。大罪を犯した民でさえ咎めるようなことはなさらなかった。

 明治天皇の御製に

罪あらば 我をとがめよ 天つ神 臣は我が身の 生みし子なれば

 

と自分を責めておられる。これが神の心である。神を信ぜよ。神の無限の愛を疑ってはならない。唯信ずるのだ」と噛んで含めるように、短い運動時間を利用して話して下さった。東大尉の温かい力のこもった言葉に、なんだか神の愛が分かるような気がする。

 この宇宙を創造され、支配されている神。目では見ることが出来ないが確かにある。この神こそ聖書に書かれている神に違いない。

 何か困った時、自分の力ではどうにもならなくなると頼む神、即ち、「困った時の神頼み」でお参りする、あちこちに祭られている神とは違う。人類を初め、全てのものを恵み愛してくださる神様が本当の神様である。

 神を知らない生活は、人に自分を立派に見せようとする。世間の人から褒めて頂きたいと思い、自分を欺き、人をごまかしてきた醜い己の姿をハッキリ心の中に見た。

 一年有半の独房生活の苦しみ、戦犯者として裁かれたこの生活は決して無駄ではなかった。神が与えてくれた試練でもある。悲哀と苦痛の涙の中に「神の愛を知った喜びと慰めの光」を見た。明日への希望をもって生きよう。

 祖国よ「敗戦による苦しみこそ民族に与えてくれた神の愛である」ことを知るべきである。そこには真実の新しい日本が生まれる。憎しみと無念の思いを超えて新しい日本を目ざして立ち上がってくることのみを念ずる。

 

この文章の転載はご子息の許可を得ております。



「あなたに聖書を」

 

「キリスト教百話」・・・12

 

問12 キリスト教でいうところの信仰が聖霊によって与えられるものであるという説明は分かりましたが、聖霊のことについて、もう少し詳しく話して下さい。

答   例えば、君の部屋の中から外を見ていて、電線が揺れたり木の葉が飛んだりするのが見えたら、風が吹いていることが分かります。風は見えないものですが、風以外のものの動きによって風の存在は分かります。身体に感じることによってもそうです。

 同様に聖霊そのものも見えるものではありませんが、ある人が「イエスを神の子キリストと信じます」と言い出したら、それはその人に聖霊が働いた結果であることが分かると言うものです。その意味で、キリスト教会が存在していることは、建物や組織のことではなく、それがキリストを信じている人たちの集団でありますから、聖霊が働いている証拠である、ということが出来ます。

 人間の場合でも、誰かを信じると言うことは、信じられる何かがあってのことですが、その何かというものは目に見えるものではありません。人格的関係における信頼は、目に見える何かの媒介を通してではありますが、見えない何かがあって、そのしるしとして見える何かが現れてくるという性質のものでありましょう。贈り物をする時に「これはほんのおしるしですが・・・」と言うのは日本人の慣用句でありますが、そこでは、そのしるしを読み取りますから「有り難うございます」というお礼の言葉が発せられるわけです。

 同様にして、誰かが「これからキリストを信じて生きてゆきます」と言い出したなら、それは、それを見ているクリスチャンに対して「この人も聖霊という贈り物が届けられましたよ」というしるしを示されたことでありますから、「有り難うございました」という感謝の言葉や、神への讃美が歌われて当然でしょう。

 風の力は濁った空気を新しい空気に入れ替えます。植物の種を遠くへ運んで、見ることのなかった人々に美しい花を見せます。また電力へと変えて、闇に光を点じます。聖霊も、人間の内を支配していた濁りを清めます。マザーテレサのように遠くインドへまで運ばれて愛の花を咲かせます。

 聖霊と同じ発音で精霊という言葉もあります。森の精霊などといいます。またあらゆるものの中に霊が宿っていると信じる人もいます。日本は多神教といわれるのも、霊と呼ばれるものが沢山あると信じられているからです。

 その諸霊の優劣などを比較してみても大して意味はありませんし、採点する基準が無い以上比較のしようもありません。ただ聖霊について言えることは、これを受けることによって、人間が神に対して神の子キリストの持っておられるものを同じように受けることが出来るということです。神に全幅の信頼を持って、祈って神の導きの内に生きることが出来るということです。

  

   篠田 潔

 (日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)

  

12月放送予定

  

   1日 木下 喜也 (日本基督教団金城教会牧師)

   8日 木下 喜也 (日本基督教団金城教会牧師)

  15日 横山ゆずり (日本基督教団半田教会牧師)

  22日 横山ゆずり (日本基督教団半田教会牧師)

  29日 田口 博之 (日本基督教団名古屋桜山教会牧師)

    

        (放送開始1952年10月)

CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ

毎週日曜日朝6時30分~45分放送

 「ローマ人への手紙」研究 (107)

 第61課 異邦人の召命とユダヤ人の拒否

       9章1~11章36節(続)

F 神のユダヤ人拒否は最終的なものではない。何故なら、彼らの多くの者がキリストへ立ち帰るからである。

       11章11~36節 (19)

 

「こうして、イスラエル人は、すべて救われるであろう。すなわち、次のように書いてある、「救う者がシオンからきて、ヤコブから不信心を追い払うであろう・・・・」(26節)

 

 パウロは26節の後半で、今まで述べてきたことを支持するために、旧約の聖句を挙げています。彼がここで引用している旧約の聖句がどこから来ているかについて少しく難解な点があります。パウロの引用文に最も近いと思われるのは、イザヤ書59・20でしょう。C・ホッジは、パウロはいくつかの聖句、すなわち、イザヤ59・20~21、27・9、エレミヤ31・31~34、詩篇14・7などを短く要約したのだと考えています。

 「パウロは、古えより約束され、上述の聖句でイザヤが言及していた救いというのは、降臨時のキリストを信じた比較的少数のユダヤ人の回心以上のことを含んでいると教えているのである。この約束、すなわち、ヤコブの家より不信心を取り除くという約束の完全な成就とは、ユダヤ民族全体の主キリストへの回心が考えられているのである」(C・ホッジ)。

 

 私たちはここでユダヤ人たちのパレスチナ帰還の可能性については何も述べられていないことに留意しなければなりません。その理由はパウロがそのことについては何も言っていないからです。この点について、アルフォードは「私たちはこの預言とユダヤ人のパレスチナ帰還の問題とを混同してはならない。ここでの問題は彼らが神の教会に受け入れられることである」と述べています。

 

 「そして、これが、彼らの罪を取り除き去る時に、彼らに対して立てるわたしの契約である」(27節)。

 これは明らかにイザヤ59:21と27:29の引用であり、後者は七十人訳(ギリシャ語訳旧約)のままの引用です。これはパウロが述べていることの旧約からの立証です。「パウロが立証しようとしているすべてのことは、預言者たちの言葉によって明らかに立証されているのです。彼の先祖、人々との神の契約は確かなものです。彼らの背教とそれに続くバビロン捕囚、彼らの離散とキリスト拒否の後、彼らの罪の究極的除去とメシヤの王国への民族としての回復が来るのです。彼らの民族的回心の預言はゼカリヤ12:10にも述べられており、そのほかにも多くの旧約聖句の中にもある」(ホッジ)。

 

 私たちが未来におけるユダヤ人たちのキリストへの回心について語る時、それはユダヤ人の個人一人一人が、キリスト信者になるということを意味しているのではないことを、よく認識すべきです。「勿論、今パウロはキリストが来られるとき、ユダヤ人すべてが救われるということを意味してはいない。もしそうなら、彼らはすべての異邦人も救われると考えていると言われても仕方がない。彼が11:12で、イスラエルの罪過が「世の富み」「異邦人の富み」となったと語っているが、そのことはすべての異邦人の回心を意味していないのと同じように、彼は「イスラエル人はすべて」によってすべてのユダヤ人の回心を意味しているのではないのである。とにかく、万人救済という思想は聖書には全くないことを銘記すべきである」(David Freeman:he Bible and Things to come.p69)。

 

 J.G.ヴォス著

 玉木  鎮訳

(日本キリスト改革派引退教師)

  祈 り                

 

 秋から急に冬がきたのでしょうか。朝晩冷え込みます。体調はいかがでしょうか。私は、冷えたり天気の悪い日は、なぜか体調も気力も悪い気がします。天気のいい日には娘と一緒に出かけました。日のあたる外で冬の花(けいと?)でしょうか。明るいお花の元気が皆様に届きますように。

                    大阪府  K・Aさん

 

 夕暮れが早くなりました。11月のカレンダーと共にとても気忙しくなります。数年前から山の中のこの街にも、クリスマスを教えてくれる電飾の光が暗闇の中で光り輝いています。闇の世に光が・・・・なんて一人讃美歌を歌っています。田舎の道は枯れ葉がいっぱい、歩くとカサカサ、カサカサと音がして、ああ~もう冬なんだなと実感させられています。

                    栃木県 M・Yさん

 

 「みんなでわいわい・ご意見コーナー」    

 

☆ 3・11以降、気になる言葉がある。「風評被害・風化・トラウマ」である。この言葉や思いで、世相を見ている自分がある。どれも自分には実害を伴わない無責任さが作り出した思いではないだろうか。マスコミの情報は洪水のように押し寄せてくる。その勢いは人の感性や良心を知らないうちに蝕んでいるのではないだろうか。自戒を込めてメールした次第です。

 

☆ 1人でもう電車も乗れるようになりました。お祈り感謝です。来年の3月に、娘が挙式予定で、一緒にホテルに出かけました。自分の娘の為に、リハビリもすすんでいることは、幸せなことだと感じています。インターネットの仕事も少しづつ覚えています。あっという間に日が過ぎます。

     

☆ 「ジャーナル」ご覧の皆様、お元気にお過ごしください。私の辛い寒さが来ました。もう20年以上も続いています痛みの伴う持病。いろいろ工夫はしていますが、痛みの強い時の家事の仕事はとても心の負担になります。家族は理解し、協力してくれますが心の何とも言えない不快感は消えません。神様に支えていただく信仰の大切さを力強く感じます。信仰が与えられていて良かったと思わされています。  

 

  『ありがとうございます』

 

仕舞い忘れた軒下の風鈴が、寒さに震えています。一層、寒さが伝わります。夏の涼を運んでくれた風鈴。役目を終えた風鈴にご苦労様、ありがとうと心の中でお礼を言いましたが。今日も外で鳴っています。

写真を送ります。摘花されずに自然の状態で、たわわに実ったりんごです。
今は収穫の真っ盛りです・・・。ここにも秋がありますね。

 

『つのぶえジャーナル』・『つのぶえ社』の活動のための寄付者

 

馬場伸直様 馬場暁美様 麦島啓子様 岸上とし子様

 

 郵便振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社  

 

2013年10月16日から11月15日‘まで

 

 『水琴窟』

 冷たい風の季節になりました。今はあまり使われない「颪(おろし)」と言う言葉がありました。その地方の山の名前をつけたようです。この地方では「伊吹颪」「鈴鹿颪」と呼ばれています。また「赤木颪」「蔵王颪」などとも使われています。山から降ってくる北風(北颪・きたおろし)の強い風で、漢字では「風」の文字の上に「下」が乗っています。この「颪」がその地方の冬を告げるのでしょう。

 

  風

わたしの夢を そめこめた、

赤いハートの 葉を散らし、

風は野をふく 峯をふく。

 

遠いここらへ ここらから

わたしの夢の かよひ路を、

風は木をふく 草をふく。  竹久夢二

 

電子メール アドレス   osamura@kind.ocn.ne.jp をご利用ください。

 

 「つのぶえジャーナル」(米国南長老教会文書伝道事業)刊行責任者

   つのぶえ社代表   長村秀勝

 

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お気持ち一つで!
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書籍紹介
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エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

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教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
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「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

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「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
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「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
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われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

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さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

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