2023年7月号
№193
号
通巻877号
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
ビルマ
戦犯者の獄中記 (31) 遠山良作 著
昭和22年
1月4日
どんな理由であるのか分からないが、二ヶ月近くいたこの西独房から、突然、東独房に移されることになった。4名(林大尉、小川軍曹、斉藤伍長と私)は、宮崎中将たちに別れを告げて、再び懐かしい東独房に移った。僅か二ヶ月の間であったが長い間どこかに行ってきたかのような気がする。どの友を見てもみんな懐かしい。何日まで続くか分からないが、厳しいこの獄での生活を共に過ごしてゆく決意を新たにする。
神に祈ろう
コンクリートに囲まれた獄房 光もない
くらやみの中で 一人坐っている
故郷のことが脳裏に浮かぶ
幼き頃の思い出の数々
戦の中で死んでいった友
敗戦の悲運に泣いている
大きな声で呼んでも 誰も助けてくれない
神様に祈ってみよう 助けて下さるかも知れない
3月25日
―聖書送られる―
「トヤマ」という英人独特の発音で私の名前で呼びに来た。取調べのためかなと思ったが、通訳がいないので変だな、と思うと、英人は手に持っている小さな包みを私に渡してくれた。
敗戦以来、一カ年半以上も祖国日本との文通は絶えていた。初めて受け取る懐かしい祖国からの贈物である。すでに封は切られていた。紙包みの中には一冊の新約聖書と手紙が入っている。差出人は生まれ故郷である恵那市長島町中野の伊藤庄太郎と書いてある。私の知らない人である。手紙には「あなたは今ビルマの刑務所におられる由、お母さまから御聞きしました。誠に御気の毒だと思います。この聖書もお母様から依頼されて送りますが、どうかこの聖書を読んで救われてくださることを祈る」等の内容である。
生まれて初めて見る聖書である。私たちが戦犯者として裁かれるに当たり、裁判官は先ず聖書に宣誓してから開廷したことを覚えている。そして今一つはモールメン刑務所において、クリスチャンであった加納衛生兵がひん死の重病患者の若林大尉を懸命に看護したことも覚えている。
聖書に対する不信とキリスト者加納衛生兵に対する好感が私の心の内を複雑な思いにした。母から依頼されて送られた聖書とは一体如何なることが書いてあるかと思って開けて見た。私はこの時聖書を読むというより、長い間日本語の活字に飢えていた心をみたしてくれたのである。
入獄以来一切の読物を取り上げられて、毎日二畳半程の独房での生活で何もすることがない生活をしていると、とにかく日本の文字は懐かしく感じるのである。
聖書の表紙を開くと「我らの主なる救主イエスキリストの新約聖書」聖書協会聯盟とある。一頁の「マタイ傳福音書」は一頁近くにわたって「カタカナ」で外国人の名前が書いてある。どうやら系図らしいが、何のために書いてあるのかわからず、飛ばして読む。続いて処女マリヤがイエスを生んだ記事である。処女が子供を生むことはあり得ないことである。日本の物語に出てくる神話と同じで、馬鹿らしくて読む気がしなくなる。それでもと思って続けて読むと、悪魔がイエスを山の上に連れて行って試みる物語である。ここもよく理解出来ない。そしてイエスが病人をいやしたことも書いてあるが、日本にもこんな神がかりな教祖が幾人もいたと思う。珍しくないことである。
今日読んだことで一番分からないことは、「悪しき者に抵抗ふな。人もし汝の右の頬をうたば左を向けよ」「汝の仇を愛し汝らの責めた者のために祈れ」と書いてある。
もし理由もなく他の人が私の頬を打ったなら、私は当然相手の頬を打ち返すであろう。決して悪いことだとは思っていない。また、自分の仇として憎むのが人間の本来の姿であり、昔、武士の世界では親の仇を討つことは美徳とされていた時代さえあった。聖書は何故こんなことを書いているのか理解出来ない。
初めは母親から送られたことと加納衛生兵のことを思って読む気になったが、すこし読んだだけでもういやになってしまった。そして聖書をポンと閉じて片隅に置いた。
この文章の転載はご子息の許可を得ております。
戦犯者の獄中記 (31) 遠山良作 著
昭和22年
1月4日
どんな理由であるのか分からないが、二ヶ月近くいたこの西独房から、突然、東独房に移されることになった。4名(林大尉、小川軍曹、斉藤伍長と私)は、宮崎中将たちに別れを告げて、再び懐かしい東独房に移った。僅か二ヶ月の間であったが長い間どこかに行ってきたかのような気がする。どの友を見てもみんな懐かしい。何日まで続くか分からないが、厳しいこの獄での生活を共に過ごしてゆく決意を新たにする。
神に祈ろう
コンクリートに囲まれた獄房 光もない
くらやみの中で 一人坐っている
故郷のことが脳裏に浮かぶ
幼き頃の思い出の数々
戦の中で死んでいった友
敗戦の悲運に泣いている
大きな声で呼んでも 誰も助けてくれない
神様に祈ってみよう 助けて下さるかも知れない
3月25日
―聖書送られる―
「トヤマ」という英人独特の発音で私の名前で呼びに来た。取調べのためかなと思ったが、通訳がいないので変だな、と思うと、英人は手に持っている小さな包みを私に渡してくれた。
敗戦以来、一カ年半以上も祖国日本との文通は絶えていた。初めて受け取る懐かしい祖国からの贈物である。すでに封は切られていた。紙包みの中には一冊の新約聖書と手紙が入っている。差出人は生まれ故郷である恵那市長島町中野の伊藤庄太郎と書いてある。私の知らない人である。手紙には「あなたは今ビルマの刑務所におられる由、お母さまから御聞きしました。誠に御気の毒だと思います。この聖書もお母様から依頼されて送りますが、どうかこの聖書を読んで救われてくださることを祈る」等の内容である。
生まれて初めて見る聖書である。私たちが戦犯者として裁かれるに当たり、裁判官は先ず聖書に宣誓してから開廷したことを覚えている。そして今一つはモールメン刑務所において、クリスチャンであった加納衛生兵がひん死の重病患者の若林大尉を懸命に看護したことも覚えている。
聖書に対する不信とキリスト者加納衛生兵に対する好感が私の心の内を複雑な思いにした。母から依頼されて送られた聖書とは一体如何なることが書いてあるかと思って開けて見た。私はこの時聖書を読むというより、長い間日本語の活字に飢えていた心をみたしてくれたのである。
入獄以来一切の読物を取り上げられて、毎日二畳半程の独房での生活で何もすることがない生活をしていると、とにかく日本の文字は懐かしく感じるのである。
聖書の表紙を開くと「我らの主なる救主イエスキリストの新約聖書」聖書協会聯盟とある。一頁の「マタイ傳福音書」は一頁近くにわたって「カタカナ」で外国人の名前が書いてある。どうやら系図らしいが、何のために書いてあるのかわからず、飛ばして読む。続いて処女マリヤがイエスを生んだ記事である。処女が子供を生むことはあり得ないことである。日本の物語に出てくる神話と同じで、馬鹿らしくて読む気がしなくなる。それでもと思って続けて読むと、悪魔がイエスを山の上に連れて行って試みる物語である。ここもよく理解出来ない。そしてイエスが病人をいやしたことも書いてあるが、日本にもこんな神がかりな教祖が幾人もいたと思う。珍しくないことである。
今日読んだことで一番分からないことは、「悪しき者に抵抗ふな。人もし汝の右の頬をうたば左を向けよ」「汝の仇を愛し汝らの責めた者のために祈れ」と書いてある。
もし理由もなく他の人が私の頬を打ったなら、私は当然相手の頬を打ち返すであろう。決して悪いことだとは思っていない。また、自分の仇として憎むのが人間の本来の姿であり、昔、武士の世界では親の仇を討つことは美徳とされていた時代さえあった。聖書は何故こんなことを書いているのか理解出来ない。
初めは母親から送られたことと加納衛生兵のことを思って読む気になったが、すこし読んだだけでもういやになってしまった。そして聖書をポンと閉じて片隅に置いた。
この文章の転載はご子息の許可を得ております。
PR
あなたに聖書を
「キリスト教百話」・・・9
問9 神を知ることがイエス・キリストによるのである、ということについて、もう少し分かりやすく話して下さい。
答 『イエス・キリストによらなければ神を知ることは出来ない』というのはキリスト教徒の言い分であって、他の方法によってだって神を知ることは出来るし、現にキリストのことを知らなくても、神様を信じている人は大勢いるよ。キリスト教だけが神様の専売特許というわけではあるまい」と言う人は沢山おられます。が、これからお話しすることは、そういう方との論争やそういうご意見との比較対照でのことではありません。
こういう問題についてお答えするとすればただ一つ、キリストが祈られた時にはいつも「父よ」と呼びかけられたことがあります。「祈り」についてはいずれ触れることになりましょうが、一言で言えば人間を越えたものとの対話です。わたしたちが祈る場合、大抵はこちらからのお願いをするだけですが、それでは対話ではなく、自分の側からの願いを一方的に押し付けるだけのことになり兼ねません。
対話であれば、こちら側からのことも言いますが、相手側のことも聞きます。これが人格的交流と言うものです。その結果、自分の考えや生き方が変えられるということがあるものです。キリストの生涯についての紹介文書である福音書によれば、キリストは朝夜が明ける前、暗い内に起き出して、寂しいところで祈るのが常であったと伝えています。
祈りが自分を超えたものとの対話であることから言えば、キリストは一日を始めるに先立って、先ずは「父」と呼ばれる方の意向を問われたのであったと言えます。従ってキリストの一日一日は、この「父のみ心」に従う実践の日々であり、キリストの生涯は、この「父のみ心」に従い抜く生涯であったということが出来ます。
ではキリストの言動とその根底にあった「父のみ心」とは何であったかというと、集約して言えば「義と愛」に適うことであると言えましょう。「義」というのは、「何が正しくて何が正しくないかを裁くことが出来る権威」です。また「愛」とは、「他者を生かす力」です。キリストはこの世で権力を握っているものの権力支配が権力者自身のためになされていることに対して「ノー」と言われました。
権力は、すべての人を生かすために仕える力として意味を持つこと、従って権力者だけでなく、自分を上位において他者を差別する側に立つすべての人のあり方に「ノー」を宣言し、逆に、この世で「失われている者」とされている人を探し出し、この人たちを、神の祝福に与るものと宣言されました。
こういう言葉と行為は、この世を支配している権威構造に反することとして、キリストは十字架の死刑を宣せられるに至りましたが、このようにキリストを生き抜かせた「キリストの父」こそ、まことの神に他ならない、と信じざるを得ないというのが、キリストによって啓示された神を信じるということなのです。
篠田 潔
(日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)

9月放送予定
1日 横山良樹(日本基督教団半田教会牧師)
8日 横山良樹(日本基督教団半田教会牧師)
15日 前田和之(日本基督教団豊橋教会牧師)
22日 前田和之(日本基督教団豊橋教会牧師)
29日 前田和之(日本基督教団豊橋教会牧師)
(放送開始1952年10月)
CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ)
毎週日曜日朝6時30分~45分放送
「キリスト教百話」・・・9
問9 神を知ることがイエス・キリストによるのである、ということについて、もう少し分かりやすく話して下さい。
答 『イエス・キリストによらなければ神を知ることは出来ない』というのはキリスト教徒の言い分であって、他の方法によってだって神を知ることは出来るし、現にキリストのことを知らなくても、神様を信じている人は大勢いるよ。キリスト教だけが神様の専売特許というわけではあるまい」と言う人は沢山おられます。が、これからお話しすることは、そういう方との論争やそういうご意見との比較対照でのことではありません。
こういう問題についてお答えするとすればただ一つ、キリストが祈られた時にはいつも「父よ」と呼びかけられたことがあります。「祈り」についてはいずれ触れることになりましょうが、一言で言えば人間を越えたものとの対話です。わたしたちが祈る場合、大抵はこちらからのお願いをするだけですが、それでは対話ではなく、自分の側からの願いを一方的に押し付けるだけのことになり兼ねません。
対話であれば、こちら側からのことも言いますが、相手側のことも聞きます。これが人格的交流と言うものです。その結果、自分の考えや生き方が変えられるということがあるものです。キリストの生涯についての紹介文書である福音書によれば、キリストは朝夜が明ける前、暗い内に起き出して、寂しいところで祈るのが常であったと伝えています。
祈りが自分を超えたものとの対話であることから言えば、キリストは一日を始めるに先立って、先ずは「父」と呼ばれる方の意向を問われたのであったと言えます。従ってキリストの一日一日は、この「父のみ心」に従う実践の日々であり、キリストの生涯は、この「父のみ心」に従い抜く生涯であったということが出来ます。
ではキリストの言動とその根底にあった「父のみ心」とは何であったかというと、集約して言えば「義と愛」に適うことであると言えましょう。「義」というのは、「何が正しくて何が正しくないかを裁くことが出来る権威」です。また「愛」とは、「他者を生かす力」です。キリストはこの世で権力を握っているものの権力支配が権力者自身のためになされていることに対して「ノー」と言われました。
権力は、すべての人を生かすために仕える力として意味を持つこと、従って権力者だけでなく、自分を上位において他者を差別する側に立つすべての人のあり方に「ノー」を宣言し、逆に、この世で「失われている者」とされている人を探し出し、この人たちを、神の祝福に与るものと宣言されました。
こういう言葉と行為は、この世を支配している権威構造に反することとして、キリストは十字架の死刑を宣せられるに至りましたが、このようにキリストを生き抜かせた「キリストの父」こそ、まことの神に他ならない、と信じざるを得ないというのが、キリストによって啓示された神を信じるということなのです。
篠田 潔
(日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
9月放送予定
1日 横山良樹(日本基督教団半田教会牧師)
8日 横山良樹(日本基督教団半田教会牧師)
15日 前田和之(日本基督教団豊橋教会牧師)
22日 前田和之(日本基督教団豊橋教会牧師)
29日 前田和之(日本基督教団豊橋教会牧師)
(放送開始1952年10月)
CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ)
毎週日曜日朝6時30分~45分放送
「ローマ人への手紙」研究 (105)
第60課 異邦人の召命とユダヤ人の拒否
9章1~11章36節(続)
F 神のユダヤ人拒否は最終的なものではない。何故なら、彼らの多くの者がキリストへ立ち帰るからである。
11章11~36節 (17)
「こうして、イスラエル人は、すべて救われるであろう。すなわち、次のように書いてある、「救う者がシオンからきて、ヤコブから不信心を追い払うであろう・・・・」(26節)。これはローマ書の中で最も難解な言葉の一つであります。難解な箇所は「こうして、イスラエル人は、すべて救われるであろう」です。「イスラエル人はすべて」という句は何を意味していたのでしょうか。3つの解釈があります。
1 集団的なイスラエル人を指す。
2 ユダヤ人と異邦人の両方からの選ばれた民。
3 あらゆる時代のユダヤ人の中の神の選民。
第一の解釈、すなわち「イスラエル人はすべて」とは、ユダヤ人を集合的に意味しているとする考えは、ホッジ、アルフオード、ジェッド、ヴォスなどの解釈です。第二の解釈、すなわち、それはユダヤ人と異邦人の両方から選ばれた選民を意味しているとする考えは、オーガスチン、カルヴァン、モーローなどの解釈です。第三の解釈、すなわち、それはすべての時代のユダヤ人の選民を意味するとする考えは、バビンク、ヘンドリクセン、ハレスビー、ベルコフなどの解釈です。この三つの解釈の評価は、ヘンドリクセン教授の「イスラエルと聖書」という小冊子の中に要約されています。ヘンドリクセン自身は26節の「イスラエル人はすべて」とは、5節の「恵みの選びによって残された者」とは同意であると結論しています。
第一の解釈に対してなされる反対論の一つは、イエス・キリストが、未来におけるユダヤ人の回心という事柄について、何事も語っておられないということです。ユダヤ人の回心について、イエスが預言しておられるということの証拠として取り上げられる聖句は、マタイ19:28「イエスは彼らについて言われた、『よく聞いておくがよい。世が改まって、人の子がその栄光の座につく時には、わたしに従ってきたあなたがたもまた、十二の位に座してイスラエルの十二の部族を裁くであろう』」です。しかし、この聖句がわたしたちが今論じている問題とは無関係であることは、すぐにわかります。それは、キリストの再臨の後に栄光の御国において起こる事を述べているからです。従って、再臨前のユダヤ人の回心という問題については何の意味ももっていないのです。
J.G.ヴォス著
玉木 鎮訳
(日本キリスト改革派引退教師)
第60課 異邦人の召命とユダヤ人の拒否
9章1~11章36節(続)
F 神のユダヤ人拒否は最終的なものではない。何故なら、彼らの多くの者がキリストへ立ち帰るからである。
11章11~36節 (17)
「こうして、イスラエル人は、すべて救われるであろう。すなわち、次のように書いてある、「救う者がシオンからきて、ヤコブから不信心を追い払うであろう・・・・」(26節)。これはローマ書の中で最も難解な言葉の一つであります。難解な箇所は「こうして、イスラエル人は、すべて救われるであろう」です。「イスラエル人はすべて」という句は何を意味していたのでしょうか。3つの解釈があります。
1 集団的なイスラエル人を指す。
2 ユダヤ人と異邦人の両方からの選ばれた民。
3 あらゆる時代のユダヤ人の中の神の選民。
第一の解釈、すなわち「イスラエル人はすべて」とは、ユダヤ人を集合的に意味しているとする考えは、ホッジ、アルフオード、ジェッド、ヴォスなどの解釈です。第二の解釈、すなわち、それはユダヤ人と異邦人の両方から選ばれた選民を意味しているとする考えは、オーガスチン、カルヴァン、モーローなどの解釈です。第三の解釈、すなわち、それはすべての時代のユダヤ人の選民を意味するとする考えは、バビンク、ヘンドリクセン、ハレスビー、ベルコフなどの解釈です。この三つの解釈の評価は、ヘンドリクセン教授の「イスラエルと聖書」という小冊子の中に要約されています。ヘンドリクセン自身は26節の「イスラエル人はすべて」とは、5節の「恵みの選びによって残された者」とは同意であると結論しています。
第一の解釈に対してなされる反対論の一つは、イエス・キリストが、未来におけるユダヤ人の回心という事柄について、何事も語っておられないということです。ユダヤ人の回心について、イエスが預言しておられるということの証拠として取り上げられる聖句は、マタイ19:28「イエスは彼らについて言われた、『よく聞いておくがよい。世が改まって、人の子がその栄光の座につく時には、わたしに従ってきたあなたがたもまた、十二の位に座してイスラエルの十二の部族を裁くであろう』」です。しかし、この聖句がわたしたちが今論じている問題とは無関係であることは、すぐにわかります。それは、キリストの再臨の後に栄光の御国において起こる事を述べているからです。従って、再臨前のユダヤ人の回心という問題については何の意味ももっていないのです。
J.G.ヴォス著
玉木 鎮訳
(日本キリスト改革派引退教師)
祈 り

今日は私の誕生日、お昼に娘の希望で「780円」のおすしを食べに行きました。交通事故にあって以後、恐怖感に襲われ、外には出られません。今まで自転車で5分くらいの距離でしたが、自転車を押しながら汗だくで歩いて、痛みで休憩しながら1時間以上かかりました。本当は1歩も外へ出たくない」と言う私に、「バースディープレゼントにお昼のランチ価格でおすしを食べるために歩き!」と娘に言われました。どっちが親だかわかりません。 家族4人でのお祝いです。感謝です。大きなお味噌汁もついて「780円」。おいしかったです。
大阪府 K・Sさん
もくせいの灯(ひ)
お部屋にあかい灯がつくと、
硝子のそとの、もくせいの、
しげみのなかにも灯がつくの、
ここのおんなじ灯がつくの。
夜更けてみんながねねしたら、
葉っぱはあの灯をなかにして、
みんなで笑って話すのよ、
皆でお歌も歌うのよ。
ちょうど、こうしてわたしらが、
ごはんのあとでするように。
窓かけしめよ、やすみましょ、
みんなが起きているうちは、
葉っぱはお話できぬから。 (金子みすゞ童謡全集)
今日は私の誕生日、お昼に娘の希望で「780円」のおすしを食べに行きました。交通事故にあって以後、恐怖感に襲われ、外には出られません。今まで自転車で5分くらいの距離でしたが、自転車を押しながら汗だくで歩いて、痛みで休憩しながら1時間以上かかりました。本当は1歩も外へ出たくない」と言う私に、「バースディープレゼントにお昼のランチ価格でおすしを食べるために歩き!」と娘に言われました。どっちが親だかわかりません。 家族4人でのお祝いです。感謝です。大きなお味噌汁もついて「780円」。おいしかったです。
大阪府 K・Sさん
もくせいの灯(ひ)
お部屋にあかい灯がつくと、
硝子のそとの、もくせいの、
しげみのなかにも灯がつくの、
ここのおんなじ灯がつくの。
夜更けてみんながねねしたら、
葉っぱはあの灯をなかにして、
みんなで笑って話すのよ、
皆でお歌も歌うのよ。
ちょうど、こうしてわたしらが、
ごはんのあとでするように。
窓かけしめよ、やすみましょ、
みんなが起きているうちは、
葉っぱはお話できぬから。 (金子みすゞ童謡全集)
「みんなでわいわい・ご意見コーナー」
☆ 美しい棚田の風景の感想文がありましたが、棚田農家の一人としてメールします。広い畑の持てない農民が何世代もかけて作り出した汗と苦労の結晶です。手作業と日々の水の管理、そして怠ることが許されない、棚田そのものの管理と補修が有ります。台風や大雨、日照りという自然との関わりで出来上ったものです。きっとその苦労のご褒美が秋の収穫となり、また見てくださる人に何かを語りかけているのでしょう。
☆ 暑さが厳しい毎日ですね。長村さんもお身体しんどいなかお過ごしですね。私の大学の授業は明日まであり、私はまだ夏休みに入れず明日まで仕事があります。さすがに今週は暑さも疲れもあり身体が言うことを聞きませんがなんとか行っています。もう少し、もう少し… と。
先週は半分脱水状態のようになってしまい、今は経口保水液などを飲んで気をつけています。わからないうちになっているので本当に気をつけないといけませんね。どうぞ、水分、塩分補給にはくれぐれも気をつけてこまめにお取下さいね。今、電車の中です。頑張って行ってきます。
☆ テレビに名古屋は36℃とありましたが、暑いようですね。私のところは高原野菜を作っていますので、朝晩は涼しいです。今日は29℃!今日の作業はどうしようと主人と話し合っていますが、暑い中にある方には何だか申し分けない気分・・・・。
☆ 美しい棚田の風景の感想文がありましたが、棚田農家の一人としてメールします。広い畑の持てない農民が何世代もかけて作り出した汗と苦労の結晶です。手作業と日々の水の管理、そして怠ることが許されない、棚田そのものの管理と補修が有ります。台風や大雨、日照りという自然との関わりで出来上ったものです。きっとその苦労のご褒美が秋の収穫となり、また見てくださる人に何かを語りかけているのでしょう。
☆ 暑さが厳しい毎日ですね。長村さんもお身体しんどいなかお過ごしですね。私の大学の授業は明日まであり、私はまだ夏休みに入れず明日まで仕事があります。さすがに今週は暑さも疲れもあり身体が言うことを聞きませんがなんとか行っています。もう少し、もう少し… と。
先週は半分脱水状態のようになってしまい、今は経口保水液などを飲んで気をつけています。わからないうちになっているので本当に気をつけないといけませんね。どうぞ、水分、塩分補給にはくれぐれも気をつけてこまめにお取下さいね。今、電車の中です。頑張って行ってきます。
☆ テレビに名古屋は36℃とありましたが、暑いようですね。私のところは高原野菜を作っていますので、朝晩は涼しいです。今日は29℃!今日の作業はどうしようと主人と話し合っていますが、暑い中にある方には何だか申し分けない気分・・・・。
『ありがとうございます』
異常気象といわれた夏も、青空にトンボが飛び交い、秋の季節が来ました。農家の皆さんは秋の果物やお米の収穫で喜びの時を迎えています。長い労苦が報われる時、人は笑顔と喜びに満ち溢れます。世界の各地に「感謝祭」があります。汗した者のみが受ける特権「収穫の喜び」です。
『つのぶえジャーナル』・『つのぶえ社』の活動のための寄付者
西口義昭 和田順一様 和田貴美子様 武知 隆様
郵便振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社
2013年7月16日から8月15日まで
『水琴窟』
送っていただくメールには、その土の香と風の囁きが有ります。都会のビルの屋上や壁に植えられた緑の葉、日傘、公園の祭りの準備の声、浴衣、花火、ひまわりや草原に咲く花々、ほたるや虫の声などが、真夏の暑さと共に夏の風物詩を送って下さいます。ふと思うことがあります。それは、懐かしい童謡の言葉と調べが伝える日本の風景です。麦藁帽子が懐かしく思います。
電子メール アドレス osamura@kind.ocn.ne.jp をご利用ください。
「つのぶえジャーナル」(米国南長老教会文書伝道事業)刊行責任者
つのぶえ社代表 長村秀勝
異常気象といわれた夏も、青空にトンボが飛び交い、秋の季節が来ました。農家の皆さんは秋の果物やお米の収穫で喜びの時を迎えています。長い労苦が報われる時、人は笑顔と喜びに満ち溢れます。世界の各地に「感謝祭」があります。汗した者のみが受ける特権「収穫の喜び」です。
『つのぶえジャーナル』・『つのぶえ社』の活動のための寄付者
西口義昭 和田順一様 和田貴美子様 武知 隆様
郵便振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社
2013年7月16日から8月15日まで
『水琴窟』
送っていただくメールには、その土の香と風の囁きが有ります。都会のビルの屋上や壁に植えられた緑の葉、日傘、公園の祭りの準備の声、浴衣、花火、ひまわりや草原に咲く花々、ほたるや虫の声などが、真夏の暑さと共に夏の風物詩を送って下さいます。ふと思うことがあります。それは、懐かしい童謡の言葉と調べが伝える日本の風景です。麦藁帽子が懐かしく思います。
電子メール アドレス osamura@kind.ocn.ne.jp をご利用ください。
「つのぶえジャーナル」(米国南長老教会文書伝道事業)刊行責任者
つのぶえ社代表 長村秀勝
今月のことば
「神からきた者は神の言葉を聞く」
=ヨハネ8・47=
神の言葉を聞くということには、普通のことではなく特別な事情があります。それは、この世の様々な事柄を聞く場合には、耳を持つ者はみな、その耳が健全である限り、よりひたすら聞くか聞かないかで差異が出てきますが、聞くことは可能です。。しかし、神の言葉を聞く場合には、全く別なのです。
申し分のない耳を持っているということではないのです。神の言葉を聞くためには、それは役に立たないのです。聖書の中に「聞く耳のある者は聞くがよい」(マルコ4・9等)とありますように、「耳のある者は・・・」ではなく、「聞く耳のある者は聞くがよい」とつけ加えられています。
また「神からきた者」と言われています。このみ言葉から、神の国を見るためには、私たちの目は「神からきた」目でなければならないのです。すなわち、「霊から生まれた」耳でなければならないのと同じように、「霊から生まれた」目でなければならないのです。
当然「聞くためには」キリスト者として新たにされた霊の耳が必要です。
キリスト者として神の言葉を聞くために、耳だけでなく目も霊の目を必要とされます。キリスト者が、礼拝に参加する者の姿勢は、まさに「霊と真とをもって」礼拝するのは、神の招きに応答した者としてであることを覚えなければなりません。
「まことに神を礼拝する正しい方法は、神ご自身によって制定され、またご自身が啓示したみ心によって制限されているので、人間の想像や工夫、またはサタンの示唆に従って、何か可視的な表現によって、または、聖書に規定されていない何か他の方法で、神を礼拝すべきではない」(ウエストミンスター信仰告白)のこの告白を、教会の礼拝において大切にする時、この「神からきた者は神の言葉を聞く」は、心に響くのではないでしょうか。
大切にせよ
友にそむかれた時にも
大切にせよ 大切にせよ
主イエス様が与えて下さる
この恵みを この信仰を
病に苦しむ時にも
大切にせよ 大切にせよ
主イエス様が与えて下さる
この希望を この喜びを
すべてを失った時にも
大切にせよ 大切にせよ
主イエス様が与えて下さる
この命を この平安を 詩 水野源三
=ヨハネ8・47=
神の言葉を聞くということには、普通のことではなく特別な事情があります。それは、この世の様々な事柄を聞く場合には、耳を持つ者はみな、その耳が健全である限り、よりひたすら聞くか聞かないかで差異が出てきますが、聞くことは可能です。。しかし、神の言葉を聞く場合には、全く別なのです。
申し分のない耳を持っているということではないのです。神の言葉を聞くためには、それは役に立たないのです。聖書の中に「聞く耳のある者は聞くがよい」(マルコ4・9等)とありますように、「耳のある者は・・・」ではなく、「聞く耳のある者は聞くがよい」とつけ加えられています。
また「神からきた者」と言われています。このみ言葉から、神の国を見るためには、私たちの目は「神からきた」目でなければならないのです。すなわち、「霊から生まれた」耳でなければならないのと同じように、「霊から生まれた」目でなければならないのです。
当然「聞くためには」キリスト者として新たにされた霊の耳が必要です。
キリスト者として神の言葉を聞くために、耳だけでなく目も霊の目を必要とされます。キリスト者が、礼拝に参加する者の姿勢は、まさに「霊と真とをもって」礼拝するのは、神の招きに応答した者としてであることを覚えなければなりません。
「まことに神を礼拝する正しい方法は、神ご自身によって制定され、またご自身が啓示したみ心によって制限されているので、人間の想像や工夫、またはサタンの示唆に従って、何か可視的な表現によって、または、聖書に規定されていない何か他の方法で、神を礼拝すべきではない」(ウエストミンスター信仰告白)のこの告白を、教会の礼拝において大切にする時、この「神からきた者は神の言葉を聞く」は、心に響くのではないでしょうか。
大切にせよ
友にそむかれた時にも
大切にせよ 大切にせよ
主イエス様が与えて下さる
この恵みを この信仰を
病に苦しむ時にも
大切にせよ 大切にせよ
主イエス様が与えて下さる
この希望を この喜びを
すべてを失った時にも
大切にせよ 大切にせよ
主イエス様が与えて下さる
この命を この平安を 詩 水野源三
小閑記
「ひそかに、その隣り人をそしる者をわたしは滅ぼします。高ぶる目と高慢な心の人を耐え忍ぶことはできません」。
=詩篇101・5=
私たちの人格の中に深く根を下ろしている罪の中で、羨望、猜疑、悪口などは最も悪いものに属しているものです。キリスト者として自分の愚かさに打ち勝つことはできたとしても、他人の悪口を言いたいという欲望を抑制することは、本当に困難なことであることを経験します。
賢明でしっかりした強い性格の人は自分の舌を制御することが出来るかも知れません。しかし、それは外側のことであります。心の中では舌を押さえることは不可能です。むしろ大切なことは、出来ない自分を認めることです。
キリスト者の間で最も難しい問題は、猜疑心や悪口に原因するものが多々あります。表面的なことはつくろえます。しかし、心はもろもろの物よりも偽りの天才、名人です。また、舌は火であり、不義の世界であります。それは全身を汚し、人格・全存在を罪で汚し、自らは地獄の火で焼かれるものです。
キリスト者の生涯において、隣人のことを秘かにけなさなくなり、自分よりも他人のことを高く考える者に、変えられきよめられることを、より強く思う歩みになるなら、何と幸いなことでしょう。
そのような思いにさせられる時、何か大きなことが起こるに違いありません。キリスト者に、そのような心を深く慕う願いが与えられますように、祈りましょう。そうすればイエス・キリストの力と御霊によって、私たちも他の人をよく言うことが出来るようになります。
私は信じています。
上河原立雄
=若人の祈り= W・バークレー
神様、私の生活の中に、平和の実を与えてください。
物事を落ち着いて取り上げ、うまくいかなくなった時にも、狼狽しませんように、また、くよくよしないで、時々刻々起こってくる事柄を取り上げさせてください。
困難だがしなければならない、大切なことがある時、いらいらしないで冷静でいられますように、どんなに周りや人々がうるさくても、落ち着きを失わないように助けてください。決してくじけず、また人々が困っている時に、私に頼ることが出来るように、私を落ち着かせてください。
主イエス・キリストによって祈ります。 アーメン
神様、私の生活の中に寛容の実をお与えください。
仕事や勉強に、根気を持たせてください。決して屈服しないで、何時でもやり通うさせてください。
人々に対して寛容であらせてください。かんしゃくを起こしたり、怒りっぽくなったり、怒りに満ちた言葉を吐いたりすることが決してありませんように、物事がはかどらず、なかなか始まらない時にも、忍耐を与えてください。
何かをするのに永い時間がかかったり、一度や二度ではうまくいかないような時にも、諦めない忍耐力を与えてください。価値ある行為をするのは、困難でありますが、苦しみや努力が、結局は十分に価値あるものであることを覚えさせてください。
主イエス・キリストによって祈ります。 アーメン
=詩篇101・5=
私たちの人格の中に深く根を下ろしている罪の中で、羨望、猜疑、悪口などは最も悪いものに属しているものです。キリスト者として自分の愚かさに打ち勝つことはできたとしても、他人の悪口を言いたいという欲望を抑制することは、本当に困難なことであることを経験します。
賢明でしっかりした強い性格の人は自分の舌を制御することが出来るかも知れません。しかし、それは外側のことであります。心の中では舌を押さえることは不可能です。むしろ大切なことは、出来ない自分を認めることです。
キリスト者の間で最も難しい問題は、猜疑心や悪口に原因するものが多々あります。表面的なことはつくろえます。しかし、心はもろもろの物よりも偽りの天才、名人です。また、舌は火であり、不義の世界であります。それは全身を汚し、人格・全存在を罪で汚し、自らは地獄の火で焼かれるものです。
キリスト者の生涯において、隣人のことを秘かにけなさなくなり、自分よりも他人のことを高く考える者に、変えられきよめられることを、より強く思う歩みになるなら、何と幸いなことでしょう。
そのような思いにさせられる時、何か大きなことが起こるに違いありません。キリスト者に、そのような心を深く慕う願いが与えられますように、祈りましょう。そうすればイエス・キリストの力と御霊によって、私たちも他の人をよく言うことが出来るようになります。
私は信じています。
上河原立雄
=若人の祈り= W・バークレー
神様、私の生活の中に、平和の実を与えてください。
物事を落ち着いて取り上げ、うまくいかなくなった時にも、狼狽しませんように、また、くよくよしないで、時々刻々起こってくる事柄を取り上げさせてください。
困難だがしなければならない、大切なことがある時、いらいらしないで冷静でいられますように、どんなに周りや人々がうるさくても、落ち着きを失わないように助けてください。決してくじけず、また人々が困っている時に、私に頼ることが出来るように、私を落ち着かせてください。
主イエス・キリストによって祈ります。 アーメン
神様、私の生活の中に寛容の実をお与えください。
仕事や勉強に、根気を持たせてください。決して屈服しないで、何時でもやり通うさせてください。
人々に対して寛容であらせてください。かんしゃくを起こしたり、怒りっぽくなったり、怒りに満ちた言葉を吐いたりすることが決してありませんように、物事がはかどらず、なかなか始まらない時にも、忍耐を与えてください。
何かをするのに永い時間がかかったり、一度や二度ではうまくいかないような時にも、諦めない忍耐力を与えてください。価値ある行為をするのは、困難でありますが、苦しみや努力が、結局は十分に価値あるものであることを覚えさせてください。
主イエス・キリストによって祈ります。 アーメン
眸(ひとみ)
私たちは音楽や沢山の情報や騒音に囲まれている日々ですから、自然に心の疲れを覚えます。そんな時、私に語りかけてくれるのが、言葉のない会話のひと時です。忙しいときには気づいていない隣りの庭の花、道に咲いている花や嫌われ者の雑草といわれる生き物に心を向ける時、何かを感じるのです。私たちは何時もあなたを見ていましたよ!と語りかけてくれていて、心を向けていない私の心の虚ろに、言葉のない会話の時を作ってくれます。
自然は、生き物の素晴らしい生命の営みなのですね。ありがとう!お花さん・・・。
東京都 T・Kさん
本当に久し振りに岩手から訪ねてきてくれた友と新城市の山間にある「四谷の千枚田」を案内しました。岩手の田園の風景とは大違いで、感嘆の言葉、言葉、言葉・・・。「四谷の千枚田」は大雨でも濁らない湧き水を持ち、おいしい米(棚田米)を生み、四季折々に多彩な表情を見せてくれて奥深い魅力を秘めています。常に水をたたえて豊かな緑を育む田は、様々な動植物にも生息空間を提供しています。「四谷の千枚田」ではモリアオガエルの卵も見られます、と観光案内のパンフレットにもありましたが、このような日本の風景を外国の方々に紹介したいと思いました。こころ豊かなひと時でした。
愛知県 A・Tさん
7月号もまた 素晴らしい内容で、蒸し暑さによる日々の憂いを忘れさせて頂いています。6月は梅雨と言うだけあって、梅の実が沢山採れます。夏の手仕事も暑いのですが、はかどります。どの季節にもある恵みに感謝致します。
頂きました「キリストへの時間記念誌」のCDは家族も聞こえるようにさり気なく流したり、子供には分かり易いお説教を聞かせてみたりしています。讃美歌は空で歌えないので、ページをめくります。
私は「牧人羊を・・・」の讃美歌が大好きで、子供が小さい時は一緒に聞いてくれたので12月はよく幼児讃美歌を歌いました。時々、讃美歌を歌っていると 少し関心を持ってくれることもあり、嬉しいです。家族ではテレビで海外などの教会建築の素晴らしさなどを放送した番組を撮っておいて見たりします。根気良く、さりげない日常の部分で信仰生活に基づいた行いをしてゆくことが 今の私に出来る事と思っています。
皆様からのメールを拝見しておりますと、関西の方も多くいらっしゃいますね。
先日は「奈良の今について」書かせて頂きましたが、奈良市は去年から”ムジークフェストなら”と銘打って音楽祭を6月に行うようになりました。
世界遺産の社寺をはじめ千三百年の歴史を持つ奈良の街中がステージになる17日間
です。市民団体やジュニアオーケストラを始め、世界的に活躍される音楽家達の祭典です。多くは申込みさえしておけば市民でなくても無償で鑑賞できます。讃美歌を聞くと心も大変慰められます様に、多くの方が元気づけられるようで、今年も事前申し込みはあっという間に一杯になり締め切られました。私も今聞きに行っているところですが、あまりの素晴らしさに圧倒されています。芸術が何故推奨されてきているのかが分かる気が致します。
来年も続行されるかは分かりませんが、この様な活動が奈良でもされていることをお知らせ出来ればと思います。全国各地で広まる音楽の輪もまた疲れた心や人を慰め、生きる希望を与えてくれるものと信じて止みません。
奈良県 N・Rさん
自然は、生き物の素晴らしい生命の営みなのですね。ありがとう!お花さん・・・。
東京都 T・Kさん
本当に久し振りに岩手から訪ねてきてくれた友と新城市の山間にある「四谷の千枚田」を案内しました。岩手の田園の風景とは大違いで、感嘆の言葉、言葉、言葉・・・。「四谷の千枚田」は大雨でも濁らない湧き水を持ち、おいしい米(棚田米)を生み、四季折々に多彩な表情を見せてくれて奥深い魅力を秘めています。常に水をたたえて豊かな緑を育む田は、様々な動植物にも生息空間を提供しています。「四谷の千枚田」ではモリアオガエルの卵も見られます、と観光案内のパンフレットにもありましたが、このような日本の風景を外国の方々に紹介したいと思いました。こころ豊かなひと時でした。
愛知県 A・Tさん
7月号もまた 素晴らしい内容で、蒸し暑さによる日々の憂いを忘れさせて頂いています。6月は梅雨と言うだけあって、梅の実が沢山採れます。夏の手仕事も暑いのですが、はかどります。どの季節にもある恵みに感謝致します。
頂きました「キリストへの時間記念誌」のCDは家族も聞こえるようにさり気なく流したり、子供には分かり易いお説教を聞かせてみたりしています。讃美歌は空で歌えないので、ページをめくります。
私は「牧人羊を・・・」の讃美歌が大好きで、子供が小さい時は一緒に聞いてくれたので12月はよく幼児讃美歌を歌いました。時々、讃美歌を歌っていると 少し関心を持ってくれることもあり、嬉しいです。家族ではテレビで海外などの教会建築の素晴らしさなどを放送した番組を撮っておいて見たりします。根気良く、さりげない日常の部分で信仰生活に基づいた行いをしてゆくことが 今の私に出来る事と思っています。
皆様からのメールを拝見しておりますと、関西の方も多くいらっしゃいますね。
先日は「奈良の今について」書かせて頂きましたが、奈良市は去年から”ムジークフェストなら”と銘打って音楽祭を6月に行うようになりました。
世界遺産の社寺をはじめ千三百年の歴史を持つ奈良の街中がステージになる17日間
です。市民団体やジュニアオーケストラを始め、世界的に活躍される音楽家達の祭典です。多くは申込みさえしておけば市民でなくても無償で鑑賞できます。讃美歌を聞くと心も大変慰められます様に、多くの方が元気づけられるようで、今年も事前申し込みはあっという間に一杯になり締め切られました。私も今聞きに行っているところですが、あまりの素晴らしさに圧倒されています。芸術が何故推奨されてきているのかが分かる気が致します。
来年も続行されるかは分かりませんが、この様な活動が奈良でもされていることをお知らせ出来ればと思います。全国各地で広まる音楽の輪もまた疲れた心や人を慰め、生きる希望を与えてくれるものと信じて止みません。
奈良県 N・Rさん
(74)
6月14日
暑いですね。何もする気力がなくなって、数十㍍先の郵便局に行っただけで、フラフラになってしまいました。そのうち、だんだんわがままになって、頑なになっていく自分に気付きました。でも、何もかも放棄したいのです。
7月1日
今日は美容室の予約がしてあったので、日傘を差し、サングラスをかけて、フラフラ歩いて行きました。髪をいっぱいすいてもらって、さっぱり。わたしは髪を手入れするのは苦手なため、いつも短め。まだ、触られるのは苦ではないので助かっています。
とにかく、わたしは気力を出さないと。気力が欲しい。
7月8日
暑い。本当にあついですね。エアコンつけているので、何とか熱中症とまでもいきませんが、それでもしんどいです。夜はミーティングの司会なので、外に出ざるを得ないです。緊張しているせいか、肩が痛むし、立ち眩むし、足はフラフラです。それでも、行かなきゃ・・・という気持ちで、何時も押し潰されてしまうのに、自分ではどうしようもない。
7月13日
母から電話がありました。退屈だから来てって・・・。こんなに暑いのに外など出られないと言ったら、母さんが嫌だから来ないんでしょと言う。はぁ!?娘の身を案じろよ。確かに母はこちらが気に障ることしか言わないから、行きたくないんだよ。そうだよ、その通りだよ。思わず口に出そうになったけど、面倒になって言わなかった。
その電話が気になったのか、しばらくよかった肩が、また痛んでいる。
加納さおり
世田谷通信
(117)
猫 草
俳人、歌人、詩人、翻訳者等「その一言」に徹底的にこだわる人がいるかと思えば、無意識の言葉も一方で膨大に存在している。
彼らとて日常的には用意周到で選び抜かれた珠玉の言葉ばかり使うわけではないだろう。疲れるわ、そんなの。
かつてご近所のおばさんたちの、梅雨時の「よく降るわね」「ねえ~洗濯物が乾かなくてこまっちゃう」、夏の「毎日暑いわあ」「ええ、ほんとに嫌になるわねえ」とか、あるいは冬場の「みなさんお元気かしら」「おかげさまで変わりなく、そちらは?」「そうねえこの間風邪ひいちゃって」「あらいけないわ、いま流行ってるのよね」などなど延々と続き、かつ他愛ない会話が非常に嫌いだった。
話す意味ない!会話する価値ない!時間の無駄!くだらない!と思っていたわけだ。どうせ話をするならもっと大事なことがあるでしょう?とね。
確かに話の内容自体に意味はほとんどない。強いて言えば、「あなたと私は同じような環境で価値観を共有している共同体の一員、もちろん敵意はなく危機的状況にもない、今後とも仲良くやっていこう」の確認。要するに犬や猫がすれ違うときにちょっとニオイを嗅ぐのに似た作業。でもこれを意味なし、としてスルーすると社会的にいろいろ軋轢が生じてくる。
上記の会話が成立するのは流れるような様式美がそこにあるから。ツイッターのボットという機能のように、ああくればこう言う、こう来たらそう返す、自動プログラムにも似た絶妙なさじ加減が安心感を生むのだ。母国語ゆえ同国人ゆえの緩やかな絆の確認。
確かに外国に居てその国の言葉で話すとなれば、たぶんもっと緊張して正確に伝えようとするだろう。そしてその生活になじんでくれば、「おはよう~いい天気ねえ」の余裕が生まれてくる。それは社会の一員、というぼんやりした位置を得た証だ。
ご近所さんは顔を合わせたときに確認作業を済ませられるけれども、ネット社会では顔の見えない大多数との付き合いが膨大で、どんどん希薄な紐帯が占拠していくのだろう。霧のような無数の意味の無い言葉たち。収束する先はあるのだろうか。
・添付のイラストは絵を描くのが大好きな次男がパソコンのペイントツールで描いたものです。
(117)
猫 草
俳人、歌人、詩人、翻訳者等「その一言」に徹底的にこだわる人がいるかと思えば、無意識の言葉も一方で膨大に存在している。
彼らとて日常的には用意周到で選び抜かれた珠玉の言葉ばかり使うわけではないだろう。疲れるわ、そんなの。
かつてご近所のおばさんたちの、梅雨時の「よく降るわね」「ねえ~洗濯物が乾かなくてこまっちゃう」、夏の「毎日暑いわあ」「ええ、ほんとに嫌になるわねえ」とか、あるいは冬場の「みなさんお元気かしら」「おかげさまで変わりなく、そちらは?」「そうねえこの間風邪ひいちゃって」「あらいけないわ、いま流行ってるのよね」などなど延々と続き、かつ他愛ない会話が非常に嫌いだった。
話す意味ない!会話する価値ない!時間の無駄!くだらない!と思っていたわけだ。どうせ話をするならもっと大事なことがあるでしょう?とね。
上記の会話が成立するのは流れるような様式美がそこにあるから。ツイッターのボットという機能のように、ああくればこう言う、こう来たらそう返す、自動プログラムにも似た絶妙なさじ加減が安心感を生むのだ。母国語ゆえ同国人ゆえの緩やかな絆の確認。
確かに外国に居てその国の言葉で話すとなれば、たぶんもっと緊張して正確に伝えようとするだろう。そしてその生活になじんでくれば、「おはよう~いい天気ねえ」の余裕が生まれてくる。それは社会の一員、というぼんやりした位置を得た証だ。
ご近所さんは顔を合わせたときに確認作業を済ませられるけれども、ネット社会では顔の見えない大多数との付き合いが膨大で、どんどん希薄な紐帯が占拠していくのだろう。霧のような無数の意味の無い言葉たち。収束する先はあるのだろうか。
・添付のイラストは絵を描くのが大好きな次男がパソコンのペイントツールで描いたものです。
その愛のゆえに
=時々の記=
(88)
6月27日
梅雨寒し、背広を着もし、教会へ。
信仰の薄きを祈る夕端居。(ゆうはしい)
青芦野波達洋に吹かれをり。
水平に蜘蛛糸光る梅雨時間。
美しき鳥の声聞き明けやすし。
身の丈を超すイタドリを刈りにけり。 馬場路哉
7月9日
主人の今度の三重大学病院での検査は7月16日です。神様に支えられここまで来れましたことに感謝いたします。まるで夢のようです。本当に今生かされていることが不思議で、感謝そのものです。
この季節、こちらはとても忙しい時期を迎えています。主人はほぼ毎日草刈りの作業です。私は子供とWサッカーに夢中で、今もその影響で寝不足です。
7月13日
私にとって、教会の礼拝で讃美歌奏楽のご奉仕をさせていただくことは感謝なことでした。そのことが、いろいろの事情でここ3年あまりまったく出来なくなってしまいました。また、息子が突然考えもしなかった病いに襲われ、研究者としての道を閉ざされてしまいました。そのような試練に見舞われた我が家でしたが、ようやく息子は、今まで学んできたこととは全く違う道へ進むことを決断して、今は主人が40年間勤めていた同じ郵便局へ行っています。ほっとすると同時に、ちょっぴりかわいそうな気もいたします。それでも、仕事に出かけることができるようになって感謝です。
私もようやくオルガンを弾き始め、オルガンと一緒に賛美できるようになりました。「キリストへの時間60年記念誌」の合唱隊の方たちとご一緒に自分で弾いて讃美歌を大きな声で賛美し神様をほめたたえています。
改めて、”忍耐は練達を生み出し、練達は練られた品性を生み出し、練られた品性は希望を生み出す。そしてこの希望は失望に終わることはない”の御言葉を信じて、これからも多くの試練に見舞われることと思いますが、神様を見上げて歩んでいきたいものです。
馬場暁美
(上野緑ヶ丘教会員)
=時々の記=
(88)
6月27日
梅雨寒し、背広を着もし、教会へ。
信仰の薄きを祈る夕端居。(ゆうはしい)
青芦野波達洋に吹かれをり。
水平に蜘蛛糸光る梅雨時間。
美しき鳥の声聞き明けやすし。
身の丈を超すイタドリを刈りにけり。 馬場路哉
主人の今度の三重大学病院での検査は7月16日です。神様に支えられここまで来れましたことに感謝いたします。まるで夢のようです。本当に今生かされていることが不思議で、感謝そのものです。
この季節、こちらはとても忙しい時期を迎えています。主人はほぼ毎日草刈りの作業です。私は子供とWサッカーに夢中で、今もその影響で寝不足です。
7月13日
私にとって、教会の礼拝で讃美歌奏楽のご奉仕をさせていただくことは感謝なことでした。そのことが、いろいろの事情でここ3年あまりまったく出来なくなってしまいました。また、息子が突然考えもしなかった病いに襲われ、研究者としての道を閉ざされてしまいました。そのような試練に見舞われた我が家でしたが、ようやく息子は、今まで学んできたこととは全く違う道へ進むことを決断して、今は主人が40年間勤めていた同じ郵便局へ行っています。ほっとすると同時に、ちょっぴりかわいそうな気もいたします。それでも、仕事に出かけることができるようになって感謝です。
私もようやくオルガンを弾き始め、オルガンと一緒に賛美できるようになりました。「キリストへの時間60年記念誌」の合唱隊の方たちとご一緒に自分で弾いて讃美歌を大きな声で賛美し神様をほめたたえています。
改めて、”忍耐は練達を生み出し、練達は練られた品性を生み出し、練られた品性は希望を生み出す。そしてこの希望は失望に終わることはない”の御言葉を信じて、これからも多くの試練に見舞われることと思いますが、神様を見上げて歩んでいきたいものです。
馬場暁美
(上野緑ヶ丘教会員)
カテゴリー
ブログ内検索
バックナンバー
カウンター
★ごあんない★
毎月第一日更新
お便り・ご感想はこちらへ
お便り・ご感想くださる方は下記のメールフォームか住所へお願いいたします。お便りは「つのぶえジャーナル」の管理人のみ閲覧になっています。*印は必須です。入力ください。
[PR]Samurai Sounds
〒465-0065 名古屋市名東区梅森坂4-101-22-207
緑を大切に!
書籍紹介
エネルギー技術の
社会意思決定
日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授
「本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
共著者・編者
鈴木達治郎
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント
スーザン・ハント
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
鈴木英昭著
「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円