忍者ブログ
2023年7月号  №193 号 通巻877号
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

   今月のことば
  
052f6b13.jpeg御子を持つ者はいのちを持ち、神の御子を持たない者はいのちを持っていない。
       =Ⅰヨハネ5・12=

 この「御子を持つ者」というみ言葉は、大まかな言い方ですが、しかし、持っているものは極めて大切なことです。「神の御子を持たない者」とは誰であり、どのような状態なのでしょうか。
「羊飼いの声を聞いて、他の者の声を聞かない者。神に呼びかえられ、召し出される者」。「神のみ言葉を聞き、そのもとに身と魂と霊をもって立つ者」。言い換えますと、聖書を読み、み言葉に聞く者です。
 それはちょうど命を保つために食するように、聖書を食べるように読む者。神のみ言葉が命の養いとなっている者。そのような人は、「御子を持つ者」と言えます。
 キリストに従うために単純・謙遜に三位一体の神のみ名によって洗礼を受けた者として生きる決心を、日々に覚える者となるなら、私たちの生き方は、目的に沿いたいと思うでしょう。
 「私は神の御子を持っている。それゆえに私も生きる」という信仰を持ち、告白し続ける人生でありたいものです。右に揺れ、左に曲がろうとも、この一点に戻る日々でありたいと願っていたいものです。

その日その時

友の声さえも悲しく
聞こえるその日その時に
父なる御神の御声は
わが心に強くひびく

友の愛さえもむなしく
思えるその日その時に
父なる御神の御愛は
わが心に深くしみる

何もかも信じられぬと
悩むその日その時に
父なる御神の御旨は
わが心に強く迫る       詩 水野源三
PR
   小閑記

535a3b2d.jpeg「義に飢えかわいている人たちは、さいわいである。彼らは飽き足りるようになるであろう」
                =マタイ5・6=
 
 命はそれ自体を養うことは出来ません。どこに命の形を見出そうとも、空中であれ、地中であれ、自然界であれ、法則は一つです。命はそれ自体以外の何物から、か養分を得なければなりません。
 キリスト者の生活においても、否、キリスト者として生きるためにも、この法則が適用されます。私たちが神様から受けた命は、養分と力をそれ自体に求めることは出来ません。神による健全な命を持つキリスト者は、そのために絶えず、自分の命が発した源に向かって、空の両手を差し伸べなければなりません。しかし、このこと以外に道のないことを学ぶことは本当に難しいことといえます。
 私たちの命の真の性質を理解しないで、神を褒め称えるのではなく、その唇で、不平を言うのが、正直な私たちの姿なのです。

 命の源は、私たちの内にはありません。神と共なる私たちの命の内にあるのではなく、神の内に、キリストの内に、そしてその恵みの内にあるのです。そこで私たちに貧困、窮乏、不運と見えることも、私たちが常に貧しく、乏しく、飢え、渇いていることも、悲しいことではなくむしろ幸運なのです。
 神の恵みの領域、命の源に心ひかれない人はなんと不幸なことでしょう。

 自分の内に慰めや、助けを見出すことが出来ないならば、絶望なのでしょうか。光はないのでしょうか。そうではありません。神を褒め称える道を、神に、イエス・キリストに求めるのです。主イエスは、私たちに命を与えるばかりでなく、命に養分と新しい力をお与えくださるのです。
 命の源は、神であり、神の光によって、私たちは真の光を見るのです。

<賛美歌 536番>
 
 1 むくいをのぞまで     2 あさきこころもて
   ひとにあたえよ、       ことをはからず、
   こか主のかしこき       みむねのまにまに
   みむねならずや        ひたすらはげめ
   水の上に落ちて        かぜにおられしと
   ながれしたねも        見えし若木の
   いずこのきしにか       おもわぬ木陰に
   生いたつものを。       ひともや宿さん。
                               上河原立雄
眸(ひとみ)

小さな庭でも、思わぬ所から花芽が出てきます。すずらん・こでまり・にらの花・・・・など。ライラックは美しい花が咲きました。花桃はもう色あせて散り始めました。家の中にばかりいて寒い寒いと思っていましたが、外は暖かい日差しで春爛漫ですね。
               岐阜県 K・Tさん   

家族総出の農業を営み生きてきた私たち世代の厳しさとは違った課題が、最近顕著になってきた。日本の農業就業人口は毎年十数万人ずつ減り続けており2008(平成20)年で298万人。このうち約半数の140万人を70歳以上の高齢者が占め,20年後を担う39歳以下は35万人にとどまる。同様に漁業人口も,漁に出る17万人の男性の5割が60歳以上の高齢者が占める、と報道された記事を見て暗い気持ちに成る。
過重な労働力解消にと機械化が奨励され、納屋にはいろいろの機械があるが、それすら無用の長物と化している。残ったのは借金。
5ced9de0.jpeg昔は教会に来ている人の殆どが農家だった。明日の農業を熱く語ったものだ。今は、高齢者とか、過疎の村と言うレッテルを張られてしまったが、僅かな人数でもいい、昔のように教会に集まって語り合おうと呼びかけたら、集まって来た。力はないが、経験と頑張りはまだある。そうして何よりも、信仰の戦いという蓄積があるのは何よりのわれわれ世代の宝である。教会の再建とか、地域の活性化などという大きなことは言うまい。
愚直に祈り、土と向き合う気持ちを祈り求めている。・・・。
               佐賀県 G・Kさん

単純な気持ちで「あしなが育英会」に送金して30年近くになりましたが、4月になると一枚のはがきが来ます。高校に進みましたとか、専門学校に入りました。資格を取って自立したいですとか、夢と希望に溢れた言葉が書いてあります。単純な私は、うれしい気持ちにさせられています。年金生活に成りましたが、これからも続けます。そうして、成長していく一人一人を自分の孫のように、心に思っていたいと思います。この支援の輪が最近、だんだん小さくなっていると聞きます。関心のある方が増えると良いですね。
               長崎県 R・Yさん 
 
7f4478f6.jpeg   自閉症者のひとりごと

(71)

3月18日
衝動的に過食に走ってしまいました。
生協の配達日で、空っぽの冷蔵庫が満たされ、嬉しくなりました。
どちらも多分ルーツは同じなのだと思います。つねに満たされないと不安になる。それは母との関わり、幼少期の体験かもしれないし、違うかもしれない。とにかく、ずっと我慢してうっ積して、破裂するという繰り返し。
父とは母との関わりとは違った関係にあります。母に受け入れられず、頼る相手は父だけ。父に見放されないように振る舞っていたし、でも今では父といると緊張する。
対人関係の基礎がこうなので、他の人々との関わりも、恐れや不安、相手の目が気になってしかたない。そうでなくとも、アスペの特徴があるので生きていることが苦しくてしかたないです。

3月29日
しだれ梅やシデコブシや小さな花を観て、昨日は近くにある和風庭園でしだれ桜や木々が芽吹いているのを観て、なんて美しい季節になったのだろう、と幸福感に満たされました。こんな感覚は初めてかもしれません。
今までだって毎年のように山に行ったり、花を見に行っては、それなりにキレイだなと思ってはいました。しかし、こんなに美しい、うれしい気分になんてなれなかったのです。
はじめはこの感覚がピンとこなくて、浮かれているだけの多幸感だけだと思っていました。けれど、今になってようやく、単なる多幸感じゃなくて、うれしいとか幸せだと思っていいんだ、異常な感覚ではないのだと思えるようになりました。

3月31日
イースター礼拝に出たいと思って家を出たのですが、教会に行く途中からしんどくなって、礼拝の途中で帰ってしまいました。何のために出かけたのか分からない。
グロッキーです。布団とお友達。いろいろの教会で行われている墓地礼拝は何のためにあるのか、わたしには分からないです。礼拝なら、どこでしてもいいのではないのですか?なんて言うと怒られそうですが・・・。

4月5日
毎日続く、目眩と怒りの心が苦しい。今日は精神科の受診日なので行ってきます。どうすればこの不安感と行き詰まり感が取れるか、整理しに行こうと思っています・・・。今帰ってきました。恐れが強くなったり、考えてもしかたのないことを繰り返し考え続けたりするのは、脳が疲労しているんだそうです。感覚の刺激を減らすとか、よく休むとか工夫をするのがいいそうです。

4月10日
専業主婦はやはりパラサイトか。主人は何も言わないけれど、医療関係者以外は皆、働けとプレッシャーをかけてくる。わたしは精神的に不安定だし、パワーがない。パワーは人によってずいぶん差があるらしい。あの人ができるからといって、わたしにもできるかというと、そうではないらしいのですと精神科で聞きました。それに気付きなさいということでしょう。でも、肩身が狭い。主人の所得だけで生活している訳だから、何かにつけ了承を得なければならないし。まあ、わたしの判断力は高くないから、ちょうどいいのかもしれませんが。ちなみにわたしの年金は医療費へと消えていきます。せめてそれくらいはしないと、物理的にも精神的にもやっていけない。だから年金が打ち切られたら困ってしまう。そのために、昨日精神科に行って、年金継続のための診断書を書いてもらう準備を
してきました。
生きるパワーが少ないというのは、不便で理解されなくて、困ったものです。

加納さおり

宇都宮市の紺野さんがきれいな「男体山」を写メールで送ってくださいました。

02711289.jpeg世田谷通信
 (114)
猫 草

「遺伝子」という言葉をニュースや新聞、あちこちで耳にするようになった気がする。漠然とした印象だと、なんだか未知で極小かつ膨大、二重螺旋で精密。さらに自分の未来を握っている運命の鍵のような、不可思議で超越的なイメージである。
ところがある生物学者の「遺伝子はプログラムではなくアーカイブです」との言葉を読んだとき、すとん、と腑に落ちた。そうだよね。最新型のパソコンやスマホにどんなスペックがあっても使わなければ宝の持ち腐れ。或いは国会図書館に住んでいたとしても、そこにある本を一冊も開いて読まなければ知識にはならない、そんな感じなのかなあ。さらに生命は私たちに「自由であれ」と言っている、と続く。
この科学エッセイ、面白いなあ、と思っていたら、意外なところで同じ名前を目にした。なんと、銀座の美術館の館長さんでもあったのだ。その美術館では現在、葛飾北斎の作品をデジタル技術で再現する展示をしている。
浮世絵は版画なので、紙の材質や顔料の状態によって刷るたびにさまざまなバージョンができる。それでも最初の一枚、すなわち「初刷り」が絵師のイメージに最も近いだろう、という仮定のもとにそれらを再現している。デジタルデータなので拡大縮小はもちろん、動画仕立てにもできる。顔を思い切り寄せて眺められる。楽しいことこの上ない。そしてどんなに「遊んで」も揺るぎもしない構成と正確無比な美がそこにある。
どんなに近くまで寄っても尚、美しさを保つというのは、まるで微細な生物組織や遺伝子に通じる奥の深さを感じる。銀座フェルメールセンターというこの美術館は生物と美術の不思議な狭間に立っている。フェルメールという偉大な画家と、歴史上はじめて顕微鏡で微生物を観察したレーウェンフックは同時代、同じ町に住んでおり親交があったそうだ。それもまた美術と科学の不思議なつながり。
世界も自分の体内もまだ解き明かされぬ不思議で満ちている。思わぬ分野の出会いがまた新しい視点を開く。北斎の富士のラインの美しさに見とれながら、そういえば、これが対数曲線に等しいと言った数学者がいたなあ、と思った。「遺伝子はプログラムではなくアーカイブ」との言葉がもう一度思い起こされた。身のうちに眠る膨大な過去の蓄積はきっとヒトには読めぬ美しい言葉で書かれている。

・添付のイラストは絵を描くのが大好きな次男がパソコンのペイントツールで描いたものです。
  b4881043.jpegその愛のゆえに
   =時々の記=
    (85)

3月31日
もう4月です。でも私にとって、悲しい始まりとなりました。
12年5か月共に生活していた犬のリリーが急に何も食べられなくなりました。そして天へ行ってしまいました。こんなに暖かくなったというのに、せっかく、厳しい冬を乗り越えて今からが犬たちにとって、良い季節だというのにです。
まさに家族でしたから、悲しいです。でも犬たちと楽しく過ごせた良い思い出に感謝して、いつも私がリリーと呼ぶと笑顔を向けてくれたこと、悲しんでいるときに思いきりしっぽを振って、慰めてくれたことに、一緒に暮らすことができてうれしかったよと有難うのお礼を言いました。
教会のNさんも一緒に悲しんでくれています。なんて優しい心の持ち主なんでしょう。
こうして、悲しみや苦しみを分かち合えることができてとても感謝です。
いつも源三さんの詩や金子みすずの詩をジャーナルに載せてくださってありがとうございます。心から感謝して。

4月1日
くもり空の4月のスタートです。
たった犬が一匹我が家からいなくなってしまっただけなのに、気持ち的に何もする気力が起きません。ぽっかり穴が開いたような状態です。
残っている犬たちともいづれ別れの時が来るのかと思うと、それだけで、いとおしくなります。私たち人間は、犬たちから教えられることが沢山ありました。
犬たちには、人の心をいやす力がありました。
そして人間の様に言葉を発することができないけれども、悲しみや苦しみを共に分かち合うこともしてくれました。
そんな犬たちに慰められ、12年間も一緒に過ごすことができたことに感謝しようと前向きに考えています。
そしていつまでも、悲しんでいないで、何か、私にできることをし始めなければと考えています。

馬場暁美
(上野緑ヶ丘教会員)
315f9548.jpeg 解説 ウエストミンスター信仰告白 (11)
               
                    岡田  稔著
                  (元神戸改革派伸学校長)
第五章 摂理について(2)

5 最も賢い正しい恵みある神は、しばしば、ご自身の子らをしばらくの間、いろいろな試みと自らの心の腐敗とに任せておかれる。それは、前に犯した罪に対して彼らを懲らしめるため(1)、あるいは腐敗のかくれた力と心の不誠実さとを悟らせて、謙そんならしめるためであり、彼らの援助のために、より近く絶えず神に寄りすがるように導くため、また将来のあらゆる罪の機会に対して警戒させるため、その他いろいろな正しいきよい目的のためである(2)。

  1 歴代下32:25,26,31、サムエル下24:1
  2 Ⅱコリント12:7-9、詩73編、詩77:1,101,12(2,11,13)(*)、
    マルコ14:66-72、ヨハネ21:15-17(**)
     *詩77:1-12(2-13)が正しい。   **マルコ14:66-72とヨハネ21:15-17を比較。

五 ここでは罪の伝播、存続の意義、効用を説いている。一切が神の栄光を目指すように、現在わたしたちが日々に経験する罪悪的事柄も、いちがいに無益有害であると認めるべきでなく、神の摂理によって、すべての罪悪とその結果も、わたしたちを神の栄光に仕えさせるために有益に働くのである。
これは六項と対比して、一面選ばれた者に関する、罪の摂理の意義を述べたものであるとともに、他方、すべての罪の摂理にかかわる神の側の意図を、啓示面から述べているものと考えられる。神の究極の目的に対して、歴史に啓示される時間的目的とも言うべきものがある。選びのみ旨は動かないが、捨てられた者にも警告と外的召命とは与えられているのである。摂理とは、本来この時間の中で働く神のみ業であり、この意味で神は常に愛である。

6 正しい審判者として神が、今日までの罪のゆえに盲目にし、かたくなにされたところの悪い不敬けんな人々について言えば(1)、彼らの理解を明らかにし、彼らの心に働いていたはずの神の恵みを、彼らに賜わらぬばかりか(2)、時には、すでに持っている賜物さえも取りあげ(3)、彼らの腐敗によって罪の機会となるような対象に彼らをさらされる(4)。その上、彼らを自分自身の肉の欲、世の誘惑、サタンの力のなすに任され(5)、それによって、神が他の者らの心を和らげるために用いられる手段によってさえも、彼らは自らをかたくなにすることさえ起こってくる(6)。

  1 ロマ1:24,26,28、ロマ11:7,8
  2 申命29:3(4)
  3 マタイ13:12、マタイ25:29
  4 申命2:30、列王下8:12,13
  5 詩81:11,12(12,13)、Ⅱテサロニケ2:10-12
  6 出エジプト7:3、出エジプト8:11,28(15,32)(*)、Ⅱコリント2:15,16、
    イザヤ8:14、Ⅰペトロ2:7,8、イザヤ6:9-10、行伝28:26,27(**)
    *出エジプト7:3と出エジプト8:11,28(15,32)を比較
    **イザヤ6:9-10を行伝28:26,27と比較

六 ここでは、しかし滅びる者にとって、かならずしも救われるために有益なものとはならない。神は誘惑にあわせられないけれども、罪人は己が悪しき心のために、神の正しい審判に従って、より悪しき状態へと導かれて行くのである。カルヴァンがエジプトの王パロの頑固について極力主張したように、神はその摂理によって悪人を頑固にされるということが結論されている。
悪人が滅びに落ちるのは、神が悪人を審判し、その審判に基づいて処刑するからである。悪人が自身の力で滅びるのではないのである。神は悪人が滅びるのを許容し、見過ごすのでもなく、神が悪人を滅ぼすのである。神のエソウに対する聖定にあたっての憎しみは、やはり、そのまま摂理として歴史に実現するのである。
7 神の摂理は、一般にすべての被造物におよぶと共に、最も特別な方法で、神の教会のために配慮し、万事をその益となるように処理する(1)。

  1 Ⅰテモテ4:10、アモス9:8,9、ロマ8:28、イザヤ43:3-5,14
七 摂理は万物、万人を対象とするもので、悪人といえども、その例外ではないことを述べたが、しかし、また、わたしたちは神が愛する者たちのために、特にみこころを配りたもうことも告白するのである。教会は、神の子どもの地上的団体として、歴史は教会を中心として摂理されるということを信じるのである。聖書の伝達、教会の世界化、地上教会の不滅などの信仰は、この告白に基づいているともいえるところである。
摂理と予定(聖定)とは、特に深くからみ合った教理であるから、パウロはローマ人への手紙9章から11章でこの二つの点を一つのユニットとして語っている。そして10章で予定と摂理という二大問題をつなぐ、もう一つの課題として、福音宣教論を取り上げている。
救拯史とかキリスト教歴史観というものは、これら三つの問題を要素として成立しているから「すべてのことは神から出、神よって成り神に至る」と栄光の一切を神に帰することになるわけである。

***************************

この文章は月刊「つのぶえ」紙に1951年(昭和26)10月号から1954年(昭和29)12月号まで書き綴ったものを単行本にしたものである。「つのぶえジャーナル」掲載には、つのぶえ社から許可を得ています。「ウエストミンスター信仰告白」は日本基督改革派教会出版委員会編を使用。
単行本購入希望者は「つのぶえ社」に、ご注文下さい。¥500
465-0065 名古屋市名東区梅森坂4-101-22-207「つのぶえ社」宛

『旧・新約婦人物語』(44)

紫布の商人
 ルデヤ
      =使徒行伝16:11~40=

 昔、ギリシャのピリピという町に、ルデヤという婦人が住んでいました。彼女は生まれながらのギリシャ人ではありませんでしたが、長い間ローマ帝国の有名な植民都市であるピリピに住んで、商売を営んでいました。使徒行伝16章14節にありますように、ルデヤの故郷は小アジアのテアテラでありました。この町の名産は紫布と染料です。
 ルデヤは自分の故郷で出来たこの特産品をピリピに輸入して、自分の店で売っていたようであります。この意味で、彼女は商売をしておられます多くの多忙な日本の婦人と同じ環境におかれていると思います。日本の商売をしておられます家庭の婦人方が、お茶やお花のお稽古をする暇がないように、ルデヤも忙しい日々を送っていたことでしょう。
 しかし、この聖書の箇所を注意深く読んでみますと、ある面において、彼女が多くの日本の店を持たれる家庭の婦人と違った所があることにお気づきと思います。それは何でしょうか。このルデヤは安息日には、必ず、店の戸を閉めて教会の礼拝に出かけたことであります。13~14節に「ある安息日に、わたしたちは町の門を出て、祈りの場があると思って、川のほとりに行った。そして、そこにすわり、集まってきた婦人たちに話した。ところが、・・・ルデヤという婦人が、聞いていた」とあります。
df78db1e.jpeg
 皆さんも知っておられるとおり、ここに記されている、「わたしたち」とは、使徒パウロとシラスであります。この二人の伝道者は数日前、ピリピへ伝道に来ていて、安息日になったので、彼らは町の門を出て、青々とした草原の川のほとりに座って、集まって来た婦人たちに向かって、主イエス・キリストによる罪からの救いと許しのお話をしていました。ルデヤもその中に座ってその話を聞いていたのです。もしも彼女に安息日を守る習慣がなかったなら、彼女の生活には大きなマイナスが生じたと同時に、またとないこの機会を逃したことでありましょう。幸いにもルデヤは真の神を知って、主の戒めを守っていました。その戒めの一つは、十戒にあるように「安息日を覚えて、これを聖くせよ」であります。

 日曜日をただ自分だけのために用いている人々は、神の戒めの一つを破っているばかりでなく、せっかく神が与えようとしておられるお恵みを拒否しているのであります。僅かな利益を得るために、永遠のいのちの恵みをなくすことは、人間の愚かな所であります。

 創世記25章にあります、エソウとヤコブのお話を、もう一度よく読んで下さい。この世の多くの人々は、エソウのようにパンとレンズ豆の煮物を長子の特権よりも重んじ、神の子としての唯一の特権(神の世継ぎの権)を捨てて、この世的な欲望が、生活の中心となっているのです。あなたがたは、神中心の生活を送り、主の日といわれます日曜日を、清く正しくお守りになっているでしょうか。

ルデヤの話から、さらに教えられますことは、彼女の素直な心であります。主は彼女の心を開いて、パウロの語る言葉に耳を傾けさせ給いました時、彼女もその家族もすぐに洗礼を受けた、と聖書にあります。これは実に素晴らしい信仰告白の行為ではないでしょうか。その当時、ピリピの町には教会もなく、唯一人のクリスチャンもいなかったのであります。しかし神様が、パウロの言葉を通し、聖霊によってルデヤの心に働き給うた時に、彼女は直ぐに決心して、罪を悔い改め、主イエス・キリストを自分の救い主として受け入れたのです。何年も何年もキリストのお招きに与りながら、それに応じない人々の態度は、ルデヤと全く対照的であると言えます。

ルデヤは洗礼を受けると、直ぐに使徒たちを自分の家へ招き、彼らの世話をした点、実に教えられるところがあります。ピリピの町はずれの川辺の集まりで、パウロを通していのちのみ言葉を聞いた婦人の内で救われたのは、ただ一人ルデヤだけだったのでしょうか。
しかも、このルデヤがキリスト者となった結果、キリスト教会が、ヨーロッパに初めて出来たのです。ただ一人の婦人の信仰から、ヨーロッパ全体がキリスト教へ移って行く大運動が起こされたといってもよいでしょう。

愛する読者の皆様、あなたは何度もキリストからのお招きをお受けになっているのに、それを受け入れなかったことはないでしょうか。今日、もう一度、神様があなたに迫っておられます。どうか、ルデヤのように心の戸を開いてみ霊を受け入れ、キリストによる救いを自分のものとされますようにお勧めいたします。
 
 ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。尚、本の在庫はありません。
f625b0fb.jpeg ビルマ
  戦犯者の獄中記  (27)  遠山良作 著

昭和21年

11月22日
―西独房と絞首台―

シャンユワ事件で判決を受けたムドン派遣所の5人がこの独房に来たので、私は林大尉、小川軍曹、斉藤伍長と共に西独房に移された。生死を共に誓った友人田室曹長と、一言の言葉さえ交わすことなく分かれることは後ろ髪を引かれる思いで東独房を出た。
この西独房は、房の中央が通路になっている。独房の広さは東独房より広い。通路の突き当たりに扉があり、外部に出られるようになっている。ここから外部に出たところに絞首台がある。死刑執行の前日にはこの独房に移されて一夜を過ごすのである。
ここでも一日に一回裏庭に出て運動させてくれる。広場の西の端に高床の木造で作られた古びた小さな建物がある。これが絞首台である。監視兵の隙を見て絞首台の階段を昇ってみた。死刑を執行されるためにこの階段を登って行った先輩や、戦友たちは、何を考え、どんな心境でここを登ったかを思うと、胸の高鳴りを覚える。
床の上には直径3センチ位の太いロープが三ヶ所から垂れている。ロープの真下にある床板(踏み台)を操作することにより二つに割れ、上にいる人間が下に落ちる仕掛けになっている。下を覗くと暗くてよく見えないが床から3メートル以上ある。この絞首台は既に5名の命を奪ったのである。
私は思わずつぶやいた。
「絞首台よ、お前はこれから幾人の命を奪うのか。俺も次の裁判で死刑の宣告を受けたならお前のお世話にならなければならないなあ」と心にささやきつつこの絞首台を降りた。監視兵は私の姿が見えないので捜しにやってきた。

11月25日
―宮崎中将入監する―

「ミイクテーラ」地区に於いて、英軍監視の下で労作業に従事していた「兵(つわもい)兵団(54師団)長の宮崎繁三郎中将(岐阜県出身)が戦犯容疑者として入監された。外部よりこの刑務所に入ってきた者に対する身体検査は厳重である。危険だと思われる品物は一切取り上げる。昨日閣下が入所された折に身体検査をした英兵が再び房に来た。検査した時、目を付けた閣下の所持品である時計、万年筆、白シャツ等を、強要し、奪おうとして取り上げ、その代償としてタバコ2箱を置いていった。
初めてこの刑務所に入る者にとって、何を所持していいのか、悪いのかよく分からないので、英兵が要求すれば致し方なくその要求に応じるのが常である。何時日本に帰れるか分からない今の閣下にとっては、大切な品物ばかりである。それから少し間を置いて、また英兵がやって来た。そして閣下の所持品を要求したのであるが、先の英兵に持っていかれたので何も奪うものがないと知るや、着ている軍服を脱げというのである。さすがこの要求はお断りになった。
この房でひと晩過ごされた閣下の顔や手など外に出ている部分は無数の蚊に刺された跡で痛ましく赤く腫れ上がっている。われわれのように毎日蚊に刺されていると免疫になっているので赤くなるようなことはない。慣れることは有り難いことである。
  
この文章の転載はご子息の許可を得ております。

a49aa3c1.jpegあなたに聖書を

「キリスト教百話」・・・5

問5 人間の側で「神様!」と言って崇めているのが人間の考えている神様だとすると、本当の神様って何ですか。
「答」「本当の神様ってのは誰か」とは「本当の神様ってのは本当にいるのか」と言う質問には答えようがなくて、本当に困ってしまいます。と言うわけは、例えば「あなた、わたしを本当に愛しているの?」と聞かれて、「ああ、本当に愛しているよ」と答えたら、まずは大抵そのことは済みます。しかし「それって本当?」と問い直されたらどう答えますか。「いや、本当だってば、本当の本当だよ・・」といくら本当であることを繰り返して言ってみた所で、その本当さを裏付ける確証が無ければ信じてもらえません。そして実際にその確証を示すわけにはいきません。
 このことは神様についても同様に言えることで、「ほんとうの神様」と言ってみても、何をもって「ほんとう」と言うことが出来るか、その決め手はありません。ですから「信じて下さい」と言ってみても、「鰯の頭も信心からだからね」と言われたらそれで終わりです。
 日本は多神教の国だといわれますが、それは一神教との比較においてそう言われているのであって、日本人の多くは、生まれつき多神世界に生きてきて、それが皮膚感覚のようになっていますから、改めてそのことを意識したり、問題視したりすることはないように思います。だから改めて「本当の神様ってのは誰か」など問うこと無しに済んでいるように思います。
 少し抽象的な言い方をしますと、「神様とは最高に崇められる方」であり「究極的な方」であると言えましょう。そういう点から言うと、一人ひとりにとって、それは自分自身ではないでしょうか。外側に表わす態度がどうであれ、内面においては、一人ひとりが、誰にも席を譲らない王様のように振舞っているのではないかと思います。それは、最高に崇められなくてならないものが自分であるからです。ということは、自分を神様の位置に据えているということに他なれません。
 そういうことから言って、「神様は本当にいるかいないか」ということではなく、また「本当の神様とは誰か」と言うことでもなく、「自分にとって神様とは誰か」と言うことであり、また「自分は誰を神様としているか」と言うことが問題なのであります。
 「誰がどう言おうと自分が一番大切な存在である」と思っている人は、自分を神様の位置に据えている人です。明治憲法以来敗戦時まで、日本と言う国の建前では神様は天皇でした。が、天皇にしても自分にしても、これが最高に崇められ、究極的な存在であり得るかと問えば、答えは明白であり、更に「では、神様として崇められ信頼出来る方がいなくても構わないのか」、「あなたは神様がいなくても平気か」と問われるわけです。 

篠田 潔
(日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)

「キリストへの時間」放送予定

5月
   5日 石田聖実 (日本基督教団尾陽教会牧師)
  12日 石田聖実 (日本基督教団尾陽教会牧師))        
  19日 田口博之 (日本基督教団名古屋桜山教会牧師))    
  26日 田口博之 (日本基督教団名古屋桜山教会牧師)

       (放送開始1952年10月)
 
CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ)
毎週日曜日朝6時30分~45分放送
 
a5f5aca9.jpeg 「ローマ人への手紙」研究 (101)
 第57課 異邦人の召命とユダヤ人の拒否
       9章1~11章36節(続)
F 神のユダヤ人拒否は最終的なものではない。何故なら、彼らの多くの者がキリストへ立ち帰るからである。
       11章11~36節 (13)

 パウロは異邦人キリスト者に対してのみならず、それとなく、あらゆる時代のキリスト信者に対して、「高ぶった思いをいだかないで、むしろ恐れなさい」と真摯に警告しているのです。「ユダヤ人がユダヤ人であるからといって完全ではいのと同様に、異邦人も異邦人であるからといって完全ではないのである」(ホッジ)。「もし神が元木と木の枝を惜しまなかったとすれば、あなたを惜しむようなことはないであろう」というパウロの言葉は、聖徒の堅忍という教理に反する考え方であるととってはならないのです。
 これは真の信徒が恵みから落ちて滅びてしまうということを決して意味してはいません。ここで私たちが銘記しておかねばならないことは、パウロはここで、第一義的に、個人の信仰者とその救いについて語っているのではなく、ユダヤ人に対応する一つの部類としての異邦人キリスト者について語っているということです。
 彼の言葉は自己満足、単なる外面上だけの信仰、神の善性をよいことにしているような態度に対する真剣な警告なのです。異邦人キリスト者たちには、彼らが良いオリブの木に接ぎ木されたからといって、彼らの教会との結合や、それから受ける特権がまるで永遠のものであるかのごとく考えてはならないからです。
 私たちにはこのパウロの警告がキリスト教会の歴史を通じて、今も生きているものであることを知るべきです。北アフリカは、かつてはキリスト教会が各地に点在していましたが、今では殆どイスラム教が普及してしまっているのです。

 「神の慈愛と峻厳とを見よ。神の峻厳は倒れた者たちに向けられ、神の慈愛は、もしあなたがその慈愛にとどまっているなら、あなたに向けられる。そうでないと、あなたも切り取られるであろう」(11・22)。
 ここでパウロは、神の御性質の二つの面、すなわち、神の慈愛と峻厳とを語っています現代において宗教は神の愛のみを偏って強調する大きな誤りを犯していると言わなければなりません。
 聖書が神は愛であるというのに対して、近代宗教は、神は愛であって愛以外の何者でもないと主張します。神の怒りなどということは、時代錯誤の不愉快な教理であるとして反対されてきています。しかし、聖書においては、神の愛と怒りとは共に強調されていて、決して一方だけが主張されて他方が退けられているということはないのです。
 神が人間に対して取られる態度の中には、この双方が明らかに示されています。神の慈愛と峻別の両方なのです。

 「これらの言葉の中には、たとい、それらが個人のことについて述べていると仮定しても、聖徒の堅忍の教理と一致しないものは一つもないのです。何故ならば、このように仮定的に述べていることは極めて普通のことです。一つの事柄が神の目的や約束によって確実に生起するとされるときでも、必要な手段が用いられなければ、この事が起こらないであろうと述べることは、広く用いられている用法です。(使徒行伝27:31を参照してください)。
 このような言葉はすべて、その根底は極めて単純な教理なのです。すなわち、目標を望む者は方法を望むものであり、彼は確実に方法を用いることによって目標を達するとのするのです。ここでパウロは個々の信者とキリストとの関係は決して切り離すとこは出来ないものであることを語っているのではありません。これらのことは、彼は8章やその他の箇所で十分に教えてきています。
ここで彼が語っているのは社会と教会との関係及び教会の種々の特権についてであります。神の側には、異邦人たちが世々にわたって、そのような特権を確保するという約束も契約もないことは、ユダヤ人たちをその不信仰の結果から守るという約束がなかったのと同じです。それらの恵みを受け続けていく方法は、各時代の継承者たちの行為如何に掛かっているのです。だから、パウロは異邦人に対して、神の慈愛のうちに留まらなければならない。そうでなければ彼らも切り去られると警告するのです」。(ホッジ)

J.G.ヴォス著
 玉木  鎮訳
 (日本キリスト改革派引退教師)
8202d6d9.jpeg  祈 り

 突き上げるような早朝の激しい地震で、18年前の恐怖に再び襲われました。あの凄惨な状況は、時間が経っても消えません。空白の時間、無感覚な時間のように思えたあの出来事が襲ってきました。長い年月で人は記憶の外の出来事になりましょうとも、私には、つい最近のことです。東北の方々ばかりでなく、天災・人災を経験された方、こころの傷を負ってしまった方に、過去ではないのですね。・・・。
                        兵庫県 T・Rさん

 ・・・。教会生活、信仰生活も40年近くになります。平坦な歩みではありませんでしたから、悩み、迷い、祈りながらの信仰生活でしたが、最近、ふと自分の信仰を振り返ることがあります。悩み涙した若い頃の信仰には、ひた向きさがあったように思えてなりません。自分の未熟さを思った時代が懐かしいのです。時間的にも忙しい合間に、聖書を読み、祈り、賛美歌をうたっていましたが、今は、それがありません。年齢と共に頑固になり、自己中心になり、祈りも自分のことが多くなるのです。
 だんだん無感動になっています。そんな自分中心に刺激を与えてくれるのが「つのぶえジャーナル」の記事です。線を引き、読み返しています。人様に紹介し、お勧めしています。
お若い人の声を知る機会になっています。
 若い時の信仰にではなく、今の自分に合った信仰・教会生活をお与え下さいと神様にお祈りしています。・・・。
                         東京都 C・Lさん
  
       ******************

憲法第25条(国民の生存権と国の保障義務) すべて国民は、健康で文化的な最低限度 の生活を営む権利を有する。
② 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
ブログ内検索
カウンター
★ごあんない★
毎月第一日更新
お便り・ご感想はこちらへ
お便り・ご感想くださる方は下記のメールフォームか住所へお願いいたします。お便りは「つのぶえジャーナル」の管理人のみ閲覧になっています。*印は必須です。入力ください。
〒465-0065 名古屋市名東区梅森坂4-101-22-207
緑を大切に!
お気持ち一つで!
守ろう自然、育てよう支援の輪を!
書籍紹介
    8858e3b6.jpg
エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

      d6b7b262.jpg
教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
217ff6fb.jpg 








「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

b997b4d0.jpg
 









「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
 a0528a6b.jpg









「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
4008bd9e.jpg
われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

0eb70a0b.jpg








さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

Copyright © [   つのぶえジャーナル ] All rights reserved.
Special Template : シンプルなブログテンプレートなら - Design up blog
Special Thanks : 忍者ブログ
Commercial message : [PR]