2023年7月号
№193
号
通巻877号
×
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☆ 我が家の庭にある桜が満開になりました。そうして大好きな新しい命を告げてくれる新緑です。皆様の春は何で感じておられますか。・・・・。
岐阜県 D・Sさん
☆ 通勤の時、堤防の斜面で土筆を取っている方がおられました。春を感じています。数本の葉桜になりかけを遠くに見ながら、仕事の予定などを考えながら爽やかな風の中にいます。娘も高校生になりました。つい最近まで、一緒に買い物についてきていた娘ですが、今は高校生活を味わい始めています。楽しい青春時代を思い出し携帯メールを送信します。
富山県 K・Kさん
☆ 最近は疲れると「つのぶえジャーナル」をクリックして読んでいます。ありがとうございます、買い物、食事のしたくなどしか出来ない日もあり、主人や家族に申し訳ないと思いますが本当に出来ません。頑張ってね!と誰かに言われると動けるのが今の私なのです。バテている方が多いのが事実です。
佐賀県 I・Gさん
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札幌の友人からメールが届きました。まだまだ冬ですが、比較的暖かい洞爺湖では春を告げる福寿草、白い花のキクザキイチゲを見つけたと教えてくれました。洞爺湖は70年近く前に小学校の修学旅行で行って以来で、遠い記憶の地になっていました。小・中学のクラス会も10年ほど前から参加者が少なくなり、自然消滅したとありました。そんなことをメールを読みながら、昭和新山を登ったことを思い出しました。桜はゴールデンウイーク後くらいともありました。改めて日本列島は長いことを再認識しました。
5月号をお届けいたします。
お友達などに「つのぶえジャーナル」やこのメールアドレスをご紹介ください。大い歓迎です。電子メール アドレス osamura@kind.ocn.ne.jp をご利用ください。
毎日、沢山の方からメールをいただきます。ご紹介できないのが残念ですが、感謝しております。ありがとうございます。
『つのぶえジャーナル』のための寄付者
渡部千枝様 西口義昭様 馬場暁美様 匿名1名様
郵便振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社
***************
『クリスチャン音楽家を支える会』への寄付者
匿名1名様
便振替口座番号 00870-2-92464 クリスチャン音楽家を支える会
2013年3月16日から4月15日‘まで
「つのぶえジャーナル」(米国南長老教会文書伝道事業)刊行責任者
つのぶえ社代表 長村秀勝
****************************
アダはヤバルを産んだ。彼は天幕に住んで、家畜を飼う者の先祖となった。その弟の名はユバルといった。彼は琴や笛を執るすべての者の先祖となった(創世記4:20~21)。
「そのとき、祭司長たちや民の長老たちが、カヤパという大祭司の中庭に集まり、策略をもってイエスを捕えて殺そうと相談した」。
=マタイ26:3~4=
世界のクリスチャンにとって、心から感謝と神の愛の深さを味わい知る日は、「イースター」と呼んでいます。今年は3月31日でした。イエス様にとってこの喜びの日の前には、受難の日々がありました。
イエス・キリストは、宗教や敬虔な生活について何も知らず万人周知の無神論者たちから攻撃されたのではなくて、そうすることで「自分たちは神に仕えているのだと思う」(ヨハネ16:2)者たちからの攻撃を受けたのです。それは、とても衝撃的な事実でありました。宗教家としての祭司の服装をした者たちが、主イエスの受難に際しての迫害の扇動者でした。
策略・陰謀は、聖書を手に持ち、日ごと祈りをってい過ごしている者たちによってなされました。単なる、裏切りではありません。憎しみそのものと言うべきものでした。これは、私たちの姿でもあります。日々、背信的な生活や態度を行っていても宗教的に正当化するという危険の中にいるのではないかと、真剣に自問すべきことを示されます。
キリスト者ばかりでなく、人は「正義・愛国」という魔物に取り込まれた時、熱心になり、熱中し争い、正義の名のもとに拳を握り締めようとするのです。熱心・熱中することは、時に最高に危険な時でもあります。
キリスト者を迫害したサウロという人物は、その時だけの人ではなく、何時の時代でも教会への警告でもあります。「愛国無罪」という言葉がニュースにありましたが、表に裏にある人間の醜い姿を経験します。
キリストの受難とよみがえりの時を、改めて、自分に問い掛ける時としたいものです。
いつでも誰にも
いつでも誰にも
偽りを言わない主よ
偽りが満ちたこの世に
真実の愛をば満たしたまえ
いつでも誰にも
偽りを言わない主よ
偽りを計る心を
真実の道へ導きたまえ
いつでも誰にも
偽りを言わない主よ
偽りを言う唇に
真実の言葉を与えたまえ 詩 水野源三
小閑記
「すると試みる者がきて言った、「もし、あなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」。
=マタイ4:3=
罪なき主イエス様が試練にあわれたことは、人となられて来られたことを示すとともに、試みも経験されたことを知るのですが、そこにはいろいろの意味が含まれています。しかし、罪ある者が、その弱さのゆえに試みの力に合うことは理解できます。そうであるなら、堅固な備えもまた必要であります。
キリスト者は、どこへ行くにしても、危険のあることを考えておかねばなりません。しかし、私たちは皆同じ方法や、同じ罪に誘惑されるわけではありません。なぜなら、私たちはおのおの自分の弱点があり、サタンは最も陥りやすい点で私たちに出会うからです。
それでも、それは私たちの一番の不幸とは言えません。私たちの最大の不幸は、自分の弱点が何であるかということを知るのに手間のかかることです。なかなか認めたがらないからです。そして私たちが事実、一番弱いところ、力のないところを長所と考えることです。私たちが自信を持っているところには、誰も警戒し、番をしておりません。そこで敵はやすやすと何の抵抗もなく、私たちの中に入ってきます。
しかし、私たちが弱いと思うところでは、危険を恐れて、私たちのために戦うと約束して下さった主の助けを祈ります。
自分自身を知り、わきまえるのは、知恵に至る道であるばかりか、勝利の源となります。こうしてキリスト者は神の力へ至る道を見出し、神により頼む者は決して恥しめられないことを学び、生きることが出来るのです。私たちは試練を受けたときキリストのゆえに勝利を得ているがゆえに、試練を受けている人々を助けることも出来るのです。
「神は、いかなる艱難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、あらゆる艱難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである」。(Ⅱコリント1:4)
上河原立雄
=マタイ4:3=
罪なき主イエス様が試練にあわれたことは、人となられて来られたことを示すとともに、試みも経験されたことを知るのですが、そこにはいろいろの意味が含まれています。しかし、罪ある者が、その弱さのゆえに試みの力に合うことは理解できます。そうであるなら、堅固な備えもまた必要であります。
キリスト者は、どこへ行くにしても、危険のあることを考えておかねばなりません。しかし、私たちは皆同じ方法や、同じ罪に誘惑されるわけではありません。なぜなら、私たちはおのおの自分の弱点があり、サタンは最も陥りやすい点で私たちに出会うからです。
それでも、それは私たちの一番の不幸とは言えません。私たちの最大の不幸は、自分の弱点が何であるかということを知るのに手間のかかることです。なかなか認めたがらないからです。そして私たちが事実、一番弱いところ、力のないところを長所と考えることです。私たちが自信を持っているところには、誰も警戒し、番をしておりません。そこで敵はやすやすと何の抵抗もなく、私たちの中に入ってきます。
しかし、私たちが弱いと思うところでは、危険を恐れて、私たちのために戦うと約束して下さった主の助けを祈ります。
自分自身を知り、わきまえるのは、知恵に至る道であるばかりか、勝利の源となります。こうしてキリスト者は神の力へ至る道を見出し、神により頼む者は決して恥しめられないことを学び、生きることが出来るのです。私たちは試練を受けたときキリストのゆえに勝利を得ているがゆえに、試練を受けている人々を助けることも出来るのです。
「神は、いかなる艱難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、あらゆる艱難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである」。(Ⅱコリント1:4)
上河原立雄
雪国の積雪量に驚きました。奈良のこの冷え込みも納得できますが、30年振りと言われる雪や寒さ、雪との戦いの日々の皆様の健康を祈らずにおれません。皆様のご自愛を祈る者です。
今年は6年生を卒業式で送る立場となった息子は、「旅たちの日に」という卒業式用の歌を口ずさみ、練習しています。秩父市の中学校長と音楽の先生が子供たちに贈る歌として作られたそうです。
白い光の中に 山なみは萌えて
遥かな空の果てまでも 君は飛び立つ
限り無く青い空に 心ふるわせ
勇気を翼に込めて 希望の風にのり
この広い大空に 夢を託して
懐かしい友の声 ふとよみがえる
意味もないいさかいに 泣いたあのとき
心通ったうれしさに 抱き合った日よ
みんな過ぎたけれど 思い出強く抱いて
勇気を翼に込めて 希望の風にのり
この広い大空に 夢を託して
今 別れのとき 飛び立とう未来を信じて
弾む若い力を信じて
この広い この広い大空に
作詞 小嶋 登
作曲 坂本 浩美
編曲 松井 孝夫
大変多くの学校で歌われているそうで、いい歌詞だなと思いました。期待や喜びと共に少しの不安を感じながら、進級、進学した頃を3月になると誰もが思い出すでしょう。恩師や旧友との別れを、明日へ進む力に変えて、歩んで行きたい季節です。震災に遭われた方々も、3月は様々な思いがよみがえる時となることでしょう。
手を取り合い、明日へ歩む一歩いっぽを、主が支えて下さいますようにと祈ります。
奈良県 中谷リツ子
何時もお便りと「つのぶえジャーナル」をありがとう。私たち超老夫婦の歩みをお知らせします。高齢者の多くなった教会の中にあっても、神様のお守りの内に過ごしています。季節の変化についていけずインフルエンザA型に罹り夫婦でづずづずしていました。娘が夜の食事作りに毎晩、仕事が帰りに自転車で寄ってくれました。時には、会社を休んで家内のガン治療の検診に行ってくれたりしてくれます。私の持病の痛みの方も消えません。私も89歳、衰えと共に立居振舞いが怪しくなりましたが、老夫婦で教会へ行くのが唯一の心の解放であります。家内は教会の聖歌隊でアルトを歌っています。
私の方は、教会では何もしていません。ただついて行くだけです。幸いにも、教会は時間を掛ければ歩いていけますので、神様のお許しくださる時まで、礼拝を守らせて下さいと祈っています。
老人は教会のお荷物ではないですよ。
編集子君は、私に比べまだ若いんだから、頑張れるよ。
東京都 I・Kさん
(70)
2月18日
何もする気にならず、夕食だけ作って寝ていました。
ずっとそんな日々が続いて、でも過ぎゆくままにする時も必要なんですよね。回復には時間が必要らしい。しかしそれがもどかしいのです。
2月20日
わたしはアトピーで真っ赤な顔をして、髪を切りに行きました。切ってもらっているうち、一言も話しませんでした。眼鏡を外しているので、雑誌は読めないし、早く終わって欲しかったので、無表情の客になっていました。朝なかなか起きられないので、医師に薬の量を調整してもらったらいいのかなぁ・・・。なんとかよくなりたい。
2月28日
夢をみました。はっと目が覚めたら、朝の5時くらいでした。悪心がして、吐いていました。もしかして、記憶がなくなるまでアルコールを飲んでいたのではないかと思い、不審な行動をとっていないか聞いて回っていました。どうしよう。どうなるのだろう。気が付いたら、夢であることがわかりました。あまりにもリアル過ぎて、飲んでいてもおかしくない状態なんだなと思います。神様のお守りを願いました。しばらくは感情のブレがあるだろうことを実感します。今日一日、どう過ごせるのかな、心配の先取りをしても意味ないし、とはいえ段取りが済まないと落ち着かないたちなので。それこそお委せなんですよね。
3月1日
私の病気の特徴とはいえ、昨日とはうって変わって、今日はカリカリしています。放り出したくなります。なんだろう、自分でもついていけないです。妄想に走って、危うくそれをしようとしたり、一日中眠っていたので精も根も尽き果てたという感じです。
加納さおり
(113)
猫 草
近所で大規模なプロジェクトが進行中である。高速道路を川の地下に作るらしい。確かに川の地下ならある程度まっすぐなラインが確保できる。
でも、川の生態系はどうなるの?そんなときに登場するのが「環境アセスメント」である。大規模開発によって環境がどのような影響を受けるのか事前に評価するというもので、一定規模以上の開発には義務付けられている。当然、今回の道路建設にも適用される。というか、もう調査結果は出ている。「環境への大きな影響はなし」と。だから建設が許可されているのだ。
で、影響は本当にないのかな・・?と毎朝次男の送迎で川沿いを通るたびに工事を眺めている。川の水は完全に干上がっている。巨大なポンプで上流の流れを遮断し、バイパスして下流に流しているからだ。その上で草木を完全に撤去し、コンクリとテトラポットで護岸工事をしている。かつて数ヶ月前までそこに居たさまざまな生物、ひなたぼっこの亀、真っ赤なザリガニ、巨大なコイ、その他諸々の昆虫、多種多様な水鳥、あの宝石のようなカワセミも、優雅に足を運ぶ白鷺もいない。河口から飛来したユリカモメ達もうろうろした挙句、編隊を翻してどこかに飛び去った。それらは現在、すべて根絶している。
これが「生態系の維持には最大限に配慮し、環境を守りつつ工事を進める」と謳ったことの現実の姿。このあと、もう一度コンクリの河床の上に土を入れ、草が生え、生き物が戻るのにいかほどの時間を要するのか?
・・それでもいつか従前の姿に戻るのでしょう。なぜそう言えるのか?それは一度昭和40年代に同様の工事をしているからだ。当時の工事写真は現在とまったく同じ状況。つまり従前に「自然」と呼んでいたものは既に「人工的な開発の結果」であったわけである。
「開発は自然からの収奪ですから、どうしたって環境に少なからず影響はあります。人間の活動とは本来そういうものなので、それでも利益を享受したいなら、多少の犠牲は覚悟してください。」影響は無いなどというよりも、いっそそう言ったほうが清清しい。
絶滅危惧種が居たわけでなし、人間で例えたら引っかき傷程度の影響なのだろう。しかし、この季節の川原には、いちめんの菜の花の黄色とハナダイコンの紫が鮮やかなコントラストで彩っていた・・、という記憶の引っかき傷は、ちっとも癒えない。
=時々の記=
(84)
3月4日
今日は、春らしい一日でした。丸3ケ月間布団を干せずにいました。やっと今日湿った布団をいっぱい干すことができ、太陽の温もりを感じ取ることができました。感謝です。
NHKのFMのラジオから、春の歌が流れてきました。幼い頃歌った歌、学生時代に歌ったものと懐かしい曲ばかりでした。一緒に口ずさみながら遠い昔を思い出していました。少しセンチになるひと時でした。
空を見上げると、椿が少しですが花を咲かせていました。高いところにばかりです。きっと高いところは温かさがあるのかもしれませんね。嬉しい春の発見でした。
雨粒も光りをるなり梅の花。
梅林のなぞへの底の雨煙る。
アネモネの花舗は一っ気に賑はえる。
八朔のとたんの屋根の落ちにけり。
早春や満水のダムエメラルド。 馬場道哉
3月8日
ゆうぐれや直きに止みたる牡丹雪。
ゆるゆると盆地の川面風光る。
春めきて和らぎし日や鳶の笛。
竹秋哉金色なせる幹のあり。
早春哉飛行機雲の生まれをる。
たかむらや春夕焼けの鴇いろに。
三月の激しき雨で始まりぬ。 馬場道哉
ここ数日すっかり春らしくなってきましたね。とても感謝です。
3月10日
今日は、午後から雨になりまた寒くなってきました。季節が急に変化するので、自然界もびっくりしているようです。確か今朝裏山から鶯が初鳴きをしていました。何時もの年より少し早いです。犬たちも急に温かくなったりまた寒くなったりで、毛の生え返りに戸惑っている様子です。
3月12日
いつもお祈りお励まし有難うございます。
母のところへは9日以来見舞っていません。でもきっと皆様のお祈りに支えられ、生かされていることと思います。
細き根の若草ぐっと引きにけり。
春雨をかまわず、犬の散歩請う。
下萌えの弾みを覚え、歩きけり。
藪中へ姿隠しぬ親雀。
イースター三月にある年迎ふ。 馬場道哉
主にある方々のお励ましによってくすぶる信仰を持ち続けることができています。感謝です。
「ああ嬉し我が身も主のものとなりけり」(讃美歌529番)の歌詞が今の私の気持ちを最もよく表してくれています。
馬場暁美
(上野緑ヶ丘教会員)
岡田 稔著
(元神戸改革派伸学校長)
第五章 摂理について(1)
1 万物の偉大な創造主である神は、すべての被造物、行為、また事物を(1)、大小もらさず(2)、最も賢い、きよい摂理によって(3)、無謬の予知と(4)、ご自身のみ旨の自由不変のご計画に従って(5)、その知恵と力と義と善とあわれみのご栄光の賛美へと(6)、保持し(7)、指導し、処理し、統治される。
1 ダニエル4:34,35(31,32)、詩135:6、行伝17:25,26,28、ヨブ38,39,40,41章
2 マタイ10:29-31
3 箴15:3、詩104:24、詩145,17
4 行伝15:18、詩94:8-11
5 エペソ1:11、詩33:10-11
6 イザヤ63:14、エペソ3:10、ロマ9:17、創世45:7、詩145:7
7 ヘブル1:3
一 これは摂理の定義である。摂理の対象と根源と目的と内容とが述べられている。被造物が存在し、行為し、変化することの一切は摂理であり、神の不変な永遠の予知と予定に基づいてなされ、神ご自身の栄光のためになされる。摂理という時に保持と指導と処理と統治とが含まれている。創造されて世界が存続するのは保持であり、法則に従って運行し、進化し、移動するのは指導、処理、統治などのみ業によるものである。
世界と神との現在関係を総称する言葉が摂理であって、有神論的世界観は創造と摂理のうち、特に後者において、その本領を明示すると言える。自然神教(理神論)は、創造を肯定しつつ、摂理を否定する。キリスト教が超越神を主張しつつ、神と世界の現在関係を汎神論同様に強調しえるのは、実にこの摂理の教理による。従って、摂理を少しでも限定する時、それだけ真正な有神論ではありえなくなる。
2 第一原因である神の予知と聖定との関連においては、万物は不変的かつ無謬的(むびゅうてき)に起こってくる(1)。しかし同一の摂理によって、神はそれらが第二原因の性質に従い、あるいは必然的に、あるいは自由に、または偶然に起こってくるように定められた(2)。
1 行伝2:23
2 創世8:22、エレミヤ31:35、出エジプト21:13、申命19:5(*)(**)
*出エジプト21:13と申命19:5を比較
**改革派教会訳は、列王上22:28,34、イザヤ10:6,7を欠落している。
二 これは第一原因、すなわち、神の予知と聖定、第二原因の法則と人間の自由意志と機会というものとの関係を明確にする。永遠の制定を歴史の上で実現するための方法が、必然、自由、偶然の三様に異なるのは、第二原因の種類によるのである。祈りが聞かれるのは、この点から理解される。神の予知や予定がところによって変更されるのではなく、神の深い聖定のうちに確定しておられるみこころを祈りを通して、初めて実現してくださるのである。雀が落ちるのも、聖定に基づく摂理であり、罪人が回心(宗)するのも聖定に基づく摂理である。
カルヴァン主義は、最も徹底した有神論であると言われる。そのために摂理の教理を尊重する。しかし、すべては摂理だと言うことと、摂理によって生起する事物が一様の経過をたどるのではなく、ある時は必然的に、ある時は偶然的に、ある人はあたかも人間の自由意志のままに出来たかと思われるような、多様な様相をもって生じるということと少しも矛盾しない。
3 神は、通常の摂理においては、手段を用いられる(1)。けれどもご自身がよしとされる場合には、手段を用いないで(2)、それを越え(3)、またそれに反して(4)自由に行動される。
1 行伝27:31,44、イザヤ55:10,11、ホセア2:21,22(23,24)
2 ホセア1:7、マタイ4:4、ヨブ34:20
3 ロマ4:19-21
4 列王下6:6、ダニエル3:27
三 摂理には、第二原因を通してなされる場合とそうでない場合とがある。そして後者を奇跡と言う。神は常に超越者である。摂理という内在的行動についても、神が一切の法則や関係に対して自由であるということを、わたしたちは忘れてはならない。奇跡は一見ありえないこと、あってはならないことのように思われつつ、実は、最も神に相応しい事柄である。
4 神の全能の力、窮めがたい知恵、無限の善は、その摂理の中によく現われ、最初の堕落やその他すべてのみ使と人間たちの一切の罪にまでおよんでおり(1)、しかも単なる許容によるものではなくて(2)、多様な配剤において、神ご自身のきよい目的のための(3)、最も賢い力ある制限や(4)、その他の秩序づけと統治がそれに伴っている。しかもなおその場合の罪性はただ被造物からだけ出て、神から出るのではない。最もきよく正しくいます神は、罪の作者でも是認者でもないし、またありえない(5)。
1 ロマ11:32-34、サムエル下24:1、歴代上21:1(*)、列王上22:22,23、
歴代上10:4,13,14、サムエル下16:10、行伝2:23、行伝4:27-28
*サムエル下24:1を歴代上21:1と比較
2 行伝14:16
3 創世50:20、イザヤ10:6,7,12
4 詩76:11(10)、列王下19:28
5 ヤコブ1:13,14,17、Ⅰヨハネ2:16、詩50:21
四 これは摂理と罪との関係についてで、摂理論の一番大きな問題である。カルヴァンは「キリスト教綱要」一巻の終わりでこの点を詳述している。罪だけは摂理外のことと考えてはならない。罪もまた摂理されたのである。単に許容として片づけてはならない。確かに罪の罪たる性質は神より出たことではないので、その限りでは許容という用語が使用されるのは止むをえないのであるが、罪によって生起した一切は、神の摂理によって生起したのである。
人間は罪を犯したけれども、何一つ人間だけの力や行為で、歴史を変化させたのではない。アウグスチヌスが罪が非存在と称したのも、こうした心からだと思われる。一切は神より出て神によって成り、神に帰すという大原則を人間の罪は決して破りえない。わたしたちは罪を作るということが何者かを存在させたり、変化させることではない。一切の物と行為と出来事とは依然として神の摂理によると告白しなければならない。
わたしたちの告白は、人間の理論的用語にあてはめにくい場合がある。それは矛盾と言う表現で片づけるとごく簡単であるが、神は統一と平和の神であるから、矛盾と言うものは人間の理解の不徹底、または表現の不十分さに他ならない。わたしたちは罪の摂理を、このような意味で許容的摂理と言う。単なる許容ではなく神の摂理であるが、一般的摂理と異なるのは、その道徳的責任が罪を犯した人間の側にある点である。
この文章は月刊「つのぶえ」紙に1951年(昭和26)10月号から1954年(昭和29)12月号まで書き綴ったものを単行本にしたものである。「つのぶえジャーナル」掲載には、つのぶえ社から許可を得ています。「ウエストミンスター信仰告白」は日本基督改革派教会出版委員会編を使用。
単行本購入希望者は「つのぶえ社」に、ご注文下さい。¥500
465-0065 名古屋市名東区梅森坂4-101-22-207「つのぶえ社」宛
シュネムの女
=列王紀下4:8~37=
預言者エリシャのとき、イスラエルのシュネムという町に、一人の裕福な婦人が住んでいたと聖書にあります。古い訳の聖書は大いなる婦人と訳しています。
ここで学びたいのは、この女がなぜ、偉大であったかということです。
列王紀下4章8節以下を読みますと、この婦人は大変親切な人であったことが分かります。預言者エリシャは、カルメル山に住んでいましたが、いつも都へのぼる途中、この町を通って、この婦人の家で食事のもてなしを受け、旅の疲れを休めておりました。
それが、幾年も続いて、エリシャもだんだん年老いて旅をするのも疲れを覚えるようになしました。そこで、この婦人は預言者のために、小さい部屋を石垣の上に建て、そこに寝台、机、椅子、ロウソク立てなどを備え付けて、彼が通るたびに、そこに休ませたいと夫に相談しました。その夫も良い人であったらしく、そのことを承諾して、早速そのような設備をいたしました(10)。エリシャは、もちろんのこの夫婦の親切を大変喜んで、何時もその石垣の上の小さい部屋に住んで旅を続けていました。
私たちがここで気付くのは、この婦人の立派なことは、彼女が美しかったためではなく、教養があったためでもなく、また裕福であったからでもありません。彼女が旅人に親切であって、しかも信仰があり、エリシャを「神の聖なる人」(9)と信じていたことにあります。彼女は預言者からの願いを待たず自らその労を慰める方法をとりました。
次に彼女は、自分の境遇を知って、自分の現在の状態に満足し、感謝していたことに気付きます。彼女はエリシャから、何らかの報いを得ようとして、彼に親切を尽くしたのではなく、本当の愛の心から出たことでした。
エリシャは何とかして彼女の親切に報いたい気持で一杯でした。そこである日、この部屋に休んでいた時、自分の僕ゲハジを彼女にやって、「あなたはこんなにねんごろにわたしたちのために心を用いられたが、あなたのためには何をしたらよいでしょうか。王または軍勢の長にあなたのことをよろしく頼むことをお望みですか」(13)と、尋ねさせました。彼女は、「わたしは自分の民のうちに住んでいます」といって今の生活に満足し、高い地位も、財産も、自分のためには何一つ求めませんでした。
ここで、私たちは己を空しくして、人のために親切を尽くすことが、いかに尊い業であるかを知ると共に、彼女の心が実に見上げたものであることに襟を正さずにはおられません。エリシャの僕ゲハジは、この女の家庭をよく見まして、彼女には子供がなく、夫は年老いて非常に寂しがっていることをエリシャに話しました。エリシャはそれを聞いて、早速、彼女を呼び、「来年の今ごろ、あなたはひとりの子を抱くでしょう」(16)と言いました。しかし、彼女はそれを信じませんでした。けれども、エリシャの預言の通り、あくる年、子供が与えられました。この夫妻はどんなに喜んだことでしょう。
平和な年が続いて、その子がだんだん大きくなったある日、子供は父と共に刈り入れのために、畑へ行って遊んでいました。急に「頭が頭が」と言って、頭の痛みを父に訴えました。父は驚いて若者に命じ、母の所へ負わせてやりました。子供は半日ほど抱かれていて遂に死んでしまったのです(20)。
そのときの母の気持はどうでしたでしょうか。彼女は急いで子供を石垣の上の預言者の部屋に入れ、寝台に横たえて戸を閉じ、夫の僕一人と、ろば一頭を求め、エリシャのところへ行くと言いました。彼女は馬のあがきも、もどかしいくらい、急いでカルメル山に駆けつけました。
エリシャは、彼女から子供の死を聞いて、僕ゲハジに預言者の杖を与え、急ぎ行って子供の頭にそれを置けと命じたのです。エリシャも切なる母の願いに、彼女と共にシュネムの家に急ぎましたが、途中、僕が帰ってきて、杖を子供の頭の上に置いたが覚めないと言いました。エリシャは急いで家に入り、戸を閉じて主に祈って、子供の上に伏し、子供を暖めました。すると、子供はくしゃみをしてよみがえりました。彼は母を呼んで子供を渡しました。彼女の喜びはどんなでしよう。
この話はザレパテのやもめの場合とよく似ております。ザレパテのやもめはエリヤに、この話ではエリシャに、どちらも子供をよみがえらせてもらっていますが、ザレパテのやもめはエリヤから食物を乞われたとき、神の言葉を信じ、乏しい内から食物を与えたのでした。それに反して、この女は自発的に、乞われないのに預言者の要求することを察し、自分を忘れて親切を尽くし、神の人に喜んで奉仕したところが違っています。もちろん、貧富の相違がこうさせたのでしょう。
しかし、二人とも同じように親切な人物で、信仰がありましたので、預言者を通して神より大きな恵みを受けたことを、私たちは学ぶべきです。
なお、このシュネムの女が何事も夫と相談して、事にあたったのは、彼女の家庭の美しさが伺われ、微笑ましくもあります。
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。尚、本の在庫はありません。
戦犯者の獄中記 (26) 遠山良作 著
昭和21年
11月18日
―東独房の一日―(続き)
十時頃になると「お早うございます」と雨が降っても風が吹いても笑顔で温かい食事を運んで来てくれる友の声がする。食事を運んで来る時は必ず英兵(白人)がついて来る。ひと言でも話をすると「ヘイ」と言って怒るので話したいことは山ほどあれど、話しをすることがでない。ただ顔を見合わせて目と目で合図してお互い元気であることを確かめては安心するのである。
食事が終わると運動の時間である。死刑囚は一人ずつ出して運動させるが、われわれ有期刑のものは三人位ずつ出してくれる。薄暗い房から一歩外に出ると、眩しい太陽は「サンサン」と輝いている。ここで生活する者のみが知る太陽に有り難さ、十分か十五分くらいの運動の時間は一日の内で一番楽しいときである。外の空気はおいしい。澄んだ青い空、秋の気配を感じるそよ風は軽く頬をなでて通る。
やつれたる 腕思いきり 伸ばしけり 獄舎にあれど 強く生きんと
6本の鉄格子の間から見る空の視界は狭い。赤い獄舎の屋根の彼方に鷲が一羽高く弧を描いて悠々と飛んでいる。その姿は実に自由である。俺もあんなに自由に空を飛んでみたい。そして祖国まで飛んで行きたい。一羽の鷲は二羽になり風に乗って大きく旋回をして空を飛ぶ姿は雄々しく見事である。
さわやかに 澄みたるビルマの 秋の空 白雲一つ 浮くを目に追う
極むまで 澄みたる空の 下にして緑葉なびくを 見るはさやけし
やがて日が沈むと大きなねむの繁みに集まる鳥の囀りが始まる。隣りの房の友との話が聞き取れない。にぎやかな鳥の囀りが暫らく続く。次第に夜のとばりとともにあたりはやがて静かになる。
茜雲 たなびく彼方に 陽は落ちて 悔いなき今日の ひと日は終わる
夕さりて 獄庭の木枝の 群鳥の 楽しき語らい 聞くも羨しさ
囀りし鳥の 声ひそむ 夕べとなり 獄舎の庭に 蟋蟀の鳴く
歩哨の兵舎にこうこうと月の影がさす。今宵はきっと満月かも知れない。視界の狭いここから月を直接見ることは出来ない。「カツカツ」と歩哨の靴音のみが静かな闇をついて響いて来る。静かな夜の訪れである。低いながらも良く通る声で広瀬中佐の「死生命あり論ずるに足らず・・・」と永原大尉の歌う正気の歌が流れて来る。孤独と絶望の中にある独房生活の中にあって、勇気を与えくれる詩吟は、日本の歴史の中に生きている忠臣、勇壮な古武士(つわもの)の姿を詩の中に求めて誰しも口ずさむものである。
高級部員出田大佐の吹く尺八の音は、哀調を帯びた余韻を残して、四囲の静寂の中を流れて来る。この響きは何故か故郷を思い涙で頬を濡らす者は私一人ではなかろう。
そして流行歌を歌う者、故郷の民謡を歌うもの等、獄の中にあって荒みがちな心は和むひと時でもある。
歩哨する 兵の人影 尾を曳きて いざよいの月 皓々と照る
生還は すまじと心に 誓えども 父母思えば 咽ぶ吾かも
夜は更けて 獄舎に響く 音楽の音に 故郷の秋祭を 偲びつついる
手づくりの 暦に今日の一日を しかと消したり 囚人われは
小夜更けて 獄舎の庭に さす月を 賞でつ吟ずる 古武士のこころ
この文章の転載はご子息の許可を得ております。
「キリスト教百話」・・・4
問4 神様は、人間が勝手に造りあげたものだということで結論づけていいでしょうか。
答 志賀直哉が、「小僧の神様」という作品に中で取り上げていることは、この小説の主人公である小僧が神様だと信じたのは、彼がかねてから願っていた寿司を、誰とも分からない人の手配によって腹一杯食べさせてもらったことがあって、一体誰が自分の心の中で願っていることを知って、しかも自分みたいな小僧にご馳走してくれると言うのはどう考えても納得が行かないので遂に、「あれは神様でしかない」と結論付けた、という話です。
志賀直哉は、この小僧にかこつけて人間が神様だと言っているのも、結局は小僧のように、自分の願望を満たしてくれるものを神様といって崇めているのではないか、という批判をしているわけです。実際人間は自分の願いを神様にぶつけます。その願いが適ったら「神様!」といって神を崇めますが、いくら願ってもその願いが実現しなかったら、「神様はわたしの願いを聞いて下さらなかった」と不満に思い、はては「神様なんか当てにしたってしょうがないよ」となり、ひいては「神も仏もあるもんか」と言うことになります。
こうして、人間は、神様を崇めたり、逆に文句を言ったりします。つまりは、人間が神様の品定めをしたり、ご利益が有るか無いかの採点をします。また神様の仕分けをし、神様の専門職を決めたりして、人間の欲望の数くらい沢山の神を祭り上げています。こういうことから言えば、神様と言うのは、人間が造りあげたものだと言う批判は一つの真実を衝いていると言えます。
「アイドル」と呼ばれる人たちは、人間によって作り出されたもので、時が来れば消えていって、「昔のアイドル」になります。この「アイドル」という英語は「偶像」とも訳されます。辞書で「偶像」を引けば、「木・石・土・金属などで造った像。信仰の対象となる像」とあります。木や石で造られなくても、心の中で描いている映像があれば、これも偶像と言えます。
これは人間が造りだしたものですから、神様の実像ではなく、「虚像」です。虚像という言葉はありますが、虚像と言うものは実在しません。その虚像を何か確かなものであるかのように崇めていることを「偶像崇拝」と言いますが、人間がしていることは結局「偶像崇拝」でしかないのでしょうが、神様批判であり、宗教批判であります。
「神様」という言葉を使っても、以上のような批判に照らせば、人間を超えた存在ではありません。神といい宗教といっても、みな人間の限界内のことでしかありません。要するに自己満足に過ぎないのです。自己満足できればそれはそれで良いかも知れませんが、本当の神様がおられるなら、以上のことはみな見当違い、人間の独りよがりに過ぎません。そして人間の中には、何をもって信実とみなすかと言うことが出来る究極の確かさはありません。
この不確かさを抜きにしての神様談義や宗教論は不毛に終わることは確かです。「神様」について何か語るにしても、以上のことが前提になります。
篠田 潔
(日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
「キリストへの時間」放送予定
4月
7日 大西敏雄 (日本キリスト改革派尾張旭教会牧師)
14日 大西敏雄 (日本キリスト改革派尾張旭教会牧師)
21日 高内義宣 (日本キリスト改革派津島教会牧師)
28日 高内義宣 (日本キリスト改革派津島教会牧師)
(放送開始1952年10月)
CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ)
毎週日曜日朝6時30分~45分放送
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緑を大切に!
書籍紹介
エネルギー技術の
社会意思決定
日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授
「本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
共著者・編者
鈴木達治郎
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント
スーザン・ハント
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
鈴木英昭著
「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円