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2023年7月号  №193 号 通巻877号
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a58ecec4.jpeg 「ローマ人への手紙」研究 (100)
 第57課 異邦人の召命とユダヤ人の拒否
       9章1~11章36節(続)
F 神のユダヤ人拒否は最終的なものではない。何故なら、彼らの多くの者がキリストへ立ち帰るからである。
       11章11~36節 (12)

 『すると、あなたは「枝が切り去られたのは、わたしがつがれるためであった」と言うであろう。まさに、そのとおりである。彼らは不信仰のゆえに切り去られ、あなたは信仰のゆえに立っているのである。高ぶった思いをいだかないで、むしろ恐れなさい。もし神が元木の枝を惜しまなかったとすれば、あなたを惜しむようなことはないであろう』(11・19~21)。

 ここでパウロは、異邦人キリスト者の側において起こりやすいもう一つの傲慢に対して警告しています。異邦人キリスト者は良いオリブの木に接がれることによってのみ、すべての霊的幸いが自分たちの元に来るということを承認しても、さらに彼らがユダヤ人という枝を切り去られたのは、彼ら異邦人キリスト者が接がれるために他ならなかったのだとして、傲慢な態度をとる傾向があります。彼らは、神が良いオリブの木の中に彼らが入る余地を残されたのは、彼らの所有する何か良い点とか、何か価値があることの故であったと考えやすい。

 しかし、ユダヤ人という枝が切り去られたのは、彼ら自身の不信仰の故であって、異邦人たちのどの様な良い点に基づくものではないというのが真実なのです。彼らユダヤ人は救い主としてのイエス・キリストを拒みました。その故にこそ、彼らは切り去られたのです。そして、異邦人キリスト者は神の恩恵によってのみ、彼らの救い主としてイエス・キリストを信じるようにされたのです。
 ユダヤ人たちが不信仰の故に倒れた所に、彼ら異邦人キリスト者は信仰によって立てられたのです。ここで、パウロは誰であれ、神との契約関係を保ち得る唯一の方法は、信仰によるのであるということを教えています。救いに至る信仰を持つ者は、良いオリブの木の中にあるのです。救いに至る信仰を欠く者は良いオリブの中にはなく、切り捨てられてしまうのです。

 もちろん、異邦人キリスト者は、彼らの信仰は自分自身の業であり行為であるから、それについて保証を求めることが出来ると、あえて主張するかもしれない。一方において、彼らは自分自身には何らの完全な義を所有しないことを認めながら、他方で、彼らは信仰を持っていると主張し、その信仰は自らの意思に基づいて持ったものであり、ユダヤ人たちがキリストを退けるのに対し、自分たちはキリストを受け入れたのであるから、当然、その信仰を功と認められるべきであると主張するかもしれません。
 しかし、明らかにパウロの時代、異邦人キリスト者たちはそのような主張はしませんでした。何故ならば、パウロはそれに答えようとはしていないからです。実際には、ペラギュウス主義やアルミニウス主義の誤りは、後世において出現してきたものです。これらの考え方は、パウロの時代には存在していなかったのです。その信仰の保証を求めるというような考えは、パウロの時代の異邦人キリスト者には決してなかったことです。勿論、パウロが信仰に立つ立場を誇る立場と対比的に述べているとき、救いに至る信仰とは、神が値なしに与えてくださる恵みを受け取ることであると言う聖書的な考え方を心に持っているのです。

J.G.ヴォス著
 玉木  鎮訳
 (日本キリスト改革派引退教師)
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0f1ca912.jpeg  祈 り

 家族や信仰の友に支えられて過ごした10年余、入退院の繰り返しで、何度も心折れ、なんでこんなに次々と病気が襲って来るのだろうかと、悲しくなることも数限りなくございましたが、不思議にも、その時その時に温かい言葉や家族の笑顔が助けになりました。退院して我が家の周りには沢山の家が建ち、大きく成長した木々を見て、長い年月を思いました。病床での生活で感じたことは、人は代わっても何時も笑顔で接してくれた若い看護婦さんの使命感でした。 娘のようなお年なのに、暖かい心配りに、それを感じました。
 まだ家に戻っても、ベッド生活でヘルパーさんの手を借りての生活ですが、10年の間、祈ることの大切さ、素晴らしさをしみじみと感じてきました。今私へ神様がお求めなのは、本当に、人々のために祈ることなのだと思えて、感謝しています。元気になりたい、旅行もしたい、友に逢いたいという思いもありますが、感謝して祈ることは、パウロが、「わたしのために祈ってほしい」と求められた思いを、何よりも大切にいたします。・・・・。「つのぶえ」から「つのぶえジャーナル」になりましたが、主人が届けてくれたこの読み物に感謝しています。
                               大分県 S・Sさん
     
 被災地に住むものの一人として、大勢の方々の支援をいただき、元気になろうと、励まし合い、助け合って来ましたが、家族を失い、家を失い、故郷を失い、幼なじみを失った私たちは、不安な毎日です。何もすることのない者にとって一日は長く、切ないものです。
 ふと、このまま死を迎えるのではないかという何ともいえない孤独、寂しさは耐えられないものがあります。軒を連ねた仮設の家にも灯りはともりますが、その下にいるのは、家族も身よりもいない人が生活をされているのが本当に多いです。
 自分の気持ちを伝えることが出来ることは、うれしいです。「ジャーナル」は、支えになっています。それでも、やはり寂しいですね。
                               岩手県 T・Gさん

       ******************
憲法第25条(国民の生存権と国の保障義務) すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
② 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
e2d413df.jpeg 「みんなでわいわい・ご意見コーナー」

☆  2回目の3・11の多くのニュースで、改めてその深刻な被害が「心の問題」として顕在してきました。私たちにも阪神淡路で経験した苦しみ、悲しみでもあります。記憶がある限り、失ったものの大きさのゆえに、生涯もち続けるものです。嬉しいことは、忘れられないで、覚えてくれた友の心です。私も忘れません。目に見えるものは新たになり、町並みも時間と共に復興しますが、それはそれとして嬉しいことでしたが、消え去ったものの上に立ち並ぶものであることを、私は忘れません。
                      兵庫県  K・Gさん             
     
☆  私の住む名古屋市内に「名古屋市農業センター」というのがあります。そこには12品種約700本のしだれ梅があります。梅園としては国内有数の規模と言われていまして、市民だけでなく、近隣からも沢山の方が見物に来られますが、ここ数年、変わったことの一つは、カメラをもった人の多さです。それぞれのポイントで撮影していますが、便利になりましたね。「花より団子」でなくなり、香りと色に、ひと時、身をゆだねるのもいいものですね。皆さんのところにも、そのようなところもおありでしょう。春の訪れですね。
                      愛知県  T・Kさん
0708bd23.jpeg 『ありがとうございます』

仕事場近くの公園では、満開の桜から薄緑の葉桜になりました。4月は、すべてが「新しい」に衣替えです。代わり映えのしない私ですから、周りに便乗して「新しい」のおこぼれをいただいています。
 
 桜の写真は、伊賀市にお住まいのN・Mさんが送ってくださいました。「その愛のゆえに」の馬場さんがお住まいの山添村の桜と名張の比奈地ダムの公園の桜・どちらも(昨年撮影)と、何時も身近な写真をお送りくださる大阪市のK・Aさんのものです。桜の開花のニュースが、北上し、北国の皆様にも春が届けられますようにと思います。今年は灯油代が例年以上に掛かりましたとのお便りで、その思いを強くしています。

 メールと共にお手紙やおはがきでお便り下さる方も多くなり、太めの万年筆でお返事を差し上げています。困ったことは、漢字が出てこないことと、同じ言葉の繰り返しに陥ることです。どうぞ、お祈りで支えて下さい。

お友達などにこのメールアドレスや「つのぶえジャーナル」をご紹介ください。感想・苦言、大い歓迎です。
電子メール アドレス   osamura@kind.ocn.ne.jp をご利用ください。

     
『つのぶえジャーナル』のための寄付者
藤掛朔生様 岸上とし子様 布目正子様 馬場暁美様 匿名1名様 

 郵便振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社
 
2013年2月16日から3月15日‘まで

 「つのぶえジャーナル」刊行責任者
   つのぶえ社代表   長村秀勝
   今月のことば

9e9951a0.jpeg 「かわいている者はここに来るがよい。いのちの水がほしい者は、値なしにそれを受けるがよい」
      =黙示録22・17=

 私たちは疑い深い者です。「ただより怖いものはない」という言葉があります。なかなか行けない一流といわれるレストランの入り口に、「今日の食事代は無料です。ご自由にお召し上がり下さい」という案内を見たとき、人は疑います。料金を要求しない食事に、人は警戒するでしょう。人は、無料を疑い、それ相当の代金を支払うことに安心を感じるのです。
 
 人は、無代で何かを貰ったり贈ってくれたりすると、それほどでもないものと思うのです。なぜかと言えば、誰でも、貴重なものは自分の手元に取っておいて、人にくれるものは、安価か、せいぜい傷物か屑物にすぎないと思っているからです。

 しかし、キリストは、そのような私たちの疑い深さとは無関係に、ここで「かわいている者」に対して、普通の水ではなく、「いのちの水」を無償で下さるというのです。疑い深い私たちには、信じがたい招きに対して、素直に受け取れないものを心に持っています。何がしかの代価を払うなら、「いのちの水」を求めるでしょう。

 しかし、「いのちの水」の代価は、私たちには支払い不能の高価なのです。支払うことの出来る私たちの「いのち」なら、「安価ないのち」でもあることでしょう。しかし、私のいのちは「キリストの十字架の死」という代価を神ご自身が支払うほどの「いのち」なのです。

 その支払いは、神の憐れみ、愛がそうさせたのです。神のまったくの、一方的な憐れみが「代金無料」の案内になったのです。信じられない愛ですね。
 
 今すぐに今すぐに

主イエス様が村にこられたから
主イエス様が村にこられたから
愛と恵みに満ちたみもとへ
家にこもり日々悩む者よ
今すぐに今すぐに行けよ

主イエス様が呼んでおられるから
主イエス様が呼んでおられるから
愛と恵みに満ちたみもとへ
心せわしく働く者よ
今すぐに今すぐに行けよ

主イエス様が待っておられるから
主イエス様が待っておられるから
愛と恵みに満ちたみもとへ
病に苦しむ友をつれて
今すぐに今すぐに行けよ      詩 水野源三
   小閑記
       

bd73e723.jpeg「悲しんでいる人は、さいわいである。彼らは慰められるであろう」。
         =マタイ5:4=

 食物、衣服、その他日用の糧に属する全てのものについての心配、不平は、多くの人の持っている心です。聖書には、「何を食べようか、何をのもうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな」(6:25)とあります。
 実に、日用の糧とその種の不安、悩み、心配は、人生の問題に対する私たちの解決への勇気と、働く力を削ぐものです。そこで恵み深い神は、私たちがそのようなことについて煩らう必要のないことを約束してくださいました。
 イエス様は、これらのものは、あなたがたの天の父は、これらのものが、あなたがたには必要であることはご存知である、と言われます。

 ところで、人にとっても、キリスト者にとっても、本当の悲しみは日々の糧でしょうか。そうではなく、罪のための悲しみです。私たちの弱い信仰のための悲しみ、また私たちのために、全てのことをしてくださった主イエスに対して、報いることの少ない悲しみであります。キリスト者は、人々がキリストについて読むために生ける手紙となることが出来るように、私たちの生活に神のみ霊とみ力がもっと必要であると感じることであります。神なくして生きるすべての人のために、この世に希望をなくして生きている人に何の力にもなれない悲しみであります

 キリスト者は無力でも、このような悲しみの中にある者を、救い主なる主イエス・キリストは喜んでその流す涙をぬぐって下さり、慰めて下さると言われるのです。

               上河原立雄
 
  「若人の祈り」

 朝

主なるイエス様、私をあなたに従うものとしてください。
何時もあなたをお手本に従い、何かを決める前に何時もあなたが私に望まれることを尋ね、あなたの助けと導きを願い、あなたが私と一緒においでになって私の祈りを聞き、私のすることをご覧になり、私が悪いことをしないように、お導きください。
正しいいことをするのに必要な助けを与えてくださることを何時も覚え、あなたへの忠誠を示すことを決して恐れず、私があなたのものであることを示すのを恥じませんように、あなたが私のためにしてくださった全てのことを忘れず、あなたが初めに私を愛してくださったように、私もあなたを愛させてください。
 主イエス・キリストによって祈ります。    アーメン

 夜

神様、今日出来なかった全てのことを許してください。またやりかけたままにし、手をつけることもしなかったことを、許してください。
私を助けてくださった人々に、「ありがとう」と言わなかったり、迷惑をかけたり、傷つけたりした人々に、お詫びを言わなかったことを、お許しください。
もし私が誰かを傷つけていたり、失望させていたり、困らせていたり、または悪い手本になっていたりしましたならば、どうか、お許しください。
しなければならないことを、そのままにしておかないように、してはいけないことをしないように、明日も私を助けてください。
 主イエス・キリストによって祈ります。    アーメン
                         
                    W・バークレー 

169ada65.jpeg眸(ひとみ)

運動部の監督・コーチの暴力・いじめが問題になっているが、その原因は簡単に出るものではないと思う。監督経験のある者なら誰もが受けた父兄やOBの勝利至上主義の圧力は、学校・企業の成績主義、能力主義、成果主義を掲げて評価する風潮の中にいた自分として、自ら招いた結果であると思う。改めて、自らと対話すべき時なのではないかと思う。諦めないで、問い続けることが大切なように思う。
                  千葉県 G。Tさん

私の働く老人施設はキリスト教主義を大切にしたところで、何時も音楽は賛美歌が流れています。今は、私たちの考えに賛同して。他府県からご家族の希望と、ご本人の願いで利用していただいています。経営は大変苦しいのですが。働く私たちは、皆さんの笑顔と 穏やかなお心が何物にも代えられない恵みをいただいております。
地域の方々のご支援は本当に感謝です。庭に咲いた花を届けて下さったり、畑で取れましたといって、形は不ぞろいですが、額に土の汚れをつけたままのお姿で届けて下さいます。私の将来の夢は、ここに神様の愛を分かち合える老人施設を作ることです。同時に、私も、この施設に入れていただき、召される時まで信仰者として生きたいと願っています。
差しさわりがありますので、匿名で投稿いたしました。
                    匿名さん
993922dd.jpeg   自閉症者のひとりごと

(69)

1月28日
年明けから葬儀やら母の見舞いやら主人の風邪やらで、心身共にダウンしております。もともと心身の回復には人の3~5倍くらいかかるので、今は何時ものように布団に潜っています。もうそろそろよくなる頃と思ってはいるのですが・・・。そんな時、決まって考え方もおかしくなっていて、行き詰まり、常に言い訳ばかり考えている状態です。
早く元気になりたいものです。

2月2日
私たちの場合は、お互いに支援し、される関係はとても難しいですよね。人道からいえば、そりゃほっとけないでしょ、という時もある。信仰者として、その状況をどう捉え、どうあったらよいのかもとても大切ですよね。私はある自助グループに入っていますが、そこでは、「私の責任」という文言があります。私の責任とは、誰かが、どこかで助けを求めたら、必ずそこに(自助グループ)愛の手があるようにしたい、それは「私の責任」だということです。自助グループとは、一人のある病気を持った人がもう一人の同じ病気の人の人を手助けすることにより、二人とも病気を発症しないでいることができるという真実を発見したのが始まり・・・という言葉が思い起こされます。難しく考えることではありませんが、継続して行うことが大事です。祈り続けなきゃ・・・。導きを求め、今日一日を生きる。大変そうだからこそ。継続するってことは、責任です。

2月12日
昼前から、目の前がフラフラして、眩しくて影が強く見えます。起立性低血圧だとは言われていますが、こう続いてはかなわない。半分は薬の副作用だと思われます。でもあの薬がないと激しく混乱を引き起こすので、どちらを取るかと言われたら、立ち眩みしてでも落ち着く薬を取りますね。残り半分は心因性のものかなあ・・・。
怠け者なんだなと認めます。昔からそうですね。手を抜くことばかりをずっと考えています。だから、病人になるのが得意になっていました。

 加納さおり


7ad36b83.jpeg世田谷通信
(112)
猫  草

ようやく長男の高校受験が終了した。第一志望に合格し、ほっとするのも束の間、春休みには新しい教科書と共にどっさり宿題が渡される。そして入学後最初のイベントは新入生テストである。そう、高校入学は大学受験へのスタートラインに立ったよ、という意味だから。
厳しくて結構と思う。追い込まれてやっと本気が出るというもの。明治生まれの祖母は「人間は一生勉強だよ」と言っていたが、平成二桁生まれの子供たちは諸々お膳立てしないと動かない。予定調和と便利に慣れた、非常に合理的なこの人達は「ゆとり世代」の次で「さとり世代」といわれるそうだ。自分たちの将来にも、世の中にも過度な期待を持たない。といって絶望するわけでもなく「所詮こんなもんでしょ」と悟りきっているそうな。
本当に「こんなもん」なのか、甚だ疑わしい。と、かつて「新人類」と呼ばれた世代の私は思うのである。社会も経済も不確実性と脆弱性に満ちている。ひとつバランスが崩れたらドミノ倒しが起きる、けどぎりぎり起きない、そんなバランス。インターネットや金融、交通、インフラ、物流すべての巨大システムが複雑な相関を持ち、とりあえず「こんなもん」的な楽観主義のもとに成立しているだけだ。
テロや戦争が起き、大災害が起き、新型ウィルスが発生し、ひとたび「想定外」が起きるたび、私たちは思うのである。「意外と駄目じゃん」「何んにもわかってないじゃん」と。そして誰か責任あるように見える人達の「事態を重く受け止め」「再発防止」「不測の事態に備え」との一連の言葉と陳謝が続き、本質的な部分は置き去りに、せっせと修復が進むのだ。
大体、地表自体がミカンの皮より薄い土壌であり、その下はてんでばらばらな方向へと動く大小のプレート。その上にびっしりくっついた人間。果敢に天然ガスだ、石油だと地下を採掘している、その下には太陽の表面温度と同じ6千度のマグマ。上空をみればわずか100km程度の大気圏。その薄いベールのような空気の層の中で、大気汚染だ、二酸化炭素だ、オゾン層だと騒いでいる。その外は真空にして無限の宇宙。
「こんなもんだ」と明日の平和を信じられるのも、「こんなもんか?」と明日に漠然とした不安を抱くのも、巨大なミカンの皮に乗った蟻の思いだ。そして世界のバランスを保つのは正体不明で少数精鋭の地球防衛軍ではなく、圧倒的多数の善意の集合体であると信じたい。
8cac172b.jpeg  その愛のゆえに
   =時々の記=
    (83)

1月28日
おはようございます。こちらは冷たい風と雪が3センチほど降り積もっています。
 初雪やラザロの復活説かれける。
 拾ひ来し、子犬と遊ぶ寒の内。
 砂浜を波走りくる、冬の海。
 海近き白き病棟冬日濃し。
 スキーヤー時速90キロで飛ぶ。     馬場道哉

2月4日
礼拝の後、ギデオン協会の方が名古屋の金城教会からいらして、聖書の配布について、説明をしてくださいました。中学生を対象に聖書を配るというのです。私は高校生の方がよいのではと思いましたが、今は高校生は聖書を渡してもあまり効果がないそうです。尊い神様の御言葉が書かれた聖書を中学生に配るというのですが、本当に読んでくれるのだろうかとか、不信仰な私は考えてしまいます。でも、やはり、伝道はまず動いて働きかけることが大切なのでしょう。そう考えていくと、「ジャーナル」の文書伝道はより多くの方に身近にあると思われます。多くの方にこのジャーナルを読んでいただき神様の愛を知っていただければと願うものです。

2月9日
 山雪の踏めば鳴るなり朝散歩。
 寒すずめ、木の実のごとく群がるる。
 初雪や、棚田と家の絵を成しぬ、
 栗のいが落ちずに残る冬木かな。
 山よりの雪どけ水の躍るなり。
 雪原に差せる朝日の眩しかり。
 文学に話の弾む寒の内。          馬場道哉
今年の冬は寒さが厳しくても、犬たちは朝散歩だけでは、満足いたしません。昼散歩、夕散歩と一日三回に増えました。少し大変ですが、散歩した後は体が温まりほっこりいたします。
来週半ばから暖かくなると予報されています。春が待ちどうしいですね。
昨日の昼散歩の時、土手に春を告げる大犬フグリが青色の花をつけて、枯草の中から、顔をのぞかせていました。北国の方たちはどんなにか、温かい春を待っていることでしょう。
  
馬場暁美
(上野緑ヶ丘教会員)
4fb10a42.jpeg 解説 ウエストミンスター信仰告白 (9)
               
                    岡田  稔著

第四章  創造について(2)

2 神は、他のすべての被造物を作られたあとで、人間を男と女に(1)、理性ある不死の霊魂をもち(2)、ご自身のかたちに従って知識と義とまことのきよさとを賦与され(3)、心の中にしるされた神の律法(4)とそれを成就する力をもち(5)、しかも変化しうる自分自身の意志の自由に委ねられて、違反する可能性のある者として(6)創造された。彼らは、心にしるされたこの律法のほかに、善悪を知る木から食べるな、という命令を受けたが(7)、これを守っている間は、神との交わりにおいてしあわせであり、もろもろの被造物を支配していた(8)。

  1 創世1:27
  2 創世2:7、伝道12:7、ルカ23:43、マタイ10:28(*)
     *創世2:7を伝道12:7、ルカ23:43、マタイ10:28と比較のこと。
  3 創世1:26、コロサイ3:10、エペソ4:24
  4 ロマ2:14,15
  5 伝道7:29
  6 創世3:6、伝道7:29
  7 創世2:17、創世3:8-11,23
  8 創世1:26,28

二 ここでは、次の真理が明らかにされている。
 1 人間は被造物であって、その肉体も霊魂も永遠者ではない。
 2 人間は被造物中で最後に創造された。
 3 人間は男女二性に創造された。
 4 人間は他の動物などと次の点で相違する特有性を持っている。
① 不滅の霊魂を持つこと。ここでの「不滅」とは「無始」という意味の永遠性を意味しない。創世記2章7節の「命の息をその鼻に吹きいれた」とある「命の息」を、神の聖霊と理解するのではない。霊魂はその吹きいれられた神の聖霊そのものであるとすると人間の霊魂は、神の分身だと言うことになる。これは最も聖書的でない思想である。従って、「命の息を鼻に吹きいれ」という動作は、神が人間を創造された時の創造の方法を述べているのであって、「光あれ、と言われた。すると光はあった」。神はまた言われた「水は生き物の群れで満ち」とあるのと対比すると、単に言うのみで創造されたのと異なり、特別に入念に創造されたことを示すと言えよう。
    伝道の書12章7節に「ちりは、もとのように土に帰り、霊はこれを授けた神に   
    帰る」も霊魂を神の分身とするプラトン主義や汎神思想から理解してはならない。 
    不滅は永遠性、特に自存性の意味ではなく、死という現象、すなわち自己崩壊、
    分裂をしょうじないということである。
    霊魂は単一性を特色とするから、死に際して肉体のように、ばらばらになって分  
    裂しないで、依然としてそれ自身の統一を保持している。この点を主として指し  
    て言われているようである。また、霊魂の形容詞として、理性的という言葉がつ 
    けられているが、これはウエストミンスター小教理問答で、イエス・キリストの
    受肉を述べる際に、正常な肉体と理性的霊魂と言う表現が用いられていることを
    参考にされるとよい。
② 神のかたちに創造されたということ。これは①の問題と深い関係がある。人間には霊魂がある。だから死んでも動物のように、まったく自己分裂に落ちてしまわない。肉体はちりに帰っても、霊魂はそのまま存続する。この霊魂の中にこそ、自己の人格的主体が宿っていると言える。
    けれども、この霊魂がそのまま神のかたちなのではない。人間は魂と肉体とから
    成り立っている一個の生けるものであり、生きた人とは、実に霊魂と肉体の結合
    によって成り立っている人間のことである。そして、この人間が神のかたちに似
    せて造られているのである、と言うのが聖書の本当の意味である。
    では、どの点が神のかたちに似せてと言われているのであろうか。それは、知と
    義と真と聖についてである。すなわち、人間の文化能力、宗教・道徳性を統括す 
    るものであって、政治、経済、芸術、科学、哲学、倫理、宗教など、今日の大学
    が取り扱う一切の分野がこの中に入っている。
    カルヴァン主義は、この神のかたちを、このように広義に解釈するために、救い
    の範囲もこれに対応する全般性をもっているのである。
③ 心に記された神の律法とそれを成就する力。これは良心とか道徳という問題と深い関係にある。すなわち、律法の下に置かれたのである。神は常に律法の主であり、律法の上に立ちたもう方である。神のかたちは、この意味で人間の自由をその中に含んでいるのであるが、人間が律法の下にあるという点は、むしろ、人間が神に似ていない。神とは異なるという事実を強く示すのである。
    動物は自然法則の中に存在している。心に記された律法は、このような客観的な 法則ではない。律法の内容に二つあるのではないが、律法の記され方には、二つの面がある。それは心の外に記された場合と心の内に記された場合とである。
     人間が内に律法を記されたと言うことは、人間は神ではない、という事実とともに、人間が動物とは異なる存在である、という事実も同時に強く示すものである。この律法の成就力と罪を犯す可能性とは、実にこれが自由というものの姿であることを示している。従って、本項から考えると、これは、主として他の被造物との相違点を指摘することが主眼であると言えよう。だから、律法の下にあることを主張して、人間は神ではない、という事実を明示することよりも、心に記された律法と自由との二点を指示し、動物との相違を明白にしているのである。
④ 禁断の木の実ことである。これは人間論的に考えると、神と人との自然的関係、すなわち、造り主と被造物の関係から一歩進んだ契約関係に入った問題である。従って、厳密には創造論の課題ではなく、摂理論に入る問題である。しかし、とにかく人間が堕落以前に、どの点で独自な被造物として存在していたかを示したいという本項の建前から、これがその一点として加えられたのであろう。
⑤ 最後に被造物を統治する資格、使命、特権が述べられている。ウエストミンスター小教理問答では、この点も「神のかたち」の一面として理解するのが正しいと思われるように表現されている。③で言ったように律法の下にあるということが、神でないことの特徴であるように、統治権は主なる神の特徴である。
    だから、人間の文化能力としての統御力ということは、たしかに神のかたちの一
    内容と思われる。本項は、終始人間型の被造物より優れているという特異性を、
    強調する方向で述べられているから、このことが最後に一項目として取り上げた
    のはもっとものである。なお、この項には、今一つ堕落後の罪と悲惨の状態にあ
    る人間の姿に対し、創造されたままの姿の特徴を示そうとした点も見逃してはな
    らない。人間は、全被造物と同様に神のみ手の業であることを忘れてはならない。
   同時に、人間は被造物の冠であって、いろいろな点で特色を持つばかりでなく、 
   実は世界は人間がそこで神の栄光をあらわす舞台として創造されたのであり、世 
   界のない人間はありえないし、人間のない世界もまた空虚なものであることを知
   らなければならない。このような尊い使命を持つ人間が、やがて語られるように、
   罪によって自己を汚し、世界を損ねたという事実を深く考えなければならない。

この文章は月刊「つのぶえ」紙に1951年(昭和26)10月号から1954年(昭和29)12月号まで書き綴ったものを単行本にしたものである。「つのぶえジャーナル」掲載には、つのぶえ社から許可を得ています。「ウエストミンスター信仰告白」は日本基督改革派教会出版委員会編を使用。

単行本購入希望者は「つのぶえ社」に、ご注文下さい。¥500
465-0065 名古屋市名東区梅森坂4-101-22-207「つのぶえ社」宛
e75fcfbf.jpeg『旧・新約婦人物語』(42)

ドルカスと呼ばれた
   タビタ
  =使徒行伝9:36~43=

 紀元49年頃、地中海の東海岸にあります港町ヨッパに、タビタという非常に熱心な女性のクリスチャンが住んでおりました。このユダヤの婦人が、どんな経路をたどってキリスト教に導かれましたのか、使徒行伝には記されていません。けれども、たぶん当時その地方によく伝道していました伝道者ピリポに導かれたのかもしれません。おもしろいことに、このタビタという名前を、ギリシャ語に訳しますと、ドルカス(かもしか)と言う意味になるのです。
 イエス様の母マリヤは別といたしましても、ドルカスという名前は、新約聖書に登場してくる多くの婦人の内で、現代において最もよく知られている名前だと思います。なぜかと申しますと、ヨーロッパでも、アメリカでも、多くの婦人方がこの名前を取って「ドルカス会」という会をいたるところで作られているからです。このドルカス会は、困っている人たちのために服を作ってあげ、それを贈る仕事を目的としておられます。二千年昔に住んでいたドルカスの始めた良い行いが、現在にいたっても尚、続けられていると申しましても、少しも差しつかえないと思います。
 と言いますのは、このドルカスは熱心なクリスチャンで、いろいろな良い働きや、また施しをしていた婦人で、彼女の信仰は単なる飾りや形式的なものではなく、実に具体的でした。ことに彼女はヨッパにあって多くのやもめたちを哀れみ、助けてあげました。

 このヨッパという港は、日本の漁港のように、漁師がたくさん住んでいる町で、嵐のために、あるいは様々な災難のために遭難し、自分たちの町に帰って来ない漁船や漁師が多かったことでしょう。そのために働き手を失った哀れなやもめたちも沢山住んでいたようです。このやもめたちを訪ねて、慰め、励ましたのが、このドルカスでした。また、困っているそれらの孤児とやもめたちのために、いろいろと苦心して服を贈ったり、お金を与えたりしたのも、このドルカスでありました。
 このドルカスの働きは、いつまでも続きませんでし。ある日、彼女は病に倒れ、神様に召されてしまいました。人々は悲しみに沈んでいました。彼らは彼女のなきがらを屋上の部屋に静かに横たえました。使徒ペテロが近くのルダの町に来ていることを聞き知った彼らは、急いで二人の使いを彼のもとに送って、どうぞ早くヨッパに来てくださいと頼みました。そこでペテロは二人の使いに連れられ、急いでヨッパに来ました。彼はすぐに屋上の部屋に案内されました。そこへドルカスが親切に世話をしてあげたやもめたちが集まってきて、ドルカスが生前に作ってくれた下着や上着の数々を泣きながらペテロに見せました。
 ペテロは感激して、みなを外に去らせ静かにひざまずいて神様に祈り、死体に向かって「タビタよ、起きなさい」と申しました。すると彼女は目を開けて、ペテロを見て起き上がりました。ペテロは彼女に手をかして立たせ、聖徒ややもめたちを呼び入れて彼女の生き返っているのを見せました。
 彼女らのその時の喜びは、わたしたちの想像も出来ないほどのものでしたでしょう。ちょうどキリストに甦らせていただいた、ラザロの姉妹マルタとマリヤの喜びと同じであったでしょう。聖書全体を通して、死よりよみがえらせていただいた婦人は、ただ二人だけです。その内の一人が神の偉大な力によって甦らせていただいたタビタです(イエス様によって甦らせていただいた今一人の女性は、ヤイロの娘です)。この不思議な奇跡は、わたしたちに何を教えているのでしょうか。それは神様がタビタの愛の業を受け入れてくださったと言うことであります。
 キリストのために、またキリストのみ名によって、良き業に励みますことは、クリスチャンの尊い義務であるばかりでなく、大きな喜びであります。わたしたちの周囲には困っている人々や、また神への道から外れている人々が、いくらでも目につきます。

 マタイによる福音者25章34~46節にあります、最後の審判の日の譬えを、もう一度お読みください。み国を受け継ぐ者はどういう人々でありましょうか? イエス様は、み国を受け継ぐ人々に向かって、その理由として、「あなたがたは、わたしが空腹のときに食べさせ、かわいていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、裸であったときに見舞い、獄にいたとき尋ねてくれたからである」と仰せになり、更に「わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである」と言われました。このような人々こそ永遠のいのちに入る者であると、強く語っておられるのであります。
 理想的なクリスチャン生活とは、ただ教会の集まりに欠かさず出席し、毎日聖書を読み、祈りを忘れないだけではないのです。そうかといって、これらを軽く見る意味では決してありません。勿論、これらは信仰生活の根本であり、大切ですが、これが信仰生活の全部ではありません。
 あなたは、可愛相な孤児たちにどうしておられるでしょうか? いつ病人を見舞ったでしょうか? イエス様が語られた「最も小さいものの一人」をお忘れになっていないでしょうか。

 ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。尚、本の在庫はありません。
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書籍紹介
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 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
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森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
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東京大学大学院人文社会系研究科教授
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発 売 つのぶえ社
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本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
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「十戒と主の祈り」
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 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
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おすすめ本
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われらの教会と伝道
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鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
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さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
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