2023年7月号
№193
号
通巻877号
×
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ビルマ
戦犯者の獄中記 (25) 遠山良作 著
昭和21年
―松岡大尉たち三名絞首刑になる―
11月10日
「チヤイトー」事件の関係者3名を絞首台に送り、空房が出来た。私は鈴木曹長のいた房に移された。房内はきれいに片付けられてあったが壁に「母」という一文字が生々しく書いてある。きっと国の母のことを思い、書いた文字であろう。この友も再び帰ることがない友の面影が浮かぶ。
刑死せる 戦友の独房に 移り住み 面影顕ちて心緊るも
死刑囚 君の残した 歌一首 その真心に 胸打たるなり
死に給う 君の 独房に ただ一字 「母」という字が 残してぞある
11月18日
―東独房に一日―
蚊に悩まされて眠れない時も明け方近くになると涼しくなってうとうと眠る。外は薄明るい。雀やこま鳥のさえずる声が木の繁みから聞こえてくる。
西の方から「ガチャン」と重い鍵が外れる音が響いてくる。既に外に出た友の「お早う」と朝の挨拶を交わす声、西の端から順番に三名ずつ出してくれる印度兵は「マスター、タテジャイガー」(旦那便所に行きますか)と言う。人のよい印度兵はわれわれをマスターと呼ぶ。バケツ(石油缶を半分に切り、洗面器、食器洗い、洗濯洗い等兼用)と便器を持って外に出る。
空は青く澄んでよく晴れている。空を仰いで深呼吸をして、房内のよどんだ空気を全部吐き出して、すがすがしい外気を腹一杯吸い込むのである。歩哨の前に立って先ず便所に行く、既に用便をしている友の下半身は丸見えである。便所には扉がないからである。ふだん便所は汚い場所であるが、ここの便所は楽しい憩いの場所である。要領のよい者は一日に2回も3回もここにくる。歩兵が咎めると腹が痛いという。便所に行くと言えば意地の悪い歩哨でない限り出してくれる。印度語を一言も知らなくても「タテジャイガー」(便所に行く)の印度語だけは誰でも覚える。お互いに顔を合わせて話のできる唯一の場所である。便はしてもしなくても便をするふりをして話をする。
監視の兵は「ジャルテイージャルティー」(早く早く)と大きな声でせきたてる。「今日の歩哨はうるさいから帰ろう」と話を打ち切って便所からでる。
暁ときの 獄庭の繁みの 群雀 かしましく鳴くも あたりは暗し
朝なれば 開かれて行く 音を聞き 便器を持ちて 鉄扉の前に立つ
そして洗面に行き食器を洗うと朝の行事が終わる。「ガチャン」と鉄の扉はしまる。
この文章の転載はご子息の許可を得ております。
戦犯者の獄中記 (25) 遠山良作 著
昭和21年
―松岡大尉たち三名絞首刑になる―
11月10日
「チヤイトー」事件の関係者3名を絞首台に送り、空房が出来た。私は鈴木曹長のいた房に移された。房内はきれいに片付けられてあったが壁に「母」という一文字が生々しく書いてある。きっと国の母のことを思い、書いた文字であろう。この友も再び帰ることがない友の面影が浮かぶ。
刑死せる 戦友の独房に 移り住み 面影顕ちて心緊るも
死刑囚 君の残した 歌一首 その真心に 胸打たるなり
死に給う 君の 独房に ただ一字 「母」という字が 残してぞある
11月18日
―東独房に一日―
蚊に悩まされて眠れない時も明け方近くになると涼しくなってうとうと眠る。外は薄明るい。雀やこま鳥のさえずる声が木の繁みから聞こえてくる。
西の方から「ガチャン」と重い鍵が外れる音が響いてくる。既に外に出た友の「お早う」と朝の挨拶を交わす声、西の端から順番に三名ずつ出してくれる印度兵は「マスター、タテジャイガー」(旦那便所に行きますか)と言う。人のよい印度兵はわれわれをマスターと呼ぶ。バケツ(石油缶を半分に切り、洗面器、食器洗い、洗濯洗い等兼用)と便器を持って外に出る。
監視の兵は「ジャルテイージャルティー」(早く早く)と大きな声でせきたてる。「今日の歩哨はうるさいから帰ろう」と話を打ち切って便所からでる。
暁ときの 獄庭の繁みの 群雀 かしましく鳴くも あたりは暗し
朝なれば 開かれて行く 音を聞き 便器を持ちて 鉄扉の前に立つ
そして洗面に行き食器を洗うと朝の行事が終わる。「ガチャン」と鉄の扉はしまる。
この文章の転載はご子息の許可を得ております。
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「キリスト教百話」・・・3
問3 教会では神様を礼拝すると言いますが、神様というのがよくわかりませんね。
答 おっしゃる通りです。元旦には初詣といって神様をお参りに行きますが、その神様ってどんな方かと聞かれても「神様は神様だよ」と言う程度で、それ以上に説明はなかなか出来ないし、第一そういうことを考えてお参りしていないのが普通ではないかと思います。それと、神様と言うのは見えないものですから、この見えないものを、分かるように説明するのはなかなか出来ません。
ある人は子供の頃、近くに神社の神殿の扉を開けて見たら、中にあったものは石ころ一つだったので「神様なんていないんだ」と思ったそうです。子供らしい受け止め方のようですが、大人だって「神様がいるなら、出て来て見せてくれ」と言いますから、神様の姿を見て確かめたいのでしょう。
但し、もし神様が目の前に現われた時、「やあ神様、よくいらっしゃいました」と言えるかどうか怪しいものです。例えば「西郷隆盛さん、いらっしゃったら出て来て下さい」と叫んだ時、その西郷さんが出てきたなら「やあ、よくお出で下さいました」と言えます。西郷さんを知っているからです。
それと同じように、神様について知っていれば神様が現われた時「よく来て下さいました」と言えますが、神様について何も知らず、神様との親しい関係が無ければ、現実に神様が現われたとしても、それが神様だと分かるものをわたしたちは持っていないのです。ですから「神様、出て来て下さい」ということは出来ても、その神様について何も知っていない以上、分かりようがないのです。
そういう風に、人間は、神様については無知なのです。にもかかわらず、人間は、神様のことをあれこれ考えます。昔から、山の荘厳さ、海の計り知れない深さ、吹きまくる風の強さ、突如として襲いかかる地震の力など、人間の力や知識では捉えることが出来ないものに神秘的な何かを覚えて、山の神、海の神、風の神、大地の神などがいると信じてきました。
太陽神とか火の神とかもそうですが、これらはすべて自然神でありまして、こういう自然を神として崇めることを自然崇拝と呼び、こういうあり方全般を自然宗教と言います。海開き、山開き、地鎮祭などの神事は、古代から一貫してわたしたちの中にある自然への畏敬の念の現われでしょう。
形は変わっても、こういう自然崇拝は、宗教としての何かを行っているという意識は無くても、世界のすべての人種や民族に共通してなされています。また、人間は、自分の力では実現出来ないことを可能にして下さる方として神様のことを考えています。 病気の癒し、安産、商売繁盛、交通事故からの守り、受験合格などなど、人間の願望を満たして下さる方としての神様を考え、神様にそういう期待を寄せています。
「人間が神様だと言って崇めているものは、人間の欲望の客観的投影である」と言った人がおりますが、まさにその通り、神様というのは、人間が造りあげたものに過ぎないと言えます。
篠田 潔
(日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
「キリストへの時間」放送予定
3月
3日 横山良樹 (日本基督教団半田教会牧師)
10日 横山良樹 (日本基督教団半田教会牧師)
17日 南 吉衛 (日本基督教団桑名教会牧師)
24日 南 吉衛 (日本基督教団桑名教会牧師)
31日 南 吉衛 (日本基督教団桑名教会牧師)
(放送開始1952年10月)
CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ)
毎週日曜日朝6時30分~45分放送
第57課 異邦人の召命とユダヤ人の拒否
9章1~11章36節(続)
F 神のユダヤ人拒否は最終的なものではない。何故なら、彼らの多くの者がキリストへ立ち帰るからである。
11章11~36節 (11)
銘記すべきことは、良いオリブの木はユダヤ民族そのままを示していないことです。何故ならイエス・キリストを拒んだユダヤ人は、木から切り取られた枝として示されているからです。しかし、彼らは決してユダヤ民族からは切り去られてはいません。パウロを迫害して殺そうとしたユダヤ人たちは、依然としてユダヤ民族に属しています。
しかし、彼らはもはや良いオリブの木の枝ではありません。彼らは不信仰のために切り取られたのです。故に、良いオリブの木とは、いわゆる、ユダヤ人ではなく、契約の神の民を意味するとしなければなりません。この良いオリブの木に野生のオリブの枝―即ち、異邦人キリスト者―が接木されたのです。彼らはユダヤ人の一人とはなりませんでした。しかし、真のイスラエル人の一員となったのです。何故ならば、彼らはオリブの木の組織の一員となり、それの養分によって養われたからです。
異邦人たちは野生のオリブの枝によって表されています。野生のオリブそれ自身は値打ちの無い存在です。このことは異邦人世界が、パウロの時代でも現代でも、その精神的、霊的状態は貧困であることを私たちに教えています。
異邦人たちは神より遠く離れ、罪の中に深く沈み、腐敗・堕落して、望みの無い者となっています。しかし、彼らは良いオリブの木に接ぎ木され、イエス・キリストにあって新たに造られたものとなったのです。
だから、如何なる異邦人キリスト者には誇ったり、得意になったりする根拠は全くないのです。それどころか、彼らは自分たちが根を支えているのではなく、根が彼らを支えていることを覚えなければならないのです。彼らは無名の野生のオリブの枝でした。しかし、良いオリブの木に接がれて一体とされたのです。
彼らの受け取るすべての霊的な賜物は、良いオリブの木を通して来るのです。彼らは良い賜物を受け取る者に過ぎないのであって、それに寄与した者なのです。人間的な誇りや虚栄が彼らをユダヤ人に対して誇らせるかもしれません。しかし、パウロはそのような精神に反対して、接がれたに過ぎない異邦人キリスト者が、切り去られた枝であるユダヤ人に対して誇ることがあってはならないと警告しているのです。
J.G.ヴォス著
玉木 鎮訳
(日本キリスト改革派引退教師)
暖かい海沿いの町にいる信友のメールでは早や梅がほころび始めているとの便りが来ました。私のいるところは山深いので、いま少し先になりますと返信メール。今年も花粉の飛散が気になります。朝晩の散歩に行って帰ってきた主人が春の近いのを伝えてくれました。何かしらうれしい気持ちにさせてくれる春がすぐそこまで駆け足でやってきていると思うと、つい嬉しくなり、今年も畑を楽しめるのが感謝です。
年を重ねても、それなりの楽しみがあるものです。朝に夕に、健康を感謝している日々です。「ジャーナル」さんの健康をお祈りしています。
お便りを読むのが楽しみです。勝手に、同世代の方かなあ・・・なんて思いながら拝見すると、お目にかかったたこともないのに、何ともいえない親しみを感じています。
高知県 T・Tさん
☆ 庭に植えてある梅の小枝に蕾を見つけました。例年より少し早めで、ああ・・もう春か来ているのを実感しています。手入れをしていた主人は一昨年,他界し、梅を見るたびに思い出していますが、今は、楽しいことを考えるようにしています。下手な庭木の手入れなので、ご近所の方に教えていただいて、何とか私の庭になりそうです。
兵庫県 Y・Gさん
☆ 女子柔道選手への暴行事件のニュースが報道されてから運動部に入っている息子が極端に無口になり、落ち込んでいます。何も聞けないので見守っている親です。一度、中学生の時に、何気なく学校のグランドを通った時、監督かコーチか分かりませんが、ひどい言葉で怒鳴り、喚いているのを聞いて、学校に抗議したところ、あの人は、ボランティアで来ている人で教員ではないので、実は、職員会でも議題になったそうです。実は親たちがお願いしているそうでした。
愛知県 A・Kさん
『ありがとうございます』
一度は行ってみたい、見ていたいと思っていた、冬の北海道と流氷。念願かなって着いてびっくり、南国宮崎育ちの私の冬支度は、なんの役にも立ちません。なんと、最初に買ったのが上から下までの防寒具一式でした。楽しい旅になりましたが。沢山の写真を整理しながら、困ったことは、宮崎では不要の防寒具・・・・。どうしょうかと頭を悩ませていす、とメールを下さったRさん。ありがとうございます。
「つのぶえジャーナル」にお送りく下さるKさんから、ご家族から贈られた誕生日のお祝いの花束の写真を他の写真と共にお送りいただきました。
山口のTさんからは、私も「身近な写メールをと挑戦したくなり、何でも写して娘に送信しましたら、娘の「これは何?・・・」と言われて、まだ人様に見ていただくまでには、時間が掛かりそうだと思いました。諦めてはいません、といただきました。「ジャーナル」の輪がひろがれば・・・と思って、お友達に宣伝していますとここと。Tさん、ありがとうございます。お写真期待しています。
電子メール アドレス osamura@kind.ocn.ne.jp をご利用ください。
『つのぶえジャーナル』のための寄付者
宮川真澄様 和田順一様 和田貴美子様 馬場暁美様 匿名1名様
郵便振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社
***************
『クリスチャン音楽家を支える会』への寄付者
1名様
便振替口座番号 00870-2-92464 クリスチャン音楽家を支える会
2013年1月16日から2月15日‘まで
「つのぶえジャーナル」刊行責任者
つのぶえ社代表 長村秀勝
「つのぶえジャーナル」にお送りく下さるKさんから、ご家族から贈られた誕生日のお祝いの花束の写真を他の写真と共にお送りいただきました。
山口のTさんからは、私も「身近な写メールをと挑戦したくなり、何でも写して娘に送信しましたら、娘の「これは何?・・・」と言われて、まだ人様に見ていただくまでには、時間が掛かりそうだと思いました。諦めてはいません、といただきました。「ジャーナル」の輪がひろがれば・・・と思って、お友達に宣伝していますとここと。Tさん、ありがとうございます。お写真期待しています。
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2013年1月16日から2月15日‘まで
「つのぶえジャーナル」刊行責任者
つのぶえ社代表 長村秀勝
今月のことば
『主はそのみ言葉に聞き従う事を喜ばれるように、燔祭や犠牲を喜ばれると、あなたは思うか。見よ、従うことは犠牲にまさる』。
=Ⅰサムエル15:22=
「あなたは思うのか」との問い掛けに、私たちは『何を』思うでしょうか。そして、そのような自分の「思い」によって、私たちは過ちを犯し、思い違いをし、錯覚を起こしてきたことでしょう。私たちの、このつまらない『思う』がときに取り返しのつかない致命的なものになることを、気付いてはいないのです。
私たちは、父の元を離れて、異郷で自分の永遠の相続財産を浪費しながら、失った権利を、神への僅かな献金で買い戻せるなどと『思う』なら、愚かなことです。『・・・しかし、神は、様々な犠牲的祭儀や献金箱をめぐっての様々な『思い』で行動するなら、神は、改めて、「あなたはどう思うのか」「あなたは本当に真剣に」神の御心を、思っているのかと問い、そのような思いで、神の心を和らげることが出来、レンズ豆の煮物と引きかえに、譲り渡された永遠の嗣業を、取り戻せると「思う」なら、それは大きな思い違いです。
私たちが日々「思う」ことは、「神を愛し、自分を愛するように、あなたの隣り人を愛すること」。「十字架の血のしたたり」で支払われたことを「思う」ことです。十字架に服する従順よりも、犠牲の方が勝っているなどと「思う」ことを悔い改め、愚かさを日々『思う』歩みでありたいと願うものです。
我が魂よ忘れたのか
わが魂よ 忘れたのか
わが魂よ 忘れたのか
あわれみ深い主イエスに
はじめてお会いしたあの日を
わが魂よ 忘れたのか
わが魂よ 忘れたのか
取るに足らぬ我を見つめ
わが名呼びたるあの御声を
わが魂よ 忘れたのか
わが魂よ 忘れたのか
悲しみに冷えた心が
喜びに燃えたあの時を
わが魂よ 忘れたのか
わが魂よ 忘れたのか
他では得られない まことの
愛と安らぎのある御もとを
水野源三著・第3詩集「今あるは神の恵み」
『主はそのみ言葉に聞き従う事を喜ばれるように、燔祭や犠牲を喜ばれると、あなたは思うか。見よ、従うことは犠牲にまさる』。
=Ⅰサムエル15:22=
「あなたは思うのか」との問い掛けに、私たちは『何を』思うでしょうか。そして、そのような自分の「思い」によって、私たちは過ちを犯し、思い違いをし、錯覚を起こしてきたことでしょう。私たちの、このつまらない『思う』がときに取り返しのつかない致命的なものになることを、気付いてはいないのです。
私たちは、父の元を離れて、異郷で自分の永遠の相続財産を浪費しながら、失った権利を、神への僅かな献金で買い戻せるなどと『思う』なら、愚かなことです。『・・・しかし、神は、様々な犠牲的祭儀や献金箱をめぐっての様々な『思い』で行動するなら、神は、改めて、「あなたはどう思うのか」「あなたは本当に真剣に」神の御心を、思っているのかと問い、そのような思いで、神の心を和らげることが出来、レンズ豆の煮物と引きかえに、譲り渡された永遠の嗣業を、取り戻せると「思う」なら、それは大きな思い違いです。
私たちが日々「思う」ことは、「神を愛し、自分を愛するように、あなたの隣り人を愛すること」。「十字架の血のしたたり」で支払われたことを「思う」ことです。十字架に服する従順よりも、犠牲の方が勝っているなどと「思う」ことを悔い改め、愚かさを日々『思う』歩みでありたいと願うものです。
わが魂よ 忘れたのか
わが魂よ 忘れたのか
あわれみ深い主イエスに
はじめてお会いしたあの日を
わが魂よ 忘れたのか
わが魂よ 忘れたのか
取るに足らぬ我を見つめ
わが名呼びたるあの御声を
わが魂よ 忘れたのか
わが魂よ 忘れたのか
悲しみに冷えた心が
喜びに燃えたあの時を
わが魂よ 忘れたのか
わが魂よ 忘れたのか
他では得られない まことの
愛と安らぎのある御もとを
水野源三著・第3詩集「今あるは神の恵み」
小閑記
「神のみこころを行おうと思う者であれば、だれでも、わたしの語っているこの教えが神からのものであるか、それとも、わたし自身から出たものか、わかるであろう」。
=ヨハネ7:17=
ここでイエス様は、主の語られたところの真理を行おうと思う人は、誰もが通る道筋があるとお語りになっています。そしてこの範囲・規律に含まれたご要求は正当そのものといえます。ある一人の人が、私たちに、あるものを与えようとした時、それの有るところへ行って、はじめてそれを手にするという条件の時、その約束のものをほしいと思うなら、このようにしなさい、という言葉を守らなければ、その約束を手に入れることは不可能です。それを行わないで手に入れようすることは、不正は行為になります。
しかし、多くの人は、イエス様を信じなさいと言われた時、これと同じことをするのです。彼らは、イエス様を信じた時から、与えようと約束なさった全ての物を要求します。ただし、主がなすようにとお求めなられたことを行いもしないで、ただ約束のものを得たいと求め、それが与えられないと信じないのです。ほかの事では賢い人でも、こと信仰の問題になると、まさに正反対のことを行うのです。信じない、従わないと言う頑なさです。
私たちが悔い改め、罪を告白し、生涯を主イエスのみ言葉に従い、生きることは、神のみこころそのものです。父なる神がキリストによって、私たちのために為さったことによって、私たちは、救われたことを信じ、主にのみより頼むことは、神のみこころであります。これを行うという条件で、神は、私たちを幸いにし、平和と平安を与え、私たちの心を清め、新しい人とし、主のみ霊によって、私たちを「神の子供」であると、証ししてくださいます。

神様との交わりに入りたいと思う人は、神様のところに行くことです。道はあります。開かれています。その道を歩みましょう。
上河原立雄
「若人の祈り」
朝
神様、今日の日を、あなたが望まれるように使わせてください。今日も時間を無駄にすることがありませんように。何時も私が何をなすべきかを知って、それをすることが出来るようにしてください。
新しい何かを学ぶ機会、困っている人を助ける機会、私を愛してくれている人々に愛を示す機会、自分自身を今に自分よりも、ほんの少し良くし、ほんの少し賢くする機会、今日、これらの機会を逃すことはないようにしてください。
今日、誰とも争うことがないように、どんなことが起こっても、平静さを保たせてください。今日も失望することなく、また私を愛してくれている人々を、失望させることがないようにしてください。
今日一日中、イエス様を忘れることがないようにしてください。私のする全てのことは、イエス様の目に相応しいものとなり、私の言う全てのことは、イエス様の耳に相応しいものとなるように、努めることが出来ますように。
主イエス・キリストによって祈ります。 アーメン
夜
神様、眠りにつく前に、私の持っている全てのものを感謝したいと思います。
寝るためのこの寝具、そして居心地の良いこの部屋、私の家族と、私が食べる食物、そして着る着物、書物と趣味、そして全ての持ち物、先生、父母と兄弟姉妹、そして友だち、全てのものを感謝します。
神様、これらののもののうち、一つとして自分自身の力だけで得ることは出来なかったことを知っています。それらは全て、私に与えられているのです。それらのものを感謝し、そして少しでもよくそれらのものにふさわしいものとなるように、努力させてください。
主イエス・キリストによって祈ります。 アーメン
バークレー
「神のみこころを行おうと思う者であれば、だれでも、わたしの語っているこの教えが神からのものであるか、それとも、わたし自身から出たものか、わかるであろう」。
=ヨハネ7:17=
ここでイエス様は、主の語られたところの真理を行おうと思う人は、誰もが通る道筋があるとお語りになっています。そしてこの範囲・規律に含まれたご要求は正当そのものといえます。ある一人の人が、私たちに、あるものを与えようとした時、それの有るところへ行って、はじめてそれを手にするという条件の時、その約束のものをほしいと思うなら、このようにしなさい、という言葉を守らなければ、その約束を手に入れることは不可能です。それを行わないで手に入れようすることは、不正は行為になります。
しかし、多くの人は、イエス様を信じなさいと言われた時、これと同じことをするのです。彼らは、イエス様を信じた時から、与えようと約束なさった全ての物を要求します。ただし、主がなすようにとお求めなられたことを行いもしないで、ただ約束のものを得たいと求め、それが与えられないと信じないのです。ほかの事では賢い人でも、こと信仰の問題になると、まさに正反対のことを行うのです。信じない、従わないと言う頑なさです。
私たちが悔い改め、罪を告白し、生涯を主イエスのみ言葉に従い、生きることは、神のみこころそのものです。父なる神がキリストによって、私たちのために為さったことによって、私たちは、救われたことを信じ、主にのみより頼むことは、神のみこころであります。これを行うという条件で、神は、私たちを幸いにし、平和と平安を与え、私たちの心を清め、新しい人とし、主のみ霊によって、私たちを「神の子供」であると、証ししてくださいます。
神様との交わりに入りたいと思う人は、神様のところに行くことです。道はあります。開かれています。その道を歩みましょう。
上河原立雄
「若人の祈り」
朝
神様、今日の日を、あなたが望まれるように使わせてください。今日も時間を無駄にすることがありませんように。何時も私が何をなすべきかを知って、それをすることが出来るようにしてください。
新しい何かを学ぶ機会、困っている人を助ける機会、私を愛してくれている人々に愛を示す機会、自分自身を今に自分よりも、ほんの少し良くし、ほんの少し賢くする機会、今日、これらの機会を逃すことはないようにしてください。
今日、誰とも争うことがないように、どんなことが起こっても、平静さを保たせてください。今日も失望することなく、また私を愛してくれている人々を、失望させることがないようにしてください。
今日一日中、イエス様を忘れることがないようにしてください。私のする全てのことは、イエス様の目に相応しいものとなり、私の言う全てのことは、イエス様の耳に相応しいものとなるように、努めることが出来ますように。
主イエス・キリストによって祈ります。 アーメン
夜
神様、眠りにつく前に、私の持っている全てのものを感謝したいと思います。
寝るためのこの寝具、そして居心地の良いこの部屋、私の家族と、私が食べる食物、そして着る着物、書物と趣味、そして全ての持ち物、先生、父母と兄弟姉妹、そして友だち、全てのものを感謝します。
神様、これらののもののうち、一つとして自分自身の力だけで得ることは出来なかったことを知っています。それらは全て、私に与えられているのです。それらのものを感謝し、そして少しでもよくそれらのものにふさわしいものとなるように、努力させてください。
主イエス・キリストによって祈ります。 アーメン
バークレー
主婦業に追われる毎日ですが、時に来るOL時代の友とのメール交換は楽しいひと時になっています。その友のメールの中に、健康診断を受けたところ、病名は伏せますが中年以降に起こる女性特有の病巣が発見され、近く入院とのことでした。元気でいても、避けられないのが病気なら、きちんと対応して、適切な治療を受けて元気になることよ、と自分に言い聞かせながら返信しました。健康を過信しないこと、年齢に応じた検査を受けること、そして、何よりも健康であることに感謝することを、友のメールで思いました。「つのぶえジャーナル」をご覧の皆さん、今年一年が神様からのお守りが豊かにありますようにお祈りいたします。
神奈川県 K・Iさん
年賀状の中に、金澤の教会でご一緒だった方からの一枚がありました。私の方では忘れていましたのに、家族の写真が印刷されていました。当時の教会時代に戻ったような一日でした。懐かしいわが青春時代でもあり、不安な乙女心を抱いていた時代が懐かしくよみがえりました。早速、長いご無沙汰の失礼のお詫びと近況報告と写真を添えてながながとお便りしました。
何度も胸の中に暖かいものが膨らみ、涙しながらお返事を書きました。お電話で・・・と思いましたが、お手紙にして良かったと思っています。
島根県 A・Aさん
(68)
1月9日
12月は本当に体調が悪く、気持ちも不安定で辛い日々でしたので、メールも出来ませんでした。そして今度は、新年早々風邪をひいて、ダウンしています。実家(母)の実態を見て頭を抱えるはめにもなってしまいました。そして風邪でくたくたになって、ついには鼻水が止まらなくなり、喉に違和感。二日間くらい寝込んでいたので、かろうじて発熱の一歩手前でした。母に紹介したメンタルクリニックに、やっとかかってもらえるようになったのはよいけれど、母にはわたしが一緒に行くことを条件にしていました。父がわざわざ来ることもないと言ってくれましたが、母はそれをどう受け入れるのか気になるところです。元気な時のメールは簡単でも、病気(心)の時には何も出来ないものですね
1月11日
風邪が長引いて、おまけに、母の狂ったような電話に対応していたら、ますます気分が悪くなり、ここのところ、寝込んでおりました。気持ちを言葉に表すのが、億劫になっていました。
1月14日
本当は自分のことで一杯いっぱいですが、何とか母のことでも安心したいです。しかし、痴呆ですから、薬の管理は出来ていませんので薬物依存は相変わらずですが、専門医にかかれたことは幸いです。医者の方で見ていてくれていると思っていますから・・・。
わたしの方は、眠れてはいると思いますが・・・。
加納さおり
(111)
猫 草
人間はびっくりするほど毎日同じ行動を繰り返している・・。こんな文章を目にした。本当に。と思う。たぶん私の大半はルーティンワークだ。そして1週間、1ヶ月、1年間という単位でもそう。去年と同じ時期に髪を切りに行ったり、病院へ行ったりを繰り返していると思う。10年日記をつけていれば一目瞭然だろうが、よし今年こそ日記をつけましょう!と思うのが毎年だいたい1月で終わりだ。文具店で綺麗な日記帳が半額になるのがこの時期で、安さに惹かれつい買って、1,2週間でもう忘れ、後半11か月分が電話メモになるのも恒例。
たぶん、こういうことだから進歩も進化もないのだろう、よーし今年こそ資格に挑戦だ、と本屋さんで「漢検」だ「ペン字」だ「英会話」だ「中国語」だ、とテキストを買うのが毎年3月ごろ。新講座が始まるから、やってみたくなるのだ。そして自分の本棚の各種NHK講座4月号(だけ)をみて、いい加減にしようとしみじみする。
というわけで、いつもとちょっと違うことをしてみる。ハンドクリームの桜の香りが気に入ったので顔にも塗ってみた・・(ただの面倒くさがり?)そうしたらなんだか肌の調子がよいのである。そりゃ手と顔、どっちも同じ皮膚なのだし、むしろ手のほうが水仕事で酷使されている。それがしっとりするのだから顔に効かないわけがない・・とは後から思うこと。そんなことさえ「顔には美容液を塗らねば」の思い込みがいけないわけだ。もう今後はハンドクリーム一本で行こうと思う!ああ、なんて、ささやかな変化でしょう・・。
そうはいっても、有無を言わせず変わっていく部分もある。毎年真っ白なハンカチのようなコブシの花を満開に咲かせていたご近所の家は更地になり、地面はアスファルトに覆われ、「予定地」の掲示とフェンスで囲われている。道路の建設とかで用地買収が本格的に始まったのだ。年末からあちらこちらの家が引っ越し、取り壊され、みるみるうちに空き地が増えた。毎日ひなたぼっこしていた白黒猫も、通りかかるときゃんきゃん吼えた小型犬ももういない。やたらと工事車両ばかりが目立つ。
どうなっていくのだろう。便利に暮らしよくなる変化と素敵な明日が待っているのだろうか?それとも・・?自分は年年歳歳たいして代わり映えのしない日々を送っていても周囲はどんどん流れていく。毎年変わらず繰り返されてきた風景がひどく懐かしく思われるのである。
=時々の記=
(82)
1月3日
明けましておめでとうございます。
今朝は、とても厳しい寒さです。今年の大河ドラマ(NHK)は八重の生涯のようですね。今まではあまり好ましくなかったのですが、今年だけは、見たいなと楽しみにしています。新島襄がこの八重の力を借りて、同志社を設立するまでになったというのですから、八重の力は大きかったのでしょう。
神社仏閣の多い京都で、キリスト教主義の学校を立てたのですからすごいです。その設立した当初の精神が今はすっかりなくなっていたら、それは残念です。教会にも同じようなことが言えそうです。時代とともに変わっていくのですね。
山添村では今日集会があって、新しい役員が決定します。もう主人の年齢では役員は回ってこないはずですが、若者がいなくなった村では、もう一度振出しに戻って歳を取ったものが役員をしなければならない事態になってきました。過疎化、高齢化の激しい山添村です。若者たちが郷土の良さを見直して、都会に出て行った者たちが山添村に戻ってきてくれたら何と力強いことでしょう。そんな魅力のある山添村の再生を願っています
1月4日
人の気持ち、考え方、生き方、それらは、やはりその人を取り巻くものの影響が大きいと思います。今日は四日市のFさんから主人のジャーナルに載せていただいた俳句を添削してくださったお手紙が届きました。
お忙しい方なのに、もう少し手を加えればこのように良くなりますよと・・・。同じ俳句とは思えないほど、すっきり、直していただいて、主人は大喜び。今年もまた、俳句をたくさん載せていただいて、励みになることでしょう。
このジャーナルを読んでくださりレスポンスを頂けるのはとてもうれしいです。
また、四日市教会時代に戻ったような一日でした。懐かしいわが青春時代でもありました。
入浴の介護す施設、花八手。
すす払い続ける老いや家を守る。
直ぐ帰る犬の散歩や冬の雨。
洗濯し、コーヒー飲むてふ初便り。
細波や、万と散らばる初日の出。
津の海の手前の山を初景色。 馬場路哉
気温が5度とこちらはとても寒く、犬たちが寒いから散歩につれていってよ。と叫んでいます。主人と二人で、午後からも、犬たちとの散歩に出かけました。犬も歩けば棒にあたるとはよく昔の人はいったもので、犬たちとの散歩を昼間にすると、近所の方たちに出会あって、今年初めてのご挨拶やら、ちょっとした会話にひと時過ごせました。
早く、温かい春が来てほしいですねとも語り合いました。
皆それぞれのところで、忍耐している様子が伝わってきて、私もこの山添村の風習にこれからもなじみつつ、歩んで行きたいものです。
1月10日
朝の散歩は北風がヒューヒュー吹き荒れとても冷たい朝でした。でもその北風にさらされた後は体じゅうホカホカしてきました。そして気力が出てきました。本当に、北風と太陽の話はいつも自分のこととして置き換えてみるのです。気持ちが沈んだときは、太陽の暖かさが必要です。でも、ちょっぴり傲慢になった時は北風に吹いてもらわないと、そのまま、傲慢になってしまいます。
昔、主人は郵便局の局長をしていたころは、何時も”申し訳ございません”と謝る言葉ばかりを発してお客様に許してもらったと言っていました。私は、学校で子どもたちに偉そうなことを言って指導してきましたが、でもいつも子供たちから教えられることの多さに謙虚にさせられて、一日が終わるのでした。
毎日、私がしていたこと。それは、子供たち一人一人が今日一日、元気でいるようにと祈ること。また昨日までとの変化を日記に着けていました。それは私だけのものでした。でも隣にいた校長がちらっとその日記を見て、”うーん、こうすれば、ひと目で、子供たちの成長がわかるね”と言っていたのを思い出しました。また、子供たちとは、クラス全員と毎日交換日記をしていました。二冊の日記帳を持たせて、必ず子供たちへ言葉を書き、お手紙を書き添えて返していました。そうすると、何十人もいる子供たちの中にはともすると、一言も私と話すことができないまま一日が終わってしまう時があるのですが、交換日記をつけ出してから、一人一人への配慮ができてきました。また子供たちの家庭環境もよく理解できて、今、その子がどんなことで悩んでいるかなど少しは寄り添うことができたように思われます。
遥かなる鈴鹿嶺(ね)の雪日を弾く。(はじく)
よき色に枯るるひつじの棚田かな。
花壇なるハボタンの色分けて清々し。 馬場路哉
馬場暁美
(上野緑ヶ丘教会員)
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緑を大切に!
書籍紹介
エネルギー技術の
社会意思決定
日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授
「本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
共著者・編者
鈴木達治郎
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント
スーザン・ハント
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
鈴木英昭著
「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円