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2023年7月号  №193 号 通巻877号
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もう11月なんだなあ、とハッとしました。少しずつクリスマス関係のグッズが、ハロウインに取って代わって売り出される時期です。実りの秋、季節の移り変わりを感じさせる商品も、一年の終わりが近づくことを知らせてくれます。
 わが家は枚数も少なく、ささっと作る程度の年賀状ですが、郵便局に行くと「ご予約は如何ですか」と聞かれます。一年を振り返り、何とか元気で過ごしていることの感謝を覚えます。
 マカルピン先生の記事を読み、クリスマスの意味を、今年も子供と分かち合うことが出来るようにと願っています。子供の教育に携わることの多いおばあちゃんや母親に、子供の信仰への道が託されていること、それが以外にも影響が大きいことを思いますと、毎日の物事への姿勢も問われていると感じましたし、責任を覚えます。家庭の中では、案外母親の思いが軸になって行われることも多いですね。自分の信仰を見直しながらアドベントを迎えたいです。
 世田谷通信さんの欄にもありましたが、東京駅が改装されトーキョーステーションヴィジョンと言って、最先端の映像技術を使った催し物が行われていたのをニュースで見、改めて日本の技術の高さに感動し、パソコンで何度も動画をみました。
 昔なのに、あんな近代的な建物が建築されていたというのは驚きです。勉強になります。最後になりましたが、少し寒さを感じる朝夕ですが、お身体を大事になさってください。
    10月25日  奈良県 N・Rさん

 短い秋も終わり、寒さと雪の長い季節に入るところです。残り柿が寒そうです。大きな被害地はテレビやニュースに取り上げられますが、小さい町や村の状態は、あの当時そのままで、取り残された絶望感があります。もう直ぐ雪で、そんな風景も雪の中に埋もれてしまうと、人の記憶からも消えていくと思うと不安になります。「風化」「風評被害」でも、「風評被害」の方は、頑固で、しかも見えないのが不気味です。時間が解消させるよと言われますが、生産・加工にかかわる人にはそんな余裕はないですね。
 どうぞ、忘れないでください。
             青森県 A・Kさん  


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   自閉症者のひとりごと
951cb53f.jpg(66)

10月16日
神様にお祈りしてから横になったら、午前中は小一時間ほど眠れたので、助かりました。でも午後からが大変。食べて飲んで吐くの繰り返しです。それでも何とか洗濯をしました。
気分休めの、例の喫茶店は定休日。困ったなあ・・・。
昨日、母から連絡がないけど、病気じゃないかと電話をくれました。なんともないよと言いましたが、本当は精神的に病んでいて、どうしようもないんだと言いたかったです。

11月1日
麻酔科と皮膚科に行ってきました。くたびれた。午後からは精神科です。
精神科を軸に治療をして、それから痛みの治療だねと麻酔科では言われました。それで納得しました。日々感じたことをノートに書くことは大事みたいです。それと医師に訊きたいことを書き出しておく。何故このような状態なのかとか。
それとリハビリのために週に2回電気をかけに来てみてはということでした。
夕食は作る気力がなくなったので、弁当を買って帰りました。

11月7日
今日は午後から、自立支援証(精神通院)の再支援の手続きのため、電動自転車で保健所に行ってきました。最近のわたしにはできなかったであろうことだ。
明日の食事のことやら、ミーティングのことやら、いろいろなことが頭に浮かんできたが、先々のことなんかわかりっこない。今日一日だけのことを考えて過ごそう。今日一日の大切さを感じた今日です。

加納さおり
世田谷通信
 (109)
猫 草

少し寒くなると合唱がよく似合うシーズンという気がする。学校での合唱祭も秋に開催されるようだ。まあ、あまり暑くても寒すぎても声が出しにくいだろうし、妥当な判断と思うが、その時期には校舎のあちこちからコーラスの歌声が響いてくるので、近所を通りかかるだけでなんだかうれしくなる季節でもある。子供の澄んだ声で「呼びかけよう名前を 素晴らしい名前を ビューティフルネーム」なんてフレーズが聞こえると思わず微笑んでしまう。
最近のNHK合唱コンクールの課題曲は有名なミュージシャンが作曲したり、人気の作家、詩人が作詞することもあり、話題性十分、例年名曲揃いである。
今年の中学校の部「FIGHT」をご存じだろうか、「頑張れ 頑張れ 命燃やして 続く現実生きてゆく。頑張れ 頑張れ 限りある日々に・・花を咲かせる。」こうして歌詞を文字だけで追うと、いたってシンプルな言葉だが、メロディがついて、しかも中学生が真剣な表情で歌っているのを聴くと、もう鼻の奥はツーン、目の奥はジーン。慌ててティッシュを探しつつ、ちょっとその攻撃は反則でしょう?というぐらいツボにはまる。まさに歌の力だと思う。
古今和歌集の仮名序に「やまと歌は人の心を種としてよろづの言の葉とぞなれりける」とあるように、人の心から発する言葉は他人の心を共振させ、影響と感化の作用を伴いながら伝播する。たくさんの歌、たくさんの言葉、たくさんの映像、たくさんの経験、たくさんの本、それらを浴びるように通過させ続けていくと、やがて人の内面には海のようなものができる。その海には知識の断片や体系化されない様々な情報が、かつ消えかつ結びて、心にうつりゆくままにたゆたっている。その情報はその人が生まれてから死ぬまでに獲得した海であり、後天的獲得形質は引き継がれないゆえに、その人独自の財産としてその人と共に朽ちる運命にある。業績や発見や成果として後世に何か残ったとしても、それはその人の海から生まれた真珠の一粒が目に見える形として現れたにすぎない。
行き交う人々はそれぞれ内面に深い海を抱えて歩いている。毎日十分に頑張っている人にさらに「がんばれ」というのはその人を追い詰めることにもなる、とカウンセリングの世界では言われたりする。それは「がんばれ」という他者の概念を伝えようとするからだ。しかし「頑張れ 頑張れ」と歌が聴こえるとき、聴覚から入ったイメージは、その人の海を刺激し、表面をきらめかせる働きをし、心をゆり動かす。やまと歌の醍醐味である。
4aa4f359.jpg  その愛のゆえに
   =時々の記=
    (80)

10月16日
爽やかな、秋晴れが続いています。
昨日は、ここ山添の村祭りでした。去年より、ずいぶん神輿を担ぐ人が減って、一時は中止になるかと思っていましたが、73歳の人たちが頑張って500キロもある神輿を担いでいました。足元はよろよろして危なっかしいでしたが、何とか責任を果たせ、安堵に満ちていました。久しぶりに故郷へ帰って来ている人たちは子供のころに帰ったように嬉しそうに幼馴染と語り合っていました。このお祭りも、あと何年かで途絶えることでしょう。
今、村で住んでいる人たちは、高齢者ばかりですから。皆、今日一日を生きるのに精いっぱいなのです。
そのようなこととは関係ないかのように、今までの伝統が当たり前のように続けられようとしています。
改革する勇気がないのですから悲しいことです。皆人任せ、誰かの時に変えてくれるだろうと期待して、それぞれ責任のなすりつけ合いです。ちょっぴり残念ですが、田舎という所はこうして生きて行かねば、ダメなのかもしれません。
私は、少し体調を崩して、診療所でいろいろ検査をしていただきました。いつもより患者さんがぐんと少なく、丁寧にお話も聞いてもらえました。検査の結果は、来週になりそうです。

10月27日
アッという間に、10月も下旬になってしまいました。今週は三軒隣の方が、家の庭先から落ちて脳を強く打たれて、昨日、亡くなられました。76歳の若さです。
葬儀には、主人が行ってくれますが、お隣で、同じ組ということで、少しお手伝いに行きます。奥様と二人暮らしでしたので、この田舎で、残された奥様は悲しみに暮れていました。つい一昨日まで、お元気にされていましたので、急に亡くなられて、本当に愕然としています。皆口をそろえて、人生のはかなさ、空しさを感じていました。
私は、検査結果は異常なしでしたが、なんども、蕁麻疹のきついのに悩まされ、また、口内炎、扁桃腺炎で診療所へ駈け込んでいます。今まではこのようにひどくなかったのですが、どうしてでしょう?と先生も首をかしげておられます。たぶん、年のせいでしょう。と言い聞かせています。
 爽やかや、星の残れる、朝散歩。(すっかり暗くなった朝散歩)です。
 赤い羽根つけて、姿勢を正しけり。
 数輪の野菊を摘みて、活けにけり。
 台風過青き枝葉を掃きにけり。          馬場路哉
お互いに足元には、十分に気を付けて、歩んで行きたいものですね。とっさの動作がずいぶん鈍くなりました。車の運転にも、気を付けないと怖いです。こちらは、車なしでは、どこにも外には出られませんから。

11月7日
昨日、11月6日、64歳の誕生日を迎えました。ささやかなお祝いを家族だけでしました。早いものですね。あっという間にこのような年齢になってしまいました。次の誕生日を迎えるまで、神様とともに歩んでいきたいと願っています。
体調が少し良くなってきました。身体中に出ていた発疹は足だけになってきました。
やれやれです。今日は寒い中にも、秋風が吹き、洗濯物がすっきり乾いて気持ちの良い一日でした。
遠山さんの獄中記を読ませていただいています。死刑囚の方の切実な思いが胸を痛めます。
遠山さんの手記はとても大切にして、戦争を知らない世代に伝えて行かねばならないと思います。
 大掴みして大根の葉を届けられ。
 荒畑耕せるかの猪(しし)の跡。
 ツユクサの覆日尽くせる犬の墓。
 堆き(うずたかき)木の実を塵とともに捨つ。
 釣り人のいぬ石多き秋の川。
 俳句帳命と持ち手、秋の旅。         馬場路哉
寒くなってきました。神様のご栄光を表すために尊いご奉仕に神様の祝福が豊かにありますようにお祈りしています。

    馬場暁美
 (上野緑ヶ丘教会員)
解説 ウエストミンスター信仰告白(6)
  
                   岡田 稔著
第三章 神の永遠の聖定について (1)
1 神は、全くの永遠から、ご自身のみ旨の最も賢くきよい計画によって、起こりくることは何事であれ、自由にしかも不変的に定められたが(1)、それによって、神が罪の作者とならず(2)、また被造物の意志に暴力が加えられることなく、また第二原因の自由や偶然性が奪いさられないで、むしろ確立されるように、定められたのである(3)。

  1 エペソ1:11、ロマ11:33、ヘブライ6:17、ロマ9:15,18
  2 ヤコブ1:13,17、Ⅰヨハネ1:5
  3 行伝2:23、マタイ17:12、行伝4:27,28、ヨハネ19:11、箴16:33

一 神のとは何であるかという問題と、神は何をなすかという問題との間に、神の聖定の問題が横たわっている。これは神の内と外にかかわっている問題だと言えよう。それは三一関係のように、単なる神の内の事柄でないと同時に、創造・摂理のように、単に神の外の事柄ではない。
 聖定が場合によって「意志」とか「計画」とか「思慮」とよばれることによってもわかるように、これは行為として外に現われた事柄ではないが、かならず、いつか、どこか外に現われる事柄と関係している。すなわち、歴史的世界、被造物世界に実現する出来事に関する聖定である。けれども、どこまでもそれは神の内に秘められたものであることであって、これを「永遠の聖定」と呼ぶのである。エペソ人への手紙1章11節「・・・、御旨の欲するままにすべてのことをなさるかたの目的」とある通り、
1  永遠についての事柄であり、
2  一切の被造界に生起する事柄に関するものであり、
3  意志による決定、計画、目的などと呼ばれるようになるように不可変的な確定的事柄であり、
4  同時に、自由なみこころと呼ばれる通り、必然的でない決定的な事柄である。
 それは、神の性質に固有的な意味で、神ご自身にとって、そうする外に、どうにもなら
ない、と言った事柄ではない。また、この世界に生起する事柄との関係については絶対的にそうなるようにと定まっている事柄である。
 神の性質と聖定の間には、自由の一線が横たわり、聖定と世界的事件との間には、必然的関係が横たわっている。これは、実にキリスト教哲学の根本原理である。自由と必然とは、このような関係としてのみ正しく両立する。神と世界との関係を単純に自由の一線で結ぶならば、偶然論となり、必然の関係で結ぶなら、決定論とならざるを得ない。聖定論は、実はこの二つの哲学を同時に論破する聖書的有神論の奥義である。
 この原理は更に、本項の後半の「定められたが」以下の告白によって、その威力を発揮してくる。神を罪の作者(責任者)とするのは、決定論の弱点であり、被造物に自由意志がないとして、第二原因の自由性を否定せざるをえなくなる。また聖定論は、宿命論と同一視されるが、偶然論とは常に相反するものと理解されている。
 そこで、本項の但し書きは、特に決定論との相違を弁証している。カルヴァン主義が哲学的決定論と異なるものであることは、自然哲学的には第二原因の偶然性とか、自由とかを否定するものではないといえば一番分かりやすいであろう。また、倫理学的には、罪悪の責任を神に転嫁しないで、どこまでも人間自身の自由意志の誤用に根源するという点を主張することによって、これを示すことが出来る。


2 神は、想像されるすべての条件に基づいて起こってくるかも知れず、また起こってくることのできることは何事でも、知っておられるが(1)、しかし何事であっても、それを未来のこと、あるいはそのような条件に基づけば起こってくるであろう事柄として予知したから、聖定されたのではない(2)。

  1 行伝15:18、サムエル上23:11,12、マタイ11:21,23
  2 ロマ9:11,13,16,18

二 予知説を排斥するための告白が、この項である。神の意志決定は気まぐれなものではなく、十分に熟慮された結論である、と言うことは正しい。けれでも、何かの物事が生起するのに神の意志決定よりも、もっと根源的な原因があると考えるのは誤りである。それが神ご自身の予知であっても、事物を存在させる究極的な根本原因ではない。
 一切の出来事の唯一根源的原因は、実に神の聖定以外にはないのである。神の聖定は、何物かへの対策ではなく、すべてのことが発生する根源なのである。予知論は結局、偶然論と決定論とに陥って行かざるをえないのである。

   ・・・・・・・・・・・・

この文章は月刊「つのぶえ」紙に1951年(昭和26)10月号から1954年(昭和29)12月号まで書き綴ったものを単行本にしたものである。「つのぶえジャーナル」掲載には、つのぶえ社から許可を得ています。「ウエストミンスター信仰告白」は日本基督改革派教会出版委員会編を使用。
単行本購入希望者は「つのぶえ社」に、ご注文下さい。¥500
465-0065 名古屋市名東区梅森坂4-101-22-207「つのぶえ社」宛
4b09f039.jpg『旧・新約婦人物語』(39)

 ザレパテのやもめ
   =列王紀上 17章=

 この話の主人公は、シドンという国に住んでいた名前もわからない哀れな、貧乏暮らしのやもめです。シドン人は、まことの神を知らず、太陽を神とする偶像バアルを拝んでおりました。
 列王紀上16章を見ますと、シドン王の娘イゼベルがイスラエル王アハブと結婚して、バアル崇拝の思想をイスラエルに導入したとあります。アハブ王は愚かにも王妃の意に従って、まことの神にそむき、バアル崇拝に協力して、国内にバアルの宮を建てたのです。その結果は恐ろしく、神は預言者エリヤをアハブに送って、「わたしに仕えているイスラエルの神、主は生きておられます。わたしの言葉がないうちは数年雨も露もないでしょう」(17:1)と、告げられたのです。
 日照りが三年半も続いて、一滴の雨もなく、国中は大飢饉に見舞われました。このことにより、私は、クリスチャンが未信者と結婚することが、いかに危険で、恐ろしいことであるかの、よい実例を見るのです。
 エリヤは、この恐ろしい預言をアハブに伝えた後、ただちに神の命令に従って、ケリテ川の上流深く岩間に身を隠しました。彼は川の水を飲み、朝夕からすの運んでくるパンと肉とで、奇跡的に神に養われていました。しかし、やがて旱魃がひどく、川の水も涸れてしまいました。彼は神のお告げによって川を下り、シドンのザレパテへ来ました。
 町の門のところで、ぼろを着た一人のやもめが、焚き木を拾っているのを見つけ、彼が少しの水を所望しました。長い日照りで川も涸れて、一杯の水も尊い命の綱ではありますが、彼女は旅人を気の毒と思って、水を取りに帰ろうといたします。するとエリヤは空腹のあまり、一口のパンをも頼んだのです。女は困った顔をして、「わたしにはパンはありません。ただ、かめに一握りの粉と、びんに少しの油があるだけです。今わたしはたきぎ二、三本を拾い、うちへ帰って、わたしと子供のためにそれを調理し、それを食べて死のうとしているところです」(17:12)と、哀れな有様を語りました。
 エリヤは彼女に恐れるにはおよばない、私の言うとおりにすれば、雨が降るまで桶の粉はなくならず、油も尽きず、食べ物に困らないでしょうと、神様が言われていますと申しました。このやもめは、エリヤの言葉に従って神を信じ、そのようにしましたので、飢饉の難を逃れることが出来ました。
 こうして、エリヤはやもめとともに暮らすうちに、やもめの子が重い病気にかかって死んだのです。女は歎きのあまり、エリヤに向かって、「あなたは神の人でありながら、わたしの子を死なせるためにきたのですか」と、愚痴を言いました。エリヤは哀れに思って、三度子供の上に伏して「わが神主よ、この子供の魂をもとに帰らせてください」と、熱心に祈り、神のお力によって子供の命をよみがえらせていただき、子供を彼女に返しました。彼女は、「主の言葉が真実であることを知りました」と、神様を賛美しました。この哀れな話にも多くの教訓を含んでいます。
 1 このやもめの性格の内に尊いものがあります。
 だれでも自分が困難に遭遇しますと、経済的なことには、自己中心になりやすく、他をかえりみないものですが、彼女のように自分の命をかけて、見知らぬ旅人をもてなすということは、素晴らしい話です。キリストは、「何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思い煩うな」(マタイ6:31)と警告しておられます。私たちはこのやもめがすべてを犠牲にして、エリヤに食物を与えた彼女の信仰に学びたいものです。
 2 この女が信仰をもって、わずかの水と、一口のパンを与えたことによって、神は三年余の長い間、彼女を養い給うたことにも教えがあります。
 私たちが受けた大きな恵みのうちわずかを捧げるのを善として、神はそれを三十倍、六十倍、百倍にして返してくださることを、この物語によって学びましょう。ヨハネによる福音書6章に、一人の子供がわずか五つのパンと、二つの魚を捧げたことによって、五千人の人々を養っておられます。神に恵まれようと思えば、まず神に捧げましょう。
 3 キリストのお生まれになる前の遠い昔の時代から、神は異邦人への預言者を送って、世界中のすべての人が、神の愛したもう子供である実例を示して下さいました。
 キリストも、ザレパテのやもめの例をお引きになって。当時のユダヤ人たちが、神を認めないため、神の恵みは異邦人に行くとお教えになっています(ルカ4:25~26)。ユダヤ人たちは、アハブのように神に背いて、まことの神を認めず、偶像に走って滅びる外なかったのです。
 そのように同じ滅びの淵にある人類を救うために、キリストは、まことの光としてこの世に来たりたもうたのです。私たちは、このキリストを信じ、キリストの光に照らされ、大いに恵まれる光の子となろうではありませんか。

ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。尚、本   の在庫はありません。

ビルマ 
戦犯者の獄中記(22)  遠山良作著
           
昭和21年
11月7日

―蚊帳を取り上げられる―

雨期もようやく終わり、今は、ビルマ特有の暑い乾期である。昼でも薄暗いこの独房の片隅に幾匹かの蚊がいる。夜ともなれば、数知れない蚊の大群がブンブンと音を立てて入ってくる。これを防ぐために作った。手製の粗末な蚊帳で長い夜を過ごすのである。今日は突然この蚊帳を取り上げるというのである。理由は西独房に収監されている、山田中尉(未決囚)が自殺を図った。蚊帳があると夜間監視するのに困難であるからといって取り上げられてしまった。
 ビルマのマラリヤは世界でも有名である。マラリヤを予防するには、蚊に刺されないことである。マラリヤにかかるより、蚊に刺されて眠れないことが一番辛い。夜になると幾千匹とも知れない蚊がやって来る。やつれた体の血を求めて襲う。毛布を頭から被ると息苦しい。その上暑くて眠れないのである。真暗な夜、時間の長いこと、そして一晩中蚊を追い続ける日がこれから続くのかと思うと、夜は嫌だ。夜は来ないほうが良い。

 払えども 尚襲い来る 蚊の群れに むし暑き夜 眠る間もなく

 今日の監視兵は英国の番犬だと言われているゴルカ兵である。彼等の祖国はネパールで始祖は蒙古民族であると聞いている。一般に印度人とは全く異なった民族であることは一目で分かる。印度人かむしろ日本人に似ていて、中には日本人そっくりな兵隊もいるほどである。英国はこの兵隊を傭兵として各戦線に送り込み、その勇敢さと忠実なる行動は、しばしば日本軍を悩まし、友軍も舌を巻いたとも聞いている。
 今日は全員(死刑囚を除く)を房から一度に出してくれた。点呼(人員の点検)をとるためである。一列に並ぶように指示をし、班長(下士官)らしき兵が一人ずつ指を折り曲げて数えるさまは、子供が数えるのに似ている。点呼が終わると運動である。みんな一緒に顔を見合わせて話が出来ることは有難い。
  
    この文章はご子息の許可を得ております。
あなたに聖書を

 『若人の祈り』

 朝
 神様、今日一日中、私の思い通りに行かない時に、いらいらしたり、ふくれたりしませんように、私の持っていないもので持っている人たちを妬んだり、嫉妬したりしませんように、私に助けを求められた時、不平を言ったり、嫌がったりしませんように、頑固になったり、機嫌を悪くしたり、礼儀に背いたりして、人の邪魔をしませんように。
 今日一日中、すべての出来事を大いに利用し、全力を尽くして、私の手と指がなすべき何事も、全てすることが出来ますように、助けてください。
 主イエス・キリストによって祈ります。  アーメン

 夜
神様、私がすっかりお世話になり、その人たちなしではとてもこのようにはならなかった人々を、祝してください。
父と母とを祝してください。そして私が父と母とを愛し、感謝していることを自分に認めさせてください。兄弟姉妹を覚え、家族の間にどんな争いも口論もないようにしてください。友人たちを顧みてください。私が彼らに対し、彼らが私に対し、互いに真実であらせてください。
私を教え導いてくださった方々を祝福してください。そしてそれらの方々にとって、私を誉れある者としてください。私を祝福してください。今日、私が行ったり、言ったり、考えたりした、全ての過ちを許して、明日をよりよく過ごさせてください。
主イエスによって祈ります。    アーメン

          ウイリアム・バークレー著


c3f87f83.jpeg12月 ラジオ説教予定
    2日  ウイリアム・モーア(日本基督教団米国南長老教会宣教師)
    9日  ウイリアム・モーア(日本基督教団米国南長老教会宣教師)
   16日  小野静雄     (日本キリスト改革派多治見教会牧師)
   23日  小野静雄     (日本キリスト改革派多治見教会牧師)
   30日  相馬伸郎  (日本キリスト改革派名古屋岩の上教会牧師)


「キリストへの時間」放送予定
       (放送開始1952年10月)
43369a0a.jpeg 「ローマ人への手紙」研究 (96)
 第56課 異邦人の召命とユダヤ人の拒否
       9章1~11章36節(続)
F 神のユダヤ人拒否は最終的なものではない。何故なら、彼らの多くの者がキリストへ立ち帰るからである。       11章11~36節 (8)

 ここで、「聖い」という言葉の意味を誤解してはなりません。これは聖化による個人の性質の聖さを言っているのではありません。これは立場の聖さを意味しているのです。聖書において、「聖い」、「聖さ」という語は、一つ以上の意味で用いられています。一つは聖化による個人の聖さという意味です。(へブル12:14、「自らきよくなるように努めなさい。きよくならなければ、だれも主を見ることはできない」)。
 もう一つは、「立場」とか「関係」における外的な聖さという意味です。例えば、エルサレムは聖なる町(マタイ4:5)と呼ばれています。「エルサレムおよびユダのすべてのなべは、万軍の主に対して聖なるものとなり」(ゼカリヤ14:21)、その他、マタイ7:6,24:15、27:53、Ⅰコリント7:14、ルカ2:23参照。これらの聖句の中にあるものは、「聖い」という語を、「神の御用のために聖別された」、「特に神に属するものとして選び分かたれた」という意味で用いられています。
 また、パウロはⅠコリント7:14で、「不信者の夫は妻によってきよめられており、」と言っています。明らかに、これは聖化によって起こる心や生活の聖さではなく、立場や関係の聖さという外的なものを意味しています。 
 同じように11:16でパウロが「かたまり」や「枝」がきよいと言っている時、それはユダヤ人が集団的に、聖霊による聖化の働きによって生み出される心と生活のきよさを獲得したという意味で言っているのではありません。集団的に見れば、ユダヤ人は明らかに不信者であって、その意味では聖化されていないしきよくもないです。しかし、彼らがなおも真の意味できよいと呼ばれることができる唯一つの意味があります。すなわち、彼らはその根であり初穂である聖なるアブラハムと関係を持っているという理由で、外的な意味で「きよい」と呼ばれることができるのであります。
 アブラハムはその故国から呼び出されて、神と特別な関係の中に入りました。これは一つの「きよさ」です。パウロの時代のユダヤ人も現代のユダヤ人も共に、アブラハムが根である枝なのです。その意味において、ユダヤ人はきよいと言えるのです。

 神はアブラハムを召して、神との特別な関係に入れるために聖別されたとき、それはアブラハムにだけ関係することではなかったのです。神はアブラハムの子孫をもみ心のうちに考えておられたのです。「神はヘブル人の族長たちを選んで聖別し、ご自身への奉仕に用いられる時、彼ら自身だけでなく、彼らの子孫のことも考慮しておられたのである。神は集団としてのユダヤ人たちが、後の世まで特別に神のために自らを捧げるように意図しておられた。だから彼らは今まで他の民族が与ることがなかった神との特別な関係の中に立ってきたのである。そしてこの関係をもってきたからこそ、彼らは再び神の恵みの中に回復されることが有り得るのである。そして、パウロが後の箇所で(25節)述べているように、神はそれを完成することを決定しておられるのである。(C・ホッジ)」。

J.G.ヴォス著
 玉木  鎮訳
 (日本キリスト改革派引退教師)
ffbbdda0.jpeg  祈 り

 お手紙ありがとうございます。強い薬のため、字が書けなくなったため、返事が遅れてすいませんでした。私も。大きな病院で両足を切断してもらうつもりです。もう手遅れでそれしか方法がない。ダメと言われた。悲しい。どうか手術が成功するようにお祈り下さい。そうして退院したら、重度の障碍者の施設に入る手続きが今、病院で進めてくれています。この精神病院の生活は30年余です。教会に行っていたのは日曜学校と大人の礼拝は3年ばかりで、後は病院です。・・・。落ち着いたらはがきで連絡したいですが、今はわかりません。
              岐阜県 S・Nさん

       ******************
憲法第25条(国民の生存権と国の保障義務) すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
② 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
b2a7b5d8.jpeg 「みんなでわいわい・ご意見コーナー」

☆  毎月更新される「つのぶえジャーナル」を楽しみ読んでいる二児の専業主婦です。先日、小3の長女がおみやげといって綺麗な落ち葉を2枚くれました。学校の帰り道にある公園でお友だちと落ち葉遊びをしていたそうです。私の本にはお花や綺麗な葉で作った趣味の栞がはさんであります。娘がそれを知っているのかなあ~と思い、うれしくなりました。子供の心の成長を見る思いので、早速、栞を作りました。
                    静岡県 M・Sさん            

☆  小さい秋みいつけた・・・て感じの季節になりました。皆さん、お元気ですか?赤いトンボの種類はたくさんあって、見分けは私にはできませんが、きっと羽の模様からノシメトンボかな? アカトンボの代表といえばアキアカネ。群れ飛ぶ姿がいかにも「ふるさとの秋」といったイメージです。    
                    東京都 K・Tさん

☆  今年も残りわずかになりましたが、最近のわれわれ夫婦の会話はだんだん切実になってきた。つい数年前までは、夫婦揃って礼拝を守るのはごく当たり前だったが、今は、どちらかが休みか、夫婦揃っての欠席となり、家での家庭礼拝に感謝している。時々話が老々介護のことになり身近になったが、今は、どちらかが元気なので何とか生活出来るが、両方共に要介護になったらさあ大変。足腰鍛錬?とばかりに、揃って朝の散歩に励んでいると、お仲がおよろしいですね・・・なんて言われて嬉しくなって、また元気を出してクリスチャン老夫婦の証しになろうなんて、話している。・・・。家内の入れたコーヒー(プロ級)を飲んで、聖書日課を読んで過ごしている。感謝という言葉がわれわれの日常の会話に多くなり、クリスチャン夫婦の恵みを感謝しているこの頃であります。・・・。
                     兵庫県 T・Tさん

 『ありがとうございます』
 秋の京都を一度たずねてみたいと思いながらを、実現するために、一人旅に出かけました。予定も立てず派が私流で、駅の案内所でホテルの予約を済ませ。観光バスに乗ることにした。二日目は、地図を片手に紅葉の名所と学生の頃の記憶で覚えていたお寺の名前を見つけて、訪ねたのが、小塩山の中腹にあるひっそりと建つ山寺らしい素朴な風情の金蔵寺(こんぞうじ)。遠くの方から鳥のさえずりのお迎えでした。・・・。心休まる1泊二日の旅でしたと、静岡のDさんが絵はがきをくださいました。今月号の写真も大阪のK・Aさんが送ってくださいました。娘さん作のマンゴーケーキなどです。お便りやお写真、メールをお待ちしています。この電子メール アドレス   osamura@kind.ocn.ne.jp、また、お便りは〒465-0066 名古屋市名東区梅森坂西2-616-E号「つのぶえジャーナル」宛をご利用ください。

     
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2012年10月16日から2012年11月15日‘まで
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書籍紹介
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エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

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教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
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「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

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「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
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「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
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われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

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さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

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