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2023年7月号  №193 号 通巻877号
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   =時々の記=
    (70)
 
11月23日
昨日から、急に冷え込みが厳しくなりました。朝は、5度を切りました。
登校す学生白し秋深む
図書館の入り口に見ゆ返り花   馬場路哉
今日は、くもり空から、また冷たい雨となって、夕方も、4時を過ぎるとうす暗くなっています。何か、気忙しい季節になってきました。
 
12月1日
今日から12月、日々の過ぎるのは本当に早いですね。「つのぶえジャーナル」を主人と共に読み直し、心新たにされて、神様のことを覚えて、謙虚に御言葉に、従うようにされたいと願っています。娘はとても、ジャーナルを気に入っています。毎月、私に、早めに知らせてくれるのですが、「世田谷通信」には、特にはまっているようです。新聞記者の記事のようだと、とても、羨ましがっています。このジャーナルを通して、一と月に何度も電話が入ります。神様に強められ、健康が支えられ、ジャーナルが、許されるところまで、発信できますようにとお祈りしています。
 
12月5日
私は、12月に入って、何やら胃腸が悪くなり、胃の痛み、腸の膨満感など、少し弱っていました。食事を節制して、おかゆ、葛湯などで何とかしのぎました。いろいろなことがあり、今年のクリスマスは、メリークリスマスとは、言うことができない思いになっています。
やはり、12月ですね。寒さが厳しくなっています。朝の散歩も、苦痛に思う時があります。でも、仕方なく、犬たちへの責任と思って、真っ暗闇の中を、どこを歩いているのかわからないような状態で、(私の信仰のように、)ふらふらしながら、電灯の足元だけの灯をたよりに、歩いています。昨日から、右ひざが痛く、杖が必要になってきました。とくに、朝起きた時が一番きついです。主人に言わせると、その痛いときに、しっかり歩かないといけないのだと。三重大学病院では、どんなに痛みがあっても、毎日、リハビリで、脚を動かす練習をしなければならなかったと言っています。
父と子の眺めてをりぬ秋の川
鴇色(ときいろ)の紅葉照るなり峡(かい)の村
小春日やカーテンを引く座談会
木斛(もっこく)の鈴なりの実のこぼれをり    馬場路哉
主人は、毎日、決まったようにリハビリを兼ねて、散歩に出かけます。大方2時間はかけて、村の中を歩いて帰ってきますが、なかなか、筋肉が元のようには戻らないので、寒さには、痛みが出ると言っています。
 
12月9日
風邪が流行っているようです。奈良でも学級閉鎖の学校が相次いでいます。今朝はこちらは、マイナス3度まで下がりました。家の中でも、プラス4度でしたから、朝の犬たちとの散歩は、まつ毛まで凍ってくるのがわかりました。外の水はすべて凍りついていましたから、石で割って犬たちに与えました。さすがの犬たちも、急な気温の下がり方に対応できずに、ぶるぶるふるえていました。しかたがないので、暖房のある部屋の中へ、しばらく入れてやりました。寒くても、雪にならなかったのが唯一嬉しかったです。
 
12月12日
寒さが続いています。
12月は、何かと、気忙しく、年の瀬を感じさせられるこのごろです。
人間は、ちょっと、この世的に調子がよかったり、健康なときには、すぐに傲慢に陥る、おぞましい者ですが、大きな試練に会う時に、最も神様に近いときであるように思われ、苦しいですが、忍耐して、絶望の中にあても、小さな希望を持ち続けたいものです。
朝冷えや手術の前に祈りをり
病室を出づ車いす日向ぼこ
強風に頭も手繰る花八手         馬場路哉
 
 
                                                                  馬場暁美
                  (上野緑ヶ丘教会員)
 
 
 
PR
b9582a30.jpg                   キリスト者の生活綱要  (29)
               
                                             ジャン・カルヴァン著
                 ヘンリー・J・ヴァンアンデル編
                 吉岡  繁訳
 
  第4章 来るべき世への希望
 
  1 十字架なしに栄冠はない
  1 どんな種類の試練に苦しもうとも、われわれは常に、ゴールから目を離してはならない。すなわち、来るべき世を思うために、今の世の生(の空しさ)を軽蔑することに慣れることである。われわれが生まれつき、この世の盲目的に、否、肉的にさえ愛する傾向があることを、主は知っておられるので、非常に優れた手段を用いて、われわれを呼び戻し、重い腰を立ち上がらせ、われわれの心がそのような愚かな傾向に引きつけられないようにして下さる。
 
  2 誰でも、天の不死を、生涯をかけて情熱的に追い求め、それに到達しようとする。なぜなら、死後の永遠を望まないなら、恥ずかしいことには、われわれの状態より少しも劣っていない、物言わぬ動物に比べ、われわれが優れているとはとても言えないからである。
 しかし、一人一人の野心的な計画や企てや行動をよく調べてみると、みなこの地上の城を出ていないことがわかるであろう。そのため、われわれの思いは、富や権力や名誉といった外面的輝きに眩惑されて愚かになり、それを越えたものを見ることができないのである。
 心も、貪欲や野心やその他の悪い欲望に占有されて、それ以上高く昇ることができないのである。ひと言で言えば、魂全体が肉的喜びに包まれて、幸福をこの地上に求める、ということである。
 
  3  これに対して主は、悲惨というさまざまの厳しい教訓によって、その子らに、この世の生の空しさを教えられます。そのため、安易で快楽的な生活を期待しないよう、戦争、叛乱、掠奪、あるいはその他の災害によって、彼らがしばしば悩まされ、傷つけられることを、主はよしとされる。
 また、過ぎ去るはかない富を貪欲に追い求めたり、所有しているものに頼ったりしないよう、主は彼らを、時には追放により、時には地の不作により、また時には他の手段によって、貧困の状態に引き戻したり、少なくとも普通の富の状態に留めさせたりなさる。
 主は、彼らが結婚生活おいて、あまりにも満足して喜び過ぎないため、配偶者の欠点で彼らを悩ませたり、悪いことをする子によって彼らを謙虚にさせたり、あるいは子がなかったり、失ったりすることによって、彼らを悩ますことをする。
 しかし、こうしたことにおいて、神が彼らにさらにいっそう憐れみ深いなら、彼らが虚しい栄誉によって膨れ上がらないように、病気や危険によって、全ての朽ちるべき定めにある祝福がいかに不安定ではないかを示される。
 
  4  したがって、この世の生活自体が、不安と困難と悲惨に満ちていて、どうみても決して真に幸福ではなく、また全て祝福と呼ばれるものは、不確かではかなく、虚しく際限のない災いと混じり合っていることを知るようになると、われわれは、十字架によって訓練を与えられ、その訓練によってだけ真の利益を刈り取ることになる。
 この結果、この世には争い以外になにも求めることも期待することもできず、栄冠を見るためには、目を天に向けなければならないという結論になる。しかし、この世の虚しいものを捨てることを、何よりも先ず十分に学んではじめて、われわれの心が、やがて来る世を真剣に求め、それに思いを馳せるようになることを認めなければならない。      
 
(つのぶえ社出版)   この文章の掲載は訳者の許可を得ております。
 
 
 『旧・新約婦人物語』(29)
サムエルの母ハンナ
 (サムエル記上 1章)
 
ハンナは、旧約聖書の歴史の中で有名な婦人です。彼女は、エフライム山の麓に住んでいましたエルカナの妻でした。彼女は雄大高潔で知られた預言者サムエルの母です。
ハンナは、先に学びましたアブラハムの妻サラのように、結婚してから長い間、子供がなかったのです。けれども、祈り求めればきっと与えられるものと固く信じていました。サラの場合は、神の使者から、「来年の春・・・サラには男の子が生まれるでしょう」と、はっきり告げられても、心であざ笑って、それを信じませんでした」(創世記18:10)。
ここに二人の間に根本的な信仰の相違があります。それにもかかわらず、夫のエルカナは、ハンナには子供が与えられないものと諦めて、二番目の妻ペニンナを迎えました。それは当時の悪い習慣で、神のみ旨に背くことです。そのためエルカナの家庭の雰囲気は、余りよくなかったようです。ペニンナに多くの子供が生まれるにおよんで、ハンナは常にペニンナに抑えられ、苦しめられていたようです。しかし、夫のエルカナはハンナを非常に愛しておりました。
この家の良いことは、主人に信仰があり、毎年決まって祭日には、主の宮にのぼって燔祭をささげ、熱心に神を礼拝することを常としておりました。
当時、この地方の多くの人々は、神を忘れ、神を礼拝しないのに、この家庭の人々は常に神を忘れず、熱心に神に仕えたようで、これがこの家庭の特徴でした。
主人エルカナが、ハナンには子供が与えられないと諦めたにもかかわらず、ハナンの信仰はなかなか固く、望みを捨てず、常に男の子が与えられるようにと祈り続けました。この時のハナンの祈りの態度は、実に熱心そのもので、一人静かに宮にいて祈りました。ハンナの神は私たちの悩みの時、苦しみの時に、慰めを与えたもうと確信して続けたいものです。この祈りの態度は私たちに大きな教訓を与えます。
「あなたは祈る時、自分の部屋に入り、戸を閉じて、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい。すると、隠れたことを見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう」(マタイ6:6)。
まことの祈りはこのように、目に見えない、手に触れないが、しかし、確かにいましたもう、生ける真の神に祈ることです。
f64ec43b.jpg祈りは、多くの人が集まって心を合わせて、共にいのることは大きな力ですが、また一人で部屋の中や森の蔭や川のほとりで、静に熱心に祈ることも、さらに大切なことです。祈りの中で、ハンナは神に誓いました。
「万軍の主よ、まことに、はしための悩みをかえりみ、わたしを覚え、はしためを忘れずに、はしために男の子を賜わりますなら、わたしはその子を生涯のあいだ主にささげ、かみそりをその頭にあてません」(11)と。もし男の子が与えられたら、その子の一生涯を神の御用のために捧げるというのです。
ハンナのこの誓いを、先に学んだエフタの誓いに比べて下さい。格段の差が見られます。最も大きな違いは、ハンナの誓いは祈りの内に長く考えられた、まごころのこもった、切々たるものです。それに引き換え、エフタの誓いは出陣間際になされた無思慮なもので、そのうえ、「神が戦いに勝利を与えて下さったなら、何々をします」といった、神と取引でもするような、不敬虔なものでした。
ここで、私たちが考えることは、全ての命は神から出るということです。神が命を与えなければ、人はうまれてくることはできません。
この意味で、人の一生は皆、神の賜物であり、神の御用のためには全部を捧げるのが当然であるともいえます。私たちが捧げる献げ物は、神から与えられたものを、神にお返しするに過ぎないともいえます。私たちは、与えられた恵みの一部分を捧げているのです。「しかしわれわれがこのように喜んでささげることができても、わたしは何者でしょう。わたしの民は何でしょう。すべての物はあなたから出ます。われわれはあなたから受けて、あなたにささげたのです」(歴代志上29:14)とあるとおりです。
私たちは、神から頂いた何パーセントを、神に捧げているか反省しなければなりません。ハンナの誓いはこの心持であり、エフタは神と取引するように見られます。ハンナが宮で熱心に祈っている様子を見て、祭司のエリは、彼女が酒に酔っているのだと思い違いをしまして、彼女を戒めました(12~14)。
私たちも、ともすれば同じようにことの真相を確かめず、人のことを批判したり、悪く思ったりすることがあります。幸いにもエリは、自分の間違っていたことに気付いて直ちにその粗相を詫び、神の祝福が彼女の上にあり、その求める願いを許したまえと祈りました。ハンナはこれに慰められ、励まされて、喜んで家族と共に家に帰りました。そして間もなく、彼女の祈りはきかれ、サムエルが与えられました。
私たちは、ここで心を込めた祈りは必ずきかれる事実を見ます。もちろん、時には私たちの願った通りに、また期待している通りに答えられないかもしれませんが、神の御旨によって更により良い方法で、神は必ず、最善に答えて下さいます。
「求めよ、そうすれば、与えられるであろう・・・・。天にいますあなたの父はなおさら、求めてくる者によいものを下さらないことがあろうか」(マタイ7:7~11)。
ハンナのその後の生活はどうでしたでしょうか。彼女は初めの誓いを忘れず、幼子サムエルを宮につれてのぼり、神の御用に奉仕させました。たった一人の愛児、しかも長年祈り求めて与えられた愛し子を、宮に捧げるハンナの心はどうでしたでしょう。
ここにハンナの強い信仰の、実に偉大な面が現われています。彼女は、その後いよいよ神の祝福に与り、三男二女を与えられ、幸いな日を送りました。これはハンナの信仰の良い果実です。私たちもこのような信仰を持ち、全てを神に捧げたいものです。
 
ーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。
 
  ビルマ
  戦犯者の獄中記  (12)  遠山良作 著s-CCF20111222_00000.jpg
 
昭和21年
 
5月30日
-「エデゴン」事件弁護の概要-(「バーンズ」大尉の弁論)・・・4・・・
 
最後に遠山軍曹であるが、もしも証人たちの証言を信ずるならば、彼は本件の真の悪党である。最後に立った証人「ムサフラアーメット」は、彼は本人及び他の部落民から「恐れられていた」と陳述している。余は彼が彼らから恐れられていたということは、疑わない。何故ならば、彼は常に部落で行動したのみならず、彼の情報による結果彼ら証人が逮捕された。彼らが経験した虐待や苦痛は直接遠山が原因しているからである。
遠山が法廷に現われるや、如何なることが起こったか、証人は一人残らず彼を指名した。しかし「モールメン」刑務所での首実験の際は僅か一人のみ彼を指している。
我々には証人たちが、一見してよく知り得ることの出来る遠山が、被告席にいるのを見た時、如何なることを考えたかを想像し得る。彼らは「彼奴だ」“彼こそ全ての禍の因”「拷問の若干を彼の責任にしてやろう」と話したのではなかろうか、・・・然し弁護が進むに従い彼が刑務所にいたのは僅か10分位でそれも或る姓名を認めるためであったと聞いた証人たちは如何に失望したことであろう・・・・。中島軍曹は当時監視についていたのでこの点を認めている。
前記三名の行動は東大尉、中山少尉及び福田曹長たちにより裏書されている。余はここにこれら三名の人物が何ら本事件についての関わりのないことは全く疑う余地のないものであることを申し開き彼らの無罪を主張するものである。
法廷は福田曹長の証言の態度に印象づけられたであろう。彼は本法廷に現われることにより全てを失い、何等得るところは無いにも拘らず、彼は何の言い抜けもせずまた、何等躊躇することなく、透明的な、正直さをもって証言している。以て余は彼の証言に対し特別なる注意を払うべく法廷に乞うものである。
中山少尉以外は被告の何人といえども取調に参加せずと福田は断言している。更に福田の証言は証人たちの言明が如何に真実であるかを測定するに有効な資料である。「ハジ、モハマットサレー」は老人にして刑務所では特別の待遇を受けている。またこの老人が検挙された主な理由の一つは彼の同胞の邪推を除くためであった。更に重要なる点は虐待を受けた人間はこの二名であると言って、福田が指した者は本法廷の証人席において感動のあまり泣き出した二名の証人であることである。
他の留置人が如何なる待遇を受けたかについては、福田は何ら直接の証言は出していないが、取調官の間に連絡があったと言明している。
更に次の二点に興味がある。第一に福田は梁に吊るされた際には目隠しされて、足は地面についていなかったと言っている。第二に電気拷問に使用した器具は電話機であったことである。英軍の通信兵はその電話機の試験のため、自身に対しこの「拷問」を行なったものである。これは不愉快な気持ちを与えるのみで何等危険なものに非ず。意識を失うようなことはあり得ない。
次に私は被告人が転じてこの法廷において証言をした九名の証言に言及しよう。これら九名の如き不完全極まる人間はちょっと他にはないであろう。彼らの大部分の者は以前になした陳述書の中に述べるまでもないと考えた残虐無道なる拷問について長たらしい供述をした。これらは彼らが申立てをした時より証言台に立つまでの間に考えついた作り事であると判断するのは当り前のことではなかろうか。尚彼らの中で一人たりとも首実験において指したのと同一人(真に同一人だけ)を被告人の中に指した者はいない。
彼らの中のある者は首実験の際に一、二名より指していないにもかかわらず被告人席の全員を指した。―中略―この件に関し、検事は二つのことを立証しなければならなかった。(1)拷問の実在、(2)被告人がこれらの拷問を許可しあるいは目撃し或いは自身それを行なったか否や。しかるに彼は(検事)哀れにも失敗せり、この件は一転の疑問なきままに立証されねばならぬのに疑問は山程ある。証人の虐待に関する申立ては如何にも誇張されているため、何ごとかなさん。そしてこれは不可能であろう。
被告人たちも彼らの言が間違っていることが立証されるまでは他の者と同様に信用される権利を有する。而して被告全員は当法廷にて、彼らの中で中山少尉ただ一人が訊問を行なったことを証言している。取調は中山、井出、福田の外に一、二名の通訳によって行なわれたことは明らかになった。取調は彼らの専門の仕事であり彼ら以外の何者もこれに関与していない。
裁判長殿、最後に私は被告人に対するこの度の告訴は一点の疑問なきまでに立証されねばならぬ。そのため、私は全員に対し法廷は無罪の宣告を与えられんことを、自信を持って主張します。    (了)
「註」エデゴン事件の弁護士は英人「バーンズ」大尉であった。彼が裁判長に提出した英文を訳したもので、穴沢定志弁護士が入手し、ひそかに持ち帰ったのである。
 
この文章の転載はご子息の許可を得ております。
 
   あなたに聖書を
 
 わたしたちは時間の中に生きています。時の流れの中にある、と言ってもよろしいでしょう。昨日までと、今日と、そして明日に向って生きている、ということです。その中で、昨日までのことはもう一度取り戻してやり直すことは出来ません。出来るのは今日のことです。ところが昨日までのことが引っかかっていて、それが何時までも気にかかって、今日を力一杯生きることが出来ない場合があります。いわゆるトラウマと言うやつがあります。また暗い過去を背負っているというような場合もそうです。
 
 一方、それとは逆に、明日のことが心配になって、今日のことに集中出来ないこともあります。仕事やお金が無くなって、明日の生活の目途が立ちそうに無い、と言う場合もそうでしょう。特に病気で癌末期というような場合には、明日が無くなることが予想されます。それは自分が亡くなることです。亡くなる自分が予想されるところで、明日を生きる計画など立てようがありません。不安と絶望に飲み込まれてしまいます。
 そして、このことは、今、元気に生きている人にとっても同じです。必ず死に直面するのです。明日がなくなる、と言う事実に直面するのですね。平気ではおれません。今日を生きる元気などなくなって、ただ、「どうしようか」と思い悩むのではないでしょうか。
 
 問題は、取り替えることが出来ない過去と、確実にあるとは言えない明日を踏まえての今、今日という時をどう生きたらよいか、また生きられるか、ということにあると思いますがどうでしょうか。これはすべての人が抱えている問題でありますが、はっきりしていることは、こういうことについていくら思い悩んでもことは解決しない、ということであります。
 
 この点について、キリストは「明日のことまで思い悩むな。明日このとは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」言っています。からっとしています。マタイ福音書6章にあります。
 聖書はこのように言えるものを提供してくれる書物であります。
 
 
篠田 潔
 
(参照聖句・マタイ6:34)
(電話によるメッセージより・日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
 
 
 
「キリストへの時間」放送予定624560a6.jpg
       (放送開始1952年10月)
 
1月
   1日 戸田安士 (日本基督教団半田教会会員)
   8日 戸田安士 (日本基督教団半田教会会員)
  15日 佐藤康光 (日本基督教団名古屋中央教会会員)
  22日 佐藤康光 (日本基督教団名古屋中央教会会員)
     29日 佐藤康光 (日本基督教団名古屋中央教会会員)
 
       CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ
           毎週日曜日朝6時30分~45分放送
 
  e108aa86.jpg                                                          「ローマ人への手紙」研究 (86)
 第52課 異邦人の召命とユダヤ人の拒否
       9章1~11章36節(続)
E ユダヤ人の拒否は全員ではなく、残される者はやがて救われる。
       11章1~10節 (5)
 
 「では、どうなるのか、イスラエルはその追い求めているものを得ないで、ただ選ばれた者が、それを得た。そして、他の者たちはかたくなになった。『神は、彼らに鈍い心と、見えない目と、聞こえない耳とを与えて、きょう、この日に及んでいる』と書いてあるとおりである」(7~8)。
 
 ここで「追い求める」と訳されている言葉は、「熱心に、懸命に追い求める」という意味です。ユダヤ人たちは熱心に義を追い求め続けました。しかし、彼らはそれを手に入れることに失敗しました。なぜかと言えば、彼らはそれを信仰によらず、行いによって得ようとしたからです。この箇所はパウロが今までに述べてきた論述の要約です。民族としてのイスラエル-すなわち、イスラエルの大多数はそれを得ることに失敗しました。しかし、神は予め知っておられ、お選びになっていた者は、それを手に入れたのです。イスラエルの拒否は全体ではなくて、一部の者であるからには、旧約において神がなさった約束は決して取り消されることはないのです。
 信じて救われたイスラエルは、真のイスラエルであり、古いイスラエルの真のイスラエルの継承者であり、約束の真の受領者なのです。この真理は次のように例証することが出来ましょう。未来のある時に、米国の諸州がロッキー山脈の西側の州を除いて、海の中に陥没してしまうと想定しましょう。この国の大部分はその住民たちと共に、この大災害によって失われてしまうけれども、残っている諸州は依然として米国を形成するのです。それは依然として北米合衆国であり、世界の中で、米国の正統な継承であると見做されるのです。
 同じようにイスラエルの残された者たちは救いを得た真のイスラエルなのです。異邦人のキリスト信者と共に、彼らは旧約の約束の受領者なのです。約束は決して反古になってはいないし、取り消されてもいないのです。その約束は、それを真に与えられた者たち、恵みによって選ばれた者たちの上に確かに成就したのです。
 
 J.G.ヴォス著
              玉木  鎮訳
             (日本キリスト改革派引退教師)
この文章の転載は訳者の許可を得ております。
   祈 り
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♡  2011年を振り返ると暗い出来事ばかりが浮かんできます。若者には厳しい就職戦線、天災・人災の大きな深い心の爪跡は2012年へと持ち越されました。「絆」が支えになることを信じたいです。    
♡  「教会がない 牧師がいない 信者がいない 雪深い村の空よ かの星よ輝け かの星よ輝け ユダヤの町に お生まれになった イエスさまのもとに 三人の博士を導いた かの星よ輝け かの星よ輝け」「水野源三著・第4詩集・み国をまざして」。
この言葉をいただいたのは女子学生の時代からの友だちからでした。その友は、やはり同じように、教会のないところに嫁いで、子育てと農家の嫁とで過ごしてきました。そんな友が、クリスマスカードに書いてくれたのでした。今も聖書の中に挟んであります。汚れてしまいましたが、私の宝物です。         
♡   仮設住宅で初めての冬を迎えます。何もかも未経験なことばかりで、皆さん不安げ
です。何をどのように支えあったら良いのか見当もつきません。それでも私たち60代は
若い者たちになりますから、何とかお役に立ちたいと思っています。寒さと雪が心配です。 
       ******************
憲法第25条(国民の生存権と国の保障義務) すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
② 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
  「みんなでわいわい・ご意見コーナー」
 
孫たちから退院お祝いの綺麗なお花が沢山届きました。ありがとうという気持ちで一杯です。沈みがちな気分の日々でしたが、今は心もお部屋もお花の香りが彩ってくれています。入院中は、何を見ても悲しい気持ちばかりでした。お見舞いに来てくださる方のお元気な様子が妬ましくさえ感じてしまう自分が情けなくなっていました。胸の悲しい傷跡が何もかもが虚しいものに変えてしまいました。そんな気持ちなど全く知らない孫たちのお祝いの「おばあちゃん退院よかったね・・・」に、生きる喜びをもらいました。神様がくださったクリスマスプレゼントでした。
PC190047.jpg                     山口県 O・Rさん
    
山茶花も散り、南天が赤く輝いてます。冬支度の動物たちは生きるために柿の実を目指して家の近くに下りて来ます。つい数十年前までは山奥にいた動物が庭先に来るようになったのにはいろいろ理由があります。高齢化して山里と民家の区別がなくなっこともありますが、何よりも人間が山奥にまで入れるようになったことです。山菜採りも一日仕事だったのが、近くまで車で出かけられるようになって、猿や猪の生息地に入り込んでしまったことも大きな理由でしょう。「共生」という言葉は、それまでなかったことばです。「折り合い」を付けて生きてきた人間の知恵と掟が自然破壊と環境破壊と共に消えていったように思えてなりません。野生の動植物が住みにくいことこそ考えなければならないことだと思っています。小さな活動ですが、毎年、夏休みには山の手入れの作業に参加しています。
                     栃木県 D・Oさん 
 
  『ありがとうございます』
36ec35e2.jpg 
中学時代の友人から初めてクリスマスカードをもらいました。五十年以上も途絶えていた者同志に「つのぶえジャーナル」がその橋渡しをしてくれました。ふる里サッポロの思い出は降りしきる雪の中の教会に集う方々とその歌声です。今は、多くの方々から頂くメールやクリスマスカードで心豊かにされ、新しい年を迎えることが出来ました。今年も、皆様にお応えできる「つのぶえジャーナル」を目指してまいります。どうぞよろしくお願い申し上げます 。皆様の上に神様の祝福が豊にありますように、お祈りいたします。
                             長村秀勝
     
『つのぶえジャーナル』のための寄付者
 
岡田千歳様 馬場暁美様 金田好美様 小幡伸幸様 小幡美智子様 古屋愛実様 
匿名3名様
 郵便振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社
 
クリスチャン音楽家を支える会』への寄付者
匿名様
便振替口座番号 00870-2-92464 クリスチャン音楽家を支える会

‘11年11月16日から12月15日まで
    今月のことば
 
「この卑しい女をさえ、心にかけてくださいました」。
                 =ルカ1:48=
多くの人は「クリスマス」という言葉を知っています。その時だけは戦火は止み戦場が静けさを取り戻したそうです。本当に不思議な時です。イエスの誕生も不思議です。
 
人の子を9ヶ月胎内に宿して産むことを許されたマリヤの言動も不思議です。そうしてそのもたらす出来事も不思議です。疑いもなく世界の出来事でただ一度だけのことが起こりました。このマリヤ以外、誰一人マリヤのような体験はしていません。マリヤは、言葉は適切でないと思われる人もおられましょうが、神様のある目的の実現のための道具となり、神様の目的の器となり、担い手となりました。
マリヤはどんなに悩んだでしょうか。こんな神の力と栄光を宿すということなど考えられないことです。この女性は特別な人ではなかったでしょう。普通の未婚の女性です。この女性が「女の中で祝福されたかた」(1:41)人であり、「恵まれた女」(1:28)と呼ばれるのです。この女性は、世界を救い、死と悪魔に対しての勝利は、この人の母胎にゆだねられたのですから。
私たちをなお不思議へと導きます。「なぜ神様の摂理は、他の女性ではなくこの人を選んだのでしょう。なぜこのマリヤが神様の目的を担う者であったのでしょう。誰が許されたのでしょう」。
彼女に何か特別な長所を捜し求めたとするなら、一つのことを見つけ出すでしょう。それは「卑しさ」という途方もないものです。「卑しさ」は人の一番嫌うものです。
彼女のあることの何かが、また彼女の何かが、彼女を「選ばれた者」にしたのは、何かがあったからではなく、彼女には「無いところの何かが」彼女を「選ばれた者」にしたのでした。
それは「この卑しい女をさえ、心にかけてくださいました」という事実のみが不思議に対する答なのです。
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 プレゼント
 
すばらしいすばらしい
プレゼントはいらない
美しい美しい
カードもいらない
おいしいおいしい
ケーキもいらない
神さまからの
愛のこもった
プレゼントがあるから   水野源三「み国をめざして」第四詩集より 
 
    小閑記
2011110513550001.jpg       
 それだから、神の安息にはいるべき約束が、まだ存続しているにかかわらず、万一にも、はいりそこなう者が、あなたがたの中から出ることがないように、注意しようではないか。
                     =ヘブル4:1=
 
 
この神様のみ言葉の中には、二つの強い対照の上に築かれたように見えても、不思議な調和があります。
一方において、数々のことば、完全な救いと、開かれた扉、そして神様が私たちを守って下さるという、確かな約束があります。誰も私たちを救い主のみ手から奪い取ることはできず、何物も、主イエス・キリストにある神の愛から私たちを離すことは出来ないということです。
 
しかし、聖書の他の箇所では、私たちの危険は大きいと教えています。もし私たちが目的に達したいならば、気を配り、祈り、戦い、魂をきよめ、恐れおののいて救いのために労し、神様を敬うということです。というこの二つの似ても似つかぬことがらが、どうして真実でありえるのでしょうか。それは、前者は神様に関することであり、後者は私たちに関することであるからです。
動かせぬもの、確実なもの、決して失敗しないものは、私たちの救い主であり、父であられる神様の内にあります。神様と共にあれば、私たちは常に安全でありますが、自分たちのことでは、常に不確かで危険が潜み、不安定なのは私たちの心の内にある事柄にあるのです。
 
聖書のみ言葉の中に、「あなたがたの父の許しがなければ、一羽のすずめも地に落ちることはない」。そして、「あなたがたは、多くのすずめよりも、まさった者である」とあります。
このように私たちは神様の内にあって安全であることが出来るのであります。
 
キリストの誕生は、私たちに何をもたらしてくださるのでしょうか。
新しい年への備えは出来ていますか。
 
問1 人のおもな目的は、何ですか
答  人のおもな目的は、神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶことです。
 
 これが、私たちのクリスマス、新しい年への備えです。
 
                上河原立雄 
 
2011110513550002.jpg (ひとみ)

昼間でも寒くなりましたので、仮設の通り道は人影は余りありません。これから来る寒い冬をどう過ごしたらいいのか、全く分りません。被災当時の体育館生活は不便でしたが、淋しくはありませんでしたが、今は誰も訪ねてくれる人はいないという母の悲しい声です。孤立、孤独が母のような一人で仮設にいる方の日々です。毎日朝昼晩の三回電話しています。一緒にと言っても、迷惑かけるからここに居ると言う母です。
千葉県 T・Sさん
 
11月7日と言うのに今日の鹿児島県内は、高気圧に覆われさわやかな秋晴れとなりました。暦の上では冬を迎えるのですが、最低気温は鹿児島市で19度4分と、10月上旬並みの暖かい朝となり、私の日課の朝の愛犬の散歩には大助かりでした。新聞で見たのですが指宿市の農業の方の果樹園で、ミカンの仲間のブッシュカン(仏手柑)が黄色い実をつけたそうです。人の手の指のように枝分かれした奇妙な形で、「フラワーパークかごしま」によると、インド原産のミカン科のかんきつ類で、名前は合掌している手の形に似ていることに由来するそうです。おもしろいですね。
                鹿児島県 B・Yさん
 
夢売り
年のはじめに 夢売りは、
よい初夢を  売りにくる。
 
たからの船に 山のよう、
よい初夢を  積んでくる。
 
そしてやさしい 夢売りは、
夢の買えない うら町の、
さびしい子等の ところへも、
だまって夢を おいてゆく。   金子みすゞ「童謡全集2」
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緑を大切に!
お気持ち一つで!
守ろう自然、育てよう支援の輪を!
書籍紹介
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エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

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教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
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「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

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「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
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「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
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われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

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さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

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