2023年7月号
№193
号
通巻877号
×
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小閑記
このようなわけで、ひとりの罪過によってすべての人が罪に定められたように、ひとりの義なる行為によって、いのちを得させる義がすべての人に及ぶのである。
ローマ5:18
アダムがその種族に残した嗣業は、アダムの罪でした。アダムのからだと血とを受け継いだように、私たちはアダムの罪をも受け継いだのです。アダムの罪過によって全ての人が罪に定められました。アダムの罪過は私たち全てを罪人にしたのです。
誰一人、この冷酷な運命は避けられず、またその性質からこれは取り除くことが出来ないのです。代々にわたって、夜も昼も、人生の赤裸々な真実の姿が、私たちの前に繰り広げられています。しかし、誰一人としてこの事実を理解せず、多くの者は知らずにいるのです。また、次も事実です。それは、キリストが新しい種族の始祖であるということです。この事実によって私たちのために新しい嗣業をかち得たと言うことです。
アダムがその堕落によって私たちに罪と審判をもたらしたように、キリストはその義の行ないによって、私たちに罪の贖いと命を下さったのです。
「アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、キリストにあってすべての人が生かされるのである」。これは、私たちを混乱させますが、打ちひしがれた心は、これを信じる者の中に生きかえり、わからないけれども、私たちの失われた命は叫ぶのです。「これこそわたしたちが得なければならないもの。これこそわたしたちの救い」なのだと。
私たちは、アダムの罪を受け継いだのと同様に、キリストの功績を、私たちの相続と遺産として確かに受け継ぐのです。アダムの肉と血の中に、霊と性質の中にあるものを受け継いだように、私たちはまた、キリストの肉と血と、霊と性質の中にあるものを受け継ぎ、キリストによってアダムから贖い出されるのです。
1 主はいのちを あたえませり
主は血しおを ながしませり
その死によりてぞ われは生きぬ
われ何をなして 主にむくいし
2 主は御父の もとをはなれ
わびしき世に 住みたまえり
かくもわがために さかえをすつ
われは主のために なにをすてし
3 主はゆるしと いつくしみと
すくいをもて くだりませり
ゆたけきたまもの 身にぞあまる
ただ身とたまとを 献げまつらん 讃美歌332番
上河原立雄
このようなわけで、ひとりの罪過によってすべての人が罪に定められたように、ひとりの義なる行為によって、いのちを得させる義がすべての人に及ぶのである。
ローマ5:18
アダムがその種族に残した嗣業は、アダムの罪でした。アダムのからだと血とを受け継いだように、私たちはアダムの罪をも受け継いだのです。アダムの罪過によって全ての人が罪に定められました。アダムの罪過は私たち全てを罪人にしたのです。
誰一人、この冷酷な運命は避けられず、またその性質からこれは取り除くことが出来ないのです。代々にわたって、夜も昼も、人生の赤裸々な真実の姿が、私たちの前に繰り広げられています。しかし、誰一人としてこの事実を理解せず、多くの者は知らずにいるのです。また、次も事実です。それは、キリストが新しい種族の始祖であるということです。この事実によって私たちのために新しい嗣業をかち得たと言うことです。
アダムがその堕落によって私たちに罪と審判をもたらしたように、キリストはその義の行ないによって、私たちに罪の贖いと命を下さったのです。
「アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、キリストにあってすべての人が生かされるのである」。これは、私たちを混乱させますが、打ちひしがれた心は、これを信じる者の中に生きかえり、わからないけれども、私たちの失われた命は叫ぶのです。「これこそわたしたちが得なければならないもの。これこそわたしたちの救い」なのだと。
私たちは、アダムの罪を受け継いだのと同様に、キリストの功績を、私たちの相続と遺産として確かに受け継ぐのです。アダムの肉と血の中に、霊と性質の中にあるものを受け継いだように、私たちはまた、キリストの肉と血と、霊と性質の中にあるものを受け継ぎ、キリストによってアダムから贖い出されるのです。
1 主はいのちを あたえませり
主は血しおを ながしませり
その死によりてぞ われは生きぬ
われ何をなして 主にむくいし
2 主は御父の もとをはなれ
わびしき世に 住みたまえり
かくもわがために さかえをすつ
われは主のために なにをすてし
3 主はゆるしと いつくしみと
すくいをもて くだりませり
ゆたけきたまもの 身にぞあまる
ただ身とたまとを 献げまつらん 讃美歌332番
上河原立雄
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眸
毎月「つのぶえジャーナル」を見ています。最近思うのですが、もし子どもの頃、PDD(広汎性発達障害 (Pervasive Developmental Disorders) だと診断されていれば、親は配慮できますが、何せ注目されるようになったのが、90年代ですから・・・。それで、わたしも生きるのを放棄してしまいした。すべての努力が報われない。今はどう生き延びるかを模索しています。不寛容な社会なんだと思います。少数派は生きづらいですね。多数派に合わせないとつま弾きですから。不寛容な社会は、生存権の侵害だと思います。わたしはそれで死んでもいいと思っていたのです。だから、処方薬とアルコールをちゃんぽんにしていました。部屋に籠って、教会にも行かなくなり(両親はそこまで具合が悪くなったと思ったらしい)、そこへ同じ重荷を負っている人が手を差しのべてくれたので、今この世にいるのです。それでも、何とかマイノリティとして生きています。
東京都 W・Cさん
この秋はいろいろ考えることばかりだ。今年の米の収穫は汚染米としてなら市場には出すことが出来ないのではないかと心配したが、そのようにはならなかったが、来年はどうなるのだろうかと、毎晩集まって話し合うが、見通しがなかなか立たない。台風や冷害には何度も遭遇したが、今回のことは考えられない出来事。米作農業に誇りを持ち、よりよい米作り農家を目指して妻と頑張ってきた。廃業や転職など考えられない。妻も嫌だと言う。同じだ。わたしも嫌だ。今年の冬は出稼ぎだが気が重い。
福島県 T・Tさん
毎月「つのぶえジャーナル」を見ています。最近思うのですが、もし子どもの頃、PDD(広汎性発達障害 (Pervasive Developmental Disorders) だと診断されていれば、親は配慮できますが、何せ注目されるようになったのが、90年代ですから・・・。それで、わたしも生きるのを放棄してしまいした。すべての努力が報われない。今はどう生き延びるかを模索しています。不寛容な社会なんだと思います。少数派は生きづらいですね。多数派に合わせないとつま弾きですから。不寛容な社会は、生存権の侵害だと思います。わたしはそれで死んでもいいと思っていたのです。だから、処方薬とアルコールをちゃんぽんにしていました。部屋に籠って、教会にも行かなくなり(両親はそこまで具合が悪くなったと思ったらしい)、そこへ同じ重荷を負っている人が手を差しのべてくれたので、今この世にいるのです。それでも、何とかマイノリティとして生きています。
東京都 W・Cさん
この秋はいろいろ考えることばかりだ。今年の米の収穫は汚染米としてなら市場には出すことが出来ないのではないかと心配したが、そのようにはならなかったが、来年はどうなるのだろうかと、毎晩集まって話し合うが、見通しがなかなか立たない。台風や冷害には何度も遭遇したが、今回のことは考えられない出来事。米作農業に誇りを持ち、よりよい米作り農家を目指して妻と頑張ってきた。廃業や転職など考えられない。妻も嫌だと言う。同じだ。わたしも嫌だ。今年の冬は出稼ぎだが気が重い。
福島県 T・Tさん
(53)
9月30日
頭にモヤがかかった感じがしています。昨日、15年ぶりに以前働いていたところの同僚と会いました。彼女は、今小笠原の農園で働いていて、農閑期に本州に帰ってきました。いろいろなものが削ぎ落とされて、地に足が着いた生き方をしているなと思いました。
わたしは、自分の話はあまりしませんでした。特にわたし自身の考え方が変わったわけでもなく、ぼんやりと生きているから。アスペであることがわかったのは、大きなことだけど、昔からアスペであったわけだし。結婚も大きな変化だけど、それによってわたしが変わったわけでもなし。ただ彼女が母のことを気にかけてくれたので、実はこうでね・・・という簡単な話だけしました。ホント、刺激に弱いわたし。人が変化はスパイスと言えるのは多数派。自閉症は変化が大の苦手。でも、旧友に会えたのは、よかったですよ。
10月12日
また過食してしまいました。せっかく苦労して体重を落としたのに。でも、食べると落ち着くのです。病んでいる。依存症は治らない。こんな時、自分の病気と捉えないで、意志の弱さ、不信仰と思ってしまう。仮に依存症が直ったら、信仰的になるのだろうか・・・。
そんなことはないだろうなあ・・・・。とにかく、胃が痛かろうが、喉元までこようが、食べ続けることが快感。そして、後で後悔する。これが依存症。
10月13日
飲酒欲求=過食欲求のような気がします。母のことは気になるけど、まだ実家に行けそうにないし。気を抜くとまた太っていくし(太りやすい体質になった)。来年までは絶対電池を切らすわけにはいかないので、体重を増やすわけにはいかないのです。なんかいろいろなことを気に病んでいるのでしょうね。わたしは、すべてに無力ですが、アルコールと食べ物には特に無力なのです。だから、自力でなんともできません。神様の力がなければ、回復できないのです。
加納さおり
猫 草
「そうだ、嬉しいんだ、生きる喜び、たとえ胸の傷が痛んでも」アニメ版のアンパンマンはこんな主題歌とともにはじまる。「何のために生まれて、何をして生きるのか、答えられないなんて、そんなのはいやだ」と、このマーチは続く。
世田谷区では「キャリア教育」ということに力を入れており、様々な機会を通じて職業を学ばせる教育プログラムを取り入れている。
先日も小学1年生が「学校のお仕事たんけん」ということで給食室や事務室、もちろん私の働く図書室にもやってきてインタビューをするという授業があった。「どんなおしごとですか」「何冊の本がありますか」「たいへんな仕事はなんですか」など色んな質問を考えて書いてきたインタビューシートに答えを書き込んで帰っていく。中には「一番長いものがたりは何ページですか」(考えたこともなかった。あわてて探した)。「本はどこで買いますか」(専門の業者に発注するという趣旨を1年生に伝えるのは難しい・・)なんていう難問もあったが、どの子も一生懸命に「おしごと」の話を聞いていった。
長男の中学でも3日間の職業体験というのを実施している。保育園、警察署、本屋、蕎麦屋、スーパー、美容院、法律事務所、動物病院、図書館、フィットネス、幼稚園、消防署、ケーキ屋・・・それは様々な業種・業態の「受け入れ先」へ1グループ5人ほどで実習に行くのだ。近所のスーパーにも中学生たちが実習に来ており、1日目はひたすら黙々とパンを並べていたが、3日目の最終日には「らっしゃいませー」と店員さんそっくりに声を出せるようになっていたのがほほえましかった。実習を終えてどの子も仕事の大変さや厳しさに触れ、少し慣れてやりがいと面白さに目覚め、社会にはいろんな「生きる術」があるんだと思ったに違いない。
とりあえず勉強していい成績をとって、いい学校に行って、いい会社にいって、いい仕事をして・・・こんな曖昧模糊とした未来図より、ずっと身近な「リアル職業」体験は「何をして生きるのか」とのアンパンマンの歌詞の問いに近い感覚だろうと思う。
「今を生きることで、熱い心燃える、だから君は行くんだ、微笑んで」この曲はこんな風にも謳っている。どうぞ子供たちが明るい未来を生きられますように。「時ははやく過ぎる、光る星は消える」のだから。アンパンマンマーチは明るく、そして深い歌である。
その愛のゆえに
=時々の記=
(68)
9月16日
敬老の日が近づいているので、H先生のお母様のお見舞いに一昨日行ってきました。
一か月前はお元気で、ご自分で食事をされていたのですが、肺炎を起こされ、高熱が出たため、市内の病院に入院されていました。そして、Mさんも同じように、口からは、一切何も入れてはいけない状態でした。話しかけると、答えてくださり、あなたのお母さんはだいじょうぶ?と心配をしてくれました。誤嚥性の肺炎だということです。一緒に手を取り合って、お祈りいたしました。いつまでも、私たちは、手を握り合って無言のまま、過ごしました。母のところへも見舞いに行ってきました。兄が作ってくれたお昼ご飯をおいしそうに、感謝していただいていました。お二人のことを話すと、気丈な母ですが、目にいっぱい涙をためて、もうすぐみんな天国で一緒になれるわよね、と強く言いきっていました。あちこちへの訪問で、少し疲れましたが、訪問できることの幸いを覚えるものです。
9月24日
台風が去り、昨日から朝夕めっきり冷え込んできました。
日中は、秋の空が広がってさわやかです。名古屋は台風の被害は大丈夫でしたか。こちらは、前の12号にくらべて、被害は少なくて済みました。散歩していると、ずいぶん、日が短くなり、夜が明けるのが遅れてきたのが感じられます。
目を土手にやると、彼岸花が咲いていました。むこうの畑では、コスモスが一面にさいています。秋がやってきたのですね。あちこちで、今日は運動会のようです。夏休み明けから3週間で子供たちも先生も、忙しく、大変な準備に追われたことでしょう。
近くでは栗も作るや山住まひ
庭仕事終えて爽やか風来る
ミニトマト捥ぐやルビーと光れるを
伊賀山に登れる月の見ゆところ 馬場路哉
今朝は、13度まで下がりました。暖房を入れました。急な温度変化に対応できません。
10月1日
今日から10月、10月号のジャーナルを届けていただいて、読書の秋にふさわしく、よなよな読みふけっています。たくさんの方が愛読してくれているようで本当に感謝ですね。心からのご奉仕に神様が豊かに実を結んでくださっているのですね。
人の力には限界がありますが、神様は、その賜物を生かして用いてくださるのですから、益となって働いてくださるのですね。震災に会われた方が復興の進まない中、焦り、憤りを覚えていらっしゃいます。
どうぞ、そのお一人お一人の上に神様の平安が与えられますようにとお祈りいたします。
さきほどから、花火の音が聞こえてきました。私の務めていた月ヶ瀬小学校で、運動会があるようです。少し寒いですが晴れて何よりです。
10月4日
深まりゆく秋はやはり読書の秋ですね。またこちらは、昨日から朝だけストーブを入れています。日中は青空が広がり、爽やかな秋の日よりとなりそうです。
主人は、山添村の村民体育祭に出掛けました。郵便局に勤めていたつながりで、村の方と今も交流しています。急な冷え込みはとても体に悪いです。足の痛みが一層辛くなられるのではと心配しています。
10月8日
北国では、秋はほんのひと時で、あとは長い寒い厳しい冬との戦いですね。被災された方は、慣れない場所で、この冬を越さなければならず、一層、寒さが募ることと案じています。赤いリンゴを店頭で見かけるようになりました。赤は元気の色と言われていますが、今年のリンゴはいつもと違って、悲し気です。味はほんのりと酸っぱく、青森の味、長野の味とそれぞれ、味わいのあるリンゴとして大きくなっています。
頑張っておられる被災地の方を思い起こしながら、北陸の味をできるだけ食卓に並べて少しでも、その気持ちに近づけるようにと、努めています。ここ数日、秋日和です。
田舎の祭りが来週にあります。夜には、笛の音色が若者のいなくなった村を象徴するかのように、かすかな音として、よほど耳を澄まさないと聞こえなくなりました。
高齢者の村の代表です。皆、活力ある若者は名張、大阪、奈良市に出て行ってしまいます。
教会と似ていますね。教会は高齢者で、保たれていたのですが、その方たちが次々と弱ってしまわれました。信仰の継承と言われていますが、今、企業は厳しく、土曜、日曜も、出勤しなければならず、大変です。ですから、教会に行けない方は、このようにジャーナルを発信していただいて、とても喜んでいると思います。
ジャーナルのために、いつもお祈りしています。神様を知る機会が与えられますようにと。
台風下疾走すなり赤バイク
暴風雨あらがひ(抗ひ)みんみん鳴かんとす
虹かかる脚に入れば色見えず 馬場路哉
祭りが近づくと、どこの家も競い合うかのように、きれいに掃除が行き届いていきます。
今主人は、必死で家の周りの草刈に精をだしています。犬たちは、草刈り機の音にも慣れて、何の反応も示さず、日向で寝そべっています。
10月11日
祈りつつ、一日一日を感謝して、歩んで行きたいものです。今朝も、ジャーナルを読み始めることから、一日のスタートです。今日は吉岡先生訳の「十字架を負う忍耐について」を読み、思いを深めることができました。
パウロの、私たちは、四方から、艱難を受けても窮しない、途方にくれても行き詰まらない。迫害にあっても見捨てられない。倒されても滅びないとの聖句から強められています。そして、主は、悲しむものに祝福を宣言されたと。ありました。
主を信じる者は、喜びだけでなく、イエス様が悲しみのあまり死ぬほどであったと言われた言葉にあるように、悲しみに暮れることの多さを教えられ、励まされたのです。
感謝して。
台風禍訪ねる電話二つあり(東北のいとこたちから)
道端や乙女のごとく野菊咲く
草刈り機使いあぐねて葛を刈る
ラヂオ体操仰げるときのいわし雲
面影やツユクサ見ればありありと 馬場路哉
馬場暁美
(上野緑ヶ丘教会員)
ジャン・カルヴァン著
ヘンリー・J・ヴァンアンデル編
吉岡 繁訳
第3章 十字架を負う忍耐
10 十字架は従順を促進する
1 わたしがこれらのことを言うのは、敬虔な人々が絶望に陥らないようにするためである。すなわち、彼らが悲しむという生まれつきの傾向から抜け出ることが出来ないとして、忍耐への熱心を直ぐに放棄してしまうことがない様にするためである。というのは、忍耐を無感覚とすり替え、人間が感覚のない物体となるとき、強く勇気がある、と主張する者たちの行きつくところが絶望だからである。
それに引き換え、聖書が聖徒たちの忍耐をたたえているのは、彼らが逆境に激しく苦しめられながらも、砕かれず、打ち負かされず、ひどく悩まされながらも、霊的な喜びに満たされ、さらに憂いのために心重く、疲れきっているのに、神の慰めによって、喜びおどっているときである。
2 しかし同時に、彼らの心の内には、戦いがある。というのは、われわれの生まれつきの感情には、敬虔に反することを避けるし、恐れるからである。ところが、敬虔を求める熱心は、この困難の中で戦って、神の意志に従おうとする。
この戦いのことを、主はペテロに次のように語られた。「あなたは若かった時には、自分で帯をしめて、思いのままに歩きまわっていた。しかし、歳をとってからは、ほかの人があなたに帯を結びつけ、行きたくないところへ連れて行くであろう」。ペテロが、その死によって神の栄光をあらわすように召されたとき、いやいやながら抵抗してそうしたのではおそらくなかったであろう。もしそういうことであれば、彼の殉教は少しの賞賛にも価しなかったであろう。
しかし、最高度の熱心をもって、神の意志に従ったとしても、彼は人間としての感情を捨てしまったわけではないから、内面的な戦いによって心乱されたのである。つまり、自分のために準備されている流血の死を考えた時、恐怖に怯え、逃れることを望んだであろう。しかし、神が自分をそれに召されていると思った時、彼はこの恐怖を抑え、むしろ進んで、否、喜びをもってそれに服したのである。
3 したがって、キリストの弟子であろうと願うなら、神を大いに敬い、服従の思いで心が満たされるよう願わなければならない。そうしてはじめて、反対する一切の感情に打ち勝ち、神の計画に服することが出来る。どのような苦しみを担うことがあっても、最も深い心の苦悩の中にあっても、こうして忍耐を常に保つのである。
逆境は、常に棘(とげ)をもって、われわれを傷つけるからである。
病気で苦しめられると、呷き嘆き、回復を祈り求める。
貧困に抑えつけられると、孤独と悲しみを感じる。
中傷され、軽蔑され、腹を立てさせられると、平安を失う。
友の葬儀に列席しなければならないとき、涙を流すのである。
4 しかし、われわれをその御旨に従わせるために、主が悲しみを企てられるという慰めに、常に帰ってこなければならない。悲しみと呷きの涙の苦しみの中にあってもこのことを思って、自分を励まさなければならない。それは、嵐が頭上を吹き過ぎて行く時、われわれの心が喜んで耐えるためである。
ヨハネ21:18
(つのぶえ社出版) この文章の掲載は訳者の許可を得ております。
『旧・新約婦人物語』(27)
オルパとルツ
ルツ記
私たちはナオミと二人の嫁について学びましたが、ここではその続きです。オルパは姑ナオミと別れて自分の家に帰り、ルツは姑と共にベツレヘムへ帰りました。
なぜ、オルパだけが偶像崇拝の盛んな自分の国へ帰り、ルツが姑と行動を共にしたのでしょうか。オルパとルツとは同じように神の摂理とお導きによって、真の神を信じている家族の人となり、神を知る機会を与えられながら、どうしてオルパは偶像に帰り、ルツだけが神を信じる信仰を貫いたのでしょうか。これは、オルパの方が形式的に、機械的に主人の信仰を受け入れていたのに対して、ルツは精神を尽くして、まことの神を信じていたことによると思います。人の信仰は、平素においてはその真偽がなかなかわかりませんが、一旦、困難に合うとその真偽・深浅のほどが、はっきりしてきます。
オルパはモアブへ帰るという外的な出来事のみでなく、彼女は永遠の滅亡への道を自分で選んだのです。この態度と対照的なのはルツです。彼女も結婚前は、オルパと同じく間違った偶像崇拝の環境に育ちました。しかし、彼女の優れた点は、その間違った信仰を捨てて、ナオミの信じている、真の神を選んだことです。
その時のルツの言葉は、「・・・わたしはあなたの行かれる所へ行き、またあなたの宿られる所に宿ります。あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神です。あなたの死なれる所でわたしも死んで、そのかたわらに葬られます」(1:16から7)と。
なんと素晴らしい告白ではありませんか。美しいといっても、これほどの言葉は他に見当たらないでしょう。この言葉は人が世にある限り忘れられることはない、地球の全地に語り伝えられる有名な言葉です。まことの信仰なくして、どうしてこのような告白ができましょうか。ルツの偉大な性格はこの言葉によく現われております。彼女はまことに世界で指折り数えられる人物の一人となったわけです。
ルツ記は、わずか4章、85節からなる短い書物です。初めから終りまでよく読んで下さい。すぐ気付くことは、信仰と恵みとの関係が、はっきり現われているのです。神様は、ルツの信仰を恵み、ベツレヘムに行ってから、立派な夫が与えられ、そのうえに男の子を授かり、恵みに恵みが加えられて、ルツ自身があの有名な、ダビデ王の曽祖母になり、キリストの先祖の一人となって、マタイ福音書1章5節にその名を残しています。彼女の光栄や思うべしです。
この二人の嫁たちによって多くの教訓を学びます。
1 真の救いへの道を拒むことが、どんなに恐ろしいことか。オルパは神を信じるよい機会を一度ならず与えられれながら、その機会を見逃しています。マタイ福音書19章には、富める青年が、せっかくキリストにお目にかかり救いの道を求めながら、世の富に心引かれて千載一遇ともいうべき救いの機会を逃したように、オルパもせっかく与えられた救いの道を逃してしまったのです。
ここで、わたしが悲しく思うことは、この日本において、救いの道に導かれた人たち(決心者、求道者)が多いにもかかわらず、信者となられる人は、日本の全人口の1%にも達しないのです。どうして救いの道に導かれながら救いを受け入れないオルパのような人が多いのでしょうか。
現在、日本に派遣されている宣教師の数は、新教渡来以来最高の数であると言われています。それに比べて、どうして教会や信者が増加しないのでしょうか。これは私たちの反省も必要ですが、またこのオルパ式の人が多いからではないでしょうか。人は命の道を選ぶか、滅亡の道を選ぶかの岐路に立たされているのです。
2 ルツのこの変らないしっかりした信仰は、私たちのキリストに対する信仰の態度でなくてはなりません。
「わたしはあなたの行かれる所へ行き、またあなたの宿られる所に宿ります。・・・あなたの死なれる所でわたしも死にます」。
このルツの言葉は、私たちのキリストに対する信仰でなくてはなりません。私たちは絶えずキリストと共に歩み、キリストと共に生き、一度信仰を志したなら後を振り返るのは大禁物です。振り返る心には緩みが生じ、オルパの二の舞えを演ずるでしょう。キリストの行けと言われる所へ行き、キリストの為せと言われることを為し、生きるも死もキリストと共であること、これがキリスト者の生活です。
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。
オルパとルツ
ルツ記
私たちはナオミと二人の嫁について学びましたが、ここではその続きです。オルパは姑ナオミと別れて自分の家に帰り、ルツは姑と共にベツレヘムへ帰りました。
なぜ、オルパだけが偶像崇拝の盛んな自分の国へ帰り、ルツが姑と行動を共にしたのでしょうか。オルパとルツとは同じように神の摂理とお導きによって、真の神を信じている家族の人となり、神を知る機会を与えられながら、どうしてオルパは偶像に帰り、ルツだけが神を信じる信仰を貫いたのでしょうか。これは、オルパの方が形式的に、機械的に主人の信仰を受け入れていたのに対して、ルツは精神を尽くして、まことの神を信じていたことによると思います。人の信仰は、平素においてはその真偽がなかなかわかりませんが、一旦、困難に合うとその真偽・深浅のほどが、はっきりしてきます。
オルパはモアブへ帰るという外的な出来事のみでなく、彼女は永遠の滅亡への道を自分で選んだのです。この態度と対照的なのはルツです。彼女も結婚前は、オルパと同じく間違った偶像崇拝の環境に育ちました。しかし、彼女の優れた点は、その間違った信仰を捨てて、ナオミの信じている、真の神を選んだことです。
その時のルツの言葉は、「・・・わたしはあなたの行かれる所へ行き、またあなたの宿られる所に宿ります。あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神です。あなたの死なれる所でわたしも死んで、そのかたわらに葬られます」(1:16から7)と。
なんと素晴らしい告白ではありませんか。美しいといっても、これほどの言葉は他に見当たらないでしょう。この言葉は人が世にある限り忘れられることはない、地球の全地に語り伝えられる有名な言葉です。まことの信仰なくして、どうしてこのような告白ができましょうか。ルツの偉大な性格はこの言葉によく現われております。彼女はまことに世界で指折り数えられる人物の一人となったわけです。
ルツ記は、わずか4章、85節からなる短い書物です。初めから終りまでよく読んで下さい。すぐ気付くことは、信仰と恵みとの関係が、はっきり現われているのです。神様は、ルツの信仰を恵み、ベツレヘムに行ってから、立派な夫が与えられ、そのうえに男の子を授かり、恵みに恵みが加えられて、ルツ自身があの有名な、ダビデ王の曽祖母になり、キリストの先祖の一人となって、マタイ福音書1章5節にその名を残しています。彼女の光栄や思うべしです。
この二人の嫁たちによって多くの教訓を学びます。
1 真の救いへの道を拒むことが、どんなに恐ろしいことか。オルパは神を信じるよい機会を一度ならず与えられれながら、その機会を見逃しています。マタイ福音書19章には、富める青年が、せっかくキリストにお目にかかり救いの道を求めながら、世の富に心引かれて千載一遇ともいうべき救いの機会を逃したように、オルパもせっかく与えられた救いの道を逃してしまったのです。
ここで、わたしが悲しく思うことは、この日本において、救いの道に導かれた人たち(決心者、求道者)が多いにもかかわらず、信者となられる人は、日本の全人口の1%にも達しないのです。どうして救いの道に導かれながら救いを受け入れないオルパのような人が多いのでしょうか。
現在、日本に派遣されている宣教師の数は、新教渡来以来最高の数であると言われています。それに比べて、どうして教会や信者が増加しないのでしょうか。これは私たちの反省も必要ですが、またこのオルパ式の人が多いからではないでしょうか。人は命の道を選ぶか、滅亡の道を選ぶかの岐路に立たされているのです。
2 ルツのこの変らないしっかりした信仰は、私たちのキリストに対する信仰の態度でなくてはなりません。
「わたしはあなたの行かれる所へ行き、またあなたの宿られる所に宿ります。・・・あなたの死なれる所でわたしも死にます」。
このルツの言葉は、私たちのキリストに対する信仰でなくてはなりません。私たちは絶えずキリストと共に歩み、キリストと共に生き、一度信仰を志したなら後を振り返るのは大禁物です。振り返る心には緩みが生じ、オルパの二の舞えを演ずるでしょう。キリストの行けと言われる所へ行き、キリストの為せと言われることを為し、生きるも死もキリストと共であること、これがキリスト者の生活です。
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。
ビルマ
戦犯者の獄中記 (10) 遠山良作 著
昭和21年
5月30日
-「エデゴン」事件弁護の概要-(「バーンズ」大尉の弁論)・・・2・・・
最初に法廷は医療の必要なるときは、与えられたることを認む。次に東大尉は、留置所の巡視に際し要求を受けたることなく、中山少尉は医療の必要なる者にはそれに即応するが如く処置したることを語れり。東大尉が「マラリヤ」に関してもその責任を問わるるが、「マラリヤ」は幾多の印度人の慢性病なり。19日間の留置中に証人は全部「マラリヤ」蚊に刺され「マラリヤ」にかかりたりと言えるは、「チャンチャラ」おかしい。
さて彼が拷問に立会い、かつ自ら手を下したと言う証言につき東大尉は、絶対的に訊問に立会いたることなしと言明し、かつ、分隊長は通常訊問せずと申し立つ。彼の行動をよく知る二名、即ち中山少尉と中島軍曹は彼の言を裏書す。中山軍曹は「東大尉は取調べに当り立会いと訊問を指導せず」と言う。-中略-部下の行動に関し命令或いは黙認せざる限り責任なし、ましてや人命に関するが如き犯罪的職務怠慢なく、留置場において誰も死亡せず、元気溌剌としてこの法廷に現われたり。よって東大尉は無罪たるべし。
次は中山少尉である。彼が言うには、現在被告とされている者の中で取調べの現場にいた者はいない。東大尉より取調べの要領について指示はなかった。彼自身第一日目に取調べをしたと言っている。そして水責めをしたこと、特に「ラーマン」及び「ノーメル」に対して行なった。本人は証言台に立つ前から事実を語るつもりでいた故、法廷一同は彼の言を特に注意して聞いてもらいたい。彼はやった事の半分を語っても何の意味もない、彼は全部真実を語っている。責任を逃れようともしていない。日本陸軍の少尉または、他国の少尉が「ハーグ」条約について知るよしもない彼は自分の徳義を守って語ったのである。
彼は国のために尽くすべく速やかに情報を出さなければならなかった。彼の行動は誤っていたかも知れなかった。面白半分にやったのではない。他に余り言うことはない。半「ヒステリ」の証人たちの言うことより彼の言うことを信ずるのがあたり前だ。
この文章の転載はご子息の許可を得ております。
戦犯者の獄中記 (10) 遠山良作 著
昭和21年
5月30日
-「エデゴン」事件弁護の概要-(「バーンズ」大尉の弁論)・・・2・・・
最初に法廷は医療の必要なるときは、与えられたることを認む。次に東大尉は、留置所の巡視に際し要求を受けたることなく、中山少尉は医療の必要なる者にはそれに即応するが如く処置したることを語れり。東大尉が「マラリヤ」に関してもその責任を問わるるが、「マラリヤ」は幾多の印度人の慢性病なり。19日間の留置中に証人は全部「マラリヤ」蚊に刺され「マラリヤ」にかかりたりと言えるは、「チャンチャラ」おかしい。
さて彼が拷問に立会い、かつ自ら手を下したと言う証言につき東大尉は、絶対的に訊問に立会いたることなしと言明し、かつ、分隊長は通常訊問せずと申し立つ。彼の行動をよく知る二名、即ち中山少尉と中島軍曹は彼の言を裏書す。中山軍曹は「東大尉は取調べに当り立会いと訊問を指導せず」と言う。-中略-部下の行動に関し命令或いは黙認せざる限り責任なし、ましてや人命に関するが如き犯罪的職務怠慢なく、留置場において誰も死亡せず、元気溌剌としてこの法廷に現われたり。よって東大尉は無罪たるべし。
次は中山少尉である。彼が言うには、現在被告とされている者の中で取調べの現場にいた者はいない。東大尉より取調べの要領について指示はなかった。彼自身第一日目に取調べをしたと言っている。そして水責めをしたこと、特に「ラーマン」及び「ノーメル」に対して行なった。本人は証言台に立つ前から事実を語るつもりでいた故、法廷一同は彼の言を特に注意して聞いてもらいたい。彼はやった事の半分を語っても何の意味もない、彼は全部真実を語っている。責任を逃れようともしていない。日本陸軍の少尉または、他国の少尉が「ハーグ」条約について知るよしもない彼は自分の徳義を守って語ったのである。
彼は国のために尽くすべく速やかに情報を出さなければならなかった。彼の行動は誤っていたかも知れなかった。面白半分にやったのではない。他に余り言うことはない。半「ヒステリ」の証人たちの言うことより彼の言うことを信ずるのがあたり前だ。
この文章の転載はご子息の許可を得ております。
あなたに聖書を
「コンプレックス」という言葉は、こんにち、わたしたちの間では、「劣等感」と言い表す言葉として使われています。これは、自分以外の人が持っている様々なものを意識することから、それとの比較対照をして、それが優れているか劣っているかなどの価値判断をすることによって起こってくる心の動きであります。その結果、優越感を覚えることもある反面、劣等感にさいなまれることもあるわけですが、特に劣等感をどう克服するかが課題であります。
パウロという人は、若い頃から、自分に自信を持っていた人でした。ところが、「肉体に一つのとげ」を持っていた、と言います。それは体のどこかに、何らかの障害があったということです。パウロが書いた手紙の中には、それが「人から蔑まれる」ことにもなるようなことであったと書いてありますから、このことにパウロのコンプレックスがあったように思われます。
そこで、パウロは「この肉体のとげを取り除いてください」と神に祈ったといいます。それは、彼が神様から与えられている自分の使命としての伝道の働きが、妨げられることがないために必要なことであると思ったからでした。
ところが、神から得た答えは「私の恵みは、あなたに対して十分である。わたしの力はあなたの弱いところにこそ働くのだ」ということでした。こういうことが分ったことによって、彼は「わたしは弱さを誇ろう」という人になりました。もし、パウロに肉体に一つのとげがなかったならば、彼の働きは、パウロ自身の働きとして高い評価を受けたことでしょう。しかし、パウロの「肉体にとげがあった」から、それによって、パウロを超えて働く神の恵みや力を受けることができた、というのです。
とすれば、自分の価値判断をもって全てとすることないし、劣等感にこだわったままでいることもない、ということになります。むしろ弱さの中にこそ、そこに神が働いて、神の力が発揮される、というのであります。こういう、いわば神様と子の関係における秘訣とも言うべきものを、聖書を通して学び取っていただきたいと願っています。
篠田 潔
(参照聖句・Ⅱコリント12:1~10)
(電話によるメッセージより・日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
「キリストへの時間」放送予定
(放送開始1952年10月)
11月
6日 小野経男 (岐阜済美学院 学院長)
13日 笠井恵二 (岐阜済美学院 宗教総主事))
20日 志村 真 (中部学院大学短期大学部 宗教主事)
27日 西島麻里子 (済美高等学校 宗教主事)
CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ)
毎週日曜日朝6時30分~45分放送
「コンプレックス」という言葉は、こんにち、わたしたちの間では、「劣等感」と言い表す言葉として使われています。これは、自分以外の人が持っている様々なものを意識することから、それとの比較対照をして、それが優れているか劣っているかなどの価値判断をすることによって起こってくる心の動きであります。その結果、優越感を覚えることもある反面、劣等感にさいなまれることもあるわけですが、特に劣等感をどう克服するかが課題であります。
パウロという人は、若い頃から、自分に自信を持っていた人でした。ところが、「肉体に一つのとげ」を持っていた、と言います。それは体のどこかに、何らかの障害があったということです。パウロが書いた手紙の中には、それが「人から蔑まれる」ことにもなるようなことであったと書いてありますから、このことにパウロのコンプレックスがあったように思われます。
そこで、パウロは「この肉体のとげを取り除いてください」と神に祈ったといいます。それは、彼が神様から与えられている自分の使命としての伝道の働きが、妨げられることがないために必要なことであると思ったからでした。
ところが、神から得た答えは「私の恵みは、あなたに対して十分である。わたしの力はあなたの弱いところにこそ働くのだ」ということでした。こういうことが分ったことによって、彼は「わたしは弱さを誇ろう」という人になりました。もし、パウロに肉体に一つのとげがなかったならば、彼の働きは、パウロ自身の働きとして高い評価を受けたことでしょう。しかし、パウロの「肉体にとげがあった」から、それによって、パウロを超えて働く神の恵みや力を受けることができた、というのです。
とすれば、自分の価値判断をもって全てとすることないし、劣等感にこだわったままでいることもない、ということになります。むしろ弱さの中にこそ、そこに神が働いて、神の力が発揮される、というのであります。こういう、いわば神様と子の関係における秘訣とも言うべきものを、聖書を通して学び取っていただきたいと願っています。
篠田 潔
(参照聖句・Ⅱコリント12:1~10)
(電話によるメッセージより・日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
「キリストへの時間」放送予定
(放送開始1952年10月)
11月
6日 小野経男 (岐阜済美学院 学院長)
13日 笠井恵二 (岐阜済美学院 宗教総主事))
20日 志村 真 (中部学院大学短期大学部 宗教主事)
27日 西島麻里子 (済美高等学校 宗教主事)
CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ)
毎週日曜日朝6時30分~45分放送
第51課 異邦人の召命とユダヤ人の拒否
9章1~11章36節(続)
E ユダヤ人の拒否は全員ではなく、残される者はやがて救われる。
11章1~10節 (3)
「聖書がエリヤについてなんと言っているか、あなた方は知らないのか。すなわち、彼はイスラエルを神に訴えてこう言った、『主よ、彼らはあなたの預言者たちを殺し、あなたの祭壇をこぼち、そして、わたしひとりが取り残されたのに、彼らはわたしの命も求めています』」(11:2~3)。
パウロは今、イスラエルの残れる者がやがて救われるという真理を述べようとしています。そしてそのために、預言者エリヤの時代の状況を語ります。列王記上19章10節に言及しています。その時代は悪王アハブの治世であって、民の大部分はアハブに従い、エホバより離れてバアル礼拝に進んで行きました。エリヤの時代には、イスラエルの廃教は極点にあったと思われます。
しかし、それは決して全体ではなく、一部の者であり、エリヤの時代においても、なお、信仰ある少数の者が残っていたのです。すなわち、オバデヤがおり、数百人の預言者たちが洞窟に隠れていました。また、真の神に忠実な7000人の者がいて、バアルに膝を曲げず、その像に口づけしませんでした。エリヤの時代の信仰者たちは、全国民の数に比べれば、確かに一握の者でしかありませんでした。しかし、彼らこそ真のイスラエルであり、イスラエル人の中のイスラエルであり、神の民であったのです。
彼らこそ、神が「あらかじめ知っておられたその民」なのです。同じように、パウロの時代にも、イスラエル人の拒否は全員ではなく、神は依然として御自身のために残れる民を持っておられ、彼らこそ真の神の民であったのです。「それと同じように、今の時にも、恵みの選びによって残された者がいる」(11:5)。
「恵みの選びによって」という表現の真の意味は何でしょう。「恵み」とは、単なる「親切」や「顧み」以上のものです。それは「神が受ける資格のない者にお与えになる愛と慈しみ」です。一人の人が神の恵みを受ける理由は、その人の中にあるのではなく、神の主権的な愛と慈しみにあるのです。それについて被造物は、神がそうすることを良しとされたという以外に、如何なる理由も付加することは出来ません。従って、「恵みの選びによる残れる者」とは、神の主権的な選びによって残された者の意味です(比較してください。9:11、11:21,24)。
エリヤの時代において、信仰者の数はエリヤが想像する以上に多数でありました。エリヤ自身だけが神に仕えるために残されていると考えました。しかし、神は7000人以上の者が残されていたことを彼に教えられました。同じように、パウロの時代にも、残される者の数は傍観者が考えるよりも遥かに多かったに違いなかったのです。使徒行伝21章20節でヤコブは数万人の信じるユダヤ人のことを述べています。だから、全てのユダヤ人が捨てられたのではないのです。
J.G.ヴォス著
玉木 鎮訳 (日本キリスト改革派引退教師)
この文章の転載は訳者の許可を得ております。
♡ 福島は初冬です。近所の方も冬に備え忙しくなります。暖房用の燃料の準備も始まりました。特に朝晩には石油ストーブは大活躍になりました。仕事を失い主人は鬱になり、会社を休む方が多く、上司にも給料が少なくなるよと言われ心配されています。でも動けないのですから仕方ないです。私だけでも動けることを感謝しています。今は今の仕事だけで精一杯で、しなければならないこともできないのですが、今は、何んとか生活ができています。
♡ 元気でいるのが当り前と思っていた母が散歩の途中に転倒し、骨折のために入院生活になりました。日頃、人一倍健康に注意し、運動などに励んでいた母でしたから、つい何でも母に頼りきっていたことを反省させられています。娘に、他人事ではないよお母さんだって・・・と言われ、妙に納得してしまいました。
♡ 3歳の息子が小児病棟に入院して6ヶ月になりました。入院時までにはこんな重い病気の子を生んで・・・と泣いてばかりいましたが、今は、周りの先輩お母さんに励まされて、病院で過ごしています。先生やナースさんのお気遣いがとても嬉しいです。・・・。
♡ 娘が管理栄養士の資格を取ってから3年間になります。毎日疲れて帰って来ますので、私が家での管理栄養士?で、当分活躍しなければ、と思っています。わたしにはよくわかりませんが、遅くまで調べ物をしています。費用削減が一番の悩みとか。家計も同じですね。皆さんは如何ですか・・・。
「みんなでわいわい・ご意見コーナー」
定年前から、その後の人生設計を立てていたが家内の病気など考えてもいなかった。突然のことで、全てのものが白紙になった。そうして2年が過ぎた。お互いの身体を心配しながらの生活になったが、楽しむことばかり考えていた人生プランはうすっぺらいもので、そんなものに老後を託していた自分が恥ずかしい。「あなた、ありがとう・・・。いいんだよ」の会話が本当の人生の姿なんだと思う今日この頃である。家内は好きな音楽と讃美歌をベットの上で聴いている。きっと心の中でもう一度礼拝に出たいと思っているだろう。日曜の朝は寂しそうだ。家内用の週報を何度も読み返している。・・・。
兵庫県 K・Yさん
武蔵野の面影を残すこの地に来たのは、学生時代からの夢であった。「武蔵野」という言葉に惹かれたのである。通勤でその武蔵野に住んでも何も分からないまま時が過ぎた。表通りや駅周辺は、職場の都心と変らないが、少し歩くとお宮があり太い幹の木が「武蔵野」を感じさせる。祝日に地図を片手に首には一応カメラを下げて家内と周辺めぐりを始めた。代々続くお店を発見して、こんな地に住んでいるんだと驚いている。そんな満たされた気持ちで飲むコーヒーは格別美味しい。これから、街並み、自然、そして文学散歩へと思いを進めていきたいものである。
東京都 Z・Iさん
定年前から、その後の人生設計を立てていたが家内の病気など考えてもいなかった。突然のことで、全てのものが白紙になった。そうして2年が過ぎた。お互いの身体を心配しながらの生活になったが、楽しむことばかり考えていた人生プランはうすっぺらいもので、そんなものに老後を託していた自分が恥ずかしい。「あなた、ありがとう・・・。いいんだよ」の会話が本当の人生の姿なんだと思う今日この頃である。家内は好きな音楽と讃美歌をベットの上で聴いている。きっと心の中でもう一度礼拝に出たいと思っているだろう。日曜の朝は寂しそうだ。家内用の週報を何度も読み返している。・・・。
兵庫県 K・Yさん
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緑を大切に!
書籍紹介
エネルギー技術の
社会意思決定
日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授
「本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
共著者・編者
鈴木達治郎
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント
スーザン・ハント
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
鈴木英昭著
「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円