2023年7月号
№193
号
通巻877号
×
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祈 り
♡ また地震がありました。原発の状況は今どうなっているのかの新聞やテレビの報道もほとんどなくなっています。また全国から集まった寄付金がうまく活用されていないという報道が以前ありましたが、その後、うまく活用されているのでしょうか。どうもわからないことだらけです。日本の報道はいつものことですが、熱しやすく冷めやすいですね。少しずつでも記事にできないのかな。
♡ 東京で兄夫婦と同居していた母が、自分の住み慣れた家に帰りたいと言うのでそのようにしましたら、いっぺんに元気になりました。母のような高齢の方がいろいろの事情で古里から離れた所におられることの大変さを、実感しました。ですから、頑張ってくださいとは言えなくなりました。
♡ 子供たちはテレビはゲームのためだったのが、ニュースに敏感になりました。物音や静けさに恐怖の表情になります。私たちもテレビは生活の情報源ではなく、地震などの災害を知る大切なものなので、子供のことは心配なのですが、一日中付けっぱなしですし、枕元には携帯ラジオは放せません。こんな怯えの生活は何時まで続くのでしょうか。
♡ 石巻にいたころは、海を眺めながら堤防沿いを散歩するのが好きでした。今は、津波の怖さに「二度と住む気にはなれない」。一方で、「戻ってくるよね」と石巻で待つ人たちを思うと心が揺れます。自宅のローンは残ったままです。公営住宅に住めるのは2年間だが、その先については決められません。ただ、一つだけ変ったことは、再び大きな災害があった時は、今度は被災者を支える側になろうと、夫婦二人でよく話しています。たくさんの人の温かさから「人は一人では生きていけない」ということを学びましたので・・・。
♡ 学校も始まり子供たちは出掛けて行きましたが、転校生が多く5年生のクラスが1つ減りました。親の仕事の関係などでこれからも起こることでしょう。これは他人事ではありません。口にしない様にと思いながら、つい不安が出てきます。変更されてもいいですから、先への復興計画を示して欲しいです。もう検討中という言葉はいりません。
♡ 東京で兄夫婦と同居していた母が、自分の住み慣れた家に帰りたいと言うのでそのようにしましたら、いっぺんに元気になりました。母のような高齢の方がいろいろの事情で古里から離れた所におられることの大変さを、実感しました。ですから、頑張ってくださいとは言えなくなりました。
♡ 子供たちはテレビはゲームのためだったのが、ニュースに敏感になりました。物音や静けさに恐怖の表情になります。私たちもテレビは生活の情報源ではなく、地震などの災害を知る大切なものなので、子供のことは心配なのですが、一日中付けっぱなしですし、枕元には携帯ラジオは放せません。こんな怯えの生活は何時まで続くのでしょうか。
♡ 石巻にいたころは、海を眺めながら堤防沿いを散歩するのが好きでした。今は、津波の怖さに「二度と住む気にはなれない」。一方で、「戻ってくるよね」と石巻で待つ人たちを思うと心が揺れます。自宅のローンは残ったままです。公営住宅に住めるのは2年間だが、その先については決められません。ただ、一つだけ変ったことは、再び大きな災害があった時は、今度は被災者を支える側になろうと、夫婦二人でよく話しています。たくさんの人の温かさから「人は一人では生きていけない」ということを学びましたので・・・。
♡ 学校も始まり子供たちは出掛けて行きましたが、転校生が多く5年生のクラスが1つ減りました。親の仕事の関係などでこれからも起こることでしょう。これは他人事ではありません。口にしない様にと思いながら、つい不安が出てきます。変更されてもいいですから、先への復興計画を示して欲しいです。もう検討中という言葉はいりません。
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「緑のカーテン」の言葉で私も初めてチャレンジしました。水やりもきちんとしました。しかし結果は失敗でした。ご近所の奥さんに聞いたら、それはきっと水のやり過ぎよ、と言われました。「にわか」は、何でもダメですね。来年のための予行演習よと慰めています。買物で通る道沿いの軒先には見事な「緑のカーテン」。周りには沢山の鉢植えがありました。そう言えば、私の軒下には何もありません。原因は、水のやり過ぎではなく、全てに未熟でありました。ハイ!
兵庫県 A・Bさん
・・・。私は、毎月更新される「つのぶえジャーナル」の「自閉症者のひとりごと」を見ます。私も同じ傾向にあるからです。人に話しても分かってもらえないし、気のせいよ、考え過ぎよ、いい加減同じこと言うの止めてよ、家族からは無視、機能障害、簡単に言うと治らないといっても分ってもらえない、挙句のはてはKYのわからい女、二次的な精神障害が出てきた薬依存の自分・・・・、どうしたらいいのかなあ、と思っていたら、加納さんのコーナーに出会った。何だか安心して、そこだけコピーしては読み返している。これからもよろしくね!具体的には、1 歯医者や 病院は結果を恐れて逃げてばかりだし 2地震や津波 ・原発などもニュースを見たり聞いただけでも怖く逃げている 3 人間の言葉も怖い 4 将来も心配だ 5 大きな音も怖い 6 雷も竜巻も怖い 7 夜道も怖い 8 お化け屋敷やホラーものも恐い 9 警察官など上から目線の人も怖い 10 ミミズ、 ゴキブリ、 蜘蛛、トカゲ、カタツムリ、セミ、 はちも怖いし 11 実家の母親や主人も怖いし 12 教会で先生とかに背中をポンとやられるのも怖い。 こんなの信仰者ではないよね。 だから私は地獄行きだと思うのです。
愛媛県 S・Sさん
母が希望して旅行した1年半前の那智の滝と景色ですが・・・台風で・・・。親切にしてくださった那智の方々のご無事を祈っていますというお言葉を添えて写真を送ってくださった方。黒姫山の中腹の写真を送ってくださった方の写真を使わせて頂きました。本当に感謝です。
今月号を皆様にお届けできることを感謝しています。そうぞご笑覧ください。また多くの方々にご覧頂けるような、お勧めいただけるような「つのぶえジャーナル」を目指して今後とも精進いたします。ご指導、よろしくお願い申し上げます。(長村)
『つのぶえジャーナル』のための寄付者
和田順一様 和田貴美子様 藤掛朔生様 古屋愛実様 ‘11年8月16日から9月15日まで
神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し・・・。
=創世記1:27=
聖書を初めて開いて出会う最初の箇所が創世記です。そうして、これも非常に驚く言葉がこの1章27節と思われる方も多いと思います。しかし、この言葉で、私たちに、「神は私たち人間を神と向き合う者として、神への対向者として創られた」ということを知ります。
神は、私たちに語りかけることが出来るように、また私たちが神に答えることが出来るように、私たちを「神に向けて」創られていることを知らされます。私たちには、生来、神を讃美することが出来るように、神が私たちを創られたことを感謝出来る者、神に栄光を帰することが出来る者であることをここで知ります。
神は、私たちに言葉を与え、そうすることで、私たちとこの地球と宇宙について懐いておらるみ旨、ご計画を明らかにされます。また、神は私たちを対話の中に入れてくださると言うことは、どう言うことなのでしょうか。それは、私たち人間は祈ることが出来る、またそのようにすることが許されているということです。これは、全被造物の中で、私たち人間のみの特権であり、特典でもあります。それは、そのように創造されたからです。
美しい緑と花を咲かせる木々、優れた知能を発揮する動物でも、言葉をもって祈り、讃美することは出来ません。それはそのように創造されなかったからです。この特権、特典である祈りにおいて、永遠の創造者であり私たちの御父であられる方の中にとどまることを許されている時こそ、私たちは「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し」と言うことの幸いを知るのです。
さて、そのような私たちの現実は、祈りを失い、霊的な関係を失い、神との断絶の中にあることを、改めて知らなければなりません。私たちのこの姿は、朝は動物のように寝足りて寝床から起き、しっかりとした足取りで生活し、夜は寝床に入って五分と経たずに寝入ってしまう。ただそれだけの繰り返しの人生は、幸いと言えるでしょうか。それは、神の似姿とは遠くかけ離れた姿です。
神の似姿に生きる幸いを、本当の生き方にしたいものです。
=庭のブラックべりー=
恐れてはならない、わたしはあなたとともにいる。
驚いてはならない、わたしはあなたの神である。
わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わが勝利の右の手をもって、あなた
をささえる。
=イザヤ41:10=
神は、その愛する者が勇気を失い、全ての希望から離れ、自分にも失望している時、必ず、その病める子供のそばに来てくださる、優しい母のように寄り添って来てくださるお方であるとイザヤは告白しています。神は、その愛する者の流す涙を、その吐く溜息を聞かれると、誰が想像するでしょうか。
「主はその民を慰め、その苦しむ者をあわれまれるからだ」と知ることは何と言う喜びでしょうか。「母がその子を慰めるように、わたしもあなたを慰める。あなたがたはエルサレムで慰めを得る」と言う約束は、本当に希望そのものと言えます。
ある人は、「恐れるな」という言葉を数えた人の言うには、聖書の中に365回もあるというのです。仮にそうであるなら毎日、神の慰めと励ましの中にいることになります。
私たちに大切なことは、この神の愛を事実として知ること、神の愛に信頼して心を開き、生きることです。
<讃美歌301>
1 山べにむかいてわれ 目をあぐ
助けはいずかたより きたるか
あめつちのみかみより
たすけぞわれにきたる
4 み神はわざわいおも さけしめ
疲れしたましいをも やすます
いずるおりいるおりも
たえせず汝(なれ)を守らん
上河原立雄
今年のお盆は、とてもさみしい思いで迎えました。しかし、何時ものように蝉の鳴き声がとても賑やかですが、私たちの悲しみを知っているかのようにも響いてきます。
街中の放射線量を避けるかのように鳴いていたクマ蝉がこちらの山に移動中です。生き物たちも住み心地の良い場所を求めて、必死なのですね。
村や町を離れた人には故郷へ帰ってくるのは、母のもとに帰ってくるかのようです。昔話をしたり、友だちにあったりなど、故郷と言う言葉にはぬくもりがあります。お帰りなさいと迎えることにしました。
岩手県 T・Kさん
生徒のいない学校の裏山は、地域の人が山菜取りに入る山また山です。清らかな冷たい水は今も村の人たちの自慢の一つです。家や田圃や畑は汚染地域から少し離れていますが、こまめに線量計で計っている日々ですが、気になるのは山深い地域の汚染です。山肌を伝って流れを作っている沢は大丈夫なのでしょうか。流れが集まって畑の水源にもなります。今は身近なことに追われて山深いところまでは気持ちは向いていませんが、秋になり葉が落ち、雪が覆う頃までには、きちんとした調査が必要ではないでしょうか。山で生計を立てている方の声は小さくても、東北の山々は自然そのものです。山が汚れていれば、町を流れる川も、そして海に注がれる水のことを考えなければならないのではないでしょうか。
私たちの生活は、長年の山々の恵みの中でのみ成り立っているものです。
宮城県 婦人部
主の御名を讃美します。
今年の夏は天候が不安定ですが、しばらくは暑~い夏の日々が続きそうです。
お体、ご自愛ください。
寒いのよりは暑いのに強いのですが、さすがに寝苦しいですね。エアコンが苦手なので家ではエアコンなしです。だからよけい寝苦しいのですが・・・・。
広島、長崎の原爆と福島の原発、さらに終戦記念日を迎え、すべて人間がやったことであり、人とはなんと愚かな生き物かと思います。
福島原発については、農産物の放射性セシウム濃度について、技術や情報網が発達したために、大きな問題になっています。 確かに大きな問題ですが、66年前にも同じようなことが起こっていたのに、当時から最近までそれを日本人が知らずに、無関心にいただけではないかという気もします。
とにかく、牛と牛飼いの人たちの気持ちを思うと心が痛みます。
愛知県 T・Yさん
(51)
7月14日
最近、何かを考えようとすると、頭の中を音楽が流れて、くるくる回ってしまいます。そんな時、とても不安になり、落ち着きを失い、意味のないことをつぶやいたりになります。医者に相談するとお薬を変えてみましょうか・・・程度で終りです。また始まったと思っているのか、そのような患者さんが多いので、別に・・・になっているのかどっちかだと思うと怒れてきます。
7月20日
自閉症者には、克服できない苦手なものが各人それぞれにあります。そのために、日常生活が滞ります。家事、洗濯、買物、自分の順番でしか何事も出来ない。臨機応変とか、柔軟性とかが極端に苦手なのです。努力とか、訓練の問題ではないのです。自閉症の特徴なのです。主人は最近きれい好きになってしまって、自分で畳をコロコロを入れ替えたり、やたら掃除機をかけたりで、嫌味だなぁ。ホコリじゃ死なないよ。わたしが怠惰で無神経なだけと自分を責めています。流し台も汚ないと文句言われたし・・・。うるさいなぁ、ちゃんと拭いたわい。
8月9日
「アスペルガー流人間関係14人それぞれの経験と工夫」ジュネヴィエーヴ・エドモンズ、ルーク・ベアドン編著/東京書籍」(東京書籍)1600円、という新刊を読んでいます。14人のアスペの人の体験記です。
生まれつきの少数派が、多数派から強いられている多大な努力と困難を知り、そこに手をさしのべるための本です。思わず、わたしもそうだと涙が出そうな事がいっぱい書かれてあります。より多くの当事者はもちろん、多くの人々に読んで欲しい本です。主人にも読んでもらいたいですね。
8月11日
近所付き合い、これだけは、親戚同様、避けては通れない。家には子どもがいないし、どちらかというと、団地全体的に濃厚な付き合いはないのだが、顔を会わせれば挨拶くらいはしなければならない。これが嫌なんだな。そもそも、なんで挨拶なんて、無駄な言葉を口にするんだろう。特にエレベーターの中など、相手は黙っているのもどうかという感じで、話しかけてくる。大抵気候の話だ。今時分だと、暑いですね~って。そりゃ35℃にもなりゃ暑いのは当たり前でしょう。率直なのよ、アスペは。だから、こちらはおうむ返しで、暑いですね~としか言わない。
ゴミの収集日なんて、頼む、誰にも会いませんようにと念じながら、集積所まで行く。
集積所で何人かに出会う(大抵お喋りしてる)と、誰とも顔を合わせないように、おはようございま~す、と言って、ゴミを置いてそそくさと逃げ帰る。なんでそんなに話す事があるんだろう。どうでもいいようなことじゃん。
気を重くするようなことがいっぱいなアスペのわたし。
=ヤマハハコ= 加納さおり
(94)
猫 草
先日、主人の仕事の手伝いで「テープ起こし」をやった。業者さんに頼むと30分で1万円近くかかるのだそうだ。2時間半のヒアリングだったので、かなりの額になる。しかも幾つか納品済の内容が「えーとですね」「あの・・」などもすべて入っていて読みづらい。さらに担当者が理解できなかった単語はすべて***と伏字になっているかカタカナで表記されている。たとえば「サクボオヘイキンマンチョーイ」とある。これは「朔望平均満潮位」。大潮の最高満潮位の平均という意味だ。土木専門用語で、知らないと漢字も頭に浮かばない類の単語である。
こうなると、納品されたものも結局すべて聞き直し、修正を加えていかなくては資料として使えない。それなら最初からきちんと聞いた方がいい。そんなわけで、私も「テープ起こし」を手伝うことになったのだが、やってみていろいろと発見があった。専門家が話すと自分の良く知っている内容や単語は早口になる。略す。言い換える。そのため聞き取りにくくなる。その分野の基礎知識がないと伏字やカタカナだらけになってしまう。
空中に吐き出された蜘蛛の糸のような言葉をかき集め、文字に変換し、話者の思考をたどっていく。話し言葉はとりとめがない。主語や述語、目的語といった文法が明確ではないからだ。それをまず文字に直し、文になるように校正し、さらに重複を省き、或いは省略を補足し、枝葉を整理していく。すると、ようやく文章がたちあがり、「話」の流れが見えてくる。面白い作業だと思う。
翻って、自分が話を聞いているとき、その場「うんうん、なるほどね」と感銘を受け、わかったような気持ちになっているが、どれほど「内容を理解して」いるのかは怪しいものだと思う。「だから○○なのですね」と語りかけられて「そうそう!」と話者に共感しているが、理解には至っていないのである。映画を思い浮かべればわかる。感動の涙を流してもストーリーの説明は難しいではないか。
母国語ですらそうなのだから、外国語のヒアリングがいかに難しいか、よくわかる。これまで「理解」してから「共感」するのだと思っていた。しかしまず「共感」し、そのあと「理解」できるのだ。話者と世界を共有し、その言葉を自分の中で「文章」に変換してはじめて、「理解」に至るのだと。外国語の場合、最初から「理解」しようとするから聞き取れないのだ。まあ共有しようにも単語がわからなければ仕方がないのだが・・。かくも言葉と文字の世界は奥深い。
=アキノキリンソウ=
=時々の記=
(66)
7月22日
我が家も大型台風に直撃されるかと厳重に裏の山がくずれないように、ビニルシートをはったり、大きな木が倒れてこないように、枝を切ったりと整えました。
有難いことに、台風がそれて、大きな被害もなく、ほっとしています。
最近、一人になると讃美歌がくちをついてでてきます。特に、527番が今の私の心境そのものです。時に大きな声で、思い切りうたっています。
和やかな空気となれり扇風機
山越えの道狭まりて滝の音
虫に揺れ微風にゆるる花擬宝珠(はなぎぼし) 馬場路哉
7月26日
一昨日、娘から電話がはいりました。もう八月号の「つのぶえジャーナル」を読ませていただいたと。今の自分に、言っていただいているようで、とても、励げまされているとのこと。
子育てのことでは、奈良ではもう小学校から、塾へ行かせている家庭が多く、その中で、塾よりも外遊びをしきりに娘は奨励していますが、周りの子供たちと、うまく付き合っていくのに、子供なりに、苦労しているようです。
夏休みにはいり、主人に孫の塾の教師として、奈良まで、来てほしい旨の連絡がはいりましたが、主人は、勉強は、教えてもらうのでなく、自分ですること。そしてわからないことは辞書で、調べるようにと伝えていました。
昔は、塾などなく、皆、参考書を片手に自分で勉強したものですが、やはり、時代の流れでしょうか。
竹藪に囲まれタケノコ切り捨てる
旧街道しもつけ(はな)咲ける古井かな
草の戸に定家かづらの花見上ぐ
朝顔のあらぬ方へと蔓(つる)のばす 馬場路哉
8月2日
昨日は、山添村の総合健診に行ってきました。あちこちで知っている方に出合い、久しぶりに世間話に花をさかせました。皆それぞれに苦労をかさねて、年をとっていました。
山添村にきて、36年、私もすっかり山添村の住民になりきっていきました。
健診結果は、2か月後にでます。
馬場暁美
(上野緑ヶ丘教会員)
ジャン・カルヴァン著
ヘンリー・J・ヴァンアンデル編
吉岡 繁訳
第3章 十字架を負う忍耐
8 迫害は霊的喜びをもたらす
1 われわれが正しいことを守ろうとすると、いろいろな虐待や苦しみを経験させられるが、そうした時に、聖書は繰り返して、われわれを慰めてくれる。それで、このような困難を、忍耐と霊的喜びをもって、主の手から受けるのでなければ、まったく恩知らずであると非難されることになる。特に、この種の苦難、すなわち十字架は、信者にとって、最も固有のものだからである。
ペテロの語るところによると、われわれが苦しみを受けることによって、キリストはわれわれのうちで、栄光をお受けになるからである。また、高貴で独立心の強い思いにたいして、不遜な扱いをされるくらいなら、百の死にまさって耐え難いのがわれわれであるため、「生ける神に望みをおいているという理由」だけで、迫害だけでなく恥辱も、われわれを待っている、とパウロは警告している。そして別の箇所で、彼は、自分の例に倣って、われわれが、「悪評を受けても、好評を博しても」、進み行くように励ましている。
2 次に、あらゆる辛さと悲しみの思いを払い除ける時、楽しそうな様子をする必要はない。悲しんで混乱させられず、嘆きで悩まされないなら、聖徒たちは、十字架を負うのに忍耐など必要がないことになるからである。
例えば、貧乏に困難がなく、病気に苦痛が伴わず、侮蔑に悩みがなく、死に恐怖が伴わないなら、これらの苦しみに超然としているのに、何の勇気も節制もいらないことになる。しかし、これらの一つ一つは、それぞれ固有の苦痛をもって、当然のことながら、われわれの心を抑えつけるので、信者は有らん限りの努力を傾けて、その悲しみに抵抗し、それに打ち勝って真の力を発揮するのである。
彼らは、どんなに激しく罵られても忍耐深く、また神への畏れによって、爆発しそうになる短気を抑えるのである。
悲しみや嘆きによって心を傷つけられても、神の霊的慰めの中に憩う時、彼らの喜びと快活さが現われる。
Ⅰペテロ4:14、Ⅰテモ照:10、Ⅱコリント6:8
(つのぶえ社出版) この文章の掲載は訳者の許可を得ております。
『旧・新約婦人物語』(25)
理想的な姑ナオミ
(ルツ記)
この物語は、イスラエルの士師時代の出来事です。
ナオミは夫と二人の子供と共にベツレヘムに住んでいたのですが、その頃、ユダヤ地方は大変な飢饉で、人々は食べ物に困っていました。それで、ナオミは夫のエリメレクに連れられて、二人の子供と共に、隣国モアブへ難を避けたのです。
人の一生の内には、不幸が重なって、どうにもならない時があるもので、ナオミは移住して間もなく夫に死別し、二人の子供を連れて知らぬ他国でさ迷い歩く不幸な身の上となりました。その内、ようやくにして二人の息子にオルパとルツの二人の嫁を迎え、やれやれひと安心と思ったのも束の間、また二人の息子も相次いで亡くなってしまいました。ナオミは重なる不幸で夫と息子をとられ、嫁の他は頼りとなる家族はなく、その上、他国での放浪生活は不安定ででした。その時の彼女の心の内はどうでしたでしょう。彼女の心は自然、懐かしい生まれ故郷のベツレヘムの山野にとび、親戚の人たちや友人の誰かを思うようになりました。
それとなく聞けば、ベツレヘム地方は、神の恵みで飢饉も去ったとのことで、彼女の望郷の念は一層切なるものとなり、ついに帰郷するよう決心いたしました。一人の嫁は何とか出発の準備のお手伝いをして、ナオミと共にモアブへユダの国境まで来ました。この時、ナオミは二人の嫁に向って私は寡婦(やもめ)であり他に子供もなく、あなたたち二人を幸福にすることは出来ないから、実家の父母の元へ帰るようにすすめました。「あなたがたは、それぞれ自分の母の家に帰って行きなさい。あなたがたが、死んだふたりの子とわたしに親切をつくしたようにどうぞ、主があなたがたに、いつくしみを賜わりますよう。どうぞ、主があなたがたに夫を与え夫の家で、それぞれ身の落ち着き所を得させられるように」(1:8~9)。
ナオミは二人を祝福して彼女等に接吻を与えました。二人の嫁は声をあげて泣いたとあるのを見ても、彼女らは嫁姑として、どんなに愛し合っていたかが別れに及んで分ったようです。二人は姑の切なるすすめにもかかわらず、ともにユダヤに連れていってくれるように望んで実家に帰ろうといたしません。ナオミは、わざと声を高くし、「娘たちよ、帰って行きなさい。・・・・あなたがたの夫となる子がまだわたしの胎内にいるというのですか」(1:11)と激しく申しました。
嫁たちはまた声をあげて泣いていましたが、オルパはナオミに接吻して家に帰りました。しかし、ルツはなお傍を離れず、「あなたを捨て、あなたを離れて帰ることをわたしにすすめないでください」(1:16)と言って、彼女の真心を現わしました。
ここで私は、ナオミの態度から見て、二人の嫁の信仰を試しているように思うのです。嫁たちが本当にナオミを愛しているのでしたら、彼女らはナオミの信仰している神を第一として、全てを捨てて、彼女について行くはずです。神は何時も人間に対して、この試問を課しておられるのです。私たちは常に、全てを犠牲にして、神に従うか否かを決心しなければならない十字路に立っているのです。この試験の答として、ルツは正しく、オルパは誤ったのです。ルツはナオミと共にベツレヘムに行くと決心いたしました。
それは生まれた国を離れ、古くから馴染んだ習慣などをすっかり断ち切って、ナオミの国を自分の国とし、その神を自分の神とする決心をすることで、これは大変な勇気と決断がいります。
さて、ナオミはルツを伴ってベツレヘムに帰りました。彼女は旧友たちはナオミの有様を見て、見違えるほど変っているのに、びっくりいたしました。十年前彼女が郷里を出て行く時の若さ、美しさは跡形もなく、彼女の気の毒な有様に皆が同情いたしました。ナオミは彼らに、もうナオミ(楽しみ)と呼ばないでください。マラ(苦しみ)と呼んでくださいと願うほどでした(1:20)。
しかし、ナオミの一生涯を通して見る時、彼女は苦しみのために、自らの名前を変えるほど落ちぶれましたが、これは彼女の生涯の出発点で、幸福への序幕でもあったようです。というのは、ナオミは自分の愛する嫁のために適当な主人が与えられるよう、熱心に祈りながら、努力をしたのです。
それがついに聞かれ、ルツに理想的な夫ボアズが与えられ、孫を抱くことが出来たからです。彼女の幸福な生涯は、これによって開かれたといってもよいからです(4:1~17)。
特に、ここで注目していただきたいことは、神の不思議な摂理によって、この孫が後でダビデ王の曽祖父となり、イエス様の先祖の一人となって、その名が聖書にとどめられていることです(マタイ1:5参照)。
このナオミに学ぶべきことは、
1 神の摂理によって、ナオミは何度も困難な境地に置かれました。けれども彼女は、苦しみの内にも信仰を捨てず、かえって、苦難によって信仰が高められ、大きな恵みと喜びの基となっていることです。
2 ここで姑と嫁との理想的な関係を見ることが出来ます。
他国からもらった自分の嫁に対するナオミの愛の高さ、同情の深さは実に尊いものです。この姑を嫁たちがなつかしむ有様は、本当に人情の花を見るようです。皆さんのご家庭は如何ですか。あなたがたのご家庭にこのような美しい花が咲いていますか。
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。
(ルツ記)
この物語は、イスラエルの士師時代の出来事です。
ナオミは夫と二人の子供と共にベツレヘムに住んでいたのですが、その頃、ユダヤ地方は大変な飢饉で、人々は食べ物に困っていました。それで、ナオミは夫のエリメレクに連れられて、二人の子供と共に、隣国モアブへ難を避けたのです。
人の一生の内には、不幸が重なって、どうにもならない時があるもので、ナオミは移住して間もなく夫に死別し、二人の子供を連れて知らぬ他国でさ迷い歩く不幸な身の上となりました。その内、ようやくにして二人の息子にオルパとルツの二人の嫁を迎え、やれやれひと安心と思ったのも束の間、また二人の息子も相次いで亡くなってしまいました。ナオミは重なる不幸で夫と息子をとられ、嫁の他は頼りとなる家族はなく、その上、他国での放浪生活は不安定ででした。その時の彼女の心の内はどうでしたでしょう。彼女の心は自然、懐かしい生まれ故郷のベツレヘムの山野にとび、親戚の人たちや友人の誰かを思うようになりました。
それとなく聞けば、ベツレヘム地方は、神の恵みで飢饉も去ったとのことで、彼女の望郷の念は一層切なるものとなり、ついに帰郷するよう決心いたしました。一人の嫁は何とか出発の準備のお手伝いをして、ナオミと共にモアブへユダの国境まで来ました。この時、ナオミは二人の嫁に向って私は寡婦(やもめ)であり他に子供もなく、あなたたち二人を幸福にすることは出来ないから、実家の父母の元へ帰るようにすすめました。「あなたがたは、それぞれ自分の母の家に帰って行きなさい。あなたがたが、死んだふたりの子とわたしに親切をつくしたようにどうぞ、主があなたがたに、いつくしみを賜わりますよう。どうぞ、主があなたがたに夫を与え夫の家で、それぞれ身の落ち着き所を得させられるように」(1:8~9)。
ナオミは二人を祝福して彼女等に接吻を与えました。二人の嫁は声をあげて泣いたとあるのを見ても、彼女らは嫁姑として、どんなに愛し合っていたかが別れに及んで分ったようです。二人は姑の切なるすすめにもかかわらず、ともにユダヤに連れていってくれるように望んで実家に帰ろうといたしません。ナオミは、わざと声を高くし、「娘たちよ、帰って行きなさい。・・・・あなたがたの夫となる子がまだわたしの胎内にいるというのですか」(1:11)と激しく申しました。
嫁たちはまた声をあげて泣いていましたが、オルパはナオミに接吻して家に帰りました。しかし、ルツはなお傍を離れず、「あなたを捨て、あなたを離れて帰ることをわたしにすすめないでください」(1:16)と言って、彼女の真心を現わしました。
ここで私は、ナオミの態度から見て、二人の嫁の信仰を試しているように思うのです。嫁たちが本当にナオミを愛しているのでしたら、彼女らはナオミの信仰している神を第一として、全てを捨てて、彼女について行くはずです。神は何時も人間に対して、この試問を課しておられるのです。私たちは常に、全てを犠牲にして、神に従うか否かを決心しなければならない十字路に立っているのです。この試験の答として、ルツは正しく、オルパは誤ったのです。ルツはナオミと共にベツレヘムに行くと決心いたしました。
それは生まれた国を離れ、古くから馴染んだ習慣などをすっかり断ち切って、ナオミの国を自分の国とし、その神を自分の神とする決心をすることで、これは大変な勇気と決断がいります。
さて、ナオミはルツを伴ってベツレヘムに帰りました。彼女は旧友たちはナオミの有様を見て、見違えるほど変っているのに、びっくりいたしました。十年前彼女が郷里を出て行く時の若さ、美しさは跡形もなく、彼女の気の毒な有様に皆が同情いたしました。ナオミは彼らに、もうナオミ(楽しみ)と呼ばないでください。マラ(苦しみ)と呼んでくださいと願うほどでした(1:20)。
しかし、ナオミの一生涯を通して見る時、彼女は苦しみのために、自らの名前を変えるほど落ちぶれましたが、これは彼女の生涯の出発点で、幸福への序幕でもあったようです。というのは、ナオミは自分の愛する嫁のために適当な主人が与えられるよう、熱心に祈りながら、努力をしたのです。
それがついに聞かれ、ルツに理想的な夫ボアズが与えられ、孫を抱くことが出来たからです。彼女の幸福な生涯は、これによって開かれたといってもよいからです(4:1~17)。
特に、ここで注目していただきたいことは、神の不思議な摂理によって、この孫が後でダビデ王の曽祖父となり、イエス様の先祖の一人となって、その名が聖書にとどめられていることです(マタイ1:5参照)。
このナオミに学ぶべきことは、
1 神の摂理によって、ナオミは何度も困難な境地に置かれました。けれども彼女は、苦しみの内にも信仰を捨てず、かえって、苦難によって信仰が高められ、大きな恵みと喜びの基となっていることです。
2 ここで姑と嫁との理想的な関係を見ることが出来ます。
他国からもらった自分の嫁に対するナオミの愛の高さ、同情の深さは実に尊いものです。この姑を嫁たちがなつかしむ有様は、本当に人情の花を見るようです。皆さんのご家庭は如何ですか。あなたがたのご家庭にこのような美しい花が咲いていますか。
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。
戦犯者の獄中記 (8) 遠山良作 著
昭和21年
5月20日
-原告のでたらめな証言続く-
証言台に立って陳述する。検事側の証人は連日にわたって、申し合わせたように私たちを指差しては、取調べの時、酷い拷問を受けたことを強調し、中には涙を流して、当時、拷問を受けた苦しさを訴えた者もいた。私は九名の証人より酷い拷問を受けた旨を指摘された。取調べをしたこともないのに、彼等は私より拷問を受けたという。全く身に覚えのないことである。それには理由があった。
彼等が逮捕される二ヵ月位前より「エデゴン」村に派遣され、部落民と部落に駐留中の印度国民軍の動静を捜索すべく東分隊長より命じられ、この任に当たっていた。そして間もなく二十数名のものが憲兵隊によって逮捕されたのである。彼等は私が逮捕したと思っている。至し方のないことである。私同様取調べをしたこともない者七名は、多かれ少なかれ拷問をした、と証人たちは証言した。一人の証人は出田大佐と東分隊長を指差して、「二人は直接手をくださなかったが、(中島軍曹を指差して)あの者に命じて、電気拷問、水責め拷問を行なった、と証言した」。司令部の高級部員が来て、直接取調べの指揮をするようなことはあり得ないことである。また、補助憲兵である中島軍曹が取調べをするようなこともない。憲兵隊の内部を知る者ならこんな証言が嘘であることははっきりしている。
憲兵側証人九人の証言は終わった。被告席にいる私たち八名のかなで一番少なく検事証人より指名された者は出田大佐、塩田軍曹、小川兵長(補助憲兵で東分隊長の運転手)であったが、三名の者より拷問したと指摘された。
5月22日
-私たちの証言-
でたらめな証人の証言が終わると私たちの証言が始まった。
弁護士の尋問は出田大佐より始められた。司令部の高級部員であり、高級部員が分隊に行って取調べを行うようなことはあり得ないこと、そしてモールメン憲兵分隊に一度も行ったことはないことを陳述した。東分隊長は「この事件については私は井出籠准将と、福田曹長の二人に命じて取調べを担当せしめた。しかし拷問をするようなことは命じなかった。遠山、小林、塩田は当時モールメン市にはいなかったので事件とは関係がない」と証言した。
中山少尉は「水責めによる拷問を二回行った」と正直にこれを認め、その状況を説明した。中島軍曹は補助憲兵であるから取調べをしたことはなく、留置場の監視が任務であること、そして取調べを行なったものは、井出籠准将と福田曹長であったことを述べた。私は当時彼等が連合軍のゲリラ部隊と密かに連絡をし、通敵行為のあった事実を、東分隊長に報告した。この報告に基づいて通敵容疑者を逮捕することに協力したが取調べ及び拷問をしたことのない事実を証言した。
私たちは当時取調べを行ない、拷問を行なった者などを正直に陳述し、検察側の証人がでたらめな証言であることが実証されたと思ったが、裁判官の裁定に不安があるとして、日本側の弁護団よりこの事件を一層明確にする必要があると、井出籠准将、福田曹長には気の毒であるが、実際取調べをした担当二人を証人として申請した。二人は関係のない友が、もし有罪になるようなことがあっては申し訳ないと言って、追加起訴されることを覚悟して証言台に立つことを承諾してくれた。
福田曹長は弁護人側の証人として「私は東大尉の命によりエデゴン村より逮捕した、通敵容疑者の取調べを井出籠准将と二人で行なった。取調べに当たって、真実をなかなか自白しないので、水責めや、電気による拷問をした。私は決して東分隊長から拷問せよと命じられたのではなかった。全ての責任は私たち二人にある」と堂々と証言した。
井出籠准将は病気入院中のため出廷出来ないので、戦犯委員会の聞き取り証書が提出された。文章の内容は「福田曹長と共に取調べを行なった。そして拷問をなしたが他の者は関係していない」旨の内容である。取調べに当たった二人が自分の不利を顧みることなく、事件の真相を恐れることなく証言してくれたことは喜ばしく涙が出た。
原告、被告の証言が終了し、検事の論告、そして弁護士の弁論も終わった。検事は全員に有刑の求刑をした。
15日間にわたる裁判は終了し、弁護団は「福田曹長たちの証言で有利になったけれども、責任者である東大尉と中山少尉は有罪であると思う。特にモールメン分隊と関係のない出田大佐は無罪であることはまず間違いないと思う」と言った。
この文章の転載はご子息の許可を得ております。
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緑を大切に!
書籍紹介
エネルギー技術の
社会意思決定
日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授
「本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
共著者・編者
鈴木達治郎
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント
スーザン・ハント
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
鈴木英昭著
「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円