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2023年7月号  №193 号 通巻877号
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  あなたに聖書を
 
 キリストが弟子たちと共にされた最後の晩餐の時のことが、ヨハネ福音書の13章の後半から14章の始めに、次のように記されています。
 それは、キリストが、弟子たちに、その時の晩餐が、最後の晩餐になることを告げられたことから始まります。弟子たちはそれを聞いて、「先生はどこへ行かれるのでしょうか」と尋ね、そして、「先生が行かれることころへは、わたしたちもついて行きます」と言いました。
 
 キリストは、それに答えて「わたしが行くところへは、あなた方はついてくることは出来ない」と言われました。それは、十字架で死ぬことを覚悟しておられたからです。それを聞いた弟子たちは、キリストが言われたことがどういうことであるか分からないために、心が動揺しました。
 
 それに対して、キリストは「こころを騒がせるな、神を信じなさい」と言われました。そして、その理由として、「わたしの父の家には住むところがたくさんある。わたしは行くのは、あなたがたのために場所を用意するためであって、その場所の用意が出来たら、戻って来て、あなたがたを迎える。こうして、わたしの所に、あなたがたもいることになる。」と言われました。
 
 キリストが「わたしの父の家」と言われたのは、「天国」と呼ばれるところです。キリストは、「わたしがこの世を去るのは、あなたがたを父の家に迎えるために、その場所を用意するためである。だから、こころを騒がせることはないよ」、と言われたのでありました。つまり、キリストは、弟子たちのために、天国に指定席を用意しておいて下さる方である、言うことであります。
 
 「死んだらどうなるのか」と言う質問には、誰も答えられません。が、キリストは、弟子たちに、「わたしのいるところに、あなたがたを迎え、あなたがたは、わたしと共にいることになる」と言われたのであります。
 最後の晩餐は、その意味では、新しい旅立ちへの晩餐であった、と言えます。最後の晩餐が、新しい旅立ちとなることが語られている話であります。
 
s-P8020090.jpg田 潔
 
(参照聖句・ヨハネ13:36から4:3)
(電話によるメッセージより・日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
「キリストへの時間」放送予定
       (放送開始1952年10月)
 
 9月
    4日 田口博之  (日本基督教団名古屋桜山教会牧師)
   11日 田口博之  (日本基督教団名古屋桜山教会牧師)
   18日 矢部 節  (日本基督教団尾張一宮教会牧師)
   25日 矢部 節  (日本基督教団尾張一宮教会牧師)
   
CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ
毎週日曜日朝6時30分~45分放送
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 「ローマ人への手紙」研究 (82)
 第50課 異邦人の召命とユダヤ人の拒否SH3J04210001.jpg
       9章1~11章36節(続)
E ユダヤ人の拒否は全体ではなく、残される者はやがてすくわれる。
       11章1~10節 (1)
 
 パウロは旧約が異邦人の召命とユダヤ人の拒否ということを両方とも述べていることを明白に証明してきました。11章の始めの10節において、パウロはさらに、神はユダヤ人を民族として拒否されたけれども、この拒否は全体的なものではなく、民族の中の残された者はやがて救いに与ることを教えています。
 
 「そこで、わたしは問う、『神はその民を捨てたのであろうか』。断じてそうではない。わたしもイスラエル人であり、アブラハムの子孫、ベニヤミン族の者である」(1)。ここで問われている、「神はその民を捨てたのであろうか」という問いを、9章、10章の言葉から、神はその民を捨ててしまわれた、すなわち、神は御自身が宣言された目的と約束に忠実ではないと推論することにより提起されたのである、とする人々が多いのです。
 パウロが言おうとしていることは、要するに、「9、10章において、わたしが述べたことは、神がその民を捨ててしまわれ、神御自身の言葉と約束を反古にしてしまわれたという意味になるのか」ということです。この問いに対して彼はいつも用いる強い否定の仕方、「神はこれを禁じられる」(日本語訳は「断じてそうではない」)と強く否定しています。
 
次いでパウロは、神はその民を捨てられたのではないことを示す実例を挙げています。パウロ自身がイスラエル人であり、アブラハムの子孫、ベニヤミン族出身のものであるが、自分は決して捨てられてはいないのだと言うのです。彼はイスラエル人であるけれども、神の恵みによって救われて、今では真の神の民の一人、すなわち、キリスト教会の一員として立てられているのである。そして、もしイスラエル人パウロが捨てられていないとすれば、きっと他にも彼のような人々、キリスト信者となったユダヤ人たちが多くあるはずであります。彼らは捨てられず、驚くべきことに救われているのです。従って、イスラエルの拒否は、全員が捨てられることでは決してないのです。少なくとも、いくらかのイスラエル人は救いを受け、真の神の子とされ、神の国の真の民となるのです。
 
 J.G.ヴォス著
           玉木  鎮訳
          (日本キリスト改革派引退教師)
この文章の転載は訳者の許可を得ております。
 
 
  祈 り2011080108500000.jpg
♡  福島の朝晩は秋の気配がします。ススキやトンボが目に付き出しました。秋の仕度をしている時期ですのに、何もかもが不安で手につきません。家畜の世話も出来ません。悲しくて、悲しくて。希望なんて遠くの遠くと言う感じです。
♡  一面に咲くひまわりの花が悲しみや辛さを包んでくれます。「癒し」という言葉は余り好きではありませんが、私を無条件で受け入れてくれるようです。・・・・。
♡  仮設のお年寄りの健康状態が心配です。暑さと孤独と食事や洗濯など、どれ一つ見ても不安の種ばかりです。町の方針で重点的に訪問していますが、具体的には何も出来ていません。悔しいです。
♡  去年まで毎年夏休みには遊びに来ていた孫たちも、今年は来れません。寂しい夏休みになりました。
♡  今年も主人の実家の宮城にお盆休みで家族と行きましたが、子供たちも両親が家を失い、仮設にいることで楽しみのないものになりました。今は影も形もない実家の空き地には草だけが繁っていました。悲しくて、辛くて・・・・。主人は友人を亡くし、呆然として虚ろな目で見ていました。泣いていました。一日だけの実家での時でしたが生涯忘れない一日になるでしょう。
♡  東京で見る新聞には、復旧・復興の文字があります。車で僅か数時間の距離なのに、余震に怯え、何も変わらない瓦礫の姿から、復旧・復興の文字は現実離れの虚しい言葉でしか感じられない。どうしてこんなに違うの・・・と考え込んでしまう。
♡  浜からは防潮林も消えてしまった。がれきの撤去作業は続いている。真っ暗闇のがれきにぽつんと提灯があった。ここが我が家だよと知らせている小さな灯りがせつない。その灯も消えると闇にもどる。2011・3・11の恐怖心を抱えて生きて行くのだろう。
♡  東北も祭りが終わると早々に秋が来ます。その内に辛い冬、屋根の雪下ろしや家の周りの除雪を思うと気が重くなります。お年寄りの方には、辛い冬がもう直ぐ来ます。被災地も同じです。特に仮設住宅の屋根は平ら・・・で、先が思いやられます。
 
       ******************
憲法第25条(国民の生存権と国の保障義務) すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
② 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
s-SH3J03850001.jpg 「みんなでわいわい・ご意見コーナー」
 
長野にいる友だちから最近メールが多くなりました。メールにはありませんが、ふと、長野の松本城の石垣が地震で一部が壊れていたことをテレビで見たことに気付きました。今回の地震・津波・原発事故についても、どこか遠くのこととしかかんじていない自分に気付きました。友だちは、そんなわたしに、身近なことなのよ・・・と教えてくれた気がしました。有り難う。持つものは友人ですね。
                    愛媛県 T・Sさん
 
今朝は少し過ごしやすい感じです。仕事のため今朝の夏も空を見ながらお祈りしています。夏休みの日曜日なので、家族連れでホテルも忙しいです。息子は今日も就職のテストで出発しました。彼も守られているように感じていますが、 1次で通っても、4次の最終試験まで行かない焦りがあります。私は祈ることが出来て幸せです。
これも試されて、そして成長していくのでしょう。
 どうか、息子と一緒の時期に辛い試練と向き合う全ての人の心がささえられますように。
 震災の影響で採用枠の少ない中での戦いに向かう道・・・、孤独にさいなまれる帰り道・・・、迎える家族。どうぞ、気持ちが支えられますように・・・・。
                    大阪府 K・Aさん 
 
8月号の写真を見て私も送信します。毎日買物で通る公園に咲いている花です。わたしたちは暑いだの、大雨だのと愚痴を言っていますが、この花はなにもいわずに、何かを語りかけています。落ち着いてね、そのうち私がいなくなったら、涼しくなりますよ、がまんがまんと・・・とでも。
                    埼玉県 S・Dさん
s-P7240070.jpg  『ありがとうございます』
 
 夏の暑さから秋の涼しさに移ってきました。皆様、夏の疲れが消え去りますようにお祈りいたします。庭にはコスモス、これから川の岸辺の草原や畑の畦道には、目にも鮮やかな真っ赤な曼珠沙華が秋を運んできます。都会の花壇では見られません。不思議ですがいろいろの秋の花はお花屋さんに売られていますが、曼珠沙華の鉢植えは見たことはありません。家の中で見る花と遠目に見る花があって、面白いなあと思いながら、「つのぶえジャーナル」をお届けする作業をしています。
 この小さな事業が、皆様のお役に立てますなら本当に感謝です。どうぞ、今後共、ご支援下さいますよう、お願い申し上げます。     
『つのぶえジャーナル』のための寄付者
石黒功三様 稲田喜水様 三神豊彦様 三神千恵様 馬場暁美様 古屋愛実様
 匿名様2名
 郵便振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社
『クリスチャン音楽家を支える会』への寄付者
便振替口座番号 00870-2-92464 クリスチャン音楽家を支える会
 
アダはヤバルを産んだ。彼は天幕に住んで、家畜を飼う者の先祖となった。その弟の名はユバルといった。彼は琴や笛を執るすべての者の先祖となった(創世記4:20~21)。
‘11年7月16日から8月15日まで
 
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   今月のことば
 
兄弟たちよ。あなたがたが召されたのは、実に、自由を得るためである。ただ、その自由を、肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。
                   (ガラテヤ5:13)
 
 自由という言葉は、とても魅惑的です。地上の大きな財産の一つと言えるほどのものです。しかし、ここで使徒パウロは、「自由は、それが健全なものである限りにおいてだけ、高貴な宝なのだ」と言います。ですから、全ての自由が良いのではないのです。健全な自由があると同時に、病んだ自由もあるのです。
 私たちが、与えまた愛するためにそれを用いる限りにおいてだけ、健全なものであり続けると、私たちに語りかけています。
 パウロは、「兄弟たちよ」と呼びかけています。すなわち、キリストを救い主と信じる私たちに語りかけています。そうして、またその自由の用い方について、私たちが誤用する危険のあることを予め注意しています。それは、自由の名のもとに、人は多くの過ちを犯し、人々を悲しませ、傷つけてきたことは何と多いことでしょう。
 そのためにパウロは、自由はそれを私たちの奉仕に対して、自由として用いる限りの自由としたのです。この自由を、肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えるために、用いると言う制限を示しています。人は、自分の自由(罪の心)のために、人と争い、支配し、人の自由を奪ってきたのです。
 私たちは、外側からの攻撃には心備えはいたしますが、危険なのは、内部からの、内なる自分の敵なのです。
 私たちを真に自由にするのは、キリストにあってのときです。キリストのみが、私たちの心の敵に気付かせ、勝利の道を示してくださるのです。 
 
   砕いて砕いて砕きたまえ
 
御神のうちに生きているのに 自分ひとりで生きていると
思い続ける心を 砕いて砕いて砕きたまえ
 
御神に深く愛されているのに 共に生きる人を真実に
愛せられない心を 砕いて砕いて砕きたまえ
 
御神に罪を赦されているのに 人の小さな過ちさえも
赦せられない心を 砕いて砕いて砕きたまえ
 
           水野源三著・第4詩集「み国をめざして」
 
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   小閑記
       
 あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ心を新たにすることによって、造りかえられるべきである。
            (ローマ12:2)
 
 私たちの身のまわりには、いろいろの約束事があります。時に必要な場合もあります。社会のルールとして守ることは大切です。キリスト者だからといって、赤信号を無視したり、車のスピード違反も心の問題ということには当然なり得ません。しかし、自分の望みを中心に生きるとするなら、そこに危険が入り込み、また潜んでいるのです。
 人の最も興味を持つもの、最も歓びとするもの、自分の利益となるものはとても魅力的です。
時に、それがどんなに罪深く、下品なことでも、あるいは逆に社会的には立派なことでも、人はそれを犯してしまう弱さを持っています。
 
聖書は「神より生まれたものでなければ・・・」と言います。また、キリスト者は新しい人になったと言います。罪の古い残滓を持つ者ですが、新しい人は、自己中心と戦い、キリストにある者として新しい生き方を求めます。新しい人とは、自己中心に従う古い者から、キリストに従う新しい者にされています。ここが大きな違いです。キリストの愛を知り、その愛に生き、この世の名声や基準ではなく、神のみ言葉、神の御心を第一とするように新たにされているのがキリスト者なのです。
 
 あなたの隣り人を愛することは大切です。多くの人は認めるでしょうが、その前に、「主(神)を愛する」があるのです。この大切なことを自覚し、キリストに生きる者に相応しい生き方をもって、世の人々に証ししたいものです。
 
 わが生けるは  主にこそよれ
 死ぬるもわが益 また幸なり
 
 主のためには  十字架をとり
 よろこび勇みて 我はすすまん    讃美歌336番
 
 
 
                上河原立雄 
 
 
(ひとみcedadb94.jpg)
湘南の海は、キラキラ輝いています。定年後を見越して10年ほど前に中古の家を購入し、主人の趣味の大工で今もあちらこちら手を入れて楽しんでいます。定年には今少しゆとりがあるのがいいようです。わたしも、ガーデニング同好会に仲間入りして楽しんでいます。今までの、家事の仕事と子育ての日々が何だか懐かしく思える今日この頃です。
                  神奈川県 S・Dさん
 
多くの被災者の自立生活に必要な仮設住宅ができつつありますが、わたしたちの願いは、高齢者や障害者やその家族が暮らせるケア付き仮設住宅ですが、社会福祉法人の方々のなみなみならぬ努力によって、その目途がたちました。本当に関係者の方々に敬意を表します。被災地には介護や介助を必要とされる方々が沢山おられますが、行政の手はなかなか及びませんでした。そのために避難所生活では一般の方々に迷惑を掛けまいとしている姿を拝見しました。ケア付き仮設住宅の数はわずかですが光が見えてきました。第一歩として単身、世帯用として54室が用意されていると聞いています。嬉しいことです。
                  岩手県  F・Tさん
 
ここ福島も真夏の太陽が容赦なく照りつけています。収穫を楽しみにしていた私たちですが、今は、線量計の表示に翻弄されています。不安の中で生活しなければならないのですが、線量計の数値の中での生活は、不安そのものです。しかし、良いのか悪いのか分りませんが、数値麻痺・無感覚に陥っている自分があります。本当は政府の方々に、ここに来てご自分の家族共々、生活して欲しいと思います。東北人は辛抱強いと言われますが、行き場がないだけのことです。
                  福島県 T・Iさん
 
母からの手紙が机の上にありました。毎日顔を合わせているのに何だろうと開いて見ましたら、Nちゃん頑張っているみたいで嬉しいよ、でも無理しちゃだめよ、もうすぐ誕生日だね、おめでとう!とありました。おかあさんたら・・・と涙が出てきました。お母さんに、ありがとうって言ったら、笑顔で小さくうなずいてくれました。うれしくてメールしました。
                  神奈川県 N・Sさん
   自閉症者のひとりごと46d573be.jpg
(50)
 
6月29日
わたしのB型肝炎は、どう考えても予防接種としか思えません。しかし、なにせ40年も前のことで、物的証拠がありません。母子感染ではないし、輸血も受けていないし、B型肝炎と判明したので、これしか思い当たることがないのです。毎年検査を受け続けて、いつ暴れ出すかもしれないという不安を抱えてきました。幸運なことに感染力はなくなっています。そして今は治療法があり、何よりわたしは生きています。
国が謝罪するのは当然ですが、ここまでくるのに、原告団は大変だったろうと思います。
わたしも人生の半分が過ぎました。たとえ弱くとも、穏やかに生きていかねばと思います。
返信メールの中にありました「礼拝中心の生活」という言葉に、はっとしました。わたしはそれを忘れていました。

 
7月4日
病気の特徴なんですが、天候や気温、街中の騒音や人込みに耐えられなくなってしまいます。また、冷えた室内に長くいると痛みが悪化するので辛いです。痛みだすと止まりませんから・・・。暑さのせいではなく、最近どうも思考がとまっているのです。頭の中に何かがたまっているというか、塊があるというか、とにかく圧迫されている感じの日々です。
 
7月9日
自転車で歯医者に行ってきました。当初の話と全然違って、かなり深い歯根まで達した虫歯だそうで、暫くかかるとのこと。神経を途中まで抜いたので、その時の麻酔がまだ効いていて、歪んだ口をしています。
 
 加納さおり 
 
 
世田谷通信
(93)
猫 草
 
新聞や広告で「がんばろう」の文字を目にするとちょっと身構え奥歯をかみしめてしまう。目をそらすにも、直視するにも無力感と心の弱さがある、そんな気持ちからだろうか。
小学校の図書室の仕事で多くの本と接していると、その絵の美しさ、言葉のやさしさ、世界の広がりに浸ることができる。ゆっくり読んでいる時間はなく、整理や修理、様々な本にかかわる作業の中でぱらぱらと目にするだけなのだが。
しかし小学生に人気のある本は偏っていて限定的。大量の本がほとんど読まれないまま日に焼け、装丁が崩れ、廃棄となる。ライトノベルやケータイ小説の影響は児童書にも及んでいて、軽い文章とイラスト付きの読みやすい内容の本が好まれる傾向がある。もちろんシリーズ大長編をじっくり読む子もいるが、少数派だ。
どんな風に本を紹介するか?図書にかかわるものとして、今月のおすすめ本、季節の特集コーナー、読書マラソンや、読書ビンゴ、読書クイズといった企画もので、少しでも多くの本を子供たちに読んでほしいと工夫を凝らす。先生方にも本を紹介する。行事や授業、様々な事務や保護者のクレームまでも日々こなす先生方には自分たちで本を選び、読んでいる時間はほとんどない。そこで教科書を先に読み、どうぞ次の授業の単元に役立ててください、こんな本があります、とお勧めする。「余計なおせっかいと思われませんように・・」と願いつつs-200908140756000.jpg
最初はほぼ無秩序状態の図書室だったのだが、体系的に本の管理をし、リクエストボックスを置いて子供たちの読みたい本をいれ、できるだけ使いやすく快適な図書室を目指してきたのだが、ようやく基本的な環境が整いつつある。これからはコンシェルジェのように、きめ細かな要求に応えられるようになりたいと思うのである。
現実社会の厳しさは依然としてあり、ときおり不安に包まれもするが、本の中には無限の仮想空間が広がっている。それは時として現実を超え、現実を動かす力を持つ。素敵な本をみつけると、「面白いよ、どうぞ読んでみてね」と思いつつ、手書きのPOPをつけて展示する。そしてその本が借りられたとき、本の世界を共有し、誰かへ本のバトンがわたったことで、「嬉しいな」と思うのである。
  その愛のゆえに
   =時々の記=
    (65)
6月13日
昨夜からの大雨は止みましたが、また雨が降りそうな空です。先日、犬たちとの散歩の最中、今度は、背中から肩にかけてぎくっと痛みが走り、歩けなくなってしまいました。でも、なんとか、犬たちに引っ張ってもらって、家にたどり着くことができました。雨に濡れた服だけは着がえ、一日、布団にもぐって寝込んでしまいました。やはり、歳のせいでしょうか。まったく無理が利かなくなりました。生まれつき、弱い身体をいたわっていかねばと思っています。
スズランの低きに咲ける狭庭かな
トユ掃除さつきの横に梯子かけ
公園の老いの散歩に緑差す
掌中(しょうちゅう)に入るる蛍の灯りをり      馬場路哉
いよいよ、明日、三重大病院行きです。主人に一人で行ってもらうことになりそうです。
 
6月14日
主人は一人で行き、検査結果も異常なしとのこと。連絡を待っている者は、本当に心配しましたが、12時に見てもらう予定でしたが、患者さんが多くて、2時30分まで待ったとのことです。電話でも入れてくれたらほっと安心するのですが、帰ってくるまで、なしのつぶて。でも、本当に、感謝しています。梅雨の晴れ間でしたし、事故に出合うこともなく帰ってくることができたことも感謝です。
 
6月21日
非常に激しい雨が降りしきっていましたが、ようやく、今朝、少し晴れ間がでています。でも、まだ、その蒸し暑さが取れていませんから、これから、また、一雨くるのでしょう。
我が家の庭にも、アジサイが雨に打たれて、紫、ピンク、青の色をつけはじめています。
梅雨には、このアジサイが元気をくれます。昨日、上野緑ヶ丘教会の川合伝道所の会員のおひとり、木村絹恵姉妹が天に召され、葬儀がありました。92歳、車椅子生活になられても、川合の伝道所に来られて、信仰生活を全うされました。父斉藤為吉は、この木村姉妹にずいぶん、助けていただいて、伝道を続けることができたのだと思います。
葬儀の帰り、久しぶりに上野の母のところに見舞いに行くことができました。
木村姉妹のことを伝えると、3年前、今住んでいるところまで、お見舞いに来てくださったと言っていました。母に会うと、いつまでも、元気でいてほしいという思いになりますが、母は、神様がよしと言われるまで、一日いちにち、天の御国をめざして歩んでいるようで、とても明るいのです。
奥伊賀に風あり殊に梅雨寒し
蕗摘むや遅れてかたくなりをるを
荒梅雨や人を見かけぬ過疎の村       馬場路哉
少しの晴れ間を大切に、主人は、裏庭の草を、刈り始めました。あちこちで草刈り機の音が聞こえ始めました。
 
6月30日200907070752000.jpg
昨日、朝5時前、犬の散歩に出かけようとしたとき、犬小屋のアルミサッシに右手親指がはさまれ、するっと皮がむけてしまいました。血がぽたぽた滴る中、まず散歩をおえました。
帰ってきて、すぐに水で洗い流し、母がいつも置いてくれてあった消毒液で傷口をふきましたが、出血がとまらず、痛みも激しくなってきたので、診療所へ駆け込みました。先生は、これは縫わなきゃだめだねといわれましたが、なんとか、縫わずに、治療していただきました。このようなちょっとしたキズでも、不便な生活になりました。しばらく、毎日、診療所へ、かよわなければならなくなりました。
 
7月2日
ジャーナル、毎日、楽しみにして、読ませていただいています。
このように、たくさんの方からのお声、被災地のみなさんは、何とか希望を持って、この時を乗り越えてくださいますようにと、切に祈っています。母校の金城学院からも、被災地への支援活動について、連絡が入りました。伊勢湾台風のおり、全国のキリスト教団体から、支援を受けて、立ち上がることができたので、その恩返しをというのです。さっそく、その活動に賛同いたしまして、少しでも支援につながればと願っています。
里山に芭蕉の若葉吹かれをり
急斜面広く開かれ茶の芽出づ
ざわざわと先きを急げる梅雨出水       馬場路哉
けさも、晴れ上がり、あつくなりそうです。
節電に協力しようと、先日、扇風機を買いました。3000円で、とても涼しい風を送ってくれます。指の怪我は、ようやく痛みが取れてきました。でも、まだ治療に通院がつづきます。これからは注意深く行動しようと反省しています。
 
7月11日
梅雨が明け、暑さが厳しい日がやってきました。名古屋は、こちらと比べ物にならないくらい暑いことでしょう。こちらは、外は35度を超えていますが、家の中は、何とか、30度前後です。扇風機だけで我慢できます。主人は、この暑いなか、草刈り機を抱えて、外へ出ていきました。だれも、この暑い中、草を刈っている人はいません。
十分気を付けて、熱中症にならないように、水分補給をしっかりすることと、疲れたら、木の影で、こまめに休息することと約束して行きましたが、まだ、帰ってきません。でも、どこからも、草刈り機の音がきこえてきませんから、きっと、もう休んでいるのでしょう。
主人は、また、水島さん(上野緑ケ丘教会引退長老)のところにお見舞いに行ききました。
俳句の話しをすると、とても、喜んでおられたようです。
谷の田の荒れて鶯老いを鳴く
山峡の早朝散歩スイカズラ
山峡や万緑を友余生なる          馬場路哉
先日、岩手の従妹から、暑中見舞いが届きました。こちらから、何度電話をかけても、故障中で、電話がつながらなかったので、とても心配していました。住まいが、かなり被害を受け、ようやく7月から、生活ができるようになったとのこと。言葉では言い尽くせないほど、大変だったとのこと。今も家の修理や、周りの方との交わりで、お互いに励ましあっているということでした。どんな時も、希望を持って、前を向いて歩いて行ってくださいと、お祈りしています。
 
馬場暁美
                  (上野緑ヶ丘教会員)
 
 
 
 bde75a7c.jpg                 キリスト者の生活綱要  (24)
               
ジャン・カルヴァン著
                 ヘンリー・J・ヴァンアンデル編
                 吉岡  繁訳
 
  第3章 十字架を負う忍耐
 
  7 迫害は神の好意をもたらす
 
  1 「義のために」迫害を受けるのは、われわれにとって、この上ない慰めの源泉である。そのとき、神が勲章でもってわれわれを飾り、高い栄誉を与えてくださることを思うべきである。福音の擁護のために苦しむ時だけでなく、正しいことを主張して反対されたときでも、わたしはそれを、義のための迫害と呼ぶ。
 神の真理をサタンの虚偽に対抗して守り、善良無垢の人々を不正と危害から保護しようとすると、必ずこの世の憎しみを受けるので、われわれの生命、財産、および名声が危険にさらされる。しかし、われわれは神の軍務についているのに悲しむべきではなく、主がわれわれを、最も幸いな者と呼んでくださるのに、自分を惨めな者と思ってはならない。
 確かに、貧困それ自体は悲惨である。追放、軽蔑、恥辱、入獄も同じである。そして死こそ、全ての不幸の内で最後に来るものであって、最悪のものである。しかし、神がわれわれに好意の息吹をかけられると、全ては共に働いて、われわれの幸福と益のためのものとなる。
 だから、肉的な誤った考えに満足するよりは、キリストに認めてもらうことの方を喜ぼう。そうすれば神が、「われわれを御名のために恥を加えられるに足る者」とされるとき、使徒たちのように、いつでも喜ぶことになる。
 
  2 迫害の価値は何か。
 罪もなく良心的であるのに、もし悪人の悪意によって財産を奪われ、貧しくされたとしたら、われわれはそれによって、神にある天の真の富を増すのである。もし国から追放されたとしても、神との親しい交わりの中に迎えられる。
 悩まされ、辱められたとしても、キリストの内に逃げ込んで、さらにしっかりとキリストに根を下ろす。ののしりと辱めに囲まれたとしても、われわれはそれだけ大きな誉を神の国において受ける。
 虐殺されたとしても、永遠の栄光の中に受け入れられる。永遠に変らない価値のあるものを、この世の影のような過ぎ去る喜びより軽く考えることは、恥ずべきことである。
              マタイ5:10、使徒行伝5:41  
 
(つのぶえ社出版)   この文章の掲載は訳者の許可を得ております。
 
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書籍紹介
    8858e3b6.jpg
エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

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教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
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「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

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「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
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「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
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われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

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さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

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