2023年7月号
№193
号
通巻877号
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『旧・新約婦人物語』(24)
カナンの女性
(マタイ15:21~28)
主イエス・キリストは、この地上で伝道なさいました約3ヵ年の間、ご自身の国であるパレスチナを去られたことはめったにありませんでした。しかし、マタイ福音書15章21節以下に記されています、ツロとシドン地方での出来事は、その例外の一つで、それを中心に学びたいと思います。
この21節以下を見ますと、イエス様が、ツロとシドンの地方に行かれたとあり、また、マルコ福音書7章24節では、「そして、だれにも知れないように、家の中にはいられたが、隠れていることができなかった」とあります。
イエス様はしばらく群衆からはなれて、静に祈られるために、ガリラヤのずっと北西地方へ行かれましたが、そのあたりまでもキリストの奇跡的な能力のうわさがすでに広まっていたようです。キリストがその地方にお姿を現わされるとすぐに、その地方のカナンの女が来まして、「主よ、ダビデの子よ、わたしをあわれんで下さい。娘が悪霊にとりつかれて苦しんでいます」と叫び続けました。もちろんこの地方の人々は皆異邦人で、ユダヤ人とは交際しないし、またユダヤ人の方からも非常に冷たい目で見ていたのであります。
それなのに、この女がイエス様を「ダビデの子よ」と呼んだのは、不思議に思われます。この言い方はイエス様をメシヤ、王と認めている証拠だからです。彼女はイエス様が、王の権威をもっておられたのみか、また王としての深い慈愛をもっておられることを、心から信じていたようであります。この女の住んでいた地方の宗教は非常に堕落した偶像教であったにもかかわらず、この女性がイエス様を主と呼んだのは、実に感銘深いものがあります。
ところで常に病人をよろこんでおいやしになったイエス様が、珍しく今度は、このカナンの女に対して一言もお答になりませんでした。その女性は一生懸命です。イエス様の後を追って叫び続けるので、弟子たちもうるさくなったのでしょう。イエス様のもとに来て、「この女を追い払ってください。叫びながらついて来ますから」とお願いしました。するとイエス様は答えて、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊以外の者には、つかわされていない」と言われました。
この言葉の意味は、イエス様がこの世に御くだりになった本当の目的は、先ずユダヤ人を救うためであったということでしょう。しかし、そう言っても他の人はどうでもよろしいとことではなくて、異邦人を救う責任は弟子たちにお任せになったのです。マタイ福音書28章19節をご覧ください。「それゆえにあなたがたに命じていたいっさいのことを守るように教えよ」とあります。
イエス様は あわれなこのカナンの女性に対して、なぜあれ程のきついお言葉をお使いになったのでしょうか。有名な学者のマシュー・ヘンリーが言いますのに、「それは、この女性の信仰を試し、またそれを強めるためであった」と。イエス様が彼女の切なる願いに何もお答にならなかったのに、彼女は失望せずに叫び続け、またきついお言葉で彼女の願いをお断りになった時でも、彼女が叫び続けた彼女の熱心さ、何ごとにもくず折れないで頑張る信仰心は、実に美しいものであります。
わたしたちはこのような忍耐をもって、神様に祈り求めているでしょうか。世の多くの人々は、祈っていることが聞かれない場合、すぐに失望して、神様はだめだと不信仰に陥るのではないでしょうか。ではこのカナンの女性は、かくもきびしく断られた時、どうしたでしょうか。彼女は決してだめだなどと弱音をはかず、イエス様に近寄って、「主よ、わたしをお助け下さい」と拝して申しました。助ける能力がイエス様にはあります。皆様方はこのお方を信じていらっしゃいますか。
問題は、キリストにその能力があるか否かではなく、あなたがイエス様に近付いてその能力を求めているか否かにあるのです。しかし、カナンの女性は大きな忍耐をもって心からイエス様に助けを願ったのです。今度は直ぐに、それが聞かれたでしょうか。いいえ、そうではありません。イエス様は「子供たちのパンを取って小犬に投げてやるのはよろしくない」と言われました。これは本当に無慈悲なお言葉のようであります。その意味は難しくないと思います。
イエス様がここで言われますのは、先に選ばれたユダヤ人に対する特別なお恵みを、他の人々に分け与えてはよくないということを、たとえとして言われたのです。そこでカナンの女性は賢明にも同じたとえで答えました。「お言葉どおりです。でも小犬もその主人の食卓から落ちるパンくずは、いただきます」と。
イエス様は彼女の謙遜と信仰に驚いて、「女よ、あなたの信仰は見上げたものである。あなたの願いどおりになるように」と、お答えになりました。その時、彼女の娘はいやされたとあります。わたしたちお互いも神様の大きな恵みと、罪の赦しをいただくためには、本当にふさわしくない者ではありますが、もし、このカナンの女性のように熱心をもって求めれば、それを必ず頂くことが出来ます。
聖書を通して、祈りを通して、神の食卓にあるいのちのパンを毎日頂きましょう。
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。
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ビルマ
戦犯者の獄中記 (7) 遠山良作 著
昭和21年
5月15日
今日から裁判が始まった。炊事の友だちは昼食用にと、各人に二個のにぎり飯をくれた。一日に水の多いかゆ二杯の食事であるだけに有難くて、友の心づかいに感謝するのみである。監視する英兵と共にローリー自動車に乗せられて裁判所に向った。沿道には美しく着飾ったビルマの乙女、忙しそうに歩いている人の群は自由を楽しんでいるように見える。二階建ての大きな建物の裏口らしきところに自動車が止まった。二階が、戦犯容疑者を裁く英国軍事法廷である。
正面の一段高いところが判事席である。向って左側が被告席で、判事席に向かい合って一段低くなっている場所が検事と弁護士及び通訳の席である。その後方が傍聴席で、傍聴人は7、8人とまばらである。
判事3名の入廷で全員起立する。判事は分厚い聖書に手を置いて誓約した。われわれも「事実を申し述べ、真実以外のことは何事も申し述べません」と誓約した。
起訴上の読み上げ、続いて、「有罪か、無罪か」と問われました。8名は「無罪」と答えた。馬場軍曹のみは「有罪」と答えた。馬場軍曹に対する起訴理由は、取調べ中一名の原告を「足で二つ蹴った」という理由であったので、弁護士より認めることがむしろ有利である旨の助言により、これを認めたのである。井出籠准将は病気入院のため出廷できないので、私たち8名の被告に対する裁判が始められた。
初日は二名の証人が、証人台に立って、検事より「当時(7月30日より8月15日の間)憲兵隊に留置され取調べ中に、誰から如何なる拷問を受けたか」との質問に、私を指差して「水責め、電気による拷問、木で何回も殴打された」と詳細にわたって、ひどい拷問を受けたと陳述し、また、他の被告をも指差して私と同様拷問を受けたと証言した。
証言が終わると、弁護士より原告証人に対して、「モールメン刑務所で陳述した(首実験による)証言と、今の証言とは、まるっきり違うがどちらが本当であるか」との問いに「両方とも真実である」と証言した。初日から、証人のでたらめの証言に私たちはビックリした。
この文章の転載はご子息の許可を得ております。
あなたに聖書を
先月は「いつも喜んでいなさい」ということを紹介しましたが、それに続く17節には「絶えず祈りなさい」という言葉があります。例えば達磨大師が壁に向って19年間座禅を組んでいたように、ほかのことは何もしないで祈り続けることのように受け取られなくもありません。そうだとすると、そんなことは出来ませんと言うのが大方の反応であろうと思います。
しかし、例えば、わたしたちは、特別なことがなければ断食はしません。食事は毎日欠かさず食べています。食べることを止めたら死んでしまいますから、「食べることを止めてはいけませんよ」という分りきったことが、「絶えず食べなさい」ということでありまして、一日中食べ続けることではありません。このほか、「絶えず吸収しているもの」があります。テレビ、ラジオ、新聞、読物、人との会話など、見たり読んだり聞いたりして、情報や知識や物の考え方などを絶えず吸収しています。こういうことを止めたら、この世の人間として生き続けることが出来なくなってしまいます。
「祈る」ということは、たとえば、神社などへ行って、お賽銭を上げて、神様に、何かお願いをすることのように考えている人が多いのではないかと思います。しかし、「聖書におけるお祈り」は「神様との対話」であります。「対話」は、人と人との間でなされます。一方的なおしゃべりではありません。こちらから語りかけ、相手からも聞く、ということを繰り返す中で、相手のこともよく分り、それによって良いものを受けることが少なくありません。
そういう対話を、神様との間で行うのが「祈り」であります。祈ることによって、神様との関係が保たれ、深められて行きます。神様の御心の深さ長さ大きさ広さに触れることができるように導かれます。そういうことから言って「祈らにゃ損」です。「絶えず祈りなさい」という勧めの狙いはそれです。
篠田 潔
(参照聖句・Ⅰテサロニケ5:17)
(電話によるメッセージより・日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
「キリストへの時間」放送予定
(放送開始1952年10月)
7日 村手 淳 (日本キリスト改革派中部中会教師)
14日 村手 淳 (日本キリスト改革派中部中会教師)
21日 金 起泰 (日本キリスト改革派犬山教会牧師)
28日 金 起泰 (日本キリスト改革派犬山教会牧師)
CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ)
毎週日曜日朝6時30分~45分放送
「ローマ人への手紙」研究 (81)
第49課 異邦人の召命とユダヤ人の拒否
9章1~11章36節(続)
D 福音はすべての人の必要に適応したものであり、万人に伝えられるべきものである。
10章11~21節 (2)
「イザヤも大胆に言っている、『わたしは、わたしを求めない者たちに見いだされ、わたしを尋ねない者に、わたしを現した』。そして、イスラエルについては、『わたしは服従せずに反抗する民に、終日わたしの手をさし伸べていた』と言っている」(10:20~21)。先のモーセの言葉もその意味は明白でしたが、このイザヤの言葉も同じく意味は明白であり、極めて大胆な言葉です。イザヤ書65:1~2からの引用ですが、その言葉の順番は欽定訳のイザヤ65:1~2とは少し違っています。その理由はパウロが引用にあたって、ヘブル語の旧約ではなく。70人訳を用いているからです。パウロはしばしば70人訳によって引用しています。パウロはギリシャ語でこの書簡を書き、ギリシャ語を話す人々に送っているのですから、これは当然のことでしょう。ヘブル語の原文の意味はパウロの引用文によって十分に伝えられています。相違はただ形のみです。
「わたしはわたしを求めない者たちに見いだされ、わたしを尋ねない者に自分を現した」。これは明らかに異邦人のことを述べています。彼らは神の契約の民ではなく、神を知らず、特に真の神について関心を持ってはいなかった。各民族は自らの宗教、哲学、神話、伝説、習慣、法律、倫理などを持っていました。彼らはみな自ら道をそれて行き、愚かな暗黒の中に入って行きました。彼らは真の神を求めようとしなかったのです。
しかし、彼らはイエス・キリストの福音を通して神を見い出したのです。勿論、このことはイスラエルがもはや特別な神の民ではなくなる時が来るということ、すなわち、ユダヤ人も異邦人も同じ条件、または立場で神の国に中に入れられる日がくることを意味しています。
「そして、イスラエルについては、『わたしは服従せずに反抗する民に、終日わたしの手をさし伸べていた』と言っている」(21)。聖書においては「手をさし伸べる」ということは、「招く」ことを意味します。ここでは、神が服従せず反抗する神の民に対して、なおも招きの手を伸べておられる、その愛が示されています。イスラエルの歴史を通じて、このようなことは何度繰り返されたことでしょう。しかるに、父なる神は、そのみ心において、彼らが立ちかえることを望んでおられるのです(一匹の羊、放蕩息子)。「終日」は「不断に」を意味しています。イスラエルの拒否は、神が彼らを愛し救おうとされることにおいて、不熱心であることに起因するのではありません。それは彼ら自身の愚かさ、傲慢、不信仰、廃教への転落に起因するものです。
J.G.ヴォス著
玉木 鎮訳
(日本キリスト改革派引退教師)
この文章の転載は訳者の許可を得ております。
♡ 東京の友人から、夏の節電で苦労していると言うメールを貰いました。わたしはなんか違和感を感じました。無傷の家があるにもかかわらず住むことが出来ない無念さを感じています。ニュースも復旧、復興が多くなりましたから、いたしかた有りませんが、汚染の恐怖は消えません。先が見えない分、気が重くなります。
♡ メール交換しながら過ごして来ましたが、ふと気付いたら最近メールの数が少なくなっていました。日々の生活に疲れて、少し落ち込んでいます。学校生活も形の上では正常ですが、一人一人がぽつんとしていたり、はしゃいでいたり不安定な気分になっています。先生方も疲れているのが分かります。私たちと同じ被災者ですから・・・・。
♡ ビニールハウスも手入れしないままなので、雨や風で破れています。どうにもならない虚しさを、村の集まりで発散しているが、解散になると無口になる。天災?人災?どうでもいい。仕事がしたい。
♡ 日常生活とは別世界に、水素爆発、メルトダウンによる放射能汚染との戦いです。孫に小学4年と中学2年の二人がおります。私のところは福島県でも比較的放射線量は低いとされていますが、風向きで変化するのでとても気になります。孫たちは車の送迎です。地名は控えますが、高濃度の所におられる人にとっては、不安な日々を過ごしております。
♡ 全国テレビや新聞では力強い復旧、復興の画面や文字がありますが、それは全体のほんの一部です。これから私の生きている間、この体験と向き合わなければならない人生に、暗い思いになります。決して忘れないでください。
♡ もう何もかも嫌になってくる。・・・・。いつの間にか蓮の花が咲きだしています。夏なんですね。私は、何もする気になれず仮設でゴロゴロしています。本当に何もしたくないのです。家事もイヤ、生きるのも辞めてしまいたい。しんどいですから。生きる使命?そんなのないよ。だって私がいてもいなくても何も変わらないもの。疲れました。
♡ 母は朝早くから仮設の近所を歩いてきたようです。長年の生活習慣ですから、褒めてやりました。そうして母は今は眠いといって寝ています。今日は何も起こらないといいのですが・・・。孤独死という言葉が消えて欲しいと思いますね。
♡ 瓦礫が取り除かれたお隣の庭に花が咲いていました。忘れていた物を思い出させてくれた感動、そうでした。感動でした。そんな気持ちを写メールで送ります。
「みんなでわいわい・ご意見コーナー」
帰宅時間を気にしたことのない生活から「節電」を境にそれまで夜道の明るさなんか気にもとめませんでしたが、今はそれが気になります。不安はありますが、注意深くなりました。計画停電の時は、半分はゲーム感覚、キャンプに行っている気分でたのしんでいましたが、今までが異常なのだと分りはじめて来ました。当り前は、異常なんですね。
埼玉県 S・Sさん
スポーツには余り興味のないわたしでしたが、今回の女子サッカーの世界一は、スポーツ音痴のわたしにもわくわくする気持ちにさせられました。同時に、恵まれない環境や待遇に挫けることなく、頑張っていた生き方に、同性として人として感動しました。目先のことに一喜一憂していた日々、子供の成績にキリキリしていた自分の姿が、子供たちに何を教えていたのだろうかと反省しきり・・・。どこまで続くことやらと、もう弱音を吐いているわたし。今日も一日頑張ります。
愛知県 O・Dさん
=写真=昨年球根で買ってきて、今年花が咲いた佐渡のゆり
『ありがとうございます』
今年の夏で目に付くことは、暑さしのぎの対策に、簾、扇子、打ち水に、窓際に植えられた緑のカーテンです。節電がもたらした生活の知恵が大活躍しています。自然は暑さばかりでなく、涼しさのための恵みも備えてくれていました。風鈴の音色は心やすらぐ思いにさせます。風鈴の歴史や由来は何なんて野暮な詮索は止めて、その音に涼を感じたいと思います。
=冷たいペットボトルを枕にお昼寝の愛ちゃん=
『つのぶえジャーナル』のための寄付者
小幡伸幸様 馬場暁美様 宇佐神正武様 古屋愛実様 匿名様
郵便振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社
『クリスチャン音楽家を支える会』への寄付者
宇佐神正武様 匿名様
便振替口座番号 00870-2-92464 クリスチャン音楽家を支える会
‘11年5月16日から7月15日まで
今月のことば
(ローマ12:12)
聖書が「喜び」を語る場合と、私たちが「喜び」と呼ぶ「歓喜」とでは、根本的に違うことに気付きます。私たちの喜びは、私たち自身の状況・状態に関係しています。自分が悲惨な状態になると、私たちの喜びは消え去ってしまいます。私たちは、自分が「ご機嫌」な時だけ喜ぶのが常と言えます。
しかし、キリスト者の喜びは、それとは異なっています。それは、私たち人間の今は「喜び」の状態にないということにあります。同時に、キリスト者の「喜び」は、今の状態のものではなく、実は、「前・先き喜び」、すなわち、未来に向っての「希望」の喜び、約束が、大きな光のような喜びとして、聖書が語る「喜び」です。
ですから、キリスト者の「喜び」は、現在起こっていることだけの関係ではないのです。詩篇34篇2節には「わが魂は主によって誇る。苦しむ者はこれを聞いて喜ぶであろう」という驚くべき言葉が記されています。すなわち、苦しむ者は、必ず来る助けを期待して喜ぶ、と言うのです。
キリスト者の人生は、「喜びの人生」であると言う時、キリスト者には苦しみがないという意味で理解するなら、それは思い違いです。そうではなく、将来に、約束に信頼し、その約束に基づいて喜ぶことが信仰生活です。
マルティン・ルターは、かつて福音という言葉を、「喜びの叫び」と言っていましたが、その通りです。悲しみに沈んでいる中にあっても、神の約束は不変です。私たちの心がどうであれ、神の約束は不変です。この「喜びの叫び」こそ、キリスト者に求められている大切な使命・役割の証しであることを覚えたいと思います。
わがよろこび わがのぞみ、
わがいのちの主よ、
ひるたたえ、よるうたいて
なお足らぬをおもう。
ならびもなき愛の主の
みこえぞうれしき
わがのぞみ、わがいのちは
とわにしゅにあれや。 讃美歌527番
小閑記
キリストは、彼を待ち望んでいるひとびとに、罪を負うためではなしに、二度目に現われて、救いを与えられるのである。
(ヘブル9:28)
イエス様は、この世の作られる前に、神とともにお持ちになっていた天上の栄光へ、人々を導くために、地上へ再び来る、と言われました。主イエスの再臨については、最初にお生まれになったことと同様に、はっきり預言されています。
お生まれになることについては、見通しはどうも思わしくありませんでした。世代はうつろい変り、何千年も待ちましたが、主はおいでになりませんでした。多くの人があきらめ、待つ者をあざけりました。このようなことにはかかわりなく、主イエスは定められた時においでになりました。
神の民は、すでに主のお帰りを長い間、待ちました。主がお去りになったその日から、主を待ち望みましたが、まだおいでになりません。現在もまた、主を待つことを止めてしまった者が沢山あり、主のこられることを信じる人々をあざ笑っています。しかし、こんなこととはかかわりなく、全ての真のキリスト者は、イエスがかえってこられて、花嫁を迎えてくださることを待ち望んでいます。
全てのキリスト者が同じ切望の思いをしていなくても、信仰によって、待っています。そしてそれがとても大切なことです。この神の約束によって、神の民は、空中で主に出会うことを許されているのです。神によって生まれた者すべては、主イエスがこられて、その民を家に集めて帰られる時には、この地上からあげられるのです。
この恵に与るために、信仰を持って待ちましょう。
上河原立雄
天のお父様と 声を出して お呼びしたい
声を出さないで お呼びしなくても 聞いて下さると
信じているけれども
やはり 天のお父様と 声を出して お呼びしたい 水野源三「第四詩集」
眸
愛知県・名古屋市主催の「東北復興応援観光物産フェア」に大村知事、河村市長も法被姿で応援に参加し、青森産のりんごや岩手の南部せんべいなどの特産物販売を支援し、義援金コーナーも設けて、東北支援の輪を広げて行こうとしている様子が報道されていました。自治体では職員の長期派遣など行政・医療・教育など支援がなされていますが、市民レベルの活動が全国各地に広がり、関心が被害から復興に向うことを一市民として願っています。
愛知県 S・Iさん
避難所から東京に来て一ヶ月を過ぎましたが、母の気持ちは不安定です。無口になり、食欲も余りありません。外に出たがらないのです。近くの家族のかかり付けの病院の先生にご相談したところ、一度、血圧を計りましょう程度で、お母さんを連れてくるように言われ、一緒に行ってきました。わたし抜きで、先生とお話していました。少し点滴しましょう・・・ということになり、母はとても明るくなりました。感謝しています。
東京都 Y・Kさん
わたしの住む所は、「崖の上のポニョ」の舞台になった「鞆の浦」の近くです。瀬戸内特有の山沿いの狭いところに沢山の小さな港町があります。朝晩には、沢山の船の出入りがあります。また、江戸時代からの街並みが特徴です。穏やかな静かな街並みが好きで大阪から戻って来ました。
今回の東北地方の被災地のような、あの広い水田や畑はありません。ですから、本当に海沿いの町で、あの大津波が襲って来たら、逃げ場はありません。しかし、きっとあの悲しいことが起こる前の地域の皆さんは、何代も続いた仕事や畑、これからに期待を掛けたお仕事をされていた穏やかな地であったと思い、悲しくなります。他人事のようですが、「東北魂」があるのでしょうから、明日を信じて、わたしと同じ40代のお母さん、頑張って!応援しています。
広島県 K・Aさん
私は、風評被害の発信源は、マスコミだと思っています。個人が個人に心配事を伝えてもその範囲は微々たるものですが、マスコミで言葉や活字になると防ぎようがありませんでしたが、見知らぬ人の「頑張ってください」から勇気と希望をもらいました。風評なんか一時的なものと、仲間同士で励まし合いました。大丈夫ですよ。負けません。
宮崎県 S・Kさん
聖書を病院や学校に贈呈するグループの会合で、大地震と津波の被災地におられる方々にお届けしようと有志が派遣されました。大勢の方が避難されているところに向いましたが、避難所には入れませんでした。係りの人に「とても今そんな時ではないでしょう」と厳しく言われたそうです。日々刻々と変る状況に対応しなければならない所に、聖書の贈呈に来ましたではないでしょう、と言う非難を含んだ言葉に、自分たちの愚かさを知らされ自責の念に駆られた報告会になりました。いのちのみ言葉を届けたいと言う思いだけが先行した行動には何の意味もなかった。避難所には全国のありとあらゆる宗教団体が押し寄せ、職員の方が迷惑している姿に、本当に申し訳ない気持ちにさせられたことが、報告されました。家族も家も職場も失った方々に、何を、どう伝えたらよいのか、改めで考えさせられている今の気持ちをメールしました。
神奈川県 G・Tさん
「ジャーナル」ご覧の皆様、被災者の方々のために、あたたかいお気持ちをお届けくださっていること、嬉しいです。施設職員として働いている日々ですが、自分に出来るボランティア活動はないかと考えて友人に相談したところ、自分に出来ることをしなさい、と言われました。その声に押されて、仕事が終わってから、ボランティアとして避難先3ヶ所を決めて、毎日お顔を見に行くことにしました。今はそれが当り前になり、話し込むことも多く成りました。
友人がそれとなく声を掛けてくれるのがうれしく、報告メールをしています。先日は神戸の友人から雨にぬれた紫陽花の花の写メールが送られて来ましたので、それを見せながら、友だち紹介が出来ました。
宮城県 T・Tさん
愛知県・名古屋市主催の「東北復興応援観光物産フェア」に大村知事、河村市長も法被姿で応援に参加し、青森産のりんごや岩手の南部せんべいなどの特産物販売を支援し、義援金コーナーも設けて、東北支援の輪を広げて行こうとしている様子が報道されていました。自治体では職員の長期派遣など行政・医療・教育など支援がなされていますが、市民レベルの活動が全国各地に広がり、関心が被害から復興に向うことを一市民として願っています。
愛知県 S・Iさん
避難所から東京に来て一ヶ月を過ぎましたが、母の気持ちは不安定です。無口になり、食欲も余りありません。外に出たがらないのです。近くの家族のかかり付けの病院の先生にご相談したところ、一度、血圧を計りましょう程度で、お母さんを連れてくるように言われ、一緒に行ってきました。わたし抜きで、先生とお話していました。少し点滴しましょう・・・ということになり、母はとても明るくなりました。感謝しています。
東京都 Y・Kさん
わたしの住む所は、「崖の上のポニョ」の舞台になった「鞆の浦」の近くです。瀬戸内特有の山沿いの狭いところに沢山の小さな港町があります。朝晩には、沢山の船の出入りがあります。また、江戸時代からの街並みが特徴です。穏やかな静かな街並みが好きで大阪から戻って来ました。
今回の東北地方の被災地のような、あの広い水田や畑はありません。ですから、本当に海沿いの町で、あの大津波が襲って来たら、逃げ場はありません。しかし、きっとあの悲しいことが起こる前の地域の皆さんは、何代も続いた仕事や畑、これからに期待を掛けたお仕事をされていた穏やかな地であったと思い、悲しくなります。他人事のようですが、「東北魂」があるのでしょうから、明日を信じて、わたしと同じ40代のお母さん、頑張って!応援しています。
広島県 K・Aさん
私は、風評被害の発信源は、マスコミだと思っています。個人が個人に心配事を伝えてもその範囲は微々たるものですが、マスコミで言葉や活字になると防ぎようがありませんでしたが、見知らぬ人の「頑張ってください」から勇気と希望をもらいました。風評なんか一時的なものと、仲間同士で励まし合いました。大丈夫ですよ。負けません。
宮崎県 S・Kさん
聖書を病院や学校に贈呈するグループの会合で、大地震と津波の被災地におられる方々にお届けしようと有志が派遣されました。大勢の方が避難されているところに向いましたが、避難所には入れませんでした。係りの人に「とても今そんな時ではないでしょう」と厳しく言われたそうです。日々刻々と変る状況に対応しなければならない所に、聖書の贈呈に来ましたではないでしょう、と言う非難を含んだ言葉に、自分たちの愚かさを知らされ自責の念に駆られた報告会になりました。いのちのみ言葉を届けたいと言う思いだけが先行した行動には何の意味もなかった。避難所には全国のありとあらゆる宗教団体が押し寄せ、職員の方が迷惑している姿に、本当に申し訳ない気持ちにさせられたことが、報告されました。家族も家も職場も失った方々に、何を、どう伝えたらよいのか、改めで考えさせられている今の気持ちをメールしました。
神奈川県 G・Tさん
「ジャーナル」ご覧の皆様、被災者の方々のために、あたたかいお気持ちをお届けくださっていること、嬉しいです。施設職員として働いている日々ですが、自分に出来るボランティア活動はないかと考えて友人に相談したところ、自分に出来ることをしなさい、と言われました。その声に押されて、仕事が終わってから、ボランティアとして避難先3ヶ所を決めて、毎日お顔を見に行くことにしました。今はそれが当り前になり、話し込むことも多く成りました。
友人がそれとなく声を掛けてくれるのがうれしく、報告メールをしています。先日は神戸の友人から雨にぬれた紫陽花の花の写メールが送られて来ましたので、それを見せながら、友だち紹介が出来ました。
宮城県 T・Tさん
(49)
5月17日
実家でNHKのクローズアップ現代を観ました。認知症ケアについてでした。自己認識の低下、老いていく喪失感、しかし、感情は残っているので、できることを褒める、そうすると、認知症の症状が進む速度が遅くなるし、お互いが楽になる。というようなことだった。なるほどなぁって思うけど、実際に毎日接している父は大変だと思います。そんな毎日笑顔でいられないじゃないですか人間だもの。わたしは都合のいい時に離れられるからいいけど。母は相変わらず、父に叱られると思って、わたしにあれこれしてくれというので、どこまでしてあげればよいのか、迷ってしまいます。
5月18日
朝、母と散歩がてら、身障者施設にある喫茶店へ出かけました。目当てはモーニングです。
帰りは足が痛いと言っていました。普段歩かないからでしょう。それでもよく歩いたなぁ、と感心しました。わたしは昼頃もう一度自分の速度で歩きました。帰り道、デパ地下に寄り、父の日のプレゼントを注文し、夕食を買いました。疲れました。
帰りは足が痛いと言っていました。普段歩かないからでしょう。それでもよく歩いたなぁ、と感心しました。わたしは昼頃もう一度自分の速度で歩きました。帰り道、デパ地下に寄り、父の日のプレゼントを注文し、夕食を買いました。疲れました。
5月25日
またもや禁煙に失敗してはや数ヵ月、主人にまた禁煙外来に行ったらと言われて、まだ1年経っていないので、健保は効かないし・・・と思い、ずっと悩みましたが、天気のよい日は今日で最後と、思い切ってクリニックの近くの喫茶店までやってきました。自費は痛いと思いつつ、その方が効果があるかもと思い直しています。今度こそは、ニコチンに対して無力であり、ニコチン中毒であると認めて、タバコを手放し、神様を信じてお委せしよう。完治しないけど、回復できる病なのだから。クリニックでは、前の診療所で一年間が過ぎるのを待ってからの方がよいという判断ですが、自費で構わないのでと・・・。金銭的には負担です。そして二度あることは三度あるっていうから続かないと思われているのでしょうね。・・・・。今、診療が終わりました。自由診療のメリットは、期間が終了しても薬が続けられる点です。お金は診察代と薬代とで\12000くらいかかりました。ちびちびタバコ買っているのとどっちが安いのかはわかりませんが、主人と母との信頼もかかっていますから、それも計算に入れないと。
次回は2週間後です。イライラして苦しんでいるだろうなぁ。
次回は2週間後です。イライラして苦しんでいるだろうなぁ。
6月6日
あるアスペの人とのお話・・・・。そうね、わたしも多分同じ特徴が当てはまります。薬物にも溺れ、酒とちゃんぽんして、ブラックアウトを起こしたり、そんな20代でした。
ネットで初めて軽度発達障害を知り、コロニーに問い合わせをして、辿り着いた診療所が今通っているクリニックです。この専門の医師に辿り着いたのは30代半ばでした。それまで、理由のはっきりしない、慢性の軽症うつだと診断され、合わない薬を10年以上飲み続けてきたのです。アスペだとわかって、本当に救われました。どこまで努力しても報われることなく、自分を責め続けていたことに、やっと終止符が打てたのです。だから、今後は、アスペの特徴を持ちつつ、どう社会と付き合っていくかを考えて生きるかが課題です。高機能広汎性発達障害が認知されるようになったのは、90年代に入ってからです。だから、理解されるのは難しいことだと思われます。本人ですら、自分自身をどう理解したらいいのか戸惑うくらいですから。
どの障害でもそうですが、軽度はハンディキャップが軽いのではなく、目立たないだけ。アスペの脳の回路は、大多数の人と違っているのですから、行動や言動が違っているのは当たり前なのです。これからの啓発活動に期待するくらいしか出来ないのは残念ですが、これが現状なのでしょうね。お互いに支え合い、情報交換しましょう。
ネットで初めて軽度発達障害を知り、コロニーに問い合わせをして、辿り着いた診療所が今通っているクリニックです。この専門の医師に辿り着いたのは30代半ばでした。それまで、理由のはっきりしない、慢性の軽症うつだと診断され、合わない薬を10年以上飲み続けてきたのです。アスペだとわかって、本当に救われました。どこまで努力しても報われることなく、自分を責め続けていたことに、やっと終止符が打てたのです。だから、今後は、アスペの特徴を持ちつつ、どう社会と付き合っていくかを考えて生きるかが課題です。高機能広汎性発達障害が認知されるようになったのは、90年代に入ってからです。だから、理解されるのは難しいことだと思われます。本人ですら、自分自身をどう理解したらいいのか戸惑うくらいですから。
どの障害でもそうですが、軽度はハンディキャップが軽いのではなく、目立たないだけ。アスペの脳の回路は、大多数の人と違っているのですから、行動や言動が違っているのは当たり前なのです。これからの啓発活動に期待するくらいしか出来ないのは残念ですが、これが現状なのでしょうね。お互いに支え合い、情報交換しましょう。
加納さおり
(92)
猫 草
地球は丸く、回転しながら宇宙を移動している。薄い地表に人間社会があり、世界はあぶなっかしい善意の上に乗っかっている。最近のインターネット上でのハッカー、サイバーテロの報道をみると本当にこんな「つかみどころのない」気持ちになる。
顔、名前、素性、国籍も不明なハッカー集団、とはいっても、一部の悪意を持ったハッカーを別にすれば、大多数は善良な市民で、ごく普通の人たちだ。いつもは会社にいったり、学校へ通ったり、家事をしたりしている人たち。高度なコンピュータ知識とプログラミング技術を持ち、その気になればいつでも「こと」を起こせる人たち。
もちろん国家レベルの情報スパイ活動とか企業へのサイバーテロとかはっきり「犯罪」(最近では軍事行為とも言われているが)と呼べるものもある。でもたとえば今回の、中東で起きた一連の革命におけるハッカーたちの行動は、そういう目的のものとは異質な気がする。政治的な抑圧に耐えかねて民衆が立ち上がる。持っているのは手りゅう弾と携帯電話。革命の状況は逐一インターネットで画像配信され、チャットで実況中継される。政府側がその通信を妨害しようとすると、世界中のハッカーが政府のサーバーに負荷をかけてしまう。その「攻撃」はキーボードをたたくだけで簡単にできる。
明確なリーダー不在、組織も指揮系統もない集合的な共有知・共同体。お互いに顔も住所どころか国籍も知らず、ネット上のニックネームだけの知り合い、そういうハッカーたちの共有認識は「インターネット世界での自由が保障されること」などと解説されるが、たぶん、そんな大層なものでもない。まして革命に賛成とか思想に共鳴とか、強い信念でもない。インターネットが阻害されることへの苛立ち「なにこれ、画像見れないじゃん!あ、ブロックされてる!むかつく~。」邪魔しているものを排除。「あ、続き見れた。よしよし。」そんな感じ。
そういう大多数の人たちは革命も大きな変化も望んではいない。インターネット自体が誰かが全体を管理しているわけではなく、すべて「世界中のみんなの手によって」運営されているように。きっと、平和な日常がずーっと続くことを望んでいる、はず。「つかみどころのない」「あぶなっかしい善意」の上で私たちの日常がなりたっている。
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緑を大切に!
書籍紹介
エネルギー技術の
社会意思決定
日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授
「本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
共著者・編者
鈴木達治郎
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント
スーザン・ハント
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
鈴木英昭著
「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円