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2023年7月号  №193 号 通巻877号
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  その愛のゆえに85298f88.jpg
   =時々の記=
    (64)
 
5月16日
今朝、庭の片隅をみると、亡き母が植えてくれてあった、スズランが可憐につつましく白い花をいっぱいつけて、良い香りを放っていました。人は亡なくなっても、自然界は、脈々と生き続けているのですね。また、今日は、役場の方がの母が診療所で働いていたことを記念誌にしたいと、資料を、とりにきました。
ジャーナルに載せさせていただいたものをそのままもっていってもらいました。資料があったので、喜んでくださいました。
 
5月19日
スズランの花は、寒い高原地帯に群生すると聞いていました。北海道には、スズランが咲くと、春の訪れを告げてくれるのですね。寒い北国に春を知らせる白い花。なんて、可憐で、つつましいのでしょう。スズランの花のように、控えめに歩んでいきたいと思うこのごろです。6月は、また、主人の三重大病院での定期検査です。いつも、同じように、気分が落ち着きません。でも、ここまで支えられたことに感謝したいです。
 
5月31日
今日で5月も終わり、肌寒さを感じる朝でした。今も、ストーブで、温めています。しばらく、ジャーナルを読み返し、元気を頂ける日がつづきます。カルヴァンの「キリスト者の生活綱要」は、今の私たちにとって、とても力つけられています。苦しくなると、なんども、読み返すようにしています。神様は、その人に適した形で試練をお与えになるということ。試練の連続の私たちですが、イエス様との出会い、こうしたジャーナルを送り続けていただいていることによって、弱りがちな信仰がくすぶりながら、持ち続けていることができていますことは、感謝です。
山峡の里山映す植田かな
試歩の杖休めておりぬ藤の下
すかんぽの花紅に日を受けぬ
樫の花掃けば上がりぬ黄の煙      馬場路哉
 
6月6日
ここ数日、梅雨の晴れ間が続いています。やはり嬉しいです。長い間、干すことのできなかった布団を干して、神様からの太陽の恵みをいっぱいいただき、お日様のにおいがする布団で、久しぶりに休むことができました。
今年は、不思議に、我が家の庭のさつきがとてもきれいに梅雨のうっとうしさをはねとばしてくれるかのような、清々しい咲き方です。これも母が一生けん命手入れして、大切に育てていたものです。母が亡くなって、さびしい思いになることがありますが、このように美しく咲いている庭の花たちを眺めると、母がへこたれずに、最後まで頑張って生きるんだよ、と言ってくれているように感じます。
ルターの日々の御言葉を主人が、毎朝、筆ペンでメモ帳にしたためています。きょうの聖句は、「なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい」。でした。信仰弱い私は、なかなか、このような確信の持てないものですが、信じきること。これが信仰なのだと。
夜の更けて蛙の声の谷に満つ
腰曲がる媼緑陰歩みより
廃屋にアカシヤの花高く見ゆ       馬場路哉
主人は、この梅雨の晴れ間に家の周りの草を草刈り機で、すっきり刈ってくれました。
4年まえ、主人が草刈り機を使えなくなったとき、私が必死で草刈り機を使って草を刈ったことを思い出しました。近所の方たちが、こんなに元気になってくれてよかったな、と顔をあわすと、そう言ってくれるのです。来週14日は三重大病院へ、検査にいきます。神様のお導きと恵みを切に祈るものです。
 
馬場暁美
                  (上野緑ヶ丘教会員)
 
 
 
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 ae9e1830.jpg                 キリスト者の生活綱要  (23)
               
ジャン・カルヴァン著
                 ヘンリー・J・ヴァンアンデル編
                 吉岡  繁訳
 
  第3章 十字架を負う忍耐
 
  6 十字架は悔い改めをもたらす
 
  1 慈悲深いわれわれの父は、われわれに従順の道を歩ませるために、将来のわれわれの弱さを予防するだけでなく、過去の罪を矯正する必要もある。そこでわれわれは、どんな苦しみに直面しても、直ちに自分の過去の生活を振り返ってみなければならない。
 そうすれば、そうして懲らしめに価していることが、確実にわかるようになるであろう。だからといって、われわれは、罪を忘れないようにするために、先ずなによりも忍耐を勧めている、と結論すべきではない。
 逆境において、「われわれが、この世と共に罪に定められないために、主の懲らしめを受ける」と、聖書が教える時、はるかに優れた理由を示しているからである。
 
  2 したがって、試練という苦しみの中でも、われわれに対する天の父の慈愛と好意を認めるべきである。そのような時でさえ、主はわれわれを幸せにしようとして、休まず働いて下さるからである。
 主は、われわれを傷付けたり破滅に陥れたりするために苦しめるのではなく、世と共に罪に定められることから救おうとしておられるのである。この考えは、「わが子よ、主の懲らしめを軽んじてはならない、その戒めをきらってはならない。主は、愛する者を、戒められるからである、あたかも父がその愛する子を戒めるように」と、聖書が別の箇所で教えているところに、われわれを導く。
 父の鞭を意識するとき、われわれは、悪行によって頑固になった自暴自棄の人々にならって、反抗的になるよりも、むしろ、素直な子供のように振る舞うべきではないか。「だれでも受ける訓練が、あなたがたに与えられないとすれば、それこそあなたがたは私生子であって、ほんとうの子ではない」と、使徒も適切に注意しているように、われわれが過ちを犯したとき、矯正によって、われわれをご自身に呼び戻してくださらないのであれば、神はわれわれを滅ぼしてしまわれるのである。
 
  3 神が慈愛を示し、われわれの救いに非常に心を用いてくださるとき、神とともに耐えることをしないならば、われわれはきわめて邪道である。信者と不信者との間の相違点を、聖書はこう指摘している。すなわち、後者は、いやしがたい邪悪な年老いた奴隷のように、鞭に耐えることができないが、前者は、高貴の生まれの子のように悔い改めと矯正によって、益を受ける。
 われわれは、いずれの方に立つかを選択しなければならない。しかし、この主題は別の箇所で扱ったから、ここでは簡単にふれるだけで十分である。
 Ⅰコリント11:32、箴言3:11~12、ヘブル12:8 
 
(つのぶえ社出版)   この文章の掲載は訳者の許可を得ております。
 
『旧・新約婦人物語』(23)
   『サムソンを売ったデリラ』062259db.jpg
       (士師記16章)
 
 旧約聖書に出てくる多くの婦人の内、デリラの名は広く一般に知られています。それには二つの理由があります。その一つは、先に学びましたデボラなどのような善良な婦人は、偉大ではあっても割合に人目を引かず、かえって、淪落の底に沈んで、その行為が人の意表を出るような婦人の方が人目を引くからです。つまり、ニュース・バリューがあるからです。もう一つの理由は、「サムソンとデリラ」と言うタイトルで、映画が上映され、大変な評判をとって、多くの人々に見られたからです。この映画は聖書の真意を伝えているものと思われていますが、聖書から大きく離れ、大分創作されているようです。
 とにかく、聖書はこの淪落の女デリラについて、何を述べているのか、また私たちに何を教えているのかを考えて見ましょう。
 
 士師記16章4節に、初めてデリラの名が出てきます。彼女がどういう素姓の女であったか、16節を読めば直ぐ分ります。彼女は、いわゆる遊女でした。昔からどこの国でも、各時代を通じてそのような道徳の外を歩む女性があるものです。日本にも闇の女といったいかがわしい女性がおられるようですが、このような行為が世に横行する限り、その国の道徳水準は決して高められないでしょう。そのような婦人のただ一つの目的はお金をもうけることにあって、その目的達成のためには、どんな手段でも選ぶのです。
 
 ある日のこと、この淪落の女デリラのところへ、一人のイスラエル人がやってきました。それは、言うまでもなく、サムソンです。このサムソンはイスラエルの裁き人(士師)であり、いろいろの特徴を持っていました。生まれる前より神からイスラエル人をぺリシテ人の圧迫から救うために、特別に選ばれ、不思議な力を与えられていた人物です。このような大きな使命と特徴を与えられていた彼に、一つの弱点がありました。それは女色に迷うことでした。人は強い力を持ちながらも、ちょっとした油断から、ささいな一つの弱点に打ち負かされるものです。
 
 サムソンもその例にもれず、神から大きな力を与えられていながら、彼の持つ欠点である女性のことで、その力が無惨にも、剥ぎ取られてしまいました。デリラは甘い言葉をもってサムソンから、彼の不思議な力の出どころを、いろいろと問いただそうといたしました。彼は、初めは警戒して本当のことを話しませんでした。しかし、彼女の問い掛けが三度目になって、彼は彼女の歓心をかうために不覚にも、誰にも言ってはならない秘密、髪の毛を切れば力がなくなることを話したのです。彼は、ちょうど、蜘蛛の巣にかかった虫のようなもので、デリラの容色に溺れて、身動きも出来ない、はかない運命に陥ったのです。
サムソンは、一人の遊女の容色に迷い、神の恩恵のしるしである髪の毛は切られ、せっかく神から与えられた力をなくしてしまいました。彼は髪を切られると同時に、神から捨てられたことさえ知らなかったのです。彼の力がなくなったのは、髪の毛を切られたからではなく、神から離れたためであることに注意する必要があります。
デリラは力のなくなったサムソンを、ぺリシテ人の指導者たちに、それぞれから銀千百枚ずつをとって売りました。彼らは喜んでサムソンを銅の鎖に繋ぎ、その眼をえぐって盲目とし、獄に送り、臼を挽かせました。残酷なむごい仕打ちを彼は受けました。
しかし、主は、彼をお見捨てになりませんでした。髪の毛が少しずつ伸びてくるにつれてまた力が出始めました。そのことを知らないペリシテ人たちは、敵である強いサムソンを捕らえたお祝いを、偶像ダゴンの宮で催し、その場に盲人の彼を引き出し、彼にいじわるをしました。サムソンは手を引いていた少年に願って、宮の屋根を支えている柱のところに連れて行かせました。「神よ、もう一度わたしを強くして下さい」と祈りつつ、その柱を押し倒して、彼は偶像とペリシテ人たちとともに崩れ落ちた大屋根の下に圧死したのです。サムソンはこうしてペリシテ人を滅ぼす使命に失敗しながらも、その機会を与えられ、最後には身をもってその使命を果たすことができたのです。
今までの物語からも、幾つかの教えが与えられています。
1 女性は神から与えられた大切な賜物(優しさ、美しさ)を、虚栄を満たすなど、自己満足に使うことは、神のみこころではありません。これを神から託された大切な宝 として、神を喜ばすために用いなければなりません。デリラのように道徳に外れた行いをする女性は、必ず神から罰せられます。神から預かった子供をこのような生活に陥らせる親たちも、同じ罪に問われるでしょう。
2 いかに偉大な人物でも、自分自身を治めることが出来ないようでは、その結果として、せっかく与えられた偉大さも、剥ぎ取られてしまいます。サムソンがもし、絶えず神と交わり、自らを治めることが出来たなら、どんなに大きな仕事が成し遂げられたか分りません。本当に惜しいことです。自分の生活を治めることが出来なかったために、彼は大きな失敗をして、身を滅ぼしたのです。
「・・・・自分の心を治める者は城を攻め取る者にまさる」(箴言16:32)。
 
        ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。
 
0b544a11.jpg ビルマ
  戦犯者の獄中記  (6)  遠山良作 著
 
昭和21年
4月25日
-上野大尉死刑の判決-
モールメン及びバンコク刑務所に収容されていたビルマの全憲兵と戦犯容疑者は漸次ここラングーンに集められ、戦犯容疑者に対する本格的な追求は日と共に厳しくなって来た。第二回目の裁判は、ラングーン埠頭憲兵部隊において、搭乗員である英軍の捕虜を死亡せしめた事件である。当時の分隊長であった上野正治大尉はその責任を問われて、絞首刑の判決を受けた。
 
5月10日
 第三回の裁判は、憲兵司令部に留置中の捕虜の待遇が悪かったとして、責任者に対して次のような判決が下された。
 
 憲兵大尉 水原 健造  4年
 憲兵少尉 横田 正夫  2年 
 
5月12日
エデゴン村事件で起訴される-
第四回目の裁判は私の関係している「エデゴン事件」である。
起訴理由は「エデゴン村」の村民10名に対して拷問した事件である。この事件は、終戦直後に、連合軍のスパイ容疑者として「エデゴン」村村民20数名を逮捕し取調べた事件である。
モールメン刑務所において行われた首実験で、「マサメリ」たちを拷問したと称され私は指名された。20数名指名された中から、モールメン憲兵分隊員のみを選び出して起訴した。しかし、例外として、唯一人、モールメン分隊員でない憲兵司令部の高級部員出田大佐がいたことは、意外であった。起訴された者は全部で9名である。私はこの事件について、僅か20分位の取調べを受けたのみである。
取調官の訊問に対して「私は当時、モールメン市より約40㎞北方のチャイマロ町に派遣されており、モールメン市にいなかったため、事件に関係ない」旨を陳述した。東分隊長も、戦友も当時私がモールメン市に不在であったことを証言してくれたにもかかわらず起訴された。この事件は私ばかりでなく起訴された9人中、7名までが事件とは無関係な者である。モールメン刑務所で行われた首実験で指名した現地人の無責任な証言を唯一の証拠として起訴したのである。この事件の裁判の打ち合わせが始まった。担当弁護士は英人マクレガ大尉、バーンズ大尉である。この事件から初めて日本軍の法務官、相田大佐他2名が、アドバイザーとして、応援してくれることになった。
事件に関係していない者が多数いるという理由から事実は事実として、正直にその事実を法廷で証言して、公正な裁きを受けることが裁判を有利にすることであるとの、弁護側の意見に従うことに意見が一致し、弁護士との打ち合わせが終了し、裁判に臨むことにした。
 
この文章の転載はご子息の許可を得ております。
 
  あなたに聖書を
 
 わたしたちの人生には、嬉しいことや喜ばしいことがあります。新婚早々の人達や、難関と言われた大学の入学試験や会社の入社試験に合格した人達は喜びに満ちています。反対に、失恋した人や、親しい人を失った人には暗さと悲しさとが漂っています。そういう風に、喜びと悲しさなどが交互にあるのが人生であろうと思います。
 
 ところが、わたしが住んでいる直ぐ近くにある小学校では、校舎の入口の上のところに、だれにも分るような大きな字で「あいさつは笑顔から」と書いた板が貼り付けてあります。心がけとしては良い勧めだと思いますし、そうあって欲しいとは思いますが、実際には、そういつも、笑顔ではおれないと思うのです。大人は「顔で笑って心で泣いて」というような芸当が出来ますが、それも限度があるのではないかと思います。
 
 ところが、新約聖書の中のテサロニケの信徒への手紙第一の5章16節には「いつも喜んでいなさい。」という勧めの言葉があります。パウロが書いたものです。さっき言いましたように、わたくしたちの人生には喜びに満たされる時もありますが、いつも喜んでおれるわけではありません。悲しさや苦しみのドン底に落ち込むことだってあるのが事実です。
 
 ある俳優が、駆け出しで名前も売れておらず、生活もドン底に落ち込んでいた時に、母親から、母親が働いて得たお金を送ってきたそうです。彼は「泣けた」そうです。そして、それ以後、苦しいことや辛いことがあっても、いつもそういう自分が母親に覚えられていることを喜びました、と語っていました。
 
 悲しいことや辛いことがなくなるわけではありません。しかし、そういう自分のことを、いつも覚えていてくれる人がいることが分るなら、それは喜びではないでしょうか。
 いつも喜んでおれるのは、そういう風にキリストを通して、神様が自分のことを、どんな時でも、いつも覚えて下さっているからであるということを、聖書は告げているのであります。
 
篠田 潔
 
(参照聖句・Ⅰテサロニケ5:16)
(電話によるメッセージより・日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
 
「キリストへの時間」放送予定
 
                                              s-P6090010.jpg7月
     3日 楠本茂貴  (名古屋高等学校・中学校聖書科主任)
10日 大薮博康  (名古屋高等学校・中学校宗教部長)
17日 福井 智  (名古屋学院大学キリスト教センター主事)
24日 大宮有博  (名古屋学院大学商学部准教授)
31日 葛井義憲  (名古屋学院大学宗教部長・人間健康学部長)
 
 
 
       (放送開始1952年10月)
      CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ
毎週日曜日朝6時30分~45分放送
 「ローマ人への手紙」研究 (80)
 第49課 異邦人の召命とユダヤ人の拒否
       9章1~11章36節(続)
D 福音はすべての人の必要に適応したものであり、万人に伝えられるべきものである。
       10章11~21節 (1)
 
 「なお、わたしは言う。イスラエルは知らなかったのであろうか。まずモーセは言っている。『わたしはあなたがたに、国民でない者に対してねたみを起こさせ、無知な国民にたいして、怒りをいだかせるであろう』」(10:19)。
ここでもパウロに論述の極端な短縮が解釈を難しくしています。「イスラエルは知らなかったのであろうか」とありますが、イスラエルが知らなかったのは一体なんでしょうか。一つの解釈は「知らなかったのは福音であった」という解釈です。もう一つの解釈は「それは彼らイスラエルが拒まれるということと、神が異邦人を召してお救いになるという真理」を指しているとするものです。
これらの二つの解釈のうちで、次の二つの理由から、後者が正しいと考えられます。
1、パウロは現在、イスラエルに拒否され、異邦人が召されるということを論じている。2、19~21節にある旧約からの引用は、後者の解釈に最もよく適合している。
 
従って、私たちはここの箇所を次のように解するのがよいと考えます。「イスラエルは、神が彼らを退け異邦人をお救いなるという、すでに宣言されている神のみ旨を知らなかったのであろうか」。次に、パウロはモーセの言葉を申命記32章21節から引用します。「まず」と言っているのは、すぐ後でイザヤ書からも引用するからです。
申命記の言葉は、イスラエルが神より受けた大いなる慈しみと、彼らが神に対して感謝をしていない愚かさを語っています。申命記32章21節でモーセはイスラエルの子らに対して、彼らが神ではないものを拝むことによって、神の非常な怒りを呼び起こしているから、神は神の民ではない者を用いて、彼らイスラエルにねたみを起こさせると警告しているのです。
この意味は、神は結局イスラエルを退け、彼らの代わりに、かつては神の民ではなかった異邦人をお選びになったと言うことです。モーセの言葉は、その意味するところは明白であって、もしパウロの時代のユダヤ人たちが、この言葉の真理に盲目であったとすれば、彼らはモーセからそれを学ぶべきであったのです。
 
               J.G.ヴォス著
               玉木  鎮訳
              (日本キリスト改革派引退教師)
この文章の転載は訳者の許可を得ております。
 
  祈 り
 
♡ テニスの練習に汗を流した母校のグランドでは仮設住宅の工事が急ピッチで行われています。夜の町は言葉にならない悲しみの暗闇です。時々走る車のライトだけが、異様に明るく感じます。目印になる物を失った暗闇は不思議ですが、気持ちが落ち着きます。瓦礫の町並みを見ていると何もかも失った思いになるからです。こんな経験は初めてです。
♡ テレビのニュースでは、復興の様子や元気な方々の姿が報道されていますが、現実は何も変りません。多くの人が余震に怯え、不安の中におります。元気な姿でもしていないと気持ちが折れてしまいますし、無口が恐いのです。
♡ 転校生も最近落ち着いてきましたが、仕事捜しに苦労されている両親の焦りが生徒の心に、不安が表れてくるのを職員会で話し合っています。学校に出来ることは限られていますが、笑顔で迎えるようにしています。
 地元の老人会にお誘いしたら二名の方が来られました。当時のお話を聞くことが出来ましたが、余りの生々しさに、言葉がありません。家を流され、幼友達を失い、日を追うごとに昔のことばかり思い出して淋しい言葉に、一緒に泣くしかありませんでした。「共に生きる」とか、「苦しみを共有する」なんて、口に出せなくなりました。 
♡ 牛のいない牛舎を父と主人は見つめています。放射能汚染というどうにもならない事実・現実に、ただ見ているだけ。補償金を貰っても、また牛を飼うことが出来るか先が分りません。今は、まだ希望を失っていませんが、補償金が生活費に回り出すと大変です。まだ小学生の二人の子供たちですから、健康被害が心配です。 
♡ 自宅に戻っての生活ですが、食卓から果物、生野菜が消えてしまいました。お店もありません。車が流されてしまい、買い物にも行けません。辛いです。目の前にある畑は瓦礫に覆われています。なんとか考えなければ、子供や主人の健康が心配です。
♡ 原発事故で昼夜活動している方々のことを、被害報道ではどこかに追いやられていますが作業員の方のご家族の心労に、心を向けなければと家族で話し合っています。何か、悪いことでもしたかのように、声を潜めて生活されているのではないでしょうか。ご家族の支えあっての日々の作業です。車で行き交う度に、そのことを思います。  
♡ 将来設計を考えている役場の職員の疲労は、遅々として進まない国の計画で、小さな村では余りにも大きな負担で、提案すら出来ない苦悩が見えて、私たちも何も言えません。役場の人も同じ被災を受けているのですか・・・。小さな村の状況などテレビには映りません。現実は、深刻になる一方です。不安という言葉は禁句でしたが、今は、口に出さないと倒れてしまいます。
 
   
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 s-P6130024.jpg「みんなでわいわい・ご意見コーナー」
 
今日はお休みです。最近、暑くて仕事も汗だくです。娘が丸一日かかって作った家族用のフルーツタルトです。頼み込んで保冷パックに紙皿、紙コップの大荷物で何時もより一時間早く家を出て、大切に仕事場まで運び、同僚にサプライズしましたら、笑顔の一日がおくれました。家族に感謝、娘に感謝、そして「つのぶえジャーナル」をご覧の皆様におすそ分けしたく、あじさいの赤ちゃんの写真とともに送ります。ご覧ください。
                     大阪市  K・Sさん
 
犬の散歩で通る小さな公園に、誰が植えたのでしょうかユリの花だ咲いていました。アジサイとはちがって夏の近さを感じるのです。つい独り言ですが、有り難うとつぶやいて通り過ぎています。誰もいない公園ですが、そこにもやはり人様がおられました。
                     東京都  S・Yさん
 
   今月のことば
  
 「わたしから離れては、あなたがたは何一つできない」。
                    (ヨハネ15:5)
 
 私たちには、様々なことが出来るという思いがある。子供から大人になる時、心に夢を持ち、可能性を信じる。結婚することもでき、家庭を築くこともできる。夢に描いた仕事に最善を尽くそうと思う。病の人を助ける仕事をしたり、多くの人々のために励むこともできる。
 しかし、聖書は、「わたしから離れては、・・・何一つできない」という。イエス・キリストから離れた行いは、何事も虚しいという。人間的栄光としては何事でもできるが、神の栄光をあらわし、讃美することは何事も出来ない。
 私たちが、神なしに生きることと、神にあって生きることを思い描いてみよう。神無しにすることと、したことと、神のもとにあってすること、したことに違いはないのだろうか。
 このみ言葉は、あらゆる人間的栄光に対する神の判定・結論である。
 
 私たちが、今日から全てのことを、神にあって、神と共に、神のために生きることを想像した時、それは、虚しいものになるだろうか。そのことを通して、神の助けを頂いて、古い道から離れ、新しい道への出発点となるなら、それを選び求めようではないか。そこに、永遠の祝福と喜びがあるのだから・・・・。
 
 
私と共に歩まれる主よs-CCF20110523_00001.jpg
 
私と共に歩まれる主よ
あなたの愛と真実を
私のものとして
今日も明日も歩ませて下さい
 
私と共に歩まれる主よ
あなたの怒りと憂いを
私のものとして
今日も明日も歩ませて下さい
 
私と共に歩まれる主よ
あなたの叫びと祈りを
私のものとして
今日も明日も歩ませて下さい  水野源三著・第3詩集「今あるは神の恵み」
   小閑記s-2011050816010000.jpg
       
 
  主に寄り頼むは人にたよるよりも良い。
             (詩篇118:8)
 
 私たちの中で大切なものの一つに、信頼・友情を挙げる人もおりましょう。時にそれが人生を左右するほどのものであったり、生涯の友になったりすることも多々あります。しかし、長く続いた友情も消えることがあります。時間がそうさせることもあるでしょう。また、互いに信頼し合うことができると考えていても、何かの出来事で終わることもあります。不信、離反、そして傷つけ合ってしまう場合もありましょう。
 時間は、絆を強くすると共に、絆を破れへと流れることもあります。
 
 そんな自分を振り返る時、自分の中に不真実であったり、不誠実であったことに思い当たることがあります。己を信じること、また他人を信じることは、砂の上に家を建てるようなものとなると、信頼とか、友情は無意味なんだろうかと思うこともあるでしょう。しかし、私たちは、聖書を通して、この事実をきちんと知ることを教えているのではないでしょうか。それは、私たちが不真実や約束の不履行は、私たち自身の中にある不完全さ、罪にあることを認めることではないでしょうか。
 
 しかし、私たちに真実を示してくださる方が居られること。その方は決してご自分の方から約束を無効にはなさらない方が居られることを知ることは本当に幸いと言えます。
 神は、約束も愛(友情)も破らず、たがえられない唯一のお方であると知ることです。神は、人を失望させず、さまよい、絶望に喘ぐ者に希望と光を指し示す唯一のお方です。
 
 そればかりでなく、最悪の中から、最善への結果へと導き、そのために、神は何時も私たちの傍にいてくださるお方なのです。それは、生きている時も死の時も、死んだ後もであります。この方に寄り頼むことは、決して人を辱めるものではありません。
 
 わが神よ、わたしはあなたに信頼します。
 どうか、わたしをはずかしめず
 わたしの敵を勝ち誇らせないでください。 (詩篇25:2) 
 
                      上河原立雄 
 
(ひとみs-P5020321.jpg)
 
初めて壊れて惨めな姿の実家に行きました。あまりの変りように心が疲れました。所々ににあった桜が、今は満開ですが、多くの木にはたくさんの傷がありました。それでも咲いていました。家族や近所の人々の家の木もたくさん傷を負っています。一番驚いたのはもう山つつじが咲く準備をしていたことです。              
   東京都  M・Sさん
 
主人は東電の孫請け会社で働く社員ですが、今までお世話になった東電だし、地元にとって失いたくない企業だし、地域の人に安心して貰えるように頑張るしかないと、毎日出かけます。仕事のことは何も言いません。私や子供たちに心配させたくないのと、外部には言わないようにということが有るかもしれませんが、分かりません。分るのも不安、分らないのも不安です。みなさん、理解してください。 
                    福島県  A・Aさん
 
この度の震災は未曾有の被害をもたらしました。人々の心を砕き去り、全てを奪い、失いました。家族を失い、ただ呆然と立ち尽くし、生きる道さえ見い出せません。生き残った者も停電による暗い日々、寒さに震え、食べ物もなく、明日を考えることさえ出来ない存在になってしまいました。どうしたらよいのだろう。心に浮かんだのは「ヨブの試練」でした。絶望の中でこそ、ヨブは神様を仰ぎ見ていた姿でした。「つのぶえジャーナル」を見ておられる被災された皆さんとご一緒に神を仰ぎ見て生きます。
                    岩手県 K・Kさん
 
私の住む沖縄は、青い海と太陽と花一杯です。庭には透かしユリの黄色に似たヘチマが真夏を呼んでいます。海には色鮮やかな小魚がのどかに泳いでいます。今、被災された皆さんの海の表面は青くても、その下は悲しみの瓦礫が美しい海を覆っているのでしょう。海は命です。よみがえります。島を離れたことのない私ですが、景勝地三陸の海を一度は訪問したいです。
                    沖縄県 G・Gさん
 
母の楽しみは、好きな花を植えて楽しむことですが、毎日事故の悲惨な様子を見ていて、自分だけ好きなことしていては、申し訳ないと言うのです。同じ位の年齢の方を見ているととても辛そうでしたが、球根でも植えようね、と狭いマイガーデンに出掛けて行きました。母の後ろ姿に安堵感が見えて、少し泣けてきました。お母さん、元気でいてね!
                    愛知県 T・Sさん
 
26年前、私たちの新婚旅行は松島でした。緑のお椀を伏せた島々に小さな白波と行き交う遊覧船を遠くのホテルから見つめていました。親切で、何処となくごつごつした言葉が私には何か心地よいリズムがあって、今も心に残っています。あの松島が・・・・。主人と、今は悲しくて行けないが少し落ち着いたら、今度はゆっくり旅に出ようと話し合っています。テレビに映し出されるお年寄りの方々の姿を見る時、私たちを笑顔で迎えてくださった方々なのね、と主人と話しています。
                    大阪府 K・Kさん
 
最近、二人の子供の様子が変ってきて、心配です。夜中に起き出して辺りを見渡したり、物音に怯えたり、泣き出したりすることがあり、東京の大きな病院で検査をうけようと思っています。何か難しい名前で、大きな事故後に起こる精神的な病気と記憶していますので、確りと診察を受けさせたいと思って、友人に予約を取ってもらいました。わたしも最近精神的に不安定な感じがあり、わたしも受診することにしました。
                    茨城県 G・Kさん
 
初夏ですね。活動しやすい季節です。
連休は休みが取れたのでゆっくり過ごすことが出来、感謝しています。お世話で忙しいのですが、「誰かに頼られるということは生きがいですね」と言ってくださる人が在りました。大変ですが確かにそうですね。自然が近くに沢山残っている場所なので田舎育ちの私は自然に触れることでリフレッシュできます。先日もハイキングしたのですが 新緑の美しさに感動しました。自然の恵みには癒されますね。
毎日に忙しさを感じる時ほどジャーナルを読み、生活を振り返る様にもしています。そうすると以前は気付かなかったことに気づかされたりと、生き方が深まる気がしています。6月号も楽しみにしています。     
                   奈良県 N・Rさん

(庭の木の鉢の根元に鳥か虫か風かに運ばれて咲いた白い花)
 
   自閉症者のひとりごとs-2011050407570000.jpg
(48)
 
4月15日
午前中行きつけの美容室に行って、髪をバッサリ切ってもらいました。わたしらしくなって、すっきりしました。少し早いけど、これからミーティング会場に行ってきます。昨日は一日出ずっぱりだったので疲れた。最近、午前中体がだるくて仕方ないです。朝食をよく食べるので、高血糖になってしまうのかなぁ。
一昨日は義母より召集令がかかった。連休くらい旅行させて下さいと言いたくなります。子どもたちはバーベキューしたいだろうけど、わたしは鹿や猪の肉なんて、食べたくないです。ほっといて下さいって感じです。あぁ寝よう。花粉症は辛いです。
 
4月19日
母と話をしました。以前出来ていたことが今は出来なくなった(もの覚えなど)や、不器用なことを悲しんでいました。そうねぇ、でも年老いていくことでできることもあるんだろうねとしか言うことができませんでした。それでも母の気持ちの一端を垣間見ることが出来てよかったです。
 
5月2日
連休の疲れが出始めました。今日は精神科に来ています。明日からはまた休日です。もうイヤ。わたしは連休があるとかえって疲れてしまう。欧米のように長いバケーションのあるところはどうやって過ごすのだろう。わたしなんか発狂するだろうなぁ(目眩を起こして注射を3本打たれ閉じ込められる夢を見た・・・夢でよかった!)。変化にとても弱いのだ。一人でいつも通り生活したいのだ。主人とは外出するにはいいけど、限られた空間にいると何故か苦痛なのだ。結婚する前はあんなに別れを惜しんだのに・・・。適当な距離があるんだろうな。自閉症者にとっては一人になる時間と場所が必要なのだ。
 
5月10日
この連休、精神的ダメージがこんなに体に影響を及ぼすとは思いませんでした。堪りかねて、わたしが主人の実家にもの申したので、わだかまりができねばよいのですが。しばらくは力の入らない日が続きそうです。休日が続くといつもそうです。神経が摩耗するんです。これは誰にもわかってもらえません。
                      加納さおり 
 
 
 
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緑を大切に!
お気持ち一つで!
守ろう自然、育てよう支援の輪を!
書籍紹介
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エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

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教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
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「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

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「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
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「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
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われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

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さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

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