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2023年7月号  №193 号 通巻877号
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(90)                          
猫 草
雨水タンクの話である。猛夏に向け、雨水をためて活用するっていいアイディア!と自分では満足だが、さっぱり賛同者がでない。友人たちも「何?それ・・」といぶかしむばかり。自治体の補助制度があるにも関わらず、申請者は皆無に等しいらしい。しかたがないので、インターネットで購入し、雨どい業者さんに設置工事を頼み、と諸々の事務手続きを経て、ようやくやってきました、雨水タンク。
これが思った以上に大きい!重い!とても一人では持ち上げられない。250リットルつまりお風呂1杯分、と頭ではわかっていても、具体的な大きさがイメージできていなかった。高さ1m×幅50cmの巨大な緑のタンクである。主人や息子の助力でなんとか裏庭に運び、業者さんに雨どいを20cmほど切って接続してもらう。作業には30分もかからなかったが、その業者さんも「話には聞いていましたが、設置ははじめて・・」とカミングアウト。この道30年のプロが言う?雨水タンク、知名度低すぎ。
翌日は待望の雨、ちょっと小やみになったところで覗きに行くと、もう上限まで溜まっていた。うちは片側勾配の屋根なので、効率よく流れてくるらしい。翌日晴れたので、ホースをつないで水撒きをしてみる・・と、思ったら、チョロチョロとしか水が出ない。そうか勢いよく散水するには、水圧が足りないか・・。仕方ないので、ひょうたん型の池に水をため、ひしゃくですくって、水撒きをする。熱くなったコンクリートに打ち水をすると、部屋に入る風が涼しくなって気持ちが良い。
先日、自治体の人がタンクの設置状況を確認に来た。「おお、大きいですね、たくさん水がたまっていますねえ!」と素朴にびっくりしていた。本格的に暑くなったらきっと水撒きに威力を発揮してくれることだろう。そして、もっともっとみんなに普及するといいな、雨水タンク。
次はグリーンカーテンに挑戦、ゴーヤの種をまいた。まだ我が家の夏対策は続きます。
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  その愛のゆえにs-2011050408040000.jpg
   =時々の記=
    (63)
 
4月15日
こちら山添村も、薄日がさしています。午後からは雨の予報です。桜も、この雨で一斉に散り、葉桜となるのでしょう。山も芽吹き始めました。霞がかかっているようで、すっきり新芽を見届けることはできませんが、黄緑が多くなってきています。
ひとり生えのラッパ水仙が今年はイキイキと咲いています。突然亡くなってしまったエミリーにささげるのにぴったりです。エミリー、短い間だったけど、有難う。エミリーの遠慮深さを、わたしも学んで生きていきますよ。それと、何時も外出からかえってきたとき、笑顔で思い切りしっぽを振って迎えてくれたね。ほんとに有難う。お前の忠実さも決して忘れないよ。たくさんの良い思い出をありがとう。
この暖かい気持ちの良い季節を待たずに死んでしまったエミリーのことが今日は、むしょうに思い出されます。
犬の墓水仙その他手向けられ
美しき曙となりキジの鳴く。
玄関にちょっと声出す初ツバメ      馬場路哉
 
5月3日
連休で、横浜の姉が上野の母のお見舞いに来るという連絡がはいりましたが、今日ではないようで、予定がうまく行きません。
ウイルス感染したパソコンも修理してもらい感謝です。今の私は、パソコンがなければ孤立してしまいがちです。誰かと繋がっているというという感じで、感謝いたします。本当は、神様と繋がっているのですが・・・。
散歩こう犬に春眠覚まされぬ
花吹雪高速道を疾走す
名は知らずよきソプラノで囀りぬ
樫の葉のぱらぱら飛べる春疾風      馬場路哉
母は骨折したのですが、背骨の小骨であったようで、寝たきりにならず、ほっとしています。兄は、できるだけ自宅で介護をとがんばっていますが、あまり無理をすると、共倒れになるので、と話し合っています。
 
5月5日
大型連休も今日で終わり。私たちには、まったく縁のないお休みですが、普段頑張って、働いている方たちは、ゆっくりできたのではと思います。でも、この連休にも休むことができない方たちもいます。便利な世の中になって、スーパー、コンビニなど、また電気やガス、水道、交通関係の方々など、年中休みなしですから、そこで働いている方たちは、大変ですね。わたしたちは、もっぱら、犬たちの世話に明け暮れています。今、犬たちは、夏の毛に生え変わっていくので、毎日、ひとりずつ、ブラッシングをしていきますが大変なかさになります。これも、一人ずつに対してのスキンシップです。
一人ひとりの犬たちに、きょうも、一日、神様のお守りがありますように、と語りかけていきますと、かならず、うっくん、うっくんと言って答えてくれます。
きょうは、花曇りというのでしょうか。あまり、良いお天気ではありませんが、疲れた体をいやすには、このようなお天気はゆっくりできそうです。東北にも、ようやく春がおとずれていますね。強くたくましく咲いている、水仙の花の写真が涙をさそいます。
 
5月14日
上野の母の検査結果がこの火曜日に出ました。背骨の骨折の部分は、この年齢にしては不思議に、回復しているとのこと。もう、通院しなくてもよいとのことでした。神様の憐みと恵みによって生かされていると、こころから感謝いたしました。
この一週間は、天候が大変不順で、その上、激しい雨が降り続き、体がついていけませんでした。今朝は、ようやくカラッと晴れわたり、山の緑がとても美しく、清々しいです。
元気の良い村の方たちは、大きな音を立てて、草刈り機を動かしています。すごいパワーですね。
草の戸に始まる一日緑立つ
日当たりて無垢の白さの花水木
タンポポのわた幻の如くあり      馬場路哉
今年の夏も暑さがきびしいのでしょうが、被災地の方のことを考えると、一日一日生かされていることに感謝です。
 
馬場暁美
                  (上野緑ヶ丘教会員)
 
 
                  キリスト者の生活綱要  (22)
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ジャン・カルヴァン著
                 ヘンリー・J・ヴァンアンデル編
                 吉岡  繁訳
 
  第3章 十字架を負う忍耐
 
 5 十字架は訓練のためである
 
  1 この服従の必要性は、われわれの肉が、少し優しく寛大に扱われると、きわめて熱心に主の軛を振り落とそうとすることを考えてみれば、よく理解できる。われわれは、初めたらふく食べて怠け、次いで制御できないほどになり、ついには、以前は服従していた馭者にも従わなくなる悍馬(かんば)と同様だからである。
 言い換えれば、主がイスラエルの民について責められたことは、われわれ一人一人のうちに、依然として認められるということなのである。つまり、われわれは、「肥え」、そして「肥え太る」ようになると、養い育ててくださった方を蹴るのである。
 神の慈愛は、われわれに神の恵みを考えさせ、神を愛するようにさせるはずなのに、われわれはきわめて忘恩的であるため、かえって神の寛容によって常に堕落する。そのため、このような我がままに陥らないよう、訓練でもって支えられる必要がある。
 
  2 それで、富を得たとき高慢にならぬよう、栄誉を得たとき自惚れないよう、繁栄と健康とを恵まれたとき横柄にならないために、適当と思われるとき、主はわれわれの肉の尊大さに対して、それを抑え屈服させるために、十字架を用いられる。そして主は、このことをわれわれ一人一人に有益で健全な方法を用いてなされるのである。
 すなわち、われわれが皆、同じ病気で同じように苦しむのでもなく、同じような辛い治療を必要とするのではないのである。
 これが、異なった人々が、異なった十字架によって鍛えられるのを見る理由である。天の医者は、全ての患者がよくなるように、ある人々にはおだやかな効き目の薬を与え、他の人々にはもっと衝撃的な方法で潔めるが、誰も除外されることがない。全世界が例外なく病んでいるからである。  申命記32章5節 
 
(つのぶえ社出版)   この文章の掲載は訳者の許可を得ております。
 
『旧・新約婦人物語』(22)
   『イエス様のみころもにさわった女性』
       (ルカによる福音者8章45節)
 
 マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四福音書を、よく読んでまいりますと、イエス様が病人に対して、いつも深い憐れみと同情をお持ちであったことに気付かれていると思います。幾度も、イエス様が気の毒な病人を、お癒しになったことが、聖書のいたるところに記るされています。時には、人の最も恐れますライ病の人にさえ、イエス様自ら手を置き、癒されたこともありました。
 さて、ここで学ぼうとしています婦人は、他の病める人たちがしたように、直接イエス様の前に立って、癒しを願わないで、ひそかにイエス様の後に近寄って、手を差し伸べ、イエス様のみ衣の裾に触ったのであります。この慎み深く、やさしい、ひかえ目な態度に、わたしたちも心を引きつけるものがございます。何故、この女性は公然とイエス様の前に立って癒しをお願いしなかったのでしょうか。また、この婦人はどういう境遇の女性であったのか、こうした点につきまして少し学びたいと思います。
 ルカによる福音書8章43節以下のところをご覧いただくとよく分ります。この婦人は気の毒にも、12年もの長い間、長血を患って、その治療のために、持っていた蓄えをみな使い果たしました。それ程、治療のために骨折りましたが、誰一人としてこの病気を癒すことが出来ませんでした。
 
 ユダヤの律法では、このような病気の婦人を汚れた者として、誰も相手にいたしません。だから、当然のように会堂の礼拝に出ることは、かたく禁じられていましたし、もしも誰かが、婦人の体に触れたとしますなら、それが知らずに不注意で触れたにしても、その人も汚れた人とされ、清められるまでは、他の人々と交際することができないほど、まことに厳しい習慣がありました。
 こうして12年もの長い年月を自分の親戚からも、友人や知人からも、冷たい目で見続けられていたのです。ですから、この婦人の生活がどんなに悲しく、孤独なものであった、わたしたちの想像も及ばぬものがあったと存知ます。
 そうした寂しい生活のある一日のことです。急に道路の方で群衆が、わいわい騒いでいるので、何事が起こったのだろうと、彼女は群衆の方に近寄ってみました。すると彼女は押し寄せる群衆の真ん中にお立ちになっているイエス様を見つけたのでした。主イエスの足下には一人の人が平伏し、何事かをお願いしているようでした。何事だろうと聞きましたところ、この人は会堂司でヤイロと言い、彼の12歳になる一人娘が危篤だから、先生にいらしていただき、癒してもらおうとお願いしているところだったのです。
 長い間、病に苦しんでいるこの女は、はっと胸をときめかせました。いつも病人をお癒し下さると言う噂に聞くお方が、目の前におられるではありませんか。今こそ絶好の機会だと思いました。けれども自分のような者が、イエス様に近付こうとすれば、きっと金持ちのヤイロや、群衆が邪魔をし、妨げることだろう。また、わたしのような世間から見捨てられた病人が、イエス様のみ前に立つ資格はないと彼女は思い込んでしまいました。しかしそうと思いつつも、ただみ衣の裾にでも触ることが出来るなら、必ずわたしの難病も癒されるに違いないと、彼女は信じました。s-2011050408180001.jpg
 そこで、密かにイエス様のもとに忍び寄り、こわごわ後ろから手を差し伸べ、主のみ衣の裾に触りました。驚いたことに、ただそれだけで、不思議に長年患っていた長血がその瞬間に止まったのです。その時イエス様は振り返って、「わたしにさわったのはだれか」と問われました。そこにいた人々は驚きながら、顔を見合わせていました。ペテロが「先生、群衆があなたを取り囲んで、ひしめき合っているのです」と答えました。
 しかしイエス様は、「だれかわたしにさわった。力がわたしから出て行ったのを感じたのだ」と言われました。これを聞いたこの女は、隠し切れないと知ったので、おずおずイエス様のみ前に進み寄って、主のみ前にひれ伏して、自分がみ衣に触ったことと、長年の病気がたちまち癒されたことを皆の前で告白いたしました。イエス様はこれをお聞きになり、「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい」と言われました。
 「娘よ」とのイエス様のお言葉は、実に美わしい、愛情のこもったお言葉ではありませんか。今までイエス様がお癒しになった多くの人たちの中で、「娘よ」と愛に満ちたお言葉をいただいたのはこの婦人だけです。このお言葉によって学ぶことは、全ての人に見捨てられ、軽蔑されていると世の人から見られていたこの婦人が、見捨てられるどころか、愛される神の子であったとイエス様は主張されるのです。いろいろな悩みや苦しみの問題を持っておられる愛する読者の方々、天の父なる神は決してあなたがたをお忘れになってはおられません。
 
 あなたも神に愛されている子供であります。しかしあなたはこの女の人のように、信仰の手をイエス様に差し伸べておられるでしょうか。手を差し伸べなくては、神が与えようとしておられるお恵みをいただくことは出来ません。この女の人のように、自分を低くして信仰をもってイエス様のところへおいで下さい。精神的に癒され、恵まれ、そして心の満足が与えられるのです。
 問題は、ただあなたが本当に信仰をもってイエス様のみ許しに行くか、否かにあるのです。キリストに近付き、信仰の手を差し伸べ、お恵みを豊にいただく者になりたいものです。
              ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。
 
 ビルマ
  戦犯者の獄中記  (5)  遠山良作 著 
 
昭和21年
1月1日
敗戦後、初めての正月を牢で迎える。出田大佐より「陛下より、すべて苦しみに耐えて、祖国再建に努めよ、との聖旨にお答えして、われわれは、今後いかなる苦しみにも耐えて、祖国に還るのだ」との訓示があり、「君が代」を歌い、皇居遥拝をした。
 
初春を 獄舎に迎え 君が代を 歌いまつりて 涙拭きえり
 
3月6日
入獄以来、24回目の首実験が行われ、その間に私は20名の現地人から指された。そのためか、ラングーンに送られることになった。他に24名の者と一緒である。まだここに残っている数多くの戦友たちから「頑張れよ」との励ましの言葉を後にして、10名のゴロガ兵(インド兵)に監視されて、「モールメン刑務所」を出た。
サルウイン河を「サンパン」(小船)に乗せられての渡河である。思い出多きモールメンの街、小高い丘にそびえる白いパゴダ(仏塔)を船の上から、何回も何回も振り返り、対岸マルタパンに着き、貨物列車に乗せられて、ラングーンに向った。
 
サルウインの 河渡りつつ 振り返る パゴダは白く 輝き立てリ 
 
3月20日
 -戦犯裁判始まる-
私たちがラングーン刑務所に着くのを待っていたかのように「カラゴン」事件の関係者に対する取調べが始まり、14名が起訴された。
今日は開廷初日である。
起訴の理由は
1 カラゴン村の住民500余名を虐殺した。
2 村民に暴行虐待した等である。
 
イギリス軍戦犯調査委員会は、ビルマ最大の残虐事件であると国の内外に宣伝し、ビルマに於ける最初の戦争犯罪の裁判である。戦争裁判とは如何なる裁判であるのか。われわれは重大な関心をもって見守る。
この事件は終戦直前に起きた事件で、その概要は、モールメン市の東北、ダリー森林地区にパラシュートにより降下した英軍アビー少佐の指揮するゲリラ部隊を援助しているカラゴン村村民を攻撃するために弓部隊の市川大隊は田中師団隊の命令によりカラゴン村のせん滅作戦を行い、村民五百数十名を殺害した事件である。
起訴された市川少佐たちは、これは作戦行動であり、師団-聯隊命令によって行動したことを主張した。
 
4月10日
今日はビルマ戦犯裁判第1回目の「カラゴン」事件の判決の日である。如何なる判決が下るのか、誰しもその結果は、と注目した一日である。その結果は次のような判決であった。
陸軍少佐 市川 清義    絞首刑9014babb.jpg
陸軍大尉 緑川   寿     銃殺刑
陸軍大尉 柳沢   泉     銃殺刑
陸軍中尉 田島 一郎   銃殺刑
陸軍大尉 坂巻 三郎   十年
陸軍大尉 大久保要壮   十年
陸軍中尉 竹井 省三  十年
憲兵准尉 藤原 良造  五年
憲兵軍曹 小林  宷    五年
憲兵軍曹 野本 金二  七年
他四名                無罪
 
死刑を宣告された、4名は東独房に一人ずつ収監された。この裁判で私が驚いたことは、命令者である田中信男師団長(33師団)と柄田連隊長は起訴さえされていなかったことである。師団-連隊-大隊と伝達される命令で行動する作戦が日本の軍隊である。 
柄田連隊長は、法廷において「市川大隊長に敵に協力している村民は殺せ」と命令したことを証言している。命令した上官は起訴もされない。戦犯裁判とは一体如何なる行為をした者が裁かれるのか、理解出来ない・・・。
あるいは田中師団長が事件の責任を部下に転嫁したのかもしれない。「カラゴン事件」の責任者として英軍から召喚され、その挨拶に行った市川少佐等に、師団長は「お前たちがやった事件だから、お前たちでこの責任をとって他に迷惑をかけるな」とさとしたとも聞いている。命令者である師団長の言葉とは思われない。このような上官の命令で行動し、死刑の宣告を受けた4名の方々の気持ちは如何に・・・。
関係のない私でさえ口惜しい思いで今日の判決を聞いた。
 
この文章の転載はご子息の許可を得ております。
 
  あなたに聖書を
 
 わたくしは、週に1回、ホスピスに入院しておられる患者さんの話し相手をしていますが、先日、ある方とお話していて、「今何かお困りのことはありませんか」とお尋ねした時、その方は、ポツリとひとこと言、「自分に困っています。」とおっしゃいました。
 これを聞いて、わたくしは、咄嗟(とっさ)には何も言うことが出来ませんでした。それは、この方が言われたことは、おそらく、全ての人が必ず直面しなければならない自分の問題、すなわち、死ぬということに対して、自分の力では何も出来ないことを知った場合に発せられる、呻きにも似た言葉であるのでしょうが、それを聞いたわたくしを含めて、おそらく全ての人間には、その困っている状況から救い出す言葉も力もないことが分かっているからです。
 
 わたくしは、しばらく経った後、その方に「そうですか、困っておられるんですね。それをお聞きしてわたくしもどう言ったらよいか分からなくて困っています。しかし、何かご自分でそのことから解放される道はないか、考えてみていただいたらどうでしょうか。わたしも考えた上で、ご参考になりそうなことがあれば、来週来た時にお話ししましょう」といってお別れしたのですが、再びお会いすることはありませんでした。
 
 ところで、旧約聖書の中に詩篇第46編の始めのところに、次のような言葉があります。
「神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦である。神は、苦難の時、必ずそこにいて助けてくださる。だから、たとえ、大地が姿を変え、山々が揺れて崩れて海の中に移っても、また、たとえ、海の水が騒いで湧き返って、その高ぶりに山々が震え上がるようなことになっても、わたしたちは決して恐れない。」というのであります。
 「自分のことで困っています」という方に、この詩篇を書いた人の声は届きませんでしたが、わたくしは、全ての人に、この声に共鳴されるような神からの導きがあるようにと願っている者であります。
 
篠田 潔
 
(参照聖句・詩篇46:1~3)
(電話によるメッセージより・日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
 
「キリストへの時間」放送予定
       (放送開始1952年10月)
 
s-2011050713300000.jpg6月 5日  沖崎  学 (金城学院高等学校宗教主事)
     12日  沖崎  学 (金城学院高等学校宗教主事)
     19日  後藤田典子 (金城学院中学校宗教主事)
     26日  後藤田典子 (金城学院中学校宗教主事)
 
 
CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ
毎週日曜日朝6時30分~45分放送
 「ローマ人への手紙」研究 (79)s-P4280285.jpg
 第48課 異邦人の召命とユダヤ人の拒否
       9章1~11章36節(続)
D 福音はすべての人の必要に適応したものであり、万人に伝えられるべきものである。
       10章11~21節 (2)
 
「したがって、信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである」(10:17)。この節での「聞くこと」という言葉は、16節の「聞いたこと」という表現に関連して言われています。「聞いたこと」というギリシャ語は元来「聞くという動作」を表し、それから由来して「聞くことの内容」を意味するに至っています。イザヤの問い掛けの言葉「主よ、だれがわたしたちから聞いたことを信じましたか」は、信じることは聞くことによるのです。すなわち、信じること、信仰は聞いたことによるのであるという意味です。
人が福音を信じるようになる前には、先ずそれを聞かなければなりません。すなわち、それに接しなくてはならないのです。信仰は聞いたメッセージを真理として受け入れること、そのメッセージがそれについて語っているその方を信頼することから成り立つのです。その故に「信仰は聞くことによるのである」と言えるのです。
パウロはさらに付け加えて「聞くことはキリストの言葉から来るのである」と言っています。「キリストの言葉」、あるいは「神の言葉」という表現は、単に聖書、あるいは神の言葉だけを意味するのではありません。それは宣教の業をなす神の言葉、または命令を指すのです。宣教の業はキリスト信者たちの自発的な努力ではなくて、神によって命じられた使命なのです。神の権威ある御言葉の伝達であり、神の命令より出るものなのです。
 
パウロは今までに述べてきた2つの真理をここで確認します。すなわち、
1 知識は信仰に必要であること。
2 そしてその知識を異邦人にまで伝達することが神のみ旨であること。
 
「しかしわたしは言う。彼らには聞こえなかったのであろうか。否、むしろ『その声は全地にひびきわたり、その言葉は世界のはてにまで及んだ』」(18)。
この所でのパウロの論理はかなり短縮されており、いくらか唐突で、かなり理解が困難になっています。しかし、とにかくパウロがここで言おうとしていることはなんでしょうか。ある学者はパウロはここでユダヤ人のことを念頭において語っているのだと言います。しかしここの解釈は、パウロが今ここで論じているのは主題と一致していません。
なぜなら、彼がここで述べているのは、ユダヤ人の拒否ではなくて、異邦人の召命についてであるからです。18節も異邦人について宣べているからです。なぜならば、イスラエルのことを語ろうとしていることは明白です。19節において、彼は名前を挙げているからです。
 
18節が異邦人について語っているのであるとすれば、パウロはここで何を言おうとしているのでしょうか。パウロの言葉は詩篇19編4節から引用されています。しかし、詩篇19編の主題は自然における神の啓示ですが、ここではキリストの福音を語っているのです。パウロは異なる事柄を表わすために、詩篇より言葉を借りてきているに過ぎないのでしょうか。勿論、自然における神の一般啓示は、ある意味で福音の普遍的宣教の準備的な予微であることは確かです。これら両者ともに普遍的になされることが、神のみ旨でありました。
しかしパウロの意味するところは、福音は既に契約の民イスラエルというチャンネルを破って外に出て、世界の全ての人々に宣べ伝えられる普遍的なメッセージとなってしまっていたということです。勿論、このことはパウロの時代に福音が既に全ての国々の民たちにまで届いていたということを、決して意味してはいません。なぜなら、そのようなことがなかったことは明らかであるからです。しかし、福音が当時の世界にあまねく、広く伝えられていたことは確かです。
 
 J.G.ヴォス著
 玉木  鎮訳
 (日本キリスト改革派引退教師)
この文章の転載は訳者の許可を得ております。
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被災者のお声(メール・お便り)
 
 頑張っていたところに、出荷停止地域になり、力が抜けてしまった。踏んだり蹴ったりの追い打ち、全く先が見えない。これからどうなるのか、・・・・・。
 大学に行っていた娘が、休学届けを出して戻ってきた。手付かずの家具や衣類・記念のアルバムなどを泣きながら片付けていましたが、今は、隣の家の手伝いにも出掛けています。落ち着いたら、医師を目指していた娘に早く戻してやりたいです。
 これからが先の長い再建や子供たちのための町作りが始まると話し合っています。何だか希望が出てきました。被災者じゃない、再建者ですから・・・。
 
 広い体育館での生活にはプライバシーはありませんでした。かなりの人が退去された関係で空間が出来ましたので、家族単位でダンボールの仕切りが出来ましたので、安心しましたが、問題も起きてきました。病気や足腰に痛みのある方は、その仕切りの中で、ただ寝ているか、座っているだけになってしまい、孤独感や圧迫感に悩まされています。一つが解決するとまた難題が出るのですね。
 自衛隊の方々の活動で、地域が維持されていることは感謝ですが、その疲労は見ていて分かります。きちんとした指揮の下での活動には、責任感がありますが、十分な休息はあるのでしょうか・・・。 
 東北地方の地震の影響で私の住む長野県の栄村では避難生活されている方がおります。農作業どころではありません。また地震は、地滑りや地盤沈下などの被害が出ているようです。
♡ 避難所から友達の好意で空き部屋を借りて生活しながら、時間を作り避難場所に出掛けております。疲れたら帰れますから、その時だけは動き回っています。お互いに声を掛け合いながら、次に繋がる気持ちが途切れない様にと願っています。
♡ わたしたちにとって、家畜は家族です。同じ屋根の下に暮らす家族という思いがありますので、畜産農家と言うくくりで理解されることは心外です。汚染地域だから避難せよ、立ち入り禁止と言われても、こころの整理がつかない。家族を捨てよ、見殺しにせよという事には、納得いかないのが、今の気持ちです。
 
♡ 新しい地域の絆が生まれようとしています。普段は頭を下げる程度から、今はお互いの気持ちを伝え合えるようになりつつあります。地域の集まりには積極的に参加しようと、主人と話し合っています。今までは、じいちゃん、ばあちゃん任せだったから。  
♡ 地区の役員としてやっと活動できるようになったが、今までは避難場所での生活確保が重点だったが、今は、それぞれ親戚、知り合い等を頼って引越されたが、一番心配だった孤立、孤独という心の病が、疲れた体にのし掛かって来て、避難所の方が安心出来るので戻りたい、という人がいる。これから多くなるのではないかと、地域の役員会で、今後のことを話し合うことになった。辛いことです。  
♡ 何処を見渡しても壊れた家と壊れた車の無残な姿に、早くこの瓦礫が取り除かれないかと思っていましたが、今度は、取り除かれることで自分も消し去られ、忘れられるのではないかと、思ってしまう自分がおります。不思議な気持ちです。
 
♡ 立ち入り禁止になってしまいました。家もあり、畑もあり、隣りの家も町も商店もそのままなのに、という気持ちを納得させるのに困っています。とりあえず親戚に来ていますが、子供の学校のことが心配です。
 瓦礫の隙間から草や花が咲いているのを見ると、勇気付けられるのですが、今までのことが思い出されて、悲しみが深まり、先の見えない現実となって、希望や勇気の灯火を吹き消してしまいます。大勢の中に入るストレスから逃れるために傾いてはいますが、自分の家に戻ったのですが、散乱した家具や衣類、壊れた食器、壁についている濁流の跡に恐怖心が襲って来ます。自分勝手に戻ってきたためだろうか、とかを考えてしまいます。
 
♡ 子供たちが学校に行くようになって、残っているのは高齢者ばかりです。失礼な言い方ですが、「高齢社会」を見る思いがします。これが、私たちの地域なのですね。お元気なおばあちゃん方は、お掃除をしたり、ゴミの始末をしていますが、おじいちゃんはじっと座って、タバコをすっている姿には寂しさを感じてしまいました。
  
♡ 娘の学校にも福島や宮城からの転校生がいるそうです。子供たちは元気にしているようですが、ご両親の仕事が決まらず、不安定な日々の様子で、お気の毒です。
 助かった感謝から、今は、家や友だちを失った悲しみが湧いてきてか、あの時一緒に死んだほうが良かった、と言い出す母を見つめています。
♡ 叔父から一時帰宅で牛を見てきたら、痩せていて本当に、原発事故が悔しい。総理大臣にこの牛の姿を見て欲しいとメールがありました。・・・。   
 
被災された皆様、避難生活をされている皆様へ

✉ テレビや新聞で被災地や関東地方は日に何度となく余震があり、ご心痛のこととお察し申し上げます。同年の方のお姿を見るたびに、胸が苦しくなります。一日も早く穏やかな日々をお迎え下さいますように、お祈りしています。
                         兵庫県 今井ことよ
 毎回、「つのぶえジャーナル」を頂き感謝申し上げます。今回の地震は、最初は強い揺
れがあり、余震は1、2度で大過なく過ごしております。ところが4月7日の深夜に地震があり、停電になりました。この「ジャーナル」は、私だけ読むのはもったいないので、教会の兄弟に差し上げております。・・・。   弘前  北岡一夫
 
      ******************
憲法第25条(国民の生存権と国の保障義務) すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
② 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
 「みんなでわいわい・ご意見コーナー」s-P5090343.jpg
 
 被災された皆さん、ありきたりの言葉ですが、「がんばりましょう」。私の住む北海道は、まだ春ではありませんが、新聞によりますと、釧路市阿寒町の阿寒湖で4月26日、国の天然記念物のマリモの引上げ作業がはじまり、28日の観光遊覧船運行から展示観察センターで、一般公開されました。一つの出来事が春を教えてくれます。しかし、まだまだ寒いですよ。        北海道  H・Aさん 
 
 「ジャーナル」ご覧の皆さん、お元気ですか。私は花粉症です。5月号は、東関東の災害に関することが中心でしたが、毎日のニュースで、感覚が麻痺しています。いけないとは思うんですが、どうもニュースに追われると、自分の生活が「ニュース追っかけ自分」になり、ニュースが自分の生活の大部分を占めてしまっていることに最近気付いて、これはいけない、と思っています。改めで、自分の立ち位置を確かめようと思っています。何時ものように、コーヒーカップを持ちながら、好きなCDを聴くことからはじめます。
             和歌山  I・Tさん
 
 母の日には、切花の花束を贈っていましたが、初めて鉢植えにしました。花の手入れを趣味にしていましたので、主人と相談して決めました。我が家の習慣は、人様への贈物は主人と相談することです。会話が弾みますし、何だか喜びの分かち合いになった気分にさせられるからです。皆さんは如何ですか。
             愛知   S・Jさん 
 『ありがとうございます』s-IMG_0065.jpg
今年も6月に入りましたが、東北・関東での災害の課題は、私たち一人一人自分のこととして、自分の生活スタイルを考えなければなりません。今までの生活ばかりでなく、自然との関わりや環境なども含めて、快適・便利の追求が何をもたらしたのかは、これからの大きなテーマとして「つのぶえジャーナル」を介に、交換の場に育つことを願っています。ご意見を送信してください。また多くの方にご覧頂いていることに、こころより感謝いたします。今後ともよろしくお願い申し上げます。     
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『クリスチャン音楽家を支える会』への寄付者
匿名様
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アダはヤバルを産んだ。彼は天幕に住んで、家畜を飼う者の先祖となった。その弟の名はユバルといった。彼は琴や笛を執るすべての者の先祖となった(創世記4:20~21)。
‘11年3月16日から5月15日まで
   今月のことば
  
s-CCF20110422_00008.jpg 受けるよりは与えるほうが、さいわいである。
            (使徒行伝20:35)
 
東北・関東を襲った地震と津波、そして原発事故の被害は想像を超えています。それに立ち向かうには一人一人の力は小さく、無力さを思い知らされもしましたが、その小さな力が人の心にある何かを呼び起こしたことも事実です。「支え合う心」「絆」「地域の力」「家族愛」など、日本人が大切にしていた無形の価値観が再確認させられたのも事実です。
 
人は与える方がやさしいと考えるところがあります。しかし、これほど難しいことはないということもまた事実です。自分の気持ちで与えることは簡単ですが、与えるとは、有り余る余分な物を与えることであるなら、それは、余り物の処分になるのではないでしょうか。買占めの反対の気持ちではないかと思えるのです。
 
私たちは、何としばしば、必要のないところに与え、必要なところでは与えないことでしょう。また、私たちは、それを受ける人の笑顔を想像して行う行為は、受ける人を卑しめていることになりはしないでしょうか。私たちの心の中に、受ける人々より一段高いとこに身を置いて、自分をパトロンのように感じることからくるとしたら、何と傲慢な「罪を犯している」ことでしょう。
 
私たちの心の中に、イエスの代役、救い主の役を演じたくなる誘惑が芽生えます。また、「受けること」ことを嫌う心もあります。私たち人間が何時も与えることだけを考えて、受けようとする謙虚さを育てていないとするならキリスト者は、何と大きな罪を犯していることでしょう。もしそうなら、今持っているものは、祝福のないものになってしまうでしょう。
 
改めて、考えてみましょう。私たちが神から最大の賜物・贈物を与えられことを。そのことを学び返す時、私たちにとって、与えるということは、受けるよりもさいわいになるでしょう。そして、私たちは受けた者として、神の前に謙遜になる時、私たちを傲慢にせず、受ける人を辱しめず、お届けする者に用いられるでしょう。
   小閑記s-CCF20110422_00009.jpg
       
 
 そこで百卒長は答えて言った、「主よ、わたしの屋根の下にあなたをお入れする資格は、わたしにはございません。ただ、お言葉を下さい。そうすれば僕はなおります」。
                       (マタイ8:8) 
 
 人は、いろいろ考えます。単純になりたいと思いながら、いろいろ考えるものです。もし、人生を神のみ言葉によって生き通すことが出来たら何と幸いなことかと考えます。
 
 アブラハムは知らない国へと出て行って、約束に確りと頼り、何もかも不可能と思えた時にも、希望に希望を重ねて生きる術を学びました。神のご命令によって、モーセが海の上に手を差し伸べると、イスラエルのために道が出来ました。神のみ言葉によって、ペテロは波の荒れる海を歩きました。盗人は十字架からパラダイスへ行き、百卒長は家に帰り、死にかけていた僕が、すっかりよくなっているのを見出しました。ピリピの獄吏がすべての家族とともに救われたのも、カナンの女の娘がサタンの力から解き放たれたのも、神に頼る信仰によるものでした。
 
 わたしたちの生涯を建てるのに、神の言葉ほど安全なところが他にあるでしょうか。人は、そのことを示されているにもかかわらず、人間に頼る方が、ずっと容易だとその方を選ぶのです。
 イエスがわたしたちの救いのためになしてくださったことは、十分で完全であることを、神は保証してくださったのに、なお、わたしたちは疑い、また自分の偽りに満ちた心に頼るのです。神はわたしたちの父となると約束してくださり、まず神の国を求める者には、「これらのものはすべて添えて与えられる」と約束してくださいました。
 それにもかかわらず、わたしたちは食物や着物、そして将来を案じ、心配して日々を暮らしています。
 さあ、キリスト者として生きているなら、目覚めて、わたしたちの神とみ言葉に頼る信仰の足りないことを恥じましょう。神は約束をお守りになるお方であると、改めて、学び直しましょう。
 
                      上河原立雄 
 
 
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書籍紹介
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エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

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教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
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「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

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「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
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「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
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われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

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さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

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