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2023年7月号  №193 号 通巻877号
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(ひとみ)
私は、東海地方にある施設職員として働いています。入居者には不安を与えるということで、被災のテレビを避けて、音楽や温泉めぐりなど旅番組のヴィデオを何気なく利用しています。職員の会話も気を付けています。地域活動している関係で、とても気になることがありますので、メールしました。それは、自宅に引きこもっている人のことです。何とか連絡をとろうはしていますが今のところ出来ません。活動仲間と相談していますが、なかなか方法が見つかりません。今の所は、今まで通り「待つこと」にしています。
                     三重県 T・Tさん(3/20)
 
s-CCF20110422_00007.jpg言葉もないほどの大災害で何かをしなければ・・・・と心だけが右往左往しています。我が家の孫が、8日中学を卒業して、その夜、夜行バスで福島県南相馬市の嫁の実家へ大喜びで一人旅に出かけました。9日昼に着き到着の電話とともに「地震ばかり揺する」・・・と言う報告を受けました。11日午後2時55分頃「大地震で家が壊れ2階の窓から逃げ出した・・・避難命令が出た・・・」と電話が切れました。それから電話が通じず、ようやく親戚からの電話で「郡山の親戚へ非難をした」ことがわかりましたが、またすぐ大おじいさん大おばあさん(85歳以上)が家へ帰りたいと半病人になってしまって、また1500㌔の片道を帰ってきたところ、原発の被害で家へは帰られず、また100㌔離れた指定された避難場所へ来たそうですが、ガソリンがなく、もう何処へも行けなくなり与えられた毛布一枚に包まって寝たそうです。食べ物はおにぎり一個で孫は空腹で言葉が出なかったそうです。嫁の両親も孫に何かあっては・・・と気を使ってくださるのですが、何も出来ず可哀想に思ってくれていたそうです。嫁は岐阜で居ても立っても居られず、臨時便の飛行機が羽田から福島空港行きが出ることを知ってすぐ迎えに行きましたが、レンタカーもガソリンがなく乗れず知人・親戚の人の車で避難所を探して宇都宮まで新幹線が来ていましたからいろいろ乗り継いで、ようやく孫を連れ帰って来ました。
17日でした。福島を出るとき孫は被爆検査を受けて衣類は全部脱ぎ捨て身体は良かったそうです。嫁の実家は海岸線から10キロ離れた所で津波は来ませんでしたが、原発からも40キロ離れているので・・・と始めは安心していましたが、テレビやラジオのニュースを見るたび不安が押し寄せて、本当に心配しました。
今は立ち入り禁止区域で必要な物も取りに行けず、本当に困っている状態です。
今日は、嫁の実家の家族(両親と祖父母)と、嫁の姉家族(姉夫婦と子供8・5・3歳)の衣類や日用品を買い揃え、水やレトルト食品は売り切れて数の制限があって十分に揃えられませんが送りました。クロネコヤマトも10日~15日かかり配達なされず、集荷場まで取りに行かなければならないそうです。今、我が家では孫が帰って来て一安心ですが 目処のつかない避難生活をしていらっしゃる多くの人達に何か手を差し伸べなくては・・・と痛切に思っています。放射能の被害も東京まで来ていますね。・・・
赤ちゃんに水を与えないように・・・とのニュースです。とりあえず混乱したニュースですが、お祈りして主のお慰めを願っています。・・・・・
岐阜県 K・Tさん(3/24)
 
愛って何ですか? 小さな善意なんてあるのですか? 大きな善意も小さな善意も皆同じですよね。人間って、自分も含めて醜い。被災者の家に泥棒に入ったり、振り込め詐欺を働いたり、悲しい。でもやっぱり仲間や人を信じたいです。
                         東京都 G・Kさん
 
東北関東に地震があり、あっという間に大切な命が津波に飲み込まれ、戦争をしらない私達でも戦場のような被災地に言葉を失いました。
毎日ニュースを見ながら、被災に遭われた方の気持ち、大切な家族や友人を一瞬に亡くしてしまった方々の気持ちを考えるとどうしようもない悲しみに胸が詰まる思いです。思いを馳せて泣いたり考えてしまうと自分の身体に症状が出て痛みとの闘いですが、私の状況なんてどんなに幸せかと思い、自分に何ができるんだろうと考えている日々です。
人は自然と共に生活している事を私達一人一人がもっと良く考えて行かなくてはならないと改めて思いました。これから日本が、日本人がどう頑張れるのか、きっと頑張れると信じたいです。ただ被災された方々に今すぐに頑張れというのはとても辛い事ですよね。
それぞれに、いつか希望が持てる何かが与えられるように祈ります。
心から復興を祈ります。             
愛知県 M・Fさん
 
地震・津波・原発のニュースに心萎えてしまいそうになります。買占め、振り込み詐欺、義援金募金詐欺も拡大していて、自分自身や人間の醜さを見るようです。そんな気持ちに勇気を貰うのは、被災された多くの方々であったり、落ち着いてお国言葉で語るご高齢の方々の強いお気持ちです。
 高齢者を弱者扱いして来た私の傲慢さに恥じ入っています。高齢者ではなく、「功労者」ではないかと思うことに気付きました。戦後の復興を成し遂げ、今の日本を作り上げた「功労者」の努力の上に今があるのだと思いました。その土台が、東北・関東大被害地域の崩壊で自信を失っているのは、周りの私でした。皆さんは、全てを失ったかに見えるその地で、新しい自分たちの村、地域、絆を復興させようとしています。その力は、東北人の力、「功労者」の経験の力なのでしょう。これからは「功労者の高齢者」と尊敬の思いでいたいと思っています。
                         東京都 Y・Tさん
 
原発に関しては、その恩恵ばかり貪り、今も受け続けている私も同罪です。弁利さと快適さを追い求めてきた結果がこのことと思います。人間は何でも出来るのだと言う過信に気付き、次のとるべき行動を大事に、確り考えねば・・・。普段から分ちあい、譲りあいなど、忘れていた気持ちを日々に生活の中に取り戻していくことを、スタートラインにしたいものです。 
                          栃木県 I・Hさん
 
締め切ったカーテンを開けると、昨日までの蕾の桜が一杯咲いていました。窓から暖かい春の陽が射したので、戸を開け放ち外の空気を吸い込みました。遠くの方で畑を耕すトラクターのエンジン音が聞こえます。久し振りの寝坊。何か恥ずかしい気がしました。施設の夜勤の疲れがたまっていたので、ゆっくり眠ることが出来ました。主人も子供たちも仕事と学校に行っていました。
                          山口県 O・Hさん
 
今で言う、異業種の集まりとでも言うのでしょうか、40代の町の2代目、3代目の者たちが月に一度集まってこれからの町のあり方を考える会がある。もう数年続いているのですが、年々、後継者不足が話の中心になります。特に深刻なのが町の商店の経営者です。身近な生活用品を手がけてきた店も、大型店に客足を奪われ、文字通りシャッター通り化しています。ある会員が魅力のある町作りを考えようということになり、自分たちの町にはどんな魅力があるのだろうかと知恵を出し合うことにしたが何もないことに気づいた。
そこで、改めて「魅力ある町」とは何かを時間を掛けて考えることにした。どうなるかを楽しみにしているところです。
                          新潟県 T・Kさん
                         
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世田谷通s-CCF20110422_00005.jpg
 (89)
猫 草
 
事態の収束までまだまだ長い時間がかかる、と頭では分かっていても、気持ちが塞がりそうになる。今、小学生、中学生の子供たちの顔をみながら、この子たちが大人になるまでに自分にいったい何ができる?と日々自問自答している。前回、夏までに政策レベルでやらなければならないことを書いた。変電所の増強と北海道から東北への送電ラインの増強、この二つは手つかずのようだ。自家発電設備の増強と現在の発電所の稼働率向上、この二つは迅速に対応が進んでいる。家庭用蓄電池の普及促進、これは業務部門、家電レベルで進展しているように思う。
さて、人間社会の様々な努力や思惑と同時に季節は動く。桜が咲き、やがて梅雨がくる。梅雨が明ければ・・そう、今年の夏も猛暑になる。そして電力は夏のピーク需要に到底足りない。熱中症や腐敗による感染症多発への対策・・。自然は人を待ってはくれないことを痛感しつつ、以下はささやかながら個人レベルでやってみたことである。
1 南向きのすべての窓に遮光カーテンを追加。
2 窓ガラスには紫外線を遮る断熱シートを貼る。
3 アイスノンとネッククーラーを家族分準備。
4 コンテナと土、ベランダネットとゴーヤの種、これで緑のカーテンを作る。
5 雨どいの水を溜める「雨水タンク」を設置する。
いま設置予定の雨水タンクの容量は約風呂水一杯分の250リットル。世田谷区もそうだが、購入と設置費用に関して自治体の助成をうけられるところも多い。これらは来たるべき猛暑対策だ。夏がこんなに暑くなったのは温暖化の影響もあり、アスファルト舗装、住宅の気密性が上がったことも一因だ。道路や壁面温度が下がらないまま夜になり、寝苦しい熱帯夜になる。真夏の直射日光にさらされた車の中を想像すればわかるが、一度熱された空気は容易に下がらない。ではどうするか?家の開口部をカーテンやシート、植物などで覆い被せれば建物内部の温度上昇は緩やかになる。さらに夕方の打ち水も有効だ。外壁や植物、道路に散水すれば気化熱で温度は下がる。
しかし渇水になったら余計な水道水は使えない。そのために雨水タンクを設置して溜めておく。打ち水だけでなく、渇水時にはトイレなどの中水としても活用できるからだ。
爽やかな季節のうちに次への一手を考えて備えたい。季節はめぐり、時は移ろう。しかし人の暮らしは綿々と続く。続けていかなくてはならない。これ以上エネルギーを使わず、健康と生活を保ちつつ続けていく工夫、これまでの「当たり前」すべてを見直さなくては。
  その愛のゆえに
   =時々の記=
    (62)
3月18日
東北、関東大震災から、ちょうど、一週間がたちました。私のいとこが二人、北海道から、岩手にでてきているのです。地震発生から4日目、一人のいとこと電話がつながりました。
何とか、命は取り留めたが、まさに、生き地獄そのものだと。
友達の多くは、今も、行方が分からないままになっているとのことでした。あと一人のいとこには、電話が故障のため、通じません。内陸部(一関)なので、大丈夫だろうとのことでした。それに加えて、福島第一原発の放射能漏れ、うまく制御できるのでしょうか。
人間の業がいかに小さいものであるか思い知らされている日々です。
それにしても、寒いです。どうぞ、被災者の方たちに優先で灯油、ガソリン、食べ物を配給してあげてほしいです。私たちには、なにもなす術がありません。神様の憐みを祈るのみです。
 
3月24日
東北、関東、大地震に加えて福島第一原発の三重苦に何十満もの方が、この寒さのなかで、支援の手を待っています。息子は、今、病気療養中ですが、それでも、ボランティアに行きたいという気持ちにかき立てられていました。行けなくても、その気持ちを届けようよ、と話し合っています。この私は、16日から、発熱、激しい咳、診療所でたくさん薬をもらって、飲み続けていましたが、21日まで熱がさがらず、このまま、肺炎にでもなってしまうのかと、案じていましたが、やっと22日熱がさがり、食欲も出てきました。
東北地方の方は、伝道所でも、教会でも、牧師先生がとても苦労されています。かならず、副業として、何かをして働いておられます。ぜひ支援の輪をひろげ、何か、助けになることを発信させてほしいです。
 
3月29日
ようやく、春の日差しが照りだしました。ツバメが、今年も忘れずに、我が家にやってきてくれました。悲しみを忘れさせてくれるかのように、元気にさえずってくれます。はっと、ツバメに気づかされ、おはよう、と声をかけています。
震災の甚大さに、今年は、山添村の桜まつりも中止です。
盛岡のいとこたちは、医師として、薬剤師として、不足している医薬品を避難所に運んでいるという知らせがはいりました。生きている者は、申し訳なくて、じっとしていられないといって毎日、ボランティアに出掛けているそうです。
幼子の風船持てる春日影
大学のチャイム聞こえてのどかなるs-CCF20110422_00004.jpg
枝うちをされたるヒノキ山笑う
春雨や伊賀も甲賀も煙をる         馬場路哉
きょうは、久しぶりに、風邪のばい菌を追い出そうと、布団ほしです。
 
4月2日
ようやく、4月がスタートいたしました。今年は、うきうきした新入社員の顔は見られません。(テレビで見ている限り)
せっかく内定をもらっていた人たちが取り消されたり、自宅待機であったりですから、働けるという喜びと同時に、なんとか今の状況を若者の力で、打破して行かねばという決意があらわれていました。このような時だからこそ、日本中が一つになって、復興に手を差し伸べていく必要があります。
一人ひとりの力は弱いですが、みんなの力を合わせれば、何かできる、という本田路津子さんが歌っていた”独りの小さな手”の歌詞を思い出して、被災地の方々へ、祈りのメールを送り続ける必要があります。
 
4月5日
昨日は、主人に連れられて、およそ、2キロほどある役場まで、期日前投票に歩い出掛けました。普段、犬たちに引っ張ってもらって、散歩しているだけですから、2キロを自分の力で歩くのは、とても疲れました。途中、膝が痛くなり、その上、股関節も痛くなって、土手にしばらく座って休憩をしながら、何とかたどりつきました。
選挙管理委員の方たちが一斉に歩いてきたのかと、声をかけてくださり、それはご苦労さん、と言ってもらって、車社会で、いつも歩くことを忘れていた自分を振り返る良いひと時が与えられたような気がいたしました。
それにしても、22日ぶりに助けられた犬が、飼い主と再会でき喜んでいる場面は、涙をさそいます。どんなにか、こころぼそかったでしょう。
啓蟄や老いも幼なも公園へ
山峡の隙(すきま)より雪嶺見はるかす
薄氷を割りて老犬水を飲む          馬場路哉
 
4月10日
ようやく、ここ山添にも、春がやってきました。被災地の方には、申し訳なく思いますが、やっと迎えた春。桜の開花も、一週間おそく、咲きはじめたところです。いつもの年と違って、どことなく、さびしげな、遠慮気味に咲きはじめています。日本のどこかで大変なことが起きているのを知っているかのようです。自然界の生き物ですら、何かを感じ取っています。そして、その悲しみを訴えています。
私たち人間には、もっと、何かできるはずです。
神様に祈ること。復興に向けて励んでいらっしゃる方たちに、祈って支えることができますから。
 
馬場暁美
                  (上野緑ヶ丘教会員)
 
 
  s-CCF20110422_00003.jpg                キリスト者の生活綱要  (21)
               
ジャン・カルヴァン著
                 ヘンリー・J・ヴァンアンデル編
                 吉岡  繁訳
 
  第3章 十字架を負う忍耐
 
 4 十字架は服従を教える
 
  1 神は、神の子らに苦しみを与える理由を、もう一つ持っておられる。それは、忍耐を試して服従を教えることである。
 神の子らは、神の与えてくださった服従だけしか、神に示すことしかできない。しかし神は、聖徒たちにお与えになった恵みを明らかにし、こうした服従という形をとることをよしとされる。それは、与えた恵みが隠れて用いられないままにならないようにするためである。
 神の僕たちが、苦しみの中で、与えられた力と堅忍の賜物をもっていることを明かにするとき、神は彼らの忍耐を試していると聖書は言う。そこで、「神はアブラハムを試みた」という表現が生まれる。その時、アブラハムは、そのひとり子を犠牲にすることを拒まなかったという点で、神への信仰を立証した。
 そのため、ペテロは、金が炉の火で精錬されるように、われわれの信仰も、苦しみによって試みられると言う。
 
  2 信者が神から与えられる忍耐というこの最も優れた賜物は、実践され豊かにされる必要がある。それは誰も否定しないことである。なぜなら、信者はこうしてはじめてこの賜物を確かなものとするからである。
 そういうことでもなければ、人間は忍耐という賜物を、決して正しく評価しないのである。しかし神が、忍耐という賜物を実生活で用いる機会を与えて、この徳が曖昧になったり、用いられなくなったりするのを防いでおられるのであれば、これこそ、聖徒を試みる理由のなかで最高のものである。というのは、苦しみに会わずに、聖徒たちは忍耐をもつことができないからである。
 
  3 繰り返して言うが、十字架によって、聖徒たちは服従に導かれる。なぜなら、この苦しみの道によって、自分の願望ではなく、神の御旨に従うことを教えられるからである。全てのことが、彼らの願い通りになるのであれば、神に従うということの意味を理解しないであろう。
 不幸を忍耐して耐えるのに、「神に従え」という格言をもって、人々を励ますのが、古くからの習慣であった、とセネカは語っている。これは、子供のような温順さで、懲らしめを喜んで受けるときだけ、神のくびきに従っている、ということを意味している。
 したがって、全てのことで、天の父に対して服従することがふさわしいことであるなら、この服従の実践にわれわれを慣れさせるために、神があらゆる方法を用いる権利のあることを、当然否定すべきでない。 創世紀22:1~2、Ⅰペテロ1:7。 
 
(つのぶえ社出版)   この文章の掲載は訳者の許可を得ております。
『旧・新約婦人物語』(21)s-CCF20110422_00002.jpg
   エフタの娘
        (士師記11:29~40)
 
 ここに登場します一人の女性は、名前の分らない一人の若い娘です。名前が分らないといっても、この乙女は自分の身を犠牲にして、喜んで父の言葉に従った点、歴史上決して忘れてはならない存在です。日本では孝は百行の基といって、孝行と言うことが古くから尊重されていますが、聖書に出てくるこの名前の分らない可憐な一人の乙女の挿話は、孝行の意味をよく現わしていると思います。この娘の親であるエフタは、イスラエルの裁き人(士師)でした。ここで前出のデボラのことを思い起こして下さい。
 イスラエルは、おおよそ三百年の間、このような裁き人に指導され、治められていたのです。(この頃にはまだイスラエルには王はなかったからです)。
 エフタの時代、イスラエル民族と戦ったのは、アンモン人でした。士師記11章29節以下を読みますと、神はエフタをイスラエルの指導者としてお選びになり、このアンモン人との問題を解決させるために、責任をお持たせなりました。エフタは、今で言う平和主義の人で、戦争の悲惨とその害悪を知って戦いを嫌いましたから、彼はなるべく平和的に事を解決しようといろいろと努力いたしました。けれども、アンモンの王は少しも互譲の精神がなく交渉に応じません。仕方なくエフタは戦争に訴えて勝利を治めました。
 
 ここで問題となるのは、エフタの出陣のとき、「わたしがアンモンの人々に勝って帰る時、わたしの家の戸口から出てきて、わたしを迎える者はだれでも主のものとし、その者を潘祭としてささげましょう」(11:31)と、神に誓ったのです。そして帰ってきた時、真っ先に飛び出して喜び迎えたのは、何と自分の一人娘であったのです。想像しますのに、この娘はお婿さんを迎える年頃で、きっと美しいプリンセスのような娘で、鼓を抱えて舞い踊り、父を迎えた姿が絵のように、目の前に浮かんできます。
 父エフタはこの有様を見て、かつての出陣の時の誓いを思い起こし、さぞ胸裂ける思いであったでしょう。楽しいはずの凱旋の庭は、たちまち悲しみの場と変りました。仕方なく彼は誓いのことを詳しく娘に物語りました。この時の娘の驚きと悲しみは察するにあまりがあります。しかし、娘の態度は実に立派なものでした。その悲しみも見せず、父に、「父よ、あなたは主に誓われたのですから、主があなたのために、あなたの敵アンモンの人々に報復された今、あなたが言われたとおりにわたしにしてください」(36)と、はっきり言いました。父はそのけなげな娘の覚悟を見て、衣を裂き、「ああ、娘よ」と泣き叫んだとあります。
 娘は、二ヶ月の猶予を求め、友と共の山に入りました。多分、心を静めて神に祈ったことでしょう。二ヵ月後、彼女は父のもとに帰り、父の誓いに従いました。この事から、イスラエルの娘たちは年々その山に行って、4日ほどエフタの娘のために嘆いたと聖書にあります。このけなげなエフタの娘の話によって、私たちは、いろいろの教訓が得られます。
 1 エフタの軽々しい誓い。
 エフタは、特別に神から選ばれた指導者でありながら、あたかも神と取引するような態度で、軽々しい誓いを立てたことは、いけないと思います。このようなことは、現在の日本にも見かけることです。病気の時、困難にあった場合、これを癒して救って下さったら、これだけのものを捧げますとか、あなたに従いますとか、神と取引する人を見ます。これは偶像信者に特に多いようです。偶像の宮では、千円札が賽銭としてたくさん投げられていますが、このような賽銭の多少によって、家内安全・商売繁盛などと神と商売取引でもする態度は慎むべきことです。
 2 神と約束した厳かな誓いは、必ず実行しなければなりません。
 教会員はバプテスマを受けて教会に加わる時、神と人との前で、どういう約束をしたか思い起こしていただきたいと思います。その第一は、聖日を厳守しますとの約束です。だのに、ある人々は会社の都合とか、やむをえない用事とか、勝手な理由のもとに、これを守っておられません。これは恐ろしい神との破約の罪です。
 3 親の子に対する義務、また子の親に対する義務です。
 全ての子供は神より託された神の愛児であることを覚えて下さい。その子は封建的な風習によって、いつまでも親の蔭にあるのではありません。子供は神の子供として自由に成長・発育し、神の御事業に参加するよう教育する義務が、当然、親である者に負わされています。
 子供は十戒の、「あなたの父母を敬え」とのお言葉をたえず覚えて、エフタの娘のように親に従う義務があります。父母を敬うことは、主が賜わる地で、あなたが長く生きるためであると出エジプト記20章12節は教えております。神の愛とお導きによって、お互いに励まし合う時、これらは実行されます。皆さんの神に対する態度、家庭における親子の関係はどうでしょう。
 
 ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。
 
 ビルマ
  戦犯者の獄中記  (4)  遠山良作 著s-CCF20110422_00000.jpg
 
昭和20年
11月23日
-キリスト者との出会い-
 
ビルマ勤務の4年間に一度もマラリヤに侵されたことはなかったが、連日行われる厳しい取調べと、牢獄生活は、精神的にも、肉体的にも疲労を覚える。今日は朝から、ぞくぞくと寒さを覚えるので、取調べには応じられそうにない。軍医に診断を受けることを申し出た。熱は40度もあり、病室に入室することが決まった。病室は格子のある雑房内に寝台が置いてあるだけである。ありがたいことは、取調べや作業がないことである。医師は入獄者である山崎軍医(憲兵隊の軍医)と加納衛生兵が助手として勤務していた。
約40名いる患者の大部分はマラリヤのようである。この患者の中に若林大尉がいた。彼はマラリヤと赤痢に侵され、相当な重病人で高熱のためか、時々うめくような声を出して苦しんでいた。重病であるにも拘らず、彼は、われわれ患者にも、どなるように、あれをしろ!! これをやれ!! と命令的に言いつける。
誰も返事すらしない。「偉そうなことを言うな、戦争に負けて、その上刑務所に入れられてもまだ将校づらしている。あんな奴は、死んでしまえ」と、つぶやく者もいた。加納看護兵は、この若林大尉に、どなられても、叱られても、頭を冷やしたり、着替えをさせ、お粥を作ったりして、懸命に看護している。多くの者は「加納、あんな奴の看護などやめとけ」と言っても、彼は笑って取りあわない。ただ親身も及ばない看護を続ける。
私にはこの加納兵長の姿は異様とさえ感じられ、また驚きでさえあった。隣りに寝ていた林大尉に「加納兵長と若林大尉とは、何か関係があるのでしょうか」と尋ねた。
林大尉は「何もないさ、加納くんはクリスチャンだよ。彼が内地にいた頃、悲しみと苦しい経験のあまり、生きる希望を失い、2度までも自殺しようとしたが、「一粒の麦」を書いた賀川豊彦に助けられて、クリスチャンになったそうだよ」と話してくれた。
この話を聞いた私は、理解に苦しんだ。キリスト教徒とは、敵国英米の宗教であり、この宗教を信じる者は国賊であるとさえ教えられてきたからである。国賊であるはずの加納兵長は、一体何のためにあのようなことをするのか・・・。
牢獄の生活で、多くの者の心はすさんでいる。日本に帰るためには、信頼していた戦友ですら裏切り、戦犯関係の事件があれば、「俺は知らないよ」との態度をし、憎み合うことは珍しくない。これが人間の本来の姿かもしれないが、悲しいことである。
このような獄中生活にあって、加納兵長の行為は、どこか違う世界に生きている人間のように思え、私は心に深い感銘を覚えた。
(注)加納兵長の牢獄での出来事は生涯忘れることができないばかりか、私がキリスト者になるきっかけでもあり、動機でもあった。
 
この文章の転載はご子息の許可を得ております。
 
 
  あなたに聖書を
 
 旧約聖書の中にアモス書というのがありまして、その5章の中で、預言者のアモスという人は、神様の言葉として、次のように語っています。
 「わたしはお前たちの祭りを憎み、退ける。祭りの献げ物の香りも喜ばない。焼き尽くす献げ物、穀物の献げ物、肥えた動物の献げ物も受け入れない。お前たちが騒がしい歌をわたしから遠ざけよ。竪琴の音もわたしは聞かない」。というのであります。
 
 アモスという人は、紀元前8世紀の人でありまして、この時代の祭りには、沢山の献げ物、いわゆる「お供え」が献げられ、竪琴に合わせての歌が歌われた、つまり、楽器の演奏と歌も献げられた、というのであります。いわゆる盛大なお祭り、言い換えれば宗教儀式が行われた、というのであります。
 こういう盛大なお祭りを行った人たちは、盛大に行うことが、神に喜ばれることと思ったから、そうしたのでしょう。それは、人々が、自分が受け取るものは、物でも音楽でも沢山、素晴らしいものであればあるほど嬉しく喜ばしいものですから、神様もそうだろうと思って、そうしたのでした。
 ところが、アモスという人は、神様はそういう沢山の献げものは受け入れないし、音楽の演奏も騒がしくてうるさいだけだから、どこか遠くでやってくれ、聞きたくもない、と言われる、と言ったのであります。
 それはどうしてかと言いますと、盛大な祭りをすることによって喜んでいるのは、こういうことによって神様が喜ばれるであろうと言う人間の側の思いが満足されてはいるけれども、神様の側で求めておられることについては、全く無頓着であるからです。アモスは、神様が求めておられるのは、人間が正義を行うこと、恵みの業を溢れるように実施することである、と言いました。
 祭りが神様に対してのものであるなら、正義と愛に生きることを、神様への最も望ましい献げ物とすべきではないか、ということであります。このアモスによる祭りの批判、または宗教行事批判は、聖書が今日も語り続けていることであります。
    
 
篠田 潔
 
(参照聖句・アモス書5:21~24)
(電話によるメッセージより・日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
 
s-CCF20110422_00001.jpg「キリストへの時間」放送予定
       (放送開始1952年10月)
 
5月1日  横山良樹 (日本基督教団半田教会牧師)
     8日  横山良樹 (日本基督教団半田教会牧師)
    15日  石田聖実 (日本基督教団尾陽教会牧師)
    22日  石田聖実 (日本基督教団尾陽教会牧師)
    29日  小椋実央 (日本基督教団知立伝道所伝道師)
 
 
 
 
 
 
CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ
毎週日曜日朝6時30分~45分放送
 「ローマ人への手紙」研究 (78)s-P3180139.jpg
 第48課 異邦人の召命とユダヤ人の拒否
       9章1~11章36節(続)
D 福音はすべての人の必要に適応したものであり、万人に伝えられるべきものである。
       10章11~21節 (1)
 
 「しかし、すべての人が福音に聞き従ったのではない。イザヤは、『主よ、だれがわたしたちから聞いたことを信じましたか』と言っている」(10:16)。福音を聞く多くの人が、それを受け入れるとは限らないからと言って、福音を全人類に宣教する義務は少しも変ることはありません。神は福音を全人類に宣教することを命じておられるが、しかし、神は全ての人々を永遠の生命に選んでおられるのではなく、従って、福音を聞く全ての人が、それを受け入れて、救われることを期待すべきではありません。
 多くの人が福音を拒むのは、唯、現代においてだけ経験されるのとではなく、聖書の中にも語られていることです。パウロはイザヤの言葉を引用して、このことが語られていることを示そうとするのです(イザヤ53:1)。イザヤの言葉は一般的な福音拒否に関するものです。イエス・キリストは自分の所に来たのに、自分の民は彼を受け入れなかった(ヨハネ1:11)。イエスは入念に弟子たちに、彼らの宣教が拒絶されることに直面する場合、どのように行動すべきかを教えておられます(マタイ10:14、マルコ6:11、ルカ9:5)。後になってパウロとバルナバはピシデヤのアンテオケにおいて、この教訓を実行しています(使徒13:50~51)。
 
 現代において、宣教の業に反対する議論として、宣教の業はあまり成功しないから反対だという人々がいます。このような反対論を唱える人たちは、一般企業の場合と同じような世俗的な基準を適用して、宣教の業は成功しないと言うのです。このような反対論の背後に無意識的に潜んでいる仮定は、宣教の業は、福音に接する人々の全部、あるいは大分分を、即座にキリスト教に改宗させるべきものであるということです。しかし、このような仮定は何らの保証もありません。
 福音を全人類に宣教せよという命令は、その効率に基づいてなされているものではなく、神の御意思と御命令に来ているものです。それが忠実に遂行されるならば、宣教の業は成功します。しかし、その成功というのは、神が予め意図しておられる成果、すなわち、神が予め救いに定めておられた人たちの救いという成果もたらすという意味においてです。
 大多数の人々は福音に関心を示さないばかりか、むしろ故意に拒絶さえするということは、すでに聖書が語っていることに他ならないのです。従って、そのことは教会に課せられている宣教の使命に対する有効な反対論とはなり得ないことなのです。
 
 J.G.ヴォス著
 玉木  鎮訳
 (日本キリスト改革派引退教師)
この文章の転載は訳者の許可を得ております。 
  祈り
 
被災者のお声(メール・お便り)s-P3180144.jpg
 
♡ 今までは緊張していて疲れは感じませんでしたが、疲れが出てきました。子供の寝顔が救いですが、不安も出てきて辛いです。・・・・。
♡ 心配していたバスケの友だちからメールがありました。私は、青森で被害がありませんでしたが、心配でイライラしていました。被害は凄いが頑張る。体育館は避難場所になっています、とのこと。
♡ メール有難うございました。八戸の海岸通りはほとんど家が流されたり、津波で家の中を水が通り抜けました。求道者の方の一名が被災され、今日お掃除の手伝いに行ってきました。お見舞いに歩いたりしていますが、ガソリンがないので大変です。名古屋の方にも地震がいかないといいですが・・・。なんだか静岡も地震があったりして心配です。ご心配かけました。こちらは皆無事です。有難うございました。
♡ 地震のあくる日は、帰宅の電車や新幹線に乗れない方や帰宅できない方で ホテルは満室でした。そして、今は 避難されてきた方や知人を訪ねる方などで満室です。お気持ち分かりますが、どうなさるのでしょうか。
♡ 被災所にいても恐怖に襲われ外に出られない。友達から送られてきたメールを何度も読み返して元気を貰って何とか今日を過ごします。
 
♡ NHKFMフアンですが、終日安否を尋ねる方々の名前が放送されていました。手掛かりを求めておられる皆様の願いが叶えられますように祈っています。終戦から数年の間でしょうか、「尋ね人の時間」と言うのがあったように記憶しています。あれ以来のことなのでしょう。それだけ、今回の被害の大きさ・深刻さを思い、心痛みます。希望を持ちましょう。
♡ 「ジャーナル」さん、PHを見ました。多くの方のお声がありましたので、私もメールします。祖父は東北・宮城から四国・愛媛に来たそうです。ですから、他人事ではありませんが、電気・ガス・水道の揃っている今、自分の中に罪悪感を感じています。でも、この地で支援活動をしようと思います。長い年月のかかることですから、そんな活動をします。
♡ わたしの避難所の中には300名ほどの方がおられますが、一人も視覚障害の方がおられません。どうしたのでしょう。この災害の中、一人で安全な所に辿り着くことなど不可能です。心配です。
 
 ♡ 保母さんコーナー?があって、子供たちにゲームや本で紙芝居などでお世話くださっています。幼い子供の笑い声は元気をくれます。
♡ 避難所にいる兄から、見えない先のことを考えると暗くなるが、今を頑張れば何とかなると、周りの人と話していると携帯にありました。・・・。
♡ 「ジャーナル」を見ている皆さん、力をください。
♡ 朝晩は寒いです。家はありませんが、とにかく休みたい!
♡ わたしたち大人のなすべきことは、子供たちが未来の夢を作るために、今頑張ることでしょう。
 
♡ 「ジャーナル」さん、早目の更新と皆さんの声を載せてくれて有り難う。「世田谷通信」さんのご意見、有り難う。確りと考えなければ・・・・。
♡ わたしはGフアンですが、どうしてあんなに自己中なのでしょう。G選手の意見がまったく聞こえてこないのが不思議。
♡ ・・・。日本という国は、外国から見て信頼されていることを知りました。改めて日本が好きになりました。
♡ 時間が経つにつれて段々と焦りと不安が出てきます。周りの人の声も小さくなり、医療関係者としては、辛いですね。願っている治療面の環境と現実が余りにも違いすぎて、精神的に疲れを感じます。出来ることをやるだけ。
 
♡ 畑のあったところにあるのは、瓦礫の山。仲間と今後を考えよう。何とかしなければと思うが、一人では耐えられない。力をください。
♡ 生徒が先生、頑張ろう!と駆け寄ってきた。
♡ またメールします。年寄りの疲労は限界か。それでも耐えている。すごい。
♡ 灯油が届いた。ありがたい。あたたかいお茶を飲むことが出来る。
 
♡ 被災者も地域行政の方も、医療関係者もボランテイアの方々も疲労の色は隠せません。自分の中に、先の見えない不安と焦りが怒りや憤りの気持ちが強くなっています。笑顔が消えています。
♡ 生きている喜びから、生きるための道しるべがほしい。
♡ 初めて支援の毛布が届きました。係りの人から、母のメモを貰いました。助かっていたと実感しました。夜の星はわたしには冷たいです。
♡ 被災地を去る人もいます。それを見送る人もいます。共にもう一度ここで会おうと言う約束をして、それを信じて! 何処にも行けない子供たちがいる。中国残留孤児のことを思い出した。きちんと引き取る里親制度を立ち上げてほしい。
♡ 被災地以外のナンバー車が多い。地元ではガソリン不足。細い瓦礫の道を走っている。帰りの車のガソリンはどうするのか。なにを考えているのか分らない。怒りを覚える!迷惑そのもの。空の車で帰るなら来てほしくない。瓦礫を詰めて帰れ!
♡ 主人も息子も毎日避難所から地域の活動に参加しています。髭も伸び放題、頭も汚れていますが笑顔で輝いています。
 
♡ 大勢の方と避難している母親ですが、テレビには大勢の人が死んでいるのにどうして、誰も死んでいないかのような画面なの?と友達を失った娘に聞かれて困りました。真実を伝えるのが報道なら、例え目を背ける様子でも、事実として伝えるのが亡くなった方への思いだと思います。数字ではなく、人間です。
♡ 空き巣に注意といわれても、動きようがありません。自警団みたいなのが早く組織されるなら参加しようと思っている。
 
♡ 時間は人間の醜さと美しさを表します。そんなことを思うようにまで落ち着いたことでしょうか。地域に生きるなんて嫌だと思って背を向けていましたが、年老いたおばあさんの、きょうもがんばるっぺのひと言が、この地域でもう一度頑張るぞ!にさせます。
♡ 苦難の中にあっても、小さな喜びをみつけることができますようにと、娘と遠くに見える山の緑を捜しています。まだありませんが、新芽は、膨らんでいると思っています。
♡ 故郷を離れて30年になるが、消え行く故郷の復興に何が出来るか真剣に考えている。今までの経験を思う存分生かすことで・・・・。
♡ 東北の桜は5月、立ち上がる時も5月。先を見つめて歩み出そう!
♡ 宮沢賢治の「雨にも負けず根性」で東北農民は再生するチャンスにします。
 
♡ 助かった喜びから今度はこれからの不安が襲って来ます。この話になると、無口になるか感情的になります。疲れ切っているのか、子供たちも元気ではありません。それが心配です。
♡ 誰が置いたのか知りませんが、入口のテーブルに一輪の花がありました。そのお気持ちがうれしくてメールしました。
♡ テレビのニュースを見るのが怖いです。深刻なものばかりで落ち込んだ気持ちにこれでもか!という感じ。
♡ この子供たちに美しい故郷を残したいと2月に生まれた子供を見ながら思っています。安心して眠っている顔を見ていると、涙が出てきます。挫けそうになる自分がなさけない。弱虫、泣き虫ですが、この子のために今は瓦礫と悲しみの町ですが、残ります。
 
♡ 今の若者は頼りない、手伝わない、自己中心などと言われていた彼らが、はにかみながら避難場所のゴミを片付けている。聞いたら、クラスメートと先輩とで話し合って「きれいにし隊」を作り、自分たちで腕章をして活動しているとのこと。本当は腕章などしたくないが、何をしているのかと疑われるのが嫌なのでしているとのこと。頼もしい中・高生にありがとう!
♡ 避難所の校庭にも春が近付いています。小さい新芽がありました。まだまだ本当に寒いですが、心に少しぬくもりを貰いました。
♡ 疲れが出てきました。体力も気持ちも緊張感から少し解放させれて来たからでしょう。ゆっくり休みたい。でも頑張ってくださいの言葉にイライラしています。
♡ 皆さん疲れているのか隣りの人も寝返りばかり、わたしもそうです。神経がぴりぴりしています。携帯の充電が出来るようになったのでうれしいです。またメールします。
 
♡ 愚痴、弱音メールです。読んでください。
♡ 三度目の息子の誕生日。家もない、じいちゃんもばあちゃんもいない。主人は友だちともう一度野菜作りに挑戦すると言う。わたしも賛成。立ち上がらなければ、と言う気持ちは生きる気持ちだから。
 
♡ 瓦礫の町なのに、みんなで協力すれば何とかなるという人が多い。生まれ育った町は宝だと言う。東京に行っていた友だちが帰って来た。親たちと一緒に頑張りたいと言う。故郷を離れてみて、心のより所だと思ったからと。
♡ この避難所に入って18日目になり、仲間の安否も分ってきた。外は何にも変らないが、仲間とこれからの身の振り方を話し合う。とにかく頑張るべ!が今の結論だ。
♡ わたしも緊張した気持ちも限界になり、無口になり、笑顔が消えてきた。頑張ってきたのに、先が見えない苛立ちが強くなって来た。お風呂に入りたい。
 
♡ 喜怒哀楽が消えてきた。やばい!「ジャーナル」への送信で何とかもっている。
♡ 洗濯も駄目、着替えの下着もない。生きていくための最低限ってなんですか。これからも「ジャーナル」さんへ愚痴送信します。
 
♡ 友人がこれからのことを心配して、単車で訪ねてきた。必要な物を詰めた箱の中に、「つのぶえジャーナル」と言う印刷物が入っていた。読んでみた。嬉しくなってメールします。友人がクリスチャンだと、今回始めて知った。
♡ 今は離れている友だちからのメールも、明るさとこれからもがんばろうね、と言うものが自然に多くなりました。私の中にもそのような思いが出てきたように思います。
♡ 従業員と工場を失ってしまった主人が無口になり、心配です。何でも前向きに考える人でしたから・・・。
 
♡ 今までは、助かったことを感謝していましたが、時間が経つと、子供の学校のこと、住む家、お父さんの仕事のことなどで、不安になります。地域の人も親戚や町が斡旋してくれる避難場所に別れて行きまして、何だか取り残されてしまった気分になります。まだ、自分の家のあったところを見る勇気はありません。
♡ これから福島で農業が出来るのか、本当に心配だ。放射能汚染と言われても、ピンとこない。おれだちが使う電力でない原発と考えてしまう自分がある。
♡ 注文販売の拡大でこれからを考えてきた矢先の出来事。お客さんから、頑張って!再開したら、また注文しますとメールが来るたびに、嬉しいやら、悔しいやら複雑だ。瓦礫の撤去の仕事で何とかお金を稼がねば生活できない。
♡ きれいなトイレに入りたい!
♡ 母の体力・意欲が衰えて来るのが悲しい。朝、目覚めて家の周りの散歩、花の苗を植える日を楽しみにしていた日々から、ただじっと座っている姿は、だんだん背中がまるくなって来た感じがする。何も出来ない朝を迎えるのが嫌だと言う。・・・。
 
♡ 少し感情的になっているかもしれませんが、TVの音楽番組では、かならず「故郷」が歌われるが、私たちには、残酷です。それを失っているのですから・・・。今は、イラ立ち、怒りが支配してしまっています。
♡ そうだ、頑張らなければ・・・と思ってきたが、今は、疲れた。頑張ってくださいの言葉から、少し逃げ出したい気持ちです。「ジャーナル」さんからは、返事がないのがうれしい。友人が届けてくれる5月号を待っています。
♡ 毎日のニュースで感覚が麻痺している自分がいる。私の所では、畑の種まきが始まった。風評で逆に品薄になるので頑張るようにと連絡があった。複雑な気持ちである。正直になれない。
 
♡ ガソリン不足で困っていると言うのに、被災地見物と分る車に腹が立つ。壊れた家の上で記念撮影もないだろう。恥を知れ!と叫んでいる。
♡ 外で遊べない子供たち、一日中、同じところにいるご老人、だんだん疲労は顔に出ている。何日もブラシをかけていない頭、ただじっとしている。普段はどうしていたのだろう。今まで、そんなこと考えても見なかった。
♡ 笑いも音楽もこころにひびいてこない。こころが死んでいる。
 
♡ 口蹄疫で牛を殺した。悲しく、悔しく、今もあの牛の悲しげな、恨めしそうなひとみが消えない。家を失い、畑を失い、海を失った。それ以上に、父や母、子供や友人の命を奪われた。こころに大きな傷を抱えるでしょう。でも、生きなければ・・・。人間って悲しい、そして、素晴らしいと信じている。
♡ 目の前にあるハウス野菜を食べることが出来ないのが悔しい。生活のためにスーパーで買うなんて考えてもいないこと。
♡ いつもの年なら、東北も春ですね!とメールするのに、そんな気分になれません。元気でね!の文字も入力できない。暗いニュースに押し潰されて何のエールも送信できない。同じ年のSちゃんの笑顔と不安そうな顔が娘を見ていると浮かんでくる。
 
♡ 昨晩の地震は自宅避難している私たち家族を恐怖に突き落とすものでした。ただひとかたまりになっていました。毎日続く余震に怯えていた日々。11日のあの恐ろしさではありません。初めて、死の恐怖に襲われました。「ジャーナル」さんにでもメールすれば少しは落ち着けるかと思いましたが、今も振るえが止まりません。もう10時間も経っているのに・・・・。お祈りください。
♡ 目に見えない放射能汚染の恐怖はニュースで知る度に、こんな危険の隣りに今まで生活して来たのかと思うと、言い知れぬ怯えを感じてしまいます。原発反対のことも知らないで育ち、その恩恵で町が成り立ってきたことも事実ですが、どうにもならない町の状態を救ったのも東京電力の経済効果がありました。それで、公共施設の運営も可能になりましたが、これから子供の成長、健康のことを考えると、家族と中国からの研修生の働きで行ってきた栽培農家として判断は出来ません。今は、一日も早く収束されることを願う日々です。頑張りますの気持ちが最近しぼんできました。
♡ 沈んだ気持ちでは、次に進めない。自分の中に大きな幻を描いて立ち上がろうと言う機運が出てきた。東北人魂なんていうものがあるなら、それに賭けてみようと思う。
♡ 主人が福島の災害復興のために一週間行きます。今までは、他人事のような放射線事故や数値がとても気になり、不安でいっぱいです。身勝手な自分が情けないです。
 
♡ 最近、頑張ろう、頑張っての言葉で押し潰されそうになり、胸が苦しくなったり、吐き気がしてきます。避難所の人も疲れ切っています。
♡ 不協和音で始まる行政の報道、地震速報に伴う原発の解説、本当に疲れます。余震とはいえない大きな揺れ。日に何度流れる被災地の状況。原発の状況。もう堪らない。参ってしまいます。梅の花が咲き、りんごの花が咲くところに戻りたい。
 
 
 
       s-P3180146.jpg 被災された皆様、避難生活をされている皆様へ

日本中が、皆さんの苦難を悲しんでいます。
皆で生きて行きましょう。
必要な物が早く届きますように願っています。
暖かい春が早くきますように。          千葉   金田好美
 
「どうか希望を失うことなく、力強く生き抜いてください。望みを繋ぎましょう」。眠れなかったり、体調を崩す方もこの寒い時期ですから、多いに違いありません。言葉にならないほどの惨状です。主を真近に感じ、苦しみの中でも望みを捨てないで頂きたいです。
奈良   中谷リツ子 
 
毎日家族で、被災された方・原発事故で避難された方のニュースを見聞きし、話合っています。また、その辛さを思い、涙しています。今、私にできることは私の持ち場でやれることをやること。被災された方を思い、節電・節水・節約に努めています。計画停電になり、ロウソクの光で食事をすることもあります。被災された方々には申し訳ないのですが、今を感謝しています。決して忘れません。     
  埼玉   篠田明子
 
あの家畜の伝染病被害で育てて来た牛の殺処分で、全てを失った気持ちで過ごしてきましたが、今回の東北・関東の被害には、言葉を失い、また当時のことがよみがえってきた。この「ジャーナル」を見て居られる方の中に、直接、間接に関係なく大きな被害と悲しみ中にある方もおられると思う。大勢の人に励ましの言葉をもらった。頑張ろうと言う気持ちにもさせられたが、風評と言う得体のしれないものに、振り回されたが、わたしは「ジャーナル」さんに結びついていたので、支えられた。
仲間があり、家族がささえになったが、それを失った皆さん、その気持ちを少しですが理解出来る者がいることを忘れないでください。     宮崎  土肥正夫
 
今年は冬が長く、3月になっても雪が舞ったり積もったりしています。春がなかなか来ないように思う中、蕾の膨らみを見ながら春は必ずやってくる事を思わせられます。被災地にある方々にも春は来ます。希望を持ち続けること。その希望を現実のものとするのに必要な手だてを整えること。一人一人が想像力を豊かにかき立てて取り組むことではないかと思っています。

被災地にいて思ったことは、情報があまりに少ないことです。被害の大きいところ、人口密度の高いところ、こんな場所はニュースでも取り上げられます。しかし、人口密度が低く、被害が比較的少ない場所の情報は出てきません。被害が少なくても被害はあったのです。忘れ去られることで、実質的にも心理的にも被災は続きます。決して忘れず、覚え続けることが、被災地域を支える事になると思います。

被災された方々から数々の支援の手をさしのべて頂き、私達は旅行先から戻ることが出来ました。困難な中にあって自然に手をさしのべて頂けたこと、初対面で自宅に泊めて頂いた方、食事を手配して下さる方、励ましの言葉をかけて下さる方、多くの方々に助けられました。言葉が単なる記号として飛び交うのではなく、意味のある温かいものとして声を掛け声を掛けられる中で、一体感が生まれて来ました。(震災を期に「一致」を訴える教会の言葉は実体のない空虚なものを感じました)

自宅に戻り心ない人の言葉に傷つきました。ネット社会の不確かな情報に依存した発言が、実際に情報をもっている人や被災者を傷つけます。ネット社会は本質的には仮想社会で実体とは乖離しています。ネット社会を現実に持ち込むのは、価値観の押しつけに他なりません。情報の真偽を判断するスキルがなければ情報に振り回されて過ちを犯します。
「無事」「安心した」「大丈夫?」「今後は?」「大変でしょう」これらの言葉は、被災地にあっては意味が変わっています。言葉には感情があります。被災地では感情が籠もっています。感情を伴って使われている言葉が感情抜きの「記号」として使われる時、虚しさを通り越して腹立たしさを引き起こします。想像力をかき立て、相手を見ながら言葉を使って頂きたいと感じました。被災地から戻った私達も、想像力を失わずに、状況を見つめ、出来る範囲で出来ることを為していこうと思います。   
                                                                             滋賀  横田岳人
 
ある時期、仙台、とりわけ荒浜地区、亘理、松島、石巻・・・は、私には、かけがえのない地であります。ただ今は、揺るぎない希望を持って生きるのみです。主によって許される限り。                                                                                                    東京  橋本一夫
 
この甚大な被災地は、かつて家族と遊び、トラクトを配った地です。余りの変わりように何も考えられない日々を過ごしています。瞼を閉じると浮かぶのは、美しい三陸海岸沿いの家々です。                                                                                                    愛知  清水賢治
                  
地震と津波の宮城の方々、福島の方々はそれに加えて原発事故と追い討ちのようなことが次々と起こり、悲しくなります。阪神・淡路を経験し者として、お慰めする言葉がありませんが、今思い出すことは、多くの人に覚えられていることが力になりました。私も忘れません。  
                                                         兵庫  大西光子
 
この出来事に、思っていることをどう言葉に現したらよいか分からずにいる人もいます。心を閉ざしている人は苦しいでしょうね。朝はちゃんと起きたのに・・・・、どうして?
どうなったの? この混乱をしっかりと受け止めます。
                           大阪  横山美智子
 「みんなでわいわい・ご意見コーナー」
 
週一回ですが、3人のお宅に行きました。何時ものように、お茶受けのお菓子を手にして話相手のボラです。世間話や趣味の話をしています。お互いに疲れない時間に、また来るよと声をかけて帰ってくる。もう4年続いてます。長い人生経験ですから話しは尽きません。楽しみです。もう一つの楽しみは、毎日のメール確認です。
                          埼玉県 T・Dさん
 
 
風評被害が問題になっていますが、スーパーに買い物に行って商品を手にするとき、つい産地を見てしまう。店頭にあるのは安全な物なのに。神経質になっている。買占めだけはしないと言い聞かせながらも、何故か同じ物を毎日買っているので、今は、買う物をメモしてそれだけを買うことにした。不思議だ。何か良いことしたみたいになる。
                          神戸市 HHさん 
   今月のことば
  恐れるな、小さな群よ。御国を下さることは、あなた方の父のみこころなのである。
               (ルカ12:32)
 
地震・津波・原発事故など、驚愕の出来事に、平常な心を失いかねません。この出来事では、誰もが被災者であり、悲しみと苦難を共にしなければなりません。笑顔と人として共に助け合うことが第一です。頑張りましょう。
神の憐れみと一日も早い復興と平安をお祈りいたます。
 
しかし、今、世界の中で、ひと握りの人々や力によって国全体を支配することで、争いや悲惨、弾圧や不正が混乱をもたらしています。これは、近年のことではなく長い人類史の中でも見られることです。
 
 この冒頭のみ言葉は、小さい群が世界を支配するということだけではありません。そうではなく、その群が小さい群だと言うだけでなく、その群のあり方が重要であります。その群のあり方が、歴史に登場した横暴な群ではなく、少しも支配者らしく見えない群です。人間的な力のない小さな群が、支配者になるなどと言うことはあり得ないことです。
 
 この小さな群のあり方は、彼らがその後に従いその所有者となっている羊と羊飼いに置き換えてみる時、何かが見えてくるのではないでしょうか。この羊飼いには、人の目には力も栄誉も持たず、軍隊も富みも持っていません。この羊飼いには「まくらする所がない」(マタイ8:20)。そして、あざけられ追いやられ、最後に「羊のために命を捨てる」(ヨハネ10:11~15)というのです。
 そのような羊飼いを信じて、その声に従う羊の群は、何を信じたのでしょうか。それは、数や見かけではなく、その羊飼いを信頼する何かがあったのです。それは、「羊のために命を捨てる」姿の中にありました。
 この羊飼いが導くところは、神の国であり、永遠の救いと罪の赦しと言う想像すらできない世界・約束・恵みでした。取るに足らない羊に、羊飼いはご自分の命を捨ててまで守り導く姿は、愛そのものではないでしょうか。
 この約束を勝ち取るために小さな群は、敵に勝つ力、圧倒的な武器を手にすることで得るのではありません。
 ただひとつ、この羊飼いに信頼する「信仰」と言う武器だけを心に持つことです。「柔和な人たちは、さいわいである。彼らは地を受けつぐであろう」(マタイ5:5)を思い出させます。
 
 主の恵みfff69cba.jpg
真の神を信じない  仰ごうとしない私を
真の神を仰ぐ者とされた  主の恵みをほめ讃える
真の愛を求めない  触れようともしない私を
真の愛に触れる者とされた  主の恵みをほめ讃える
真の道を尋ねない  歩もうとしない私を
真の道に歩む者とされた  主の恵みをほめ讃える  水野源三「み国をめざして」より
 
 
   小閑記
       
 
 そこで、しいて引き止めて言った、「わたしたちと一緒にお泊まり下さい。もう夕暮れになっており、日もはや傾いています」。イエスは、彼等と共に泊まるために、家にはいられた。
                (ルカ24:29)
 
 祈りに対する答について、聖書の中の約束の多くは、神様はすみやかにお答えになると言っております。主イエスは約束されました。「求めないさきに答える」と。しかし、私たちの祈りが、神様のみ心に適うことであったとしても、神様は、私たちを待たされることがあることを教える箇所でもあります。
 
 エレミヤは嘆きます。「わたしは叫んで助けを求めたが、彼はわたしの祈りをしりぞけられた」と。カナンの女はその子を助けて下さるように願ったけれども、何度も冷淡に退けられました。イエスの死により失意に打ちひしがれた後、弟子たちが生ける主にお目にかかった時は、一緒にお泊まりくださいと、しいて引き止めなければなりませんでした。
 
 私たちが答を長い間、待たなければならないという事実は、その時まで祈りを止めてよいという理由にはなりません。もし神様が、私たちの祈りに常に、直ちにお答えになるとしたなら、私たちは自分の分を越えて、特別に、祈りに意義ずけするに違いありません。
 
 困窮や苦労の大きい時、神様がなお私たちに答をお待たせになるのは、神様が私たちに信じることの大切さを教え、また、私たちが答を得るのは、神様の言い尽くせない恵みによるのだ、ということをお示しになるためです。
 
 「わが魂よ、何ゆえうなだれるのか。328a7d79.jpg
  何ゆえわたしのうちに思いみだれるのか。
  神を待ち望め。
  わたしはなおわが助け、
  わが神なる主をほめたたえるであろう」。 詩篇43編5節
 
 「すべて主を待ち望む者よ、
  強くあれ、心を雄々しくせよ」。     詩篇31編24節 
 
                上河原立雄 
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エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

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教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
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「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

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「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
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「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
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われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

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さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

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