2023年7月号
№193
号
通巻877号
×
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眸
「つのぶえジャーナル」さん、いかがお過ごしですか?パートの仕事をしていたら兄からお母ちゃんがまた 調子悪くなった、と連絡があり、主人と車で病院に行ってきました。私たち兄妹は母の近くにおりますので、緊急時には連絡しあって駆けつけるようにしていますが、それでも、何時も気になっています。母は一番生活しやすいようにと住みなれた家におります。私も仕事が終わり次第に顔を見に行き、掃除やお惣菜を作って帰ります。そんな生活が10年近くなりました。母からは毎朝携帯に連絡が来ます。携帯は便利ですね。ただ、夜中に何かあったらとか、携帯で連絡できない状態になったらと、つい余計な心配をしてしまいます。
山口県 S・Sさん
お百姓、畠に麦まいた。
毎晩、夜霜が降りたけど、
毎朝、朝日が消してって、
畠はやっぱり黒かった。
有る夜、夜なかに誰か来た、
杖を三べん振っていた。
「こどもよ、こども、出ておいで。」
あけの明星と、お百姓と、
一しょに麦の芽みィつけた。
そこにもここにもみィつけた。 (金子みすゞ童謡全集)
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自閉症者のひとりごと
(47)
2月21日
昨日は朝寝坊をしてしまって、礼拝に出られませんでした。週の始めに教会に行かないことで、どうも調子が狂ってしまいます。聖書通読もしたし、祈りもしましたが、全て個人的なことばかりになってしまいます。
2月27日
とうとう花粉症を発症してしまいました。
早朝の地震で目覚めてから、また寝てしまいました。次に目が覚めてびっくり、礼拝の時刻じゃありませんか。あ~。なんという体たらく。ここまで堕ちたか。
早朝の地震で目覚めてから、また寝てしまいました。次に目が覚めてびっくり、礼拝の時刻じゃありませんか。あ~。なんという体たらく。ここまで堕ちたか。
2月28日
今日は予定を全てキャンセルして、夕食の準備も簡単に済ませて、本を読んだり、コーヒーを飲んでぼーっとして過ごしました。なにも考えず、静かに過ごせました。わたしに必要なものはこれでした。
3月1日
今日は音楽もテレビも付けず、一人で本を読んで過ごしました。
それがわたしの体にはよいみたいで、無性になにかしら食べ続けることなく(頭が動いていると何故かがむしゃらに食べる)、過ごすことが出来ます。ただコーヒーの量は増えますが・・・。値段高騰の折なのに。
それがわたしの体にはよいみたいで、無性になにかしら食べ続けることなく(頭が動いていると何故かがむしゃらに食べる)、過ごすことが出来ます。ただコーヒーの量は増えますが・・・。値段高騰の折なのに。
3月13日
日本中非常事態です。何を祈ってよいやらわかりません。緊急地震放送で何度も目を覚まし、次に起きたら、もうすぐ礼拝の時刻でした。それから目の前が暗くなる腹痛に襲われ、出席はあきらめました。自分でも何を恐れているのかわかりません。
3月15日
冷静に・・・とは思うのですが、今朝は幻聴(?)にみまわれました。大音量で音楽が鳴り響き、助けて!と叫びそうになりました。わたしは大きな災害に襲われたことはないのに。朝TVを付けても、災害の情報が流れていましたが、落ち着かないので、切りました。
通院日でしたので、病院に行きました。いろいろ検査をしたので、いつもより幾分時間がかかり、また薬局がとても混んでいましたが、どこの待合室でも、災害のニュースが流れていて、もう堪らないと思いながら、帰ってきました。だから帰ってきてからはTVもラジオも付けずにいます。
加納さおり
通院日でしたので、病院に行きました。いろいろ検査をしたので、いつもより幾分時間がかかり、また薬局がとても混んでいましたが、どこの待合室でも、災害のニュースが流れていて、もう堪らないと思いながら、帰ってきました。だから帰ってきてからはTVもラジオも付けずにいます。
加納さおり
(88)
猫 草
言葉も出ない、何を書き綴ってよいかわからない日々。なんとか平静を保っていた、その気持ちが、時折寄せる余震とともに、どんどん加速度的に悪化する事態に、足元からふわっと崩れていくような不安をはじめて感じた。
いま私が暮らしている世田谷に大きな変化はない、ガソリン不足から車が減っていつもより静か、行き交う人々がみんな一様に買い物の荷物を抱えていることぐらいだろうか。TVをつけると様々な情報が飛び込んでくる、今は事態の鎮静化と収拾のためにすべての組織の枠、指揮系統にかかわらず一つのミッションに向かって取り組んでいる。警視庁や東京消防庁といった保守的で堅牢な組織までもがその枠を越えている。どれほどの事態か。
そして仮に現在の原発危機が沈静化したとして、これからどれぐらいの制限と復旧までの長い道のりがあることか。おそらく何年もかかるだろう。そして、そのプロセスに対して自分は何ができるだろうか。これから「何を、どこから、どうすれば?」の知識やアイディアやシナリオが頭の中にある。でも伝えるすべがない。誰にも。どこにも。社会的には何の発言権も実行力もない存在。無力さに吐きそうになる。私などが動かなくても、黙っていても、きっと同じようなことを誰かが考えて、速やかに実行してくれるだろうと、これまでは思っていた。これからも?本当に?本当に?
だれも耳を傾けないかもしれない、でも情報を発信しよう。まずは電源の長期的広域的な安定供給のために何ができるのか。何をしなければならないのか。
1 静 岡に3か所ある変電所の増強、現在ここの処理能力の上限がボトルネックになって中部圏から関東へのスムーズな電力融通が出来がない。
2 北海道から東北への送電ラインの増強、ここも電力融通上のボトルネックになっている。
3 現在大口顧客で自家発電設備を持っている設備の増強と優先的な燃料の配分、余剰電力のエリア供給。スマートグリッドへの系統の見直しが必須。
4 現在の発電所の稼働率各10%づつ上げること、それによりCO2排出量が増加するが震災復興のためやむを得ないと国際社会に周知すること。
5 家庭用・業務用蓄電池の普及促進。比較的需要の少ない夜間電力を各家庭や業務ビルに貯めることでピークカット効果がある。
1 静 岡に3か所ある変電所の増強、現在ここの処理能力の上限がボトルネックになって中部圏から関東へのスムーズな電力融通が出来がない。
2 北海道から東北への送電ラインの増強、ここも電力融通上のボトルネックになっている。
3 現在大口顧客で自家発電設備を持っている設備の増強と優先的な燃料の配分、余剰電力のエリア供給。スマートグリッドへの系統の見直しが必須。
4 現在の発電所の稼働率各10%づつ上げること、それによりCO2排出量が増加するが震災復興のためやむを得ないと国際社会に周知すること。
5 家庭用・業務用蓄電池の普及促進。比較的需要の少ない夜間電力を各家庭や業務ビルに貯めることでピークカット効果がある。
これらの対策を今年の夏、需要のピークまでに可能なところから迅速に実行する必要があると思う。・・このメッセージがどこかにつながることを願いつつ。
その愛のゆえに
=時々の記=
(61)
2月17日
今朝も、まだ雪が残っていました。家の前の急な坂道は、日蔭なので、凍ったままです。
そこで、けさは鍬と箒で、凍りを削っては掃きの繰り返しをすること、およそ一時間、
汗が出てくるほどになりました。何とか車が降りられるのではないかという所までこぎつけました。雪国の方の大変さを思い知りました。
幼木や泰然として枇杷の花
車いす病室出でて日向ぼこ
明星の艶を帯ぶなり春隣 馬場路哉
きょうは、主人は、鈴鹿の母のところまでお見舞いに出かけました。ずいぶん弱っているので、このところ、週一回は行っています。家へ帰りたいというのですが、とても、家で介護できる状態でありません。申し訳ない気持ちでいっぱいですが、しかたありません。
主人の母の上にも、神様が共にいてくださるように、祈っています。
2月21日
二月号のジャーナルで、マカルピン先生が書かれてあった、婦人物語を読んで、そうだ、今、私は、病床におられる方を、お見舞いに行くことの少なさにはっと気づかされました。
マカルピン先生ご夫妻、ゴダート先生は、教会の礼拝をおえられてから、病院に向かわれたのをよく覚えています。
その、眼差し、微笑み、それは、神さまの愛そのものでした。きっと病床におられた方は、慰められたことでしょう。
寒風に鳥斜めに飛び行けり
職退きて割木作るや寒の内
江州の山より雪の飛び来る
北風や盆地をわたる千切れ雲
一木(いちぼく)の全体ピンク芽吹く前
雨ふりで雫も和む梅の花 馬場路哉
3月7日
今朝も、雪交じりの冷たい雨が降っています。
三月というのに、寒さが厳しい日が続いています。
健康ということの有難さをつい当たり前のように、考えてしまうことが多いのですが、我が家にとっては、健康(こころ、からだ)であることを、祈リつつ朝を迎えない日はありません。
トラクター肥料を飛ばす春田かな
鈴鹿峯(ね)に残雪ありて畑黒し
灌漑の池瑠璃をなす村の春
川堤忽然(こつぜん)として初音聞く 馬場路哉
今朝午前2時6分、母ツヤコが小山田病院にて、息をひきとりました。つい三日前まで、牛乳、おかゆを食べていたのですが、残念でした。子供たち三人にみとられて、静かに、息をひきとりました。葬儀は、生前から、家族葬ときめていましたので。子供たちとその孫。合わせて、十三人でします。
明日が、通夜明後日、告別式です。棺のなかに、母ツヤコが医学部で、懸命に努力した跡が残っている、あの大学ノートを入れてあげようと考えています。
最後まで、聴診器を動かしているように、右腕を動かし、声にならない声で、みなにはっきりわかるように、もうダメや・・・と。腎不全でした。
主人がしおれていますので、何か楽しくなることでも、考えてあげたいですが、駄目です。
3月15日
昨日、家族葬を終え、何もしていないのに、心の中が、空っぽになったようで、疲れが一気に出てきました。長村さんのジャーナルに母の記事(地域の人々と共に)を載せていただき、その時の資料がありましたので、兄弟、親族の方に見ていただき、みな、とても喜んでくれました。そして、葬儀の写真は、診療所で、患者さんの腕をささえて、丁寧に脈をとっている写真にしました。”先生ありがとう”と言ってくれました。
3月16日
山添村で、初めての家族葬ということで、多くの方から、批判を受けているようです。
でも、主人とわたしは、そのような批判を恐れていません。
質素な葬儀に村の方たちは、あきれているようです。でも、母ツヤコは、山添村の古いしきたりは、改善すべきだとよく口にしていましたから、きっとこの形を納得してくれていることでしょう。何をしても、批判はつきものですが、私たちは、やはり、目に見えるものにではなく、目に見えないものに、畏れをいだく者です。神様に目を向け生きます。
母が、この日本を、揺れ動かす大地震の起きた日に亡くなったことは、皆の記憶に残ることでしょう。
多くの犠牲者が続出しています。神様の憐みを祈ります。
馬場暁美
(上野緑ヶ丘教会員)
ジャン・カルヴァン著
ヘンリー・J・ヴァンアンデル編
吉岡 繁訳
第3章 十字架を負う忍耐
3 十字架はわれわれに希望を与える
1 「患難は忍耐を生み出し、忍耐は錬達を生み出す」とは、パウロの教えているところである。信者は、自分の力ではなく、神の強さによって支えられて、忍耐を貫き通していくとき、神が試みの中にある信者を助けてくださるという約束が、真実であるのを経験するからである。
それで、必要ならば、神は必ず約束した助けを実際に与えてくださるということを、聖徒たちは忍耐を通して知るのである。その結果、聖徒たちの望みはいっそう強められる。確かであり、不変であると確信する神の真実に、われわれが将来のことで信頼しないなら、恩を忘れていることになる。
それだから、われわれは今では、十字架よりどんな恩恵が出てくるかを知っているのである。というのは、われわれが、自分の徳について持っている誤った思いを捨て、へつらいをもって迷わそうとする偽善を見破っているなら、われわれが生まれつき持っている有害な自尊心は、その位置から転落することになるからである。
このように、謙遜にさせられると、われわれは神にだけ頼るように教えられ、絶望の中にも、よろめいたり、沈んだりしない。この勝利から新しい希望がわいてくる。主が約束を果たしてくださったのを知ると、その真実が将来に向っても、確認されるからである。
2 理由がこれだけであるとしても、十字架の試練が、どんなに必要であるかを示すのに十分である。
なぜなら、次のような点を挙げることができるからである。すなわち、自分の弱さに目覚めるために、盲目的な自己愛を取り去られる。自分自身を信頼できないほどに、自分の弱さを知る。全ての信頼を神に置くほど、自己に頼らなくなる。
勝利の中にも最後まで耐え忍ぶことができるように、限りない信頼をもって神に頼り、神の助けに全く頼る。神はその約束に真実であり忠実であることを知って、神の恵みの中に生き続ける。自分の望みがますます堅固になるよう、神の約束の確かさを経験する。こうしたことは、決して小さい利益ではない。 ローマ5:3~4
(つのぶえ社出版) この文章の掲載は訳者の許可を得ております。
ベタニヤのマルタ
(ルカによる福音書10:40)
わたしたちは、神様のことを第一としていたベタニヤのマリヤにつきまして、すでに学びました。今度は、彼女の姉のマルタについて、お話しをいたしましょう。
先にもお話しいたしましたように、マルタとマリヤの姉妹は、彼女たちの性格が全く異なっていましたように、彼女たちの特徴もまた大変違っておりました。妹のマリヤは考え深い精神的なことに関心のある婦人でしたが、姉のマルタは実際的な家庭婦人であったようです。だからといって、わたしは今ここでマルタを批判しようと言うのではありません。
ここで先ず教えられますことは、マリヤやマルタばかりでなく、誰でもこの世の全ての人たちは、神様からそれぞれ異なったタレント(才能・能力)をいただいていることです。神様の不思議な摂理によって、わたしたちは皆、それぞれ違った個人的特質を与えられているのです。それはあたかも、スーツが同じ型に裁断されないで、一人一人のからだに合わせ、裁断されますのと同じです。神様はわたしたち一人一人を知り、一人一人を愛し、一人一人を神様ご自身のみもとに、お招き下さることは、何と有難いことでございましょう。
さて、マルタにはどんな特徴があったのでしょうか。先ず、わたしたちが気付きますことは、マルタがイエス様の不思議なお力、神様としてのお力の持ち主であることを、固く信じていたことです。彼女の弟ラザロが、重い病気で危険な状態に陥った時、真っ先に、イエス様のみもとに使いを走らせ、すぐに来て頂くようにと願ったことでも分ります。また弟ラザロが死んでしまった後でも、マルタのイエス様に対する信仰は少しも変ることがありませんでした。
ヨハネによる福音書11章22節を読みますと、マルタはイエス様に向って「あなたがどんなことをお願いになっても、神はかなえて下さることを、わたしは今でも存じています」と語っています。さらに27節では、「主よ、信じます。あなたがこの世にきたキリスト、神の御子であると信じております」と、信仰を告白しています。実に立派な信仰告白ではありませんか。
ルカによる福音書10章38節以下を読んでまいりますと、「一同が旅を続けているうちに、イエスがある村へはいられた。するとマルタという名の女がイエスを家に迎え入れた。・・・。マルタは接待のことで忙しく心をとりみだし、・・・」とあります。ここで、わたしたちが気付くことは、姉マルタも、妹マリヤと同じように、イエス様を心から愛し、イエス様を心から喜び迎えた事実であります。
イエス様が自分たちの家に来て下さったのは、何よりも大喜びでしたが、イエス様が家にお入りになってから、マルタは家のこと、もてなしのことで忙しく、落ち着いてイエス様のお話しを聞くことが出来ませんでした。たぶんマルタは、簡単なお食事をイエス様に差し上げるのは失礼に当たると思ったかも知れません。彼女は一生懸命にご馳走を作り始めました。ところが、妹のマリヤがちっとも手伝ってくれないのが、マルタには気になってしかたがありません。それでマルタは、イエス様のみもとへ行って、「主よ、妹がわたしだけに接待をさせているのを、なんともお思いになりませんか。わたしの手伝いをするように妹におっしゃってください」と、お願いいたしました。
すると、イエス様は、「マルタよ、あなたは多くことに心を配って思いわずらっている。しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マリヤはそのよい方を選んだのだ。そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである」とマルタにお答えになりました。イエス様が折角おいでになったのに、マルタは多くのことに心を配り過ぎて、落ち着いてイエス様のお話しも聞けなかったことは、本当に彼女にとって残念なことでした。今日の大部分の人たちの日常生活の有様も、このマルタのような状態ではございませんか。
生活のための複雑な問題や、家計のやり繰りのことなどに心が奪われ、最も根本的な魂の問題については、無関心すぎるほど、何ともお考えになっていないのではありませんか。このようでは、花園に生えている雑草に心をとらわれて、肝心の美しい花を忘れてしまうというのと同じで、そのようでは、ゆかしい花の香も、きれいな花の色も無駄となります。かといって、雑草を抜かなくてもよろしいというのではありません。美しい花を咲かせるには、当然、雑草を抜かなければなりませんが、花園の主人はどこまでも雑草ではなくて美しく咲き誇る花でございます。
イエス様を中心に、マリヤもラザロも、マルタの手作りになる美味しい食事を、喜んでいただいたことでありましょう。しかし、その美しい交わりの中心・主人となるのは、園に並べられたご馳走ではなく、主イエス・キリストであり、イエス様のお口からほとばしり出る生ける言葉でありました。このことと同じように、わたしたちの人生の最大の目的も、飲み食いとか、歓楽といった一時的な喜びではなく、ウエストミンスター小教理の第一問が教えますように、「神の栄光をあらわし、かつ永遠に神をよろこぶ」ことでございます。神を喜ぶためには、真の生ける神、天地宇宙の創造主にいます神について、よく知らなければなりません。そして、常に、神が共にいまして、自分を守り、導いて下さっていることを感謝しなければなりません。
神とのこのような交わりをいただくために、イエス様の尊い血潮によって、罪の赦しをいただき、救いの恵みを受けなければなりません。イエス様がお話しになっています、「良い方」とはこのことです。あなたの生活は一体何が中心であり、主人となっておりますか。雑草ですか。それとも、美しく咲いている花でしょうか。
ウエストミンスター小教理問答
第一問 人のおもな目的は何であるか。
答 人のおもな目的は、神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶことである。
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。
ビルマ
昭和20年
10月28日
-タキン党事件で指名される-
珍しく食事時でないのに、独房を開けてくれた。そして雑居房の広場に連れて行かれた。また首実験である。独房にいるわれわれは一般の者とは別の場所に並ばされた。首実験に来たビルマ人の中に日本軍に反乱したビルマ国軍の一味であったボミ-中尉がいた。
彼は私を指して英軍将校に「タキン党員20数名を殺した奴はこの者です。私がこの刑務所に入れられていたある夜、遠山は幾人かの部下を連れて来てタキン党員20数名を連れ出した。その後、彼等は一人も帰ってこなかったから遠山によって殺されたと思う」とビルマ語で証言した。私はこれ位のビルマ語は十分理解できたし、でたらめの証言である。しかし、この場で反論することは許されなかった。
この事件は、終戦直前に日本軍によって指導されていたビルマ国軍が突然反乱を起こし、各地でゲリラ戦を展開し、前線から敗退する日本軍を攻撃したので、軍に多くの犠牲者を出した。彼等はビルマ最後の拠点であるモールメン地区の日本軍を撹乱すべく工作をしていた。この反乱軍の一味であった県警察部長をはじめタキン党幹部20数名を逮捕し取調べたが、その事実が判明したので、分隊長は隊本部を通じて憲兵司令部に報告し、その指示を仰いだ。司令部より「厳重処分せよ」との命令があり、極秘に処刑した事件である。
東分隊長は、この事件の発覚することを心配して、もしこの件で英軍より取調べを受けるようなことがあったら「反乱国軍関係者は全員タイ国境近くで釈放した」と答えるように指示していた。
11月10日
10月28日のボミー中尉の首実験以来、イギリス人は私を「タキン党事件」の鍵を握る重要人物であるとの烙印をおした。取調べ以外は独房より一歩も出してもらえなくなった。食事も運んでくれるのである。今日は階下の房に幾人かのビルマ人が入監した。このビルマ人は日本軍がビルマに進駐して以来、憲兵隊や軍に協力してくれた者たちであった。日本軍が降伏するや、対日協力者の罪で逮捕されたのである。
この中に憲兵隊の通訳センタンもいた。彼等は着の身着のまま投獄され、寝るのに毛布も蚊帳もなく冷たいコンクリートの床の上でゴロ寝である。夜中になると、高い熱のために、うめき声にも似た声、かん高い声で口走る者等、彼等の苦悩を想像することができる。彼等にお詫びしたい気持ちでいっぱいであった。しかし、どうしてやることもできない。センタンもマラリヤに侵されている。秘かに戦友に頼んでマラリヤの薬を与えることができた。そして二枚持っていた毛布の一枚も分けてやった。
私は彼等に次のことを話した。「戦争に負けた俺たちが牢に入れられるのは仕方がない。しかし、お前たちまでこんな目にあわせて申し訳ない。もし俺たちのことで取調べを受けているのなら、俺たちをかばう必要はない。お前たちが釈放されるためになるなら、嘘でもよい、悪口でもかまわないから、ここから出ることを考えるべきである」と監視のすきを見て話した。取調官は対日協力ビルマ人についても繰り返し繰り返し訊問した。われわれのために働いてくれた彼等に不利になる事柄は避けて有利になる証言をしたことは、暗い獄生活の中にあって、私にとっては一つの慰めでもあった。
わがために 尽くせしビルマの 人々は われらと共に 獄に入りたり
マラリヤで 獄の中にて うめく声 われと共に 働きし現地人(ひと)
* このビルマ人は裁判で全員無罪であったことを後日聞いた。また、後日行われた私の裁判で、証人として私のために法廷に立ち、証言してくれたので、有利となり死刑を覚悟していた刑は有期刑の判決であった。
* 「タキン党」とは、英国の植民地であった当時、ビルマ独立を目ざして活動した秘密団体である。日本軍のビルマ進駐時は協力したが日本軍がビルマ戦線で不利になるや「ビルマから日本軍を駆逐せよ」との指令を出して反日闘争に路線を変更した。ビルマが独立するやこのタキン党により新しい政府を樹立した。
この文章の転載はご子息の許可を得ております。
あなたに聖書を
24日はキリストが復活された記念日です。この復活ということをどう考えたらよいのでしょうか。これについて、キリストは十字架につけられて死ぬ前に弟子たちに言われた言葉があります。それは、弟子たちに「心を騒がせることではないよ」と言われたことが、ヨハネ福音書に書いてあります。弟子たちはキリストがそういう最後を遂げるとは夢にも思っていませんでした。それと、一切のものを捨ててキリストについてきた自分たちはこれから先どうするのか、不安になりました。そういう状況の中でキリストが言われたのが「心を騒がすな」ということでありました。
ただし、キリストがそう言われるにはわけがありました。それは、その時、キリストは「これからわたしは父の家に行く。そこへ行くのは、あなたがたのための場所を用意するためである。それで、その用意ができたなら、また戻ってきて、あなたがたをわたしのもとに迎える」と約束されたからであります。
つまり、キリストは「このすぐあと、わたしは死ななければならないが、死んでそれっきりというのではなく、そのあと「父」と呼ぶ神様のところへ行って、そこに人々が安心しておれる場所を用意しに行くのであるし、その用意ができたなら迎えに来るのだから、心を騒がせることはないよ」と言われたのであります。そして、言われたとおり、三日目に復活して弟子たちに現われ「平安があるように」と声をかけられたのでした。
わたしたちは、別れの挨拶に「さようなら、じゃあまたね」と言います。そうは言うものの、その「またね」という言葉は確実に実現するわけではありません。しかし、キリストは「心を騒がすことはないよ。さようなら、また来て、永遠にあなたがたと共にいるよ」と言われた方です。そしてその通り、復活して、今も、信じる者と共におられ、「父」と呼ばれた神様のところにわたしたちの居り場所を確保して下さるのであります。ですから、わたしたちは安心して「天におられるキリストの父なる神様」と呼ぶことが出来るのであります。
篠田 潔
(参照聖句・ヨハネによる福音書14:1~3)
(電話によるメッセージより・日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
(放送開始1952年10月)
4月3日 相馬 伸郎 (日本キリスト改革派名古屋岩の上教会牧師)
10日 相馬 伸郎 (日本キリスト改革派名古屋岩の上教会牧師)
17日 橋谷 英徳 (日本キリスト改革派関キリスト教会牧師)
24日 橋谷 英徳 (日本キリスト改革派関キリスト教会牧師)
CBCラジオ「キリストへの時間」(1053KHZ)
毎週日曜日朝6時30分~45分放送
第47課 異邦人の召命とユダヤ人の拒否
9章1~11章36節(続)
D 福音はすべての人の必要に適応したものであり、万人に伝えられるべきものである。
10章11~21節 (3)
現代のキリスト信者の多くが、一般的に言って、宣教ということに無関心であるといえます。彼らがそのために献げるものは、自分自身が自分のため、或いは、自分の教会のために費やすものに比べるならば、少ないと言えるのです。米国などにおいても、外国伝道ということは、何か赤十字などの働きに類するもので、慈善の業とか博愛事業の別名ぐらいに考える向きが多い。だから時折に寄付をすればよいと考えています。
そのような考えは宣教活動についての妥当な考え方ではありません。これは神が私たちにお与えになった厳かな命令なのです。神が権威をもって教会の上に課せられた使命であり、キリスト信者一人一人が、それに対して関心を持ち、支えるべき性質のことなのです。私たちは「ギリシャ人にも未開の人にも、賢い者にも無知な者にも果たすべき責任がある」(1:14)のです。すなわち、全ての世界に対して、果たすべき責任があると言わなければなりません。
今日において宣教の業と呼ばれるものの多くが、パウロの意味における福音の宣教ではない。自由主義神学の諸教派において、宣教の業と呼ばれるものが行われていますが、それは十字架に付けられたキリストを罪人に宣べ伝えることよりも、むしろ一種のヒューマニズム的な社会奉仕的なものとなってしまっているのです。神が教会の上に課せられた事柄は、内外の罪人たちにキリストの救いの福音の真理を宣教するという義務を遂行することであり、それを支えることです。従って言うまでもなく、救われたキリスト信者でなければ宣教者となることはできないのです。
A・シュバイッアー博士の事業は真に偉大です。彼は多くの人々から偉大な宣教師と言われ、またある人たちからは世界の中で最も偉大なキリスト信者であるとさえ言われています。彼が偉大であることは言うまでもないことです。彼は実に多方面に才能を持つ天才です。また、神学、医学、音楽の三分野における業績を持っています。しかし、聖書及び正統的な信仰から言うならばシュバイッアー博士は全くキリスト信者ではないと言ってもよいのです。彼についての伝記は数多くありますけれども、それらはいずれも彼の神学的な見解に注意を払っていません。彼の多くの著書から彼の神学理解は世によく知られています。
例えば、「歴史的イエスの探求」という有名な著書は、明確に彼のイエス観を示しています。彼の理解によれば、イエスはその弟子たちがまだ地上に生きている間に地上に帰って来ることを期待していた。しかし、イエスはこの点で誤っており、錯覚の犠牲者です。言うまでもなく、このようなイエスは世界の救い主でもないし、また、聖書の中に提示されているイエスでもなく、さらには、パウロが宣ベ伝えたイエスでもないのです。
多くのキリスト信者がシュバイッアー博士を最高の賛辞をもって賞賛するのを聞きます。しかし、それらの人たちは自由主義神学的な出版物の中の論説などによって誤って教えられているのです。シュバイッアー博士の事業は確かに偉大であるにしても、それは本質において、アフリカ人への聖書の福音の伝達よりも、むしろ、人間主義的奉仕なのです。
10章15節は、イザヤ書52:7からの引用です。この聖句は私たちに福音という言葉の真意を教えています。それは「よきおとずれ」なのです。「よきおとずれ」「よい知らせ」とは何でしょうか。聖書によれば、それはイエス・キリストを内容とするよい知らせ、すなわち、罪人の救い主として十字架につけられ給うたキリストと言う知らせなのです。「ああ、麗しいかな、良きおとずれを告げる者の足は」は、宣教者が遣わされるというということは何と素晴らしく、また、喜ぶべきことであろうかと言う意味です。
暗きと死の谷の蔭にある罪人に福音の光を携えて行くということは、何と素晴らしく有益な仕事でしょうか。私たちはどんなにか喜んで熱心にそれを支えなくてはならないかというです。教会の伝道活動を支えることに消極的であったり、惜しんだりしているということは、どんなにか罪深いことでしょうか。宣教活動を進めることを怠ったり拒否したりする教会は、自己中心主義のために沈滞し萎縮してしまうのです。この宣教活動においても、私たちは「受けるよりは与える方が、さいわいである」(使徒20:35)ことを覚えるべきです。
J.G.ヴォス著
玉木 鎮訳(日本キリスト改革派引退教師)
この文章の転載は訳者の許可を得ております。
祈 り
=「つのぶえジャーナル」にメールや電話をくださった方々のお声です=
寒いです。暗いです。不安です。助かりましたが、悲しいです。失ったもの、奪われたものが余りにも多すぎます。悲しい。(3/12)
5ヶ月の子供が泣き疲れて、わたしの腕の中で眠っています。無力な母でゴメン!(3/12)
部活の友だちがいない。危険で捜すことも出来ない。携帯の返事もない。返事をくれ!!(3/12)
ジャーナルさんを見ている方、ニュースを見ていてください。(3/13)
頑張ります!(3/13)
友人が歩いて安否の確認に来てくれた。うれしい(3/13)
食べ物、水がほしい。寒い!(3/13)
やっと避難所に来たが、近所の人が誰もいない。(3/13)
独り取り残されてしまいました。悲しい。(3/14)
父の薬がなくなりつつあり、助けてください。(3/14)
ジャーナルを見ている方、お祈りください。頑張ります。(3/14)
余震が怖いです。助けてください。(3/14)
石原知事の「天罰」発言。謝罪して済むのか。許せない!!(3/15)
何も出来ない自分が情けない。無力感に襲われている。(3/15)
土曜日の夜中の揺れは強くて怖くて眠れませんでした。連日報道されている東北地方の惨状は、本当に心が痛みます。自分に何ができるかと問うと、祈ることが一番大切と思っております。学校でも、児童会で救援物資を集めたり募金をしたり、JR駅前では高校生が募金のお願いをしていました。主婦として節電したりしています。小さなことでも何かしたいという思いを届けたいです。被災者のインフルエンザが気になります。(3/15)
祖母が避難所で多くの人にみとられて亡なりました。悲しいです。(3/15)
情報がない。届かない。(3/15)
福島の友人の安否が分らない(3/16)
とにかく悲しい!!!(3/16)
「みんなでわいわい・ご意見コーナー」
普段音信のない友人から、お見舞いと励ましの連絡がありました。何か知りませんが涙が出て来て止まりません。泣きながらメールしてます。
福島県 I・Iさん
周りの様子が一変してしまいました。電気もない、ガスもない、水道も・・・と言う生活、私も含めて疲れきっています。情報がほしいのでテレビを見ていますが、一層悲しみが深くなりました。・・・。
福島県 T・Sさん
政府も地方自治体の方々も最善を願って活動していることに感謝しています。焦りからか、情報提供の遅れなど東京電力の対応に批判が集まる一方、最悪の事態を避けるため、危険を顧みず作業に当たる同社や協力会社の社員も大勢おられます。他社の電力会社に勤務する友人は、志願して応援のため福島へ向かいました。
3月、それは、別れのときでもあり、さびしいときでもあります。保育園・幼稚園からの卒園。小学校・中学・高校の卒業の時期です。人生の再スタートの時でもあります。そんな若者を応援していきたいです。
奈良県 B・Aさん
今から母のところに帰ります。久し振りに実家に主人と共に行くのは、今年になって初めてです。テントウ虫も動き出してます。同じ速度です。畑に行くとネットの中で野菜達がいつ食べてくれるのと 訴えていました。感激です。草の中で良く育ってくれてありがとう。
最近急に暖かくなりましたね。金曜日(25日)に鶯の初鳴きを聞きました。近所で遊んでいる。やっと春が来たという感じです。
兵庫県 S・Oさん
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緑を大切に!
書籍紹介
エネルギー技術の
社会意思決定
日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授
「本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
共著者・編者
鈴木達治郎
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント
スーザン・ハント
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
鈴木英昭著
「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円