忍者ブログ
2023年7月号  №193 号 通巻877号
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

 s-201001111533001.jpg           キリスト者の生活綱要   (6)
   
ジャン・カルヴァン著
                 ヘンリー・J・ヴァンアンデル編
                 吉岡  繁訳
 
  第1章 謙虚な服従、真実にキリストにならう
 
   4  外面的なキリスト教は不十分である
    
   1  教会に会員籍があるというだけで、クリスチャンと呼ばれたいと思う人々に、どうしたらキリストの潔い御名によって、栄光を現すことができるか、と問いたい。というのは、福音の言葉から、キリストについてのまことの知識を受けていない人は、キリストと何の交わりももっていないからである。
      自分を誤らせる欲で腐敗した古い人を脱ぎ、キリストを着るように教えられなかった人は、実際にはキリストを知らない人である、と使徒は言う。口だけの僕が、どんなに雄弁で自由に、福音について語っても、キリストについて外面的に知っている知識は、ただ偽りの危険な信仰の装い過ぎない。
 
   2  福音は口の教理でなく、生命の教理である。福音は理屈や記憶だけで把握されるものではない。魂のすべてを所有し、心の内にあるくぼみにまでしみ込んではじめて、十分に理解される。
      名ばかりのクリスチャンに、彼らが現実にそうでないのに、そうであるかのように誇って、神を侮るのを止めさせ、むしろ師であるキリストのふさわしい弟子であるようにさせよう。
      われわれは、自分の宗教の知識を何よりも第一の位置に据えなければならない。というのは、これが救いの出発点だからである。しかし、われわれの宗教がわれわれの心を変え、行為に影響を及ぼし、われわれを新しく造られた者に変えるのでなければ、無益である。
 
   3  哲学者たちは、生活の技巧を知っていると自称しながら、実際に空虚な妄言しか言わない人々を、当然のことながら非難し、自分たちの仲間から追放する。とすれば、キリスト者が、口だけは福音を語り、心には何ももたぬ人々を嫌悪するのは、いっそう理にかなっている。まことの信者の確信と愛と限りない活力に比べると、哲学者たちの勧めは冷たくて生命がない。エペソ4:20以下。
:再読希望者がおられますが、「キリスト者の生活綱要」は在庫がないため、この「つのぶえジャーナル」に連載いたします。つのぶえ社)
PR
「地域の人々と共に生きて」 その920377c0b.jpg
     …二人静…
 
地域の方々とともに歩んで70歳を過ぎたころから、自分自身の体に異常が起きてきているのがわかりました。それは、緊張すると手が震えるのです。注射針を持って、いざその方の腕を抱えると手の振るえが出てくるのです。患者さんは、大丈夫かなという目で、見ていますし、私も、なんでこんなに手が震えるのか不安でした。でも、長年の経験が注射をするときになると、ピタととまり、何十人の児童の予防注射も、ひとつのミスもなく、終えることができていました。
後でわかりましたが、パーキンソン病のはじまりだったのです。その手の震えに気が付いた村人たちは、心配して私を辞めさせようとしていたようです。
ある時、はしかの予防接種のために村中回っておりました。その内の一人が、副作用で、発熱、下痢嘔吐などが出て、往診に来るようにとの連絡が入りました。往診に行くと、すでに、症状は治まりほっといたしました。わたしは、このように説明いたしました。どのような予防接種でも、その時の体の具合によって、きつく副作用が出る場合があります。でも、もう大丈夫ですと。
それで、一件落着したかのように思えましたが、そう甘くありませんでした。あれは、医療ミスだと役場の村長さんにまで、訴えられました。医療ミスという言葉は、54年間、医療に携わってきた者にとって、耐え難い言葉でした。村長室に呼はされ、医療ミスをした医者は、診療に携わってもらうわけにいかないと言われたのです。人生で、最も悲しい時でした。
いくら、言葉をかえて説明いたしましても、聴いてくれません。仕方なく、その夜は、引き下がりましたが、これは、きちんとしておかねばと思い、もう一度、その熱の出た方のお家をたずねました。そして、発熱したのは、医療ミスではないことを理解してもらおうと説明に苦心いたしましたが、その家の人が出てきて、もう何も言わんでええんや。わしらは、お前の顔も見たくない。お前に何時までも、診療所で、勤めてもらいたくないんや。ただ、それだけや。そう言われてなすすべもなく、しばらくは、そのまま勤めさせてもらいました。考えてみますとその気持ちも少しずつ理解できましたが、その一年後の3月31日、満78歳で診療所を退職いたしました。
このような高齢な私が地域の方々の健康を考えて歩むことが出来ましたことに、深い感謝を覚えています。
私にとりましても、家族にとりましても、とても辛い最後でありましたが、今は私は常に最善を尽くしてきたと誇りに思っています。このこと以来、息子が医師として、働いていますが、何時も医療ミスと言われないように最善の注意をしてと、日々お祈りする毎日です。
森三菜子
2911be34.jpg『旧・新約婦人物語』(6)
 
 最後の預言者
  「アンナ」
 預言者アンナについては、聖書は僅か3節しか書いていませんから、聖書をよく注意して読まないと、彼女のことを見落としやすいのです。ルカ福音書2章36節から38をよく読んで下さい。この3節から次のようなことがわかります。 
1 アンナは84歳に達する老いた女預言者でありました。
2 彼女の父はパヌエルと言って、イスラエルのアセル族の人でした。皆様もよくご存知と思いますが、アセルと言うのは、昔のイスラエルの12部族の一つで、おもにガリラヤ地方に住んでいました。だから、アンナはガリラヤ人でありました。
3 彼女は気の毒な身の上で、若い時、ご主人を亡くしたのですが、その後、再婚もせず、彼女の長い生涯を全く神に捧げ、神の宮で神様の御用を勤めました。彼女の毎日の生活は、どうであったかと申しますと、夜も昼も祈りと断食をもって神に仕える生活でありました。
 
 ここで、わたしたちの気付くことは、何百年にもわたって、預言者がなく精神的にも、
政治的にも乱れ切ったユダヤの国に、再び預言者が現れたということは不思議であります
が、これは神の愛のみ摂理と言うものでありましょう。
 たとえ預言者アンナが老齢であったとはいえ、イエス様を救い主キリストと認め、まだ
幼いイエス様を待ち望んできたメシヤとして受け入れ、神様に感謝いたしました。そして
アンナはこの幼な児こそ救い主であることを、救いを待ち望むエルサレムの人々に語り伝
えたのです。
 もしユダヤ人の祭司たちや宗教家たちが、このアンナの言葉を聞いて、素直に受け入れ
ていたなら、ユダヤの国のその後の歴史は、もっと幸いな、かわったものとなっていたこ
とでしょう。しかし、残念なことには、祭司も指導者らも心のかたくななために、精神的
に耳の聞こえない者となり、アンナの預言に耳を傾けようともせず、ついに神よりの救い
の恵みに与ることができませんでした。
 さらに残念なことには、アブラハム・カイパー博士が語っておられますように、預言を
通しての教えは、これが最後でありました。この最後の恵みの預言を彼らが拒否し、退け
たのであります。この女預言者アンナ以後は、預言の必要がありませんでした。なぜなら、
預言の通り、既に救い主がお生まれになったのですから。
 アンナが、イエス様にお目にかかったのは、ある日のこと、宮の内においてでありまし
た。イエス様の両親は、子供が生まれてから6週間目に宮に行き、神に捧げるユダヤの律
法に従って、イエス様をエルサレムの宮にともない、そこで神に幼な児を捧げる儀式をい
たしました。ちょうどその時、シメオンという信仰深い老人がいましたが、聖霊に導かれ
て宮の内に入り、この幼な児のイエスこそは、わたしたちの待ちに待った救い主であるこ
とを示されました。そしてシメオンは彼の腕にイエス様を抱きかかえて、神様を褒め称え
て言いました。
 「主よ、今こそ、あなたはみ言葉のとおりに、この僕をやすらかに去らせてくださいま
す。わたしの目が今、あなたの救いを見たのですから。この救いはあなたが万民のまえに
お備えになったもので、異邦人を照らす啓示の光、み民イスラエルの栄光であります」と
申しました。この時、老女預言者アンナが近寄って来て、この子こそは、主イエス・キリ
ストであることをあかしし、神に感謝を捧げたのであります。
 このお話しで、わたしたちが学びたい教えが3つあります。
1 老齢者の神に対する奉仕が、いかに大切であるかということであります。この84歳にもなるアンナの信仰と、彼女の祈りの生活は実に素晴らしいものでした。普通、老齢者の方々は自分の老齢に心がとらわれて、この老いの身が何のお役に立つだろうかと、思われるかも知れません。しかし、いかに老いたりとは言え、熱心に祈ることは誰にでもできます。また老いたる者の熱祷が神に聞かれ、若い人たちを奮い立たせた実例が、たくさんあります。また逢う人毎に、すべての人々にみ言葉を語り伝えることができるはずです。
2 神の良き器となるために、わたしたちは絶えず祈り、常に神のお導きを求めなくてはならないことです。アンナとシメオンはどうして、イエス様がキリストであると信じることができたのでしょうか。それは、彼らが絶えず祈り、常に神のみ声に心の耳を傾けていたからであります。
3 神の教会は、すべての信者の交わる奉仕の場所であることです。ガラテヤ人への手紙3章28節に「もはや、ユダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからである」とあります。このように教会では老若男女の差別はありません。アンナのような老女の意見や奉仕も、実に大切であり、女たちの意見も同じく大切であります。だから、若い人は、年老いた人の意見を尊重し、年老いた人も、若い人たちの意見を重んじ、キリスト者として、老いもきもそれぞれの立場で一致協力し、神の栄光を現わし、み言葉の証しをいたしたいものであります。
  (アブラハム・カイパー博士(1837~1920)、オランダの改革派の神学者で政治家でもありました。アムステルダム自由大学の創立者であり、初代総長になりました。1901年から5年までオランダの首相を務め、1908年からは終身国務大臣でした)。     
 
 
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)
…キリスト教…
 社会福祉活動のあゆみ(31)
 
 キリシタンの貧しい人々への救済(4)
 キリスト教の伝来とその展開(4)
 
 キリシタン禁教をほぼ完成させたのは、1639年の「鎖国令」ですが、その契機となったのが、島原の乱(1637~38、寛永14~15)です。島原半島は、もともとキリシタンが多く、一揆側で原城に籠城した35,000人の多くがキリシタンであったかもしれないが、外国人のパードレばかりでなく日本人教師も加わっていなかったかもしれない、と言われています。
 これに対して、オランダ船に依頼して、原城に大砲を打ち込んでもらっている(レオン・パジェス著・吉田小五郎訳「日本切支丹宗門史(下)。したがって、島原の乱をキリシタンやパードレの策謀とか外国の介入というのは全く当たらない、と言えます。キリシタンは邪宗門とする幕府側の一方的言い掛かりに過ぎないのです。
 1549年、聖フランシスコ・ザビエルによってもたらされたキリスト教は、少なくとも日本歴史の表面から消えることになります。キリシタン史は、壮絶な殉教死として知られており、注目されてきましたed809c07.jpg。
 信者数の推移を見ても、1570年は20万人が、1605年は3万人、79年は10万人、そして秀吉の禁教令の出た1587年は20万人、1605年には75万人と極端に増えています(海老沢有道著「切支丹の社会活動及南蛮医学」)。禁教令、そして殉教者が出て飛躍的に増やしているのであり注目に値します。
 キリシタンは、自己の救済のために信心の業に励んだだけでなく、文化、教育、そして慈善救済、医療など多方面にわたって活動しています。キリシタンの社会的活動は壮絶な殉教に隠れがちですが、戦国末期から徳川政権の確立までの混乱期に果たした役割は、計り知れないものがありました。特に慈善、救済、医療といった面では、当時の仏教界が宗教的生命、倫理的教化力は低調、喪失していただけに、キリシタンの諸活動は際立っています。
 仏教が業報輪廻の因果応報思想によって目前の困窮者の悲惨に対して無感覚であったのに対してキリシタンは放置し得なかったのです。
 
 
  あなたに聖書を
 
09d9dd2b.jpg 聖書の中の、マタイによる福音書に、「山上の説教」と呼ばれている箇所があります。その中で、イエス・キリストは「心の貧しい人は幸いである」と言っておられます。わたくしは「心が豊かであってこそ幸いである」と思っておりましたから、キリストが「心が貧しいことが幸いである」と言われても、納得出来ませんでした。この言葉を聞いた他の方々、そして、恐らくあなたの感想も同じではないかと思います。
 
 わたくしたちは、自分の心が、豊かさに満ち溢れている自分であるとは、言えない自分であると思っています。しかし、反対に自分の心がどうしようもなく、貧しい人間であるとも思っていません。ですから恐らく、こういう自分として生きて行くであろうと思い、そしてまた、そういう自分で終わるだろうと思っていました。
 
 ところが、「幸せな人というのは心が貧しい人である」と言われて、はたと行き詰まってしまいました。そこで問題として考えさせられたことは、心が「貧しい」というのは、何を基準としてそう言うのか、ということであります。もちろん物差しで計るような基準はありません。ただ、「心が貧しい」ということは、「いつまでもそのままの状態にとどまってはいたくない」ということですから、そうなった時の自分と言うものは、自分の状態以外のものに心が開かれるようになった自分であるわけです。当然、新しいものが入ってきます。
 
 わたしのことを言いますと、イエス・キリストを知ったとき、「心の豊かな人」というのはこの方である、と知りました。そして、同時に自分の心の貧しさを知らされました。しかし、この自分の心の貧しさを知らされたことは、本当に幸いでした。その幸いは、キリストを通して、天の神様の御心の豊かさ、つまり「天国」がわたしのためのものであることを知らされたからであります。
 (参照聖句・マタイによる福音書5章3節)
 
篠田 潔
 
 
(電話によるメッセージより・日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
 「ローマ人への手紙」研究 (63)bb22c948.jpg
 第42課 異邦人の召命とユダヤ人の拒否
       9章1~11章36節(続)
C 福音による救いと言う方法の単純さと適切さ
       10章1~10節
 
 9章の終わりの箇所で、パウロはイスラエルの人たちが救われることに失敗したのは何故かを説明してきました。ユダヤ人たちは義を得るために、誤った偽りの、しかも不可能な方法をもってしようと試みました。彼らは真摯で極めて熱心であったけれども、完全にその方法を誤っていたのです。パウロ自身もキリストに改宗する以前は、彼らと同じ類の人でした。真摯にと熱心ということだけでは、救いには不十分なのです。私たちはまた真理に至る道の上にいなければならないのです。
 今の世にあって、多くの真面目で熱心な人々がキリストの福音を拒むのは、一体何故でしょうか。彼らが福音を拒むのは、昔のユダヤ人と同じように、彼らの心が彼ら自身の誤った考え方を好むように、偏ってしまったからです。
 
 10章の最初の節において、パウロはイスラエルの人々が救われることを心から願っていることを述べています。彼らが救われることはパウロの心からの願いであり、神への祈りでもありました(10:1)。パウロが教えている真理は、ユダヤ人読者にとっては極めて好ましくないものでしたので、ユダヤ人たちに彼の気持ちを分からせ、彼が彼らの幸いを心から願っていることを確信させるには非常な苦労をしているのです。
 「私たちはここでパウロがどんなにか苦労をして、つまづかせることを避けるようにしているかが分かるのだ」(カルヴァン)。私たちも真理に忠実であることを犠牲にしない限り、できるだけつまづきを与えないように留意すべきです。神の真理を証言することは、この真理をできるだけ好ましくないものに見えるようにしなければならないことを意味するものではありません。それどころか、私たちは最善の努力をしてその困難さとつまづみの機会を取り除くようにしなければなりません。
 もし私たちが神の真理に反することを主張するならば、それは彼らの責任です。しかし、私たちはその真理をできうる限り受け入れやすい仕方で提示し、私たちの怒りの心や敵意や短気が、私たちが宣べ伝えている真理から人々を逸れさせてしまうことが無いように努力することは大切です。
 
 何故ならば、「わたしは、彼らが神に対して熱心であることはあかしするが、その熱心は深い知識によるものではない」からです(10:2)。神に対して熱心であることは結構なことであり、その限りにおいては、それは褒められるべきです。しかしながら、神に対するユダヤ人の熱心は「知識によるものではない」がゆえに、実は無価値なものなのです。彼らの熱心は正しい目標にではなく、間違った対象に向けられています。だから、それは罪に汚れた効果のない熱心なのです。
 ここの「知識」と訳されている語は「エピグノーシス」という極めて強いギリシャ語で、「道徳的知識」「正しい知識と理解」の意味です(ホッジ)。「知識」という意味の通常のギリシャ語は「グノーシス」で、一般に知識・報道するの意味です。他方、「エピグノーシス」
は「正しい知識」、「道徳的に識別する知識」を意味します。「彼らの知識は啓発されたもののではなく、賢明なものでもありませんでした。またその対象については正しくない、その性質については正当ではなかった」(ホッジ)。
 ユダヤ人たちは彼ら自身の伝統と義の達成については極めて熱心であったけれども、同時に当然とても傲慢で、他に対して批判的でありました。彼らの熱心は、神への熱心に関する限り、無関心よりはましでした。このことはパウロが彼らの熱心を、条件付きで褒めている理由を明らかにしています。
   
 J.G.ヴォス著
 玉木  鎮訳
 (日本キリスト改革派引退教師)
 
「特別寄稿」 
 
主の名を心から賛美致します。本を開きますと、「この本は神学者や学者のためのものでなく」、「神が普通の人が使えるように、普通の人を用いて、この本を書くようにされたのです。この本はキリスト教教育110番です」とありました。
 本の主旨に納得、思わず、笑いがこぼれ、そして引き込まれました。
この本『契約の継承者たち』(スーザンハント著 聖恵授産所出版)には、みことばが散りばめられています。みことばが記されている所に付箋をはりました。付箋だらけになりました。
昨年(2009年)婦人会の学びが終わり、婦人会長さんが「次年度学ぶとしたら、実践的な本と教理的な本のどちらがいいですか」と聞かれました。私は、「実践と教理を兼ね備えた本がいいですね」と言ってはみたのです。
でも、(身近にそんな本あるのかな)と思っていました。しかし、この本を読み終え、(ああ、この本こそ、実践と教理を兼ね備えている本ではないかしら)と思ったのです。
興味はページを追うごとに増しました。けれども、途中、ふと、(何ページあるのかな)と思いました。339ページです。読むのが遅い私は時間がかかりました。けれども、1章ごとにまとまっているので、忙しい人でも1章ごとに読めますし、読み進むほどに魂が充足します。
本文に、「クリスチャンを両親に持つ子どもたちは、今教会をはなれています。彼らは、この世との言葉、活動、そして、関係に吸い取られています。教会の玄関に、改宗者を何人連れて来たとしても、教会の裏口から自分の子どもを失ってしまうのであれば、私たちはあの大命令の出発点を見失っていることになります。われわれは、エルサレムから始めるべきです。私たちは今いるところから始めるべきです。私たちは、自分の家庭と教会の子どもから始めるべきです」(p162)
自分の足元を照らしてくれる本です。この本は自分の祈りの弱さ、曖昧さ、実践の弱さを思い知らされる本でもありました。
著者スーザンハントが、信仰の継承者を育てるために、神様と教会に献身されている姿が生き生きと見えてきます。教会における女性の働きがみごとに証しされているのです。それだけでなく、世代と性別を越えて、心からお勧めしたくなる本です。
翻訳本なのに読みやすかったです。「あとがき」から知りましたが、翻訳は三谷澧子姉妹と新美すえ子姉妹。鈴木英昭先生が、訳語に手を加えておられます。また、出版のために、金田幸男甲子園教会牧師のお力があったことを知りました。
敬愛する諸先生・姉妹たちのお働きを通して、神様のみ名がますます、あがめられますように。
この本をご恵贈くださいました岸上姉妹に心から感謝しつつ。
主の2010年1月
津島教会員  竹澤芙美子128d5cd1.jpg
 
 
スーザン・ハント著
     教会における女性の働きの会 訳
   「契約の継承者たち」
      次の世代に信仰の遺産を残す
出版 聖恵授産所・ 販売店 全国キリスト教書店 ・価格1800円+消費税
(最寄のキリスト教書店でお求め下さい)
 WIC 代表 岸上とし子(〒500-8223)
           岐阜市水海道2-12-2 ℡058-245-7609
「みんなでわいわい・ご意見コーナー」
 
c62f4c92.jpg都会を離れこちらに来たとき、星がたくさん瞬いていましたが、ふと夜空を見上げて驚いたのはなんだか少なくなったみたい・・・。大気汚染?最近、グルコサミン、コラーゲン、ヒアルロンサンなどの言葉に素早く反応していることに気付いて、ああそうかわたしの目のほうが霞むようになったのだ、とちょっぴり年齢を感じています。・・・。
                    栃木県  K・Tさん
 
 東京に就職したのに、数年毎に転勤を繰り返し、何年も家に帰ってきたことがない息子。家内が携帯で連絡しても数日遅れの返事ばかり。世話を焼かれるより独り生活の方が気楽のようだ。30も半ば、そろそろ落ち着けと言うと反応なし。教会にだけは行っているようで、それだけで良しとしようと、半ば諦めて家内と今年もそうなるだろうと話している。・・・。
                    兵庫県  Y・Mさん
 『ありがとうございます』
s-201001011444000.jpg 仕事場のガジュマルと頂いたシクラメンの鉢植えが緑の葉と薄紫の花を沢山つけて、殺風景な雰囲気を和ませてくれます。疲れた気持ちを音楽を聴きながらふと目をやるともの言わぬ植物が元気をくれます。2月号を皆様にお届けできる幸いを感謝しています。川畑朱美さん(堺みくに教会員)や多くの方が写真やメールなどを送ってくださいました。華やいだ「つのぶえジャーナル」、心温まる内容は皆様からのお祈りとご協力で出来上がっています。嬉しいことです。皆様の声の「つのぶえジャーナル」に育てて下さい。身近な出来事や最近思うことなどをメールや手紙を下さい。歓迎いたします。
 
       ****************
『つのぶえジャーナル』のための寄付者
井上義明様 田村早蓉子様 和田順一様 島しづ子様 藤本千春様 杉嶋俊子様 馬場暁美様 
 
 郵便振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社
 
***************
 
『クリスチャン音楽家を支える会』への寄付者
匿名様
便振替口座番号 00870-2-92464 クリスチャン音楽家を支える会
 
アダはヤバルを産んだ。彼は天幕に住んで、家畜を飼う者の先祖となった。その弟の名はユバルといった。彼は琴や笛を執るすべての者の先祖となった(創世記4:20~21)。
‘10年1月20日現在 編集・発行人 長村秀勝
   今月のことば
 
 どうか、平和の主ご自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和を与えて下さるように。(Ⅱテサロニケ3・16)
 
 2010年が平和な年であって欲しいと願っているのは、この地上に存在する者の等しく願うことです。悲しいことですが、現実は2009年の負の遺産を引き継いでいます。誰もが平和の尊さを知っています。平和への憧れを持っています。平和であった時のことを思い語ります。しかし、「平和自体」というのは存在しないのです。
 「平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう」(マタイ5・9)とあるように、つくり出すのも人であると同時に破壊するのもまた人である事実を確りと認めなければならないのです。
 クリスマスが来てキリストが世界に平和をもたらす方であることを知りました。しかし、私たちは、つくり出すことの困難さを知ることです。私たちが、平和の神とどれだけ不和・不仲であったでしょう。この神との不和・不仲は私たちの側に責任があります。平和の神が手を差し伸べているにも拘らず、それを拒否しているのは私たち人間です。
 平和の主は、先ず神と私たちの不和・不仲を和解させることのために十字架にお架かりになりました。
 人と人との平和、国と国との平和は、キリストにおいて一つとなると真に願うと共に、如何に謙虚に他の人に仕えることが出来るかにかかっています。本当に困難なことです。だからこそ、諦めることなく「平和をつくり出す」歩みを始め、神の助けを祈り求めたいのです。
 
  今年もs-200912191220000.jpg
主よ
粉雪が降っていますが
私の部屋には 福寿草が咲きました
 
主よ
あなたがともにおられることを
いついかなる時も 教えてください    水野源三第三詩集「今あるは 神の恵み」
s-200912180858000.jpg   小閑記
       
  「調和への勧め」
     (ピリピ人への手紙4・1~3)
 
 使徒パウロがローマの植民地ピリピで最初に福音を宣べ伝えた対象は、一群の婦人たちでした(使徒16・13)。この婦人たちの中からヨーロッパにおける最初のキリスト者が生まれ、この異教の町のピリピに教会が創立されたのです。この教会が他のどの教会にも勝って、信仰と愛と祈りと捧げ物を通して、パウロの伝道に惜しみなく協力できたのは、おそらくこれらの一群のキリスト者婦人たちがいたからでしょう。
 
このように、婦人たちが教会で影響力があったと思われるのは、当時の社会的背景から考えられることです。それは、マケドニヤの婦人の社会的地位が、他の文明世界よりも高かったということです。英国の神学者でダラムの主教だったJ・B・ライトフット(1828~89)は、現存するマケドニヤの碑文から、古代文明国家と比べてこの世界の女性は、より強い社会的影響力を持っていたと考えられると記しています。そして、碑に記念碑が婦人たちに敬意を表して建立されたことや、男子の名前が父親よりも母親にちなんで付けられたことなどが記されていることなどを挙げています。
 また、マケドニヤの婦人たちは財産さえも所有できたというのですから、その社会的地位はかなり高かったわけです。こうした婦人たちがピリピの教会に大勢いたとしても、決して不思議ではありません。
 
ところが、ピリピの教会の中に大変残念なことが起こってしまいました。教会の婦人たちの間に不調和が生じ、その余波で教会全体がぎくしゃくしてしまったのです。パウロはおそらくこれを念頭に入れて1章27節、2章2節で「一致への勧め」をしたのでしょうが、ここでは、いわばその根に触れています。調和を乱している張本人が、何と名指しされているのですから。こうして、パウロはこの問題の解決を願って、愛に溢れた、調和への勧めをしていたのです。
 
 もし不幸にして不調和が生じたら、先ず、私たちは皆キリストのからだの一人であることを思いましょう。主は一つ、信仰も一つ、福音も一つであることを思いましょう。また、「主にあって同じことを思うこと」は、キリスト者として相応しいことであると思いましょう。調和を保つ基本的な聖書的方法は、「主にあっての一致」以外にありません。
(樋口信平著・ピリピ人への手紙講解説教・いのちのことば社)
 
                上河原立雄撰 
 
これらの文章の転載は許可を得ております。    
 
眸
眸
 
s-200912061503000.jpg「つのぶえジャーナル」とたまたま出会って、わたしもメールしたいと思いました。わたしで3代続いている農家の嫁です。3代と言うのは農業だけのことではありません。祖父母も両親もわたしたち夫婦も4Hクラブが出会いです。4Hクラブについては終わりの方でご紹介します。
わたしたちの地域も同様で農業後継者不足は深刻です。不況や定年後に農業を・・・と言う方が多くなりつつありますが、一時的なものにならないために、定年後の第三の人生などと言わないで、農業の夢を語る集まりの活動に参加なさることをお薦めいたします。今はインターネットで多様な種類の形態が創意工夫でなされている情報を手にすることが出来ますが、同時に、その地域の農業従事者・経営者の集まりに参加して直接肌で感じることをお薦めします。商品化の創意工夫、産地直送の経営、価格の変動の研究など、それまでの農協中心型から大きく変りました。
一時期の何でも機械から、手間を掛けても良い物を、収穫増よりも出来るだけ農薬を控える方法、借金農業からの脱出など多くの課題がありますが、それを将来の夢として捉えようと言うのが合言葉になった集まりになりつつあります。わたしたちの仕事は、全て命と関わっていますから、365日が仕事です。日曜日も祝日もありませんが、土の中の微生物、川に棲む生き物、夜忍び込んでくる動物、空を飛ぶ虫たちの恩恵を受けているのが農家です。おじいちゃんやおばあちゃんは農業経営の生きた先生・お手本です。そればかりでなく、地域に住む方々の日々や行事は、わたしたちの心の宝物です。
わたしは都会に出たことはありませんから、都会の良いところはあまり知りませんが、どの種類の農業でも苦労と貧乏はありますが、大きな夢と一緒でもありますよ。主人も収入減を補うために、冬場は家を離れますが、わたしたちヤング??かあちゃんたちは、春の支度に取り掛かっています。正月休みに戻ってくる主人(とうちゃん)のお土産を子供たちとまっています。・・・・。
おじちゃんは酪農家、両親はりんご農家、わたしはヤングかあちゃんたちとハウス野菜を作っています。・・・。
=4Hクラブ=最初は、アメリカ政府の管理下で始まったよりよい農村・農業を創るために組織されたもので、戦後、日本でも「青少年クラブ」とか言う名前で行われたもので、おじいちゃんたちの教科書に載っていたと聞いたことがあります。4Hとは、Hands(手)、Head(頭)、Heart(心)、Health(健康)の頭文字で四葉のクローバーがシンボルマークです。
                宮城県  A・Kさん
 
 
ブログ内検索
カウンター
★ごあんない★
毎月第一日更新
お便り・ご感想はこちらへ
お便り・ご感想くださる方は下記のメールフォームか住所へお願いいたします。お便りは「つのぶえジャーナル」の管理人のみ閲覧になっています。*印は必須です。入力ください。
〒465-0065 名古屋市名東区梅森坂4-101-22-207
緑を大切に!
お気持ち一つで!
守ろう自然、育てよう支援の輪を!
書籍紹介
    8858e3b6.jpg
エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

「本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

      d6b7b262.jpg
教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
217ff6fb.jpg 








「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

b997b4d0.jpg
 









「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
 a0528a6b.jpg









「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
4008bd9e.jpg
われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

0eb70a0b.jpg








さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

Copyright © [   つのぶえジャーナル ] All rights reserved.
Special Template : シンプルなブログテンプレートなら - Design up blog
Special Thanks : 忍者ブログ
Commercial message : [PR]