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2023年7月号  №193 号 通巻877号
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  あなたに聖書を0f1f2693.jpg
 
 わたくしたちは、それぞれ、プライドを持って生きています。その場合のプライドというのは「自尊心」のことであり、また「自分についての誇り」を言うのでありまして、その意味では、人に「プライドを持って生きなさい」と勧め、自分自身についても「プライドを持って生きるように」と言い聞かせています。
 
 ただし、その場合、問題となるのは、それが、多分に他の人との比較・対照でのこととなることがあります。たとえば、他の人が持っていないようなブランド物を自分が持っている場合には、プライドが満足させられますが、多くの人が持っているのに自分が持っていない場合には、プライドが傷つけられると言うことがあるわけです。これは何もブランド物に限ったことではありません。持ち物全てについてのことであります。他の人が持っていないものを自分が持っていることを自慢することがあるということであります。
 
「プライド」という言葉のもともとの意味は「高慢」であり、「自慢」であります。これは、自分を他人よりも高い者でありたいという利己心であります。また、それが、虚栄心を生むことにもなります。わたくしの場合、買ったものの読まないで終わっている本が沢山ありますが、これなども、自分はこういう本を持っているのだという自分自身への虚栄心を満足させるに過ぎないのではないかと思うことがあります。
 
パウロは、フィリピの信徒への手紙の第2章で「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい」と勧めています。
これは、神様の前には自慢できるようなものは何一つ無いわたしたちを、神様は愛していて下さるのであるから、誇るならこのことを誇り、このことに揺るぎないプライドを与えられている者として、お互いを大切にしようではないかという勧めであります。
 
篠田 潔
 
(参照聖句・フィリピの信徒への手紙2:3)
(電話によるメッセージより・日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
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 「ローマ人への手紙」研究 (60)
 第40課 異邦人の召命とユダヤ人の拒否
       9章1~11章36節(続)
B ユダヤ人は旧約に述べられているように、その不信仰の故に拒否された。0ef3bbcd.jpg
       9章25~33節(続)
  25、26節を考えると、この二つの節が人間の普遍的兄弟性という現代の通有理念と全く異質的なものであるということを知ることが出来ます。世界には二つの種類の人間がいます。すなわち、神の民である人間とそうでない人々、神の贖いの愛によって愛されている者と愛されていない者の二種類です。一方のグループは神との契約関係に入れられている者であり、彼らは神を自分の神として知っており、神も彼らの神であり、彼らは神の民です。他方のグループは神からは知られていない者たちであり、異邦人であり、神との敵対関係にあり、神との契約関係の外にある者たちです。
 神の恵みによって、神の民でない者たちが神の民となるというのです。しかし、注意すべきことは、このことは神の恵みによる召しによってのみ起こるということであります。すべての人類が生まれながら神の子(宗教的にも倫理的にも)であるということは真理ではありません。生まれながらの人間は、神の怒りの子なのです。神の特別な救いの恵みを受けて初めて、彼らは神の民とせられ、愛される者となるのです。
 自由主義神学的な普遍的兄弟性という理念が、現代世界の宗教指導者たちによって躊躇なく真理と見做されている現代、私たちはこの聖書的真理を十分に心に刻みつけておくべきことです。
 
 さらに、旧約は異邦人の召命と救いを宣言しているのです。このことは今の私たちにとっては極めて明らかなことですが、パリサイ的なユダヤ教の教義の中で育ってきた人々にとっては、まことに心外で、しかも理解困難な教えであったことを覚えなければなりません。もしユダヤ人の拒否と異邦人の召命ということが、最も理解困難な教えであると見做されていなかったとすれば、パウロはこんなに長く入念に、この点を明らかにするための苦労はしなかったことでしょう。
 
 次に、パウロはイザヤの預言から引用します(10:22,23、1:9)。そして民族としてのユダヤ人が救われるのではなく、外的なイスラエル民族の残りの者たち、中心の核にある者たちのみが救われるのであることを明らかにしようとします。パウロの引用文はイザヤ書の10章22~23節とは少しばかり違っているのが分かります。それは70人訳に近いものです。しかし、全体の意味は同じです。聖霊が聖書の究極的な著者であることを考えれば、このことは問題なく、聖書霊感の教理にも背くものではありません。
 
 9章29節はイザヤ書1章9節の引用です。パウロが「子孫」と言っているところを、イザヤ書は「少しの生存者」と言っています。「子孫」すなわち「種」は将来の「種蒔き」 
のために少量を保存しておかれるのです。イスラエルが完全にソドムとゴモラのようになってしまわないようにしているのは、神の恵みなのです。大多数は廃教し異邦人のようになってしまいました。しかし、神の契約の民の存続のために、救われた少数の霊的人々、残りの者たちを取っておかれるのです。だから、神のあわれみの約束はアブラハムの子孫であるイスラエル、肉によるイスラエルに与えられたとする考え方は、いかに誤っていることでしょう。
 
 J.G.ヴォス著
 玉木  鎮訳
                 (日本キリスト改革派引退教師)
 
 
  祈 り
 
   貫ぬく 光
はじめに ひかりがありました5acb7703.jpg
ひかりは 哀しかったのです
ひかりは
ありと あらゆるものを
つらぬいて ながれました
あらゆるものに 息を あたえました
にんげんのこころも
ひかりのなかに うまれました
いつまでも いつまでも
かなしかれと 祝福(いわわ)れながら
 
 信仰詩集「貧しき信徒」 八木重吉
 
 
 
 
「みんなでわいわい・ご意見コーナー」
 
10月号、何度も読み返しています。「祈り」の大分県のS・Sさんの就職活動中の高校三年生の方、あせらず、自分の進むべき道を見つけだしてください。資格をとることは、将来に夢を持つことです。とても大切だと、私も経験から感じました。
                        奈良県 B・Mさん
 
大分のS・Sさん、私も今同じ状態です。先が分からない不安は辛く、どうにもならない気持ちに押し潰されそうです。学校では楽しそうにしていますが、本当は怖いです。廻りの友だちも同じで、その分、ハイテンションになります。私はS・Sさんのような資格を取るなんて、具体的に考えられません。ただ、毎日不安なだけです。
                        大阪市 K・Sさん
 
私は大手の会社に勤めて12年になります。仕事のことや人間関係で行き詰ってしまいました。偶然、「つのぶえジャーナル」10月号のS・Sさんの「祈り」に出会いました。不安の中でも前向きな姿勢に、自分を見つめ直さなければと思いました。・・・・。
                        愛知県 Y・Bさん
 『ありがとうございます』
「つのぶえジャーナル」をご覧下さる方から頂くお便りには、秋の花があります。金木犀、
桔梗、りんどう、まゆみ、銀杏など、秋の花かごのようです。ありがとうございます。十分にお返事できませんが、感謝しております。10月にも、独り生活者の方、病床の方の関係の方から、「つのぶえジャーナル」の贈呈感謝いたします。亡くなりましたので、終わりにしてくださいと、連絡がありました。贈らせて頂けた事に感謝いたしました。ご寄付下さる方々の寄付金はそのために用いさせていただいております。感謝8109e63c.jpgです。
 
       
『つのぶえジャーナル』のための寄付者
 
島田祥子様 匿名様
 
 09年10月20日現在 編集・発行人 長村秀勝
s-200909221022000.jpg   今月のことば
  
   夜の祈り
 聖なる神よ、あなたのはかりしれぬ愛をたたえます。あなたは、霊の相合うことをよしとされ、わたしのような弱い、罪ある死ぬべきものが、星々を動かされる方の心にこうして語りかけることをゆるしてくださいました。
 
 悲しみと悔いの心をもって、み前にわたしのいやしく身勝手な思いをみとめます。その思いは、しばしばわたしの心にはいりこみ、わたしの行いを動かします。
 
 神よ、わたしはざんげいたします。
  わたしの心が、けがれた、禁じられた道にさまよい出ることを
  わたしのつとめが明日であるのに、自らあざむくことを
  ほんとうの動機をかくすことによって、自分を実際よりもよく見せようとすることを
  正直さを、ただ策略として用いることを
  友人に対する愛情も、ただ自分を求める美化されたかたちにすぎないことを
  敵をゆるすことが臆病にすぎないことを
  わたしがよい行いをするときは、人にみられるためであり、悪い行いをしないのは見つけられるのを恐れるからであることを
  
 聖なる神よ、あなたの愛の火をわたしのたましいにおくり、そこに渦巻くこのようないやしさと偽善とを焼きつくしてください。わたしのたましいを幼な子のようにしてください。
 
 神よ、どうかきよい誠実な願いをもって、きょうわたしの接したすべての人のために祈ることができますように。友人たちを愛のうちにおぼえ、敵をゆるして、彼らすべてをわたしの心と身とともにあなたのみ守りのうちにゆだねます。
   イエス・キリストによって    アーメン
(J.ベイリー著 新見 広訳「朝の祈り 夜の祈り」)より
 
 
   小閑記
       
 「後ろのものを忘れ」
   (ピリピ3:13~14)
 
 パウロは12節で告白した、「完全」に対する追及が詳細に述べられています。この箇所からキリスト者が不完全にどうしたら良いかをとりあげることにしています。不完全なキリスト者の対処法とも言えるでしょう。この対処法の一つは、「ただ、この一事に励む」ために、「後ろのものを忘れ」ることです。前進のために過去を忘れることです。
 パウロは14節以下で競技の比喩を用いています。競技に参加する選手で後ろを見て走る者は一人もいません。ゴールを目指してひたすら走り続けます。キリスト者が完全を目指すのも同じです。過去のものを忘れ、前に向かって進みます。これが前進の第一歩です。
 この「忘れる」ことは絶対的な意味ではありません。つまり、後ろのものを何もかも忘れることではないのです。必要なことは覚えておいて、不必要なことは忘れると言う相対的な意味です。
 
54d70d42.jpg むかし、ギリシャ時代、シモニデス(前556~468)と言う人が、テミストクレス(前528~462頃)に記憶術を教えてあげようと言ったそうです。すると彼は「いや、わたしには忘れる術の方を教えてくれ、覚えなくてもよいことを覚え、忘れたいことをどうしても忘れることができないから」と答えました。テミストクレスが教えてほしいと言った忘却術とは、必要なことを覚えるために不必要なことを覚えないで忘れると言うことです。
 
 パウロが「後ろのものを忘れ」と述べているのは、神の恵みなどの必要な後ろのものは絶対に忘れてはならないけれども、不必要な後ろのものを忘れるという意味です。不必要な後ろのものは、前進を阻みます。そのようなものは、過去のものですから、言葉どおり去らせるべきです。それを選ばないことは取り返しのつかないことになります。
 では、不必要な「後ろのものを忘れる」とは、どう言うことでしょうか。それは、過去の罪を忘れることです。罪を何時までも何時までも気にしてじっと考え込んでいることは、霊的にはもっとも不健康な状態です。完全に向かって前進を願う者にとって、こんな不健全なことはありません。罪のとりこになっている限り、前進はないのです。
 罪を忘れる方法は、悔い改めて、主イエス・キリストの尊い血で赦していただくことです。罪の重荷を背負っては「前のものに向かって進む」ことは困難です。
 
 次に失敗も、忘れなければならない不必要な「後ろのもの」です。私たちは、用意周到に準備し、純粋な動機をもって一生懸命に事をしたにもかかわらず、結果的に失敗することがあるものです。そんな時、ひどく失望・落胆します。がっくりします。自分が嫌になります。しかし、もし何時までもくよくよするなら、前進の望みはありません。このような場合、先ず失敗を忘れることが大切です。失敗を忘れる最良の方法は、それを聖霊なる神に委ねることです。聖霊により頼む時、聖霊は私たちの過去のどの失敗も忘れさせ、それを益として下さいます。
 
  樋口信平著「ピリピ人への手紙講解説教・いのちのことば社」
 
                上河原立雄撰 
 
これらの文章の転載は許可を得ております。    
 
眸
眸(ひとみ)
 「えのころぐさ」が秋の風に揺れています。「つのぶえジャーナル」をご覧の皆さんこんにちは。わたしの街は周囲を山が囲んでいて、これから紅葉になり緑の山とは一変します。県立の高校が一校ですから、幼い時からのお友だちですが、殆んどが県外に出ました。それでも、最近は高齢の親の介護で戻ってくる人が多くなりましたので、クラス会ではなく小さくても何でも話せる会を作り活動しています。本当に小さな小さな集まりですが、町の集会場を借りてのスタートでした。最初は数人でしたが今は15名位になりました。子育てを終えたわたしたちですが、最近は政治や社会のいろいろの出来事が話題になります。
 そうなんです。自分たちが変わらなければ、という思いからです。幼友達ですからそれぞれの事情はよく分かりますから、お互いに入り込まないような暗黙のルールがあって、愚痴の話はあまり出ません。戻ってこられた人の話は、趣味の話と共にとても参考になり、楽しい集まりです。あまり目的は・・・にならない誰もが集まる会にしたいと思っています。パソコンを教えてくれる人がいて、今は皆さん埃をかぶっていたパソコンを活用して楽しんでいます。連絡も電話からパソコンに変りました。
会費はありません。手作りの物を誰かが持ってきますのでそれをいただいて、月1回の集まりを楽しんでいます。
              
山口県  Y・Yさん
 
s-200909221503000.jpg 寄せ書き
 
まだ一度も 会ったことがない
多くの人の 愛のこもった寄せ書き
多くの人に 
祈られているから 愛されているから
昨日も今日も 生きていられる
神さまを 讃える詩がつくれる
水野源三第四詩集「み国をめざして」
 
1fe1f856.jpg    自閉症者のひとりごと
(30)
8月25日
自分でもこの「自閉症者のひとりごと」のコーナーを読んでいます。自分のことなのに、何か自分以外の人のように思える。無理しなくてもいいのにとか、頑張っているんだとか、考える。ミーテングに行くと、同じことを感じている人の話に出会い、なぜか安心する。本当は神様のところに帰らなければならないのに、神様が怖くて帰れない。
 
9月2日
精神科に来ています。今日は空きこまがないので最後になるそうです。その代わり点滴をして、そのまま休んでいいそうなので、静かにベットでゴロリとしてます。自宅に帰って1週間経ちましたが、まだ緊張感があります。時間的にはゆったりしていますが、どこかで気が張ってるんでしょうね。知らないうちに口を噛み締めています。何時もお祈りしていることですが、主人がくつろげる場所づくりが出来ないです。会話もまだまだって感じです。焦らなくてもよいのですが、気になるんです。
 
9月8日
3、4日前におかしくなって、木曜日から実家に行ってました。一体何だろう。今朝も朝からもう生きていくのが嫌だ、消えてしまいたい。何かがあったわけではないのに・・・。死にたいと思うのは、助けてというサインなんだよね。ああ苦しい。

 
9月13日
このまま明日が来なければいいのに、と思ってしまいます。そして、今日も始まってしまいました。はあ。
 
加納さおり
世田谷通信 
(70) 
猫 草
 
ボランティア、NPOなど、地域にはさまざまな志と力を持った人たちの組織がある。小学校のPTA組織もその一つだ。ただし、自ら意思を持って参加したわけでなく「子供が学校に通っている」から所属しているPTAへの帰属意識は多岐にわたる。不公平のないようにと毎年工夫や知恵を出し合っても、PTA役員決めは難航するし、あちこちから不満が出て火種になる。結局役員をやるのは毎年同じ顔ぶれ。いっそのこと!とPTA組織をなくした小学校もあり、代わりに地域の方々、保護者などが別組織を立ち上げているそうだ。関わりたくない親を無理に引っ張り出すこともない・・というのも一面ではある。しかし参加の機会をなくしていいものか?という疑念も残る。
s-200909130828000.jpg長男の学校で、「牛乳パックのリサイクル椅子」を40個作ることになった。牛乳パックに新聞紙を詰めて三角柱を作り、それを24個組み合わせて六角形を作り、布カバーをかぶせて完成である。この子供用のいすを作るボランティア活動には約1000個の牛乳パックやカバー用の布、段ボールなどが必要となる。それらは保護者の協力のもと、約1週間程度であっという間に集まった(さすが児童数900人のマンモス校である)。制作作業は日時を決めて学校側からボランティア募集のお手紙を出してもらい、のべ100人の保護者が来てくれた。みんなてきぱきと牛乳パックに新聞を詰め、ガムテープでとめ、ミシンの得意な方はカバーを縫い、それぞれに作業をして、たった3日間で40個の椅子が完成した。企画したのは数人の有志。裏方で準備や作業計画やさまざまな取り決めをしてあとは多くの方々の力を借りた形だ。誰かがその元締めの役割を果たせば、協力する気持ちのある人はたくさんいる。来てくれた人たちは、みんな熱心に楽しげに、しかも効率的に作業をしてくださる。目に見える形で成果が出るのもわかりやすい。40個の椅子が完成していくのは達成感がある。実際に作業には関われなくても、牛乳パックや布を子どもに持たせて「間接的に参加して」くれた保護者も多い。PTA会長をはじめ役員メンバーも手伝い、校長先生に「みなさんご苦労様です」と顔を出してもらい、「校長室だより」で写真入りのお礼と紹介がなされたこともプラスの要素として働いている。とにかく関わってくれた気持ちを大切にして、絶対に折らないこと。ボランティア組織に携わる基本的な姿勢が少しわかった気がした。

*朝いくつ咲くか楽しみなヘブンリーブルー。毎日8つくらい咲いています。
  その愛のゆえにs-200909060755000.jpg
  =時々の記=
    (43)
8月20日
秋を感じさせる涼しい爽やかな朝です。でも、日中はまた暑くなると言う予報です。
秋が近づいているなーと空をみるとわかります。随分、高くなりました。蝉の鳴き声も、どことなく寂しげです。選挙カーが走りだしました。いよいよ、政権交代でしょうか。
どうぞ、格差のない社会へと願うものですが。
樫の葉を明るく 透かし 夕焼けぬ
沢がにや 水路の補修しておれば
くもの巣の レコードに似て 木に掛かる    馬場路哉
韓国の金大中氏が亡くなったと報道されていました。とても、悲しい一日でした。
 
8月23日
8月もあと、残すところ一週間となりました。今月は特に暑く、大変でした。私のほうは、漸く元に戻りつつあります。明日の礼拝には、出席できそうです。最近は、外出すると、疲れをおぼえます。年なのでしょうか。クラス会の案内がきますが、気持ちは、行ってみたいなと思うのですが、すべて断っています。独居老人になりつつあります。
静かなのが好きなので、今朝は、昨日までの暑さとうって変わって、涼しい爽やかな朝です。とこらが、毎週月曜日、村の公園の掃除に出かけているのでが、けさは、空気の爽やかさとは一転、ゴミが軽四トラック一台分ほど、捨てられているのです。エー。どうして、自分たちの出したゴミをきちんと、処理できないのだろう? それで、朝から、げんなりしてしまいました。でも、そのままにしておくわけにいきません。生ゴミ、缶、燃えるゴミに分別して、家に帰って、ゴミ袋を入れ替え、何とか、終えることができました。
人のふりをみて、考えさせられた出来事でした。
奈良の孫が、最後の夏休みを山添で楽しみたいと、今日、JRで帰ってきます。トンボでも捕りにでかけましょうか?
 
8月26日
朝夜は、とても涼しくなりました。長袖のティーシャツを羽織っています。昼になると半そでに着替えます。体調管理のためには、こまめに、外気にあわせて、服装を、変えなければ、また、喘息、アトピーなどに、悩まされますから。
蝉も、急な気温の変化からか、静かになってしまいました。これからは、こおろぎ、キリギリスなど、秋の虫が活躍するのでしょう。
子供たちの夏休みも、終わりです。それぞれの思い出深い夏休みのお土産を抱えて、新学期のスタートです。
私は、高校から家を離れていましたから、今ごろになると寮へ帰る準備に追われ、温かい我が家から名古屋へ向かうのがいやで、2学期の始まりは、ホームシックにかかって、なかなか勉強が手につかず、悩み多い高校時代でした。夏休みといっても、家族でも、一人でも、どこへもでかけることはありませんでした。だって、本当に貧しい牧師でしたから。でも、家族と過ごせた夏休みは、最高の癒しのひとときでした。そんな昔の夏休みを思い出している、このごろです。
この山に 程なく飛ばん 草のわた
辻地蔵 草を刈られぬ 盆の前
藤の実や 無住寺の庭 掃除され      馬場路哉
 
8月28日
暑い夏も、終わりをつげようとしているのですね。朝も、夕もですが、午前5時に出発していた犬たちとの散歩は、15分遅れになりました。まだ5時では、暗いから、いのししと出会う危険があるからです。夕は、6時40分になると、外灯が必要になりました。日ごとに、秋が、近づいているのが、わかります。
教会は、今、心病める方が、よく訪ねてこられますが、その方たちに、うまく、対応しきれない状態です。信者も、牧者も、祈りつつ、受け止めることができますようにと、願うものです。
我が家のパソコンは、主人が購入したはずなのに、今は専ら、パソコンに向かっているのは、わたしです。子供に、私のパソコンの打ち方がとても早くなったとほめてもらって、ちょっと調子にのっています。
 
9月3日
新型インフルが、あちこちで、発生しています。どうしようもありませんから、まず、抵抗力をつけておくことでしょうか。秋らしくなってきました。コスモスの花が土手に咲いていました。山添の田んぼも、もうすっかり稲が刈り取られました。
先日、仏像盗難の報道されていたのは、我が家から、歩いて10分ほどの寺です。びっくりしました。最近、犬たちが夜中に、よくさわぎます。きっと、下調べにでも、きているのでしょうと、近所の人と話ています。
朝(あした)より 鳩鳴きだして 涼新た
マクワ瓜 よき色なせる直売所
鮎つりの 動かせし竿(さお)日を弾く    馬場路哉
今週も足早に去っていきました。もう、金曜日ですね。主人は、次々と生えてくる雑草と闘っています。今年は、特別、草の生え方が激しいです。主人が、草刈りを、一生懸命してくれるお陰で、今年は、犬たちが、マムシにかまれることなく、無事に過ごしています。
5軒離れた家では、若いお嫁さんが、マムシにかまれ、血清をうってもらいに、救急車で運ばれていました。今は、元気になっていますが、怖いです。強力な毒をもっていますから。
 
9月9日
今朝は、爽やかな秋の気配が感じられます。ある家では、シュウカイドウが満開に咲き誇り、秋だなと思わせてくれます。我が家の金木犀は、花はまだですが、どこからともなく、良い香りを放ってくれているように感じられるようになってきました。
今年は、夏の終わりになって、雨が少なく、山の杉の木も、あちこちで、枯れているのがみうけられます。南天の木もかれてしまいました。農作物にも、影響がでるようです。
野菜畑も、からからに乾ききっています。
私たちの魂も、潤いがなくなってきているように思われます。このようなときだからこそ、活ける命の泉が涌き溢れ出るような場と、時間が必要に思われます。
母のところへ、敬老の日が近いので、お見舞いに行ってきます。

                         馬場暁美
                     (上野緑ヶ丘教会員) 

=いつのまにか隣の家の方にはみ出して茂っていました。名前は分からないのですが、実の色がとても鮮やかです。名前が知りたいです=
 
                   
                  

            キリスト者の生活綱要   (2)
  
     目 次
 
第1章 謙遜な服従、真実にキリストにならう  s-200908230737001.jpg
 1 聖書は生活の規範である
 2 聖潔が基本原理である
 3 聖潔とはキリストへの完全な服従である
 4 外面的なキリスト教は不十分である 
 5 霊的進歩が必要である
 
第2章 自己否定
  1 われわれは自分のものではなく、主のものである
  2 神の栄光を願うとは、自己否定のことである
  3 自己否定の根本は、節制、義、敬虔である
  4 真の謙遜は他人を尊敬することである
  5 自分以外の信者の利益を求めるべきである
  6 友と仇とを問わず、すべての人の利益を求めるべきである
  7 一般的善だけでは十分ではない
  8 神の祝福なしに幸福はない
  9 富と名誉のために夢中になるべきでない
 10 神はそのすべての道において正しい
 
第3章 十字架を負う忍耐
  1 十字架を負うことは自己否定より難しい
  2 十字架はわれわれを謙遜にする
   3 十字架はわれわれに希望を与える
   4 十字架は服従を教える
   5 十字架は訓練のためである
   6 十字架は悔い改めをもたらす
   7 迫害は神の好意をもたらす
   8 迫害は霊的喜びをもたらす
   9 十字架はわれわれを無感覚にしない
  10 十字架は従順を促進する
  11 十字架はわれわれの救いに必要である
 
第4章 来るべき世への希望
  1 十字架なしに栄冠はない
  2 われわれはこの世を高く評価しすぎがちである
  3 この世の祝福を軽蔑してはならない
  4 天と比較したら、地とは何か
  5 死を恐れず、頭を上げるべきである
  6 主は栄光のうちに来られる、マラナタ
 
第5章 この世の生の正しい用い方
  1 極端を避けよう
  2 地上の物は神の賜物である
  3 まことの感謝は濫用からわれわれを守る
  4 節度をもって生活しよう
  5 欠乏のなかで忍耐ぶかく、足ることを知ろう
  6 神の召しに忠実であれ
 
    カルヴァンの祈り
 全能の父なる神よ、私たちはこの地上で、多くの困難を通っていなければなりませんから、勇気をもって、火のなか、水のなかを通っていくことができるように、またあなたの支配に服従することにより、あなたの助けをまったく確信し、恐れなく、死を迎えることができるように、あなたの聖霊による強さを、私たちにお与えください。
 また、最後の勝利を得るまで、人間のあらゆる憎しみと敵対心に耐えることができるように、そして、あなたの独り子がその血をもって私たちのために獲得してくださった祝福に満ちた安息に、ついに到達できるようにしてください。 アーメン。
 
:再読希望者がおられますが、「キリスト者の生活綱要」は在庫がないため、この「つのぶえジャーナル」に連載いたします。つのぶえ社)
 *地下茎で庭中に広がり、花が咲いた茗荷です。葉っぱはおやきを包んで蒸すのに使います。
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緑を大切に!
お気持ち一つで!
守ろう自然、育てよう支援の輪を!
書籍紹介
    8858e3b6.jpg
エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

「本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

      d6b7b262.jpg
教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
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「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

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「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
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「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
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われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

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さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

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