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2023年7月号  №193 号 通巻877号
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「地域の人々と共に」 その5
  …二人静…
 
診療所に勤めながらも、やはり母として、3人の子供たちには、出来る限りの愛情を注いでやりたいと思っておりました。ですから、休日には、手造りのおやつ、ほうらくだんご(ホットケーキのようなもの)を作ってやったり、鈎針で、子供たちのチョッキなどを作って、楽しみました。また、遠足、運動会には、かならず、巻き寿司や押し寿司を朝早くから、作ってやりました。
3人の子供たちには、無理に自分と同じ道を進んで欲しいとは、思いませんでしたが、やはり、一人くらいは、医師として医療に携わってくれたらという願いは、ございました。
長男は、神経質で、体も強いほうではありませんでした。次男には、少し、期待をかけましたが、2回ほど医学部を受験いたしましたが、うまくいかず、教師としての道を歩ませました。三男は、中学までは、まったく勉強をしていませんでしたが、高校(県立上野高校)に入ってからは、どこの塾へ行くわけでもなく、一日多いときで、14時間の勉強を上野で、下宿をしながらし続けていたようです。
0ddb421e.jpg本人もその気になっておりましたので、母としても、願っておりました。しかし、開業医でもない家では、私立の医学部には、とても出すことはできません。三重大学医学部一本にしぼって、駄目だったらもう一度と、思っていましたが、本人の努力が実って難関を突破してくれました。やはり、母と同じ、道を歩んでくれることは、喜びでございました。
三重大学では、第2内科を選択しました。
安い月給では、国立の医学部ですら、仕送りに苦労しました。そこで、日本育英会から、奨学金を借りながら、6年間を無事、終了できました。しかし、母は、博士号を取得していない惨めさを十分に味わったので、子供には、博士号をとらせてやりたいと、同じ三重大学の博士号を取得して、やっと一人前の医師として、尾鷲の方の病院に勤務しはじめました。ミスなく、診療できるか、とても不安でした。なんとかやりこなしていると聴いてほっとしたものでした。
=写真=関西医大8回生同窓会(昭和57年9月25日 於・箕面加古川旅館)後段右側4人目が筆者=
 
森三菜子
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『旧・新約婦人物語』(2)
 
 バプテスマのヨハネの母
  「エリサベツ」
 (ルカによる福音書1:5~44)
 
 新約聖書で真っ先に出てくる婦人は、祭司ザカリヤの妻エリサベツです。ルカによる福音書1章5節以下をお読みになった方は、エリサベツのことや、イエス様の母マリヤとの会話などが絵のように、また詩のように美しく描き出されていることに、お気づきと思います。
 エリサベツは祭司の娘で、祭司ザカリヤと結婚しました。残念なことには、二人の間には子供は恵まれませんでした。そのような悩みの内にも、この夫婦は正しい人で、神の戒めと定めとを何の落ち度もなく守って、信仰生活を続けていました。ところで彼らの住いはエルサレムの南、ユダの山里である、ある小さい町でした。
 彼らが年老いてからのある年のこと、ザカリヤの組が祭司の務めの当番に当り、彼は喜んでエルサレムの宮に出かけました。祭司職の慣例に従ってくじを引いたところ、ザカリヤが一人聖所に入って香をたくことになりまcedadb94.jpgした。祭司として、一生に一度あるかないかのことで、彼の生涯のクライマックスになることでした。年取ったザカリヤが主の聖所で香をたき、静に祈っておりました。一方、多くの民衆は外で祈りを捧げていました。その時、主の使いがザカリヤに現われ「あなたの祈りが聞きいれられたのだ、あなたの妻エリサベツは男の子を産むであろう。その子をヨハネと名づけなさい・・・。彼は主のみまえに大いなる者となり、・・・イスラエルの多くの子らを主なる彼らの神に立ち帰らせるであろう」(13、15、16)と語りました。
 ザカリヤは余りのことに恐れおののき、み使いの言葉を素直に信ずることは出来ませんでした。するとみ使いは「時が来れば成就するわたしの言葉を信じなかったから、あなたは、このことの起こる日までものがいえなくなる」(20)と告げられました。ザカリヤは務めの期日が終わり、ものがいえないまま家に帰りました。彼を迎えた妻のエリサベツは、どんなに驚き悲しんだことでしょう。
 しかし、エリサベツは夫が書き板に天使の言葉を書き示した時、そこに約束された預言をすべてそのまま信じ、神の大きな恵みに感激して自分の子供の生まれる日を喜び待ったのであります。彼女が身ごもって6ヶ月目のある日、親戚のマリヤというおとめが、はるばる遠いナザレから彼女を尋ねてやってまいりました。
 マリヤがエリサベツに話したところによりますと、数日前のこと天使ガブリエルが神の使いとしてマリヤに現われ「恐れるな、マリヤよ、あなたは神から恵みをいただいているのです。見よ、あなたはみごもって男の子を生むでしょう。その名をイエスと名づけなさい。彼は大いなる者となり、いと高き者の子と、となえられるでしょう。そして、主なる神は彼に、父ダビデの王座をお与えになり、彼はとこしえにヤコブの家を支配し、その支配は限りなく続くでしょう」(30~33)と告げたのです。
 マリヤはこの言葉を聞いてひどく驚きました。「生まれ出る子は聖なるものであり、神の子と、となえられるでしょう。あなたの親族エリサベツも老年ながら子を宿しています」(35~36)という天使の言葉を聞き、マリヤは「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身になりますように」(38)と、信仰をもって答えました。そして彼女は大急ぎでエリサベツを尋ねたのだと語りました。
 マリヤのこの挨拶を聞いたとき、エリサベツは自分のおなかに宿っている子がおどるのを感じました。そして聖霊に満たされて、彼女は「あなたは女の中で祝福されたかた、あなたの胎の実も祝福されています。主の母上がわたしのところに来てくださるとは、なんという光栄でしょう」(42~43)と、声高く叫んだと、聖書は記しています。
 ここにエリサベツの信仰生活の本当の偉さがあります。まだイエスがお生まれになっていない時から、イエスを預言し、マリヤの生む子をユダヤ人の久しく待ち望んだメシヤ、すなわち救い主であると深く信じたのです。これは聖霊のお導きがあったことはいうまでもありませんが、エリサベツが神の戒めと定めとを固く守っていた婦人として、この預言は真にふさわしいものでした。これこそ信仰の素晴らしい華ではありませんか。
 ここで、あなたにしっかり学び取っていただきたいことは、ただ一つ、それは37節の「神には、なんでもできないことはありません」とのみ言葉です。神は全能のお方であって、何でもお出来になるのです。あなたもこの真理を深く信じて下さって、エリサベツの持ったこの信仰の上に、あなたの生活を築いていただきたいものでございます。
 
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)
…キリスト教…
 社会福祉活動のあゆみ(27)s-IMG_2694.jpg
 
 改革派教会における救貧活動(2)
 
 カルヴィン(1509~64)の場合も、ルターが救いが得られるのは、善行によってではなく、「ただ信仰のみ」によるとしたのに対して、救いを信じることも、これに服従することも、全て神の意志にあると徹底した聖書からの考え方です。救いにふさわしい者になるか、救いを拒む者になるかという重大決定にも、人間の自主的判断の余地は残されていないとしました。
 
 こうした神の主権的予定説の前に、信者はどうして自分の救いの確信が得られるのでしょうか。それは、救いに選ばれた保証は、日毎の自分の実践が神の栄光のためと言う、明白な目的性に裏付けられた勤勉と成果にあるとされているので、信者は実践活動に努力することになりました。そこに隣人への愛の業が含まれるのは当然であります。
 
 カルヴィンはルターと違って、救済活動も説教職と同じく教会に属するものと見なしたのです。16世紀以降、イギリスにおいて、またアメリカにおいて、人道主義運動の先駆者たちはみなルター派以外の、すなわち改革派の清教徒やメソジストや救世軍などに属する福音主義信仰の人々でした。明治以降の日本の救済史においても、実態は全く同様でした。
 プロテスタントの社会事業の研究者はほとんどがルター派以外のプロテスタント教徒であったと生江孝之著「日本基督教社会事業史」で述べています。また、日本基督教社会福祉学会でも繰り返し「キリスト教社会福祉とは何か」ということが問題にされたり、「キリスト教社会福祉」というのはあまり意味がないとか、社会事業自体がキリスト教の堕落であると言われたりもしました。
 カトリック教会では、福祉活動は教会の機能として、全ての信者、そして修道会も教区の司教と連絡を保ち、教区の機能として組織化されています。その活動の目的は、キリストの教え(命令)に従っての隣人への愛の奉仕であり、神への愛の証しです。
 その隣人は、人種、皮膚の色、宗教、国籍、あるいは性を問わず、全ての人であります。したがって、宗教のゆえに、その活動から除外されたり、差別を受けたりすることはありませんし、なってはなりません。 
 
 
  あなたに聖書を
 
 わたくしたちの大部分は見える目を持っています。したがって、この世の中は、見えることを前提としています。そして、その目がどれだけ良く見える目であるか、視力検査をします。その結果、0.1とか0.2とかでは、視力が十分でない、と言われます。そして、こういう人は、良く見える目の持ち主でないと勤まらない仕事場では、使ってもらえません。
 
 ということから言って、目が見えない人は、見えることを前提としている世界からは、取り残されています。ですから、みんな、良く見える目を持っていたいと願うわけです。キリストは、そういう人の目を癒されました。それは、見えないでいる人からその苦しみを取り除こうとされてのことでした。
 その働きは、今日においても医者の働きとして受け継がれておりまして、まことに喜ばしいことであります。
 
 しかし、そのことは、目が良く見えたらよい、とは必ずしも言えない問題をはらんでいます。それは、人間の目は、肉眼としての視力だけでは捉えきれない問題を孕んでいるからです。それは、例えば、同じものを見るにしても嫉妬心をもって見るのと、喜ばしいこと、祝福として見るのとでは、大きく違います。
 
 キリストは野原に咲いている一輪の花の美しさは、人間は造ったあらゆるものの美しさに優るものであるということと、そこに神の計らいに委ねるものの美しさが秘められているのではないか、と言われまして、こういう風に見る目は、視力検査で計ることができるものではありません。逆に、視力が衰えても自分と人の人生を祝福されるものとしてとらえることができる眼力を持っている人もいます。bcd3fa97.jpg
 「見える」と思っている自分の目が、その実、本当に見るべきものが見えていない目であることを知ることと、隠されている神の働きの素晴らしさを見ることが出来る目を与えられたいと願うものです。
 
 
篠田 潔
 
(参照聖句・ヨハネ福音書9:39)
(電話によるメッセージより・日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
 
 「ローマ人への手紙」研究 (59)
 第40課 異邦人の召命とユダヤ人の拒否
       9章1~11章36節(続)
B ユダヤ人は旧約に述べられているように、その不信仰の故に拒否された。
       9章25~33節(続)
s-IMG_2690.jpg  9:1~24節でパウロは、神がユダヤ人を拒まれ、異邦人を召されたことは、神の約束と矛盾するものではないことを明らかにします。さらに彼は、神がその恵みを人にお与えになることにおいて、絶対的な主権を持っておられることを強調して語っています。神はご自身以外の何者にも責任を負ってはおらず、常にご自身―すなわち、ご自身の性質・言葉・約束に絶対的に忠実に行動されるのです。
 
 次にパウロは、ユダヤ人たちは旧約に宣言されているように、その不信仰のために拒まれたことを明らかにしようとするのです。第一にホセア書より引用します(ホセア2:23、1:10)。「わたしはわたしの民でない者を、私の民と呼び、愛されなかった者を、愛されるものと呼ぶであろう。あなたがたはわたしの民ではないと、彼らに言ったその場所で、彼らは生ける神の子らであると、呼ばれるであろう」(9:25、26)。
 この引用はホセア書の原文と少しばかり異なっています。しかし、それはさほど問題ではありません。その理由は、パウロの引用はホセアの原文の忠実な直訳であるからです。
しかしなおその上に、ホセア書もローマ書も共に聖霊がその究極的な著者であるから、その著者である聖霊が以前の書から引用する時に、絶対的に文字通り同一の引用をしなくてはならない理由はありません。聖霊はいくらかの引用の自由をもっておられるからです。
 
 ここで重大な問題は、ホセア書においては、この約束はイスラエル北王国の10支族に関わるものであるにも拘らず、パウロは(Ⅰペテロ2:10ペテロも同じく)それを異邦人に適用しているという事実です。ホセアは10支族について書いているのであるから、パウロは9:24ではユダヤ人の回復を考えていたに違いないと言う学者たちがいます。しかし、この解釈は当りません。何故なら、それはローマ書9章の文脈に適合しないからです。
9章の主題は明白にユダヤ人の拒否と異邦人の召命ということであるからです。最も可能性の高い解決は、ホセアの時代において10支族は異邦人のような状態にあり、偶像礼拝に陥り、宗教的観点より見るならば、実質的には異邦人民族と同じ状態にあったということにあります。したがって、ホセアが異邦人一般にパウロがそれを適用しても決して的外れではないのです。すなわち、神の民ではなかった者が神の民と呼ばれ、愛されなかった者が愛される者と呼ばれる時が来るのです。 
 
 J.G.ヴォス著
       玉木  鎮訳
      (日本キリスト改革派引退教師) 
  祈 りcdd68e3e.jpg
 
私は今高3です。大学を目指していましたが経済的な理由で、就職することにしました。針路変更したのが最近なので、就職の厳しさは、受験とは比べられないことを知らされました。大学なら、何校でも受検出来ますが、就職先はこちらでは選べません。担当の先生も、こんなに厳しいのは経験したことがないと言われます。地元では働く場所がありませんので、都会になると思いますが、慣れないところに出るのはとても不安です。最近、両親も無口になりました。とくに高校生の厳しい就職についてのテレビのニュースのときはそうです。
学校で就職した先輩たちの体験談を聞く時間がありました。私の高校は普通校ですから、資格を取るコースはありません。参考になったのは、一年浪人したつもりで、何かの資格を取ると良いと言う話しでした。予備校ではなく、いろいろ取れる方法があるから自分にあった資格を取る勉強方法があると知らされ、少し安心しています。先生や両親に相談してみようかなあ、と今思っています。今の苦労は将来の宝になる、と言うような言葉を何かのときに聞いたことを思い出しました。
                     大分県  S・Sさん
 
  あした
まちであった かあさんと子ども
ちらと聞いたは 「あした」
まちのはては 夕やけ小やけ
春の近さも 知れる日。
なぜかわたしも うれしくなって
思ってきたは 「あした」
 
(金子みすゞ童謡集 わたしと小鳥とすずと)より
 
 
       ******************
憲法第25条(国民の生存権と国の保障義務) すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
② 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
「みんなでわいわい・ご意見コーナー」
 
0f1a66cd.jpg急に涼しくなりました。暑かった時には扇風機だけの仕事場なので、冷やした麦茶ばかり飲んでいます。皆さんの仕事場は屋外ではないですよね。最近、感じることは、人と話し合うことが不得手という人にとって、メールの活用で、話すより上手に? 自己表現できる人が多くなったと思っています。今の若者は人と話が出来ないのが多い、と言われますが、それ以上に、相手の話を聞かない大人たち?の、聞く方にも問題があると思います。話し方教室があるようですから、聞き方教室があっていいのではないかと思います。
                      東京都  N・Nさん
 
私たち夫婦は、実りの秋を前にして、何時もそわそわしています。収穫については予想は立ち来年に期待していますが、楽しみがあるからです。それは、祖父母の時から続いている気心の分かった者たちが一緒に行く湯治が待っているからです。昔は、自炊のために鍋釜を持参しながらの湯治の人が多く出掛けたようですが、今はそれぞれ車で出掛けます。顔なじみの温泉宿で数週間ゆっくり過ごします。機械化されたとは言え足腰の疲れは年々残るようになりました。
そんな疲れを解消するする時が近付いているからです。今は携帯電話とPC持参になりましたが、孫たちのためです。そんな日々も紅葉が過ぎると雪と共に冬篭りになります。
                     群馬県  S・Yさん
s-IMG_2987.jpg 『ありがとうございます』
 朝、歩道に枯葉が風に吹かれていました。近くの小学校では秋の運動会で、元気な子供たちの声が響いています。身近な行事が季節の移り変わりを伝えてくれます。夏の疲れが出る時節です。ご自愛の日々をお過ごし下さい。お祈りいたします。
今月号の写真も、川畑朱美さん(堺みくに教会員)友美さん母娘、桒原廣子さん(日キ教団金城教会員・CBC「キリストへの時間」アナウンサー)、門馬 亨さん(犬山教会)、匿名の方のものを使わせていただきました。感謝です。      
 
      『つのぶえジャーナル』のための寄付者
 
中山奥行様 馬場暁美様 匿名様
 
 郵便振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社
 
 
『クリスチャン音楽家を支える会』への寄付者
匿名様
 
便振替口座番号 00870-2-92464 クリスチャン音楽家を支える会
 
 
 
   今月のことば
 
  ほかの9人は・・・。
        (ルカ17:17)s-200908140756000.jpg
 
 10人のらい病人が、遠くから主に呼びかけます。彼らは、悲痛な思いで、声を張り上げて叫んでいます。しかも彼らは、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」(17:13)と実に切実に叫んでいます。その叫びには偽りはありません。
 私たちも、どれほど度々、「神様、神様」と叫んだことでしょう。10人のらい病人たちは、彼らが願っていたことを叶えていただきました。
 ところが彼らのうち一人だけが引き返してきて、その願いと感謝が真剣な思いであったことが分かります。ところが、他の9人は、自分たちの癒しを、どこか別のところで祝っていたのでしょうか。彼らにとっては、今やこのイエス様と言う先生は、以前の半分も愛すべき方ではなく、興味ある方でさえなかったのでしょう。
 
 そこでイエスさまは、「きよめられたのは、10人ではなかったか。ほかの9人は、どこにいるのか」と言われました。この救い主の問い掛けは、今日まで、全世界の中を貫いて響いている問い掛けです。感謝を忘れた9人は、人々の中にいるのです。否、この9人は私たち自身の姿であります。私たちは何度神様に許しを請い、悔い改めを繰り返してきたことでしょう。
 
 私たちは、悲しみに陥った時、不安や絶望に襲われた時、そればかりか、何の問題も無い時、私たちは感謝の祈りと共に、許しと救いを請い願ってきました。私は思うのです。自分の臨終の時、悔い改めの思いがあるだろうか。否、神様への感謝の思い、神に栄光を帰するだろうか、と。どうぞ終わりの時、悪魔に抵抗し、感謝と讃美でその時を迎えることが出来ますように、今の時から感謝の思いを造り出してください。
 
(わが家のヘブンリーブルーなぜか縞模様です)
   小閑記
       
 「他人に干渉する者」
 
 ここに「他人に干渉する者」とあります。興味ある言葉です。ここに使われているギリシャ語は、ここでしか用いられていません。珍しい表現なのです。これが登場する、もしかすると、この手紙の著者が作ったのかもしれません。あるいは、文章には出てこなくても、どこかで語られた日常生活の中から出た言葉かもしれません。
 
 とにかく、ここで用いられている言葉の基礎になっているのは、「他人のものを見る」ということなのです。しかもその見方が、ただ、じっと見ているというだけでなくて、自分のものにしてしまおうとする思いで見るということなのです。他人のものを支配してしまおうとする支配欲です。これこそ泥棒の始まりであり、人殺しの動機となります。諸悪の始まりがここにある。あるいは、「他人に干渉する者」と訳さないで革命運動を起こそうとして扇動する人々を煽り立てる、あいつは悪い奴だからやっつけてしまえと、人々をアジる、という意味の言葉でさえあります。
 
 人々の情欲を駆り立てるのです。なぜ自分たちだけ、こんな損をしているのか、どうして、あの人たちだけが得をしているのか、やつけてしまえと扇動するのです。そのように自分自身も巻き込んでしまうような、この世の思い、他人の持ち物までうかがい、自分の利益を守り、何をしてでも、富を拡大する欲望、それと戦わなければならないのです。
 そこで、なお、自分の正しい生き甲斐ではなく、神のみ旨がなることを真剣に求める。そのような生活を神は求めておられるのです。  
 
 (加藤常昭著・第一ペトロの手紙4章15節)
 
                    上河原立雄撰 
 
これらの文章の転載は許可を得ております。    
 
     おだやかな心
ものを欲しいとおもわなければ
こんなにもおだやかなこころになれるのか046ae321.jpg
うつろのように考えておったのに
このきもちをすこし味ってみると
ここから歩きだしてこそたしかだとおもわれる
なんとなく心のそこからはりあいのあるきもちである  
 
 信仰詩集「貧しき信徒」 八木重吉
 
 
眸
眸(ひとみ)
・・・。わたしは今高校2年です。それまで何も知らないままで過ごしてきましたが、高校に入って感じたことがあります。それは、戦争や原爆のことを考えるサークルがあって、機関誌を発行したりHPを作って交流していることでした。サークルに誘われましたが、運動が好きなのでバレー部に入っていますが、テレビや新聞で8月になると戦争や広島、長崎のことが多くなり、自然に関心が湧いてきました。バレーも好きですが、原爆のことや戦争のことや日本以外の国のことにも関心を持ちたいと最近思っています。わたしの家はおばあちゃんから教会に行っています。わたしも日曜学校から教会に行っています。部活はあまり厳しくないので、礼拝にも出ています。母がメールしてみたら、とすすめてくれましたので、はずかしいですが送信しました。・・・。                           
埼玉県   Y・Sさんc5a81cbd.jpg
(ありがとうございます。部活も教会に行くことも頑張ってください。編集子)
 
   あさがお
青いあさがおあっち向いてさいた、
白いあさがおこっち向いてさいた。
ひとつの蜂が、ふたつの花に。
ひとつのお日が、ふたつの花に。
青いあさがおあっち向いてしぼむ、
白いあさがおこっち向いてしぼむ。
それでおしまい、はい、さようなら。
(金子みすゞ童謡集 わたしと小鳥とすずと)より
 
 
  自閉症者のひとりごと
(29)
 
 7月21日
 私たちの病気(アスペルガー症候群)の苦手な特徴は、関わり、コミュニケー   ション、こだわりで、何かに向き合うこと。神様に対しても、本当の気持ちで向き合っているかといえば、どうなのだろう。人と向き合うのは、どうも苦手です。具体的にどうしたよいかわからないのです。とにかく、神様との対話が一番苦手です。
 
7月25日
父は、母が病気の時ずっと世話をしていました。それは想像を絶するような
闘病記でした。これが愛なのだと思わされました。わたしにはとてもじゃないがそんな事は出来ないです。主人の健康や体力が少しでも保たれるように、工夫するなんて。まず自分が楽なほうが先にきます。
 
2a28d11a.jpg7月29日
 今月も僅かになりました。この状態は、自分でもよく分からないが何もしたくなく、出来なくていやになりました。家に引き篭もっていると不安になりますし、祈ることもできません。どこかで静かに休みたいです。
 
8月4日
ある人からこんなメールを貰った。その人にとっての当り前があります。AさんとBさんとでは、当り前が違います。最大公約数的に考えると、今の自分を見詰めることは少しできるでしょう。さおりさんの当り前と私の当り前とは違います。余り言葉は好きでないのですが、先々を考えると不安になる、落ち着かない、迷うなどですが、それがきっとさおりさんなのです。そのような自分を、善悪や信仰・不信仰で判断しないことです。全く関係のないことです・・・。
夕方からは実家に行き、そして礼拝は母教会という選択もあると思います。当然、ご主人の了解は必要ですが、大切なのは、居心地のいいところを、祈り求めること。礼拝が喜べることです。それは我が侭ではないと思います。むしろ、さおりさんの病気の特徴を、自分で納得することでしょう。礼拝と信仰は全ての中心ですから・・・・。
どんな状態もわたしであることにかわりないのですね。
 
8月7日
最近きづいたことがあります。それは、アスペとして生きればいいんだ、ということです。そうでなんすね。凝り固まっている頭を、少しでも軟らかくしていかないと思うと息が詰まってしまうのです。これもアスペっぽい考え方で、凝り固まっている頭もアスペの特徴としていいのだと思いたいのです。これからも何度も何度も、ああ、だめだった~を繰り返していけば、そのうちなんとかなるでしょう。それでへこむこともあるでしょうが・・・
 
 
                  加納さおり
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書籍紹介
    8858e3b6.jpg
エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

「本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

      d6b7b262.jpg
教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
217ff6fb.jpg 








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「聖霊とその働き」
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「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
 a0528a6b.jpg









「十戒と主の祈り」
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 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
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4008bd9e.jpg
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キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
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さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

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