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2023年7月号  №193 号 通巻877号
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 『ありがとうございます』
 熱中症に注意という言葉がテレビや新聞に数多く出てくる季節になりました。先日、利用している調剤薬局のカウンターにイネ科のカレンダーがありました。興味がありましたので見せていただいたところ、お持ち帰り下さい、とのことで改めて家で見ましたら、植物カレンダーではありませんで、アレルギーカレンダーでした。3ケ月毎にその季節の花粉を飛散させる木や植物と最大飛散日が地図に記されいました。キク科(ブタクサ、オオブタクサ、ヨモギ、カナムグラ、8月から11月)、イネ科(スズメノテッポウ、カミガヤ、ホソムギ、オオアワガエリ、4月から8月中旬)は全国各地ですが、スギ花粉は北に行くほど少なく、北海道は函館まででした。(東海花粉症研究所:監修)
 
今月号の写真は、川畑朱美さん(堺みくに教会員)、桒原廣子さん(日キ教団金城教会員・CBC「キリストへの時間」アナウンサー)、門馬 亨さん(犬山教会)、匿名の方のものを使わせていただきました。感謝です。
 
       ****************
 
『つのぶえジャーナル』のための献金者
 
藤本千春様 森谷千文様
 
 郵便振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社
 
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頌主
多くの兄姉方の御奉仕と祈りに支えられて、ファミリーコンサートを祝福のうちに終えることが出来ました。「麦の会」の姉妹方の献身的なお働きに心から感謝いたいます。至らなかったことも多かったことと思いますが、これからも善きものを教会から発信していくことが出来るように、お力をお貸しいただければ幸いです。
時間的余裕のなかった中で、よい企画をしてくださり、集ってくださった方々の感想も大変よかったとのお声をたくさんいただきました。プロの冴えた音色と、声の張り、音楽を愛する心がとてもよく伝わってきたと、教会員の皆さんも感激しておりました。
「麦の会」のお働きが、更に祝福されますように心からお祈りいたします。
栄光在主
                          犬山教会兄弟会 笹谷忠彦a6e05464.jpg
 
来会者    教会員 34名  教会員外 41名  計75名
感想・希望 アンケート数 14枚
*       生演奏を間近で聞かせてもらい感謝でした。
*       素晴らしい声と音色に豊かな気持ちになることができた。
*       とてもリラックスできた。
*       プログラムがとてもよかった。
*       ゆったりとした良い時間が持てた。
*       初めての曲「逢いたくて」「君は愛されるため生まれた」を聞き、心打たれた。
*       「君は愛されるため生まれた」はPTAコーラスで歌った。
*       シルテの花、Be Thou My Vision、曲も演奏も素敵でした。
*       尾北ニュースには当日ではなく、一週間前に掲載されるとよい。
*       皆で歌う曲がとてもよかった。
*       定年後、独りで生活することが多く、出不精になっていたが良いチャンスを頂いた。
*       懐かしく、昔の情景を思い出す曲でした。
  
      
『クリスチャン音楽家を支える会』への献金者
 
藤沢徳治様
 
便振替口座番号 00870-2-92464 クリスチャン音楽家を支える会
 
「クリスチャン音楽家を支える会」への寄付金は犬山教会等の活動に使わせていただきました。
 
 アダはヤバルを産んだ。彼は天幕に住んで、家畜を飼う者の先祖となった。その弟の名はユバルといった。彼は琴や笛を執るすべての者の先祖となった(創世記4:20~21)。
09年7月20日現在 編集・発行人 長村秀勝
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   今月のことば
   『聞く耳』
 「神からきた者は神の言葉を聞く」(ヨハネ8:47)7fb0e027.jpg
 
 神の言葉を聞くということには、特別な事柄があります。この世の様々な事柄を聞く場合には、耳を持つ者はみな、その耳が健全である限り、聞くことはできます。しかし、神の言葉を聞く場合には、事情は別です。私たちが申し分のない耳を持っていることとは無関係なのです。いろいろの雑音が邪魔をして、神の言葉を聞くのに妨げになることも多々あります。
 
イエス様は「耳のある者は・・・」と言うだけでなく、「聞く耳のある者は聞くがよい」と付け加えています。同時に、「神から来た者」だけが神の言葉を聞くことができるともお語りになっています。
 これは、神の国では、生来の人間のままではなく、第二の誕生と呼んでもよい「霊による誕生」という決定的事実が必要になります。私たちには物を見るための目があり、その器官の働きによって見ることが可能になりますが、神の国で見るためには、私たちの目は「神から来た」目でなければならないのです。すなわち、「霊から生まれた」目でなければならないのです。
 
 「世から来た」者が、神の言葉を聞き、悟り、悔い改め、神の恵みに与るためには、神のみ霊によって変えられなければならないのです。それを可能にするのは、私たちの努力・精進ではありません。神に愛され、神を愛する信仰のみなのです。私たちは、よく信仰が弱いから・・・と言うのですが、信仰の強弱ではなく、神の愛が全てなのです。神の言葉を愛する日々でありたいものです。
     (花をいっぱいつけてくれたクジャクサボテン)
   小閑記
       
  「ただ信仰」
 
 ある人は、信者生活を次のように述べています。信者の新しい生命は一歩一歩確実に階段を登っていくようなものである。また子供が確実に大人に成長していくのと同じであると考えました。その成長の過程で罪を犯すことはないし、罪を犯しても大したことではないと申しました。
 
 d2d73029.jpgしかし、聖書は信徒の罪を強調しています。旧約聖書では、信仰の篤いダビデの犯した重大な罪を語っていますし、新約聖書では、イエスを3度も否んだペテロの罪を語っています。ドルト信条は信者の罪を非常に強調しています。ドルト信条は「聖徒の堅忍」の第5項で、次のように述べています。
 「その故に、信徒は誘惑に陥らないように常に目を覚まして祈らなければならない。これらのことを無視する時、彼らはサタンと肉とによって大いなる恐るべき罪に溺れる危険があるのみでなく、神の正しい許容によって、事実これらの罪悪に陥ることをダビデやペテロ、その他の聖書の中に記されている聖徒たちの嘆くべき堕落が示されている」。
 
 詩篇51篇においてダビデの咎の告白を学んでみよう。
「   神よ、あなたのいつくしみによって、わたしをあわれみ、あなたの豊かなあわれみによって、わたしのもろもろの咎をぬぐい去ってください。
わたしの不義をことごとく洗い去り、わたしの罪からわたしを清めてください。
  わたしは自分のとがを知っています。
わたしの罪はいつもわたしの前にあります。
  わたしはあなたにむかい、ただあなたに罪を犯し、あなたの前に悪い事を行いました。
  それゆえ、あなたが宣告をお与えになるときは正しく、あなたが人をさばかれるときは誤りがありません。
  見よ、わたしは不義のなかに生まれました。わたしの母は罪のうちにわたしをみごもりました。
  見よ、あなたは真実を心のうちに求められます。それゆえ、わたしの隠れた心に知恵を教えてください。(51:1~6)
それでは、どうして彼は回復され、信仰の終わりを完うできたのでしょうか。それは「ただ信仰」によるのです。信仰は神の許しにすがります。その信仰をもって神の許しにすがるものを神は受け入れ、許してくださるのです。ダビデが終わりまで信仰を完うしたのは、彼自身の力によるのではありません。7度を70倍する神の愛の真実によるのです。神の許しの約束の真実であることによるのです。
 
 私たちも罪を犯します。ちょうどモールス信号のようなもので、点と点の間に断続があるよ
うに、私たちの信仰生活にも断続があります。しかし、救いの約束の真実にすがるものは、7
度を70倍する許しを受け、中断にもかかわらず、信仰の終わりを完うできるのです。信仰を
もって許しにすがる者は、罪にもかかわらず、終わりを完うできるのです。信仰によって許し
の恵みにすがる者になりたいと思います。
  (「聖徒の堅忍」より)
                上河原立雄撰 
眸
眸(ひとみ)
嬉しくてメールしました。小5の娘が大声で学校から帰ってきました。お母さん、Mちゃんが元気になって学校来たんだよ!うれしい!うれしい!とわたしの周りを飛び跳ねています。Mちゃんは4年生の時重い病気になり入院していたのです。その時は覚えていたのですが、何時か忘れていました。子供たちは相談して皆でお手紙を書いていたそうでした。そのMちゃんが元気になった戻ってきたのです。大人のわたしは忘れて、娘は覚えていたのです。反省しながら、うれしくて、ついメールしてしまいました。
                   愛知県  S・Sさん
 
 「つのぶえジャーナル」を知って、いろいろの方の生き方や考え方を知ることが出来ました。洗礼を受けたのが20代で今は40歳後半の主婦です。自分の生き方、性格に悩み始めてから、もう20年近くになります。専門医、カウンセリングのグループに今も通っています。自分の心のうちを話したり、検査を受けましたが、改善されないままです。原因は子供の頃の、母親からの言葉の暴力と専門医から言われ、それまで母親を大切にしてきましたが、その原因を母親の言葉に・・・と言われ、とても深い傷になりました。知らなかったら今まで通りの母と娘でいられたのに、知らされてから、母を憎み、恨み、反発し、嫌いになってしまいました。
 「つのぶえジャーナル」に「自閉症者のひとりごと」と言うのがありますが、とてもよく似ていました。それで、メールしました。加納さおりさん、ありがとうございます。ここまで書くのに、何度も下書きを書きました。自分を表すことがとても苦手なのです。ごめんなさい。
                    千葉県  K・Aさん
(掲載をお許しくださり、ありがとうございます。お祈りしています。長村)
 
   あさがお
青いあさがおあっち向いてさいた、340f3a67.jpg
白いあさがおこっち向いてさいた。
ひとつの蜂が、ふたつの花に。
ひとつのお日が、ふたつの花に。
青いあさがおあっち向いてしぼむ、
白いあさがおこっち向いてしぼむ。
それでおしまい、はい、さようなら。
(金子みすゞ童謡集 わたしと小鳥とすずと)より
 
    自閉症者のひとりごと(27)
 
5月21日
自助グループのバースデイ・ミーティングに出ました。自助グループに繋がってから、呑まなくなった日を記念して行うミーティングです。今回は13年目のメンバーのバースデイでした。ちなみにわたしは呑まなければ、8月に2年のバースデイです。ミーティング会場から帰って、久しぶりに頭痛にみまわれています。気候のせいでしょうか。明日はカウンセリングに行く予定です。そこで心の棚卸しをしようかな・・・。
 
fd672e56.jpg5月22日
AAのメンバーの訃報を連絡するのに一日が終わりました。アノミニティー(名前や住所などを伏せて、ニックネームやファーストネームなどで呼び合い、お互いに誰が出席し、何を語ったかは口外しません)を大切にしているので、どこまで連絡が届いているのかもわかりません。けれど今も彼女がどこかのミーティング会場にいるような気がします。幸いにも、アルコールで亡くなったわけではないので良かったなあと思います。
 
5月23日
 人が必ず死ぬことと裁きを受けることを、学生の頃、牧師先生が説教でよくおっしゃっておられました。メンバーのお顔を見させていただいて、実感しました。不思議と悲しいとは思いませんでしたが、メンバーの死は現実なんだと思いました。人の死は、わたしに生の素晴らしさを証しし、教えてくれる大切な伝言です。ですから、別離の涙と共に感謝の涙でもあります。神の裁きは、神の側のことであって、わたしたちがどうこうすることではないですが、わたしの側ではそう思っています。
 
6月4日
肝臓の検査は10代でキャリアとわかった時から、定期的に受けています。多少慢性肝炎と脂肪が付いている程度で問題はないです。わたしは精神保健の福祉定期券を持っているので、交通費はなんとかなっています。あちこち乗り継いで行くのは、大変です。だからあまり遠い会場には行けません。ただAAに繋がっていなければ、今頃、頓死しているでしょう。同じ死ぬでも、アルコールで死ぬのはかなり悲惨な姿になるそうです。遺された家族も悲惨な目にあいます。それがあるから、死にたくても死ねない。生き直しをするしか仕方がないのです。生死は人間が決める範疇にはないし。
 
6月10日
 私の毎日は疲れ果てていまう自分との戦いです。この「つのぶえジャーナル」を見ている人の中にアスペルガーの人や家族、知人が居られると思います。この病気は、なかなか理解されにくいので、誤解されやすいところもあります。
 いわゆるアスペルガーは、自閉症のひとつですから特徴が同じなんです。人と上手に付き合えない。コミュニケーションがうまくとれない、こだわりがあるので、いつもと違うことがあるとパニックになる。という特徴があります。それと同時に2つのことを同時に注意を向けることも苦手です。どれをとっても生き辛さがあります。私には、それを土台にした二次障害、うつ病があるので、気が付いた時には心身ともにボロボロになっています。生きていくには、工夫が必要になりますね。

 
                  加納さおり
世田谷通信 
(67)
猫 草
 
 少年野球の話である。数年前、長男が幼稚園のころ、土日に近所の公園に遊びに行くと、隣の市民グランドで少年野球チームが練習をしている。その監督の罵声が「へたくそ!やめちまえ」「もう今日は家に帰れ」「おまえなんか来なくていい」などなど・・あまりに酷い言葉で、耳を覆いたくなると同時に、こんな昔ながらの「根性」野球が現存するのか・・?といささか時代錯誤な気がしたものだ。69a75a29.jpg
 さて数年後、長男が成城地域の野球チームに入り、土日祝日は早朝から夕方まで練習と試合に明け暮れている。監督・コーチも怒鳴ることは怒鳴るが・・特に人間性を否定する発言はない。試合などで相手チームを見ていても、それほど不快な発言もない。・・ので、あのチームの監督はちょっと、いやかなり「昔気質」な人だったのだろうと思う。それとも聞いているこちらに耐性ができたのか?いやいやそればかりでもないだろう。時代は変わるのである。
 試合中のこと。長男がセカンドライナーをエラーした。うつむいて悔しそうにするところに、監督・コーチから大声が飛ぶ。「顔を上げろっ!試合中に下向くな!」、その声でなんとか前を見るが表情は硬い。そして次の回、守りに乱れがあり、暴投でランナーが3塁に走った!と思ったところでセカンドがバックアップ、好送球で3塁ぎりぎりアウト。「よーし!それでいい!」「ナイスフォロー!」監督やコーチの声に長男に笑顔が戻る。自分の失敗は自分自身が一番分かっている。だからくどくど怒るのも半端な慰めも無意味だ。次にがんばっていいところを見せればいい。ミスしたら叱られる、成功したら褒められる、だからつまらないミスをしないように気をつける、繰り返し練習していいプレーができるようにする。当たり前のことなのだが、そういう単純なことの繰り返しがスポーツだけでなく勉強でも仕事でも人間関係でもいろんな場面で自信につながるのではないだろうか。そして褒めたり叱ったりする大人の評価軸がブレないこと。子供から尊敬まではいかなくても、少なくとも信頼されること。これも本当に大事なことだと思う。
  その愛のゆえに
  =時々の記=
    (40)
 
5月17日
こちらも昨日、今日と肌寒く、また、4月に着ていた服をとりだしています。お茶は、忙しいときには、番茶で済ませていますが、やはり、ほっとひといき入れたいときは、緑茶ですね。お送りしたお茶は、義父が、無農薬のお茶として、こだわっているものです。
体調を崩し、もう、お茶刈りは、とても出来ない体になってしまいましたが、ありがたいことに、近くの方が、刈ってくれるらしいです。馬場家も、昔は、お茶を刈って、自分の家で、蒸し上げ、薫り高いお茶を作っていましたが、もう20年も前に、すべて辞めてしまいました。今、その茶畑は、うっそうとした、竹林に変わっています。惜しい気もしますが、仕方ありません。誰も、お茶を刈ることができないのですから。お茶を刈ったあとは、見事な山並みのようです。職人の技ですね。空気と水が美しい間は、山添のお茶は、受け継がれていくことでしょう。自然の恵みに感謝したいですね。でも、今年のお茶は、冬の異常気象、春先のアンバランスな陽気のため、あまりよいものが取れないと嘆いておられました。
人間が、傲慢になると、自然も、だめになってしまうのですね。いつも、全能なる神様を恐れて、生きて行きたいものです。
 
5月20日
昨日、奈良県退職女教師の会の総会が橿原市で開かれましたので、行ってきました。
総会では、86歳の学園理事長さんのお話しに、しばし、耳をかたむけました。創設時はたった3名だった生徒が、今は高校、大学、幼稚園を有する大きな学園に成長したこと。ここまで行き着くための、並々ならぬ努力をお聞きし、どこでも創設者は、命がけで生き抜いてこられたことを感じ、生き様には、やはり心打たれるものがありました。
母校の金城学院にしても、ランドルフ先生は、病にかかりながらも、名古屋の女子教育に情熱を注ぎ、3名の生徒のために、英語教育を徹底したと聞いたことがあります。それは、厳しい教育だったとか。どこでもいえることでしょうが、建学の精神が、受け継がれている学校は、少なくなっているのでしょうか。
雉(きじ)飛びぬ 谷の空気を 震わせて
炉の掃除 奉仕の出来る 五月かな
伊賀広し 風になびける 植田かな     馬場路哉8aa5fad5.jpg
 
 昨日の疲れがまだ残っていますが今から、祈祷会へ行ってきます。教会は、今、高齢の方が体調を崩し、また若い方が、心の病で苦しんでいます。私たちのために祈ってくださった方々が弱っています。そのためにこころを合わせて、祈ることの大切さを感じています。
 
5月22日
インフルエンザの影響が奈良でも出てきました。お年寄りよりも、若い方が発症率が高いようですが、なぜ、このようによい季節にインフルエンザが流行しているのか、素人の私には、さっぱりわかりません。
我が家の小さな畑で、主人が、ナス、トマトの苗を買ってきて、3本づつ植えました。食べるまで、成長してくれるか心配です。
カラスが、肥料を目当てにか、畑に3羽もいました。苗もつつかれているかもしれません。どこの家も、防御の網を張っていますから我が家の畑は、ねらわれているのでしょう。主人はまた三重大病院行きです。検査が続くので、本当にうんざりです。主人は、もっとつらいでしょうね。祈り深くなります。体調を整えて、一日一日、生かされていることに、感謝し、検査の日と結果の出る日を、待ちます。
 
5月27日
朝4時ころから、ホトトギスの鳴き声で目をさましました。ホトトギスの鳴き声は、やはり、初夏のすがすがしさがでていますね。私は、ホトトギスの晴れやかな声が好きです。元気を出すんだよと励ましてくれているようです。
最近は、主人も一緒に犬の散歩に出かけられるようになりました。足が8割りほど元に戻って来たと言って喜んでいますが何も自覚症状が出ないのが、この病の恐ろしいところです。同じ様に三重大病院で入院していた方(山添村)が、最近次々二人亡くなられました。次は、と考えると、いても立ってもいられなくなりますが、神様の御心のままにしてください、と祈る事ができる強い信仰を持ちたいものです。
見上げもす 直ぐなクヌギの 若葉なる
老鶯や 月ヶ瀬巡る 湖に
近隣に 石楠花(しゃくなげ)ありて 遠出せず    馬場路哉
 
昨日、河合の伝道所を開設してくださった方のお嫁さんが亡くなられました。Tさんといいます。お家をすべて開放してくださり、福音宣教のために、ご家族そろって力をあわせてくださいました。父と軽四のクウぺに乗って、毎週土曜日、Tさんのお宅で礼拝を捧げたことが懐かしく思い出され、よく、あのような田舎で、キリストの十字架を掲げて、村人を呼び集め、集会を快く受けてくださったものと感謝で胸がいっぱいになりました。
 
5月30日
昨日は、牧師先生と一緒に母の見舞いに行ってきました。家に帰りたい、帰りたい、とせがんでいましたが、先生に聖書を読んで頂き、お祈りをしていただきましたら、ありがとう、と言ってくれました。何か大きな不安を抱いているようですが、やはり、神様の言葉は、心を静かにさせてくれて帰り際には、にこっと微笑んで、ありがとう、また来てやと言って、別れることができました。牧師先生の祈りは、病めるものに、力を与えてくれるものですね。
 
6月2日
いよいよ6月のスタートです。梅雨に入る前なのでしょうか。晴れの日がしばらく続くということです。きょうは、おもいきり、大物の洗濯をすませました。すがすがしい気持ちです。
私にとって、主人の母も、また実の母も、ともに尊敬に値する人生を歩んできたように思われます。ですから、母を見舞うとき、斉藤幸子も見舞ってあげたくなります。ところが、嫁にきて、馬場暁美となった今、どうしても幸子の見舞いには、行きづらくなってしまいます。母幸子は、忍耐の人ですから、いつも、置かれた場に感謝し、周りのものを慰め続けてくれています。私が見舞いにいかなくても、父なる神様に委ねきって、生きていますから、多分平安な日々だと思います。
このごろは、耳が聞こえにくくなり、電話でも話しが出来なくなってしまいました。
会いに行ってあげられないのは、申しわけないのですが、きっと、忙しくしているのは、元気なこと、と私を責めるようなことは少しも考えずに、許していてくれることでしょう。幸いにも、母幸子は、兄が世話をしてくれていますから感謝しています。
雨となり 畑に止め置く 茶刈り機
薫風や 幼子は 歌、うたいだす       馬場路哉
 
来週は、三重大病院での検査です。でも私も主人も、最近は、あまり、おどおどしないように、心がけています。みな、いつか必ず死ぬ。キリスト者は、その死に恐れるのでなく、いつも復活の初穂となられたイエス様に希望を抱いて、歩んでいけるのですから。
 
6月9日
昨日、無事、検査だけ済ませました。たくさんの方が次々と検査を受けにきていました。一日がかりですから、お弁当を持って行きました。私は、検査を受けているわけでもなし、往復運転するわけでもなし、ただ横で本を読みながら、待っているだけでしたが、疲れ果てました。夜は、怖い夢にうなされました。やはり、検査を受けたとなると、結果が気になるものです。結果が来週なので、そのことが私の頭からはなれず、苦しんでいるのでしょう。
休みては また練習す 薄暑かな
なぞへ畑 蜜柑の花の 匂い来る
山峡や 葉裏を白く 南吹く
北向きの 土手に固まる 雪の下    馬場路哉
 
6月16日
お祈りに支えられて、今回も異常なしと言っていただけました。今、帰ってきたところです。犬たちもよかったね、とともに喜んでくれました。本当に皆様の熱い祈りとお励ましに支えられてここまで歩んでくることが出来ました。昨夜は、あまり良く眠ることができなかった信仰の弱いものですが、今日はほっとして、テンションが上がり気味です。嬉しいです。今年の草刈りは、すべて主人が草刈機で仕上げてくれそうです。感謝して。
 
                  (上野緑ヶ丘教会員)
「地域の人々と共に」 その2s-200904051751000.jpg
  …二人静…
 
昭和19年3月29日、待ち望んでいました長男隆道が与えられました。戦時中にしては、体重も2千グラムを超える、しっかりした大きさでした。お腹にいるあいだ鳥のかしわをよく食べたから、そのようなしっかりした骨格の子供が誕生したのだと思っています。
これからが私の地域の方々との日々が始まるのでございます。
子供が生まれて、山添村に帰ってきてまいりましてからは、お近くの患者さんが絶えず家にやって来るようになりました。山里に住む方にとっては、どのような病気でも不安であり、私のような若い医者でも頼りにされることは嬉しいことですが、責任も感じました。家はまるで診療所のようになってしまいました。今でこそ思えることですが、大病院でも、町の診療所でもロビー、待合室は世間話をする社交場なのでしょう。
昼となく、夜となく、先生診てやってくれへんか、と信頼してやってくる多くの患者さんのために、時間をゆっくりかけて、患者の納得いく診察を続けることを大切にいたしました。そうは申しましても、家にあるのは、往診カバン一つ、その中にあるのは、聴診器、血圧計、注射ばり、あとは、これは本当に大切な自分の10本の指です。触診をもっとも大切にしいたしました。これも大切なことでございますが患者さんの顔色とお話を聞くことも診断の大切な要素なのでございます。
今では考えられないことでございますが、街中でも病院・診療所などございませんでした。ましてや、小さな山村にはございませんでした。患者さんを背負って家族の方は山を越え川を渡って来られるのです。私の村も同様でございます。山添村、波多野地区には無かったので、役場へ申し出て、波多野診療所を建設して欲しいと、村長、役場役職に頼みに行く日々になりました。しかし、簡単ではございません。なかなか承諾してもらえず、診療所建設は出来ないが、農協の事務室を一部屋借りて、診療をしても良いとの許可が与えられたのでございます。昭和20年のことでございます。岡山さんという看護婦さんは診療の手助けに来てくださいました。
その当時の一番の危険は、いろいろの要因が重なって肺結核が猛威をふるい、山添でも、何人かが結核に罹ったため、それを食い止めなければなれませんでした。そのために、奈良保険所から、応援に来ていただき、患者さんの家を一軒一軒消毒に回りました。しかし、結核菌は、なかなか簡単には納まらず、消毒も完全に菌をなくすところまでは行かず、とても苦労し、辛く悲しい思いをいたしました。
                    森三菜子
…キリスト教…
 社会福祉活動のあゆみ(24)
 
 プロテスタントの貧しい人々への救済のあゆみ(2)
 「宗教改革とルター」(1)
 
 ここでは、教会史ではなく著作集から「宗教改革とルター」について見たいと思います。
 ここではルターはなぜカトリック教会から決別することになったのかについて見たいと思います。ルターはもともとローマ教会から離れるつもりはなかったと思えます。彼は忠実な教皇主義者であって、宗教改革運動の発端となった彼の「95ケ条」もルターのローマ教会に対する忠誠心から書かれたものであったことも事実です。
 また彼の宗教改革案に対する当時のローマ教会の対応が、いま少し慎重で寛大なものであったら、このような結果にならなかったかも知れないとの論もあるほどです。
 しかしながら、ルターのその後の行動やその信仰の立場を見れば、彼は当然カトリック教会に留まることは出来なかったことがわかります。彼は、1525年6月には、福音主義信仰をいだいて、1523年4月、女子修道会を脱出した9人の修道女の一人カタリナ・フォン・ボラと結婚しています。これはカトリック教会の司祭である者ならば、終身独身を守るという義務の放棄であります。しかし彼の教義からすれば、これは当然の帰結でした。
d6926d2a.jpg すなわち、救いは特殊な修行や善行の積み重ねやカリスマ的儀式によって得られるものではないとすれば、修道院生活や信徒司牧の権能を有する司祭職の意味もなくなるだろうからです。
 「事実、彼は修道院の廃止を主張しているのである。町にある托鉢修道院は、男の子や女の子ための、良い学校とするがよい。そのほかの修道院は、もし町が必要としているなら、多くの住宅とすることが出来るだろう」(ルター著作集)と勧告しています。
 ルターは、またローマ教会の伝統的教えであり、またその後の公会議でも承認された7つの秘跡のうち、ただ聖書に示されているもの以外はすべて廃止しました。
 ヒルティーは、この7つの秘跡のうち、結婚についての彼の考えを述べています。「そもそも聖礼典、すなわち人間の神聖視される行為がもしあるとすれば、結婚は全てこれらのものの中でも第1の、もっとも重要なものです。臨終の人の額に注がれる一滴の油が、あるいは全く幼い、意識もない幼児の頭に注がれる一滴の水が、あるいは儀式でキリストのものと宣言されたパンと葡萄酒を飲むことが、一体何故に、多くの世代の幸福と不幸を決定する行為よりも、重要で神聖だということになるのでしょうか。結婚から聖礼典としての性格を奪い、これを単なる1つの法律的関係にしてしまった点で、宗教改革は過ちを犯してしまった。そういう結婚には、教会の祝福も神聖な性格を与えることが出来ません」(ヒルティー著作集「人間教育」)。
 
 あなたに聖書を
 
 新聞やテレビなどで、運勢占いや人生相談がなされています。こういうことは昔から後を絶ちません。といことは、人間誰しも自分の人生について、どんな場合にも、「これで良し」といえるような自信を持っていないからではないかと思います。それで、自分以外の人や、自分が知らない方法で、何か権威があって確かにそうなものに依り頼み、その答えによって自分の行き方を決める、あるいは自分の生き方を決める参考にする、というので運勢占いや人生相談がなされるのでしょう。
 
 こういう点について、イエス・キリストは、非常にはっきりと、人生を生きる基本的なあり方を語っています。それはマタイ福音書第6章の中で「何よりも先ず、神の国と神の義を求めなさい」と言われていることであります。その意味は「人生において一番大切なことは、神様の御心が実現するように願うことと、神様から『よろしい』と言われるように生きなさい」ということであります。s-IMG_0014.jpg
 
 考えてみますと、運勢占いにしても人生相談にしても、そういうことをするのは、自分の幸せや、自分の都合のことを先ず考えてのことであります。ですから、先ず神様のことをと言われると 面食らってしまいます。しかし、イエス・キリストは、何よりも神様の御心を大切にしなさい、と勧められます。
 
 それは、神様は「すべての人を正しく生かす」ことを願っておられます。それは、神様の御心を一番大切にするなら、自分の都合だけでなく、自分以外の人の都合も考えなくてはなりません。そうなった時、わたしたちは「隣人と共に生きる」者となります。また、そうすることは、自分のことしか考えていなかった自分から解放され、自由になり、救い出されることであります。
 
 占いや人生相談に頼らなくても、聖書はイエス・キリストによる人生の基本指針を示しています。これに従って生きるところに、自分も他人も共に生きることが出来るものでありまして、これが、神様からの祝福であります。
 
 
篠田 潔
 
(参照聖句マタイによる福音書6・33)
(電話によるメッセージより・日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
 
 「ローマ人への手紙」研究 (56)
 第39課 異邦人の召命とユダヤ人の拒否
       9章1~11章36節(続)
A 神がユダヤ人を退け、異邦人を召されることは神の約束と矛盾するものではない。
       9章1~24節(続)
 「その愛顧を与えることにおいて、神は絶対的主権をもっておられる」
       9章6~24節 (続)
 
 パウロは、神は人に愛顧をお与えになるとき主権性をもっておられるという教理に対する一つの反論、すなわち、この教理を不正、或いは不公平な方にしてしまうと言う反対論を取り上げて、9:14~18においてそれに答えています。
 
 使徒パウロは更に進んで、第二の反対論を取り上げます。この反対論は要するに、神の主権の教理は人間の責任制を破壊するとするものであるとします。この主張は、もし神が人間に救いを与えることにおいて、主権性を持っておられるなら、人間の罪の状態とその有罪行為について、責任が無くなるというものです。
 
 「そこで、あなたは言うであろう。『なぜ神は、なおも人を責められるのか。だれが、神の意図に逆らい得ようか』」(9:19)。
 もし、神が永遠よりそのみ旨によって、人類のうちのある者を罪より贖い、他の者を罪の中に遺棄することを聖定しておられるのであれば、何故神は人間がその有罪の状態と行為について責任ありと主張されるのであろうか。一切のことは永遠より神によって聖定されており、誰一人としてこの聖定に抗することはできない。人は自分の意思がどうであろうとも、神の聖定を成就させざるを得ない。それなのに何故神は人間に責任があると言うのか。神の主権の教理は人間を操り人形のように、または意思の自由を持たないロボットのようにしてしまうではないか。このような考えが、「なぜ神は、なおも人を責められるのか。だれが、神の意図に逆らい得ようか」と言う考え方が人々の心の中にあります。45c7dbb1.jpg
 
 もしパウロが今日流行しているアルミニウス主義神学に立っていたとすれば、この第二の反対論に極めて容易に答えることが出来たでしょう。それは彼は、次のように答えさえすればよいからです。「神の永遠の選びは、神が人間の未来の行為を予知しておられることに基づいてなされているのである。神は永遠から、誰が悔い改めて信じるか、誰がそうしないかを予知しておられる。神の選びの聖定は、悔い改め信じることを神が予知しておられる者をお選びになる決定なのである。従って、この教理は人間の責任を少しも破壊するものではない。救いという大問題を真に決定するものは、人間であって神ではないのだ」と論じます。
 もしパウロがアルミニウス主義を奉じているとすれば、上述のような答えを彼に期待することが出来るでしょう。しかし、パウロはそのような考えは全く持ってはいません。神の主権的選びは人間の決心に追随するものに過ぎないと述べて、この教理を言い抜けるかわりに、パウロは全く違った方法で、この反対論に答えます。
 
 彼は神の主権の教理を引っ込めもしないし、言い抜けることもしません。また、彼は人間的な論理や哲学に基づいて反対者に弁明しようともしません。その代わりに、パウロは創造者と被造物の関係を指摘することによって、反対論を却下するのです。「ああ人よ、あなたは、神に言い逆らうとは、いったい、何者なのか。作られたものが創った者に向かって、『なぜ、わたしをこのように造ったのか』と言うことがあろうか」(9:20)。
 
 J.G.ヴォス著
                   玉木  鎮訳
                   (日本キリスト改革派引退教師)
  祈 り
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   主の御名を賛美いたします
 家業をやめて12年になりました。ご無沙汰ばかり致しております。こうして私たち夫婦に安否のメールを下さり心からお礼を申し上げます。痛みとの戦いの生活の中でも頑張っておられると承知しています。私たちのこの頃は、何とか納まっておりますが、少し無理をするともういけません。何とか車で礼拝には行けましても、帰ってきては、倒れるように家内とぼーっとしてしまいます。教会に行くのも辛くなってきました。他の用事で外出等をしてくると、2、3日体に堪えてすっかり体調を崩してしまいます。日々体調を心配しているまるで隠遁の生活で、事があると嵐よ過ぎ去れとばかり身を縮めております。
家内はまだアフタケアーで1ヶ月ごとの通院、私はどこか悪くなるのではないか気になり一週間ごとの通院治療。入院中の息子からは一向に連絡がなく、家内が1カ月ごとに病院に行って会ってくるのですが、もう癈人の如くいろいろ問うても目もうつろにして答がないようです。若い時は、勝手気ままに振る舞い、気に食わなければ家族に暴力を振るい、私たちは毎日が怯える生活でした。何度も何度も、子供を殺して自分も死のうと考えたことか。そんな息子も47歳。私たちもこうなればこうなったで、また心配事が絶えず眠りを妨げます。どうしてよいのかまったく分かりません。
すみません、どうか彼のために祈ってやって下さい。くれぐれもお体を大切に主の豊かなるみ恵みを祈りつつ。
(この文章は、お許しを頂いて掲載しています。心の病の子供を抱えている方に、苦しんでいるのはあなた方だけではないことを知ってもらうために、使ってくださいとのお許しです)
                    岐阜県  M・Mさん 
 
 
 
       ******************
憲法第25条(国民の生存権と国の保障義務) すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
② 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
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書籍紹介
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エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

「本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

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教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
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「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

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「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
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「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
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われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

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さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

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