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2023年7月号  №193 号 通巻877号
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「契約の継承」寄稿
「ベンソン・ケイン元宣教師よりのイースターメッセージ」
                              
ab91cd84.jpg親愛なる友へ
4月12日の日曜日、創造主、養い主、贖い主、裁き主、そして救い主であられる主イエスキリストを記念し祝してよき復活祭をお過ごしください。もし、あなたがこれを読まれたことがあるならばどうかお許しください。以下のサイトにアクセスしてくだされば他のものを手に入れられます。http://sites.google.com/site/bensoncainminisries
敬具
ベンソン&コーリン ケイン
愛は憎しみを越えて  
 
私は太平洋第二次世界大戦において日本人と戦っていながらも、その後にアメリカ長老派教会の宣教師として日本に来ることがどのようにしたらできたのかと よく尋ねられます。日本人に対して今日まで憎悪の念を持ち続けている人たちに私は会ったことがあります、彼らは日本人の残虐行為を目の当たりにしたからです。日本人は真珠湾(パールハーバー艦隊)を奇襲攻撃して たくさんの船舶、航空機、他の軍備、そして3000人以上もの命をなきものにしてしまいました。太平洋戦争で彼らは非人間的な残虐行為、米空軍空士の生の肝臓を仰々しく食することまでしていたこと、でよく知られていました。どうしたらそのような行為が見過ごされたり許されたりすることができたのでしょうか。
 
ダグラスマッカーサー大将は、日本の問題は神学に関することであり、また日本には福音を伝えるためにたくさんのキリスト教宣教師が必要であることを述べました。たくさんの方が行きました。しかし、異教徒日本兵のせいで苦しんだ多くのアメリカ人には、まだまだ憎しみが纏わっていました。一人の大佐は、日本人に対する憎しみは絶対に消えることはないと私に話してくれました。彼の使命は彼ら(日本人)を憎むことでした。アメリカはその戦争に勝ち、そしてその結果として日本国民を内部破壊から救いました。公平とモラルの原理に基づいた民主主義が確立されました。戦争責任者らは最高責任者であるヒロヒトを除いて、処刑されました。彼(ヒロヒト)は便宜を図られ国民を統制することで
免れました。
 
LST(戦車揚陸艦)621に乗船し、私たちはフィリピン方面作戦に参加しました。1945年4月1日沖縄侵入の初日から加わり、36日後にそこを去る指令を受けました。戦後、私たちはLST621で二度日本へ行き、壊滅した横浜や東京を見ました。国は荒廃し、人々は穴の開いたブリキ板と煉瓦の仮設で暮らしていました。食べ物は不足し毛布や他の必需品も同様に欠乏していました。死臭がいたるところに立ち籠めていました。民衆は悲惨でみじめでした。私たちは邪悪な政治と社会制度から彼らを救いました。
 
彼らは今ではより良い時代の希望を得ました。アメリカ人はあらゆる面において彼らにとても親切でした。この敗戦国占領は征服した者がかつての敵に対して優しく愛を示していたという点において記憶にとどめられるものでした。私はどの日本人も個人的には知りませんでした。私は彼らを信頼していませんでしたし、尊敬もしていませんでした。しかし、神学校を出た翌年に、神さまは彼らのために私の心に真の愛をお与えになりました、神さまは私に日本へ戻って福音の恵みと平安を伝えるようにと召してくださったのです。
 
神の恵みと神のゆるしと神の愛にもかかわらず、憎しみに固執してしまった人たちもいて、そのため憎しみの塊となってしまい、多くの問題についての正しい判断が台無しにされてしまいました。神は制限なくおゆるしくださいます。キリストは 私たちがゆるさないなら、私たちはゆるされないでしょうと言われました。その憎しみの重荷をおろして生きなさい。あなたの敵に食物を与えなさい。彼らのために良いことをしなさい。このことにおいて私たちは神御自身から祝福を受けるのです。
 
ナチスによるホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の期間、コーリン テン ブームは憎しみで蝕まれてつぶれそうになっていましたが、彼女はキリストに心をゆだねました。キリストは 迫害者が持つサタンのようなひがんだ彼女の思いのために憎しみの代わりに憐れみと愛を与えられました。同じことが戦争開始直後の東京大空襲を指揮したドゥーリトルと一緒にいたジェイコブ デシャツェルの場合にも本当にありました。彼の航空機は予想通り燃料切れになりましたが、運悪く着陸した所は日本人が中国を占領していて、彼は戦争の残存者捕虜となりました。日本人に対する彼の憎しみが 仲間が拷問にかけられ斬首されたのを見た時に 心の奥底にまで染みわたっていきました。彼は神の恵みによって新約聖書を入手でき、そこで神の示される道と神の愛について読みました。彼はキリストに心をささげました。憎しみが彼をつぶすことはありませんでした、というのも残虐行為をうけたにも拘わらず日本人を愛するようにと キリストが彼を自由にされたからです。彼は日本への宣教師となり、真珠湾奇襲攻撃を指揮した淵田(フチダ)の救いの器となりました。神は憎しみを愛へと変えられました。二人のかつての敵はキリストにある友となり、   人々に福音を伝えるために日本とアメリカを旅しました。
 
1953年私が宣教師として単身日本へ行ったことは今までにない最高の恵みとなりました。実際私の人生は日本でキリストに仕えることに満たされていました。このことのうちに神は私にコーリン・ガンという素晴しい妻を与えてくださいました。彼女は既に日本にいて日本語を巧く使って働いていました。私は 女の子を説得して一緒に行ってもらうという煩わしいことは必要ありませんでしたし、難しい文化に慣れる必要もありませんでした。彼女は既に神から召しを受け私を待っていました。私は心から彼女を愛しています。神は私たちに5人の優秀な子供たちをお与えくださり、家族を祝福してくださいました、そのため今日私たちには14人のクリスチャンの孫がいます。全員がイエスさまを愛しイエスさまに仕えたいと願っています。私たちは日本に数十人の真の友がいます、それで彼らと宣教するために1989年以来11回戻っています。彼らは大変多くの点で私たちを祝福してくださいました。一度に14人の日本人を迎え、数日間フロリダの我が家に泊まっていただきご一緒したことがあります。また8人の方が数日間メルローズに訪ねてきてくださいました。年中何人かの方々が何ヶ月もご一緒して我が家で過ごしました。彼らは私たちの誇りであり喜びです、多くの方々が宣教中に洗礼を受けられたからです。神は実に私たちを召してくださり、日本で豊かな実を結んでくださったことを何回も確かなものにされました。
 
神は 彼らが福音に好意的でなかった時には 彼らを愛するための愛を与えてくださいました。彼らは福音に抵抗して少しも好意的にみえない時や 好戦的にみえる時さえよくありますが その愛は今日まで続いています。しかし神がこの愛を私たちに与えてくださっている故に 私たちは彼らを愛し続けられるのです。キリストは憎しみを愛におきかえることのできるお方です。もし神が私たちのために 御子に死を与えられるほどまで私たちを愛してくださったとしたら、私たちの愛はそれに比べたら比較にならないほどとても小さなものなのです。
         ***************
 
  スーザン・ハント著
     教会における女性の働きの会 訳
   「契約の継承者たち」
      次の世代に信仰の遺産を残す
 
定価 1,800円(税込み1,890円)
聖恵授産所出版部(最寄のキリスト教書店でお求め下さい)             
 
 
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「みんなでわいわい・ご意見コーナー」0f0ad106.jpg
 
年末の洪水のような報道が嘘のようです。派遣切り、非正規ばかりでなく、現実は正規社員の解雇も進んでいます。むしろ深刻さは増しています。もう職探しも4ヶ月になりますが、今も働く場所がありません。友人の部屋におりますが、何とかしなければと、日に日に焦るばかりです。昨日TVで党首討論を見ていました。今まで余り政治に関心がありませんでしたが、民主党の鳩山さんが、麻生総理大臣に、アニメ何とかに100億円の予算を計上していることを質問していましたが、びっりしました。もっと別の使い道があるのでは・・・と思いました。今まで政治に無関心であった自分が情けなくなりました。気ままに生活する派遣になれて、転々と職場を変えても生活できたのが当り前に思っていました。
最近、近くの公園には野宿生活の人が増えているのに驚きました。自分もこうなるのかなあ、と不安になりました。
                   大阪市  H・Hさん
 
信仰生活40年になりますが、最近、健康の理由で私も主人も礼拝に出られなくなりました。その代わりに信仰のお友だちとメール交換することが多くなりました。以前は一つのパソコンを主人と共有でしたから、自分専用が欲しいと思って娘におねだりしたら、私専用のパソコンが手にはいりましたので、暇を見てはメールのやり取りをしています。今は、教会の方ばかりでなく幼友達や昔の級友とその輪が広がりました。足腰の衰えたものには最適ですね。今では、主人と「つのぶえジャーナル」のことで話しがはずむようにもなりました。どうぞ健康に注意し、大変でしょうが、楽しみにしている私たちのためにも、頑張ってください。
                   埼玉県  k・kさん
 
 私は78歳ですが、10年前に帯状疱疹後神経痛になり今も痛みと戦っています。失礼ですが、貴兄も同じ病であると息子に聞きました。何か親しみがもてまして、息子にたのんでメールを差し上げました。この痛みは、格別ですね。季節や気温・低気圧には敏感で、毎日の新聞は先ずはじめに天気予報欄から見ています。治療法はないと言われ愕然としましたが、10年も経ちますと、変なもので痛みが当り前になってしまいます。一番辛いのは、気力の減退、本当に何もしたくなくなり、じっと下を向いている自分が嫌です。おじちゃんは何時も下ばかり向いているねと、孫に言われてはっとなります。
 これからいやな梅雨の時期になりますが、お互いに頑張りましょう。お大事に。
                    静岡県  k・Tさん
 
 兵庫県のN・Nさんのフラワーショップを始められたこと、喫茶店をなさっている東京都のM・Sさんのお便りを読ませていただき、私たちと同じ動機でなさっていることを知り、お仲間入りをさせていただくつもりでメールいたしました。私たちの場合も喫茶店です。主人は学生時代に通った喫茶店はクラッシック音楽ばかりのお店で、コーヒー一杯で何時間も音楽を聴き、好きな本を読んだ思い出を実現したいと言い出しました。周りの人や友人は大切な退職金をそんな夢の実現みたいなものに使うなんてもったいないとか親切にお声を掛けてくださいましたが、それはそれ、夢は夢で実現しなければ意味がないと始めました。それまで買いためておいたレコードを楽しそうにまわしています。そんな白髪で少し薄くなった主人の姿を見て、これから何年続けられるか分かりませんが幸せに老後を過ごしています。身だしなみもお勤め時代よりお洒落になりましたのよ。
                    宮城県  K・Kさん
 『ありがとうございます』
 0050b195.jpg梅雨入り宣言してから雨がなく、各地で渇水対策が検討されているとか。どうしたことか近くの庭に秋の花の萩が咲いていましたとお便りの中にありました。季節を伝えるのは女子高生の制服ぐらいになってしまった名古屋です。
今月号の写真も、桒原廣子さん(日キ教団金城教会員・CBC「キリストへの時間」アナウンサー)、門馬 亨さん(犬山教会)、匿名の方のものを使わせていただきました。感謝です。
 
       ****************
 
『つのぶえジャーナル』のための献金者
 今井謙吾様 三神豊彦様
 
 郵便振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社
 
『クリスチャン音楽家を支える会』のための献金者
犬山教会兄弟会様 馬場暁美様 匿名様
 
便振替口座番号 00870-2-92464 クリスチャン音楽家を支える会
 
 アダはヤバルを産んだ。彼は天幕に住んで、家畜を飼う者の先祖となった。その弟の名はユバルといった。彼は琴や笛を執るすべての者の先祖となった(創世記4:20~21)。
09年6月20日現在 編集・発行人 長村秀勝
   今月のことば
 
 「よくよくあなたに言っておく。だれでも、水と霊とから生まれなければ、神の国にはいることはできない。」(ヨハネ3:5)825484db.jpg
 
 このみ言葉は高齢のニコデモに語られた主イエスのお言葉です。人は、年齢・性別に関係なく、どのように生きるべきか、幸いとは何かを考えています。ニコデモの生涯も、この謎とも言うべきものを心に抱きながら、歩んできた人物です。おそらく、そのために努力を惜しまず、日々努めてきた人物でした。彼は、ユダヤ人の指導者です。その強い願いは「神の国に入るために、何が必要かを考え続けています。
 ニコデモはイエスに尋ねました。その答えが「よくよくあなたに言っておく。だれでも、水と霊とから生まれなければ、神の国にはいることはできない。」でした。イエスはニコデモに、「第二の誕生、新しい誕生、聖霊からの誕生だけが、新しい国に入れるのだ」、と語りかけました。これは、ニコデモだけに限ったことではありません。私たち一人一人に語りかける招きの言葉です。
 イエスを夜訪問したニコデモへのお言葉は、ニコデモに希望を与えたでしょうか?神の国に入るためにニコデモは、「ユダヤ人の指導者」という名誉ある称号を得るために努力に努力を重ねてきましたが、心の中には喜びと確信は得られなかったようです。もっともっと努力するために何が必要なのかをイエスに問うたのです。
 新しく生まれなければ・・・・、私たちが、真に求めなければならないものは、この「水と霊とから生まれる」第二の誕生なのです。
 すべての老人たち・悲しみ悩む人々、望みを探している若者たちが、生きる希望をどこに求めていますか。
 イエス・キリストを捜し求めること以外にありません。イエスのみが、ニコデモに示したように、私たちにも「真の道」を示してくださいます。
  
 49e06aeb.jpg  小閑記
   
「伝 道」    
  
パウロの使命・役割は、「他人の土台の上に建てることをしないで、キリストの御名がまだ唱えられていない所に福音を宣べ伝えることにあった」のです。ある人は言うでしょう。他人の建てた教会で働いて、なぜ悪いのかと。しかし、これは、そういう議論の問題ではありません。伝道者の謙遜と神のみ業に対する動かない信頼がこういう決意をさせるのであります。
 
 誰でも、宣べ伝えたことのない土地に行って福音を語りたいと言うのは、すべての伝道者が心ひそかに期していることでしょう。外国伝道が、教会の生命のようになったのは、その決意のためであります。それは、自分のやり方で、誰にも煩わされないで伝道したいというよりは、この福音は、一刻も早く、あらゆる人に伝えねばならないという、恵みによる責任からなのであります。
 
 他人の土台の上に建てるという言葉の中で大事なのは、「建てる」ということであります。建てるというのは、具体的には教会のことでありましょう。伝道というのは、最後には、教会を建てることであります。それほどに、教会が信仰生活に結びついていることを知っていなけれなりません。しかし、教会とは、何を指すのでしょう。会堂というのでないことは明らかです。
 
 それは「神の宮」であります。神を拝む場所であります。それは、いうまでもなく場所も必要です。しかし、神を拝む場所は、神を礼拝する生活がなければ、その他のことがどんなに整っていても、仕方がないことです。そういう信仰が有り、その信仰に基づいて神を拝み、神の栄光のために生きる生活がなければ、この場所は造られません。
 
 伝道は、それを造ることが目的であると言っても、無理でないことがお分かりになると思います。新しいエルサレムを造ることであると説明した人がありましたが、正しい言い方でありましょう。
 
 それで、そういう所では、キリストの御名が唱えられているはずであります。キリストの名を唱えるということを、お念仏を唱えるように思う人があるかも知れません。そうではなくて、キリストの御名が宣べ伝えられて、崇められることであります。
 
 キリスト者は、主の御名を呼ぶものと言われました。どんな時にも、主の御名を呼ぶのです。喜びの時にも、悲しみの時にもよぶのです。それは助け主を求めるだけでなく、感謝するためであり、拝むためなのであります。
       (ローマ15:14~21)
 竹森満佐一著 講解説教「ローマ人への手紙」(日本基督教団出版部) 
 
 
                上河原立雄撰 
 
これらの文章の転載は許可を得ております。    
 
眸
眸(ひとみ)
……。子供たちもわたたちから独立し、主人の長年の夢であった小さな喫茶店を開店して、6年目になりました。趣味で集めたコーヒーカップ、何でも自分で作らなければ満足しない性格の主人ですから、お店の経営はわたし任せです。停年前の退職で頂いたお金で始めました。
今は、わたしの仲良しグループや主人の友人が立ち寄っては楽しいひと時を味わっています。老後は・・・なんて考えると暗い気持ちになりますが、今は健康が与えられています。3年ほど前に主人は心臓病で入院し、無理は禁物ですよと言われた時、会社勤めでなくて良かったと思いました。体力に合わせたライフスタイルが可能だからです。
わたしは、好きなアロマの趣味と小さな庭で花つくりを楽しみながら、育てたお花をテーブルに飾って楽しんでいます。
時々、お近くにある教会のご婦人たちがお店に来てくださいます。高校までミッションスクールでしたので、聖書のお話が聞こえてくると、その時を思い出します。それで今度はわたしの我がままを主人に聞いてもらって、一緒に教会に行きたいと思っています。その日が近いと思っています。
                    東京都  M・Sさん  
 
 
   わらい
それはきれいなばらいろで、58108b78.jpg
けしつぶよりかちいさくて、
こぼれて土に落ちたとき、
ぱっと花火がはじけるように、
おおきな花がひらくのよ。
 
もしもなみだがこぼれるように、
こんなわらいがこぼれたら、
どんなに、どんなに、きれいでしょう。
 
(金子みすゞ童謡集 わたしと小鳥とすずと)より
 
   77ea1645.jpg 自閉症者のひとりごと
(26)
 
4月16日
部屋で独りになるのが辛くなるので、昼間のミーティングに行きましたが、風邪が治っていないようで、途中で抜けて、帰ってしまいました。このようなことの繰り返しではだめで、体調に合わせた行動ができるようになりたいです。

 
4月24日
カウンセラーと話しましたら、疲れについては、食べることとトイレ以外は眠っていたほうがよいと言われました。疲れるとやることや考えることが悪い方向になってしまうのです。嫌な言葉ですが、寝たきり老人化するのが治療だそうです。どうやらオーバーヒートのようです。
 
5月3日
最近そうなのですが、昨日も自助グループの件で悩み抜いて、今朝も早朝に目が覚めました。頑張って礼拝に出席すれば大丈夫だと思っていたら、だんだん気が重くなってきて、会堂にいられなくなり、帰宅してしまいました。寝たら少し楽になりました。神経が擦り切れるとはこういうことをいうのですね。つくづくわたしって弱いなあ・・・。それがわかっただけで良かったかも。
 
5月8日
ここ1週間ほど3時に目が覚め、じっとしていられなくて4時に近くのコンビニへジュースを買いに行く。一時間かけてジュースを飲み、5時に布団に戻りましたが、眠れない。体がしんどくて仕方ない。そんな事もあって精神科に来ています。少しでも自己管理ができるようになりたい。
 
5月11日
体の具合が悪ければ礼拝を欠席すればよいのにと思うのですが、出かけてしまいます。そうして、わたしの場合、説教を聞いているうちに、どうにもならないくらいくたびれてしまったり、落ち着きを失うのです。もう頭の中がぐちゃぐちゃになるのです。それでも今日は自助グループのチェアパーソンになっていたのと、あるメンバーと大事な話をしたかったので、ミーティングに出ました。とても疲れましたが、用件も済んで、なんとか帰ってこれたので感謝です。
 
5月13日
懸念事項がひとつ減ったせいか、前は3時か4時起きだったのが5時になりました。しかししんどい、寝たいのに眠れない。そんな自分が嫌になります。明日、大学病院に行くため実家にきました。両親が元気そうで良かったです。
                   加納さおり
「地域の人々と共に」 
その1
  …二人静…s-IMG_0012.jpg
      
人にはふと自分を振り返る時があるといわれています。大勢の方々と共にひとりの医療人として歩んできた54年でした。大正7年1月31日、奈良県の小さな村に生まれました。大和茶として知られ、神野山(こうのざん)を遠く眺め、四季を通じて、美しい自然の地でございます。昭和31年に3つの村が合併して出来たところです。人の数も92年には5600人でしたが、今は4400余人と言われている所でございます。
 
父は、奈良師範を卒業後、教師として勤めていました。従兄弟のハルと結婚し、男の子を二人をもうけましたが、血縁の濃いゆえか、二人とも幼くして死亡し、その後に生まれたのが私でございます。父の期待に沿って、医師になることを、こころざすことになりました。それから医療に携わって、54年になりました。
 
山添村の教育では、医学部に入学するのは困難と考え、奈良育英高等学校で医学部入試にむけ勉学にはげむことになりました。幸いにも、努力した甲斐あって、大阪高等女子医学専門学校に合格することが出来たので御座います{現、関西医科大学}
そこで内科医をこころざし、24歳で、伊賀市の岡波総合病院の研修医として、院長宅に下宿しながら、医師としての最初の一歩を歩みだしたのでございます。不思議なことに、奈良育英高等学校で、私は、キリスト教と出会うことになりました。賛美歌、聖書を手渡され、学校の勉強の間を縫って聖書の話に耳をかたむけていたのでございます。
岡波総合病院で勤務する傍ら、私は、院長先生の奥様から女性としての教養を身につけるべく、お花、お茶、料理の手ほどきを受けることになりました。是は後の私の宝物になりました。いわゆる花嫁修業でもございましたから、厳しく伝授されたました。
ある日、奥様に一人呼び出され、”ミツコさん、あなたの鼻をもう少し、たかくしてやりたい。あんたが人並みのべっぴんさんやったらな…と言いながら、一枚の男性の写真を見せられました。それが、夫となる、京一でございます。京一は、伊賀市、大山田村マシノの出身で、旧姓は、森という姓でございます。京一とは、一度の見合いで、すぐ結婚が決まりました。その時代は当り前で、今では考えられないことでございます。
京一は、三重師範を出て、伊勢の二見で教師をしていたました。私は、結婚のため、岡波総合病院を2年で、退職し、伊勢で京太との結婚生活をはじめました。しかし、医師として働きたいという思いは強くなりまして、伊勢にある宇治山田日赤病院に勤務医として勤め始めることになりました。昭和18年のことでございます。
昭和18年といえば、まさに、太平洋戦争の真っ最中でございますから、食料がなく、家で、家畜を飼って、それを伊勢の宇治山田まで送ってもらって、食事を整えて生活しておりました。病院勤務と家事の両立は、当時でも大変厳しく、私は山添村から家事を手伝ってくれる女中さんにきてもらい、助けてもらっていた。しかし、伊勢神宮に近いため、空襲は激しくなり、伊勢での生活は、出来にくなり、私は、子供を身ごもった体で、山添村に帰ることになりました。
夫は、一人でしばらく伊勢にのこることになるのでございます。
(両親と私・昭和6年・奈良市にて)
 
                              森三菜子
世田谷通信 
(66)
猫 草
 
 植物は子どもに似ている・・と花壇の手入れをしていてよく思う。1年前にきれいに咲いていたプリムラ・ポリアンサス。その後、どんなに手入れをしてもなんだか効果があるのかないのか・・もういい、なんてあきらめかけた頃にふとつぼみがいっぱいについているのを見つける。そしてある日、ハッとするほどに美しい花を誇らしげに咲かせるのだ。その潔さ、それまでのしおれかけて頼りない葉っぱだけだった面影はどこにもない。
 子どももそうだ。いつまでも甘えて、ぐずぐず言って、しっかりしてよ!と思うのだが、ある日ふと、えっこれがこの子なの?と思うほどに大人びた所を見せつけられるのだ。それは植物がある日、満開の花をつけるのに似ている。
 a15c854b.jpg一緒の鉢に植えていると、どうしても弱い植物と、やたらに強い植物がある。子どもも同じなのだろうと思う。一緒の教室に入れられて、辛いだろうな、と見ていて思う子どもがいる。子どもはそんなに簡単にはいかないが、植物の場合は、植え替えをしてやれば済む。弱い植物だけ、ちょっと別の地面に肥料を入れて、場所を移ってもらう。するとそこで、また息を吹き返す。植え替えるとき、びっくりするほど根っこが絡み合っていることがある。表面からは見えなかったけど、地面の下では様々なせめぎあいがあったんだね、大変だったね、と声をかけつつ、また子どものことに思いがいく。親や教師が見ていないところで、知らないところで、教室の隅やトイレや階段の陰で、またネットや携帯メールやさまざまな仮想空間の中で、どれほどの思いが錯綜しているのだろうかと。
 立原えりかの作品で「花になりたい?」と問う不思議な女の子が出てくる童話があった。日々に疲れた人が少女の問いに「そうね、花になりたいわ」と答えると、その人は花に変わってしまう。やがて街は美しい花であふれるのでした、というシュールな話である。
 植物と子どもは似ている。しかし決定的に違うところがある。植物は自らの植えられた場所から動けない。だが子どもはその場所を飛び出し、環境を自ら変え、生きる場所を選ぶことができる。何度でも、いつでも、どこにでも行ける。その気持ちさえなくさなければ。
  その愛のゆえに
  =時々の記=
    (39)
 
4月22日 
輝よへる(かがよへる)朝(あした)復活し給いぬ
微笑まし 雑木に混じる 山桜
与(あずかりし)救いと望みイースター。  馬場路哉
主人は、きょうは、村の「出会い」で、道の掃除に出かけました。このごろ、陽気がよくなってきたので、外へ出歩くことが多くなり、俳句が出遅れ、催促しないと提出してくれません。それだけ元気になったということだと思っています。
 
5月1日
ご心配をおかけしています。少しづつ、蕁麻疹が出る箇所が減ってきています。この弱い肉体も、強めていただいておりますこと、心から感謝しています。NHKTVで忍者のことが取り上げられていました。忍者と言えば、やはり上野の町並み、また、上野から、津へ抜ける山道、滋賀へ抜ける山道など、細く険しいものばかりです。山添の道も、いまだに、細く、曲がりくねった道が多いのは、やはり、その影響でしょうか。
母を、先日お見舞いに行ってきました。029a8d65.jpg
大型連休がはじまりました。今年は、近くの山添村のキャンプ施設にあるバーベキュー施設が値段が安いことと、自然の雑木が溢れていることから、お客さんがいっぱいだそうです。皆、都会の雑踏から解放されて、自然の囲まれ、ゆっくりして癒されたいと思うのでしょうね。そんなことを考えると、私たち村人は、自然には十二分に恵まれていますから、感謝しなければだめなのですね。
今朝もある医者が言っていました。人間さいごまで、気力を失ってしまっては、だめだと。気力を失いかけては、また、新しい「つのぶえジャーナル」に接し、消えかけた気力を取り戻す日々です。
 
5月4日
朝空の 高きを速し 初ツバ。
草の戸や 朝夕和む シャガの花
新しき 街路に咲けり 花水木       馬場路哉
今年の草の勢いはまた、すさまじいです。主人は、さっそく草刈機で高く伸びた草を気持ちよく刈ってくれました。去年は、不慣れな私が草刈機を振り回したのを、思い出したいます。
 
5月13日
私は、昨日から少し体調不良です。いつもの癖で、疲れが出るとめまいなどになります。
それでも、何とか家事をこなし、犬たちとの散歩ができますからまだ、たいしたことないほうなのでしょう。
昨夜から雨でしたが、朝には、上がって恵みの雨でした。今年は、暑さがはやく、山添でもお茶刈りがはじまりました。暑すぎて、よいお茶が出来ないと言っていました。農産物は、即気候に左右されますから、大変です。
 
5月14日
今朝は、初夏らしいすがすがしい陽気です。
小じゅ鶏(こじゅけい)の 餌をあさりをる つがいかな
歩きたし 新樹(しんじゅ)の続く 峠道     馬場路哉
 
                    馬場暁美
                  (上野緑ヶ丘教会員)
…キリスト教…
 社会福祉活動のあゆみ(23)
 
 プロテスタントの貧しい人々への救済のあゆみ(1)
 共同基金の規定
 
 プロテスタントの貧しい人々への救済の基本原理を理解するためには、「なぜなら、わたしたちは、人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰によると考えるからです」(ローマ3・28)というプロテスタント神学を念頭に置く必要があるでしょう。従来のキリスト教では、慈善の行為は信徒の義務であり、それは価値のある善き業とされていました。ルター(1483~1546)は、パウロが「ローマの信徒への手紙」の中に、旧約聖書の「ハバクク書」から引用して「しかし、神に従う人は信仰によって生きる」(2・4)という言葉に強く打たれ、ここに救いの確信を得たと言われています。すなわち、人間は善行を積み、その功徳によって救われるのではなく、ただ神の恩寵を信じることによってのみ義とされるという信仰の立場に立ちます。
 ルターから見ると、当時の個人的なキリスト教の慈善は、ただ神を喜ばす善き業として、与える側の宗教的満足の手段であるに過ぎないように思われていました。それでルターは、1520年に公にした「キリスト教会の改善に関してドイツのキリスト者貴族に与える書」で、キリスト教界のあらゆるところから、全ての物乞い・商売が除かれるということは、実際に最も大きな必要の一つであると宣言しました。
 「実際、だれもキリスト者の名の下に物乞い行為をなすべきでない。もし私たちが勇気と真剣さとをそのことに示すなら、そのための制度が容易に作られることだろう。すなわち、全ての都市は、その町の貧しい人々を世話するが、他の地方の如何なる物乞いをも、それが巡礼者であっても、あるいは托鉢修道会に属するものであっても、彼らが望むようにどのように喜ばれようとも、世話しないことである。たしかに、全ての都市は、その町の貧しい人々を扶養することが出来るはずだ。・・・そこで、全ての貧民を知ると共に、その貧民にとって必要であるに違いないものを、市の参事会員かあるいは主任司祭かに報告する管理人か、または後見人がここにいなければならない」(ルター著作集第一集・第2巻)と説いています。
 ルターは自分のこうした考えを実行に移すために、1523年「共同募金の規定」を著して、次のように訴えました。
 「物乞いは厳重に禁止すべきであり、老齢、虚弱の者以外は働かなければならない。その教区に属さない物乞いは留まることを許さない。正直に手工業、あたは農場に従事する貧困な戸主には、もし他に何らかの援助も求めることが出来なければ、無利息で共同基金から資金を貸与すべきである。
 45a1dd9c.jpgまた、もしこの補助金を事実返済することができない時は、返済の必要がなく、与えられるべきである。基金の収入は教会領地の収入、自由寄付、またもし必要があれば、居住市民への課税及び旅職人に対する少額の人頭税からなる。その管理は選出された10名の委員に任せなければならない」。その10名の選出については、「それで、神の恵みにより、真のキリスト教信仰における協力のもとに、教会全体から例外なく適任である10名の共同基金後見人、あるいは執事が選ばれなければならない。すなわち、それは2人の貴族、市参事会から2人、市の市民から3人、農民から3人である。
 こうして選ばれた10名は、直ちにこの管理と後見の責任を神の共同の福祉のために、喜んで引き受け、また負わなければならない。善きキリスト教的良心をもって、個人的な好意、妬み、利益、恐れ、またはその他の相応しくない口実などに関らず最善を尽くし、この今書き記されている私たちの規定の内容、管理、収入と支出を忠実にまた安全に処理する責任があり、義務がある」と(ルター著作集・第一集・第5巻)。
 
 しかし、「共同基金の規定」の提案は、残念ながら実際には余り成功ではなかったのでした。「原則は非常に立派であったけれども、実際の運用にあたってはそれの僅かしか実現しなかった」(アリス・サロモン著・社会福祉事業入門)と、「共同基金の規定」の目的は達成されなかったことを説明しています。
 市の議会は、それまで自分たちで扱ってきた多くのことを、共同基金の管理委員会に委ねることを渋ったし、そして選帝侯の承認なしには実行できないと主張したからでした。ただ、フランス、オーストリア、スカンジナビア諸国の各都市には、ルターの提案に類した計画を発展させ、困窮者、病人、身体障害者及び孤児に対する救済基金の徴収と配分の責任を負うようになった都市もありました。しかしながら、貧しい人々の救済管理の主要な役割をえんじていたのは依然として教会当局でした。
 あなたに聖書を
 
  篠田 潔
 
 聖書の中に「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい」という勧めの言葉があります。こういう言葉を聞きますと、「そういうことが出来れば良いとは思うが、とても出来そうもないなあ」というのが、先ず大方の反応ではないかと思います。
 
 と申しますのは、わたしたちの人生には、悲しい時や悩んでいる時もあるのですから、そう「いつも喜びなさい」というのは、それは無理なことではないか、と思うわけです。また「どんなことにも感謝しなさい」と言われても、感謝できないこともあるのですから「おっしゃるようには参りません」というのが私共の事実であります。まして「絶えず祈りなさい」なんてことは、「とても出来ません」としか言えません。そうなると、聖書の言葉は、結局、人間が頑張っても出来そうもないことを勧めているのかということになります。42248d8b.jpg
 
 この言葉はパウロという人物がテサロニケという町にいるキリスト信徒に宛てて書いた手紙の中に出てくる言葉でありますが、それに続けて「これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです」と述べています。この「キリスト・イエスにおいて」というのはどういうことかと言いますと、キリストを知ると言うことは、神様がいつも共にいてくださると言うことが分かることなのですね。
 
 喜んでいる時も、悲しんでいる時も、悩んでいる時も、また絶望している時も、死ぬことを恐れている時も、自分独りではなく、神様が共にいて下さることが分かれば、それは喜んで良いことであり、感謝すべきことであり、また祈ることが出来ることではないか、ということなのです。
 
 つまり、自分の思い煩いの全てを委ねることが出来る方がおられるかということであります。キリスト・イエスを知ると言うことは、そういうことが分かり、またできる理由であり、秘訣でもある、というのが聖書が告げていることであります。
(参照聖句・テサロニケの信徒への手紙一 5:16~8)
(電話によるメッセージより・日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
 
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書籍紹介
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エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

「本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

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教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
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「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

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「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
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「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
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われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

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さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

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