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2023年7月号  №193 号 通巻877号
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s-IMG_0011.jpg 「ローマ人への手紙」研究 (55)
 第38課 異邦人の召命とユダヤ人の拒否
       9章1~11章36節(続)
A 神がユダヤ人を退け、異邦人を召されることは神の約束と矛盾するものではない。
       9章1~24節(続)
 「その愛顧を与えることにおいて、神は絶対的主権をもっておられる」
       9章6~24節 (続)
 
しかし、神は堕落した全人類の中から、主権的にある者たちをー全ての者ではなく、ある者たちをー永遠の生命にお選びになったのです。しかし、それは、その者たちがそれに価し、それを受ける資格があったからではなく、神の価なしに与えた下さるあわれみと愛が彼らに注がれたからです。
 さて、反対者たちはさらに、「神は不正である。もし神がある者たちを救うためであれば、全ての者を救わねばならないのだというのです。神はある者には価なしに賜物として救いを与え、他の者たちを罪の中に滅びるままに放置して置く権限はないのだ」と主張します。 
 
 しかし、反対者たちは「神は他の者たちに与えないものを、或る者に与える権限を持ってはおられない」という考えをどこから引き出すのでしょうか。人間でさえもそのような原理に立っては行動はしていない。もし、私たちが飢えている人々に100円硬貨を与えて食物を買いなさいと言う時、世界の全ての飢えている人々に同じお金を上げないから不正で不公平であると言われるのでしょうか。
 なぜ、神はある者に対してなさったことを、他の全ての人々に対してもしなければならない義務があるのでしょうか。聖書に照らしても、また理性に照らしても、そのような主張が成立するはずはないのです。この反対論は悪魔より来る論理であり、悪魔が人間をそそのかして神の正義を疑わせようとしているのに外なりません。
 
 確かに聖書は、ある者に恵みを与え、他の者にはお与えにならないということにおいて、神は全人間を平等には扱われないことを教えています。しかし、それは不正でも不公平でもないのです。なぜならば、神は人間に対して何一つ負い目を持ってはおられませんし、彼らに価するように以外には、彼らを罰することはできないからです。 
 
 J.G.ヴォス著
 玉木  鎮訳
 (日本キリスト改革派引退教師)
 
 
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  祈 り
 
恵みにみちた神、主に栄光あれ。あなたはふたたび闇から光を出し、朝をもう一度あらわしてくださいました。あなたが、わたしに健康と活気をあたえて、新しい日の勤めとわざにつかわしてくださることを感謝いたします。太陽のかがやく時のあいだ、わたしとともの歩んで、すべての悪の道から守ってください。そうすれば夜になったとき、わたしは恥じのために頭をかくさずにすむのです。
 
 恵みをもってわたしを僕として召された主よ、わたしはこの日、あなたのどんな小さなご命令にも従いたく願います。あなたのきよいみ心をかけめなく満たすために、修練を怠らないような精神をお与え下さい。
 
  わたしが心の刃先をとぎすますことができますように。
  わたしがすなおな、真実な思いをもつことができますように。
  わたしが感情を制御することができますように。
  わたしがつよい意志をもつことができますように。
  わたしが調和のとれた、健康なからだをもつことができますように。
  ご自身をおつかわしになった方のみこころをおこなうことを食物とされら主を、わたしが覚えることができますように。
ぶどう園の主よ。わたしは、さまざまな召命にしたがって熱心に忠実にあなたに仕えよう
と願っているすべての人びとのために祈ります。かれらはそれぞれに分け与えられたこの
世の重荷を負い、単純な、正しい心をもって一日の努めに立ち向かおうとしています。
 
0445b622.jpg    家畜の群を飼い、土をたがやすすべての人びとのために
    工場や鉱山にはたらく人びとのために
    市場で売り買いする人びとのために
    頭脳を用いて働く人びとのために
    ペンをもって働く人びとのために
    家族の世話をする人びとのために
    主よ、わたしは祈ります。
 
      あ なたの大いなるあわれみによって、わたしたち、ひとりびとりにおそいかかるこころ
みから救い、永遠の生命を与えてください。聖なる十字架の力によって。  アーメン
 J.ベイリー著
「朝の祈り 夜の祈り」より
松田重雄が観た「切支丹燈籠の世界」(16)
 
 「切支丹灯籠への思い」(15)IMG_0006.jpg
 
 「あなた方に言うが、もしこの人たちが黙れば、石が叫ぶであろう」(ルカ19:40)
 
 神は「光あれ」と言われた。すると光があった。(創世記1:3)
 
 人は何かを守る時に、そのものを奥深いところや人目の届かないところを選びます。それとは反対に、人目の付くころに形を変えて守る方法もあります。「地蔵信仰に習合」して守る方法もありました。広々とした平野、田圃の真ん中にこんもりとした大きな森がつい50年程前には見慣れた日本の風景でした。そこには村や集落のお寺がありました。
潜伏信徒たちがこのような森の墓地に目をつけたことは、ごく自然なことです。そこには必ず一基や二基の燈籠がありました。彼らは仏教徒を装って、静に、密かに礼拝する地として選んだのです。外形は普通の燈籠と変りません。宝珠・笠・火袋なども備わっていました。しかし、どことなく違ったものがありました。文様がなかったり、尊像はあるが、ガウン姿であったり、足の向きが左右に開いていたりという目立たない相違点を燈籠にほどこしているのがあります。
また町や村から離れたところは格好の礼拝場所でもありました。ある切支丹燈籠は、尊像の下半身を土中に埋め、さながら地蔵尊のように見立てたものもあります。村人と共にこの地の地蔵信仰の対象IMG_0005.jpg物のように守ってきたが潜伏信徒には切支丹燈籠だったのです。この様か形で信仰を守るしか術のなかった彼らとって「地蔵信仰に習合」することも命懸けであったことと想像されます。
このようなことは、イエズス会の神父たちによって洗礼を受けた肥前、備後の地で禁制下の信徒の信仰の姿であったことが、数少ない史料としてみることができます。
 
 
=記= 
主な文章は、松田重雄著の「切支丹燈籠の謎・研究」(同信社)からの引用です。また、ご子息の松田章義氏の賛同をいただいております。またインターネットで人吉市の市史を調べるのも面白いでしょう。
 
「契約の継承」(60)
第8章 村人と村の生活
 神の契約にそって生き、教える(5)ff9c828f.jpg
村人と村の生活
 
生徒というもの(2)
 そこでパッカーは私たちがピューリタンの成熟さから学ぶことのできるいくつかの教訓をべています。これらのものは、私たちの生徒たちに教えることのできる成熟の指標です。
 
 第一に彼らの日常の生活にみられる統一性の点で、私たちにとって学ぶ
べき点があります。彼らのキリスト教は包括的なものでしたので、彼らの
生活は首尾一貫していました。彼らに関する限り森羅万象は聖なるもので、
どんな種類の活動もみな清められなければならないものでした。すなわち、
神の栄光のためになされなければなりませんでした。
 第二に霊的経験の質という点で、私たちが学ぶべきことがあります。ピ
ューリタンがおこなった神との交わりにおいては、イエス・キリストが中
心にあったため、聖書は至高のものでした……ピューリタンの聖書の黙想
は、ピューリタンの説教をモデルとしていました。黙想において、ピュー
リタンは、自分の心を探り、心に挑戦し、罪を憎み義を愛するよう心を揺
り動かし、自分自身を神の御約束で励ますのでした。……
 第三に効果的な行いへの情熱の点で、私たちが学ぶべき点があります。
……彼らは純粋な改革派の特性をもった行動の人たちでした。すなわち、
自分に少しも頼ることなく、ただ聖戦に参加する活動家たちであり、彼ら
のうちに、彼らを通して働いてくださる神に全くより頼んで、神のために
働く働き人であり、振り返って、正しいことであったと思われることをし
たことに対し、常に神に栄光を帰す人たちであり、自分の誉れのためでな
く、神の誉れのために、彼らの力を神がお用いになられることを切に祈り
求めていた人たちでした。
 第四に堅固な家族のための彼らのプログラムという点で、私たちの学ぶ
べきことがあります。……ピューリタンの結婚倫理は、一時の情熱や感情
で、愛するパートナーを探すのではなく、人生の最良の友として、しっか
り愛することができる人を見つけることでした。そして、ただそれをする
ように神の助けを得て歩むことでした。ピューリタンの養育の倫理は、子
どもたちに彼らがゆくべき道に沿って育て、子どもたちの心身を共に配慮
し、彼らを節度があり、信仰的で、社会的に有益な大人の生き方をするよ
うに教育することでした。……
 第五に人間の価値の意識から学ぶべき教えがあります。大いなる神を信
じることを通して……彼らは道徳の問題や、人間の魂や、その永遠性につ
いての尊さに生き生きした感性を得るのです。……
 第六にピューリタンの教会の復興という理念から学ぶべき課題がありま
す。……「復興」という言葉を彼らは使ってはおらず、ただ、「改革」ある
いは「改革する」という言葉だけを使っていました。この種の改革の要点
は、神の真理を理解することが豊かになることであり、神への思いの高揚
であり、献身の思いの増進、より多くの愛、喜び、各個人の召命と生活に
おいてキリスト者の目的強化にありました。教会に対する理想というのは
……各個教会のすべての会員たちがが「改革される」べきであるというこ
と、つまり私たちが信仰復興と呼ばれる段階にまで、混乱することなく、
神の恵みによって到達すること、真実に十分な回心であること、神学的に
は正統で健全であること、霊的には目を覚まし、期待をもっていて、性格
の点では賢く堅実で、倫理的には進取的気性に富み、従順であり、そして
謙虚であるが、彼らの救いの確かさに喜びを持って確信している。……と
いうふうにでした。
注二J.I.パッカー著『信心深さを求めて…キリスト者生活へのピューリタンのヴィジョン』
(ホィートン・イリノイ・クロスウエイブックス1990)23~27頁。
 
 
スーザン・ハント著
WIC委員会訳
 
 
 
「みんなでわいわい・ご意見コーナー」
 
s-200905061141000.jpg お久しぶりです!「つのぶえジャーナル」毎回、楽しく拝見しています。
私はぼちぼちやっています。ほんの少し前は桜の5分咲きだの、満開だのと言っていたと思ったら、もうすっかり葉桜になり、今はサツキ ツツジでしょうか? 季節の移り変わりの速さを感じるのは私だけ?年のせいでしょうか? 孫も元気に育っている様ですよ。週2日べピーシッターに来て貰って、中国語で絵本を読んでもらったり、遊んでもらったりして、言葉を理解しているそうです。ママも家庭教師を就けてマスターしている様ですが、孫の方が早くマスターしそうで(負けていられないわ)なんて言ってます。毎日メールや動画や写真を送信してくれ、嫁は気を使ってくれてます。嫁と姑は離れている方が仲良しでいられるかもね!! メールで言いたい事言い合っています。息子もシンガポールや香港、中国国内の出張が多く留守を守ってくれ、親に頼らず3人で、頑張って暮らしているようです。異国から応援メールだけしてます。・・・。
                     愛知県 T・Sさん
 
 
風薫5月の気持ちよい風に乗って、「つのぶえジャーナル」5月号が届きました。今月は、早く届けてくれました。とても、うれしく早速読ませて頂きました。その中で、「地域リポート」の方が、ひとは許してくれないが、イエス様が許してくださっている幸いを伝えてくれました。ほんとうに私も、よくそのように思いのです。また、「世田谷通信」を読んでいると、胸が痛みます。私も、なかなか子供たちに、静かに授業を受けてもらえず、悩んだ教師の一人です。特別、先生が悪いわけでも、生徒が悪いわけでもなく、どこか、歯車を狂わせてしまったのでしょう。
修復するには、なかなか大変でした。何も出来ない自分に苛立ちましたが、祈って、子供たちに接したとき、元の子供たちに戻ってくれたのですが、それは、昔の話。今は、とても、教育現場は厳しい状況だと知人が言っていました。6年生がよい学校は、いい学校。そうかもしれません。皆をリードしてくれるのですから。
是非、この一年が、子供たちにとっても、先生にとっても、よき思い出の残る年となりますようにとお祈ります。
                     奈良県 B・Aさん
(白やまぶきと、今ごろ色づいているポインセチアです。匿名さん)
 
 『ありがとうございます』
 
 わたしの仕事場は、一般住宅街にあり静です。丹精込めたお庭や花の鉢植えを観るのが楽しみです。同じ季節でありながら、それぞれのお庭の花や鉢植えには、個性・好みがあるようでお人柄を思い浮かべることが有ります。お顔を拝見した時には、黙礼して通り過ぎます。自分の好きな花があると嬉しくなります。おじぎそう、やぐるまそう、おだまきなどを発見した時は、こころがうきうきします。
 そのような恵みを頂きながら、「つのぶえジャーナル」創りをしています。s-ismfileget.jpg
今月号の写真も、桒原廣子さん(日キ教団金城教会員・CBC「キリストへの時間」アナウンサー)、門馬 亨さん(犬山教会)、匿名さんのものを使わせていただきました。感謝です。
先日、名古屋市内のギャラリーで桒原さんご夫妻が出品されている写真展に行ってきました。「つのぶえジャーナル」に掲載されている作品もありました。PCの方は拡大でご覧下さい。
(越冬して一株だけ咲いたクンシランです。匿名さん)
       ****************
 
『つのぶえジャーナル』のための献金者
岩月宣男様 匿名様
 
 郵便振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社
 
『クリスチャン音楽家を支える会』のための献金者
犬山教会兄弟会様 匿名様
 
便振替口座番号 00870-2-92464 クリスチャン音楽家を支える会
 
 アダはヤバルを産んだ。彼は天幕に住んで、家畜を飼う者の先祖となった。その弟の名はユバルといった。彼は琴や笛を執るすべての者の先祖となった(創世記4:20~21)。
09年5月20日現在 編集・発行人 長村秀勝
   今月のことば
 
主よ、わたしはあなたに感謝します。あなたは、さきにわたしにむかって怒られたが、その怒りはやんで、わたしを慰められたからです。  イザヤ12・1
 
 わたしたちの神は、常に愛とあわれみの主であると考えることは、必ずしも良いとは言えません。わたしたちは、たやすく自分を危惧することを止め、神が焼き尽くさずにはおかぬ火であられることを忘れます。神は聖であって、怒られることを知る時、わたしたちは自分がどのようにあわれな、全く失われた者であるかを悟るのです。そして、神がわたしたちをお打ちにならなければ、わたしたちをおいやしにはなれないのです。主は傷つけ、またいやし、主は殺し、また生かしたもうものです。
 
 
 イエスの名を呼ぶこと
 
イエスの名を呼ぶこと
イエスの像を心に描くこと
イエスについて人に述べること
出来るかぎり人をゆるし人にやさしくし59ea8516.jpg
素直な瞳をもちつづけること
そういうことを趣味にしたい
結局いつもそこへ考えが落ちてゆくようにしたい
ものの尺度がそこへ落ちゆくようにしたい
イエスに近づくために
最後の一銭を支払うことが出来るようになりたい
 
 信仰詩集「貧しき信徒」 八木重吉
 
  
 
   小閑記
       
  「テモテ」
 
 テモテと言えば、弱々しいような感じのする若い人と思われがちです。しかしテモテへの第一の手紙6章11節を見ると、ここでは、「神の人」と呼ばれています。人間が本当に強いとか強くないとか、偉いとか偉くないとかいうことは、その人の経験やその人の歳によるのではありません。それは、神によって生きているかどうかということによるのです。ef413260.jpg
 世の中でもてはやされている偉い人もいるでしょう。しかし、そういう人であっても、もし、本当に神によって生きている人がその前に出て来たならば、それは、非常にひけ目を感じるに違いないのです。自分がその人の前には、如何にも力ない者のように思うに違いありません。したがって、「神の人」という言葉は、いろいろな意味がありますが、われわれもまた、信仰生活をしている限り、「神の人」になる必要があるのです。
 神に属している者、神から救われた者、神にあわれまれております者、神の恵みを受けております者、神の保護を何時までも受けております者、そういう人間にならなければならないことは言うまでもありません。
 
 テモテは、パウロに比べますと、今申しましたように、そんなに偉い人ではありません。しかし、この人も、そういう意味では「神の人」であって、年若い時から人に軽蔑されないで伝道していくことが出来たのであります。後から2章19節以下を読みましたが、その中でテモテの「練達振り」が記されています。テモテが練達していると言うことは、どういうことかと言いますと、「あなたがたも知っているとおりである。すなわち、子が父に対するようにして、わたしと一緒に福音に仕えてきたのである」(ピリピ2:22)、ということだったのです。
 「練達」ということは、普通には人格が鍛えられ、少しぐらいのことには負けないような、鍛錬された人のように思いますが、パウロは、そうは申しません。この人の練達振りというのは、「わたしと一緒に福音に仕えてきた」(22)こと、と言い、20節には「テモテのような心で、親身になってあなたがたのことを心配している者は、ほかにひとりもない」と書いています。
 ここでテモテが練達しているということの意味が分かるのです。つまり、ただキリスト・イエスのことを考え、そして、パウロと一緒に福音に仕える。これが、この人が練達していると言うことなのです。もしただ練達と言うことが、人間が鍛えられると言うことなら、若い時には難しいでしょうし、いろいろと修業しなければならないでしょう。しかし、キリスト・イエスのことだけを考え、伝道に励んで、福音に仕えるということであるとすれば、われわれも練達した信者にならなければいけないはずであります。
 自分の置かれた立場で、この二つのことによって生きようとすれば、だれでも練達した信仰を持つことができるに違いありません。テモテはそういう意味で、本当に練達した人であったと言われるのであります。
 テモテという名前は、子供の時につけられたものであって、後からつけたものではないでしょうが、それは、神を崇める、すなわち、神を拝む、という意味です。
 
 竹森満佐一著 講解説教「ピリピ人への手紙」(日本基督教団出版部) 
 
  
                上河原立雄撰 
 
これらの文章の転載は許可を得ております。    
 
眸
眸(ひとみ)
山々の残り雪も日に日に小さくなってきました。5月のはじめには、薄紅色のリンゴの花が咲きます。「つのぶえジャーナル」をご覧の皆さん、是非PCで「リンゴの花」で検索して梅や桜とは趣の違いを楽しんでください。私たちのこれからは「多忙」そのものの毎日ですが、忙しいのは私たちだけではありません。小鳥たちも子育ての時でしょうか、忙しそうに餌を運んでいます。1576d39b.jpg
 
私の願いは、化学肥料は極力控えたリンゴを、「マイリンゴ」として似顔絵シールを貼ったものをお届けすることです。忙しくなりましても、礼拝の時間には家族で出かけます。今は大きくなりましたが、子供がまだ小さい時、「大草原の小さな家」の家族みたいだねとはしゃいでいました。その子供たちもよく手伝ってくれます。
 
どうしても行けない時は先生の説教と教会の方々の声を入れたテープを届けてくれますので、家族で聞いています。天候と価格の変動で経営は苦しいですが、神様からの自然の恵みを家族で感じ取れますので、この仕事を誇りに思っています。……。
                     福島県 S・Kさん 
 
  そうではない
歩むのは私ひとり
そうではない そうではない
私の弱さを知っておられる
主イエスが共に歩みたもう
 
悩むのは私ひとり
そうではない そうではない
私の弱さを知っておられる
主イエスが共に悩みたもう
 
祈るのは私ひとり
そうではない そうではない
私の願いを知っておられる
主イエスが共に祈りたもう
 
 
水野源三第四詩集「み国をめざして」
 
 
 2c045ae3.jpg   自閉症者のひとりごと
(25)
 
3月17日
わたしは、薬と機械で何とか生きているのです。病院が混んでいても受診するのはそのためです。食事をして帰ってきたら2時でした。バタンキューで起きたら5時過ぎでした。人と脳の働き方が違うというのは、辛いことです。脳に休みを与えないと、体がおかしくなっています。皆ができることが、ほとんど出来ないのですから。ミーティング行きたいなあぁ。でも動けない。
 
3月19日
なるべく昼寝するようにしています。でないと、夜まで持たないからです。今日は1Fのエントランスとごみ集積所の掃除当番です。ミーティングの司会もあるので、溜め息をついています。
 
3月24日
行き詰まってます。何が原因なのかわかりません。先ほどのことすら忘れるほど、記憶が消えていきます。何なのだろうこの現象は・・・。施設に行って、一時間ほどガスの部品をつける作業をしてきました。疲れました。腰も痛くて、昼寝をしました。何を話したとか聞いたとか、何を食べたとか、書類の内容とか、何月何日とかがわからず認知症みたいな症状です。
 
3月27日
今日はやる気が起こらなくて、ずっと家の中に閉じ籠りです。季節の変わり目はしんどいです。訳のわからない疲労を感じ、一日中寝ています。それができる環境があって、感謝しています。昨日、自助グループの人と話して、わたしの所属するグループが歪になっていることがわかり、いろいろなミーティングハンドブックがあることをしり、来週借りることになりました。少し楽になりました。でも行き詰まりは相変わらずです。
 
4月6日
会場の静岡の山の上は、寒かったです。食堂からは満開の桜が見えて、まさにお花見ミーティングでした。数十人が全国から集まるイベントでした。和気あいあいとして、わたしにはあっていました。女性も多く、女性だけのミーティングに出ました。みんな環境は違うものの、共感できるところもあったようで、笑いの多いミーティングでした。わたしも緊張せずに済みました。腰痛が続いていたので、一足はやく帰りました。荷物を増やしたくなかったので、土産は買いませんでした。
 たまにはこういうイベントに参加するのも悪くないなと思いました。
 
                 加納さおり
 
世田谷通信 
(65)
猫 草
 
 長男は6年生になる。校長先生は「6年生がいい学校は良い学校だ」と常々言っておられる。学校の代表として最高学年の責任感を持たせる意図なのだろうが、現実はなかなか厳しい状況にある。5年生の時のクラスがいわゆる「学級崩壊」したからだ。時折耳にする言葉だが、まさか自分の子供のクラスがそんなことになるとは思っていなかった。1,2年生の時は騒々しくてもまあ幼稚園の延長みたいなかわいらしさがあった。3,4年生のやんちゃぶりも、子供らしいほほえましさを残していた。親も先生も、「まあ子供だからはしゃぐのは仕方ないか」と容認していた部分がある。 7de2d41d.jpg
ところが、5年生になるとどうも様子が違うのである。反抗的な言葉も態度も先鋭化して、先生の心をえぐるものになる。最初は一人がやっていた反抗が、どんどんエスカレートして、とても先生に向けた言葉ではない罵倒が子供たちの口から飛び出す。そして子供同士のケンカやちょっとしたぶつかり合いも体が大きく力が強い分、双方にダメージがあってやれ救急車だ!病院だ!と大ごとになる。毎日のようにケガだ、喧嘩だ、授業中に誰かが教室を出て行った、見かねた校長先生が教室に来て怒鳴った・・みるみるうちに、クラスが騒然となっていく。授業が成立しない。落ち着いた時間が持てない。先生の声も指示も全く届かない。
気になってクラスを見に行くと、あちこちから勝手な声があがり、みんな好き勝手なことをやっている。中には大人しい子もいる。しかしそういう子は奔流の中の石のような状態だ。たまに「おい、静かにしろよ!」という子がいても「てめえの声がうるせえんだよ」「なんだと?」と火に油。いつも(ぐわーん)という騒音が教室に満ちている。一見して「あ、こりゃだめだ」というかんじである。
学校も親たちも何もしなかったわけではない、補助の先生をつけたり、保護者会があったり、交代で様子を見に行ったり。しかし対策の効果はみられないまま1年がすぎた。
この春、クラス替えが行われ、担任陣が発表になった。6年担任は全員体格の良い男性教師。とりあえず体格では負けないぞ、という威圧感はいっぱいだが・・さて「6年がいい学校は、良い学校」になれるだろうか。
  その愛のゆえに
  =時々の記=
   (38)
 
3月20日
今朝は、ちょうど、散歩に行こうとしていると、春の大雨が降ってきました。散歩をどうしようかと、迷っていると、犬たちが、何で、これくらいの雨で、ぐずぐずしているの?さあ行こう、と引っ張ってくれました。でも、やはり、すごい雨でした。バケツをひっくり返したような激しさでした。いつもの散歩コースを終えて無事に、帰ることができましたが、ずぶぬれになった犬たちと私でした。昨日、例年より2週間も早くツバメがやってきまして、去年作った巣で、昨日、例年より2週間も早く、ツバメが我が家にやってきました。遠いところから、よく無事にやってきてくれたね、と声をかけると、去年と同じ巣に入って、休んでいました。にぎやかな囀りがけさも聞こえてきます。ツバメさん、よく遠いところから、無事に戻ってくることができたね。しばらく、また、仲良くしようね。
梅林を くぐりて来たる 郵便夫
父が子を遊ばす 園や 花ミモザ
苦しみに 意味あると聞く 受難週   馬場路哉
 
4月2日
今年の新年度の幕開けは、いつもより、すがすがしくありません。多くの方が今までの職を失い、また、新しく採用される方は、内定を取り消されたりと、あまりにも暗く、悲しい4月です。でも、自然は、裏切ることなく、春を迎えています。昨日、山添の公園へ、ちょっとしたお掃除にでかけました(トイレ、ごみひろい)。すると、5分咲きの桜が、ようこそと満面の笑みをうかべるように、風に吹かれて迎えてくれました。春なんだ!と実感した一瞬でした。
s-IMG_0004.jpg白き瀬の ころころころと 春の川
音の無き 雨の朝や こぶし咲く
花冷えの 厳しき明けを 犬鳴きぬ   馬場路哉
 
きょうも、肌寒い朝です。主人は、山添の「健康で歩こう会」に出かけました。足にも、少しづつ力がはいるようになってきたようです。重い荷物も、持ち上げることが出来るようになってきましたが、まだまだ、安心できません。
 
4月7日
今朝早く、5時半すぎですが、犬たちと散歩に出かけていますと、犬たちの様子がいつもと違うのです。私は、犬に引っ張られながら行くと、そこは、いつもの散歩道とちがうよ、と言ってもいうことをきいてくれません。はっと、びっくりするような姿のホームレスの方が、よろよろ自転車を引きずりながら、この田舎の山道をさまよっているではありませんか。犬たちは、その方に、ワンと一と声挨拶したら、ふらふらしながら、笑ってくれました。わたしには、声をかける勇気はありませんでした。家へ帰って主人にそのことを話しますと、田舎は神社や寺があるので、そこで寝ることが出来るから田舎を求めてきたのだろう、というのです。ええ・・・、そんな。キリスト教会も、その方たちのために、手を差し伸べなければ、と思いました。
今年の4月、高校へ入学できても、授業料が払えないので、定時制高校に 切り替えた生徒たちの多いこと。卒業証書も、授業料が滞納しているので渡されなかったとか。どうぞ、めげずに、与えられた道を歩んで行ってと、祈るものです。
ツバメが5羽も軒先にやってきて、朝からとても、にぎやかです。静かな田舎生活ですが、空からは鶯がきれいな声で、おはよう!といってくれます。きょうも、家の周りの生き物から、元気をもらって、一日過ごせそうです。
続々(ぞくぞく)と 桜の蕾 天を染む
朝掃除 始むる時に雉(きじ)の声
段丘を 吹け抜く風や 雪柳     馬場路哉
 
4月13日
「キリストへの時間」のご奉仕心から、敬服しております。その「キリストへの時間」に、お世話になったと言う方は、数え切れないほどいらっしゃいます。その中のお一人のTさんから、励ましのお手紙を戴き感激しています。いつも、「つのぶえジャーナル」を読んでいてくださっているようです。Tさんは、畑つくりも熱心にされながら、夜、ご老人の付き添い介護をなさっているとのこと。イエス様のことを伝えたいが、どうやってそのことを知らせたらよいか、祈って、悩んでいらっしゃいます。すごい方ですね。早速私なりの考えを綴って、お返事しました。一度もお会いしていないのに、随分、前からの信友のように感じます。よき方とお交わりが出来る幸いを感謝いたします。
昨日は、暑いくらいのイースターでした。Kさんご夫妻とYちゃんが、来てくださいました。まだ、7ヶ月と言うのに、とても、しっかりしていました。可愛くて、思わず抱かせてもらいました。私を見て、にこっとしてくれました。イエス様が、幼子のようになりなさい、と言われたことがよくわかる一瞬でした。
墓前礼拝では、開拓伝道を共に労してくださった方34名のことが、次々と目に浮かび、一緒に路傍伝道をした方の娘さんと手を握り合って、よく伝道しましたねと先達たちの労苦を偲びあいました。今私たちが当たり前に、礼拝を捧げられる会堂があるのは、先に天に召された方の命がけの奉仕、お働きがあってのことを、忘れてはならないと、いつも、イースターになると、思い出すのです。
 お天気も今日までとか。主人は、最後のチャンスと思ってか、もう、遠足に出かけました。山道をあるくには、とても気持ちのよい時期です。でも、昨日、私と犬たちは、竹の子を食べに来ている大きないのししと、真正面に出会いました。犬たちも私も振るえあがるほど、大きいいのししでしたが、許してくれたのか、目をじっとにらんで、山へ帰って行ってくれました。あぁ、よかった。でも、こわかったね、と犬たちと、話しあったのでした。
 
 
 
 
                    馬場暁美
                  (上野緑ヶ丘教会員)
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書籍紹介
    8858e3b6.jpg
エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

「本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

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教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
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「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

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「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
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「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
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われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

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さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

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