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2023年7月号  №193 号 通巻877号
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 「ローマ人への手紙」研究 (51)
 第37課 異邦人の召命とユダヤ人の拒否
       9章1~11章36節(続)
A 神がユダヤ人を退け、異邦人を召されることは神の約束と矛盾するものではない。
       9章1~24節(続)
 「その愛顧を与えることにおいて、神は絶対的主権をもっておられる」
       9章6~24節 (続)
 
 次に、神の主権性がヤコブとエサウの歴史によって説明されます。あらゆる人間的習慣や妥当性に反して、神はヤコブとエサウについて、「兄は弟に仕えるであろう」と言われるのです。人間の習慣によれば、長子は弟に優先するのです。兄は家族のかしらであり、弟たちは彼に従わねばならないのです。しかし、神は主権をもって、この順序を反対にされたのです。58c656cc.jpg
 
 さらに、この言葉はヤコブとエサウがまだ生まれていない前、善悪もしない前に、神によって言われたものです。パウロが指摘するように、それはこの決定がヤコブやエサウ自身の行為に基づくものではなくて、神の主権に由来するものであることを明らかにするためでした。この決定はヤコブとエサウが生まれる前に宣言されていました。「神の選びの計画が、わざによらず、召されたかたによって行われるため」(9:11)であったのです。
もし決定・選びがヤコブとエサウが生まれて成長した後で宣言されたのであれば、その選びは彼らの各々の行為に応じてなされたと考えられるかもしれません。
 しかし、神のこの計画は選びによるものでしたー神の主権的な選びによるものであって、業によるものではなかったーヤコブとエサウの道徳性や行為に基づいてなされたのではなかったと、パウロは言います。パウロはさらに付け加えて、「召したかたによって行われる」、すなわち、この選びは純粋に神の主権から出るものであって、私たち人間がそれに理由を付けることも、説明を付することもできないものだと言うのです。ヤコブとエサウが生まれる前に、神は前者を選び、後者を退けられたのです。
 
 私たちがここで注意したいのは、神の選びは人間の悔い改めと信仰とを神が予見されることに基づいているとするアルミニウス主義の考え方は誤りであることが、ここの聖句によって明らかになっているという点です。アルミニウス主義によると、神は永遠より、誰が悔い改めて信じるかを予め知っておられ、それらの者を永遠の生命に予定し選ばれるのであるとします。この考え方によると、神は人を生まれる前にお選びになるけれども、その選びはなお人間の業(悔い改めと信仰)を考慮していることになるのです。
 この考えは、神は永遠より、やがて神を選ぶと知っておられる者たちをお選びになると主張していると言っても過言ではありません。しかし、パウロは、神の選びのわざによるのはない。すなわち、「神の選びの計画は、わざによらず、召したかたによって行われること」の証拠として、生まれる前におけるヤコブ選びとエサウの拒否とを挙げているのです。パウロが選びについてのアルミニウス主義の考え方を支持していないことは明らかです。
 何故なら、神がヤコブをお選びになったのは、ヤコブの悔い改めや信仰や善行を神は予め予見しておられたからであるなどとはパウロは決して考えたことはなかったからです。実際のところ、予見される人間の行為に基づく神の選びというアルミニウス主義的理解は、ローマ書9章10~13節にあるパウロの所論とは合致し得ないのです。
 
 J.G.ヴォス著
         玉木  鎮訳
         (日本キリスト改革派引退教師)
 
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  祈 り
 
 私の祈り
 友人のTは非正規労働で長い間、東京、名古屋、栃木の工場で派遣労働者として働いていたが、解雇された。一般に、非正規労働者は働く意欲がないとか、気まぐれだとか、いろいろ言われている。彼には、そうせざるをえない理由がある。田舎に残した母親は病身だが、好きな畑での仕事を楽しみにしている生活を支えるためである。それは、経済的というより精神的である。病気持ちの母親に何かあったらすぐ駆けつけるために非正規を選んでいるのである。何度も病院に来ていた。
 故郷には仕事はない。彼の生き甲斐は母親である。そのために非正規を選んでいたのをよく知っているので、祈っている。年末、日比谷公園に行ったとメールにあった。今は少し貯金があるので頑張るとあった。
 真面目に生きることを考えている。希望を持っている彼のために祈っている。私の教会には40代の人はいない。農業では次男、三男は都会に出るしか道がないのである。
 頑張って欲しい。周りの人の理解が欲しい。働きたいと願う者たちに、希望を失う前に声を掛けて欲しい。
                          茨城県  S・Sさん
(長いメールでしたが、許可を得て要点を「祈り」としました。編集子)
 
いつも祈っている
 
木枯らしが吹く中
バラの花を持って会いに来てくれたa6e05464.jpg
幼い時から
病に苦しむ少年とその家族
 
ものが言えない私は
心の中でくりかえす
主を見上げて 
苦しみに負けるな 悲しみに負けるな
いつも祈っているから 天国に逝っても
 
水野源三第三詩集「今あるは 神の恵み」
  
       ******************
憲法第25条(国民の生存権と国の保障義務) すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
② 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
松田重雄が観た「切支丹燈籠の世界」(12)
 
 「切支丹灯籠への思い」(11)
 
 「あなた方に言うが、もしこの人たちが黙れば、石が叫ぶであろう」(ルカ19:40)
 
 神は「光あれ」と言われた。すると光があった。(創世記1:3)bda03a07.jpg
 
京都を訪れる人々にとって、多くの楽しみがあります。名所旧跡という言葉では言い尽くせないものがあります。日本の文化・心を垣間見ることが出来る処です。
京都には桂離宮という所があります。PCで「桂離宮」を検索してみますと、「宮内庁」という言葉に出会います。ですから、一般の観光地・名所旧跡とは異なることが分かります。そこに「切支丹燈籠」があるのです。
 
ご存知の通り、「桂離宮」は八条宮智仁(としひと)親王のために豊臣秀吉が造営した建物と言われ、数奇屋風を加味した書院造りに居住建築として造られて、その構造は日本建築の傑作と言われています。さらに、建物ばかりでなくその庭園美・建物の配置・意匠など、美の極みともいえます。「雅」そのものの中に、日本人の持つ「侘び」をも表現する自然観を観る者に訴えます。
物の本によりますと、この造営には、秀吉は小堀遠州に命じたとも言われていますが年代的には少し無理があります。それは、慶長(1596~1615)の末年にこの地が八条宮領になっていて、その後に智仁親王によって別荘が造られ、工事は元和6年(1620)から数年にわたって行われていますので、当時、遠州はまだ少年期に当たるからです。
2回目の造営は二代智忠(としただ)親王の寛永年間(1624~44)に造営・拡張工事がなされて、明暦年間(1658頃)に完成し、現在の規模になったと言われています。そこにある庭園は遠州好みがみられ、智忠親王の時の遠州一派が関わっているとも考えられます。
この時代は、秀吉とその側室淀君に鶴松が誕生したので、天正18年(1590)八条宮を新しく創立されています。戦国時代の時です。
 
88e87b09.jpg八条宮は当時の第一流の文化人で、和漢・茶道・音楽・絵画とともに、建築・造園にも優れた才能を持っていたといわれています。「源氏物語」の主人公の光源氏にあこがれをもって桂殿を幕府に望み、所領地の配置換えに成功し所領としたとも言われています。その後、何度か補修されているので、当初のものとは言いがたいものがあります。
 
智仁親王にとって優れた西洋文化は関心の深いものがありました。伴天連たちにとっても親王のような文化人好みを見逃すことは無かったでしょう。伴天連の宣教の強力な手段に、当時の藩主・豪族・文化人・豪農を信徒にすることは目標の第一にしたことは言うまでもありません。また、親王の室常子姫は父京極高知で文禄4年(1595)に受洗し大の信奉者でした。当時、切支丹同志の結婚のみとしていた時代にあって、信者同士であったことは、戦国の世の政略結婚としてだけでは理解できないものがあると考えられます。
高知の父高吉も受洗し、母はマリヤと称していたことは「日本切支丹宗門史」(バジェス)にも見ることが出来ます。高知の兄高次(小浜藩主)の室常高院も信奉者です。常高院は禁教になった時、禅宗常高寺を建立し、仏教徒にころんだように振る舞い、常高院のお墓には、正面と側面に巧みに十字架を模したものがありました。紋様には代表的のものとして十・卍などがあり、卍は仏教でも用いられる紋様でしたから何ら不思議はないでしょう。
桂離宮には主屋である古書院・中書院・新書院などがあります。さらには山里に見立てた賞花亭・卍亭・腰掛などの中の卍亭は他の離宮内には見られないものと言われています。修学院離宮にも切支丹燈籠があります。
 
ここに松田重雄の記した京極氏の系図、智仁親王御系図をご紹介いたしますので、PCの方は拡大してご覧下さい。系図は無言ですが、時代の鏡でもあります。何故、このような婚姻が成立したのか。その信仰生活は? 貴族・支配者以外のキリシタンたちはなど、推理・想像することも歴史探訪の楽しみの一つともいえましょう。
 
 
 
「契約の継承」(56)
第8章 村人と村の生活(1)
  神の契約にそって生き、教える(1)
 
グラニー 
 
 十年前に、質問にはほとんど何でも答えることのできる契約の子たちからなる青年のグルプがありました。この賢い、創造性のある、言葉もうまく、生意気で、物知り顔をする高校のグループの中に、(ペニー・パッパスという名でも知られた)グラニーが加わりました。女はやって来た最初の日曜日に、私たちが古い長いすの上にぼんやりと座っているのを見つました。グラニーは、私たちに自分のテーブルの周りに寄ってくるようにと言いました。私ちの中の頭のきれる青年たちの一人がその要求をはねつけて「どうして?」と言い返えしまた。おそらく、ここで、グラニーパッパスとジョン・パッパスが四人の子どもたちを育て上た人であることを言っておくのが良いでしょう。彼女はまた教師でもあったし、私たちのクリスチャンスクールの校長でもありました。言うまでもないことですが、彼女は私たちの反抗な言葉や質問、かしこぶった態度をはねつけることはありませんでした。
 グラニーは、私たちに多くのことを教えました。まず第一に、彼女は誠実に一人一人に関ってくれました。私たちが言っていること、私たちが考えていることを彼女は気にかけてくていました。私たちはすぐに、彼女がここにいるのは、私たちの教会の長老たちが彼女に頼でいたこと、もっと大切なこととして、その生意気なグループに、主が彼女に愛を与えるよにさせたのだということがわかりました。彼女は要素を示して、私たちは神のみ言葉からのっきりした教えと共に、正しいエチケットと、権威を敬うことと、そして互いに忍耐しあうとを学びました。
 私たちの中に僕としての心を育てるために、グラニーは教会の中で、義務として、私たち常に仕えてくれました。家族での夕食会を催すことや、訪問すること、年配者たちのために用をすることや、子ども部屋で助けることなどで。……この十代のグループは私たちの教会彼女が結婚式に料理を整えるときには、グラニーを助けるほどまでに上達してきました。私ちが取り組むことができないような仕事はなく……テーブルを飾ること、花をいけること、の駐車のこと、台所できざんだり、調理することさえできました。16355bf8.jpg
 私たちが一緒にいるときは多くの楽しいこともありました。グラニーと彼女の主人は骨董で溢れる素敵な田舎風の家を持っていて、台所にはいっぱいの料理ができる調理場があって入っていった人たちが愛されている、歓迎されていると感じさせるような暖かい雰囲気があました。この家で、グラニーは私たちを年越しの夜ももてなしてくれました。そこには、基的なきまりがありました。女の子たちはパーティー用のドレスを、男の子たちはスーツか、キシードを着なければならないことでした。私たちは彼女の家の素晴らしい食器で食べ、彼の夫は夕食をつくって、給仕をしてくれました。私たちは、本当に成長して大人になって、別扱いをしてもらえたように感じてうれしかったのです。またあるときには、彼女とジョン私たちが日曜学校で教えられていることについて話し合うために、私たちの両親を夕食に招て下さったこともあります。グラニーは、私たちみんなが、心を開いて話を続けるようにと生懸命でした。
 時として、グラニーは特別な主題を語るために、いつもの日曜学校のカリキュラムからはれることもありました。一つの例をあげれば、デートとか、結婚、性道徳に関することでした。
私たちは、聖書的な原理に注目し、パネル討論に参加して下さる教会の古い幹部会員たちをき、彼らが私たちの年齢のときに遭遇した幾つかの誘惑について、難しい質問もすることがきました。このことでは、かずかずの有益な結果を得ました。そのことは、まず第一に私たは長老たちの経験から有益な学びをしました。彼らは私たちに、かなり率直でした。第二番にそれは、世代間のギャップの橋渡しをし、お互いに分かち合い、違った視点で互いを見るに役立ちました。
 私たちは変わり始めました。彼女の不屈な指導と模範に結果が出始めました。グラニーにする深い愛と尊敬と感謝の思いは大きくなり、それは今日に至るまで続いています。この素らしい婦人のおかげで、より包括的な世界観を聖書的にさらに身につけた23歳~26歳の人たちが今では8人います。
 わたしは、神が真実であって、ペニー・パッパスをお用いになったことを証しします。彼は退職後も喜んで、再度奉仕しようとしていました。
                          ローブ・ペイテテ
                          マイアミ・フロリダ
 
スーザン・ハント著
WIC委員会訳
                   
 
 
 
「みんなでわいわい・ご意見コーナー」
 
 明けましておめでとうございます。 皆さまお健やかによいお正月をお迎えのこととお喜び申しあげます。 札幌は珍しく積雪のあまりないお正月です。元旦は吹雪ていましたが 10階にいる私どもは極めて暖かな穏やかなお正月で幸せを感じました。
今年もみんな揃ってつつがなく暮らしたいと年のはじめに強く感じております。
                   北海道  O・Tさん
 
cd20c10b.jpg新年、おめでとうございます。「つのぶえジャーナル」を楽しみにしています。本年もよろしくお願いします。ゆっくり のんびり 頑張りましょう!
                   名古屋市 T・Sさん
 
年が明け、なんだかお正月からばたばたと落ち着かない日々を過ごしています。クリスマス後から左側の肋間軟骨を痛めてしまい痛みとのお付き合いで、不便な生活でしたが、だいぶ楽になってきています。これと言った原因もわからず、あまり人には言えませんが、もしかして老化の兆し?と我れながら情けないです。
 娘の成長に頼もしさを感じています。息子も来週は成人式もあり、何かをするわけでもないのですがなんだか落ち着きません。でもうれしいですね。
                   静岡県  N・Yさん

 『ありがとうございます』
 名古屋も寒くなりましたが、皆様の日々に神様からの祝福と隣り人の励ましがあり、またその思いを伝えることが出来ますようにお祈りいたします。一月末、インフルエンザに罹り、タミフルのお世話になりました。軽く済んで感謝しています。今月号の写真も、桒原廣子さん(日キ教団金城教会員・CBC「キリストへの時間」アナウンサー)、門馬 亨さん(犬山教会)のものを使わせていただています。感謝です。27e8a502.jpg
 
     
  『つのぶえジャーナル』のための献金者
井上義明様 中西加津子様 和田順一様 和田貴美子様 島しづ子様    匿名2名様
  
 郵便振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社
 
『クリスチャン音楽家を支える会』のための献金者
中西加津子様
 
便振替口座番号 00870-2-92464 クリスチャン音楽家を支える会
 
                      09年1月20日現在
   今月のことば
  主の2009年、皆様の上に神様の祝福が日々の営みの上に与えられますようにお祈りいたします。
 
 「恐れるな。わたしは初めであり、終わりであり、また生きている者である。」
                  (ヨハネ黙示録1:17~18)
 
 私たちは、クリスマスからやって来た喜びの音信(おとずれ)から新しい年を迎えているのです。イエスの誕生は、希望と喜びと救いのスタートだからです。
そうしてキリストは「初め」であり「終わり」でもあります。この新しい1年、ただの一日もキリストの
「終わり」の向かって進まない日はありません。「終わり」は「完成」の日です。
 この一年が、悲しみの日、不安の日、全てを失う日であるかのように思えても、キリストの日は、
少しも変りません。
 私たちのこの一年、何をもたらすか、少しも分からないとしても、キリストが「始めであり、終わり
である」ことを忘れてはなりません。
 たとえこの一年が私たちにとって最後の年であっても……、たとえ世界が没落しても、キリストが
「終わり」なのです。
 
         聞けよ
      聞けよ 聞けよ 聞けよ        31b3eace.jpg
     1983年1月1日に
     平和の主なる神が
     全世界の人々に向かって
     語りたもう
     聞けよ 聞けよ 聞けよ 
 
      新たにしてください
     シクラメンの花が
     優しいわが部屋で
     二人の姪が 楽しく語る
     新しい年の 希望と夢を 明るく語る
     主よあなたへの 希望と祈りを
     新たにしてください
     新たにしてください
   (水野源三第4詩集 み国をめざして)
 
   小閑記
       
  わたしはよい羊飼いであって、わたしの羊を知り、わたしの羊はまた、わたしを知っている。
                       (ヨハネ10:14)
 
 私たちがイエスを知りまたイエスに知られているという関係には、特別な秘儀があることに驚きます。それは、他の全ての場合と違っています。天において始まる不思議で喜びの関係です。
 
イエスがご自分の羊を知り、その羊が飼い主であるイエスを知っていると言うことは、「父(神)がわたしを知っておられ、わたしが父を知っている」(ヨハネ10:15)とも言われています。それは、どちらかの側に基づいての知り、知られると言う関係ではありません。上からの、知りまた知られる関係です。そのように知りまた知られる関係を造ったのは、私たちではありません。それを造られたのは、神様です。
神は、それを、私たち人間のために、恵み深くも、身を低くして、提供して下さったのです。
 「キリスト97b0d0bb.jpgは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事と思わず、かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。……、おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。」(ピリピ2:6~8)
 
私たちは、イエス・キリストなしで「キリスト者」だ、ということはありえません。しかし、真に、キリストに知られている羊であるかは、分かりません。改めて、「わたしはよい羊飼いであって、わたしの羊を知り、わたしの羊はまた、わたしを知っている」に心を向けたいものです。
私は、その中に含まれているのだろうか、と私たちは本当に神に目を向けているでしょうか。臆病になったり、反抗的になる私です。
どうか、あなたの一匹の羊になるようにと、目を注ぎ、作り変え、その囲いの中に加わりたいと願い続ける歩みでありたいと、祈っている者です。
 
                         上河原立雄撰 
 
これらの文章の転載は許可を得ております。    
 
 
眸
眸(ひとみ4ec69aa3.jpg)
 
 今年も数日になりました。私の勤務もこれで今年もお終い、新しい年を迎えます。毎年のことですが、最後の勤務日にはいろいろの方のことが思い出されます。お元気にご家族の所へ戻られた方、そうでなかった方も居られます。
今朝も、何時ものように入院されている方を見回っていました。Aさんは、何か言いたげにしています。しかし、何を言っているのか分からないので、困ってしまいました。苦しそうな表情から、何かを訴えているのですが分かりません。脳卒中の後遺症で言葉は聞き取りにくいのですが、今日は特別でした。焦って聞き返すと余計分かりにくいことは長年の経験で分かっているにもかかわらず、つい自分の都合が優先してしまいます。
 
ある時、Aさんが一日のうち、何度か「おかあさま」「おかあさま」と叫ぶように聞こえたことがありました。初めは、何かを思い出して言っているのだろうくらいに思っていましたが、それが、尿意の訴えだったのです。このようなことは沢山ありました。そんな時、もっともっと心を低くして、耳を傾けたり、こわばった表情の奥にある思いや、さり気ない目の動きを受け止めることの出来る職業人にならなければ……と思いを新たにさせられます。
2009年の私の願いです。元気に頑張ります。
                 栃木県   I・Iさん
                    
   キリストにお会いしてから
戸をたたく しめきっていた 部屋に入って来られた
キリストにお会いしてから
キリストにお会いしてから
 
その両手と 脇腹に 傷跡がいたいたしい
キリストにお会いしてから
私の心が 変った
 
信じない者に ならずに 信じなさいと言われた
キリストにお会いしてから
私の心が 変った
お会いしてから
 
水野源三第三詩集「今あるは 神の恵み」


  自閉症者のひとりごと
(21)
 
11月21日
墨色の空
灰色の雲
押し潰される
そういえば小さい頃から真っ黒な宇宙の映像が怖くて嫌いだった
富士山や東京タワーが嫌いだった
海も川も山も嫌いだった
大きなものが大嫌い
今でもそれは変わらない
でも昼の空は好き
 
12月2日
先日、同じ依存症の人に、言葉にならない頭がぐしゃぐしやになってしまうと話したら、その人もなると話してくれました。アルコール依存症のなせるワザか。今日は麻酔科に行ってきました。術後の傷口が良くなく、形成外科の医師と相談して、アレルギーのおきにくい糸を使うと言われました。そうしてもらわないと繰り返すだけだわ。
 
12月10日
妙な夢をみて、目覚めてみると4時。部屋は臭うし。痛いし。仕方がないのでラジオを聴いています。さてその夢は、殺人事件という後味の悪い夢でした。夢で良かった。自分が当事者ではなく、映像を見ているという感じです。しかも3本立て。頭の中では何が起こったのでしょう。これからしばらくはコルセットで凌ぎますが、それが辛くなったとき、そこが問題なのです。医師は機械を入れることを考えているみたいです。ただ、機械を埋め込んで今があるわけで…、親や主人はそんな辛いことはするなと心配してくれます。わたしも前と同じ素材のものを入れて大丈夫なのか考えてしまいます。医師はどの場所に入れるかわかっているので、感染症の心配はないというし…。来年の話だけど。

 
12月11日
痛み止めの点滴をしているうちに、眠ってしまいました。ところがお手洗いに起きたら、しっかり目覚めてしまいました。明日、いや今日も午前はおやすみタイムだなぁ。今日のわたしが何を求めているか。眠ることだ。そうかといって、眠れるわけでもなく。多動なわたしが弱いのが、睡眠不足だ。午後から、昼寝が出来ました(^_^)v。楽になりました。8人部屋です。昨日までは5人でしたが、一気に7人になりました。病院も回転させなきゃいけないので、大変だなあと思います。
 
     さかむけ
なめても、すっても、まだいたむ
べにさし指のさかむけよ。
おもいだす、おもいだす、
いつだかねえやにきいたこと。
 
「指にさかむけできる子は、
親のいうこときかぬ子よ。」
 
おとつい、すねてないたっけ、
きのうも、お使いしなかった。
 
かあさんにあやまりゃ、なおろうか。
 
(金子みすゞ童謡集 わたしと小鳥とすずと)より
54bdd626.jpg世田谷通信 
(61)
猫 草
 
イモリを飼っている。そういうと、「ああ、あの時々壁にはりついてるトカゲみたいなの?」と言われることがある。いいえ、それは爬虫類のヤモリです。イモリは両生類。
以前、同じ水槽のカメに、足を1本食べてられてしまったイモリだが、約半年後新しい足が生えてきた。最初は他の3本に比べると明らかに小さかった足が、今ではほぼ同じ大きさ。動きも特に問題ない。人間の再生医療に、この驚くべき能力を活用する研究がすすめられているのもわかる気がする。
ところでこのアカハライモリ、長男が幼稚園の時にホームセンターでねだられて買ってきたのだ。彼が小学5年生なのだから、少なくとも6年は生きている。いったいどのくらいの寿命なのか、ネットで調べると20~30年、最高50年と書いてある。ええっ?冗談でしょう?という感じだ。亀は万年、などというが、うちで飼育しているカメは逃亡、病死、カラスによる誘拐などいろいろな状況はあっても、だいたい1~2年程度の命だった。それぞれに一生懸命に世話をするのだが、それでも死なせてしまう。失ってしまう。そのたびに悲しく辛い。生き物を育てるのは本当に難しい・・と思う。
あのイモリは運が強いよ、と長男は言う。冬に水槽のちょっとした隙間から脱走し、そのまま寒さに動けなくなって部屋の隅で仮死状態になって(本当にカチカチになる)、死んじゃったのかな・・と思いつつ、少し温かい水に入れると、しばらくしてモゾモゾ動き始めたのだ。びっくりするやら、おまえはインスタントラーメンか!とあきれるやら。
時々脱皮もする。体の周りにぶよぶよのゼリー状のものがくっついて皮膚病?!とぎょっとしたら、古い皮で、そのうちもぐもぐ自分で食べてしまった。
好物は沼エビや小魚、最近は乾燥エビを好んで食べている。目が悪いので、ピンセットで餌を支えて、目の前で少し揺らすとぱくっと食べる。餌がちょっと大きいと飲み込めなくて口いっぱいに頬張ったまま固まっている。
背中は黒だが、お腹と口の中は真赤である。いつもキョトンとした黒い眼でこっちを見ている。何の芸をするでもないが、毎日みていても飽きない顔をしている。50年も長生きされたら私も面倒みきれないが・・この冬も無事に越してほしい。
  その愛のゆえに
  =時々の記=       
    (34)
 
11月19日
今朝は、今年一番の寒さでした。冬ものの中でも、一番分厚いのを着こんで、ころころ着膨れて、散歩に出かけました。霜が、畑一面に降りていました。これから、もっと寒くなるのでしょうが、体感的には、真冬なみでした。主人は、山添村の健康で歩こう会に誘われて、7時30分に家を出ていきました。十分に準備運動をして、やわらかくしてから歩くこと。少しでも、足が痛んだら、途中でやめることを約束して、見送りました。私は、久しぶりに教会の祈祷会にでかけます。5名ほどですが、心を合わせて、祈り合うことの大切さを感じるこのごろです。
 
11月22日
3連休の一日目。少し寒さが和らぎ、ほっとしています。犬たちも久しぶりの温かい日差しのもとで、気持ちよさそうに、そろって寝そべっています。でも、部屋の中はとても冷え込み、ストーブなしでは過ごせません。田舎の冬は、歳を取るにつれ、厳しいものになってきます。皆、この長い冬をじっと耐えて、過ごしているようです。24日には、主人の母が、家に帰りたいと言っていますので、つれて帰る予定です。うまく車椅子を急な坂道で、移動させることができるか不安です。しっかり介護の勉強をしておけばよかったと後悔しています。無事に往復3時間あまりの鈴鹿へのいきかえりが守られますように、と祈っています。
 
11月26日
 05b7091c.jpg日曜日の朝から体調を崩し、まる3日間寝込んでしまいました。主人は、買い物から、食事の準備やらで、大変だったことと思います。私はたいてい、一日で回復する方なのですが、今回は、やはり歳のせいでしょうか。起き上がることができず、迷惑をかけてしまいました。きょうは、犬たちとの散歩もなんとか、最後まで、いつもどうりの道を歩くことができました。主人も私も、このごろは、車のスピードを出せなくなりました。目がついていかないのです。でも、その方がやはり安全です。私たちも性格は、激しいのですが、車のハンドルを握ったら、性格を変えるよう努力しています。
きょうは、祈祷会の日ですが、今から診療所へ行って、薬をもらわなければならないので、お休みにします。家で静かに祈っています。
空仰ぐ 山の施設に 冬向かう
朝散歩 今落葉のしきりかな
川霧の 帯と伸びたる 山の裾    馬場路哉
 
病院に入院している、主人の母が帰りたいとせがみます。お正月には、帰らせてあげたいなと、そろそろ、家の大掃除の準備をしはじめなければと、気持ちだけあせるのですが…。風邪がはやっています。診療所には、マスクをした患者が列を作って、診察を待っています。
 
12月3日
いよいよ、12月ですね。この年も神様のお守りのうちに在りますこと、心から感謝しています。昨日まで小春日和の暖かい天候でしたので、大掃除にとりかかりました。恐ろしいほどの汚れに悪戦苦闘いたしております。信仰の汚れも、また大変な状態です。でも神様は、このような信仰のものでも、許してくださり、立ち返って汚れを落として、御許へ、来なさいといってくださっているのです。全能の神様に、すべてを委ねて、生きて行くことの出来る幸いを感謝いたします。キリシタン灯篭を読んでは、考えさせられることがいつも、あります。
谷あいに 固まる在所 照紅葉(てりもみじ)
福音の 奥義を聞きて 冬ぬくし(水島長老にこの句はよろしいとほめられました)
高原の 小山いづれも よそおひぬ
由緒在る 宿の山茶花 添え木され    馬場路哉
 
きょうは、教会の祈祷会の日です。女性が4人と小野田先生だけの集会です、主人が行って見たいといいますので、きょうは二人で祈祷会にでかけます。小野田先生に、質問したいことがあるようです。先週の説教のことで。主人は、徹底して、わかろうとするタイプの人です。私のように、なんでも、適当に考える者にとっては、そんなに真剣にならなくてもよいのに、とつい同情してしまいます。いつまでも、青春気分が抜け切れません。
 
12月4日
昨日の祈祷会で、牧師先生を困らせる質問をしたらどうしようと、ハラハラしていましたが、もっと知りたかったとは思いますが、いろいろ考えて、すんなりと軽く質問しただけでした。ほっとしたのは、私です。その昔、中会の修養会で、とても難しい質問をして、T先生を困らせたことがある主人ですので…。
きょうも、こちらは穏やかな日和です。願わくば、今年の冬が、暖かい冬でありますように。
リハビリで歩くには、最適な気候です。朝から、さっそうと小山まで、散歩にでかけています。私は、ひきつづき、汚れと戦っています。これも、適当にしておこうと思っています。だって、汚れていたって、目をそちらにむけなければ、何も、差しさわりがないのですから。クリスマスの賛美歌の練習をして、目をイエスさまに向けようとしている私です。
 
12月10日
今日は、こちらも穏やかです。水曜日なので、祈祷会にと思っていましたら、小野田先生から電話が入り、奥様のお父様が急に亡くなられたので、家族で長野へ帰るとのこと。祈祷会はお休みです。この世での別れは、やはり、つらく、寂しく、悲しいものです。牧師婦人として、献身され、ご実家には、あまり帰ることも少なかったことでしょう。悲しみの中にあられる、牧師先生ご一家のために、祈るのです。
お体の調子は、その後だいじょうぶでしょうか?暖かい日は、日なたぼっこなどされると、体がぬくもることでしょう。どうぞ、お大切にお過ごしください。
南天に 等身大の 雨しずく
掃き寄せて クヌギ落ち葉の かさたかし    馬場路哉
 
世界的な不況で、今大学生が内定を取り消されているとのこと。若者に生きる力をなくさせてしまうような社会です。このような時だからこそ、キリスト教が救いの手を差し伸べ、若者に希望をもたらしたいと願うのは、私だけでしょうか。沖縄にいる息子も、いつリストラされるかと、ひやひやしていると、言っています。少しでも、まずいことをすると、こっぴどく叱られるので、イライラすると、いつも、ほとんど、愚痴をこぼさない息子が、ぼやくのを聞いていると、こちらは、とても心配です。あまりにも、遠いので、どうすることもできません。ただ、祈ることだけしかできません。悔い改めて、教会へ行ってくれるようになってほしいものと願っています。
 
12月13日
つのぶえジャーナルからも、たくさんの夢と、希望を与えられ、感謝して、この年も過ごせましたこと大きな喜びです。昨日、ゴダート先生から、クリスマスカードとお手紙をいただきました。毎月、「つのぶえジャーナル」を香港経由のインターネットで、読んでいるとのこと。私の日記、主人の俳句も、よんでくださっているとのこと。でも、アメリカへ戻って、38年も経つので、日本語は、ほとんど忘れてしまったということです。
主人の検査結果が良かったことをとても喜んでくださいました。今年のクリスマスは、やはり、私たちにとって特別なクリスマスです。
主人は、小野田先生に頼まれ、今までの信仰の証を愛餐会でするようになりました。口下手な主人ですから、皆さんの心をかえってしぼませてしまうのでは、と心配していますが、飾ることの出来ない者は、ありのままを表現するだけです。神様がその日まで、健康を支えてくださいますように、と祈っています。
岐阜加納教会の0さんがよくゴダート先生に、教会のことをお手紙でお知らせしてくださるので、とても、嬉しいと、言っておられます。kさんにもよろしくとのことでした。
「つのぶえジャーナル」が、アメリカにいらっしゃるゴダート先生に読んでいただいているなんて、感無量です。できれば、英語で、お伝えできたらと願うのですが…。私も、夢を大きく持ち続け、神様とともに残りの人生を歩んで参りたいです。
 
 
                   馬場暁美
                  (上野緑ヶ丘教会員)
 
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書籍紹介
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エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

「本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

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教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
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「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

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「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
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「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
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われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

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さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

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