2023年7月号
№193
号
通巻877号
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自閉症者のひとりごと
(20)
10月21日
やたら食べる。胃がいっぱいになっても食べ続ける。吐きそうになっても食べる。そんな状態です。
11月4日
自助グループに繋がって、いろいろな人を見る。とくに生保の人の生活振りだ。学生時代の専攻が社会福祉なだけ心を奪われる。50代で精神病院を退院出来ても仕事がない。生保のお世話になる。それでもケースワーカーは家庭訪問をする、そして就職しろという。それが彼らの仕事だからわかる。それでは更生保護も同じだ。
11月6日
午前は自分の精神科、午後はメッセージのため某精神病院に来てます。本当は自分を労ってやらないといけないのに・・・。機械を埋め込んだところに浸出液がたまっていると思う。明日受診日です。
11月7日
一晩寝れば疲れが取れていたのが、なくなってきました。あれこれ頭に浮かんできますが、動けません。昨日は病院で自助グループのメッセージを伝えに、夜は自助グループのミーティング。今日も自分の二つの病院の掛け持ちで、自助グループのミーティングの司会、帰宅して家事。こういうときほど心静かに主の御言葉を待つべきなのでしょう。 
11月11日
アスペルガー症候群は優先順位をつけられない、そのくせどう助けを求めていいかわからない。だから、なんでも「はい」としか言えない。考えがまとまらないのだ。主人に訊かれても答えられない。甘えるということが身体の中にない。結局あれこれ背負いこんで、潰れてしまって、迷惑をかけてしまう。自助グループに繋がるようになって、日本社会の底辺を見るようになった。今まで何を勉強してきたのだろうか。
古い考えだけど、社会福祉は副産物なんだから、社会が面倒をみるべきだ。障害者、老人福祉だってそうだ。医学の発達で障害者が生きられる。老人だって長生き出来るようになった。五体満足で生まれてきただけでも奇蹟なんだから、社会が面倒みろっていいたいよ。なんだか怒っているなあ。
古い考えだけど、社会福祉は副産物なんだから、社会が面倒をみるべきだ。障害者、老人福祉だってそうだ。医学の発達で障害者が生きられる。老人だって長生き出来るようになった。五体満足で生まれてきただけでも奇蹟なんだから、社会が面倒みろっていいたいよ。なんだか怒っているなあ。
11月14日
結婚前はとりとめのない話を、わたしが一方的にしゃべるというかんじでした。それは主人がきれいな人というか、時々見せる他者への思いやりがみられて、ほろりとしてしまうところがあったのです。いろいろなことを話していました。悩んでいること、お互いの身体のこと、今よりうんと真面目に話していました。
今は、必要なことですら話していません。そんなことわかっているだろう、という感じ。
麻酔科に罹るようになって数年になりますが、麻酔科の主治医は、はじめのころは、あなたが言っていることがわからないと、言われました。最近になってやっと話し方の傾向がわかるようになったと、言われるようになりました。それくらい私の話を理解するのは長い時間が必要なのです。
人との距離は難しすぎるわ、わたしには。
今は、必要なことですら話していません。そんなことわかっているだろう、という感じ。
麻酔科に罹るようになって数年になりますが、麻酔科の主治医は、はじめのころは、あなたが言っていることがわからないと、言われました。最近になってやっと話し方の傾向がわかるようになったと、言われるようになりました。それくらい私の話を理解するのは長い時間が必要なのです。
人との距離は難しすぎるわ、わたしには。
***************
空に光る星よ
空に光る ほめたたえよ
わが罪のために わが救いのために
人となりたる御子イエスは
死ぬほど悲しみ 祈りをささげたもう
こずえに鳴く小鳥よ ほめたたえよ
わが罪のために わが救いのために
人となりたる御子イエスは
十字架を負い つまずき倒れたもう
野辺にかおる花よ ほめたたえよ
わが罪のために わが救いのために
人となりたる御子イエスは
固く釘づけられ 御血を流したもう
水野源三第三詩集「今あるは 神の恵み」
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世田谷通信
(60)
猫 草
本屋や図書館に行くと、つい立ち止まるのが手芸の本コーナーである。とはいえ器用さには大いに欠けることは自覚しているので、「誰でも出来る・・」「はじめての・・」「ぶきっちょさんのための・・」という枕詞がタイトルについているのを選んで手に取る。うわあ~綺麗ねえ→ちょっとやってみようかな→うーん、やっぱりいいや・・のコースをたどるのが常である。初心者向けの本なので、最初の作品からコツコツ作ればいいのだろうが、いちばん簡単なのはあまりきれいじゃなくて、作る気がしない。最後のページにあるのは美しいが複雑すぎて手が出ない。単なるモノぐさの言い訳なのだが。
こういう本を書いているのは手芸作家と言われる、基本的に手先の器用な、デザインセンスに優れた人たちである。さらっと何気なく、それができるのは一度その世界を極めているから、あえて手を抜くことができるのだ。たとえば、「ありあわせのレースとボタンをさりげなくあしらったコサージュ」なんて、プロがやれば素敵な商品だが、素人がやったらただのゴミの塊である。作っている途中で無性に悲しくなってやめてしまった。
ドライフラワーの講習会に行ったことがある。バザーの準備の会なので、そこで作ったものは自分で買うか、バザーに出品する、という選択ができる。先生はたくさんの教室を経営するその道のプロである。目の前には、見本と材料が並んでいる。土台に造花を順番に差し込んでいく、たったそれだけの作業なのに、みんな出来上がりが違うのである。結局半分ぐらいの参加者が(私も含めて)、悪戦苦闘の末に「・・これじゃ売りものにならないから自分で買います」と出品せず、責任をとって(?)買いとった。面白いのは、同じ材料を使いながら、派手な人は目立つ感じに、おとなしい人は地味な感じに、と可笑しいぐらい作者そっくりに仕上がっていたことだ。
私たちは知らず知らずのうちに、自分自身を表現しながら生きているのだろう。服装や髪形、家の中のインテリア、読む本や雑誌、日々食べるもの、なんとなく好きなもの、買い物でつい選ぶもの、ちょっとした一言や、しぐさででも。たとえそれがゴミにしか見えないコサージュだったとしても、である。
その愛のゆえに
=時々の記=
(33)
10月16日
昨日は、爽やかな秋晴れに恵まれ、村祭りが行われました。村長さんはじめ、役についている人たちが神輿のあとを、ついて歩いて、我が家の前を通り、長い行列となりました。なかには、主人に近づいてきて、元気でな・・・と声をかけてくれる友もいました。若者は、皆、都会に出てしまい、年寄りの村になってしまいました。教会と、よくにた現象です。
楽しげや 入日になびく ススキ原
木犀の 匂ひ初めたり 庭掃
秋桜(あきざくら) 遺して老いの 田舎去る
野紺菊 乱れを見せて 門(かど)の先(さき) 馬場路哉
10月21日
主人は、今年の冬は、家で鍋物でも食べようと意気込んでいます。今朝、早くから猫の額ほどの我が家の畑?に白菜の苗3つ水菜の苗も3つ、買ってきて、鍬を持って丁寧に耕し植えていました。本当に家族で、鍋を囲んで食事が出来たらと、その姿をみて、胸がキュンと痛みました。祈るしかありません。
掃き寄せて 径(みち)の木の実や地蔵尊
穏やかや 薄雲かかる 後の月
通学子 漆紅葉(うるしもみじ)の下歩く 馬場路哉
今日も、気持ちの良い秋日和です。明日からくだり坂とか。さあ洗濯でもして、気持ちを洗い流しましょうか。
10月22日
最近はこの田舎でも、電飾する家が増えてきて、夜、真っ暗だった頃とくらべると、華々しいので、びっくりです。ふと、マカルピン先生ご夫妻を思い出します。思い出の沢山詰まった飾りの品々を一つ一つご夫妻で語らいながら飾り付けておられました。これはお祖父さんからのもの、これは娘のX歳のプレゼントとクリスマスツリーは思い出ツリーでした。聖書の中に出てくるような、素晴らしいご夫婦でいらっしゃいました。
マカルピン婦人の書かれた「讃美歌物語」は、心打たれるものです。讃美歌の成り立ちを知るのにとても役に立っています。名古屋での活動も活発でした。名古屋教会で説教をされたあと、すぐに、名港伝道所へ車で移動されとても忙しい生活を送っておられました。マカルピン先生は、スピードを出し過ぎて、よく婦人に忠告されていました。懐かしいよき思い出です。
10月25日
きょう、奈良市に星野富広さんご夫妻がこられ、講演会が開かれます。ぜひ参加しようと2週間前に予約をいれましたら、会場に入りきれない方の方が多く、すべて断っているとのことでした。残念。水野源三さん、星野富広さんのお二人の詩集は、多くの方を励まし続けてくれています。
私は、教師の最後の3年間は、障害を持ったお子さんたちの担任をさせていただいておりました。毎朝、決まって、クラスですることは「一人の小さな手」をうたうこと。そして、その日の子供たちの要望に沿って、水野源三さんの詩であったり、星野さんの詩であったり、と本を読み聞かせて、みんなが、落ち着いてきたら、学習に取り掛かりました。
集中力が短いので、机の上での学習は、なかなかできません。手先きを動かすのに、粘土では、味気がないので、白玉団子をこねさせたら、とても喜んで上手に丸く仕上げ、それをぜんざいの中にいれて、食べたときのどの子も満足した顔は忘れられません。
お家の方とも、連絡を密にするために、子供の様子(その日にきのうまでできなかったことができるようになったこと)をお知らせノートで伝えます。職員室では、学校行事などの計画は、障害をもったお子さんのことを一番に配慮してもらうよう、伝えていきました。いつの間にか、今まで、最後にしか、発言できなかった障害児学級の担任が一番先きに、意見を述べる事ができるようになりました。そんなことを、思い出しながら、今日一日をすごします。
10月28日
こちらも、朝夕は、ストーブを入れだしました。寒さに向かうのですね。私は、この11月で、60歳になります。やっと25年間働いた時の年金をわづかですが、頂けそうです。今まで2年間、収入ゼロでした。主人の年金にぶら下がって生かせていただけました。
上野緑ヶ丘教会では、また、ひとつの家族がふるさとへ帰るために、送別会をいたしました。見渡すと、若者は、一人、二人です。信仰の継承が叫ばれていますが、まず我が家から、子供たちを教会へ、導かねばと祈っていますが、仕事で日曜日に出なければならないので、厳しいです。でも、今すぐに実現しなくても、あきらめず、祈り続けていきます。
お渡りや 白髪の増えし 村祭り
黄落(こうらく)す 道を辿れば 清流
いよいよ、明日三重大学病院行きです。主人は、家にいても、落ち着かないのか、良いお天気なので、リハビリを兼ねて、山道を歩きに出掛けました。私も、思い切り讃美歌を歌って、自分に勢いをつけようとしています。神様にすべてを委ねきることができれが、平安になるのですが・・・。
11月4日
熱いお祈りに支えられ、検査結果を聞きに三重大学病院まで行ってきました。本当に、皆様のお祈りによって、検査結果は、すべて異常なしでした。
馬場さん!と、主治医の松峰先生に呼ばれて診察室へ入って、検査の結果を聞くまでのハラハラ、ドキドキ・・・。そして、私はこのように祈っていました。神様、主人は、きっと何かがみつかることと思います。でも、それを聞いて、決して、動揺することなく、静かに、大人らしく受け止めることができますように信仰を強めてください、と。今日はだめです。イライラが先行して、本を読んでは閉じ、また開いては読みの繰り返しです。
名前が呼ばれるまでずいぶん時間がありましたので、これは、ほかの先生方とこれからの治療方針について、話し合っているに違いないと、どんどん心配が増してきます。診察室で、先生がCTの画像、MRIの画像をパソコンで説明してくれますが、何がどうなっているか、素人にはさっぱりわかりません。
先生に、あのう・・・、再発転移はどうなのでしょう、と尋ねると、ああ、今のところ大丈夫ですね。
有難うございます。今年のクリスマスは、やっと2年振りで、教会の礼拝に二人で行くことができそうです。あさって、11月6日は、私の60歳の誕生日です。
主人に検査結果が異常なしだったことは、最高の誕生日プレゼントだよって、心から神様に感謝してそう伝えました。
娘にも伝えました。実は、娘は昨日主人の元気な姿を見るために帰ってきました。そして、私に三重大病院は遠いから、天理病院へ変るようにといってくれました。三重大までお母さんが毎日通うのは、体力的にしんどいから天理だったら、娘も、時々行く事ができるからとそう言い残して帰りました。
私は、真剣に何かがあったら病院を変わろうとしていました。主人にそのことをいうと、やはり最初に手術をしてくださった三重大の先生方に最後まで診ていただきたいとのこと。
一晩中、なかなか眠れず、朝になってしまいました。
今は、疲れているはずなのに、テンションがたかくなっているのか、元気です。
11月5日
早速のメール有難うございました。心から、感謝しています。
吉岡 繁先生はお元気でいらっしゃいましたのですね。いつも、先生の「緑のまきば」で、励まされ、強められたことを思い出しています。奥様もご一緒にいらしてくださったのですね。改革派教会のこれからを考えると憂えることが多いのですが、神様に祈りつつ、子供たちをまず、教会へと導きたいものです。
朝霧の 晴れて 日輪差しわたる
河川敷(かせんしき) 広びろとあり 秋の草 馬場路哉
主人は嬉しそうに、いそいそと名張の図書館へ出掛けました。その後、小山を歩きに行くといって水筒を片手に持っていきました。
私は、昨日あまりにも興奮しすぎて、郵便局に大切なキャッシュカードを置き忘れて、ありますと電話をもらって、何てあわてんぼうなのでしょう、と今から、郵便局に取りに行きます。
11月10日
おはようございます。冷たい雨のあとは、冬の到来を思わせる寒さです。スカーフ、手袋、靴下などを冬物にそろえて、いざ散歩へ出発です。少し、体がほっこりしてきます。
昨日の礼拝では、主人の検査結果が、異常なしと聞いて、会員の皆さんが大きな拍手で、祝ってくれました。感謝です。主に在る兄弟姉妹の祈りは、本当に強められ、支えられます。
午後から、三浦綾子さんのご主人の話を聞きに行きました。綾子さんは、多くの病を神様から、与えられ、そのことに対して、恵みだと、言われたそうです。病で苦しんでおられる方の気持ちに添えることができるから、といっておられました。私たちのような信仰とは、ずいぶん違うものだと、ただただ感心させられました。若いとき、三浦綾子さんの「塩狩峠」で、感激の涙を流したことを、思い出していました。主人は「銃口」を読み直したいと言って、名張の図書館へ、もう出掛けました。
農園に 育つ苗木や 秋日差し
車椅子 山茶花の道 押され行く 馬場路哉
きのうは、寒さの中、主人の叔母(こどもがいない)と主人の母とを見舞いに行ってきました。叔母は、ベッドに寝たきりで、私のことを心配してくれる人が誰もいない、といって寂しがっていました。胸がいっぱいになりました。
孤独とは、人を弱らせてしまいます。施設の方も見舞いに行くと、気を使ってくれますが、人手もなく思いとは違って機械的になってしまいます。そうでなくては、やっていけないのでしょうが、後味の悪いお見舞いになってしまいました。
11月14日
皆、孤独に耐え苦しみ、悲しみをのりこえて、人のことを思いやることがほんの少しできるように成長させられるのですね。主人も、よく口にする言葉ですが、郵便局長時代は、毎日毎日が命がけだったと。すると、どうしても、牧師先生に命がけの伝道を求めてしまって、批判的になってしまったと。そして、今、出来ることなら路傍伝道に携わりたいと、言っています。やはり、教会に来る方を待つだけでは弱くなります。皆からからかわれたり、傷つけられたりしても、この福音を述べ伝えるためには、外に向かって、呼びかける必要があるのではないでしょうか。
今年の年賀状に、初めて、聖句を入れました。山添村の方に私たちは、キリスト教徒です、と理解をしてもらうためにです。少し、勇気がいりましたが、年賀状を見た人たちからの反響を待って見ることにします。
馬場暁美
(上野緑ヶ丘教会員)
…10…
今年初めて、わが家の庭の片隅に1坪ほどの家庭菜園を造り、新鮮野菜を毎朝収穫し、食卓に載せることができました。おかげで家庭菜園の収穫期には、スーパーの野菜コーナーを素通りすることもありました。 ゴールデンウイーク明けの5月初旬、近くのJA蔬菜(そさい)センターで、ナス・キュウリ・トマト・ピーマン・シシトウの苗を数本ずつ購入してきました。 春先、庭木の手入れをお願いした造園屋さんに、畝を作っておいてもらったところに、苦土石灰を入れ、苗を植え付け、水遣りを忘れずに行うことを日課のひとつにしました。 苗は日々大きくなり、紫・黄・白の花をつけ、6月中旬、初収穫の日を迎えました。毎日欠かさず水遣りをし、丹精込めて育てた野菜には愛着があり、採りたて野菜の瑞々しさと美味しさは、店で買ったものとは一味違いました。
また、夏の最盛期には小人数では食べきれないほどの収穫もありました。
秋になり、路地ものキュウリは収穫できなくなりましたが、ナスはその後も暫く収穫でき、ピーマン・シシトウは今も小さな実をつけています。トマトはなぜかなかなか色づきませんでした。
初めての年としては「まあまあのできかな..」とひそかに自画自賛しています。来年は土作りから始めてみようかと、今は庭に大きな穴を掘り枯葉を集め、腐葉土を作っています。台所から出る生ごみも「ぼかし」を使って、堆肥にできるかどうか試しています。
ここ信州には、長くて寒い冬がすぐそこまで来ています。先日、霜が降りる前に、鉢植えを屋内に取り込みました。今までに何鉢も霜で枯らしてしまったので、早めに入れました。もう一つ、年内にやることは、知人が毎年作っておいてくれる野沢菜を漬けることです。こちらは霜に何回か当たった方が、美味しく漬かるようです。
「冬来たりなば春遠からじ」という言葉を、思い浮かべているこの頃です。
※「人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。」マルコによる福音書 4章26、27節
写真は「1坪家庭菜園」「高さ1メートルに生育した6年目のハナキリン」
今年初めて、わが家の庭の片隅に1坪ほどの家庭菜園を造り、新鮮野菜を毎朝収穫し、食卓に載せることができました。おかげで家庭菜園の収穫期には、スーパーの野菜コーナーを素通りすることもありました。 ゴールデンウイーク明けの5月初旬、近くのJA蔬菜(そさい)センターで、ナス・キュウリ・トマト・ピーマン・シシトウの苗を数本ずつ購入してきました。 春先、庭木の手入れをお願いした造園屋さんに、畝を作っておいてもらったところに、苦土石灰を入れ、苗を植え付け、水遣りを忘れずに行うことを日課のひとつにしました。 苗は日々大きくなり、紫・黄・白の花をつけ、6月中旬、初収穫の日を迎えました。毎日欠かさず水遣りをし、丹精込めて育てた野菜には愛着があり、採りたて野菜の瑞々しさと美味しさは、店で買ったものとは一味違いました。
また、夏の最盛期には小人数では食べきれないほどの収穫もありました。
秋になり、路地ものキュウリは収穫できなくなりましたが、ナスはその後も暫く収穫でき、ピーマン・シシトウは今も小さな実をつけています。トマトはなぜかなかなか色づきませんでした。
初めての年としては「まあまあのできかな..」とひそかに自画自賛しています。来年は土作りから始めてみようかと、今は庭に大きな穴を掘り枯葉を集め、腐葉土を作っています。台所から出る生ごみも「ぼかし」を使って、堆肥にできるかどうか試しています。
ここ信州には、長くて寒い冬がすぐそこまで来ています。先日、霜が降りる前に、鉢植えを屋内に取り込みました。今までに何鉢も霜で枯らしてしまったので、早めに入れました。もう一つ、年内にやることは、知人が毎年作っておいてくれる野沢菜を漬けることです。こちらは霜に何回か当たった方が、美味しく漬かるようです。
※「人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。」マルコによる福音書 4章26、27節
写真は「1坪家庭菜園」「高さ1メートルに生育した6年目のハナキリン」
…キリスト教…
社会福祉活動のあゆみ(17)
修道院の貧しい人々への救済(3)
修道院生活(3)
西方教会の修道院の生活は、東方教会に多くあったような単に恍惚として現世の世界を忘れる神秘的な瞑想生活ではなく、沈黙と勤勉とをもって努力する活動的生活でした。
ベネディクト会の修道者たちは、中世期の前半を通じて教化機関となりました。修道院は、しばしば模範農場であると同時に、宿屋であり、病院であり、学校であり、また、図書館でもあったのです。
修道者たちは、彼らの土地を立派に耕作することによって、周囲の人々に農耕の模範を示し、西ヨーロッパに宿屋のほとんど絶無であった時代に、旅人や巡礼者に宿を与えて歓待しました。飢えた者を養い、修道院の前に運ばれてくる病人を治療し、また薬を必要と
する者には、無料でそれを配布したり、多くの慈善事業を実施したのです。また、その学校において、司祭になる希望の少年と社会に出て活躍しようとする少年を教育しています。修道者は、その時代の学者であったのです。
フックス(1870-?)も修道院について、「風俗の歴史」で次のように書いています。
「修道院は最初の文明の所在地であり、最初の文明の伝播者であった。長い年代にわたって、修道院だけがそうであった。修道院から、初めて職業的手工業が勃興した。2、3の実例を挙げるなら、修道院の中に最初の織物職人があらわれました。更に、修道士は最初のビール醸造人であった。これと同じように、修道院によって、初めて合理的な農業がおこなわれた。そして修道士たちは、付近の住民にそれらを全て教えてやった。彼らは綿を織り、綿を着物にすることを教え、もっと有利な農業を教え、さらに生活水準を高めようとする意気込みを教えた。さらに修道院は自分を維持するために最初の市街を作った。修道院は初めて荒地を開墾して田畑に変え、沼沢を乾かし、堤防を築いた。修道院の堅固な石垣は、最初の堅固な石垣であった。もし捕縛好きの敵がその地方を襲った時は、付近の住民はその砦の後ろに逃げ込んで、自分たちの財産を隠すことが出来た。修道院と教会は、神の城郭であっただけでなく、俗世の敵に対する、最初の一番堅固な要塞であった」。
フックスはまた、修道院は中世文化の発生地であったと次のように描写しています。
「技術及び経済の分野において、修道士と修道院の役割に当てはまるものは、そのまま精神の分野にも当てはまった。修道院こそは、中世科学の一つの所在地であった。そこには最初の医者が住んでいた。人々はそういう医者から、人間や家畜の病気に対して、産婆よりも優れた方法を学んだ。修道院において、人々は、読み書き、計算を学んだ。著述は修道院だけで組織的に行われ、さらに推し進められた。・・・。修道院ではまた、初めてあらゆる文化の最高峰、つまり、様々な美術が発展した。修道院は長い年代にわたって、美術の最高の城郭となり、それに捧げるために、美術だけでなく、おおよそ中世の精神が美術をかりて作り出したもののうちで、一番偉大な美術、一番逞しい美術が作られた」。
フックスは、以上のものの生まれた原因は、全て修道院の生活の中に全部そろっていたことになるとだけ言って、その原因について説明はしていません。また彼は修道院が大切な技術的進歩の発生地であったことの説明としては、人間が修道院において初めて、歴史に於けるあらゆる技術の完成の自然な源とも言える労働の集約が出来るかの納得のいく説明はしていません。
また、修道生活の目的は完徳であって、そのために福音的3つの勧告を守り、世間から内的に解放され、これによって強化された力と同志との結合によって、修道士各人が各自の役割を、神の御旨として完全に果たすように努力したので、修道生活の一番重要な土台は、独身制度であるとし、修道士と修道女の独身生活は強制的な経済状態の結果と見ています。
また「修道院は、その有力な起源は貧しい人の団結で、貧しい人は個々ばらばらの場合より、一緒になってもっと暮らしを良くしょうとして、団結したものであった。この組織維持のためには、結婚生活を禁止するということだけが残された道だった」とも説明していますが、これは本末転倒の理論であると私は思っています。
この理論では、修道院は経済的組織として生まれ、その組織維持のために、必然的に独身生活を送らざるを得なかったということになるからです。経済的理由のみで団結した人間の共同生活で、修道院のように幾世紀にわたって続いているものが歴史上にあるだろうかと考えれば、当然のこととして、それ以外の精神的・信仰的理由がなければ成り立ちません。
あなたに聖書を
篠田 潔
わたしたちの間では、誕生日のお祝いが行われます。バースデーケーキやプレゼントを用意したりして祝います。楽しい祝いです。いうまでもないことですが、誕生日のお祝いは、その日に生まれてその日を祝われる人があってのことであります。
その人に向かって「おめでとう」というのであります。その人がいなければ誕生日のお祝いをすることはありません。また、その人が自分と親しい関係にあり、その人をよく知っているからお祝いするのでありまして、親しくもなく、知ってもいない人のために誕生日のお祝いをすることなどありません。
こういう分かりきったことを言うのは、今、クリスマスシーズンだからであります。ご承知のようにクリスマスというのはキリストの誕生のお祝いであります。ところが誕生を祝われるキリストのことを知らなくて、したがって、キリスト抜きでその誕生を祝うというのは、何ともヘンなことではないかと思うのですが、如何でしょうか。
ところが、実際には11月の終わり頃からデパートのクリスマスセールが始められ、ホテルでのクリスマスディナーショウのパーテイー券が売り出され、町のあちこちにイルミネーションが輝いたりして、クリスマスムードが盛り上げられています。
しかし、クリスマスはキリストの誕生のお祝いであります。キリストというのは「救い主」という意味の言葉であります。何を「救い」というかについてはいろんなことが考えられるでしょうが、聖書がいう「救い」は、本当のものでないものや事柄に取り付かれていて、その自覚もないままに、本来の自己と言うべきものを失っている状況から解放されることであります。その解放者がキリストであります。
どうか聖書によってその救いをもたらしてくださるキリストを知って、クリスマスが祝われるようにと願っています。
(参照聖句・ルカ福音書2:11)
(電話によるメッセージより・日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ 「ローマ人への手紙」研究 (49)
第36課 異邦人の召命とユダヤ人の拒否
9章1~11章36節(続)
A 神がユダヤ人を退け、異邦人を召されることは神の約束と矛盾するものではない。
9章1~24節(続)
「その愛顧を与えることにおいて、神は絶対的主権をもっておられる」
9章6~24節 (続)
現代における一般的で有害な誤りは、神の恵みの約束が外的で包括的なイスラエル、すなわち、アブラハムの肉的な子孫に対して与えられたとすることです。この誤った考えは、ユダヤ民族の未来やユダヤ人のパレスチナ帰還やその他の事柄をめぐっての種々の誤りへと進むのです。正しくは神の恵みの約束は霊的なイスラエル、すなわち、イスラエルの中のイスラエルに対して与えられたものです。内的で純粋の核心である真のイスラエルのみが、神の約束を主張し得るのです。 
このことを明らかにするために、パウロは、「また、アブラハムの子孫だからといって、その全部が子であるのではないからである。かえって、『イサクから出る者が、あなたの子孫と呼ばれるであろう』。すなわち、肉の子がそのまま神の子なのではなく、むしろ約束の子が子孫として認められるのである」と述べられています。
この箇所を分かりやすく言うと、「アブラハムの子孫であるという理由だけで、イスラエル民族のすべての者が、あなたの子孫と呼ばれるであろうかと言っておられるからです。すなわち、イシマエルのようにアブラハムの肉の子孫であるだけの者が神の子と認められるのではなく、神の約束が本当になされている者のみが、アブラハムの真の子孫と見做され、そのように取り扱われているのである」と言う意味です。
私たちがここでよく理解しなければならないことは、ユダヤ人、すなわち、イスラエルの人々はアブラハムの子孫の一部に過ぎないということです。アブラハムはイシマエルやケトラによる子供たちを通して大きな繁栄をもらったのであります(創世記25:1~18)。もし肉の子孫であるという点だけを注目すれならば、アブラハムの血統はユダヤ人と同じくアラブ人にも流れていっているのです。しかし、聖書はどこにもアブラハムの肉の子孫であるということのみが、神の恵みの約束と祝福を受ける鍵であるとは記していません。約束がなされ、祝福が与えられるのは、真の神と契約関係にあるグループであって、外的な包括的なイスラエル民族なのではありません。
神がこのことをアブラハムに明らかにされたのは、「イサクより出る者があなたの子孫と呼ばれるであろう」と言われた時でした。アブラハムはイシマエルこそ約束の子孫であると思っていました。それで、「イシマエルがどうかあなたの前に生きながらえますように」と言ったのです(創世記17:18)。
しかし、神は他のご計画をもっておられました。そしてアブラハムに答えられました。「いや、あなたの妻サラはあなたに男の子を産むでしょう。名をイサクと名づけなさい。わたしは彼と契約を立てて、後の子孫のために永遠の契約としよう。また、イシマエルについてはあなたの願いを聞いた。わたしは彼を祝福して多くの子孫を得させ、大いにそれを増すであろう。彼は12人の君たちを生むであろう。わたしは彼を大いなる国民としよう。しかしわたしは来年の今ごろサラがあなたに産むイサクと、わたしは契約を立てるであろう」(創世記17:19~1)。
現世的な繁栄と成功がイシマエルとその子孫に約束されました。しかし、神は「わたしはイサクとわたしの契約を立てる」と言われたのです。その後、イシマエルとハガルが追い出された時、神はアブラハムに対して、「イサクに生まれる者が、あなたの子孫と唱えられるからです」と言われました(創世記21:12)。
こうして、神の恵みの約束と契約関係は、アブラハムのすべての子孫に与えられたのではなく、選ばれた一部の者、すなわち、神が契約を立てられた真の子孫と認められた者に対してのみ与えられることが、彼の在世中に明らかにされたのです。
J.G.ヴォス著
玉木 鎮訳
(日本キリスト改革派引退教師)
祈 り
病院に勤務している者ですが、1年程前、ある女性と知り合いになりました。自棄になったように話してくれたことに、私はショックを受けました。
それからの彼女は麻薬を覚え、中絶し、人を騙してお金を取ることが当り前になってしまいました。10年目に、怪我をして入院しました。保険などは無く稼いだお金で支払いました。この生活から逃れることができるのは不法滞在者として逮捕されることです、と話してくれました。
心も体も病んでいました。10年と言う年月です。お話を聞いていて悲しくて泣きました。貧しさのために、家族のために過ごしてきた彼女に、どう言う言葉があるのだろうか、考えました。有りませんでした。故郷にも帰れないというのです。日本での仕事は知られている。差別されるだけで、また都会で同じことしか出来ないというのです。
彼女のような人は、日本に沢山いるそうです。私は、知りませんでした。同性として、人間として、金持ちで、無関心な自分(日本人)が許せないのです。・・・。この「つのぶえジャーナル」は同僚から教えてもらいました。
東京都 S・Kさん
「編集子」
これは4ヶ月ほど前に送られてきたメールをS・Kさんの許しを得て掲載しました。実際の文面はとても長いものですし、国名や掲載できない内容のものでもありました。プライバシーに関ることですので省略して有ります。上記の内容については、お祈りに覚えていただくだけにして下さい。
**************
つもった雪
土の雪 さむかろな。
つめたい月がさしていて。
下の雪 重かろな。
何百人ものせていて。
中の雪 さみしかろな。
空も地面もみえないで。
(金子みすゞ童謡集 わたしと小鳥とすずと)より
******************
憲法第25条(国民の生存権と国の保障義務) すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
② 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
松田重雄が観た「切支丹燈籠の世界」(10)
「切支丹灯籠への思い」(9)
「あなた方に言うが、もしこの人たちが黙れば、石が叫ぶであろう」(ルカ19:40)
神は「光あれ」と言われた。すると光があった。(創世記1:3)
「松田氏の分類・その3」
3 偽装時代型
制作年代=寛永・正保・慶安・江戸中期に至る。
竿 型=次第に十字架型は消滅し墓標化する。
足 型=仏像化した足型となる。足を露出しないものもある。
面 取=多く消滅している。
基 壇=基壇が多くなり、一般の燈籠型が多くななる。
庶民信仰= 民信仰と結びつくものが多くなる。禁忌のあるものが多くある。
庶民信仰= 民信仰と結びつくものが多くなる。禁忌のあるものが多くある。
4 無刻時代型
竿 型=墓標化する。
丸 味=直線的な形式が多くなる。
尊 像=消滅。
足 型=消滅。
尊 像=消滅。
足 型=消滅。
面 取=消滅。
基 壇=基壇が多くなり、一般の燈籠型が多くなる。
庶民信仰=庶民信仰と結びつくものが多くなる。禁忌のあるものが多くある。
庶民信仰=庶民信仰と結びつくものが多くなる。禁忌のあるものが多くある。
=記=
文章は、松田重雄著「切支丹燈籠の謎・研究」(同信社)からの引用もあります。また、ご子息の松田章義氏の賛同をいただいております。インターネットで「キリシタン燈籠」を検索して参考になさることをお薦めいたします。
「契約の継承」(54)
第7章 キリスト教教育のための方策
神の契約にそって生き、そして教える
神学的な一貫性と組み立ての調和(4)
讃美せよ。畏れるな。(4)
結びのことば:
それから、ユダとエルサレムの人々はひとり残らず、ヨシャパテを先頭にし
て、喜びのうちにエルサレムに凱旋した。主が彼らに、その敵のことについ
て喜びを与えられたからである。彼らは、十弦の琴、立琴、ラッパを携えて
エルサレムにはいり、主の宮に行った。地のすべての王国が、主はイスラエ
ルの敵と戦われたということを聞いたとき、神の恐れが彼らの上に臨んだ。
このようなわけで、ヨシャパテの治世は平穏であった。彼の神は、周囲の者
から守って、彼に安息を与えられた。
歴代誌下20・27ー30
私たちはしばしば大軍に直面します。時々、自信を失います。時には、み国の働きの重荷に打ちのめされたと感じて恐れを抱きます。また、時には疑いを持ちます。ー結果に関係なくこの若い青年に神のみ言葉に従うよう本当に励ますべきなのかと。時にはクラスで救われていない人や、言うことを聞かない契約の子どもが大変な重荷なこともあります。時には契約の共同体の一致が壊れることを恐れる心の葛藤があります。疲れる時もあります。時には、霊的戦いのために暗く塞ぎ込むこともあります。ヨシャファトの祈りは何度もわたしの祈りとなります。「わたしは力がありません…何を為すべきかわかりません…ただあなたを仰ぐことしかできません」。それからわたしは気がつくのです。ソロモンとヨシャファトの肩を借りて、主のみ前に立ち「主は恵み深く、慈しみはとこしえに」と繰り返し言っていることに。
わたしは他者にわたしと共に立ってくれるよう頼むなら、わたしがもっとしっかりと立つことーこれが契約に基づく方法ーを学んできました。集められる祝福の数々は金銀よりも遙かに価値があり、長く続くものです。
覚えておくべき点
巧みな手と、全き心をもって人々を養うためのビジョンと情熱のある人を、私たちは何処で見つけるのでしょうか。羊の檻の中を見てください。それをしている人々を探してご覧なさい。呼んでご覧なさい。助けてあげなさい。励ましてあげなさい。祝福してあげなさい。
月並みに甘んじてはいけません。祈りの場所で心を高く揚げ、讃美して、ベラカの谷へ進み出て、神の恵みによって、あなたの努力に聖なる油注ぎの祝福を受けなさい。スコットランドの神学者が次のように讃美の力について説明しています。
神殿の奉献の時には、多くの祈りがささげられ、神に受け入れられたこと
を示す何の聖別のしるしもなく、多くのいけにえが献げられた。しかし、
詠唱者と奏者がまるでひとつであるように、一つの響きをつくり、主を讃
美し、感謝して「主は恵み深く、その慈しみはとこしえに」と言うと、主
の栄光が降って神殿に満ちた。
問い: 私たちは教会においてどのようにキリスト教教育の働き計画し、実行した ら良いのでしょうか。
答え: キリスト教教育委員会が包括的なプランを巧みにつくることです。それは 神のみ心の全体が神学に基づき、関連性をもって誠実に教えられるためで す。プランとプログラムと人が祈りで満たされなければなりません。
契約を守る人になる
1 詩編百篇を読み瞑想しなさい。
2 歴代誌下20章を読み瞑想しなさい。直面している大軍のことを考え、ヨシャ ファトの祈りをしなさい。
3 この章の終わりにあるスコットランド神学者からの引用文をもう一度読んで下
さい。主を讃美する考え方で全生涯を見るように祈りましょう。
4 キリスト教教育プログラムのよく練られたプランが与える益を振り返って見て ください。あなたの教会でこの分野で働いている人たちのことを神に感謝しな さい。どのようにしたら彼らを励ますことができるのかを考えなさい。神があ なたに参加を求めておられるかどうか祈りなさい。
スーザン・ハント著
WIC委員会訳
みんなでわいわい・ご意見コーナー」
寒さが厳しくなりますと、富士山が鮮やかに、そして、迫ってくるような感じの季節になりました。今月も「つのぶえジャーナル」を送っていただきまして、有り難うございます。巻頭の詩篇126:5のみ言葉は、若い日の思い出にあるみ言葉です。半年くらい前から70歳近いご夫妻が教会にこられるようになりました。気が付きませんでしたが、「家内に認知症が出てきて・・・」とご主人は言っておられました。
そのご主人が、先日「家内には、独りだけ早く主の祈りや十戒を言わないように、讃美歌は大きな声で歌わないで、と言っているんですが、直ぐ忘れてしまうようで・・・」とすまなさそうに言われました。誰も全然気にしていなかったことで、驚いてしまいました。私たちの教会では、ごく普通のことのようになっていたのです。
それは、知らずの内にある兄弟から教えられ、学んできたことかもしれません。彼の存在をしみじみと思い返し、神様に感謝しました。
讃美する時、彼は思い切り声を出さないと出ないので、いつも音はズレていました。テンポはみんなより遅れたアーメンでした。でも、彼と長く一緒にいたことで、なんでもないことになっていたことに気付きました。聖餐式でブトウ酒をいただく時に、皆が頂いた後に聞こえていたズズッというストローの音、あの耳慣れた音が今はありません。折にふれ思い出します。その都度、暖かい気持ちになります。本当に不思議ですね。
静岡県 H・Tさん
今晩は。・・・。 先日はメール有難うございました。
長い信仰生活の道のりにはいろいろな出来事があって教会へ行く事がイヤになることは度々ですね。・・・家庭生活・社会生活・・・等々でも本当に困難な事があったりして、もうこの世から スーッと消えてしまいたい事も何度もあります。どうしてこんなに人間は怒り・嘆き・悲しみ・苦しみ・恨み・嫉み・等々で人間がイヤになることが多いのでしょうね。私は御言葉にある「絶えられない試練はない」・・・を信じて我に返るのですが 最近はそのような困難と立ち向かうエネルギーがありませんからなるべく無関心でいるように努力?・・しています。先ず直ぐ身体に影響しますので。
さてさて、今日はとても良いお天気でした。ボランティアの老夫妻から「谷汲」の紅葉を見たい・・・と(岐阜の山奥・・・市内から車で50分ぐらいの所・西国三十三寺)へ行ってきました。見事な紅葉でした。
長村さんも日本の寺はいい・・・と仰っていらっしゃいましたが、私も以前は興味がありませんでしたが、父が病気の時に、父の友人が早く良くなって、「四国八十八所巡り」をしましょう・・と見舞いに来た人がありました。その時、四国八十八所とはどんな所かと主人に聞きましたら・・・(主人は四国の出身)父が亡くなってから、その四国八十八所が気になって行って見たい・・・と主人に話しましたら、「それではこれから四国へ帰省するときに連れて行ってあげる」と言われて 八十八所を約10年かかって回りました。四国の人と結婚して四国の隅々までこの機会に回りました。八十八所巡りは四国の文化が寺を通じて千年以上も伝わっている人間の営みと文化は日本人には切っても切れないものがあること知りました。
その後 高野山へも行きましたが参道には信仰とか文化ではない厳粛な自然の空気を感じこれこそ神の畏敬・・・と思いました。神社・仏閣の建築の素晴らしさ・・その周りの文化・・・食文化もとても興味がありますね。
教会の姉妹で京都が好きで京都の寺巡り、その文化をくまなく回っている方がいらっしゃいます。時間があれば京都行きです・・・。私もこの次は京都巡りをしたいと願っていますよ。・・・。
長い信仰生活の道のりにはいろいろな出来事があって教会へ行く事がイヤになることは度々ですね。・・・家庭生活・社会生活・・・等々でも本当に困難な事があったりして、もうこの世から スーッと消えてしまいたい事も何度もあります。どうしてこんなに人間は怒り・嘆き・悲しみ・苦しみ・恨み・嫉み・等々で人間がイヤになることが多いのでしょうね。私は御言葉にある「絶えられない試練はない」・・・を信じて我に返るのですが 最近はそのような困難と立ち向かうエネルギーがありませんからなるべく無関心でいるように努力?・・しています。先ず直ぐ身体に影響しますので。
さてさて、今日はとても良いお天気でした。ボランティアの老夫妻から「谷汲」の紅葉を見たい・・・と(岐阜の山奥・・・市内から車で50分ぐらいの所・西国三十三寺)へ行ってきました。見事な紅葉でした。
長村さんも日本の寺はいい・・・と仰っていらっしゃいましたが、私も以前は興味がありませんでしたが、父が病気の時に、父の友人が早く良くなって、「四国八十八所巡り」をしましょう・・と見舞いに来た人がありました。その時、四国八十八所とはどんな所かと主人に聞きましたら・・・(主人は四国の出身)父が亡くなってから、その四国八十八所が気になって行って見たい・・・と主人に話しましたら、「それではこれから四国へ帰省するときに連れて行ってあげる」と言われて 八十八所を約10年かかって回りました。四国の人と結婚して四国の隅々までこの機会に回りました。八十八所巡りは四国の文化が寺を通じて千年以上も伝わっている人間の営みと文化は日本人には切っても切れないものがあること知りました。
その後 高野山へも行きましたが参道には信仰とか文化ではない厳粛な自然の空気を感じこれこそ神の畏敬・・・と思いました。神社・仏閣の建築の素晴らしさ・・その周りの文化・・・食文化もとても興味がありますね。
教会の姉妹で京都が好きで京都の寺巡り、その文化をくまなく回っている方がいらっしゃいます。時間があれば京都行きです・・・。私もこの次は京都巡りをしたいと願っていますよ。・・・。
岐阜県 K・Tさん
「つのぶえジャーナル」を見る楽しみの一つに、写真があります。キリスト教関係のホームページには無い感じですね。私は最近ホームビデオ作りを始めました。それまでは、「何でも写真」ばかりでしたから、「地域りぽーと」の写真や桑原さん、門間さんの写真にはとても興味があり、楽しんでいますので、これからも宜しくお願いします。
栃木県 T・Tさん
昨日から急激に冷え込み 我が家もストーブをたきました。息子が「オォ灯油あったんか!」と 感激してました。去年はストーブをたかずに過ごしましたが、今年は、ちょっと寒過ぎてもちません。我が家では、息子が、一番の寒がりの暑がり屋です。職場は、手足が冷えるそうです。私は、工場の広い所では、働いたことがないので想像しかできませんが、大きな体育館ぐらいで(もっと大きいかな)、クーラーも暖房も効かないのでしょうね。工場の機械を作っているのだから、それ相当の広さがいるでしょうから・・・。
それにしても寒い。
明日は、婦人科と歯科受診です。ホルモン療法と抜歯。ああ・・・午後は、痛いだろうなぁ。神経治療したところが、炎症を起こしているそうな。5%の確率に当たったそうです。口の中をきれいに磨いているのになる時はなるのですね。
指が縮こまっているので、手袋をしていますがあまり変わらないような気がします。
今日は、休養日です。PCしてごそごそして、早やこんな時間に・・・。すそ上げや刺繍もしたいですが、どうなることやら、用事が1日一個できたら善しとしてます。
家庭礼拝は続けていますよ。じゃあまたね。
奈良県 T・Mさん
『ありがとうございます』
今年のカレンダーも一枚になりました。その下には新しいカレンダーがあるのは嬉しいことです。どんな年になるのかを想像できるからです。
今月号の写真も、桒原 茂さん、廣子さん(日キ教団金城教会員・CBC「キリストへの時間」アナウンサー)、門馬 亨さん(犬山教会)、匿名さんのものを使わせていただきました。感謝です。
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絶版とご案内していりました「ウエストミンスター小教理問答書」(日本基督改革派教会信仰規準翻訳委員会=引章聖句付=¥650は、在庫がありますのでお求め下さい。
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編集・発行人 長村秀勝
『つのぶえジャーナル』のための献金者
郵便振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社
『クリスチャン音楽家を支える会』のための献金者
匿名1名様
郵便振替口座番号 00870-2-92464 クリスチャン音楽家を支える会
アダはヤバルを産んだ。彼は天幕に住んで、家畜を飼う者の先祖となった。その弟の名はユバルといった。彼は琴や笛を執るすべての者の先祖となった(創世記4:20~21)。
08年11月10日現在 編集・発行人 長村秀勝
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〒465-0065 名古屋市名東区梅森坂4-101-22-207
緑を大切に!
書籍紹介
エネルギー技術の
社会意思決定
日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授
「本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
共著者・編者
鈴木達治郎
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント
スーザン・ハント
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
鈴木英昭著
「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円