2023年7月号
№193
号
通巻877号
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
今月のことば
神よ、あなたはわたしを若い時から教えられました。わたしはなお、あなたのくすしきみわざを宣べ伝えます。詩篇71:17
老人にも大切な役割があります。語るべきことがあります。それは若者よりも、人生経験という点でまさっているからです。時に、自慢話になることもあることでしょう。しかし、経験してきたという点では、立派な権利を持っています。老人は若者に対して、全く別の任務を持っているのです。
その人生の歩みの中での傷跡、卑怯な自分、悪意と共に神様への不徹底な信仰、汚れや信仰に悩んだこと、疑い迷いを主にあって語ることです。そうして今あることをです。老人よ、人生においてどのような神体験をし、神の助けを頂き今あるかを…。
年老いた婦人が体験した子育てのお話は、若い母親には得難い経験であり、その失敗は大いなる教訓でもあります。
ある人が次のように言いました。
「ひとつの村の中で三世代の人たちを見渡せる場合には、いろいろなことについての人々の判断は違っていても、神様の義の支配を疑うというようなことは、次第になくなってゆく」。
もし主にある何世代もの人々を見渡すことができたらどうでしょうか。その時には、何の妨げもなく神讃美の歌声を上げるでしょう。
どうか父親たちや母親たちの口を開き、その子供や孫たちにあなたの救いの奇跡を物語る思いをお与えください。
PR
小閑記
…。自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい。
(Ⅰペテロ5:7)
この7節のみ言葉は6節の勧めを具体的に展開したもので、神のみ手のもとに「自らを低くする」ということは、「思いわずらいをいっさい神にゆだねる」と言うことに他ならない。この勧めの根拠は、「あなたの重荷を主にゆだねよ。主はあなたをささえられる。主は正しい人の動かされるのを決してゆるされない」(詩篇55:22)に基づいているが、同時にまた、主の山上の説教のマタイによる福音書6章25~34節やピリピ人への手紙4章6節「何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈りと願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい」との関連もある。
「思いわずらい」は、ここでは、とくに、迫害の苦難による恐怖をさすが、それは自らの運命を自分で確かめよう、処理しようとする暴挙に起因している。それは、自らを高くすることから起こるものである。人生の困難と窮乏とは、人の力に余るものであるから、神への信頼のないところに「思いわずらい」の生ずることは必然的である。この「思いわずらい」という語には「自分の」という代名詞と、「いっさいの」という形容詞とが結合していることが、しっかり読み取られるべきである。
「自分の」という語によって、「思いわずらい」が現実化され、「いっさいの」と言われることによって、「思いわずらい」がいかに徹底的に否定・克服されるべきであるか、明らかにされている。
「ゆだねる」という語は、元来、あるものの上に何かを投げかける、あるいは、置くことを意味する(ルカ19:35)。この語の意味していることのうちで、大切な点は、あるものを自らの手の中から、きっぱりと手放すこと、それを他のものに委託しきってしまうことである。すなわち、この「思いわずらい」が、きっぱりと手放されなければならないのは、「自分の」他の中からであり、それが渡しきらなければならないのは、神の手の中(神に)にである。「ゆだねる」という語をめぐって、「自分の」思いわずらいという語と「神に」と言う語とが対照的にはっきり読まれるべきである
石井晴美著・註解 ペテロの手紙(Ⅰ) ヨルダン社
上河原立雄撰
これらの文章の転載は許可を得ております。
眸
76歳のBさんは、朝から嬉しそうに外ばかり見ています。最近では「母の日」や「父の日」にお祝いを持って来る家族が増えましたが、それでも一番は「敬老の日」です。普段の気持ちとは違うのでしょうか、明るい雰囲気の一日になります。家族から離れて入所している方にとって一番の安らぎは家族の温かいひと言と気持ちです。
主婦として働いている私に欠けていることは、反省を込めて思うことは家族への心です。ごめんなさい。
長崎県 Y・Fさん
明かりを点け、パソコンのスイッチを入れるのが最初にすることです。母が毎日メールをくれるからです。嬉しくなったり、心配したり、弱気な母のことを考えて涙ぐんだりしています。それでも疲れて返信できず寝込んでしまうこともあります。うれしいのは、写真も送ってくれることです。お母さん、ありがとう。これからもよろしくね。
東京都 M・Mさん
自閉症者のひとりごと
(19)
9月13日
数日前から風邪っぽいのが続いているので、近所の医院に行ってきました。疲れた。退院疲れなのでしょうね。独りでいると滅入るので元の生活に戻したいけど、体がいうことをきかない。
わたしは独りでいるほうが好きなのでしょうね。気分をグラフにすると右肩下がりです。体はだるいし、やるべきことは手につかないし。死んでしまいたいと思う。即死で。さすがに実行に移せませんが。
9月27日
わたしは障害上、物事に対してイマジネーションはあまり持ち合わせていません。独自の世界は持っているようですが。近くの公園では、子どもがサッカーをしていたり、運動会の練習をしていたりする音がします。健全だなあと思います。
10月2日
遊び心というのは、心の落ち着き、平安がないと出来ませんね。と同時に心の落ち着きをもらうきっかけになりますね。それで、最近最寄りの地下鉄の駅まで(1キロ)歩くようにしていますが、慣れるまでもう少し時間がかかりそう。
10月8日
痛みは痛みを抱えている人にしかわかりません。どうにもならないのが辛いですね。
お祈りします。9日はわたし達の結婚記念日です。よく続いているなあ。これもひとえに主人の忍耐の賜物です。神様はよい配偶者を与えて下さいました。今日は身体に埋め込んである機械の点検日で病院に来ています。朝、どか食いをして、抗酒剤を飲んで洗濯機をかけているうちに、眠ってしまいました。慌てて起きたら、点検の時間になっていました。久しぶりに自転車に乗って病院へ行きました。機械は正常。わたしのほうは、昨日ほどにはないにせよ、変な感じです。
お祈りします。9日はわたし達の結婚記念日です。よく続いているなあ。これもひとえに主人の忍耐の賜物です。神様はよい配偶者を与えて下さいました。今日は身体に埋め込んである機械の点検日で病院に来ています。朝、どか食いをして、抗酒剤を飲んで洗濯機をかけているうちに、眠ってしまいました。慌てて起きたら、点検の時間になっていました。久しぶりに自転車に乗って病院へ行きました。機械は正常。わたしのほうは、昨日ほどにはないにせよ、変な感じです。
*******
百 舌
キリストの愛に はじめて触れたのは
百舌が鳴く 静かな朝
キリストの愛を 忘れないように
絶えず求めよと 今年も 百舌が鳴く
水野源三「今あるは 神の恵み」第三詩集
**********
「ご迷惑をお掛けしていました」
エドウィン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
定価 1500円
注文先 465-0068 名古屋市名東区牧の里2-1302-203
「つのぶえ社・つのぶえジャーナル」宛
電話・FAX 052-704-9164
☆ 友人や家族にコピー「つのぶえジャーナル」を送って欲しいという要望がありましたので、諸費用込みで一ヵ年1800円でお送りいたしますの、ご希望の方は、送り先住所、宛名、送り主の氏名の有無等をお書きの上、本の注文先と同様のところにお申し付けください。代金は後日、振替用紙をお送りいたします。
世田谷通信
(59)
猫草
縁あって、小学校の図書室で働くことになった。平日の3時間、図書室の整理などをして過ごす。エプロンをつけてネームカードをつけると、憧れの司書スタイルである。図書館は本屋以上に、私にとってはこの世で一番好きな場所なのである。ファーストフードの店員より時給の安いバイトだが、働きに出るのは実に10年ぶりなので、最初は勤務簿に印鑑を押すのさえ結構ドキドキし、社会に参加している気分になれて嬉しかった。
始めてみると、なかなか大変な作業が待っていた。前の司書さんは隔月勤務だったため、いない間の図書室は子どもたちの無法地帯と化している。本棚にはめちゃくちゃに本が積み重なっている。あるべき場所に本を戻す、たったそれだけのことだが、どこから手をつければいいのか見当がつかない。「怪傑ゾロリ」などのよく読まれる本は破損がひどい。ページがとれて本自体がボロボロになっている。でも新規購入予算はあまりないから修理しなくてはならない。私の夢としては、美しく、明るい図書室。楽しい企画展示とか、最近人気の本ランキングとか、やりたいことはたくさんあるが、とてもそんな余裕はない。
その愛のゆえに
=時々の記=
(32)
9月14日
術後の娘は、お陰さまで支えられ、まだ、視力のバランスがうまく取れないようですが、敬老の日の葉書を送ってくれました。皆様のお祈りにはげまされ、支えられ感謝です。今日は、山添村の道(村道)つくりの「出会い」ということで、朝早くから主人は草刈機、スコップ、鍬を持ってでかけました。教会の礼拝は、私一人でいきます。羽野さんとお話しできるのが楽しみです。
9月17日
お祈り有難うございます。主人は少し疲れ気味です。母校の金城学院の広報が届きました。120周年を迎えるとのこと。母校の発展は喜びでもありますが、古い規模の小さい、家庭的で熱心に学んだころの時代のほうが懐かしく、思い出されます。思い出に浸ってばかりいるのは、年のせいでしょうか?中でも、西田スエ子先生のお言葉が今も心に残っています。英語をマスターしようとするなら、まず、英語の聖書を毎日読み続けなさいと先生の言われたように実践していたら、英語の力はもっと伸びていたでしょう。4福音書はまだ、何とか読めるのですが、それ以降は、かなり難しく最後まで読みきることは出来ません。英語力不足を感じるものです。
連なれる 朝顔の種 天を向く
友垣の 零れる笑みや 萩の花
秋の田の 前に広がり 伊賀の里 馬場路哉
昨日、NHKで、犬(運命を変えたデュロン)のことが、放映されていました。一人の孤独な男性の話し相手になり、支えつづけ、励ましていくフィクションでした。犬はたしかに人の気持ちを読み取ることができます。言葉は話せませんがいつも慰め、癒してくれます。犬との共存は大変ですが、元気をもらうことが出来ます。そして、人の言葉をよく理解できます。何時までも、元気でいてね、と今朝は、特別な想いで散歩に出かけました。
朝ぎして 食の進みぬ 秋のくさ
秋暑し 無理をするなと 言う翁(おうな)
10月1日
ここ二日、犬たちのワクチン接種のために上野まで、何回も連れて行かねばならず、少し疲れました。でも、どの子もとてもおりこうさんですね、と先生に言っていただき、疲れが半分になりました。
10月7日昨日、(6日)
地味ながら 落ち着きのあり 男郎花(おとこへし) 馬場路哉
世田谷通信で、魚は過酷ないじめがあり、縄張り争いがあること教えられ、我が家の犬たちのも共通するところがあり、動物たちも誰よりも自分を認めてもらいたい。そして、愛されたい、と必死で生きているように思われてなりません。みんな仲良く一緒に暮らそうね。と話しかけておきましたが…。
10月8日
来週は、この山添村の秋祭りです。江戸時代から伝わる行事です。神輿(みこし)、鬼の行列、それらを見守るかのよう、高齢の方が着いて歩きます。見ていると宗教に関係なく、秋の豊作を祝っての喜びが伝わってきうきうきするのです。去年は、主人の手術の日でしたので、そんな気持ちになれませんでしたが、今年はちょっぴり、味わうことができます。
10月11日
久しぶりにゴダート先生にお手紙を書きました。英語の力が年とともに、落ちてきているので簡単な手紙ですら辞書を横において、やっと書き上げることができました。きっと変な英文で、ゴダート先生は笑われることでしょう。でも、いつも遠いアメリカの地で、主人や私のこと、を祈ってくださっているのです。今回も、検査を控えて、夜中に目が覚め、はっとさせられ、神様、お願いです、もう少し主人を生かせてください、とじっと一人で祈ることが多くなりました。そのことをゴダート先生にお伝えして、祈っていただこうとお願いしました。わがままなお願いかも知れませんが、今は、主人の検査とその結果のことで、頭がいっぱいです。出来るだけ、冷静でいたいのですが、なかなか、そうはいきません。なんと弱い信仰なのでしょう。押しつぶされそうな、弱さです。
10月13日
昨日、12日(午後2時)に今年のNHKの合唱コンクール中学校の部が、教育テレビで、放映されていました。アンジェラ・アキさんの手紙を各ブロック代表の生徒たちがとても、一生懸命に歌っていました。暑い今年の夏に汗をかきながら、歌に想いをこめて、練習を重ねた様子が目に浮かぶのでした。3時間あまりテレビに釘付けになって主人とふたりで、聞き入りました。
負けそうで、なきそうで、消えてしまいそうな僕は
誰の言葉を信じ、歩けばいいの?
何時の時代も悲しみは避けて通れないけれど、
笑顔を見せて今を生きていこう。
この歌詞が、今の私たちの心境と同じです。本当に素晴らしい歌詞です。そして、どの中学生も、さすが代表とあって、歌声は会場いっぱいに響き渡っていました。アンジェラ・アキさんが書かれたこの手紙は、何時聞いても、涙を流さずにはいられません。勇気を有難う。明るく生きていこうと、今60の私を慰め、励ましてくれたひと時でした。
今朝も、秋晴れの気持ちの良いお天気です。毎週月曜日の朝、早くから、主人と二人で、山添村の公園のトイレ掃除にボランティアデーに行ってます。最初は、ゴミが多かったのですが、きれいに掃除をし始めてからゴミが少なく、トイレの汚れも目立たなくなってきました。人間の心理って不思議です。美しくしてあれば、協力してくれる。よごせない。そんな気持ちになってくれるみたいです。誰にも、会わないように、6時から7時までときめています。
馬場暁美
(上野緑ヶ丘教会員)
水篶刈だより
…9…
“山滴(したた)る”夏が過ぎ、まさに“山粧(よそお)う”秋が訪れました。今年は夏から一気に肌寒い気候に早変わりした感じがします。
この時期、私の安らぎのひと時は、帰宅してすぐに2階の一番奥の暗くなっている部屋に行き、庭の虫の音に耳を澄まして聴き入ることです。そんな月明かりの静けさの中で祈っていると、うとうとして少し寝てしまうこともしばしばです。
今年も本屋さんの店頭に、来年のカレンダーや日記帳が並ぶ季節になりました。私が付けている「10年連用日記」も今年が10年目の年になりました。10年前と言えば、今年社会人1年生になった息子が中学生、娘は大学受験生だった年で、親としてやきもきしながら、何ともやりきれない日々を過ごしていた当時のことが脳裏をかすめます。過去10年間の出来事が日記帳の1ページに納まっているので、全部埋まっていく今年は感慨深いものがあります。美術館や観劇の半券、旅行の思い出の品々などが一緒に貼ってあるので、当時を懐かしく振り返っています。
何年か前の年頭所感に、キルケゴールの「人生は将来に向ってしか生きられないが、振り返ってしか理解できない」という言葉を引用し、記してあるのを見つけました。神様に出会って以来、時にはうっとうしく、逃れたいと思いながらも、ずっと神様の存在や神様と自分との関係について問い続けてきたような気がします。そして、今まで歩んできた道で、悩んだこと、苦しかったこと、うれしかったことなど、すべての経験が今の自分を作っているのだと思えるようになって来ました。自分自身が日々、移ろいやすい不確実な心の持ち主だからこそ、永遠に変わらぬ神様の支えと
導きを祈り求めているのでしょう。そう気づかせてもらえたことで、年を重ねていくことも満更ではないなと感じているこの頃です。
「“讃美歌497番の3” の主イエスを信じて歩んで行かせてください」と祈りつつ、感謝して歩んでいきたいと思います。 「 イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠にかわることのない方です 」ヘブライ人への手紙 13章8節
写真は「 私の愛用している10年連用日記 」 「 時々、お訪ねするお宅の庭にいちじくの実 」です。
“山滴(したた)る”夏が過ぎ、まさに“山粧(よそお)う”秋が訪れました。今年は夏から一気に肌寒い気候に早変わりした感じがします。
この時期、私の安らぎのひと時は、帰宅してすぐに2階の一番奥の暗くなっている部屋に行き、庭の虫の音に耳を澄まして聴き入ることです。そんな月明かりの静けさの中で祈っていると、うとうとして少し寝てしまうこともしばしばです。
今年も本屋さんの店頭に、来年のカレンダーや日記帳が並ぶ季節になりました。私が付けている「10年連用日記」も今年が10年目の年になりました。10年前と言えば、今年社会人1年生になった息子が中学生、娘は大学受験生だった年で、親としてやきもきしながら、何ともやりきれない日々を過ごしていた当時のことが脳裏をかすめます。過去10年間の出来事が日記帳の1ページに納まっているので、全部埋まっていく今年は感慨深いものがあります。美術館や観劇の半券、旅行の思い出の品々などが一緒に貼ってあるので、当時を懐かしく振り返っています。
何年か前の年頭所感に、キルケゴールの「人生は将来に向ってしか生きられないが、振り返ってしか理解できない」という言葉を引用し、記してあるのを見つけました。神様に出会って以来、時にはうっとうしく、逃れたいと思いながらも、ずっと神様の存在や神様と自分との関係について問い続けてきたような気がします。そして、今まで歩んできた道で、悩んだこと、苦しかったこと、うれしかったことなど、すべての経験が今の自分を作っているのだと思えるようになって来ました。自分自身が日々、移ろいやすい不確実な心の持ち主だからこそ、永遠に変わらぬ神様の支えと
「“讃美歌497番の3” の主イエスを信じて歩んで行かせてください」と祈りつつ、感謝して歩んでいきたいと思います。 「 イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠にかわることのない方です 」ヘブライ人への手紙 13章8節
写真は「 私の愛用している10年連用日記 」 「 時々、お訪ねするお宅の庭にいちじくの実 」です。
…キリスト教…
社会福祉活動のあゆみ(16)
修道院の貧しい人々への救済(2)
修道院生活(2)
次の段階は、散在した修道院に内面的な力を秩序に適応させると共に、共通の組織と管理を与えることでした。その重要な役割を果たし、東方教会における修道院生活の1つの形態を確立したのは、大司教聖バシリウス(331~379)でした。「バシリウスにとって、修道院生活とは、禁欲的な奉仕と謙遜、罪の償いなどのような愛と思いやりと言う、完全なキリスト教生活の枠組みを与えるような1つの共同体であった」(D・ノウルズ著「修道院」)。
彼が自分の指揮下にあった修道者の指導のために書いた規則は、精神的な勧告と聖書の注解でした。ビザンチン帝国のほとんど全ての修道院や、またロシアの後の修道院のほとんどは、西欧の修道士がベネディクトに負うのと同様に、彼の規則を修道精神の基礎にしていました。
西方教会では、聖ベネディクト(480~54?)が西欧の民族性に最も適合したミサ聖餐を中心にして、「祈り、そして働け」という修道生活を教えました。聖ベネディクトは529年、ローマとナポリの中間にあるモンテ・カッシーノに大きな修道院を建設し、そこの修道士たちを統率するために修道士たちの守るべき戒律を作りました。これはある点では、聖バシリウスの戒律を模範にしたものであったと言われていました。これが10世紀に至るまで、西方の修道院戒律の唯一とされた有名な「ベネディクトの戒律」でした。
それは「経験から生まれ、体験によって案出された普遍的な理想を有し、人間の最も深奥の本性に合致し、その社会的必要性を考慮したものであった。規則の詳細ここに記す余裕はないが、ただそれは、祈りと苦行、単純性と精神性の正方形の上に立ったものであると言えば足りるといわれている」ものであったといわれています。
ベネディクトの与えた戒律の知恵は、その結んだ果実によって証拠立てられています。ベネディクト会に属する偉大な人々の名は数え尽くすことは出来ないほどです。修道士たちは、生活共同体を作り、終身職である修道院長の指図に服しました。富める者も貧しい者も、身分の貴い者も貧しい者も、誰でも1年の修練期間を経て、修道院に入ることが出来ました。修道士は、清貧、貞潔、従順の3つの誓願を守る根本的な義務があり、その他に、定住の生活、すなわち、一生涯修道院を変えないで、一定の修道院内で生活するという誓願を守ることが要求されていました。
これらの規則のうち、特に重要なのは、完全な服従と自己否定の心であり、生活上においては、規則正しい祈祷と黙想及び労働の義務でした。最初は田畑を工作したり、あるいは森林を開墾したり、沼地を乾かしたり、野外の労働のみを奨励しましたが、カシオドス(490~585・ローマの政治家、歴史家。540年頃修道院に入る)が修道者になってから、ローマの文化の保存に努め、文献の収集や写本などの学術上の勤労をも奨励するようになりました。そこから多くの学者、筆記者が輩出し、古代文化の貯蔵所としての役目も果たすようになったのです。これは、後の時代修道院が果たした科学・文化・芸術・歴史の大きな役割となりました。
あなたに聖書を
篠田 潔
わたしたちの中には、誰か有名人に会ったことがあると、その人を知っていることを、誇らしげに言うことがあるように思います。またタレントとして知られている人と握手したり、その人からサインを貰っていたりすると、そのことを喜んで人に話すと思います。それは有名人と接触したことによって、そういう人が持っている優れたものに、自分があやかることが出来たという、心理的な満足感や、他の人が味わっていないことを自分は味わっているという優越感があるからだと思います。
ところで、イエス・キリストは、弟子たちを派遣するに当たって、「イスラエルの家の失われた羊の所へ行きなさい」と命じられました。「失われた羊」というのは、仲間から外れている者のことであり、共に生きる喜びを失っている人のことであります。有名人やタレントに触れることは喜んでいますが、失われた羊のような人の所へ行くことは、そういうことをしても何の得もありませんから、すすんでしようとはしないのが、わたしたちの実状ではないかと思います。
ところが、キリストは、みんなから失われている人のところへ行くように、と言われました。それは、キリストが心にかけておられたのは、有名人やタレントのような人でなく、失われた人たちであったからです、失われた人たちが「自分は失われていないのだ」と思うに至るのは、そういう人の傍らにいて、いつも「わたしがついているよ」と声をかけてくれる人がいることを知ることによります。
それは自分が愛されていることを知ることであります。自分が愛されていることを知る時、人は失われた存在ではなくなります。
ということを考える時、キリストが「失われた羊のところへ行きなさい」と言われたのは、失われた者を愛しなさい、という勧めに他ならなかったと思うのであります。それは、キリスト自身が、そのために、命をかけられたことであったからです。わたしたちの目の向く所、心の向く所、愛する対象が、キリストが言われているように、自分自身を含めて、この失われている者へと変えられることが、聖書が求めていることであります。
(参照聖句・マタイ福音書10:5~6)
(電話によるメッセージより・日本基督教団隠退教師・元「キリストへの時間」協力委員・ラジオ説教者)
「ローマ人への手紙」研究 (48)
第36課 異邦人の召命とユダヤ人の拒否
9章1~11章36節(続)
A 神がユダヤ人を退け、異邦人を召されることは神の約束と矛盾するものではない。
9章1~24節(続)
「その愛顧を与えることにおいて、神は絶対的主権をもっておられる」
9章6~24節 (続)
9:1~5において、パウロはユダヤ人の兄弟たちに対する彼の愛と関心を述べましたが、続いて、神がユダヤ人を退け、異邦人を召されるという主題を直接に取り上げます。
9:6~8で、パウロは神の約束は、肉のユダヤ人、すなわち、アブラハムの血族的子孫に対してなされたのではなく、「子孫として認められる」約束の子である、より小さなグループに対してなされたことを示すのです。
もしユダヤ人の拒否と異邦人の召命ということが、神の約束の破棄であるとすれば、「神の言葉が無効になった」、すなわち、「神のみ言葉は取り消され、無効とされた」ということになります。しかしパウロは神の言葉が無効になったのではないと断言しています。したがって、神がユダヤ人を退け、異邦人を召されたということは、神の約束の全て、また旧約の全ての事柄と完全に首尾一貫していて矛盾していないと見做されねばなりません。
しかし、熱心なユダヤ人にとって、神の側におけるこのような御行為は、神ご自身の約束とユダヤ人に対するこれまでの神の御行為と全く矛盾するものであると見えるのです。そこでパウロは、この矛盾と見える事柄を説明しようとするのです。パウロは「イスラエル」という言葉は2つの違った意味ではない、と説明するのであります(9:5)。
この言葉を説き明かすと、「イスラエルの人々がすべて純粋のイスラエル人であるとは限らない」ということでしょう。外面的意味におけるイスラエル人、すなわち、イスラエル民族、アブラハム、イサク、ヤコブの血族的子孫です。この外面的なイスラエルは真に神を知っている人々と真に神を知っていない人々の両方を含んでします。それはサムエルやダビデのような真の信仰者を含んでいますが、また一方では悪い人間、例えばサウルやアハブのような者も含んでいます。外面的な意味においては、このようなサウルやアバブもサムエルやダビデと同じくイスラエル人でした。
しかし、このような外形的・包括的なイスラエルの中に、中心的な核として、真の神の子たち、救われた者たちがいるのです。この中心的な核こそ真のイスラエルでした。神の御計画において真に意義をもっているのはこのイスラエルであり、また、神が真に契約を結ばれたのはこのイスラエルでした。それは外的イスラエル民族という大きな団体の中にある真のイスラエルなのです。
J.G.ヴォス著
玉木 鎮訳
(日本キリスト改革派引退教師)
松田重雄が観た「切支丹燈籠の世界」(9)
「切支丹灯籠への思い」(8)
「あなた方に言うが、もしこの人たちが黙れば、石が叫ぶであろう」(ルカ19:40)
神は「光あれ」と言われた。すると光があった。(創世記1:3)
「松田氏の分類・その2」
2 迷彩時代型
制作年代=元和・寛永・江戸前期に至。
竿 型=十字架型、T字型クルスが現れる。墓標化が現れ始める。
丸 味=次第に直線化してくる。
足 型=足首が短くなる。甲もやや小さくなる。
足 型=足首が短くなる。甲もやや小さくなる。
面 取=次第に消滅する。
基 壇=基壇が現れ始める。
庶民信仰=地蔵・観音・庚申・道祖神・天神信仰に結びつくものが現れ始める。
尊 像=八頭身型のものが少なく6~5頭身となり、次第に地蔵化し、袈裟衣紋も
庶民信仰=地蔵・観音・庚申・道祖神・天神信仰に結びつくものが現れ始める。
尊 像=八頭身型のものが少なく6~5頭身となり、次第に地蔵化し、袈裟衣紋も
現れ始める。
=記=
カテゴリー
ブログ内検索
バックナンバー
カウンター
★ごあんない★
毎月第一日更新
お便り・ご感想はこちらへ
お便り・ご感想くださる方は下記のメールフォームか住所へお願いいたします。お便りは「つのぶえジャーナル」の管理人のみ閲覧になっています。*印は必須です。入力ください。
[PR]Samurai Sounds
〒465-0065 名古屋市名東区梅森坂4-101-22-207
緑を大切に!
書籍紹介
エネルギー技術の
社会意思決定
日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授
「本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
共著者・編者
鈴木達治郎
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント
スーザン・ハント
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
鈴木英昭著
「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円