2023年7月号
№193
号
通巻877号
×
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「契約の継承」(53)
第7章 キリスト教教育のための方策
神の契約にそって生き、そして教える
神学的な一貫性と組み立ての調和(3)
讃美せよ。畏れるな。(3)
ラッパを吹き鳴らす者、歌うたいたちが、まるでひとりででもあるかのよう
に一致して歌声を響かせ、主を賛美し、ほめたたえた。そして、ラッパとシ
ンバルとさまざまの楽器をかなでて声をあげ、「主はまことにいつくしみ深
い。その恵みはとこしえまで。」と主に向かって賛美した。そのとき、その
宮、すなわち主の宮は雲で満ちた。祭司たちは、その雲にさえぎられ、そこ
に立って仕えることができなかった。主の栄光が神の宮に満ちたからである。
ヨシャパトの戦略は本当は奇想天外ではないのです。彼はおののきません…彼は讃美することが、神のみ前に近づく相応しい方法であることを歴史を通して知っているので、王の王を讃美して民を導きます。詩編の著者はそれを美しくうたっています。
感謝しつつ、主の門に、賛美しつつ、その大庭に、はいれ。主に感謝し、御名
をほめたたえよ。主はいつくしみ深くその恵みはとこしえまで、その真実は代
々に至る。
詩編100篇4~5
わたしはこの物語が好きです。話はますます良くなっていきます。ヨシャパトと彼の軍隊は進行中です。敵はもう見えません。しかし…
彼らが喜びの声、賛美の声をあげ始めたとき、主は伏兵を設けて、ユダに攻
めて来たアモン人、モアブ人、セイル山の人々を襲わせたので、彼らは打ち
負かされた。アモン人とモアブ人はセイル山の住民に立ち向かい、これを聖
絶し、根絶やしにしたが、セイルの住民を全滅させると、互いに力を出して
滅ぼし合った。
歴代誌下20・22~23
神の契約の民は荒れ野を見渡せる山頂に来て大軍が見えるのを期待していましたが、「その地には、死体が横たわり、生き残った者は一人もなかった」(24節)
話はなお更に良くなります。
ヨシャパテとその民が分捕りをしに行くと、その所に、武具、死体、高価な
器具を数多く見つけたので、これを負いきれないほど、はぎ取って、自分の
ものとした。あまりにも多かったので、彼らはその分捕りに三日かかった。
歴代誌下20・25
スーザン・ハント著
WIC委員会訳
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「みんなでわいわい・ご意見コーナー」
東京都 Y・Nさん
最近、写真が多くなりましたね。拡大して楽しんでいます。私は学生時代に名古屋の御器所という所に住んだことがあります。近くには鶴舞公園があり、古本屋街があり通いました。随分変ったでしょうね。今の様子が知りたいです。ついでの時にでも街の様子の写真もお願いします。
広島県 T・Tさん
『ありがとうございます』
真夏の延長のような名古屋の日々もようやく初秋へと季節も変わりました。近くにある牧野が池公園にある茂っていた木の葉も数少ない黄葉になりました。皆様には夏の疲れが癒され、健康が守られますようにお祈りいたします。
今月号の写真は、桒原 茂さん、廣子さん(日キ教団金城教会員・CBC「キリストへの時間」アナウンサー)、門馬 亨さん(犬山教会)のものと送信してくださったものを使わせていただきました。感謝です。
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編集・発行人 長村秀勝
『つのぶえジャーナル』のための献金者
馬場暁美様 阿南美津江様 匿名1名様
郵便振替口座番号 00800-1-45937 つのぶえ社
『クリスチャン音楽家を支える会』のための献金者
匿名1名様
郵便振替口座番号 00870-2-92464 クリスチャン音楽家を支える会
アダはヤバルを産んだ。彼は天幕に住んで、家畜を飼う者の先祖となった。その弟の名はユバルといった。彼は琴や笛を執るすべての者の先祖となった(創世記4:20~21)。
08年10月10日現在 編集・発行人 長村秀勝
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〈つのぶえ社・出版物案内〉
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旧約婦人物語
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ポーリン・マカルピン著
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550円
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新約婦人物語
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ポーリン・マカルピン著
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350円
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さんびか物語
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ポーリン・マカルピン著
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3000円
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ジャパニズ・ヒムス・
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イン・イングリッシュ
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ポーリン・マカルピン著
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1500円
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日本伝道百年史
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バラ・マカルピン宣教記念誌
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発刊編集委員会
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1500円
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田舎牧師の記
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諏訪武臣著
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3500円
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初歩教理問答書
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(日曜学校用)
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250円
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解説ウェストミンスター信仰告白
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岡田 稔著
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500円
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緑のまきば
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=絶対者なる神を求めて=
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吉岡 繁著
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2000円
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聖霊とその働き
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E・H・パーマー著
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鈴木英昭訳
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1500円
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初めて学ぶキリスト教
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ヘリクマ・テュック共著
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鈴木英昭訳
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700円
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死後と終末
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W・ヘンドリクセン著
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鈴木英昭訳
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1900円
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われらの教会と伝道
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C・ジョン・ミラー著
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鈴木英昭訳
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1000円
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ウェストミンスター小教理案内
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鈴木英昭著
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1500円
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ウェストミンスター信仰基準
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鈴木英昭訳
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1100円
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小教理問答
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大教理問答
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信仰告白
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ウェストミンスター小教理問答書
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信仰規準翻訳委員会
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650円
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十戒と主の祈り
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鈴木英昭著
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1800円
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カルヴィニズムの五特質
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E・H・パーマー著
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鈴木英昭訳
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1500円
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男女の役割の関係
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ジョージ・W・ナイトⅢ著
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鈴木英昭訳
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1000円
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今月のことば
店頭には、来年のカレンダーの販売広告が出ていました。私たちもいろいろな願いと希望をもって、2008年を歩みだしました。反省を込めて振り返る時、自分の弱さや無能力を認め、神様の力に目を注ぎ、神様の助けに望みをおいていたはずですが…。
自分自身から目を離し、自分の目を、自分の視線を神にもう一度向け直してみたいからです。確信とは、自分の確信ではなく、神に置くことです。
「キリストにあずかる者」とされるとは、何と幸いなことでしょう。そのためには、自分自身を全面的に信頼し頼るのではなく、貧しく無力な者として神様にこの身を向けるところから始まります。「最後までしったりと持ち続けるならば」は、漠然と残りの今年という意味でないことは確かです。考えてみました。その一日を、ひと月を、その一年を、キリストなしでも過ごすことに、救い主なしで済ませている姿を…。惨めで、虚ろな心に陥っている姿を…。いつの日にかキリストが「汝らは私と何のかかわりのない者」という宣告を受ける自分を…。
それは、恐ろしいことです。私たちのカレンダーは日々新鮮な日めくりカレンダーなのです。
万物は、神からいで、神によって保たれ、神に向かっているのである。栄光がとこしえに神にあるように、アーメン。(ローマ11:36)
小閑記
「聖徒とされる」
聖徒について、聖書によってもう少し詳しく示される必要があります。その点について、申命記7章6節~7節を見ていただきたいのです。「あなたはあなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地のおもてのすべての民のうちからあなたを選んで、自分の宝の民とされた。主があなたがたを愛し、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの国民よりも数が多かったからではない。あなたがたはよろずの民のうち、もっとも数の少ないものであった」と書いてあります。
聖なる民とされるということの大事なことは、何時でもわらわれが神から選ばれた者であることなのであります。なぜならば、われわれは、神に属する者などと自分で言うことは出来ない者です。そのような自信はありませんし、そういうことを考えるならば失望する他ないのであります。しかし、神の方から選んで下さったというのであれば、それは話が違うのであります。
7節~8節を見ますと「主があなた方を愛し、あなたがたが選ばれたのは、あなたがたがどの国民よりも数が多かったからではない。…。ただ主があなたがたを愛し、またあなたがたの先祖に誓われた誓いを守ろうとして、主は強い手をもってあなたがたを導き出し、奴隷の家から、エジプトの王パロの手から、あがない出されてのである」とも書いてあります。
イスラエルが選ばれたのは、イスラエルが一番多い民であるとか、一番優れているとか、一番力があったからではなく、何の力もないのに、神がこれを愛されたからである。そこに、イスラエルが救われたという事の意味がある、と書いてあるのです。
われわれは、そういう意味で、自分たちが救われたことの意味を考えて見る必要があるのです。それは、数が多いからではないというのは、実は、何の特権もないということなのです。数の多さでなく、特別清らかでもなく、特別に頭が良いわけでもないのです。
ただ、神が我々を愛して下さった、ということなのです。
(竹森満佐一著ピリピ書講解説教集より)
上河原立雄撰
この文章の転載は許可を得ております。
眸
…。この所涼しく感じられますね。何とか暑い夏を乗り越え、無理かなあと思っていた夏休みの部活も終えることが出来そうです。私にとって体調は一番の悩みですが、いかがでしょうか?私は休みの後半の10日ほど物凄く痛みが酷くて、痛みで眠れず、久しぶりに外にでても座り込んでしまったりと思わしくない状態がありました。家で何となくテレビを見ていたら、みんなのうたで、アンジェラ・アキさんの『手紙』を聞きました。今の私にエールを送ってくれてる歌だなぁと感激しました。受験や将来のことを考えると不安で押し潰されそうでしたが、何か勇気をもらい、また頑張ってみようと思いました。無理をせずお体大切になさって下さい。私には難しいですが、「つのぶえジャーナル」、ところどころ読んでいます。
近況報告です。
近況報告です。
愛媛県 F・Mさん
教会生活は、続いていませんが、心のどこかに、神様の存在を感じていることに感謝しています。
奈良県 A・Rさん
猛暑の後はゲリラ豪雨です。次は何でしょう。お元気でいらっしゃいましたか。私は、もっと足が悪くならない内に、歩くことに挑戦しています。上高地、伊吹山など。しかし、その結果、高低差のあるところは足に負担がかかり痛くなりました。
8月1日にやっと初孫が産まれ、てんやわんやの毎日で自分のリハビリも出来ず振り回されていました。いなくなったので、これまらまた、筋トレ、ストレッチ、プールに頑張ります。お盆休みに娘と赤沢自然休養林と開田高原に行ってきました。
施設生活にも母子共に慣れるまで心配でしたが、娘は、この一年、大きな病気もせず、元気です。ありがたく感謝の毎日です。
愛知県 A・Mさん
自閉症者のひとりごと
(18)
8月14日
退院して、またい日々を過ごしています。今回の手術は、特別難しい手術ではありません。ただ日本ではあまり脊髄刺激療法は行っているところが少ないのです。欧米ではよく行われているそうです。よって機械などは日本製ではなく、輸入品です。だから日本人の体形には大きいところが難点ですね。今は異物を入れたことによるアレルギー反応を起こして、浸出液がたまってくるので、週2回ほど抜きに行かないといけないです。痛みなどは日に日によくなりつつありますので、感謝です。
8月25日
何故か眠いし、イライラし、腹が立ってしかたがありません。ごめんなさい。メールも出来ません。表現が難しくて。皆さんのお祈りで支えられたいです。
8月31日
私の通っている自助グループの回復への12ステップの中に、自分はアルコールに無力であることを認めるという、文言があります。私はアルコールに限らず、すべてに対して無力です。誘惑にも弱いし、衝動的だし、体も弱いし、いろいろなことに弱いのです。そんな今の私に神様は何を以て栄光を現わせとおっしゃっているのでしょう。私には自分の姿さえわからないのです。まあ、今に限らずこれからもそうかもしれませんが。
9月8日
今日、禁煙外来に行ってきました。検査結果、やはりニコ中でした。禁煙の薬をもらって、少し早めのお昼をとって飲みました。このままではだめだわと思い、腰痛をおして出掛けたのです。明日は腰痛の診察です。
9月12日
精神的に参ってしまって、医者に行くのも億劫になっています。何だろう、何もやる気が起こらない。助けて下さい。
「ご迷惑をお掛けしていました」
エドウィン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
定価 1500円
注文先 465-0068 名古屋市名東区牧の里2-1302-203
「つのぶえ社・つのぶえジャーナル」宛
電話・FAX 052-704-9164
10月末まで10%割引で販売いたします。改訂代版のため冊数に限定がありますのでお早めにお求め下さい。
☆ 友人や家族にコピー「つのぶえジャーナル」を送って欲しいという要望がありましたので、諸費用込みで一ヵ年1800円でお送りいたしますの、ご希望の方は、送り先住所、宛名、送り主の氏名の有無等をお書きの上、本の注文先と同様のところにお申し付けください。代金は後日、振替用紙をお送りいたします。
世田谷通信
猫 草
(58)
夏祭りで子供が捕まえた金魚が、小さなひょうたん池で暮らしている。昨年の夏は最初の10数匹から、あっという間に4匹になった。夜店の金魚はほんとうに弱い。しかし生き延びたものはそれなりの強さがあったようで、そこからは四天王としてザリガニと共存して半年を過ごしていた。私が洗濯物を干しに外に出ると4匹で口をパクパクさせて餌をねだり、秋祭りの新入り金魚が食べにくると4匹で追い回していじめていた。でも四天王の1匹が死ぬと、新入りが昇格していたりして、金魚社会もいろいろあるねえ・・と眺めていたのだ。今年の夏の初めにはとうとう2匹になり、なんとなく寂しそうだったのだが、また夏祭りの季節がやってきて新入りが投入された。その数10匹。
こんな状態がいつまで続くのか?と思ったら、3日目の朝、大半は隠れたが1匹がぱくっと水面で口を開くのが見えた。先住の1匹だ。おっ、お前は付和雷同をやめたのか、偉いぞ!と餌をあげると、他のもあわてて食べに来る。4日目からは半分が餌を待って水面にいた。5日目以降はすっかり隠れるのをやめて全員でパクパク餌を食べている。
魚はとても社会的な生き物である。過酷なイジメもあるし、熾烈な縄張り争いも、無意味な集団行動もある。人間のやっていることとそっくりだね、記憶力がよくないぶん長続きしないのがせめてもの救いだね、と苦笑しつつ小さな池を眺めている。
その愛のゆえに
=時々の記=
(31)
8月16日
田舎の盆の行事の付き合いも何とか終わりました。やっと静かになりました。我が家には、だれも帰省しませんでしたが、隣り近所は、遠くにいる子供たちが帰って、にぎわっていました。私には、この小人数の家族の食事の準備すら、億劫に思っているのに、多くの人を泊めたり、接待するのは、大変だろうなと、他人のことでも同情してしまいます。
不便ですが、スローライフもまたよいものと、考えています。
8月20日
昨日、鈴鹿まで、主人の母を見舞いに行ってきました。元気そうにしていましたが、今年の暑さにバテ気味でして、いつもより、言葉少なくでした。好物のおすしが食べたいと、しきりに言っていました。喉につまらせても危険ですし、食べ物は、病院の方に相談して、もって行こうと考えています。今朝の外は、どんよりとした雲に覆われていますが、また、日差しが戻って、暑くなると予報士の方が、言っていました。
庭木へも やり水及ぶ 日照りかな
昼の汗 夜の熟睡 もたらしぬ
昨夜(よべ)の雨 川の高鳴る キャンプ村 馬場路哉
8月24日
こちらも涼しい風が頬をなでてくれるようになりました。まだまだ、このまま秋になりそうにありませんが。ほんの少しほっとできます。感謝です。NHKの教育テレビで、アンジェラ・アキさんの「手紙」を流れていました。みんなの歌9月号に楽譜も一緒に掲載されているとのことです。今、日本中の心優しい方々の気持ちを捉え、みんな、歌を聴きながら、涙を流さずにいられなくなるそうです。そして、生きる力をも与え、元気をもらって、職場、家庭で、歌われているとのことです。
夕立の 損ねて蒸しの 夕餉かな
ヒグラシや 天上の楽 かくあらん
鎌を持て ミソハギを刈る 男かな
新品種 試食をさせて ブドウ園 馬場道哉
主人は、また、今から山添俳句会に出席です。この暑い夏も何とか、神様のお守りに支えられ、過ごすことができました。11月には、精密検査が控えております。一日一日、信仰をかたく持ち続け、希望をもって歩んでまいりたいです。ベイリーの「朝の祈り夜の祈り」は、主人も決まって読み続けています。心静まると言っています。
8月28日
お祈り有難うございました。無事、昨日手術がおわりました。目の手術でしたので、視力が衰えたらとか、いろいろ心配しましたが、その心配もなく何とか予定通りに支えていただきました。本当に次々と試練が与えられますが、その度に信仰が皆様のお祈り支えられ、生きています。感謝です。主人が運転して、天理まで行ってくれますので、主人の時よりずいぶん気持ち的に安心できます。娘も、神様にいつもお祈りをしながら、過ごしているので、ずいぶん落ち着いてと先生に、言ってもらいました。
9月2日
9月に入りましたが、暑い日が続きそうです。今朝は、こちらは霧雨のような状態です。お祈りに支えられ、術後の経過もよく、病院の外を散歩したり、また、外出も許され、ちょっとしたショッピングを楽しんだそうです。一人で何もかも出来るのですが、やはり、私たちの面会は待っているようです。今日も、これから、主人とでかけます。名阪国道は、雨が降ると必ずといってよいほど事故が発生します。地道で、ゆっくり時間をかけて、安全運転で行きます。雨の被害に見舞われた方は本当に大変ですね。
新涼や フルート曲が はこびたる
ティーシャツの 若者歩く 夏祭り
朝毎に 草を引きをり さわやかに 馬場道哉
来週(7日)は、教会の敬老の日の愛餐会です。70歳以上の方があてはまります。まだまだと思っていましたが、私たちもされる側になるのも時間の問題です。一日一日神様に目を向けて、歩んでまいりたいと祈るものです。
9月8日
秋の蚊に 線香少し 焚きにけり
一針の 九針救う 夜なべかな
しなやかや 茎の曲がれる 蕎麦の花
電子辞書まず 頼みとす だっ祭忌(正岡子規の記念碑)
草ムラや 前に揺れをる 萩の花 馬場道哉
9月11日
朝夕、凌ぎ易くなってきました。でも、日中はまだ夏の暑さが残ります。先日、日曜日の午後の心の時間という番組をみておりました。その方は、女性弁護士でいらっしゃいました。16歳まで、教会へ両親と熱心に通われていたそうです。しかし、何かに束縛感を感じ、教会をはなれて、20年が経った去年、再び教会へ戻り、神様に救いを求めて、虐待されている子供たちのために、祈りはじめて、力を頂いているとの話でした。人を救うには、神様に祈るしかない、そのことを強く感じはじめたとのことでした。人間の力では、どうしようもできないほど、多くの子供たちは、親に見離され、人間を信頼できなくなっているこの現状を打破するには、神様に助けを求めるしか方法が無い、と訴えておられました。本当にそうだと思います。
全能の神様は、私たちに試練をお与えになるけれども、必ず逃れの道をも、準備していてくださること。患難は、練達をうみだし、練達は、希望をうみ、希望は、失望に終わる事が無い。このことを信じて、多くの試練に苦しみながらも、なお神様を仰いで、希望を持って歩んでまいりたいものです。
爽やかや 信者の捧ぐ 祈り声
朝(あした)より 早稲田を刈れる オウナかな
仙人草 咲けるを組の 集いへと
朝顔の 種の膨らむ 日和かな 馬場道哉
主人は、今、名張の図書館で、ドイツの哲学者フィヒテについて、熱心に調べています。カントの次に出てきた人らしいです。5冊の本を借りてきて、なにやら調べています。私は、哲学は苦手です。主人がフィヒテについて、いろいろ教えてくれるのですが、聴く耳持てずで、さっぱりです。
馬場暁美
(上野緑ヶ丘教会員)
…8…
長野の子どもたちの夏休みは短く、お盆が終わると、すぐに2学期が始まります。9 月の第2週目か3週目の週末に運動会をする小学校が多く、校庭では子どもたちが暑い中、一生懸命に運動会の練習をしている姿が見られます。運動会と並行して、10月の音楽会の練習も始まっています。大半の子は前向きに取り組んでいますが、友だちの動きに合わせて行動することが苦手な子には苦痛なことも多いようです。
私は子どもの頃、運動会のかけっこが大嫌いでした。一生懸命に走ってもいつも「どべ」(最下位)だったからです。私は小さい頃から、強さとは縁が薄い人間だと思っています。だから、強いものに対してはさほど関心がなく、うらやましいとも思わず、むしろ、弱いものに対して心が引かれ、弱い立場の人を見ると何か気になって、放っておけない性質(たち)です。小林一茶の句「痩蛙 まけるな一茶 是に有り」には共感を覚えます。
オリンピックでは、メダルの数や色でその選手の強さが量られます。確かに選手の不屈の精神、苦しみを乗り越えて栄冠を手にした姿には感動し、よくぞここまでと驚嘆させられることが多々あります。その姿を見た若者が、勇気と希望を持てば、それはすばらしいことでしょう。しかし、私はそういう場面を見ていて、ふと心が落ち着かなくなってしまうことがあります。オリンピック選手を見習い、弱音を吐かずに頑張れと叱咤激励され、潰れそうになったり、逆に自信を喪失してしまったりする若者もいるのではないかと危惧するからです。神様から授かったその人らしさ、個人差に目を向けず、できないのは努力が足りないかのように見てしまうのは、強者の奢りでしょうか。
カトリック教会では、今年の6月下旬から1年間をパウロの生誕2千年を記念して「パウロ年」としたとか…。パウロの言葉「主は『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」(「コリント信徒への手紙二 12:9」)に神様の大きな御手に包まれている安らぎを覚えます。この頃、心が落ち込んでしまうことが多く、この聖言葉を一日に何度も思い出して、「弱くても大丈夫」と自分に言い聞かせています。そして、頑なな心を神様が砕いてくださるよう、祈り求めながら歩んでいる日々です。
写真は「今年、豊作だった庭のブラックベリーの実」「大好きなノボタンの花」です。
長野の子どもたちの夏休みは短く、お盆が終わると、すぐに2学期が始まります。9 月の第2週目か3週目の週末に運動会をする小学校が多く、校庭では子どもたちが暑い中、一生懸命に運動会の練習をしている姿が見られます。運動会と並行して、10月の音楽会の練習も始まっています。大半の子は前向きに取り組んでいますが、友だちの動きに合わせて行動することが苦手な子には苦痛なことも多いようです。
私は子どもの頃、運動会のかけっこが大嫌いでした。一生懸命に走ってもいつも「どべ」(最下位)だったからです。私は小さい頃から、強さとは縁が薄い人間だと思っています。だから、強いものに対してはさほど関心がなく、うらやましいとも思わず、むしろ、弱いものに対して心が引かれ、弱い立場の人を見ると何か気になって、放っておけない性質(たち)です。小林一茶の句「痩蛙 まけるな一茶 是に有り」には共感を覚えます。
オリンピックでは、メダルの数や色でその選手の強さが量られます。確かに選手の不屈の精神、苦しみを乗り越えて栄冠を手にした姿には感動し、よくぞここまでと驚嘆させられることが多々あります。その姿を見た若者が、勇気と希望を持てば、それはすばらしいことでしょう。しかし、私はそういう場面を見ていて、ふと心が落ち着かなくなってしまうことがあります。オリンピック選手を見習い、弱音を吐かずに頑張れと叱咤激励され、潰れそうになったり、逆に自信を喪失してしまったりする若者もいるのではないかと危惧するからです。神様から授かったその人らしさ、個人差に目を向けず、できないのは努力が足りないかのように見てしまうのは、強者の奢りでしょうか。
カトリック教会では、今年の6月下旬から1年間をパウロの生誕2千年を記念して「パウロ年」としたとか…。パウロの言葉「主は『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」(「コリント信徒への手紙二 12:9」)に神様の大きな御手に包まれている安らぎを覚えます。この頃、心が落ち込んでしまうことが多く、この聖言葉を一日に何度も思い出して、「弱くても大丈夫」と自分に言い聞かせています。そして、頑なな心を神様が砕いてくださるよう、祈り求めながら歩んでいる日々です。
写真は「今年、豊作だった庭のブラックベリーの実」「大好きなノボタンの花」です。
…キリスト教…
社会福祉活動のあゆみ(15)
修道院の貧しい人々への救済(1)
修道院生活(1)
プロテスタント教会や信徒にとって理解できない世界の一つに修道院があります。しかし、その役割と働きは後の社会と歴史に大きな影響を及ぼしていますので、軽視することは出来ません。
一般的には、修道院生活の起源は、原始キリスト教会と言われる時代の信徒の修徳生活であったと言われています。最初の信徒たちは、使徒言行録(4:32~35)にあるように、自分の財産を差し出して、キリストの勧告・教えを守って、貧しく暮らしつつ、祈りと働きの共同生活を営んだことが始まりとするなら、これが修道院生活の前身と言えます。
キリストは、ご自身、一般の人々に悔い改めを説き、救霊の道を教えましたが、ある人々に対しては特別の方法、清貧と貞潔と従順とを守るように勧告もしています。パウロによれば、独身生活はより優れた生活ではあるが、それは義務ではないとも言っています。
「思い煩わないで欲しい。独身の男は、どうすれば主に喜ばれるかと、主のことに心を遣いますが、結婚している男は、どうすれば妻に喜ばれかと、世の事に心を遣い、心が二つに分かれてしまいます。独身の女や未婚の女は、体も霊も聖なる者になろうとして、主のことに心を遣いますが、結婚している女は、どうすれば夫に喜ばれるかと、世の事に心を遣います。このようにわたしが言うのは、あなたがたのためを思ってのことで、決してあなたがたを束縛するためではなく、品位のある生活をさせて、ひたすら主に仕えさせるためなのです」。
ここから、修道者は結局パウロのこの「ひたすら主に仕える」ことが出来るようにするため、家族の義務のために心が2つに分かれない人々と言うことが出来ます。しかし、教会の教えによっても、また、実際の例からも、修道院生活をしなくても、世間において真にキリスト教的に送ることは出来ます。ただ世の中では、種々の事情のために、これが割合に難しいけれども、その点、修道院生活のため特別の組織と施設を持っている修道院生活では、一層容易にこの理想と目的を達成できると言うことです。
それは、たとえば独学でも学問や芸術を深く追求する者のために、そのための特に設立されて専門の大学に入って研究するならば、特別の組織と設備があることによって、より一層学問や芸術を習得することが出来るということと同じ理由です。しかし、こういう専門の大学に行く者が皆優秀な学者、或いは芸術家になるとは限りません。それと同じように、たとえ修徳専門の大学ともいうべき修道院に入っても、それだけで皆真の信仰的完成に達するとは限らないのも同様です。
初代教会の300年の間は、多くの信者が個人的に独身生活や清貧の生活を守っていたけれども、後の修道院生活の形は、3世紀の最後の10年代までは出現していなかったようです。教会が公に認められて、信仰が自由になった時、キリスト教的生活が大衆的になると同時に、平凡・安易なものになってしまいました。
その結果、もっと自己の全生活を瞑想と祈祷に捧げて、より高い理想を求める信者は、この世から遠く離れてエジプトの砂漠などに隠遁生活をするようになりました。このような隠遁生活を模倣する信者が、最初はシリヤやその他の東方の諸地方に多く現れてきました。しかし、仲間や世間との接触を全く遮断して独りで生活すると言うことは、実際には困難なもので、単純な動機や思い付きの一般信者の力では不可能なものでした。
そのために、社会的交渉に対する自然の人間的要求から、段々と隠遁者を最初は小さな集団に、それからより大きな共同社会、すなわち、修道院生活へと移行・結集されていきました。また、信仰、人格的な徳に優れた隠遁者の周囲に弟子が集まってきて、自然にそこに共同の生活が生まれたと言うことも考えられます。
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〒465-0065 名古屋市名東区梅森坂4-101-22-207
緑を大切に!
書籍紹介
エネルギー技術の
社会意思決定
日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授
「本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
共著者・編者
鈴木達治郎
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
(財)電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
(財)電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント
スーザン・ハント
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
鈴木英昭著
「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円