2019年10月  №147号 通巻832号
 

世田谷通信(193

猫草

 

直径30センチほどの小さな睡蓮鉢に4匹のメダカが泳いでいる。水草が茂ってよく見えないが、長生きしているところをみると、ちょうどよい密度なのではないかと思う。ちらっと見える姿は、丸々太っている。お向かいの家にもおそろいで買った同じ睡蓮鉢があるのだが、あちらは満員電車なみの過密さ。メダカのサイズも小さいように見える。

多頭飼育の崩壊現場は辛すぎて直視できない。ニュースなどで取り上げられるたびに目を背けてしまう。自分が人混みは苦手だし、ある程度の広さ、自分で自由にできる空間がないと文字通り息が詰まる。

うちのウサギ達は小型犬用のケージ2個とウサギケージ2個をくっつけて自由に移動できるようにしている。奥はトイレスペース、センター2室はそれぞれの寝場所、手前がリビングダイニングという感じで使い分けているらしい。3LDK、贅沢なものだ。

先日、上野にある国際こども図書館に行った。その昔は帝国図書館だったという。ルネサンス風建築の堂々たる文化財級の本館とアーチを描く新館からなる優美な建物だ。コレクションは児童書だけで40万冊。ゆったりした棚に高い天井、精巧な彫刻の施された柱、そこに並ぶ完璧な分類の児童書の数々。ため息しかでない。ホコリをかぶっていたり、奥に入っていたり、ましてや横倒しなんて一切ない。これでも司書の端くれなので、これを維持管理しているのが、どれほどの労力と知識に支えられているのかは、理解できる。秩序ってこういうことだよね。これだけ細かく分類ラベルを貼ればきちんと配架できる、でも真似できません。日々、小学生達がてんでバラバラに手にとって消耗していく学校図書館、読まれて壊れてなんぼの世界とは違う。

それにしても棚に余裕のあること。本を並べるのは両端から1/3程度に留め、中央のスペースは表紙を見せている。いかにも美しい。手に取りたくなる書棚。これは真似できるかもしれない。がんばろう。

モノや人の密度と、それにふさわしいだけの広さ、空間。それは人工物、自然の世界いずれにも、快適さに通じる方程式があるのだ、きっと。

 

世田谷通信(192

猫草

 

課題図書というのが56月毎年発表される。子どもの頃はこれが嫌いだった。課題は宿題に通じる、強制的な感じがする。そもそも読書は自由で、大人から学年に応じて読めと強制されるなんてまっぴらだと思っていた。読書遍歴は頭の中身と同等、他人の前で本を読むのも晒すようで好きではない。好きな本を聞かれるのも抵抗があって、いつも無難に「赤毛のアン」と答えることにしていた。そう言っておけば大人は納得するからだ。小学生で歴史小説や外国文学、古典SFを読破しているのは秘密だった。理解していたか疑問は残る。文章を味わうのとは無縁で、とにかく高速、丸呑みで読み潰していた。

偏った自分の読書傾向はさておき、図書室でずっと本に関わって、子ども達の読書離れという言葉を聞く。読む子は勝手に本を手にとって行くけれど、そうではない子もかなりの数がいる。きっかけづくりも必要なのだと思うようになった。本のPOPや紹介コーナー、課題図書というのも良いものである。本の専門家が沢山の新刊のなかから「これは」と思う本をピックアップしている。当然内容も深いし、興味をひきそうなジャンルも配慮され、読み物だけでなく科学的な本も含まれるようになった。

図書室での授業時間を少し借りて、それらの本を130秒ぐらいで紹介していく。見所、概要、背景など、学年に応じて、それぞれ心に届きそうなフレーズを考える。紹介した後で、課題図書コーナーに皆が集まってきて、次々に本を手にとって貰えると嬉しい。ぱらぱらめくって戻す子もいるが、そのまま12頁読み、借りていく子も居る。本が好きな子は、これ面白そうという嗅覚が働くのだ。装丁やタイトル、わずかな手がかりからそれを拾い上げる。そうではない場合はうなぎ屋さんのように、外に向かって香ばしい煙をうちわであおぐ必要がある。うなぎと同様で、食欲をそそられて店に入ったものの、あの味を美味しいと思うか、あまり好きじゃない・・と思うかは、まあその人次第ではあるけれど。

 

世田谷通信(191

猫草

 

ウサギを数えるときに12羽というのか、12匹というのか。どちらもあり。ただし「羽」は食用、「匹」はペットとしてという違いがあるとか。

ウサギを鳥のように「羽」と数えるのは、かつて日本が獣肉食を禁じた時代に「獣を食べているんじゃないですよ、耳が鳥の羽みたいだし、鳥みたいなもん同列でしょ」という苦しい言い訳に由来するらしい。

というわけで、以下ウサギの数は「匹」で。前置きが長くなったが、現在うちにはウサギが3匹居る。1匹増えたのは学校で飼育されていた高齢ウサギを引き取ったから。どれぐらい高齢かというと、正確な生年月日不明でよくわからないが、獣医さんのカルテによれば推定12歳以上。人間にすると130歳を超える感じ。もともと学校には3匹いたのだが、残り1匹となり、白内障と筋力の低下が著しく、学校での飼育が難しくなった。

家に来てから数ヶ月、少しずつ衰えていくのは仕方ない、それでもちょっと回復している所もある。汚れから来る手足の炎症が治って新しいふかふかの毛が生えてきた。

長寿の秘訣は旺盛な食欲である。出されたものは何でも食べる。目の前にあるものは完食する。ただし食べてはいけないものは残す賢さもある。私が採ってきたタンポポやハルノノゲシなどの野草の中にアジサイの葉が一枚混ざっていた。それには手をつけなかった。毒性があるのにしまった!と思うのと、さすが野生の本能は健在、とほっとするのが同時だった。

それがとうとう食べられなくなった。もうお別れだと思った。強制給餌は前のウサギの時に辛かったので嫌だった。大好きな草を前にしても咀嚼できないウサギをみて、最後かなと思って抱っこした。しばらく背中をなでて、ケージに戻そうとしたとき、大量のおしっこが出た。いつもの半透明なのではなく、灰色でザラザラの砂が大量に混ざっている。

翌日獣医さんに連れて行ってこの話をすると、膀胱に溜まっていた老廃物が抱っこされて揺られうまく出たのでしょう、それは良かった!と言われた。流動食をぺろりとカップ1杯食べておかわりを要求した。老廃物が出て、栄養が行き渡り、復活したのだ。まだまだ行ける。生きられる。生きものは道を見つけるのだ。

 

世田谷通信(190

猫草

 

里山の良い季節になってきた。世田谷にも野草は咲く。キンランやギンランが斜面にほっそりした姿を見せる。ヤマユリがすっと茎を伸ばしはじめる。ホウチャクソウやナルコユリ、ジエビネの地味な花も近くでみると美しい。ウラシマソウが釣り糸のような細い花序を伸ばしているのも面白い。

この光景があるのも前年にボランティアが頑張ってササ刈りをして、明るく開けた斜面になったからだと自負している。もちろん人為だけではない。昨年は暴風雨で古木の幹折れが多発し、何本か倒木の危険があるものを区が伐採した。その林冠が大きく抜けて、ギャップが林床を明るくしている。明るくなったのは上部だけではない、林冠と同じぐらいの範囲に根があったと考えると、木の半径数mの地下にも大きな変化が起きているはずだ。幹という主を失って、根は少しずつ萎縮、分解が始まっているだろうし、まだ勢いがあれば萌芽更新するだろう。

しかしその木が元の姿に生長する前に周辺の植物が空いた場所の争奪戦をはじめていて、今後、何がどう優勢になってその空間を占めていくのか。興味深い所である。

すでにクヌギやコナラの幼樹が育っている、地面の下で自分の番が来るのをじっと待っていたのだろう。これらが育つのが先か、隣の木が枝を伸ばしてくるのが先か、静かな戦いが繰り広げられている。

オーストラリアの植物に、バンクシアというのがあって、その種は頑丈な樹皮に守られており、山火事の後にはじけて発芽するそうだ。最初はなぜ山火事をトリガーに?と思ったが、周辺が焼けて世代交代するきっかけと思えばなるほどと思う。いち早く発芽して自分が優勢になれるチャンスだし、土壌は灰で栄養が豊富になっているだろう。それにしても、どれ位の頻度で山火事が発生するのか不確定なリスクは伴う。ピンチを逆手にとった方法は面白いと思うけれど。その前に本体が寿命を迎えたら数が減るのに。

ヤマユリにしても、あんなに茎を伸ばすのはたくさんの種を遠くに飛ばしたいのだろう。それにしたって茎が細く花が重すぎではないか。自立できずに地面に倒れてしまうことがよくある。それこそ本末転倒ではないのか。やっと飛ばした種は発芽率が低いし。結局、ムカゴでクローンを増やすのは発芽までの時間稼ぎというわけか。

生きものが命をつないでいくプログラムは合理的なようでどこか危うくちょっと破綻していて、それでも戦略と創意工夫に満ちている。

 

 世田谷通信(189)

猫草

 

図書室にいて、難しい質問だなあと思うのが「何か面白い本ないですか?」である。さて前回紹介したビブリオバトルだが、先生と私で各1冊、約5分で紹介し、それを聴いた子ども達が「読みたい!」と思った方に手を挙げてもらった。結果は、先生に数人、残りは私に手があがり、ちょっと気まずい。

そもそも全員がこれは面白い!最高!と思う本はない。本屋大賞にしても課題図書にしても、「このミステリがすごい!」にしても、結局好みは分かれるものだ。何を好きで、嫌いで、何を知りたいか、或いは楽しい、嬉しいと思うかは人それぞれ違う。だから図書館には何万冊も本があるし、本屋さんには毎年新しい本が並ぶわけだ。

本の読み方にもコツがある。本に隠れたメッセージを見つけられるか。キーワードという言葉がある。鍵を見つけて自分の心を開く作業ができるかどうか。

 たとえば、今西乃子著「捨て犬・未来と子犬のマーチ -もう安心していいんだよ-」という本を紹介したとしよう。ノンフィクションである。この犬は、ほんの生まれたばかりの子犬の頃に人間に虐待を受ける。右の足首を切り落とされ、さらに左足の指も全部切られ、右目も切られて捨てられる。その後、収容施設に運ばれ、殺処分寸前になる。

普通なら人間不信になるだろう、或いは攻撃的になるか、恐怖で心を閉ざすかもしれない。しかし、この犬はそのどれでもない別の方法をとる。その結果生き延びて、新しい飼い主を得て「未来」という名前をもらい、元気に長生きする。それだけではない。日本全国100校以上の学校やいろんな施設を回って、2万人以上の人にふれあい、笑顔と勇気を与えている。

絶体絶命のピンチ、殺される寸前だった子犬がとった行動、たった一つの正解がこの本に隠されたキーワードつまり「鍵」である。それが何か知りたい、そう思った人は、ぜひこの本を読んでみて。そんな風に紹介したら、興味を持ってくれるだろうか。

 

世田谷通信(188

猫草

 

ビブリオバトルなるものが各地で開催されている。バトルと言っても武器で戦うわけではない、簡単に言えば本の紹介合戦である。

一人1冊ずつおすすめの本を持ち寄って、一人5分の持ち時間で紹介をする。その後質問タイムを経て、全員の紹介が終わったら、どの本を一番読みたくなったか投票する。一番になった本を紹介した人が優勝というわけだ。

これを小学校でもやっていたので、参加させて貰うことになった。子ども相手では大人げないので、戦う相手は先生。投票は子ども達だ。

私が紹介しようかなと思う本は「子ぎつねヘレンがのこしたもの」(竹田津実、森の獣医さんの動物日記:偕成社)である。この子ぎつねは北海道の道ばたにじっとしている所を保護され、獣医である著者の所に持ち込まれた。目が見えない、耳も聞こえていないのはすぐに分かった。さらに嗅覚も、どうやら味覚もないことが分かる。味覚がないので、どんなにおなかが空いていても、口に入れられたものが美味しい食べ物だという判断ができない。砂を口に入れられたようなものだ。だから食べ物を受け付けない。ヘレンケラーから名前をもらってヘレンと名付けられた子ぎつねだが、三重苦どころではない状況である。

野生動物の飼育は禁止されている。なので、治療しても野生に戻せない場合、獣医の判断は安楽死である。生きる価値のない命ということだ。しかしこの獣医師と奥さんはこの重い障害を抱えたキツネに向き合い、介護を続ける。常に安楽死との葛藤を抱えながら。

この命を生かすことに意味があるかわからない、それでも最善を尽くす。よい結果が出るかわからない、うまくいかず落胆することの方が多い。一歩の前進より大きな後退を味わう。諦めそうになる、それでも試行錯誤を繰り返す。そこに命があるから。ほんの一握りでも希望があるから。そして、小さいけれど確かな奇跡がいくつも起きる。

子ぎつねヘレンが残したもの、とは何だろう。それはあなたが読んでみてほしい。そんな風にビブリオバトルで紹介してみようかな、と思う。

 

世田谷通信(187

 猫草

4月スタート悪くない。と最近思うようになった。年度の切り替えの話だ。以前は世界的に9月スタートが当たり前なので、そちらにいつ合わせるんだろう、早くやれば良いのにと内心思っていた。

なぜ気持ちが変わったかというと、準備期間のことを考えるから。新学期の準備を年度末に慌ててやりたくないので、図書室の場合12月ぐらいから動き始める。2学期の蔵書点検や新着本受け入れなど大きな作業のめどがついたあたり。気候的にも寒いぐらいが本の移動などの作業には活動しやすい。

そう、9月なんてまだまだ暑いじゃないですか。仮にその時期に年度切り替えだと78月という猛暑の中、大型台風やゲリラ豪雨にひやひやしながら準備をすることになる。図書に雨は大敵、暑い盛りに本の移動だけでもうんざりなのに、梱包の手間が増える・・想像するだけで気持ちが萎える。

さて学校自体は3月後半まで現スタッフで在校生にきっちり向き合う必要がある。卒業、進級も大切なイベント。41日に発令、着任、始業式までの数日に1年間の方向性を決める業務がぎゅっと凝縮される。膨大な作業をこなして新年度を迎えなくてはならない。担任が決まり、役割分担、諸々の会議が5分、10分刻みで行われる。新任の先生方も初めましての挨拶もそこそこに、大量の文書、引き継ぎ、教科書を受取り、教室を整え、時間割を決め、職員室はさながら戦場のような慌ただしさ。

大規模校だからというのもあるのだろうが、新人もベテランも、男性も女性も、力仕事も含め、よく働くものだと感心する。物の移動ももちろん、印刷室もコピー機もフル稼働、山積みのコピー用紙がどんどん消費され、画用紙や文房具のストックも尽き、まあ1台ぐらい印刷機が故障する。

こんな殺気だった時に図書関係のことなどできたものではない。だから早めに印刷物は完了、来年度の準備をしておく必要があるわけだ。

そして子ども達を迎える。もちろん男性はネクタイ、女性はスーツ着用での始業式。和装の保護者もちらほら。温暖化で桜はとっくに終わっていて期待できそうにないが、まあ過ごしやすい季節ではある。

そうは言っても世界標準?残暑厳しい中、熱中症対策で水分補給しつつ、クールビズの始業式にいずれはなるのだろうか。
 

世田谷通信(186

猫草

昨年、約20年ぶりに名刺を作った。ボランティア活動をしているときに、名刺を頂く機会は意外とある。シンポジウムや会議に出れば尚更。名刺をもらっても返せないと何だか収まりが悪く、名刺持ってないんです、すみませんと謝ったりしていた。

これまでずっと名前のない生活で、たいして困らなかったのだ。子どもが小さい頃はお母さん同士も先生からも「○○くんママ」「おかあさん」と呼ばれていた。子どもが成長するとそれもなくなり、名前を呼ばれるのは病院や役所ぐらい。普段は何者でも無い暮らしをしていた。別段不自由も感じないし、でも社会の役に立っているわけでもない、だれでもない、半透明な存在として自分を認識していた。図書室で働いてはいたものの、名刺を作ろうとは思わなかった。

でも今どきは学生さんでも名刺を持っている。ちょっと作ってみようかなと思って、デザイナーの友人にレイアウトをお願いした。名前とメアド、ボラ名とイラスト。フォントはペン字風のやさしい雰囲気。ネットプリントで100500円。ワンコインでできるんだ。なんて手軽なのでしょう。

さてめでたく名刺を手に入れても、しばらくの間は使う機会が無かった。持っていること自体を忘れていたり、名刺入れを探したり、出すタイミングを逃したり。名無し生活が長いと、こうなるのかと苦笑する。会社に勤めているときには、まず会議の前でも何でも、人に会ったら、長々と名刺交換の時間があって、役職の偉い人から順に「あ、私こういう者です」という、奇妙な挨拶をお互いにしていた。「○○と申します」って名乗ればいいのに、と思っていたが、当時は組織への帰属意識が今よりずっと高くて、個人名よりも、部署や肩書きを示す意味合いが強かったのだろう。

最近は、名刺入れを使うのを諦め、財布に数枚入れておくようにした。もごもごせずに「○○です」と名前を言えるようになってきた。どこに所属しているかではなく、自分が誰なのかを伝えるツールとして便利なものだ、名刺は。

 

 

世田谷通信(185

猫草

外壁の塗り替え。家も10年ほど経過すると直面する問題だ。とは言え、外壁なんて何の知識もない。というわけで、2社から見積もりをとってみた。項目も単価も違うのに、なぜか金額はほぼ一緒。こんなものなのかな、何を基準にすればいいんだろう・・説明で悪い印象はなかったのだが、決め手に欠けた。

3社目に話を聞いてみた。そうしたら「どういう風にしたいですか?」と「だいたい思い通りにはいかないものです」という言葉から始まった。

「どういう風にしたいのか?」と言われても、そもそも何色の壁か覚えていない。でもあちこち薄汚れてきた。小さなクラックがあちこち入っている。それらを綺麗にして、新築当時のような状態になればいいなあ・・とぼんやり思っている事に気がついた。

新築当時?いやちょっと待って。今の自分の顔をどんなに化粧品で塗っても、1020代の肌には戻れないのだ。だって土台が違う。時間は巻き戻せない。そんなことは分かっている。なのに外壁に関しては漠然とその「できないこと」を求めていないか。まず、乾燥してシミもシワもある壁に、何を塗ったところでそれなりの結果だと認めること。ここがスタートなのだ。

「だいたい思い通りにはいかないものです」という言葉。色の印象というのも面積が大きいほど誤差が大きくなることに由来する。手の甲にちょっと付けてこんなもんでしょ、と選んだファンデーションを顔に塗ったら「あれ?」と思うのと一緒だ。それが家サイズになれば尚更だろう。

なるほどね、と「壁を塗り直すこと」の意味について少し納得したところで、昔読んだ本を思い出した。「赤毛のアン」シリーズ、第2巻「アンの青春」だ。公会堂の塗り替えをすることになり、アン達、村の改善委員は品の良い外観にしようと、屋根はこれ、壁はこの色と落ち着いた色を指定する。しかし、ペンキ番号の伝達ミスで、思わぬ派手な青い色に塗られてしまう。こんなはずじゃなかったと落ち込むアンに、「気にしなさんな、アン。たいがいペンキというものは、1年ごとに、いやな色になっていくものだが、あの青は最初からいやな色なんだから、さめていけば、かえって、きれいになるかもしれないよ。」と慰めるシーンがある。うちの外壁もそれぐらい、おおらかな気持ちで考えたいものだと思う。

 

世田谷通信(184

猫草

何かの話の流れで「ATP」という言葉を使った。自分で言ってから何のことだっけ?と思った木曜日のことである。土曜日の朝、目が覚めたときに「アデノシン3リン酸」という言葉が浮かんだ。何のことだっけ?あ、ATPね。「何?」と思ってから脳内では無意識にずっと検索を続けていて3日かけて答えを出したのだ。どれだけぐるぐると行き止まりだらけのシナプスを行きつ戻りつしながら、答えにたどり着いたのやら。1ワードの検索に3日って、パソコンならもう絶対捨てているレベルの遅さ。

さらに1週間して、さてATP、まだ覚えているかなと自問自答すると一拍おいて「アルギン酸」という言葉が浮かんだ。いやいやそんなわけないでしょう。アと酸しか合ってない。何を自信満々に間違った答えを出しているのか。パソコンだったら修理を断られ、買い換えを勧められるやつである。

日常レベルでのうっかりはもう書き始めると嫌になるほどだし、仕方ないのだと思う。すぐにその場でメモすることが一番大事だし、メモしたことを覚えているうちに他の人やカレンダー、スマホのスケジュール帳に転記するのも大事。

記憶を外部化することなんて昔からやっていたわけで、たぶんそういう物から抜けていくのだと思う。人の名前や電話番号のように、そもそも覚えていないことは当然。逆に何が残るのだろう。歌は有力候補だと思う、聴けばよみがえってくる確率が高そう。暗記物はほぼ全滅として、百人一首は反射で覚えているように思う。

料理研究家の城戸崎愛さんが晩年出したレシピ本に驚いた事がある。若い頃はフランス料理をコルドンブルーで習得し、凝った料理を作っていた方が、最終的には

「フリーズドライのお味噌汁も最近とても美味しい。お湯を入れるだけで良いです。」と書いていた。仰るとおり、自分で出汁をとるなんて面倒なことせずとも、お店に行けば顆粒でも液体でも、キューブでもずらりと多彩に取りそろえられている。

将来仕事の大半は人工知能に取って代わられるというのは、若い人には警鐘だろうが、老年にとっては福音である。細かい手続きも段取りも、やってくれるならどんどんお任せしたい。ただし人工知能にはできないこともあるのでそれをのんびりやるとしよう。庭の草むしりとかウサギを撫でるとか。

 

 

世田谷通信(183

猫草

多摩川上流、奥多摩湖にある小河内ダムに出かけた。なんでそんなところに?と言うと、最近、河川や用水に興味があり、古多摩川と国分寺崖線のボランティアガイドをする準備として知識を深めたかったのである。

さて電車で2時間。青梅を過ぎた辺りから周囲は完全に森林である。傾斜の急な針葉樹林、河川周辺の広葉樹林、混合林。街道添いの民家、谷間にのぞく集落。急峻な山道と渓流をながめつつ、ここ東京だよね?と思う。実は東京都の森林面積は6割。大半が奥多摩周辺にあり、水源涵養林として都心への水供給を支えている。青梅を扇の起点とする広大な扇状地、と地図上では理解していたものの、実際の地形を目にすると納得がいく。

小河内ダムは立派な観光地で、ダムカードも貰えるし、ダムカレーもある。カレーが「湖面」、ご飯が「堤体」を再現し、パスタにニンジンとコーンが刺さったのが「浮き」、サラダは周辺の「森林」を表している一品だった。

普段何気なく蛇口をひねれば出てくる「水道水」も、こんなに苦労してダムを造り、日々管理されて、はるばるとうちまで運ばれてくるのだ。森林保全も水源を守るために大切な仕事なんだとしみじみ思う。

帰路車内で「奥多摩―青梅区間はシカと衝突したため運転を見合わせています」の案内表示が。さっきまで乗っていた折り返し電車である。その後、ぶつかったのはニホンカモシカで、驚いたのか電車の下に潜り込んだので撤去に手間取り、復旧まで1時間以上かかったことが分かった。奥多摩あるあるなんだろうか。

立川から電車で多摩川を越える。もうここは広い川幅、ゆったり流れる、いつも目にする多摩川だ。対岸の南多摩に大きな崖があり露出した地層が車窓から見えた。何万年も前の歴史に少しだけ触れたような気がした。

 

世田谷通信(182

猫草

この7月、福井まで出かけた。帰省以外で遠出をするのは10年ぶり。「学校の森子どもサミット」という全国大会があり、そこで里山と小学校の総合学習の様子を発表する。先生と児童に同行することになった。

長距離移動は緊張するのだが、児童と一緒だと仕事モードで乗り切れるのが不思議だ。福井駅前ホールでリハーサル、全国から集まった児童や先生方、北海道から鹿児島まで10校だ。それぞれの取組みはその地域ならではの特色を活かした活動で、地方の学校は児童数が少なく、サポートする大人の方が多い。周辺の森林資源が豊か。世田谷でできる取組みとのスケール感の違いが一番印象的だった。北海道の3m積雪の積雪でかまくら体験とか、岡山の木材一本を伐採から製材加工するとか、屋久島の世界遺産で希少種の蝶が食べる草を栽培するとか。すごいなあと思うけれど、なかなか真似できるものではない。

それでも子ども達に森林のことを伝えたいと思って、時間も労力も割いて実践する人たちの存在があってこそ成立している、というのはどの地域にも共通すること。豪雨等の被害を被った地域からも参加があり、たとえ被災地であっても子ども達には楽しい活動をさせたいという大人達の強い願いも感じられた。多くの人の手で支えられている。学校だけではできない取組みが子ども達を守り、育てていることに深く共感できた。

発表後はバス移動で三方湖近くに宿泊し、翌日は湖の水生調査やシジミ採り体験。ここでも地元の大学院生や研究機関、ボランティア団体のサポートあっての活動である。汽水湖のシジミは環境悪化により激減したので、山から土砂を運び、土留めのヨシを育成し、砂地を人工的に造成して、養殖物を育てて数年になるとのこと。子ども達は無邪気に歓声をあげながら「シジミあったー!」と嬉しそうに活動しているが、それを支える多数の大人達の知恵と汗がある。自分もボランティア側なので、見えない苦労はよく分かる。「あって当たり前」を続けていくためには、環境や生きものを維持する努力が不可欠なのだ。時々の変化を受け入れる力。常に環境は変化するから、それに合わせて柔軟に対応することが、「いつも変わらない」を保つのだ。

福井の山も湖も空も美しかった。変わらず、そこにあって欲しい。

(福井・シジミ採りをした久々子湖(くぐしこ)の写真)

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書籍紹介
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エネルギー技術の
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日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

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教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
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「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

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「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
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「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
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われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

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さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

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