2018年12月  №137号 通巻822号

『旧・新約婦人物語』(54)

 

   執事フイベ

    =ローマ16:1~2

 

 使徒パウロが書きましたそれぞれの手紙の終わりの所を、よく調べてみますと、そこに多くの人々の名がのっていることにお気づきと思います。パウロがこのように、一人ひとりを覚えて彼らの奉仕や信仰を感謝して個人的に挨拶を送ったことについて、非常に教えられるところがあります。

 特に、ローマ人への手紙16章におきましては、そのような人々の名が20人以上も出ております。その中には、既に取り上げました「ローマのマリヤ」とか、「アクラの妻プリスキラ」も出ています。それのみでなく、滅多に聞かない、「主にあって労苦しているツルパナとツルポサ」(12)とか、「主にあって一方ならず労苦した愛するペルシス」(12)といった名前もあります。

 そのように、ローマの教会には、神様のために大きな奉仕をしていた婦人たちが多くおりましたが、教会の執事と言われましたのは、このフイベだけだったようであります。しかしローマ人への手紙16章の1~2節によりますと、フイベはローマ人ではなく、ケンクレヤ教会の会員であったとあります。このケンクレヤというのはギリシャのコリントの町の東にある港町です。

 ローマからは随分遠い所の町であるにもかかわらず、ケンクレヤの教会の執事が、ローマに行って、この手紙によってローマ教会の人々に紹介されたのであります。パウロのこの親切な取り扱いには、わたしたちも大いに学ぶところがあります。と言うのは、クリスチャンは他のところへ移る場合、必ず自分の教会から推薦状をいただいて、行く先の同じ信仰にある教会と早く関係を持つべきだと存じます。

 お互いの母教会は懐かしいものですが、もし移った町に、同じ信仰の教会がありますなら、その教会に加わって生きた信仰生活と奉仕を続けることがもっとも必要な、大切なことなのです。それでパウロは、よろこんでフイべをローマの教会の人たちに紹介して、「どうか、聖徒たるにふさわしく、主にあって彼女を迎え、そして、彼女があなたがたにしてもらいたいことがあれば、何事でも、助けてあげてほしい」(2)と言っているのです。

 わたしたちは、このようにして他の教会から移ってくる人たちを、主にあって聖徒たるにふさわしく、また暖かく歓迎しているでしょうか。余りよろこんで教会に受け入れないようなことはないでしょうか。こういう新しい信者が教会の礼拝に出た時、わたしたちは礼拝が終わってから暖かく挨拶するでしょうか。あるいは知らん顔をしていないか、またその人の家を訪問して、この町に来られたことを本当に歓迎するでしょうか。このような点は大いに反省すべきところだと思います。

 ローマに移住したフイベについて、僅か2節にしか過ぎないこのところに、何が書いてあるかを調べてみましょう。まず彼女はケンクレヤの教会の執事であったということです。初代キリスト教会の時代から現代に至るまで、婦人の執事があるということは非常に愉快なことであると同時に、実に意義のあることだと思います。

 彼女が執事になるためには、どういう資格がいるでしょうか。テモテへの第一の手紙3章11節を見ますと、「女たちも(と言うのは、女の執事たちの意味)、同様に謹厳で、他人をそしらず、自らを制し、全てのことに忠実でなければならない」とあります。このみ言葉のように、婦人の執事は、特に教会にある他の婦人たちに対する責任があると思います。泣くものと共に泣き、よろこぶものと共に喜び、絶えず他の姉妹たちの信仰生活のために祈り、また励ます責任があります。また新しく教会に来られた方々を訪問して、彼らの信仰を強め、導き、教会に関係のある方々で病気の人があれば、その方の病床を見舞い、共に聖書を読み、共に祈ることは執事の大きな義務でもあり喜びであります。

 フイベはこの勤めを良く果たしたでしょうか。2節の後の部分を読んで見ますと、直ぐ分かります。「彼女は多くに人の援助者であり、またわたし自身の援助者であった」と彼女のケンクレヤに於ける働きを賞賛しています。このようにフイベは、使徒パウロのみならず他の多くの人たちの本当に良い援助者でありました。

 この本をお読み下さっている読者の皆様、あなたはフイベのように暖かい愛を教会の皆さんに差し向けておられるでしょうか。主にある兄弟姉妹を励ましておられるでしょうか。病人や、老人や、教会から遠ざかっておられる兄弟姉妹を訪問し、主にある者としての慰めを語り、礼拝へのお招きを話しているでしょうか。どんなに貧しくても、主イエス・キリストを信じて救われている者の信仰のともし火は、悩み苦しむ世の人たちを照らすものであります。

 どうか日本の全てのクリスチャン婦人の方々、あなたが主なる神様から与えられていらっしゃいます大いなる救いの恵みを、同胞の姉妹たちに分かち与えて下さいますように、心からお願いいたします。

 

 愛する日本の国が神様の祝福のもとに、立派なキリスト者たちの国となる日が、やがて訪れて来るように、私は心から祈って、ペンを置くことにいたします。       =完=

 

 ポーリン・マカルピン著

(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。尚、本の在庫はありません。

『旧・新約婦人物語』(53)

 

ユウオデヤとスントケ

 =ピリピ4:1~3=

 

 「だから、わたしの愛し慕っている兄弟たちよ。わたしの喜びであり冠である愛する者たちよ。このように、主にあって堅く立ちなさい」(1)。この力強い言葉は、ローマの牢獄に閉じ込められている老使徒パウロが、ピリピの町にある教会の、主にある兄弟姉妹たちに書き送った有名な言葉です。

 これを読みます時、どんなに使徒パウロがピリピにいる兄弟姉妹を愛していたか、また彼らがどんなにパウロの喜びであったかが分かると存じます。ピリピの教会は、ヨーロッパでの最初の教会でありますし、その教会の信者は、ヨーロッパのクリスチャンの初穂であります。パウロがマケドニヤ人からの招きの夢に応じて、ギリシャに渡りました時、彼が最初に 十字架の福音を宣べ伝えたのは、このピリピの町でした。この町で数人の熱心な婦人たちが川辺に集い、祈りをしていることを聞き知ったパウロは、その場を尋ねてキリストによる救いの説教をして聞かせ、その人たちを真の神に導きました。その中に、テアテラ市の紫布の商人ルデヤと言う婦人がいまして、ヨーロッパでの最初のクリスチャンとなった物語は有名です。

 その後のピリピの教会の発展は目覚しいもので、信仰に燃え、救われた証を語り、教会のための奉仕にと、大きな働きをいたしました。パウロは、「あなたがたは、よくわたしと艱難を共にしてくれた。ピリピの人たちよ。あなたがたも知っているとおり、わたしが福音を宣教し始めたころ、マケドニヤから出かけて行った時、物のやりとりをしてわたしの働きに参加した教会は、あなたがたのほかには全く無かった」(14~14)と、書き記しています。このように、ピリピの教会は、パウロと実に密接な関係を持ち、パウロもまた絶えず彼らのために祈り、手紙をもって教会員一人一人を正しく導き、励ましていたようです。

ここに牧師の本当のあり方を見出すことが出来ると存じます。もちろん、神学を研究することも、力に満ちた説教の準備をすることも、当然、牧師にとって大切な勤めでございます。同時に、一方において、パウロが実行いたしましたように、教会員一人一人の喜びや悩み、あるいは彼らが受けつつある試みを素早く見抜かなければ、牧師はどうしてパウロのように、一人一人を正しく主に導くことが出来るでしょうか。

パウロは絶えず愛する信者の名前も覚え、それぞれの教会内の問題について、自分の責任を強く感じていたことに、大変教えられます。

この信仰と実践に優れたピリピの教会にも、面白くない問題もあったようです。4章2節に、「わたしはユウオデヤに勧め、スントケに勧める。どうか、主にあって一つ思いになってほしい」とあります。このことは何を意味しているのでしょうか。別に難しいことではなく、この二人の婦人たちが、一つ思いになっていないで、意見が合わない、強く言えば争っていたようです。

ではこの二人の婦人は、どういう女性であったのでしょうか。3節によりますと、「真実な協力者よ。あなたにお願いする。このふたりの女を助けてあげなさい。彼らは、『いのちの書』に名を書きとめられているクレメンスや、その他の同労者たちと協力して、福音のためにわたしと共に戦ってくれた女たちである」と、パウロが語っています。彼女たちの教会生活は形式的なものではなく、また中途半端ななまくらなものでもなく、パウロが初めて伝道した頃から、クレメンスや他の同労者の時でも、十字架の福音のために戦ってきた、まことに信仰深い立派な婦人たちであったことを、パウロはここで語っています。

どうして、このような信仰ある婦人たちが、一致協力することが出来なかったのか、その点はっきり致しておりません。彼女たちの争いの原因が聖書には書いてないのです。パウロが記していますところは、この二人の婦人の間がうまく行っていないと言うことと、そのような問題をそのままにしておくのは良くないと言うことなのです。

このような問題は小さい事柄で、どうでもよいと放置されやすいのですが、実はこれが教会の一致と平和を破る問題にまで発展するのです。ですから、このような事柄は一日も早く解決しなければならないのです。

さて、パウロはこの問題をどのように解決しようとしたのでしょうか? 先ず二人の婦人に、自分を忘れ、隣り人を愛する主のみ言葉の精神にもとづき、二人が仲良くしてくれることを、勧めたのでありました。しかし、それはいい得てその実、まことに困難な、たやすい業ではありませんでした。それで、誰か他の人に、この二人の婦人を助け、和解するように依頼しました。「ついては、真実な協力者よ。あなたがたにお願いする。このふたりの女を助けてあげなさい」(3)とございます。この「真実な協力者」とは誰なのか、その名前は、ここに記されていませんが、この手紙を見たピリピの人たちには、それがだれのことなのか、直ぐ分かる人であったと思います。

教会の信者たちの間に生じますいろいろの問題は、このようにして解決するのが、最も良い方法ではないかと思いますが、どうでしょうか。先ず、問題を問題として取り上げ、それを権威ある人に託して、一時も早く解決しなければ、これは教会の一致協力を乱し、発展を妨げる大きな障害となると存じます。

もし、あなたの婦人会の中で、ユウオデヤとスントケのような問題がございましたら、どうか謙虚と悔い改めと祈りとをもって、それを早く解決し、全教会員が力を合わせ、主イエス・キリストによる救いの福音の宣教に努め、教会員として走るべき道のりを、ひたすら走り続けてまいりましょう。そのためにも、わたしたちは、主イエス・キリストにあって、主より送られてくる聖霊の助けを頂くように、祈りつつ、待つように努力しようではありませんか。

 

 ポーリン・マカルピン著

(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。尚、本の在庫はありません。

『旧・新約婦人物語』(52)

 

テアテラのイゼベル

  =ヨハネの黙示録2:18~28)

 

 テアテラにあった教会は、小アジアの七つの初代教会の一つで、原始キリスト教会として有名な教会であったようです。先にわたしたちは使徒行伝6章より、ルデヤについて学びましたように、このテアテラは彼女の故郷で、有名な紫布の産地でありました。ルデヤはその特産品の商人でギリシャのピリピで商売をしていたのです。

さてヨハネの黙示録2章18~19節以下を読んでみますと、当時のテアテラの教会には、いろいろと良い点があったようです。「神の子が、次のように言われる、わたしは、あなたのわざと、あなたの愛と信仰と奉仕と忍耐とを知っている。また、あなたの後のわざが、初めよりもまさっていることを知っている」と聖書にある通りです。

このようにテアテラの教会は神に大変なお褒めをいただいていますが、わたしたちはどうでしょうか。ここで個人としてまた教会員として、わたしたちは、静かに自己反省をしたいと思うのです。わたしたちが歩んで来た過去の歩みはどうであったでしょうか。善き業に富んでいたでしょうか。愛と信仰と奉仕に満ちていたでしょうか。また忍耐をもってすべてのことをなして来たでしょうか。わたしたちの教会の過去の歩みはどうでしたでしょうか。

神様がテアテラの初代キリスト教会に向かってお用いになったお言葉は、わたしたちの教会にも当てはまるでしょうか。神は、怠けているところ、愛のないところ、不信仰なところ、忍耐と奉仕の足りないところを知っていると仰せになるのではないでしょうか。

しかし、このような神様から、お褒めに与りながらも、テアテラの教会には、尚欠けている点があったと言うことが20節以下で示されています。

「しかし、あなたがたに対して責むべきことがある。あなたは、あのイゼベルという女を、そのなすがままにさせている。この女は女預言者と自称し、わたしの僕たちを教え、惑わして、不品行をさせ、偶像に捧げたものを食べさせている」とあります。

アブラハム・カイパー博士の言葉によりますと、当時のテアテラの町の外には、有名な女占者が美しい宮殿を作り、その内に坐って占いをしていたということです。この占者の本当の名前は何と言うのかわかりませんが、彼女の残酷な性質と悪魔のような性格が旧約聖書に登場する、あの悪事で有名なアハブ王妃イゼベル(旧約聖書列王上18章参照)の行いによく似ていたために、彼女をイゼベルと呼んだのかも知れません。とにかく、そのような不倫の女が、テアテラにいたということは、歴史の面からも確かなことでありました。

テアテラの教会の人たちは、何故、こんな女性を、そのなすがままに任せていたのでしょうか。そのわけが、ここにははっきり書かれてはいませんが 、その理由の一つは、教会の信者のある一部の人が彼女の悪い教えに惑わされて、これに妥協していたからに違いありません。彼らは預言者と自称するイゼベルに全く欺かれ、偽預言者の教えを神のみ言葉だと信じていたようです。

わたしたちはこれを読んで、どうして彼らがたやすく偽預言者に欺かれたのでしょうかと、疑問さえも起きるのであります。しかし静かに自分の心の内を反省してみますとき、わたしたちもこれによく似た愚かな態度を時々とっているのではないでしょうか。

たとえば、教会の一致を守っていない教会員、あるいは教会がもっている信条を割引している教会員らの、なすがままにまかせているような場合が少なくないと思います。また教会に対する責任を少しも考えていない教会員や、勝手に礼拝その他の集会に出ない教会員はいないでしょうか。

あなたの教会では、いわゆるクリスマス信者はいませんか。これらに対する教会の処置はどうしていますか。責むべきことがあるにもかかわらず、それを放置しておいて、良く指導することをしない教会は、身体に重い病のある病人と同じで、病毒が全身に回わって滅亡するより外はないでしょう。

もう一つ大切なことがあります。それは、教会員は、すべての間違った迷信を捨てることです。ご承知の通り日本にはいろいろの迷信が満ちています。卑近なところでは、お日柄が良いとか悪いとか、方角が良いとか悪いとか、結婚の場合、干支によって相性をどうのこうのといったり、全く根拠のない迷信があります。これらの迷信は、人々の毎日の生活に入り混じって、何が真で、何が偽りなのか、少しも分からないようにしてしまいます。

しかしクリスチャンはすべての迷信に対して、はっきりした態度をとり、これらは断固捨て切らねばなりません。また、占者等との関係を持ってはならないのです。このテアテラのイゼベルと、現代の占者とは、皆同じ偽者なのです。彼らがもっともらしく行う占術は、特別な神様から与えられた力でも何でもありません。ただ、金をとって人を惑わすだけのことであります。

すべてを神に任せるクリスチャンは、迷信も占いも全くその必要がなく、むしろそれらは、聖書の信仰の敵であります。

わたしたちは真心をもって神を愛し、主イエス・キリストを救い主と信じて、与えられたこの人生を、真直ぐに神様に従って生きたいと存じます。そこに人生の意義もあり、また暗黒の時には光明を見出すことが出来るのです。

 

 ポーリン・マカルピン著

(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。尚、本の在庫はありません。

『旧・新約婦人物語』(51)

 

 ピラトの妻

  =マタイによる福音書27:15~31=    

 

 イエス様を十字架に付ける宣告を下しましたローマの総督ピラトは、歴史の中で一番憎まれた人物の一人でありましょう。ピラトはローマ皇帝テベリオに選ばれまして、紀元26年頃、ユダヤの総督として遣わされたのです。彼はまことに残酷で、無慈悲な男であったばかりでなく、性格が頑固一徹で、一度こうと決心し、決定したことは、それがどんなに間違っていましても、「それは間違っていた」と言ったり、決定を取り消したりなどする人物では、決してなかったようであります。

 ピラトのユダヤ人に対する政策は、余りにも独裁専制主義であったために、紛争が絶えず、彼はとうとうローマ皇帝に訴えられてしまいました。紀元37年頃のことですが、ローマ皇帝より、ローマに呼び戻されてしまい、ユダヤには別の人が総督として遣わされることとなったのです。

 彼のいろいろな間違った政治のやり方や悪い行為などが、ローマで調べられることになってしまいました。ところが彼がまだローマに帰り着かない先に、皇帝テベリオが死んでしまったのです。ピラトは皇帝テベリオの前で取調べを受け、自分を弁明することが出来ませんでした。歴史家の伝えますところでは、ピラトはその後、フランスの南部に追放されまして、哀れにもそこで自殺をとげたとか言われています。正しい政治を行わず、良心的に善を尊ばなかったためにピラトは、彼自からの罪のために滅んでしまいました。

 

 さて、お話をイエス様が総督ピラトの前に立たれました時に戻しましょう(27:11以下)。ピラトは先ず、イエス様に向かって、「あなたがユダヤ人の王であるか」と尋ねました。イエス様は、はっきりと「そのとおりである」とお答えになられました。ところがイエス様をなき者にしようと、イエス様を捕らえ、ピラトの前に引っ張って行った祭司長や長老たちが、次々と不利な証言をピラトに訴え続けましたが、イエス様は彼らには一言もお答えになりませんでした。イエス様のこのような態度には、総督ピラトでさえいぶかるほど沈黙されていました。

 総督ピラトが裁判の席に着いていました時、一つの不思議な出来事が起き上がりました。それは群衆が裁判の開かれている法廷の広場に集まり、キリストを十字架につけよ、十字架につけよと、激しく叫び続けている時のことでした。ピラトの妻の所から、一人の使いが来まして、総督に何か話したいことがあると告げました。

 裁判の開かれている大切な時に、妻が夫の総督を煩わすというのはどうしたことでしょう。余程、何か重大な急を要することでも起きませんと決して裁判の最中に、夫の総督を煩わすといったことをするはずがありません。ピラトは驚いて、何事が起こったのかと、問うたことでありましょう。

 どんな重大な事件が起きたと言うのでしょうか。彼女は夫のピラトに、「あの義人には関係しないで下さい。わたしは今日夢であの人のためにさんざん苦しみましたから」(19)と、使いの者を通して告げました。

 ピラトの妻のこの言葉によって、わたしたちは彼女についていろいろなことが、分かるように思います。その一つは、彼女は総督の妻として、また、裁判をする立場の人の妻として、彼女自身の立場と責任を非常に強く自覚していて、今、主人がどういう人を裁いているのか、またどういう問題に主人は直面しているのか、と言ったその時の状況をよく知っていたということであります。事件そのものの善悪に関しては別問題として、ピラトの妻は主人のしていることをよく知って、主人を助け、できるだけ正しい裁判をするように願っていたのでしょう。

 彼女がどうしてこの場合、キリストは義人であることを、こんなにはっきりと、知っていたのでしょうか。わたしたちにはその原因は分かりません。たぶん、彼女はイエス様のご生涯を聞き、知っていたのか、法廷に連れ出されたもうた前後の関係をよく調べたりした結果として、そのことが分かったのかも知れません。

 総督のピラトでさえ、イエス様には何の罪もないと、裁判の中で何度も主張しています。18節を見ていただきますと、分かっていただけますように、祭司たちがイエス様を総督に引き渡しましたのは、彼らの妬みのためであったのです。このことを、ピラトはよく知っておりました。

 とにかく、ピラトの妻は、イエス・キリストが義人であると確信しまして、主人が裁判で、もしも誤った判決を下したら大変なことになると考え、急いで使いの者を送り、自分の思うところを主人に告げたのでありましょう。しかし、彼女からの伝言は、十分に意を尽くしたものとは言えないように思います。と申しますのは、彼女がその日、非常に恐ろしい、心に不安を感じさせる夢を見ただけなのです。その夢の内容については19節の使いのものの伝言からは、語られてはいないからです。恐らく、その夢の内容は余程重大な意味をもっていたのでありましょう。

 それで、彼女は“キリストのためにさんざん苦しみましたから、あの義人には関係しないで下さい”と、主人に進言せずにはおれない心の不安が、きっと彼女の心にあふれたのでしょう。

 このように、ピラトの妻の場合、法廷に立ち、人を裁く自分の主人を、判決に誤りを犯さぬように、正しい方向に導こうと一生懸命に努力することは、妻として主人への果たすべき第一義的な責任を果たしているものと思います。わたしたちは、自分の夫が勤めている役所や、会社や、学校で、あるいはまた、主人自身が商売のことで、いろいろな問題や、悩みに遭遇し、苦しんでいる時、妻として真心から愛と同情をもって夫とともに話し合い、助け合って行くことこそ、夫婦が当然取るべき生活態度であると考えます。

 もしここで、ピラトが妻の言葉に耳を傾けて、彼女の言葉に従い、正しい判断裁判を下しておりましたら、彼は決して、イエス様を十字架につけるような、愚かな失敗はしなかったことでしょう。また、極悪非道の悪人のように、世間の人々から蔑まれたり、惨めな死に方をしなかったことでしょう。

 この話から教えられますことは、わたしたち夫婦はお互いに、神様のお導きに従って、どのようなことであれ、すべての問題や悩みを、キリスト者として、祈りによって解決し、助け合っていかなければなりません 。さもなければ、わたしたちは、滅びの道へと足を踏み外し、恐るべき方向に行くということを、強く教えられているのです。

 

 ポーリン・マカルピン著

(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。尚、本の在庫はありません。

『旧・新約婦人物語』(50)

 

 誘惑に負けた

  ドルシラ

 

 =使徒行伝24・24~25=

 

 エドムの国王ヘロデ・アグリッパには、二人の娘がありました。姉の方は、ベルニケといってあまり美しい方ではありませんでしたが、妹のドルシラは絶世の美人でした。このドルシラは、15、6歳の頃、エメサの王と結婚させられました。その結婚の時に、一つの条件がつけられていました。それは、王がドルシラと同じようにユダヤ教の信者になるということでした。けれども、これを承知の上で結婚したエメサ王は、この約束を無視して妻の宗教を受け入れませんでした。

 現在の日本でも、こういう実例は沢山あると思います。信者の女性が未信者と結婚する時、大抵は、結婚後も教会生活をすることを承知してくれるよう約束いたします。がさて、新しい家庭を作られると、だんだん、教会に来なくなってしまうのは、よくある例です。神様のみ前でこういう守れない約束をすることは、本当に懺悔すべきだと存じます。

 さて、ユダヤ教の信者でない王と結婚した美しいドルシラは、その後、どうなったでしょう。ある日、ユダヤの総督ペリクスが宮殿の宴会に招かれ、美しい王女ドルシラに会い、その美しさに魅了されました。その時からローマ人であるこの総督は、何とかしてドルシラを自分の妻にしようと、道ならぬ決心を致しました。

 一方、ドルシラは、「姦淫してはならない」という自分たちの宗教の大切な十戒の戒めを知っていながら、ペリクスの不道徳な誘惑に負けて、自分の夫であるエメサの王を捨てて、ペリクスのところに行き、彼の内妻となったのです。使徒行伝24章24節にある、「ユダヤ人である妻ドルシラ」というのは、この女性のことであります。

 彼女は自分の本当の夫を捨てて、姦夫のもとに走り、自分の宗教をないがしろにして罪の栄華に生涯を送ったのです。神を恐れず、不道徳な生活をほしいままにした女性こそドルシラであります。

 ドルシラは、総督から使徒パウロの裁判の模様を聞かされましたとき、彼女はパウロに対し、またその説くキリスト教に対し幾分かの好奇心を持ったようです。彼女は総督である主人に頼んでパウロを牢獄から呼び出してもらい、ペリクスと共に、パウロからキリスト・イエスに対する信仰のことを聞きました(24・24)。そこで総督とドルシラの不倫な関係をよく知っているパウロは、大胆に、正義、節制、未来の審判について語ったのです。

 放埓な生活をしているドルシラとペリクスは、パウロの話を聞いているうちに、自分の罪がどんなに深く大きいかが分かってきました。その上、やがて人類の上に来る審判の日の話になりますと、二人は、心の底から恐れおののいたことでありましょう。彼らは余りにも不安に感じたので、「きょうはこれで帰るがよい。よい機会を得たら、呼び出すことにする」(25)と言って、パウロを帰しました。この時のペリクスとドルシラの態度は、人間の弱さをよく現わしており、私たちの中にもよく見られる実例ではありませんか。

 自分の罪に耳をふさいで、神のみ言葉を聞かず、悔い改めようともしないで、またいつかよい機会を得たら、このことを考えましょう、と言うような口実で、その日逃れの生活態度を続けておられるのは普通一般の人々のやり方です。

 こうしてペリクスとドルシラは、パウロの話を聞いたとき、なるほどと感動させられましたが、その後直ぐに忘れてしまった様です。彼らと同じように、この世の多くの人々もキリスト教の様々なお話を聞いて、一時はなるほどと感動はしますが、直ぐ頭から抜け出してしまうようです。聖書をもっと熱心に学びたいと思っても、その機会が来ないといったり、教会に行って信仰を養われたいと思っても、その機会や暇がないというのです。

 何故、その機会が来ないのでしょうか。彼らは、折角与えられている今の機会を逃しているからです。教会の門はいつも、あなたのために開かれています。

 パウロの話に感動させられたドルシラは、その時直ちに悔い改めて神に立ち返りましたなら、彼女の生涯は全く変わったものになったと思います。しかし、事実はそうではなく、悲しいことには、神様が差し向けて下さった、このまたとない好機を無駄に逃してしまいました。神が、パウロを通して彼女に与えようとされました救いの福音にも、いのちの言葉にも耳を傾けず、今までの罪の生活を、更に続けたのであります。

 歴史によりますと、彼らは20年後に、実に恐ろしい罰を受けています。ドルシラとその一人息子のアグリッパの二人は、イタリヤのポンペイへ行く途中、歴史上に記録されているあの有名なヴェスヴィオ山の大爆発に遭遇して、ポンペイ全市民と同じく、火の河となって流れてくる溶岩の下に埋もれて、あえない最期を遂げてしまいました。

 キリストの再臨と審判の日は、聖書が教える真理であります。どうか皆様方一人一人が、この世の最後の日のためによき心の準備をし、今からキリストの再び来たり給う日を喜んでお迎えすることの出来ますよう、主のみ心にかない、キリスト者にふさわしい、神の喜び給う日々を送られるようお勧めいたします。

<ポンペイ>

ヴェスヴィオ火山の大爆発による、ポンペイ市の埋没は紀元79年のことです。

 

 ポーリン・マカルピン著

(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。尚、本の在庫はありません。

『旧・新約婦人物語』(49)

 

エステル   =エステル記=

 

 紀元前400年ごろ、ペルシャの国はアハシュエロス王が治めておりました。この時代はペルシャの全盛期で、領土はインドからエチオピアまで127州におよんでいました(1:1)。王の治世3年に、王は各州の大臣、貴族、将軍たちを集め、180日にわたる大宴会を催し、王の大きな富と、盛んな威光を示しました。その後で都シュシャンにいる大小すべての民のために、更に7日間の宴会を開き、王の后ワシテは王宮にいる女たちのために別に宴席を設けました。

 当時の習慣によりますと、特にペルシャでは、女性は公の席へ出ることが許されず、外出するにもベールをして顔を見せないようにしておりました。かつてはトルコでも、女性はすべてベールをして外出したそうです。かつての日本でも婦人たちはあまり公の席へ出ないことにおいて同じようです。

 さて、この宴会の終わりの日、王は酒に酔って、后に皇后の冠をかぶって宴席に出るように命じました。これは、その美しさを集まっている人たちに示すためでした。しかし、王の后は昔からの習慣を破る行為だとして、命令に従わず、王の前に出ませんでした。王の命令に背いた罪は放っておくわけにはゆきません。

 王は怒って、その処置を知者に相談しましたが、彼らは后が王の命に背いたのは、律法を犯したもので(専制の昔は王の命令は何事も法律となりました)、これを許しますなら王は国を治めても、王妃を治めることは出来ないと国民は笑うでしょうと答えました。そのため、ワシテは王の后の地位より退けられ、他に王の后を選ぶことになりました。

 ここに、神の摂理により選ばれたのがユダヤ人のエステルでした。彼女は早く父母と死別して従兄のモルデカイに育てられた身も心も大変清い女性でした。彼女は、他のユダヤ人と共にネブカデネザルの時、捕らえられ奴隷にされてジュシャンの都にいたのです。

 王の后に推されたエステルが、ユダヤ人であることをモルデカイのほか、誰も知りません。愛するエステルが王の后になったことを、王の門衛をしていたモルデカイは、もちろん喜んでおりましたが、その喜びはしばらくして破れてしまいました。

 ここに、王の権力を傘にきた大臣でハマンという人がいました。彼はよくない人で口先がうまく、王に取り入り、王の次の位にありました。彼は心おごり、彼が通行するときは、国民は皆、彼を拝するようにと、王の名をかりて国民に命令いたしました。門衛のモルデカイは、「神のほか何物をも拝むな」という十戒を守って、この命令に従いませんでした。

 ハマンは、王門を出入するたびに、自分を拝まないモルデカイを見て非常に怒りましたが、モルデカイ一人を殺すのは小さいことだが、むしろ彼の属しているユダヤ人全部を殺すべきだと決心しました(3:6)。それから、彼は王に対して、「国の各州にいる諸民族のうちに、散らされて、別れ別れになっている一つの民がいます。その律法は他のすべてのものと異なり、また彼らは王の法律を守りません。それゆえ彼らを許しておくことは王のためになりません。もし王がよしとされるならば、彼らを滅ぼせと詔をお書きください」(3:8~9)と、王の命令を願い出ました。その許しを得て、その年の12月13日に国内にいるすべてのユダヤ人を殺すよう各州の知事に命令いたしました。

 これを聞いた全国のユダヤ人は、「大いなる悲しみがあり、断食、歎き、叫びが起こり、また荒布をまとい、灰の上に座する者が多かった」(4:3)と聖書にあります。モルデカイも衣服を裂き、麻布をまとい、灰をかぶって王門にて泣き叫びました。

 王の后エステルは、モルデカイの嘆きを聞いて驚き、使いの者をつかわし、どうしたのですかと問わせました。モルデカイは事の次第を詳しく語って、ユダヤ人のために王のあわれみを乞うよう頼みました。エステルは、男でも女でも王から召されないのに、王の中庭に入るものは殺されるという法律を恐れて、初めはなかなか承知をいたしませんでした。しかし、「あなたが、もしこのような時に黙っているならば、ほかの所から、助けと救いがユダヤ人のために起こるでしょう。しかし、あなたと、あなたの父の家とは滅びるでしょう。あなたがこの国に迎えられたのは、このような時のためでなかったとだれが知りましょう」(4:14)、との二度目の願いを聞いて、エステルは意を決しました。そして、「あなたは行ってスサにいるすべてのユダヤ人を集め、わたしのために断食してください・・・。わたしは法律にそむくことですが王のもとへ行きます。わたしがもし死ねばならないのなら、死にます」(4:16)とモルデカイに申し送って、彼女は王の前に立ったのです。

 これは、王の許しがないのに王の前に立つことで、死にあたる罪です。本当に命がけの仕事で勇気がなくては出来ません。彼女は、モルデカイや全ユダヤ人たちの背後よりの祈りに支えられ、この犠牲的な行為が出来たと思います。祈りの力のいかに偉大なるかを覚えましょう。

 王がその夜、寝られないままに家臣に命じて、記録を読ませていましたが、その中に、モルデカイが王を殺そうとする反逆を探知し、これを報告して王の難を救った記事を発見しました。王はこのためにどんな栄誉をモルデカイに与えたかと家臣にたずねました。家臣たちは、何も彼に与えていませんと答えました。そこで夜中にもかかわらず、ハマンを召して、「王が栄誉を与えようと思う人には、どうしたらよかろうか」(6:6)と尋ねました。

 ハマンはそれがモルデカイのためであることを知らずに、王が栄誉を与えようとする人物は自分より他にあるはずはないと、うぬぼれて、「王が栄誉を与えようと思われる人のためには、王の着られた衣服を着せ、王の馬に乗せ、王の貴い大臣に手綱をとらせて、王の栄誉を与えようと思う人にはこうするのだと呼ばわせて、町々を通らすがよろしい」(6:7~9)と言いました。

 王は、それがよいと、ただちにモルデカイを召し出し、自分の衣を着せ、自分の馬に乗せて、ハマンにその手綱を取らせて町々を廻れと命令しました。ハマンは王の命令にそむくことができませんでしたので、そのとおり行いました。「ハマンは憂い悩み、頭をおおって急いで家に帰った」(6:12)と聖書にあります。彼の憤りのさまが目に見えるようです。

 さて、王の后エステルは意を決して王の庭に入り、王とハマンとを自分の宴席に招きました。王は喜んでハマンをつれて宴に臨んだとき、エステルは二人の面前にて、「わたしとわたしの民は売られて減され、殺され、絶やされようとしています」(7:4)と、歎き、王の恵みを願いました。王は驚いてその悪い企てをしたのはだれかと尋ねました。エステルは大胆に、「それはハマンです」と、目の前にいるハマンを指さしました。

 ここで、すべては明らかにされました。王は怒って王の命令だといって、ユダヤ人を滅ぼそうとしたハマンは罰せられ、ユダヤ人は助かりました。

 このエステルのお話で、私たちは何を学びますか。

1 すべてのことが相働いて益と成となること。

酒に酔った王、王の命令に従わないワシテと、ハマンの悪計などの行いが、相働いてユダヤ人の救いの原因となっていることに注意しましょう。私たちは常に襲う悲しみ、悩みなど、いろいろの問題も神の摂理のうちあると信じます。

2 エステルの犠牲的行動。

 自分が王妃という栄誉ある地位にありながら、同胞ユダヤ人を救うために、自分が嫌われ者の奴隷であるユダヤ人の一人であることを、王の前でハッキリ打ち明けることは、到底、普通の女ではできることではありません。

 現在、日本のクリスチャンの数は、全人口の1パーセントにも及びません。その数は、ぺルシャに住んでいたユダヤ人の数によく似ています。しかし、この少数のクリスチャンのすべてが、エステルのように自分の信仰を明らかにし、神の軍勢の一人であることを自覚して、神のみ旗のもとに戦って、自分の受けた神の恵みの証を立てましたならば、多くの同胞を救いに導くことが出来ると思います。

   <今月号をもって、旧新約婦人物語の旧約のシリースは終わります>

 

 ポーリン・マカルピン著

(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。尚、本の在庫はありません。

『旧・新約婦人物語』(48)db38de1e.jpeg

アテネのダマリス
=使徒行伝17:32~34)=

 ダマリスという婦人の名は、聖書の中にただ一回だけここに現れています。使徒行伝17章34節に、「しかし、彼にしたがって信じた者も、幾人かはあった。その中には、アレオバゴスの裁判人デオヌシオとダマリスという女、またその他の人々もいた」。
 この聖書の言葉の中の「彼」というのは、皆様がご存知の大使徒パウロのことです。所はギリシャの都アテネのアレオパゴスにある評議所です。パウロは多くのアテネ人に連れられてアレオパゴスの小山にある評議所のまん中に立たされて、彼を取り巻くアテネの人たちに向かって熱心に真のいける神について説教を致しました。今、わたしがここで皆様方とともに考えようと致しますことは、パウロのお話が終わってからの様子です。
 この使徒パウロの大説教を聞いていた人々の中にはギリシャに住んでいたユダヤ人や、信心深い人もいたことでしょう。当時のアテネは、世界の文化の中心で、エピクロス派とか、ストア派とかいう哲学が流行して、アテネの人たちは、毎日、会堂や広場で議論していたのです。パウロもアテネに着きますと直ぐに、これらの人たちと論じ合ったことが、17章の記事を見てわかります。
 21節にありますように、「アテネ人もそこに滞在している外国人もみな、何か耳新しいことを話したり聞いたりすることのみに、時を過ごしていた」と言うことでも分かります。
 ダマリスがどういう動機で、アレオパゴスの山へ、パウロの話を聞きに行ったのか、はっきりいたしませんが、肝心な点は、彼女がパウロの説教に感動して、信仰生活に入ったと言う事実です。
 ここで非常に不思議に思うことは、昔から真の神を信じて救い主の来られるのを待望し、期待していたユダヤ人が、パウロのこの時の伝道によって救われなかったことです。また神や世界についていろいろな哲学上の問題を想起する哲学者たちも、パウロと議論はしましたが、遂に彼らは満足するに至らなかったようです。
 同じく数限りなくある多くの偶像に囲まれ、これを拝んでいた一般のギリシャ人たちも、初めはパウロの新しい教えに耳を傾けてはいましたが、死人の甦りという新事実を聞かされた時、彼らは我慢が出来ず、ある者は嘲笑し、ある者はいずれまたついでの時にでも、このことについて聞きましょう、と言って去ってしまいました。
 けれどもこの時、救いの恵みを得た人たちもいるのです。その人たちは、心へりくだって、真面目にパウロのお話を聞いた僅かな人たちだけであったのです。この事実に注意して下さい。現代の多くの人たちも、パウロの話をアレオパゴス山上で聞いたギリシャ人と同じような態度をとっているのではないでしょうか。
 偶像崇拝はやめよ! 神を人間の技巧や空想で、金や銀や石などに刻んだものと同じようにみなすべきではない、と言うパウロの大胆率直な言葉を聞いても、多くの現代の日本人は、相も変わらず偶像崇拝を続けております。
 真の神に対して無知であって、別に神様の存在を問題としないのです。悔い改めて神に立ち返りなさい。裁きの日のための準備はよろしいですか。審き主なる蘇りのキリストを信じなさいと何度言われても、キリストの十字架による救いの唯一の信仰の道には入ろうとはせず、またの時に話しましょうと、軽く断るのが普通ではないでしょうか。
 パウロを取りまくアレオパゴスの多くの不信仰な人々の群れの中から、少数ながらもパウロに従って、キリストを信じた人々があったことは、言うまでもなく神様のお恵みでした。
 ダマリスの誇りはここにあるのです。多くの人たちが、自分のことを何と思おうとも、自分は真の神に従い、救われたキリスト者としての道を、これからもただひたすら歩むのだと決心したのです。この決心、決定は、なかなかたやすいことではありません。
 昔から伝わった間違った宗教と習慣を捨てて、人が何と言おうとも真の神に従っていくことは茨の道でもあります。ことに偶像崇拝の多い日本においては、女性として、このようなキリスト者の道を選ぶことは、実に勇気と決断が要ることです。にも関わらず、ダマリスがパウロの説教を聞いて直ぐに、決心したのは教えられる点があります。彼女がこのまたとない機会を逃してはならないと自覚した時、他の少数のものと一緒にパウロの教えに従った決断力を、ここに特に覚えていただきたいと思います。
 パウロは彼の長い伝道旅行中ただ一度だけ、アレオパゴスの評議所で説教を許されたのです。その日、その時、悔い改めて神に立ち返った人々は、どんなに幸いであったことでしょう。
 愛する読者の皆様、あなたは、どんな信仰の道を歩んでおられるでしょうか。金や銀で作ったいのちのない偶像を拝んだり、または人間の限りある知識や、能力では解決できない哲学的な問題に悩まされて、自ら自由を失ったりしておられるのではないでしょうか。あるいはこの世的ないろいろの珍しいことや、世俗的な興味に心を奪われて、真の神に帰る決心をにぶらせているのではありませんか。どうか、ダマリスにならって真の神を求め、信じて、神の示し給う道に進まれるよう願ってやみません。

<アレオパゴス>
 アレス神の丘と言う意味で、アテネのアクロポリスの西にある、軍神アレスの名を持つ低い丘の一つです。この丘に裁判をするためにあったのが、アテネの評議所です。

 ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。尚、本の在庫はありません。
『旧・新約婦人物語』(47)

アタリヤとエホシバ
 ¬
=列王紀11章・歴代志下21章=

 ここでは、二人の女性について学びましょう。その一人はユダの王アハジヤの母アタリヤであり、もう一人は、アハジヤの妹エホシバです。この二人は性格が正反対でアタリヤは毒婦型、エホシバは信仰的な賢婦人でした。
 先にイゼベルについて学びましたから、読者は覚えておられると思いますが、このお話のアタリヤは、そのイゼベルの娘です。
 ユダの王ヨシャパテが王子ヨラムの嫁に、どうしてこのような女性を妻として迎えたかは、はっきりわかりませんが、多分ユダ、イスラエル両国の政略結婚ではなかったでしょうか。このアタリヤは、母イゼベルの悪い性格をそのまま受け継いだといってもよいほどです。彼女は自己中心主義者で大きな罪を犯しました。歴代志下21章6節を見ますと「彼(ヨラム)はアハブの家がしたように、イスラエルの王たちの道(偶像崇拝)に歩んだ。アナブの娘を妻としたからである」とあります。
 ヨラムと、イスラエルの王の娘アタリヤとの結婚は、大変な失敗でした。この聖書の言葉は、ヨラムの政治の失敗が、アタリヤとの結婚に基づくことを明らかにし、未信者または異教徒との結婚が信者の家庭に、どんなに悪影響を及ぼすかを示しております。
13-8-tao.jpg 当時、イスラエルはイゼベルによって持ち込まれたバアル崇拝により、国の風紀が乱れ、そのうえ外患があって民は塗炭の苦しみをなめていました。この恐ろしい罪が、アタリヤによって、ユダの国にも取り入れられたのです。ユダの国のために惜しんでもあまりあることでした。イスラエルの王アハブが、イゼベルの願いによって、国中にバアルの宮を建てたようにユダ王ヨラムも、アタリヤの要求に従って、国中にバアルの宮を建てたばかりか、「彼はまたユダの山地に高き所を造って、エルサレムの民に姦淫を行わせ、ユダを惑わした」(歴代志下21・11)と聖書にあるとおり、国民に偶像崇拝を強要したのです。しかも、それだけではなくヨラムが自分の兄弟をも殺すに至ったのは、アタリヤの悪だくみと言われます。
 預言者エリヤは、この大きな罪を黙って見過ごすのに忍びず、王に手紙を送って、彼の偶像崇拝と殺人の罪を責め、「主は大いなる災いをもってあなたの民と子供と妻たちと、すべての所有物を撃たれる」(歴代志下21:14)と、預言いたしました。
 その預言は、直ちに現れて、ユダはぺリシテ人の襲撃を受け、ヨラム王家の財産は奪われ、妻子は捕らわれてしまい、王は悪病に倒れてしまいました。
 ユダはその子アハジヤが王となりましたが、この悪い性質を父より受け、王に感化され、偶像に走っております。この大罪は決して許されるはずがなく、彼は在位僅か一年でイスラエル王エヒウに滅ぼされてしまいました。この戦乱でアタリヤの悪女振りはいよいよ露骨となり、彼女はアハジヤ王が滅ぼされたと知らされると、この子たち(自分の孫)をことごとく殺して、自分が王位につこうと決心したのです。
 世の中に自己中心主義ほど、罪に陥りやすく、恐ろしいものはありません。アタリヤは自分の栄華のためには、孫たちを殺してもはばからないのです。この危機に出てくるのが、アハジヤ王の妹である、賢婦人エホシバです。
 彼女は、アタリヤの悪だくみを見破って、王子のうち未だ幼いヨアシを、殺されようとしている王子の中から救い出して、乳母とともに一時、王宮内の寝室に隠し、その難を逃れさせました。その後、彼女は幼いヨアシを自分の夫である祭司エホヤダの家に匿いました。聖書には、「ヨアシは乳母と共に6年間、主の宮に隠れていた」(列王紀11:3)とあります。死の危険にある王子を敵の手から救い出すエホシバの行動は、機知と勇気を必要とする仕事で、まことの神を信じる者だけが出来ることです。
 ヨアシがエホヤダのもとに隠れて7年目、祭司エホヤダは、近衛の将軍たちを集めて、アタリヤの王位を奪った不法と、残忍な彼女の非行を厳しく責め、王子ヨアシを示して、彼に王位回復の誓いをさせ、いろいろの計画を授けました。この計画は間もなく実現して、安息日に各将兵は決起いたしました。アタリヤは難を逃れようとしましたが、近衛の将兵のために、路ばたで討たれてしまいました(11:13~16)。ここにおいて、エホヤダは若い王子ヨアシに油を注ぎ、王であることを宣言し、民は王の万歳を叫んだとあります(11:12)。
 
 特に注目すべきことは、この時、エホヤダが将兵に誓わせて、バアルの像を打ち砕かせたことです。このお話は多くの教訓を与えます。
1 神の変わりなき摂理について。
 エホシバに信仰と機知と勇気がなければ、奸婦アタリヤの計画は成功し、ダビデの血統は中断して、メシヤの来たりたもうことはどうなったでしょうか。神はエホシバに信仰と能力を与えて、これを用い、御自分の変わらない摂理を成就なさったことを覚えましょう。
2 神は、神を愛し、神に仕える人々を用いて、御自分の御計画を成したまいます。
 エホヤダとエホシバの宮と祭壇を打ち砕かせたのは、神の御計画でした。私たちも、このエホシバと同じく、神の御用に用いられるよう、身も心も、神に捧げたいものです。
3 神の義は、時の力よりも大である。
 アタリヤは、その時、王位にあって、大きな政治力をもっていましたが、エホヤダ夫婦の信仰に基づく正しい態度と、神の義には敵すべくもなく、はかなく滅亡してしまいました。この世の現状を見ますと、無神論の力が世をおおっているような観があり、失望せざるを得ませんが、最後の勝利は神の義にあることをこの話は物語っております。神を信じて進みましょう。

 ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。尚、本の在庫はありません。
『旧・新約婦人物語』(46)

プリスキラ(プリスカ)
 =使徒行伝18・2,26==ローマ16・3=

 夫婦がクリスチャンであると言われる家庭の少ない日本では、パウロとともに働きました同労者のプリスキラとアクラのお話などは、珍しく目立ったケースで、学ぶところが多く、教訓に富んでいると存じます。
 使徒行伝18章2節以下を読みますと、アクラとプリスキラ夫婦はユダヤ人でありました。彼らは小アジアのポント生まれで、ローマに住んでいたのです。そこで商売に励んでいたのですが、紀元50年、クラウデオ帝によるユダヤ人追放令にあい、彼らはローマを追われてギリシャのコリントに移り住むようになりました。ちょうどこの頃、ギリシャ伝道の途中にあった使徒パウロもこのコリントの町にやって来たのです。パウロはアクラとプリスキラ夫婦の家庭を訪ねます。幸いなことに、彼らは天幕造り同志という、同業者でした。それで、パウロは彼らの家庭に共に住ませていただき、共に天幕を造り、安息日毎に会堂で熱心に伝道に励んだのであります。
 私が想像いたしますのに、アクラとプリスキラとは、パウロのこのときの説教に心打たれまして、キリストによる救いに全く入れられたと存じます。しばらくして、パウロはコリントを去り、小アジアのエペソへ行きました。この時、アクラとプリスキラとは、パウロに同行していました。その後、パウロはまたアンテオケに帰りましたが、アクラとプリスキラの夫婦はエペソに居残り、一生懸命に十字架の福音・キリストによる救いの道を伝道いたしました。
 1c8af305.jpeg彼らの伝道方法は、いろいろあったと思いますが、その一つの方法は家庭での集会でありました。コリント人への手紙の第一・16章19節をご覧下さい。「・・・。アクラとプリスカ(プリスキラ)とその家の教会から、主にあって心からよろしく」とあります。この言葉によって、パウロがコリントの三人のクリスチャンに、挨拶を送っております。この「・・・家の教会」という言葉が、大切なキーポイントで、何と親しみのあるあたたかい言葉ではありませんか。商売人であったこの二人は、何時も、自分たちの家庭を教会の集まりに開放していたことは、実に尊いクリスチャンの奉仕であったと思います。
 最近、日本の多くのクリスチャンたちも、彼らと同じように、自分の家庭を開放し、神様のみ栄えのために提供しておられます事実を多く見聞きいたしまして、非常に嬉しく思います。そのような家庭こそ、暗黒の世の中に輝く灯火であると存じます。
 使徒パウロがアンテオケへ帰ってきてからのある日、アポロという使徒がエペソへやってまいりました。彼は会堂で大胆にキリストのことを語り始めのです。しかし、彼はただヨハネのバプテスマしか知っていなかったのです(使徒18・25)。そのことを知りましたアクラとプリスキラは、アポロを自分に家に招き、さらに詳しく神様のみ言葉と、十字架の道を解き聞かせました。やがてアポロがアカヤにわたりたいと申しました時、彼らはアポロを励まし、アカヤのクリスチャンに親切に迎えるようにと手紙を持たせてやりました。
 アクラとプリスキラ夫婦のまことに親切な態度に、わたしたちは心打たれます。アポロの間違ったところを、彼らは遠慮なく、しかし注意深く祈りをもって彼を正しきに導き、彼を励まし、正しい信仰と確信に立たせ、彼を生き生きとした者にしたことと思われます。その後、アポロがクリスチャンの方たちの中で、大きな力となられたことは、アクラとプリスキラの導き、彼らの力の結果であったと言っても、間違いではないでしょう。
 新約聖書に登場いたします、アクラとプリスキラのクリスチャン夫婦の記事は、以上のことだけであります。しかしその中に、彼らの人格が十分に表わされ、表現されております。しかし今一つ見逃してはならないことがあります。
 ローマ人への手紙16章4節をご覧下さい。パウロはここで、「彼ら(アクラとプリスキラ)は、わたしたちのいのちを救うために、自分の首をさえ差し出してくれたのである」と、感激の言葉を記しております。同時に、どんなところで、アクラとプリスキラとが、パウロのために自分たちのいのちをも捨てようとしたのでしょうか。それは分かりませんが、パウロはそのことを決して忘れたりなどはいたしませんでした。
 「人がその友のために自分のいのちを捨てること、これよりも大きな愛はない」(ヨハネ15・13)と、イエス様のお言葉にもございます。プリスキラは本当に、幸せな婦人ありました。主人のアクラも、彼女と同じ信仰を持っていて、彼女は主人と共に、一緒に神様のみ国のために奉仕することが出来ました。このことは、彼女の大きな喜びでもあり、また彼女の生涯の神様から託された使命でもありました。
 プリスキラは、主人のアクラよりも前に出ることはせず、何時も、主人の陰になり、日なたになって、主人を助け、協力し、神様のみ国のために熱心に励み、前進して行ったクリスチャン婦人でありました。このアクラとプリスキラ夫婦こそは、わたしたちに理想的なクリスチャン夫婦の良き模範を残して下さったと言えましょう。
 
 ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。尚、本の在庫はありません。
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捕虜になったイスラエルの少女
   =列王紀下 5:1~14=

 預言者エリシャの時代、イスラエルは北方のスリヤという国から常に侵略を受けていました。そのスリヤの将軍にナアマンという人がおりました。この人は立派な人で、聖書には、「ナアマンはその主君に重んじられた有力は人であった」(1)とあります。
 当時の習慣で、戦いに勝った国は、敗戦国の財産を没収するだけでなく、その国民の一部を捕虜として連れ帰り、奴隷として使ったのです。
 この少女も、そうした捕虜の一人で、将軍ナアマンに使われていたのです。彼女は懐かしい故郷から、知らぬ他国へ連れてこられた可愛想な身の上でした。しかし、良い主人の下に使われ、その主人の侍女として仕え、主人たちに愛されたことは、せめてもの幸いでした。ナアマン一家は理想的な家庭であったようで、彼女には奴隷によく見られるひがみもなく、主人や女主人に信用され、勤勉であったようです。
 しかし、この幸福そうな一家にも大きな悩みがありました。ナアマンには多くの財産もあり、高い地位、栄誉もありましたが、それらではいやされない、ライ病に罹っていたのです。この病を思う時、明るいはずのこの家庭も、憂愁に包まれて暗く、さすがに猛き将軍もこれには施す術もなく、諦めていたようです。一家の悩みに心を痛めていこの優しい少女は、ある日、女主人に、「わたしの故郷サマリヤに神の人エリシャがおられます。そこへお出になればいやされることでしょう」と言いました。それを聞いたナアマンは、少女の言葉を信じて、王に話し、王の許しをいただき、イスラエルへ出発しました。
 ここで私たちの、愉快に思いますことは、この少女のまことの神に対する信仰と、将軍ナアマンが一少女の言葉を素直に信じて、エリシャのところへ旅立ったことです。
 この少女はエリシャが神の人であり、神から与えられている能力をよく理解して、エリシャは今まで一度も、ライ病をいやしたことを聞かなかったのに、彼は神の人であり、神はこのような病気もいやしたもう能力があると信じて、預言者のことを自分の主人に進言したのです。
 誰でも、奴隷のような不遇の身に置かれますと、希望を失い悲観して、望郷の思いにかられるものです。まして多感な少女時代においては、なおさらです。彼女にはそのようなところもなく、信仰によってこの不遇のうちにも光明を見出し、主人を愛し、主人の幸福を自分の幸福だと考えたりするあたり、大いに学ぶべきです。
 さらに、おもしろいのは将軍ナアマンが、位も、身分もきわめて高い地位にありながら、あわれな奴隷の一少女の信仰を見て、その一言の言葉を信じました。スリヤ王もまた、このことを聞いて喜んでナアマンのために、イスラエル王に紹介状を書いたことです。一少女の言葉が、国王を動かした例はあまり類のないことです。
 将軍ナアマンは王よりの手紙をいただき、金銀、衣類など立派な贈物を携え、イスラエルの王のもとへ急ぎました。彼はイスラエルの王にスリヤ王の手紙をささげました。その手紙には、「わたしの家来ナアマンを、あなたにつかわしたことを御承知ください。あなたに彼のライ病をいやしていただくためです」(6)と記されていました。
 これを見た王は非常に驚き、「わたしは殺したり、生かしたりすることのできる神であろうか・・・」(7)。これは多分難題を持ちかけて、戦争の口実をつくるのであろうと、イスラエルの王は思い込み、衣を裂いて歎きました。
 預言者エリシャは、王の嘆きを聞いて使いを王に送り、「どうしてあなたは衣を裂いたのですか、彼をわたしのもとにこさせなさい。そうすれば彼はイスラエルに預言者のあることを知るようになるでしょう」(8)と言いました。
 そこでナアマンは家来を引きつれてエリシャのもとへ行き、その門前に立ちました。その時、エリシャは召使に「ヨルダン川へ行って身を七度洗え、そうすればあなたは清くなる」と言わせるだけで、自分は出て行きませんでした。
 ナアマンは、自分が有名な将軍ですから、一野人のエリシャはきっと敬意を払って、玄関まで出迎えるであろうと思っていたのです。ところが出て来ないのみか、この一見愚にも等しい命令ではありませんか。彼は意外でもあり、怒りました。この時のナアマンのことばは、「わたしは、彼がきっとわたしのもとに出てきて立ち、その神、主の名を呼んで、その箇所の上に手を動かして、ライ病をいやすだろうと思った。ダマスコの川アパナとパルパルはイスラエルのすべての川にまさるではないか。わたしはこれらの川に身を洗って清まることができないのであろうか」(11~12)と聖書に記されています。
 この言葉には、彼の傲慢と不信がよく出ております。彼は自分が位の高い軍人であるのに慢心して、エリシャの治療の方法が余りにも馬鹿らしく感じられたに違いありません。エリシャが自ら出てきて、彼に手を置いて祈るとか、他の特別な方法でいやしてくれると思ったのにヨルダン川で身を洗えとは、あまりにも将軍を馬鹿にした話だ、自分の国には、ヨルダン川よりも美しい河が流れているのに、何も頭を下げてイスラエルまで来る必要はなかったではないかと彼は身を翻して帰ろうといたしました。ナアマン将軍のこの態度には非常に考えさせられる所があります。実は、私たちにも、彼の態度によく似た、短気から来る軽率なこのような態度がよくあるものです。
 「小事に忠実な人は、大事にも忠実である」(ルカ16・10)と、聖書にあります。
 人がつまらないと思うようなことにも、忠実であるところに神のお恵みがあるのです。ナアマンがつまらないことだと思った川の水で身を洗うことも、これを信じて行うところに神の恵みがあったのです。私たちも大きなことにのみ心引かれて、人目を引かない小事をなおざりにいたしますと、せっかくの神の恵みに恵まれる機会を失ってしまいます。
 ナアマンは愚かにも傲慢と怒りのために、神の恵みの機会を逃すところでした。しかし幸いにも賢い僕たちがいました。
 「わが父よ、預言者があなたに、何か大きな事をせよと命じても、あなたはそれをなさらなかったでしょうか。まして彼はあなたに『身を洗って清くなれ』と言ったわけではありませんか」(13)と諌めましたので、彼はヨルダン川にくだり、身を洗いました。ところが、預言どおり、彼の全身が清くなりました。

 これによって、私たちが特に教えられますことは、
1 人は神の言葉に素直に、子供のように従って行くべきです。ナアマンがエリシャの言葉に従って、身をヨルダン川で洗って救われたのは、その例です。
2 人は神の義を知らず、自分の義を立てようとするところに、傲慢があります。キリストによる義のみが、私たちを救いにいたらせます。
  
 ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。尚、本の在庫はありません。
『旧・新約婦人物語』(44)

紫布の商人
 ルデヤ
      =使徒行伝16:11~40=

 昔、ギリシャのピリピという町に、ルデヤという婦人が住んでいました。彼女は生まれながらのギリシャ人ではありませんでしたが、長い間ローマ帝国の有名な植民都市であるピリピに住んで、商売を営んでいました。使徒行伝16章14節にありますように、ルデヤの故郷は小アジアのテアテラでありました。この町の名産は紫布と染料です。
 ルデヤは自分の故郷で出来たこの特産品をピリピに輸入して、自分の店で売っていたようであります。この意味で、彼女は商売をしておられます多くの多忙な日本の婦人と同じ環境におかれていると思います。日本の商売をしておられます家庭の婦人方が、お茶やお花のお稽古をする暇がないように、ルデヤも忙しい日々を送っていたことでしょう。
 しかし、この聖書の箇所を注意深く読んでみますと、ある面において、彼女が多くの日本の店を持たれる家庭の婦人と違った所があることにお気づきと思います。それは何でしょうか。このルデヤは安息日には、必ず、店の戸を閉めて教会の礼拝に出かけたことであります。13~14節に「ある安息日に、わたしたちは町の門を出て、祈りの場があると思って、川のほとりに行った。そして、そこにすわり、集まってきた婦人たちに話した。ところが、・・・ルデヤという婦人が、聞いていた」とあります。
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 皆さんも知っておられるとおり、ここに記されている、「わたしたち」とは、使徒パウロとシラスであります。この二人の伝道者は数日前、ピリピへ伝道に来ていて、安息日になったので、彼らは町の門を出て、青々とした草原の川のほとりに座って、集まって来た婦人たちに向かって、主イエス・キリストによる罪からの救いと許しのお話をしていました。ルデヤもその中に座ってその話を聞いていたのです。もしも彼女に安息日を守る習慣がなかったなら、彼女の生活には大きなマイナスが生じたと同時に、またとないこの機会を逃したことでありましょう。幸いにもルデヤは真の神を知って、主の戒めを守っていました。その戒めの一つは、十戒にあるように「安息日を覚えて、これを聖くせよ」であります。

 日曜日をただ自分だけのために用いている人々は、神の戒めの一つを破っているばかりでなく、せっかく神が与えようとしておられるお恵みを拒否しているのであります。僅かな利益を得るために、永遠のいのちの恵みをなくすことは、人間の愚かな所であります。

 創世記25章にあります、エソウとヤコブのお話を、もう一度よく読んで下さい。この世の多くの人々は、エソウのようにパンとレンズ豆の煮物を長子の特権よりも重んじ、神の子としての唯一の特権(神の世継ぎの権)を捨てて、この世的な欲望が、生活の中心となっているのです。あなたがたは、神中心の生活を送り、主の日といわれます日曜日を、清く正しくお守りになっているでしょうか。

ルデヤの話から、さらに教えられますことは、彼女の素直な心であります。主は彼女の心を開いて、パウロの語る言葉に耳を傾けさせ給いました時、彼女もその家族もすぐに洗礼を受けた、と聖書にあります。これは実に素晴らしい信仰告白の行為ではないでしょうか。その当時、ピリピの町には教会もなく、唯一人のクリスチャンもいなかったのであります。しかし神様が、パウロの言葉を通し、聖霊によってルデヤの心に働き給うた時に、彼女は直ぐに決心して、罪を悔い改め、主イエス・キリストを自分の救い主として受け入れたのです。何年も何年もキリストのお招きに与りながら、それに応じない人々の態度は、ルデヤと全く対照的であると言えます。

ルデヤは洗礼を受けると、直ぐに使徒たちを自分の家へ招き、彼らの世話をした点、実に教えられるところがあります。ピリピの町はずれの川辺の集まりで、パウロを通していのちのみ言葉を聞いた婦人の内で救われたのは、ただ一人ルデヤだけだったのでしょうか。
しかも、このルデヤがキリスト者となった結果、キリスト教会が、ヨーロッパに初めて出来たのです。ただ一人の婦人の信仰から、ヨーロッパ全体がキリスト教へ移って行く大運動が起こされたといってもよいでしょう。

愛する読者の皆様、あなたは何度もキリストからのお招きをお受けになっているのに、それを受け入れなかったことはないでしょうか。今日、もう一度、神様があなたに迫っておられます。どうか、ルデヤのように心の戸を開いてみ霊を受け入れ、キリストによる救いを自分のものとされますようにお勧めいたします。
 
 ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。尚、本の在庫はありません。
1e9a37a2.jpeg『旧・新約婦人物語』(43)

シュネムの女
 =列王紀下4:8~37=

 預言者エリシャのとき、イスラエルのシュネムという町に、一人の裕福な婦人が住んでいたと聖書にあります。古い訳の聖書は大いなる婦人と訳しています。
 ここで学びたいのは、この女がなぜ、偉大であったかということです。
 列王紀下4章8節以下を読みますと、この婦人は大変親切な人であったことが分かります。預言者エリシャは、カルメル山に住んでいましたが、いつも都へのぼる途中、この町を通って、この婦人の家で食事のもてなしを受け、旅の疲れを休めておりました。
 それが、幾年も続いて、エリシャもだんだん年老いて旅をするのも疲れを覚えるようになしました。そこで、この婦人は預言者のために、小さい部屋を石垣の上に建て、そこに寝台、机、椅子、ロウソク立てなどを備え付けて、彼が通るたびに、そこに休ませたいと夫に相談しました。その夫も良い人であったらしく、そのことを承諾して、早速そのような設備をいたしました(10)。エリシャは、もちろんのこの夫婦の親切を大変喜んで、何時もその石垣の上の小さい部屋に住んで旅を続けていました。
 私たちがここで気付くのは、この婦人の立派なことは、彼女が美しかったためではなく、教養があったためでもなく、また裕福であったからでもありません。彼女が旅人に親切であって、しかも信仰があり、エリシャを「神の聖なる人」(9)と信じていたことにあります。彼女は預言者からの願いを待たず自らその労を慰める方法をとりました。

次に彼女は、自分の境遇を知って、自分の現在の状態に満足し、感謝していたことに気付きます。彼女はエリシャから、何らかの報いを得ようとして、彼に親切を尽くしたのではなく、本当の愛の心から出たことでした。
エリシャは何とかして彼女の親切に報いたい気持で一杯でした。そこである日、この部屋に休んでいた時、自分の僕ゲハジを彼女にやって、「あなたはこんなにねんごろにわたしたちのために心を用いられたが、あなたのためには何をしたらよいでしょうか。王または軍勢の長にあなたのことをよろしく頼むことをお望みですか」(13)と、尋ねさせました。彼女は、「わたしは自分の民のうちに住んでいます」といって今の生活に満足し、高い地位も、財産も、自分のためには何一つ求めませんでした。
ここで、私たちは己を空しくして、人のために親切を尽くすことが、いかに尊い業であるかを知ると共に、彼女の心が実に見上げたものであることに襟を正さずにはおられません。エリシャの僕ゲハジは、この女の家庭をよく見まして、彼女には子供がなく、夫は年老いて非常に寂しがっていることをエリシャに話しました。エリシャはそれを聞いて、早速、彼女を呼び、「来年の今ごろ、あなたはひとりの子を抱くでしょう」(16)と言いました。しかし、彼女はそれを信じませんでした。けれども、エリシャの預言の通り、あくる年、子供が与えられました。この夫妻はどんなに喜んだことでしょう。

平和な年が続いて、その子がだんだん大きくなったある日、子供は父と共に刈り入れのために、畑へ行って遊んでいました。急に「頭が頭が」と言って、頭の痛みを父に訴えました。父は驚いて若者に命じ、母の所へ負わせてやりました。子供は半日ほど抱かれていて遂に死んでしまったのです(20)。
そのときの母の気持はどうでしたでしょうか。彼女は急いで子供を石垣の上の預言者の部屋に入れ、寝台に横たえて戸を閉じ、夫の僕一人と、ろば一頭を求め、エリシャのところへ行くと言いました。彼女は馬のあがきも、もどかしいくらい、急いでカルメル山に駆けつけました。
エリシャは、彼女から子供の死を聞いて、僕ゲハジに預言者の杖を与え、急ぎ行って子供の頭にそれを置けと命じたのです。エリシャも切なる母の願いに、彼女と共にシュネムの家に急ぎましたが、途中、僕が帰ってきて、杖を子供の頭の上に置いたが覚めないと言いました。エリシャは急いで家に入り、戸を閉じて主に祈って、子供の上に伏し、子供を暖めました。すると、子供はくしゃみをしてよみがえりました。彼は母を呼んで子供を渡しました。彼女の喜びはどんなでしよう。

この話はザレパテのやもめの場合とよく似ております。ザレパテのやもめはエリヤに、この話ではエリシャに、どちらも子供をよみがえらせてもらっていますが、ザレパテのやもめはエリヤから食物を乞われたとき、神の言葉を信じ、乏しい内から食物を与えたのでした。それに反して、この女は自発的に、乞われないのに預言者の要求することを察し、自分を忘れて親切を尽くし、神の人に喜んで奉仕したところが違っています。もちろん、貧富の相違がこうさせたのでしょう。
しかし、二人とも同じように親切な人物で、信仰がありましたので、預言者を通して神より大きな恵みを受けたことを、私たちは学ぶべきです。
なお、このシュネムの女が何事も夫と相談して、事にあたったのは、彼女の家庭の美しさが伺われ、微笑ましくもあります。 
 
ポーリン・マカルピン著
(つのぶえ社出版)この文章の掲載は「つのぶえ社」の許可を得ております。尚、本の在庫はありません。
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書籍紹介
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エネルギー技術の
 社会意思決定

日本評論社
ISBN978-4-535-55538-9
 定価(本体5200+税)
=推薦の言葉=
森田 朗
東京大学公共政策大学院長、法学政治学研究科・法学部教授

本書は、科学技術と公共政策という新しい研究分野を目指す人たちにまずお薦めしたい。豊富な事例研究は大変読み応えがあり、またそれぞれの事例が個性豊かに分析されている点も興味深い。一方で、学術的な分析枠組みもしっかりしており、著者たちの熱意がよみとれる。エネルギー技術という公共性の高い技術をめぐる社会意思決定は、本書の言うように、公共政策にとっても大きなチャレンジである。現実に、公共政策の意思決定に携わる政府や地方自治体のかたがたにも是非一読をお薦めしたい。」
 共著者・編者
鈴木達治郎
電力中央研究所社会経済研究所研究参事。東京大学公共政策大学院客員教授
城山英明
東京大学大学院法学政治学研究科教授
松本三和夫
東京大学大学院人文社会系研究科教授
青木一益
富山大学経済学部経営法学科准教授
上野貴弘
電力中央研究所社会経済研究所研究員
木村 宰
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
寿楽浩太
東京大学大学院学際情報学府博士課程
白取耕一郎
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程
西出拓生
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程
馬場健司
電力中央研究所社会経済研究所主任研究員
本藤祐樹
横浜国立大学大学院環境情報研究院准教授
おすすめ本

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教会における女性のリーダーシップ
スーザン・ハント
ペギー・ハチソン 共著
発行所 つのぶえ社
発 売 つのぶえ社
いのちのことば社
SBN4-264-01910-9 COO16
定価(本体1300円+税)
本書は、クリスチャンの女性が、教会において担うべき任務のために、自分たちの能力をどう自己理解し、焦点を合わせるべきかということについて記したものです。また、本書は、男性の指導的地位を正当化することや教会内の権威に関係する職務に女性を任職する問題について述べたものではありません。むしろわたしたちは、男性の指導的地位が受け入れられている教会のなかで、女性はどのような機能を果たすかという問題を創造的に検討したいと願っています。また、リーダーは後継者―つまりグループのゴールを分かち合える人々―を生み出すことが出来るかどうかによって、その成否が決まります。そういう意味で、リーダーとは助け手です。
スーザン・ハント 
おすすめ本
「つのぶえ社出版の本の紹介」
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「緑のまきば」
吉岡 繁著
(元神戸改革派神学校校長)
「あとがき」より
…。学徒出陣、友人の死、…。それが私のその後の人生の出発点であり、常に立ち帰るべき原点ということでしょう。…。生涯求道者と自称しています。ここで取り上げた問題の多くは、家での対話から生まれたものです。家では勿論日常茶飯事からいろいろのレベルの会話がありますが夫婦が最も熱くなって論じ合う会話の一端がここに反映されています。
定価 2000円 

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「聖霊とその働き」
エドウイン・H・パーマー著
鈴木英昭訳
「著者のことば」より
…。近年になって、御霊の働きについて短時間で学ぶ傾向が一層強まっている。しかしその学びもおもに、クリスチャン生活における御霊の働きを分析するということに向けられている。つまり、再生と聖化に向けられていて、他の面における御霊の広範囲な働きが無視されている。本書はクリスチャン生活以外の面の聖霊について新しい聖書研究が必要なこと、こうした理由から書かれている。
定価 1500円
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「十戒と主の祈り」
鈴木英昭著
 「著者のことば」
…。神の言葉としての聖書の真理は、永遠に変わりませんが、変わり続ける複雑な時代の問題に対して聖書を適用するためには、聖書そのものの理解とともに、生活にかかわる問題として捉えてはじめて、それが可能になります。それを一冊にまとめてみました。
定価 1800円
おすすめ本
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われらの教会と伝道
C.ジョン・ミラー著
鈴木英昭訳
キリスト者なら、誰もが伝道の大切さを知っている。しかし、実際は、その困難さに打ち負かされてしまっている。著者は改めて伝道の喜びを取り戻すために、私たちの内的欠陥を取り除き、具体的な対応策を信仰の成長と共に考えさせてくれます。個人で、グループのテキストにしてみませんか。
定価 1000円
おすすめ本

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さんびか物語
ポーリン・マカルピン著
著者の言葉
讃美歌はクリスチャンにとって、1つの大きな宝物といえます。教会で神様を礼拝する時にも、家庭礼拝の時にも、友との親しい交わりの時にも、そして、悲しい時、うれしい時などに讃美歌が歌える特権は、本当に素晴しいことでございます。しかし、讃美歌の本当のメッセージを知るためには、主イエス・キリストと父なる神様への信仰、み霊なる神様への信頼が必要であります。また、作曲者の願い、讃美歌の歌詞の背景にあるもの、その土台である神様のみ言葉の聖書に触れ、教えられることも大切であります。ここには皆様が広く愛唱されている50曲を選びました。
定価 3000円

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